南北朝時代にはブイブイ言わせてたのに、戦国時代ではひっそりとしか生き延びられなかった武家などを語ろう。
導尿カテーテル2げと
とりあえず、足利一門の2流組はどうなったんだ?
仁木、石橋、石塔、吉良、桃井、渋川あたり。
4 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 08:50:45
>3
ちゅーかそのへんは足利一門の一流どころでは?
二流どころの細川、畠山は役目(管領)を与えられて
影響力を行使したけど、一流どころはこれらの役目に
就くこともなく(江戸時代でいうなら御三家が大老・老中などに就かない
のと同じ意味)目立つことも無く将軍家と共に衰微していったと。
斯波家は一流中の一流で、最初は「そんなもん家来筋が就くべき職だろうが」と
嫌々管領に就任したが、結果的には歴史上メジャーな存在になれたと。
南朝勢では?
菊池、北畠、楠木、新田、結城、小田、名和
戦国になってから熱くなったのは伊達くらいか
関東八屋形(千葉・小山・結城・宇都宮・佐竹・小田・長沼・那須・・・だったかな?)。
鎌倉以来の名門も、戦国期は弱小勢力に転落(佐竹を除く)。
7 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 17:50:56
>4
そうだねぇ。もしも将軍家が断絶するようなことがあれば
どこが将軍家を継承するかクローズアップされることに
なったんだろうけどねぇ。
足利家は繁殖力旺盛(後継ぎ以外は僧籍に入れるほど余裕!!)で
結局これらの家の出番無しに足利幕府滅亡。
3代で断絶した鎌倉将軍家やたびたび断絶して御三家・御三卿が
注目された徳川将軍家と大違い。
>>5>>6 とりあえず、基準はゲームに登場しないか、登場しても速攻で滅ぼされるor気づかない勢力かな。
宇都宮、北畠は半国以上の勢力はあるから失格。
那須は昔から勢力が変わらない。ただ、上下那須氏こそ統一したものの上那須氏の配下は独立的に。
小田、千葉は確かにかなりしょぼくなった。それでも無名ではない。
小山・結城連合は小山氏の乱と結城合戦で消耗しすぎた。
長沼氏はこのスレにふさわしいな。一時期落ちぶれたので、会津移住や皆川氏との関係が不鮮明になってしまっている。
菊池は確かに九州戦国史に詳しくないと知らないほど埋没してる。
名和も肥後史に詳しくないとな。故地に残った一族は居なかったのか??
新田本宗家は死亡したけど、岩松はそこそこ著名。
楠どこに行ったんだろ?一族は細川、畠山の被官になっていたとしても不思議ではないが。
9 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 20:30:25
長禄の変以降の赤松はどうなった?
播磨で復権したよ。
西播磨で一族、国人を糾合して浦上氏などと戦っていた。
宮本武蔵の生家の田原氏も赤松一族だった希ガス。
足利兄弟の家臣に和田なんとかってのがいたから、
楠はその配下にでもなってたんでは
あ、違う。楠正虎がいたじゃないか。松永久秀の祐筆だったな
13 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:39:58
正虎の親父は誰なんだよ。
14 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:52:35
>9
有馬記念って知ってる?
>>13 正成─正儀─正秀─正盛─大饗盛信─盛宗─盛秀─長成─成隆─楠正虎
ということらしい
16 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 04:13:00
由比正雪の師匠の楠木不伝こと楠木正辰(楠正辰)は?
17 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 07:28:22
その辺のゴミ捨て場から涌いて出たんだよ
18 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 12:59:42
菊池一族だろ!南北朝時代に一時は九州をほぼ制圧したのに戦国じゃすぐに滅びる(;´Д`)
おらが先祖の忽那氏はどうでしょうか
南北朝時代初期が最盛期で主に瀬戸内西部と伊予に影響力をもっていたらしいのですけど
建武前後は信濃あたりまで転戦したり
でも一族が尊氏の九州落ち→京都へのハッピーリターンに船を出したり
かと言えば懐良親王を匿って九州まで届けたり
いつのまにか凋落して戦国期には河野一族にあごで使われてたり
それなのに大正時代には南北朝時代の功績で叙勲されたり
・・・ええ、ドマナイナーな家系なのは承知しております
山梨じゃなくて、安芸(広島)の武田氏は?
若き元就が一戦してあっさり滅ぼすまではそれなりの力を持ってたんじゃない?
それより少弐氏だよ
少弐氏は、九州探題時代の今川了俊による暗殺事件以降衰退。
混乱する北部九州の一勢力としてのみ存続。
信長にあっという間に支配された伊勢北畠氏は、あの北畠氏だよね?
なんであそこまで弱体化してるの?
あと伊勢には伊勢氏が権勢を誇ってたはずなのに、どこへいったの?
24 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 00:21:18
九州・中国でぶいぶいいわせてた足利直冬の行方は
25 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 00:41:42
足利幕府は、守護を幕府のある京都に集める政策をとったため、
足利に近い、幕府で主要な役割を果した家が、
領国を守護代や国人に乗っ取られる傾向がありました。
伊勢氏は京都勤めが長すぎたのでしょう。
ちなみに後北条氏の北条早雲は、元の名を伊勢新九郎といいました。
足利直冬の行方は不明です。
勢力が衰えると、いつの間にか歴史から消えてしまいました。
26 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 01:07:29
楠木、名和なんかは鎌倉時代も無名だけど北畠、新田といったところは程度の差はあれ名門だな
でも伊勢の北畠は結構信長苦しめなかったっけ?
篭城戦で城の中に水が無いのを悟られないために馬の体を
米で洗って偵察に来た兵士の目を欺いたのは有名な話
北畠具教が相当やり手でかの信長でさえも苦しめたとか
やっぱ落ちぶれたとはいっても名家であるだけのことはある
最終的に信長の馬鹿息子に姓を奪われたな。
29 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:17:08
今の天皇は南朝の天皇を殺して三種の神器を奪った北朝の子孫
30 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:20:51
>>29 は孝明天皇で絶えて南朝後胤の大室寅之祐が明治天皇になった
というのが2ちゃんの意見
31 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:11:50
別に殺して奪ったわけではないだろ。
騙して奪ったんだろ。
32 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:09:00
>>3 そのなかで戦国期には完全に消えているのは石塔と桃井だな。
どっちも筋金入りの直義派だったから、観応の擾乱が決着したあとは衰退する
一方だったということか。
>>23 室町幕府の政所執事の伊勢氏って、鎌倉時代以来の足利氏の根本被官の
家だったと思うが、この伊勢氏が伊勢で権勢を誇っていたことなんてあったのか?
33 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:21:32
吉良は天下を取れる大名だった。
34 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 18:29:25
吉良も観応の擾乱前後の立ち回りがまずかったね。
安保
36 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 04:35:21
37 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 08:22:12
>>20-21 安芸武田の遺児が安国寺恵瓊で
小早川隆景の側近、毛利家の使僧として秀吉と毛利に20万石も貰ってた。
皮肉にも安芸武田が滅ぼされた後に全盛期が来たといえるかもしれない。
>>23 北畠はちっとも弱体化してなかった。伊勢一国を抑える大きな勢力だった。
それが信長にあっさりと滅ぼされたのは
信長の優秀さと彼が抑えていた尾張・美濃の強国ぶりゆえ。
全国でも五指に入る豊かな二国だし、この時点で信長は並の国なら四、五カ国を持つ大名にも等しかった。
伊勢を抑えている北畠といえど太刀打ちできる相手ではない。
>>30 大室寅之祐の簒奪は確定事項ではない。
>>33 そうそう今川や家康を倒すチャンスもあった。
>>37 恵瓊が20万石?
伊予6万石だろ?
他にも収入はあったらしいが。
39 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 00:48:00
戦国期の吉良は今川によって飼われているだけの存在。
今川が衰退したあとは飼い主が徳川に変わっただけでやはり飼われているだけの存在。
40 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 01:12:16
安国寺エケーが安芸武田の裔ってのはよく聞くが、どうつながるの?
元就にあぼんされた武田元繁の子孫?
41 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:57:44
武蔵.入間郡の武井
42 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 03:01:21
それよりも金地院崇伝が一色氏とどう繋がるのか知りたい。
43 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 04:05:36
44 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:17:03
>>43 安芸武田・若狭武田の系統って、室町のなかばくらいから通字が「信」から「元」に変わるんだね。
畠山高国
46 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 00:05:07
畠山高国・国氏親子は奥州探題をしていましたが、「観応の擾乱」で直義派の
吉良貞家に滅ぼされました。戦国期に伊達政宗に殺された畠山義継は子孫ですね。
48 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 10:43:54
その段階では「奥州探題」じゃなくて「奥州管領」では?
49 :
45:2006/11/03(金) 11:24:15
二本松畠山は戦国時代でも一城の主だったのだから、スレタイの落ちぶれていた家系
に該当するかは微妙だけれども。
ところで畠山系図を見るといつも感じるのだけど、高国の系図上の位置に違和感が在るのだよね。
国清・義深兄弟と比較すると、時国と高国の間に一人・二人抜けている気がする。
50 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:34:47
九州探題もこの段階では鎮西管領というのが正解だよね。
松浦の波多と大和国高市郡波多郷の波多は何か関係が有るの?
>>49 でも、畠山スレッドの凋落ぶりと、
管領家の一族のくせに・・・ということを考えると、やっぱさびしい状態だわな、二本松。
周囲の勢力からは一段格上に見られてて、だから滅ぼされずにあそこまで生き残れた、
という話もあるけど。
世田谷の吉良氏(足利氏)みたいだね。
>>51 俗に「波多」「波多野」「畑野」「秦野」といったあたりはイコール「秦氏」だと言われてるね。
54 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 04:41:58
奥州と九州に多そうなイメージ。
少弐とか渋川とか菊池とか浪岡とか高水寺とか二本松とか塩松とか。
55 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 05:54:11
>53
確かに南北朝時代は有名で戦国時代はぱっとしませんな。
56 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 12:48:42
野望チャンス
57 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:37:48
58 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 22:37:57
北畠は国司といっても実際の勢力範囲は伊勢半国にすぎない。
したがって尾張美濃の織田信長の敵ではなかったということでOK?
59 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:33:06
北畠の実質的な勢力範囲は一志郡と飯高郡の2郡だけです。
それより南の飯野・多気・度会の3郡は、郡全体が伊勢神宮領だったはず。
60 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:01:18
>>58>>59 半国でも2郡だけでも大したものジャマイカ。
信長もあの手この手使っているし敵でなかったなんてことはないよ。
曲がりなりにも戦国時代後半まで生き残ったわけだし。
61 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 05:10:02
>>60 むしろ室町段階では2郡だが(しかも義教のときの北畠満雅の乱では、その
2郡さえ存亡の危機だったわけだが)、戦国期になって勢力を拡大したんじゃ
ない?
戦国期には南の伊勢神宮領だった地域(いわゆる神三郡)や、守護勢力が
いなくなった北部へも自らの勢力を浸透させている。
62 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:26:23
阿野家
63 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:05:08
厚東
64 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:16:01
南北朝の大悪党、赤松。
でも戦国では落ちぶれる、それで大名辞めました。
辞めましたというより、辞めざるをえなかったというか‥‥
66 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 07:51:04
分家の有馬氏は大名身分のまま明治維新を迎えるけどね。
>44
それ、通字っていうより、
細川京兆家を烏帽子親にしたとかそういう方向だったような。
勝元・政元らの「元」が降りてきてるだけだよ。
68 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 15:25:23
最初から落ちぶれているより高い所から落ちてきた方がなんか悲しいな。
69 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 19:12:06
逆に鎌倉幕府に殉じた家で戦国まで生きたのって存在したっけ
70 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 20:22:38
71 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 11:12:12
盛者必衰とは言うけれど、勝ちつづけている家系ってあるの?
>>71 家系では天皇家・島津あたりなのかなあ有力者である期間が長いのは。
本題からそれるが、興福寺ってすごいな
平安時代・・・実質的な国主
鎌倉・室町・・・実質的な守護
江戸時代・・・2万1千石
現代・・・観光スポット
古代から続いているのは、
天皇家・出雲大社家(千家・北島)・藤原北家ぐらいかな。
どれも言ってみれば神輿みたいになものだけど、
神輿になるのが長続きの秘訣かもしれない。
>>73 他にも結構あるよ。民神板にスレあったと思う
75 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:40:08
76 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 22:27:23
>>58 北畠が伊勢半国っていうのは何か根拠があるの?
78 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 22:56:23
>>69 毛利もじゃ? あと芦名
てか文官はかなり殉じてるんじゃ。
北条も義時の行動は文官だったし
79 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 08:17:22
北畠顕家の子孫って奥州にいたっけ?
80 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 13:34:01
青森の浪岡にいて、南部の庇護下にあったけど、犯罪者大浦為信になぶり殺しにされて食べられた
81 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 15:05:08
>>78 毛利や芦名で鎌倉幕府滅亡時に死んだ奴いたっけ?
82 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 16:40:56
越後にはいたかもしれんが本家はいないはず。
倒幕軍に参加せず、北条残党の反乱に参加して吉川にやられただけ
83 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 05:19:54
>>78 >北条も義時の行動は文官だったし
意味不明。
84 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 07:22:25
85 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 00:20:25
寒河江が完全幕府側で二三人。長井は分裂して二人。毛利も分裂でどちらかというと残党の反乱で動いている
86 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 03:12:21
南北朝期には毛利は割れているね。
87 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 12:52:56
六波羅から逃げ帰ったのが安芸毛利で置いてきぼりをくらったのが北条/安田なんじゃなかったっけ
楠木包囲網だったかもしれんが
88 :
国重高暁:2007/05/05(土) 17:53:39
佐々木源氏の京極氏。
応仁の乱以後没落し、
中興の祖・高次ですら
危なかったというのに……
話題にならないのはなぜ?
89 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 18:13:37
90 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 07:09:57
築山殿が関口氏の娘で瀬名氏の子孫であることは、家康が好きな人なら誰でも知っているのに、
あの九州探題今川了俊の子孫であることが案外知られていない…。
最近は、ウィキペディアのおかげでましになったけど。
菊池氏
ウチの先祖だね
>>81 亀レスだけど、芦名では中先代の乱で当主の盛員と長男の高盛など、
分家含めて結構多数戦死してるっぽい
93 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 18:30:21
>>90 そもそも瀬名氏を知っている人なら、了俊も知っているだろう。
94 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 20:46:31
六角、京極、山名、赤松、大内、斯波
96 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 07:47:07
だいたいその頃栄えていてその後も続いた家自体の方が少ないだろ。
97 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 14:10:54
六角や大内は戦国の中盤までは明らかに繁栄しているだろう。
98 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 19:16:19
毛利時親の兄弟って歴史にでないがどうなったんた?息子は北条残党。孫は南朝だが
99 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 00:53:59
山名
>>97 戦国板の連中でも後期しか眼中にないからね。
後期より南北朝〜戦国開幕戦がおもしろいと思うんだけどなぁ。
もったいない。
京極なんか尼子は独立するは浅井にはやられるわで大変だな。
>>80 庇護していた南部ってどの南部?
三戸?八戸?大光寺?堤?七戸?どれ?
それと大浦も南部の一族だぞ
104 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 18:58:02
105 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 01:12:27
>>88 京極が没落し始めるのは、永正の内訌以降じゃないの?
応仁の乱段階で没落しているようには思えないんだが。
106 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 01:19:53
>>101 尼子の独立は、文明の内訌で、高清系(近江)と政経系(出雲)に家が分かれてしまったことが遠因。
そして政経の死後、そのまま尼子が出雲(および隠岐)を接収してしまった感じ。
一応、政経から幼名の人物への譲状があるが、その人物がその後にどうなったかは不明。
その後、将軍義輝の時代に、幕府から京極氏の惣領職を分割して尼子氏を出雲・隠岐守護にすることが正式に認定されている。
107 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 01:49:47
こないだ合コンしたら、「斯波」さんっつー女の子がいて
マジびびった。
君もしかして、足利の氏族のあの斯波の子孫?って聞いてみたら
本人はそんなことよく知らん、とさ。
未だに何なのかなぞだ。
明治の新姓で斯波なんてつけるとも思えんが・・・
108 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 02:09:29
合コンでそんな話題持ち出しても女の子はひくだけだろう。
俺もその場に居合わせたら訊きたくなっちゃいそうだけどやめよけよw
109 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 02:27:38
>>107 単に陸奥国斯波郡出身の百姓某が出身地の郡名をつけただけだろ。
110 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 08:57:52
有名な家系の分家の分家とかなら、結構普通にいるよ。
昔の友達で徳川くんってのがいた。これは本物。
他に大名家の支族の子孫って友達がいままで2人ほどいたことがある
111 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 09:45:31
徳川じゃインパクト薄いなあ。
室町守護家の末裔とかだと凄いけど。
112 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:12:03
>>107 盛岡、仙台には南部、伊達に仕えた子孫がいるぞ
113 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 15:01:18
>>108 ひくかどうかは相手による。日本史の院生の合コンならむしろ大いに盛り上がる。
114 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 15:08:55
日本史の院生の合コン・・・
糞みたいな合コンだな
そんなもん開かれてたらマジできもちわりいな
116 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:29:05
研究会と称して実態は合コンなんてことは、ままある。
眼鏡率100%って感じだな
118 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 01:59:10
たとえ日本史の院生の合コンでも、先祖が斯波氏とかどうこうで
盛り上がってるなんて想像するだけで寒い光景だな。
119 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 02:37:52
門司氏
時代に翻弄されまくって何も同族各系同士で戦わなくても・゚・(ノД`)・゚・。
120 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 02:55:07
>>117 まあコンタクト使用も含めれば、矯正視力の奴は限りなく100%に近いだろう。
>111
そんなどうでもいいことにしつこく絡んでるおまえも‥‥
まあモテないんだろうなw
いや単に徳川の話はスレ違いってことだろう
きっと
123 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 16:21:56
124 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 04:03:46
>>121 10レスも前の書き込みにわざわざそんなレスつけるおまいは
125 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 15:55:08
少弐氏
小代氏
沖雅也って楠木の子孫なんだってね。
128 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 02:47:17
楠木の子孫ほど僭称しやすいものはないな。
129 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 02:50:29
まあ明治政府が必死になって子孫捜したけど見つからなかったし
130 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 02:54:14
自称子孫はいくらでもいたが、確証のある奴はいなかったんだよな。
131 :
日本@名無史さん:2007/06/15(金) 11:31:49
江馬氏
132 :
日本@名無史さん:2007/06/15(金) 22:56:14
>>117 眼鏡っこは普通に萌えるだろ!?
眼鏡っこ好きの男はおおいと思うが如何
133 :
日本@名無史さん:2007/06/17(日) 03:22:39
楠木家が明治後も続いていたら、「公爵」をもらって、
「子爵」の足利家を抜くことができたかな。
134 :
日本@名無史さん:2007/06/17(日) 05:04:04
新田・菊池・名和がいずれも男爵であることから考えてそれはない。
135 :
日本@名無史さん:2007/06/17(日) 10:28:28
>>107 斯波さんねー。私の知り合いにもいるよ。
だけどその女の子は内の家系は源氏だからってすげーえばってるぞ。
東北斯波氏の子孫らしい。
そう言えば、政治家の塩じいや吉本の東野も楠木の末裔とか言ってたな。
東野は知らないけど、塩じいなんて河内の有力者は、やっぱり楠木に自分を
繋げたいのかな?
二人とも、一般人から見たら大成功?してんだから、先祖なんて関係ないのに。
成功した人ほど権威付けを欲するものなんじゃよ坊や
>>137 成金とはそういうものらしいね
社交界は無視できないって所なのかな
139 :
日本@名無史さん:2007/06/17(日) 22:12:08
>>135 結婚して田中さんとか山田さんになってしまったら
人生負けたように感じるんだろうな、その子は。
>>139 氏が変わっても自慢するよ。
そういうおばさんイッパーイ。
まったくスレ違いだが
現首相のとうちゃんは夫婦ともども
前九年・後三年の安倍氏の子孫と持ち上げられて
その気になってたそうな。
持ち上げたのは東日流外三郡誌を作った和田喜八郎。
騙されるのがすごいとかそういうレベルじゃなく
政治家ってそういうハク付けが単に好きなんだろうな。
142 :
日本@名無史さん:2007/07/05(木) 04:48:45
長州出身の奴がどうしてそんなのに繋がるんだ?
安倍宗任 wiki
配流
四国の伊予国に流され、現在の今治市の富田地区に3年間居住し、その後少しずつ勢力をつけたために、
1067年に九州の筑前国宗像郡の筑前大島に再配流された。
その後、宗像の大名である宗像氏によって、日朝・日宋貿易の際に重要な役割を果たしたと考えられる。
また、大島の景勝の地に自らの守り本尊として奉持した薬師瑠璃光如来を安置するために安昌院を建てた。
そして、1108年2月4日に77歳で亡くなった。
三男・安倍季任
季任は肥前国の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり松浦三郎大夫実任と名乗る。
その子孫は北部九州の水軍松浦党を構成する一族になったともいわれている。
子孫
松浦実任(安倍季任)の子孫の松浦高俊は、平清盛の側近で平家方の水軍として活躍し、
その為、治承・寿永の乱により、現在の山口県長門市油谷に流罪となった。その後、高俊の娘が平知貞に嫁ぎ、
源氏の迫害から逃れる為に安倍姓を名乗った。その子孫に政治家の安倍晋太郎・安倍晋三親子がいる。
安倍晋三は2006年に内閣総理大臣に就任。かつての反逆者の子孫は、日本の最高権力者に登り詰めた。
wikiは噂の北畠有馬氏やらタモリの先祖の捏造もあるから
どこまで信がおけるやら
wikiの信頼度は2chと同レベルでしょ
146 :
日本@名無史さん:2007/07/09(月) 01:29:15
大内氏、伊勢国司北畠氏。
宗任が太宰府に流されそこで出家したのは事実。
但しそこから先は不明。ましてや松浦党だの(
>>146 大内は戦国時代には落ちぶれてないだろ
義隆というイカホモ野郎が一代でパーにはしたが。
>>148 親父は全盛期を築いた名将だったのにね。
養子が死んだくらいで捨て鉢になるなんてなんてヘタレだ。
義隆は幼少期畿内へ行った父親とあまり接せられなかったのではないか。その辺何らか影響してないだろうか。
乳房忠顕
152 :
日本@名無史さん:2007/07/11(水) 01:26:50
南北朝時代に有名で、戦国時代は落ちぶれてた家系?
そしたらそんなの足利じゃん?
だって、全国のやつらが足利の言うこときかなくなったから
戦国時代になったわけで。
南北朝時代でも足利の言うことを聞かない大名は沢山いたわけだが?
154 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 00:12:11
北畠顕家の子孫です
井伊は南朝の親王を擁していたくらいなのに
戦国時代は今川に圧迫されて一旦滅びちゃうね
菊池には戦国時代でも変わらずに暴れまわってほしかった
157 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 01:38:58
名和
>>156 北肥後の反大友の盟主的な存在で活躍していましたよ。
大友から入った養子が
159 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 08:41:45
『光の速さでマスかいたらどうなんの?』っと、
/⌒ ⌒\ )
/( ●) (●) \ )/⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y丶
/ ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
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ノ \
/´ ヽ カ
| l l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l カ タ
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、. タ
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
┌┬┬┐┌┬┬┬┐┌┬┬┬┐┌┬┬┬┐
,. - ''"| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ρ ̄`l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ ̄ ̄
____
/::::::─三三─\ 正確に考察すると、光速に近づくにつれ、
/:::::::: ( ○)三(○)\ 加速させるのに必要なエネルギーは無限大に近づく。
|::::::::::::::::::::(__人__):::: | ________ ある瞬間お前の代謝量は肉体のエネルギー総量を超えおまえ自身が消滅する。
\::::::::: |r┬-| ,/ .| | | 残るのは光速の手とチンコのみ
ノ:::::::: `ー'´ \ | | |
161 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:06:58
>>146 北畠は南北朝合一段階でかなり押さえ込まれるも、戦国期になって再び勢力を拡大していると思うが。
>>150 なにがどう影響するんだ?
162 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 08:07:04
163 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 12:46:51
河村たかしのご先祖様。
新田軍とともに、神奈川の河村城にて籠城。
164 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 20:45:12
>>157 肥後の名和は、琉球に南下し、琉球王朝を建てたんだって。
その地で、歴史を繋いだんだ。
165 :
日本@名無史さん:2007/07/20(金) 00:56:28
そういう伝説が有るって事だろ。
源為朝の子孫が琉球王朝を立てたとか、平家の落武者が立てたとか。
167 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 02:10:12
名和氏は近世には筑後柳川藩の客分となって明治維新後に名和男爵家となります。
168 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 08:58:27
>>166 それが単なる伝説ではなく、どうもそうらしい。南北朝時代に南朝が負けた後、
名和氏の一族は、海に出て海賊化した人々と、さらに南下して、琉球に逃れ、
そこに王朝をたてた人々がいた。沖縄には、九州と似た地名があるのもその影響
なんだそうな。
これ折口信夫説だったような気がする。
どっちにしろ尚王家は途中で赤の他人に乗っ取られてるわけで
171 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 14:28:20
>170
興味深い説だね。せっかくのURLだけどcopy&貼り付けが出来ない。
パソコン初心者なので・・・。
どんな本なんだろう。もっと知りたい。本の名を教えてください。
172 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 17:39:18
でも史実として分かる範囲内では、名和氏の嫡流は戦国期(16世紀)まで、
普通に肥後周辺で活動しているじゃん。
>>171 谷川健一著「甦る琉球の道・日本と琉球」文春新書
内容は古代から島津の琉球侵攻までの日本琉球間の交流史。
折口説はその一部で触れられている。
>>172 名和氏は所謂「倭寇」としても活動していたみたいだから
その一部が
>>168みたいなことをしていてもおかしくは無い。
174 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 18:04:27
>>172 嫡流ではなく、庶流ではないか。
>>168は一族にはにそのような人々がいたと書いてあるよ
嫡流とは言ってない。いずれにせよ詳しい人の意見を聞きたいもんだ。
175 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 18:32:32
で、名和氏の子孫というのは、
第一尚氏王朝初代の尚思紹?
それとも、
第二尚氏王朝初代の尚円?
176 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 19:41:02
>>173 171:より
レスありがとうございました。お手数をお掛け致しました。
名和氏が和寇としても活動していたのなら,めだたないとの評価の名和一族は、
本当は戦国時代のものすごい大金持ちだったのかも。柳川藩の大事な客分として、
この上もなく丁重に扱われていたんでは。
178 :
日本@名無史さん:2007/07/22(日) 02:42:05
>>176 戦国時代の名和氏って、元々の本拠地だった八代を相良氏に奪われて
宇土半島周辺で細々と生き残っていた程度だろ。
金持ちだったなんて想像できないんだけど。
>>177 じゃあ明治の琉球処分まで続くその後の琉球王家とは血縁上の繋がりはないですね。
179 :
日本@名無史さん:2007/07/22(日) 07:40:28
>>178 琉球王家とは血縁上の繋がりがあったかどうかはまだわからないのでは・・
名和氏の一族が琉球王朝を建てた、そういう説もあるが、学会ではまだ固まっていない
という話だから。もしかしたら、第一尚氏と第二尚氏は同族で、同族同士で王権を争ったのでは?
それにしても、名和氏と那覇市。音が似てますね。これは偶然?
沖縄の地名と九州の地名が良く似てると言う事は琉球では九州の影響を
かなり強く受けていた、ということですね。人と物の交流がなければ起こり得ない
ですよね。
>>179 第一尚氏と第二尚氏は同族じゃあないよ。
第一尚氏を第二尚氏がのっとり、明への言い訳から尚氏を名乗る。
同時に第一尚氏の皆殺しをしている。
181 :
日本@名無史さん:2007/07/24(火) 00:11:51
第一尚氏の時代は短いよね。
儚い栄光だ。
182 :
日本@名無史さん:2007/07/24(火) 23:49:47
長ければ儚くない、というわけでもないな。
第二尚氏の裔も今はただの人。
あと数十年もしたら歴史に埋もれて忘れ去られる。
尚氏は忘れ去られないだろう
184 :
日本@名無史さん:2007/07/25(水) 00:29:03
第一尚氏の裔も、現にのこっているらしいがな。
ともに今やただの人だが。
185 :
日本@名無史さん:2007/07/25(水) 01:22:53
足利家って今どうしてるの?
186 :
日本@名無史さん:2007/07/25(水) 02:00:04
全国の電話帳に足利さんって何件あるかな?
楠は?
両朝合一の前に足利に降伏して細川の庇護下に入るから
滅亡していないと思うが、実際の所どうなのよ?
189 :
日本@名無史さん:2007/08/03(金) 07:23:03
小学生の時の同級生、北条君の
お姉さんの名前が政子だった。
あの北条家との関係は不明だけど
そんな名前を付けてるあたり、
元農民が勝手に北条を名乗っただけ
だろう
190 :
日本@名無史さん:2007/08/04(土) 19:07:16
>>188子孫は大阪府堺市に和田氏としておわれます。
191 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:31:47
なんか戦国時代に松永久秀の配下で楠木正虎とかいたような
192 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:55:39
南部を忘れんな
南部は戦国時代に落ちぶれた部類にはいるのかな
そもそも南部って南北朝時代有名か?
北畠配下の有力武将の一人くらいの位置づけじゃね?
195 :
日本@名無史さん:2007/08/23(木) 06:42:49
戦国や源平がこれ程注目されているのに
南北朝はからっきし注目されていないのには何かの陰謀すら感じるのだが
考えすぎかな 吉本とかテレビ局とか教育の分野に室町の連中が深く関わっていると
俺は考えている
>>195 いや、北奥で斯波相手にちまちま押し合いしていても
目立っていないのではないかと
>>196 陰謀論持ち出さなくても、集合離散分裂裏切りを繰返し
ゴチャゴチャしていて理解しにくいからでしょ。
日本人は水戸黄門みたいに単純明快なものを好むから
南北朝は敷居が高いと思われ
南北朝と幕末は各人の立場がころころ入れ替わるからな
199 :
日本@名無史さん:2007/08/23(木) 17:28:33
>>197 南部の馬は有名だい!もう来ねぇよ!ウワアアアン
南北朝の時にぶいぶい言わせて戦国時代には没落!といえば
島津氏
の本家
201 :
日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:25:51
島津本家は南北朝期にも分裂したりして結構滅茶苦茶では?
202 :
日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:04:46
皇室
逆賊足利尊氏に担がれた偽者が天皇面してシャアシャアと簒奪。
島津本家なんて鎌倉の頃から飾りもの
んなこたーない
足利なんて室町の最初から飾り物
206 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 08:36:36
桃井かおりってあの桃井?
207 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 17:01:10
>>205 足利将軍の場合、最後まで飾り物に収まっていた人は夭折した5代・7代くらいだろう。
まあ後の徳川将軍の場合だと、最初の3代と5・6・8・15代の他は成人しても飾り物だが。
208 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 17:15:55
家斉は飾り物というにはエネルギッシュに活動しとるがな。
209 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 17:29:01
吉良家だろ。分家した今川はともかく。
東条と吉良は源氏でも事務方だからな。
江戸になったらネチネチの本領発揮したがW
北畠
北畠
桃井
斯波
新田
名和
楠木
:
:
南北朝→戦国だと、むしろ大勢力で生き残ってるほうが珍しくないか?
212 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 22:38:09
>>208 しかし政治的には全然エネルギッシュじゃないけどな。
徳川幕府って、多少の動揺はあっても最終的には末期まで割と安定している
一方、政治的にエネルギッシュに動く将軍は後半期にはほとんどいない。
この点、足利幕府は屋台骨はかなり早い段階からズタズタになっている一方で、
将軍個人は最末期に至るまで政治的に非常にエネルギッシュ。
213 :
日本@名無史さん:2007/09/24(月) 02:43:04
>>211 北畠は没落する処か勢力を拡大している。
214 :
日本@名無史さん:2007/09/24(月) 03:26:50
だよな。
北畠って応仁の乱以前は実質伊勢国のうち2郡だけだけど、戦国期には伊勢1国をほぼ手中に収めたし。
北畠親房の北畠家って、何姓なの?源氏?藤原氏?
明治に受爵した北畠家って2家あるけど(ともに男爵)、
ひとつは久我家別家の北畠通城(公家)、
もうじとつは奈良県出身の北畠治房(新華族)
この家は、北畠親房の北畠家と同一の血統なの?
216 :
日本@名無史さん:2007/09/24(月) 18:27:48
北畠は村上源氏。
近代の華族としての北畠は、村上源氏一族から北畠の家名を再興させたもの。
なお北畠については、「北畠氏」というべきか「北畠家」というべきか、
いつも悩むな。
>>216 >なお北畠については、「北畠氏」というべきか「北畠家」というべきか、いつも悩むな。
「北畠」って天皇から賜った姓なのか?
218 :
日本@名無史さん:2007/09/24(月) 19:11:47
公家の家系を指す場合は「○○家」、武家の氏族を指す場合は「○○氏」とするのが、日本史学界では一般的な了解事項。
日本史の論文中とかで使う場合なら、公家に関しては
○ 近衛家
× 近衛氏
となるが、武家に関しては
○ 徳川氏
× 徳川家
となる。
但し武家に関しても、明らかに氏族ではなく特定の家系を指した言い方(例えば
「徳川将軍家」のようなもの)の場合は、「○○家」という言い方が許容される。
>>216 でも、
>>215では、新華族の北畠治房のほうが、「房」の字がついてて北畠親房と関係がありそう。
奈良県出身らしいし。単なる偶然?
220 :
日本@名無史さん:2007/09/25(火) 02:15:06
北畠治房は親房の子孫を名乗ったらしい。
しかし商人の息子だし、前名は平岡鳩平…
自称だな
あー、そーなのー!?
何で知ってんの?ソースは?
222 :
日本@名無史さん:2007/09/25(火) 03:06:30
北畠の通字って「房」じゃないし。
じゃ、なに?
具だろ
>>220 調査した上で正統性が無ければ、受爵は無理でしょ。
江戸時代を通して、地元の藩には例えば
「伊勢の一族の生き残り」とかいう風に認知されてたんじゃないの?
どの系統に属するのかわからないけれど。
そういえば戦国時代の伊勢って北畠支配だけれど、
分家や一族や家臣や諸豪族国人の寄り合い所帯から脱却できてないよね。
そんな諸勢力の中に、楠木氏がいたと思う。
北畠の地元だから、ありえない話じゃないと思うけど。
北畠って公家でしょ?
伊勢とかきいたことあるけど、どんな関係なの?
他の公家の家と比べて、平均的なことなの?
あと、同時期の千種忠顕って、明治期に子爵受爵した堂上の千種家と同じなの?
また、北畠顕房とか、護良親王とか、急に公家が軍事貴族になるのは、歴史学的に見て
どういうことが言えるんだろ?
あと、二人とも「顕」の字ついてるけど、誰の偏諱なの?
誰だ、顕房って
顕家だろ。
229 :
日本@名無史さん:2007/09/25(火) 22:54:30
北畠も千種も村上源氏。
この時代に興味のある人には常識的な話だろうけど、建武政権期だと
村上源氏=大塔宮派というイメージがある。
大塔宮の生母って三条家だったけ?
231 :
日本@名無史さん:2007/09/26(水) 09:22:53
村上源氏なら「赤松氏」もあるだろ。
赤松って村源なの?
233 :
日本@名無史さん:2007/09/26(水) 10:33:33
赤松は当初大塔宮派に属していたから、村上源氏を名乗ったという説もある。
実際に系譜的に繋がるかどうかの確証はない。
234 :
日本@名無史さん:2007/09/26(水) 11:10:44
>230
大塔宮(護良親王)の母民部卿局親子は、
太平記では北畠師親の娘となっている。
235 :
日本@名無史さん:2007/09/27(木) 00:17:23
大塔宮派の主要メンバーの村上氏は信濃源氏だが。
236 :
日本@名無史さん:2007/09/27(木) 14:06:34
阿蘇家
237 :
日本@名無史さん:2007/09/27(木) 23:15:34
赤松は大塔の宮の荘園を管理していた関係で大塔の宮派だろ?
村上源氏と大塔の宮の繋がりは何なの?
少弐氏だろ。
239 :
日本@名無史さん:2007/09/28(金) 10:02:01
一色氏
240 :
日本@名無史さん:2007/09/28(金) 10:02:44
岩松氏
241 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 19:07:30
>>237 >村上源氏と大塔の宮の繋がりは何なの?
そこを『太平記』は
>>234のようなことに求めているんだろう。
まあ実際問題として、北畠親房は阿野廉子周辺が絶大な権勢を持った
建武政権の実態には批判的だしな。
赤松に関しては、本当に系譜的に村上源氏なのかは怪しいところもあるが、
北畠あたりとの縁は後々まで続いている。
北畠満雅の乱で満雅が将軍義教に討たれたときは、赤松が満雅の嫡子を
匿っているし、逆に嘉吉の乱で赤松満祐が討たれた際は、北畠が幡祐の嫡子を
匿っている。
242 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 19:08:45
243 :
日本@名無史さん:2007/10/05(金) 15:16:32
北畠は匿ってない殺してる。
244 :
日本@名無史さん:2007/10/06(土) 04:02:46
北畠教具は最終的に幕府に赤松教康(満祐の嫡子)を引き渡しただけで、直接手を下してはいない。
245 :
日本@名無史さん:2007/10/06(土) 22:14:09
館で切腹させたと聞いたが?
246 :
日本@名無史さん:2007/10/07(日) 17:32:52
なんだ聞いただけかw
247 :
日本@名無史さん:2007/10/10(水) 18:38:29
この時期の北畠って公家なのか?武家なのか?
公家。
249 :
日本@名無史さん:2007/10/11(木) 13:48:41
公家でどうやってそこまで武力化できるんだ?その構造を知りたい。
それをいったら坊主だって
251 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 00:26:50
そもそも武力を全く持たない公家も珍しいんだが。
252 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 09:07:07
んー、だからどういう事?
253 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 15:39:55
森先生は教康を国司館で切腹させたと書いていたよ。
254 :
;:2007/10/13(土) 15:32:42
>>249 土佐の一条氏 飛騨の姉小路氏 もそうだが....
255 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 17:43:03
北畠の場合、南朝方の武士や悪党を率いて戦っているうちに
武士化していったんでしょ?
土佐の一条家の場合は、土佐に下向したら、
高貴な人が来たと武士達に祭り上げられて武士化?
姉小寺は?
256 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:13:21
>>249 侍とか足軽雇うんだよ!
侍は5貫文で足軽は2貫文ぐらいだよ?
作事や普請は、村請負にして人足動員したんだよ!
普通に考えれば大湊とかの津銭で、それを賄ったんでは?
紀伊・湯浅氏
鎌倉では紀伊有数の党首
南北朝では各地を転戦
戦国期は・・・
258 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 21:48:29
戦国の北畠が伊勢一国ってちょっとまてよ
>>257 戦国期は三好配下の淡路の水軍じゃなかったっけ?
260 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:44:44
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
261 :
日本@名無史さん:2007/10/18(木) 01:38:27
262 :
日本@名無史さん:2007/10/18(木) 01:44:21
263 :
日本@名無史さん:2007/10/18(木) 02:04:58
>>261 参議院議員森ゆうこ先生。
国会の乱闘にミニスカで参戦して、周りが冷や汗をかきましたw
264 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 16:31:36
age
265 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 20:25:53
아게!!!
266 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 10:38:17
>>249 地方に下って在地領主化すれば、そのへんの国人領主と何も変わらないだろ。
267 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 06:29:04
涙目 足利子孫の一言
打倒!織田一族郎党
268 :
日本@名無史さん:2008/01/22(火) 09:20:09
細川藤孝は織田一族を妥当しようとしたのか?
269 :
日本@名無史さん:2008/01/23(水) 21:18:36
豊前宇都宮氏・城井氏
270 :
日本@名無史さん:2008/02/15(金) 03:36:38
二本松だな
>226
半年越しの遅いレスだが、
室町初期までの貴族は、軍事に手を出す軍事貴族も含まれていた。
そういう実務系の貴族は、文官も含めて下級貴族だったが。
伊勢は、顕家の父:北畠親房が建武政権から国司に任じられて以後、
長く伊勢に根を下ろしていた。
幕府方の守護と争ったりして一時は衰えたが(特に6代将軍義教の頃に逆境だった模様)
戦国時代には復権、最盛期には伊勢の過半を制圧した。
織田に破れて滅んだけど。
応仁以後には、土佐の一条家(摂関家支流。前関白一条教房に始まる)や、
伊予の西園寺、それに短期間ながら、和泉で摂関家の九条氏が大名化したぞ。
九条はわずか11年で京都に戻って、摂関家のままで存続したが。
政元公旅引付だっけ。泉州にいた間の記録が残ってる。
272 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 16:08:01
TAKEO KIKUCHIの菊池武夫は菊池氏の子孫か何かですか?
273 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 00:06:06
>>271 × 政元公旅引付
○ 政基公旅引付
九条政基と同時代に細川政元という紛らわしい人物がいるから、要注意。
ただ九条政基は政治的な理由で京都にいられなくなって下国しただけだし、
戦国大名化どころか在地領主化したといえるのかどうかすら疑問。
当人も和泉に根を下ろすつもりじゃなかったようだし。
明治になると北畠治房(平岡鳩平)により北畠家復活。
>273
スマン、誤変換を見落としてた。
紛らわしい名前ってか、両者とも義政から一文字もらってるからなあ。
細川本家の「元」と摂関家(の一部)の「基」が同時に存在するのはしかたがない。
在村の期間、10年前後の期間だけ限定ではあるが、
いちおう領主としての職務をきっちりとこなしてたはず...
根を下ろすつもりはなくても、サボることはできなかったと思う。
ところで。
鎌倉時代後半から建武初年までの期間だけは、
「征夷大将軍は親王/皇族がなるもの」って時代だったよな。
「宮将軍」の延長上に、護良親王を位置づけるという見解に新鮮な驚きを感じた。
>>275 しかも政基の子澄之が政元の養子なんだっけ。
全くアカの他人でもないところがまた何ともね。
277 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 12:38:08
>>275 おいおい。政基公旅引付って記録されてる期間は4年弱くらいだったと思うが。10年もない。
278 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 09:11:38
九条政基がちゃんと領主してた割には、日根庄って畿内の公家領荘園のなかでも
戦国期のかなり早い段階で実態がなくなるなw
279 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 09:47:13
九条政基なんてただの犯罪者だろ
280 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 11:03:21
意味不明
281 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 11:38:52
同志社容疑者犯罪者って歌あったね
282 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 11:41:51
>>276 澄之の生母は、将軍義澄の生母と姉妹。
つまり澄之と義澄は実際の血縁上従兄弟になる。
だから細川政元は澄之を自分の養子に望んだという。
283 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 11:47:49
容疑者 同志社 犯罪者♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
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< < < ) ) ) (_)|
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生きてる〜 価値無し そりゃ君さ〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
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でも〜 その下には ♪ リッツがいる〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
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リッツがい〜〜る〜さ〜〜〜〜〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
284 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 17:02:57
九条政基の荘園があったのってひご細川家の領土
養子のやり取りなんてするってことは
五摂家と三管領家は同格、もしくは武家側に同格になりたい意識でもあったの?
286 :
日本@名無史さん:2008/03/17(月) 22:59:50
287 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:20:01
高取城主 越智氏
288 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:42:48
加賀国の守護富樫氏もあてはまるのかな?ちょい疑問だけど
289 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 07:13:51
ハ,,ハ
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291 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 22:41:55
地方だが香坂
292 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 21:45:29
ご冗談を
293 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 03:12:50
細川家は未だに続く超ロングラン名家ですねえ
ウラヤマシス
信長は斯波の末裔
間違えた織田氏は斯波氏の家臣だ
お前は何を言っているんだ
297 :
日本@名無史さん:2008/05/13(火) 23:24:31
斯波氏がスレタイ通りになってるって言いたいんじゃね?
298 :
日本@名無史さん:2008/05/13(火) 23:37:31
斯波いたろか?
織田まり!
斯波いたろか!われ!
ああどうしてこんなことに
これがイカれた武家の世界wwwww
○兄弟親子で殺し合いの権力闘争wwww
○家臣や上司に裏切られるのは当たり前wwwww
○親が武士ならその親族も武士にならなければならないwwwwww
○親族そろって戦に駆り出されるwww親子兄弟で共に死ぬなんて当たり前wwwwww
○敗戦の責任も親族共同で取らされる 一族そろって殺されるなんて当たり前wwwwww
○一夫多妻制wwwwwwつまり浮気し放題wwww
○少しでも偉い武将のカンに触ったら殺されるwwwwww
○串刺しや鋸引きや釜茹でなどなど現代人が聞いて
びっくり青ざめるような死刑方法があるwwwwwww
/  ̄  ̄ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚|⌒| |⌒|゚o \ / / / | _|_ ― // ̄7l l _|_
| | (__人__). | | _/| _/| / | | ― / \/ | ―――
\ | `|⌒|´ | / | | / | 丿 _/ / 丿
/ ̄ |川!| ̄|川i| ̄\
中学の同級生だった赤松さんは元気だろか?
305 :
日本@名無史さん:2008/06/30(月) 02:32:06
たぶん播磨で元気に頑張っているさ!w
赤松一族も多いからね。
307 :
日本@名無史さん:2008/08/01(金) 00:52:47
頑張れ赤松一族!
と同族・有馬氏の俺が言ってみる
巣にカエレよ
309 :
日本@名無史さん:2008/08/01(金) 13:49:48
↑
成敗!
大仏氏や、名越、城とかの鎌倉幕府側の北条の支族は?
金沢八景に住んでいる名越さんとか聞くと出自が気になって
312 :
日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:19:24
そう言えばオニャンコにも名越ちゃんていたよな。
313 :
日本@名無史さん:2008/08/09(土) 15:36:32
なぁ三浦氏の葦名や正木と、三浦家臣筋の長尾氏って、戦国期は双方どう思ってたんだろうね。
みんな相模から追放されちゃったね。
314 :
日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:54:27
さあ本人たちに訊いてみたら?
315 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 02:12:55
城は北条支流じゃなくて安達氏の別名ね。
大仏や極楽寺は全滅だろうけど、飛騨江間氏は佐介系ね。あと横井也有の尾張横井氏は名越の子孫て聞いたが真偽不明
316 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 04:22:11
No.1【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)
(佐渡・能登・越中・加賀・越前)=比企朝宗
(信濃・上野)=比企能員
(越後)=佐々木盛綱
(下野)=小山朝政
(常陸)=八田知家
(下総)=千葉常胤
(武蔵)=平賀義信
(相模)=三浦義澄
(伊豆・駿河)=北条時政
(遠江)=安田義定
317 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 04:24:14
No.2【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)
(三河)=安達盛長
(尾張)=小野成綱
(美濃)=大内惟義
(伊勢)=山内首藤経俊
(近江)=佐々木定綱
(若狭)=津々見忠季(島津)
(和泉)=佐原義連
(播磨)=梶原景時
(淡路)=横山時広?
318 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 04:26:06
No.3【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)
(但馬)=小野時広
(讃岐)=後藤基清
(土佐)=佐々木経高
(出雲)=安達親長
(安芸)=宗考親
(石見・長門・隠岐)=佐々木定綱
(対馬)=河内義長
(筑前・肥前)=武藤資頼
(日向・大隅・薩摩)=島津忠久
319 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 04:29:06
東北地方
蝦夷(エミシ)『アイテル』これは豪族ですが支配していた。
320 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 04:41:12
アイテル?
アルテイと同じ?
321 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 04:58:28
>>320 指摘有難う間違った そうです。
豪族エミシ『アルテイ』です。
322 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 00:24:39
アテルイ でしょ?
>316-318
鎌倉期の守護はあまり権力がない。
「領国」とよべるほど強く支配するのは、基本的に南北長期以後。
鎌倉期には、「領地」と言えば「荘園」「地頭職」のこと。
もっとも、戦国初期ごろまで、大多数の武士にとっては「領地とは荘園のこと」という状況だった。
ま、鎌倉期でも、守護の権限を濫用して荘園を増やすことは不可能じゃなかったようだから、
守護職に一定の利権が絡んだことは間違いないだろうけどな。
>310
北条氏の支流のうちでも有力者の大半は、幕府と命運を共にしたはず。
六波羅から鎌倉に向かう途中で死んだ面々と鎌倉陥落時に死んだ面々を合わせて400人以上が切腹したと言うし。
そこで生き延びても、中先代の乱で死んだのもいるだろ? たぶん。
まあ生き延びても人知れず落ちていって帰農したり隠棲したんだろうね。
325 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 22:08:23
岡野やら田中はどうなんだろ?
あいつら今では立派に親を継いでるぜ。
こないだの同窓会にも来てたけど、あんまり変わってなかったよ。
327 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 23:35:01
この間、田中に会ったよ。畜産は楽じゃないってさ。
岡野は相変わらず、イケメンだよな。のんびりやってるみたいだったよwww
そうか〜あいつら元気だったのか〜
良かったな〜
>>325
329 :
日本@名無史さん:2008/09/23(火) 03:27:39
結城宗広って地味だよな?
330 :
日本@名無史さん:2008/09/24(水) 17:28:13
南朝の忠臣なのにな
331 :
日本@名無史さん:2008/09/26(金) 09:41:02
南北朝じたい地味だしね
332 :
日本@名無史さん:2008/09/26(金) 13:34:36
没落したのでは、伊勢の北畠家が代表格でしょ。
あと千種家もそうだね。
後醍醐天皇の側近だったのに、共に信長の軍門に下る。
333 :
日本@名無史さん:2008/09/27(土) 13:11:44
北畠は信長に滅ぼされちゃったけど、
それ以前は落ちぶれたとまでは言えないと思う
まぁ別にどっちでもいいけど
桃井氏は戦国まで保たなかったな。
北条は宇都宮の家臣に末裔がいたな
同窓会には来てなかったぴょん
岡野っていうと、後北条家臣の板部岡融成がいるな。
江戸時代は旗本だったはず
小学校時代は張本ファンだったぜ岡野のやつは
>>329 結城宗廣の子孫は、奥羽仕置で秀吉に改易されるまでは南奥の有力者だったはず。
たしかその子孫は、伊達家と佐竹家の家臣となったような・・・
白河結城は永正の内訌以降はダメダメだな
北畠や結城はなぜ爵位を貰えなかっただろう?
同じ南朝の忠臣の菊地家や名和家は貰ったのに。
忠臣といえば、児島高徳がいるけど、あれは「太平記」の中の架空の
人物なの?
諸説あるけど実在したとしても小豪族でしょう。
346 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 01:02:26
コ〜〜ジマ♪
南朝ほす
348 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 17:03:58
ん?
349 :
日本@名無史さん:2009/02/03(火) 19:56:00
足利家・・・。
350 :
日本@名無史さん:2009/02/03(火) 21:13:04
児島高徳は明治政府から正四位を贈られてるから
一応は実在の人物扱いですね
351 :
日本@名無史さん:2009/02/03(火) 21:18:46
少弐一族は時代的に微妙ですかね
たぶん既出と思うけど…上杉氏(本流)かな…
山内・扇谷・犬懸・宅間・深谷・越後・他…血が残ってるのは、ドコ…?
米沢は名跡だけだし…
353 :
日本@名無史さん:2009/02/04(水) 19:18:18 BE:1103139465-2BP(0)
戦国時代になって没落し、昭和になって復活した、松田聖子率いる柳川蒲池氏
上杉憲政の息子で米沢藩士いたよね?
その後絶えちゃった?
355 :
日本@名無史さん:2009/02/16(月) 20:53:48
三河田原藩の三宅氏は児島高徳の子孫を名乗っている。
356 :
日本@名無史さん:2009/03/16(月) 23:23:00
「名乗る」のは勝手
>>343 結城に関して言うと小山(結城本家)、結城(白河結城)共に水戸藩士。
水戸藩党争で書生派に属し会津戦争にも参加していたため賊徒として扱われていた。
明治中頃に士籍回復される。
359 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 02:01:19
そうかな
360 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 02:24:10
諸生派
361 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:45:22
肥後の豪族の名和って長年の子孫?
千種はいずこへ??
362 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 03:30:32
後醍醐天皇→ラオウ
足利直義→トキ
足利尊氏→ケンシロウ
新田貞義→ジャギ
楠木正成→黒王号
363 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 03:34:17
名前間違えた
新田貞義→新田義貞
あと
高師直→ユダ
364 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 09:33:34
365 :
361:2009/05/13(水) 20:26:41
>>364 わざわざどうも。
まあ、村上源氏(?)だからね。
にしても、いっつも思うんだがこのサイト、すごく便利だよな。
情報こんだけ集めてんのはスゲェな。
366 :
361:2009/05/13(水) 20:39:02
あと、肥後の名和は本当に長年の子孫なのか?
すごく怪しいような気がするのだが。
南北朝の勉強しましたが、
あまりにも裏切りと寝返りが多すぎて
なにがなんだかわかりません
親方日の丸が2つもあれば、どちらにつくか迷うわなw
いや、初めは迷ったんだろうけど、
あとは自分の領地を広げるために都合次第であっちに付きこっちに付き、でしょ。
山名とか大内みたいに幕府に手強く抵抗し、頃合いをみて帰順したほうが
最初から忠誠を尽くしている奴よりもはるかにおトクな待遇を
受けられる、なんともカオスな時代。
もっとも帰順のタイミングを間違うと仁木のように没落するリスクもあるが。
空気読めるやつが勝ち組ってわけか
371 :
日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:26:26
いつの時代でもそうだろ
372 :
日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:00:01
age
374 :
日本@名無史さん:2009/07/17(金) 16:58:00
肥後の名和は長年の息子が地頭になってたのは確かだし
あのあたりは南朝の巣屈だから、わりと由緒?正しいハズ
スケートの織田っていうのは家系上は北畠?
377 :
日本@名無史さん:2009/07/17(金) 20:13:00
まさに俺のためにあるスレだぜいw
俺の先祖は南朝方の武将だった
城持ち大名ってやつさ
俺はその直系、荘園の名前を継いでる
判るだろう?
歴史書にも載ってる、後入りできて守護職を
名乗ったやろうと戦って降った!!
だそううなwwww
この時に末代まで金持ちか貧乏かが決まったのさ
幕末までしがない下級武士
さぞ悔しかっただろうよwww
あーご先祖さまぁ〜〜〜
タイムマシーンさえあれば自衛隊から武器パクッてでも
助太刀に行くのに!!
他に俺んちと同じ境遇のやっあーいないかぁ?
慰め合おうぜぃ
北朝で後入りした守護って上杉と足利一門くらいだが。
他の守護は元から地元の名家。
>>377 該当するのは瓜生くらいか
379 :
日本@名無史さん:2009/07/17(金) 21:01:32
また自慢厨が出たか・・・・・・
381 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 00:17:20
名和だろうね
名和は城持ち大名ではなかったし、守護に降ったのではなく他国へ逃亡したから違うだろう。
384 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 20:41:56
山形県で言うと・・・
北朝は山形の斯波氏
南朝は寒河江の大江氏
その他のいるけど
385 :
日本@名無史さん:2009/07/22(水) 20:17:30
384ですが
武将だと多田氏だったんだろうか
多田氏と大江氏のコンビだったんだろうか
さっぱりわかんない、知識ないし
386 :
日本@名無史さん:2009/07/23(木) 00:11:55
誰でもないんじゃね?
どうせ呑百姓の子孫がなりきってみたかっただけだろうからwww
387 :
日本@名無史さん:2009/07/23(木) 22:49:29
377が出てこない・・・
どっか行ったか
多田氏は子孫に多田駿陸軍大将を持つ勝ち組
389 :
日本@名無史さん:2009/07/24(金) 23:13:37
>>387 いるぜ
自慢厨で萎えただけ
俺は戦国以降は落ちぶれたって素直に認めてるのにな
島津荘の開拓者達の事だよ
鶴瓶の家族に乾杯で、波多野氏の末裔が出てたが、
江戸期は庄屋をやってたそうな。
391 :
日本@名無史さん:2009/07/28(火) 00:22:47
大江麻里子ちゃん(テレ東)にはヲタが多い?
392 :
日本@名無史さん:2009/07/30(木) 02:25:57
大江裕くんは、のろま大勝だよね^^
393 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 22:20:26
なんやそれ。
394 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 03:47:15
大江氏と北畠天童丸
395 :
日本@名無史さん:2009/11/02(月) 23:23:44
>378 遅レス注意
上杉は足利一門じゃないけど足利家の執事だし、
当初は足利氏の代官みたいなものだったと曲解する余地はあるかも。
長く残ることはできなかったと言え、高 という執事筆頭も守護として越前や河内などを領有したっけ。
足利一門が守護を務めた国は全国の半分ぐらいに及ぶ気がするので、「くらい」と言うには多すぎる気はする。
>384
>北朝は山形の斯波氏
って足利一門だな
>389
>島津荘の開拓者達
wikipediaじゃ、
> 起源
>万寿3年(1026年)に大宰大監の平季基とその弟平良宗が開発し、関白の藤原頼通に寄進。
ひょっとして肝付氏?
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kimo_k.html >大隈国肝属郡弁済使となった兼貞は、島津庄開発領主の太宰大監平季基の女を妻にし、男子がなかった季基の後嗣となり島津庄の荘官(荘司)となった。
396 :
日本@名無史さん:2009/11/02(月) 23:42:55
天皇家並びに摂関家以下の堂上家
397 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 12:47:07
菊池氏
>>397 近代史専攻してるとその名前を見るだけで気分が悪くなる。
399 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 13:58:03
何で?
菊池寛きらい?
菊池武夫
菊池氏の後裔で先祖の功により男爵になる。陸軍中将。
貴族院議員として、数十年前に尊氏を評価した中島久万吉大臣を辞職に追い込み
天皇機関説を攻撃する勢力の先頭に立つ。
その後も親軍的な集会を行った。
こいつを思い出すんだよ。
>>400 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんだ?
基地外?
403 :
日本@名無史さん:2010/02/12(金) 22:25:42
ほー
仲よくねー
405 :
日本@名無史さん:2010/03/20(土) 21:28:59
今川ってけっこうスゲーね
406 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:17:38
つーか今川以上の家なんて数えるほどしかないだろ。
>>400なんか津軽憎しを今でも引きずってる南部みたい・・・
408 :
日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:08:06
ほー
南朝の聖跡寺院
神戸市兵庫区門口町の福厳寺は後醍醐天皇の史跡として有名です。
また神戸の港の歴史においても重要な地位をしめます。境内には
塔頭二ヶ寺、起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃寺さ
れましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲庵と言う事になりまし
た。また和田〔和田岬〕にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在
は福厳寺に合併されています。
吉良さんは何の功績も無いのによく江戸時代まで持ったな