今時、鉄砲三段撃ちとか言ってる奴って何なの?

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843日本@名無史さん:2007/08/21(火) 07:53:28
>>842
まず、信長公記のどこにも三段撃ちを示すような記述はない。
三段撃ちとは、こんにち、連射が出来ないため、短時間に続けて撃つための工夫であると認識されている。

信長公記の中で、鉄砲の使用方法で書かれているもので、
「五月廿一日、日の出より刁卯(とらう)の方へ向けて未の刻まで、入れ替わり入れ替わり相戦い・・・」
という表現がある。「入れ替わり」撃ったのは間違いない。しかしこれは、日の出から未の刻(午後二時前後)までの長いインターバルの中での話をしているので、連射をするための手段ではなく、交代で撃ったというだけと解釈される。

そして、武田の攻撃パターンは、この間、5回に分けて攻めてきたが、これは短時間の波状攻撃ではない。
テンポからして、連射が必要なほどのものではない状況だと考えられる。これは「柵」の存在と、忘れられがちだが、背後に控える3万以上の大軍勢の存在が大きい。

そして、もうひとつ。
これも忘れられがちだが、鉄砲が三段撃ちのような連射の工夫がなければ役に立たないようなものであった場合、酒井忠次の別働隊による鳶の巣山攻撃はどう解釈するのか。
これは4000の兵に500丁の鉄砲。これで砦に奇襲をかけている。
これも連射したのか? おかしくないか? 
今度は「柵」の外から中へ撃っているパターン。別働隊の場合も「柵」を境界にするやり方で、直接の被害を防ぎながら、射撃をするやり方をしただろうが、連射が必要だった訳ではない。
これで、砦を制圧し、長篠城の包囲を解いて入城しているから、十分に役に立っている。
信長公記では、
「五月廿一日、辰の刻(午前八時前後)、取り上り、旗首を推し立て、凱声を上げ、数百挺の鉄炮をドッと、はなち懸け、責め衆を追い払ひ、長篠の城へ入り・・・」
とある。一斉射撃だと考えられるが、連射は問題にされていない。

そして、最も重要なこと。
鉄砲が多段撃ちで連射の役割を果たすもので、それが有効な手段であった場合、その方法は後の戦いでも戦術として広く利用されたはず。
しかし、そのような記録はない。揃えての一斉射撃は、ある。その嚆矢が長篠、設楽が原のケースだろう。
844日本@名無史さん:2007/08/21(火) 09:32:00
鉄砲って、畿内では結構普及したけど、大抵は城の防備用だ。
それと、猟師。使い古しの鉄砲を都かなんかで手に入れて使ってたようだ。
いい道具だもんね。山で狩をするには。

相手と接近戦をする可能性が低い場合、鉄砲は有効な武器だろうね。
そんなところから、「柵」の考えが出てきたのでは?
845日本@名無史さん:2007/08/21(火) 11:37:23
>>843は軍事の素人だな。織田徳川軍はなんのために柵を築いたのか。
それは武田軍の突撃を防ぐため。突撃を防ぎ、安全なところから鉄砲での射撃を浴びせ、
一方的に武田軍の出血を強いるためだ。
たった千丁の鉄砲で武田軍の波状攻撃を防ぎ、柵を守るためには、弾幕を張るしかない。
事実信長は千丁の鉄砲を5人の奉行に分割してゆだね、
奉行たちは「入れ替はり入れ替はり相戦い」、武田軍が「無人」になるほどに激しい銃撃を浴びせた。
3段打ちか4段打ちか知らんが、織田徳川軍が鉄砲の多段打ちを用いたことは火を見るより明らか。

>酒井忠次の別働隊による鳶の巣山攻撃

これは史料より一斉射撃であったことが明らか。だが酒井による鳶ノ巣山での戦闘と
信長直率の設楽ヶ原合戦は全然別物。混同してはいけない。

>揃えての一斉射撃は、ある。その嚆矢が長篠、設楽が原のケースだろう。

明らかな嘘。設楽ヶ原では「入れ替はり入れ替はり」射撃したのであって、一斉射撃ではない。
ただし小部隊毎の一斉射撃であれば実施していた可能性は高い。
846日本@名無史さん:2007/08/21(火) 19:06:38
>>845
鳶ノ巣山砦攻撃での数百丁もの鉄砲一斉射撃があったかどうかは疑問。
酒井忠次隊は迂回して山側から鳶ノ巣山砦に迫ったわけだから、そのような状態で
数百丁もの鉄砲がはたして一斉射撃できるだろうか。

>>844
もともと日本の戦いは遠戦志向であって、鉄砲は城の防備用品などではない。
847日本@名無史さん:2007/08/21(火) 19:17:51
>>843
丁寧に説明してくれてありがたい。
「三段撃ちがなかったとしてもまったく問題がない」と思う。
しかし「三段撃ちがあったら明らかにおかしい、重大な矛盾が発生する」とまでは思わないなぁ。

三段撃ちも可能性として残してよい気がする。素人考えだけど。
848日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:06:30
>>846
「鉄砲狭間」も知らんのか? もっと後の大坂城には「トーチカ」まであるぞ。
これだから、知ったかはもう・・・
849日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:18:34

鉄砲狭間が有ったら鉄砲は防衛用具になっちゃうんですかw
こりゃびっくり理論だわw
850日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:18:50
>>847
えーとね。「三段撃ち」と称するものを短時間の連射(が出来ない欠点を補うもの)ではなく、半日位の間の入れ替わり入れ替わり攻撃したというものに対する象徴的な表現として許容できるのなら構わないんだ。

だから、>>843では、
「三段撃ちとは、こんにち、連射が出来ないため、短時間に続けて撃つための工夫であると認識されている。」
という「断り書き」を入れたんだよ。

我々現代人が、「三段撃ち」などと言って想起するもの、もちろん人にもよるが、例えば歴史小説やドラマ、映画で描かれるのは、武田の騎馬兵が間断なく攻めてくるものを、馬防柵からこれも間断なく射撃して、短時間に次々に・・・という感覚で捉えてしまうことなんだ。
そういったところから、実際と虚構のギャップが出てくる。
例えば、史料などを読んだり、研究している人でも「想像の範囲」ってのはある。
でも、そのレンジは、ある程度歴史を考証するに足る範囲内で概ね収まるだろうし、ドラマなどを見ても、興味深いかも知れないが、それを妄信したりはしない、はず。

レンジを逸脱したら、それはトンデモになってしまう。
「とまでは思わない」という考え方は、良いかもしれない。それは「許容範囲」ということを意識していることになるからね。
851日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:20:28
>>849
そうだよ。当然。
面白い論議になりそうだから、違うという論議をここでしてみたら?
852日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:28:28
遠戦志向w
853日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:30:11
どーやら、鳶の巣山砦に火の手が上がった模様w
854日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:33:53
>>850
『信長公記』には、入れ替わり入れ替わり猛然と弾丸を浴びせた様がはっきり描写されているよ。

855日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:54:04
>>847
いや、はるかに昔から使われてきた弓だって、必要に応じて連射することがあるなど当たり前なのだから、
鉄砲の連射がありえたのかどうかは問題になる余地はないわけで、物理的に可能ならありえたとしかいいようがない。
問題になっているのは、「西部劇の騎兵隊の団体突撃のような具合の武田の騎馬隊の団体での突撃」を、
「鉄砲の三段撃ち連射」で撃退したという事実が存在したか否か。
856日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:10:18
>>845
きちんと書いてくれたようだが、話的にはおかしい。
軍事に関して素人だよ。でも関係ない。
その証拠に、
「織田徳川軍はなんのために柵を築いたのか。武田軍の突撃を防ぐため」
これは、俺も含めて、ここを見ている大半の人は当然だと思うだろう。
俺にもまったく異存はない。それは軍事の専門家にしか分からないような特別な知識なのか?

奉行についての出典を明らかにしてもらおうか?
それと「無人」になったというのは、すべて死んだと解釈できない。
西上野小幡一党(信長公記では「三番手」とされる)のところで、
「・・・身がくしとして、鉄炮にて待ち請け、うたせられ候へば、過半打ち倒され、無人になりて、引き退く」
これなどむしろ象徴的だと思える。半分以上がやられたから、全員撤退した。つまり、全滅など必ずしも必要ない。
軍事専門知識を書いていた人が、「8%以上」の命中率で十分、というような事を書いていたが、その真偽はともかく、徹底的に命中しなければならないものでもないという方が、この場合妥当だ。
それが「火を見るより明らか」だというのだから、大多数の人が納得できる根拠を示してもらおう。
857日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:11:09
そして、
「明らかな嘘。設楽ヶ原では「入れ替はり入れ替はり」射撃したのであって、一斉射撃ではない。
 ただし小部隊毎の一斉射撃であれば実施していた可能性は高い。 」
ってあるが、俺がどうこう言う前に、この2行、矛盾していないか?
「明らかな嘘」という全否定と「可能性が高い」って、なんなの?

でもその矛盾には答えなくても良い。
まず、俺は全鉄砲隊による一斉射撃なんて一度も書いていない。小部隊毎だろう。
もっと言えば、合図はあってもトリガーを引くのはバラバラであったかも知れないとさえ思っている。
専門家さんよ、一斉射撃という、トリガーを同時に部隊で引けるようになるのに、どれくらいの調練が必要なのか示してくれ。
ただ、引くのではなく、標的を狙いながらだ(俺はデータを持っているが、素人だから。素人呼ばわりをした人から承ろう)。

俺は鉄砲隊を活用したものの嚆矢として設楽が原を挙げたが、一斉射撃の有無は、その後の合戦の事を指して言っている。
一番最後の段落は、長篠の戦いのその後の影響の事について書いているので、誤解なきよう。
一斉射撃なら、真田丸の鉄砲隊もだし、他にも例はいくらも挙げられるだろう。
858日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:26:50
>>856
あんた信長公記読んでるんだろ?
長篠合戦の条に「御奉行」と出ているよ。
一般的には佐々成政と前田利家の2名が突出して有名だけど。
859日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:33:41
長篠の戦いは戦国最強の武田騎馬軍団を織田の鉄砲隊が3段打ちで全滅させた戦いだよ。
これ豆知識な。
860日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:42:31
>>858
違う違う。>>845で問題なのは、
「事実信長は千丁の鉄砲を5人の奉行に分割してゆだね、
 奉行たちは「入れ替はり入れ替はり相戦い」、武田軍が「無人」になるほどに激しい銃撃を浴びせた。」
と、個々に別々のところに書いてあることを、勝手につなげてお話にしてしまっている事なんだ。

信長は、鉄砲(鉄砲隊ではない)を千丁選抜し、5名の奉行に指揮させた。
でもそれは千丁を5分割した訳ではない(可能性はあるが、それを明記したものはない、という意味)。
そして、5名の奉行を部隊長とする部隊が、入れ替わり入れ替わり、なんてことも書いていない。
日本語は、平気で主語を省略できる言語だから、難しいところではあるのだが、直接関連付けられていないことを関連付けてしまうのには、何か別の根拠が必要になる。
861日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:44:25
豆のような頭脳に相応しい知識だろうね。
どうせ釣りだろうが。
862日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:46:09
うは、物凄いレスのアップだな、飛んじまった。
>>861>>859へのレス。
863日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:48:39
短時間にレスが次々にアップ。
これこそ、三段撃ちの鉄砲隊と騎馬軍団の合戦だなw
864日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:52:35
>>863
同意。長篠スレに相応しい展開だな。
865日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:54:49
>>855
弓矢なら、背中の矢を取って、弓に番えて射れば良いからね。
種子島型の火縄銃は、弾丸の装填から発射までに手順が多く、時間がかかる。
発射した後、第二弾の発射までには、清掃工程が必要で、もっとかかる。

・・・って、それが前提で、みんな書いていると思っていたが、違うの?
866日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:03:54
>>865
同意。鉄砲の場合は再装填に多少時間がかかる。
だからこそ交代交代で銃弾を浴びせることができる三段撃ちは極めて有効。
867日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:08:39
>>866
それが有効なのは、武田の襲撃が、単独で撃つ以上のペースで襲ってきた場合に限られるんだよ。
実際は1時間に1回来るかどうか。しかも半分程度やられたら引き上げる相手。
無効ではないが、そこまでやったかどうかだ。
そして、史料(少なくとも信長公記)には、明記されていない。
868日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:09:47
有効なら、空襲かけたほうが極めて有効。一網打尽だ、参ったかw
869日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:10:28
■9・15 リチャード・コシミズ東京講演会
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 911謀略を解明し、極東戦争を阻止する
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/9_15tokyo.htm 

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■日  時 07年9月15日 (土) 13:30〜16:30
■場  所 東京ウィメンズプラザ (東京都渋谷区神宮前5-53-67)

電話 03-5467-1711(代)   FAX 03-5467-1977
●交通:渋谷駅から徒歩12分、地下鉄表参道駅から徒歩7分。国連大学のとなり。
http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/

2月17日リチャード・コシミズ東京単独講演会ダイジェスト版
http://video.google.com/videoplay?docid=-7654256446381089725
870日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:12:43
織田信長こと、伊庭義明三等陸尉の隊が持っていた銃は、十分連射が可能だが。
871日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:13:02
>>865
時間がかかるっつっても大分削減できてるだろ流しのの頃なら
872日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:14:11
それみろ、スレ荒らしが出てくると、スキが出来て、クダランレスがアップされる。
873日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:17:26
弾薬が尽きたのかな・・・
874日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:20:39
>>867
1時間に1回?どこにもそんなことは明記されていないなあ。
875日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:23:04
>>821
うわーすごい進み方。何かかなり昔のレスになっているけど。
信長って、そんなに天気が読めたのか?
現代の気象予報士でも外すこともあるのに。
合戦が始まってから、雨が降り出したら、イッカンの終わりだったね。




・・・って、書いてて何か空しい・・・
876日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:24:07
つうか、お前ら本当は信長公記の原文読んでないだろ。
おおかた歴史群像あたりからパクッてるとみたw
877日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:24:15
>>874
明け方から未の刻までに、計5回の攻撃だよ。
それくらい、分かれよ。
878日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:26:48
>>876
普通に書店に売ってるぞ。
新人物往来社の原文掲載のものなら、巻八「三州長篠御合戦の事」は172ページ目だ。
879日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:27:12
>>821
当時の鉄砲は性能が悪く、火薬が少しでもしめっていると使い物にならなくなる。
だから籠城戦の屋内専用武器と断じてもよい。
雨が上がったばかりの長篠では湿気が多く火薬が湿ってしまい、鉄砲は使い物にならない。
880日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:34:42
>>877
ああ、あんたが勝手に設定したのね。
で、あんたの信長公記には1回の攻撃時間とその後の休憩時間についてどう書かれているわけ?
1時間に1回攻撃といっても10分攻撃50分休みかも知れんし、50分攻撃10分休みかも知れんぞ?
まさかその辺のことも考えていないわけではあるまい?
881日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:38:32
学校の授業か、バカだろ、おまえ。
882日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:38:37
>>879
それはないな。なぜなら鉄砲が使えなければ、
織田軍が武田騎馬軍団の前に全滅させられていたはずだからだ。
が、実際は織田軍が勝った。だから織田軍の鉄砲は使える状態だったと言える。
883日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:42:47
>>882
点火すれば良い訳だからね。
湿ってない方が良いに決まっているが、これも「許容範囲」の問題だろう。

それに当時は「生石灰」はある。長篠への弾薬運搬に使われたかは定かではないが、乾燥を保つ工夫なら出来なくはない。
884日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:47:26
>>882
鉄砲なしだと織田全滅かよ!
885日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:55:25
>>880
誰かが書いていたが、もし、武田軍が「総攻撃」という手段を取ったなら、考えても良い戦術だ。
だが、結果的に入れ替わり立ち代り(信長公記に記述がある)、やって来た。

そして、もし、その間が特に短い場合があり、かつ、それが戦局に影響を与えるほどの事態だったら、それは何等かの記述があるのではないかな。
また、逆に、それほどの事態をも克服したような事実(例えば連射を可能にするような手段)があったのなら、それも書かれたのではないか。
何故なら、もしもういうことがあったなら、それは信長の功績として顕彰に値するものだから。
信長公記を書く太田牛一の立場からして、また、長篠の合戦のくだりの他の記述の密度からして、そのような事実があったのに端折ったというのは、考えにくいね。
886日本@名無史さん:2007/08/22(水) 01:43:06
つーか武田が波状攻撃で戦力を小出しにしたんなら
その時点で戦術的にかなり問題があると思うが…
ましてや一時間に一回ペースって、織田徳川に立ち直る時間与えてどうするよ

大軍による包囲殲滅が地勢的に不可能だったとしても、
間髪入れずに攻撃仕掛けたと考えるのが当然だろうがよ
887日本@名無史さん:2007/08/22(水) 01:45:01
>>865
いや、弓にしても印字うちにしても、有効射程とかの制限があるわけだから、一人一人が思い思いにではなくて、
ある程度の多数が示し合わせて連携して「結果として連射になる」ようにする先行例など無数にあったに決まっているのだから、
鉄砲でも、ある程度以上の数を揃えたなら、そういう発射の仕方をした可能性を否定することはできない、
という意図なんだけど。
888日本@名無史さん:2007/08/22(水) 01:48:36
まあ武田はノンビリ仕掛けたってのでもいいや
だとすると、そもそも武田って大した事ないねえ
撃退するのには三段撃ちすら必要ないわけだ
これを創作で書けるなんて、作者は信長以上の軍略家だねぇ
889日本@名無史さん:2007/08/22(水) 01:50:37
>>886
うん。文字通りの逐次投入など、したはずがない。なんか不自然なんだよね。
890日本@名無史さん:2007/08/22(水) 01:50:43
>>885
>誰かが書いていたが、もし、武田軍が「総攻撃」という手段を取ったなら、考えても良い戦術だ。

一体なにがだ?

>そして、もし、その間が特に短い場合があり、かつ、それが戦局に影響を与えるほどの事態だったら、それは何等かの記述があるのではないかな。

ふつう合戦の最中に長い休憩時間があったら、そっちの方が記事になると思うんだが?
大体、せっかく交代で攻めてるのに、わざわざ休憩時間取る意味あるの?

>また、逆に、それほどの事態をも克服したような事実(例えば連射を可能にするような手段)があったのなら、それも書かれたのではないか。
>何故なら、もしもういうことがあったなら、それは信長の功績として顕彰に値するものだから。
>信長公記を書く太田牛一の立場からして、また、長篠の合戦のくだりの他の記述の密度からして、そのような事実があったのに端折ったというのは、考えにくいね。

信長公記の記述は非常に密度が薄い。布陣図もほとんど分からないし、具体的な戦闘の起きた場所、戦った部隊、
攻撃時間等々不明な点だらけ。
非常に大ざっぱに書かれた記述の中で、鉄砲に関する記述が突出して多い。わざわざ奉行を選抜して鉄砲隊を委ねたこと、
武田の5波にわたる攻撃を入れ替わり入れ替わり鉄砲で撃退したことなど。これらは信長の功績だろう。
全体的に非常に密度の薄い記述の中で、不十分ながらもそれなりに記述されている。
891日本@名無史さん:2007/08/22(水) 08:04:53
>>890
「一体なにがだ?」って、それは過去レスでも読んでくれ。噛み付いてばかりいないで。
俺はおまえの保護者じゃない。

休憩時間云々についてもだ。>>810の指摘は俺も大いに頷ける。

「布陣図」に関して。これは長篠の合戦や「三段撃ち」のお話の成立とも関係あるので、ちょっと書いておこう。

「信長公記」は戦記ではない。政治家として、戦闘指揮間として、ひとりの人物として、様々な面から記憶魔太田牛一が記したもの。
だから合戦のことばかりに重きを置いていない。しかし、他の信長について書かれたものに比べて高い客観性が評価されている。

明治時代に陸軍が近代軍制を取り入れる過程で、過去の日本の合戦を軍事的な観点から調査したことがあった。
これは、プロイセン軍から招聘されて指導に当たったヤコブ・メッケル参謀少佐の指示によるもの。山県有朋によれば、かなり厳しい教官で、この調査は「厳命」だったらしい。
現在、壇ノ浦の合戦や関が原の合戦とか、厳島の戦いとか、日本の主な合戦にはかなり細かな「布陣図」が残っている。これらの殆どがこの時の編纂によるもの。
しかし、「長篠の戦い(設楽が原の合戦)」は、布陣図を描く為の史料が乏しかった。しかし、日本の歴史の中でも名立たる合戦なので、飛ばすわけには行かない。
信頼できるとされる「信長公記」の記述だけでは、布陣図は浮かび上がって来ない。
困惑した陸軍は、信長記や、江戸時代の講談や小説なども取り入れ、何とか作成したらしい。
その中で、鉄砲の三段撃ちの話も「採用」されてしまった。
彼らのまとめた結果は、メッケル自身がチェックし(その際、メッケルが勝者を殆ど言い当てたこと、しかし、関ヶ原の戦いの勝者については「西軍」と断じて間違えた事等が伝わっている)、陸軍の研修用テキストになった。
メッケルは、日本史は殆ど知らない。そして、三段撃ちについては、簡単に言えば「アンビリーバブル」だ。
この時期に、こんな鉄砲の運用をする武将がいたのか!? ということ。ただし、信長自体が天才的な評価を受けている歴史上の人物だということもあり、陸軍サイドはその線で押し切った。

近代以降、三段撃ちの話が「定着」したのは、そういう背景があるんだ。
892日本@名無史さん
>>886-889
まとめてな。

武田の戦いが「逐次投入」なのは、信長公記の記述から明らかだ。
もう何度も書いたし、他の指摘もここではある。
「これを創作で書けるなんて、作者は信長以上の軍略家」ってひとりの人物が書いたのならそうだろうな。
だが、こういう話は、いろいろな人の手を経て、尾ひれがついていくと出来ていくトンデモ話のひとつだ。
トドメが>>891で書いた明治陸軍。
三段撃ちを劇的に捉える人間は、いわゆる「噂に流される」タイプだ。