1 :
日本@名無史さん:
糞スレ
2 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 02:46:00
良スレ
3 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 02:56:11
糞スレ
4 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 03:01:28
良スレ
5 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 03:46:26
駄スレ
6 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 08:51:43
糞スレ
7 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 10:14:08
良スレ
8 :
名作鑑賞:2006/07/10(月) 10:25:47
ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見て
9 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 18:08:53
3レスでdat落ちするぐらいじゃないと、歴史に残る糞スレとはいえんな。
10 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 20:32:05
糞スレ
11 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 21:02:57
糞スレ
12 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 22:38:08
少なくとも俺の記憶には残る
13 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:02:05
unko
14 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 02:55:35
糞スレ
15 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 03:33:27
チンコーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!
16 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 04:09:37
良スレ
17 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 04:20:56
17ゲト
18 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 10:39:28
180-876
19 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 11:09:48
ワールドカップ
ジダン退場、歴史に刻まれた。
20 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 15:18:59
良スレ
21 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:04:49
糞スレ
22 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:21:27
取り合えず無駄スレ。
23 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:23:35
ビバ〜〜ヤング、パヤパヤ〜〜〜
24 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:28:04
2ゲト
25 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 04:56:35
良スレ
26 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 12:46:23
ヒマワリの調子がよくない。
どうしたらよいか。
27 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 13:49:22
乾燥には強く、吸水性の高い丈夫な植物なので
土の表面が乾いてから水を与えましょう。
しかし極端な乾燥状態にすると株が一気に弱ってしまうために、
真夏は敷きワラなどを敷いて乾燥を防ぐ方がいいかもしれません。
7から9月の開花時期には液体肥料か置き肥を与えます。
しかし、肥沃な土なら無肥料でもじゅうぶん育ちますので、
肥料は与えすぎないように。
ああもったいねすれだしげんのむだよだれたてたん
29 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 17:26:49
z
30 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 17:38:31
糞スレ
31 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 18:03:26
良スレ
32 :
あ:2006/08/31(木) 16:13:30
テスト
33 :
あ:2006/08/31(木) 16:30:52
テスト
34 :
サガミハラハラ:2006/10/02(月) 10:37:05
30日は銀座駅前大学にいってきました。
まず、錬金術の歴史の講義があり、科学の発展には一見無駄なようなことも必要だとのことでした。この2チャンネルのレスもそのてん無駄なようで有意義な点もありますね。
次に桜水産に場所を買え、軍事評論家のyさんの講義でした。回天の映画の考証についての講義でした。次にがくちょうが古代史についてはなしました。
卑弥呼は公孫氏の娘だとか、私にとっては理解し難いものでした。
さんざビールを飲んで、終わりごろ隣の席のひとから、ビールをピッチで差し入れをもらいました。
私タダ酒を飲むのが大好きなものですので、ぐびぐびのみました。軍事評論家の先生とてもお酒がつよかったです。
けど途中でかえられたので、残った三人で一所懸命のんだのですが、あまってしまいました。おしかったです。
なお、偽有栖川宮事件の坂本晴美さんの話題がでて、三ヶ月で出所するようです。
銀大で出所祝いをやりましょうと提案したのですが、学長さんはなんともこたえませんでした。
1日は古田武彦先生の講演会を拝聴しました。
おどろいたことに、1持間ぐらいこの間の戦争のことで、アメリカを非難する話が印象に残りました。
ちょうど私が研究し始めた蓋国の話もでました。
35 :
サガミハラハラ:2006/10/04(水) 08:39:16
東アジアの古代文化を考える会の会員研究発表会、ことしは熊野大社と家都御子神にしました。
年代論はどうも、どこでも評判がわるかったので。
___
(_★_)
彡 ´Д`ミ < お前つまんねえよ
/ VV \
__| |ゲバラ| |__
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.|| ||
37 :
サガミハラハラ:2006/10/13(金) 13:16:44
みてくれましてありがとうございます。しかも絵入りでのレスありがたいです。
今後よりいっそう研鑽して、読み応えのあるスレにしていきたいとおもいます。
歴史研究会の近江大会の報告をいたします。
ピアザ淡海で、本物の県知事さん本物の市長さんを迎えて(歴研始まって以来だそうです)
賑々しくおこなわれました。
記念講演は、「近江の歴史と文化」という題で成安造形大学学長の木村至宏氏が、近江の歴史と文化の概略をのべておられました。
ところがこの中では、神功皇后に関する件がすっぽりと抜け落ちておりました。
後日、渡来人博物館を見たときも、そこでも、皇后にかんする展示は一切ありませんでした。つまり、皇后のうまれた滋賀県でも、神功皇后はの存在は認知されていなかったということです。
その後の祝宴の場で、各地参加者の紹介のときに、無理やりマイクをとり、神功皇后について一言述べさせていただきました。思いのほか、反応がよかったです。
11日にJRで福知山に行ってきました。目的は、福知山城の見物と、皇后の由良川ルートの調査です。
由良川から加古川に入ることの難易度ですが、篠山近くの、春日から柏原までは平地で、両川のあいだには峠はありません。が、はたしてどこまで航行できたのかというと?
皇后の説話は、編纂の際、できるだけ伝承記録のままにとりあげられたようなのであるが、完成マジかになって、横槍が入り、異常に長い年代となったのではと思えてきた。
38 :
サガミハラハラ:2006/10/14(土) 22:46:48
銀大にいってきたが、別の世界の話を聞かされてきた。
なんか疲れてきた。
39 :
サガミハラハラ:2006/10/29(日) 09:34:49
書き込みテスト中。
40 :
サガミハラハラ:2006/10/30(月) 16:13:12
土曜日に銀座の喫茶店で株式市況の話題がでて、木曜日の高値が目先天井ではとの話がでたが、今日の市場をみるとあたったようだ。
41 :
サガミハラハラ:2006/11/05(日) 09:44:57
昨日は東アジアの会員発表会にいってきた。今年は民俗的な発表がおおかった。
神社についての話題で沸いた。
42 :
サガミハラハラ:2006/11/05(日) 15:44:57
H氏が神功皇后の研究の出版にとりかかるという。
こちらは、原稿の主文は書き上げたが、初めの言葉と終わりの言葉でつっかかっている。
サガミハラハラうぜぇ
44 :
サガミハラハラ:2006/11/19(日) 18:49:05
東アジアの古代文化の講演会にいってきた。
古代史研究の流れは記紀の研究へと向いているようである。
こちらの研究も早く発表しなければとおもうのだが、読み返してみると、あちこちにほころびが目だつ。
いつのなったら出版できるのだろうか。
45 :
サガミハラハラ:2006/11/19(日) 18:52:12
講演会を聞いたおかげで、雄略の即位年のあたりの年代が修正できた。
しかし、本当にこう修正とかしていたら、いつまでたっても出版できない。かといって、出版するなら恥ずかしくないものにしたい。あとから訂正ではね。
46 :
サガミハラハラ:2006/11/21(火) 21:28:35
ようやく煮詰まってきた。
11月中に出版社に持っていけそうだ。出版社も年末で忙しいからどうなることやら。
47 :
サガミハラハラ:2006/11/29(水) 08:44:16
昨日出版社に原稿をもっていってきた。前に一時持って言ったときよりページがふえたので、
見積もりしなおすということでした。
48 :
サガミハラハラ:2006/12/04(月) 18:41:40
神奈川歴研の原稿を今日おくった。ずーっと前に引きうけていたが、本の原稿を優先していて遅れた。
題は「幻の王国倭面土国」。
49 :
サガミハラハラ:2006/12/07(木) 15:18:06
昨日契約書を送った。共同出版という名の自費出版なのでまず半金をふりこんだ。
sage
sage
やっぱりsage
勿論sage
恥ずかしいのでsage
55 :
サガミハラハラ:2006/12/27(水) 08:56:55
季刊邪馬台国の「私の邪馬台国論」のコーナーに久しぶりに投稿した。
題名は「背皮に穴を開けて」で、三国志魏書韓伝の記事からの内容です。
速達で送りました。採用されると3月あたりの号になるかと。
56 :
サガミハラハラ:2006/12/27(水) 23:10:00
神武天皇の即位元年は当初の計算どおり、AD131年であるようである。日本書紀における垂仁天皇までの各天皇の在位年もわかった。
問題はこれを現代製作中の本にのせるかどうかである。この件の解決はもっと長くかかるかと思っていたので
その次の本にしようとおもっていたが、こんなに早くわかるとはおもわなかった。
57 :
サガミハラハラ:2007/01/02(火) 09:39:18
新年明けましておめでとうございます。
本年も古代史研究の普及につとめ精一杯がんばりたいとおもっております。
ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
細木数子氏の占いでは、私、木星人(−)だそです。
今年の運勢
最高の年、新しいスタートがよい、大きく飛躍し転職移動もよい。
なにをやってもよい結果を生む年だそうです。
期待に胸ふくらみますね。女房とわかれて、若い子をさがそうかな。
58 :
サガミハラハラ:2007/01/14(日) 09:37:17
「季刊邪馬台国」から、投稿を落手したとの手紙がきた。1月4日づけなので夏号になるかもしれない。
歴研神奈川の新年号にこの間おくった原稿がもう載っていました。
13日に銀大に参加、神武即位年がわかったのでその理由を説明した。2次会は桜水産で新年会、新人が一人参加、もう一度説明をしてきた。その後偽宮事件の話で盛り上がった。
体調が悪かった(ノロウィルスかな?)ので途中で帰った。
59 :
サガミハラハラ:2007/01/16(火) 14:29:54
神武天皇の即位年の算出
A方式
ア 天孫降臨
委奴国(後ろ漢書の倭奴国に同じ、イトと発音する)はAD57年に漢より金印を授受している。
金印を授受したということは、委奴国は倭国の統一王朝であsるということを意味するであろう。
倭国が統一されたという記録は、記紀の中では出雲の国譲りという伝承としてある。
そして、統一直後に、天照大神の孫のニニギノ命が支配地(葦原中国)に降臨している。
葦原中区には、現福岡市一帯である。倭国全体を支配したとみるならば、他の支配地域にも天神が派遣されたとみてようであろう。
出雲には天のホヒノ命、大和にはニギハヤヒノ命がそれとみられ、他にも多くの神が派遣されたものであろう。
この57年に近い年代の降臨の話として、半島の南のかやの地域にも、三国遺事の駕洛国記に亀旨峰伝説がのっている。
当時の半島南部は倭の領域であるから、ここにも高天原の一族が降臨したものとみられる。
となると、この降臨事件のあった倭国統一の年代はAD42年のことであるということになる。
60 :
サガミハラハラ:2007/01/16(火) 15:31:04
イ 倭面土国
AD42年に天孫降臨があったとすれば、その時のニニギノ命の年齢は0才である。
ニニギノ命の降臨した葦原中国は別名倭面土国(倭前〈イマエ〉の国)である。
ニニギは子宝に恵まれず、コノハナノサクヤ媛との間にようやく三つ子をもうけることができた。
最初がホアカリノ命(海幸彦)、次にホスセリノ命そしてホヲリノ命(山幸彦)である。長男はホスセリノ命である。
ホスセリノ命はニニギの嫡男として養育され、倭面土国の王帥升(シュセン=北部九州訛なので元はスセン 周船寺はその名残)
となる。
スセリはAD107年に漢に貢献している。年齢は45才くらいか。
三つ子の兄弟のホヲリは16歳でウガヤフキアワズをもうける。AD78年ごろ。
ウガヤは、16歳で彦五瀬命をもうけたとすると、AD94年ころとなる。
神武天皇となるイワレ彦は第四子であるから生まれたのはAD100年ころであろう。
ウ 論功行賞
朝鮮の史料である三国史記新羅本紀に、
121年倭人が東辺を侵す
122年「倭の大軍が来る」との流言
123年倭と和を講ず
とある。
倭面土国はこのころ、後の邪馬台国に滅ぼされたものと思われる。新羅と和を講じたのは邪馬台国である。
123年に新羅と和を講じたとするならば、それまでに倭国の騒乱は収束していたものであろう。122年頃には残敵掃討が行われ、
その後、論功行賞がおこなわれたとみてよい。
イワレ彦兄弟は邪馬台国側についたのであろうが、もともとは高天原系であったがために論功の時には冷遇されたようである(三種の神器
ぐらいしかもらえなかったのでは)
そこで不満のあった兄弟たちは邪馬台国治下の九州にいてもうだつがあがらないと考え、新天地を求め、東方へと出立したのであった。イワレ彦
23才であろう。紀では45才とある。2倍年暦であるから、22.5歳
となる。既にタギシミミノ命はうまれていた。
61 :
サガミハラハラ:2007/01/16(火) 15:38:04
エ 神武即位年
筑紫の日向(福岡市西区)を出発した一行は、記によれば、宇佐(福岡市の一角)を経て岡田に1年、安芸のタキリノ宮に
7年、吉備の高島宮に8年、計16年(2倍年暦なので8年)滞在して後、吉野を迂回して大和に入っている。そして橿原にて即位している。
123年に九州を出発したとすれば131年に橿原にて即位したことになる。
以上がA方式による神武即位年の算出である。
神武即位年は131年ということになる。
62 :
サガミハラハラ:2007/01/16(火) 20:37:26
倭面土国と神武の系譜についての詳細は「卑弥呼の登場 後藤幸彦著 明窓出版刊 1500円+税 2002年発行」
にかいてあります。店頭ではもう販売しておりませんので、ネットか本屋さんに申し込んで取り寄せてください。
図書館に買って貰うという方法もあります。これだと多くの人に読んでもらえるので著者としてはありがたいです。
63 :
サガミハラハラ:2007/01/16(火) 20:51:32
記では最初の子はホデリノ命となっている。紀では諸本により異なる。
64 :
サガミハラハラ:2007/01/17(水) 11:04:57
B 方式
今度は日本書紀の年代から押していく方法である。
日本書紀の諸天皇の年代は、2倍年暦・古事記分註天皇崩年干支の検討から垂仁崩年314年秋という結果がでている。これは住吉大社
神代記によるものである。崇神については、住吉大社神代記および古事記干支ともに戊寅であり288年であるとみられる。
そうすると、垂仁の在位は314−288=26となり、2倍年暦では52年となるのであるが、日本書紀では垂仁の在位は99年となっている。
垂仁在位26年が正しいとすると、記の在位99年はざっと4倍ということになる。
そこで垂仁以前の天皇の在位年は4倍(4倍年暦ではない。2倍年暦を2倍した)になっているのではないかと考え計算してみた。
ただし、垂仁崩年を住吉大社におくとズレが生じるので、古事記干支による288年に基点を置き試算してみると次のようになった。
新在位年 紀在位年 4で割ると
神武 131〜150年 19年 76年 19
スイゼイ 150〜158 8年 33年 8.25
安寧 158〜168 10年 38年 9.5
イトク168〜177 9年 34年 8.5
孝昭 177〜198 21年 83年 20.75
孝安 198〜224 26年 102年 25.5
孝霊 224〜243 19年 76年 19
孝元 243〜257 14年 57年 14.25
開化 257〜272 15年 60年 15
崇神 272〜288 16年 65年 16.25
このB方式によれば、神武即位年は131年ということになる。これはA方式の即位年131年と同じである。
A方式とB方式では、その方法が全く異なるものであるにもかかわらず、同じ結果に行きつくということは、ここで
算出された神武即位131年という年代は間違いないようである。
しかしこれはあくまでも試算であり概算であるから、更に細かく押していってみる必要がある。
しかし、神武即位年が131年頃であるということは動かないであろう。
65 :
サガミハラハラ:2007/01/17(水) 22:24:29
age
66 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 00:00:10
二十五歳になった記念カキコ
67 :
サガミハラハラ:2007/01/18(木) 07:30:17
age
68 :
サガミハラハラ:2007/01/22(月) 19:12:19
正論2月号を買った。「任那日本府」歪曲に見る北朝鮮史学界の荒唐無稽をよむためである。
この問題の概略の説明である。戦後左翼思想の古代史からのゆり戻しが加速してきているようである。
69 :
サガミハラハラ:2007/02/05(月) 18:42:00
2月3日に池袋でおこなわれた「皇室と日本を考える」の会にいってきた。
若者がほとんどであった。日本神話の天皇の系譜についての講演であった。
70 :
サガミハラハラ:2007/02/25(日) 08:59:57
神武天皇の年齢についてをあちこちで吹聴しているが芳しくない。
人それぞれ持論があり、反対の説は受け入れたくないのはしかたあるまい。
となると、公の場以外では相手のことを考慮して披露するのが賢明であろう。
71 :
サガミヤッキョク:2007/02/25(日) 12:21:12
糞スレで独り言ご苦労様
72 :
サガミハラハラ:2007/03/03(土) 22:57:05
今日は江戸東京博物館にいき江戸城展をみてきた。ずいぶんとにぎわっていた。
その後銀座での歴史研究会の研究会にいってきた。銀座もすごい人出であった。
73 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 23:05:32
自分のブログでやれよ
74 :
サガミハラハラ:2007/03/03(土) 23:07:59
すいません、ブログの作り方がわからないのです。
75 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 07:28:41
独り言はチラシの裏にでも書いとけ
76 :
サガミハラハラ:2007/03/08(木) 10:10:03
校正をしているが、書いたときは意味がわかっていたのであるが、時間がたって読み返してみると意味がわかりにくいところがみられる。これでは読者は全くわからないであろうから書き直しをしている。そのため、
校正はおくれそうだ。
出版社に電話したら、急ぐものでもないので期日にとらわれなくていいということであった。
ここ数日体調がすぐれない。不摂生(酒の飲みすぎか?)がたたったようだ。
梅雨明けの伊都国王墓探索までに、体調を整えておかなければならない。
77 :
サガミハラハラ:2007/03/19(月) 08:09:41
確実は神奈川歴史研究会の例会で「出雲国譲りの真相」と題して発表してきた。
内容は拙著「卑弥呼の登場」の国譲りの部分である。
問題になったのは、三国遺事の亀旨峰伝説の年代AD42年である。
私はこの年が出雲国譲りの年(ニニギノ命だけでなくおおくの高天原の神(人)が新領土に派遣された)
であるとかんがえている。
78 :
サガミハラハラ:2007/03/26(月) 12:39:41
昨日は新井宏氏の講演にいってきた。金属の分析により、年号鏡や三角縁は国産であると証明してみせた。
近頃考えたのであるが、年号鏡が国産で陵に収められたというのなら(中平年刀も)、「親魏倭王の金印」の模造もやはり国内で同じ頃つくられ、
天皇量に副葬されたのではないかと考えてみた。
宣和集古印史には「親魏倭王」の印影が載っているが、これには銅印獣チュウの注釈がある。
となると、天皇量に副葬された模造品は盗掘され、中国に渡り、「宣和集古印史」に収録されたのかもしれない。
79 :
サガミハラハラ:2007/03/27(火) 21:12:15
今日、第一校正を終え、出版社まで持参した。
このあと二校、三校と進み、出版は5月中頃ということであった。
80 :
サガミハラハラ:2007/04/04(水) 23:02:47
この間、神田にいってきた。
書泉グランデに拙書「卑弥呼の登場」がおいてあった。
置いてあるにはこの店だけであろう。
しかし、この本は何でこんなにうれないのだろう。
考える仁、一つは、目次での説明がよくなかったことがあげられるのだが。
81 :
サガミハラハラ:2007/04/16(月) 10:25:50
14日に銀大にいって「伊都国王墓探索」の構想を話してきた。
82 :
サガミハラハラ:2007/05/06(日) 08:57:27
出版社からの二校の連絡がない。何か遅いな。
83 :
サガミハラハラ:2007/05/12(土) 06:28:07
昨日は藤沢において、神奈川歴史研究会25周年記念式典があった。
結構たのしかった。
それにしても出版社からの連絡がない。
倒産したようでもないし?
サガミハラハラさんは、独身ですか?
85 :
サガミハラハラ:2007/05/20(日) 22:42:21
季刊邪馬台国にだすつもりだった原稿を紛失してしまった。
ちかごろ物忘れがひどくなった。
86 :
サガミハラハラ:2007/05/22(火) 12:39:33
ようやく、2校の原稿が来た。
87 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 18:11:39
樅 の 木 は 残 っ た
88 :
サガミハラハラ:2007/05/26(土) 06:37:43
昨日は、原田実氏の出版記念トークショーにいってきた。
題して「トンデモ日本史の真相 と学会的偽史学講義」発売記念トークショー。
参加者は30名であった。私の銀大は3人しか参加者がいないのにその10倍もの参加者であった。
知ってる人はだれもいなかった。参加者は結構トンデモに批判的でトンデモ説を笑い飛ばすという人が多かったようである。
原田氏はどちらの人であろうかと一時おもったことがあったが、聞いていると、
そもそもはオカルト的なものに傾注していた時期があり、次第に冷静に物事をみるように変化していったということらしい。(本人はリハビリといっていた)
4月の寛政本も見にいったとのことで、筆跡は和田氏のものであったということでした。
結論としては、珍説・奇説は想像力の過剰さからではなく、むしろその貧弱さから生じる。ということであった。
一つの可能性に固執し、いろいろな可能性を考えられない。そしてますます変な方向へと進んでいくということである。
聞いていて、邪馬台国畿内説も同様であるとおもった。一般庶民にかぎらず、かようなことはかなりの学識のあるひとでも同様だということであろう。
89 :
サガミハラハラ:2007/06/07(木) 18:20:33
昨日新宿の田中貴金属にいき手持ちの金を売ってきた。1g2000円ぐらいの時代に買ったのであまり利益はでなかった。
これで出版の半金を準備できた。
原稿を見直したら書き直しをしたほうがよい箇所があり、てまどっている。何とか火曜日までには仕上げて持って行きたい。
90 :
日本@名無史さん:2007/06/08(金) 06:33:21
連続膣内射精生中出し
91 :
サガミハラハラ:2007/06/12(火) 21:33:55
やっと2校正を終えて出版社にもっていってきた。
7月の末頃の出版になるとかいっていた。
かえり、仕事が一息つけたので慰労で回転寿司に入り10皿も食べてきた。
92 :
サガミハラハラ:2007/06/14(木) 21:14:30
出版社から電話があった。話の中で出版社の出版物の中で私の「卑弥呼の登場」へのアクセスが1日
20数件あるが販売に結びつかないという。そういえば、書店でもこの本は(汚れ具合からみて)手に取って見る人は
いるが買う人はいないようである。
其の理由は何なのか。買うの止めたかた教えていただければ、次の出版に役立てたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
93 :
サガミハラハラ:2007/06/17(日) 16:42:32
>>92についてFAXでご助言くださいました方、どうもありがとうございました。
今後の参考に致したいと思います。
94 :
サガミハラハラ:2007/06/23(土) 10:56:14
季刊邪馬台国「私の邪馬台国論」に投稿文を送った。
題して、「倭人伝における戸と官名について」である。
当HPの「結論ー邪馬台国は捏造」のスレに書き込んである文の前半である。
95 :
サガミハラハラ:2007/07/06(金) 22:46:43
三校がまだこない。この有様では7月下旬発行もあやしいようだ。
96 :
サガミハラハラ:2007/07/12(木) 18:47:00
ようやく三校がきた。いそいでとりかかろう。
出版社のHPではわたしの本の出版予定は8月となっていた。
97 :
サガミハラハラ:2007/07/19(木) 21:17:46
今日三校がしあがったので出版社に持っていった。
訂正が多いので4校もやることにした。
帰り、仕事が一息つけたので慰労として回転寿司でビールとすしを9皿食べてきた。
今度は4冊目の執筆にとりかかろう。
98 :
サガミハラハラ:2007/08/01(水) 21:52:16
今日4校がきた。以外とはやくきた。急いでとりかかろう。
99 :
日本@名無史さん:2007/08/02(木) 00:27:39
ここはブログか?
100 :
サガミハラハラ:2007/08/07(火) 22:25:44
今日4校が仕上がったので出版社に持っていった。
5校はもういいだろうといってきた。
帰り、仕事が一息つけたので慰労として回転寿司でビールと寿司を9皿食べてきた。
101 :
サガミハラハラ:2007/08/12(日) 07:28:45
昨日銀大にいってきた。
学長さんはちかごろ鹿島ノボル三に凝っているようだ。
102 :
サガミハラハラ:2007/08/15(水) 00:01:15
鏡は、五反田に「歴史研究」に載せる原稿を持っていってきた。
金の力でのせる論文です。
10月号にのるかもしれません。
神功皇后は何故応神天皇を宇美で生んだかという話で、当2ちゃんねるの空白の四世紀482に
でています。
103 :
サガミハラハラ:2007/08/18(土) 20:57:15
昨日は都内某所の居酒屋で開かれた心霊会(神霊会)に出席した。
経済は何月から崩壊するとか、地震はいつ起こるとかいろいろ話題がでた。
私も負けずに、メシアの生まれ変わりだといってきた。
104 :
サガミハラハラ:2007/09/08(土) 23:22:22
銀大での話。
天照大神と天のウズメの命は異父姉妹であるという。天のウズメが姉だそうです。
105 :
サガミハラハラ:2007/09/15(土) 20:11:07
出版社から見本がおくられてきた。
これで残金を支払うといよいよ発売となる。
106 :
日本@名無史さん:2007/09/16(日) 19:54:25
あげてみる
107 :
日本@名無史さん:2007/09/16(日) 21:41:15
武田騎馬軍団は、鉄砲三段撃ちで全滅したんだよ
と書いてみる
108 :
サガミハラハラ:2007/09/19(水) 22:05:04
見本を読んでみたが、重要な箇所の誤植がめだった。
出版社に行き善後策を相談した。結局正誤表をはさむことにした。
既に梱包してしまっているが、解いて差し込むという。一冊15円ぐらいとのこと。
しかし、正誤表付きの出版をしてしまうとは、がっかりである。
かえり、蔵寿司でビールを飲みながらすしを9サラ食べてきた。
109 :
日本@名無史さん:2007/09/20(木) 18:25:02
age
110 :
サガミハラハラ:2007/09/22(土) 00:31:20
本日は、都内某所で開かれた心霊会(神霊会)に出席した。
日本に未発見の大金鉱山があるそうだ。
カード占いをして貰ったら、新しい出会いがあるとでました。嬉しかったです。
111 :
サガミハラハラ:2007/09/22(土) 22:31:52
鏡は東アジアの講演会に行ってきた。
新刊を持っていって売ってみたが、1冊もうれなかった。
やっぱり、ほとんど売れないのかな。
112 :
サガミハラハラ:2007/09/23(日) 21:24:40
今日は、邪馬台国の会に行き(講演は聞かなかったが)安本先生に拙著を渡してきた。
安本氏の文献から引用した部分があったので、御礼をいってきた。
113 :
サガミハラハラ:2007/09/23(日) 23:14:41
手渡した時、何か随分うろたえたような感じであった。
前作を渡した時は特にこれといった様子はみられなかったのであるが。
114 :
サガミハラハラ:2007/09/27(木) 19:49:28
昨日は執筆でお世話になった人に本を贈った。読んでくれるかな。
歴史剣きゅがおくられてきた。「応神天皇出生地の謎」が載っていた。金の力で載るページですが。
115 :
サガミハラハラ:2007/09/29(土) 21:08:09
ようやく拙著の新刊が店に並びはじめた。
新宿紀伊国屋本店にいったら7冊平積になっていた。南店では4冊であった。
果たしてどれくらいはけるやら。
116 :
サガミハラハラ:2007/10/01(月) 23:01:41
今日は本屋を回ってきた。結局本を置いているには、紀伊国屋と有隣堂だけであった。
横浜関内のセルテ?に食べ放題の店が開店したというので見にいってみたらチラシに出ているオーナー
が入り口のところにいた。
紀伊国屋のは1冊も売れていなかった。
前著の「卑弥呼の登場」の二の舞の予感がする。
117 :
日本@名無史さん:2007/10/02(火) 00:50:30
山田は名将
118 :
サガミハラハラ:2007/10/04(木) 21:19:02
季刊邪馬台国の私の邪馬台国論に投稿した私の論文「倭人伝における戸と官名」がのっていた。
今度の東アジアの古代文化の会員発表会で発表するのと同じある。
過日、安本美典氏に拙著「神功皇后は実在した」を手渡した時、氏がうろたえた様子であったのであるが、
季刊邪馬台国の編集後記に次号で「神功皇后は実在する」という特集がくまれているという一文があった。
氏が動揺したのはこのことに関連があるようである。
119 :
日本@名無史さん:2007/10/04(木) 21:43:53
「神功皇后は実在した」の著者である後藤幸彦氏は今年で還暦ですね。
120 :
後藤幸彦:2007/10/04(木) 22:12:23
今年60歳ですので来年還暦となります。よくごぞんじで。
121 :
サガミハラハラ:2007/10/13(土) 23:08:12
木栗会に行ってきた。太秦の語源について話してきた。
若返りや老けボウシに核酸がいいとのこと。特に鮭の白子にいっぱいはいっているとのこと。
帰りに白子を2ケースかってきた。みそしるにしてたべよう。
本は1冊も売れていなかった。
122 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:51:31
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
123 :
サガミハラハラ:2007/10/17(水) 21:53:38
東アジアの会員発表会は7名発表とのことである。
去年と同じ人が5人ぐらい。
124 :
サガミハラハラ:2007/10/24(水) 23:44:51
今日は、根津で講演会があったのででかけてビラをまいてきた。
あと、今日から拙著を図書館に寄贈しておいてもらうことにし、相模原の橋本図書館と根津図書館においてきた。
125 :
サガミハラハラ:2007/10/26(金) 23:49:54
ヤクルトホールでフォーラムが開かれ数百人が集まると聞き、本のビラをまこうといったが
おわったあたりで雨がザンザンふってきたので撒くのをやめてかえってきた。
帰りは蔵ずしで晩飯をたべた。11サラも食した。
126 :
サガミハラハラ:2007/11/16(金) 22:35:26
成城古代史の会の講演(佃収氏)に出て、ビラをまいて、その後東銀座桜水産にいってみたが、
銀大はやっていなかった。その後、新宿紀伊国屋ジュンク堂によってみたが本は一冊もうれていなかった。
かえってから間宮氏に電話してみたが、やはり銀大の連絡はなかったという。
部屋は全然かたづいていないしやることはいっぱいあるし、疲れるばかりである。
127 :
サガミハラハラ:2007/12/18(火) 23:55:33
今日は銀大に行ってきた。
忘年会ということでした。
出席者10名。銀大もいよいよおわりか。
128 :
サガミハラハラ:2007/12/25(火) 08:46:53
自著を寄贈した某図書館にいってみたが、本は置いていなかった。
図書館に寄贈するのも、労がおおいわりには結果は少ないようである。
129 :
サガミハラハラ:2008/01/01(火) 14:18:40
新年あけましておめでとうございます。
この度、新撰組、高幡不動で有名な日野市に引っ越しをいたしました。
ことそも日本古代史の解明に向けて粉骨砕身がんばります。
130 :
サガミハラハラ:2008/01/03(木) 23:41:14
新宿の紀伊国屋本店にいってきた。
平積みの拙著が1冊だけとなっていた。7冊あったので6冊うれたことになる。
紀伊国屋新宿南館では棚にあった1冊がうれていた。
新宿ジュンク堂でのたなの1冊はそのままであった。
ようやくうれはじめてきたようである。
131 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 10:06:30
あまりに売れないので書店が撤収を開始したのれす。
132 :
サガミハラハラ:2008/01/06(日) 23:06:20
図書館を回ってみたが、寄贈した本を置いてくれていたのは、八王子中央図書館だけであった。
133 :
サガミハラハラ:2008/01/26(土) 10:18:26
昨日は銀大にいってきた。
神奈川歴研での発表の練習と、継体天皇以降の年代について講釈してきたいよう。。
お開きまでいたがつまらなかったので、今後は自分の出番が終わったら帰ることにしよう。
株の話もちょっと出て、12000円ぐらいとのことであった。
134 :
サガミハラハラ:2008/02/02(土) 22:41:07
今日は歴史研究会(五反田)の新年会に出席して本をうってきた。
神功皇后は実在したが4冊、卑弥呼の登場が2冊、倭国歴訪が1冊もうれた。
せいぜい1冊と思っていたが思いのほかよく売れた。
135 :
サガミハラハラ:2008/02/14(木) 00:22:27
今日銀大があったが荒れた。講師が多くしきりがうまくいかず、怒って帰ってしまった方もいた。
136 :
サガミハラハラ:2008/02/18(月) 09:53:13
昨日は南九州の歴史と文化を楽しむ会にいってきた。
ほとんどが初めてという人だったが、いずれも素人ながら深く研究しているひとばかりであった、。
内容はほとんどないにひとしかった。ほとんど初めてというのはそこに原因があるのかもしれない。
講師をたのまれるかもしれないので期待していよう。
137 :
サガミハラハラ:2008/02/26(火) 00:21:54
今日は勝手連の「新春の集い シンポジュウム」に行ってきた。
終わりの光永会長の挨拶で、彼の活動上での知り合いが一人二人と亡くなっていった話をして、みんなで黙とうをした。
もう、あんなことのあった時代も通り過ぎてその時代のひとも一人ずつまくをおろしていく。
なにかわびしい気持ちになった。
138 :
サガミハラハラ:2008/03/20(木) 15:09:23
16日に神奈川歴史研究会に行き「倭の諸国の勢力関係」と題して発表してきた。
おおむね好評であったようだ.
139 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 15:18:36
>>27 乾燥には強く、射精のしやすい丈夫なチン○なので
表面が乾いてから穴に入れましょう。
しかし極端な乾燥状態にするとチン○が一気に弱ってしまうために、
真夏は口に入れて乾燥を防ぐ方がいいかもしれません。
7から9月の開花時期には激しく舐めます。
しかし、ちょっと舐めただけでもじゅうぶん立ちますので、
激しすぎないように。
140 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 15:53:07
ちゃんこなべ♪ちんこなめ♪
141 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 16:03:02
すごいな、はじめから読んでる人いるんだ。
142 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 16:08:42
すごいな、はじめからチンコ舐めてる人いるんだ。
143 :
駄作鑑賞:2008/03/20(木) 17:32:30
>>8 ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ズボッ!ブボッ!ギシギシギシィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱい精子入れられてるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ズボズボズボォォッッ!!!
ぁあ…精子出るっ、精子出ますうっ!!
ビッ、ドヒュッ、ドヒュドヒュドヒュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!中に出して、お願いぃぃぃっっっ!!!
ドヒュッ!ズボアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!チッ、チンッ、チンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ギシギシギシィィッッ!!!
おおっ!チンコッ!!チッ、チンッ、チンコッッ!!!チンコ舐めて
144 :
ちんこなめ:2008/03/20(木) 17:40:13
∧∧
(;゚Д゚)
と ∧∧
〜( 。,(-*/⌒ヽ
し'と_,(⌒__〜
くちゅくちゅ
145 :
ちんこなめ:2008/03/20(木) 18:36:09
∧∧
(;゚Д゚)
と ∧∧
〜( 。,(-*/⌒ヽ
し'と_,(⌒__〜
ペロペロ
146 :
サガミハラハラ:2008/03/23(日) 00:12:05
今日銀大があった。もうつぶれるかと思ったが意外としぶとい。
帰ろうとした頃美女が二名参加。帰えるのやめてしばらくいました。
29日に銀大で花見をするという。学長に美女を集めてくれるようにお願いしました。
147 :
サガミハラハラ:2008/03/30(日) 23:13:00
久し振りに邪馬台国の海に出席した。
新井氏の銅の分析の話と、それに関わる春秋戦国時代の燕と斉の銅器の話であった。
148 :
サガミハラハラ:2008/04/18(金) 20:29:47
今日は雨の中、五反田の歴研の事務所にいってきた。
わが著書を語るに拙書の神功皇后は実在したをのせてもらうため、原稿をもっていきました。
149 :
サガミハラハラ:2008/05/26(月) 16:41:56
出版社から「神功皇后は実在する」の販売数の報告が来た。実売数342冊とのことである。
1000部刷って34.2%うれたことになる。
ネットなどでさんざん掟破りの宣伝をしたりしてもこれだけしか売れなかった。
150 :
サガミハラハラ:2008/05/26(月) 16:43:30
ご購読された方々ありがとうございました。
151 :
サガミハラハラ:2008/05/28(水) 23:33:06
歴史研究のわが著書を語るが6月号にのりました。
152 :
日本@名無史さん:2008/05/29(木) 23:57:58
歴史に残る数学の定理を証明しましたが、日本語で書いちゃったので負けました。
153 :
サガミハラハラ:2008/06/05(木) 22:26:56
4日は某会で講義をやったが、参加者は2名であった。
154 :
サガミハラハラ:2008/06/13(金) 22:54:23
出版社から売れ残りが贈られてくるという。
段ボール14箱だという。部屋の中におききれない。
前著の箱も積んであることだし。
155 :
サガミハラハラ:2008/06/15(日) 00:53:20
某会合で「高天原の地震」の講釈をしてきた。
時期的にはピタリであったが、いつもは20人は参加者がおるのに、本日は12人の
参加者数であった。
156 :
日本@名無史さん:2008/06/15(日) 05:10:52
>>69 それ、鐵の団体主催のやん。
ところであんたの本出してる出版社、迷走出版と読めて縁起でもないね。
157 :
サガミハラハラ:2008/06/27(金) 22:10:37
出版社から倭国歴訪が売り切れたのでもう二十部送ってほしいとのファックスがきた。
この本が売れ続けているのが不思議である。
より詳しくかいたのが「神功皇后は実在した」の付録「メジャーで辿る邪馬台国」として
発刊してあるのだが、宣伝不足であろうか、知られていないようである。
158 :
サガミハラハラ:2008/06/27(金) 22:32:55
昨日、季刊邪馬台国のわたしの邪馬台国論」に投稿原稿(高天原の地震)を送った。
うまくいくと9月号にのるかな。
159 :
サガミハラハラ:2008/07/25(金) 00:11:12
嘉瀬川を検索していて、寅さんの男はつらいよの42作のロケが佐賀県の吉野ヶ里や小城であったということがのっていた。
この映画は1989年の公開であるという。
丁度わたしが、病気から回復し始め、もう一仕事やれるぞ、何をやろうかと思っていたころである。
マドンナ役は後藤久美子であるというのは偶然であるが、何か暗示していたようにも思える。
あんたの年収はどこから来てるの?
161 :
サガミハラハラ :2008/08/09(土) 10:22:49
季刊邪馬台国の100号記念号の名刺広告に応募した。文面はつぎのとおりです。
日本のシュリーマン
*邪馬台国を佐賀県小城甘木に発見
*日本書紀紀年法の解読に成功
氏 名
東京都日野市ーーーーー
TEL042−
FAX042
ちょと気恥ずかしい気もしますが、宣伝のためと思い大きくでました。
ここに書いてる人にレスぐらいしなよw
人の話を聞かないタイプだな
163 :
サガミハラハラ :2008/08/09(土) 11:56:19
>>160 ですか。
けど、かようなプライベートなことをもろにきかれても。
ここでプライベートを書き散らすあなたもよくありませぬ。
165 :
サガミハラハラ :2008/08/09(土) 22:05:53
自分からかきちらすのは良いんじゃありませんか。
それは我が儘。かつ無防備。
blogにしなさいよ。
やり方わからないなら、教えてあげるよ。
167 :
サガミハラハラ :2008/08/09(土) 22:40:53
blogですか、誰もこないとね。
それはあんたの都合じゃないのかい。
個人的にあんたは好きだが、2ちゃんねるなんかで宣伝活動してもいいことないよ。
確かにここは数は多いけど、ただそれだけですよ。
日本史繋がりで仲間がたくさんいると思ったら間違い。
的を絞るほうが効果的。
169 :
サガミハラハラ :2008/08/10(日) 11:10:43
御忠告ありがとうございます。
2ちゃんにかんしては、ここはここでという感じでやっていきます。
170 :
サガミハラハラ :2008/08/15(金) 22:57:41
今日、五反田の歴研に、特集テーマ「島根県歴史の謎」への投稿元寇を持って行ってきた。
題は「熊野大社と出雲振根事件」です。採用されるかどうか、請うご期待。
ブックオフに今日は2冊うってきた。一店は10円でかってくれました。ただで引き取ってもらってもいいのだが、10円とはちょっとショックだった。
歴研に誌上古書市があるので、そこに出品してみようかな。
折角、五反田にきたので山本モナのホテルをみてみようと思ったが、名前もどこかもわからないのでそのまま帰ってきました。
ご存知の方、教えてください。
171 :
サガミハラハラ :2008/08/17(日) 22:19:28
今日は邪馬台国の会の講演に参加。
魏志倭人伝成立論争という題であった。
彼は以前b倭人伝は魏使の報告書と魏略を見て書いた。といっていたが、
今回は魏略より原資料に重きをおいているとのことであった。問題は原資料であるが、
かれは魏使の報告書とみており、私の半島由来の資料との違いはあるが、彼も大きく進歩し私においついてきたようだ。
資料の収集と仕事量にかんしては私を凌駕している。
172 :
サガミハラハラ :2008/08/19(火) 20:55:00
安本美典 これまでの研究をかなり立派な装丁の本何冊にもまとめ、高価な値段で、
つまり記念的な出版をつづけており、もうこれから彼も悠々自適の生活にはいるのかなと、
おもっていたら、この間の講演会において、邪馬台国論の新展開ともいうべき課題に挑戦してきた。
従来の邪馬台国論は場所あてごっこと文の解釈解説のみにこだわっていたのであるが、かれはその成立の
根源にせまろうというのである。驚くべき執念である。
この間の講演は小さいながらも歴史に残る講演ともいえるだろう。
173 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:16:00
はて、この先100年後 日本の歴史に残るのは
歴代首相ぐらいになると思う。
歴史の範囲によるだろう。
175 :
サガミハラハラ:2008/08/25(月) 20:56:45
あすから十日ばかり九州に調査旅行にでかける。体は不調であるが、この先回復する様子もないので動けるうちに行ってこようと思う。
多久市の伊都国の都であろうと考えられる中小路遺跡の調査である。
前に都であるとかんがえていた延寿寺の北の地域である。
176 :
サガミハラハラ:2008/09/04(木) 22:14:55
26日佐賀到着第一栄城ホテルに宿泊。
27日図書館は休館日であったので下調べはできず。博物館に行って1日すごした。雨がザンザン降っていた。
駅の北に夢タウン佐賀ができたというのでいってみた。なかなか立派でにぎわっていた。完成オープンのとき、地元の人が佐賀にこんなに人がおったとはといっていたのを思いだした。
28日図書館で中小路(ナカショウジ)遺跡について調べてみた。成果なし。
その後市の東部のショッピングモールの佐賀モラージュにいってみた。昨日の夢タウンのようなものであった。
29日多久市役所等で中小路遺跡のことをきいてみた。成果なし。タクシーで多久聖廟にいってみた。人はだれもいなかった。十数年前におとずれたときは結構人がいたのであるが。
近くの多久の発掘事務所郷土館にあるいていった。館長さんにいろいろ話を聞いてみた。弥生遺跡については発掘してもなかったということである。が有力な情報を得た。 佐賀県立図書館に戻り、多久市史の中小路に関する箇所をコピーした。
夕食は夢タウンで食べ放題を食した。
30日中小路の調査に出発。東多久駅からタクシーを使う。地図や写真を頼りにあちこちと調査したが成果はなかった。
地図での神社裏の崖状の地形はせいぜい30cmぐらいで石垣となっていた。神社の名は八幡宮ではなく天満宮であった。地図もあてにならない。
この日は博多に移動してカプセルエスパに宿泊。博多の駅ビルは工事中で、ビルがなかったのでびっくりした。地震でこわれたのではなく、建て替えである。
地震のころからいっていなかったから、何年になるのだろうか。駅に大きく黒豚横丁のポスターがはってあり、小西真奈美さんがほほえんでいました。とても御綺麗でした。
31日小倉に移動した。
1日 小倉でショッピングモールのリバーウォークを見て博多へ移動。
177 :
サガミハラハラ:2008/09/05(金) 20:47:51
1日 博多では梓書院に行った。次の自費出版はこの出版社にしようとおもっている。
上呉服町にいったら、しまっており、引っ越ししましたの張り紙。丁度9月一日からとのこと。新住所に赴く。
福岡市博多区千代3丁目2番1号麻生ハウス3Fである。前は木造のちっちゃなたてものであるが、今度は立派な真新しいビルである。
ベルをおすと目の大きなかわいい女の人があらわれ、名刺をみて「あら」、という表情をした。
よく投稿するので名前はしっていたとのことであった。
社長の田村氏と自費出版の話をしている間に花や料理がはこばれてきて、引っ越し祝いをするようである。
早々に引き揚げてきた。
9月2日 まず、二日市温泉をたずねた。ここは、私が天若彦が暗殺された湯津桂というところであるとみているところである。
湯につかったおと、ねそべっていたところを暗殺されたようである。
御前湯や博多湯などがあった。コンビニでカメラと暑いのでガリガリクンを買った。
一本あたりの文字が。もう一本ただでたべることができました。
なにかこのまちが気に入りました。
太宰府の国立九州博物館を見学しました。夏休みがおわったばかりで、天満宮も博物館もあまり人はいませんでした。
178 :
サガミハラハラ:2008/09/05(金) 23:35:38
9月3日 佐賀に戻り、JR東多久まで行きタクシーで再び中小路に行った。
暑い中さんざんあるきまわって調査した。弥生土器らしき破片が数枚。
カワセミがいた。佐賀に戻り夢タウンでマヨから揚げ定食を食した。
9月4日 これ以上しらべることがなくなったので、佐賀の地を離れた。
10月21日22日に徐福大会があるが、くるかどうするかまよっている。
179 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:31:48
同時代人として、体験できる日本史的なイベントってなんだろう?
昭和天皇の崩御は大事件だったけど、意外に淡々と進んでた。
まぁ日本はトップ一人でもってる零細企業じゃないしね。
地下鉄サリンとか御巣鷹山は100年くらいは語られるのかな?
バブル景気も当時は学生だったからピンとこないし。
池田大作が死んだら、結構影響も大きいのかな?
金正日が死んだら、在日朝鮮人関連で混乱するのかな?
関東大震災は生きているうちに来るだろうけど、富士山の噴火は分からないね。
180 :
歴史ファン:2008/09/07(日) 21:13:17
第二次世界大戦がやはり最大の事件だろう。
大戦が終わってわずかにまだ、63年か。
江戸時代にたとえると、1615年の大阪の夏の陣が終わって太平の世が
おとずれ、その後63年後だと1678年、徳川4代将軍家綱の治世の
頃だな。サリン事件は、由比正雪の乱みたいなものかな。
181 :
サガミハラハラ:2008/09/14(日) 00:59:11
昨日ブックオフを5店まわってきたら、3店でうれていた。駅に吉永さんのポスターがでてから、うれはじめたようである。
182 :
サガミハラハラ:2008/09/18(木) 09:50:56
昨日、某会で講義をしてきたが、聴衆は2名であった。
183 :
サガミハラハラ:2008/10/10(金) 23:42:28
このところの、金融界の混乱が著しい。連日の株大暴落である。評価損もふくめて、既に1000万円はやられている。
今年中に出版をと考えていたが、それどころでなくなった。
政府が14日以降に自社株買いの制限解除するらしいですから
それまではホールドで
185 :
サガミハラハラ:2008/10/17(金) 21:56:54
連日9時から3時までパソコンにしがみついて株をやっている。連日の暴落で歴史研究どころではない。
金融危機で古代史研究がかなりおくれるであろうから、以外なところから妨害が生じたものである。
186 :
サガミハラハラ:2008/10/29(水) 23:16:04
21日から、大阪、出雲に行ってきた。出雲へは歴研の出雲大会参加であった。
月山富田城では尼子フェスティバルがあり、鉄砲隊の実演があった。雨中であったが、立派に発射
できた。雨中では火縄銃は使えないなどということはないことがわかったのは大収穫であった。
大阪ではブックオフ廻りをして拙書をうってきた。14冊がはけた。
187 :
サガミハラハラ:2008/11/14(金) 23:45:49
資料をしらべていて年代にかんしてとんでもない記載をみつけて唖然とした。
私はやはり天才なのだろうか。
どんなことかは、もう少し押してみてから書き込みます。
188 :
日本@名無史さん:2008/11/20(木) 14:09:46
興南といえば、83年に100mを11秒台で走る選手をレギュラーに8人もそろえ春夏連続出場したときのチームが印象的。
このころは池田が甲子園夏春2連覇中で、3連覇を目指していた83年5月に沖縄県高校野球連盟の招待で沖縄に来県。
エース水野(元巨人)を擁し、全国で無敵を誇った池田を相手に、興南は100m10秒9の記録を持つ平田を筆頭に看板の「足」でかき回し、また左腕の仲田幸司(元阪神)が「やまびこ打線」の異名を取った池田打線を7安打に抑え完封。
5−0で完勝した。
レギュラーに8人も11秒台で走る選手をそろえたこのときの興南が甲子園史上最も足の速いチームといわれ、高校のみならず、大学、社会人、プロを含めてもこの年の興南が歴代で一番足の速いチームだったといえるだろう。
age
190 :
サガミハラハラ:2008/12/03(水) 23:33:02
本日、季刊邪馬台国の100号が贈られてきた。残念ながら私の邪馬台国への投稿がのっていなかった。
名刺広告はしっかりのっていて、肩書の「日本のシュリーマン」がちと気恥ずかしい。
しかし、広告のほとんどは福岡市やその近辺で、60名中51名であった。東京が2名、大阪が3名、岐阜が1名であった。
みんな意外と財布のひもが堅いですね。
191 :
日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:30:39
歴史に残る阿呆ソーリー
192 :
サガミハラハラ:2008/12/16(火) 09:54:38
昨日は銀大にいってきたが、何しにいったのかと疑問が残った。
もういい加減見切りをつけよう。
西銀座の宝くじセンターで宝くじを30枚も買った。
これだけ買ったんだから一等があたるのは確実だと思う。
あたったら、報告いたします。
193 :
サガミハラハラ:2008/12/20(土) 22:48:04
今日は三田での九州の歴史と文化を楽しむ会に参加し、小城甘木説について発表した。
20名の参加で盛況であった。久慈力氏が出版祝いにきていた。
194 :
サガミハラハラ:2008/12/22(月) 08:13:00
私の今年の十大ニュース
1 伊都国王都調査
多久市中小路に、弥生時代の遺構とおもわれる空堀跡と土塁を発見 ここが伊都国の王都であるとの確信を得た。
2 日向風土記の天神降臨年代の特定に成功
風土記の日食記事から西暦41年を割り出すことに成功
3 歴史研究会の出雲大会に参加
4 歴史研究の特集テーマ「出雲について」に「熊野神社と出雲振根事件」を寄稿。採用される。
5 神奈川歴史研究の定例会において、「倭の諸国の勢力関係について」を発表
6 木栗会と銀座駅前大学において「高天原の地震」を講義
7 古代未来塾にて講演「神武天皇の年代」
8 九州の歴史と文化を楽しむ会において、邪馬台国小城甘木説を展開
9 ブックオフに「卑弥呼の登場」を売り歩く
10 サブプライム問題による損失大
今後の研究(主に出版に)に影響か。
このサガミハラハラって人は馬鹿ですか?
196 :
サガミハラハラ:2008/12/22(月) 22:51:02
馬鹿と天才は紙一重といいます。
2ちゃんの古代関係のスレの私のレスをよくお読みください。
私が天才であることがよくわかるはずです。
>>196 ああ、反切表記も知らずに、
康煕字典も諸橋大漢和辞典も藤堂明保の著書も読まずに
伊都国は多久だとわけのわからない事をほざいている人ですね。
わかります。
198 :
サガミハラハラ:2008/12/23(火) 23:43:02
反切表記も知らずに、康煕字典も諸橋大漢和辞典も藤堂明保の著書も読まずにいても、
邪馬台国を発見できたのであるから、わたしは天才です。
199 :
日本@名無史さん:2008/12/24(水) 06:02:57
サガミハラハラさん、こんなところに居ないで
ブログにしなさいってw
>>199 ネットウォッチ板の住民によってさらし者にされるでしょうね。
現状維持が一番かとw
201 :
◆ypURG809QA :2008/12/24(水) 19:54:18
サガミハラハラさんに質問いたします。
天正時代、桜ヶ岡(娑婆岡)から大量の人骨が出土したという記録があると
おっしゃられておりますが、
その資料名について教えてくださいませ。
202 :
◆ypURG809QA :2008/12/26(金) 17:18:34
あの〜、サガミハラハラさん、いらっしゃいませんか?
203 :
サガミハラハラ:2008/12/26(金) 19:47:08
最初の目撃は桜ヶ岡の南端の岡山神社の入口近く、簡単にいえば小城公園の入口近くにあった説明板に
そのような(ただし人骨の量ついてはかいていない)記述がありましたが、現在はたてかえられてそのような記述はありません。
次に、佐賀県立図書館の郷土資料室においてそのもととなる文献をみて筆写したのであるが、筆写したノートが所在不明で、改めて図書館にいったが、どの書物であったか思い出せず、
現在も探している状態です。
>>203 サガミハラハラさん、お答えいただきありがとうございます。
>佐賀県立図書館の郷土資料室においてそのもととなる文献をみて筆写したのであるが
ということは、佐賀県立図書館の郷土資料室には
その資料があるわけですね。
佐賀県立図書館の郷土資料室に立ち寄った時に探してみます。
205 :
サガミハラハラ:2008/12/26(金) 22:08:18
あと、小城市図書館の可能性も若干あります。どちらにせよどちらかの図書館ですが、
佐賀県立のほうだとおもいます。
記憶があやふやで申し訳ありません。ずいぶん昔のことなもので。
206 :
サガミハラハラ:2008/12/27(土) 10:59:23
小城町史のp210に、藩主屋敷として、「今日の小城公園一帯は、昔「娑婆岡」「鯖岡」と称されていた。云々」という
記事があるが、これではなかったように思います。
いえいえ、こちらこそ申しわけないです(汗
たぶん、図書館での分類は
「口承文芸書(昔話、言い伝え、伝説などを収録した書籍)」
になっていると思いますので、そちらからも調べてみます。
来年の春休みを利用して行ってみたいと考えておりますので、
その際にはご報告いたします。
上記のレスはサガミハラハラさん宛てです。
失礼致しました。
209 :
サガミハラハラ:2009/01/01(木) 08:32:10
新年明けましておめでとうございます。本年もまたよろしくお願いいたします。
昨年は吉凶相半ばする1ねんでした。
よかったことは、伊都国の遺跡(多久市中小路)の発見ができたこと。日向の天神降臨の年代(西暦41年)が確認できたことです。
悪かったことは、サブプライム問題による経済的な打撃です。
悪かったことはどうでもいいことにして、今年は去年以上の良い成果があげられるようにがんばります。
サガミハラハラさん、明けましておめでとうございます。
211 :
日本@名無史さん:2009/02/04(水) 07:18:42
サガミハラハラさらしあげ
212 :
サガミハラハラ:2009/02/19(木) 10:15:00
17日に考古学関係の学習会にいってみた。
年輪年代法とC14の話であったが、確定的な狭い範囲での年代決定はできないようであった。
各学者ごとに同じ資料をもとにして、例えば箸墓築造については、白石氏は247〜248年、寺沢氏は280〜300年、
石野氏は270年ころとしている。
日本書紀の箸墓の件は崇神10年の項にでてくるが、これは日本書紀紀年法では273年のことであるから、石野氏の年代が
正しいことになるが、このように三者三様となっている。
213 :
サガミハラハラ:2009/02/21(土) 22:26:50
今日は九州の歴史と----の研究会で「高天原は実在する」という発表を行った。
参加者19名、思いのほか多かった。
214 :
サガミハラハラ:2009/02/26(木) 12:33:27
明日から1週間ばかり九州にでかけます。
福岡で邪馬台国に関する大会があるのでそれに出席。
そしてs、中小路遺跡の調査です。
215 :
サガミハラハラ:2009/03/06(金) 23:18:16
本日帰京致しました。
結果はのちほど。
216 :
日本@名無史さん:2009/03/06(金) 23:42:22
217 :
サガミハラハラ:2009/03/07(土) 11:18:53
九州旅行 邪馬台国徹底検証第二弾 卑弥呼は九州にいた に、参加と、中小路遺跡調査
2月27日 京都途中下車をして東寺近くのブックオフに「神功皇后ーー」「卑弥呼のーー」を得りにいった。2冊150円で買っていただきました。
当日中に博多着
2月28日 K氏とA氏と3人でK氏の運転するレンタカーで阿蘇に出発。目的は北阿蘇に広がる鉄鉱床の調査である。
K氏は九州勢力の基盤となるとみているようである。A氏は鉄のけんきゅうをしている方だという。68歳で学生とのことである。
北阿蘇の鉄鉱床は水生鉄である。湧水に鉄がとけこんでおり、それが地表にでて鉄分が沈殿してできたという。
田圃の土が全て純度70%近くの鉄分を含む土である。その土を掘り上げて、製品にしていた。
そこから、南阿蘇に移動し幣立神社を訪問。ここが高天原と事象している神社である。
参拝者(お祓い)が数組来ていた。
夜は博多駅前の居酒屋で某酒造会社の社長さんと(K氏の人脈の広さに驚いた)4人で飲む。
この社長さんは宮崎県で日本山人参(ヒュウガトウキ)をも栽培しているとのことである。
中国の史書に倭人がチョウ草を献じたとあるが、それかもしれないという話もでた。
3月1日 福岡市民会館においてシンポジウムに参加
九州説ばかりの人なので大いにもりあがった。
小澤毅氏は奈良文化財研究所のかたなのであるが、邪馬台国九州説に加担しており、一番評判がよく拍手もおおかった。
3月2日 佐賀県に移動、東多久から中小路にいく。カラホリサンの調査である。
第一栄城ホテルにとまる。夕食は夢タウン佐賀にいってスパゲテイーを食べた。
3月3日 午前中は図書館で調査。ヒルは図書館の食道でかつ丼を食う。
午後は多久市の郷土資料館に行き官庁さんの西村隆司氏から情報を得た。
内容は後述
3月4日 吉野ヶ里に出かけ発掘事務所の方にいろいろ話を聞き、その後公園を見て歩いた。
3月5日 しらべることもなくなったので博多に移動。
3月6日 新幹線で帰宅。
218 :
サガミハラハラ:2009/03/07(土) 14:19:58
カラホリサン調査報告
カラホリサンは伊都国の都の環濠の跡ではないかと、今回調査したのであるが、
結果は否定的なものであった。
環濠の出っ張りと思われる部分は、吉野ヶ里のそれと比べて、おおきすぎること。
吉野ヶ里は8mぐらいのものであるが、カラホリさんは20m以上もあり、まるで異なる大きさである。
郷土資料館の人にきいてみたが、そのあたりからは、弥生土器等の遺物の出土はないとのことである。
土塁の経常も弥生ではなく中世の構造であるとのことである。
丘の地勢からいっても環濠集落の存在するような形状ではない。
以上からカラホリサンは弥生時代の痕跡ではなく、当然伊都国の環濠でもないことがわかった。
しかし、倭人伝の記述からは、あのあたりが伊都国の都であることは間違いないのであるから、丘陵部ではなく東の平地部に
あったと考えられる。東の平地には弥生の遺跡遺物も存在すること、かつて、佐賀平野の肥前国府が水害に見舞われた時、国府が多久市別府(東多久、中小路東方2km)に移されたことがあったが、
その時国府の印と鍵を補保管した印ニャク社という神社があったことなどから、このあたりが、古代においてなんらかの重要な位置をしめる場所であることが考えられること、当時の環濠集落がかならずしも
丘陵や山地に作られたものではないこと、全くの平地の例がみられ、吉野ヶ里は例外ではないか)
中小路が伊都国の都であったのは間違いないと考えるものである。問題は都の建物等の痕跡がいまだみつからないということである。
219 :
サガミハラハラ:2009/03/15(日) 23:23:58
今日は神奈川歴研で「神話や説話についての新解釈」と題して発表をしてきた。
結構評判がよかったみたいであった。
220 :
サガミハラハラ:2009/03/26(木) 21:51:05
今日帰還邪馬台国の「私の邪馬台国論」に日向風土記の日食記事についての論文を投稿した。
これも載録されなければもう投稿はやめよう
221 :
日本@名無史さん:2009/03/27(金) 02:55:18
223 :
サガミハラハラ:2009/03/28(土) 23:56:15
今日季刊邪馬台国の101号が贈られてきた。
私の邪馬台国論のコーナーがない。
もうとりやめなのであろうか。
224 :
サガミハラハラ:2009/05/23(土) 13:16:47
おととい八王子のブックオフに「神功ーー」のほんを売って来ました。ブックオフでは私の著作をかってくれます。
ほかの古本屋ではどこも引き取ってくれないのですが。ありがたいことです。
昨日新宿の紀ノ国屋本店にいったところ、私の「神功皇后は実在した」が置いてあった。
しばらくなかったのであるが、またおいてくれたようです。ありがたいことです。
225 :
サガミハラハラ:2009/05/23(土) 19:08:03
本日月刊「歴史研究」が送られてきた。「天孫降臨の年代と日蝕」がのっています。
もっとも、売りページで金払って載せたものですが。
しかしこれを読むと、天孫降臨が史実で西暦40年頃のことだということがわかります。
226 :
サガミハラハラ:2009/05/23(土) 19:13:14
内容は、この2ちゃんねるの皇国史観に基づいた正しい古代史の
>>349に
概略をかいてあります。
227 :
サガミハラハラ:2009/05/25(月) 08:56:08
昨日八王子のブックオフにいってみたら「神功皇后は実在した」が見当たらなかった。
もううれたようである。
228 :
サガミハラハラ:2009/07/04(土) 23:08:33
6月24日に新宿紀伊国屋本店にいってみたら棚の「神功皇后は実在した」がうれていた。
本日いってみたら新しいのが並んでいた。
恒常的においてくれるのであろうか。ありがたいことです。
229 :
サガミハラハラ:2009/07/19(日) 20:29:13
明日から九州旅行です。宮崎で部分日食をみて、佐賀で伊都国王都を探索してきます。
イト国の都についてなんとかケリをつけたいと思っています。
230 :
サガミハラハラ:2009/07/30(木) 00:08:13
今日9泊10日の九州旅行から帰還しました。早速報告をと思いましたが疲れがひどく
あす以降にいたしますのでよろしく。
231 :
サガミハラハラ:2009/07/30(木) 22:03:07
今回の九州旅行の目的は三つである。
一つは宮崎における日食の観察である。
20日の午前東京を新幹線で出発、宮崎は遠いので小倉にて一泊、「神功」の本を小倉のブックオフ旦過店に売ってきた。
21日に宮崎に到着宿をとり、宮崎駅前のブックオフに本を売ってきた。イオンモールにいってきた。
232 :
サガミハラハラ:2009/07/31(金) 22:02:58
22日待望の日食の日である。朝から小雨。宮崎神宮において観測することにした。
9時35分に食がはじまりだしたが、雨は止んだが雲が空をおおっていた。
神宮の御神田にて空をみあげた。雲がながれており、その隙間から雲をフイルターにして半分ぐらいかけた太陽がみえた。
丁度雲がフイルターの役目をして、裸眼でも観測できた。くもの厚さもちょうどよかった。
とはいっても雲の薄いところから時折みられるという状況ではあるが。大体95%ぐらいかけたが、見た目たいして暗くならなかった。
しかし、鳥が騒ぎ街灯が点灯した。だいぶ暗くなったという人もいたので個人差があるのであろうか。
午後は雨もあがり、県庁をみてきた。うわさの県民ショウを見てしった、チキン南蛮となんとかのうどんをくってきた。
233 :
サガミハラハラ:2009/08/02(日) 12:04:05
23日 小倉に戻り、松本清張記念館を見学。彼も邪馬台国研究者の一人である。
邪馬台国は逃げ水のように、つかまえれるかとおもうとすーっと消えてしまうという。
吉野ヶ里のときもそうであったようだ。現実には卑弥呼は吉野ヶ里にいたのであるが、
現実に目の前にあらわれても確証がつかめないのであろう。
博多で宿をとる。
24日 佐賀に移動。「邪馬台国を考える会」の関家氏に連絡をとり、県庁のレストランで会食をしながら
自説を開陳してきた。私の説はそれまでにない解釈が多いためすぐには呑み込めないといっていた。
「神功皇后は実在した 付録メジャーで辿る邪馬台国」を渡してきた。
桜ヶ岡の看板について岩松氏に連絡をとってみたら、以前渡した資料以外のものはないとのことであった。
天正のころの文書に沙婆岡の起源が書かれていたと私は常日頃いってきたのであるが、」その根拠となる文書が
見つからない(幻をみたのか)以上、とりさげざるをえないことになった。
これで今回の九州旅行の二つが消化できた。
夕食は夢タウンのレストランで食べ放題をしてきた。宿は第一栄城ホテル。
25日 図書館に手改めて桜ヶ岡等について調べたがなにもなし。
昼食は佐賀出身の女性タレントの優木まおみの実家の中華料理店(光楽園)で皿うどんを食べた。
味付け等が私の好みにぴったりでとてもおいしかった。場所はエスプラッツの近くで町が崩壊しているのであるが、
この店のある通りだけは昔のままであった。
駅前の西友は売り場が若干かわっていた。入口にある宝くじ売り場は客がひっきりなしであった。
勿論私もかいました。
26日 ものすごい大雨で歩道まで水があふれ、くるぶしの上まで水がきた。
しょうがないので、大和のショッピングモールにいき、ハリーポッターをみた。
子役が最初からの人たちなので、成長の具合がよくわかった。午後には雨がやんだ。
234 :
サガミハラハラ:2009/08/07(金) 10:30:56
27日 はれたので、本番の多久市中小路地区の庄集落にいってきた。
とくにこれといったものはなかった。遺跡は勿論なにもない。ただ暑いだけであった。
印ニャク社とおぼしきところは水田であった。土器の破片一つなかった。史書によると、庄はかつてはかなりおおきな集落であったようである。
28日 福岡に移動し、用もないので大阪に移動した。夕方心斎橋方面に出かけた。
食い倒れ太郎が再登場していた(実際は太郎が不在で次郎であった)。
29日 新幹線で帰京。新宿の紀伊国屋によってみたら「神功皇后は実在した」がうれていた。
売り場が若干かわっていた。
235 :
日本@名無史さん:2009/08/07(金) 13:32:55
2chの廃スレ私物化するくらいなら、自前のブログ開設すればいいのに。
無精だな。
236 :
サガミハラハラ:2009/09/18(金) 21:52:55
今日新宿紀伊国屋にいってきた。拙書「神功皇后は、、、」が並んでいた。
うれると補充してくれているようである。また、少しずつではあるが売れているようだ。
237 :
サガミハラハラ:2009/10/14(水) 23:49:20
今月の17日に出雲について講演をするが、レジメがようやくできあがった。あとは、発表の練習をするだけ。
238 :
サガミハラハラ:2009/10/17(土) 23:14:19
今日三田で出雲についての発表を行った。30名ぐらい来ると踏んでいたのに18名の参加であった。
そのご久慈氏の出版記念飲み会があったので参加した。
久慈氏は東日流外三郡誌等を復活させようという腹づもりのようである。
239 :
サガミハラハラ:2009/10/21(水) 23:23:57
今日季刊邪馬台国が送られてきた。わたしの邪馬台国論のコーナーが復活していた。
よかったよかった。
私の投稿の天孫降臨の年代が掲載されていた。
240 :
日本@名無史さん:2009/10/22(木) 01:31:34
こんな廃スレでわざわざ自分の日記を書くなんて、自己顕示欲のカタマリだな。
241 :
サガミハラハラ:2009/11/07(土) 21:23:54
4日から三日間、新潟と佐渡にいってきました。
新潟について、繁華街の古町に行き、小林幸子人形をみてきました。大きいだけじゃなく
表情もぴったしでした。よくできたものだと感心しました。昼食はこんど閉店するというデパート
大和で食べました。その後ブックオフに行き自著「神功皇后は実在した」をうってきた。
御多聞にもれず、このまちも旧繁華街はさびれ始め、新しく駅前から万代にかけて繁栄しているようです。
あくる日は佐渡に移動、相川郷土博物館でねぶた跳踊りについて聞いてみたが、25年もまえ(某TVでこの博物館に跳踊りの写真があったとレポーターがいっていた)のことなのでわからないとのことでした。
泊まらずに新潟に移動した。新潟駅の南口のブックオフに2冊目をうってきました。
最後の日は、まず、異人池を探しにいった。小学校の教員だった時、図書室でこの池についての絵本をみて、一度いってみたいとおもっていた。
カトリック教会はすぐみつかったが池はきえてしまってみつからなかった。
ただ異人池駐車場とか、マンションの名前に異人池の名がのこっているだけであった。
帰りに北方文化博物館によったら、受付の方の子供が近くの小学校の生徒で、小学校ではいまでもこどもの研究発表などで異人池のことをとりあげているとのことであった。
この池の歴史は100年もなかったが、短いながらもこれほどの歴史があるということはすごいことだと思った。
次に朱鷺メッセの美術館にいき男鹿和夫の展覧会をみた。トトロの森などの背景画をてがけたひとだという。
すごいものだと思った。
万代地区にある伊勢丹のうまいもの展を見てきた。すごい人であった。一角で、みかん大福を販売していたが、これはその前日TVの秘密のケンミンショウで紹介していた。結構行列ができていた。
昼食は同じ伊勢丹の那の福でパイコー坦坦スープ麺を食した。私が今まで食べたラーメンのなかでは、5本の指にはいるほどのうまさであった。
ちなみに1番は「せたが屋」2番は「大勝軒」です。
あとは新幹線にのってかえってきました。
242 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 07:22:36
あっそ
>>217 2冊150円で買っていただきました。
価格: ¥2,100 (税込) ?
244 :
日本@名無史さん:2010/01/18(月) 17:55:29
さらしあげ
245 :
サガミハラハラ:2010/01/18(月) 23:06:23
16日は三田の会合にいってきた。参加者18人でまあまあであった。
邪馬台国談義ということで参加者同志で意見交換をしてきた。結構賑わった。
二次会は甘太郎で行う。
17日は神奈川歴史研究会の総会であった。
サガミ先生は株とかFXとかをやっているんですか?
教えてください。
247 :
サガミハラハラ:2010/01/19(火) 23:04:22
FXはやっていませんが、日経225はやっています。
248 :
246:2010/01/21(木) 16:49:03
>>247 ご返答、ありがとうございます。
私もちょっと勉強してみようかな、と思いました。
249 :
サガミハラハラ:2010/01/28(木) 22:40:04
今日は、浦和で知人の発表会があったので聞きに行ってきた。
「神功皇后は実在した」をブックオフに売ってきた。
大宮駅前と蕨駅前と西川口駅前と川口駅前であった。
いつもかったくれるのですごくありがたいです。
250 :
日本@名無史さん:2010/01/28(木) 23:49:58
世界の登場人物である
人間には、名を残せる人間と
そうでない大多数の人間に大別できる
名を残せる人間を英雄とも呼べる
251 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 00:14:43
サガミ先生、悠々自適でいいなあ。
そこまでいくには色々おありになったわけでしょうけど。
オレはまだまだ時間がかかりそうだ。
その前にツブレないようにしないとな。
252 :
サガミハラハラ:2010/01/29(金) 14:37:40
>>248 わたしの投資についてですが、さきほどのオバマショックで大損しております。
株とかFX、大損することのほうがおおそうですよ。儲かっている人は例外的人です。
253 :
サガミハラハラ:2010/02/02(火) 22:59:30
2月20日に佐賀市であこなわれる「邪馬台国を考える会」の公開研究発表会の
プロ蔵目が送られてきた。研究発表者は6人である。関東から出席するのは私もふくめて2人もいる。
20分ぐらいしか時間がないがないのは残念であるが、自説を売り込む絶好の機会である。
この会は「吉野ケ里に卑弥呼はいた」説をひろめていく県民運動を起こしたいという会である。
会長は奥野正男先生で、今度邪馬台国は吉野ケ里であるという本を出版するそうです。
254 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 02:25:45
> 民主党が勝ったら
もう勝っとるがなw
256 :
サガミハラハラ:2010/02/24(水) 11:42:43
16日から22日にかけて九州佐賀にいってきた。目的は邪馬台国を考える会の公開研究発表会に参加することである。
16日は神戸に行き、鷹取と三宮と住吉のブックオフに「神功皇后は実在した」を売ってきた。
17日は大阪の京橋と玉造と鶴橋と天王寺と難波と心斎橋のブックオフにうってきた。
バックがだいぶ軽くなった。宿泊はカプセルイン大阪である。東通商店街がなんか人通りが少なくなったような気がした。
入口近くの阪急百貨店が工事中であった。
博多に移動。定宿のエスパに宿泊。博多駅前店に売ってきた。
18日は佐賀に移動。図書館に行き、惣座遺跡の出土品を調べた。なにかに銀印が発掘されたとあったが、銀印ではなく銀の指輪であった。
そして私は騙された。まさか、銀印をつぶして指輪をつくったわけではないだろうし。
玉屋で駅弁とうまいもの展があったので、岡山の桃太郎弁当を買って食べた。
駅までブラブラと町をあるいていった。ラサンシテーが廃墟となっていた。
ここは私が初めて佐賀を訪れたころにできたようであり、その時はその威容におどろいたものである。
駅前で宝くじを買い、ブラックモンブランを食べ(秘密のケンミンショウにでていた。)ユメタウンに移動。
ふかひれチャーハンセットを食べ、半額の明太子をかってきた。
19日は唐津まで沿線の風景をみようとのりこんだ。駅について寒いので町をみずに、トンボ帰りをした。
途中小城で下車、田んぼをほりおこしていたので、見にいったが土器のかけらひとつおちていなかった。」
20日は待望の発表会である。ユメタウンで食事(十鉄チャーハン)をし、近くの会場ほほえみ館に行く。
思いがけなく会長の奥野正男先生が来ていた。こういう会員発表会などにはお偉いさんはこないものだが。
私は3番目で吉野ケ里から小城に遷都したことを中心に話をした。
発表者は他に、石井好氏、関家敏正氏、高野信久氏、丸山雍成九大名誉教授である。
結構受けたと思う。終了後はかぐれ荘(名前は変わっていた。)の喫茶室にて懇談した。
夜はうふふのスパゲッテイーを食しさらに駅前で佐賀のソウルフードであるシシリアンライスをし食した。
21日は博多に移動し天神のあたりをうろついて、やることもないので豊田にもどってきた。
257 :
サガミハラハラ:2010/03/11(木) 22:39:29
本日3月11日 鎌倉八幡宮の公孫樹の木がたおれたというので見にいってきた。
あの巨木が根基から折れて横たわっていた。
近くでみれるかなと思ったが、かなり遠くまで規制されていた。
鎌倉はすごい人出であったが、公孫樹が目当ての人はあまりいなかったようだ。
258 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 22:11:11
いくら元が内容のない廃スレとはいえ、たった一人で私物化していいものだろうか?
259 :
サガミハラハラ:2010/03/28(日) 23:13:32
そう思う潟はドンドンかきこんでください。私が書き込めないくらいに。
日記状でもよろしいですよ。
今日は六義園のしだれ桜をみにいってきましった。さむくて8分咲きでしたが、人がいっぱいでした。
よるTVで中継をやっていました。
午後は銀大で新宿御苑で花見をやるというのでいってきました。
50人ぐらいくるというのでいってみたら、6人だけでした。
もうつきあうのはやめようかとおもっている。
260 :
サガミハラハラ:2010/04/11(日) 22:34:12
今日鎌倉に公孫樹のその後をみにいってきた。鎌倉の町のこみようは、平日休日関係なくこんでました。
もっとも休日のほうがおおいのですが。
公孫樹は、ミキをうえなおしたほうは、小枝に緑の芽がふくらんできていました。
切り株のほうには、ヒコバエが無数にでていました。記帳所があってたくさんの人が記帳していました。
静のマイの奉納があって観光客がいっぱいでした。
ボタン園をみてかえりました。かえり、西新宿の小滝橋のブックオフに1冊売ってきました。
261 :
サガミハラハラ:2010/04/26(月) 22:46:50
今日季刊邪馬台国が来たが、「私の邪馬台国論」のコーナーがなかった。
262 :
サガミハラハラ:2010/05/16(日) 00:00:38
今日九州の歴史と文化の会にいって卑弥呼の即位年について183年説を15分ばかり述べてきた。
この会の参加者のグレードがずいぶんとあがってきた。
263 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:07:15
>卑弥呼の即位年について183年説を15分ばかり述べてきた。
興味がわきますねえ。
サガミ先生、論説教えてくださいな。
264 :
サガミハラハラ:2010/05/17(月) 23:09:59
卑弥呼即位年について
1、後漢書に「桓霊の間、倭国大いに乱れ」とあります。桓帝は146年から167年の在位
霊帝は167年から189年までの在位。
*これから卑弥呼の即位年は167年から189年の間ということになります。
2、梁書東夷伝倭「桓の霊帝の光和の年号の年内、倭国が乱れ相攻伐することが何年も続いたので一人の女子卑弥呼を共立して王とした。」
」とあります。光和は178年から184年までです。
*これから即位年は178年かR184年の間ということがわかります。
3、奈良県東大寺山古墳から出土した、鉄剣に「中平」が刻まれていました。
これは、この時期に倭国のだれかが中国に貢献をしてこの刀を入手したとの説があります。
私はこれは卑弥呼であるとみます。中平は184年から189年までの年号です。
卑弥呼が即位してただちに中国に即位の報告の使者をたてたとすれば、光和と中平の合う184年がその貢献の年で即位はその前年の183年ということになります。
*ここまでが従来の説です。
4、朝鮮の三国史記新羅本紀の阿達羅王に、王の20年に「倭国女王の卑弥乎が使者をよこして礼物を献じた」とある。阿達羅王20年とは173年のことである。
ところがこの年代は、中国史書とは合わない。どこかを誤写したのではと考えられる。
どこかを検証してみた。
173年は漢霊帝六年癸丑年熹平二年である。
即位年が183年で中国への貢献が184年だとすると新羅への挨拶は185年であろう。そこで185年をみてみると
185年は漢霊帝十八年乙丑年中平二年である。
真が185年であるとすると」どこをまちがったのであろうか・
それは十八と六の字である。
つまり筆者は粗雑に書いた(木簡の状態が悪かったか)ため、十八の十の縦棒が途中でかすれ亠のようになり、その下に書いた八が六の下半分のようになり、
次に見た人が六に字とみなしたものであろう。
そして霊帝6年を阿達羅王の年代になおして20年としたものである。
よって新羅本紀の記事は185年をさしていたのである。卑弥呼が卑弥乎としるされているのも、粗雑に書かれたからであろう。
265 :
サガミハラハラ:2010/05/17(月) 23:23:50
こうしてみると、183年卑弥呼即位、184年中国への貢献、185年新羅への挨拶という一連のながれとなっているのがわかる。
よって、卑弥呼即位年は183年で決まりとなります。
266 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/05/25(火) 23:33:56
古代史って不勉強でもできちゃう「ジャンル」なんだな…
その人の学力と才気が如実に出るのはやはり中世史だね。
才気というか才能の出番が、近世史は中世史に比べて落ちる。
267 :
サガミハラハラ:2010/05/25(火) 23:53:56
おーっ、懐かしの武陽隠士さま。
またまたよろしくおねがいいたします。
268 :
サガミハラハラ:2010/06/05(土) 22:37:42
今日は国立と五反田のブックオフに売ってきました。
269 :
サガミハラハラ:2010/06/10(木) 23:03:21
今日は品川の講演会にいってきた。
相模大野と自由が丘のブックオフにうってきました。
270 :
サガミハラハラ:2010/06/15(火) 08:17:14
昨日は花菖蒲を愛でるために明治神宮と堀切菖蒲園にいってきた。ついでにスカイツリーも見てきた。
ついでに目白と東中野のブックオフにうってきました。
271 :
サガミハラハラ:2010/06/17(木) 23:02:12
今日は荻窪のブックオフにうってきました。
荻窪ラーメン戦争。丸福、春木屋まだやっていました。なつかしいですね。
272 :
サガミハラハラ:2010/07/02(金) 11:37:31
おとといは、大森、蒲田、川崎、鶴見の各駅前店にうってきました。
新宿紀伊国屋でも1冊うっていました。
273 :
サガミハラハラ:2010/07/08(木) 23:34:02
今日は池袋での講演会にて聴講した。
東急ハンズにブックオフができていたので、そこに1冊うってきた。
売り場をみてみたら、私が持っていったのではなく、神功皇后は実在したの本がおいてあった。
売上カードがついていたのでどんな経路でならんだのだろうか。
1店に2冊おいてあるとなると、ちと厳しいと思うが今度からはよく確認して売り込もう。近くで候補者の中畑何とかさんが
運動していた。繁華街にくると誰かが運動している。田舎にすんでいると選挙の実感がわかないのであるが。
274 :
サガミハラハラ:2010/07/14(水) 21:25:42
TV番組の池上彰の学べるニュースを見て驚いた。
左翼右翼日米安保などの解説をしていたが、これらは、ほんの少しまえまではこのような大マスコミで
とりあげるのはタブーだったのではないだろか。
また、もうかなりすぎたが、選挙前に週刊新潮の吊り広告に三盃の毒と見出しが大きくでていた。
これにもおどろいた。左翼批判は大マスコミにとって、タブーだとおもっていたが、
世の中少しずつじゃなくて急激にかわりつつあるようだ。
275 :
サガミハラハラ:2010/07/15(木) 22:36:06
今日は代々木と飯田橋と秋葉原にうってきました。
有る会合において聞いていて、安本氏の数理なんとかを使った古代天皇の件は、科学的とはとても言えないしろもののようだ。
276 :
ローガン:2010/07/15(木) 23:55:49
サガミ先生こんにちは。
>安本氏の数理なんとかを使った古代天皇の件は、科学的とはとても言えないしろもののようだ。
まあ、古代史の底辺拡大という視点から見れば、意義は有ったかと思います。
277 :
サガミハラハラ:2010/07/17(土) 22:51:34
今日は江戸東京博物館にいったついでに、亀戸と錦糸町駅前と両国と国立のブックオフにうってきました。
新宿紀伊国屋の本はうれていました。定価で買っていただいた方、ありがとうございます。
亀戸のサンストリート、何年振りかでいってきました。かつて、TV 番組の「マネーの虎」で屋台をだした人が放映
されて、どんなものかと行ってみた記憶があります。なつかしいですね。
278 :
サガミハラハラ:2010/07/18(日) 22:48:21
今日は、新横浜駅前に売ってきた。
鎌倉八幡宮の公孫樹のヒコバエは1mぐらいで密生していた。
幹を植えたほうもあちこちから新しい枝がでていた。
279 :
サガミハラハラ:2010/07/22(木) 23:43:58
今日は小石川の植物園に燭台大蒟蒻を見に行ってきた。1日はやかったようでまだつぼみであった。
しかし暑い1日であった。
280 :
日本@名無史さん:2010/07/25(日) 01:22:26
ぼくの大学にサガミハラハラさんの著作がありました
今度借りてみようかと思います
281 :
日本@名無史さん:2010/07/25(日) 01:38:56
>>280 いい意味で素人くさくて
論の運びに思いつきと飛躍が多い本です
いい意味で買わずに借りるだけなほうがよろしいでしょう
できれば読まないほうがもっとよろしいでしょう
282 :
サガミハラハラ:2010/07/25(日) 23:14:39
とてもいい大学ですね。進取の意気が満ち溢れておりますね。
思いつきと飛躍ですか?問題はそれらが、どれだけ的を得ているかでしょ。
平板な定説通説のみでは、研究は行き詰まってしまいます。
283 :
サガミハラハラ:2010/08/01(日) 09:28:32
昨日は、柴崎にリュウゼツランの花をみにいってきましたが、詳しい場所をしらべずにいったので結局見ずにかえってきました。
調布と国領のブックオフに売ってきました。
八王子のはまだ売れていませんでした。皆さんよろしくお願いいたします。
284 :
サガミハラハラ:2010/08/06(金) 23:10:33
今日は仙台の七夕をみにいってきた。
仙台駅前のさくら野ブックオフに売ってきた。
新宿紀伊国屋に1冊置いてありました。
285 :
日本@名無史さん:2010/08/13(金) 20:57:06
紀伊国屋で立ち読みしましたが、古代史に興味ないのでつまらかったです
286 :
サガミハラハラ:2010/08/22(日) 23:30:09
今日は小田急線の六会日大前のブックオフに1冊うってきました。
六会の湘南ねぶた祭りをみにいたのです。
ところで、青森ねぶたの囃しのラッセラ ラッセラ ラッセ ラッセ ラッセラ
のラッセは仏教でいう来世の訛なのですね。
鎌倉時代に一遍上人が鎌倉で踊り念仏をはじめたのがそのはじまりです。
それが時代を経て青森まで伝わり(ねぶたじゃなくて囃しですよ)意味もわからずラッセラッセ
とわめきながら飛び跳ねているのです。
もともとはラッセラッセだけだったのが、戦後まもなく青森のあるグループがラッセラーとしたのがとても塩梅がよいということで
以降ラッセラーとなったということです。
しかし、一遍上人の根拠地ともいえる藤沢で偶然にもねぶた囃子として行われるようになったのは、
なにかの縁でしょか。
287 :
日本@名無史さん:2010/09/06(月) 03:30:10
ブックオフに売るのは、自著普及が目的なんでしょうか
288 :
日本@名無史さん:2010/09/06(月) 07:21:23
289 :
サガミハラハラ:
そうです。とにかく自著が広がらなければ、自論もひろがりませんから。