皇国の興廃は我先祖にあり

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1日本@名無史さん
皆さんの先祖は、先の大戦をいかに戦ったかを語り継ぐスレ
2日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:59:19
祖父は南方の有名なガダルカナル島に、二等兵で派遣。
幸い軍医殿にかわいがわれ飢餓には遭わず、米軍を見るより食べ物を
探し周った、無事撤退しフィリピン戦線にて終戦。帰国後は天皇の事
を天ちゃんと呼んでいた。近年病没。遺品に鉄兜がある。

3日本@名無史さん:2006/06/28(水) 20:01:26
皇国は(興)にはならず(廃)になったね
でも日本国が生まれ思想信条が自由な国に生まれることが出来た
大日本帝国に生まれて思想信条の自由もなく鍋釜徴収され最後は命まで取られるなんて嫌
そんなの家畜じゃん
最後の一人まで戦えと言われ赤ん坊までが自決の巻き添え
でも自決しなかった先祖のおかげでみんな今生きている
4日本@名無史さん:2006/07/01(土) 23:13:38
age
5日本@名無史さん:2006/07/02(日) 17:30:43
age
6日本@名無史さん:2006/07/11(火) 15:27:34
うちの爺さんは他人に「俺らのために死んで来い、捕まるぐらいなら他人を巻き込んで自殺しろ」と言っていたが
自分はみんなを犠牲にしてまで命乞いをした。卑劣だがこれが我が家の伝統的生き方。
我が家は由緒正しい家系だ。始祖はなんと神!しかもその神が日本を創ったから日本は我が家の物だ。
この先祖の主張が正しいことの裏づけは先祖がつくった書物にそう書いてあるからだ。
そんな電波な家系だが爺さんがムチャしすぎて米屋さんヒデさん豪さんたち町内会から怒られて神の子孫は止めた。
変な遺伝子は受け継がれ俺のオヤジは自分のことを「チン」と言う。「お前は俺の子だからチン○だ」とほざく。
ちん○の俺は結婚した。相手の名はマ○コ。そこから愛○が出てきた。
俺には弟もいる。奇行を好む弟には二人の子がいる。馬子と鹿子だ。
これは我が家のでっち上げの先祖ではない本当の先祖が蘇我馬子や蘇我入鹿の家来だったから「馬・鹿」の一字を拝領したのだと弟は言う。
三人目は蘇我蝦夷から拝領してエミコにする気だとのこと。

先祖が先の大戦をいかに戦ったかを熱く語りすぎてしまって現在にまで及んでしまった。
意味のないことや余計なことをするのが我が家の伝統のようだ。
意味がないからと責めないでね。
7日本@名無史さん:2006/07/11(火) 15:52:57
>3
無知なアフォ
8日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:11:20
>>7
チンのことか?
9日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:41:09
>>1
日本近代史は板違い
http://academy4.2ch.net/history2/
10日本@名無史さん:2006/07/14(金) 10:52:48
軍国主義の宗教国家が隣にあるってことがどれだけ嫌なものか
テポドン乱射でよくわかる
個人が神として讃えられる国はいつ個人の衝動で無謀な侵略をやるかわからない
事実大日本帝国は暴発した
誰でも自分に害が及んで始めて気付かされる自分の傲慢ってあるよね
軍事侵攻をされた国は怒ってあたりまえだと思う
11日本@名無史さん:2006/08/05(土) 11:26:13
皇国て皇帝の国?
12日本@名無史さん:2006/08/05(土) 11:34:57
>>3
バカジャネエノ

日本の外では当時も今も戦争は継続しているんだよ
13日本@名無史さん:2006/08/05(土) 11:38:02
>>10
大日本帝国が暴発?

一部の暴発で、軍艦、戦闘機まで自家生産できるかってのw

戦争は良かれ悪しかれ、計画的にやるものだ。
日本の敗戦を反省するなら、計画(戦略)が足りなかったことを反省するべき。
戦争事態が反省すべき行為ならば、全世界中が反省すべきだな。
陸地の7割以上が欧米の植民地であった当時で、日本だけが悪役になるなんて俺は真っ平御免だね。

利口な奴はうんと反省するがいいさ。
おれは反省なぞしない。
14日本@名無史さん:2006/08/05(土) 12:23:02
>>12
>>13
北朝鮮の主張することと似てる
15日本@名無史さん:2006/08/05(土) 14:55:12
なんでも「北チョンと似ている」と言えば恐れ入ると思ったら大間違い。

戦争を考えない近代国家なんぞ存在しないし、自国の正当を主張しない近代国家は存在しない。
そんな甘ちゃん思考が北チョンや中国にいいように情報操作される土壌を生み出す。
16日本@名無史さん:2006/08/05(土) 17:11:54
>>15
北朝鮮流開き直り
17日本@名無史さん:2006/08/05(土) 17:21:24
>>15
甘ちゃんはお前だ

単純に暴力で解決する馬鹿国家を日本は放棄したのしらねぇのか馬鹿
善悪の正しい判断もできないからお前は嫌われてるんだ馬鹿
犯罪犯しても正当化しろって言う馬鹿なお前は日本社会に受け入れてもらえない理由を知れ馬鹿
お前のような馬鹿に心配されなくても情報操作に踊らされる馬鹿はお前だけだ馬鹿
18日本@名無史さん:2006/08/05(土) 17:23:07
犯罪?何が犯罪?

拉致という国家犯罪を犯した北朝鮮は犯罪を犯したが?
日本の犯罪とはなんだ???
19日本@名無史さん:2006/08/05(土) 17:30:15
日本史板に、戦争それ自体を犯罪と考えるような奴はいないですよね?
20日本@名無史さん:2006/08/05(土) 18:49:10
>>19
いろいろな価値観さまざまな意見があってもいいじゃん。てかあって当然。
戦争についても天皇についてもみんな違う意見が当然。
21日本@名無史さん:2006/08/05(土) 19:30:52
それは価値観とかの問題じゃないから・・。
戦争それ自体を犯罪としたら、国家防衛が成り立たない。
よって、どこの国でも自衛戦争という大義名分を立てる。

というか、戦争それ自体が犯罪なら侵略戦争に対して、
犯罪を犯さずにどうやって防衛するつもりなのかと。
22日本@名無史さん:2006/08/05(土) 20:07:29
>>21
あなたが戦争についてどう思おうとあなたの勝手
みんな自由に個々の戦争観を持ってて当然
自分の考えを絶対に正しいと思い込み他人に押し付ける人こそ紛争を引き起こすと思うよ
23日本@名無史さん:2006/08/05(土) 20:09:13
犯罪というからには法的な根拠が必要でしょw
24日本@名無史さん:2006/08/05(土) 20:12:54
あなたの戦争観とやらで、日本を犯罪だと断定されても困る。

その辺の曖昧さ、ナイーブさが隣国には好都合なのですよ。
25日本@名無史さん:2006/08/05(土) 20:28:31
東京裁判で裁かれたのは?
26日本@名無史さん:2006/08/05(土) 20:30:54
みんな自由な思想を大事にしよう
27日本@名無史さん:2006/08/05(土) 21:28:34
自由な思想は結構だが、自由に犯罪者を作られたら困るw
28日本@名無史さん:2006/08/05(土) 21:32:02
サンフランシスコ平和条約で、東京裁判の判決(刑の執行)を受け入れたが
裁判を受け入れる必要もなければ、後世の人間の思想がそれに縛られる必要もない。

そこにこそ思想の自由を言うべきだろう。
みずから東京裁判(極東軍事裁判)史観に縛られる人間を自由とは言わない。
29日本@名無史さん:2006/08/05(土) 21:49:41
>>28
日本の犯罪とは?と聞いておいて日本が受け入れた東京裁判と答えが出た。
これで決着。
なのに個々の自由な歴史観否定のアナタが今度は自由な歴史観を持ち出す。
アナタの支離滅裂さが痛い。
論理的思考ができていない。
30日本@名無史さん:2006/08/05(土) 22:08:14
インドネシア開放
しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、ついでオランダ軍がインドネシアを再占領するために戻ってきたのです。
ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。
そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。
ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、
「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが、
「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。どちらも神話、伝説上のことですから、正確であるわけはないのですが
、「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、
今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになって
スカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。
31日本@名無史さん:2006/08/05(土) 22:10:09

ハネムーンやサーフィンで大人気のバリ島ではなんと!いまでも「皇紀」カレンダーが売っているそうです。
さて話を戻しますが、独立を目指すインドネシアにとっては日本敗戦後のこれからが死闘でした。日本軍による3年半の軍事訓練を受けたとはいえ、
近代的兵器で武装したイギリス、オランダなどの連合軍にそう簡単に勝てるわけがありません。敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、
独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、
その半数以上が彼の地の土となりました。このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。
そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。
こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんと!日本兵の服装をした1名を加えて3名で、
国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
32日本@名無史さん:2006/08/05(土) 22:18:21

インドネシア開放

日本人は、忘れたらだめだね!!

日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚します。
もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのです。
33日本@名無史さん:2006/08/05(土) 22:19:20
う〜〜ん
34日本@名無史さん:2006/08/06(日) 00:55:09
インドネシア、バンザーイだね何処かの国と違って恩を理解してるね。
35日本@名無史さん:2006/08/06(日) 01:44:03
まだ有るよ。独立ではないが、中華民国建国時の空軍は日本軍が、教官で
2年くらいしてから帰国してます。有名ですが中国では抹消されております。
36日本@名無史さん:2006/08/06(日) 02:35:23
アジア開放戦争です(例 マレーシア編)
1941(昭和16)年12月、日本軍は真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃すると同時にマレーシアに上陸し、
さらにマレー沖のイギリス東洋艦隊に攻撃をしかけました。ことにイギリスの誇る世界最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスという
2隻を航空機による爆撃で撃沈したことは、
世界戦史上、前例のないことでした。この衝撃的な知らせを受けた当時のイギリス首相チャーチルは「戦争の全期間(第二次世界大戦)を通じて、
わたしはそれ以上の打撃をうけたことはなかった。
いかに多くの努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドのなかで寝返りを打ち、
身もだえするわたしの心にこのニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた。」
(チャーチル『第二次大戦回顧録』)と書いています。
37日本@名無史さん:2006/08/06(日) 02:37:08
そして、150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、
食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。
当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、
今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、
とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」
このような現地の人々の支援もあって、日本軍は60日間の激戦の末、イギリス軍のアジア最大の要塞、シンガポールを攻略します。
1942年(昭和17)2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、150年におよんだイギリスのマレー支配は終わりを告げたのです。
フランスのドゴール将軍はこの日の日記に「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する。」と記しています。
38日本@名無史さん:2006/08/06(日) 02:42:04
いい話だね隣の国の人に聞かせたいね。
39日本@名無史さん:2006/08/06(日) 02:44:24
>>38
聞かせても馬鹿は
すぐには治らないから。
40日本@名無史さん:2006/08/06(日) 13:08:05
学校でもこうゆう一面が有った事を、教えてほしいね!
なんか謝罪教育ばかりされたんでは、生徒も面白く無いよな。
41日本@名無史さん:2006/08/06(日) 13:56:50
>>40
謝罪教育ってどんな教育?
今はどこの学校でも国旗や国歌を先生達が押し付けてきて愛国教育が蔓延してる。
通知表にも国を愛する心って評価があるよ。
先生達は自分の成績に響くから式やなんかでもうるさい。でも無視する。
2チャンネルのほかの板では教師に従うなとみんな言ってる。
42日本@名無史さん:2006/08/06(日) 16:25:46
>>今はどこの学校でも国旗や国歌を先生達が押し付けてきて愛国教育が蔓延してる。

やっと教師も、まともに成って来たんだね、いい事だと言うより普通に成った。
>>41番さんは不機嫌そうだけど、屁理屈では国を守れないよ。
43日本@名無史さん:2006/08/06(日) 18:22:07
>>40
謝罪教育ってのを知りたい。
国旗や国歌を学校で使わなかったの?
44日本@名無史さん:2006/08/06(日) 18:32:50
>>42
国を守る気は無い。
将来は外国で暮らすし国籍も気にしていない。
携帯翻訳機とネット環境の時代に日本で一生過ごす人は少なくなる。
日本で3000万ぐらい貯めて後進国へ行けば後は遊んで暮らせる。
45日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:09:23
インドネシア開放
しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、ついでオランダ軍がインドネシアを再占領するために戻ってきたのです。
ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。
そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。
ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、
「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが、
「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。どちらも神話、伝説上のことですから、正確であるわけはないのですが
、「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、
今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになって
スカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。
46日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:10:24

ハネムーンやサーフィンで大人気のバリ島ではなんと!いまでも「皇紀」カレンダーが売っているそうです。
さて話を戻しますが、独立を目指すインドネシアにとっては日本敗戦後のこれからが死闘でした。日本軍による3年半の軍事訓練を受けたとはいえ、
近代的兵器で武装したイギリス、オランダなどの連合軍にそう簡単に勝てるわけがありません。敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、
独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、
その半数以上が彼の地の土となりました。このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。
そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。
こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんと!日本兵の服装をした1名を加えて3名で、
国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
47日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:11:29
アジア開放戦争です(例 マレーシア編)
1941(昭和16)年12月、日本軍は真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃すると同時にマレーシアに上陸し、
さらにマレー沖のイギリス東洋艦隊に攻撃をしかけました。ことにイギリスの誇る世界最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスという
2隻を航空機による爆撃で撃沈したことは、
世界戦史上、前例のないことでした。この衝撃的な知らせを受けた当時のイギリス首相チャーチルは「戦争の全期間(第二次世界大戦)を通じて、
わたしはそれ以上の打撃をうけたことはなかった。
いかに多くの努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドのなかで寝返りを打ち、
身もだえするわたしの心にこのニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた。」
(チャーチル『第二次大戦回顧録』)と書いています。
48日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:12:37
そして、150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、
食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。
当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、
今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、
とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」
このような現地の人々の支援もあって、日本軍は60日間の激戦の末、イギリス軍のアジア最大の要塞、シンガポールを攻略します。
1942年(昭和17)2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、150年におよんだイギリスのマレー支配は終わりを告げたのです。
フランスのドゴール将軍はこの日の日記に「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する。」と記しています。
49日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:56:49
>>40
受験戦争世代だが日本史で問われるのは年号や語句だった
〜について述べよの場合でも山川の赤を羅列した
歴史の授業で日本を悪だと教える教師はいなかったし
受験のため意見の分かれる説なんて覚えないし教えない
教師達も指導要綱に従う公務員でしかなかったから立場を失うような事はせず
日の丸・君が代を強制してきた人ばかりだった
日の丸や君が代を教師が生徒に拒否させようものならニュースになるぐらいめったに無いことじゃないのか
教師は所詮公務員だから指導要綱を無視してたら職を失う
私立ならわからないが謝罪教育なんて想像つかない
50日本@名無史さん:2006/08/07(月) 20:11:44
悪いことをしたら謝ったほうがいいと教える教師は反日教師?
51日本@名無史さん:2006/08/07(月) 21:08:00
皇国の荒廃は我先祖にありが正解じゃないか?

誰がこんな日本にしたんだまったく。年金おやじ狩りだな。
働かざる者、食うべからず。
52日本@名無史さん:2006/08/07(月) 22:35:31
じゃあ、お前は食うべきじゃないな
53日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:33:28
インドネシア編
こんな歌を知っていますか?インドネシアで50年間歌い継がれてきた
「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」です。

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”


だ…大日本?!なんだか、聞いてるこちらがこそばゆくなってしまうような
歌詞ですが、これはいったいどういうことでしょうか?
54日本@名無史さん:2006/08/08(火) 11:49:35
私学でも何でもいいけど謝罪教育を受けた人はどんな内容だったの?
55日本@名無史さん:2006/08/08(火) 12:06:04
インドネシアに残って、独立軍と一緒になった兵士って、
ほんの少しなんだよね。
勅命にそむいた脱走兵扱いなので、遺族年金は出ません。

皇紀も全く使ってないし、イスラム暦だからね。
インドネシアの人が日本に感謝してるような印象操作は止めてくれ。
インドネシアの人が怒るよ。
今も現地に伝わる日本語は、
「ロームシャ(労務者)」「ビンタ」だぞ。
56日本@名無史さん:2006/08/08(火) 12:21:22
>>54
俺が受験生だったとき高3の夏休みに河○塾の南山大日本史講座を受講したとき
講師の石○先生(日本史板の住民ならわかるかも)が岩波新書の日韓併合小史を受講生に紹介して
韓国併合の問題点を話してくれた。でも当時は歴史事実の考察だと思っていたし石○先生は人気も実力もあっていい先生だった。
事実の考察が謝罪教育的だと捉えられる面があるのかもしれない。
信長の事績の考察では一向宗に対する謝罪教育となるかもしれないし
秀吉の事績の考察では朝鮮に対する謝罪教育と捉えられるのかもしれない。
57日本@名無史さん:2006/08/08(火) 15:03:40
インドネシアの教科書を読むと反日だけどな・・・
58日本@名無史さん:2006/08/08(火) 15:05:31
ミャンマーの教科書も反日だ
フィリピンなんてすごい反日教科書
59日本@名無史さん:2006/08/08(火) 16:38:39
インドネシア編
こんな歌を知っていますか?インドネシアで50年間歌い継がれてきた
「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」です。

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”


だ…大日本?!なんだか、聞いてるこちらがこそばゆくなってしまうような
歌詞ですが、これはいったいどういうことでしょうか?
60日本@名無史さん:2006/08/08(火) 16:39:48
インドネシア開放
しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、ついでオランダ軍がインドネシアを再占領するために戻ってきたのです。
ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。
そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。
ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、
「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが、
「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。どちらも神話、伝説上のことですから、正確であるわけはないのですが
、「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、
今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになって
スカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。
61日本@名無史さん:2006/08/08(火) 16:40:46

ハネムーンやサーフィンで大人気のバリ島ではなんと!いまでも「皇紀」カレンダーが売っているそうです。
さて話を戻しますが、独立を目指すインドネシアにとっては日本敗戦後のこれからが死闘でした。日本軍による3年半の軍事訓練を受けたとはいえ、
近代的兵器で武装したイギリス、オランダなどの連合軍にそう簡単に勝てるわけがありません。敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、
独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、
その半数以上が彼の地の土となりました。このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。
そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。
こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんと!日本兵の服装をした1名を加えて3名で、
国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
62日本@名無史さん:2006/08/08(火) 16:41:44
アジア開放戦争です(例 マレーシア編)
1941(昭和16)年12月、日本軍は真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃すると同時にマレーシアに上陸し、
さらにマレー沖のイギリス東洋艦隊に攻撃をしかけました。ことにイギリスの誇る世界最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスという
2隻を航空機による爆撃で撃沈したことは、
世界戦史上、前例のないことでした。この衝撃的な知らせを受けた当時のイギリス首相チャーチルは「戦争の全期間(第二次世界大戦)を通じて、
わたしはそれ以上の打撃をうけたことはなかった。
いかに多くの努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドのなかで寝返りを打ち、
身もだえするわたしの心にこのニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた。」
(チャーチル『第二次大戦回顧録』)と書いています。
63日本@名無史さん:2006/08/08(火) 16:43:49
そして、150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、
食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。
当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、
今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、
とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」
このような現地の人々の支援もあって、日本軍は60日間の激戦の末、イギリス軍のアジア最大の要塞、シンガポールを攻略します。
1942年(昭和17)2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、150年におよんだイギリスのマレー支配は終わりを告げたのです。
フランスのドゴール将軍はこの日の日記に「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する。」と記しています。
64日本@名無史さん:2006/08/09(水) 08:44:49
うちの爺さんは他人に「俺らのために死んで来い、捕まるぐらいなら他人を巻き込んで自殺しろ」と言っていたが
自分はみんなを犠牲にしてまで命乞いをした。卑劣だがこれが我が家の伝統的生き方。
我が家は由緒正しい家系だ。始祖はなんと神!しかもその神が日本を創ったから日本は我が家の物だ。
この先祖の主張が正しいことの裏づけは先祖がつくった書物にそう書いてあるからだ。
そんな電波な家系だが爺さんがムチャしすぎて米屋さんヒデさん豪さんたち町内会から怒られて神の子孫は止めた。
変な遺伝子は受け継がれ俺のオヤジは自分のことを「チン」と言う。「お前は俺の子だからチン○だ」とほざく。
ちん○の俺は結婚した。相手の名はマ○コ。そこから愛○が出てきた。
俺には弟もいる。奇行を好む弟には二人の子がいる。馬子と鹿子だ。
これは我が家のでっち上げの先祖ではない本当の先祖が蘇我馬子や蘇我入鹿の家来だったから「馬・鹿」の一字を拝領したのだと弟は言う。
三人目は蘇我蝦夷から拝領してエミコにする気だとのこと。

先祖が先の大戦をいかに戦ったかを熱く語りすぎてしまって現在にまで及んでしまった。
意味のないことや余計なことをするのが我が家の伝統のようだ。
意味がないからと責めないでね。
65日本@名無史さん:2006/08/10(木) 15:01:16
インドネシアに残って、独立軍と一緒になった兵士って、
ほんの少しなんだよね。
勅命にそむいた脱走兵扱いなので、遺族年金は出ません。

皇紀も全く使ってないし、イスラム暦だからね。
インドネシアの人が日本に感謝してるような印象操作は止めてくれ。
インドネシアの人が怒るよ。
今も現地に伝わる日本語は、
「ロームシャ(労務者)」「ビンタ」だぞ。
66日本@名無史さん:2006/08/10(木) 15:03:49
57 名前:日本@名無史さん :2006/08/08(火) 15:03:40
インドネシアの教科書を読むと反日だけどな・・・


58 名前:日本@名無史さん :2006/08/08(火) 15:05:31
ミャンマーの教科書も反日だ
フィリピンなんてすごい反日教科書
67日本@名無史さん:2006/08/10(木) 16:12:03
タイメン鉄道で非常にたくさん死んだね>インドネシア労務者
68日本@名無史さん:2006/08/11(金) 11:05:27
ベトナムの教科書だって反日だど
69日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:31:10
大東亜会議に出させてくれと懇願しても、
出させても応えなかったインドネシア・・・
かわいそ杉・・・
70日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:17:09
南京大虐殺」はなかった
――― 意図的宣伝に騙されるな ―――  備前市  西川 晃男

*市民は全員無事であったと、南京安全区国際委員長から日本軍に感謝の書状が
出されています。当時の中国の首都南京が陥落したのは昭和十二年十二月十三日ですが、
十二月一日に南京市長は、市内残留市民に対して、市内に設けられた安全区に
避難するよう命じました。この安全区を管理したのは、当時南京に残留していた
米・英・独人による十五人の国際委員会でした。その委員会の記録によりますと、
全市民二十万人は全員無事であったと、ジョン・H・ラーベ国際委員長(反日的ドイツ人)
が日本軍に感謝の書状を出しているのです。
*極秘裏に南京大虐殺を行うにも国際委員(十五人)が、いたため不可能だと思われます。
71日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:18:20

マハティールは、1925年、インド出身で上級会計検査官の父
とマレー人の母の9人兄弟の末っ子として生まれた。1941年、
16歳の時、日本軍が初めてマレーの支配者・英国軍を打ち破
ったのを目の当たりにし、またその規律の良さに強く感動した。
我々にもその意思さえあれば、日本人のようになれる、自分た
ちの手で自分たちの国を治め、ヨーロッパ人と対等に競争でき
る能力がある、と考えるようになった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog198.html
72日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:20:13

■3.「日本なかりせば」■

 マハティールの世界観は、92年10月香港で開かれた欧州・
東アジア経済フォーラムでの演説「日本なかりせば」から窺い
知る事ができる。

 日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本
なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配
していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにし
か作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押
しつけられていただろう。・・・

 貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手
が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定され
る。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。
・・・
73日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:21:39
 南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工
業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い
労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せ
ざるをえなかったからにほかならない。日本との競争がな
ければ、開発途上国への投資はなかった。・・・

 また日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東
アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロ
ッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打
ちできないと信じ続けていただろう。・・・

 もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していた
だろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますま
す貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨー
ロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシア
のような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工
業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。[4]
74日本@名無史さん:2006/08/14(月) 15:28:55
結局は、欧米帝国主義に、
日本というアジアの帝国主義が増えただけだった
Byネルー
75日本@名無史さん:2006/08/14(月) 17:16:11
それがわからんのです、エロい人は
76日本@名無史さん:2006/08/14(月) 17:49:42
私の曽祖父の弟さんは、敗色濃厚の昭和19年、比島のいわゆる「シベ超方面軍」の
軍直属の大隊長だったとのこと。当人は無事復員しましたが、部下はほとんど全滅
状態だったとのことです。
77日本@名無史さん:2006/08/15(火) 08:57:29
小泉靖国参拝。
天皇がまたまた行きづらくなる。
国賊小泉と靖国に鉄槌を!
78日本@名無史さん:2006/08/15(火) 18:56:52
7:巨額のカネを稼いだ慰安婦の実態]

平成4年に韓国の元従軍慰安婦の文玉珠が起こした、「戦時郵便貯金の払い戻し請求
訴訟」別名下関裁判というのをご存じですか?。彼女は戦時中にビルマで従軍慰安婦を
して貯めた26,245円を郵便貯金にしていましたが、後にその中から5,000円を
朝鮮の実家に送り、敗戦後の混乱の中で預金通帳を紛失してしまい、昭和40年に預金
は失効しました。それを27年後の平成4年になって預金の払い戻しを国に要求したの
です。勿論元慰安婦個人ができる裁判ではありません。そこには例によって元従軍慰安婦
を「だし」に使い日本の威信失墜を図る反日左翼主義者たちが裁判の筋書きを書き、
彼女はそれに原告として利用されただけでした。戦時中の大卒の初任給が
100円から150円の時代に26,000円の貯金とは、その金があれば当時東京でも
家が何軒も買えた大金でした。
79日本@名無史さん:2006/08/15(火) 18:59:06
裁判の過程で明らかにされたことは、彼女が僅か2年半の間にこのカネを稼いだという
ことでした。つまり30か月で2万6千円を貯金したので、毎月870円も貯金したこ
とになります。大東亜戦争陸軍給与令(昭和18年)によれば、最下級の2等兵の月給
は7円50銭で、下士官である軍曹が23円〜30円、戦地手当を含めると約2倍に
なったので、当時の兵士の収入を平均すると月額30円程度でした。彼女はその30倍
も稼いだわけです。それだけではありません、陸軍中将の年俸でも5,800円でしたから
彼女は在ビルマ日本軍最高指揮官よりも、多く稼いでいたことにになります。

80日本@名無史さん:2006/08/15(火) 19:01:38
反日左翼主義者による従来からの主張によれば、強制連行され性的奴隷のはずの
従軍慰安婦が、それ程の大金を貯金できる身分であったことが公の場で初めて
明らかになりました。裁判によって朝鮮人慰安婦の実体が偏向マスコミや反日左翼
の主張とは大きく異なっていたことが分かり、彼らにとって正に「ヤブ蛇」になりました。
悔し紛れに彼女達には行動の自由が制限されていたと反論する者もいましたが、
兵隊でも看護婦でも戦地では同じ様に行動制限がありました。例によって朝日新聞は
裁判の過程で明らかになった、慰安婦が稼ぎ貯金した巨額の金額についての報道を
一切しませんでした。偏向新聞の購読者は、朝日の主張に沿って洗脳されるのです。
81日本@名無史さん:2006/08/15(火) 19:04:53
注:)米国、国立公文書館の慰安婦に関する資料

捕虜にした朝鮮人従軍慰安婦について米軍が聞き取り調査をした記録が、
戦争情報局関係資料、心理戦チーム報告書 No.49、ビルマ(1944年
10月1日)に記載されています。

[募集]
1942年(昭和17年)5月、日本人の業者が朝鮮半島に赴き、東南アジア
における「軍慰安業務」のためとして女性を募集した。高収入、家族の
借金返済のための好機、軽労働等の宣伝に応じて多くの女子が慰安婦業務に
応募し、200〜300円の前払い報酬を受領した。
82日本@名無史さん:2006/08/15(火) 19:08:36
[日常生活]
(原告の文玉珠も生活していた)ビルマのミートキーナにおいては、
通常二階建ての大きな建物に住んでおり、一人一部屋を与えられていた。
食事は経営者が用意したものであった。食事や生活用品はそれほど
切り詰められていたわけでもなく、彼女らは金を多くもっていたので、
欲しいものを買うことができた。兵士からの贈り物に加えて、
衣類、靴、タバコ、化粧品を買うことができた。
ビルマにいる間、彼女らは(日本軍)将兵と共にスポーツをして楽しんだり、
ピクニックや娯楽、夕食会に参加した。彼女らは蓄音機(レコード・プレーヤー)
を持っており、町に買い物に出ることを許されていた。
83日本@名無史さん:2006/08/15(火) 19:52:02
へ〜〜〜っ
84日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:16:31
加害者の弁明より被害者の言葉を信じるよ
匿名で変なプロパガンダしてる人よりも堂々と公の場に出てくる人の方が責任が重いから
陰口のような陰湿さが嫌い
85日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:17:27
誰が加害者で、誰が被害者?
86日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:44:57
当然被害者は日本軍、日本国民、サヨ勢力の捏造に振り回されるよ。まったく
なんなんだろうな、一生懸命捏造写真作ったり、にせ証人呼んで来たり
脳内妄想史観??
87日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:48:02
プロパガンダ用の捏造写真とか、実に陰湿で嫌い。
88日本@名無史さん:2006/08/15(火) 21:34:12
世界中の共産圏、で良く使う手口だな。プロパガンダ映画の一部から
証拠写真発見とかでニュースに流したり、本物だせば済む事だろ
陰口のような陰湿さが嫌い だよ、どうどうとやれよまったく。
89日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:27:06
1942年(昭和17)2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、
150年におよんだイギリスのマレー支配は終わりを告げたのです。
フランスのドゴール将軍はこの日の日記に「シンガポールの陥落は
白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する。」と記しています。
90日本@名無史さん:2006/08/17(木) 19:43:39
age
91日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:18:03
>>90
痛い自作自演をあげてもねえ..

価値のないコピー人間のレベルに見合う板で相手してもらえ
92日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:30:23
確かに中国人にとっては価値のない文章だろうな・・
93日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:34:07
>スサノオは、黄泉国に行く前に、姉のアマテラスに別れの挨拶をしようと天上に昇る。
>スサノオが天に昇るとき、海は轟きわたり、山も鳴りひびいた。このあまりの猛々しい登場ぶりに、
>アマテラスは、スサノオが国を奪いに来たのかと男の姿で武装してのぞむ。

★日本神話におけるアマテラスとスサノオの関係★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1067010993/148-150

古代日本の二大勢力、日向族と出雲族の戦争が、神話に投影されている。

>スサノオの行いがひどかった。
>アマテラスが機殿で神衣を織っているところに、屋根に穴を開けて皮を剥いだ馬を投げ入れるという
>スサノオの暴挙に対し、それまで我慢していたアマテラスもとうとう怒る。
>アマテラスは天の岩屋戸に閉じこもり、世界は暗闇につつまれてしまう。

スサノオが日本神話の中で、アマテラス(日向族の神)を困らせる悪神にされているのは、
この神話を書いた日向族が、ツクヨミのエピソードを、スサノオのエピソードに書き変えた
せいでもあるが、戦勝部族である日向族が、敗戦部族である出雲族の神=スサノオを、
神話の中で意図的に悪役として描いたためである。
アメリカ軍占領下の日本で、日本人を悪者扱いする<歴史教育>が行われたのと同じことである。
94日本@名無史さん:2006/09/02(土) 13:11:15
age
95日本@名無史さん:2006/09/04(月) 22:13:15
自民党支持者がつくる美しいコンクリートの国へ  〜愛国と売国は同じ物〜
日本の自然破壊は凄まじい。森は無くなり川は埋められ動植物も根絶やしになった。
漁業でも海の魚を根絶やしにした。山には大量のゴミを捨てる。
日本を愛せない奴は日本に住むなと主張する人がやっているのである。
自民党が国か?東京の自然破壊を地方に押し付けるのが愛国なのだろうか?
儒教のアジア人には公共心は無い。よって自分の利益の為に平気で迷惑をかける。
ロシアでは「日本に北方領土を返還すると自然が破壊される」と警戒している程だ。
96日本@名無史さん:2006/09/16(土) 02:36:50
遺品から週報なるものが出てきた。
内閣印刷局印刷発行?週報は民翼賛の道しるべ??漢字が読めないwww

通風塔ってのは読者投稿欄なんかな?俺は学識ないが、読んでてワロス。

 酔っぱらひ追放

毎夜醉漢の見苦しい姿に幻滅を感ずる一夜間女學生でございます。
 あのやうな淺ましい姿が恥辱であることさへ知らぬ人達、果して深刻な現局を識つてゐるのでございませうか。
同じ皇國に生を享けた兵隊さんが、最後の血の一滴までもお國に捧げてをられるとき、銃後の男が聞くに堪へない雑言を口走つてゐてもよいのでせうか。
悲しいことでございます。
 血の汗を流して戦つてをられる前線の勇士方に、銃後の姿をなんとお知らせしたらよろしいでせう。
「酒に呑まれてゐる愚かなる者よ、犬に喰はれて死んでしまへ」
と私はいつも心の中で醉漢に怒鳴ってゐます。
(仙台市 一女學生)

 ハイヒールをやめよう

防空服装日以来、女子のズボン着用が眼に見へて増えて来た。決戦下の今日、まことに結構なことだ。
 しかし、依然としてハイヒールの靴をはいてゐる者の多いのは残念だ。あれはいけない。イザといふ時にハイヒールでは、走つたり、登つたり出来るものではない。
 それに医者の話によると、生理的にもよくないとのことた。ハイヒールをやめよう。
(?桶生)
97日本@名無史さん:2006/09/16(土) 02:46:34
昭和18年、情報局編集、週報より。
いつの時代も人間の本質は似たようなもんだなwwwwwwwwww
98日本@名無史さん:2006/09/16(土) 02:49:10
あげ
99日本@名無史さん:2006/09/16(土) 05:31:50
前線の兵隊さんだって暇だったら酒飲んで女学生なんぞが聞けば卒倒
しそうな雑言をおめきちらしていましたが何か?
100日本@名無史さん:2006/09/25(月) 13:15:27
人の心はいつの時代も変わらないな。
101イランジン:2006/10/15(日) 15:06:25
26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/23(土) 15:42:59 ID:K93cWbPT0
>>23
それって天皇は世界のツートップの一人説(もう一人はローマ法王)の根拠ですよね。
でも、ホワイトタイで迎えたからってそれが天皇が世界で一番偉いという理由にはならないですよ。
敬意を払われることと偉いことは別の話です。
アメリカと日本の関係が良好であることが要因の一つです。


27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/26(火) 09:02:17 ID:fdEZSwCo0
神話で素性ごまかしてるのは
どこかの将軍様と同じだと
どうしててわからないの?
洗脳されてるのに。
102日本@名無史さん:2006/10/15(日) 22:24:31

反日なのは「特定アジア三国」(中国、韓国、北朝鮮)だけ。

特定アジア三国=アジア全体ではないから。

団塊の世代は洗脳されてしまっているようだが。

http://www.jiyuu-shikan.org/
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/asia/A03.html
103イランジン:2006/10/16(月) 03:45:41


235 :実習生さん :2006/10/16(月) 00:09:02 ID:f4wlkUgy
>>219
>皇室=日本人だ。

おやおや、テンコロ(天皇)一族は、朝鮮系ですよ。
民族意識を養う民族教育の見地から見ても、テンコロは教育にとって有害ですね。



236 :実習生さん :2006/10/16(月) 00:12:44 ID:f4wlkUgy
>>220
>お前が正しくても、小隊の動きにまで口を出したヒトラー並じゃない。

とうとう、天皇が侵略戦争の超A級戦犯である「大元帥」と認めましたか。
小口を叩いていても、結局、軍からは馬鹿にされ暗殺未遂まで起こし不信感を持たれていたドイツ軍とは違って、
天皇は「大元帥」「現人神」などという絶対的権威と権力でもって軍を統制していた。
天皇の方が問題は深刻だよ。
104イランジン:2006/10/16(月) 08:28:55
/ V! ハ.  /      `ヽ/   \|. |  | ||
   W レ//              |ト、|  | ||
从1   //                    || |   | ||
 |  .//─‐-  .、           __|| | N | ||
  W从i//ミ=テ示弌. ヽ   ,.ィ≦"´ || V .ゝIvフ|
  | | /  込ツ-‐       ヒzソ`ヽ. || トvヘ、l |.|
  | | |            ` ー‐' ,イ !.|  \j |
| | | |          l      /// |  | | |  皇室外交が政治的なイミのナイものだと
| | | |           、    /〃 |  |//
| |l | |            /    〃'  l  j//    みなさんわかってるハズですが?
| || | |.、     ー─‐‐     //    /  / /
ヽ.l| | | \          //   /  ./ /      ヒロヒトラーーとかよばれたり。
  .レ  |、  丶、     / / /   // / /
    |\   `7ー-<  ///   // / /
\.   |\ \  ハヽ. \ ` く//  // / /
\\ ヽ \ \! | }  ヽ //   // / /
105イランジン:2006/10/17(火) 08:55:25
218 :実習生さん :2006/10/14(土) 15:07:00 ID:fpek2ltJ
世界最古の歴史を誇る我が国の皇室。
その歴史は記紀の神話まで遡る。
皇室の歴史=日本の歴史と言っても過言ではないだろう。



こんなこと言ってるアホがいますが、実際は身内での殺し合いや、政治が安定してるときでも
享楽の限りを尽くして
国民から財産を収奪していた。これがホント。
106日本@名無史さん:2006/10/19(木) 17:26:01

     r「l l h         /        /
     | 、. !j        _
     ゝ .f       ,r'⌒  ⌒ヽ、 
     ,」  L_     f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ.    / / さっきのニュースでおれの
    ヾー‐' |     ゞ‐=H:=‐fー)r、)    / 資産 5800億円 と出たが
     |   じ、     ゙iー'・・ー' i.トソ  !少ないなイランジンもっと送れよ在日から
     \    \.     l、 r==i ,; |'     かき集めて送金してくれ松茸やるから 
      \   ノリ^ー->==__,..-‐ヘ__   /  /| /  おまえにも少し分けてやるよ
        \      |_/oヽ__/    \   /  |_ たいへんだろうけどがんばれ!
         ヽ__    |         \/  /  ヽ___
             |    |   O へ    \ /   /   /
             /   |       |\/  |   /   /
             |   |       |/| _ |  /__/
             |   |       |  「  \:"::/
             |  コ[□]ニ    |  ⌒ リ川/

107日本@名無史さん
アホイランジンはアク禁になりますた