会津ホロコースト政策について

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452日本@名無史さん
日露戦争時に、薩摩出身の将軍が一人、景気付けにそんなことを公言した。
しかしどこにもその話を証拠付けるものはない。

戦国期には、伊達葦名の戦争で両者が人肉を食らった記録なら存在している。
戊辰戦争時には、会津藩が「向こうは人肉を食らうそうだ」と盛んに噂を流し、
会津人は本気で信じていた。だが、現実に人肉を食らっていたのは会津の過去の人々であった。
453日本@名無史さん:2008/01/05(土) 22:14:10
いや、白河関のむこうの蛮地である福島では古来より人肉食の風習
があった。
有名な「安達が原の鬼婆」は福島県二本松市にある。

昭和平成の世になっても、原発反対派をトイレの浄化槽で水死させ
たり、母親の首や腕を切って持ち歩いたりする奇行の地である。
454日本@名無史さん:2008/01/05(土) 22:16:04
西南戦争の時に熊本あたりの軍夫が死体を掘り返して食おうとしたのを
政府軍の司契(後の主計官に相当?)が止めたととか言う証言はあるらしい。
455日本@名無史さん:2008/01/05(土) 22:19:43
薩摩兵人肉食いは津本陽の小説に出てきた
456日本@名無史さん:2008/01/06(日) 06:37:56
>>454小説お疲れちゃん。薩長土肥のアンチの見聞書って小説ばっかだなw