【男子禁制】大 奥 vol2【女の園】

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770日本@名無史さん:2008/05/03(土) 03:39:14
>>769

箕浦はな子は、おそらく現在見つかっている女中分限帳に出てくる御小姓の「はな」と同一人物。
分限帳では中臈になる前に退職しているんあよなあ・・・

佐々鎮子の女中名って何なんだろう?
771日本@名無史さん:2008/05/07(水) 07:12:28
>>770
知らなかったなあ。
いくつかの本で分限帳はいくつか見たことあるけど、箕浦はな子に気を留めなかった。
御中臈になる前に退職してるっていうのはなんで分かるの?
772日本@名無史さん:2008/05/07(水) 14:57:17
770・>>771・あるいは他の人でも

分限帳が掲載されている「書籍」名を、知っている限りご紹介して頂きたいです。
773日本@名無史さん:2008/05/07(水) 17:09:48
過去スレにあるお
774日本@名無史さん:2008/05/07(水) 18:57:00
偉そうでムカつくから教えたくない。
775日本@名無史さん:2008/05/10(土) 21:25:41
>>771

「はな」は文久二年の女中分限帳(「清華閣襍編 甲編 九」所収)で御小姓。
「清華閣襍編 甲編 十」に収録されている文久三年の大奥リストラの対象者リストに
はいっているのだが、そこでも身分は御小姓なのです。
776日本@名無史さん:2008/05/11(日) 00:25:48
>>775
分限帳の事は知らないけど、はなが退職に先立って中臈に昇進させて貰って、
その上ですぐに退職、だった可能性はないのでしょうか?
箕浦はな子が見栄を張って、最終職階を詐称できる為には、
同席の佐々鎮子に口裏を合わせて貰う必要があり、ちょっと困難だと思うけど。

清華閣襍編って、1点ものの古文書なのですか?
それとも地方の県立図書館でも閲覧できるような、刊行本ですか?
777日本@名無史さん:2008/05/11(日) 01:55:02
基本的に分限帳か給料出す側の記録だから
間際の昇進は給料に関わるので、ありえないでしょうね。
ただし、給料が御小姓並でも仕事は中臈みたいなことを
させられていた可能性はあり。
だから「旧事諮問録」では中臈扱いになっていたのかも。

「はな」の勤務の短さは「旧事諮問録」の証言に合っている。
病気がちで勤務がまともに出来なかったので
リストラの対象になった可能性はあるな。

「清華閣襍編」は国会図書館に小宮山綏介の写本がある一点ものじゃないかな?
778日本@名無史さん:2008/05/15(木) 19:45:10
幾島の出自がわかったことがニュースになってるね。

篤姫付老女「幾島」 薩摩藩士の娘、63歳で死去

http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=10654
779日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:16:55
実名や法名は分からないままなのかな。
にしても貴重な情報ありがとう。
780日本@名無史さん:2008/07/13(日) 05:15:33
勝海舟が語った天璋院の話がいろんな史料に出てくるけど
どれだけ信用できる?
語録は全体的に自慢話のようだから、話作ってるように
思えるんだけど・・・。
781日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:58:04
>>780

浜離宮での草履の件は天璋院が浜離宮へ行った記録がないことから
その場で目撃したという勝の日記はその部分は作り話と判っている。
782日本@名無史さん:2008/07/15(火) 16:23:07
一応大奥関連ってことで、「お養い」について訊きたいんだけど、
広大院何かは家斉の庶子を何人も養子にしているけれど、
浄観院も家定を始め家慶の庶子と養子縁組を結んだ事実はある?
天英院以降、将軍の子は皆正室の養子になったって説を聞いていたのに、
浄観院についてそういう記述を見たことがなかったから。
783日本@名無史さん:2008/07/15(火) 20:00:48
>>782

家定は誕生の翌年の文政八年に御廉中様御養となってから若君様の称号を得ている記述を見つけた。
「歴史読本臨時増刊 徳川将軍家人物総覧」上保国良稿。
原典はわからないけど、とりあえず。
784日本@名無史さん:2008/07/15(火) 22:59:25
>>783
ありがとうございます。
一応、ちゃんと養子縁組を結んでたんだ。
広大院くらい長生きしてたら、そういう記述がもう少し残っていたのかな。
785日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:01:22
>>770

佐々鎮子の女中名は「いし」
鳶魚の大岡ませ子の聞き取りで出てくる。
家慶→家定(御三之間→御次)→篤姫 と主人を替えている。

なお、鳶魚の聞き取りでませ子ははな子の旧事諮問録の幕臣の娘という出自を嘘で
名古屋の医者の娘と言っているが、女中分限では幕臣の養女になっている。
ませ子は実家の情報しか知らなかったらしい。
786日本@名無史さん:2008/07/30(水) 09:08:36
tes
787日本@名無史さん:2008/08/01(金) 13:19:48
家慶の十三男斉信院って生母不詳のようなんだけど、本当にわからないのかな。
788日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:28:17
>>787

当時は愛妾はおひろの方が独占していたからねえ。

鳶魚の聞き取りに出てくる子どもを産んだけどすく亡くした
家慶側室の「ちゑ」は記録に残って無いのでこれが相当するか?
789日本@名無史さん:2008/08/01(金) 17:13:28
>>788
「ちゑ」? そんな人もいるんだ。自分が知ってるのは主だった人だけで、
定、加久、美津、波奈、筆、金、琴(広)、津由、よきの九人。
斉信院が生まれた嘉永二年当時、美津、波奈は御褥御免、定、加久、筆、金は既に死没、
津由、よきは生年等不明だけど子供産んだ記録なしで、琴かとも思ったけど
家慶の愛妾の数は十六人とも云われてるから、そのちゑかもしれないね。
子供産んだなら記録に残りそうな気もするけど。
790日本@名無史さん:2008/08/04(月) 18:55:29
広大院って家斉との婚約中、近衛家の養女になるまで「御縁女様」と
呼ばれていたんだっけ。
その後の楽宮や有君は江戸下向から縁組発表まで年月があるけどこの間
何て呼ばれていたんだろう。正式に縁組が調うまで「姫君様」ではないよね。
791日本@名無史さん:2008/08/05(火) 10:48:02
>>789

家慶の側室では同じく記録に残って無い妊娠中に死んだ「そで」という中臈もいるらしいね。

鳶魚の記述では、家慶の隠し子を産んだ女芸人の坂東兼治(松村ぎん)もいたな。
792日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:19:08
お津由の方が子を成していないというのは少し疑問が残るかなあ。
確かに出産の記録は幕府祚胤伝や徳川幕府諸家に記述されてないけど
この時代の子を持たない側室(御手付御中臈)が将軍家菩提寺に埋葬されるのって例がない。
お津由が出産していないってのは何かに記録されてることなんだっけ?

本によっては斉信院の母をお津由だとするものもあるね。
793日本@名無史さん:2008/08/16(土) 00:42:23
>>792
確かに出産した記録が無い=出産していないという事にはならないかも。
少なくとも自分はお津由が出産していないという記録は見たことは無い。

ちょっと気になるのはお津由の死没は明治に入ってからで、また家慶生母
お楽が大叔母、慶昌を産んだ家慶側室お定が伯母にあたることかな。

まあお津由が子を産んだ可能性もあるわけだし、その斉信院の母をお津由
としている本、もし題名などがわかるようなら教えてくれるとありがたい。
794日本@名無史さん:2008/10/05(日) 00:07:23
「清華閣襍編 甲 九巻」の中から天璋院様附女中分限帳の部分を複写してもらったんだが、
「はな」の名前が御小姓にも御中揩ノも見つからない・・・。
「いし」の名前は見つけたけど「御殿女中」の大岡ませ子の名前すら見つけられないし。

もしかしてみんなが言ってる「分限帳」って別の部分だったのかな?
それとも落丁してる・・・?
795日本@名無史さん:2008/10/06(月) 11:28:26
>>794

「はな」が御小姓として載っているのは、退職女中の名前が載っている文久二年版の女中分限帳のほうだよ。

「ませ」の名前が出ている分限帳は井伊家文書に収録されている分限帳のほうじゃなかったかな?
796日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:02:22
age
797日本@名無史さん:2009/01/11(日) 08:11:55
age
798日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:08:33
いくら女好きでも年中じゃ・・・
その気になった時だけだったら

女にとっては受動的な性格の人ならなんとか全うできるかも知れないが・・・

AV好きな俺には興味しんしん
女同士の愛憎(レズ、SM)、オナニーetc
799日本@名無史さん:2009/03/28(土) 23:29:02
あげ
800日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:33:10
800
801日本@名無史さん:2009/06/13(土) 02:48:57
保守
802日本@名無史さん:2009/06/14(日) 08:16:07
いまやパクリ作家としか思えない鈴木由紀子氏、
「大奥」小説を再び上梓www
803日本@名無史さん:2009/06/14(日) 23:00:33
女でも同性ばかりという空間は気持ち悪いと思うが?
804日本@名無史さん:2009/06/15(月) 20:12:54
毎日男である将軍が来るから同性ばかりではないよ
大奥でとまらない日でも毎朝御台所と一緒に先祖の位牌に手を合わせないといけないから
毎日大奥に来ていた

日本なんて永らく夜以外は大奥以外でも男女別に生活してたしね。
男は出勤登城、奥方は侍女たちと家のやりくり。
町人たちだって、昼間は奥さん同士が洗濯しながら旦那のぐち言ったりして井戸端会議してたでしょ。
805日本@名無史さん:2009/06/19(金) 14:34:37
毎朝の仏間での礼拝のために将軍が大奥に入ってくるのは当然のことだし
だからといって、その将軍一人以外の男は(例外もあるが、滅多に)
大奥にははいってこれないのだから、「女ばかりの空間」という認識で
良いのだと思うが。
将軍の影さえ拝めないようなお目見え以下も、大奥には多数いたのだし。

あっ、でもお広敷の役人やごさいやご用商人と顔をあわせられる身分もいるな。
806日本@名無史さん:2009/06/19(金) 23:34:04
オウム真理教にも大奥がありまして
麻原は正室に六人、側室に六人
ほかにも2,3人は子供があったようです

麻原は風呂に入るとき、愛人に体を洗わせていたらしい
807日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:07:51
祖心尼の影の薄さについて
春日局亡き後〜家光の死まで大奥を仕切っていたらしいのに影が薄いのはなぜ?
808日本@名無史さん:2009/08/25(火) 23:25:12
新宿の済松寺に行って聞いてきたらwww

春日局の縁者ではあるけれど、
祖心尼はその禅知識を家光に信頼されていたんだし、
尼僧でもあり自我を派手に出す型ではなかったんじゃないの。

で、派手な逸話もないので後世にもの好きな脚色もされず
講談や小説のネタにされなかったので、知名度が薄い。
809日本@名無史さん:2009/11/07(土) 13:22:42
お万の方って家宣の時代まで生きてるんだな
いつまで大奥にいたんだろう
810日本@名無史さん:2009/12/13(日) 02:46:41
>>809
明暦の大火の時まで
811日本@名無史さん:2010/02/09(火) 22:12:10
保守
812日本@名無史さん:2010/03/11(木) 23:19:08
みんな処女なのか
813日本@名無史さん:2010/03/26(金) 19:51:44
さあ
814日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:30:13
>>807
祖心尼は、春日局の生前にすでに、大奥出仕は退いて、
済松寺の開基・初代住職となっているよ。
815日本@名無史さん:2010/06/08(火) 21:21:39
吉宗の代に解雇された女達はちゃんと結婚できたのか?
816日本@名無史さん:2010/06/08(火) 22:10:34
>>815
大体結婚できたんじゃないの。

又者じゃなくて正式の奥女中だから、実家は大体貧乏旗本・御家人だろうけど、
まあ結婚適齢期内で、美人の折紙が付けられていて、大奥奉公修業経験があって、
持参金となる退職金を持っていて、大奥に残った同僚などとの将来コネもある。

実家と同じような階級で、もっと上格の家から、縁談が降るようにあったのでは。
817日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:04:20
今、官公庁も大奥のお局みたいな女が沢山いるね。
818日本@名無史さん:2010/06/15(火) 13:12:17
大奥が吉原の話だと思ってる奴がいてワロタ
819日本@名無史さん
官公庁が大奥化している。あの立派なお着物の財源はどこにあったの?