弥生人は朝鮮半島に定着しなかった北方アジア人

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1日本@名無史さん

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人  5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
2日本@名無史さん:2006/06/10(土) 21:51:57
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あはははははは。 チョンはカラッポ!
3日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:12:52
チョン半島を捨てて来たとは、
とても優秀な人達ですね。
4日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:34:07
捨てて来たと言うほどお世話になってないし、
愛着なんかサラサラありませんよ。

ただただ通過しただけなんです。
5日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:22:43
>大陸から電光石火の勢いで半島を南下して列島に渡来する事は、
>不可能だ。


ここが落とし穴。単なる先入観。

江戸の飛脚は江戸〜大阪間をたったの3日間で結んでいたのだよ。

江戸〜大阪間というのは朝鮮半島の南北の距離と同じくらいの距離だ。

渡来人は朝鮮半島に滞留する事なく半島南岸まで辿り着いた。
6日本@名無史さん:2006/06/12(月) 17:45:32


例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。

http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm

中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが

7日本@名無史さん:2006/06/12(月) 18:08:39
モンゴルより日本の方が多いということは日本からモンゴルへ進出したと
考える方が自然ではないか?
8日本@名無史さん:2006/06/12(月) 19:44:51
日本列島よりも住み心地の悪い朝鮮半島に渡ってから、
更に住み難い満州、モンゴル高原に向かって突進し続けたのか。
そいつらって全員B型なんじゃないのか?
9日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:50:55
当然
10日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:39:52
モンゴルも朝鮮も中国も同じだし、どれも、キモイし、おぞましい。

関西人が、他の日本地域と異なる人種集団である以上は、
日本人とは別の人種であることは明らかなわけで。

関西人=渡来人ではない、
日本土着であり、モンゴルや朝鮮や中国は関西人の支流であるという考え方もできますが、
発掘結果はそうではない。

日本人とは別の人種=ビビンバ・ニダー

それと関西人が現実問題、
縄文系の強い東国・九州・アイヌ・沖縄や、
白人・コーカソイドなどより人種的にかっこよければ無問題ですが、
細くて一重の目、頬が突き出て平べったい顔、絶壁頭などなど、はっきりいって醜い。
日本社会には不要な民族なのですよ。

必死になってモンゴルだと主張しても、日本には関西人=ブサイク・ビビンバ・ニダーは不要。

祖国モンゴルなり、朝鮮なり、中国なりに帰っていただきたい。
11日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:44:59
>>5
無理。

馬を使えば、徒歩のおよそ5倍以上の移動力を発揮する可能性があるが、
「徒歩」で一族郎党を引き連れて民族大移動する場合は難しいと思うが。
騎馬民族が馬を使って怒濤の勢いで移動したとして、馬はどうするのだ?
乗り捨てか?女子供年寄りをゾロゾロつれて移動する場合には、ある程度の
定着が常識だと思うが?
12日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:49:12
>>10
工作員?!

関西人は、頬骨は出てないと思った。
まっ四角で眉毛薄い顔じゃないね。
いわば「弥生顔」。
薄いのは京都・奈良。和歌山、三重は濃そう。
四国は、文句なく濃いです。
13日本@名無史さん:2006/06/13(火) 12:47:35
>>11
おまえ飛脚を知らんのか?

それに>>5のどこに騎馬民族が来たと書いてあるの?

それにシベリアに馬おるんか?
14日本@名無史さん:2006/06/13(火) 13:26:27
>>13
馬でなければ、徒歩ではなお無理だべ。
年寄り・子供・女・病人抱えて、どうやって南端まで、
プロの飛脚みたいに3日で進むだよ?
それとも、陸の上、船で移動するのが?
南端まで行くのに、他の民族が邪魔するべ。
場合によっては、殺されるべ。
死にたくないべ。

弥生人は騎馬民族ではねぇ。強いて言えばお百姓だ。
だから、おめぇの仮説は成り立ちがたいだよ。
馬に乗らねぇ、お百姓にどんなパワーがあるだ?
15日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:35:37
じゃあ、フヨワイ高句麗その他北方民族はどうやって朝鮮半島に
侵入したの?

飛脚で3日はたとえだ。

飛脚で3日なんだから、普通の人は数ヶ月もあれば朝鮮半島なんか余裕で
突き抜けられるという事さ。

それに渡来人は青銅器を持ち込んだ好戦的な人たちだよ。
16日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:39:48
韓国人の姓名について質問です。
古代においての朝鮮半島からの渡来人の名前は「画部因斬羅我」や「医博士奈率王有僚陀」など長い姓名が多いです。
しかし、いつの時期から中国風の「李」「金」「朴」などの一字姓に変わっています。
なぜ韓国の伝統ある姓を捨てて、中国化したのでしょうか?

姓名を変えるということは、古くからあるオリジナルの文化を捨てることです。
今でいうならば、日本人が「田中」や「佐藤」を捨てて、「ブッシュ」や「ラムズフェルト」に変えるということです。
よく考えると滑稽です。

当時の朝鮮人はなぜ独自の文化を捨ててまで、中国のご機嫌を伺う必要があったのでしょうか?

新羅が半島統一してから急速に中国化が進んだとありましたが、なぜ新羅は独自の文化を捨てて中国化を進める政策をとったのでしょうか?


17日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:30:20
中国が滅亡したら朝鮮人は「民族固有の姓名を中国に奪われた」とか言い始めるんだよ、きっと
18日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:54:29
>>15
扶余も高句麗も、もろに遊牧ないし騎馬民族だべ。
倭人は、お百姓か漁師だ。
それから、青銅器を持ち込んで何が好戦的なのか
俺にはわがらねぇ。
だいたい「持ち込む」つうのは、現地生産して初めて
「技術を持ち込んだ」「技術を移転した」て事になる
んだべ。
銅見つけて現地生産して、広く広まって、時間もかか
るべ。隣の国から貰ってくるのとはわけが違う。

昔は今と違って古代は、何でもボタン一つでパパと
できる訳じゃねえんだ。青銅器一つ作るのにも、腕の
確かな職人やらなんやら、色々と準備が大変なんだべ。
19日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:02:21
騎馬民族なんて概念を払拭出来ていない時点で電波
20日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:14:21
>>19
そうでねぇ、徒歩で移動するには時間がかかる。
馬に乗ったんでなければ、ますます時間はかかって
当然だって言ってるんだ。
21日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:35:07

弥生人って外見的に
 男=小泉首相, 女=由紀さおり、
のみで構成されていた人種と考えて良いですか?

22日本@名無史さん:2006/06/14(水) 06:52:09
>>15
縄文人も、渡来系弥生人も、
弥生時代は、土器・石器をつくって生活してたんだよ。

石器に使われていた石は、「サヌカイト」という石だった事が判明している。

まー、当時は、どっちも原住民レベル・土人レベルだな。低レベル。


http://www.city.sakaide.kagawa.jp/local/sanukite.html
23日本@名無史さん:2006/06/14(水) 10:19:00
ところで、三内丸山や桜町なんかの高床式建物(一部)はなんなんだろう?
優秀な縄文人が突然ハイテクに目覚めて、腕を振るいだしたのか、
それとも、外部(大陸)などとの接触によって作り始めたのだろうか?
独自に発明したとしたら、かなり有能だ。
24日本@名無史さん

◎弥生土器の技術の伝播

 紀元前1000年紀には、無文土器が主流となった。この時代は、朝鮮半島における
青銅器時代とほぼ一致する。文様がないか、あるいはあってもごく少ない赤褐色の
平底の土器である。成形にはまだ轆轤の使用は見られず、手捏ねか輪積みによるもの
がほとんどである。分布は、中国の東北地方、西は遼河から東は黒龍江・松花江に
またがる地方と深いつながりを持ち、櫛目文土器文化とは違った文化圏が形成されて
いたことがわかる。そしてこの無文土器は、さらに東に伝わり、わが国の弥生土器の
母胎ともなった。
http://www.moco.or.jp/jp/intro/intro_3/intro_3b.html

注目に値するのは,アムールの早期鉄器時代の土器が,日本の弥生文化の土器
と類似していることである。学者たちは,大陸と日本列島の間に交流が存在した
と見なしている。
http://www.geocities.jp/putniki/amur/zatsugaku/archeology.htm