邪馬台国畿内説論者同士で議論を深めませんか。どうも、
九州論者が入ってくると話が拡散して、何時まで経っても
同じ処を堂々巡りしてしまうように感じます。
過去スレは
>>2
「倭人伝」に出てくる国々の位置・行程
狗邪韓国(現金海)→南千余里・対馬国(現対馬島)→南千余里・一支国(現壱岐島)→千余里・末廬国
(現唐津){ここまで水行}→東南五百里・伊都国(現前原)→東南百里・奴国(現春日)→東百里・不彌
国(現飯塚){ここまで陸行}→南水行二十日・投馬国(瀬戸内沿岸だと一応鞆が候補?山陰
では投馬ーツマーヅモー出雲と言われるが疑問。)→南水行十日陸行一月・邪馬台国(現巻向)
傍国:わからない国名が多いが、考えられる物をいくつか。
斯馬国・肝炎に「伊都に届り、傍ら、斯馬に連なる」とあるのを根拠に、前原の隣の現志摩町だと考えられ
る。
鬼国・おそらく、紀伊のこと。音は一応一致する。他にも九州のキイ郡も可能性はある。
支惟国・上記の紀伊・キイ郡が候補地。
彌奴国・三根郡が候補地だと思われる。(あくまで推測)
倭の政治体制について
「魏志」には、倭国の官が五種類出てきます。「大官(官)・副・大夫・大倭・一大率」です。
ここでは統治機構について。
邪馬台国時代に、各国に王が存在した可能性は低いと思います。(伊都国・狗奴国は別)
根拠としてはやはり前半の行程に出てくる国々に「王がいる」と書かれていないことです。
よって、伊都国・狗奴国以外は「大官」が国の中で一番偉かったのではないでしょうか。
しかし、卑弥呼を「共立」したとき、伊都の「王」と「大官」の地位で対等に話し合えた
のだろうかという疑問が生じます。ここからは推測ですが、九州の「王」たちは、卑弥呼
共立と同時に、「対外的な地位」のみ下げられたのかもしれません。各々の領域内での権
威はさして変わらなかった。だから邪馬台国の勢力は、北九州の勢力を押さえるために、
伊都国に「王」を残し、軍事的には「一大率」を配置した。この推論の形は、北九州では
二重権力に近いです。おそらく宗教的な権威などは「倭王」に求め、実際には各国がほぼ
均等な力を持っていた。邪馬台国時代は、こんな構造だったのではないでしょうか?そこで国の統治機構。
倭王
|<伊都国王
大官
|
副
また前スレ617氏の意見、「伊都国にわざわざ王がいたと記載されている
のは、中国に遣使した帥升の係累であったためだろう。おそらくヒラバルの
王権が最初、後漢のバックアップで倭国王としての権威を保持していたという
歴史を物語っているためでは?」には禿胴です。
畿内・九州言う前に、基本的な事が解っとらんちゅう事だす。
6 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/09(金) 00:05:45
行程を書いても位置や規模を無視しちょる
これじゃあチリ志じゃあない。比定する以前の問題だよ
>>3 >不彌國(現飯塚)
>>なぜにここから水行二十日等という、今までとは掛け離れた数値になる。
その場凌ぎで、先に繋がらない理由は、単なるコジツケだぞい
9 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 12:06:45
音が一致しているから、と言う理由であれば、
何処でも有りになってしまいます。
文献のみの研究では各国の正しい位置特定は不可能。
考古学の方も十分に勉強し、
考古学的な裏付けを付ける事が最低必要です。
本気で、倭人伝を解明したいのであれば、
先ずは、緒先輩方の書かれた3世紀〜4世紀の、
考古学と倭人伝に関する論文を全て読まれる事です。
そうすれば、自分の言ってる事の間違い、
(傍連「斯馬」=「斯馬国」はありえない)
等も、おのずと解ることと思います。
>>8 僕は放射式の読みをしないから不彌国から投馬国まで水行二十日と書いたまでです。
>>9 そういう自分はすべてに目を通したのですか?僕は勿論していませんが現志摩町に候補?になりそうな遺跡はあります。
11 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/09(金) 12:37:47
先学には斯馬を三重にした人もいるみたいですがこちらの方が変だと思いませんか?9氏。
>>9 >遺跡・考古学・諸先輩の書籍
>>そげんなものいらん
原文と辞書さえあれば十分間に合う。
多様な無駄な知識を詰め込んだ所で、得るもななどなぁ〜んにも無い。ただただ頭の中でパニクルのが関の山
>>10 >放射式
そがいな事何処に書いてるん? ホレみぃ 余計な知識が邪魔してるう
そがいな単語覚える必要ナシ原文だけで十分じゃ
13 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 13:43:43
↑夜郎自大の典型ですな。(',_ゝ`)プッ
主要な国の遺跡の比定
対馬国・・・三根遺跡 一支国・・・原の辻遺跡 マツラ国・・・久里天園遺跡
伊都国・・・三雲遺跡 奴国・・・須玖遺跡群 不彌国・・・?(首長の存在
を伺わせる遺跡としては光正寺古墳)投馬国・・・? 邪馬台国・・・纏向遺跡
>>1 主
このスレに参加すると、新しいパターンでも見つけることが出来るのか。
それとも『何処何処の誰かさんは、著書の中でコレコレこういうふうに言ってたので、***だ。』と、
こんなくだらねぇやり取りじゃあねえよなぁ
>>15 遺跡の情報は他人から評価はなるべく自分で、ができればよいかなと
>>17 それがいかっぺ
自分の頭で考えないと何時しか頭ん中くさっちゃがんな
鼻糞掘りの研究するなら、纏向なんて掘ってねぇで柳井でも掘った方が
ず〜っと役に立つ 嘘じゃねぇよ 騙されたと思って深く鼻糞でも掘ってみな
【これは、お邪魔した礼だよ …マジれす…】
腐った頭でも何か考えてみるのは善いことだが、
「考える」と言うことの意味が解らなければどうしようも無いな。
20 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/10(土) 17:43:34
後 言い忘れたけど
俺の出没心配は無用だよ!せいぜい出没した所で週1〜2というところだ。
もう 余り“2ちゃん”に興味ワカナイし
無記名掲示板はゴメンだよ。無記名“2ちゃん”は、チラシの裏用に利用するのがベストだね!
デハデハ!
正直、ぷは安本厨よりも邪魔と感じる今日この頃です。
そうですか
では 仕方ない 不本意ですが暫く常駐しますか!
>>20 お前のツマラナい文章を読まされる人間の身にもなれw
所詮、誰からも必要とされていないんだから、大人しく消えれば?
>>22 堂々のアラシ宣言でつね。
そうですか、そうですか。
やるからには覚悟しなさいよw
>>24 なるほど
そのようにアラシ行為を誘発させるやり方ですね!
“その手は桑名のアンルイス”
バイバイ!
>>25 誰もお前に来て欲しいとは思ってない。
むしろ、存在ごと消えて欲しいくらいだ。
27 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:31:29
プラム ◆RvhHf7kqyY :=安曇連浜子 ◆M2clACoxQA =圭角
29 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 19:49:09
みんな、もちろん奈良へ見学くらいいったんだろうね?
奈良ってすごいド田舎なんだよ。
いくら3世紀でも、こんなところに首都置いて、西日本全部を支配できるわけないっての。
一度くらい行って見るといいよ。
巻向あたりの電車も、1時間に1本しか走ってないんだぜ。
逆立ちしたって北九州には勝てない罠。
現代の基準で考えるの
は止めれw
四国です!
32 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 03:21:44
つーか有名な大和三山の話が記紀に全く出て来ないのが問題だ
古事記日本書紀は大和三山を知らない者が書いた歴史書だよ
33 :
太国:2006/06/13(火) 10:27:00
古事記に
「天香山の眞男鹿の肩を内抜きに抜きて、天香山の天の波波迦を取りて、占へ
まかなはしめて、天香山の五百津眞賢木を根こじにこじて云々〜」
とあるが?
諏訪説
>>33 その話は高天原神話の天岩戸のくだりに出てくる山の方。
つまり、本物(天上界の)の香久山。
実在する大和三山の一つとは、ちょいと違いますね。
確かに、万葉集ではとても人気の山なのに古事記では不人気ですね。
出雲だよーん、大川説を支持します。
37 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 06:10:06
崇神天皇十年九月壬子
吾聞。武埴安彦之妻吾田媛、密來之取倭香山土。
神武天皇即位前紀戊午年九月戊辰
是夜自祈而寢、夢、有天神訓之曰「宜取天香山社中土」。
齊明天皇二年是歳
時好興事。迺使水工穿渠。自香山西至石上山。
皇極天皇三年十一月
大臣使長直於大丹穗山造桙削寺、更起家於畝傍山東。
舒明天皇即位前紀
於是、一尼嫉妬令顯。圍寺將捕。乃出之入畝傍山。(中略)時人歌曰「干泥備椰摩。(後略)」
神武天皇二年二月乙巳
亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地。今號來目邑。
允恭天皇四二年十一月
爰新羅人恒愛京城傍耳成山・畝傍山。
推古天皇九年五月
天皇居于耳梨行宮。是時大雨。河水漂蕩、滿于宮庭。
38 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 14:25:58
巻向
39 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 17:49:16
巻向に有らず
宇佐!宇佐!
琉球ですよ。間違いありません。
41 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 20:51:14
>>40 それは倭の南端《會稽東冶之東》詰まり
沖縄《計“其”》
ぷ、シツコイナ
沖縄には卑弥呼を彷彿させる女神主がいます。
44 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 02:16:15
凄いねw
東北だが、近所の神社の神主は女だぞ。
巫覡
日向じゃ、卑弥呼は「ヒムカ」ですから
日向はド田舎w
後世に遺跡がほとんど破壊されてしまった為に、
そう見えるだけです。バカ。プッ。
日向は当時、大都会であったのだ。
51 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 13:28:50
沖縄です。
大川氏の本を読めば出雲な事が解るよーん
53 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 13:34:25
大川誠市など、キチガイ、トンデモ野朗です。
「怒りの魏志倭人伝論」大川誠市著 を、読めよ。
55 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 14:16:45
だから、キチガイ、トンデモ野朗です。
56 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 15:52:24
↑それ倭 お前
57 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:01:13
お前こそw
58 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:07:32
投馬を備後の鞆とする説をみて、そんな気になってきた。
59 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 09:42:51
定説です。
鞆にあらず。
薩摩!薩摩!
61 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:47:32
九州説はあっち逝け
62 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 12:29:48
まとな魏論キボンヌー坊
63 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 15:41:48
半島南部説
魏志倭人伝から、邪馬台国、狗奴国、房21国の特定は不可能。
とっくの昔に結論が出ています。
議論した所で解明出来るわけないだろ。
65 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:35:15
>>62 まともな議論が成立するには、
基礎的な知識と論理力が必要。
結局この条件をみたす発言者が
ほとんどいない。
或いはいたとしても発言しないのか。
たとえば「卑弥呼」
これは当時どのように発音した?
66 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:47:49
日御子、もしくは姫巫女、あるいは日巫女
ひめみこ、ひのみこ、
当時の中国語では「ぴぃぇ みぇ はぉ」な感じ?
67 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:57:12
>>65 どこの地でか解らなければ、答えようが無い。
68 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:02:21
>>65 大野氏は、「ピミホ」に対して日本語にはh音が無いからと、「ピミコ」だと言ってたな。
69 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:17:51
>>67 最終的には倭人の発音が
知りたいのでしょう。
しかしそのためには当時の漢字音の
音価の推定が必要でしょう。
そのあとも考えるべきことが
いろいろあります。
これはこういったこと全部を
ひっくるめた質問です。
単に答えを書くだけでは、
満足な答えとはならないでしょう。
70 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:37:18
>>69 ではこう言う事だろう
「卑弥呼」と中華史書に書かれた文字を、いつ
日本で最初に見たか?を、調べなければならないだろう。
それまでは
「卑弥呼」と書かれている事も知らないのだから
三世紀当時倭地で「ひみこ」と発音した名称を、漢人が「卑弥呼」と当て字しても
「卑弥呼」と言う文字を倭地にて「ひみこ」と発音したとはならないからだ
71 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 21:07:32
>>70 かなりズレてます。
例えば、ヨーロッパの古地図には日本の
地名がアルファベットで記されています。
その言語と他言語間で人名、地名などの
固有名詞が音訳されているので、
そういったデータが十分あれば日本の
古地名の音価を推定できます。
日本人がその地図をみたかどうかは
関係ありません。
72 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:57:19
日本は中国語でヤーペン、イタリア語でjapan表記は、フランス語でヤポン、英語でジャパン。
73 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:38:43
>>68 アタマワル
h音が無いのにh音で書いてあるっつー事は
それに近い音(P音とか)で倭人が話したと考えるべきだろう。
74 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 06:34:49
>>73 p音、h音ともに倭人伝の音訳でかなりの割合で
使用されています。
そのため、音訳当時「呼」の倭人の子音が
p(「卑」の子音)である可能性は低いでしょう。
h音がその後どうなったか、それが焦点ではあります。
75 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 07:10:44
卑弥呼は外交文書(国書)を送ってるんだよ。
それに卑弥呼と書いてあったから、中国はそれを採用しただけ。
もちろんこの表記は卑弥呼が考えたわけではなく、仕えていた
書記官(恐らく渡来人か)が音のみによって適当に当てたのだろう。
76 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 07:38:14
意富比[土危]、獲加多支鹵、乎獲居みたいなもんだね。
77 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 17:12:43
乎獲居の「乎」は、卑弥呼の「呼」と同じ音。
78 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 20:38:34
>>77 上古音−中古音では、異なる。
「呼」の声母は喉音の直音、
「乎」の声母は喉音の濁音。
79 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:22:42
80 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 01:02:04
「音」が解ったところでどうするんだよぅ
単に 場繋ぎか?
81 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 08:18:14
>>80 「基礎的な知識がないと議論にならない」
ということです。
「倭人伝の固有名詞を倭人がどのように
読んでいたか決定するのは困難」という
基礎的な知識を持たずに議論をしても
意味がないのです。それは、考古学上の
遺跡を時代区分もせずに議論をするのと
同レベルです。
そういったことを分かっている発言者が
どのくらいいるのか知りたいというのが
主ですけどね。
82 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 22:36:04
卑弥呼の正しい発音がわかったところで、何もわからんよ。
「魏志倭人伝の研究」=「時間の無駄」
だから止めれ。
まったくです
不毛!不毛!
解いたところで何にもならんw
87 :
日本@名無史さん:2006/06/19(月) 19:51:04
あの時代の中国人と倭人の間ではどのくらいの意思疎通が図れたのであろうか?
魏志倭人伝での作者の関心事は、倭国が魏の国を中華の正統政権と認めて
使者を送ってきたことだろう。そのほかのことはどうでもいい。といった感覚だろう。
だから、何処にあるのか、どんな生活をしていたかについては余興といった
感覚で聞いていたのだろうと思う。おそらく方位とかでも大雑把にろくに検証せずに
適当に解釈して記録に残したのだと思う。倭国の使者がお日様の方向から来たと言ったら、
魏の記録者は、ああ南の方角から来たのだなと適当に解釈したのではないか?
88 :
日本@名無史さん:2006/06/19(月) 21:45:39
>>87 自説に合わないと、いい加減に書かれたとする手法。
時々見るけど、中国正史を読んでいればそう思うわけがない。
「今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し、
装封して帯方の太守に付し仮綬せしむ。・・・
難升米を以て率善中郎将となし、牛利を率善校尉となし、
銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。・・・
塞曹掾史張政等を遣わし、因って詔書・黄幢をもたらし、
難升米に拝仮せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。」
こういう国への使いだから人は選ぶだろうし、
実際倭人伝での社会制度、物産、風俗の描写も簡潔明瞭。
意思疎通もままならぬ相手に金印紫綬ねえ・・・。
倭人伝でいい加減だと思う部分を具体的に挙げてみては?
水行での方位、距離についてなら、自分が海流にもまれて
どの方向にどれくらいに進んだか正確に答えられるか
どうか考えれば分かること。
いい加減なのではなくて、誰にとっても原理的に難しい。
倭人伝は、その当時(陳寿編纂時)分かっていた(伝えられていた)倭国の真偽取り混ぜた情報
が記載されたと思われる。
239年以前も以後も、魏・晋と邪馬台国は交流はあった訳だし。
で、なぜ、それ程倭国の情報の多くが集められたのかというと、
呉を牽制することは勿論、司馬懿の功績を、大月氏を朝貢させた曹真の功績に
匹敵させるためであろう。戸数や里数など誇大報告はそのせいであろうと。
陳寿の頃には、その意義は既に喪われていたのだが。
>>88 >水行での方位、距離についてなら、自分が海流にもまれて
>どの方向にどれくらいに進んだか正確に答えられるか
>どうか考えれば分かること。
帯方郡と倭との通交は景初二年だけじゃないですよね。
見ず知らずの一見さんに行き成り「金印紫綬」なんか授けないでしょう。
朝貢を取り付けた劉夏だって、相当詳細な情報を付けて推挙したはず。
公孫時代から民間も含めてかなりの往来はあったはずだし、
伊都は「郡使往來常所駐」だから、魏代になってからも勅使以外の
渡航・駐在は多かったと思う。
あなたの「自分が海流にのまれて・・・」等の表現をストレートに受け止めると、
倭人伝は「たった一回の渡航の旅行記」レベルの情報で書かれたみたいな
理解に思えてしまいます。
やはり、玄海灘諸国までとそれ以降の記載内容の違いは、
それなりに理由(今は想像するしかないですが)のあったことだと思います。
91 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 03:05:06
だから止めれ。
>>90 1回だけの渡航なんてわけはありません。
特に北九州までの航路は頻繁でここまでの
方位は揃っています。(45度のずれ)
瀬戸内海航路で潮流をうまく利用したというのが
私の考えです。
しかし、魏使は潮流の利用を考慮に入れて
方位を算出できなかったと推測します。
陸行についても直線距離を示すのでは
ないのだから、誇大という考えに
今は疑問をもっています。
山越えの道はトンネルがあるとないとでは
相当に差がありますから。
93 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 14:38:03
不毛です
無駄
95 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:31:57
>>88 明史の倭人伝のほうは結構いい加減に書いているぞ。ww
あの時代は魏の時代と違って、倭寇は出てくるわ、秀吉の日本軍と
直接朝鮮半島で戦争をするわ、日本の情報がいやでも入ってきたと
思うのだが、イエスズ会の宣教師の報告書の方がよほど面白し
正確だ。ww
魏の記録官からすれば、天地神明に誓っての部分は、
外交関係のやり取りと皇帝のお言葉
習慣、風俗関係は、まあ余興の部分だが、素人の旅行記の
レベルでも、そこそこ正確に面白く書けるだろう。
別に隠すわけでもないしな。ww
倭人の歴史とかは、少し疑う必要がある。倭国の使者は
自国に都合のいいことしか伝えていない可能性があるし、
見栄を張る可能性もある。ww
距離、方角についてはもう正確に書くことをあきらめた
節がある。九州北岸までは正確に着くと思うが
それ以降の部分についてはあまりにもいい加減。ww
当時の中国人も九州沿岸までは行き来があったと思うが、
瀬戸内沿岸はあまり行っていないのではないか?
96 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:48:12
>>95 「国民の歴史」にでてくる信長、秀吉、明智
のところかな?
これ結構面白そうなんで原文から
調べてみます。
>>95 実際、魏の使者は伊都国まで(別の説では奴国まで)しか
きてなかったという説も有力。
(でも卑弥呼に実際に会わないと官職を授けられない建前なので
形式上はあたかも実際に会ってきたかのような書き方にはなってるだけ)
>>97 >でも卑弥呼に実際に会わないと官職を授けられない建前なので
そんな建前あるんですか?
あるよ。建前だけは。
天子の使者がはるばる来るのはそのためなんだから。
直接に会わなくていいなら都の中で任命すればいい。
実際に倭の五王の官職はそうしてる。
100 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 21:55:11
明史日本伝の一部らしい(ちょっとスレ違い)
日本にはもと王があって、その臣下では
関白というのが一番えらかった、当時、
関白だったのは山城の守の信長であって、
ある日、猟に出たところが木の下に寝て
いるやつがある。びっくりして飛び起き
たところをつかまえて問いただすと、自
分は平の秀吉といって薩摩の国の人の下
男だという。すばしっこくて口がうまい
ので、信長に気に入られて馬飼いになり、
木の下という名をつけてもらった。---
信長の参謀の阿奇支というのが落ち度が
あったので、信長は秀吉に命じて軍隊を
率いて攻めさせた。ところが突然、信長
は家来の明智に殺された。秀吉はちょう
ど阿奇支を攻め滅ぼしたばかりだったが、
返事を聞いて武将の行長らとともに、勝
った勢いで軍隊をひきいて帰り、明智を
ほろぼした。
原文読む前のおもいつき
1 信長にとって美濃は重要な場所で齋藤を打ち破
って稲葉山に居城を移したわけで、山城守というの
もそれほど妙だとは思わない。
2 木下藤吉郎平秀吉の「木下」の由来はこう語ら
れていたのかな。
(名字−木下、字−藤吉郎、平−氏、秀吉−諱)
3 「阿奇支」は明智じゃなくて、安芸の毛利氏の
ことでしょう。
4 行長は朝鮮出兵で先鋒だったから、秀吉の腹心
ということかな。
この最低とされる部分でも結構大事な情報を
書いてると思うんだけどね。薩摩はわからん。
あと日本伝はどういうつっこみがあるの?
「郡の使の往来して常に駐る所なり。」
郡使の目的地は伊都国じゃないでしょ。
郡から目的地である都への往来のときに
いつも駐る所が伊都国なんだから、
駐ったあとは都に行ったんでしょ。
「宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、
兵を持して守衛す。」てのも伝聞か妄想
で済ますのか・・・
103 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:27:23
「楼観」は、中国人の妄想だろう。
倭人の都は、楼観を作る伝統が無いよ。
104 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:45:47
>>101 直接戦争をしているのだから、相手の国のことを一生懸命調べそうな気がするのだが、
あの時代だと、日本国内にも中国商人がたくさん住み着いているし、
日本人の捕虜だって何千人もいたから、もっと正確に詳しいことを
書けそうな気がするのだが、実際秀吉が死んだとき、日本側は情報管制をしいていたのだが、
一ヶ月もしないうちに、明、朝鮮の連合軍にばれてしまって、明、朝鮮軍が、嵩にかかって
攻め立ててきた。それくらいの情報網があるのに、この程度の記述しかできないのが
おかしい。
同じ明史になるが、南朝の懐良親王を日本国王に任命して、それからすぐに南朝の勢力が
衰えたにもかかわらず、いつまでも南朝の懐良親王を(形の上)では相手にしていたりしていた。
105 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:01:56
>>103
桜観かどうかはともかく、あの時代の日本には巨大木造建築物を
作ることができたのではないかと思うのだが。
青森の三内丸山遺跡や出雲大社あたりでは現実に柱穴や、柱が出ているだろう。
ただ、まだ掘っ立て柱建築のレベルだと思うがな。
>>102 >「郡の使の往来して常に駐る所なり。」
>郡使の目的地は伊都国じゃないでしょ。
>郡から目的地である都への往来のときに
郡使の目的地が都で、必ずそこまで行ったとは限らないでしょう。
倭人側の遣使だって景初2年の時は帯方郡停まりですよ。
魏側の詔書を携えた使節、正始元年の梯儁、同8年の張政はともかく
記録に残らない郡独自の使節がいたとしたら伊都停まりでも不都合じゃない。
「常」にと言うからには、たった2回の遣使のことではないでしょう。
>>103 >「楼観」は、中国人の妄想だろう。
>倭人の都は、楼観を作る伝統が無いよ。
「楼観」と言えなくも無い建物なら柱穴しか残ってないですが、
吉野ヶ里とか方々にありますよね。
唐古では御丁寧に↓こんな絵画土器まで出ていますね。
ttp://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/burial-mound/p-01067.jpg
不毛だから、無駄な議論は止めようヨ!
108 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 12:39:13
まったくです。
巻向!!巻向!!巻向!!
邪馬台国が巻向である事は明白ですが、
投馬国や余房21国や狗奴国が何処に有ったのか、
それが問題なのです。
予防二十一国はもんだいっじゃない。
どうせ分からないから
112 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 14:43:59
全部問題じゃないよw
113 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 14:48:49
>>110に馬鹿発見!
>邪馬台国が巻向である事は明白
>>ちっちぇー邪馬台国
ちっちきちー
115 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 15:25:26
>>106 「楼館」なんて、モロ、中国様式だがな。
誰がこんな建築を教えたんだ。
116 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 15:56:13
117 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 16:00:34
>>113 そういうことは、
最新の畿内説の勉強してから言いなよ
118 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 16:54:37
>>117 最新の畿内説って
阪神と阪急が経営統合ってやつか? それともソウルから博多経由で関空にか
119 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 18:05:29
阪神と阪急だろ。
120 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 18:16:39
>>110 >邪馬台国が巻向である事は明白ですが、
明白ならもはや論議の必要はないのでは?
結論ありきで論議したところで茶番にしかならない
>投馬国や余房21国や狗奴国が何処に有ったのか、
>それが問題なのです。
だったら、畿内説の人はそれだけを論議すればいいと思います
>>106 魏と倭の力関係を考えると
倭の使いが帯方郡どまりなのは分かるけど、
魏使が倭の都に行かないというのは
あまりにも怠慢じゃないの?
そういうことがしばしばあったという
記録があるの?
>>110 傍国21国、投馬国、狗奴国あわせて
邪馬台国の比定地図かいてくれたら、
私は畿内説を受け入れますよ。
九州説でもそれかければ受け入れます。
ただし、21国は順番に並べて、国名
と地名の対応もしっかりつけてね。
>>100 関白信長を忘れていたよ。
まあ、秀吉よりえらかったんだから
秀吉が関白であるわけないと(笑)
こういうもんでしょ、誤解するときって。
122 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 19:49:06
>>121 九州説でも、倭国に都に行って卑弥呼なり権力者なりにあった形跡はないなぁ。
特に九州ならもう近いのだからついでに会いそうな気がするのだがなぁ。
畿内説でも、福岡あたりについたときあと30日くらいで都に着きますと、
いわれたら普通は会いに行きそうな気がするのだがなぁ。
その辺はたしかに謎だな。昔からお役人は何処の国でも横着をしたのかなww
後の時代の隋使や唐使はきちんと会いにいったし、朝鮮の使いは昔からきちんと
会いにいっているし、幕末のペリー提督は会わせんと戦争だとごねたし、
>>106 あれ、景初2年も結局太守が京都まで
使者を送らせたんじゃなかった?
いったんは郡までいって、朝献したいと願って、
結局それは果たされたのでは?
124 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 20:41:55
邪馬台国が九州だったら、大和から豊富に出てくる遺構・遺物は何なんだという説明をしてくれないとな。
125 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 21:24:52
日本列島は昔から割合人間が多いから、どんな地方でもそれなりに遺跡があるだろう。
出雲地方でも、結構遺跡が最近になって出てきたし、東北にしても
縄文系だが結構文化があったようだし、
>>124 畿内マキムクに対抗しようとした、ヒラバルの女王が卑弥呼。
景行紀に出てくる神夏磯媛は、その末裔、とか。
紀では神夏磯媛、三種の神器を榊にぶら下げて帰順しているし。
124のおかげで、ちょっと畿内説や九州説の
論拠が分かってきた。
もし勘違いだったらぜひ反論して。
「ここが邪馬台国じゃなかったら、この町の
この豪華な遺跡や遺物はどう説明する?」
もしかしてこんなことが論拠?
海上交通さえ妨げられなければ、国内外問
わず文物は移動したでしょう。
しかし、それがなぜ邪馬台国に結びつくのか、
さっぱりわからない。単に有力な勢力があった
というだけじゃないの?
倭人伝に書かれた24国の比定さえ分からず、
ずーっと印象論でやり続けるのかな。
ここに巨大な遺跡があるとか、鉄器が優勢だとか。
>>127 違う違う。
少なくとも土器編年で言うところの庄内期には、畿内にマキムク王権
(プレ・ヤマト政権)が出来ている。
画文帯や初期前方後円墳(マキムク型)が畿内を中心に分布しており、
この頃、北部九州から畿内への権力移譲が行なわれたことが推察されるわけ。
で、庄内の実年代には議論があって、現在優勢なのは庄内開始3世紀初頭という見方。
最近、年輪年代やらC14やらの科学的年代測定法が漸く成果を出してきており、
庄内開始を2世紀半ばという見方も出てきている。
129 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 22:48:29
じゃあ、それまでの畿内にあった銅鐸勢力は鏡の勢力に攻め滅ぼされたのかな。
130 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:00:04
>>127 補足すると、魏志倭人伝には列島内で最大の規模を誇る場所が邪馬台国だとのニュアンスを込めて書かれている。
戸数が実数なのかどうかは不明(おそらく推察と伝聞)だが。
伊都国と奴国が、それぞれ糸島半島と博多湾沿岸に比定されるなら
3世紀中葉において邪馬台国に該当する遺跡はマキムクしかないってのが現状なのだよ。
投馬国が吉備か出雲かはまだ議論の余地もあるがね。
他の国は国名だけしか手がかりがないので、探しようがないから今では誰も探さないわけ。
古代史の焦点は「邪馬台国はどこにあったのか」などはとっくの昔に通過しており、いまや
「どのようにして畿内マキムクに、九州や近畿、東海限定ではなく
少なくとも関東上越以西にまたがる広範囲を領域に持つ、初の中央集権システムが形成されたのか。
またそれを主導した複数勢力のメンバーはどこか?どのような方法と目的で形成されたのか?
更には後の大和朝廷との連続性については、おそらく母体となったのではあろうが
王権そのものが連綿と継続されたものであるのか?」
これが主題になっている。
現在は5〜7世紀の遺跡や遺構が次々と発掘調査されているので、それらと絡めての王権論が語られているってところかな。
131 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:00:22
不毛だから止めれ
132 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:03:37
>>129 それも違う。
鏡の勢力そのものが存在しない。
銅矛、銅剣、銅鐸をも含めた祭祀形態が、銅鏡主体に移行し
その過度期に邪馬台国連合が形成されたと見られている。
133 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:13:34
もっと極端な言い方をすれば、別に邪馬台国がどこだって良いの。
魏志倭人伝の大方の記述(特に戸数や方角、距離)に誤りがあって
九州のどこかにあったにせよ、それが纏向遺跡だったにせよ。
本来過去における邪馬台国論争の肝ってのは
どこにあるかによって3世紀の列島の勢力図や交易範囲を推し量るってのが目的であって
その手がかりとして位置が重要だったわけ。
ところが今や目的であった勢力図や交易範囲そのものが先に判明しちゃったので
単に「卑弥呼がどこにいたのか?」だけの問題にまで格下げされてしまったの。
だから史学者たちは(考古、文献両視点から)ほとんどどうでもいい話ぐらいにしか考えていない。
134 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:16:42
ja
135 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:47:55
>>130 今までの中では、一番わかりやすくまともな意見だね。
学会では、邪馬台国がどこにあったか?という議論は、もう畿内で決着してるんですよ。
それなのに、一部の人々が、きちんと考古学を勉強もしないで、文献を我田引水で解釈して、
九州の日向だの山門だのと、本に書いたりしてる。
それをまた、不勉強な読者が勘違いして、考古学者は頭固いとかって思いこんでる。
畿内説が一般に浸透しないのは、そのせい。
本当なら、畿内説は、そろそろ教科書にも明記されていいはずのことなんだけどね。
九州説の人の夢を壊すこともないだろうと、遠慮して書かないだけ。
考古学文献両方から、卑弥呼時代に倭を統一するような政権は無かったこと
は確実です。
>>135 確かに最近考古学者の邪馬台国九州説は見ませんね。
138 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:27:44
>>136 畿内説論者にしてはおかしな見解だね。
倭の勢力範囲をどう捉えるか、王権をどう定義するかなどの問題はあるにせよ
初期ヤマト連合がその時代に形成されていたことに対して
異議を唱える説のほうが少数派だろう?
>>138 「卑弥呼時代」の段階で軍事的な統一は無かったという見解ですが
畿内説では傍流なのでしょうか。
何スレか前で投馬国の備後鞆の浦説に触れたものです。
いつもはROMっているのですが、ちょっと流れが良いので・・・
たまたま九州より備後に引っ越してきて鞆の浦を知り、投馬説に興味を持ったのですが、吉備の国からは端っこです。
瀬戸内海の中間的な位置及び港町としては面白いのですが、瀬戸内海の国なら吉備に触れると思うのです。
鞆の浦と解釈する場合、戸数が多すぎる気がするのですが、巻向遺跡から出土する各地の土器が解釈の判断材料になるような気がします。
合理性はあるのでしょうか?
また、鞆の浦であるならば、それを基点にいろいろな仮説が立つような気がするのですが、これに議論する文献があれば読みたいなと思います。
今、寺沢先生の王権誕生をざっと読み直しましたけど、鞆の浦には触れていません。
私自身も一素人ですが、自分が読んできた本からの印象では卑弥呼がいたのは巻向かな?と思ってます。
でも、1700年ほど前に北部九州より使者を中国大陸に派遣していたからには、どうやって支配力を北部九州に及ぼしていたのだろうかと疑問と興味を持ってます。
長文すみません。
141 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/22(木) 00:59:51
>>140 確か新井白石が鞆説を唱えたと記憶してます
畿内王権の成立にとって、瀬戸内海航路の掌握は死活問題で、
吉備の協力は不可欠であったでしょう。
具体的に、畿内と吉備が連合したのは、布留0=箸墓以降でしょうが、
それなりに友好関係を保っていただろうと思います。
143 :
140:2006/06/22(木) 01:36:59
夜分に返事を有難うございます。
巻向より使者が瀬戸内海を通って北部九州に行くことはよほど沿海の国々との関係がうまくいってたとのことでしょうか?
たまたま備後に職を得たのですが、新井白石が投馬=鞆の浦といってたのは誇りに感じます。
でも、仮にそうでももっと吉備の真ん中の地名をあげてもよさそうな気がしますが・・・
たまたま邪馬台国と有効度が高かった地区が吉備を代表して名前を残したなどと解釈するとこじつけすぎでしょうか。
>>128 >>130 邪馬台国が大和勢力の前段階であることは、
中国正史や記紀から納得できます。
3世紀初期には各地の勢力の影響を受けた
有力なマキムク王権が出来ているというのも分かります。
しかしその王権こそが、邪馬台国といえるのかは
実は微妙な問題です。
「各地」のどこか、とくに2世紀半ばから3世紀前半
に栄えている地域が邪馬台国であっても
問題がないのです。
なぜなら記紀にはかなり早い段階で、大和勢力
にその地域から既に王族を輩出していることが
書かれているからです。
そのような微妙な問題は、印象で論議するべきでは
ありません。倭人伝に記された24国の存在こそが
判別に価する条件です。
どのように連続した21国を配置するのか、
7万戸、5万戸といえる広い範囲の2国をどう
配置するか、敵対していた狗奴国はどこに配置し、
その対立を示す考古学的な根拠はあるのか。
さらに倭人伝に書かれた方位、旅程などをうまく解釈できるか。
それらを全てクリアできれば私は**説といっても
問題がないと思います。
しかし、その厳しい条件をクリアした**説は
畿内説、九州説ともにみたことがないのです。
145 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 07:46:40
>>144 長文乙なのだが
>しかし、その厳しい条件をクリアした**説は
>畿内説、九州説ともにみたことがないのです。
無いよ、未来永劫現れないと言って良いだろうね。
君の考え方における問題点は「魏志倭人伝の記述は徹頭徹尾正しい」と思っている点にある。
もし正しい記述がなされていたのなら、とっくの昔に確定しているよ。
146 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 08:26:40
>>137 でも、畿内説は常識的過ぎて面白くない。ww
やはり九州説のほうが笑える。面白い。楽しめる。ww
まあ、正しいか正しくないかは別にして、畿内説は権威を持ったえらい人が
主張して、九州説は、アマチュアが主張するのでなんか九州説を
応援したくなるのだな。ww
147 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/22(木) 08:44:13
「趣味」に止まるなら笑える説でも構わないの
ですが歴史となるとそうはいきません
148 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 09:59:25
畿内説を唱える人「木を見て森を見ず」じゃないかな?あり得ない話に尾ひれを付けたって始まりませんよ。
149 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 11:25:16
>>146 >でも、畿内説は常識的過ぎて面白くない。ww
そんなことはない。
次はクナ国がどこにあったかとか(紀国?東海?)
四道将軍の伝説が成立したのは、いつの時代でどのような背景からかとか、
面白い話はいくらでもあるよ。
九州説に目を向けてるだけだと、畿内の古代の様相の面白さに気がつかないみたいだけど。
畿内の古代の様相がわかってきたら、九州説はちっぽけな問題にしか見えないだろう。
150 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/22(木) 12:28:26
もはや倭人伝に
粘着するのは時代遅れかと感じ始めました。
そろそろ日本書紀の再検討が必要じゃないでしょうか。
151 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 14:06:47
まったくです。
152 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 15:10:11
日本書紀の解析は、豪族の系譜やら民俗学やら相当の知識が必要だから、
アマチュアには敷居が高いかも知れんな。
ムーの影響か知らんが、
なんでもかんでも物部氏とか大物主とか饒速日に絡めれば謎が解けると思ってる。
もっとも重要なのは、葛城氏とか磯城の豪族とかだろ。
僕は物部なぞにかけて日本書紀を解こうとは思いません。
紀年を解こうと思っています。(平均在位年数なんかではなく)
魏書読んでも永久にわからんと思うが。
ここで日本書紀でつよw
考えるだけ時間の無駄ですw
157 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 17:13:47
そもそも、天孫降臨が何故、九州なのかがよく分からない。
畿内説の方々は、卑弥呼も含め、天皇の子孫が畿内から発祥
したと考える人でしょうから、その人たちは、何故、天孫降臨
が、近畿の大台ケ原や高野山など近畿の山々に降臨しなかったのか
疑問には思わなかったのか?
古事記では、筑紫の日向に降臨したと記述があるらしい。
158 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 17:38:24
>>157 天孫は九州に出向しただけだよ。
高天原が大和のことなんだから。
159 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 17:45:29
だから、何で九州に出向する必要があったかを聞いてるのに
それに高天原は天界に対する地上界の俗称であって、
大和との記述はない。
大和=日本=地上界なら少しは分かる。
160 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 17:49:03
まさか、高天原が渡来人の故郷だとは思ってないよな?
高天原での「天の岩戸」にまつわる出来事は、日本独自の神話だって知ってる?
同じ神話が、外国のどこかにあるか?
たとえば海彦山彦は南方系神話らしいが、天の岩戸神話は日本オリジナル。
そして天照大神は九州ではマイナーな神だよ。
161 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 18:11:56
考えれば解ることだろう
山から人が湧いて出てくる筈はなかろうに。
海の向こうから蛮夷の島にやってきたから
天孫降臨なんだろう。
頭使えよ
北九州に半島の鉄を入手する有力な勢力があって。
畿内王権は鉄を入手するために北九州勢力を討ちに行ったと。
163 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 18:21:49
>>162 そんな妄想語っているから何時まで経っても纏まらないんだよ
じゃぁおまいがまとめろw
165 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 18:52:25
>>162 その畿内王権は、鉄が九州ほど多くない畿内でも「王権」を築くことができたということ。
なおかつ、畿内は、九州を打ち負かすことができた。
総合的に考えれば、鉄と王権は関係ないということ。
166 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 18:59:44
>>165 >畿内は九州を打ち負かす。
>>なに寝言言ってるの?そんな物語が有ったなら
九州の何処かに必ず昔話として語り継がれる筈
負けてひどい目に合うのは民だからな。
167 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:06:00
畿内勢が九州を支配したのなら、間違っても天皇のルーツを、九州なんかに持っていかないし、
記紀の内容の過半数を畿内の内容で占める筈(モチ、神代も)
168 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:06:26
>>166 おまいは、熊襲とか磐井の乱も知らんのか。
伝統的に九州は反抗的だっただろ。
169 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:08:47
>>167 まだ、そんな、九州から来たとか勘違いしてるのか?
天皇のルーツは、九州じゃなくて高天原。高天原にいる皇祖神は天照大神。
天照大神は、畿内中心で祀られてる。九州ではない。
170 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:24:37
>>169 余りボケかますなよ!
神社に奉られてる記紀神は、記紀が書かれてからの縁起だろう。
171 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:38:12
>>170 ツッコミの意味がわからん。
天皇のルーツは九州なのか?
高天原は九州にあったのか?
天照大神は九州の神か?
九州の有力神社で、天照大神を祀ってないのは、
記紀が書かれてからの大和朝廷の陰謀なのか?
もしそうなら、よく、完全に封殺できたものだな。
172 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:39:27
記紀を語るなら
「書紀 神代上 巻一 一〜四段」までに、「一書日」が 19編出てくるが
今だかつてその書を見た事が無い 何故か?
その辺から追究しなければトンデモの基になるぞ
173 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:50:44
よく邪馬台国だと言われる日向国だが、
日向国の一宮神社について、誰も論評しないんだよな。
日向国一宮神社・都農神社は、社伝では、神武天皇が東征に向かう際に自ら祀ったのが創建という。
祭神は、なんと、大己貴命。
どうして神武が、日向で大己貴命を祀ってるんだろうね?
そのへん、誰も考証してないんだよね。都合が悪いから。
(神武は、天孫じゃないってことだろ)
174 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:51:52
>>171 神社を勝手に造り神を勝手に奉ったとでも言うのか?そっちの方がよっぽど考えられんぞ
>天照
>>天皇家の祖とするから「天」で始まるのだろう
畿内に天照関連神社が多いのは、それだけ民を
その思想精神に誘導したいがため、それこそ宗教
必要の無い所に神(縁起)は置かない作らない。
九州の地は天照そのものだから必要ないし、逆に畿内は時の浅い新天地
だからこその 信仰何だろう。
175 :
101:2006/06/22(木) 20:02:12
>>145 本当にどこにも適合するところが見つからないなら、
倭人伝がおかしいとも言えるんですけどね。
あまりここで宣伝するなっていわれてるんで
おおげさにはやりませんが、東四国は適合します。
近いうちに決定的な遺物が出ると踏んでいますが、
文献からでも答えは導けたということを示すために
証拠を残しておきます。前スレの363です。
邪馬台国東四国説 投馬国は西四国、狗奴国は南阿波
http://www.geocities.jp/yamatai4/
176 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:04:47
>>173 九州で大事なのは日向国じゃ無いだろう 肥後だろうが。
まだ、日向と言う地名がなかった頃、その地を「日向」と名付けたのは
その西側にいる人達 西の土地に住む人達が、日の昇る地を指して「日向」と名付けた 道理だろうに、
詰まり
日向より肥後の方が早くから文化的だった事が「日向」の地名で読みとれる。
177 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:09:52
一体このスレのコテは何してるんだ。
この程度の疑問に回答すら出せないのか。情けない。スレの質が悪くなる一方だな たくぅー
178 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:47:15
>>176 どうして神武が、日向で大己貴命を祀ってるんだろうという話だよ。
九州説の人間は誰も理由を考えないし、スルーしてるし、
知りませんでしたというやつも多い。
文献重視とかいいつつ、所詮、九州説なんてその程度のレベルなんだよ。
179 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:53:23
>>178 >どうして神武が、日向で大己貴命を祀ってるんだろうという話だよ。
初耳だけど?「神武が」はいらないだろ。
180 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:01:17
>>178 九州説論者です。
あのね 式内社と諸国○宮とWで持ってる神社で、
だれが一番祀られてる?
所詮、畿内説なんてその程度のレベルなんだよ。
181 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:12:04
>>178 >>176だけど
>>179に指摘されるまで気が付かないのか? 呆れたヤシだなー
それに、神武が奉った?
阿保か?
>>176 をよく読んで
少しは勉強しろよ 神社何て記紀の後に出来た縁起だと何回言ったら解るんだ。
>>163 >纏まらない
↓
纏める
↓
纏
↓
纏向
↓
纏向!!!纏向サイコー!!!
183 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:15:25
>>181 >少しは勉強しろよ 神社何て記紀の後に出来た縁起だと何回言ったら解るんだ。
記紀の後に出来て、何故記紀と違う伝承があるのかな?
184 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:17:12
神話はあまり考察したことないですね・・・最近は考古学の本ばかり読んでた
んで・・・
で、これからの畿内説での議論は、大きな流れとしてはこうなるかと思います・・・
1.庄内・布留式の実年代の確定に関する資料の議論
2.大和勢力(邪馬台国)がいつどうやって台頭したか・他の地域の勢力との関係は
どうだったかに関する議論
3.記紀の神代以外の記述に関する議論(紀年に関してはこのスレに書くもよし、
別スレに書くも良しとします。神代は若干スレ違い気味・・・?)
4.卑弥呼時代の東アジア情勢を絡めた「魏志」の外交記事の解釈についての議論
5.庄内・布留期の古墳出土の鏡に関する議論
等々・・・引き続きまたーり行きましょう。追加あればよろしく。
186 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:22:37
>>181 >>!78
相手にならなんわ!
私は九州論者!
無視してるのは君達だよ。
187 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:22:43
>>183 その発言は、記紀の隠書を読みとっての発言なのか?
188 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:23:48
189 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:30:56
>>185 >神代紀は若干スレ違い
>>一番な核心部を避けて議論しても意味無し
>土器編年
>>素人が語ってどうする。受け売り暗記力自慢大会でもおっ始めるのか?
190 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:38:17
>>188 では簡単な隠書の解明でもしてもらおうか
これは以前プラムも提示していた初歩的な内容だ
《一百七十九萬二千四百七十餘歳》とは どのように解釈するのか?
191 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:42:00
>>190 考えるヤツが馬鹿って事だよ。
おたくは結論でたのかよ。
でたらいってみ。
192 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:45:52
193 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:47:37
?
194 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:49:34
>>191 何も考えずにやり過ごすのは、手の施し様のない馬鹿逝ってよし。
195 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:50:40
ぷ、必死だなw
197 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:24:09
198 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:39:54
199 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:41:59
「糞ぷ」のジサクジエンは分かり易いなあw
200 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:43:10
>>197 だから、どうして、「日向国 一宮 都農神社」で、
神武(天孫)が、大己貴命(国つ神)を祀ってるんですか?
日向国は、大己貴命(国つ神)の国だったんですか?
神武の祖神が、大己貴命(国つ神)だったんですか?
どっちも九州説では都合が悪い罠。
201 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:50:23
>>200 >神武(天孫)が、大己貴命(国つ神)を祀ってるんですか?
だからなんで「神武が」祀ったの?
それに天孫も国つ神もどこが違うの?別けて祀ってある神社ある?
みんなどの神も親戚だから、別けも無く、仲良く祀られてるの!
摂社と末社の違い解るか?
202 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:54:31
>>201 じゃ、日向国は、大己貴命(国つ神)の国だったんですね?
203 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:58:10
天孫も国つ神が違うって言ってるのは、記紀だけ!
神社でも何処でも、この人達は過去に存在した人間!
しかも神武と大国主は近い親戚!
204 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:07:12
205 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:54:03
>>204 >天穂日と大国主は同一人物だからだよね。
天穂日は、高天原を裏切ってオオナムチにおもねったという記述はある。
>書紀でも一説で大国主は、天照とスサノオの子となってるのに、
そんな記述あったっけ?
206 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:27:54
>>205 脚摩乳と手摩乳は誰?
その末娘の奇稲田姫は誰?
記紀の一書では大国主はスサノオの実の子です。
記紀で天照とスサノオは8人子供を作り
八坂神社の由緒ではスサノオは8人子供を作っています。
207 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:35:17
補足
神社伝承でも大国主はスサノオの実の子です。
神社伝承でも天照とスサノオは8人子供を作りました。
八坂神社の由緒ではスサノオは8人子供を作っています。
208 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:39:01
>>206 >記紀の一書では大国主はスサノオの実の子です。
スサノオと奇稲田姫の子がオオナムチで、
オオナムチの別名が、大国主という記述はあったと思うが、
大国主が、天照とスサノオの子という記述は無いだろ?どこにある?
>脚摩乳と手摩乳は誰?
>その末娘の奇稲田姫は誰?
まさか、イザナギ・イザナミ・アマテラスだなんて思ってないだろうな?
209 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:40:31
210 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:42:49
>>140 >>143 邪馬台国がもし畿内だとしたら、投馬国はまず鞆ノ浦だろう。
今は土木の技術が発達しているから、また港には広大な荷捌き場や、コンテナ置き場
駐車場があるほうが便利がいいから、遠浅の海を埋め立てて作るのが主流になっていて、
昔ながらの天然の良港は使い勝手が悪いということで寂れる一方だが、
昔は土木が発達していないから、どうしても深い入り江があって、風をさえぎる山が
ある天然の良港を選ぶことになるのだ。日本書紀の時代、倉敷から岡山にかけては
ほとんど海に近い葦が茂った湿地帯だっただろう。船で渡るにもどうしようもない、
かと言って土木の技術が発達していないから田んぼにもできない不毛地帯だったのでは
ないかと思うのだ。あのあたりの天然の良港はあの時代だと鞆ノ浦ぐらいしかなかったのでは
と思うのだ。牛窓や尾道はあの時代だと潮の流れがありすぎたりして古代人には
使いこなせなかったのではと思うのだ。
211 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:50:27
>>208 証拠はまだあるよいくつも でもここまでだね。
212 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:51:46
>>211 へらず口叩くくらいなら、はっきり説明してみなよ。
どこかのトンデモ本に感染したんだろどうせ。
213 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:56:37
馬鹿な!本で!可笑しいよ君。
君こそ本とか人の意見だけだろ。
僕のは、内緒の独自案さ。
こんなとこで騒いで時間潰すなら、
証拠固めでこつこつやるよ。
古代の証拠調べる程出てくるぜ。じゃ。
記紀の作り話が史実なわけねーだろw
記紀は、ぜーんぶ捏造されたウソだらけのトンデモ本ですw
215 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 01:58:36
まったくだ。
216 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 09:03:05
>162 :日本@名無史さん :2006/06/22(木) 18:16:53
>北九州に半島の鉄を入手する有力な勢力があって。
>畿内王権は鉄を入手するために北九州勢力を討ちに行ったと。
こういうのは、頭だけで空想する書生タイプだと思う。
銅剣と鉄剣は単発銃とマシンガンほどの差があるわけで、
銅剣文化の勢力が鉄剣文化の勢力にかなうわけはない。
鉄剣文化勢力が銅剣・銅矛文化勢力を駆逐していくほうが
自然だと思われる。
スサノオが出雲を征服し、鉄剣(草薙の剣)を天照に献上して、
それが天皇家の三種の神器になった程だから、鉄剣の威力がいか
にすごいかよく分かるはず。
鉄剣は九州からはザクザクでてるけど、畿内からはほとんど出土
していない。
実際に、10人対10人で鉄剣と銅剣で戦ってごらん。
頭でなく、身体で実体験すると鉄剣の威力のすさまじさが実感できる。
217 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 09:16:42
>こういうのは、頭だけで空想する書生タイプだと思う。
天に唾を吐くってのはこういうことを言うのだろうね。
当時の鉄器に戦闘力があったと思ってるその常識のなさがよくわからん。
日本刀並みの切れ味があったとでも思ってるのかなw
畿内が九州を武力で支配したとはまったく思わないが、その逆もまたありえない。
なぜ主流説が「経済連合」を想定しているのか考えたこともないんだろうね。
少なくともここ10年以内の出土情報をちゃんと調べてから書こうよ。
仮にも学問板なんだからさ。
218 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 09:53:53
>少なくともここ10年以内の出土情報をちゃんと調べてから書こうよ。
畿内説の人にはこういう思い込みの人(変人)が多いんだね。
あきれるよ
219 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 10:16:08
678 :日本@名無史さん :2006/06/22(木) 21:02:09
>>674 畿内説は、方角から風俗まで全て無視して成り立つ強引な説で、しかも
畿内人しか信じてないからねぇ・・・
つくづくそう思います。
220 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 10:25:01
鉄器の総出土量が北部九州がダントツだというのは事実だし
それが戦力差に直結するものではないというのも散々既出だし
弥生終末期には北部九州、瀬戸内、日本海、畿内、東海各地に基本的な技術力の差はほとんどなく
代わりに経済力での逆転があったと見られているのもこれまた古代史の常識だし
どれもこれも常識レベルなのだが、知らないというよりわざと無視しているようだね。
ぶっちゃけ数ある九州説のうちのいくつかってのは、実は新興宗教絡みなんだよね。
これは一部の畿内説が、変な皇国史観を教義に持ったカルト宗教と関係があるのと同じ。
どちらも「学問」を真っ向から否定することで成立しているシロモノだ。
よく安本や古田を宗教だと揶揄するが、あれは単なる学問的カルトであって
これらの「本物のカルト宗教」とはまた別物。それはそれで問題あるけどね。
信仰の自由は否定しない。
否定しないからこそ、学問の世界にそちらも足を踏み入れるなとは言いたいよね。
ヒッタイトがどうなったかを知っていれば、鉄器の力を過大評価することも無いでしょう
222 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 10:37:30
>>219 九州説も「方角から風俗まで」はおろか「距離」も「出土事実」も
全て無視して成立してますが・・・
文献無視とか言って揶揄する初心者九州説がたまに居ますが
考古事実も文献も無視(または曲解)せねば成立しないのが九州説なんですよ。
だから今では忘れられた説になったのです。
ちなみに学問の世界では九州から北海道まで、日本全国畿内説ですよ。
別に畿内人だけが言ってるわけでもない。
事実を捻じ曲げてまで己の宗教を通しなさいと、あなたの「神様」は言ってるのですか?
信者勧誘や教義説明は、別の方法でやったほうが効果的だと思いますよ。
223 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 11:35:27
>>216 >スサノオが出雲を征服し、鉄剣(草薙の剣)を天照に献上して、
>それが天皇家の三種の神器になった程だから、鉄剣の威力がいか
>にすごいかよく分かるはず。
三種の神器の剣は銅剣だったというのが通説だが、
どうして鉄剣だと思ったんだ?
>>217 >当時の鉄器に戦闘力があったと思ってるその常識のなさがよくわからん。
>日本刀並みの切れ味があったとでも思ってるのかなw
まったくだ。
弓矢や竹槍や矛で突いたほうが有利。
石つぶてを投げても勝てる。
>なぜ主流説が「経済連合」を想定しているのか考えたこともないんだろうね。
まったくだ。
九州と畿内の戦闘があったという証拠も無いのに、戦闘があっと妄想し、
鉄剣を持つ方が有利だと妄想する。短絡的すぎて困ったものだ。
>>218 思い込みと考えるなら、君の考えが聞きたい。
庄内式土器の発生と拡散について考察してみてくれ。
224 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 11:51:21
銅剣を実際に持ったことがあるが、重たくてとても武器としては
使い勝手が悪い。
鉄剣を過大評価しているつもりはないが、銅剣と比較して明らかに
優位であることは否定できない事実であると思う。
戦闘武器で不利な勢力が勢力範囲を拡大した事実はあるはずはない。
ヒッタイト云々という人は論理のごまかし。
学問で論理をいう以前に、武器の力の常識を曲げるのはよくない。
つまり、鉄剣勢力には銅剣勢力は絶対かなわないはずです。
鉄を作る技術は当時としては高度な文明ですから、文明論を畿内に
求めるのも無理があります。
ただ、3世紀後半以降、4世紀以降は圧倒的に文明上は畿内が有力に
なってきているじじつは認めます。
卑弥呼の時代はそれ以前ですから、ややこしいのですが。
225 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:07:28
>>214 >記紀の作り話が史実なわけねーだろw
>記紀は、ぜーんぶ捏造されたウソだらけのトンデモ本です
PU!馬鹿まるだし、なら神武が作った都農神社なんてデマ流すな!
それ何処からもってきたの?
自分でだして自分で引っ込めて世話無いわw
>>215 じさくじえん
226 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:08:23
>>224 だから、九州と畿内の戦闘があったという証拠を出してみろと。
経済で畿内が優位に立ったという発想が出来ない低学歴か?
227 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:19:28
殆ど自作自演だろうが、馬鹿丸出しのデマはやめてくれ。
>ただ、3世紀後半以降、4世紀以降は圧倒的に文明上は畿内が有力に
>なってきているじじつは認めます。
馬鹿丸出し! 馬鹿丸出し! 馬鹿丸出し!
228 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:29:15
弥生終末いや古墳初めでも博多の鍛冶遺物を見ると北部九州の技術が上なのだが
229 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/23(金) 12:31:12
>>224 「論理のごまかし」とはねえ…そういう例もあるから一概に鉄器有利とは言えないと思うが…
230 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 12:42:38
226 名前:日本@名無史さん :2006/06/23(金) 12:08:23
>>224 >だから、九州と畿内の戦闘があったという証拠を出してみろと。
>経済で畿内が優位に立ったという発想が出来ない低学歴か?
あなたは、暴力団ですか?右翼ですか?
231 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 12:49:59
227 名前:日本@名無史さん :2006/06/23(金) 12:19:28
殆ど自作自演だろうが、馬鹿丸出しのデマはやめてくれ。
>ただ、3世紀後半以降、4世紀以降は圧倒的に文明上は畿内が有力に
>なってきているじじつは認めます。
>馬鹿丸出し!
ちゃんと、反論して下さい。
全体の一部を取り出して、文句をいうのは、子供なみの感性ですよ
それとも、鉄剣が銅剣にはかなわない事実も認めないのですか?
あなたと、1対1で勝負しましょうか。
むかしの鉄剣でも軽いし、切れるし、刺せますよ。
銅剣は、振り回すのが関の山で、刺せないし、切れません。
10人ならどうです。 100人ならどうです。 500人なら
もう戦力にすごい差ですよ
232 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:59:52
PU探し始めよう!
PUは何処にいるか?
文章がアホなのがPUだ!
233 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:52:52
>文章がアホなのがPUだ!
>>232お前のことだろw
234 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:54:22
PU探し始めよう!
PUは何処にいるか?
文章がアホなのがPUだ!
235 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:55:07
>文章がアホなのがPUだ!
>>234お前のことだろw
236 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:56:05
PU探し始めよう!
PUは何処にいるか?
文章がアホなのがPUだ!
237 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 14:16:24
・・・・・PU語録1・・・・・・
>記紀の作り話が史実なわけねーだろw
>記紀は、ぜーんぶ捏造されたウソだらけのトンデモ本です
・・・皆さんご感想下さい・・・
238 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 14:35:59
>>227 「4世紀以降は圧倒的に文明上は畿内が有力に」がデマ扱いとはな。
あのね、平安時代になっても、鉄器の武器は九州の方が多いんだよ?
平安時代でも、畿内は文明的に九州より劣ってましたか?
239 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 14:40:20
240 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 14:45:48
241 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 14:46:04
>>239 鉄器の量と王権成立は関係ないの。
おまえは、一昔前の邪馬台国論争の本を鵜呑みにしてるんだろ。
242 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 14:47:43
243 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:00:04
だからなんだよ。
244 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:00:58
245 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:01:54
>>243 PU da!
kimitoha
tanosi-o
246 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:03:05
・・・・・PU語録1・・・・・・
>記紀の作り話が史実なわけねーだろw
>記紀は、ぜーんぶ捏造されたウソだらけのトンデモ本です
・・・皆さんご感想下さい・・・
247 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:04:50
>>245 自作自演して荒らしてるのはおまえだろ。
人の少ない時間に自演してたんじゃあ、バレバレなんだよ。
248 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:05:46
jienn?kimidaro
>>245 sineyo imasugu konoyokara syoumetusiro
250 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:10:19
↑
下品な言葉がPUです。
まともな言葉が別人です。
解りますか皆さん。
251 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:25:28
正解!
また
PU探し始めよう!
PUは何処にいるか?
文章がアホなのがPUだ!
252 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:27:17
253 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:31:07
ちがうお
254 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 15:32:25
畿内には、後付の地名が多いらしい。
三輪山も福岡の朝倉方面の地名の物まねらしい。
大和もきっと後付けの地名だとの記述があったし、
4世紀以降の話を何とか、4世紀以前の卑弥呼の時代
につなげようと、捏造したのが記紀ですよね?
255 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:35:47
賛成するお!
>>254 安本の言う事を鵜呑みにするなよ。
畿内の地名を北九州にコピペしたんだよ。
257 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 17:21:30
なんで奈良に「やまと」って古地名が無いんだろ?
258 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 18:22:11
神武東征が本当なら、東征ルート沿いに「やまと」という地名が無いとだめ。
それが民俗学。
ええと、熊祖というのは何処に存在したのでしょうか?
260 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 18:38:49
九州のみなさん、子供のころに御伽噺を聞いたことでしょう。
浦島太郎や、桃太郎、かぐや姫。
その中に、「神武東征」って聞きましたか?
九州から畿内を征伐して王になったんだから、九州では伝説的ヒーローでしょう。
昔話として、子供の頃にさんざん聞かされてないとおかしいですね?
聞いたことありますか?
どうですか?九州のみなさん。
261 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 18:42:03
神武天皇は別名で、ご活躍してられますよ。
262 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 18:57:17
どんなふうに?
263 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:15:15
>>260 おかしいよねそれ!
どうして神武は奈良に古くは祀られて無かったの?
名神大社で神武祀ってるの奈良に無いよ。
ほんとに神武東征ってあったのかな?神武北征とか違ったかもよ。
それに畿内でも神武は御伽噺で伝説的ヒーローじゃないとね。
神武に限らず御伽噺で伝説的ヒーローって畿内にいるの?
264 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:32:45
>>263 東征の主役は五瀬命
彼が足場を固めたから、神武が〆られたのだろうが
「桃太郎」は、出雲の鬼を成敗するために
お供に「猿・犬・雉」を連れ………
その時の餌(団子)が
備前・備中・備後だろうが!
その桃太郎に出雲侵略を命じたのが“オキナとオミナ”だぞ
265 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:42:56
(イザナキ・イザナミ)(オキナ・オミナ)の関係を把握出来なければ『記・紀』なんて
一生解読出来んし、語るに及ばず
266 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:47:58
267 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:53:32
もう一度、古今集の『竹取物語』でも嫁や
ヤッパリそこには(オキナとオミナ)がおり、彼女(カグヤ)を媒体に、群がるヤシどもに命令している
『日本中の珍しきモノ』を集めろと! 詰まり、各地の平定だろう
桃太郎の鬼退治と原理は一緒
268 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 20:10:45
269 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 20:21:33
真実を語るに場所を撰ばず。話についてこられないなら、少しは勉強してから出直せ!
ここは学問板だぞ
『学問板で学問して何が悪い』ウザイレスと思うなら、しっかり否定してみろ
それが出来ない我が儘カキコなら 逝ってよし
270 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 20:40:42
>>269 おまえが言いたいのは、
あらゆる伝説の「オキナ・オミナ・子供」が
「イザナミ・イザナギ・アマテラスorスサノオ」の投影だってことだろ?
桃太郎も、かぐや姫も、金太郎も、全部アマテラスとスサノオのことなんだろ。
で、そうだとしたら、古代史の何がわかるわけ?
肝心のところを、おまえは何も語らずに、他人を罵倒してるだけじゃないか?
271 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:24:59
何が
>アマテラスorスサノウ
だよ。
トンチンカンな事言わないでくれ
(イザナキとイザナミ)(オキナとオミナ)はどうしてペアなんだ?
イザナキとイザナミに至っては“濃厚なベットシーン”までカキコしてる有様
少しは考えろよ
272 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:25:30
273 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:31:27
>>270 ヒントだ
天皇家の最高権力者は誰?
>>272 ボケカマシテルヒマガアッタラ勉強して出直して来い。
274 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:35:14
>>273 ヒントを聞いてるわけじゃない。
おまえの「説」を語れというのだ。
バカにされるのが、そんなに怖いなら、シャシャリ出てくるなアホ。
275 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:37:06
まっ向から纏める
↓
纏向
↓
日本の纏向
↓
日向
277 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:49:04
>>274 お前等『考える』という事も出来なく成った阿保か?人に一から十迄提示してもらわないと
『ケツ拭く事もままならずか?』
こんな簡単な問題も解けんようじゃ 『記紀』ナド百年早いは
こんな馬鹿ども相手にしても時間の無駄だから ワシャ帰る (^-^)/な
278 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:50:24
279 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:57:45
みんなあ!
PU探し始めよう!
PUは何処にいるか?
文章がアホなのがPUだ!
見つけた人には、1Pだ!
281 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 23:02:04
>>276 プラムさん、これはいつもながらなんなのですか、
プラムさんの脳みそは、すり替えだけだと、読むべきなのでしょうか。
282 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 23:16:32
考えろと言われても
おまいの考えてることを予想する(考える)ヒマはないw
言いたいならさっさと書け。
その気がないならはじめから書くなw
>>277 阿呆を阿保と書くアホさは、恐らくプだろうな。
>>283 ということは、
>>181も
>>277もプラムということか。
あと、桃太郎とか言い出してるアホもプラムだと思う。
前に散々バカにされながら、いまだに変わっとらんのか
286 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 00:46:50
スレタイ変えたい。
287 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 01:48:46
銅鐸はいつごろ消えてしまったのだろうか?
卑弥呼の時代には消えてしまったのだろうか?
288 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 02:48:35
前方後円墳が出てきた頃
>>279 PUはあんたなんだろう。
自作自演はやめな。
私をネタに盛り上がっているようだが、遠慮せず
大いに盛り上がってくれ。こっちは
たまに覗き、高みの見物と洒落込むから
では!失礼
本物が出て来ては都合がわるいか?
クスクス
292 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:21:04
神武東征が本当なら、東征ルート沿いに「やまと」という地名が無いとだめ。
それが民俗学。
293 :
日本@名無史さん :2006/06/24(土) 14:41:05
>>292 神話の神武東征に民俗学をもちだすのは、いかがなものか
記紀に神武東征を記述せざるを得なかった、編纂時に歴史的背景
を考える必要がないかと思う。
スサノオの出雲征伐も、九州の宗像から船で行っているとの記述が
あり、畿内説の人はこの矛盾には明確な反論をしていない。
神武東征で兵力増強の為、筑紫の日向で兵力を増強していること
も記述されている。
神話の世界は、北九州を中心に記述されている。
記述したのは、当時の畿内の天皇家を頂点とした畿内勢力の筈。
何故、北九州中心の神話の世界を記述する必要があったのか?
天皇家のルーツが北九州にあったと考えるのが妥当でしょう。
294 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 15:05:50
>>293 >神話の世界は、北九州を中心に記述されている。
誰が言ったから知らないが、でたらめ。
国生み神話で、イザナギイザナミがどういう順番で大八洲の国を生んだか、
自分でよく読み返してみろ。
日本書記くらい手元にあるだろうね?もちろん。
295 :
日本@名無史さん :2006/06/24(土) 15:09:00
>>294 そう無機にならないでよ、事実なんだから。
>>295 筑紫の神話なんて、記紀には殆ど採用されてないわな。
297 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 15:16:04
>>295 反論もできないのか?
イザナギイザナミが生んだ国の順番は、
本州→四国→九州
日本神話は、始まりから、九州主体の神話ではない。
それなのに、神武が九州から東征したという記述だけとって、
「天皇家は、どうして九州からきたのか?」
という疑問を持つこと自体が間違い。
世の中、九州説のレトリックに騙されてるやつが多いけどな。
神武東征は日向発。
天皇家の出自に、日向出身者が大きく関わっているということなんだろ。
筑紫は関係ない。
299 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 18:20:34
>>290-298 確実にPUしか書けないアホ文章!
今度自作自演5回続けたら強行手段にでようぜ!
300 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/24(土) 19:14:06
【…かく言りたまひをへて、御合ひまして、子淡道之穂之狭別嶋を生みたまひき。次に伊豫之二名嶋を生みたまひき。此の嶋は身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故伊豫國を愛比賣と謂ひ………略…】
…古事記…より
淡路島→四国→九州→隠岐(壱岐)………大八嶋國と謂う。
●『穂之狭別/ホサワケ』
※(大国に近接する分離域)大国→(穂/火)大倭/ヤマタホ
●『伊豫/イヨ』
※(現在の伊予で、当時四国の総称)
●『二島名』
※(当時、四国には二通りの呼び名があり、一つは「伊予」そして、もう一つは「愛媛」
●『面國』
※格国
301 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/24(土) 19:21:33
>>300 続き
●『面四』
※伊予(愛媛)国・讃岐国・阿波国・土佐国
淡路島の次に生まれたのが四国
もうめんどくさくなったので止めます。
>>302 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄
無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァ!
303 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 21:05:16
所詮、九州は四国の後なわけだが。
304 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 21:06:10
樟葉の宮のすぐ裏が八幡の石清水はちまんぐうで
305 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 21:41:56
プラムさん・・・・・
306 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/24(土) 22:03:35
今日はアルコール入って気分良いから続きカキコするぞー
※イイカー 目ん玉洗ってよーく見ろよ!
⇒(次に隠伎の三子嶋を生みたまひき。“亦の名”はアメノオシコロワケ)
隠岐⇒大倭/ヤマタホの伎国
●邪馬台国(三十)建国以前、壱岐は隠岐だった
307 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:04:54
>今日はアルコール入って気分良いから続きカキコするぞー
308 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:14:21
>>306 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァ!!
これがわからないなら書くなよw
309 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:15:27
>今日はアルコール入って気分良いから続きカキコするぞー
おなぴもするのん?
310 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:21:08
おなぴだめ!
あたしがはげまして・あ・げ・る・!
311 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/24(土) 22:42:10
(次に筑紫嶋を生みき、この嶋もまた、身一つにして面四あり、面毎に名有り……略……)
●『筑紫』
※九州の総称
●『面四』
※四国
●『面毎』
※格国
九州の総称は“筑紫嶋”
当時の九州は、(筑紫・豊国・肥国・熊曾国)の 四つの国
※それにしても、“肥国”の方が遥かに大きな国なのに何故 総称が“筑紫嶋”なの?
《大倭豊秋津島/オオヤマトトヨアキツ》の意味解釈は
⇒
列島の中心的な存在で、大変豊かな島
詰まり『本州島』
「国生みの順列」
淡路島→四国→隠岐→九州→壱岐→対馬→佐渡→本州
312 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:43:23
はい みなさん馬鹿がはじめましたお!
313 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:48:23
はい みなさん馬鹿まだ騒ぎますお!
314 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:58:23
>>311 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァ!!
315 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/24(土) 23:00:10
今までにない馬鹿らしい流れだな。
317 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:05:21
318 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:06:58
319 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:13:45
320 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:19:46
>>306 PU取締中 お騒がせしております。
>今日はアルコール入って気分良いから続きカキコするぞー
いつもひとりでおなぴもするヲタ取り締まります!
“マ゛カ”らしい
ここは“東京湾を埋め立てた夢の島”の様だな
いい暇潰しが出来た
ありがとう。
ごめんな!
君等の大事な楽園に土足入室して
>>312-313“なまもの”には気をつけてね!梅雨時だから
ほら! そこのオニギリは十日前だぞ。
今言ったばかりじゃ無いかぁー たくぅー!
腹こわすなよ! バイバイ
322 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:22:47
準備完了!
323 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:24:31
よぞでさわいだら・・・
324 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:27:35
合図と薩魔と超州は、PUすれ!確認完了いたしました。
325 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:28:49
井沢もほぼ・・・・・確認完了いたしました。
二度と来るな。くそぷ。
327 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:39:46
安曇さん こんにちわ あなたPU語しゃべれますよね?
>>326 あんたにはこの“夢の島スレ”で、ヲタ相手が似合ってる。
俺は場違いのようだから帰るよ!
クレグレも“なまもの”には気をつけてね!
コラァ!
>>312 そのオニギリは八日前だ! 未だ新しいから“主様”に献上しろ!
どうやって話せばいいんだよw
330 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 23:48:28
こんにちは、取締り中です。
自作始まりました。あほとくとごらんください。
331 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 00:11:26
只今よそで大活躍しています。
気を付けてください、あのあほがあなたのそばにいるかもしれません。
332 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 01:03:15
基地外はいつか犯罪だな!
333 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 01:31:53
PUはおいといて。
マナカナのどっちがタイプk
334 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 01:54:52
強いて言えば妹のほうかなw
それはともかくとして、ぷの荒らしぶりは流石に見かねたので
削除&アク禁依頼出しました。
335 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 01:57:16
よかったよかった
336 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 02:25:01
安曇連=プラム 確かにあるよ。
レス痛いかもですがそれは有りません
>>※それにしても、“肥国”の方が遥かに大きな国なのに何故 総称が“筑紫嶋”なの?
筑紫には九州地方を統轄していた伊都国や大宰府があったからでしょ。
畿内説の場合、記紀の神代はどのように
解釈するのでしょう?
たとえば、高天原、葦原中国、出雲、日向の
出来事や神武東征などです。
一番簡単だけど、まったく答えになってないのが、
全部作り話説でしょうか。
他方、地名や年代が全部正しいというのも無理が
ありすぎるような気がします。
さすがにフキアエズが580年というのは
そのままには解釈しませんよね。
340 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 14:35:13
ズサ━━━━⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
340ゲトー!!
341 :
太国:2006/06/25(日) 14:39:03
>>339 「葦原」っていうのは全世界ということです。
「中国」っていうのは「中津国」の詰まり語で、中心を位置する国という意味で、
大和国即日本のことですな。
343 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 16:09:35
>>342 マジレスするなら、神話時代の話は、中国や南方の神話の借り物ばかりだよ。
高天原も中国の思想の影響がある。
天武天皇の頃の創作というのが通説。
344 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 16:11:33
>>342 その借り方には何か一貫性があるのでしょうか?
そういった解説の本を読んだとき、単に似たような話が
あるというだけという気がしました。
別に中国や南方でなくても、世界中で似たような神話
はあると思いました。神様は大抵高いところにいらっしゃる。
たくさんの神話があれば、似ているものがあるというのは
当たり前だし、特に風土が似ていればなおさら。
何か一つ完璧に似ている神話があるとか、
偶然とはいえない類似が数多くあるとかいうなら別です。
それとイザナギ、イザナミから神武天皇あたり(もっと先?)
までまったくの作り話というのが通説なのですか?
それはずいぶんと畏れ多い・・・
346 :
太国:2006/06/25(日) 16:46:03
>>342 他の国々はその外周ってことだ。w
某古史古伝にて、吾郷清彦氏は外八洲と呼んでいる。
>>344 本物のプラムはヤマタイ関連にしかいないよ。
なんか、ぷ=PU=プラム=日本史板の痛い奴つー解釈で「普通名詞」しちゃいましたね。
『PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ』
浜子ちゃんもしっかり面子に入れられちゃってますw
いくらでも痛い奴って言って
いいからぷと一緒にするのだけは止めて下さい。
>>346 大和国の外周で近畿ということなのかな?
それとも出雲は島根、日向は宮崎そのまま?
超古代史研究家・吾郷清彦氏をしらないので。
350 :
太国:2006/06/25(日) 19:42:11
>>349 失礼、大和国は狭義の、たとえば畿内とかの意味でなく、広義での日本全体の
意味よ。w 吾郷氏は古史古伝の研究家かつ世界神道主導の先駆者と云える方。
351 :
太国:2006/06/25(日) 19:47:56
>>350 そうそう、吾郷氏は神代文字の研究家兼古神道の研究家でもあり、工科系の
切れ者だったよ。
九州説の方の書き込みはご遠慮下さい。
353 :
太国:2006/06/25(日) 21:19:48
>>352 九州説の内容は書き込んでないよ。畿内説にどうのこうの言ってはいないぞ。
【九州説厳禁】とあるが、「九州説論者厳禁」とは書かれちゃぁいないんだよ。
354 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:30:00
武光誠って面白い古代史本書く人だと思ってたけど、九州説なんだよな。
内容の濃い知見に満ちた古代社会の解説が、邪馬台国の話になると無条件で九州になっちゃう。
がっかりした。
355 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:33:01
>畿内説の場合、記紀の神代はどのように
>解釈するのでしょう?
応神=神武。
日向の応神が葛城や吉備の協力のもと東征。
崇神より始まる三輪王朝を簒奪。河内王朝を築いた。
357 :
太国:2006/06/25(日) 22:00:43
プラム氏も九州説論者だと思ったぞ? 変ったのかな?
358 :
太国:2006/06/25(日) 22:05:04
あへ亜屁アへ
359 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/25(日) 22:13:31
太国さんお久しぶりです。
>九州説
東京は関東か関西か等という議論はつまらんでしょう
360 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:18:58
361 :
太国:2006/06/25(日) 22:41:28
>>358はニセ君です。
プラムさんお久しぶりです。今後も健闘を祈ります。
なんだかそれがしは 退去しろ 旨言われてますが、プラムさんは言われてない
ようですが〜? それがしがでしゃばるといい顔をされそうにもないようで、
いったんこのスレを離れますかね〜?w
362 :
太国:2006/06/25(日) 22:51:28
363 :
太国:2006/06/25(日) 23:02:03
余がホンモノです。
↑の2人は偽物です。
364 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:10:05
投馬国=出雲です。
投馬国=鞆の浦では、陸行1月の説明が付かないから。
365 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/06/25(日) 23:12:31
太国さん
正直
居ても得る可きモノは有りません。
2ちゃんは2ちゃんとして利用すべきかと考えます。
366 :
太国:2006/06/25(日) 23:16:32
>>365 ご忠告を感謝。 いずれまた・・・。
なお「ニセ国」多数集合につきご注意を!
367 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:22:20
昔、鞆の浦に近くに住んでいたが、とても、古代の王国の跡
にしては、規模がちいさすぎる。
確かに、芦田川から遺跡の発掘があり、あるていどの規模の
弥生集落の痕跡はあるが、出雲平野や筑後平野から比較して
規模が小さい。
>>348 ぷがデビューしたてで、未だ他人と議論をしているつもりのころ、
名無しで「応援」してたのは皆知ってるよw
369 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/06/25(日) 23:27:08
>>364 まあ、そうでしょうね。
あと、鞆だと総社市から離れすぎだと思います。
>>368 覚えてませんが、3ヶ月ぐらい前まではPU相手
に必死になってましたね。名無しで応援したことは有りませんがな。
>370の最初に「良く」を追加
>>365 >「2ちゃんは2ちゃんとして利用すべきかと考えます。」
一応、ここは学問板だよ。
ちゃんと理解して「利用」してくれよなw
「ネタ」なら「ネタ」でセンス良く、
議論なら議論で、ある程度の知性と品性を見せてくれ。
そうしないと「オカズ」として利用されちゃうだけだよw
それに、そこら辺を弁えないと嫌われるんだからさ・・・
373 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:57:00
374 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:59:34
というかもう議論は終わった?
375 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 00:02:32
>>370 安曇さん、こんばんは、そのPuと同じ人ですよね。
なにからなにまでそっくりだよ。
376 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 00:07:52
チョンコまるだしっすよ
安曇さんはチンコ付いてませんがw
378 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 00:25:11
○´∀`○は発狂したようです。ご愁傷様。後おながいじゃなくてお願いだよ(ワラ
かわいい〜〜!!!!
みんな〜プラム君の時間だよ〜!!
天才君集まれ〜!!
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしっすよー
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
│|│|
⊂つつ
ほぼ毎日初心者板やその他多数の板に出現!!
みんな見たらかわいがってあげてね!! プラム過去レス
安曇=PU 同一人物です。間違い無い。
出雲のド田舎に50000戸も有るわけ無いでしょw
当時は吉備の方がずっと都会ですよw
382 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 15:08:43
>>381 有名なPUさんですね?
吉備の岡山平野は、古代には殆ど海ですね。
特に近世の干拓が主です。
ちなみに出雲も同様に、平野は今よりも少ないですが、
条件は出雲の方が圧倒的に有利です。
なにが有利なんですかねぇw
吉備って、備前、備中、備後、の三国合わせた地域ですよ。
出雲一国なんかと比べ物になりませんよwハッハッハッ(笑)
384 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 17:06:11
>>383 その国別け自体が奈良平安の時代だよ。
それに当時の収穫資料は出ていないけど、
瀬戸内地方は溜池が出来てやっと、
米の収穫が出来るようになった、小学校で習わなかった?
大概の地域では溜池は空海の時代からだよ。
雨降らない所は細々やってたのさ。
急にレベルが落ちたなw
バカも休み休み言えよw
当時の出雲と吉備の考古学を学んでねw
さすればどっちが人口が多かったか一目瞭然ですよw
出雲はド田舎で吉備は都会ですw
わかったかボケナスくんw
387 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 18:10:16
本州の中心地は「出雲と大阪」
388 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 18:12:54
>>386 >さすればどっちが人口が多かったか一目瞭然ですよw
考古学で何が出たの?どうせ人口に直接繋がらないものでしょ。
だいたい君は田舎コンプレックスに満ち溢れてるよ。
吉備周辺の生まれだね。
389 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 19:59:06
人口の多さをいったら、東北のほうが多いわけだが。
投馬が出雲なら、何故瀬戸内海航路じゃなく、日本海航路を利用したか?
の理由が分からない。
さらに考古学的・神話伝承で見ても、畿内との親密度は吉備>出雲だよ。
マキムクの本を読みつつあるんだけど、
これだけ証拠が出つつある今、
そろそろ考古学者も阿讃あたりが
怪しいって気にはならないのかな。
結局、朝鮮あたりまで無事にいけるかどうか
というのは航海技術が重要ということですね。
その点この地域は海洋国だから大丈夫。
実際、早い段階で萩原、阿王から画文帯3面が
でているわけで、直接もらった可能性が
高いわけです。
392 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:32:41
393 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:45:56
畿内が発展したのは、瀬戸内海航路のおかげ。
出雲は関係ない。
>>392 誤爆じゃないでしょう。
最近、まともな議論がなかったわけですし。
確かに東四国地域の軽視は昔からあったわけで、だからこそ北條の
「阿讃地域が前方後円墳のルーツのひとつ」という論説はインパクトがあった。
しかし、庄内開始と同時に建設が始まるマキムクがある以上、
東四国に邪馬台国の所在地を持ってくるのは無理があるでしょう、
というのが大多数の意見では?
マキムク王権の参画者の一人に、阿波・讃岐出身者がいた、では駄目ですか?
>>393 確かに、画文帯や三角縁の配布状況から見ると、畿内王権が日本海航路より
瀬戸内海航路を重要視したことは明白。
そもそも、マキムク王権成立の要因も、瀬戸内海航路の安全保障、
大陸文物(主に鉄資源)の安定供給を目的としたものだろうと思われる。
>マキムク王権の参画者の一人に、阿波・讃岐出身者がいた、では駄目ですか?
三輪山の巫女を王権の象徴的権威に担いで、遼東の公孫氏の力をバックに、
倭国連合を成立させる。結果的にヤマト政権の基礎となった訳だが。
では、そのマキムク王権のプランナーは、一体どこのクニであったのか?
397 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 01:57:43
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしっすよー
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
│|│|
⊂つつ
投馬国は吉備の何処かです。出雲なんかで有る筈が無い。
399 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 13:06:23
投馬国=鞆の浦 これ定説ね。
投馬国=出雲などと言ってるキチガイはダレだぁwハッハッハッ(笑)
401 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 15:30:10
投馬国=熊本
これ、事実ね。
402 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 16:37:32
九州説者の書き込みはご遠慮願います。
403 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 18:20:34
ぷの書き込みはご遠慮願います。
>>394 ここで東四国説を強行に推すのは
ダメだっていわれましたので。
確かに「畿内説スレ」ですから。
あれは東四国説を推す話でして、
「魏志倭人伝を読むスレ」への
投下の誤爆です。
まあ、それでも名無しで、しばらく
「なぜみなさんは畿内説を推すのか」
尋ねているわけです。
これまでの論拠では、私はまったく
納得できないのです。
なんというかあまりにも印象だけの
話という気がしませんか?
>>394 きっと、私の「邪馬台国の定義」と大多数の方々の
「邪馬台国の定義」がかなり異なっている可能性が
あります。
私の定義は、「倭人伝の24国、特に傍国21国の順序
を保ってきちんと比定できる場所が邪馬台国」です。
これは強い条件でほとんどの説が成功していません。
唯一大杉博氏の四国山上説が、かなりきれいな
構造をしていたので、近年の漢字音の研究も踏まえて
修正をしながら比定をしたところ、うまくいったわけです。
だから東四国説を推すのです。
ただしかなり勉強しないと漢字音の読み方は
難しいでしょう。倭音の読み方とはかなり違うので。
例えば「都」は「た」なのか「と」なのか「つ」なのか
わかりますか?
みなさんの「邪馬台国の定義」はどういうものでしょう。
「卑弥呼の墓があるところ」というのもありそうかな。
>ここで東四国説を強行に推すのは
>ダメだっていわれましたので。
いいと思いますよ、別に。
正直、邪馬台国関連スレの乱立は目に余る。
まともに議論をしようとせず、自説を垂れ流す独善的な輩が多いため、
その解決策なんだろうが。
そういう奴は掲示板じゃなくて、HPでもブログでも自分で立ち上げて、
勝手にやっとけよ、と。
ぷ、お前のことだよ。
407 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:15:25
というか、邪馬台国が四国ということで信じて疑わないなら、それでいいんじゃないか?
他人に同意を求める必要があるのか?
同意がえられなくても、あいつはバカだとでも思ってれば?
408 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:31:06
んぷぅ ぷっあははははははははっはははっはあっはっはっはっはははあははっははっはは!
409 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:52:20
海族としてありえることです、和歌山の大田氏が移住した大阪の大田地区とかも
古墳がふるさとを向いてるので
410 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:15:14
○´∀`○は発狂したようです。ご愁傷様。後おながいじゃなくてお願いだよ(ワラ
かわいい〜〜!!!!
みんな〜プラム君の時間だよ〜!!
天才君集まれ〜!!
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6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしっすよー
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
│|│|
⊂つつ
ほぼ毎日初心者板やその他多数の板に出現!!
みんな見たらかわいがってあげてね!! プラム過去レス
411 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:54:41
鞆の浦は投馬説を引っ張り出したものです。
説の面白さを感じながらも、比較的そばに住んでいながらあんまり信じていません。
吉備からみても余りにも端っこだし、鞆の浦から上陸してひたすら巻向まで陸路というのはなんか変な感じがします。
時間的な面ではしっくりしてくるような気がしますが。
あえてこここら陸路で進む理論を説明できれば面白いと思いますが。
私自身は備中が投馬説が優勢な感じをもっていますが、出雲説他に丹波説にも魅力を感じてはいます。
巻向から現在発掘されている土器で出雲と吉備どっちが多かったのか・・うーん調べるのめんどくさくなった。
「鞆の浦はじつは出雲の一部だったんだよ」なんていいだすと、私も電波の一人ですね・・消えます。
>>405 「浮穴(うきあな)」を「鬼奴」と書く分け無いだろw
「浮穴(うきあな)」が「うけな」と呼ばれる様になったのは近世。
他のもそうだけど、中世、近世に付けられた地名と
対応しても何の意味もありませんよw
だからいい加減倭人伝に頼るのやめようよ
414 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 09:19:49
巻向が卑弥呼なわけないじゃん
巻向遺跡は単なる、弥生時代の集合村落でしかないものと思われる。
畿内説の人は、ほんとに変なのが多いね。
九州信奉者
>>巻向遺跡は単なる、弥生時代の集合村落でしかないものと思われる。
そう思われる根拠をきちんと書いてみな。
>>412 面白い!そういう反論を待っていたのです。
地名に対する認識を議論したかったのです。
「鬼奴」
これは非常に難しいのですが、
どう読めばいいのか分かってるのですね。
「都」についても答えてください。
どこまで分かって言っているのか
ちょっと楽しみだな。
あと「うきあな」と読むのが古代の
読み方だと、断言しますか?
それこそ変だと気づきません?
地名の古い新しいは、いつ「文献にあらわれたかどうか」
にすぎません。
現在「島」でもないのに「*島」という地名がついている
ところは、古くは大抵「島」だったところです。
ところが、古代のみ「島」だったところで、
古い文献に現れていない地名なんて
無数にあります。
いや、それどころか確実に古代に人が住んで
いたのに古い文献に一切地名が現れていない
地域なんて無数にあります。
知名なしで古代人は生活していたのでしょうか?
地域の区別をつけずに生活するなんて
考えられないのですが。
結局、古い時代の地名で文献に現れているものは
極少数というような認識がないのかなあ。
つまり、古い文献であらわれていない地名は
古い地名ではないとすれば、紀元前は日本
にまったく地名がなかったということで
いいですか?
こんなかんたんな推論もできない?
419 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:19:40
420 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:30:42
こんばんは!
>>419 どのくらいの割合で文献に地名
が現れてるのかということです。
紀元前なら0%ということですよ。
現代なら100%近いかも。
角川地名大辞典はすばらしい。
最近合併で地名が少し増えたけど。
さて、飛鳥、奈良時代くらいなら
どうなるでしょうね。山や川の名前とか
あったはずなんだけどね。
422 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:07:35
日本の地名は似たものが全国にあるから、
こじつけようと思えばいくらでも出来る。
クナ国ひとつでも、熊本、木ノ国、毛野国と日本中に可能性がある。
考古学を無視してると、ただの言葉遊びに終わる。
>>422 だからですね、24国全部、しかも21国は順番に
弥生後期−古墳前期の遺跡と対応させて、
比定したらいいんじゃないですか?
倭人伝にはそう書いてるんだから。
いくつかの国名は消えてしまっている
可能性もあるけど、いくつかは残ってるでしょ。
順番だったら、少々穴があいてても
なんとかなりますよ。国になるくらいの
遺跡は残ってるはずだから。
広範囲の地域から順序を無視して選ぶなら
それは単なる言葉遊びですけど、狭い地域で
それができるなら統計的に意味があります。
424 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 23:00:08
>>423 なぜ「順番」にならんでると思うのだ?
まずそこから説明せよ。
>>423 しかし、庄内開始と同時に建設が始まるマキムクがある以上、
東四国に邪馬台国の所在地を持ってくるのは無理があるでしょう、
というのが大多数の意見では?
426 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 00:04:57
わたしもプラムさんの言うとおり、
裸国の人は裸に近い格好ですんでいたのかもしれませんから、
いつもチョンコまるだしっすよ!さぶいけど。
それにマゼラン海峡の近くの原住民は氷点下に近くなる日も
あるのに裸同然で暮らしていたと書いてあったような気がしますから、
いつもチョンコまるだしっすよ!さぶいけど。
やっぱプラムサン!さぶいすっけど、チョンコまるだしっすよ!
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| ゝ | <チョンコまるだしっすよー
\ ∀ /
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U ♂ )
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⊂つつ
魏志倭人伝に書かれている国名は、邪馬台国を除いてほとんど
九州の国名だと思う。
畿内は大和によって統一されていたが、九州は小国分立していた。
魏志倭人伝に吉備の国名が出ていないのは、きわめて象徴的である。
つまり当時は、吉備は既に邪馬台国の支配下にあって、王がいなかった
ということだ。つまり、中国地方も邪馬台国の支配下にあった。
従って、邪馬台国に出てくる国名を畿内の国名にあてはめるのは、
基本的に意味がないと思う。
>つまり当時は、吉備は既に邪馬台国の支配下にあって、王がいなかった
>ということだ。つまり、中国地方も邪馬台国の支配下にあった。
じゃあ、投馬国って何処?
430 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 00:58:47
同じ国という解釈は極端かな。
魏志倭人伝ってまだ研究が必要なの?
新しい解釈したって結局は机上の空論でしょうに。
○○国は□□だと思うみたいな理論は不毛だと思うんだが。
玉虫色の魏志倭人伝じゃなく、他のアプローチはしないの?
したくないのかできないのか知らんが。
432 :
筑波山:2006/06/29(木) 18:21:05
>>431 要するに、魏志倭人伝を旨く読みこなせ無いので 何かと理由を付け、自分をごまかしているのだろうw
433 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 18:42:53
>>432 PUの新キャラ チョンコまるだしっすよー
じゃあ誰が上手く読みこなせてるのかと小一時間t
プラム
>>424 倭人伝に「次有斯馬国、次有巳百支国、次有伊邪国、次有都支国、
次有彌奴国、次有好古都国、次有不呼国、次有姐奴国、次有対蘇国、
次有蘇奴国、次有呼邑国、次有華奴蘇奴国、次有鬼国、次有為吾国、
次有鬼奴国、次有邪馬国、次有躬臣国、次有巴利国、次有支惟国、
次有烏奴国、次有奴国」とあります。
実に21個の「次」が使用されています。
しかも、それは旅程の記事の後であり、その後も「南有狗奴国」
と書かれているのですから、明らかに地理の記事ですね。
これで地理の順序でないと思う人はどのくらいいるでしょう?
中国人に聞いてみたらよさそうですよ。
>>431 うまく解釈できたら、邪馬台国の都も
卑弥呼の墓も見つかるよ。
そうすれば勝ちでしょ。
それ目指して、やってます。
まあ、数年のうちだからお楽しみに。
>>425 どうして無理なのか、論理的に分からないのだけど。
たとえば、当時の阿讃の文化が畿内に影響されていた
というなら分かるけど、それは考古学的な事実からは
逆なんですよ。東瀬戸内が畿内に影響を与えている
のであって、逆はあまり認められない。
例えば、徳島の愛宕山古墳とかは畿内的様相が濃い
古墳だけどそれは築造が5世紀初頭。
ずっと後なんですよ。
ちなみに徳島県板野郡の黒谷川郡頭遺跡は、
まさに先進的な遺跡。ぜひともこの遺跡を勉強してほしい。
ちょっと驚きだから。弧帯文なんてのも非常に早い段階で
土器に現れている。
>>437 >どうして無理なのか、論理的に分からないのだけど。
庄内や布留式土器の全国的な拡散、マキムク型前方後円墳など、
ヤマト政権に繋がるマキムク王権を無視して、東瀬戸内地域は語れないよ。
少なくとも、3世紀初頭以降は東瀬戸内地域は畿内王権の領域に組み込まれていた
と見るべき。
東四国が畿内王権とは独立した勢力と言うなら、独自の文化体系があってしかるべきだが、
それも見当たらない。
>卑弥呼の墓も見つかるよ。
径百余歩の大型古墳なら、今まで見つかっていない方がおかしいと思うが。
『プラムからの一言』
※口伝も文章も記録の仕業に共通した合理的“法則”がある。
これを(仕掛け)という
だから、これらの記録を解析するにはまず、この法則を把握し、理解する事が先決。
口伝も文書も記録に微塵たりとも矛盾はない。
解析する端から生じる矛盾は、解析者本人が作り出すモノ
発生した矛盾を編纂者の(誤記・虚記或は写記者のミス)などと結論付けてしまい、解析不能の原因は編纂者、写記者にあるとは
【言語道断】である。
せっかくだから、引用しておきましょう。
日本の古代遺跡 徳島p.82
「二・三線帯入り組み文構図のパターンが(黒谷川)I式
には確立しており、吉備における鬼川市III式段階
の立坂型特殊器台に見られる横位入り組み文の
構図を、すでに見いだせる・・・・
吉備の弧帯文に先行する単位図形が土器の上
にあらわれていることを知ることができる」
黒谷川I式=弥生時代後期前半
黒谷川II式=庄内古段階
黒谷川III式=庄内新段階
鬼川市III式は、黒谷川I・II式の間
プラム、アホ過ぎ。
しかも、自分のアホな言説を信じ込んでいて、薄ら寒さすら覚える。
自分の勉強不足を棚に上げて、「所詮、本で読んだ知識だろ」とか言う。
ていうか、プラムが本を読まな過ぎなだけだと思うが。
>>440 だからさ〜。畿内発生の前方後円墳の祭りは、各地域の祭祀のパッチワークだと言われていて、
当然東四国の影響もあるのだろうが、別に東四国単独の文化を継承しているわけじゃない。
マキムクが前方後円墳の中心地であって、マキムク開始(庄内開始)が239年より以前である事は、
考古学的には確定的。
少なくとも239年の時点で、マキムクの王(女王?)を無視して、東四国が独立していた
とはとても言えない状況だと思うわけだが。
>>438 >東四国が畿内王権とは独立した勢力と言うなら、独自の文化体系があってしかるべきだが、
>それも見当たらない。
そりゃウソでしょう。えらく古い考察ですね。
「古墳時代像を見なおす」を読んでおいたほうがいいですよ。
一昔前は、どんな遺物がどんな時代に出ようと
「畿内の影響が・・・・」とか言って済ませてた人がいたって話です。
時代を考えれば明らかに逆なのに。
萩原にいち早く画文帯神獣鏡が出ていることとか、
前方後円墳の墓制の影響とか、朱の精製とか、弧帯文のこととか、
極度の低湿地での遺跡とか、いろいろ勉強してください。
>>卑弥呼の墓も見つかるよ。
>径百余歩の大型古墳なら、今まで見つかっていない方がおかしいと思うが。
古墳というよりも自然地形を利用した墓でしょう。
この地域は萩原2号墓だって、未調査だったんだから・・・。
ほとんど調査してませんよ、私が候補にしている所は。
たぶん予算がないし、開発もないし、が理由です。
>>442 うーん、どうしてマキムクのような新しい有力勢力
ができていたということだけで、他の勢力に影響を
及ぼせたと思っているんだろう?
考古学的に何か影響をおよぼしたという具体的な
証拠があるのですか?たとえば、こういう遺物が
阿波に大量に搬入されたとか。
土器に関しては逆のことがわかってますよね。
阿波からというのが多くなってきてるでしょ。
>>441 >プラムが本を読まな過ぎ
※巷に溢れてるトンデモ本読んでどうするの?
本、沢山読んで
『トンダモ・グランプリ大賞』でも狙うか?
オラやだよ。
447 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 22:37:46
>>447 ふぁ〜い!
一生懸命穴掘り研究に没頭していれば 立派な先生なのに、『邪馬台国』に手を延ばすから……
トンダモで〜す。
449 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:47:48
450 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 00:06:17
>>443 >萩原にいち早く画文帯神獣鏡が出ていることとか、
>前方後円墳の墓制の影響とか、朱の精製とか、弧帯文のこととか、
>極度の低湿地での遺跡とか、いろいろ勉強してください。
本当に自身はよく理解して上記の発言をしているのかな?
画文帯のタイプでは特に萩原が古いわけではないし、
土器編年でも萩原が纏向より遡れるとは限らないし、
弧帯文もそんなに単純にルーツを決められるかは議論があるだろうし、
ちょっと四国しか見ていないような気がする
それにしても朱の精製や極度の低湿地でいったい何を語ろうと言うのか
>>.450
別に画文帯のタイプとかいう話ではないですよ。
「萩原から早く出ている」といっているのです。
萩原周辺の有力者が直接もらった可能性が
高いといっているだけです。
それは、独自の文化ではないですか?
弧帯文のルーツの議論は、どういうものがあるか
教えてもらえますか?「大和・マキムク遺跡」
の対談pp.461-465でも阿波はでてこないけど、
阿波の土器は弥生後期前半なんですが。
黒谷川郡頭遺跡ですが、標高0.8〜1mのところに
旧吉野川に面する東端から西1キロにおよぶような
大規模遺跡が見つかってるわけで、そんな位置で
広範囲に遺跡があるというのは素敵じゃないですか?
(竪穴住居跡は24棟が見つかってるらしい。)
旧吉野川に近いと交易には便利だけど、暴れ川
だから災害に関しては面倒なことも多いのだから。
朱に関しては若杉山遺跡から搬入されたものを精製
しているわけで、搬出においても文化の広がりが
確認できるわけです。
「当時の阿讃に独自の文化がない」といっていることに
反論しているわけで、「独自の文化がなかった」
という論拠を示してください。
>ちょっと四国しか見ていないような気がする
いや逆に今まで四国を見ない人が多すぎたんですよ。
452 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 11:28:04
まーまー、ここは落ち着いてですね。
畿内説も四国説もとりあえず協力して、あほな九州説を潰しておきましょうや。
>>451 四国説が成り立つ可能性があることはわかりましたから、
九州説が絶対成り立たない理由の主張もお願いします。
四国説が成り立つ可能性など無い。
454 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 14:28:25
センス悪すぎだろう
前方後円墳が周りの墓制を寄せ集めてできてるんだから、
畿内王権ができる以前、その周辺にある程度独立した文化があった。
ってことでしょ?
その一つが邪馬台国という可能性は0ではないけれど。
じゃあその周辺だった文化がなぜ畿内に集合したのか?
まで考えないとよくないんじゃまいか?
イミフメイだな。素人ですまん。
457 :
446:2006/06/30(金) 21:07:25
>>456 それは学術的に大事なことだと思うし、
大変面白いことです。
畿内の地理的な有利性、各地の勢力が集結する
のに格好の場所だったと思うのですが、
もっと他にも理由があるのでしょうね。
ただ、考古学の宣伝なのかもしれないけど、
倭人伝のデータが解釈できないのに
邪馬台国に結びつけるのはどうかなあと思うのです。
後世の人が見たら、軽蔑しませんかね。
私は、後世の人には軽蔑されたくないので、
問題点ははっきり挙げておきます。
考古学者北條氏による
「敗戦後の日本考古学と古墳時代研究」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/arch/hojo/haisengo.html
458 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 22:17:47
銅鐸とか卑弥呼の時代の鏡のどうの成分を調べて見たら、最初は朝鮮半島から、
時代が少し下ってから中国からという結果が出たそうだ。
あの時代の鏡は今でもたくさん出土しているから、あの時代はそれこそ
大量に出回っていたのだろう。魏だけではなしに呉の伝来の鏡とか
銅製品がもっと見つかってもいいような気がするのだが、
まして呉の国は結構な大艦隊を持っていたから、東シナ海を直接
横切るのは難しいにしても、山東半島から朝鮮半島を経て、日本列島と
交易をするのはわけなかったような気がするのだが。
「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を
共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、
入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、
ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言
ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が
代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)を
クチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛
む。中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、
鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。 」
* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *
華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
>古墳というよりも自然地形を利用した墓でしょう。
>この地域は萩原2号墓だって、未調査だったんだから・・・。
径百余歩=150メートル以上の古墳なら、ある程度の平地に築かれたものだろうし、
未だに見つかっていないのはおかしいと思うのだが。
十数メートルの萩原とかと比べられてもねえ。
倭人伝を読む限り、邪馬台国の所在地は九州か畿内の二つに絞られる。
少なくとも、邪馬台国は北部九州諸国に影響力を持っている強国でなければ
ならない。
萩原の古い画文帯は、畿内王権から下賜されたものではないと私も思う。
しかし東四国のオウが、たとえ航海技術を駆使して単独で入手したにしろ、
別に東四国が単独で、狗奴韓国から邪馬台国に至る道筋の国々をリードしていたとは到底
思われない。というかそのような考古学的証拠は皆無。
呉越系弥生人=倭人とも言う。が朝鮮半島南部に移民、彼らの勢力によって、
加羅、新羅、クダ羅(百済)、耽羅(済州島)、末羅(松浦半島)比羅(平戸)
と大和勢力(呉越系弥生人と縄文人のハーフ)による、連合国家樹立かな?
463 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:59:25
465 :
446:2006/07/01(土) 00:15:56
>>460 萩原が径百余歩であるわけはないでしょう。
道路が通るようなところならすぐに見つかった
でしょうけど、もうちょっと奥のほうです。
>>461 そこで、四国南西部と四国北西部との連携です。
私が投馬国に比定している西土佐や
傍国の多い伊予と協調路線をとれたので、
瀬戸内海航路も万全になったんでしょう。
西土佐あたりには朱を搬出していますね。
北九州との関係は西土佐とのつながりに
よるものだと想像しています。
>>465 だから畿内説なら、庄内式の拡散とか、マキムク型前方後円墳とか、
画文帯とか三角縁とか、北部九州にも影響力があった全国的規模の大国であった証拠が
あるわけです。
東四国にそれがありますか?
卑弥呼の墓の件は、かなり電波入ってそうな。
一応聞きますが、あなたは四国出身者の方でしょうか?
呉越系弥生人=倭人はアジアのバイキングらしいな!ほんとかな
百済も呉越人の植民地。
468 :
446:2006/07/01(土) 08:58:44
>>466 > だから畿内説なら、庄内式の拡散とか、マキムク型前方後円墳とか、
> 画文帯とか三角縁とか、北部九州にも影響力があった全国的規模の大国であった証拠が
> あるわけです。
> 東四国にそれがありますか?
三角縁をほとんどもらわなかったことが、
逆に東四国の独自性でしょう。
舶載鏡の質の良いものの方がよかったし、
最初の倭王としての意地もあったのでしょう。
> 卑弥呼の墓の件は、かなり電波入ってそうな。
そうですねえ。記紀をまともに史実だと
信じる人って少ないでしょうから、
大多数の人からは電波はいってるように
みえるでしょうね(笑)
ちなみに天照=卑弥呼説です。
ただ、阿波説のように八倉比売神社の古墳
とかいってるわけではありません。
いくつかの候補点はあるのですが、鳴門市の
大麻山周辺とだけいっておきます。
469 :
446:2006/07/01(土) 09:09:34
> 一応聞きますが、あなたは四国出身者の方でしょうか?
出身だろうとなかろうと議論には関係ないです。
作業仮説が考古学史料や文献史料のデータと符合するか
どうか判断するだけです。
残念ながら邪馬台国出身ではなかったようです。
他国からの影響を受けないことが、独自性でしょう。
東四国から周辺諸国への搬出は、土器、朱、
結晶片岩などがありますね。
鮎喰川流域の勢力が旧吉野川北岸に移動したのが、
ポイントかな。
東阿波型土器
弥生時代後期〜古墳時代前期初頭にかけての土器型式。
主に吉野川下流域を中心に出土するが、その成立の地は
吉野川の支流である鮎喰川流域に求められる。東阿波型
土器はあくまで、この時期の土器の一部を構成する土器
型式である。また、朱の搬出に伴い畿内や東部瀬戸内、
西土佐地方までの広範囲に運ばれていった。
http://www.awakouko.info/modules/pukiwiki/179.html
>>468 >三角縁をほとんどもらわなかったことが、
>逆に東四国の独自性でしょう。
古い段階の三角縁、東四国から何枚も出てるでしょ。
何言ってるんだか。
>出身だろうとなかろうと議論には関係ないです。
議論に関係ないけど、邪馬台国が自分の郷里の近くにあって欲しいという願望が、
眼を曇らせてしまいますから。
実際、そういう輩、多いですよね。
東四国地域が旧来言われていたような後進地域でなかったことは認めますが、
かと言って、そのまま邪馬台国所在地であると主張されてもねえ。
根拠は倭人伝とか、21国の配置の「合理的」解釈とか、電波と言われても仕方ない
ですよ。
472 :
446:2006/07/01(土) 10:02:47
>>470 もちろん、徳島を中心にして考えてるんだけど。
具体的にどこ?古墳からなの?
参考 日本の古代遺跡 徳島
緒言
「前期古墳があるのに三角縁神獣鏡がない」by森浩一
p.89 徳島県出土の銅鏡地名表
宮谷古墳。
東四国地域で徳島に限定した理由は分からない。
普通、東瀬戸内地域を一つの文化圏として考えるべきじゃないかとも思うが。
本当に東四国に邪馬台国があって、筑紫にまで睨みを利かすことが出来る強国なら
徳島限定はおかしいのでは?
庄内の頃ならまだしも、三角縁=布留の頃まで東四国は畿内に影響されず独立を
保ってた、てか。
本当にアホらしい。
まあまあ。
東四国の子が言ってるように、布留以降まで畿内に影響されることがなかった
阿波地域(邪馬台国)が、最終的にどうなったと考えているのかを聞きたい。
やはり最終的に畿内王権に併合されたのか?
それとも畿内を逆に征服したのか?(河内王朝?)
476 :
446:2006/07/01(土) 11:29:16
>>473 四国全体にしてもやっぱりあまり多くない
という気が・・・。
三角縁が副葬品の特上品として扱われたと
主張してるわけではないですよね。
画文帯や内行花文のほうがいいですよね。
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html >>475 3世紀前半に各地の勢力が東四国出身者を
たてて畿内王権の母体になり(ヒルコやニギハヤヒの伝承)、
4世紀中頃〜5世紀にさらに東四国出身者が畿内王権の
譲渡してもらう(神武東征の伝承)。
譲渡してもらえたのは同じ天尊の子孫だったためで、
いちおう戦って負け戦らしい雰囲気だったけど、
裏切りもあってなんとか譲ってもらえた。
その後は畿内が完全に倭の中心。
記紀からはこんなストーリーがかけるかな。
>3世紀前半に各地の勢力が東四国出身者を
>たてて畿内王権の母体になり(ヒルコやニギハヤヒの伝承)、
ここまではまだ理解できるが(蛭子とか饒速日とかは別として)、
>4世紀中頃〜5世紀にさらに東四国出身者が畿内王権の
>譲渡してもらう(神武東征の伝承)。
この辺りには、何か根拠があるのかね。君の「記紀解釈」という名の妄想以外に。
478 :
446:2006/07/01(土) 11:43:03
邪馬台国と投馬国や傍国との関係は、
支配と被支配の関係ではないでしょう。
倭人伝には2世紀後半〜3世紀に女王を共立
したということが書かれています。
女王国は共和国というですね。
479 :
446:2006/07/01(土) 11:52:59
>>477 5世紀初頭に築造された板野郡の愛宕山古墳が
畿内的な様相を帯びます。この古墳が神武の父の
フキアエズの御陵だと考えています。
私は記紀に「どこどこに御陵があり」とあるのは、
実際に住んでいた人間が古墳の具体的な位置を
知っていて伝承されたと考えています。
もちろん埋葬者の具体的な人物名はまるっきり
違っていた場合もあったとは思うのですが、
大麻山周辺だと狭すぎて間違えようがない。
天照は神様なので死なないので、
御陵の位置はかかれてませんね。
庄内期の初期ヤマト政権が共和制であったことは、俺もそうだと思うが、
その中心はマキムクであって、東四国ではない。ていうか、東四国が中心という
考古学的証拠がない。
何故こんなことが分からないのだろう。
481 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 15:23:49
大和のマクムク遺跡がおこるのは、大体3世紀になってからか、
3世紀後半です。聖地であって住居の遺跡ではないとかんがえられて
います。
>>481 >聖地であって住居の遺跡ではないとかんがえられています。
そんなん考えられていないしw
>>481 マキムクは、庄内初期に造営開始されているのだが。
庄内初期が3世紀後半だと主張するなら、君の好きな東四国の遺跡も新しくなるわけで、
ますます邪馬台国東四国説は成り立たなくなるんじゃないのか?
東四国説の根拠という画文帯にしたところで、畿内中心に分布。
徳島県出身者、乙。ということで。
東四国説が完全否定されたところで改めて問います。
三輪山の巫女を王権の象徴的権威に担いで、遼東の公孫氏の力をバックに、
倭国連合を成立させる。結果的にヤマト政権の基礎となった訳だが。
では、そのマキムク王権のプランナーは、一体どこのクニであったのか?
候補国 … 筑紫 吉備 出雲 東海 丹波 大和単独
淀川水系(近江・山背)
東瀬戸内(阿讃、摂津、河内)
487 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 21:55:26
「倭人伝」というように日本は「倭」と中国人から呼ばれた。
その中国人からもらった漢字を、自分の国に当てていた国が首都。
「やまと(大和)」は、昔は「倭」と書いた。
ということは、「倭国」=「邪馬台国」=「畿内」ということになる。
九州では、「倭」と呼ばれた土地はない。
488 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:01:13
対馬とか半島南部も「倭」と呼ばれていたようですけどね。
489 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:40:12
日本人が地名に「倭」をつけた土地は九州には無い。
490 :
筑波山:2006/07/01(土) 23:11:42
「倭」=日本列島
「大倭」⇒大和
倭とは 人に委ねる
491 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:01:25
関西はしょせん寄せ集め
492 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:18:30
ヤマタイ=ヤマトだよ。
493 :
筑波山:2006/07/02(日) 01:33:18
ヤマタオノオロチ
495 :
446:2006/07/02(日) 06:31:41
>>480 マキムクが東四国を含むようなある勢力の
中心地といえる根拠を示してください。
>>484 問題は鏡の出土枚数じゃないですよ。
いつ出たかということと、その影響を
見ることが大事。
周辺に影響を与える地域こそ、
中心地じゃないですか。
2世紀後半〜3世紀前半に畿内から東四国に
どのような影響を及ぼしたのか。
三角縁神獣鏡でしょうか。
徳島では吉野川南岸の宮谷古墳から3枚、
香川で猫塚、高松茶臼、奥3号から6枚。
これが影響というのは、弱いでしょう。
私が都にしている吉野川下流の北岸には、
どんな影響があったのですか?
496 :
446:2006/07/02(日) 06:32:21
>>484 あとわたしは徳島出身ではないです。
神武東征は近畿と東四国で墓制が
似通っているため、古墳への影響は微妙かも。
愛宕山古墳とその当時の近畿の
古墳との差異が神武の墓にあるかもしれない。
だけどその5世紀前半の古墳の特定が難しい。
497 :
446:2006/07/02(日) 06:34:13
もう一度引用します。
「古墳時代像を見なおす」pp.88-89
右側が列島における起源地・搬出地です。
1外槨
墳丘 列島各地(東瀬戸内)
段築 不明(吉備か東瀬戸内)
葺石 東瀬戸内
2内部主体
竪穴式石槨 吉備・東瀬戸内
排水施設 不明(朝鮮半島か東瀬戸内)
割竹形木棺 丹後・東瀬戸内
(北頭位 中国諸王朝・近畿)
3副葬品
朱・ベンガラ 魏王朝・東瀬戸内・東海
三角縁神獣鏡 魏王朝・近畿
後漢鏡・倭鏡 中国諸王朝・諸勢力
玉類 不明(北部九州・山陰・北陸)
石製模造祭具 北部九州・山陰・北陸(東海)
武器 北部九州・丹後・瀬戸内
武具 不明(中国・朝鮮半島)
工具 北部九州・吉備・丹後
4外表施設
墓壙上祭祀 東海諸地域・東瀬戸内
白色円礫 東瀬戸内
円筒埴輪 吉備
壺型埴輪 東海諸地域
498 :
446:2006/07/02(日) 07:01:02
499 :
446:2006/07/02(日) 07:05:52
>>495で書き間違えました。
2世紀後半〜4世紀前半に畿内から東四国に
どのような影響を及ぼしたのか。
いい加減、うざいよ。
東四国に三角縁が少ないのは、もともと大きいクニがなかったこと。
畿内が吉備と提携したことにより、東四国の重要性が薄れたためだろう。
瀬戸内海航路の政治的安定を希求する畿内が、重要パートナーを東四国→吉備に変更した。
502 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:08:41
庄内式より前に、瀬戸内海航路なんてあった?
503 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:14:10
504 :
日本@名無史さん :2006/07/03(月) 16:29:46
いいかげん、四国厨をなんとかしてくれ。
妄想にしても、ひどすぎる。
505 :
446:2006/07/03(月) 20:04:56
全然先を読まずに書いてる人だけで、
論客がいないってことはずっと
分かってるんだけどね。
帆船とガレー船の速度の安定度の差も
知らずに、北九州から畿内まで30日
かかるって考えるひとたちだから。
そりゃ、正論だされれば、うざったいでしょう。
議論は、論理と証拠で成り立っていて、
そんな感情とは別物だということもしらない。
>>501 畿内の影響はそれほどないってことですね。
では弥生後半から古墳前期で四国が独自
の国だったとしても、何ら問題がないわけ
ですね。
「畿内中心主義」という論拠のない
古い仮説だけで主張をするのは、
そろそろやめるべきでしょうね。
506 :
筑波山:2006/07/03(月) 20:15:19
>>505 四国は侏儒国だと 漢籍に書かれているだろう。
>>505 私は別に畿内中心主義じゃないですよ。
ただ、東四国さんは
>だから畿内説なら、庄内式の拡散とか、マキムク型前方後円墳とか、
>画文帯とか三角縁とか、北部九州にも影響力があった全国的規模の大国であった証拠が
>あるわけです。
>東四国にそれがありますか?
の問いに答えていないですよね。
少なくとも、考古学的に庄内期(3世紀初頭?)に東四国に全国規模の王権が存在した
という考古学的証拠は見つかっていない訳です。
三角縁が見つからないことが証拠、ってねえ。
証拠を提示して欲しいと言われてるのに、「無いことが証拠」って。
詭弁っていうか、子供の言い訳じゃないんですからw
東四国の三角縁もゼロじゃない。っていうか何枚か出てますよね。淡路島からも古い形式の三角縁が
見つかってたと思います。
私はむしろ、画文帯が吉備から出てこないことに注目したいのですが。
邪馬台国東四国説の根拠
@東四国で三角縁神獣が余り出土していないことから、マキムク王権の影響を受けていない
ことが推測される。
A倭人伝のあくまで「合理的な」解釈。
Bマキムクはあくまで聖地であって、住居跡ではない。
C鳴門市の大麻山に、150メートルの巨大古墳が隠されている。
>>509 「記紀から分かるストーリー」なるものは、流石に余りに酷いので除けておきましたw
511 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:18:39
わたしもプラムさんの言うとおり、
裸国の人は裸に近い格好ですんでいたのかもしれませんから、
いつもチョンコまるだしっすよ!さぶいけど。
それにマゼラン海峡の近くの原住民は氷点下に近くなる日も
あるのに裸同然で暮らしていたと書いてあったような気がしますから、
いつもチョンコまるだしっすよ!さぶいけど。
やっぱプラムサン!さぶいすっけど、チョンコまるだしっすよ!
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしっすよー
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
│|│|
⊂つつ
>>509たのむから別スレ立ててそっちでやってね。
513 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 14:43:15
485 :日本@名無史さん :2006/07/01(土) 20:39:51
東四国説が完全否定されたところで改めて問います。
三輪山の巫女を王権の象徴的権威に担いで、遼東の公孫氏の力をバックに、
倭国連合を成立させる。結果的にヤマト政権の基礎となった訳だが。
では、そのマキムク王権のプランナーは、一体どこのクニであったのか?
486 :日本@名無史さん :2006/07/01(土) 20:43:49
候補国 … 筑紫 吉備 出雲 東海 丹波 大和単独
淀川水系(近江・山背)
東瀬戸内(阿讃、摂津、河内)
514 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 15:26:21
>では、そのマキムク王権のプランナーは、一体どこのクニであったのか?
初期ヤマト政権の直轄領を考える時、初期マキムク型前方後円墳が無いことが
前提になるだろう。直轄領内では王墓の築造が規制されたであろう、と。
つまり、吉備や淀川水系、筑紫などは外れる。
大和川水系・東瀬戸内地域が残るのではないか?
515 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 16:15:02
庄内開始がBC2世紀半ばまで遡る場合、邪馬台国=初期ヤマト政権の覇権確立のプロセスは、
以下の通りになるのではないか。
@2C半ばに、東瀬戸内地域・大和川水系(大和・河内)の首長連合が生まれる(邪馬台国7万戸の成立)。
A3C初めに、吉備や筑紫、大和川水系の首長たちが邪馬台国の女王卑弥呼を盟主に、倭国連合を結成する。
従来、Aは議論されていて、その時、「なぜマキムクが首都に選定されたのか」が問題とされていた。
「マキムク市論」など無理矢理な理屈が、前スレでも主張されていたが。
上のように考えれば、邪馬台国体制の確立が、非常に無理なく説明出来ると思うのだが。
516 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 16:30:05
「マキムク市論」のどこに無理があって、
>>515のどこが無理が無いのかわからん。
マキムク市論が無理矢理なのは自明であると思いますが。アレって、庄内開始が3世紀初頭であるという思い込みで生まれた説ですから。試しに、あなたの思うところの「マキムク市論」を書き込んでみてはどうでしょうか?
前の方はまったく読んでないが、庄内開始が3世紀初頭かどうかは無関係だろ。
相対編年だけでじゅうぶん論じられると思うが。
更に言えば、庄内開始期には、吉備はまだ畿内王権の影響化に入っていない。庄内開始が3C初頭なら、卑弥呼が瀬戸内海航路を押さえていたとう仮定自体が成り立たないと思うが。
520 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 17:36:36
>>517 >庄内開始が3世紀初頭であるという思い込みで生まれた説
どうして思い込みなのかね?
地方から搬入される土器の多さから、「市」が開かれていた可能性が高く、
地方から搬入される土器のそれぞれの地方での土器編年された年代から、
3世紀と言う時期が導かれたんだろ。
521 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 17:40:17
>>518 そう言わずに、あなたの思うマキムク市論を書いてみれば?
3世紀初頭が前提であることがよく分かると思うので
>>519 纏向の一番古い時代から吉備の土器は多いよ。
むしろあとになって減っていく。
523 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 17:45:32
>>519 >庄内開始期には、吉備はまだ畿内王権の影響化に入っていない
どの資料を根拠にしているのか教えてくれ。
>>522 そんなことを言えば、唐古鍵の頃から吉備系土器は多いからね。
唐古の頃から吉備が畿内の影響を受けていたという、畿内中心史観の人ですか?
525 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 17:48:27
早く、庄内開始が三世紀初頭という前提じゃない「マキムク市論」を述べてくれないか?
526 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 17:48:34
>>524 >唐古の頃から吉備が畿内の影響を受けていたという、畿内中心史観の人ですか?
吉備が主導して、纏向を発展させたという説が主流になりつつあるのを知らんのか?
まともな考古学者に畿内中心史観なんてやつはいないよ。
527 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 17:52:36
特殊器台の採用は布留0以降。画文帯が出ないことからも、吉備の畿内連合参画は布留以降と考えるのが妥当。近藤信者乙。
巻向市説を主張する人は、何で巻向に「市」が必要だったかや、具体的な遺物
について述べてくれ。
530 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 15:05:39
531 :
529:2006/07/10(月) 15:17:50
>>530 それだけでは「市」とは言えないだろう。
532 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:39:02
三輪山山麓には古代最大の市場・海石榴市があっただろ。
大和川水系の終着点であり、大和川を遡上した水運物資が陸上交通に切り替わる地点。
唐古鍵と全く同じ役割。
「市」の管理者として三輪山の祭祀者が権限を集中させ、やがて王として
三輪山の巫女が担がれる。
マキムクが王都に選ばれたのは、あくまで畿内経済圏の中心地だったから。
なぜか最近、そのことを無視した言説が多い。
534 :
529:2006/07/11(火) 13:19:39
これに違いねえ!!!
邪馬台国+纏向
↓
邪+纏
↓
邪纏
↓
倭
↓
大和
537 :
529:2006/07/13(木) 14:09:35
>>535の要望にお応えして・・・
>532によると、市の管理者=三輪山の祭祀者が力を持つとあるが、市を管理する時点
で普通は権力を握ってからじゃないのだろうか?
あと、なぜ近隣地域以外からも人が集まってきたのかを532に問いたい。
誤 市を管理する時点で普通は権力を握ってからじゃないのだろうか?
正 市を管理するのは普通権力を握ってからじゃないだろうか?
539 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 15:36:47
>>538 >市を管理するのは普通権力を握ってからじゃないだろうか?
おまえの考える「権力を握るプロセス」とはなんだ?
どういう理由で特定の個人・集団に権力が生まれて、他の多数が従うようになるのか?
おまえの解釈を聞きたいな。
普通、物々交換の場では、仕切るヤツが自然に現れる。
仕切り方が上手なら、だんだんそいつが信奉を集めて管理者として立場を得るだろう。
540 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 15:43:37
541 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 16:07:53
>>539 あまり詳論はできんが、巻向遺跡の首長は移民集団の統率者だったと考えている。
(大和盆地東南部内の移動ではあるが)そして土木工事なぞにも力を発揮する。その過程
で労役者の徴発にはやはり権力が必要だったと思う。そして巻向二式時期に外来者が増える。
これは巻向の王権が伸張した結果だと俺は考える。なぜ他の国が半ば従うような
形で人的資源を提供したのか?おそらく宗教・軍事が大きく絡んでいると思う。俺は
宗教・軍事が広域に影響を及ぼす首長に必要な要素だと考える。
確かに市を管理する者=巻向の王だったかもしれない。しかしそういった
図式が成り立つのは大抵交易国家の場合ではなかろうか?普通多くの人を導き
共同作業を行った者が信奉を集めると思うがどうだろう。ちなみに卑弥呼
時代は市の管理は王がやっていたわけではない。ここから巻向の王が
市を管理してなかったという結論を出すのは性急過ぎるかな?
542 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 16:21:38
543 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 16:44:42
544 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 17:02:28
545 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 17:26:40
>>541 >あまり詳論はできんが、巻向遺跡の首長は移民集団の統率者だったと考えている。
なんのために移民する必要があったのか説明してくれないと。
そして、どこからの移民なのか。
546 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 17:34:46
547 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 19:52:25
数個の移民集団が突然やって来て入植。そのまま一つの国になった、ていう事例が歴史上他にあるのか?
548 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 20:25:26
549 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 21:16:52
550 :
529:2006/07/14(金) 18:36:46
>>545 残念ながらソースはない。だから俺の妄想。あくまでね。
なぜ「移民」なのか。それは、やはり巻向が突如大きくなったことに由来する
と思う。しかしながら、土器の様式に断絶があった訳ではない。だから、大和盆地
の中、それも東南部の人が巻向にやってきたのだと思う。これは移住にもならない
かもしれんが。多分唐古鍵や芝からかな。
首長に関してはわからない。ただ、大和の人だとは思う。神武東征なんかは今の状況
ではまず無いと思う。
なぜ移動する必要があったのか。それは川の上流に移動したいという目的があった
のだと思う。上流を押さえれば水田なぞの確保は容易になるからな。
551 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 21:06:02
マキムク市論の人は、もっと広域、北部九州や吉備とかの各地の有力首長たちが、こぞって大和盆地に移住。土着して、葛城、丸邇とか大和の有力豪族となった、みたいな仮説じゃなかったっけ?
552 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 21:52:04
マキムクに北部九州の土器は出て無いだろ?
>>552 確かに。
北部九州は除外で。
「鏡文化圏が銅鐸文化圏を駆逐した」みたいな前時代的征服論(伊都国東遷)
に凝り固まった人も、最近見ないですし。
では、マキムクのプランナーは筑紫を除いた瀬戸内海沿岸地域ということでしょうか?
邪馬台国は実は新潟に存在した!
555 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 02:16:01
>>555 搬入土器のうち、吉備は7%に過ぎませんが。
マキムクは人の住む集落跡が発見されていないそうですが、
各地から土器を持ち込んだ人々、巨大水路や古墳を造営させられた労働者たちは
どこに住んでいたんでしょうか?
558 :
529:2006/07/15(土) 10:43:56
>>551 俺は巻向市論者ではないが、それはあると思う。あくまで土器が示しているのは「民衆」首長に関しては
土着か遠方から来たか判断がつくような遺物は出てないと思う。
559 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:39:20
>>557 労働者は東国から呼んだ。
すこしは本でも読め。
>>559 だからさあ。労働者は、マキムク近郊のどのあたりに住んでいたのか?
っていう問いだろ。
もうちょっと冷静になれ。
あと、東国から労働者を徴発したと言い切る根拠は何だ?
東海の土器が多い、とかだけなら偉そうなことは言うなよ。
>>558 後進地域に、貴種や先進技術者が迎え入れられることはよくあること。
ただ拠点集落の首長が、自らの基盤を棄ててまで、わざわざマキムクまで来て
土着ってのはないだろ。
征服して移り住んだのなら兎も角。
562 :
529:2006/07/15(土) 13:14:48
>>561 巻向にいた首長が巻向をより大きくさせたってことか?
纏向のベースは狭井川南岸の芝地区などからの移住者だよ。
川の流路が変わったか、手狭になったか・・・で、移転して纏向地区を新たに開発したんだよ。
三輪山祭祀などは連綿と引き継がれており、住民の交代などは起きていない。
564 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 19:33:53
縄文時代から、奈良盆地には人が住んでる。
遺跡もいっぱいあるよ。
565 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 19:53:09
>>562 畿内の環濠集落の環濠が一斉に埋められていることなどから、庄内開始期に、
畿内地域で大規模な政治的統合がなされたのだろうと。
こういった経済圏ごとの権力の集約は各地で見られる現象で(吉備、筑紫、出雲など)、
首長霊祭祀=古墳時代の開始と時期的に重なる。
おそらくは鉄資源など遠隔地交易の需要の高まりで、更なる権力・権威を希求した
ためと考えられている。
大和・河内地域は三輪山の宗教的権威を利用して統合。マキムク王権が生まれたのだろう。
いっせいに?
大阪は後期の始めには消滅するそうだが。
568 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:46:20
569 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:51:09
搬入土器が全部で15%じゃあ、
首長がヨソからきたとはいえないね。
関裕一も、神武東征説を捨てたみたいだし。
九州の邪馬台国とマキムクが並存してたとまで認めてる。
だが、そこまで認めてしまったら、九州説は成り立たないことにも気がついてほしいな。
570 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 06:56:09
>>568 搬入土器の割合 15%
搬入土器の出身地
東海系 49%
北陸系と山陰系 17%
河内系 10%
吉備系 7%
関東系 5%
近江系 5%
西部瀬戸内系 3%
播磨系 3%
紀伊系 1%
このままでいいと?
571 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 07:38:37
>>569 何パーセントだったらいえるの?
根拠もおしえて。
572 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 09:10:49
573 :
529:2006/07/16(日) 09:18:27
574 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 12:30:14
>>572 「大和・纒向遺跡」の外来系土器の対談を読んでください。
466〜474ページです。
石野「・・・1976年の「纒向」段階と現在では識別できる
3世紀前後の各地域の土器が大幅に増えているのと、
当時○○地域と比定したが、今は××地域と考えるべき
だということも分かってきました。・・・」
まだパーセンテージまではかかれてません。
しかし、対談の内容から明らかに出身地の割合は
修正が必要でしょう。
575 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 12:31:04
朝鮮の人達に望まれて日韓併合条約を結び、国際法上なんの問題も無く合法的に朝鮮と合併
した。
日本の敗戦時に韓国・朝鮮人が日本人に対して集団強盗、略奪、殴打暴行破壊、占拠監禁、人民裁判などあらゆる犯罪を犯した。
日本は韓国と日韓基本条約を結び無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(720億円)、民間借款で3億ドル、韓国内の日本の財産の全てという当時としても莫大な額の賠償をしている。
日清戦争で日本は清と命をかけて戦い、清(中国)の属国であった朝鮮の独立を認めさせた。
我々日本人には関係無い破綻した朝鮮銀行・韓国系銀行に3兆円もの日本の税金が使われている。
2002年日韓ワールドカップでスタジアムを作る資金が無い韓国のために7000億円もの日本の資金が使われた。
韓国の経済危機の時にIMF経由で日本が多額の資金を出し韓国を救った。
日本海の漁場が韓国の漁船に荒らされまくり、水産資源が激減している。
韓国の武装スリ団、犯罪集団によって日本人が多くの被害を受けている。
韓国の婦女暴行(レイプ)発生率は事実上世界第一位である。
韓国の暴行発生件数は日本の100倍である。
日本での韓国人による犯罪は国籍別検挙人員第2位、不法残留第2位である(平.15年上半期)。
韓国人は海外で悪い事をして捕まった時などにすぐ日本人のフリをする。
韓国人はベトナム戦争に参戦した時に、ベトナム人に対して虐殺やレイプをしまくった。
韓国は、日本や世界の文化やモノ(剣道、サムライ、生け花、サッカー、キティーちゃん等、数え挙げたらキリがない)を自分たちが最初につくったと捏造している。
朝鮮人による自作自演のチマチョゴリ切り裂き事件を追求していた韓国人が何者かに惨殺された。
北朝鮮が日本の偽札を作り、麻薬を製造・密輸している。
朝鮮総連は固定資産税を払っていない。
日本の領土の竹島を韓国が不法占拠している。
576 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 16:30:03
>>574 それは、「外来土器の割合は変わらないが」という文脈だろ。
10年くらい前は「4割以上」とか平然と言ってる奴らもいたけどなw
578 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:17:32
>>576 さあ、それはどうでしょう。
そこには何もかかれていないけど、
きちんとした報告を待たないと。
で、どんくさいほうの布留ってあるよね。
阿波の人が拡散の担い手のやつ。
そういうのをどうカウントするのか。
畿内王権の成立・ぱーと4スレ
にちょっと書かれてますね。
引用しますよ。
579 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:20:13
16 :出土地不明 :05/03/11 20:28:04 ID:Y2/3lVZm
今回の橋本氏のご講演はこの問題にヒントと思われる内容を多く含んでいました。
1.纏向の人々は他地域の土器を受け入れ、それを独自のものに
仕立て上げ、さらにそれを外部に輸出する。
(三角縁もそうか?:当世コメント)
2.西日本に広がる布留式土器は2種類ある。本来の布留式と
いささかどんくさい布留式土器。
3.どんくさい方の布留式は阿波の人が拡散の担い手らしい。
初期ヤマト政権には阿波が大きく関わっている。
4.纏向は布留0がピークで布留1式土器は少ない。2式は
無いと言っても良い。布留ゼロは260年から300年か??
(箸墓はこの布留ゼロ古から築造が始まり布留ゼロ新までかかっている:と話されたと思われるが)
5.箸墓以前の纏向勢力は弱い勢力。(ONE OF THEM的)箸墓以後にキナイが飛び出てきた。
6.纏向の成立は庄内0。この年代は180年から200年。
基本的な質問で申し訳ないが、マキムクの搬入土器って、そもそも
どういう風に解釈されてるの?
@各地から集まった人々が、それぞれの日常生活用にマキムク周辺で製作した。
A各地から食料資源を輸送する際の入れ物として使用された。
@A両方か、もしくはどちらでもないのか。
>>580 15%云々と言われているのは余所から「搬入」された土器のこと。
胎土からして地元のものとは異なるそうだ。
なんであんな重いもん、遠くから持ってくるんだろうね?
前々からの素朴な疑問。
583 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 00:36:56
>>582 食料の入れ物でしょう。
弁当無しで来るわけにもいかんし。
日本兵が、飯盒に米を入れて持ち歩くようなもの。
それなら、別に土器じゃなくてもいいじゃん。木器でも。
物によっては草の葉っぱで包んでもいいかもしれない。
585 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 01:12:03
当然、土器の他にも籠や袋は持ってたでしょ。
土器に入れる保存食と考えれば、発酵食品の類とか。
発酵食品が弥生とか縄文にあったのか?
重かろうがなんだろが考古学的事実として
土器の長距離搬入はある。まあ船をつかったんだろうが。
588 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 01:50:26
醤(ひしお)とよばれる発酵食品は、弥生時代に中国から伝わったといわれます。
高温多湿の日本に合うように穀物や野菜、海草あるいは、魚、肉に塩を加え、
それぞれ今でいう穀物から味噌、醤油が、野菜が漬物、
魚からは塩辛やしょっつる(魚醤)の原型をつくりました。
「土器には発酵食物」とかいうから話が混乱してきた。
>土器の長距離搬入はある。まあ船をつかったんだろうが。
東海とか近江などは陸路じゃないでしょうか?
土器は持って歩くのも大変そうだし、やっぱり食料資源入れてきたんでしょうね。
貴重な舶載の品と交換するためだったんでしょう。
591 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 09:22:30
庄内土器が、畿内から北九州に東進することについて、どう考えますか?
北九州から畿内には土器は来ないのにね。
鉄と交換するための瀬戸内ルートが庄内で完成したとか。
592 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 10:40:43
土器の中身の発酵食物=酒ではないか?
三輪山の神は蛇で、蛇は昔から酒好きと相場が決まっている。
三輪神自身が酒の神でもあるし。
こう見ると土器の搬入方法とかも重要なんだな。
一概に土器と言っても、壺とかならまだ甕なんかより持ちやすいと思うのだが
どうだろう。
594 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 11:26:33
各地の搬入土器。
物資の運び手が、その中に食料や飲み水を入れ、その中身を食べながら
マキムクを目指す。
マキムクの市で中身の食品を舶載品と物々交換。
持ってきた土器はその場で捨て、熱伝導に優れた庄内式に水・食料を詰め、帰路へ。
庄内式も地方に持って帰れば、貴重品として高値で売れた。
しかしだ、出てくるのは壷だけじゃなくて甕もあるぞ。
甕は貯蔵用じゃなく煮炊きの道具だ。
>>593 「甕」といっても貯蔵用だけではなく、「鉢」に近いようなものもある。
煮炊きに使われたようなものの方が多い。
やはり、液状物資(油とか染料とか醗酵材)の運搬には壺や皮袋が有効。
597 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 12:16:28
>>595 さあ。道中、煮炊きも必要だったのかも。
米炊いたり、魚汁を作ったりとか。
高杯になると、何故わざわざ持って来たのか想像出来ません。
>>597 > 高杯になると、何故わざわざ持って来たのか想像出来ません。
多分、自前の祭祀行為で使用したのでしょうね。
高坏は盛り皿みたいな役割だったんじゃないか?一応倭人伝にも出てる。あと
壺には手を加えてない米も入っていたと思う。
当時の隊商は王族だったでしょうから、難儀な道中でも高杯で食事を摂ってたかも
しれませんね。
あと、旅の途中やマキムク滞在中でも祭祀行為をしていた、というのも、
当時の人々からすれば当たり前のことなのかもしれません。
航海や峠越えなど、危険と隣合わせだったでしょうし。
で、マキムクに九州の搬入土器が少ない理由は?
舶載品も鉄も、筑紫>大和だから、わざわざ来る必要が無かった?
602 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 00:19:32
マキムクから九州に拡散する土器って、
壷?瓶?
小杉康氏の木の葉土器論(岩波)の挿絵いわくだけど
重い重い土器を苦労してかついで
関東から若狭へ、の旅人像は
そんなに荒唐無稽ではないかもしれない
>>601 庄内期の北部九州は、交易場所の提供者ではあるが、
国内交易ネットワーク自体には参加していないから。
瀬戸内以東の倭人情勢にも半島に対するものに比べれば
関心も無かっただろう。
韓人商人が瀬戸内に直接進出でもしない限り、
わざわざ行商に出向く相手でも無かった。
605 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 22:29:12
>>604 庄内期の北部九州がマキムク王権と無関係だったとは思えないが。
606 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 22:31:54
あと搬入土器=商取引という結論が目立つが、単に雑徭として都に徴発された
労働者たちが持ち込んだだけかもしれないし、調として各地の特産物を土器に入れて中央に
上納しただけかもしれない。
>>605 だから「交易所」のホストとゲストの関係でしょ。
ゲスト同士(韓・帯方と吉備・畿内)が直接取引きを始めると
ホストの取り分が減っちまう。
終いにはホストの身分も奪われちまったわけだ。
608 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 23:43:01
>>607 >終いにはホストの身分も奪われちまったわけだ。
その時期が、卑弥呼時代より前か後かでもめてるんでしょ。
609 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 23:57:11
突然かもしれないけど。
歴史学的?には畿内説はちょっと疑問。
邪馬台国が畿内にあったとすれば、壱岐や対馬あるいは九州まで
支配しているような強大な勢力が3世紀に誕生していたことになる。
これは吉備や出雲もちゃんと支配していない後の大和政権よりも強大と
いうことになる。
そのようなことがありうるのか?
さらに、倭人伝には、女王国は狗奴国と争っていたとある。
魏に使いを送ったのは、助けを求めていたという説もある。
狗奴国がどこにあったはともかく、邪馬台国畿内説では
勢力の分布があまりにもアンバランスに思える。
610 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 00:04:28
うま ひひぃん
611 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 00:08:24
>>609 もし、邪馬台国が九州だとして、同規模以上の連合国が畿内にあることになる。
その畿内連合を無視して、狗奴国やらと争っていられるだろうか?
もし、邪馬台国が九州だとして、畿内連合とも交易は行なわれていただろう。
魏の使者は、畿内連合には無関心だったということになるね?
612 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 00:22:30
>>611 畿内連合についてはよく知らないけど、そういうものはなかったと
考えたほうが理論的かもね。
卑弥呼と言うか、難升米は魏から軍旗である黄幢をもらっているわけで、
これは軍事的にかなり苦戦していたとも考えられる。
つまり、邪馬台国にとって敵は狗奴国だけと言うことかな。
仮に狗奴国が、愛知県とかにあったとすれば、まず狗奴国に
勝って支配するのが先だろうと思う。
狗奴国が敵のまま九州に軍隊を派遣したりすれば、留守の間に
攻撃されてしまう。
これが邪馬台国畿内説のアンバランスかな。
>>603 小杉康『縄文のマツリと暮らし』はとても面白かったけど
考古学の人たち的にはあの本どういう評価を受けてるのかな?
そこまで復元しちゃって大丈夫? みたいな感じがしました。
614 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 01:14:48
>>612 >仮に狗奴国が、愛知県とかにあったとすれば、まず狗奴国に
>勝って支配するのが先だろうと思う。
共通の敵がいなくなれば、仲間内で主導権争いになるのは、歴史的によく
あることですよ。
戦争の痕跡→殺傷人骨の
2世紀から3世紀にかけての分布は?
616 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 07:12:16
>>615 >殺傷人骨←戦争の痕跡
>>殺傷人骨の発見だけで戦争・刑罰・喧嘩・犯罪の区別が出来るのか?
そうだとしたら、凄い理論だぞ。
617 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 07:35:00
>>608 別にもめてないでしょう。
那の津に屯倉が置かれる前から大和朝廷の博多支配は行われているとは思うが、
それは四世紀以降の話でしょう。
畿内説でも九州説でも見解に違いはないはず。
倭人伝の記述から、邪馬台国は伊都国に一大率を置いて、北部九州諸国を監察させている。
だから、畿内説の連中は、3世紀には畿内の筑紫支配の第一歩が始まっていると考えてるだろう。
619 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 09:36:21
>>618 倭人伝には、伊都国には代々王がいて、みんな女王国に属している、とある。
つまり、伊都国は2世紀にはすでに邪馬台国に属していたと考えられる。
>>609 畿内説でもスタンスは違うと思うが、俺自身は邪馬台国が九州を完全に支配していた
とは思わないね。あくまで「同盟」。九州の諸国と狗奴国は立場が違うと思う。
621 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 15:20:30
>>618 庄内土器が北九州に拡散してるのだから、
畿内は北九州に影響力を持っていたと考えるしかないよ。
「旅人・商人の身の安全と商売の権利を保障する」という取り決めがなければ、
安心して人が移動することはできない。
622 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 19:27:21
>>620 北部九州が倭国王の権威まで差し出してまで、
畿内や吉備らとの同盟を求めた理由って何なんですか?
北部九州は国内流通ネットワークに無関心だったそうだし。
623 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 20:04:42
結局、ヒラバルからマキムクへの倭国王交替劇は、倭国大乱というキーワードを無視しては説明出来ないだろう。
では倭国大乱とは何か?
>>619 >邪馬台国は伊都国に一大率を置いて、北部九州諸国を
少し違いますね。
倭人伝の記載は「自女王國以北特置一大率、檢察諸國諸國畏憚之。」
「検察」の対象に、北部九州だけではなく、邪馬台国や投馬も含まれてます。
>畿内説の連中は、3世紀には畿内の筑紫支配の第一歩が始まっていると考えてるだろう
勝手に批判しやすい「畿内説」を捏造しないで下さいw
で、貴方は九州説論者かと思われますが、代々の伊都国王を「統屬」させるような
勢力が九州のどこに存在し得たと考えますか?
>>624 九州説論者ではなく東四国説のヒトだけど。
伊都国王を弥生後期前半に統属させることが
できたのは西四国くらいしかないのでは?
銅矛の出土分布みれば分かるでしょ。
銅矛圏の西四国が投馬国で、銅鐸圏の東四国が邪馬台国。
弥生後期後半にはこれらの文化は文物の流通
などを通して密接な関係になり、2世紀末には四国全体
で女王を共立して、3世紀前半に魏に朝貢という流れ。
北九州から南に水行だと、西四国を候補にあげても
よさそうなものだけど、なぜ考慮しないのかさっぱり分からん。
なんかのバイアスがかかってるの?
626 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 21:13:36
>>622 >畿内や吉備らとの同盟を求めた理由って何なんですか?
北九州は朝鮮との交易の中心地だよね?
北九州単独で朝鮮と交易するより、
畿内からも食料・物資を調達したほうが、より大きな交易が出来る。
つまり儲けが大きくなる。
わかる?
北九州は儲けが大きくなると同時に、交易体制に縛られることになる。
畿内からの物資が滞ると、北九州の交易にダメージがくるよね。
そうして徐々に畿内のほうが交易のコントロールで優位になっていったんだよ。
わかるかなあ。
627 :
620:2006/07/19(水) 21:44:16
>>622 俺は軍事的なことも絡んでいたと思う。倭人伝の記載からすると、邪馬台国
や投馬国は北九州よりも圧倒的に人口が多かったようだ。ならば、いくら石鏃
を使っていても軍事的には優位に立てたと思う。まあ倭人伝を用いなくとも
巻向の広さからすれば人口が多いのは自明の理かもしれんが。それと共に生産
の方も活発になって北九州と交易ができるくらいに経済が成長していった。
それで畿内と九州の力関係が対等になり、巻向二式期以降の巻向型前方後円墳
の全国的波及につながっていたというのが俺の考え。
>>625 > 伊都国王を弥生後期前半に統属させることが
> できたのは西四国くらいしかないのでは?
> 銅矛の出土分布みれば分かるでしょ。
すいません。
全くわかりませんので、お暇なときにでもご教示ください。
> 銅矛圏の西四国が投馬国で、銅鐸圏の東四国が邪馬台国。
> 弥生後期後半にはこれらの文化は文物の流通
> などを通して密接な関係になり、2世紀末には四国全体
> で女王を共立して、
これもよくわかりません。
二世紀末の四国でそのような統合がみられる証左などあればご教示ください。
629 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 21:50:11
鏃だったら、銅鏃なら畿内からもいっぱい出てるよ。
殺傷力はほとんど鉄鏃とかわらんだろ。
あと、鉄剣は実戦では役に立たないからね。ちゃちすぎて。
630 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:31:04
>>626 >畿内からも食料・物資を調達したほうが、より大きな交易が出来る。
>つまり儲けが大きくなる。
>わかる?
無理矢理な理屈だな。
中継貿易で莫大な利鞘を稼いでた北部九州が、自分の頭越しで交易されることに
積極的だったとは到底思えないが。
631 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:37:18
>>630 そこで日本海交易ルートですよ。
投馬国=出雲
632 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:38:19
庄内の頃に、倭人伝が描くような統一国家があったとは考えにくい、と
はっきり言った方がいい。
つまり、庄内開始を2世紀中頃にもっていくことで、その矛盾は解決される。
633 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:43:38
その推計にどれほどの根拠があるのかと小一時間(ry
635 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:53:25
>>634 >その推計にどれほどの根拠があるのかと
素人が勝手に想像することよりは根拠があるでしょう。
636 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:54:01
あなた方は根本的な地政学的な問題を考慮していない。
日本列島は現在の姿を約2000年前も同じと考えて
いないだろうか?
この日本列島は邪馬台国が存在していた時代に激しい
地殻変動があったという地学上の歴史を計算に入れれば、
自ずと邪馬台国の位置が現在何処に存在するか自明の理と
なることを考えて欲しい。
637 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 23:14:01
倭国大乱の時代、桓霊の間(146〜189年)を庄内期と考えてみてはどうか?
「漢委奴国王」以来の玄海灘グループの権威に拮抗する形で、マキムク王権が成立。
それが倭国大乱のきっかけとなったのだろう。
箸墓築造の布留0を3世紀半ばとすれば、卑弥呼の墓としても相応しくなる。
庄内を前倒しできる根拠がないと
そもそも従来の、庄内開始=3世紀初頭という根拠は何?
倭人伝の記述、卑弥呼共立の年代を、庄内・マキムク開始の時期に合わせただけじゃないのか?
640 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 13:13:16
>>637 >箸墓築造の布留0を3世紀半ばとすれば、卑弥呼の墓としても相応しくなる。
それではまるで、箸墓を卑弥呼の墓にするために土器の編年をいじくって
いるかのように思える。
畿内説の考古学者にはそういうところがあるけれども。
641 :
620:2006/07/20(木) 13:31:52
>>633 資料提供は有り難いが年代が違わないか?あと、627の書き方は少々変だった。
邪馬台国が圧倒的に勝っているのは伊都国・奴国など一国と比較した場合だな。
>>637 それは前倒ししすぎじゃないか?布留0はやはり280年前後で考えた方が良さそうだが。
倭国乱に収集がついて巻向造営=巻向一式(庄内0)てのは銅だろう?
642 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 14:56:58
>>640 >畿内説の考古学者にはそういうところがあるけれども。
それはウソ。まともな考古学者はそんなことはしない。
>>637みたいなアホがいるから迷惑だ。
土器編年をしっかり組み立てている考古学者は箸墓の年代を三世紀半ばまで上げない。
年代を上げてるのは畿内説を唱える文献学者。
土器編年を真面目にやってる人は、実年代とか邪馬台国とか軽はずみに言わんだろ。
邪馬台国は北九州です。間違い無い。
646 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 21:45:23
>>642 人のことをアホ呼ばわりする前に、君の実年代観の根拠を述べてくれ給え。
>>646 人に聞く前に、自分のの実年代観の根拠を述べるべきだな。
648 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 21:57:43
ちょっとずれるかもしれないけど、卑弥呼の墓があれば、
そこには壱与の墓があっても不思議ではないと思うのだが。
649 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 21:59:22
はいはい、年輪と炭素ね。
で君は「そんなものはアテにならない」とか言って、自分の方は何も根拠が提示出来ない。
いつものパターンだな。
果たしてどちらが「アホ」なのか?
650 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:25:29
>>646 土器から実年代を知ろうとする行為がアホなんだよ。
実年代を提示しないことが、考古学では誠実な態度なの。
651 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:31:31
偽りの学問=編年 言い訳の学問=編年 結論の無い学問=編年
652 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:35:31
我田引水=史学
654 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 23:17:56
>>650 「実年代は分からない」という結論なら、邪馬台国スレになんか来るなバカ
655 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 23:52:06
>>654 庄内土器が九州に拡散し、箸墓古墳が作られた。
先行するホケノ山古墳の画文帯神獣鏡は三世紀中期のもの。
これで十分だろ。
>>653 > 最初の質問、銅矛の出土分布
> 九州ではこんな感じ。
>
ttp://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/whatskyuusyuu.htm > 一方、高知で46本、愛媛で17本(古文書では44本)の出土。
「真面目に」答えていただいて感謝ですが、
それを見ても西四国が伊都を統属し得た根拠にはならないでしょう。
出土密度は九州>西四国ですしね、
何にか生産・供給元が西四国にあるとか、分配関係が認められるとか、
そういった考えがあってレスを頂いたのかと思いましたよ。
> 次の質問、東四国と西四国の和解
> 神西式土器と竜河洞式土器の流通。
> 岡本「高知県の考古学」p.125-127
> 「弥生後期後半になると、土佐の東部と西部とに対立した
> 二つの土器文化の存在が消滅して、一つになる。」
別に争っていたとかいう前提ではないので「和解」じゃないでしょうw
> あとは東阿波型土器と朱の流通。
> 青銅器でもその雰囲気が濃厚。
> 東四国説
>
ttp://www.geocities.jp/yamatai4/ いや、そのころになると「四国の東西」と言うレベルじゃなくて西日本全体で
新しい流通網が成立しています。
阿波からも吉備や庄内がでたりしてますし、その逆も当然ですね。
657 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 00:13:03
>>655 画文帯神獣鏡は呉の鏡と言うのが通説だと思うけど、
魏と交流を持っていて、敵国の呉の鏡を副葬すると言うのは
どんなものなのだろう?
658 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 00:14:14
>ホケノ山古墳の画文帯神獣鏡は三世紀中期のもの。
確定みたいに書くのはどうか。
貨泉とは違う。
お前のように単純ならどれ程良いか…。
659 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 00:28:17
>>657 渡来人の商人が持ち込んだんだろうな。
ホケノ山の画文帯神獣鏡は、日本列島以外では楽浪郡にのみ出土例のある特殊な鏡種である。
楽浪郡といえば、邪馬台国に行く出発地点。
>>658 鏡の編年は中国で土器以上に進んでますが?
>>659 >鏡の編年は中国で土器以上に進んでますが
だから何度も言ってるけど、編年じゃなく、実年代の根拠を述べてよ。
分からないなら潔く撤退したら?
661 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 00:40:10
>>660 あほ?
鏡の中には製作年が刻印してるのがあるだろ。
編年に当てはめれば実年代がわかる。
>>661 だから、ホケノのが3世紀半ばと言い切れる根拠は何?
ホケノの鏡は紀年鏡だったんですか?
663 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 00:43:40
画文帯の製作年代は色々説が分かれている。
なんの根拠もなく、さも決定しているみたいに書くのは止しなよ、みっともないから。
画文帯同向式神獣鏡は「畿内勢力が公孫氏から入手」って岡村は言ってる。
その場合は、製作年は3世紀初頭頃か。
「3世紀中期確定」とか言ってる人は、前から出没してる、
決め付け「伊都国東遷説」の人だから、余り相手にしなくて良いよ。
「アホ」とかすぐに言うので、すぐに特定出来てしまうw
画文帯に関しては議論が続いてるね。ただ萩原・ホケノのモノに関しては楽浪
出土の鏡とのつながりがあったはず。また製作年と副葬年は分けて考えるべき。
土器編年に対応する実年代に関しては柳田の説が説得力あると思うがどうだろう。(俺は伊都国東遷
をも支持しているわけではない)
667 :
653:2006/07/22(土) 06:51:24
>>656 銅矛の供給元は北九州だろうけど、大事な祭器を
大量に西四国に与える意味とは何だと思ってる?
それと供給元が一番えらいと思ってる?
北九州から南に水行20日で投馬国に至る
と書かれていて、祭器文化が同じ四国西部
を考慮にいれないのはおかしい、といってるんだけど。
畿内説の場合、弥生時代後期前半にそういう交流
を見出せる?
土器文化や祭器文化が分かれていたのが、
ひとつになるということは、交流が成立したということ。
対立から和解もあれば、無視から和解というのもある。
668 :
653:2006/07/22(土) 07:00:44
>>656 庄内式土器の波及度は、東四国、北四国
は低いよ。逆に東四国からの波及度は高い。
「古墳時代の研究 6土師器と須恵器」p.234-235
「庄内様式圏を離れての庄内式土器の波及度は、近畿地方
周辺ではさらに弱かった。近年具体的相が判明しつつある
北四国や東四国の地域性を考えてみたい」
「東阿波型土器は徳島県内の要地に広がるだけではない。
淡路・摂津・播磨や河内など環大阪湾地域に確実に搬出
されている。」
「東阿波・東讃岐にはそれぞれ庄内式甕に替わる地域性の
強い甕が分布し、その個性とそれを保持した集団の勢力
が基因して庄内様式の定着はおろか、河内や大和からの
搬入現象は極力拒まれている。・・・四国東部ではむしろ
流出土器が目立っており、畿内およびその周辺地域にその
証左を残している。」
669 :
653:2006/07/22(土) 07:16:02
土器の搬出はあるが搬入を拒むというのは、
一方的な人の動きを示しています。
東四国の人が周辺地域に「進出」したということです。
>>667 全然意味が通じない。
>>624では、西四国が伊都を「統属」していたと認められる理由を聞いているんだけど。
貴方の説明は単に「文化的つながり」が認められるという説明をコピーのように繰返しているだけ。
>「無視から和解と言うのもある」
そんな日本語は無いw
>>668-669 そんなこと聞いてないよ。
邪馬台国の時代には、西日本全体に広域ネットワークが成立しているんだよ。
その中のブロック圏経済の分担状況みたいな事例の説明は結構。
庄内の移動は東阿波程度のレベルじゃないでしょう。
671 :
670:2006/07/22(土) 11:33:06
訂正
「西四国が伊都を「統属」していたと認められる」
貴方の説の場合は「東四国が」ですね。
>>669 それなら巻向により多くの東四国系の土器があるはずでしょ。
673 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 21:55:49
>だから畿内説なら、庄内式の拡散とか、マキムク型前方後円墳とか、
>画文帯とか三角縁とか、北部九州にも影響力があった全国的規模の大国であった証拠が
>あるわけです。
>東四国にそれがありますか?
で、結局九州畿内どっちなの?
675 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:27:48
>>674 実を言うと、結論は出ていない。
ていうか、決定的証拠はまだ見つかっていない。
畿内マキムクの蓋然性がかなり高いのだけれど。
676 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:30:59
邪馬台国はヤマトじゃん。
畿内に決まっている。
倭奴国は、ヤマトぬクニだろう。
狗奴国は、クィぬクニだろ。
畿内じゃん。
677 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:40:11
狗奴国は、紀伊国だな。
678 :
653:2006/07/23(日) 07:12:55
>>670 銅矛、銅戈のグラデーションって知ってる?
良質なものを勢力中枢がもち、周辺地域
は質の劣ったものを配布する。
西四国は質の劣ったものじゃないよ。
どういう証拠が残っていれば納得するのか、
具体的に書いてみて。
西日本全体に庄内が移動してるって?
考古学者のいうことを無視してまで
そんなこというの?
それじゃ議論は成立しない。
あなたの勝手な思い込み。
>>671 伊都国は女王国に統属していた。
東四国ではなく、四国。
卑弥呼の時代になれば、西四国と一緒に
属しただろうけど。
>>672 あるよ。
最近の状況をしらないんだね。
大和・マキムクの座談会よむといいよ。
あと
>>579 >>673 前方後円墳
679 :
653:2006/07/23(日) 08:31:32
不勉強な人には勉強してもらうしかない。
でもこれだけヒント出してるんだから、
そろそろ分かってもいいんじゃない?
どうして、マキムクが一気に成長したか。
>>446 >>579 >>667 >>668 それは、阿波のヒトが中心になって参加
したからだよ。墓制から言えばホケノの
埋葬者がきっとその中心人物。
680 :
653:2006/07/23(日) 08:34:11
彼らは海洋航行が上手だから一気に交易
が盛んになった。彼らの「鳥磐楠船」は楠
の巨樹で頑丈に作られている。そして
「月を読」むことによって1日2回の追い潮
を上手に用いる。さらに、鳥がはばたくよ
うに見える長い櫂を用いて高速に航海できた。
高速であることは安全性に直結する。
いかなる勢力も彼らのスピードに追いつか
ないなら、貴重な文物を安全に運べる。
日数が短くなる分、暴風雨に会う可能性も
低くなる。逆に、いかなる勢力も彼らを出
し抜くことはできなくなる。海を制覇する
とはそういうこと。
畿内の地理的な条件もよかったんだろうね。
労働力確保やその他の個性ある地域の参加があった。
数十年のうちに閉鎖的な東四国を追い抜いた。
庄内が西日本、まあ具体的には九州に移動していることは常識だろ。それに
いくら東四国の土器が多いって言っても東海より少ない。お前の理論でこの状況
を説明したら「東海の人が巻向を作ったんだ!」って感じだね。
>どうして、マキムクが一気に成長したか。
>それは、阿波のヒトが中心になって参加したからだよ。墓制から言えばホケノの
>埋葬者がきっとその中心人物。
巻向大溝なんかは巻向一式の時代。ホケノは巻向三式の時代。ホケノが阿波系の墓
であることは否めないが。
あと質問。在地の土器が決して外来の土器を下回らないのはなぜ?
682 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 09:18:27
>>680 >彼らは海洋航行が上手だから一気に交易が盛んになった。
そういう勢力が瀬戸内海にいたことは同意するけど、
どうして、吉備ではなく四国なんですか?
684 :
670:2006/07/23(日) 10:35:47
>>678 ご意見を伺いたいのは東四国説な人が、代々の伊都国王が統属したような勢力があると
判断した理由だけです。
だけど、貴方の説明はかなりパニくってませんか?
とりあえず銅矛を例にとって私なりに貴方の一連の説明を要約してみましょう。
【論証】西四国が投馬国、東四国が邪馬台国で卑弥呼の時代には四国全体で女王国。
九州王朝なサイトを提示して、須玖岡本地区(主に弥生中期ですね、私的には奴国圏)から
良質な銅矛等の供給を西四国(この場合は投馬国?)が受けていた。
【結論】だから、伊都国王は代々女王に統属していたと認められる。
つーことですね。
何度も言いますが、これは北部九州と西四国が弥生中期に銅剣銅矛文化圏に属していたと
言うことの説明であって、【結論】が導き出されるような内容ではありません。
次に土器の話。
>「東阿波型土器は徳島県内の要地に広がるだけではない。
>淡路・摂津・播磨や河内など環大阪湾地域に確実に搬出
>されている。
これの何処が伊都国統属問題と関係するのか?
ただ、その時代に阿波から周辺地域に人的若しくは物的供給があったってだけでしょ。
東阿波型が、伊都に進出していると言う主張なら有効な説明ですがね。
685 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 12:03:52
東四国説の人は、このスレでやってた搬入土器って何?みたいな話し合いを
読んでないのか?
単純に「進出」とかは言えないと思うよ
686 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 20:43:32
あの
さしでがましいようですが、
土器とか編年とかの話するまえに、その基準の信憑性考えたほうがよろしいのではないでしょうか?
貴方達は、庭を回るワンコに、見られますよ。 その信憑性です。
つーか銅矛って王権に関わるような祭器なのか?
688 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:29:52
考古学では歴史はわからない。
たとえば、戦国時代の土器を調べても、
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康は出てこない。
考古学が万能であるかのような錯覚はすべきではない。
689 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:43:42
691 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 20:54:33
考古学が万能な筈がなく、それ以外に方法が無いからに過ぎない。
考古学で言えることは「どうやら庄内初期に造営開始されたマキムク王権は、それまでとは比較にならない程、広範囲の地域と交流があったらしい」ということだけ。庄内開始が西暦何年頃のことなのか?マキムクが邪馬台国に結び付くのか?など、全く確証がない。
692 :
西尾論文、お見事!:2006/07/24(月) 21:17:05
693 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:26:39
唐子・鍵遺跡が発見されて、これに期待した人が多かった。
唐子・鍵から纏向遺跡に移ったのだと言う人がけっこういた。
しかし、発掘調査が進むにつれて、その希望はしぼんでしまった。
いくら掘っても何も出てこない。
今、その説を唱える人はまずいないと思う。
とにかく、考古学は変わりすぎる。
また、考古学には個人の解釈の入る余地が多すぎる。
ここ2,30年の畿内説の考古学の成果をざっと見ただけでも、
その変化に驚く。
今の定説が明日変わっても不思議ではないなと思ってしまう。
唐子じゃなくて唐古だと何度言ったら(ry
695 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 08:22:29
マキムクが唐古の後継勢力と言われないのは、庄内以降、唐古の環濠が一部掘り返されているから。とかじゃなかったか?
696 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 08:31:47
マキムクと唐古の近さから考えて、まったく無関係だったとも思われないが。
大和川水運の終着という立地条件も同じで、マキムク以降唐古が衰退していくことからも、
唐古→マキムクだったと考えていいんじゃなかろうか?主体勢力がどこかは別にして。
あの
さしでがましいようですが、
土器とか編年とかの話するまえに、その基準の信憑性考えたほうがよろしいのではないでしょうか?
貴方達は、庭を回るワンコに、見られますよ。 その信憑性です。
698 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 22:14:31
信憑性なら、
魏志倭人伝の方位や距離よりは、土器編年のほうが信憑性あるわな。
699 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 14:35:18
実際、土器編年の精度はかなり高いでしょ。前後関係はかなり正確に分かると考えていい。まあそれだけなんだけど。
土器編年の精度、どうして高いの?少し時間がたつと覆る編年どこが?
君、自分の尻尾追っかけているワンコにみえええるよ
701 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 16:11:06
>君、自分の尻尾追っかけているワンコにみえええるよ
このあほくさい書き込みはPUだな。みんな相手にしないでね。
702 :
介護センター:2006/07/27(木) 17:46:36
>>700-701 おじいちゃん
ここで何時までもチンカス振り撒いてないで、そろそろ帰ろう。
もう夕方だよ。
帰ってオムツ取り替えないと被れるから 早く帰ろう。
703 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 17:55:28
「編年」がどう覆ったっていうのか?具体的に言ってみなよ。編年の意味、分かって書いてる?
覆歴!
昔と随分変わったよね、編年!
どうしてかわったの?
編年の意味はこっちが聞きたいよ
ついでにその編年の精度どうして高いの?
706 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 20:48:27
ずっと大昔から、魏志倭人伝の方位と距離から、邪馬台国の位置が決まらないのはなぜ?
707 :
倭人在帯方東南大海中:2006/07/27(木) 20:57:05
708 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 20:59:34
読めない魏志倭人伝を、どうして九州説の根拠にできるの?
絶対年代推定が覆ることは良くあるが、
編年自体が覆ることはあまりないでそ。
絶対年代推定にしても、昔は基本的に相対的な先後
しか議論できなかったのが、分析法の進歩で絶対年代の
推定に使えそうなデータとその確度が増えただけ。
710 :
倭人在帯方東南大海中:2006/07/27(木) 22:13:10
>>708 殆どの「九州説や畿内説」は たまたまそこに辿り着いたに過ぎない。
だから何時も議論の論点がチグハグ即席繋ぎ合わせなのだよ
先の文や全体との調和のとれないその場凌ぎの解釈論、たいそらしい事述べても出所一緒の受け売り論議
つまり、自分の読み方だけが正しいといいたいわけね。
712 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 08:27:39
いや、倭人伝のみの解釈では、誰も納得しませんよ、ってことだろ。倭人伝は恣意的にどうにでも解釈できるしな。
713 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 11:21:14
>>712 同意。
何百年も前から、何千人何万人がいろんな解釈をしてきたが、結論は出ず。
それなのに、自分だけが正しく読み解いたと豪語するやつはもっとウザイ。
714 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 11:32:44
バカだな、解釈の仕方が人それぞれで十人十色だから面白いんだろ?
バカとバカがお互い詰り批判しあってる様を見て、ニターリするのもトレンディーだぜ。
715 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 11:42:11
なんだかんだと非難しても、独自の解釈が出来る奴へのヤッカミだろう。
羨ましさが、非難へと変貌したに過ぎない 非難する奴らに限って自説を述べないのも特長の一つだな
716 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 11:43:05
>>714 スレ違い。
ここは、魏志倭人伝を語るスレではありません。
717 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 12:00:30
沖縄の人は毛深いですか
718 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 12:18:18
>>717 パイパンもいれば剛毛も居る人それぞれだ
719 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 12:21:31
何この展開?
あぁそうか、もう夏休みなんだ・・・
720 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 12:43:31
里程解釈なんて内藤・白鳥の時点ですでに終わった。今こそ久米の言葉
を思い出すべし。魏書に固執してたら議論は進まぬ。
721 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 12:55:38
魏書に固執しなければ単なる妄想トンデモ談議
722 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 13:05:15
分かってない奴が多いようだが、まず第一に考古学資料解釈があって、
それに基づいて倭人伝を読み解く、ってのが正しいスタンスだろ。
考古学は日進月歩でコロコロ変わるが、だからと言って倭人伝解釈がメインになることはない。
なぜなら、倭人伝はどうとでも解釈出来るから。
東四国説さんも「倭人伝で整合性のある解釈が出来るのは東四国だけ」とか、
訳の分からんことは言わんで下さい。
>>721 PUさんこんにちは!相変わらずバレバレのレスですね。
724 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 13:38:05
ばーか 考古学もどーとでも解釈できるよ
725 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 13:51:28
>>722 文献を否定する奴が文献解読で割り出した東四国説非難してどうする
鼻から否定してるのだから文献から得た物は何言っても否だろうに。
文献連中が発掘現場に出向き荒らしたか? 違うだろう。
考古椰は黙って土掘り返してろよ、文献椰子は邪魔しないから 鼻から否定する考古椰子にはそれなりのステージが用意されてるだろう そこで 語れや。
お仕置きしちゃだめ
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしだから
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
│|│|
⊂つつ
お仕置きしちゃだめ
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコいじりすぎた
\ ∀ /
│| │
U ♀ )
│|│|
⊂つつ
ちんこもげちゃった
727 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 15:16:12
おい
それでおしまいか?
半端者のチンカス野郎が。
728 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 15:17:58
>>725 文献をはなから否定してる訳じゃないだろ。
考古学音痴が文献だけで古代史を語るのはどうか、と言ってる訳だ。
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコいりませんか?
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
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⊂つつ
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6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコもげました
\ ∀ /
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U ♀ )
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6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコいりませんか?
\ ∀ /
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6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコもげました
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⊂つつ
チョンコ君の名言集
↑はい。よくできました。さぁ 次は外に出てみよう
大きな画用紙に今カキコした内容を力強い文字で二枚カキコし、紐で二枚の画用紙を繋ぎ 首からぶら下げ街の中を行進しよう。
君なら出来る。絶対出来る。出来たら「あんたが大将」
いや。所詮はチンケなチンカス野郎、今でもゲリラ的に荒らしている様だが
出来た所で一つか二つのスレ潰すだけの半端者。 どうせやるなら「2ちゃん」全てを潰すつもりでやらなければな 手っ取り早く経済的に乗っ取るとか
法的拘束をするとか
結局チンケなチンカス野郎には縁の無い話し
とんだオムツ野郎だよ
「男系断絶」スレを荒らしてる奴は
埋め立てか容量オーバーまで荒らすからな
立派なもんだよ
崇り神はチンケな荒らしだよ
どうせやるなら、埋め立てまでやれ!
おい
それでおしまいか?
半端者のチンカス野郎が。
中途半端なチンカス野郎
意気地無し
だからお前はダメなんだよ!荒すなら徹底的に荒らしてみろ
中途半端で止めるなら最初からやるな……半端者が
このスレ主として嘆願致します。
☆の無意味なコピペこれは単なる悪戯とは判断しかねます。
過去にも同じ様な荒らし行為を関連スレにて見受けられ、もはや限度を越えた行為と判断し
スレ主として
☆レス者の『アクセス禁止』を嘆願するしだいです。
何卒御判断の末、アク禁依頼代行をお願いするしだいです。
自治スレ諸氏方へ
○´∀`○は発狂したようです。ご愁傷様。後おながいじゃなくてお願いだよ(ワラ
かわいい〜〜!!!!
みんな〜プラム君の時間だよ〜!!
天才君集まれ〜!!
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしっすよー
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
│|│|
⊂つつ
ほぼ毎日初心者板やその他多数の板に出現!!
みんな見たらかわいがってあげてね!! プラム過去レス
お仕置きしちゃだめ
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしのPUを何時見つけてくれるのかな?威勢はいいけど。
\ ∀ /
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U ♂ )
│|│|
⊂つつ
%%%%%%%%%
6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしなのに、チョンコすっぱいから困るよ、
\ ∀ /
│| │
U ♂ )
│|│|
⊂つつ
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6| -σ-σ |
| ゝ | <チョンコまるだしで 『アクセス禁止』を嘆願するしだいです。
\ ∀ /
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U ♂ )
│|│|
⊂つつ
734 :
唐松山:2006/07/28(金) 17:38:49
丹塗り矢となって、大国主は通う。
チョンコ君の名言集
↑はい。よくできました。さぁ 次は外に出てみよう
大きな画用紙に今カキコした内容を力強い文字で二枚カキコし、紐で二枚の画用紙を繋ぎ 首からぶら下げ街の中を行進しよう。
君なら出来る。絶対出来る。出来たら「あんたが大将」
いや。所詮はチンケなチンカス野郎、今でもゲリラ的に荒らしている様だが
出来た所で一つか二つのスレ潰すだけの半端者。 どうせやるなら「2ちゃん」全てを潰すつもりでやらなければな 手っ取り早く経済的に乗っ取るとか
法的拘束をするとか
結局チンケなチンカス野郎には縁の無い話し
とんだオムツ野郎だよ
「男系断絶」スレを荒らしてる奴は
埋め立てか容量オーバーまで荒らすからな
立派なもんだよ
崇り神はチンケな荒らしだよ
どうせやるなら、埋め立てまでやれ!
おい
それでおしまいか?
半端者のチンカス野郎が。
中途半端なチンカス野郎
意気地無し
だからお前はダメなんだよ!荒すなら徹底的に荒らしてみろ
中途半端で止めるなら最初からやるな……半端者が
このスレ主として嘆願致します。
☆の無意味なコピペこれは単なる悪戯とは判断しかねます。
過去にも同じ様な荒らし行為を関連スレにて見受けられ、もはや限度を越えた行為と判断し
スレ主として
☆レス者の『アクセス禁止』を嘆願するしだいです。
何卒御判断の末、アク禁依頼代行をお願いするしだいです。
自治スレ諸氏方へ
邪馬台国の存在は文献上のものだから、文献に依拠して比定する
というのは、理解できなくもないが、そもそも魏書の記述程度しか
文献記録がないのだから、そこから読み取れる歴史事実には限界が
ある。邪馬台国の位置なんか魏書だけで決定的なことがいえるはず
が無い。
だから考古学的な事実を補強材料に使うのは、まあ、まっとうだと
思う。
だから、考古学的な裏付けを拒否する説は、考古学的な裏付けの
ある説より弱い説になるのはしかたない。
現在ではほとんどの考古学者は、邪馬台国は畿内にあったはずだ
と考えているのではないかな。
邪馬台国でなかったとしても、文献上の邪馬台国に並ぶ時期に、
纒向に大きな勢力があったことは、否定しない人がほとんどだろう。
そういう考古学の成果を無視して文献のみに依拠する説は、
無視されても仕方ない希ガス。
737 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 18:18:05
じゃあもし君が文献にて解読出来たとしたら、それでも自分の解読した説を否定して迄考古学を優先させるかね
>>737 簡単な話だ。
自分の説と考古学的な証拠が矛盾するなら、その説は他人を
納得させる力は極めて弱いものになるだろう。
だからその説を捨てるだけだ。
739 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 19:29:55
>>737 なにその質問?
そんなの当然でしょ。
自分の説と考古学とが相違するなら、自分の説を疑るべきだね。
そういう当然のことを理解できないやつが、文献派には多いってことだ。
740 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 20:08:23
>>739 だから何時まで経っても推測議論から脱皮出来ないの。
出土される殆どの考古遺物はあくまで二次的検証道具に過ぎない 何故か?
特殊なモノを除く大部分の考古遺物自体に未来に向けた意思の伝達が無いからだよ意思の伝達は「言葉と文字」これが古代史研究の王道。
伝達伝承記録
この研究が再優先なわけ
>>740 で、その伝承記録が魏書しかないから、二次的な検証道具で
確かさの確認をしているのが、現在の立ち位置だろ?
考古学の成果を無視して、文字資料の勝手な解釈しても
今は誰も顧みない三流以下の説じゃないか。
742 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 20:36:21
魏書だけで十分だろう。
何処に問題があるのかな?
743 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 20:38:02
>>740 >この研究が再優先なわけ
今まで何も成果を出せてないくせに偉そうに言うなよ。
たとえば、文献派が全員一致して、
「邪馬台国は九州の日向だ」「甘木だ」「宇佐だ」とか言うなら少しは耳を貸してもいいが、
何百年研究しても意見の一致すらしてないじゃないか。
>>741 >考古学の成果を無視して、文字資料の勝手な解釈しても
>今は誰も顧みない三流以下の説じゃないか。
無視しているのは君だよ、考古学こそ勝手な解釈だ、
例えば鏡が畿内から出てきたら卑弥呼の鏡か?
移動した可能性を全く無視している。
しかも今の日本の考古学が外国で支持されているか?
馬鹿も休み休みにしてくれ、あんたの自作自演は、
総て突っ込まないとならないからな。
いつもどおり逃げるんだろうけど。
>>742 魏書だけで邪馬台国の位置は確認できたのか?
100万歩譲って魏書だけで位置が確認できたとしよう。
どうやって確認するんだ?
>>745 >100万歩譲って魏書だけで位置が確認できたとしよう。
>どうやって確認するんだ?
それはできる。
それより考古学で確認できるのか?馬鹿だな!
証拠無しの自作自演で、最近は考古学派かよ
>>744 >例えば鏡が畿内から出てきたら卑弥呼の鏡か?
鏡が出てくるから畿内が邪馬台国だ、と主張していると考えて
批判しているなら、それこそ勘違いも甚だしい。
>今の日本の考古学が外国で支持されているか
なんだそれ?
>>736 >現在ではほとんどの考古学者は、邪馬台国は畿内にあったはずだ
>と考えているのではないかな。
楽しそうだな!大丈夫か?
>>748 日本の考古学なんて、世界で考古学とは認められてないの
>>746 アホだな。
魏書に依拠して得た結論の確認に魏書を使うのか?
>>750 むしろ勝手な邪馬台国解釈の方が、限りなく似非科学に近いと思うけどな。
>>753 藻前が一番非科学的なのわからないのか?
>>752 そもそも学問の方法論を無視してるだろ?
756 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 20:56:27
>>742 もういいから、邪馬台国はどこなのか、おまえの考えを言えよ。
研究が進んでるんだろ?
返事できないんだ馬鹿だな、書くなよお前らじゃ!
>それはできる。
と書いておきながら、何の説明も無く逃げ回っているのは誰だよ?w
>>759 それじゃ裸で奈良で暮らせたかよ 無視するなよ!
俺の考えを書こう。
文献史学だろうが、考古学だろうが、それのみで
「邪馬台国はココ」
って結論をだすことは難しい。
だからこそ複数の根拠を持ち寄って、その時点でもっとも確からしい
説を考えるんだろう?
それを
「魏書だけで決められる」
と答えるおまいさんは、限りなくニセモノだ。
ほら、魏書だけで十分なんだろ?
その結論はどうやって検証するのさ。
お前はニセモノだ。
3Cにまともに雨も降らないならで、7万戸養えたのか!
奈良に三輪ソーメンなんで有名なんだか解るか!
三輪ソーメン検証するか?
>>763 Game Over
おまえが
「それはできる」
と、答えてしまった時点でもう終わったんだよ。
年間降水量でも調べてみろ、飛鳥が昔米作れたか調べてみろ!
考古学なんて2の次だよ!
>>765 そんなに知りたいなら、九州以外にないよ。
史書も経済も無視して、考古学か凄いなおまえ!
>>766 アホすぎる。
3cの奈良の降水量はどうやって文献史学的に導くんだ?
おまえが必死に考古学の成果を否定しようとするのに
使っている論理は文献史学じゃないじゃないか。
お前は自分自身で自分の主張を否定したんだ。
本当に終わりだな。
大前提で、雨降らんところで、邪馬壹国絶対ないよ!読めるか字!
>>767 ああ、やっぱり
九州以外にない説の人でしたか。
771 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 21:24:24
こっちの質問にも答えたら
772 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 21:29:07
気候や地形は大きく違わないよ、今も昔も、南九州が大雪ふるか?
それより考古学で決められるのかよ?
雨無しで畿内の邪馬壹国大丈夫か?
なんで三輪ソーメン有名なんだ?
返事しろよ
773 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 21:29:51
>>756 邪馬台国は倭人貴族達の自称。民達はそう言わなかった
だから貴人の扱う文字には記録されたが、民達の言の伝承には残らなかった
だから現在に至っても邪馬台国の昔話がないのだよ
それより
考古学で邪馬台国を確認できたのか? 景初二年の朝見を確認できるのか?
774 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 21:45:33
775 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:01:35
考古学音痴が何を言っても説得力ないだろ。
ちゃんと勉強した上で批判するなら兎も角。
最低限の知識は持った上で発言して欲しいな。
卑弥呼のいた頃には、確実にマキムクは存在してただろうし、
マキムクは対外交易をしており、北部九州にも影響力を持っていた。
考古学から、これらは証明されている。
その上で九州説を論じるなら、別に構わんが。
776 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:18:26
>>774 邪馬台国はどの範囲のことなのか? だろう
>>九州(対馬・壱岐を含む)・四国(淡路島を含む) …魏志倭人伝範囲…
>>775 >卑弥呼のいた頃には、確実にマキムクは存在してただろうし、
>マキムクは対外交易をしており、北部九州にも影響力を持っていた。
>考古学から、これらは証明されている。
おいおい大丈夫か?それは仮定による推定だろ、それを証明とは驚きだ!
誰がどう証明したんだよ教えろよ!調べてやるから!
778 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:25:31
>>775 オカルトだよ
『卑弥呼がいた当時マキムクは存在していた』
そのくらいは使えそうだな。
モノは動産だから 人が移動すればモノも移動する ただそれだけの事だ
都合のいい屁理屈こねりゃどうにでもなるしな
>>774 お前馬鹿だな都合が悪いとそれかよ 守るの大変だな
>>778 >都合のいい屁理屈こねりゃどうにでもなるしな
よくこの板にいるな!おめーかアホ投げ込み専門は!
781 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:34:08
それより考古学で邪馬壹国が決められるのかよ?
雨無しで畿内の邪馬壹国大丈夫か?
なんで三輪ソーメン有名なんだ?
返事しろよ
782 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:44:55
>>781 お前、プラムと心中した宮崎県説の人じゃねえの?
懲りずにノコノコ出てきてw 壹とか書いてる辺り、変な本(古田)に毒されたかw
なんだそれ?
おまえどっちの味方?
784 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:52:00
別に降雨量とか環境で邪馬台国を論じてもいいと思うが、
あくまで推測だから。
考古学的裏づけが無ければ、砂上の楼閣。ていうか、考古学以外の証拠って
有るのか?w
考古学的新発見があればねえ、話は別だと思うよ。
いっそ、君の考える所、色々掘っちゃえば?
豊かなクニが必ず覇権を築けた訳じゃないのは、歴史を学べば分かること。
庄内併行期に先進の筑紫が後進の大和に取って代わられるのもそうだろ?
七万戸は大和川水系の合計だからな。後世の大和・河内・和泉の三国。
下手をすると、東四国や摂津など東瀬戸内地域も入るかも。
もっと色々な角度で勉強してみて下さい。
785 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:00:16
>>777-778 マキムクの頃。比恵・那珂での庄内土器導入や前方後円墳築造など、筑紫地域に
大和の介入?協力?があったのは確か。
あと、画文帯が畿内中心で出土することからも、マキムクが対外交易を
していたことが分かる。
もっと勉強しろよ。丁度夏休みだし。
>>784 推測だよな当然!推測!
>考古学的裏づけが無ければ、砂上の楼閣
>色々掘っちゃえば?
大丈夫かお前?掘ってどうする?掘らんでも解る事あるだろ!大丈夫か?
788 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:07:08
プラム、もういいよ消えろ
画文帯の話も皆さんの通説だよな!これは証明とは言わないって事さ!
プラムと一緒にするなよ!
790 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:19:55
>>789 画文帯が畿内中心の分布域なのは事実だろ。
で、画文帯が舶載鏡であるのも事実。楽浪からも出土してるしな。
結局お前は何が言いたいのか分からない。
蓋然性の高い説に反論があるなら、きちんと自分なりの「画文帯」解釈を書きな。
出来ないなら、指を咥えて見てろ、ってことだ。
>プラムと一緒にするなよ!
いや、文章とかそっくりだぞ。頭の悪さも。
>>790 出土地点で何故決まるんだ! 神社も寺も九州からの移設だらけだぜ!
なぜ運搬は無視できるんだよ!通説は無視が多すぎだよ!
それよか考古学のひとには、是非太宰府掘って欲しいね!
792 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:27:16
>>792 あるだろ大己貴神社!由緒残ってるぜ!
それに本殿無い神社っていかにも移設だよ!
都の鬼門には必ず神社があるのさ、遷都のたびに作ってる、
飛鳥の都が短すぎたから、本殿作れなかったのさ!
795 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:35:51
796 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:42:15
奈良と北九州に同じ地名があって、どっちが本家かという議論があるが、
九州の大神神社の存在は、
福岡県朝倉郡三輪のほうが、大和からの移設だという証明にしかならん。
本殿が無い神社のほうが古いってのは、民俗学的にも周知の事実だからな。
新説を唱えるのは自由だが、あまりに痛々しい。
>>795 と言う説があるだよ。
三輪山の神は大己貴命(大国主命)の和魂、
和魂って仏教用語だろ、仏教伝来後の移設なのよ、
なんでちゃんと神様の名前じゃないの?
しかもなんで本殿無いの?
これね実は由緒のある神社では、
なかなか見当たらない、新しい神社の傾向なんだ!
799 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:47:02
>>797 >三輪山の神は大己貴命(大国主命)の和魂、
で、三輪山で、大己貴命(大国主命)の和魂を祀ったのは、神武天皇より昔の人だって知ってる?
文献屋さん。
さて知らないけど、
神武の前に仏教あったのか?眉唾!
801 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:52:08
>>800 おまえは、文献屋のくせに日本書紀は無視かよ。
>>801 アーなるほどきみは大国主と大物主が同じ人と知らないの?
しかし神武より前に仏教ないから創作だよここは!
803 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 00:00:02
仮にだ。
仮に、九州勢力が大和に移住し、北九州の神の大己貴命を大和の三輪で祀ったとしても、
それは、神武東征より昔の話だ。
まだ、大己貴命が天孫に国譲りする前の話だからな。
文献重視で考えても、邪馬台国時代よりもずっと前から、
大和の三輪では、祭祀が行なわれていたということなんだよ。
三輪神社の歴史は、それだけ古いのだ。
あまりに勉強不足で笑っちゃうね。
こっちの指摘は又無視か ヤレヤレ
自分勝手だな君は、
和魂と
本殿が無いのはどうするの?
805 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 00:04:19
>>802 文献屋は、都合の悪い部分は創作と決めることだな。
それなら、仏教伝来の時期も、創作かも知れないな。
本当は、紀元前から仏教は伝わっていたかもしれないだろ。
君も今創作してないか?
807 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 00:07:20
>>806 創作を許さないなら、おまえも、創作と決め付けるのはよせ。
なにを言ってるんだ、どうでもいいけど議論しようぜ!
和魂と本殿には触れないんだな?
それに君ね急に記紀の味方するけど、
記紀の欠史8代とかどうするんだ、
ご都合主義で勝負か君は?
810 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 00:15:21
>>808 >和魂と本殿には触れないんだな?
俺のレス読んでないのかね?
和魂が、仏教用語だとしても、日本書紀が書かれたのは仏教伝来後だ。
そして、仏教の伝来は、紀元前からという可能性もある。
本殿が無い神社は古いというのは、民俗学的に常識。
異論を唱えるのは自由だが、バカだと思われるから止めておけ。
811 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 00:16:26
>>809 文献屋の君のレベルに合わせただけだ。
考古学的には、議論するのは無意味。
>>810 常識の神社他にどれ位ある?由緒がないと駄目だぞ!
仏教伝来紀元前でいいのか?
813 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 00:27:47
>>812 >常識の神社他にどれ位ある?由緒がないと駄目だぞ!
夏休みなんだから、自分で調べれば?
>仏教伝来紀元前でいいのか?
俺が知るわけないだろ。
俺は調べたよ!
由緒の無い神社で、本殿の無い神社は結構ある。例えば男根丸出し神社とか・・・
でもね由緒のある神社で、それは僅かなんだ、残念だけど。
他にも大神神社も弱点はあるけど説明が面倒で、君の予備知識が足りないだろうから言わない。
マー弱点多いって訳!
仏教伝来確かに遡れると俺も思っている!同感だ!
だけどこれは神武が紀元後の人か、紀元前の伝来以外説明が出来ない。
まー疲れたから寝るよ、又来るよ。ふらふらすんあ!
815 :
653:2006/07/29(土) 09:05:02
東四国説のヒトです。遅レス失礼。
>>681 庄内が西日本「全体」という表現に問題があります。
「各地に拠点的に」くらいならまだ分かるのですが。
薩摩から庄内式ってそんなに出土しますか?
近隣の東四国ですら極力搬入を抑えています。
あと布留式と併存するような庄内とかは、時代を
考慮すべきですね。布留の初期に阿波の人が
拡散してるのもあります。このあたりはもっと
正確の情報がほしいのですが。
マキムクの最盛期は布留0がピークというのは
いいですね。さまざまな地域と交流を広げ勢力を
拡大している時期です。そして箸墓がでてくる。
その勢力の拡大に関与しているのが阿波出身者
だと言っているだけですよ。
在地の土器が決して外来の土器を下回らないのは、
在地の人が多いからでしょう。
しかしホケノの埋葬者は先進的な技術をもってきた人で、
マキムクでの有力なリーダーの一人だったのでしょう。
816 :
653:2006/07/29(土) 09:11:51
>>682 どんくさい布留の拡散の担い手が阿波の人だから。
それ以前に東阿波式土器の広がりもある。
またいちはやく楽浪出土の鏡と同笵の画文帯をもらった
と推測されること。
817 :
653:2006/07/29(土) 11:03:09
>>684 私が証拠といっているのは、100%の証拠ではありません。
文書が残っているわけもないし、100%の証拠は期待できません。
あくまで遺物の出土状況からこのような解釈が可能というだけです。
遺物の状況証拠を挙げられない場合もあるのだから、こういった
判断は有効です。もちろんその解釈一つをとれば50%くらいの
可能性かもしれませんが、そういったことが積み重なってくると
偶然とはいえない確率になり、その説は有力といえます。
例えば、銅矛の件ですが、西四国の銅矛は北九州からもらったもの
だとされています。北九州の勢力にとっては祭器であった重要な
銅矛を大量にもらえたということは、
(1)西四国が北九州に対価を払って取得した
(2)北九州が西四国に貢物として差し出した
のような解釈が考えられます。ここで大量の銅矛が出土している
以上は、西四国は北九州に対して対等もしくはそれ以上の関係で
あったことが推測されます。なぜならもし西四国が北九州の属国
のようなものであれば、銅戈や銅剣しかもらえなかったり、
大量の取得は困難だからです。
倭人伝には「投馬国は北九州から南に水行で20日」とあります。
陸行の記述はないことや遺物から考えても、西四国が候補に
挙げられて全く不思議ではないのですが、なぜかそのような説は
あまり聞きません。多分その理由は、その解釈を取ると
「邪馬台国が畿内あるいは九州にある」という説の解釈が難しく
なるためだと思います。もし反論があれば、どうぞよろしく。
818 :
653:2006/07/29(土) 11:05:49
決定的な遺物がでるまでは、様々なデータに対してよい解釈が
あるかどうかでそれぞれの説の優劣を判断する以外ないと思います。
それは、科学で仮説を淘汰する際の基本的な方法です。
(他には解釈が単純で美しいかどうかで決めるというのもあります。)
データとしては以下の二つが基本となるでしょう。
1 中国正史のデータ
2 考古学上の遺跡および遺物のデータ
さらに邪馬台国が大和政権につながったと考えるならば、
次のデータも解釈できればよいでしょう。
3 古事記・日本書紀のデータ
もちろん3については、そのままというのは無理です。
古墳時代前期以前に一つの勢力の御稜が日向、伯伎、淡海、
伊勢に散らばっていると書いてあったり、ひとりの人物が
580年も生きたと書かれていますので。
そういうこともあって残念ながら記紀を毛嫌いする人が
多いようですが、日本の正史なのですからもっと
丁重に扱ってほしいと思います。なぜ神代の話を日本全体
の話にして、年数を長くしたかということは、その成立理由
を考えれば推測できることでしょう。
いかに修正点を少なくして、合理的な解釈ができるか
ということになるでしょう。
819 :
653:2006/07/29(土) 11:07:14
倭人伝の東四国説による「解釈」をまとめます。
邪馬台国・・・東四国
投馬国・・・・西四国
傍国・・・・・東四国の周辺部
狗奴国・・・・徳島南西部
女王国・・・・徳島南西部を除く四国全域
1 伊都国は弥生後期前半までは西四国に属します。
2 後期後半に東四国と西四国の対立が解消された結果、
女王を四国全体で共立し、西四国とともに伊都国も東四国
を中心とした女王国に属することになります。
3 西四国のおかげで北九州を中継地にすることができる
ようになった東四国勢力は大陸へ使節を派遣します。
4 海洋航行技術を背景にして畿内方面へ進出します。
5 4世紀後半には圧倒的に東四国より優勢になった畿内へ、
血筋の正統性を理由に東遷をします。
考古学上の遺物、遺跡による状況証拠は以下のような
ものが挙げられます。
1 西四国からの銅矛の大量出土
2 東土佐の土器であった竜河洞式土器と西四国の土器
であった神西式土器の流通
3 萩原および阿王塚からの画文帯神獣鏡の出土
4 東阿波式土器、ホケノの墓制、前方後円墳への影響、
どんくさいほうの布留式の拡散の担い手
5 徳島愛宕山古墳に見られる畿内の影響
>>819 >伊都国は弥生後期前半までは西四国に属します。
これの根拠が
>なぜならもし西四国が北九州の属国のようなものであれば、
>銅戈や銅剣しかもらえなかったり、大量の取得は困難だからです。
つーのは致命的ですね。
須玖産の矛が西四国に輸出されているとして、
それが「貢物」だと判断出来ちまうあたりがどうもです。
私のイメージ的には、『卑弥呼の銅鏡100枚は魏帝からの「貢物」である』と
言われたようなもんです。
821 :
681:2006/07/29(土) 12:15:54
>>815 返答有り難う。一読して思ったが、その論理なら東四国・大和の同盟でいいと
思うのだがどうだろう。東四国の人が巻向の創始に関わっていたという証拠は
いまだ出てないわけだし。
あと東四国の人に質問だが、布留の拡散の担い手が四国の人っていうのは証明されてる
のか?
822 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 13:52:31
北部九州が西四国に属していたって、無茶苦茶な理屈だな。
じゃあ、東四国で後期銅鐸がよく出土するが、畿内や東海など他の銅鐸文化圏も
東四国に属していたとか考えてる?
823 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:02:20
>ここで大量の銅矛が出土している以上は、西四国は北九州に対して
>対等もしくはそれ以上の関係で
威信財って、権威の序列を決めるものだから、生産・搬出は自国で一括管理されてるのが普通。
他国に勝手に製作されると、せっかくの自国のブランドが混乱するでしょ?。
そもそも自国より劣位な他国で作ったモノを、威信財として使用することは考えにくい。
ある程度、当たり前の考え方だと思いますが。
824 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:15:47
>>823 >威信財って、権威の序列を決めるものだから、生産・搬出は自国で一括管理されてるのが普通。
なんか、卵が先か?鶏が先か?みたいな話だな。
そもそも、広形銅矛が威信財として認識されたのが、生産の一括管理、各地への配布が
証明されたからだろ。
どちらにしろ、西四国が伊都を押さえていたなんて暴論もいいところだが。
都合のいいところは輸出で、
都合の悪いところはそのままなんだな?
大丈夫か?
ある程度当たり前ってなんだ?
普通ってなんだ?
それが違うから反論されているんじゃないの?大丈夫か?
827 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:28:06
>>824 お尋ねしたい。
>広形銅矛が威信財として認識されたのが
>>威信財と認識したのは、当時の使用者達か?
それとも、現在の人の認識なのか?
お答え願いたい。
829 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:43:18
>>828 君達の論理的は無視が前提なんだな、しかも基本から無視かよ!
まあ、平原王墓を見ても、西四国>伊都とは到底思えないのだが。
無視してもいいからさ、
無視する理由を教えてくれ!
>>831 お前、まともな思考回路が無ければ消えろ。
プラムだろ、どうせ。
>>832 お前だろう。プラムのコテ利用して荒らし回っているのは。
834 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:50:22
>>832かなり卑怯な行為だな。
プラムの名を出せばスレが荒れる事を知っていて、答えに窮した時その手を使い場の荒れた隙にトンズラかます。 ここまで落ちたか。
831だけどなんだそれ?
昨日から学問板らしかぬ書き込み大杉。プラムだと思うなら無視してれば
いいでしょうに。名前出したり相手するからPU含めた荒らしが調子に乗るんだよ。
指摘されて返事できないからあらしですか・・・大丈夫?
東四国説の人が、いかに邪馬台国=東四国に囚われているか分かったかと思う。
倭人伝を正しく?解釈出来たと思い込んでるためだろう。
銅矛の頃に、西四国が伊都を従えていたとかもう無茶苦茶。
ヒラバルとか知ってます?
ヒラバルを上回るようなものが西四国にありますか?
都合のいいところは・・・
都合の悪いところは無視のみ!大丈夫か?
昔の御権威に似てますよ!
今もいるよな!
結局 怒って御仕舞い?
840 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:27:31
おーい 昨日の仏教は紀元前の、考古学の奴いるか!
あんまりハードは駄目ですよ
842 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 00:38:34
おーい 昨日の仏教は紀元前の、考古学の奴いるか!
>プラムの名を出せばスレが荒れる事を知っていて、
>答えに窮した時その手を使い場の荒れた隙にトンズラかます。
どこがどういう風に答えに窮したんだ? 具体的に書いてくれないと
分からんよ。
議論したいね、又来るよ!
845 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 11:24:14
>>797 >和魂って仏教用語だろ、仏教伝来後の移設なのよ、
和魂が仏教用語って初耳なんだけど、ソースは?
和魂が仏教用語のソースは? って書いてるのに、訳の分からん長文だな。
お前の言う「仏教用語」とは、「仏教で使用される用語」の意味じゃないのか?
違うなら紛らわしい書き方は止めろ。
>>846 日本人が4が嫌い、なのは四が死を連想させるからだろ。
四をシと読むのは訓読なのか?
お前、かなり頭おかしいな。
一瞬で論破されるのが、「ぷ」クオリティ
>>846 貴方、スレ違いですね。
古神道の話がしたいだけでしょう。
だったら、太とかが巣食ってそうなところでやりなよ。
そっちの方が盛り上がると思うよ。
それから、『和魂って仏教用語だろ』は日本語として成立し得ない。
そのくらいは気付け。
>>847 俺の説明読めないの?
読めれば問題無いだろ!
それに「仏教により出来た言葉」じゃまずいのか?
科学により出来た言葉も科学用語だし、商売で出来た言葉も商売用語だよ。
紛らわしい議論にしてるのそっちだろ。
>>848 大丈夫か?ちゃんと読め!シが訓読みだと何処に書いたおれ!
>>846 お前が誘導してなんだあ!スレ違いの誘導しただろお前!
854 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 16:16:38
「寄せる」だよ お前じゃわからんよ もったいないから教えない!
856 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 16:19:16
>>851 >それに「仏教により出来た言葉」じゃまずいのか?
まずいとかじゃなくて、その根拠を示せと言ってる。
で、お前の書いた文章は、根拠になるどころか、意味不明だと。
テレビで出来た言葉はテレビ用語じゃないの?
858 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 16:23:09
>>855 お前の好きなウィキペディアでも、
四は死を連想するから、中国などの漢字圏で嫌われてると書いてるぞ。
ウィキを根拠にするのもどうかと思うが、自分でも引用してるんだから、
文句はないだろw
科学により出来た言葉も科学用語だし、商売で出来た言葉も商売用語だよ。
業界用語とか、
四天王は仏教用語だよ、もし嫌いでも使われてるね!
>>860 業界用語は、業界で用いられる言葉。
仏教用語は、仏教で用いられる言葉。
「仏教より出来た言葉」は仏教用語とは言わない。
業界で作られた言葉は業界用語だな!
プラム、いい加減に出て行けよ。
それで、もうちょっと本を読むとか、先人の勉強をしてから、
書き込んでくれ。
お前の思いつきを書く場じゃないから。
だからプラムがこんなに強いか?
>>864 仏教用語は、仏教から作られた言葉で、仏教で用いられている言葉。
仏教で用いられていなければ、仏教用語とは言わない。
「用語」の字義を考えれば、分かりそうなものだが。
それが違うから、違う適用になってるんだよ!
漢字は漢で作られた字ばかりじゃないぜ!
じゃ 又来るよ!
悪いが仏教で出来た言葉も仏教用語だよ!
>851の使う日本語がここの大多数のヤシに通用しなかったことだけは間違いない。
お やる気あるのか!
こっちの話無視しないでちゃんと聞けよ!
漢字は漢で作られた字ばかりじゃないけど、漢字だね
なら用語は用いる語だけの意味かな?
873 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 17:07:05
和魂が仏教用語とか、アホな議論に話が逸れましたが、
そろそろ本題に戻りましょう。
東四国説の検証。
東四国さんの仮説はそれなりに説得力があると私は思いましたが、
皆さんどうでしょうか?
この前の宿題も残ってるぜ!
それより考古学で決められるのかよ?
雨無しで畿内の邪馬壹国大丈夫か?
なんで三輪ソーメン有名なんだ?
奈良で裸で暮らせたか?
太宰府なんで発掘しないんだ?
またあったら入れてやるよ。
仏教で出来た言葉>「和」も「魂」も仏教じゃ使わないしw
単に仏教思想の影響を受けて神道内部で生成された言葉だよな。
だから、仏教派生語とも言えないしな、上手い表現が思いつかんな。
だからわざわざ大神神社の神道は独特だと言う、HP貼り付けてやっただろ
それに使い分けされていても、神仏融合してたからね、使ってたが正しいよ。
>>874 考古学ぐらいしかないのが現実。
現実とは向き合わなければなw
考古学で邪馬台国を語るのは、大多数の考古学者が慎重にしている。
というか、余り語りたがらない。確証がないから。
ただ、邪馬台国を絡めると集客になるから、仕方なしに、講演とか展示とかは、
邪馬台国の名前を利用する。
>>877 慎重なのはいいよ!
だけど考古学しかないは・・・大丈夫か?
お前もしかしたら、うわさの考古学オタクか?
考古学オタク君 当たりだな!
君ね考古学だけじゃどーにもならんよ。
極論すれば魏志倭人伝すら参考に出来ないだろ、
やっぱりバランス良くね、考古学の弱点も学ぶべきだよ!
あと君思い込み強すぎ!
幾つ?
まーいいや俺、暫く来ないけど、又来るよ!
>>873 838 :日本@名無史さん :2006/07/29(土) 17:15:56
東四国説の人が、いかに邪馬台国=東四国に囚われているか分かったかと思う。
倭人伝を正しく?解釈出来たと思い込んでるためだろう。
銅矛の頃に、西四国が伊都を従えていたとかもう無茶苦茶。
ヒラバルとか知ってます?
ヒラバルを上回るようなものが西四国にありますか?
>>879 まあ、お前なんかより文献詳しいと思うけど。
882 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 18:34:14
883 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 23:34:35
どうする?
(´-`).。oO(相手しなきゃいいのに。なんやかんや言ってプラムと遊ぶのが楽しいんだろうな・・・・・)
あ、スレまちがいた。まあ、どこでも同じか。
(´-`).。oO(そーだよなプラムと遊ぶのは楽しいよな・・・・・)
887 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 00:06:21
あ、スレまちがいた。まあ、どこでも同じか。
邪馬台国畿内説と九州説
どちらがより多くの客観的事象を説明できるかというポイントで
見ると、たとえば、次のような客観的情報は、畿内説とは矛盾する
ものであり決定的に畿内説に不利である。にもかかわらず、
畿内説論者たちの多くは矛盾を無視し、都合の悪いことには
いっさい言及せず、相変わらずマスコミも巻き込んで畿内説の
主張を声高に続けている。
鉄器の出土比較
倭人伝には、倭人は鉄鏃を使うと記述する。
福岡県と奈良県では「魏志倭人伝」の遺物である鉄鏃の出土状態が
極端に違う。 福岡は398個、奈良は4個。その他の倭人伝記載の
遺物についても同じ傾向
葬制
倭人伝は、倭人の墓は「棺あって槨なし」と記述する。
奈良のホケノ山古墳の木槨木棺墓が見つかり、畿内説の根拠と
されているが、木槨の存在は魏志倭人伝の記述に合わない。
横穴式石室など、その他の近畿の墳墓についても、倭人伝の
「槨なし」とする記述と合致するものはない。
いっぽう、邪馬台国時代の墳墓とされる九州の平原古墳には
木槨が存在しない。また、九州の甕棺墓や箱式石棺などにも
槨がなく「棺あって槨なし」の記述と一致する。九州の墓制は
倭人伝の記述と整合している。
三角縁神獣鏡「スプリング8」問題
朝日新聞は「泉屋博古館が最新鋭の放射光分析施設スプリング8で
三角縁神獣鏡を分析した結果、鏡の材料は中国製のものと
同成分であり、三角縁神獣鏡の一部が中国産である可能性が高まった」
と報じた。
これに対する反論
原材料が中国産であることと、製品が中国産であることは、
まったく別の話である。原材料が輸入され、製品が日本で
作られた可能性がある。
中国製の同時代の青銅鏡と比較したといいながら、確実に中国で
出土した鏡を一面も用いていないようだ。
420 :日本@名無史さん :2006/07/30(日) 23:56:02
「日本製の鏡が日本製のまとまりに入った」としているが
日本製とされているものの原材料が、ほんとうに日本製の
銅が用いられている確実な証明は何も行なわれていない。
韓国国立慶尚大学招聘教授の新井宏氏は、金属考古学の専門家の
立場から、泉屋博古館の解析方法には重大な誤りがあり
三角縁神獣鏡神獣鏡の生産地の議論にはまったく役に立たないと述べる。
泉屋博古館の提示した内容は、鏡が中国製という仮説を検証する
ための事実にはなっていない。新しい情報はないのに最新鋭の
「スプリング8」を使ったことで、新しい発見があったように見せ
樋口隆康氏などの権威で、正しいことであるかのように発表している。
おかど違いの情報をマスコミに提示して、あたかも仮説の正しさが
新事実によって補強されたように見せている詐欺まがいの行為に
ついては、考古学者の森浩一先生も問題視している。
輸送を虫する
898 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 08:30:29
倭人伝の記載だけを考えれば、九州説に分があるとは思います。
あなたは九州のどこに邪馬台国があったと思いますか?
>>888-896 巻向発掘した人で三角縁神獣鏡が魏からの下賜品だなんて言ってる人はおらんがな。
別に三角が舶載品でなくとも十分畿内説は成り立つ。
あと「木郭」だが中国のものと大きさは一緒なのだろうか。また巻向において木棺
直葬墓も見つかっているが。さらに、九州において鉄鏃が圧倒的に多いのは
周知の事実。しかしそれは時代が違う。邪馬台国の頃はというとホケノから大量
の銅鏃・鉄鏃が出ている。(じつは魏書の記述は「倭」に関する習俗だから、
百歩譲って鉄の量が圧倒的に九州が多かろうとも関係無いことも周知の事実)
九州説の人は畿内と九州の対立がいかにもあったように言うが、そんな証拠は
どこにも残ってないというのが事実。スレ違いだからこれ以上はやめとくね。
この前の宿題も残ってるぜ!
それより考古学で決められるのかよ?
雨無しで畿内の邪馬壹国大丈夫か?
なんで三輪ソーメン有名なんだ?
奈良で裸で暮らせたか?
太宰府なんで発掘しないんだ?
またあったら入れてやるよ。
901 :
653:2006/07/31(月) 21:19:14
>>821 同盟の場合は、やはり庄内や三角縁がもっと
東四国に入ってくるのが自然ではないでしょうか。
どうもこの点で東四国、とくに吉野川北岸はかたくなです。
阿波の人による布留の拡散については、橋本氏が
ある講演で述べられていたことです。
>>579 は畿内王権の成立・ぱーと4スレから
引っ張ってきました。
大和・マキムク遺跡の座談会の雰囲気からも
分かるように、土器について阿波の影響が
かなり大きいと認識されてきたのは結構
最近の話のようです。
ただ北條氏は、かなり以前に状況を
つかんでいるふうですね。
まあ、ずっと徳島におられたわけだから
まったく不思議ではないのですが。
902 :
653:2006/07/31(月) 21:44:16
他に主張なのか、質問なのか分からないのも
あるけど、まあいいかな。
倭人伝に伊都国が女王国に属するとあるから
それに対する一解釈を述べているだけ。
この一つだけの解釈と状況証拠だけで
確実なんていえるわけがない。
もっと総合的な話をしているんだけど。
>>824 暴論という根拠を述べてもらえますか?
もっとよい解釈があるならそれも。
>>902 銅矛の頃に、西四国が伊都を従えていたとかもう無茶苦茶。
ヒラバルとか知ってます?
ヒラバルを上回るようなものが西四国にありますか?
904 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 08:23:07
奴・伊都国の玄界灘グループが当初倭国王であったことは、
ある程度コンセンサスが得られている筈。そして庄内を境に、
新興の畿内勢力により、徐々に相対的立場を弱めていくことも。
倭人伝の一文から、西四国>筑紫なんて、飛躍が過ぎるでしょう。
少なくとも、根拠が薄弱です。
905 :
681:2006/08/01(火) 10:28:22
>>901 だが墓制の一致はその場合どう見るのか?阿波の萩原1号墳・讃岐の鶴尾神社4号墳
はいずれも前方後円墳で、なおかつ石塚と同時期か若干新しい。征服という可能性も
無いわけではないが、戦闘の痕跡などが発見されていないこともあって証拠に乏しい
だろ。ただ、考古学・文献から見て四国勢力がある程度重んじられていたことは事実
だろうね。
906 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 14:24:38
重んじられていた筈が、東四国から三角縁は出てこない。画文帯は多数出てくるのに。
907 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 20:39:44
東四国さんの言うことは頷かされる部分も多いが、邪馬台国=東四国の固定観念が
強過ぎないか?
まあ畿内説九州説もそうなんだが。
908 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 20:59:42
倭人伝解釈で、北部九州か畿内かで揉めるのは、要するに2世紀〜3世紀初めに
倭国の中心が北部九州から畿内に移ったためだろう。
九州と畿内の情報が混じり合い、倭人伝記述に誤解、混乱をもたらしたのだろう。
漢委奴国王以来、倭と言えば北部九州を指すというのが、中国の認識。
倭の情報として、九州の習俗や風土が採用されたとしてもおかしくない。
909 :
653:2006/08/01(火) 21:20:47
>>903 西四国が伊都国を支配したなんていっていませんよ。
伊都国が西四国に属したという解釈は述べましたが。
「統」(副)
すべて
「属す」(動)
1 くっつく。ひっつく。よせ集める。またつき従う。
2 その範囲に入っている。仲間に入っている。
(学研 漢和大字典より)
「属」というと属国のイメージがあるみたい。
縄文前期初頭から西四国には九州に広く分布する
轟B式土器が分布しています。
また弥生前期初頭から板付式土器の影響下に成立した
入田I式土器あるいはB式土器などでも北九州文化
との接触を伝えています。伊都国と西四国の祖先が
一緒だった可能性もあるでしょう。
910 :
653:2006/08/01(火) 21:22:42
>>905 征服というより先進的な技術の移転で喜んで
迎えられたという解釈です。
庄内期は東四国のほうが海洋航行の技術や
鉄器などの面で畿内より先進的なところが
あります。すぐに追い越されるわけですが。
東四国を出た人々は、新天地が居心地がいいので
あまり戻ってこなかったのかな。
911 :
653:2006/08/01(火) 21:49:44
>>907 固定観念といえば固定観念ですけど、
確信といえば確信です。
畿内説や九州説でも24の国々をきれいに
配置して、倭人伝の上手な解釈を与えて
くれたら誠実に検討しますよ。
でも、検討する具体的な案がないでしょう?
例えば、
>>3のような国名の類似では、
あまりにも選択の範囲が広くて統計的に
有意とはいえないのです。
先走りすぎですが、ここを掘って何もでなければ
きっぱり説を捨ててもいいという場所もあります。
とはいえ、それがアレである確信度はまだ
60パーセントくらい。きっと何か重要な場所では
あるはずですけど。
東四国説も、結局のところ、奴や伊都、マキムクを凌駕するような遺跡が
出てこない限り、夢物語なわけで。
ましてや、平地じゃない山間部に径150mの墳墓を見つけるのも並大抵じゃない。
山間部にそのような巨大古墳が築造出来るのか、というそもそもの問題もあるが。
あと、唐古鍵とか池上曽根とか畿内の遺跡を過小評価し過ぎ。鉄器に目を奪われ過ぎると、
大事なものを見落とすよ。
あと、記紀の問題もあるな。
本当に天皇家の本貫地が東四国ならば、記紀に東四国の記述が
もっとあって然るべき。記紀は天皇家の正当性を主張するものなんだから。
また後代の天皇家が、殆ど東四国を顧みなかったのはおかしい。
高天原を東四国に読み換えるという苦しい言い訳も出来るが、何故わざわざ読み換える
必要があったのかが意味不明。むしろ、日向が本貫地であったと記載し、
日向三代神話に大きくスペースを取っている。
大和朝廷=東四国なら、阿波神話とかが採用されるだろ。
>>908 >九州と畿内の情報が混じり合い、倭人伝記述に誤解、混乱をもたらしたのだろう。
北部九州は、弥生時代から大陸・半島と交流があったので、
中国側が北部九州の国土・風俗の情報を多く持っていたと考えていいだろう。
対して畿内は庄内期以降、対外交易を始めたに過ぎず、中国の史官も余り知らなかった
のではないか。
一方通行だな
呪文かお経だな
思い込み激しいだけに重症なんだよ
何言っても自分が正しい以外言えないお坊ちゃま君
918 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:37:48
この前の宿題も残ってるぜ!
それより考古学で決められるのかよ?
雨無しで畿内の邪馬壹国大丈夫か?
なんで三輪ソーメン有名なんだ?
奈良で裸で暮らせたか?
太宰府なんで発掘しないんだ?
>>918 >太宰府なんで発掘しないんだ?
何? これ?
920 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:27:21
>912
>あと、唐古鍵とか池上曽根とか畿内の遺跡を過小評価し過ぎ。鉄器に目を奪われ過ぎると、
>大事なものを見落とすよ
過大評価されすぎというのが畿内の集落の専門家である清水や寺沢の見解なんだけど。
寺沢の論文ぐらい読んだら。
>>920 東四国に唐古とかに匹敵する拠点集落がありますか?
922 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 12:21:04
この前の宿題も残ってるぜ!
それより考古学で決められるのかよ?
雨無しで畿内の邪馬壹国大丈夫か?
なんで三輪ソーメン有名なんだ?
奈良で裸で暮らせたか?
太宰府なんで発掘しないんだ?
923 :
681:2006/08/02(水) 17:41:05
>>910 先進的な技術の移転って何?巻向の大溝は環濠の応用(応用でなくとも四国に
時期が巻向より遡る同様の遺構があるという話は聞いたことが無い)、土器も
第五様式の発展。先進技術の移転、それも四国からというのはどうにもわからない。
巻向遺跡や巻向式土器が四国からの影響で成立したという確証が無いと。
924 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 19:23:25
>>922 三輪ソーメンが、古代史と関係するのか?
925 :
653:2006/08/02(水) 20:17:39
>>913 政権を担うものが次を選べるとしましょう。
小さな地域に神代の舞台を設定するか。
それとも、広い地域に神代の舞台を設定するか。
まだ、圧倒的な中央集権国家が成立していない場合、
後者を選ぶほうが戦略的に正しいでしょう。
なぜならそのような神話にすれば、中央がその地域を
従える正当な理由ができるからです。
ただ、古墳前期以前に広域に婚姻、闘争、埋葬が
一つの勢力で行われていたということは、考古学的
には否定されるのではないでしょうか?
もっと時代が下がっても難しそうな話です。
(日向、出雲、淡海、高志、伊勢、科野に広がっています。)
もう一つの解釈として、それぞれの地域の神話の
寄せ集めだとしましょう。そうすると、系統は正しく
ないことになります。これは、正統性を保持したい
政権にはストレスがたまる話です。
本来の神話の舞台である小さな地域の地名を、似たような
有力な国名におきかえるだけで、とたんに広域の話になります。
こんな解釈もあるのではないでしょうか。
926 :
653:2006/08/02(水) 20:47:52
927 :
653:2006/08/02(水) 21:09:32
>>921 別に集落の勝ち負けの話ではないのですが・・・。
まあ、いちおう宣伝のためにかきます。
黒谷川郡頭遺跡は、この地域の重要な遺跡です。
これは画文帯2面出土の阿王塚を支えた地域でしょう。
私が拠点地域だと思っている大麻山周辺はまだ開発が
進んでないので、ほとんど未調査です。(光勝院くらい?)
でも、画文帯がでてくる萩原1号、400〜500トンの積石の2号や
最古期古墳の天河別神社古墳群を支える地域は、
当時としては相当に発展した地域だったと推測されます。
しかし、開発もないのにわざわざ掘る予算はないでしょう・・・。
萩原2号の埋葬施設調査はいつになるのだろう。
吉野川による堆積で、掘るのも大変かな。
928 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 22:10:00
>>924 >三輪ソーメンが、古代史と関係するのか?
>>太宰府なんで発掘しないんだ?
>何? これ?
これらが解らないから、ひたすら突っ込まれる、PUにまで突っ込まれて恥ずかしくないの?
>>928 お前の意見が分かるよう、具体的に書きなさい。
反論してやるからさ。
>>929 そいつは、粘着コピペ荒らしの犯人だよ。
スルーするべし。
931 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 23:19:39
ここの住人おもしろいよな
この前の宿題も残ってるぜ!
それより考古学で決められるのかよ?
雨無しで畿内の邪馬壹国大丈夫か?
なんで三輪ソーメン有名なんだ?
奈良で裸で暮らせたか?
太宰府なんで発掘しないんだ?
世間で相手にされないから、ネットで憂さ晴らしかよ。
哀しいことは止めなさい。
936 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 00:05:44
T豚Sによると天皇の「亀田は相手にしない それが私の心」という発言メモが公開された模様
937 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 00:07:25
938 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 00:10:37
昼間からいつもいるよね君
なんか、考古学に対する怨念を感じる文章だ。
おそらく、どこかのスレで、考古学重視畿内派に論破され、
祟り神になったんだろう。
哀れだな。
考古学の人は、無視ばっかりしてるから、
無視を指摘するだけで、いつも楽勝だよ。
941 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 15:59:21
>>940 考古学って偉い先生の仮定が、一人歩きして通説になる。
既にかなり無視した通説だけど、それを基準に又仮定するから、
嘘が嘘を呼んで、本人達も解らない方向に行く。壮絶な世界だね。
しかし強い師弟関係だから、孝古学に変えるべきだな!
やつらちっとも考えてないないし、御権威の意見を覚えるのみだからね。
PUさんこんにちは!自分の巣に引きこもったらどう?
943 :
彼都:2006/08/03(木) 17:22:16
邪馬台国について意見交換したいのですが、こちらでよろしいですか?
九州説厳禁ですから。
945 :
彼都:2006/08/03(木) 17:55:31
九州説厳禁と言われても…未だ九州や畿内に決めた訳ではありません。
それより、九州説?畿内説?ってなんですか?
解らないのですが。
意見交換したいと言った奴が何言ってんだ?もう少し基本的なこと学習してから
来いよ。もしかしてPU?
947 :
彼都:2006/08/03(木) 18:05:16
どうしてそんな対応をするのですか?解らない事はいけないこと?
PUってなんですか?
948 :
彼都:2006/08/03(木) 18:25:23
この掲示板には年齢制限とかあるのかな?なんだか怖そうなおじさんがいるみたいだし
邪馬台国の事が少しでも解ると思って投稿してみたけれど中学生にならないと無理なのかな?
949 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 19:43:22
天皇(神武天皇)にはヒメタタライスケヨリヒメ(ヒメタタライスズヒメ)との間の子の他に、
日向にいたころにアヒラヒメ(阿比良比売)との間にタギシミミ(多芸志美美命)、キスミミ
(岐須美美命)の二柱の子をもうけていた。天皇が亡くなった後、タギシミミはヒメタタラ=
イスケヨリヒメを妻にし、その3人の御子を殺そうと計画していた。それを知ったイスケヨリヒメは
3人の御子にそれを知らせようと、
「狭井河から雲が立ち登って、畝傍山では大風が吹く前触れとして、木の葉がざわめいている」
という内容の歌を詠んだ。その歌の意味を理解した御子たちは、すぐにタギシミミを殺すことにした。
カムヌナカワミミ(神沼河耳命)は、兄のカムヤイミミ(神八井耳命)に武器を渡してタギシミミを
殺すように言った。しかし、カムヤイミミは手足が震えて殺すことができなかったので、
カムヌナカワミミが兄の持っている武器を取って、とどめを刺した。
カムヤイミミはこの失態を恥じ、弟のカムヌナカワミミに皇位を譲り、自らは神官となって
仕えた。
タギシミミ=タギシ御命
カムヌナカワミミ=カムヌナカワ御命
ミミ=御命 御命→命(ミコト)
950 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 19:55:00
この神話は、神武天皇の死後、日向国の皇族と大和の皇族(物部氏と出雲氏の連合)が
皇位継承を巡って抗争した事を伝えている。
事実、神武天皇が崩御した後、天皇の座は4年間も空位であった。
951 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 20:21:10
952 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 23:49:35
>>948 小学生が来るところじゃない。PUのような馬鹿な大人になるぞ
953 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 00:55:45
>>951 一杯貼り付けたな!
そのダヴィンチコードで、
邪馬台国はどの時期なんだ?
あとその証拠はなんだ?
954 :
彼都:2006/08/04(金) 07:45:04
皆さんおはようございます。
今日で朝のラジオ体操も終わり明日から自由です。
ところで、倭人伝には紹興本と紹煕本の二種類があるようですが、どちらを参考にしたら良いでしょうか?
>>954 挨拶なんぞするな。そういう馴れ合い的行為をする奴をPUっていうんだよ。
小学生なら岩波文庫の魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝
で十分。多分PUの新キャラだと思うが一応マジレスしとく。
956 :
彼都:2006/08/04(金) 11:30:57
よく解りました。
擬似空間にての挨拶など不要
昨夜ネットにて、ザット眺めてきましが難しそう。それが第一印象です。
下手な自作自演だな
何も小学生相手“つんけ”にすることはないだろうよ!
学校では先生に、家庭では親に 『挨拶・挨拶』と注意され
2ちゃんに来てみたら『挨拶など馴れ合いだ』と叱られる
解らん世の中になったものだ
こんな世の中だから
子供達が安心して下校出来ないんだな。
>>960 君は未だそんなアホなこと言っているのかね
ここはOpenな掲示板
意味わかりますか?
それとも何かい?君がここの主ですか?
962 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 13:26:05
プラム
下手な自作自演だな
しかも小学生じゃないと、
相手して貰えないの、やっとわかったか?
そんなの自分の子供作ると、
あきるほど出来るぜ。
963 :
960:2006/08/04(金) 13:52:23
>>961 大人しく自分の巣に引きこもれよ。オープンな掲示板だから何書いてもいいってか。
いい加減にしろ。べつに自演じゃなくても十分お前は有害。
>それとも何かい?君がここの主ですか?
さあ?どうだろうねwww IPでも抜いてみれば?
プラム効果は偉大だな!
公園は誰もが自由に入ることは出来るが、そこで何をしても自由ということではない。
公園ではなく自分が所有する家であっても何をしてもいいということはなく、
周囲に異臭が漂うくらいゴミをため込めば社会問題になるし、
大音量でラジカセをかけて布団をバンバンたたいて大声を出せば逮捕される。
そういうものだよ。社会っていうのはね。
掲示板もバーチャルとはいえ社会なんだ。
>>965 解ったから
子供達の下校を安全なものにしようね。
お願いだよ!
967 :
彼都:2006/08/04(金) 15:18:40
邪馬台国の中に三十国ほどの国が有ることは僕にも解ります。その邪馬台国を三世紀当時に女王卑弥呼が、治めていたことも解ります。
でも、いつ頃邪馬台国が出来たかはわかりません。
皆さんは知っているのですか?
969 :
がいやまん:2006/08/04(金) 16:09:26
970 :
がいやまん:2006/08/04(金) 16:13:43
上記の「青銅器祭祀からの離脱」というバーチャル時空間を投馬国として認識、
その人口をも聞き出した魏志倭人伝に感嘆する。
971 :
彼都:2006/08/04(金) 16:18:54
968さん ありがとうございます。
「こういう挨拶もいけないんですか?」
ネットで色々な史書を覗いてみると、倭人伝だったり倭伝や倭国伝とまちまちです。
この違いって?
解らないことだらけです。
972 :
彼都:2006/08/04(金) 16:39:40
966プラムさん 969がいやまんさん
皆さんがPUと言ってますがどうして?
974 :
彼都:2006/08/04(金) 16:55:03
973さん
僕は行ってはいけないですよね?
976 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/04(金) 18:21:30
977 :
がいやまん:2006/08/04(金) 18:46:39
De BonoがPOという言葉で思考の転換としてはと提案したことがあった。ところで、
安本さんが九州邪馬台国東遷という力作を発表されているが、あれをひとひねりし
てみたい。吉備で庄内式土器と同時に新規に発足した邪馬台国の集落配置を筑前に
移植した。という逆東遷、西遷は考えられないだろうか。大物主、ニギハヤヒに至っては
故郷、ハヤヒワケに近すぎるところに三輪神社が建つことにはなるが。こういうことでは
どうーっすかね。
978 :
がいやまん:2006/08/04(金) 19:23:10
自女王国以北、特置一大率、検察諸国、諸国畏憚之、常治伊都国、於国中有如刺史、
王遣使詣京都・帯方郡・諸韓国、及郡使倭国、皆臨津捜露、伝送文書・賜遺之物詣
女王、不得差錯
諸国畏憚之といった状況は上記のような大改革があってこそ実現できるのではないか
ともいえるかなー。
979 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 19:39:47
★倭姫命は卑弥呼なのか★
倭姫命(やまとひめのみこと)は、古代日本の人物。
第11代=垂仁天皇の皇女で日本武尊の叔母と位置づけられ、神託により伊勢神宮などを建立したとされる。
伊勢神宮最初の斎宮(齋宮)である。皇大神宮別宮の倭姫宮に祀られているが、その創立は大正10年1月4日であり、
神宮別宮としては極端に新しい神社である。
伊勢神宮を建立したときの天照大神から倭姫命への神託は、『日本書紀』垂仁天皇25年春3月丁亥朔丙申条では
「是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國」、『倭姫命世記』では「是神風伊勢國 即常世之浪重浪皈國也
傍國可怜國也 欲居是國」であり、神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰(よ)する国、方国(かたくに)の
すばらしい国なり。この国におらんと欲(おも)ふ と伝えられている。
倭姫命が伊勢神宮を建立するまでに八咫鏡を順次奉納した場所は元伊勢と呼ばれている。
また、日本武尊に天叢雲剣を与えた人物でもある。
倭姫は卑弥呼なのだろうか。卑弥呼が死去したのは247年頃だと言われている。
時代的には、卑弥呼が活躍した時代と倭姫の時代は重なるのだが。
980 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 19:52:30
古代日本のことを知るには、ぶっちゃけどうすればいいんだ?
981 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/04(金) 20:20:02
982 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 20:25:10
★倭姫命は卑弥呼なのか★
倭姫命(やまとひめのみこと)は、古代日本の人物。
第11代=垂仁天皇の皇女で日本武尊の叔母と位置づけられ、神託により伊勢神宮などを建立したとされる。
伊勢神宮最初の斎宮(齋宮)である。皇大神宮別宮の倭姫宮に祀られているが、その創立は大正10年1月4日であり、
神宮別宮としては極端に新しい神社である。
伊勢神宮を建立したときの天照大神から倭姫命への神託は、『日本書紀』垂仁天皇25年春3月丁亥朔丙申条では
「是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國」、『倭姫命世記』では「是神風伊勢國 即常世之浪重浪皈國也
傍國可怜國也 欲居是國」であり、神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰(よ)する国、方国(かたくに)の
すばらしい国なり。この国におらんと欲(おも)ふ と伝えられている。
倭姫命が伊勢神宮を建立するまでに八咫鏡を順次奉納した場所は元伊勢と呼ばれている。
また、日本武尊に天叢雲剣を与えた人物でもある。
倭姫は卑弥呼なのだろうか。卑弥呼が死去したのは247年頃だと言われている。
時代的には、卑弥呼が活躍した時代と倭姫の時代は重なるのだが。
983 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 20:33:39
和歌山に白木系の紀氏が到達したときに入ったのが紀州犬で色は白いので
白木の犬ではないかと思った。白いのは日陰で育った証拠です、黒毛和牛は大陸移動で
赤道から来たので日焼けしすぎて真っ黒けになった
984 :
がいやまん:2006/08/05(土) 08:58:31
>>977-978 朝鮮半島と日本列島間の交易拠点において以下のような大きなUターンがあるという。
(1)青銅器製作を伴う燕系の九州沖縄渡来に伴う倭人の青銅・鉄商品への
ニーズの発生
(2)勅島交易拠点
(3)原の辻交易拠点
(4)加美・久宝寺交易拠点
(5)博多湾交易拠点
この最後の2段階が記紀の神武とか、倭人伝の邪馬台国と絡み、庄内土器の
西進とも絡んでくるのだろうか。基本的に国際政治性はなく、純粋な交易の
ニーズから起こったようだが、国内政治的には大和朝廷の誕生につながったの
ではなかろうか。あるいは、国内政治の動きがこの、最後の2段階を起こしたといって
もいいのだろうか。
985 :
がいやまん:2006/08/05(土) 09:02:10
ウガヤフキアエズというのは勅島の小伽耶吹合津とちがうか。昔は風任せだもんなー。
986 :
がいやまん:2006/08/05(土) 09:07:17
987 :
がいやまん:2006/08/05(土) 09:28:26
こうして見ると、加美・久宝寺というのは天文学でいう白色矮星、そしてその後
ビッグ・バンというか、花火のような、インフレーション的宇宙拡大で特置一大率、
検察諸国、諸国畏憚之、常治伊都国となる。倭国はスーパーノバ(超新星)だから
中国もその方位確認に何世紀も費やしたのかも。
988 :
がいやまん:2006/08/05(土) 12:47:04
モモソヒメが「ハシ」で「ホト」を刺して死んだ、糸をたどれば神の正体は蛇だった等
でいわれる「ホト」とはフツの御霊、ハシで刺すというのは宝剣の柄の部分を地中に
刺すということ。糸をたどるというのは「タタラ」と呼ばれる糸巻きを使用することで、
これは銅鐸に百伝ふ紐をつけて引くことと似たことであったのであろう。
989 :
がいやまん:2006/08/05(土) 12:51:53
銅鐸の神に変えて武器の神を祭るモモソヒミコ、崇神には何時、どこから天罰が下って
もおかしくはなかったのではなかろうか。鬼道とはよく言ったものである。
990 :
がいやまん:2006/08/05(土) 14:04:17
991 :
がいやまん:2006/08/05(土) 15:48:08
992 :
がいやまん:2006/08/05(土) 19:26:05
>>984 (4)加美・久宝寺に早良西新町を追加しておく必要あり。
>>992 吉備の津寺遺跡、上東遺跡も足してあげて。
994 :
がいやまん:2006/08/05(土) 21:32:57
\ しんすれさ行くだ! しんすれさ行くだ!!! /
ヽ(`Дヽ(`Дヽ(`Д´)`Д´)ノД´)ノ)ノ
ヽ(`ヽ(`Дヽ(`Д´)`Д´)ノД´)ノ)ノ
. ヽ(ヽ(`Дヽ(`Д´)`Д´)ノД´)ノノ
ヽ(ヽ(`Дヽ(`Д´)`Д´)ノД´)ノノ
ヽヽ(`Дヽ(`Д´)`Д´)ノД´)ノ
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ヽ(`Д´)ノノ
ヽ(`Д´)ノ
( )
○| ̄|_ オラダケイゲネ・・・・ツレテッテクダセ・・・・トリナシテクダセ、サンジュワンサマ・・・
まだ1000いかない(-_-)ウツダ
PU スレ
337 :日本@名無史さん :2006/08/07(月) 15:22:38
おい、プラム!
邪馬台国は何処にあるんだ?その理由もキチンと書けよ!
完璧に撃ち破ってやるよ!
あんまり酷いと相手にもされないかもね。
又逃げるのか?!
お前が思っているのでいいですよ!
良く解るように説明してください!
:プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/06(日) 22:29:43
私としても
>>247に同意。そうして貰いたい。
論破されれば“2ちゃん”から消える
これからはアホなカキコには完全スルーの予定
168 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/07(月) 15:28:52
>>167 解りました。
今、余り時間が無いので(仕事中)今日中に自分のスレに書いときます。
プラムは論破されたら消えるそうです!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。