初めて地図を見たときあまりの広さに笑ってしまったw
やはり中央政府にとってどうでもいい土地だから?
2 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 22:27:33
半ば渡来人の流刑地みたいな寒村(サムソン)
朝鮮人しかいきたがりません。
3 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 23:37:55
3
4 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 23:44:38
ほんとどうでも良かったに違いない作物は育たない。
死ぬほど寒い。
5 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 00:10:59
6 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 00:21:44
>>1 もともと「ここより向こうは○○。先は知らない」って感じだったのよ。
それがのちに
「○○はここまでにしよう。その先は●●と呼ぼう」
「○○を二つに分けることにします。都に近いほうを上○、遠いほうを下○」
そんな風にやってたら、律令制な時代が終わっちゃってただけ。
大和朝廷が3倍強かったら(笑)、蝦夷島とかでも上日高、下日高とかできてたかもね。
間に合った例・・・高志(越)→大きくなりすぎたから、先のほうは出羽と呼ぼう。んで越は分割しよう!
→越前、越中、越後→越前(から加賀と能登分割)、越中、越後(から佐渡分割)
間に合わなかった例・・・出羽
だから考えようによっては
>>1は合ってるが、
「蝦夷在地勢力は強かった。大和朝廷弱すぎダサっ」とも言える。
7 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:15:12
実際は10倍弱い大和朝廷
日本最弱兵
大和山城
>>6 出羽も羽前・羽後に分けられた、明治に入ってからだが
陸奥も5個くらいに分かれた
蝦夷勢力が衰えたから
9 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:47:09
佐竹羽前守
伊達陸中守
10 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 14:38:50
まだ蝦夷勢力が強く、細かく当地区域を分割できるほどの力が
朝廷になかったってことだね。自治区みたいなもの。
>>1は今の都道府県も明治の頃から不変と思っているに違いない
平安朝は、結局北東北を直接「支配」できなかったてことね。
13 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 14:10:25
ほな、なんで、その後、国境に誰も手をつけんかったんや?
鎌倉〜室町〜江戸になると出羽・陸奥がでかすぎることくらいわかっとったやろ
>>13 室町くらいまでは人口や生産力の点ででかすぎるというほどではないから。
江戸時代には国境自体が有名無実化していたから。
15 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 21:16:10
よく言うじゃないですか、白河以北、一山なんぼってね
16 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 21:23:41
>>13 確かに武家の世になって、諸国の再編をしていないね。
17 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 22:29:03
秀吉に臣属するまで伊達は最大で何万石までいったの?
福島だけでも、かなりの石高だよね?
150万くらいじゃね?
19 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:26:29
そんなにないだろう
20 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:26:31
日本の最高気温は山形だよ! ついでに北回り船!
みんなわかって東北のアホ言ってるのか?
21 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:58:00
>>1 今の北海道と同じで稲作に適していなかったからだろう。江戸時代まで
地方の豊かさを石高で表現していたように。
22 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:58:34
福島と岩手は、県の真ん中に山あるから、たいした石だかじゃない
23 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 23:02:40
前に、岩手の岩泉に行ったんだけど、盛岡から岩泉町まで、
かなり時間かかったな。信じられないくらいグネグネの山道が続く。
トンネル工事してたみたいだけど、今は開通したのかな?
今の時代でアレだから昔なら、とんでもない時間かかったと思う。
24 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:26:27
>>21 明治の頃でも、まだ米の品種改良も進んでないし、
あまり裕福ではなかっただろうけど、
江戸期には北回り船が有名なように、
そのたいした石高のない東北は、明治には6県になる位経済力があった。
これは歴史の盲点だよ!三内丸山も最初は誰も信じてくれなかったよね。
25 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:55:27
岩手は四国ほどの面積があるし、福島も2県分位のサイズがある。
東北、北海道はまだ開発の余地が十分あるな。仙台あたりへ首都移転
すればいいと思う。いや、雪が多すぎて無理か。
26 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 01:40:51
首都なんて九州にでも暮れてやれ
27 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:13:55
なんでアジアってあんなに広いの?
初めて世界地図を見たときあまりの広さに笑ってしまったw
やはりヨーロッパにとってどうでもいい土地だから?
>>1はこんなレベル
29 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:35:09
>>26 首都が九州では日本が東南アジアの国と思われるだろう。北国の方が
先進国らしくていい。いっそ北海道にもっていけばいいのでは?
30 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 16:16:41
福島ってさ、高速でもいわきから会津まで一時間以上かかんのな
31 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 16:17:50
東京も高速では1時間以上かかるw
32 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 20:59:16
>>24 県が6つあるっていっても、
ひとつの県の面積が西日本の3,4県分に相当する。
薩長政府への反動から東北はもとは
豊かだったと思いたがる気持ちも分かるけど、
戦後に耐寒品種が開発されるまでは、
東北は紛れもなく不毛の大地だったんだってば。
33 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:03:59
>>32 君世間をしらなすぎだってば なんで北回り船はあるの? 大阪で昆布は大人気なの?
34 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:25:31
>>33 単に、京や大坂の人間にとって
珍しい物が手に入るからだよ。
日本海側は平野も多いし、海路で言えば京都と近いし
物産的にも文化的にも豊かだっただろ
陸奥国はフォローできないが
36 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:51:03
>>34 君は珍しいだしでうどん食ってるんだね? 近間のかつおで食えよ、珍しい昆布で食わないで。
37 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 08:18:03
反論になってない 藁
出羽秋田は安東氏佐竹氏の二代で結構豊かになってたはず
物質的にも文化的にも
山形の方は小大名を乱立したから格差が出たね
南部は不毛の土地が多いわ、殿様はろくなモンは出ないわで
慢性的に一揆が起こってる
でも、一揆をする体力すらない、薩摩よりはマシかも知れん
薩摩よりヒドイ国は江戸時代の日本には早々無いだろう
武士階級の摂取で農民の犠牲の上に成り立ってるという意味では薩摩と会津は似たもの同士
その後、市民平等・教育勅語で武士層が農民層に「我々の藩は素晴らしかった」と教え込むのもソックリ
39 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:35:23
>>38 その「はず」とか「知れん 」とか「ソックリ 」とか、
うんちく述べたいだけですか?なにが言いたいの?
>>37 馬鹿かこいつ 珍しいの意味が解らないらしい ここに来るな!
40 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:49:21
>1
俺も同じ質問をしたんだけど、反乱が起こったとき国を小さく分けていたら
軍を機動的に動かせないから大きく分けたと聞いたよ。
41 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 15:36:43
>>1 都の奴らは馬鹿だから、遠くほど大雑把になるからね。
実際江戸時代の辺境の大名は、石高ちょろまかしてるよね、
役人も行きたくないから、これでおさまるわけ、
奥州藤原氏とか結構古くから力あるじゃん、三内丸山とか・・・
経済力はあったけど、ちょろまかしてたに決まってるのよ。
42 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 15:58:25
ちょろは死ぬ運命なのだ
43 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 17:44:35
>>37 プスレのぷは馬鹿だな!珍しいの意味解らんらしい。
44 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:29:19
戊辰戦争で奥州諸藩のほとんどが会津に組する一方、
全般的に貧しい奥州の中で珍しく豊かだった秋田と津軽が
新政府側についたのは偶然ではないだろうね。
北前船交易で財をなした豪商をはじめとしたブルジョワ層の登場により、
徳川の権力体制にぶら下がる武士階級の地位が相対的に低下し、
近代市民革命の前提が整えられていた。
そう考えると、なぜ薩摩が長州に組して倒幕派に回ったのかが謎だ。
薩摩は会津をはじめとした多くの奥州諸藩と同じように、
守旧派に回るべきタイプの藩だったのだが
(倒幕後の国造りの段階ではさすがに地が出て、
大久保あたりの離反で下野を余儀なくされたが)。
45 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:38:44
>君世間をしらなすぎだってば なんで北回り船はあるの? なんで大阪で昆布は大人気なの?
>>44 東北で豊かだったのは、間違いなく仙台藩。ついで会津藩。
両方とも、官軍側についていますが。
ついでに言うと、秋田はともかく、津軽はかなり貧乏。
「弘前藩」という本によると、非常に多くの防犯の法令が出されている。
それだけ、当時から組織的な犯罪が多かった藩。
47 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:56:02
>>46 ん〜、それはあくまで武士の暮らし限定の話でしょ。
彼らは、激高の年貢率と米の投機を利用して、
庶民の暮らしを犠牲にして豊かな生活を満喫していた。
秋田と違って米も取れなきゃ産業も無い、
トドメに天保飢饉の荒廃が後を引いてたんだから、
仙台や会津も全体としてはかなり貧しい藩であったことは間違いない。
48 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 23:12:02
>>16 だって国境を決めるのは朝廷の専権事項だから。
武士にはそんな権限無かったもん。
津軽と南部はロシアに対する防衛の軍役を負わされただけでなく
途中で家格が上がってるので負担が大きくなった
開墾の成果が皮肉にも自分の首を絞めてる
佐竹みたいに初期の段階で開墾や産業を広めておけば……といった感じ
土着だから難しかったって面もあるだろう
佐竹は秋田転封を機に、家中の近世化を行ってる
久保田藩は江戸も中頃に上杉や細川、真田と並ぶ佐竹義和や、
その父曙山などは書画人として平賀源内に絶賛され、菅江真澄が骨を埋め
幕末では安藤昌益や平田篤胤(は秋田じゃ目が出なかったけど)を輩出してる辺り
その土地の殿様の色って結構大事なんじゃないかと思うよ
51 :
日本@名無史さん :2006/07/06(木) 02:07:13
>>48 それは建前だろう。足利義満が太上天皇になろうとしたんだよ。
>>50 いつも思うが、家格があがったからといって何が財政的に負担になるのだろう。
藩が江戸幕府に年貢を収めるわけでもないだろうに。
家格が上がると、藩同士の付き合いとか、幕府や朝廷内の儀式で
金がかかるということ? これが藩財政に対して、そんなに負担に
なるもんなのかな?
家格が上がったことで、「財政の負担が増えた」といって藩を罵倒する
奴がかなり多いからさ。
まあ、軍役が負担になったのはわかるが、これは国防上仕方が無いから
藩の責任じゃないしね。
軍役以外で、何か、経済的負担ってあったの?
53 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:31:15
>>52 幕府の普請に始まって参勤交代時の人数やら
江戸藩邸の暮らしぶりまで細かく定められてます。
別にどうしても守らなきゃいけないのものでもないけど
家格に似合わない質素な生活だとバカにされるので
体面を気にすると出費がかさむ
家格が二倍になれば軍役も二倍
その他、幕府からの要請や譜役も二倍
アンタも言ってるが、藩同士の付き合いや儀式も倍ドン
当然参勤交代でも家格なりの大名行列を行わなきゃならんので倍ドンで御座います
南部藩の場合、表高10万石で裏高が28万石だったので実質18万石の余裕があったのが
表高20万石じゃ、8万石の余裕しかねーよ
55 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 22:11:05
>>51 なろうとしたけど、なれなかった。で、終了。
56 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 22:15:22
まああんだけ一休さんにコケにされたらね。
恥ずかしくって表に出られんだろ。
57 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 04:36:50
>52-54
参勤交代では例えば土佐の山内と、加賀の前田は定数の上では同じだが、定数外の
陪臣などの数がどうしても加賀の方が多くなるので総数は加賀の方が5割から倍以上に
なってしまうという落とし穴があるね。
>49
仙台で米が多く取れるようになったのは昭和以降。品種改良がすすんでからだよ。
58 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 05:03:29
石高でいえば伊達は100万石あるし(裏石高)、東北はそれなりに
米どころだよ。江戸時代も。
59 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 06:08:43
仙台藩の特産はササニシキでも、ヒトメボレでもありません。
60 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 10:22:43
赤城山が噴火して地球規模で気温が下がり飢饉が頻発する前までは
津軽から白河まで米を大量生産し人口は爆発的に増えていったのよね
61 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 11:24:01
PUの自作自演です。
62 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 13:27:57
今も本州の1/3もある北海道がデンと
一つの地区なのと同じだろう。
63 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 14:05:35
64 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 18:01:17
65 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 23:39:45
江戸時代の豊かさ
全国平均>秋田>>仙台≧津軽>>会津≧現在の山形らへん>>>南部
66 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 10:05:12
こやつは酒田の本間様と山形の紅花を知らんのかえ?
古代の話のはずが、近世のお国自慢に・・・
まあ、最も、スレ建てた「1」がしょっぱなで答え出しちゃったもんな(爆)。
あ、僕は後三年の役のあった辺りに住んでます。
山形は小大名乱立してるから、山形という括りだと秋田仙台に下るだろう
秋田>>仙台≧現在の山形らへん>>>会津≧津軽>南部
武士階級のみだと
仙台=会津>>秋田・山形ら辺≧津軽>>南部
いいかげん鈴香県民のオナニーランクうざいんだけど
70 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 21:51:24
戊辰の怨みで秋田にネチネチ嫌がらせを続ける東北人
71 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 21:57:32
三春藩も今だ嫌いな人もいるらしいし>東北人
思ったけど、いつもワースト争いをする津軽と南部は土着の大名だな
だから内政が上手くいかなかったのかもな
73 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 21:58:37
age
74 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:11:56
で、結局、なんであんなに広いの?一言で言えば、どうなるんだよ。
75 :
通りすがり:2006/07/22(土) 22:27:40
蝦夷・・・が支配してたからではないんでしょうか。飛鳥の
終盤になって初めて蝦夷が支配していた区域から土地奪うま
では日本にカウントすらされてなかったかと。
ぶっちゃけ、どこまで土地あるかも知らなかっただろうし、
区域分けするの面倒だったんじゃないでしょうか。(適当ですが
76 :
日本@名無史さん :2006/07/22(土) 22:43:29
征夷大将軍の田村麻呂が拠点築いたのが現在の福島で、それ以北は鎌倉ぐら
いまでに徐々に開拓されていったんじゃないの?ただ、土着の蝦夷に対する
差別的な見解はいらないと思うよ。古くに列島に来た普通の日本人なら少な
からず血が混じってるはずだから。
77 :
日本@名無史さん :2006/07/22(土) 22:47:04
中世以降に大陸から渡って来た中国人や朝鮮人は違うかもしれないね。
アイヌこそが純粋な日本人なんだよ
79 :
通りすがり:2006/07/22(土) 23:22:09
坂上田村麻呂・・・ですか?彼が築いたのは岩手の胆沢城だったかと。
蝦夷の件においては差別的な観も否めませんが、そのことを気にする
ほうがむしろどうかと思いましたので。
不快な思いをされた方がいたなら謝ります。
違うな。
陸奥・出羽は「中央政府が決めた」行政区画。今の6県の様にもっと分割していいと思うのに何で?と言うこと。
ヨーロッパは別にアジアの政府じゃない。第一、東北より非東北の方がずっと広い。
「関係が余り深くないから大雑把に分けた」という点では似てるかも知れないが
>>28より
>>1のほうがレベル上。
「関係が余り深くないから大雑把に分けた」
なので今の6県の様にもっと分割していいと思ったが、別にしなくてもいいやと思った
ヨーロッパは別にアジアの政府じゃないが、アジアの名前を付けたのはヨーロッパで、アジアが浸透してるのは事実
83 :
日本@名無史さん :2006/07/23(日) 08:04:17
日本人を中国人や朝鮮人、モンゴル人と区別できる要素があるとすれば、
列島に卑弥呼以前からいたいわゆる蝦夷の血が入ってるか否かだけだと
思う。そういう混血民俗が日本独特の文化を生んだ。極々最近列島の西
方面に渡ってきたようなのは純粋な中国人か朝鮮人。文化も気質も違う。
84 :
日本@名無史さん :2006/07/23(日) 08:21:15
要するに、もののけ姫が混血でアシタカは純粋蝦夷なわけだな、多分。漫画だけ
ど実際にあんな感じだったんだろうよ。
「何で陸奥と出羽はあんなに広いの」?
日本にとって、どうでもいいような地方だったからでしょ!
86 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 09:52:14
最後の植民地だからね。北海道や満州国なんてもっと広いだろ?
日本にとってどうでもいいような奴に言われたくないだろうな。ズーズの人
88 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 10:43:38
そもそも中央政府の統治が満足に及んでいない地域を中央政府が
細かく分割しても無意味でしょう。それだけのことではないでしょうか。
ああ、多分それが本質だね。88でやっと出たね(笑)。
残りの900何話す?
90 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 14:59:05
>>89 近世における開明的な秋田と暗黒時代のその他奥州との対比について
5県を相手にするのは分が悪そうだな。戊辰戦争でも山形に負けたし・・・
勝ち組に付いたのに蜜がほとんど無かったからな
93 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 21:44:25
世羅を殺して糞壺に浸けた仙台藩からの使者を、
12人も惨殺してやった秋田藩は天晴れであった。
94 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:31:44
age
95 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:37:10
平安時代、陸奥には安倍氏、出羽には清原氏が勢力を振るっていたからあんなに領土が広いんだよ。
96 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 13:38:02
平安時代の奥州はまだ熊襲のかっぽする文化程度の極めて低い未開の地だろ。
97 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 13:43:37
>>96 たとえ同じ人種だとしても、奥州の先住民は熊襲とは言いませんよ、プラムさん。
昔、そんなこと言った大会社の社長だか会長がいたな・・・
「熊襲」でなく「蝦夷」!それに平安時代は「俘囚」に昇格だ!
99 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 22:16:08
腐臭ってBの祖先なの?
随分配流されてるねw
100 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 23:34:44
岐阜県高山市は東京都よりも広い
101 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:48:30
昔:何で陸奥と出羽はあんなに広いの?
↓
今:何で北海道はあんなに広いの?
102 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:11:34
タイガとツンドラしかないところを
細かく区分けしても仕方がない。
103 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 22:12:42
出羽もなくてもよかったのでは。陸奥だけで。
石城・石背が廃されて、出羽が残ったのはなぜなの。
104 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 15:59:58
蝦夷の隠れ家には最適だった出羽
105 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 16:44:09
単発質問です。
出羽⇒羽前,羽後
陸奥⇒陸前,陸中,陸奥
って書いてある本もあるんですけど、これはどういうことなんですか?
さっぱりわかりません。
106 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:31:21
明治になってそうなったということ
107 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:50:41
陸後がないのはなぜ?
108 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:55:36
>>105 昔は地名を「○○国××」と言ってた。
○○のところには旧国名が入るけど、××のところには色んな規模の地名が入る。
それこそ、郡の名前が入ることもあれば、いきなり集落名が入ることもある。
で、行政上の問題もあるだろうから、明治初期に出羽・陸奥を分割したんだと思う。
ちなみに、北海道にも旧国名は設定されてたよ。
109 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:57:50
>>107 陸奥で代用できるからでしょ。
京都からみれば、奥も後もたいして違わないと思う。
110 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:15:29
青森県の駅は「陸奥○○」
岩手県の駅は「岩手○○」
ついでに群馬県の駅に「上野○○」がないのはなぜ?
>>110 上野○○だったら上野広小路や上野御徒町も群馬県にあると誤解されるから?
↓
つまり「上野(うえの)」と紛らわしいから
だから群馬○○とあらわす たとえば群馬藤岡
111 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:07:01
112 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:49:57
>>110 必ずしもそうって訳でも無い
岩手でも陸中〜や陸前〜ってつく駅はちゃんと有る
個人的には盛岡の影響の強いところは岩手〜
離れていくと陸中〜や陸前〜になるって感じだけど
実際のところはなんとなくインスピレーションなんじゃないの?
113 :
桜井よしこ:2006/10/28(土) 22:29:07
出羽また〜
114 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:26:09
>>110 「上州○○」というパターンもある。
>>112 「岩手○○」というパターンは基本的には旧岩手郡域限定ってことなんじゃないの?
>>110がいってる「群馬○○」というのも基本的には旧群馬郡域と見てよいだろう。
もっとも旧郡に対する意識が希薄になった近年の新設駅とかではその限りではないかも知れないが。
115 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:29:57
戦前期くらいなら、重複駅名を避ける場合のネーミングは、原則的にまずは
旧国名を被せるが、旧国名もまずい場合は旧郡名を被せるというのがデフォ。
116 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:59:37
で、北海道は「蝦夷地○×駅」?
117 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:42:38
>>116 明治初期に定められた国名を使っているケースは多いと思うが。
118 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 00:44:31
>>114 >旧岩手郡域限定ってことなんじゃないの?
でもない、明らかに岩手郡と関係ない地域でも岩手〜って駅は有る。
119 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 18:27:47
>>119 戦前から既に有る
つうかちょっと調べたら岩手郡じゃない地域の方が割りと有ったな
岩手〜とか付いてるのは
121 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 05:48:39
岩手郡って、会津郡なんかと同じような背景があるんじゃない?
無いよ
123 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:24:43
どういう背景?
124 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:49:20
>>100 東京都よりは狭い
大阪府より\
広い
香川県より/
125 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:38:06
>>123 福島県の会津地方は、古代には全部まとめて一つの会津郡だった。
その後、平安時代以降に会津郡から耶麻郡・大沼郡・河沼郡が分立したため、
会津郡の領域は大きく縮小した。
しかし現在でも、単に「会津」とか「会津地方」とか言った場合には、
会津郡域だけでなく耶麻・大沼・河沼の各郡域も含んだ地域を指すのが普通。
126 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:47:19
アラスカがでかいのと同じ理由
127 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:14:11
>>1 北海道が都道府県のうち突出して広いのと同じことだろう。
古代東北は中央にとっては今の北海道のような土地だったのだ。
ソ連がでかいのと同じ理由
129 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 07:32:37
武家政権以降の日本の指導者も馬鹿だね〜
内戦だの鎖国だのくだらない事やってないで北方探検やってれば樺太やカムチャツカも日本領になってたのに
130 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 09:04:13
しかし樺太(特に南部)は中世末から近世にかけては実質日本領だったわけだが。
しかしロシア人が北方に出没するようになったため、江戸幕府は19世紀初頭に
間宮海峡に敢えて日清国境の標柱(当時樺太対岸の沿海州は清国領)を建てて
樺太全島が日本領であることを内外に宣言している。
131 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 09:34:56
日本的生活では樺太では生活できなかった…。
アイヌやギリヤークから学ばなければ、冬を越せなかった。
南部でもこのありさま。北部なんか、夏のわずかな時期に探検に行くだけだった。
132 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 10:37:48
>>128 クリミア戦争後の経済難でアラスカ売ってなきゃ今もアラスカはロシア領だからな。
途方もない広さだ。
133 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:02:19
まあ日本が千島を領有しておけば樺太千島交換条約なんて結ばされる必要も無かったわけだしなあ。
134 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:10:54
>>130 外ヶ浜から喜界島までが中世から近世後期までの日本の領域
135 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:36:26
外ヶ浜とか鬼界島ってどこ?
136 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:05:22
外が浜・・・中世において津軽半島の北東側沿岸部を指した言葉。
鬼界が島・・・中世においてトカラ列島付近の島嶼群を指した言葉。
137 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:09:29
>>134 中世ならその認識でも良いが、近世においては、
・北海道に根拠地を置く松前藩が幕府から正式に諸侯として認知されていること
・琉球が実質的に薩摩藩の支配下にあってその石高が薩摩藩の石高に加算されていること
の2点からいって、その認識ではまずいだろう。
138 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 12:59:30
>>114 ○州○○私鉄に限られる
国鉄は○州○○を嫌った?がなぜか播州赤穂は例外
陸中とか岩代とか分ける場合もあるけどな
140 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 17:25:51
141 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 19:48:12
>>138 摂州ではないが、摂津本山というのはあるな(神戸市東灘区)。
東京にも武蔵○○というのを見かける。国鉄が嫌ったのは廃藩置県の影響か。
142 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:06:36
摂津富田もあるお
>>134、137
本来の日本の範囲は、分かりやすいように現代風の地名でいえば
南は鹿児島県の種子島・屋久島から北は青森県の大間崎まで。
ちなみに、伊豆諸島は青ヶ島まで、と聞きました。
まあ〜、中世からというより古代からの方が適切では?
京都の天皇から見た日本の範囲=六十六州
江戸の征夷大将軍から見た日本の範囲=樺太・千島から琉球まで
145 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:03:38
江戸時代の琉球は制度的には日本ではありません
琉球は清に朝貢して柵封を受けていた
清の役人が琉球に来ると薩摩の役人は屋内に隠れて琉球が薩摩の占領下にある事を隠そうとしていた
琉球から幕府への使者は外国の使節という扱いだった
蝦夷地は微妙だが、やはり制度的には日本国外
146 :
日本@名無史さん :2006/12/25(月) 22:07:20
蝦夷地は日本領だろ。
松前藩がいた。
ロシアが蝦夷地を侵犯するようになってからは、東北諸藩や直参がオホーツク海沿岸や南樺太を警備している。
147 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:53:07
津軽外が浜から鬼界が島までっていうのは、源頼朝が認識していた日本の範囲。
148 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:03:32
>>145 薩摩藩の表向きの石高77万石には琉球分が加算されています。
琉球(約10万石)と奄美(約7万石)を除外した九州本土とその周辺離島の
石高だけなら、薩摩藩は60万石程度のはず。
なお奄美については、1609年(慶長14年)の段階で正式に琉球国王から
薩摩藩へ割譲されているので、この段階で既に日本の範囲が
鬼界が島(トカラ列島)までという認識は崩れています。
因みに鬼界が島というのは現在の奄美諸島の喜界島を指すわけではありません。
念のため。
149 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:06:57
カラフトは一時、日露混住地という合意があったらしいな。
150 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:33:03
151 :
日本@名無史さん:2006/12/26(火) 04:58:42
日本民族と琉球民族の境界線は北緯三十度線。 これは間違いないの?
北緯三十度以南の島々と蝦夷地は古代の五機七道に入ってなかったよな。
奄美が1609年に薩摩藩に割譲されたということは、逆に言えばそれ以前は完全に日本国外だった
ということだね。つまり、奄美は本来の日本ではなかったという分けで1609年まで北緯三十度線が
日本と琉球の国境線だったとうことかな?
日本の最北端の方でも確実に言えることは大間崎まで、ということだよね?
薩摩進出以前の琉球・奄美は高度な文化を持ってたの?
蝦夷地は論外だと思うが。
所詮、琉球・奄美が高度な文化を持ってようが、持ってなかろうが
琉球人・奄美人は琉球・奄美に引っ込んでろ。
156 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 14:44:34
中継貿易で儲けていた。だが所詮それだけ
157 :
日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:10:02
>>153 中世には奄美諸島(南限は沖永良部島あたりまで)にも九州の勢力が
進出していたこともあるらしい。
そのソースは中世に九州で活動していた武家の所領譲状に奄美諸島の島名が
散見されるのだとか。
但し琉球王家が沖縄本島を統一した1429年以降、奄美諸島へも琉球王朝の
支配が拡大したため、16世紀にはトカラ列島と奄美諸島の間が日本本土と
琉球との境界として固定された模様。
なお中世には、奄美諸島と沖縄諸島の境界は沖永良部島と与論島の間とされる
ことが多かったらしいが、1609年に薩摩藩が琉球王朝に対して奄美諸島の
割譲を要求した際、琉球側が硫黄鳥島を琉球領に残すように嘆願したため、
代わりにそれまで沖縄本島に付属する島と考えられていた与論島が奄美諸島に
加えられて薩摩領に編入された。
158 :
日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:18:11
人口1000万ぐらいにすれば、
ヒートアイランド現象で平均気温が5度くらいあがるんじゃね
159 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:57:12
日本地図見て陸奥と出羽広いな〜と感じたところで、
ほとんどが山地や湿地など不毛の荒野だったから、
可住地面積では近畿やその近隣の小さな一国より狭かった。
160 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:09:10
人口密度とか可住地面積なんかを比べるのなら、国よりも郡で比較したほうがいいよ。
古代の郡は1郡あたりの戸数が1千戸以内になるように設定されているから。
161 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:18:36
つーか最大の謎は陸奥を6ヶ国に分けたときの
磐城と岩代の国境線だよ
福島県の中通を二分する必要があったのかね
162 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:23:37
それよりも、何故武蔵は近隣の安房や伊豆と比べてあれほど広いのか?
163 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 08:01:45
土木技術が発展するまでは行けども行けけども湿地帯だからな
164 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 08:57:11
植民地だからさ。
165 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:20:25
>>161 会津+中通で1国、浜通で1国にすると人口や生産力の面で浜通がショボく
なりすぎる。
しかし逆に会津で1国、中通+浜通で1国にすると会津がショボショボに
なるのも自明。
で結局、古代の石城・石背の境界とも関係なく、中通を分断することになった、
って話を『福島県史』か何かで読んだような気が。
逆に志摩や伊賀ってあんな狭いのになぜ一国なの?
都には近いけどそれを考慮しても他国より狭すぎ。
167 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 04:58:21
古代の志摩国は現在の我々がイメージする志摩国より遙かに広く、
近世以降における紀伊国牟婁郡の北部(近代の北牟婁郡地域)や
伊勢国度会郡の南部を含んでいた。
168 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:29:53
>>141 単に同じ駅が複数あると事務処理がやっかいだから
>>128 ソ連がでかいんじゃねえ
シベリアと中央アジア諸国がやたらめったら広いだけだ!
170 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:15:30
>>138 てかそもそも播州赤穂って“播州”を冠する必要あるの?
他に“赤穂”駅なんてどっかにあるんだろうか?
171 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:52:29
>>138 そういえば天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)の遠州森駅は国鉄時代には
遠江森駅だったけど、3セク化されたときに遠州森に名称が変更された。
しかし同じ路線にある遠江一宮駅は3セク後もそのままになっていて不思議だ。
172 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 12:25:01
>>170 長野県駒ヶ根市の駒ヶ根駅が昔は赤穂駅だったらしい。
陸奥国と出羽国はあんなに広いのか? と俺も昔思ったことがある。さらに出羽国は
陸奥国の日本海側を分割して設けられたという。ということは、白河の関から津軽まで
すべて陸奥国と定められた時期があるわけで。 どうして陸奥国がこんなに広かったのか?
という疑問になるんだけど、これは俺たちが今の地図をみて判断するからじゃないか?
律令国家が陸奥国を設定したころは、白河の関から北の地域を漠然と陸奥国と定めていただけで、
津軽半島まで支配権が及んでいたわけではなく、朝廷だってそこまで実効支配できるとは思っていなかった。
建前として、白河の関以北の地域すべてを陸奥国としただけで、設定時はその領域の3分の1ほども支配できて
いなかった。時代の経過とともにじわじわと北へ北へ実効支配できるようになって津軽半島にいたる、と
考えるとよいのでは?
出羽国は越後国出羽郡を中心として
陸奥国置賜郡、最上郡を併せて建国された。
>>174 重箱の隅をつつくようなレスだなw
しかも
>>173の意見に対する応答ではないところがワロス
176 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:28:20
>>141 単純に旧国名を冠する駅名なら全国にいくらでもある。
国鉄が嫌ったのは、「○州」を冠した駅名。
要するに、「摂津」はよくて「摂州」はダメとか、「武蔵」はよくて「武州」はダメとか、
そういうこと。
177 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:49:43
なんか聞いた話では北陸も昔越の国と呼ばれていたとか・・
それが越前・越中・越後になったとか・・・でも越後は広いね
それと一緒で分割されなかっただけでしょう
がいしゅつかもしれんが、逆にミクロな国の発生理由を知りたい。
志摩、伊賀、安房、飛騨、伊豆あたり。安房なんて歩いて1日で一周できるぞ。
179 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:37:12
>>177 古代の北陸道は、律令制施行以前は若狭・佐渡以外全て「越(こし)」だった。
その後、律令制の施行に当たって越前・越中・越後に分かれ、さらに越前から
加賀と能登が分かれた。
その後、一時期能登は越中に統合された時期もあるが、再び分離した。
180 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:44:35
>>178 志摩は古代には現在より遙かに広い領域で、現在の尾鷲市全部や熊野市二木島の
辺りまでのリアス式海岸地域全域を含んでいた(少なくとも若狭と同じくらいの
広さの領域はあった)。
しかし中世には、志摩は伊勢国の一部のように扱われることが多くなり、さらに
中世後半期には伊勢と紀伊の国境付近の帰属が頻繁に入れ替わったため、
現在のような国境線になった。
181 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:46:08
>>178 伊賀は紀伊半島の分水嶺の西側、飛騨は中部地方の分水嶺の北側にあるので、
どこともくっつけようがなかった。
伊豆・安房はそれぞれ奈良時代に駿河・上総から分離。
182 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:47:07
183 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 15:59:15
184 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 16:04:22
とりあえず志摩の小ささは笑える
あと安房をわざわざ分割した理由も教えてくださいm(__)m
187 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 22:08:43
関係ないが陸奥宗光 て名前カッコイイよな
188 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 12:20:55
伊賀と安房は海産物の献上地として指定されていた筈。
189 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 12:30:01
大和朝廷が東北を完全に支配したのは鎌倉以後だからでは?
190 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 12:48:14
まあ、平安末期の豪族、清原氏や阿倍氏は、
アイヌ民族だったといわれているしな
青森に日本中央の碑があるよ
広くて当然
192 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 03:50:50
陸奥はなんでむつって読むの?
193 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 05:28:25
「むつ」「つがる」は原住民の現地名だからだろ。
「陸奥」は意味の当て字、「津軽」は音の当て字。
194 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 05:37:40
大和の勢力が奥地まで及ばなかった時期に陸奥・出羽を国分けしたからだろう
大和が蝦夷を浸食して 勢力圏が広がった
195 :
193:2007/07/07(土) 08:04:10
日高見(hitakami)=北上(kitakami)説は誰が言い出して、
今誰が主張しているのですか?
ソース求む。
漏れも日高見=北上と思う。
196 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 08:06:41
熊本の川内もアイヌ語の「セプナイ」を意味している。
薩摩隼人は「戻りアイヌ説」が濃厚だ。
197 :
193:2007/07/07(土) 08:21:06
熊本ではなく、薩摩の川内だろ。
「戻りアイヌ説」は知らないが、
川内もアイヌ語の「セプナイ」と思う。
縄文アイヌ語だな。
重要地域ほど狭く、どうでもよい地域ほど広い。
東京だって中心部に行くほど自治体の面積は狭くなるし、
その割に、令制国の制定時に首都があった大和って結構広いじゃん。
200 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 07:43:02
>>183 伊賀は、もともと伊勢とは別の国でしょ。
>>188 伊賀で取れる海産物って・・・?
>>199 大和国って面積の半分以上が吉野郡。
吉野郡がやたら広くて、それ以外の地域は郡が細かく細分化されている。
要は山ばかりな上に人口も希薄で、どこも引き取り手のなかった吉野郡を
都のある大和国で引き取ったというのが真相だろう。
もっとも大和国側でも吉野郡については持て余していたようで、奈良時代には
いったん吉野郡を大和国から切り離して「吉野監」という別の行政組織に
しようとしたことがある(数年で元に戻るが)。
なお同じ時期に河内国から分離した「和泉監」については、その後他国と同等の
権限を持つ「和泉国」となった。
>>192 陸奥(りくおう)=六合(りくごう)だから
陸=六(りく・むつ)から来ているという説あり
>>201 補足
六合(りくごう・りくあう)はたしか仏教用語で国とか世界の意。
203 :
日本@名無史さん:2007/07/20(金) 23:13:46
>>196 戻りアイヌってなんですか?
あと鹿児島の地図みていたら大隅半島の付け根あたりに「隼人の穴」って書いてあったんですが遺蹟かなにかですか?
204 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 01:40:34
>>201-202 そもそも「陸」は、漢数字「六」の大字(代用字)として用いる。
「陸」と「六」は、ともに漢音「りく」・呉音「ろく」だし、中国語や朝鮮語においてもこの2つの字は全く同じ発音。
因みに、漢数字とその大字を列挙すると以下のような感じ。
〇⇔零
一⇔壹(壱)
二⇔貳(弐)
三⇔參(参)
四⇔肆
五⇔伍
六⇔陸
七⇔漆(柒)
八⇔捌
九⇔玖
十⇔拾または什
百⇔佰または陌
千⇔阡または仟
205 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 01:41:51
万⇔萬
206 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 02:09:02
まあ、天下人がどれか一カ国をくれるというのなら、陸奥の国だな。
なにしろ、慶長3年の検地では約170万石だからね。
207 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 02:13:47
陸奥は広すぎ。一人で治めるのは困難。
俺だったら無難に石高順位第2位で立地条件抜群の近江のほうが欲しいな。
208 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 03:52:02
209 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 04:28:50
陸奥は単位面積あたりの石高は大して高くないだろう。
210 :
日本@名無史さん:2007/07/22(日) 14:24:38
南部藩は四国と同じ面積なのに表高わずか10万石。世間では国持大名ではなく平大名の雄とみなされる微妙な立場だった。
名実ともに国持になるのが南部家の悲願。
参勤交代帰国時、無事盛岡に到着したお礼に江戸詰家臣が江戸城に登城したが、老中は多忙を理由に奏者番が対応した。
次の帰国お礼のときも奏者番が出てきた。
同行した留守居役が平大名扱いの奏者番対応が慣例化するのを恐れて、従前どおりの国持扱いの老中出座を願った。
しかし、聞き入れられず、最後は怒号が飛び交う事態となり、南部側は礼物を持ったまま下城してしまった。
幕閣で南部家の処分が検討された。当初厳罰処分意見が大勢を占めていたが、ある老中が「あの留守居役は体を張った忠義者だ」と賞賛したため、処分は最終的に寛大なものに決定した。
留守居役は盛岡に帰国して逼塞(許された後に南部家から100石加増)。帰国お礼は後日、老中が対応することになった。
211 :
日本@名無史さん:2007/07/23(月) 23:36:23
出羽が一国で40万程度っていうのも、凄く生産性わるそうだな。
粟食の地方に無理矢理米食にすればそうもなる
最上義光時代の山形は50万石以上だろ?
まあまあだろ
214 :
日本@名無史さん:2007/07/24(火) 14:50:43
出羽の石高は太閤検地段階で32万石だが、その後87万石に上方修正されているな。
最上義光の石高も太閤検地段階では24万石だが、その後57万石になっている。
もっとも関ヶ原の戦いによる加増分もあるが。
安房と志摩が小さ過ぎるのも悲しい。
離島でもないのに何であんなに小さいの。
淡路なんてあの小島ひとつて一国だぜ
217 :
日本@名無史さん:2007/07/24(火) 23:28:33
淡路は畿内と四国の中継地点だから地理的にも重要だしそれなりに文化もあるし良いじゃねーか。
隠岐国司とか島流しと変わんねーぞ。
218 :
日本@名無史さん:2007/07/25(水) 02:36:03
「出羽」の読み方が元々は「いでは」だったってのは常識?
219 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 03:57:17
今でも南部と津軽は仲が悪いようだね。へんなスレが二つ立ってる。
本州の北端を南部だけに独占させるよりも、二つに割って、相互に牽制、相殺させる。
まるで英国人みたいな分割統治だね。秀吉はわざと津軽独立を承認して、仕掛けたんだなw
家康も踏襲。まあ日本の田舎は、せせこましい近隣地域との妬み混じりの競い合い、どこでもそうだけどね。
>>218 伊達がイダテ(またはイダチ)だったことを思えば可能性はあるやな
日本古語にD音にIをつける慣習でもあったのかも知れん
そういえば「どこ」は「いづこ」とも言われる
221 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 07:32:28
それは有名な話だろ。
最初は越後国イデハ郡(漢字忘れた)だったのは
222 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 12:26:02
最初は越の国が広すぎだったわけか。
223 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 23:14:24
石高ってのは米の生産量=兵力となり
動員可能な兵力の指標にしか過ぎないってことを勘違いしてる人多いよね。
伊達の表高は64万石。これは幕府に対する軍役は64万石分ねってこと
実高は250万石程度。江戸の米は全て伊達米と言われたころのことやね
じゃ南部さんとこの表高はなんで10万石なの?って言うと
それは生産者じゃないとわかんらんだろうが
冷害や旱魃や空籾や野分(台風のことな)で
通年平均収穫量に差がありすぎて、平均に均すとこんくらいの軍役なら
OKっぽいって数字。
石高=GNPではないよ。
米がダメなら特産だっていって南部鉄や南部馬、木材などで収益をだしている
石高に漁獲高が含まれないのは周知。
日本海側の諸侯が石高的にショボンなのは米より魚が獲れたから。
米作る漁師なんておらんからさ。
224 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 23:31:30
朝廷も陸奥に神野国っていう国を4年だけ作った経緯があるが
国府を置く予算がなくなった頃にようやく文明が開けたところが
大雑把で放っておかれた理由だと思う。
平安中期で国は財政破綻してるんだからしょうがない。
奥州の価値が見直されたのは3回
八幡太郎義家が固執した奥州での権益を発端としての奥州探題職の創設。
建武の新政で北畠顕家の小幕府建設
秀吉の奥州征伐時、みちのくは日本の1/6の広さがある発言
国として区分されなかったのは細分化していて、分けられなかったため
旗本の知行地が割りと多いのです。特に山形はね。
ちなみに、廃藩置県時に県を設置したわけですが
これはだいたい100万石になるように区分された。
225 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 00:01:13
陸奥が表高170万石でも、表作しかできんだろ?
表作で米、裏作で麦栽培、もしくは二期作で米が二回栽培できる地方で80万石程度の方が、
実際は国力が上だろうな。
東北は気温条件が稲作に向いていないのは確かだが、土地自体は肥沃だからな。
西日本は温暖多湿で農業に適していると良く言われるが、実は土地がやせている。
そんなこたーない。
東北は土地が痩せているというのは不当な指摘だが、
関西の土地が痩せていたというのは頷けないな。
だいたいにして水稲なんてのは痩せた土地でも育つ。
だからありがたい。
それだけに日照時間が鍵になる。
その意味で東北が不向きという理由にはなるが、
西国が土地に恵まれなかったという根拠には全くならない。
むしろ関東の火山灰地より肥沃だったように思う。
東北から那須高原をぬけると土がいきなり牛糞のように黒くなって、
あぁ、関東に来たなぁと実感する。
以上は東北人の意見。
229 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 19:55:04
>>228 日本本土(除、北海道)で、稲作に不向きな地域は、
気象条件的には東北の太平洋側(夏に気温が上がらない)、
土地条件的には関東〜東海地方東部(土壌が富士山の火山灰で形成されている)、
だね。
231 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 01:20:04
まあ近世の国別石高順位って、1位:陸奥、2位:近江、3位:武蔵って感じだね。
で、同率4位で尾張・美濃・伊勢の3ヶ国が並ぶ感じ。
232 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 01:51:57
233 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 23:35:54
東北を一つの県にすればいいよ
234 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 16:15:47
陸奥=みちのく
出羽=いでは
235 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 03:07:53
首都が東北に移っても、東北には住みたくないな。
236 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 12:21:58
東北は異民族が多くて、なかなかまつろわない地域ですからな、
東北は朝貢はするが、自存自立は認めとけ!ゴラ!って時代が長すぎるから
異国情緒溢れるぞなもし。
東北の常識を教えておこう
"雪の深さは根性の悪さ"
これだ!積雪量に気をつけろ!
237 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 15:45:52
俺は親が転勤族で全国移って来たが、住むなら札幌か仙台だと思ったな。北国の風土が好きだから。反対に二度と御免なのは名古屋と広島、まあ広島は住んだ事は無いんだが、何だかオーラが名古屋と似ているので。
238 :
日本@名無史さん:2007/11/26(月) 03:34:38
広島はクレーマーが多いよ。
ヘルプデスクを泣かすのはいつも広島人。
>>237 オマイはセンチメンタル・グラフィティの主人公か(笑)。
240 :
本多伯耆守正珍:2007/11/26(月) 11:51:18
北名古屋市(汚な誤野死)は名前が気に入らないと土地の人がおっしゃっていた
241 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 23:34:53
北習志野は汚らしいの
って言葉を思い出した。
242 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 23:44:17
243 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 10:36:41
なにが?
244 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 18:36:29
畿内や関東太平洋沿岸部が小さいのは人口が多いから。
武蔵がでかいのは関東のなかで後進国だったから。
sage
246 :
日本@名無史さん:2008/05/09(金) 22:08:33
小さくなった国
丹波、志摩、美濃、越中
247 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 09:30:52
大きくなった国
信濃、伊勢
248 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 19:54:45
なくなった国
諏訪、丹前、岩代、磐城
249 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 22:31:05
丹前って…
250 :
日本@名無史さん:2008/05/10(土) 22:46:21
どてら
じゃあ拙い
てんで丹波のままだったんやろ
251 :
日本@名無史さん:2008/05/11(日) 03:51:11
もし家康が
東北転封になってたら
発展してたのかな?
252 :
日本@名無史さん:2008/05/11(日) 21:01:19
西暦1873年人口
第*1位:新潟県144万人 第25位:山形県064万人
第*2位:兵庫県131万人 第26位:島根県063万人
第*3位:愛知県122万人 第27位:富山県062万人
第*4位:広島県113万人 第28位:徳島県059万人
第*5位:東京都109万人 第29位:秋田県058万人
第*6位:千葉県104万人 第30位:滋賀県057万人
第*7位:福岡県103万人 第31位:香川県057万人
第*8位:大阪府101万人 第32位:和歌山056万人
第*9位:静岡県097万人 第33位:宮城県056万人
第10位:岡山県095万人 第34位:岩手県056万人
第11位:熊本県095万人 第35位:神奈川054万人
第12位:鹿児島093万人 第36位:福井県053万人
第13位:長野県093万人 第37位:高知県053万人
第14位:埼玉県085万人 第38位:群馬県053万人
第15位:山口県083万人 第39位:栃木県051万人
第16位:茨城県083万人 第40位:佐賀県048万人
第17位:京都府079万人 第41位:青森県044万人
第18位:三重県078万人 第42位:奈良県042万人
第19位:愛媛県078万人 第43位:山梨県036万人
第20位:岐阜県076万人 第44位:鳥取県036万人
第21位:福島県073万人 第45位:宮崎県036万人
第22位:大分県068万人 第46位:沖縄県017万人
第23位:長崎県067万人 第47位:北海道012万人
第24位:石川県067万人
253 :
日本@名無史さん:2008/05/11(日) 21:19:08
254 :
日本@名無史さん:2008/05/13(火) 06:31:27
出羽も昔は小さかった
置賜あたりも陸奥だった
255 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 04:47:31
充分広いだろ
256 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 19:28:18
そのころ
木曽は美濃国だったがや
257 :
日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:15:00
諏訪国もあった
258 :
日本@名無史さん:2008/09/30(火) 14:07:35
>>252 石高がだいぶ違うのに、宮城(伊達)が秋田(佐竹)の下だったとはw。
259 :
日本@名無史さん:2008/09/30(火) 16:59:27
佐竹の内高が高かったのと
伊達は岩手県の部分けずられ
28万石
260 :
日本@名無史さん:2008/10/01(水) 01:52:13
261 :
日本@名無史さん:2008/10/01(水) 21:15:51
下総国葛飾郡の江戸川以西は江戸時代に武蔵国に編入されてる
262 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 18:53:59
>>259 28万石分ではないよ。
この時点では仙台県(28万石)や登米県(遠田、登米、栗原郡)、
角田県(刈田・柴田・伊具・亘理・宇多郡)が合併して宮城県になっている。
>>260 全部が佐竹ではないが、他の小藩を加えても表高は27万石程度。
表高が半分以下なのに秋田の人口のほうが多いとは、これいかに?
263 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 21:10:21
羽前守とか陸中守を名乗った大名はいるの?
264 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:08:00
植村羽前守家壺
265 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:23:26
陸中守はいないお
266 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:51:34
267 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 19:17:44
>>266 一石というのは成人が一人、一年間に消費する米の量なわけだが、
秋田の場合は人口が表高と全然一致してない。
宮城は表高とほぼ一致(それでも秋田より低いけど)している。
悪田なら人口を維持できないわけだが。
まあ、1600年の石高ではなく、
幕末のしかも実質石高を正しく推定しないと駄目だ罠
おそらく、秋田のほうが応じた値で、宮城のほうに特殊要因が働いている。
ひとつは、江戸後期の小氷河期で仙台平野の稲作がしばしば壊滅したこと。
実際に伊達藩の人口は江戸後期にしばしば深刻な減少に見舞われた記録がある。
今でも、やませの季節が8月にのびるだけで、仙台平野の稲作はgdgdになる。
技術未発達の当時は、本当に数年に一度以上稲作は本当に壊滅しただろう。
もうひとつは、やや矛盾するが、
仙台藩経済が、江戸への米穀移出へ藩経済全面依存のモノカルチャー経済で、
米が、ちょうど途上国のプランテーション経済のように
地元民の口に入らない構造になっていたこと。
「輸出用穀物栽培」なのならば、人口が少なくても不思議ではない。
いずれにしても、大和朝廷の畿内政権が確立してから20世紀後半になるまで、
東北は、気候、交通などさまざまな要因から、実は日本海側優位の時代が続く。
>>262 ところがそう簡単ではないんだな。
登米県の内、見た感じ6割方は仙台県でなく一関県になった。
また仙台県の一部も一関県になった。
結局1873年時点での宮城県の面積は、旧伊達藩の55%ぐらい←ざっと見で。
270 :
日本@名無史さん:2008/10/05(日) 00:43:41
>>269 55%とは大げさなw。
岩手県側の江刺、胆沢、気仙の3郡で約8万7000石、福島県側の宇多郡の1部で5000石。
なので62万石から差し引くと、宮城県部分は最低でも52万石以上はある。
271 :
日本史@名無氏:2008/10/05(日) 01:44:34
表高と面積は関係ないでしょ
仙台領南部(=角田県)はそれほど米どころという訳でもない
>>270 宮城が今と同じ県境になったのは1876年。
1873年時点では、伊達領は水沢県(旧一関県)と宮城県に二分され
現・宮城県北部一帯は水沢県なんだな。君この分引いてないぞ。
面積も55%じゃないや45%ぐらいだ。水沢県の方が広い。
と、ここまで書いてなんだが重要な事を見落としていた。失敗、失敗・・・
水沢県は関係ねーわ。
>>252の人口は現・宮城県の範囲に直した人口だ(水沢県南部の人口をプラスしてある)。
だから石高も現・宮城県分で考えてイイ。君の言うように53万石ってとこだ。
じゃあ何で秋田県27,5万石(鹿角の分もう少し高い)と人口がほぼ同じか?
答えは単純なトコにあった。
宮城と秋田だけで比べるからあーだこーだになる。
秋田県 27,5万石 58万人
山形県 60万石くらい(藩領51,4万石) 64万人
宮城県 53,3万石 56万人
福島県 88万石くらい(藩領80万石) 73万人
青森県+岩手県 44,7万石 100万人
答え。北東北(青森、岩手、秋田)の石高はスゲーいい加減。
福島県 86万石くらい(藩領76,5万石)73万人 に訂正。
山形県と福島県は天領が多いからハッキリしないのだ。秋田県にも少し天領あるっぽいような。
出羽は太閤検地からしてそれまでとおんなじ自己申告だったというしな
278 :
日本@名無史さん:2008/10/17(金) 21:39:15
陸前69万石
羽後65万石
羽前79万石
「奥羽国郡色別図」
(慶応四年)より
やっぱ秋田県(主として秋田藩)の石高ってスゲーいい加減だったんだな。
陸中と新・陸奥のデータは無いん?
280 :
日本@名無史さん:2008/10/17(金) 22:49:05
>>279 陸中42万石
陸奥38万石
(うち津軽28万石)
おおセンキュ。計80万石か。100万人からすればチト少ないがキッチリ比例するワケでもないからな。
津軽は弘前藩と支藩の黒石藩の事でいいんだよな?
計11万石だからコイツラが逆サバの一等賞だな。
282 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 16:48:55
倍以上の過少申告は
津軽、伊達、佐竹、上杉などの奥羽諸大名
(西日本では毛利と山内)
逆に表高>実高なのは
水戸徳川、島津、藤堂、越前松平、井伊など
(藤堂らが伯爵止まりなのはその為、
賊軍とか関係ない)
283 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 17:13:18
白河以北、一山三文、という言葉があったな。
284 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 17:53:14
磐城65万石
岩代70万石
285 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 23:59:28
実石高÷総面積(実高については
http://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html)
※近江は琵琶湖除く
陸奥*63.36 出羽*75.32 越後*97.50 越中187.91 能登144.93 加賀210.29
越前206.34 若狭102.00 佐渡165.86 下野119.69 上野*99.53 常陸173.89
武蔵195.93 下総235.77 上総170.38 安房191.52 甲斐*70.80 相模145.58
伊豆*56.10 駿河*68.07 遠江149.27 三河134.96 尾張477.94 信濃*56.39
飛騨*13.62 美濃102.29 近江252.51 山城191.57 伊勢183.40 伊賀158.45
志摩107.68 大和134.43 河内419.01 和泉285.37 摂津244.79 紀伊*77.90
丹波*97.25 丹後133.63 但馬*68.72 因幡120.83 伯耆128.97 出雲*97.62
石見*47.84 隠岐*62.80 播磨177.33 備前235.11 備中137.98 美作100.83
備後*78.77 安芸*69.59 周防166.32 長門166.23 淡路227.63 阿波*66.46
讃岐154.54 伊予*76.20 土佐*69.59 豊前157.98 豊後*86.63 肥前106.38
筑後646.80 肥後115.03 日向*54.21 薩摩*86.26 大隅*47.49 琉球*54.50
壱岐175.21 対馬***.** 蝦夷***.**
286 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:04:19
追加。
筑前218.43
287 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:13:40
↑飛騨・大隅・阿波・日向
石見・伊豆あたりが
もらって嬉しくない国やな
288 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:24:36
>>287 大隅はほとんどシラス台地で台風常襲地帯だし、残りの地域は険しい山岳地帯。
ある意味しょうがないよ。
豊かなのは平地が広くて水にも恵まれたエリア(福岡筑後に愛知尾張、大阪府域、近江など)。
289 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:26:30
取られちゃったねえ、頼みの東北地方
290 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:27:10
取られちゃったねえ、頼みの東北地方
291 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 01:39:34
>>282 石見は銀山がありませんでしたっけ?
痩せても涸れかけても銀山は銀山
292 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:47:55
石見銀山て
毒薬なんじゃないの?
>>292 日本語で頼む。
銀を精製するのに水銀使っていたことを言いたいのか?
294 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 11:18:12
出羽→羽前・羽後 はわかるのだが、
陸奥が陸前・陸中・陸奥なのがよくわからん。
なぜ青森県の一帯は陸後ではなく、陸奥のままなのか?
(同様の疑問は丹波・丹後の丹波にも言える。なぜ丹前ではないんだろう)
295 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:17:47
丹前だと
どてらになるから
丹波のままにした
「奥」自体に「後」と同じ意味があるからだろ。「下」もそうだし。
>>293 江戸時代の殺鼠剤にあるから、それの事だろう。
298 :
日本@名無史さん:2008/12/17(水) 12:25:31
>>294 陸奥ってのは陸じゃなく奥の方に意味の重点があるんだから
奥前・奥中・奥後になりそうなもんだがな。
すみません学校で韓国語を日本語に翻訳する試験を受けましたが質問があります。
次の文の中で会う正解はどれですか
2.
燃えるごみか燃えないごみかで出す日が決まってあります
燃えるごみか燃えないごみかで出す日が決まっています
1.
その文房具屋ではがき売っていますね。
その文房具屋ではがき売ってありますね。
たすけてくださいOTZ
>>298 それを言ったら毛野の国(上野・下野)だって上毛・下毛になりそうなもんだ。合わせて両毛って
言うんだし。
>>298,
>>300 陸前・奥前は「みちのくのみちのくち」
陸中・奥中は「みちのくのみちのなか」
陸後・奥後は「みちのくのみちのしり」
重複しててなんかへん。だから単純に
「みちのくち」→陸前
「みちのなか」→陸中
「みちのおく」→陸奥
と整理。
上野・下野は「こうづけ」「そもつけ」の「け」という読みに毛が含まれるから
表記漢字では「野」の方を残した。
上毛野国・下毛野国だったが「毛」は野蛮て意味があるので、
奈良時代あたりに国名が2文字に統一されたときに「野」の方が採用された。
栃木の地元紙は下野新聞だが、群馬の方は上毛新聞。まだ上のお陰で助かってるが
下毛新聞じゃ買う人いないだろう。
303 :
日本@名無史さん:2008/12/17(水) 18:39:01
しものけ姫
>>301.302
301には、だったら筑紫や吉備はどうなのか、と思ったが302には納得した。
>>304 筑紫や吉備は音写であって意訳じゃない。だから陸奥と同列にはいえないだろ。
「毛」には豊穣の意味もある。「不毛」とか「二毛作」って言葉があるだろ。
「野」はそのまま「野蛮」の「野」じゃん。
306 :
日本@名無史さん:2008/12/19(金) 18:36:56
両毛地方(旧毛野国)の「毛」の意味は毛人が住んでた土地って意味の「毛」だろ
>野はそのまま「野蛮」の「野」じゃん。
卑字は「蛮」の方だろが。
「野」自体には本来の意味の他、「民間の」とか「素朴な」程度の意味だろ。
野党って野蛮な政党かよ。
撃てば草に隠る 追へば山に入る
往古より以来(このかた) 未だ王化に染はず。
>>307 「民間の」「素朴な」「野っぱら」という意味の文字が
「毛」に比べて「より美字」だとは思えないが?
>>306 アホか。
だったらなんで「えみしの」じゃなくて「けの」なんだYO
>>309 だったらなぜ奈良時代に「毛」ではなく「野」の方が採用されたか説明してもらいたい。
「毛(野)の国」の名前の由来には定説はない。だが「毛」の方に意味があるのは一致している。
wikiの「下野国」でも自分のと少し違うがやはり「毛」の字を嫌ったとある(たぶん史料的には証明できない。自分が紹介したヤツも)。
だが、5世紀にはすでに「毛人」は東国の野蛮人という意味で使われている(倭王武の上表文)。
なんで素直に上毛国、下毛国にならなかったのか、納得のいく説明してください。
312 :
日本@名無史さん:2008/12/20(土) 22:43:04
全然説明してないじゃん。
いい?地名の「毛(け)」の由来はこのさいは何の説でもいいの。
それが5世紀以降は「毛人」は、東国の野蛮人を指す言葉になったってのが重要なの。
初めは野蛮と関係無い意味だったとしても、5世紀以降は野蛮人を指す意味も持つようになるワケ。
ついでに先の意見は群馬出身の豊田有恒氏が言ってたヤツだ。
史料的な根拠は挙げてなかったと思うが(たぶん無いから)納得できる話だ。
さあ何で意味がある「毛」でなく添え物的な「野」の方が採用されたんだ?
和同開珎を投げて表裏で決めたのか?
確かに自分が最初に言った
>>302だと、初めっから「毛」が野蛮という意味だったと思い違いされるな。
そうではない。たぶん「毛の国」の毛には野蛮の意味は無かったと思う(なんて意味かは下野国誌でも定説はない)。
しかし、5世紀以降は毛人は東国の野蛮人(えみし)という意味で使われるようになり、あまし良くない意味も加わったと言ってるんだ。
315 :
日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:38:36
毛野国出身の中曽根康弘元首相は
「私は体毛が濃いから先祖にきっとアイヌの血が入ってる」
みたいなこと言ったらしいが、歴史的経緯からみれば、この発言は正しかったんだなw
頭の毛は薄けど・・・
息子はフサフサだけどね
317 :
日本@名無史さん:2008/12/22(月) 04:31:54
じゃあ何で吉備は吉じゃなくて備なんだ?
318 :
日本@名無史さん:2009/01/09(金) 19:09:43
>>311 >なんで素直に上毛国、下毛国にならなかったのか、納得のいく説明してください。
>>301の説明は不足なのか?
>>65 二年半も昔の書き込みにつっこむのもなんだが、
秋田藩って文化が花開いたことで有名だが、
実は盛岡藩の次に一揆が多かった藩なのだが。
まあ常陸50万石から20万石に減らされたのだから仕方ないが。
藩としての豊かさと農民としての豊かさはまた違う問題。
同様なこと水戸徳川家とか長州藩にも言えるな。
藩としては功績があるが、民から課題な負担を強いてたという意味で。
>>65 二年半も昔の書き込みにつっこむのもなんだが、
秋田藩って文化が花開いたことで有名だが、
実は盛岡藩の次に一揆が多かった藩なのだが。
まあ常陸50万石から20万石に減らされたのだから仕方ないが。
藩としての豊かさと農民としての豊かさはまた違う問題。
同様なこと水戸徳川家とか長州藩にも言えるな。
藩としては功績があるが、民から課題な負担を強いてたという意味で。
二重書き込みスマン。
盛岡藩の次に一揆が多かったのって長州藩じゃね?
>>318 スレチの話だからこれで最後にする。
元々は上毛野・下毛野という表記だったのが、奈良時代に国名は二文字に統一する事になったから上野・下野になったのだ。
>>301の説明は全く順番が逆。
かつて北関東は「毛の国」と呼ばれていた。北陸の「越の国」、九州の「肥の国」と同じ案配だ。
「毛」の字の方に意味があるの。
324 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 03:16:44
>>323 北関東は「毛野の国」
藻前のような電波はお望み通りもう来んでいいよw
325 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 03:28:17
横だが、「毛国(けのくに)」という言い方もよくするぞ。
毛野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毛野国・毛国(けのくに、けぬくに、けぬのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つである。単に毛野(けの、けぬ)とも。
律令制下では上野国と下野国が置かれ、合わせて、あるいはどちらかを毛州(もうしゅう)と呼ぶ。合わせて両毛(りょうもう)とも言う
野国とは呼ばれてないな。
下野国 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
713年に施行された諸国郡郷名著好字令によって、全国の国名が漢字2文字に統一された。その際、下毛野国から「野」をとって下毛国にしようとしたが、
下毛の国では印象が悪いため、「毛」をとって下野国となった。読みは「しもつけ」のままである。上野国は「下野」に合わせて決められた。[要出典]
要出典てことは根拠となる史料とかは無いってことかな?
でもまあ妥当な意見じゃね?下野と書いたら普通は「しもつぬ・しもつの」と読むわけだし。
330 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 20:01:11
>>324 ↑コイツは毛野人?
いずれにせよ捨て台詞吐いたつもりが逆に大恥さらす結果になって(´・ω・)カコワルス
331 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 20:05:31
陸奥えんめい流について教えてgoo
332 :
日本@名無史さん:2009/01/24(土) 23:48:31
d
333 :
日本@名無史さん:2009/01/26(月) 20:57:08
野州とはいうよ。
334 :
日本@名無史さん:2009/01/26(月) 22:25:12
下州は下野でなく下総
上総と合わせて総州
安房も入れて房総
336 :
日本@名無史さん:2009/01/27(火) 12:23:46
しもの〜け〜たち〜だけ〜♪
337 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 01:07:31
>>330 あれ?
藻前はもう来ないんじゃなかったの?
338 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 01:57:58
↑コイツは毛野人?
いずれにせよ捨て台詞吐いたつもりが逆に大恥さらす結果になって(´・ω・)カコワルス
339 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 02:05:03
おまけに人違い
さらに(´・ω・)カコワルス
340 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 09:55:04
毛野国で大型墳墓が見つかるのは上野国の方だっけ?
埼玉行田市にも古墳が見つかってるし
古代関東王国って上野?武蔵?
でも河川の氾濫で行田市は水浸しになっちゃうし、やっぱり東山道の中山道が走る上野国が流通面でも先進国だったんかな?
鎌倉時代は新田本家より支流足利氏が重視されたって言っても尊氏自体は足利に住んだことないみたいね。
足利学校は上野に拠点を置いた関東関領上杉憲実が作ったんだっけ?
群馬側の国分寺はどのくらいの規模だったんだろ?
341 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 11:40:43
>>323 >かつて北関東は「毛の国」と呼ばれていた。北陸の「越の国」、九州の「肥の国」と同じ案配だ。
>「毛」の字の方に意味があるの。
残念でした。
「毛の国」じゃなくて「毛野の国」。
>かつて北関東は「毛の国」と呼ばれていた。
そんな事実はないね。
342 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 12:09:49
と毛人が全身の毛を逆立ててファビョっております。
343 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 16:21:12
今川義元の末裔がなんで津軽にいるのかな
落ち武者かな
具体的な反論のない煽りなんて痛くも痒くもないねw
345 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 18:57:53
上のログに対して完全に無視 を決め込んで(こっちの方はそれこそ具体的なソースやカキコミだw)、脳内ソースしか書き込まない偏執狂のお前は確かに『イタイ』奴だよなww
346 :
345:2009/01/29(木) 22:51:27
「内容」を論評するレスは異論であっても聞く価値があるが
「発言者」を論評するレスは馬鹿のレスだから単なるゴミですな
348 :
日本@名無史さん:2009/01/30(金) 23:48:16
日本語でオケー
何まだやってんの。
図書館の郷土資料室から借りてきていた「下野国誌」から引用しる(口語で)。
・また下毛野の毛を省いたのは、延喜式に「すべての諸国、部内の郡里等の名、みな2字を用い、必ず嘉名を取る」とあるので、
必ず2字に約するのは無理なので、強いて字を省き下野と書いたのである。
とある。毛は嘉名ではないと言うことだね。
wikiでは和銅6年(713年)の令で変わったように書いてあるが
それが載ってる続日本紀(797年)でもまだ「下毛野」の表記なので、「下野」になったのは平安時代になってからかな?
延喜式で正式な命名方として徹底されたということみたいだな。
350 :
日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:48:20
351 :
日本@名無史さん:2009/03/17(火) 11:52:57
20 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:26:31
日本の最高気温は山形だよ! ついでに北回り船!
みんなわかって東北のアホ言ってるのか?
岐阜県多治見 40.9 2007.8.16
山形県山形 40.8 1933.7.25
352 :
日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:09:45
非公式では名古屋市の
44℃がある(ナゴヤ球場)
動物は寒い地方ほど大型化するっていうし土地もそうなんじゃね?
355 :
日本@名無史さん:2009/03/21(土) 20:44:57
美濃は日本一
356 :
日本@名無史さん:2009/03/22(日) 05:00:49
下野家と脇野家の結婚式を今より執り行わせて…
357 :
日本@名無史さん:2009/04/11(土) 23:21:28
名古屋、京都、大阪は暑い
暑いのは大都会のしるし
359 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 00:08:08
多治見?
>>357 >名古屋、京都、大阪は暑い
暑いのは大都会のしるし
大昔ならいざ知らず、近代以降は寒冷地に存在することこそが「都会」という言葉を使うことが許される最低条件だ。
世界的に見てもロンドン、パリ、ベルリン、アムステルダム、ブリュッセル、ニューヨーク
といった大都会は皆寒冷地にある。
温暖地や熱帯地にある大都市というのは、ただ人口が多くて人いきれするだけで「都会(=urban)」という感じなどはしない。むしろ土俗性が漂うものだ。
ニューデリーやリオデジャネイロやサンパウロやマニラなんかがそんな感じだ。
日本では大阪や名古屋がまさにそんな感じだ。
また、京都は「雅」ではあっても近代的な意味での「都会(=urban)」では断じてない。
反対に北方にあると、たとえ規模としては中都市程度であっても、気候やそこからくる文化(服装、家並み・建物などの景観、食事風景、etc)からどことなく都会的な雰囲気が醸し出されるものだ。トロントやロッテルダム、エジンバラなんてまさにそんな感じだ。
イタリアも首都であるローマよりも、北方ロンバルディア地方にあるミラノの方がはるかに都会的だ。
以上の観点からみて、日本で「都会(=urban)」の条件を満たす都市は札幌と仙台だけなのである。
仙台は糞暑いですが?
日本で夏にそこそこ涼しい都会は、札幌だけだろう。
多分、朝廷が国を治めてる時に本州が統一されてれば
陸奥と出羽も分割されてたんじゃないかな?
でも本州の統一は朝廷じゃなくて頼朝によって成されたし
その後、政治の実権が武家に移ったから
明治になるまで分割の機会がなかったんでしょ。
人口が少なかったからじゃないの?
このスレタイ、現代日本にも応用できそうだね
何で北海道はあんなに広いの?
366 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 13:09:53
たしかにな
それこそ人口が少ないから。
江戸時代には仙台藩、秋田藩、津軽藩、南部藩と分割統治されてましたがね
アメリカの場合、独立当初は東側にしか州がなかった
インディアンを追い払い州の境界は西側に伸びたが、
内陸部の人口が増えると「州」に昇格した
369 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 18:03:17
北海道も人口が多ければ「宗谷県」とか「石狩県」とかに分かれてたんだろうな。
370 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 18:11:05
明治前期に短期間だが、札幌・函館・根室の3県だった時期もあるし、
いまでも支庁制度があるからなあ。
いまの各支庁区分は細かすぎると思うが、あれだけ面積の広い北海道は、
3県くらいに分けてもいいんじゃないか?
まあ、道州制論議とか夕張財政破綻とかに逆行するかもしれんけど。
371 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 01:38:31
>>370 北海道は九州の約2倍の面積があるんだから
今の支庁でも細かすぎる程ではないと思う。
北海道の人口が2500万人くらいあれば
支庁が全部県になってたかもね。
372 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 18:17:46
東北各県と比べると小さめだね>北海道の支庁
373 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 00:46:59
コシの国って山形から福井まであったんだよね
南米でいったらチリだよな
375 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 02:51:45
376 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 17:35:21
そうか
377 :
日本@名無史さん:2010/04/10(土) 02:23:59
旧66ヵ国の面積当たり実高(1平方里=15.432kuとして計算)
http://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88 -500石
-475石 尾張475.64
-450石
-425石 河内432.06 筑後430.17
-400石
-375石
-350石
-325石 和泉331.43
-300石 備前290.96 摂津288.00
-275石
-250石 筑前258.76 淡路240.96
-225石 近江216.34 下総214.56
-200石 加賀212.01 武蔵206.75 越前202.71 山城197.05 越中196.54
上総196.19 伊勢195.38 周防187.99
-175石 常陸178.34 播磨178.21 安房178.01 豊前172.33 讃岐167.29
-150石 大和160.02 備中154.25 佐渡152.61 伊賀151.83 三河146.72
相模146.28 長門146.08 能登145.40 肥前140.11
-125石 因幡127.07 伯耆126.45 丹後123.29 遠江123.10 下野120.55
-100石 肥後112.73 若狭108.65 出雲107.98 美濃105.30 丹波103.67
上野101.36 美作099.60 越後097.16
-*75石 備後087.24 豊後086.47 薩摩083.61 伊予082.41 紀伊075.49
出羽075.30 駿河074.26 安芸070.78 志摩070.69 土佐070.37
甲斐069.64
-*50石 阿波065.13 陸奥064.30 信濃059.07 但馬056.36 日向052.89
伊豆051.39 大隅049.98 石見048.03
-*25石 隠岐036.91
-**0石 飛騨013.80
378 :
日本@名無史さん:
>>375 長細いって意味でしょ
まあチリとコシじゃウナギとドジョウくらいの違いがあるけど
ベトナムの方がよかったかな(アナゴくらいだ)