江戸時代の侍って畑耕してたんでしょ?

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226日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:06:41
戦国時代に家族で20石の田んぼを耕しながら軍役を負担していた半農半士というか地侍が、
兵農分離の過程で城下集住を求められたら普通農民として生きる道を選ぶよね?
農民になれば8石の年貢を納めて手元に12石残る。
誰かに耕作を任せ自分たち家族は武家として城下に移住したら年貢収入8石で損だよな。
227日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:24:18
>浪人の使い道が無いなぁ
答え元寇
228日本@名無史さん:2008/03/16(日) 12:35:37
>農民になれば8石の年貢を納めて手元に12石残る。
20石だと、4〜5石くらいが年貢。
内訳は、2石が種籾用。10石+裏作が自家消費(家族は下人も入れたら10数人以上)、
その他は売却して現金収入。中農クラスでも、少し余裕があるかなという程度。

戦国時代だと、地侍クラスでも自分+馬1頭、郎党(兄弟・息子等)2名、足軽10名
(下人+村の若者)程度の軍備を負担しなければならないのでキツイ。
その代わり、他の農民から年貢を徴収していたので、実際の実入りは少なくとも100石
以上だろう。
229日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:13:11

>>225
お前らどうでもいいから、取り合えず朝顔を栽培するんだ!
嫌なら薪割りしてお風呂焚け!それか草履を百姓から買い取り穢多頭の下にもってゆくんだ!
あーそれでも嫌か?なら性病とRai病患者に薬を塗るんだ!
230日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:27:51
>>226
いつ誰に集められた?
231日本@名無史さん:2008/06/30(月) 19:54:49
御家人株って200両程度が相場と聞いてた(元文小判頃だと200X15万で3000万くらいだ)
そしてダイレクトに養子にはなれない、それ相応の町役人の形式上の養子になり、その後
となる。無論50-100両程度の礼金は必要だ。

更にバカでは養子になれない、家を継続させるだけの才覚というか器量がないと断られる。
根岸肥前守も百姓の子だった父親が安生家に養子に入り後に代官(150俵+)、三男として生まれ
根岸家(150俵)に養子となっている(最終的に500+500石)。
232日本@名無史さん:2008/08/29(金) 18:44:12
ふーん
233日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:45:25
234日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:50:46
傘職人 桶職人
手に職つけた武士は多いはず。
下級武士には仕事がない。
本業は戦で 江戸時代 戦はない。
幕末いろいろありましたが。
235日本@名無史さん:2009/01/31(土) 18:56:35
そうか
236日本@名無史さん:2009/01/31(土) 19:17:16
>>231
親類書きに載せる現役武士の擬制親類縁者にも礼金かかるし
237日本@名無史さん:2009/02/11(水) 01:36:02
中小の藩で格買うなら安いよね。上州の小藩なんかだと中小姓格とか給人格で10両とかでしょ。
前橋藩なんかは城下内名字帯刀は献金7両、城下外帯刀御免だと10両、藩主からの裃下賜が15両とか明朗会計。
幕末の徒歩株の売買なんて前橋じゃあ8〜10両程度だった。

ちなみに、桐生や大間々の腕のいい機織娘の給金が月1両程度の時代。
とはいえ、当時の機織は給金高くて金で男を囲ったりしてたそうだが。。
238日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:09:20
江戸時代じゃなくて恐縮だが商人から武士になった小西行長や武士から商人になった山中鹿助の息子鴻池直文がいるな
僧侶から大名になった筒井順慶や前田玄以や宮部継潤や大名で僧侶になった武田信玄上杉謙信
武士の息子から僧侶になって大名になった安国寺恵瓊など
海賊もいたりフリーダムな時代だな
239日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:40:49
出家して入道したとはいえ機山や不識庵は僧侶か?
240日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:16:08
>>238
院政期の白河法皇やからね白河法皇は
出家しても政界から引退せず女も置き放題だった
武田信玄も出家しながら殺生も行ったし
側室もどんどん置いてる
山にこもって修行するわけでもなし
修行によって徳を積む僧侶というより
今までの生活をなんら変えない「在宅出家」に近いよね
241日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:47:02
全然関係ないけど現職皇帝でありながら何度も出家してそのたびに連れ戻された皇帝が中国にいたな
242日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:51:22
まあ公明党のような例もありますし
243日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:11:50
>>178昔は在郷で苗字帯刀のものの総称を郷士と言っていたが2chの成果最近の学説のせいか区分けされてる。
244日本@名無史さん:2009/02/15(日) 02:51:19
戦国期武士で帰農して名主やってる家も郷士って言ってるの多いけど。在郷の浪人見たいな意味かな?
245日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:05:52
ほー
246日本@名無史さん:2009/05/04(月) 03:17:33
「先祖は百姓」の現実を突きつけられるのが怖くてルーツを探れない!!
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1240244570/l50x
247日本@名無史さん:2009/05/04(月) 05:03:26
そこで「家系図は今、林羅山に創ってもらってるところです」ですよ
248日本@名無史さん:2009/07/04(土) 13:59:17
誰の逸話だっけ?
249日本@名無史さん:2009/07/11(土) 06:10:31
池田か脇坂
250日本@名無史さん:2009/07/14(火) 01:22:21
江戸屋敷つめの各藩の武士は、食費を浮かす為に藩邸の庭で野菜作って食費を節約していたが。
251日本@名無史さん:2009/07/14(火) 06:11:20
江戸のウンコは高く売れたっていうけど各藩江戸屋敷もウンコ売ってたのかな?
252日本@名無史さん:2009/07/14(火) 07:21:04
昔の人のウンコと現代人のウンコってどっちが肥料として優れてるのかな?
253日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:37:22
議員または国家公務員=武士
サラリーマン=丁稚(商人、百姓)
254日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:42:20
西日本は穢多や百姓しかいないだろうな。武士階級など少ないものだ。
東日本は部落はなく武士も多い。
やはり東日本も西日本も百姓や町人が人口の95%だろうなあ。
255日本@名無史さん:2009/07/18(土) 02:01:35
>>19 商人は人に頭を下げる賤しい仕事だという
武士のプライドがゆるさなかったんだろうな。
かっこいいいな侍。

・・・幕末になると商人に頭を下げて借金の申し込みをしていたがな。
256日本@名無史さん:2009/07/18(土) 02:10:31
>商人は人に頭を下げる賤しい仕事だという
武士のプライドがゆるさなかったんだろうな。
かっこいいいな侍。


コンビニ店員やビジネスマンは他人に頭を下げる賎しい職種 です。
やはり丁稚とはこのことでしょうな。
257日本@名無史さん:2009/07/18(土) 02:14:13
丁稚は己の身の丈をわきまえたほうがいいんじゃないのかな?
工場の従業員も
丁稚や職人の類。
258日本@名無史さん:2009/10/14(水) 23:38:52
ほほー
259日本@名無史さん:2009/12/20(日) 11:28:37
ん?
260日本@名無史さん:2009/12/21(月) 15:59:09
しかし丁稚は見習いだから給金は無しだぞ。
261日本@名無史さん:2009/12/21(月) 17:24:32
まあ、いまのサービス残業とか長時間労働も奴隷労働みたいなもんだし。
262日本@名無史さん:2009/12/21(月) 22:08:22
五年くらい前まで商法にデッチとか番頭とか書かれてたぞ
263日本@名無史さん:2009/12/22(火) 00:21:02
大部分の武士は、いざ鎌倉。の時以外は畑耕してた。郷士だのユンカーだのの豪農、小領主。税収雇える郎党も僅か。
で、そいつらは主家に仕える
264日本@名無史さん:2009/12/24(木) 00:38:01
うちの家は薩摩藩の郷士だったようだ。

本家筋は江戸詰めだったようだが、うちは実質土木に携わっていたらしい。
江戸時代の古地図にその苗字(土地名ではない)を冠した用水路があったり、住んでいたところも江戸時代金山といわれているところ。
かなり山奥。
江戸後期の士分、鉱夫さまざまの墓がごろごろしているところがある。
戦前は薩摩には珍しくない士族だったようだが、記憶にあるこの世代のひとびとは普通の農家の人たち。

他の地区と違う特殊事情。
士分でも限りなく土建屋さんだったのだろう。
265日本@名無史さん:2009/12/25(金) 05:49:22
薩摩郷士って分家しても郷士なの?
266264:2009/12/25(金) 18:48:57
詳細はじつは知りません。

戦前の戸籍かなんかで士族になっていたらしいので、何らかの武士階級であったのは間違いないです。
虎午前供養塔というのがあり、その前に宝暦年間に姓名付の名前が数十名彫られた碑文があります。
薩摩の武士階級と思われる姓ばかりで、その中にも2名入っています。
直接の証拠はないけど、恐らく土地の事情から新納家の家臣。
江戸後期の墓(文政年間没)が残存しているのですが、姓名が彫られており、大きくないなりに立派な墓です。
先祖の墓の周りに、武士階級と思われる苗字付の墓と苗字のない墓が散乱しています。
外城制に組み込まれた地区なら、郷士と言い切れるかもしれないですけど、そういう地区でもないです。
江戸時代のこの地区の記録も余りないようです。
この地区は今では人も余り住まなくなっています。

ああ、確か他の本を読んだときに、武家の次男坊、3男坊が庄屋の家に婿入りする例は多かったという文を見た記憶があります。
薩摩以外ではこの例が多かったんですかね。
ただ、実際当方の本家2代目の次男は朝鮮出兵で手柄として土地を得て、庄屋になったという記録はあります。
坊主になった人もいたようです。

重要な記録は西南戦争で焼失したんですかね。薩摩の場合、廃仏毀釈も古記録保存に悪影響を与えたと認識しています。
大山綱良が江戸期の記録を処分も下らしいというのは何かの本で読んだことはあります。
267日本@名無史さん:2009/12/25(金) 23:07:14
サムライは朝鮮起源なの知ってる?
268日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:12:17
薩摩郷士はいろんな人材出してるなぁ
269日本@名無史さん:2009/12/27(日) 09:50:04
川路利良、桐野利秋連想しますね。
時代が溯るけど。
郷士が郷中教育していたのかは知らないです。
270日本@名無史さん:2010/02/21(日) 01:57:24
ホモ?
271日本@名無史さん:2010/02/21(日) 16:44:18
ホモじゃない、イモだ。
272日本@名無史さん:2010/03/13(土) 12:47:06
イモ
273日本@名無史さん:2010/03/22(月) 00:02:34
ほー
274日本@名無史さん:2010/04/24(土) 18:56:02
>>269
字が違うんじゃね?
275日本@名無史さん
農耕の歴史は朝鮮半島から学んだ日本人 感謝が足りない