1 :
日本@名無史さん:
農民と差なくね?しかも農民と違って貧乏だし
生活の為に質屋で刀売っちゃったりしてるし
これじゃ士農工商じゃなくて農工商士だろ
2 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 06:51:42
兵農分離、荘園制廃止で武士の直営地(門田という地名がその名残か?)は無くなったとか。
3 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:06:33
城の田んぼの事だろ
ロハス
5 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 20:11:45
でも江戸時代の下級武士の仕事なんて週2日位しかないでしょ
6 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 07:42:27
下級武士の一週間をまとめてくれ
日曜日は市場へ出かけ糸と麻を買ってきた
月曜日にお風呂を炊いて
火曜日にお風呂に入り
水曜日に友達がきて
木曜日は送っていった
金曜日は糸巻きもせず
土曜日はおしゃべりばかり
8 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 15:50:46
9 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 16:53:39
ニートとかわらんな。。
10 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 17:58:36
>>2 家の庭に畑作って、野菜とか作って食費を安く上げていた。
草鞋を編んだり傘を作ったりしてた
12 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 22:45:50
下級武士なんて百姓の名誉職と考えたほうがいい
13 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 23:49:48
まあそうだろうな、働き者のお侍さんは家で家庭菜園をして
あわよくば売ったりしてたろうよ
14 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:01:01
坂本龍馬の実家も元々は豪農でそこから郷士になった家柄だったんだか。
上士にはなれなかったが、金次第で武士になれた近世以降って身分も
結構ゆるやかになりつつあった時代だね。
むろん金でなんとかできるほど成功できるのは少数派なんだろうけど
15 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:04:37
だからこそ下級武士は金持ちがおおかったんじゃないか?
16 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:05:18
農業してもOK
手に職つけてもOK
でも商人になったらアウト。
武士じゃなくなるんじゃなかった?
江戸時代の場合。
17 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:31:12
名誉で士分になる人と、先祖代々下級武士とで区別つけないとわからんな。
>>15
18 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 06:16:48
仇討ちって武士のバイト?
19 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 06:35:37
商人は人に頭を下げる賤しい仕事だという
武士のプライドがゆるさなかったんだろうな。
かっこいいいな侍。
20 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 06:48:59
銀座の後藤家は武士身分だったと思う。
21 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 09:49:49
「実際の生活は百姓と同じ」
by 井上馨
22 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 15:45:41
商人から武士になった例はないのかな
あるいは実際は商い続けても名誉士分みたいな形で藩からもらうとか
23 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 16:24:27
御家人株を買う
>22
俺もぜんぜん詳しくないけど、豪商から士分になった例はある。
俺の知ってるのは、酒田の本間家。
25 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 18:22:17
本間家といえば、本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に と謡われるほどの
権勢を誇っているらしいね。
農地改革でずいぶんと土地をけずられたろうけど、今でも山形での影響力は相当なものだろうな。
26 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 19:22:20
27 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:32:56
士分になると・・・
殿様に貸した金を利子さえも請求できなくなると思う。殿様の家臣ということだから。
28 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:40:39
しかし現代ではもっとも権力に近いのは
商人なのは間違いなし
29 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 04:40:42
武士は百姓と違ってシーズン後の内職や出稼ぎが出来なかったのが痛い
30 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 05:51:10
>>29 ??
出稼ぎはともかく、内職できないとは・・・?
31 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 08:07:08
32 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 08:19:44
田舎の小さい藩なんか、殿様の側室が内職に励んでいたという話があるからなぁ。
確か、伊予小松藩の本が出ていて本の帯封にそんな宣伝文句があった。
33 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 08:23:53
御家人株の売買を禁じたのが徳川吉宗だっけ?
商人から大枚ふんだくるチャンスだったのに、吉宗は馬鹿だと思う。
ヨーロッパだって、爵位を大金と引き換えに売ってたのに。
後、他のスレにも書いたんだけど、旗本が金に困って小料理屋を開店>店長になって改易って事に
なった事例を詳しく知ってる人いる?
小料理屋を開店したぐらいで
罰せられるのかが理解できない。
賭場を開くほうが、よっぽど倫理面で問題の気がするけどね。
35 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 10:57:22
父が耕し子が側で素読が貧乏武士のならいじゃん。
36 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 12:47:27
>28
いやつーか「商人どもカネは返せん。士分に取り立ててつかわすのでチャラにせい」
第一段階は苗字帯刀だけど第二段階は正式に武士
大阪の商人は領民じゃないから家老クラスの禄高あたえて懐柔
37 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 16:15:35
>>36 三井、鴻池などの大商人が名字を振るから持っているのはそういう理由かな?
38 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:22:12
>>29 出稼ぎもしたみたいだよ、近場で。
うちの先祖、東北の小藩に仕える武士だったけど、
(維新後に村会議員になっているから、下級武士ではないと思うが)
湯治場みたいなところで住み込みで。
当時、15才くらいの曾曾じいさんを残して。
天保の大飢饉のあとじゃないかな・・
親父から聞いた話。
39 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:44:33
↑
間違えた 曾曾じいさんではなく、曾曾曾じいさん
親父にしたら、曾曾じいさんだな。
俺の曾曾じいさんが1868年8月23日生まれだから、
(白虎隊が自刃した日に生まれたと、
常々、親父に言っていたらしい。)
40 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:49:08
>37
鴻池はもともと戦国大名 尼子氏家臣の出。
三井は先祖なんだったかな
41 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 05:41:53
うちの家は武士の家系だけど爺ちゃんはめっちゃ土地持ってた
田舎だから殆ど山だけど
42 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 07:35:43
>>2 元ダイエーの門田 博光って名球会入りした人がいるけど、
先祖は武士だったのかなあ? 今気がついたが、門田ってあまり聞かないよね?
43 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 08:16:39
田舎のお爺さんとお婆さんの夫婦喧嘩はお互いに
婆「百姓の生まれはダメだ」
爺「お前は百姓もできない」
かっては庄屋と家老の家柄だったけど、
笑ってみているしかなかった。
44 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 10:14:55
門田:鎌倉期地頭の直営地。つまり門田姓=直営地を耕していた下人。
と言ってみるてすt
45 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 20:37:10
内職や家庭菜園無しでまともに生活出来る人って、家禄何石ぐらいからなんだろ?
生活レベルにもよるかもしんないけど
46 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 21:08:48
>>44 もれの市に門田屋敷ってあるけど、直訳すると下人の集落ってこと?
47 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 21:23:02
48 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 21:41:30
>>46 山陽の人かな?
下人というと聞こえが悪いかもしれんけどね。実質的には他の農民とあんま変わらないし。
「門田屋敷」の門田が鎌倉期の門田の意味を持ってるかもなんともいえないなぁ・・・。
地名事典なんかには載ってるかもなぁ。
幕末になると御家人株あたりは裕福な商人・農民に買われてた筈。
根岸肥前守鎮衛は父が農民出身で御徒士の株を買って幕臣になり代官になりました。
そこから根岸家に養子に入って、その後は町奉行に・・・・
50 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 00:20:57
幕末で30両か50両くらいだろ 買われるわな
51 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 00:22:34
自民党の加藤の乱は150石
この辺ならあまり売ってないだろ
52 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 00:44:41
>>1 半農半士が居た事は事実だが、基本的に武士は農耕をしない。
江戸時代の武士は農村に立ち入る事さえ出来なかった。
53 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 01:00:42
天領とそれ以外の藩とじゃ武士の生活がずいぶんちがったとかってのはないの?
司馬の本かなんかで読んだけど普通の藩はメチャクチャ農民から搾取してて
天領は6公4民までしか下げなかったみたいなこと書いてあったな。
藩の経済収支はほとんどの藩が赤で黒になるのは赤穂の塩とかの特産物がある
藩だけだったみたいな…ちがったかな。
詳しい人カモン&教えてください
54 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 09:38:03
赤字なら搾取ともいえんかも
55 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 12:15:12
武士の数が戦のたびに増え続けたので古代より税率が上がり続け
56 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 14:18:25
薩摩はめちゃくちゃ税率高かったって聞いたことあるな。
57 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 18:21:04
税といっても米だけだからな
内職や出稼ぎの儲けは対象にならなかった
58 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 02:27:56
今の消費税なんて地獄だよな
59 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 12:36:07
米だけじゃないけど?w
61 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 15:21:44
>>39 亀レスでスマン、
江戸末期、家で一人で留守番していたのは、
俺の曾曾じいさんだった !
幕末の時は20代後半か30くらいかな・・
俺の曾じいさんが、明治元年生まれだと聞いていたが、
1868年8月23日生まれ(白虎隊が自刃した日)ならば、
まだ慶応4年だよね ?
俺、今、40歳だけど、
その曾じいちゃんが慶応生まれとはなぁ・・
幕末って、そんな遠い話じゃないんだね。
まぁ、親父が末っ子というのもあるし。
親父はその慶応生まれのじいちゃんの、めんこで、
一緒に寝ながら、いろいろ昔の話を聞いたと言っていた。
会津藩の近くの小藩で、
戊辰戦争の時は、官軍に早々に恭順したため、
被害は少なかったが、薩長の軍が家にやって来て、
飼っていた鶏や食料を根こそぎ持っていったとか、
若い女性は屋根裏部屋に隠したり、遠くの親戚に預けたりしたとか。
村民の被害はほとんどなかったと聞いた。
俺が歴史に興味がなかったら、
そのまま埋もれていった話だよね。
水戸老公は西山荘で田畑を耕していたそうだが。
63 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 23:51:56
農民が武士になるとなんかいい事あるの?
64 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 03:05:03
206 :日本@名無史さん :2006/04/08(土) 04:16:17
応仁の乱から地方に豪族ができ武士になり土地を巡り戦になった!
歴史では基礎中の基礎です。
織田信長存在するまで80%が(半農 半武士)で生活をしていた。
徳川幕府になり約300年の間 武士や役人が位をつくるようになった。
207 :日本@名無史さん :2006/04/08(土) 04:18:16
結局、貴族社会が崩壊し
武士が中心の世界になった。
65 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 03:59:55
第二次世界大戦後、日本人の世の中が崩壊し、在日が中心の世界になった。
66 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 04:15:16
>>63 日頃体鍛えて体強いのが農民。
武士だけで生活してるの極わずか!
>>33 御目見出来る旗本は御家人よりも厳しいはずだよ。
こじんまりやっていればいいんだろうけど、おおっぴらにやって目立てばスケープゴートにされると思う。
68 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 04:19:36
手塚治虫の陽だまりの樹あたりみていると思い切り出る杭うたれているな
69 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 15:44:35
武士はお金に興味無い
70 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:35:30
んん
71 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 20:50:41
ん
鸚鵡籠中記なんか読むと百石の知行で随分と贅沢してるよね。
出仕は月に3日程度 芝居見物、釣り、酒、女。これでも尾張藩では下級武士。
地方知行制だと領民からみれば百石取りの武士でもおらが殿様なんだろうね。
年貢の他に野菜なんかも届けていただろうね。
73 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 09:04:46
出仕月三日はうらやましいね。
>>72 百石といえば今で言えば年収700万〜1000万だ。
割と裕福なリーマンと考えてよろしい。
芝居見物や釣り酒、女くらいに使う金くらいはある。
というか、百石で下級武士というのは大藩の尾張藩だからで、
関ヶ原で所領を大量に失ったような藩では立派な上級武士。
長州藩の高杉晋作のところも百石ちょっとで、お目見え格。
>>74 何時も思うんだが1石=1両=10万or30万とかいう換算って意味ないと思う。
現代日本で年収700〜1000万で使用人(下働き女、中間など)2〜3人雇えないでしょ?
知行百石と言っても実質五拾〜六拾石でしょ。まして不作の年もあることだし。
もっとも鸚鵡籠中記の主人公は御畳奉行としての俸禄もあるし、役目柄当然業者から
賄賂も有ったはず。
78 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 07:25:47
そもそも武士の起こりは武装農民
80 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:27:00
百石あったら小藩だったら下級どころか上士だよ。
81 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:49:23
昔のお侍さんは働き者で偉かった。
82 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 19:04:38
>現代日本で年収700〜1000万で使用人(下働き女、中間など)2〜3人雇えないでしょ?
現代日本で使用人を何人も雇ってるような家庭は皇族か大企業のオーナーくらいだろう。
社会構造が全然違うのに、それを無視して単純比較したら100石の武士は上流階級になるw
高度成長以降は中流家庭で使用人を雇ってるような家はほとんどないが、戦前までは
勤め人でも女中の一人や二人置いてるところは珍しくなかった。
江戸の武士や戦前までの中流階級にとっての使用人は、現代人のクルマや家電製品みたいなもの。
>>82 だから、現代の貨幣価値に直す意味がない、と言っているんだが・・・
車や家電製品みたいなもの、といってもやはり労働者だから賃金は発生する。
それなのに所得だけ現代換算して、使用人その部分だけは物品と同じようなものと言うのはおかしくない?
84 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 23:55:32
戦前までは人件費がバカみたいに安かった。
女中や下男などは、極端に言えば、メシと小遣い程度を与えとけばよかった。
この程度の支出は現代人にとってのガソリン代や電気代、ローンみたいなもんだろう。
85 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 22:58:27
上役、同輩との付き合い、本家の見栄など武士は交際費が大変だった。借金も当然あった。
>>85 それって用水路に命脈を握られている農民もそうだし、
商売人だって客がいなければ成り立たないわけだから、なおさらそうだし、
工匠だって、どんな良いもの描こうが作ろうが売れなければ意味ないわけだし、
どの身分でも当たり前っていうか、他の身分の方が大変だろうに。
それに下級武士なんて、同心まがいの仕事がほとんどだろうに。
87 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 15:17:47
うん、其のとうりだけどこのスレは武士の話だから、食えないから畑仕事もして
いたんだよね?がこのスレの筋だと思う。
>>87 人口数が今より少ないわけだし、土地も余っており、自然環境も厳しく、流通も発達してないわけだから、
田舎ならば、畑仕事ぐらいしているのは当然じゃないのか?
生き抜くために食糧確保の手段を講じておくって当然にしていたと思うけど。
食えないから畑仕事しているとかっていう発想って、現代の感覚が強すぎる気がしないでもないけど。
武士は食わねど高楊枝
90 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 22:43:35
>>88 下級武士が経済的にゆきづまり一家心中なんてよくあった話。調べてみた?
91 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 12:22:00
>>90 女、子どもを守れないのは武士以前に男じゃないな。
それ以前に畑作と何の関係があるの?
92 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 12:52:13
雪の降らない地域の感覚だね。
93 :
吾兵衛:2006/08/27(日) 16:56:14
>>92 琉球か高砂の人?
薩摩でも雪は降るだし。
94 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 18:33:57
>>1 江戸時代の武士が畑なんか耕すか!
鎌倉や、室町時代の武士なら戦のない暇な(平和?)時は、畑も耕しただろうが、
身分のはっきりした江戸時代なら、武士は城下町に住んで仕事するか浪人になってしまって
食い詰めてるかのどっちかだろ。
95 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:08:29
96 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 21:25:31
米沢上杉家とか長州毛利家とかは石高減らされても戦国以来の家臣団をそのまま抱えていたから、
武士の身分のまま農村に土着させてたし、薩摩の郷士が半農半士だったことは常識だろ。
>>94 それじゃ、圧倒的に炎天下で長時間農作業して身体を作っている農民の方が強過ぎるな。
一期や打ちこわしが多発したのも、ひ弱な武士と屈強な農民どもとの体力の違いからかな。
98 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 00:30:51
幕末にプチャーチンに同行したゴンチャロフの日本人評
「溌剌たる眼光、大胆な表情、旺盛な好奇心、敏捷さがない」
完璧なる身分社会で武士の特権階級が確立されていた。
日本人に表情がないと言われるのは身分社会で自分を殺して生きてきたから。
>>94 組織された軍隊に農民は敵わない。武家社会は腐敗していた訳ではない。
>>1 確かに貧窮していた武士もいた。畑も耕作していた、しかし身分制度が
崩壊していたのではない。
99 :
98:2006/08/30(水) 00:54:42
100 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 03:34:57
武士=土地に対する年貢を払わなくて良い身分だろ?畑の有無に関わらず。
>>98 一揆や打ちこわしって書いてあるだろ。
結局、賢い奴が戦略を立てて無策な武士層を倒していった時代だろ。
死罪・獄門になるのがわかっているのに、農民どもが無策にぶつかっていくわけないだろ。
農民どもは切羽詰った命懸けの行動とはいえ、陣頭指揮は賢い奴に委ねる。
体力は農民どもの方が上。火を使えれば、農民どもの方が勝負としても圧倒的に戦いやすい。
ただ、支配層がそうした暴動が起こらないように良治世策をとっていれば関係ない話なんだろうけど。
支配層がアホだと、例え一時打ちのめかすことに成功しても、遺恨は延々と続くな。
武士の大半は農民より貧しいサンピン足軽だろ。
103 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 07:56:14
衆道と武士道は切り離せないな。
104 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 23:53:35
打ち毀しは相手が武士じゃなくて「米商人」「富裕商人」て習ったと記憶する。
また打ち毀しは農民だけが蜂起した訳じゃなく商工のいわゆる町民も集団化した
とも習ったぞ。無宿人・博徒もついでに参加して烏合の衆と化し騒動を煽った史料
も講義でやったぞ忘れたけど。
ホモ社会は貴族から伝播
106 :
侍:2006/08/31(木) 01:01:39
生活のためだから仕方ないっぺ。背に腹は変えられんと言うべ。
>>104 それって、負け狗の為政者側の史観。
ある程度不穏な空気を察していたら、富裕商人どもは下僕として負債のある武士に警護を依頼している。
だけど役ただず。
禁令違反の死罪・獄門覚悟での打ち壊しなんだから、生半かな覚悟ではできない。
108 :
94:2006/08/31(木) 19:23:09
>>97 なに?農民と武士のどっちが強いかってことを、語り合うスレなのか?ここは・・・
そんな、子供っぽい話題には付き合いきれません。
109 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 20:11:27
>>107 そん史料があるんだ。後学のために是非とも出典をお願いします。
110 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 20:21:26
一揆にしろ打ちこわしにしろ武力鎮圧に至る例は稀でしょ。
ほとんどは今で言うところの団体交渉みたいなもん。
111 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 23:55:50
112 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 00:54:22
>>111 ちがうの?
恐れながら・・・との「団体交渉」であっても、お上にとっては「訴えた」ということ自体が「悪」なんだから、
百姓の言い分が認められたとしても、リーダーは死刑。
113 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 21:54:26
それは強訴でないかい。
114 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 11:04:52
>>94 つ後北条家の元家臣の帰農した武家
侍ではないけど武家だとおも
115 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 14:46:04
下級武士の耕作面積はどれくらあったんだろうね。どんな野菜を作っていたのかな?
やはり家庭菜園程度か、でも地方にいけば広かったろうね。
116 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 14:53:54
それに江戸時代の米以外の主要作物って何?もちろん地域性もあるし、藩によっ
ては奨励作物もあるよね。
>>115 江戸の旗本、御家人、各種与力・同心の違いや、地方の大名の家臣などの違いがあるから一概には言えんだろ。
八王子同心組頭の近藤と土方一族は裕福だったらしいが
仙台の藩士はバイトしなければ生きて行けないほど困窮していた。
119 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 21:06:37
>>118 養蚕農家から、たんまりと巻上げていたのかな。
121 :
(・・):2006/09/15(金) 14:22:21
アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハwwww
うけるぅw
122 :
(・・):2006/09/15(金) 14:23:46
あははははははははははははははははははははははははwwwwwwwww
シネシネシネシね
w
123 :
(・・):2006/09/15(金) 14:25:49
アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャwwwwwwwwwwww
SINESINEx1,888,888
>>118 > 仙台の藩士はバイトしなければ生きて行けないほど困窮していた。
つーか、最後まで地方知行制度が残存していたのでもともと上級家臣の家臣(陪臣)は半士半農だった。
故に不作の年は知行所に自主逼塞して経費節約に努めていた。
125 :
:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 21:00:25
>>126 御家人株を買って持ってた豪農か?
金さえ貢げば士族の身分は簡単に変えた時代だからなぁ。
平安時代末期の五位の官位並に安売りされてた時代だからなぁ。
時代の末期の身分ってそんなもんなんだろうな。
御家人株を買ったら江戸に住むべ
樋口一葉の親父とかそうじゃなかったっけ?
>>128 八王子の田舎で養蚕農家として富み蓄えた生活しているのに、
何で生計のあてがない江戸で生活しなければならないのかと。
立場的には、金持っている奴の方が優位にいた時代だろ。
131 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:55:14
保守
134 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 07:48:13
135 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 15:20:36
どっちが正しいの?
136 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:16:04
江戸時代を武士が主役の封建社会では無かった。
貨幣経済が浸透した商品経済の社会です。
実際には農工商の身分区別なんか無かった。
137 :
日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:00:59
諸侯が配置されそれぞれ家臣である武士が農民を支配する社会です。
農本社会です。冗談みたいな話ですが給与は米で支給されます。
身分による差別です。身分が違うと婚姻も禁止。差別社会です。
140 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:56:39
141 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:45:22
>>140 東アで叩かれまくりなオーマイ貼られてもなあ。
142 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:36:27
>140
チョン妄想
143 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:49:56
30年前まで土蔵があって古〜い農機具などがあったそうだが
刀と槍も一緒にしまってあった(錆び錆びだが)という実家は
侍農民で正解?
144 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 12:12:47
幕藩体制って言われるから 藩によって結構差があるんちゃう? 下級武士の扱いなんて土佐はエグかったらしいけど
>>143 オレの実家は、江戸時代、百姓で、農業の傍ら商売してたけど、
土蔵に刀がたくさんあったと聞いた。
んだから、不正解。
その気持ち悪い句読点の打ち方って流行ってるのか
三国人にしか見えないぞ
147 :
145:2007/02/21(水) 18:15:39
人差し指で探し探し打ってるから「、」で休みたくなるんよ。
148 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:11:17
駄文で人を不快にさせるなら書くな
149 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 16:39:38
うほ
句読点で三国人
151 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 11:53:17
うほほ
152 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 00:46:44
時代劇でよく浪人が内職してますな
内職で番傘作ってる竹光侍と、手入れのいい加減な刀をあぜ道に放り投げて
農作業に精出す侍はどっちが幸せ?
154 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 01:35:33
百姓10人で武士1人の豪遊を支えるのは無理がある。
アンシャンレジーム期のフランスでさえ聖職者・貴族と平民の人口比は1:100で、
それにも関わらず平民の怒りが爆発し凄惨な革命が起きたというのに。
ドロップアウトした下級士族が中心となった明治維新は、ある意味市民革命。
155 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 05:53:43
>>153 後者かな?
手入れはいい加減でも一応本物の刀持ってるし
156 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 08:25:04
>>154 武士と貴族は違うからな。
江戸時代初期なら武士の割合はだいたい1%で、貴族といっても
差し支えなかったけれども。
李氏朝鮮の両班ほどではないけれど、武士階級は江戸時代を通して増大した。
足軽とか郷士とか同心とか、江戸時代初期は武士とされてない層が
江戸時代後期には武士扱いされるようになっている。
家の実家は、徳島の片田舎、身分は侍でも、
近所の豪農よりは遥かに貧乏。
手紙を代筆したり、読み書きを農民に教えたり、
神主やったり、医者のまねごとしたり、
いろいろ副業こなして生計を立てていたらしい。
田畑も多少は有ったのだが、一家の食い扶持レベル。
>>157 でもやっぱり身分が侍っていうのは強みだったと思うぞ
どんなに裕福でも百姓は百姓だ
あまりにも貧乏で城下を離れ在郷して
田畑を耕してた武士は山ほどいる
160 :
日本@名無史さん:2007/07/30(月) 00:38:24
161 :
日本@名無史さん:2007/07/30(月) 02:18:48
御三家なんかのばやいだと兵農分離続いてるんじゃん?
足軽はしらんけど
162 :
日本@名無史さん:2007/07/30(月) 07:49:21
>>159 豊前小倉領小笠原家中ではそのような侍を「在宅」と呼び、天保期に増加しております。
163 :
日本@名無史さん:2007/07/31(火) 02:03:22
士分の定義に困るよね。
地方持高制であれば中間の数も半端ないしね
最低禄高を決めて論じようか。。。
164 :
日本@名無史さん:2007/07/31(火) 11:09:01
江戸の旗本御家人でも屋敷に畑がある。
その一方で西国外様大名などの家臣には年貢地を百姓から小作して直接耕作にあたる武士(郷士ではない)もいた。
165 :
日本@名無史さん:2007/07/31(火) 11:44:12
戦乱の時代なら未だしも太平の時代に武士に居場所があるはずがないじゃん。
今の自衛官を見れば、解ると思う。
戦乱の時代は仕事があるが、
太平の時代はただのNEETみたいなものだからな。
仕事なんてある訳がないのだから農民みたいに生きるしかない
166 :
日本@名無史さん:2007/07/31(火) 11:47:22
>>165 現代が太平の世なんて!
お目出度い奴だな。
167 :
日本@名無史さん:2007/07/31(火) 18:58:53
新撰組の近藤勇、土方歳三などは、百姓とも言われるが、
両人とも百姓は百姓でも豪農の生まれで近藤の生家は宮川という姓をもつ。おなじく土方も姓をもつ。
彼等はお城に登城する徳川家臣団の武士でないことは事実であるが、
近藤・土方の実家は共に刀をもつことを許された、苗字帯刀の豪農(郷士)である。
土方家には家業があり、土方歳三は若いころ、この石田散薬という家伝の薬を売り歩く薬屋の行商もやっており、
刀は茣蓙(ござ)に入れて背中に担いでいたらしい。薬屋が両刀差していたのではさすがに様にならないからだろう。
あと、武州三多摩は天領(徳川家の直轄領)であり、代官はいるが大名はいない土地であり、
将軍様の百姓は大名の百姓とは身分が違うという自覚があったのではなかろうか?
だから、近藤も土方も農業をやる百姓でありながら、苗字帯刀を許された郷士である。
郷士とは地侍ともいい、米だけ作るのではなく、武芸も漢学も治めた、誇りも高い大名も一目おく、村の実力者であった。
このあたりを調布市の郷土博物館の金井氏にお伺いすると、近藤と土方は郷士ですというお答えをいただいた。
ともかく百姓でありながら武士であるという郷士と言うのはわかりにくい存在なのだ。
身分的には城下侍の下、百姓の上ということだ。
誇りも高い大名も一目おく、村の実力者であった。
169 :
日本@名無史さん:2007/08/03(金) 07:25:45
御家人株の売買はどのようなものだったのでしょう。
コネが必要だったり、武士が優先だったりするのでしょうか?
根岸鎮衛は主人の引き立てで御徒の持参金養子になってます。
滝沢馬琴も孫を与力にするときに主人のコネを使ってますよね。
私の家も御家人の三男から、御徒の明跡に入り、旗本に昇進したんだとか。
170 :
日本@名無史さん:2007/08/03(金) 07:40:27
ペッパーランチ事件の報道がおかしい
171 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 17:48:13
元々士族は貴族の荘園を警護する、農民の代表格だったから、いつでも帰農出来るのだ。
172 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 18:51:46
近藤は芹澤の道場に通っては居合い刀を握り、新撰組に入組してから幕府に帯刀を許された。それまでは竹光所持というのが本当のところ。
>>171 「農民の代表格」説は最近否定され始めてるよ。
>>173 その説興味があります。載っている本が有りましたら、教えて下さい。
175 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 10:42:50
>>156 >江戸時代初期なら武士の割合はだいたい1%
中学か高校の古い副教材に、武士は7%と書いてありました。
江戸ではなくて全国平均だと思います。
幕府説明だったせいか、江戸時代初頭頃のページでした。
またどこかのHPによると江戸時代末期は武士人口は3%位。
武士の割合が減るというのも不思議な話だと思っていました。
武士人口についてもし何かご存知ならもう少し教えていただけますか?
できれば出典もどうか宜しくお願い致します。
176 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 11:23:22
お侍さんはインフレで大変だたらしいよ
ずっと決められた額の米しかもらえなかったらしいから
>>175 幕末で7%ぐらい
ググればたくさん出てくるよ
178 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 22:28:18
>>167 >苗字帯刀の豪農(郷士)
>百姓でありながら武士であるという郷士
豪農が苗字帯刀が認められてもあくまで百姓は百姓。日常生活スタイル
がどうであれ士分である郷士とは身分的に異なると思うが・・・。
179 :
日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:16:54
>>19 ほとんどの武士は、大名ですら商人に頭を下げて金貸してもらってたのに、
それは恥ずかしくないのか?
参勤交代中に大阪商人に挨拶回りに大名の腰の低さとか有名だよ。
下級武士はどんなに頭下げても商人は金貸してくれなかったらしいけど。
返す見込みがないから。
180 :
日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:33:26
>農業してもOK
>手に職つけてもOK
>でも商人になったらアウト。
>武士じゃなくなるんじゃなかった?
>江戸時代の場合。
商人の場合利権が絡むからね。武士と商人といったら利権だよ。
今だって公務員は兼業禁止でしょ。
自給自足のための農業や、家庭内手工業(職人)ならやってても大丈夫。
どんな豪農でも百姓は百姓
やっぱり士分は大きな差があったわけさね
182 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 01:58:42
そもそも江戸時代には士農工商がなかった。
孔子の言葉がソースだけど、士は武士の意味ではない。
ちなみに荀子は「士商工農」といっている。
孔子も内心そう思っていたのだが、中国人全部がそう思ってたので、
農民を抜け出して簡単に利益を集積できる商人になろうとした。
国を安定させたい孔子はあえて「士農工商」と農民を騙しただけ。
江戸時代は重農主義だったんで、明治時代の学者がその言葉をひっぱってきた。
幕府が何を重視していたのかの順序で、身分とかではない。
183 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:43:15
プッ!
184 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 13:41:49
>>181 江戸時代の土地はすべて武士のものだからね。
農民は形式上も実質もその使用人・奉公人にすぎない。
どんな豪農でも、農民頭=使用人頭。
明治になって、明治政府が武士に農地を下げ渡したのを忘れ、
オラが村さはオラのもんだべの自称代代の地主がいるけど、
実際は農民のものではない。
185 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 13:42:58
×明治になって、明治政府が武士に農地を下げ渡したのを忘れ、
○明治になって、明治政府が武士に農地を下げ渡させたのを忘れ、
足軽と豪農を比べたって意味ないだろ
農民のほとんどは足軽よりはるかに貧しい
飢饉のときにも死ぬのは足軽ではなく農民
188 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 23:33:54
>>184 おいおい「田畑永代売買禁止令」って知らないのか。
190 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 23:44:28
他人に借地権を売ったらイカンってことだろ
武士が田舎に監督に行かなかったからって調子に乗るなよ、百姓
「百姓」は職業差別用語として放送禁止用語に指定されてます。
公的な発言は控えましょう。
「農民」も職業差別用語として放送禁止用語に指定されてます。
そういうわけで、教科書からも「農民」という言葉が消えるかもしれません。
ちなみに「武士」「職人」「商人」は放送禁止用語ではないです。
将来は、「士工商(以下自粛)」になるでしょう。
>>188 なんで、町「人」(職「人」、商「人」)で、
農「民」なのか考えてみればわかりやすいですよ。
町人は武士に対し年貢なんて納めてません。
地元では百姓は今でもよく使う
色んな意味で使えるし便利なんだがな
百姓を差別用語だと思うその心根が卑しいんだよ。
もともと差別用語でも何でも無い。
196 :
日本@名無史さん:2007/09/02(日) 02:12:00
こういうのって本人が差別だと言い出さないと差別用語に指定されないからなぁ
百姓側から差別だと言い出したんだよ
197 :
日本@名無史さん:2007/09/02(日) 04:14:08
そのうち農民の話もタブーになるんだろうね
今でも実家が農家ときくと、相手に気を使う
なんか論点がずれてきているが、
江戸時代に武士が持っていたのは徴税・行政権で所有権でない。
まあ、郷士は半士半農だから両方持っていたりするが、ちょっと別。
>>198 少し外れ。
武士はもちろん所有権を有さないが、別に農民が持ってるわけでもない。
農地に関しては永耕作権が疑似所有権として扱われていたとでも言うべきか。
つまり、事の本質は用益権なんだよ。
従って農地を勝手に売りさばいたり勝手に田畑を埋めたりはできない。
用益権を用益権の形で引き渡すことだけが可能。
荘園制度がかなり形骸化しつつも原理的には生きている。
200 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 14:07:14
江戸時代の農村は荒れてたらしいな
町は武士が統制してたので治安が抜群だったけど
村は放置してたんで
伊勢参りは命がけ
田舎を通ると盗賊団(=農民)にやられる
201 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 14:32:59
江戸で旗本の若党やってた連中が農村に帰ってきても大小の刀を差したりして乱暴をはたらいたりしてたみたいだな。
武士が持っていたのは「収租的支配権」で所有権ではない。
一方で、収租的支配は政治的・人格的な支配を及ぼすため、農民には現代的な意味での所有権はなかった。
203 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 18:48:45
誰だ、こんな漠然とした書き込みを投下してった奴はw
下級武士屋敷の中に入ったことあるけど
実を棄てて名を取るって感じだった。
生活水準も一般の農民と同じくらいかそれより低いかも。
譜代席50石取りの上士で、表高通りかつ4公6民で20石の収入だとするな。
これまた仮定だが、売却時に石=両がだいたい維持されていたとすると20両になる。
上士でさえこうだから家計は慎ましかったと思う。
実際は地方によって表高ほどの収入にならないところもあったし、
換金には輸送料や手数料がかかるので、実収入はもっと少なかったろう。
農民で言うと石≒反とざっくり考えて、20石稼ぐには田地が34反ほどあればいい。
これはこれでなかなかの田地持ちとは言えるが、とりわけ豪農と言うほどでもない。
>>406 4公6民ってそんなに年貢軽かったっけ?
それとも天領の話か?
208 :
日本@名無史さん:2007/09/05(水) 23:02:20
>>207 いや暫定的な仮定だ
折半に仮定して譜代席50石で実入りが25石でもそう大差はない結論だ
>>206 江戸時代の武士の大半は俸禄でもらっているから50石取りなら50石丸々
支給されてるだろ。
知行地50石なら
>>206の言う通りだが、知行地をもらえるほどの武士は
ごく一部の大身武士か、半士半農の郷士。例外的存在だな。
210 :
日本@名無史さん:2007/09/06(木) 18:29:29
>>206 知行取りなら野菜とか金の上がりもあるよ。
212 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 08:56:30
>>211 石取りっていったら禄取りじゃないか?
地行50石と、50石取りは違うと言うことで
>>212 蔵米支給の場合は原則俵表記。
[○俵○人扶持]
>>213 大名家の場合地行取りの方が例外でしょ?
例え家老でも蔵米で貰っていれば俵で数えたの?
知らなかった _| ̄|〇
215 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 19:24:36
216 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 21:22:18
国史大事典引いてみたら、俵数表示は、物成取という切米取と蔵米知行の
中間にいる中級武士のみ。
蔵米知行が給付されるのは地方知行と同じく
知行高の年貢分。
因みに年貢は大名家の場合でも三割五分と有った。
なんか低く過ぎる気がするが、
辞書にこう書いて有るということで、
ご参考までに。
219 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:25:51
だね
武士のほうが農民より偉いという体制にしたのは、徳川家康の失敗だよなあ。
土地を持っている農民のほうが、土地無しの武士より格上という体制にしてしまえば、
新田開発なんかで浪人者も吸収できたと思うのだが。
古代ローマなんかだと、兵士は兵役を勤め上げると「念願の土地」をもらえて退役する
システムになっていた。
221 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 03:58:16
だね
さっさと帰農しやすい土壌は作るべきだった
222 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 11:15:27
武士が帰農できたら土地の権利問題が起こるに決まってる。
応仁の乱が再び起こるよ。
兵農を分離するってのは土地の問題と密接に絡んでて、
別な言い方をすれば兵農を分離することによって武士から土地の権利を取り上げた。
他に適当な言葉がないから「土地の権利」と呼んだが、性格からして所有権に似ていなくもない。
ただし土地所有権と混同するわけにもいかないからややこしい。
土地そのものに占有があったというより、土地の耕作に占有があったんですな。
223 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 22:36:14
秀吉が刀狩、
徳川幕府が士農工商などを定めなければ、
武士は帰農できたのにね。
江戸時代など、増えすぎた支配階級、
士族層が食っていけなくなり、借金まみれだった。
明らかに、士族を増やしすぎた幕府の失政だろう。
ん、だから帰農するのはいいとして耕すべき土地がないでしょ。
武士が耕すべき土地を獲得するには従来の百姓の土地を奪うしかない。
大混乱は必至。
いや、江戸前期ならそりゃ開墾すりゃ土地が増える環境ではあったよ。
けれど、田畑っちゅーのは労力かけて田畑としての体裁を整えても、
本当に生産的な農地になるには30年くらいかかる。
逆に言うと一旦荒れさせた田畑を元に戻すのは途方もなく時間がかかるわけで、
こっちの「逆」の方は歴史なんてあまり興味のないお百姓さんたちのがよく知っている。
農政を安定させるには武士を帰農させないっていう政府介入は必要だった。
開墾は時間がかかるから駄目
土地が無いなら植民地を・・・は海外にいけないから駄目w
古代ローマのように、暇な軍団兵には街道建設を・・・も、日本国内が藩でバラバラだから街道工事も駄目。
他国との戦争に・・・・も駄目
江戸時代は制約が多い。浪人の使い道が無いなぁ。
226 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:06:41
戦国時代に家族で20石の田んぼを耕しながら軍役を負担していた半農半士というか地侍が、
兵農分離の過程で城下集住を求められたら普通農民として生きる道を選ぶよね?
農民になれば8石の年貢を納めて手元に12石残る。
誰かに耕作を任せ自分たち家族は武家として城下に移住したら年貢収入8石で損だよな。
>浪人の使い道が無いなぁ
答え元寇
228 :
日本@名無史さん:2008/03/16(日) 12:35:37
>農民になれば8石の年貢を納めて手元に12石残る。
20石だと、4〜5石くらいが年貢。
内訳は、2石が種籾用。10石+裏作が自家消費(家族は下人も入れたら10数人以上)、
その他は売却して現金収入。中農クラスでも、少し余裕があるかなという程度。
戦国時代だと、地侍クラスでも自分+馬1頭、郎党(兄弟・息子等)2名、足軽10名
(下人+村の若者)程度の軍備を負担しなければならないのでキツイ。
その代わり、他の農民から年貢を徴収していたので、実際の実入りは少なくとも100石
以上だろう。
229 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:13:11
>>225 お前らどうでもいいから、取り合えず朝顔を栽培するんだ!
嫌なら薪割りしてお風呂焚け!それか草履を百姓から買い取り穢多頭の下にもってゆくんだ!
あーそれでも嫌か?なら性病とRai病患者に薬を塗るんだ!
230 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:27:51
御家人株って200両程度が相場と聞いてた(元文小判頃だと200X15万で3000万くらいだ)
そしてダイレクトに養子にはなれない、それ相応の町役人の形式上の養子になり、その後
となる。無論50-100両程度の礼金は必要だ。
更にバカでは養子になれない、家を継続させるだけの才覚というか器量がないと断られる。
根岸肥前守も百姓の子だった父親が安生家に養子に入り後に代官(150俵+)、三男として生まれ
根岸家(150俵)に養子となっている(最終的に500+500石)。
232 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 18:44:12
ふーん
233 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:45:25
234 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:50:46
傘職人 桶職人
手に職つけた武士は多いはず。
下級武士には仕事がない。
本業は戦で 江戸時代 戦はない。
幕末いろいろありましたが。
235 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 18:56:35
そうか
236 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 19:17:16
>>231 親類書きに載せる現役武士の擬制親類縁者にも礼金かかるし
237 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 01:36:02
中小の藩で格買うなら安いよね。上州の小藩なんかだと中小姓格とか給人格で10両とかでしょ。
前橋藩なんかは城下内名字帯刀は献金7両、城下外帯刀御免だと10両、藩主からの裃下賜が15両とか明朗会計。
幕末の徒歩株の売買なんて前橋じゃあ8〜10両程度だった。
ちなみに、桐生や大間々の腕のいい機織娘の給金が月1両程度の時代。
とはいえ、当時の機織は給金高くて金で男を囲ったりしてたそうだが。。
238 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:09:20
江戸時代じゃなくて恐縮だが商人から武士になった小西行長や武士から商人になった山中鹿助の息子鴻池直文がいるな
僧侶から大名になった筒井順慶や前田玄以や宮部継潤や大名で僧侶になった武田信玄上杉謙信
武士の息子から僧侶になって大名になった安国寺恵瓊など
海賊もいたりフリーダムな時代だな
239 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:40:49
出家して入道したとはいえ機山や不識庵は僧侶か?
240 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:16:08
>>238 院政期の白河法皇やからね白河法皇は
出家しても政界から引退せず女も置き放題だった
武田信玄も出家しながら殺生も行ったし
側室もどんどん置いてる
山にこもって修行するわけでもなし
修行によって徳を積む僧侶というより
今までの生活をなんら変えない「在宅出家」に近いよね
241 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:47:02
全然関係ないけど現職皇帝でありながら何度も出家してそのたびに連れ戻された皇帝が中国にいたな
242 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:51:22
まあ公明党のような例もありますし
>>178昔は在郷で苗字帯刀のものの総称を郷士と言っていたが2chの成果最近の学説のせいか区分けされてる。
244 :
日本@名無史さん:2009/02/15(日) 02:51:19
戦国期武士で帰農して名主やってる家も郷士って言ってるの多いけど。在郷の浪人見たいな意味かな?
245 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:05:52
ほー
そこで「家系図は今、林羅山に創ってもらってるところです」ですよ
248 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 13:59:17
誰の逸話だっけ?
249 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 06:10:31
池田か脇坂
250 :
日本@名無史さん:2009/07/14(火) 01:22:21
江戸屋敷つめの各藩の武士は、食費を浮かす為に藩邸の庭で野菜作って食費を節約していたが。
251 :
日本@名無史さん:2009/07/14(火) 06:11:20
江戸のウンコは高く売れたっていうけど各藩江戸屋敷もウンコ売ってたのかな?
252 :
日本@名無史さん:2009/07/14(火) 07:21:04
昔の人のウンコと現代人のウンコってどっちが肥料として優れてるのかな?
253 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:37:22
議員または国家公務員=武士
サラリーマン=丁稚(商人、百姓)
254 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:42:20
西日本は穢多や百姓しかいないだろうな。武士階級など少ないものだ。
東日本は部落はなく武士も多い。
やはり東日本も西日本も百姓や町人が人口の95%だろうなあ。
255 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 02:01:35
>>19 商人は人に頭を下げる賤しい仕事だという
武士のプライドがゆるさなかったんだろうな。
かっこいいいな侍。
・・・幕末になると商人に頭を下げて借金の申し込みをしていたがな。
256 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 02:10:31
>商人は人に頭を下げる賤しい仕事だという
武士のプライドがゆるさなかったんだろうな。
かっこいいいな侍。
コンビニ店員やビジネスマンは他人に頭を下げる賎しい職種 です。
やはり丁稚とはこのことでしょうな。
257 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 02:14:13
丁稚は己の身の丈をわきまえたほうがいいんじゃないのかな?
工場の従業員も
丁稚や職人の類。
258 :
日本@名無史さん:2009/10/14(水) 23:38:52
ほほー
259 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 11:28:37
ん?
260 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 15:59:09
しかし丁稚は見習いだから給金は無しだぞ。
261 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 17:24:32
まあ、いまのサービス残業とか長時間労働も奴隷労働みたいなもんだし。
262 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 22:08:22
五年くらい前まで商法にデッチとか番頭とか書かれてたぞ
263 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 00:21:02
大部分の武士は、いざ鎌倉。の時以外は畑耕してた。郷士だのユンカーだのの豪農、小領主。税収雇える郎党も僅か。
で、そいつらは主家に仕える
うちの家は薩摩藩の郷士だったようだ。
本家筋は江戸詰めだったようだが、うちは実質土木に携わっていたらしい。
江戸時代の古地図にその苗字(土地名ではない)を冠した用水路があったり、住んでいたところも江戸時代金山といわれているところ。
かなり山奥。
江戸後期の士分、鉱夫さまざまの墓がごろごろしているところがある。
戦前は薩摩には珍しくない士族だったようだが、記憶にあるこの世代のひとびとは普通の農家の人たち。
他の地区と違う特殊事情。
士分でも限りなく土建屋さんだったのだろう。
薩摩郷士って分家しても郷士なの?
266 :
264:2009/12/25(金) 18:48:57
詳細はじつは知りません。
戦前の戸籍かなんかで士族になっていたらしいので、何らかの武士階級であったのは間違いないです。
虎午前供養塔というのがあり、その前に宝暦年間に姓名付の名前が数十名彫られた碑文があります。
薩摩の武士階級と思われる姓ばかりで、その中にも2名入っています。
直接の証拠はないけど、恐らく土地の事情から新納家の家臣。
江戸後期の墓(文政年間没)が残存しているのですが、姓名が彫られており、大きくないなりに立派な墓です。
先祖の墓の周りに、武士階級と思われる苗字付の墓と苗字のない墓が散乱しています。
外城制に組み込まれた地区なら、郷士と言い切れるかもしれないですけど、そういう地区でもないです。
江戸時代のこの地区の記録も余りないようです。
この地区は今では人も余り住まなくなっています。
ああ、確か他の本を読んだときに、武家の次男坊、3男坊が庄屋の家に婿入りする例は多かったという文を見た記憶があります。
薩摩以外ではこの例が多かったんですかね。
ただ、実際当方の本家2代目の次男は朝鮮出兵で手柄として土地を得て、庄屋になったという記録はあります。
坊主になった人もいたようです。
重要な記録は西南戦争で焼失したんですかね。薩摩の場合、廃仏毀釈も古記録保存に悪影響を与えたと認識しています。
大山綱良が江戸期の記録を処分も下らしいというのは何かの本で読んだことはあります。
267 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 23:07:14
サムライは朝鮮起源なの知ってる?
268 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:12:17
薩摩郷士はいろんな人材出してるなぁ
川路利良、桐野利秋連想しますね。
時代が溯るけど。
郷士が郷中教育していたのかは知らないです。
270 :
日本@名無史さん:2010/02/21(日) 01:57:24
ホモ?
271 :
日本@名無史さん:2010/02/21(日) 16:44:18
ホモじゃない、イモだ。
イモ
273 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 00:02:34
ほー
274 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 18:56:02
275 :
日本@名無史さん:
農耕の歴史は朝鮮半島から学んだ日本人 感謝が足りない