952 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 00:29:22
>>949 >そんな説を言っている人は安本以外にもいるし、
今現在それを言ってる人は誰?
20年も30年も前の論文引っ張り出して書いてあるなんて言うんじゃないよね?
安本某みたいに。
>根拠もピンからキリまでいろいろとありますよ
それを、まるッと、ごりッと出してください
>>951 この議論をしていていつも思うのは、
「庄内開始4世紀の根拠」と言ってるのに、邪馬台国九州説の根拠を
書く輩が多いこと。この違いが分からんアホなのか。
私自身は、邪馬台国九州説も充分可能性があると思っている。
ただ、庄内開始を無理に4世紀に引き下げ、邪馬台国東遷を強弁する輩に、
正直、根拠無えだろと言ってるわけだ。
位至三公鏡・・・・位、三公に至る
日本でも末は博士か大臣かとなどと、(少なくとも昔は)大臣と言うのは羨望の対象であったわけだけど、
それは当然の事ながら、下々の者が抱く感情。
三公以上、あるいはそれに近い地位のものがもらってうれしい鏡ではないわな。
実物も小型の二級品だし。
こんなものを魏の皇帝が他国の国王にわざわざ贈ったとしたら、
そりゃ魏帝国の沽券にかかわるぞ。
955 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 02:04:26
>>954 けど、邪馬台国の頃に中国で位至三公鏡が流行していたのは事実。
それが大量に日本に来たのも事実。その分布が北部九州中心というのも事実
邪馬台国と同時代の中国の墳墓等から出土する数種類の鏡について、日本での
出土状況は全てにおいて圧倒的に北部九州中心であるというのも常識。
中国よりも日本で大量に出土する画文帯や、日本でしか出土しない三角縁の
分布は畿内中心。つまり、この2つの鏡は時代が違う。
・・・以上『季刊邪馬台国92号』(最新号)参照。しかし、安本は本当に人気者だね。
956 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 07:07:04
>今現在それを言ってる人は誰?
>20年も30年も前の論文引っ張り出して書いてあるなんて言うんじゃないよね?
田辺昭三や関川尚功あたりも結構新しく見ていたのでは?
そのあたりの見解をどう解釈しているのか、それとも知らないだけなのか
>それを、まるッと、ごりッと出してください
他説や学史をこのスレにわざわざ書き写すなんて作業をすると思いますか?
寧ろ、その作業は庄内開始4世紀を強く反対している者が行うべきです
もっともこっちはそれを強要したりはしません。
あのくどいまでの『安本』発言が安本美典しか知らないという
狭い視野に基づいているものなのかどうかを知りたいだけだから
また、邪馬台国東遷説は庄内開始4世紀と直接関係ないと思います。
この説自体、庄内うんぬんが騒がれる前からあった説ですから
庄内開始が3世紀後半だとしても東遷したと言う人はいるだろうし、
庄内開始が4世紀前半だとしても東遷していないと言う人はいるでしょう
>>956 >田辺昭三や関川尚功あたりも結構新しく見ていたのでは?
やっぱりン十年前の論文を引っ張り出してるだけか。
>>956 >寧ろ、その作業は庄内開始4世紀を強く反対している者が行うべきです
つ 挙証責任の転嫁という典型的詭弁術
959 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 16:38:13
古い説だからダメとする理由が良く分からん。
古い説に対して、どんな理由でダメなのかが問題では?
安本だからダメという訳でもない。安本をやたら目の敵にしている人もいるけど、
安本説に対して1回たりとも論理的に反論できていませんよ。
話のすり替えと虚言を繰り返しているだけで、発展性がないですね。
庄内開始四世紀という過去の実年代観は、実際のところ、何の根拠もなく決められたものだろ。
まるで、それなりに根拠があるかのようにミスリードするのは止めろ。
961 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 20:17:56
位至三公鏡の見解でも
>>954と
>>955の異なる意見があって面白い
どちらが事実に基づいて発言しているか明らか
1. 位至三公鏡は魏晋代の鏡
2. 位至三公鏡は北方系の鏡
3. 位至三公鏡は九州を中心に出土する鏡
4. 三角縁神獣鏡は位至三公鏡より後出する鏡
5. 三角縁神獣鏡は南方系に一部北方系の要素を持った鏡
6. 三角縁神獣鏡は畿内を中心に出土する鏡
本当に三角縁神獣鏡が紀年どおりの年代に製作されていたとしたら
何故、位至三公鏡の流入がそこで止まってしまったのだろうか……
これは実に興味深い事実だと思う
>>961 >4. 三角縁神獣鏡は位至三公鏡より後出する鏡
これって激しくトートロジーか意図的な誤誘導の悪寒がしる・・・・
これだけを見るといかにも位至三公鏡の流行のあとに三角縁神獣鏡の流行があったように読めるのだが、
こう読んだら明らかに間違いだよね。
といって、位至三公鏡の初現が後漢代まで遡るから三角縁より前だというならそのとおりだが、
そういう意味なら今の話題とは何の関係もない。
さていかに?
>何故、位至三公鏡の流入がそこで止まってしまったのだろうか……
これも意味不明だ。
まさかとは思うけど、位至三公鏡と三角縁が同時代に共存してはいけないとでも言うつもりなの?
963 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 22:37:54
その出土状況が大きく異なっている位至三公鏡と三角縁神獣鏡は
共伴するしないには関係なく同時代とするのが
>>962の考えですか?
それは何に基づいてそう思っているの?
もし、三角縁神獣鏡の紀年が根拠と言うのならば、
それこそがトートロジーなのでは?
それとも根拠はないが、その可能性を願望しているのですか?
少なくとも、位至三公鏡と三角縁神獣の出土状況の違いは
無視する事実ではないはず。
964 :
903:2006/06/15(木) 22:55:08
旧年代の根拠が書かれてる本があったら紹介してくれ、支持者の皆。さんざん
説明を求められて無いなんて答えはないよな?「自分で捜せ」なんて答えもないよな?
>>961 まず、1〜3の「位至三公鏡」についてですが、
「参考」までに邪馬台国の会のサイトの資料を使いますと、
出土遺跡の時代分布は九州弥生終末から古墳期まで疎らに展開します。
地域分布は、北部九州が多いのは舶載鏡に限ったことでは有りませんが、
確かに福岡・佐賀が多い(でも29枚中12〜14枚)、
ただし大阪・奈良(6〜7枚)もそれなりに出ています。
と言うことで、どう見ても魏代・倭人伝の時代に限って「北部九州」に「大量」に
輸入されていたわけでは無さそうです。
あなたの「位至三公鏡の流入がそこで止まってしまった」と言う推定の「そこ」が
何時のことを指しているのかわかりませんが、晋の南退後の北方混乱期には、
かなりの文物の流入が止まります。
このことが「実に興味深い事実」なのでしょうか?
そのあたりのお考えが、と言うか「主張」の趣旨がよくわかりませんでした。
4〜6の三角縁に関する記述については概ね同意しますが、「紀年」の真否に
ついてだけは、判断しかねます。
ただ、畿内を中心に三角鏡が『大量』に広まったのは、前述の中国側の混乱期
に「国産化」が為されたからと言うのが大宗の意見だと思います。
>>963 その前に、
>>961 の
>4. 三角縁神獣鏡は位至三公鏡より後出する鏡
で何が言いたかったのか、はっきりさせてくれる?
あんたがどういう事実認識の上に立って、
何を主張したいのかがわからないんだよ。
後出と断定した根拠をきかせてほしいんだ。
967 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:42:53
>>965 >ただし大阪・奈良(6〜7枚)もそれなりに出ています。
> と言うことで、どう見ても魏代・倭人伝の時代に限って「北部九州」に「大量」に
>輸入されていたわけでは無さそうです。
位至三公鏡が出土しているというその畿内の古墳をよく見るべきだと思います。
それらが同列に扱えるかどうかこそ『最低限これくらいは共通認識』にすべきでは?
(それに位至三公鏡は魏代でなく魏晋代です)
>あなたの「位至三公鏡の流入がそこで止まってしまった」と言う推定の「そこ」が
>何時のことを指しているのかわかりませんが、晋の南退後の北方混乱期には、
>かなりの文物の流入が止まります。
> このことが「実に興味深い事実」なのでしょうか?
晋の南退後=三角縁神獣鏡の時代という一解釈に
興味深いと感じる人は多いのではないでしょうか?
>>966 >後出と断定した根拠をきかせてほしいんだ。
それほど難しいことではないので自分で考えれば?
分からなければそれでよし。
>>967 つまり、根拠なしですね。よくわかりました。
>>967 > 位至三公鏡が出土しているというその畿内の古墳をよく見るべきだと思います。
> それらが同列に扱えるかどうかこそ『最低限これくらいは共通認識』にすべきでは?
> (それに位至三公鏡は魏代でなく魏晋代です)
失礼、あなたは
>>955とは別の方なのですね。
>邪馬台国の頃に中国で位至三公鏡が流行していたのは事実。
>それが大量に日本に来たのも事実。その分布が北部九州中心というのも事実
この主張に同意されているようなので、「魏代」に「大量」に輸入され「北部九州」に分布
しているというほどのことはないと申し上げたまで。
古墳期以降の遺跡からの出土例を除いてしまうと九州でも4〜5枚程度ですからね。
邪馬台国の会が喧伝するほど影響力のある鏡ではありません。
また、「三角縁の時代」については、私も考え方を述べさせていただきましたが、
既に決着のついた問題です。
相手方が主張を取り下げたことに対して、一方通行的に邪馬台国問題と絡めて取り上げる
「邪馬台国の会」の手法は、いかがなものでしょうか?
>>969 >相手方が主張を取り下げたことに対して
誰が何を取り下げたのですか?
971 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:35:03
>>970 確かに。取り下げていないから、スプリング8とかやっちゃう。
白石は、最近の本でも紀年鏡はその時期に製造と言い切っちゃってるよ。
ただ、位至三公鏡の九州出土もそれが古墳時代かどうかを言い出すと水掛け論。
しかし、位至三公鏡は三角縁や画文帯と共伴しているかどうかはポイントになる。
あと、他の魏晋鏡の出土状況を含めると、北部九州が圧倒的優位。この点は?
しかも、ヤマト発祥の地の奈良からは、畿内のほかの地域と比べても少なすぎると
いう点からも中国の同時代の鏡の出土では、畿内説は圧倒的に不利。
>>970-971 それは、樋口さんだけのことでしょう。
岡村さんや福永さんは「舶載」説ではありますが、
それと邪馬台国論議を絡めた発言はしていないようです。
三角縁自体は3世紀の九州からの出土例もありますが、
基本的には4世紀の畿内王権発展期にその役割を果たした鏡と
言う認識に異議を唱える方は少ないと思います。
973 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 07:18:01
> 古墳期以降の遺跡からの出土例を除いてしまうと九州でも4〜5枚程度ですからね。
データの見方に問題あると思います。
畿内出土のものが同列に扱えないという僕の発言を元にそのように区切って、
4〜5枚と言われるのならばそれは勘違いされています。
畿内出土のものが同列に扱えないと言ったのは、弥生・古墳の微妙な時期と
それから100年以上隔てた古墳時代中期とでは事情が異なるという意味です。
弥生時代終末と古墳時代中期とをごっちゃにするのは問題ですが、
弥生時代と古墳時代の微妙な時期にも関わらず、
これを分断してしまうというのも問題があると思います。
>また、「三角縁の時代」については、私も考え方を述べさせていただきましたが、
>既に決着のついた問題です。
そう考えていること自体が問題です。
逆の意味でほぼ決着してると思うけどね。
975 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:29:39
劇論?隙論?化気論?
>>973 >弥生時代と古墳時代の微妙な時期にも関わらず、
>これを分断してしまうというのも問題があると思います。
古墳時代に入ると、畿内>北部九州になってしまうのだが、
それでも微妙なのか?
古墳時代以降は、北部九州も畿内の影響下だろ。
あと、庄内開始を4世紀とするなら(3世紀末でもいいが)、
卑弥呼遣使の239年とも開きが出てしまうが、それもいいのか?
>古墳期以降の遺跡からの出土例を除いてしまうと九州でも4〜5枚
>程度ですからね。
>あと、庄内開始を4世紀とするなら(3世紀末でもいいが)、
>卑弥呼遣使の239年とも開きが出てしまうが、それもいいのか?
確かに、卑弥呼や台与の時代に4〜5枚は具合が悪いよな。
>>898 >ホケノを280年以降と僕は考えています。(もちろん一つの可能性として)
>ただ、そこからホケノは330〜340年頃とまでは僕は考えていません。
266年に晋に遣使したのは台与だろうし、邪馬台国が九州にあったと
考えれば、庄内開始(邪馬台国東遷)はそれ以降となる。
だからホケノは280年頃が妥当。
画文帯は呉の影響を受けており、呉滅亡以前に倭国に輸入されることは
なかった。だから、少なくとも、ホケノは280年以降と考えるべき。
979 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:51:34
>古墳時代に入ると、畿内>北部九州になってしまうのだが、
>それでも微妙なのか?
弥生末期に九州で出土する位至三公鏡と
古墳初期に九州で出土する位至三公鏡とは
連続していると考えるのが普通ではないでしょうか?
仮に古墳初期に畿内で出土していたとしても僕なら連続している可能性を考えます。
そもそも位至三公鏡の流入時期は日本の勢力関係で決まるものですか?
勢力関係で分布範囲に影響があっても、
流入時期にまで直結させられるかどうかはもう少し説明が必要に思えます。
もちろん、弥生末期と古墳初期とで位至三公鏡の出土を分けて考えることが
できるのならば、僕は分析がより深められるといった点で賛成しますけど。
寧ろ、今は貴方がそれらを別物に扱えると考えた理由を聞かせて欲しい。
それとも言葉尻だけをとった曲解に基づく発言ですか?
>あと、庄内開始を4世紀とするなら(3世紀末でもいいが)、
>卑弥呼遣使の239年とも開きが出てしまうが、それもいいのか?
逆に『卑弥呼遣使=庄内開始』でないといけない理由って何ですか?
少なくとも僕は『卑弥呼遣使=庄内開始』とは考えていないので、
そんなことは僕に聞くべきではないと思います。
>確かに、卑弥呼や台与の時代に4〜5枚は具合が悪いよな。
あのデータを見てそう理解したのなら、
>>977はデータを読み取る力を
まず磨くべきだと考えます。
980 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:55:50
>>972 >>三角縁自体は3世紀の九州からの出土例もありますが、
詳しく。ソースがあればだけど。
更に言えば、歴史上即位年が信頼出来る最初の天皇・用明の即位が586年。
古代天皇の平均在位が10年だから、35代前の天照大神が236年頃となる。
卑弥呼=天照大神であった訳だ。
で、30代前の神武が280〜290年頃の即位で、邪馬台国を畿内に東遷させる。
こういったことから考えても、庄内開始が280年より繰り上がることは
考えられない。
>>980
那珂八幡じゃねえの? まあ、庄内開始を4世紀に見るという特殊な考えなら、
当てはまらないだろけど。
>>978>>981
庄内開始が3世紀末以降って、この程度の根拠しかねえんだよな。
本当にどうかしてる。
>>979 >>確かに、卑弥呼や台与の時代に4〜5枚は具合が悪いよな。
>あのデータを見てそう理解したのなら、
>>977はデータを読み取る力を
>まず磨くべきだと考えます。
古墳時代開始をどう考えているのかしらないけど(3世紀末か4世紀?)、
あなたの言う魏晋の鏡が、卑弥呼〜台与時代にに4〜5枚しか出土しない
というのは問題アリじゃないでしょうかね。
古墳初期には、畿内>北部九州の力関係が決定している。
古墳初期以降、位至三公鏡が北部九州から多く出土しようが、
庄内〜布留で画文帯・三角縁が畿内中心に出土している以上、
余り意味が無い考察だと思えるが。
986 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:38:09
>>984 どう見たら、位至三公鏡が4〜5枚しか出土しないにように見えるのか。
結局、
>>984のような輩はスレの最後までデタラメな発言に終始したな。
でも、
>>984のような輩が無視したり曲解したりした九州説側の発言は
一考に値するものもあり、それなりに筋が通っていて面白かった。
>>986 >どう見たら、位至三公鏡が4〜5枚しか出土しないにように見えるのか。
君は一体どこを見てるの?
弥生遺跡からの位至三公鏡の出土は4〜5枚程度じゃねえのか?
で、庄内開始が4世紀の人は、卑弥呼の時代は弥生後期だと言ってるわけだし。
>>973 >邪馬台国の頃に中国で位至三公鏡が流行していたのは事実。
>それが大量に日本に来たのも事実。その分布が北部九州中心というのも事実
再度確認しますが、あなたは上の主張に同意しているのですか?
私は同意しかねます。
弥生終末期から古墳期までの間に散発的に20数枚が出土するだけの鏡を
評価する言葉としては不適切だと思います。
991 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:54:00
>>990 たしかに誇張はあるね。
けど、その分布が畿内中心ではないことは確か。しかも、4、5枚というのは、
北部九州の出土を古墳時代として間引いた数字だね。
あと、同時代の魏晋鏡全般を見ると、分布は北部九州中心である。
この点からも、三角縁や画文帯は時代がズレているのは、明白。
最も重要なのは、奈良での出土が極端に少ないこと。これは鉄器でも同じ。
要するに、奈良の開発は邪馬台国以後、マキムクなんかは270年以後。
俺は280〜300年頃から開発された地域と考えている。
992 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 10:58:17
>>973で発言した者です
>再度確認しますが、あなたは上の主張に同意しているのですか?
位至三公鏡が魏晋代に北で流行していたという点には同意します。
日本でのその分布が北部九州中心という点にも同意します。
ただ、それが甚だ大量と言えるかについては、
大量という言葉は個人の尺度の問題でもあるので、特に僕は同意しません。
あくまでも無視できない数という認識です。
こういった事実に目をそむけて、事実を積み上げることを避けていては、
研究は進まないだろうと僕は考えています。
出土している数が20数枚程度しかないのなら、
実際に流入した数は百枚程度と見るべきかも知れません。
なので、
>>971の言うように位至三公鏡以外の魏晋鏡についても考えるべきだと思います。
ただ、この中でも位至三公鏡は分かりやすい鏡なので僕自身はこれに興味があります。
その他の魏晋鏡と言うけど、位至三公鏡みたいな二級品は民間の交流でもたらされた可能性が高く、
そのようなものが地理的に近い九州で多く出土するのは当り前の事。
問題は、国家間と言う政治的なつながりが確認できるようなものでなければ意味がない。
いくら数があってもその一帯の首長墓と見なされる墓から出土しないとしょうがないな。
994 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:51:52
考古学の人達は想像好きだね
995 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:57:15
>>954でも位至三公鏡は二級品といった発言がありましたが、
そこで述べられていた根拠も曖昧なものでした。
>日本でも末は博士か大臣かとなどと、(少なくとも昔は)大臣と言うのは羨望の対象であったわけだけど、
>それは当然の事ながら、下々の者が抱く感情。
>三公以上、あるいはそれに近い地位のものがもらってうれしい鏡ではないわな。
位至三公の文字から二級品とするのならば、三角縁神獣鏡も同列なのに、
なぜ、このような発言がまかり通るのかが不思議でした。
>実物も小型の二級品だし。
銅鏡のサイズで一級品、二級品を決めてしまうのもちょっと短絡的に思えました。
国産鏡より舶来鏡を貴重に考えていた可能性だってなきにしもあらずですから、
もう少し慎重に論じられるべきだと思います。
>>993のような屁理屈で、事実から目をそむけても意味はないと思います。
二級品の根拠が曖昧ですし、国家間と言う政治的なつながり?といった表現も抽象的です。
ある時期までは主に九州で流通する理由が地理的に近いというのも説明不足です。
その鏡が首長墓に埋葬されるかどうかは葬送儀礼的な問題であって、
その鏡が軽んじられたり、無視したりしても良いといった理由にはなりません。
>>993のような屁理屈を並べても、位至三公鏡の存在がこの世から消えるわけではありません。
畿内説を唱えるにしろ、九州説を唱えるにしろ、
もっともらしい見解を模索すべきだと考えます。
それでなければ話が進みません。
996 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:06:38
そもそも怪しい
次スレマダー?
>>995 根拠も何も、実物を見れば明らかだよ。
それ以上の根拠はいらないだろ。考古学は物に即して歴史を語る学問だ。
まっとうな推論を屁理屈としかいえないようではしょうがないな。
>>991 >あと、同時代の魏晋鏡全般を見ると、分布は北部九州中心である。
>この点からも、三角縁や画文帯は時代がズレているのは、明白。
>最も重要なのは、奈良での出土が極端に少ないこと。これは鉄器でも同じ。
だから、なぜそれが、マキムクが270年以降の根拠となるのか?
そう思いたいだけじゃない?
「三角縁や画文帯は時代がズレている」の根拠も意味も分からない。
位至三公鏡が北部九州から多いことが、なぜそんな結論になり得るのか?
そもそも、位至三公鏡が卑弥呼の鏡と思い込んでるのもイタイ。
1000 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 20:10:41
うんこ
1001 :
1001:
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