江戸時代の農民は本当に悲惨だったのか?

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952日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:05:14
米はそんなに重要か?確かに麻薬的においしいけどさ。
当時は栄養価の高い麦や大麻で作るパン、つか、おやきがあったんだから
栄養的には十分なんじゃねか?
953日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:11:59
>>950
明かりもないのに編み物が出来るか。
できたとしても近眼になってしまう。
明るいうちは活動して夜暗くなれば寝て体を休めればいい。
つーか、日の長い時は朝の4時すぎくらいから明るいから、
わざわざ夜起きてる必要はない。
954日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:18:26
まあ、暗いところで作れるのは子供だけだべ
955日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:18:27
>>951
だから、それを否定する説が有力になってるんだろうが。

日本の石高が三千万石で人口もだいたい三千万人。
当時の日本の人口の90%以上を占めていた農民が
ほとんど米を食わなかったという事は計算的にありえない。
金ならば一人で常人の何百倍でも何万倍でも消費する事は可能だが、
米を常人の何倍も何十倍も消費する事は無理。

「米を酒や米菓子に使っていただろう」という意見もあるが
それも無視できるほど微々たるもの。
しかも米の輸出も禁止されていた。

という事は結論から言って百勝も米は食ってたわけだ。
ただし、お粥とか雑穀や芋などの混ぜ物などの量増やしは一般的だったろうし、
よほどの貧農は確かに米を食えてなかった可能性はあるが。
956日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:25:22
ただし農民たちが米を食うために出稼ぎや副業などの努力をして、
納めた米を何倍もの労力を使って再び手に入れるなどの苦労はあったらしい。

もっとも杉浦日向子の言うとおり、
当時の江戸などの都会は理想郷のようなとこで、
町人たちの仕事は雨風の日は休みになり、
仕事も三時くらいで終わりとかなり軽かった。
農民たちの出稼ぎも楽々なものであったろう。
むしろ江戸や都会までたどり着くほうが苦労しただろうね。
957日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:28:37
三千万石がまるまる米になってたわけじゃないんだけど…
958日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:30:47
町人って地所持って何もしないでそれで暮らしている人の事だろ
長屋住まいの人はどういう身分の人なんだろう?
どっかの本に犬や猫と同じ身分っだって書いてあったけど
959日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:34:26
>>957
そうだけどさ。それでも一千万石以下とか異様に米の生産量が少なかったとも考えられない。
少なくとも中級の百姓くらいまでは米を食ってただろう。

それと参考までに仙台藩では
百姓や職人に一切の勝手な売り買いを禁止して、
余剰の物資は全て藩に売るように義務づけていたが、
百姓に対して
「年貢として納めた分と自分たちが食す分以外の余剰米は全て売却せよ」
と触れを出している。
つまり、百姓が米を食う事自体は認めているわけだ。
960日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:36:08
幕府の規定

一人扶持(男一年分)=米二石
961日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:38:45
例えば松前藩は米はとれないけど十万石あった。
そもそも、米以外の農産物も必要だから、畑も必要。
三千万石が全部米になったと考えるから、計算が合わなくなる。
962日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:40:02
>>961
松前藩はやや例外。
それとあそこは表向きは無高だった筈だが?
963日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:42:29
>>960
扶持と一年間で食う量は必ずしも同じではないような・・・
家族も食わせなくてはいけないし。
964日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:44:44
ま、確かに農民は一般的に米が食えなかったというのは、俺も怪しいと思う。
要するに、ここでいう米というのは白米を食べなかったという意味では?
965日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:55:26
>>963
おかずも入ってるよ

独り者で
若党(=侍) 四両一人扶持(一日五合)とか
お末(=女中) 二両一人扶持(一日三合)とか
966日本@名無史さん:2006/04/26(水) 20:19:25
結局当時、米がどの位作られていたわからん事には、結論はだせないけど、
明治時代の農民も米が主食じゃなかったから、江戸時代の農民も主食にしていた
しは考えられんな。
967日本@名無史さん:2006/04/26(水) 20:24:11
>>966
農民といってもいろいろ居るんだけどな。
少なくとも富農や天領の農民は米食ってただろ。
968日本@名無史さん:2006/04/26(水) 20:39:33
誤解している奴がいるかもしれないが、百姓は自分で食うために米を作ったわけじゃ
ない。米は収穫量に対して非常に手間がかかる。それでも米が必要とされたのは
保存性がよく、流通に便利で飢饉の備えにもなるからだ。
自分で食うためには手間がかからない作物がよい。雑穀とかいもとか。
969日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:09:53
>>968
補足だが、単位面積あたりの収量は米は多い。ただしかなりの労働力を
投入しなければならない。そうするくらいなら、粗放的に作れるいもや雑穀のほ
うが農民自身の食料に向く。
970日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:24:15
投機対象でもあったから作らされてたんじゃないの
971日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:34:20
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-58.htm
米は日本人の主食ではない
(2)第2次世界大戦後説
 第2次世界大戦以前は、麦・ひえ・あわなどの雑穀に、米2〜3割をまぜたごはんを食べてい
た。その他、そば・いも・とうもろこし・大根・豆類などを主な食糧にしていたのである。
さらに、戦争で食料が足りなくなり、戦後の混乱期には深刻な食糧不足となった。ようやく
1960年代に干拓事業で米の増産が成功して米が大量生産できるようになった頃には、パン食の
普及などによって、主食としての米の地位が低下し、米余り現象が始まっていた。つまり、米
が主食であったのは存外に短く、戦後の混乱期を過ぎた頃から最近までの数十年に過ぎないの
である。
972日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:41:48
1)弥生時代説
 縄文時代の終わり頃、日本に稲作が伝わった。弥生時代には、
全国に広がり、各地に稲作を中心とした村ができ、国家が形成された。
それ以後、日本人は稲作を生活の基盤としてきた。日本の歴史は、米の歴史なのである。
973日本@名無史さん:2006/04/27(木) 07:43:07
つーか、年貢の米は食べるためだけに徴収してる訳じゃないだろ?
スレの前半見てないからもう言われてるかも知れないけど。
974日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:42:32
>>972
無論>>971の著者は(1)ではないと言っているわけだ。
975日本@名無史さん:2006/04/27(木) 15:49:41
餓死者の話がしたいに
976日本@名無史さん:2006/04/28(金) 10:51:29
年貢で納められた米のうち
支給されたり貯蔵されたりして結局換金されるわけだが
だったらとっとと銭納にすればよかったのに
そっちのが安定してたんでないかと思うんだがな
977日本@名無史さん:2006/04/28(金) 11:14:20
銭納じゃ何作るかわからんぞな
978日本@名無史さん:2006/04/28(金) 19:25:13
結論。

農民は悲惨ではなかった。とはいえないかもしれない。
979日本@名無史さん:2006/04/28(金) 21:44:47
>農民は悲惨ではなかった。
アンチテーゼとして言われてる面もあるだろうからな
そうゆうの珍しい事ではないが
980日本@名無史さん:2006/04/28(金) 21:56:53
総論。

悲惨の定義も対照群も背景データも杜撰なままで
議論した気になっていたらアホだ。

結論出すなら、せめて同時代の世界十数カ国の農民や、
日本では弥生時代から現代までの各時代の農民と
比較してからにしてくれ。

江戸時代の情報だけで決めようなんて、井の中の蛙過ぎる。
981日本@名無史さん:2006/04/28(金) 22:31:52
地方、地域差があるけど、平均すれば現代北朝鮮よりは断然幸福
現代中国の農民よりもマシってことで。
982日本@名無史さん:2006/04/28(金) 22:39:10
>>981
現代中国の農民って、
嫌中派の俺でさえ同情を惜しまないような生活レベルだぞ・・・。
983日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:30:18
>>982
それでも媚中派には平等で経済発展の著しい未来の希望溢れる地上の楽園として紹介されてますが何か?
984日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:53:13
江戸時代いいだろう〜、今のニートに。義務なくて!ただ
餓死するけど!!
985日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:57:45
幕府内城下だけウホもの


貧乏人は死ぬ。
986日本@名無史さん:2006/04/29(土) 04:32:44
自由即死
987日本@名無史さん:2006/04/30(日) 04:22:47
>>983
そんなこといってる奴がいる確率なんて、実際そうである確率程度だろw

988日本@名無史さん:2006/04/30(日) 18:46:17
意味不明
989日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:46:32
実際今の化学肥料や耕運機使った農法で江戸時代並の生活したら日本の国土で何人食えるのだろう
990日本@名無史さん:2006/04/30(日) 23:28:08
江戸時代を通じて、石高が3倍になってっからね。
悲惨というには明るすぎる時代だな。

それに、江戸時代末期の農民層全体の教養水準はかなり高い。
明治維新は、これらの内の上層の富農階層が起こしたと言っても
過言でないだろうし、その後の工業化もそれなくしては達成でき
たはずがない。教養が高い「悲惨な階級」ってのは変だ。
991日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:17:13
渋沢栄一みたいに幕末の動乱をくぐり抜けた末に日本随一のインテリとして活躍した農民もゴロゴロいたからね。
日本以外の国では平民の識字率が低すぎて考えられない現象だよ。
992日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:33:09
渋沢は中国では科挙を受験するような富裕層しか知らない論語について解説書を著し、
その傍ら西洋で金融を学んで日本初の銀行を経営するんだもんな。

農民が明日の食い物にも困るほど悲惨な生活をしていたら、
こういう知識人は出ない。
993日本@名無史さん:2006/05/01(月) 03:51:27
平民の女が数学やってるような国は当時、日本くらいだったろう
994日本@名無史さん:2006/05/01(月) 03:59:14
>>991-992
渋沢家のような豪農を農民と言えるかどうか甚だ疑問。
995日本@名無史さん:2006/05/01(月) 07:11:12
幕府の出すお触れ書きの看板が読める農民がいたのは日本ぐらいだな
996日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:06:18
教養の高さを認められて武士身分に取り立てられる豪農がゴロゴロ居た時点で
「農民は悲惨だ」という時代ではない。
997日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:17:04
>>993
漢詩や論語もね。今の時代の子より教養は遥かに高い
998日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:56:59
中国の高官はほぼ全員が数学を始め理系学問に無知だしな。
999日本@名無史さん:2006/05/01(月) 09:00:33
ペリーは日本の庶民の教養が高いのを知って植民地化を諦めたとか何とか
眉唾モンだけど
1000日本@名無史さん:2006/05/01(月) 09:03:36
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