1 :
日本@名無史さん:
江戸時代の農民の生活が悲惨であったということが
一般常識として、何の疑いもかけられず現代まで生き続けている。
武士から抑圧され、死なない程度に生かされていたと
それは果たして真実であるのか。
はたまた明治政府による、周到な封建社会の否定要素として使用された
ある種のプロバカンダの名残りであるのか。
一年のあいだ、人がひとり食べていけるだけの米というのは、
およそ一俵(60kg)である。個人差はあると思うが、それが基準である。
江戸時代の総人口は、だいたい3千万人ぐらいであるが、
全体の7%に過ぎない武士は、そのうちで、200万人くらいであり
のこりの87%にものぼる農民層は2600万人にもなる。
また総石高もだいたい3千万石(1石は2.5俵)である。
では、その二百万人の武家社会へ、農民たちが年貢である石高の半分、
すなわち千五百万石もの米を納めていたとすれば
そ ん な 量 の 米 を 武 士 達 だ け で 食 べ れ る の か??
思いだしてほしい。年間ひとりあたり食べれる米はおよそ1俵である。
江戸時代というのは、当然ながら鎖国しており、徴収した米を輸出する先もない。
つまり、この税制が本当にこのままであったならばおかしいのである。
米は農民たちから取り上げられるも、それを食べる者はいないし、
それが商人や町人たちに流れても、たかが知れており、輸入先もない。
しかも、これは米だけのはなしであって、
農民たちは米だけをつくっているわけでもないだろう。
米がもし百歩ゆずって半分ほど徴収されていたとしても、
そこまで悲惨な生活をしなければならなかったとは思えない。
>>1 北から南へと長い国家で米本位政に無理が生じるのは当然。
一番悲惨なのは戦後の農家。どんだけ米作っても作っても
ほとんど供出に持ってかれ、ひもじい生活が十数年続いた。
5 :
1:2006/04/05(水) 03:39:04
>>4 もちろん百姓の中には漁民などもふくまれるが
多くは半農だった。
税金は米でおさめていたというのは変わりない。魚じゃ腐るしな。
7 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 03:47:28
8 :
1:2006/04/05(水) 03:49:35
どこがおかしいのか、もったいぶらずに書いて欲しいものだな。
9 :
1:2006/04/05(水) 03:51:40
自己解決しました。
おやすみなさい。
魚民が米で収めるったってなあ。
11 :
1:2006/04/05(水) 03:55:44
漁村のちかくで米をつくったり、魚で買ったりして納めてたんだろ?
12 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 04:00:07
稲作できない蝦夷松前藩。
14 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 04:07:09
>>1 俺も詳しくは無いけど、農家でも商品作物を作る人達も結構多い。
多くの場合は藩の方針。他にも商人と結びついて行ってる。
金銭の農民への浸透などはこの商人との結びつきが原因ではと言われている。
農民の範囲が俺にはわからないのだけど、漁民以外にも蚕を飼って生糸を生産したり、
織物をしていたり、作った蝋や漆をある程度まで加工したりなども行ってたようだよ。
15 :
1:2006/04/05(水) 04:08:05
松前藩の役目は、アイヌと通商をおこなう橋渡しのような機関だ。
そんな例外ひとつもってきても反論にはならない
16 :
1:2006/04/05(水) 04:13:47
>>14 そりゃそうだろうな。
木地師や猟師や、ほかにも一次産業に従事する人間は百姓になる。
だから、2600万人のすべてが米をつくっていたわけではないが
それでも3000石高(必ずしもこれだけの米が穫れるというわけでもないが)
を有する日本において、その半分を税として納めるというのは、おかしくないだろうか。
米本位といっても金に換算するのだよ。
18 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 04:34:15
19 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 08:10:12
いや足りないくらいだ! 現在の米生産能力と当時は違う、あてにならない石高など信用してはならない、
20 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 08:16:14
当時の稲は冷害、水害に弱く洪水に対する設備も整ってなかったからな。
天災によって全ての苦労が水の泡。なんてのもあったと思う。
21 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 08:28:56
総人口の一割程度に過ぎない武士階級だけで年貢米を食い尽くす事は有り得ないという着眼点は正しい。
武士は年貢として得た米を商人に売って換金し、米屋が客に売って消費されていた。
22 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 08:31:09
信長と秀吉は自由資本家。家康は農本主義を基本に信長と秀吉の
経済感覚のおいしいところを取り入れてる感じ。
尾張の商いの発達した地域と三河の古風な武士体質では経済感覚が
異人種といってもいいのでは?
23 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 10:00:53
文化じゃなく人種が違うのかよw
24 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 10:11:48
有名な検地をされたお方が自由資本主義だったとは初耳だ
25 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 17:06:44
>>1 井沢元彦の本に同じような事書いてあったような気がする
農民は労働がきついものの、それなりの暮らし
悲惨なのは平均寿命40才以下の都市住人。
農民の平均寿命が60才以上だから、どうしようもなく酷い暮らし
そもそも余った農村人口が都市行きするのだから、仕方ないっちゃ仕方ないけど。
平均寿命は幼児の死亡率が高いからであって、そんなに早死にでもないよ?
28 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:51:15
機械化した農業なら悲惨じゃないけど、機械化する前の農業なんか…
スポーツ選手の次にカロリー使う仕事だぞ。スポーツ選手なんて長年続けられないだろ?
今日がんばった工藤投手みたいなコト皆できるわけもなし。
29 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:10:33
むかしの人は体力あったし
腰が…腰が…
31 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:26:06
>>28 当時はどの産業であれ、世界中のどの国であれ、
労働は厳しかっただろ。
日本の農民だけが特につらい労働を強いられて
いたわけではない。
32 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:29:43
田植えと稲刈り以外暇だろう?
普段は雑草引き以外に何かやる事あるのか?
33 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:30:59
体力をいまの感覚で語るなよ。
34 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:33:37
>>32 有機農業の稲作だと、夏以降の草取りが一番大変。
田植えや稲刈りより大変。
刈りとったららすぐ商品になる訳じゃないしな
36 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:03:08
刈り取ったら、今は乾燥・脱穀すべて機械化されているが、昔ながらの農法だと
乾燥も脱穀も結構な体力を必要とする。乾燥の工程は一つ一つの稲のたばを
棒にかけて洗濯物のように干す。これを天気を見ながら数度裏返して乾燥を進める。
通常この工程は雪がふっても行われる。
春は田の土を全て掘り返し、地中に空気を入れる。さらに、家庭のトイレから糞尿
を樽に入れて田に運び、ばらまく。また、秋にためておいた草やわらを発酵させた
ものを運び、ばらまく。
田に水を入れて地面をならし…
思いつくまま書いたが、どの行程もかなりの重労働だよ。
37 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:14:45
網野善彦によれば、俺らがイメージする農業をやってたのは江戸時代でも
人口の半分程度ってことだよな。
百姓というのは文字通りいろいろな(職業の)人々という意味だそうで。
38 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:19:48
幕府領なんて年貢米2割だろ 税金高くないよ
39 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:21:22
明治時代の方が税金高い 一揆も増えてる
40 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:27:45
>>38 米についてだけの課税で、裏作作物などについては、
お上はほとんど把握していなかったから、自作農は
経済的には豊だったらしい。
41 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:30:03
華奢な武士よっか
自然に鍛えられた農民のクワを持つ手に、刀にさし変えたら強いに決まってる!
42 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:38:56
農業が体力必要だったのは事実だが、他の職業も体力必要だったわけで差は少ない。
43 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:59:21
>>41 鍛えるというか…40過ぎてもプロ野球選手並の運動量を連続して行えば、体を壊すのは
当たり前というか…。
>>38 チョン半島なんかを併合したからだろうな。
勝手に餓えさせておけば良かったのに・・・
45 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 00:25:29
>>1 >>14の言ってる内容理解できてないだろw
米が全ての基準じゃないってこと。米基準なのは武士だけ
また、農民は余剰作物とか作れる余裕があったということでもあるだろうに・・・
商品作物については地域差もあるが、それを利用して豪農化してるところも多い。
答えてくれてるんだから、もっと背景とか考えて答えなよw
あなたが言ってることから当たり前にわかってるだろうのことをわざわざ書かないんだからw
46 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:44:38
[コラム] 江戸農村の窒素循環から考えるニートの役割について
江戸時代、日本最大の産業は稲作だった。初めて全国の人口調査を行ったのが8代将軍吉宗の時代、
1726年の事で、この時の人口が名目上約2650万人、実際の人口が約3000万人くらいだと推測されている。
このうち約1400万人が稲作に従事していたというから、如何に農家が多かったかがわかる。
江戸の町の人口は約100万人。そこからの人間の排泄物の量たるやものすごいのである。
人間の排泄物量は少なめに見積もって年間600L、100万人では60万キロリットルだから、
一日では1500キロリットル、10トントラック150台分という膨大な量である。
江戸の町周辺ではこの下肥を農家が全量引き取り、それを田畑へ戻し、
下肥の引き換えに野菜等の作物を渡していた。
日本は農業が循環構造になっていたため、
江戸や大阪のような大都会でも空気や水などの環境がほとんど汚れなかった。
水をきれいに保つという点でも江戸では徹底しており、洗濯や風呂の水をも畑へ戻すほどである。
2003年の統計によるとニートと思われる人間は約52万人、江戸の町の半分である。
こうして考えるとすごい数で、
江戸の町に住む人間の半分が毎日うだうだして2chなんぞやっていたら確実に街は崩壊である。
そんな、働いたら負けだと思っているニートでもものを食べればうんこもするわけで、
ここにニートが自らを食わせるヒントが隠されている。
47 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:45:19
江戸の時代には肥料らしい肥料といえば干鰯、油粕、下肥くらいしかなく、
特に大都市周辺で安定して供給される下肥は農家にとってはありがたい存在だった。
うんこと作物を交換するときには、うんこと穀物・野菜は同量か、
もしくはうんこの方が少ないくらいで交換されていたと思われる。
仮に、現在に生きるニートが自らのうんこと交換に野菜を手に入れるとどうなるか。
50万人のニートから排泄される下肥が一日10トントラックで75台、
ちょっと多く野菜を交換でもらうとして10トントラック100台分もの野菜を一日あたり手に入れられる。
つまり、一日一人当たり2キログラムは野菜を食べられる。
これはすごい! 一日に2キログラムも野菜を食べている人なんていない。
すごい健康生活がおくれそうである。ニートであっても何にもしなくて食べてゆけるのである。
ここからわかった結論としては、ニートは働かなくても食べてゆける、
ニートは農村と都市を結ぶ窒素循環の輪の中に組み込まれている、
ニートは生きているだけで価値がある、というものだ。
この、「ニート循環論」が政府によって本格的に検討されるまでにはあと5年はかかるだろう。
>1
食べる以外に
米から酒が出来るってのは忘れてないか
49 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:28:14
おまいら農作業には牛を使うということもちょっとは考慮してくださいね
「生かさぬように殺さぬように」って言葉があってな。
この言葉を根拠に江戸の農民の暮らしは地獄だったという人もいるぐらいだ。
そういう人は、中世の食糧事情の上で「殺さず」がどれほど難しいかを知らない人だ。
>>49 江戸時代の、少なくとも中期以降の農村では農耕に牛馬を用いることは
かなり稀でした。
江戸時代も初期までは農耕用の牛馬(主に牛)は結構多用されていたのですが、
時代が進むにつれて頭数がどんどん減少していき、幕末あたりでは1つの村に
精々数頭程度という状態、大きな平野の水田地帯では農耕牛馬はほとんどいない
という状態でした。
ヨーロッパなどでは、産業革命までは時代とともに増加していたのですが、
日本では全く逆で、近世を通じて動力家畜はどんどん減少していきました。
原因ははっきりしないのですが、考えられるのは新農地の開拓で農耕用の牛馬の
ための牧草地の維持が困難になった。牛馬に食わせる牧草地を確保しておく
くらいなら、水田や換金作物を作った方がコストパフォーマンスがよかった
からだと言われています。
また、畳の一般化や、陶磁器の流通拡大により輸送時の緩衝材/梱包材として
稲藁を大量消費するため、従来は牛馬の飼料になっていた稲藁のほとんどが
消費し尽くされてしまったという事情もあるようです。
農家としては、藁を牛馬に食わせて農耕に使役するより、農耕は人手で行なって
藁は商人にうって換金する方がいいと考えたのでしょう。
ヨーロッパの場合、小麦の連作障害を防がなければならなかったので、
必然的に休耕地(=牧草地)が出現していたのですが、幸か不幸か水稲には
連作障害がなかったので、牧草地が出現する余地がありませんでした。
>>46 いや、俺は江戸時代にもニートは結構いたと思うな。
いわゆる「部屋住み」と呼ばれる人達。
武家の次男以下の男子のほとんどは、養子の口もなく役もなく、
石潰しのまま一生を終える人も多かったと聞きます。
54 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 11:05:19
江戸初期にはニート(旗本の次男三男など)が歌舞伎者として活躍されていたと教科書に載ってたよね
55 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 11:29:26
悲惨なのは穢多、非人の農民
極めて単純に言えば換金するタイミングが現代と違うだけだわな
納税する前に換金して金で納めるのが現代、物納されたものを藩が換金するのが江戸時代
>>56 藩が換金するだけじゃなく、物納された税をそのまま公務員の賃金として物で支払い、
公務員が自分で換金してたからね。
>>51 俺もそう思う。
現代の常識で当時を図ろうとするからそういう勘違いをする
59 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 12:47:18
あれ?武士って米現物支給だっけ?
米は幕府や藩の蔵に入って武士には現金支給だと思ってたんだが
>>59 江戸時代初期:扶持米を現物支給。
幕府や藩の米蔵に実際に荷車を引いて扶持米を受け取りに行っていた。
1650年代以降:実物米の受け取りは札差(ふださし)が代行。
武家は札差から現金を受け取る。
でも、藩や幕府としては、あくまで現物支給。
61 :
60:2006/04/06(木) 13:11:02
現物と書いたけど、お役人が実際に藩から手渡されるのは「蔵米受取手形」
通称「米切手」という札ね。
米切手持って米蔵に行って蔵米を受け取る。
だから、支給日には蔵米受け取りの大行列ができてたらしい。
下級武士になると蔵の前で数日間泊りがけ。
そういう米受け取り役が、自分の順番がくるまで順番待ちのために
寝泊りしたり暇をつぶすための休憩所として蔵の前に「札差」が店を出した。
当初は休憩所だった札差だが、そのうち『手数料をくれるなら私が代わりに
米を受け取っておきましょう』という店が現れ、次第に金融業化していった。
62 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 13:12:58
まさに先物の現受け状態だなw
>>27 5歳だか10歳だか忘れたけど、その年齢まで達した人口の
江戸や京都、名古屋、博多等の大都市における平均寿命は40以下だったそうな
ちなみに農村等の平均寿命は60超えていた。
農民は適正人数が暮らしていくだけなら
まともに働きさえすれば、別段どうってこともなかったらしいよ。
長男+αのみ受け継ぐから、それ以外の子供は大変だったけど
64 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 18:17:50
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/edo/menu.html <経済からみた江戸時代>
みなさん、江戸時代は暗黒時代だと思ってませんかー??
鎖国は実はキリシタンより経済的日本統一という意味もあったんですよ!
日本では変動相場制はなんと江戸時代からあったんです。
田沼意次、荻原重秀という評判の悪い二人は経済的には実は世界でもまれにみる天才でした。
江戸時代の農民は決して貧しくはないんですよ。
こんな感じで、今まではほとんどない経済の観点の江戸時代、これを今後書いていきたいと思います。
教科書は嘘ばっかりですよー。
1.信用が全くなかった室町幕府
2.戦国時代の経済
3.桃山時代の経済
4.鎖国の真実
5.徳川300年を支えた流通構造
6.江戸時代の貨幣制度
7.荻原重秀の貨幣政策
8.経済を理解できなかった新井白石
9.最初は理解できなかった徳川吉宗
10.ようやく理解した吉宗と、理解していた大岡越前
65 :
1:2006/04/06(木) 19:20:25
労働が厳しかったとかぬかすニートならではの意見もあるが、
そんなものは論外である。
要は、農民たちが、十分に米を食って生きていけたのか?ということだ。
人口を3000万人としよう。
そのうち、侍が200万人(7%)。
百姓が2600万人(農民(87%)
このうち
>>46の数字を借りて、1400万人が米を作っているとする。
石高は3000万石であるが、これは土地を検分して収穫可能な数字をとったものである。
敷地のなかに、屋敷がは建っていたりしたかもしれない。けれど隠田もあるはず。
そこで、実際の収穫量はこのうちの8割ほどであったと仮定する。
ということは、1400万人の百姓が、一年間に2400万石を生産するわけである。
そして、このうち五公五民であるから、1200万石が年貢でおさめなければならないことになる。
200万人の武士へ1200万石が渡り、これらはのこりの工商層である200万人へも渡るわけだ。
仮定としてこれは、1200万石を400万人で分け合うことになる。
66 :
1:2006/04/06(木) 19:22:33
そしてのこりの1200万石を、米百姓の1400万人と、
その他の百姓である1200万人が物々交換をとおしてわけあうことになる。
双方の流通もあるであろうが、ここでは無いと仮定する。
さて、生産された2400万石の米は、すべて食べるわけではない。
酒にもなり、翌年の米をうえるための種にもなり、備蓄米や流通する一定量もあるだろう。
酒や、種は差し引く必要があるが、備蓄米などはその必要はない。
なぜなら籾も保存に限界があるので、古いものも食べていかなければならないからである。
ではここでまた、1割差し引いて、2200万石ということにする。
農民も酒をつくるが、大量に生産はしないので、主に種としてであり、
侍層は酒として差し引いた。ともに1100万石づつになる。
では、一年に食べていけるだけの米を覚えているだろうか。一俵である。
一石は2.5俵である。
つまり2000万石の米は、5000万俵である。
この量で、最低は5000万人養うことができるのである
67 :
1:2006/04/06(木) 19:24:01
これを半分にして考えてみよう。
百姓2700万人のうち、これらの人々に流通していた米は2500万俵である。少し足りない。
では、侍はどうだったか。侍や商人を足した400万人で、2500万俵の米である。
計算では、百姓のほうで200万俵足りず、侍のほうで、2100万俵あまるということになる。
江戸時代は完全なリサイクル社会であるから、過剰な生産はないとおもうので最初の仮定生産量が多かったのかもしれない。
だがそれでも、異常なほどに武家商人層で、米が余っているのである。これをすべて酒にするのだろうか?不可能である。一年で呑みきれるわけがない。
当然これらは、農民層へ、物々交換として流通していったのではないかと思う。
結論としては、江戸時代は全人口が食べれるだけの米を生産する余地が十分にあったというこである。
そして、米があくまで食品であるため、一部の支配層へ過剰に集積されていくことは、理論上ありえない。
よって、百姓の生産する米以外の、蚕や麦や野菜、魚、木材、などと交換されて、百姓に行き渡るように流通していったんおではないのか。
ということで、江戸時代の農民が悲惨であるというのは、まったくの間違いである
68 :
1:2006/04/06(木) 19:27:32
>>66の訂正
そしてのこりの1200万石を、米百姓の1400万人と、
その他の百姓である1200万人が物々交換をとおしてわけあうことになる。
双方の流通もあるであろうが、ここでは無いと仮定する。
さて、生産された2400万石の米は、すべて食べるわけではない。
酒にもなり、翌年の米をうえるための種にもなり、備蓄米や流通する一定量もあるだろう。
酒や、種は差し引く必要があるが、備蓄米などはその必要はない。
なぜなら籾も保存に限界があるので、古いものも食べていかなければならないからである。
ではここでまた、いくらか差し引いて、2000万石ということにする。
農民も酒をつくるが、大量に生産はしないので、主に種としてであり、
侍層は酒として差し引いた。ともに1000万石づつになる。
では、一年に食べていけるだけの米を覚えているだろうか。一俵である。
一石は2.5俵である。
つまり2000万石の米は、5000万俵である。
この量で、最低は5000万人養うことができるのである
69 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 19:35:21
百姓が飢饉で死んでいっても余った米などは海に捨てていました
余ったから百姓が貰える事は絶対ありません
豊作の年も一定以上は焼き捨てて相場の下落を抑えます
70 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:18:16
江戸時代の農民の生活が悲惨かどうかの議論で、米に執着するのはどうかと思う。
江戸時代にも、米をほとんど食べない人も少なからずいただろうし。
問題なのは、米を食えない=貧しいという江戸時代の都市部的な価値観と、
それを近代以降の日本が引き継いだことにあるのではないかなあ。
71 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:26:32
おいおい。米の収量だけになんで執着するんだ?
労働の質に注目しろよ。女も老人も全て、プロ野球選手並のカロリー消費量の労働を
しないと「昔の農業」は成り立たないんだぞ。プロ野球選手って結構怪我で若くして引退
しているよね。歳をとって動けなくなったら、幾ら収量があっても悲惨だ。
72 :
1:2006/04/06(木) 20:28:10
というよりも、米に執着するあまり、東北では冷害になやまされていた。
二宮金次郎のいうように、雑穀を植えるほうが凶作も少ないのだが。
73 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:29:07
1人一年一石じゃなかったか?
1俵=400合÷365日=1.09合少なくない?
74 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:30:06
それは、江戸時代が小氷河期だったから。太陽黒点が観測されなく、太陽の活動が悪かったとする
説もある。夏にテムズ川が凍った。
75 :
1:2006/04/06(木) 20:30:51
>>71 労働の質って、おまえ今の感覚で言ってるだろ?
じゃ、現役の投手で、金田のように400勝もできるやつがいるのか?
日本シリーズを四連投して、すべて勝てるような投手がいるのか?
むかしはいたんだよ。
76 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:33:18
>>75 意味不明w
400勝とか4連勝は、今みたいに多くの優れた選手がプロに行くとか、今みたいに選手の
癖とかを綿密に研究しなかった…なんて要素がからんでいるんだろうけど…ね。
金田って五回途中から投げて勝利投手の権利を手に入れたら降板ってやってなかった?
78 :
1:2006/04/06(木) 20:43:54
>>76 で、そんな楽な今でもすぐに現役引退していく投手ってどうよ。
>>73 それもいろんな説がある。一日5合だとか、三合だとか。
だが、一年一俵というのは最低ラインでもあるし、江戸時代の人間は麦や芋や稗も食ってたから
その数字が妥当じゃない?
違うと思うんだったら、計算しなおしてくれ
79 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:45:34
まあ落ち着きたまえ
たしかうろ覚えで申し訳ないが江戸中期以降は米余りで
米価統制をいろいろと試していたはずだが
というのも、武士の俸禄は江戸初期のまま米の生産量が
増えてしまったため米の価値が下がってしまい
かなり武士の生活が困窮したからなわけだが
さらに藩体制だったため米の移動も自由ではなく
東北で飢饉が起こっているにも関わらず他地域では
豊作で米余りを起こしてしまい米価統制のため廃棄処分とか
にしてしまっている悲劇もあったはずだ
80 :
1:2006/04/06(木) 20:59:08
労働の質をいうものは、
まず農作業がプロ野球の投手並のカロリー消費であるというソースと
それから、比較のために、戦国時代の足軽とか
大工やきこりや、漁師や、そういった類のものとくらべて
農作業がもっとも過酷であるという根拠を示してほしい。
でないと、農民が悲惨であったとはいえない。
当時の常識的な労働基準であったかもわからない。
81 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:10:42
農作業を野球に例えてる奴がいるが
農作業にプロとかアマとかあるのか?
野球で現役引退するのは、プレーの質が落ちるからで、
決して野球自体ができなくなるという理由ではない。デブでも出来るスポーツだし。
老人になっても農作業ができるように、野球のOBたちも野球やってるだろ。
馬鹿じゃね?
確かにバカだな
とはいえ、町人200万てのも少なすぎる
主要都市だけでも軽く500万は超えてるというに‥
1は農民のことを誤解しているけど、農村に残れる農民は割と中、上流の人間
むしろ身1つで放り出される町人が、どうやって食っていたかを考えるほうが有益と思う。
83 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:49:58
過酷なら過酷で体が慣れるもんだよ。それと楽を探すのが人間ってもんさ。
働いてみれば分かるよ。
84 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:52:03
当たり前だけど、主食は米だけじゃないよ。五穀とか戦前戦中まで立派な主食。
米、特に銀シャリなんて武士を含めてほとんど食べられない高級品。
それと、地方格差をもっと考慮してみたら?
東北は稲作が大変でずっと貧しいかったのは近世の顛末みればわかるよね。
でも、他の地域、特に南方で水害の少ない地域や穀倉地帯と呼ばれてる地域は余裕もって生活してる。
戦後の農地解放もあれのおかげで逆に村自体が疲弊した所も多い。
理由は、比較的安定したサラリーマン的な農地経営が崩れたせいなど{これだけじゃないよ}
一まとめにしないで、地域別とかして考えて行った方がいいよ。
明るい近世史はけっこうだけど(確かに今までは暗すぎた)
行き過ぎるのもどうかと思うよ。
時流にのれば良いってもんじゃない。
86 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:55:29
職業別カロリー消費量で、一番がプロスポーツ選手。二番が昔の農家。
ソース?大昔の本だからなあw
87 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:59:31
>>1 現代の北朝鮮一般国民よか幸せだったんじゃあねえの?
88 :
1:2006/04/06(木) 22:01:11
>>86 プロスポーツと一括りしている時点で、その本は信用できない
89 :
1:2006/04/06(木) 22:07:21
>>82 いや、そのとおりでいいんだよ。
都市部の町人の生活を調べるスレではない。
あくまで、郊外の農民たちは悲惨ではなかったと主張するスレだから
90 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:07:37
>>85 ごめん、勘違いさせたみたいw
近世を例に出したのは飢饉とかの惨状や原因がわかる資料が多いから
それ以上も以下も深い意味はなかったんだw
91 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:16:21
宗門改帳見た限りでは、飢饉が発生した時期でも農村部の人口は減らず
人口が減るのは地域に関係無く主に都市部だった。
って話を読んだことあるぞー
93 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:20:14
地域によっては水呑み百姓ですら銀シャリ食えてたろ
逆に武士でも下級武士なら銀シャリなぞ食う余裕はない
94 :
1:2006/04/06(木) 22:22:03
>>91 海上保安庁や、レスキュー隊や、高校野球や、相撲や
むかしの菱垣廻船の漕ぎ手や
そういったいろいろな職種をまぜて比較しているのか?
まあ昔の本なら記憶もないだろうな。その本はあまり信用できない
ということでどうだろうか。
95 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:23:28
現代と比較するとわかりやすい、という意図のほとんどが間違いなんだよな。
96 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:27:27
ちなみにだが
おれが自衛官だったときの1日の摂取カロリーが
大体4500Kcalだった
どんぶり飯をわしわし食っておかずたっぷりな
動物性たんぱく質とか脂分の取れなかった当時で
同じカロリー取ろうとしたら米と漬物くらいだろうから
米の消費量とてつもなくないか?
当時まだ1日2食だろ?
97 :
1:2006/04/06(木) 22:29:10
新田次郎じゃないが富士の強力もそうとう過酷だったらしいし
紀州太地のクジラ漁師たちも、クジラ漁が下火の明治をふりかえってさえ
軍隊よりきつかったと証言している。
むかしの人は、農作業ぐらいでは特別過酷とは思わなかっただろう。
98 :
1:2006/04/06(木) 22:30:54
>>96 米よりも、豆や芋を食ってたんじゃないかな?
99 :
1:2006/04/06(木) 22:36:49
>>96 追加だが、富士の強力は、握り飯ひとつで荷物を抱えて登ったというし
太地のクジラ漁師らの主食は、もっぱら芋粥だった。
そこまで、がつがつ食わなくても、むかしの人は働けた。
いわゆる省エネだったのではないか?
現代人はアメ車のようなのかもしれない。
100 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:46:31
芋粥は量食えるからいいんじゃないか
持久系のスポーツやってみればわかるが
握り飯ひとつではハンガーノック起こすぞ
味噌とか持っていったという記録はないんか?
101 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:02:02
>>97 強力って何歳まで続けることできるんだw?
102 :
1:2006/04/06(木) 23:07:35
>>100 つけあわせは当然あったと思うよ。
富士観測所を設置のときは豚汁とか食ったらしいし。
けれど決して多い量ではなかったとおもう。
>>101 知らないが、40くらいまでだろうな。そのあと馬飼いでもやるのかな。
農業だって、一生おなじ仕事するわけじゃないでしょ?
若衆なら若衆なりの、老人なら老人なりの仕事わけがあったはず。
おなじ植え込みやってても、老人をこき使うようなことはしなかったと思うよ。
103 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:24:56
昔の人はタフだったんだろうけど、そのかわり老化が早かった。
104 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:29:39
>>102 スポーツ選手も強力も昔の農業も、40になったらもう一線から退かなければいけない。
オレがコレを主張するのは、子どもの頃にそうやって無理をして体がぼろぼろになった
中年の人を結構見ているからだ。
105 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:45:20
>>1 >一年のあいだ、人がひとり食べていけるだけの米というのは、
>およそ一俵(60kg)である。個人差はあると思うが、それが基準である。
一人の一年分の米が一石だよ。
一石=百升=千合
一人一日あたり約三合。
一食一合としたら、米が主食だった時代としてはむしろ足りないくらいだ。
まあ成年男子だけでなく、小食の老人女子子供まで入れていたから平均ではこの数字になったんだろうが。
要するに、一人一年で一石だから
当時の人口は三千万人、総石高も三千万石でぴったりで余らない。
だから、あんたの話は根底から成り立たない。
江戸は、栄養のバランスが悪かっただけでしょ。
言い方悪いけど、子供が適度に死んでたから江戸は成り立っていた。
殊更悪くも無いし、良くも無い。
107 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:49:37
40以上の農民が手工業の中心だったんだろうな
108 :
1:2006/04/06(木) 23:49:50
三千万人の人間が、すべて、
毎日、一日3合の米を食っていたというのはおかしい。
芋も麦も粟も稗も生産されるなかで、
一年の半分の期間に生産される
米だけを主食とするのは、どうだろう?
109 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:57:21
>>108 芋だの麦だのがそんなに大量に生産されていたなら、それらも年貢として
徴収されたんじゃないかね。
生産された農産物の大部分が米だったからこそ、米が年貢になったんじゃないか。
それにどのみち、もしも日本で生産される米の半分が余剰だったなら
生産を減らしていたはずだろう。
当時は輸出は無いし、そんな膨大な米を余らせたまま放って置いたはずがない。
あと、酒とか菓子に使った米というのは、全体からすればわずかな割合で
無視できたのではないかね。
居候三杯目にはそっと出し
↑この川柳よく分からなかった。何で居候ごときが2杯も食えるの
みたいな。
でも毎食3杯は、ご飯食べてらしいからね。だから居候は3杯目
くらいは控えろよみたいな。
まぁ居候養える家での話だけどね。なんだかんだ言っても
ご先祖様たちは米で必要カロリーの大半を摂っていた。
111 :
1:2006/04/07(金) 00:02:33
生産を減らしていたにしても、農民自体が食えなくなるまで
米の生産を減らすようなことはなかったとは思わないか?
112 :
1:2006/04/07(金) 00:09:25
では一人一石として計算してみる。
農民が2600万人
武家、商人が400万人。
生産される米が3000万石で、半分が武家にまわったとしても
計算上はおなじようなことになる。武家の持ち米が圧倒的に多く食い尽くせない。
よって、その米は、魚や木材、その他、第1次産業の収益にまわされる。
もし、生産が3000万石以下であっても、それは雑穀でまかなえる。
米は一年の半分の期間で生産されるものなのだから
113 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:15:11
>>111 そりゃそうだ。
だから、生産高の半分を年貢として出していたのなら、残りの半分で
農家は食べていけたのだろうね。
必死で生産しても、食べていけるだけの米が生産できなかったのなら別だが。
つーか、生産高の半分が年貢に取られたなら、その米はどこかで消費されていたわけで。
すると、米を生産する農家の数は、全人口の半分だったということになるな。
ところで実際のところ、生産の半分が年貢というのはそれほど重いかねえ。
今の税制考えてみて、所得税・住民税・消費税・酒税・タバコ税・ガソリン税
さらに健康保険や年金まで合計したら、所得の半分くらいは取られているんじゃないかね。
だとしたら、当時の年貢が別に重いとは言えないことになる。
114 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:16:54
日本全体ではわからないが江戸の人は馬のように酒飲んでるよ
酒1合造るのに米どれくらい使うんだ 相当使うようだが
115 :
1:2006/04/07(金) 00:17:33
田圃で米と麦をつくっていたとすれば
一年の春から秋にかけての米の半分となれば
生産上では4分の1になるな
116 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:19:18
幕末の日本全体でのGDPって米生産高×3でよかったかな
117 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:20:25
実際のところ、石高の計算はさておき
当時の農民(あと町人も)は、産業革命前としては悪い暮らしではなかったのではないかね。
産業革命によって国民の生活水準が上がる最大の要因は
機械化によって、少数の人数で全員分の食料を生産することができるようになり
他の大部分の人間は別の職業に移ることができるから。
それまでは、国民の大部分が食糧生産に従事してようやく全員分の食料を生産できるが、
産業革命以後は、1/10以下の人間が全員分の食料を生産できるということだ。
だから必然的に、産業革命以前の一般人は、食べる以外の消費に回す余裕があまりない生活になる。
そういう時代としては、江戸時代の農民の生活は悪くなかったと思う。
ところで、当時の日本の一人あたりGDPを、物価を調整して変換したら
何ドルくらいになるのかねえ。
118 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:22:55
幕府初期加藤清正は石高50万石のところ 当時オランダ人が沢山いた
台湾に小麦で生産して輸出し実質75万石の収入を得ていた
男扶持一日五合
女扶持一日三合
一日五合で年一石
(玄米⇒白米で目減りする)
120 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:23:26
>>116 現在の米の値段が、だいたい10kg4,000円くらいなので
一石では60,000くらいになる。
GDPが、仮に米の生産高の三倍とすると、180,000円=1,600ドルくらいになるか。
一人あたりGDPが今の価格に換算して1,600ドルといったら、当時としては妥当な数字だろう。
121 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:26:50
為替レート実質いくらなんだろう
122 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:29:04
120>ありがとう
123 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:34:24
女は13くらいで結婚するんだから、ロリコンにとっては天国だよな。
124 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:35:46
まさに現代人の錯綜的推測
125 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:36:51
俺は女子高生でいい
女中奉公なら二両一人扶持で結構なもの。
一石=一両で10万円くらい。
でも物価が安かったけど。
江戸で女探しは至難w
後家天国
127 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:39:09
俺は女子高生でいい
128 :
1:2006/04/07(金) 00:42:51
>>55 穢多は皮職人や墓守
非人は極道や歌舞伎
どこが悲惨だったの?
129 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:47:27
あかとんぼの「ねえやは15で嫁にゆき」だが、数えだからいまで
言えば13歳くらいだよな。これは明治中期の話だそうだが。
130 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:48:18
うるせぇよ。じじい
131 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 01:00:16
わーい わーい
>>119 誤爆
玄米⇒白米を考慮して
一日五合で年二石
133 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 01:48:49
現代人は無駄にカロリー取りすぎ
年貢というか家禄の米をぜんぶ食っちまったら生活が成り立たんのでは?
食う分の何倍かの米をもらって、余った分を金に替えていたんだろう?
つーか、これって常識だと思ってたが…
135 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 07:55:22
その「あまった分」を誰が食ってたかという話なんだが。
137 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:01:17
江戸時代の米の生産量3000万石という前提からして
間違っていると思うのだが…
139 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:14:06
>138
当時の統計がないので、推定にすぎないけど、
明治初期の米の生産量が約2500万石だから、
享保年間以降の大開墾・技術革新という見解を受け入れるなら、
人口が3000万人台に到達したと思われる18世紀初頭の米の
生産量が約1800万石、19世紀初頭には約2300万石、
幕末には約2400万石といったところではないかなあ。
141 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:34:00
>>140 横レスだけど、江戸期の統計よりは信じられると思う。
ただ、労働人口比に触れてないのは片手落ちだと思う。
つまり、文化文政期を経て、明治期になって、労働力が他の産業に移って行った可能性もあるんでは?と。
当たり前だけど、そもそもコメの生産量=石高ではないからねw
142 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:34:08
>140
全面的には信用できないかもしれないけど、
江戸時代の石高から米の生産量を推測するよりは、
ずっと信頼性は高いのではないかなあ。
143 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:40:29
>141
その指摘はもっともだと思う。
結局のところ、正確な数字は出せないわけで…
明治初期って、まだ全国的な統治をしきれてなかっただろ?
県令が孤立して徴税ができなかったりする事件が当たり前にあった時代だよ?
145 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:58:16
>144
明治7〜11年の平均なんだけど、却下なのかなあ…
少なくとも、江戸時代3000万石説よりはずっと信用できると思うのだけど…
146 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:00:03
江戸の石高て別に米の収穫量を表した単位じゃないもんな
147 :
141:2006/04/07(金) 12:02:10
>>144 もちろんそうだよ。
ただ、江戸時代は中央集権というよりは、ほとんど連邦制でしょ。
地方の自治政府が300くらいあったわけで。
その300諸藩が正しく報告していたとは思えない。
「自分の国は金持ちだ!」と自慢する意味がないからね。
下手したら難癖付けられて、天領に組み込まれかねない。
だから、江戸期の統計よりは信じられる、と書いた。
つか、「一反=一石のコメを生産できる土地」という認識だと思うけど、
江戸期を通じて、一反あたりの生産量は右肩上がりで、「一反」を表す広さも時代とともに狭くなって行ってる。
かと言って、家禄は質に入れられて、百姓と商人に金玉握られてる武士階級が、「生産が増えたんだから、税金上げるぞ!」みたいな好き勝手できるとは思えない。
つまり、結局のところ、何が何だかわからない、という感じw
個人的な意見を言わせてもらえれば、俺は
>>139さんの意見とは逆で、普通に3000万石以上あったのでは?と思ってる。
「米換算で3000万相当」って意味だからね。
それもGDPではなく、家格の単位だしね。
実収の倍以上に粉飾していた藩もあれば、
過少申告して所得隠しをしてた藩もあるしね。
米はそれほど穫れないけど、他の産業で潤う分を
石高に組み入れてた藩もあるし。
149 :
141:2006/04/07(金) 12:20:03
>>148 そう。
自営業の人なら分かると思うけど、誰だって、収入は少なく申告したいもんだと思う。
そうなると、当時の実態って、基本的なところで意味が分からなくなる…。
「人口3000万人だから、3000万石」なのか、「3000万石だから、人口3000万」なのかすら、俺的にはあやふや…w
そもそも借金漬けの武士階級がず〜っと支配階級でいられた事がまずもって意味不明。
百姓や商人たちによって、武士という職業(階級?)を「やらされてた」んじゃないかとすら思えてくるw
江戸や上方では大名も借金してて頭が上がらない相手といえば、
札差や両替商のような大商人だけど、地方の藩において国許で
借金をする相手は大商人ではなく、百姓に借りるという礼が多かったらしい。
百姓をいっても、そこらの百姓ではなく大地主/大百姓だけど。
代表的な例が、庄内藩酒田豪農の本間家。24万石の巨大地主だったとか。
これは極端な例だけど、どこの藩にも大百姓というのが結構いて、
藩は来年分の年貢を形にして大百姓から金を工面してもらっていた。
大百姓は、藩に納める年貢から貸し付けの利息と、米を換金する手数料を
差っ引いて、藩士の扶持米分は米切手として、それ以外は現金で
藩に納めていた。
151 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:42:26
152 :
141:2006/04/07(金) 12:55:05
通常、階級闘争的な発想をすると、武士は支配階級だよね。
だから、百姓を押さえ付けて、借金漬けにして、奴隷として支配するのが正常な発想だな。
そういった苦しみを百姓達は革命へのエネルギーに変換させるわけだw
そんな感じで学校では習ったし、白土三平の漫画もそんな感じで描かれてた。
ところが
>>150さんの言うように、現実は全く逆で、借金にあえいでいたのは武士階級。
武士の方にこそ、革命へのエネルギーが生まれていったんではないかと。
家禄は増えないのに、物価だけは毎年上がって行くんだから仕方ないw
そりゃ、何年も先の家禄が質に入れられてたりしたら、革命起こしたくなる気持ちも理解できるw
「こんな貧乏で不自由な生活はもうたくさんだ!」みたいな。
だからこそ、大政奉還なんて奇妙な歴史的転換が可能だったのでは?と思ってる。
歴史的には「列強による外圧を前に、苦渋の決断で内政を転換させた」みたいな評価だが、
実際は、「これを機に俺らも自由になれるぞ!」と思ったのは、他でもない武士階級だったんじゃなかろうか…。
>>149の言うとおり、
やっぱり実際は過少申告の方が多かったと思う。
過少申告(所得隠し)がバレることはほとんどなかったけど、
粉飾申告は時々バレていたから。
粉飾申告にともなう過酷な年貢に耐えかねた農民が、
幕府に直訴しちゃったりして。
154 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 13:22:07
いやまて
過少申告ばかりではないんだよ
石高によってあれやっていいとかこれやっていいとかを決めてたから
過大申告をわざわざする大名だっていたのさ
そのおかげで殿様は全然贅沢できないわけだがな
155 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 13:29:42
>>152 家禄は増えないどころか、江戸時代260年間を通して、武家は激しい収入減だもんな。
家康時代と幕末を比べると、米価は約1/3になっているから通過ベースでの
武家の収入も1/3になったことになる。
その上、江戸時代後期には多くの藩では藩士の知行を「お借り上げ」と称して
差っ引いていたからね。財政状況の悪い藩などは「半知借り上げ」(50%減俸)だから、
物凄い収入減だ。よくも家計が回っていたと思うよ。
だからといってむやみに増税すると「ご公儀」が黙っていないし、
それ以前に百姓に大借金してたりするからとてもじゃないが増税など言い出せない。
>>135 そりゃあ、(買える金のある)町人や百姓に決まってるじゃん。
157 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 13:48:04
どう考えても悲惨だったのは農民ではなく武士です。
本当にありがとうございました。
158 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 14:05:02
>>152 日本特有というか、日本人の集団的性格として「先頭に立ちたくない」と
いうのがあるのかも知れないな。
名実ともに自らリーダーとして采配を振るうのではなく、名目上のリーダーを
御輿に乗せて、自分の意思を名目上のリーダーからの命令として執行するという、
帝/摂関家、帝/上皇、朝廷/幕府、将軍/執権、執権/内管領、将軍/老中といった
二重権力構造みたいな構造が、士農工商の身分制度においても作用していたのかも知れない。
制度上は武家が支配者なんだけど、実質は生産者であり、実体経済を掌握している
百姓や商人が武家をコントロールしているという構造。
江戸時代も後期になると、武家が百姓から年貢を取り立てるというより、
大百姓が小作から地代を取り立て、武家に施してるみたいな状況だったからね。
多くの大名家(将軍家も)は実質的には財政破綻状態で、商人や百姓による
債権放棄とか返済繰り延べでなんとか成り立っていたようなもの。
今で言うなら破産企業(武家)と債権銀行団(百姓町人)みたいなもので、
「生かさぬように殺さぬように」扱われていたのはどちらかというのは、
言わずもがな。
159 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 14:22:55
特に公奉様のお膝元、関東の農民は豊だったみたいだね。
年貢は安いし、換金作物は江戸で高く売れるし。
河川改修や街道整備など、他の藩なら百姓が駆り出される賦役を各大名がやってくれるし。
でも、絶対数から言えば、
食うや食わずの武士より
食うや食わずの百姓の方が多かっただろうからなぁ・・・
161 :
141:2006/04/07(金) 14:34:42
>>158 権力の二重構造については同意。
完全に貨幣経済が確立して以降の武士はどう考えても悲惨だ。
ただ、士農工商についてはその存在というか、概念そのものに疑問。
俺は、当時の身分制度は、「武士とその他大勢」という括りしかなかったと思ってる。
学校では武士>農民>職工>商人、という身分的序列を教わったけど、
実際にそんな事が書かれてる書物は存在するのかどうか、甚だ疑問。
つまり、士農工商は単なる「国民(?)」という意味で使っていて、身分を表す言葉ではないと。
明治期だったかに「四民平等」なんて言葉があったけど、あれ、どう考えても、「国民は皆平等ですよ」という意味にしかとれない。
つか、本当にそんな身分制度があったのなら、公家は?医者は?猟師や漁師や木こりは?寺子屋の先生は?って話になる。
そもそも「士」ってのは、士大夫の「士」であって、武士の「士」じゃないし。
学校で習った「身分制度」も「身分差別」も今ではウソっぱちだと思ってる。
ようは、身分差別でも何でもなく、もし本当にあったとすれば、それは職業差別だと思う。
穢多非人なんてのも、実際には単なる職業差別だろ、という気がする。
当然ながら、職業差別は今の日本にもあるし、あらゆる国において今も昔も存在しない社会はないと思う。
162 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 15:04:04
>>160 絶対数でいうと、お百姓さんは母数が圧倒的に多いからね。
百石といえば、お借り上げがなくても手取り100俵。
換金手数料とか借り上げとか入れると、年間70〜30俵くらいで
暮らしていかなければならないんだよ?
その収入の中で、家族だけじなく家来も養っていくわけだ。
50石取りだの20石取りだのなんて更に微禄の藩士も大勢いたわけで、
内職でもしないことには、食うにも事欠く状態の武士の割合は、
決して低くはないよ。
163 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 15:08:39
士農工商というのは建前で、実際は士商工農だったのじじゃないの?
農は数が多いから、一応上にしてるけど、農が飢え死にしたという例は聞くが
商工が飢え死にしたという例は聞かない
勝海舟みたいに先祖が侍株を買って武士になった例もある
幕末ごろは庄屋クラスが武士になったという例も多い(犬養木堂など)
さほど厳格な身分制だったとは思えない
むしろ武士階級の中での上士階級と下級武士の間の差のほうが厳しいようだ
164 :
162:2006/04/07(金) 15:09:16
なんか文章がヘンになっちゃった。
書き直し。
>>160 絶対数でいうと、お百姓さんは母数が圧倒的に多いからね。
でも、大体の藩では藩士の1/2は100石以下の微禄。
百石といえば、お借り上げがなくても手取り100俵。
換金手数料とか借り上げとか入れると、年間70〜30俵くらいで
暮らしていかなければならないんだよ?
その収入の中で、家族だけじゃなく家来も養っていくわけだ。
50石取りだの20石取りだのなんて更に微禄の藩士も大勢いたわけで、
内職でもしないことには、食うにも事欠く状態の武士の割合は、
決して低くはないよ。
165 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 15:17:44
>>163 >商工が飢え死にしたという例は聞かない
天明だの天保だのの大飢饉で、職人や商人が飢えなかったと思ってるの?
そりゃ、江戸や上方の町人が飢えることは少なかったかもしれないが、
飢饉の中心地の東北地方などで、町人だけが飢えなかったわけがない。
農民であれ町人であれ一部の富裕階級は飢えなかったろうが、
農民であれ町人であれ下層階級はやっぱり飢え死にしてる。
>>163 飢饉で最初に飢えるのは、都市の下層町人。
167 :
141:2006/04/07(金) 15:34:02
>>163 いや、本音とか建前以前に、本当に江戸時代に「士農工商」という言葉自体があったのか、という話。
仮にあったとして、本当に身分制度のような意味で使っていたの?って事。
俺はそんな言葉以前に、身分制度という概念すらなかったと思ってる。
つまり、もし江戸期の文献に「士農工商」という言葉が出てきたら、それは単に「領民全員」という意味では?と。
>士農工商というのは建前で、実際は士商工農だったのじじゃないの?
↑これがまさに、当時、俺が学校で習った説!
つまり、身分制度自体はあった、とする説ね。
でも、そういった証拠(?)とされるような、制度的な事が記されたような文献の紹介はされなかったな。
「士農工商=身分制度を表す言葉」ってのは、何かこう、左翼的な階級闘争史観の人たちが勝手に作り上げた妄想じゃないかと。
>>164 家禄と役高ってあって、家禄は家自体に支払われる給料で、つまり基本給。
役高は今でいう役職手当で、天領を治める代官とか、書記とか、いろいろな役職につく手当じゃなかったかな。
で、役高のない御家人みたいなのは本当に悲惨だったと思う。
ただ、家屋敷はあるから、庭に必死で野菜作ってたとか、傘張り・植木鉢作り・筆耕・手習い師匠などなど、ほとんど内職が本業だったろうね。
いや、御家人はまだしも、仕官してない浪人なんて…。><
江戸時代のことは中々想像がつかないけど、
大東亜戦争直後も飢饉と言っていいよな?
そういう時には、やっぱり食料を生産している
お百姓様が強いんじゃないか?
戦後も一番飢えていたのは都市住人(町人)
だったろ?
169 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 15:40:46
100石で苦しいとか言ってると普通に五石二人扶持とかのヤツラに申し訳なかろう
>>163 つまり、現在でいうなら「第1次産業、第2次産業、第3次産業」みたいな表現を
後世の人が見て、昭和平成の時代には、農林水産業>製造業>商業/サービス業のように
職業に順位をつけていた。
みたいな勘違いをしてる状況かな?
171 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 15:46:39
ウロオボエだが、東北の冷害での飢え死には武士と米商人などの
結託の結果で死んだとかいう本を昔読んだことがある
冷害とかあったのだろうが、政治が悪かったのだろう
江戸での長屋暮らしは貧乏みたいに見えるが、生活は今より
楽だったのではないか?試算では年収600万円の職人で家賃は
年に40万円程度にすぎない 世話役もいて地域の面倒を見ていたようだし
生活は楽だろう
東北でも町中は世話役がいただろうし、農民ほどひどくなかったように
思える
津軽藩が飢饉で米相場が上がったのを幸い、
保存していた米を全部売ったちゃったってやつだっけ?
173 :
141:2006/04/07(金) 15:53:42
>>170 上手い例えだな。
そんな感じだと思う。
ただ、職業選択の自由は、「それが可能か不可能か」の意味において、今と同じく限られる。
例えば、昨日まで百姓やってた人が突然べっ甲細工の職人になろうと思っても不可能でしょ。
逆に昨日まで魚の棒手振りしてた人が、今日から百姓になるのも不可能。
それは制度的に不可能なんじゃなくて、誰もそんな大変な事をしようとは思わないし、
子供の頃から親のやってる仕事を身近に見て、自然に継ぎたい、と考えるようになってただけだと思う。
また、家督を譲った後に自分の夢であった絵描きとか、研究なんかに費やす爺さん達もいた。
そういうある種の当然の不自由さ(?)を身分制度と呼ぶにはあまりに無理があると思う。
174 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 16:08:01
職業選択の自由というか
どこの職業とかも家元制みたいな感じで門外不出
事実上選択不可能だわな
>>164 だからさ、1/2といっても100万強なわけじゃない。
百姓の1/3で800万以上でしょ。
百姓の話がメインになるのは当然なんじゃないかということ。
176 :
141:2006/04/07(金) 16:14:13
>>171 南部藩だったかな。
でも、今では当時の飢饉は地球規模の天候不順によるものと言われてる。
世界に文献が残っていて、ほぼ同時多発的だったようだ。
あとは火山の噴火とか津波とか突発的天災かな。
東北が厳しいのは今も同じだな。
今年の冬も新潟は大変だったみたいだし。
当時の飢饉は基本的にはインフラの未整備によるものが大きい。
つまり、ちょっと隣の藩に行けばコメは実ってるのに、今と違ってインフラがないから、運べない。
インフラの整った今ですら15年くらい前にコメ不足でタイ米騒動が起きた。
あれが江戸時代だったら大変な事になってたと思う。
>>171 天明の大飢饉だね。
商人と武士が結託したというより、政治の失敗なんだろうな。
---
財政が窮乏していた津軽藩が、全国的な大凶作で米の価格が高騰したのに目をつけ、
一攫千金の大儲けを企んで、蔵米のほとんど(実際は蔵米以上の量)を江戸や大阪の
米市場で売ってしまった。
ところが、津軽領内の凶作も他藩以上に深刻でだった。藩は自領の作況も性格には
把握できていなかったのだ。
端境期に近づくにつれ、当然のように津軽領内では米が不足しはじめた。
藩もあわてて米を買い戻そうとするが、そのころには藩が売った価格の3倍以上の
高値にまで高騰しており、また米を売って得た金の大部分は既に債務返済に使われて
しまっており、とても不足を補う量の買い付けは出来なくなっていた。
飢えた領民は、種籾は青い稲まで食べ尽くしてしまったため、その年の収穫も壊滅
状態で飢饉はさらに深刻化し、翌年の6月まで続く。
178 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 16:21:34
>>175 絶対数の多さは関係ないだろ?
貧しいか否かは、率で判断すべきじゃないのか?
例えば、日本の貧困人口が100万人いるとして、
もし、総人口75万人の東ティモールの貧困人口が
50万人だとすると、日本の方が貧しいのか?
179 :
141:2006/04/07(金) 16:21:59
津軽藩の話だったか…。_| ̄|○
180 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 16:22:29
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>>176 >15年くらい前にコメ不足でタイ米騒動が起きた。
1993年の大凶作による米騒動だね。
でも、あの米騒動も津軽藩の飢饉以上にいわく付き。
本当はそれほどの不作ではなかった。(らしい)
折りしも1994年は、ウルグアイラウンドの合意によって日本が5%の米輸入を行なう
ことを約束した年だったが、国内の農業団体の激しい反対によって、政府も輸入解禁を
発表できずにいた。
そこにちょっとした冷夏が到来。政府はここぞとばかりに大凶作を演出。
作況指数を前代未聞の74と発表した。(実際は90以上あったのではと言われている)
その米不足を補うためとの大義名分で、なし崩し的に米輸入を押し切ってしまった。
本当はそれほどの不作ではなかったので、その翌年には空前の米余りが発生。
182 :
141:2006/04/07(金) 16:45:36
>>181 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
初めて知ったが、かなり興味深い話だ。
タイ米はマズい、という記憶しか残ってなかったけど、そんな裏話があったのか。
>>178 たぶん、日本に東ティモールの貧困層と同じような生活をしている人が
1000万人以上いたらそっちの方が話題にはなるだろう。
東ティモールより割合が少なくてもね。
>>173 今だって職業の自由があるとはいえ、一般リーマン(百姓)が、
政治家(武家)になるのは簡単なことじゃないもんな。
医者の子は医者になることが多いし、リーマンの子はリーマンだ。
リーマンの子が百姓になるのは簡単なことじゃないよな。
身分制度なんかなくても「スキルの壁」や「経済力の壁」があるからな。
>>182 国産米とタイ米を別々に売ると、国産米ばかりが売れる。
国産米ばかりが売れてるのに国産米が一向に品不足にならないと
本当は量が足りていることがバレてしまう。
だから政府は、別々に売ることを禁止して、必ずブレンドして売れ!
と必死になって指導していた。
186 :
141:2006/04/07(金) 17:02:44
>>185 確かに辻褄が合うね。
聞けば聞くほど目からウロコの凄い話だな。
確かに、国産米がなくなってからタイ米売っても同じ事だろうに、何故かセットで売ってたもんな…。
いや、なかなか面白い話を聞いた。
187 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:06:22
>>185 つまり我々も十分悲惨な生活ってことなんかな?
結局あの翌年、古米(あまった国産とタイ米)を北朝鮮に
人道支援とかで援助してたよね
何か陰謀史観みたいだな
189 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:08:50
やはり米価を安定させる為に豊作の年は米を必要以上流通させなかったのかな?「商人が」借金膨大の各藩は、米を備蓄して飢饉に備えたの?幕府は、このような商人独断の米相場を統制しようとしたが無理だったらしい。
>>186 ちなみに、翌年死ぬほど余った米は北朝鮮に「人道支援」と称して送られました。
ところがここにもカラクリが。
送られたはずの米のほとんどは実際には、北朝鮮には渡らなかった。
帳簿上だけ北朝鮮に譲渡されたあと、格安価格で日本の北朝鮮系企業に売られた。
その仲介を行ない手数料を得たのが、野中やムネヲだと言われている。
191 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:16:42
米価統制は2回だか3回だかやってたよね
水野なんとかとかたしか教科書で習ったんだが思いだせん
結局市場に任せるしかないという結論に至ったような気がする
備蓄米はそこそこはあったんだろうけど基本的に赤字体質だった
からどうなんだろうね
なにかの災害の時に伊能忠敬が近隣住民に自分の蔵を開いたとか
文献を読んだことあるから備蓄量よりも対応の遅さが問題だったかも
192 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:17:10
江戸時代を通じて、瀬戸内海の漁師で飢え死にしたものは無いようだ
食料は魚とサツマイモの栽培をしていたようだ
海草を肥料にして土に栄養を与えてサツマイモを作ったようだ
米が無くても生きていける体制にあるのが漁師の強みのようだ
>>192 あと、漁師はいざとなれば、海運業者になれるから、
飢饉には強かったみたい。
というか、農村、山村、漁村を問わず百姓で飢え死にした者はかなり少なかったようだ
飢饉や災害で飢え死にする者は、中、下層町人がほとんどだったようだ
江戸時代を通して農村人口は増加しているが、都市人口はほぼ横ばいだったそうだ。
>>191 吉宗や大岡越前なんかも米相場をコントロールしようとして相当苦労したはず。
結局無力だったけど。
相場の安定を狙って「帳合米市場(米先物市場)」を開設したが、更に投機的な値動きが
強まって、閉鎖したり、商人を投獄したり統制しようと試みたがまったく歯が立たなかった。
今でも政府は大岡越前や吉宗と同じようなことをやってるけどね。
196 :
141:2006/04/07(金) 17:32:07
>>190 なんつーか、野中や宗男が小銭稼いでた事よりも、騙されてた事がムカつくな。
本当に酷い話だ。
今日の今日まで、あの年は歴史的なコメ不足だと思ってた。
教科書に載るくらいのレベルの話だと思ってたよ。
たまたまインフラの整った現代社会だったから、助かっただけだとばかり…。
197 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:47:47
江戸時代はいわれるほど悪い時代ではなかったとは思うが
戦国期から肉食が少ない、近親結婚、白米などを食うことなどから
身長が低くなっていったのは事実
幕末では男が150センチ前後、女は145センチ前後
女が145センチというと子どもをやっとこさ産めるという体力
明治後、肉食が盛んになってから急激に身長が伸びている
江戸時代初期が男160センチくらいだから、約10センチ低くなっている
このことからすると、あまりいい時代とはいえないかもしれない
いずれにしても、生理学的理由(近親結婚などによる弊害)などからして
明治維新は必然だったようだ
198 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:50:25
肉食て仏教の関係で食わなくなったんだからもっと前からじゃない?
なんだかんだでイノシシとか食ってるけど
小笠原亜里沙の乳見るためにNHK教育の日本史みてたけど、
江戸時代に対する階級史観が払拭されてたよ。
そんなに悪かぁないみたいな。
マルクスも江戸時代の落語見て笑うべきだった。
200 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:44:35
ヨーロッパでも近世の絶対王政国家は、宮廷文化は華やかだったけど
町人文化はお粗末だもんな。
江戸時代は完全に町人文化の時代。ファッション、食、文学、絵画、演劇などなど
ほとんど町人が主役。少なくとも武家は時代の主役ではなかった証明だろうな。
武家がそれほどの権勢を誇っていたとしたら、武家の文化がもっと花開いていると思う。
でも、武家は偉いと思うよ。
その気になればヨーロッパの王侯や朝鮮の両班みたいにもっともっと搾取できたはず。
しかし、武家は恐ろしく自制的だったと思う。
大名であっても普段の食事はかなり質素だし、歌舞音曲に耽ることも少なかった。
階級史観で明治維新を見ると、支配階級である武家同士の宮廷革命に見えるが、
百姓出身の新撰組が反革命守旧派で、武士階級が革命派だなんて説明がつかない。
下級氏族が時代の負け組みだったとしなければ辻褄が合わない。
201 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:11:41
今気付いた。
「士農工商」って、支配階級、第一次産業、第二次産業、第三次産業という順番なんだね。
202 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:29:18
>>177 もしかして、先物取引があったから、収穫前に米を先売りしてしまったという奴か?
それで後から相場が高騰したら、そりゃ破滅するな。
>>184 俺は、最近になって、身分制度は必ずしも悪くないのではないかという
考えが起こってきた。
>>197 身長が低かったから、必ずしも体力が低いとはいえないぞ。
現に今の高校生は男女とも、30年前より身長は伸びているが
体力は30年前より低下しているという、文科省の明確な統計がある。
203 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 20:11:20
以前から疑問に思ってたのだが、神主や坊主が士農工商に
入っているのか?入っていればどの階級か?あるいは別扱いか?
204 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 20:17:40
>>202 いや、先物ではなく正米。
実物米を江戸や大阪で売りさばいて藩の米蔵をもののみごとに空にした。
205 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 20:31:56
>>203 僧侶は世襲じゃないから出家する前の出身身分というものがあるけど、神主は世襲だから不明だな。
どこに位置するのかな?
でも神主は一応官位を持ってるから大抵の武士より上かもしれん。
206 :
141:2006/04/07(金) 21:05:41
>>203 士農工商は身分を表す言葉じゃない、って。(と俺は思ってる)
同じような事を
>>161で書いたけどさ。
四民平等の四民って、どう考えても国民と同義でしょ。
つか、そんな事がはっきり書かれた書物があるんだったら、今までの人生でどっかで見てるはず。
例えば、
>>205が言ってるようなのだって、いわゆる身分制度とは違う。
そんなのは酒席で誰が上座に座るか、程度の話でしょ。
強制的に世襲していたわけでもなんでもない。
そういう意味で穢多だけは確かに固定されていた身分(職業?)と言えるかも知れん。
ただ、あれは皮革製品=軍需産業に従事してる人間だから、藩が囲うのは当然の措置じゃないかな。
技術伝承もあるし、藩の機密保持の意味合いもある。
別に牛馬の死体を処理していたから差別されていたわけではない。
単に、藩に特別扱いされていたから、庶民にやっかまれていただけだと思う。
まぁ、その特別扱いしていた事が、後々禍根を残す事になるんだけどねw
一度特別扱いされた人間は、その利権を失いたくない、と考えるものだ。
207 :
141:2006/04/07(金) 21:26:51
資料をググってたら、衝撃を受けたw
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/e-mail/qanda/q-es-shakai.htm 何と、最近の教科書では少なくとも江戸史に関しては階級闘争的な左翼臭がなくなってる!!!!
おいおい…。
俺が習ってた頃と全然違うぞwwwwww
俺は33歳だが、俺が学生の頃は百姓は差別用語だと習ったぞゴルァ!
士農工商は身分制度で、様々な差別を生んだ、と習ったぞ、おい…。
つか、士農工商という言葉すら習わなくなってるみたいだ。
これはちょっと、かなり凄い前進じゃないか?
俺が今までに読んだ本や考えてた事と同じ見解だけど、ちょっと衝撃だ。
208 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:34:47
士農工商という言葉は聞かないが、20年前くらいだったか、
ある大きい寺の住職と話をしたときに「平民」という言葉が出たな
あまり聞かない言葉なので妙に記憶に残っている
209 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:40:57
>>201 そうそう。
本当は第一次が一番えらいとなるとこなんだけど、
そうすると土地争いなど戦が絶えないというので支配階級の武士が上。
だけど、非生産層だから給金は少なく貧乏暮らしというのが一般的。
ちなみに、士農工商を固定と考えてる人居るけど、下への変更は有り。
武士でも帰農してる幕府民もいる。
有名なのは上杉の半農政策かな?
内職と畑仕事をしない武士は変わり者という風土に変えたとか。
薩摩は元々半農が多いし、旗本でも更に下の芸人になったり、結構移動してる。
210 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:45:27
>>207 今でも「百姓」は差別用語で講やマスコミで使うと怒られるよ。
確かそれで「農民」と職業者として戦後そこそこ経ってから統一されたはず。
ちなみに「平民」は戦後の華族制廃止まで正式呼称。
今もお年寄りや古い家とかだとそういう風に言う人いるよね。
「平民」は差別用語じゃなかった気がするけど・・・どうなのかな?
211 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:46:20
>>207 同じ歳だが・・・
百姓が差別用語だとは習わなかった覚えはないんだが
212 :
141:2006/04/07(金) 21:52:32
>>210 いや、教科書で普通に「百姓」と書いてあるわけだが…。
村人ではなく、百姓となってるわけ。
>確かそれで「農民」と職業者として戦後そこそこ経ってから統一されたはず。
これが俺らが習った時代の教科書なのよ。
で、それが今は変ったの。
だから俺は衝撃を受けてるわけ。
差別用語じゃないみたいよ。
213 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:55:38
>>212 あ、そういうことだったんだw衝撃的だ。。。
自分は今大学生だけど、中、高と差別用語として使うと怒られたw
214 :
141:2006/04/07(金) 22:02:51
>>213 俺は田舎出身だから、皆、大人も子供も普通に百姓という言葉を使ってた。
「お百姓さん」とかね。
でも、学校では「農民」と習った。
百姓は差別用語だから使っちゃいけない、とも習った。
「○○君のお父さんは農民なんだね」みたいな。
何とも変な感じだった。
ふーん、と思いつつ大人になった。
で、大人になっていろいろ本を読んでると、「農民」という言葉自体、当時はなかったと知る。
じゃ、当時は何と呼んでたかと言うと、「百姓」w
もうね、あ(ry
俺の脳内は????となったよw
215 :
141:2006/04/07(金) 22:09:40
しかし、今日までいろんなところで得意になって語ってた事が、普通に小学校の教科書に載ってる事だったとは…。
時代の移り変わりとは言え、何かこう、何とも言えない衝撃を受けた。
つか、「教育」という根本のところで、そんな時代によって見方がブレて良いのかよ…という気もするねw
とにかく、今日は目からウロコがいっぱい落ちたよ…。
>>215 ソ連→ロシア
東西ドイツ→ドイツ
左上→変わらず、下のほうがチョイ反米傾向
ドナルドキーンによると、戦後に限っていっても
江戸の捉え方が、色々と振れていたみたい。
217 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:36:16
百姓使うようになったとすれば網野善彦の功績だろうね。
岩波文化人への影響力大だから。
士農工商という言い方は確実に江戸時代にはなかったと聞いた覚えがある。
218 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:38:42
このスレはタメになるな。
俺の家や近所は侍だったんだが、江戸時代、武士なのに農民を大地主様と呼んでたって話しが不思議でしょうがなかったが、
その理由がよく分かった。武士は社会形成を守るために農民に生かされてた存在だったんだね。偉くともなんともない。
関白亭主のようで、実は妻に上手くコントロールされてた!みたいなもんかな。
>>197 肉食は仏教の影響で禁止だけどゆるかったよ。
浄土真宗じゃ普通に肉食べれば酒も飲んだし(僧にあって僧にあらずだっけ?)
当時の文献には猪、猿、鹿、鳥、兎等、普通に食べられてるよ。
肉鍋なんてのもあって、値段もそんなに高くなくウナギと同程度の値段。
中鍋で今の感覚で1500円。大鍋で2000円だってさ。
ただ、おおっぴらに食うのはためらいがあったのか、肉を扱う店は薬屋の名目で店を出してた。
ちなみに江戸では圧倒的に薬屋が多かったらしいが、実際は肉屋も多く含まれてたと思う。
あと米沢はさらにおおっぴらに肉産業が行われていて
幕末には牛肉を扱う市まで普通に存在したよ。この辺はネットでも載ってると思う。
219 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:45:53
そもそも、江戸時代は神仏習合だから、大抵は坊主が神主を兼ねていたんじゃない?
単独の神主ってそれほどいなかったのでは。
220 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:48:36
ちなみに歴史人口学では、日本の江戸時代は積極的に嬰児殺しをして
人口を増やさなかったとしている。中国は積極的に嬰児殺しをしなかったので
人口が増えすぎて太平天国の乱などが起きたという。
221 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:54:43
222 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:58:13
>>221 そうだよ。かなり普通に行われていたそうだ。
223 :
141:2006/04/07(金) 22:58:24
>>220 アホくさw
嬰児殺しがなかった国なんてあるのか?w
多分、学校の先生が中国の戦争=階級闘争的な良い戦争とでも教えたかったんじゃないか?w
嬰児殺しは今で言う人工中絶と同じ。
日本における倫理的な時限(?)が今は5ヶ月だが、当時は生まれてすぐまでだった、というだけの話。
君は今でも「中国では嬰児殺しはなかった」と思ってる?
だとしたら、相当におめでたいよ。
224 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:59:59
中国人みたいに胎児を食うようなことはなかったし。。。
225 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:00:44
中国ではなんでも食べたそうだ
それ以上はコメントしない
226 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:05:16
美食のために悪魔に魂を売った民族だな
227 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:06:11
>>220 今現代でさえこんなだよ?
昔を調べたらもっと凄い事してる国なんだけど・・・・・・・・
★【中国】ゴミ捨て場で児童の遺体、猟奇殺人か?調理の痕跡
・3日午前10時(日本時間午前11時)ごろ、甘粛省・蘭州(らんしゅう)市城関区にある
ゴミ集積場で児童の遺体が発見された。白色のビニール袋に入れられていたもので、
調理された痕跡があるという。警察では殺人などの疑いで捜査を開始した。
遺体が発見されたのは、市内の一部から生活ゴミや医療ゴミが運び込まれるゴミ
集積所。数十人の作業員が利用可能な廃品を選別していたところ、ビニール袋から
児童のものと見られる両腕と肉塊、骨を見つけた。さらに、袋の中からは生姜などの
調味料も発見された。
警察では、遺体に加熱調理された痕跡があるとして、殺人や死体損壊などの疑いで
捜査を開始した。遺体で発見された児童の年齢は5−8歳とされているが、目下の
ところ性別の判定はできていないという。
遺体の入った袋は現地時間の2日21時から23時の間に、他の生活ゴミと一緒に
トラックで運ばれてきた可能性が高いとされている。そのため、警察ではトラックに
ゴミが積み込まれた可能性がある地域をローラー作戦方式で捜査することにした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060404-00000004-scn-int
228 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:09:40
まぁもちろん当時においても、
倫理的に正当化される行為ではなかったがな>嬰児殺し
「生きるためにはやむを得ない」的な黙認。
230 :
141:2006/04/07(金) 23:12:02
中国における戦争は基本的に全て内乱でしょ。
これはもう、完全に政治の問題。
中央集権国家方式で、広大な土地を治めようと思ったら、そりゃもう、巨大な権力が必要だよね。
当然、搾取も行われるし、弾圧も行われるだろう。
そういった内乱の原因を安易に人口問題に結びつけるのは大きな間違い。
対外戦争の場合、そりゃ、食えなくなれば、隣の国を攻めるかも知れない。
しかし、内乱なら、それは普通に考えて政治の問題だ。
中国の内乱を良い戦争(=政治の問題ではなく別の問題)と考えたい人がたまにいるけど、これはかなり偏った発想。
中国の政治家は悪い政治をしない、というおかしな前提からスタートしてる。
>中国の内乱を良い戦争(=政治の問題ではなく別の問題)と考えたい人がたまにいるけど、これはかなり偏った発想。
>中国の政治家は悪い政治をしない、というおかしな前提からスタートしてる。
別に
>>220はそこまで極端なことを主張しているわけでもあるまいに。
過剰反応しすぎ。
232 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:22:35
当時清の人口は激増したが日本は一定
ガキをネ申扱いしてたのも、ガキが簡単に死んでた時代
だからじゃなかったっけ?
七五三もその名残りだったような。
牛乳がもっと広まってたら、、、
234 :
141:2006/04/07(金) 23:29:46
>>231 いや、実は最近日本で増えてきてる考え方なんだよ。
雑誌なんかを見てると、たまに見かける。
どうも俺の嗅覚が左翼的な臭いを感じるんだw
つまり、例えば、太平天国の乱が起きた時、普通は何でそんな一揆が起きたのか?と考えるだろ。
その時、普通は一揆が起きるという事は、清の皇帝が悪い政治、
もしくは最大限に譲歩したとしても、運の悪い出来事が起きたから、と考えるだろ。
まぁ、アヘン戦争とかもあったからね。
でもさ、安易に人口問題に結びつけると、あら不思議、皇帝は悪い政治なんてしておらず、アヘン戦争にすら関係しない。
何だか、自然発生的に一揆が起きたような気がしない?w
ちょうど、今、中国の農村で一揆が起きまくってるよね。
ああいった一揆の原因を人口問題だと考える発想って、かなり問題あると思わない?
235 :
141:2006/04/07(金) 23:35:21
>>232 例えば、為政者の立場になって考えてみ。
戸籍がなかった時代に、どうして戸籍を作ろうとしたのか。
これはもう、税収を増やそうとしたからに決まってるでしょ。
で、戸籍を作ったら、今まで登録されてなかった人が登録された。
もちろん、普通に増減はあったろうが、清朝の人口増の最大の原因は戸籍調査でしょw
そもそも戸籍を作る理由が課税なんだから、貧乏人は怒るわな。
一揆ってこうやって起きるもんじゃね?
236 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:40:45
清代は実際に増えてる
>>215 最新の研究成果は、だいたい十年遅れで反映されると言うからな。
得意になって語っていたことのソースがどこだかしらんが、
それを書いた人は、研究者が十年前から議論していた問題を、
さも自分が発見したかのように装っていた、ということだろう。
238 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:45:44
だから網野だよ
ちなみに士農工商がいわれなくなったのは、
神主だの芸能者だの、士農工商という枠にはめることのできない人々(身分的周縁)や
支配・被支配と明確にくくれないような人々に注目が集まりだしたから。
けっして「身分制度がなかった」などという極論が支持されたわけではない。
そんなことを言う研究者はいない。
240 :
141:2006/04/08(土) 00:04:47
>>236 良く分からんのだが、人口が増えるという事は、それだけ良い政治が安定して続いていた、という事でしょ。
それなのに、何で一揆が起きるの?
それも日本でいうようなちっぽけなレベルじゃないよ。
中国全土を揺るがすような一揆だよ?
普通に、中国全土に不満がたまってた、と考えるのが普通じゃない?
嬰児殺しが出来ない国民性だから食えなくなって一揆が起きた、なんて発想はちょっと無理があるよ。
241 :
141:2006/04/08(土) 00:26:53
>>239 俺はいわゆる、「従来の認識による身分制度」はなかった、と思ってるよ。
あったのは、「武士とそれ以外」。
もう、はっきり言って、これだけでしょ。
そりゃ、武士は支配者だわな。
これを身分制度と言われれば、そりゃあったろうね。
身分制度の定義にもよるけど、身分制度はあった、という前提で話すなら、百姓-武士のラインしかないよ。
百姓が耕す田んぼを守るのがそもそもの武士の始まりだからね。
あとは、武士階級の子飼いだった穢多くらいか。
武士が食うコメを作る人=百姓
武士が身につける馬具や武具を作る人=穢多
で、問題は、こういう関係を身分制度って言う?
変な例えだけど、例えば、中国の共産党とそれ以外の中国人の関係を身分制度って言うか?
言って言えない事はない、ってレベルじゃね?
>>1 生産された米がすべて消費されてると思ってんだね。
幸せなやつだね。
現代世界において人口の2倍分の食料が生産されながら
飢餓に苦しむ人が多数いる事実なんて
到底理解できないだろうね。
これからもお幸せに。
>人口が増えるという事は、それだけ良い政治が安定して続いていた、という事でしょ。
じゃあ現代の少子化の進む先進国は悪い政治で、飢餓にあえぐ人口増大発展途上国はいい政治なんだね。
>あったのは、「武士とそれ以外」。
ヴァカ網野でもそんなことはいわんよw
峰岸、永原、脇田、朝尾、大山、黒田、戸田まで読めとは言わないからさ
せめて網野レベルの知識得てからここに来てよw
>>241 もう一度言うぞ。
士農工商が言われなくなったのは、
その枠に収まりきらない人たちに注目が集まったから。
つまり近世社会というのは、そんな四文字熟語よりも
はるかに複雑なものだということが分かりだしたから、使わなくなった。
複雑だぞ。複雑。意味分かるよな。
頭の中だけでもの考えると、物事を単純化して理解した気になってしまうが、
学問というのはそういうもんじゃないからな。
単純な人を対象の単純な本ばかり読んで、大上段で語らないでくれ。
247 :
141:2006/04/08(土) 00:45:28
>>243 >じゃあ現代の少子化の進む先進国は悪い政治で、飢餓にあえぐ人口増大発展途上国はいい政治なんだね。
う〜ん、反論難しいなw
ただ、少子化が進む社会が良い社会だとは思わない。
で、人口爆発で飢餓にあえぐ政治が良い政治だとも思えんね。
まぁ、でも、内戦とか、別の問題もある気がするし、飢餓にあえぐ状態というのは、淘汰の過程における一時的なものだという気もする。
つか、社会が安定すれば、人口も安定する気がする。
人口が増える状態というのは、むしろ、以前が悪すぎた、という事なのかな。
基本的には生活に余裕があれば、人口は増えるものだと思うよ。
248 :
141:2006/04/08(土) 00:51:59
>>244 それ以外にどんな身分の関係があったの?
武士と商人は身分的な関係なの?
その偉い人たちの話は良いから、あんたはどう思ってるの?w
>>245 中国人全員が共産党員じゃないよw
共産党員って、確か6000万人くらいじゃないか?
>>246 その枠に収まりきらなかった人達は突然出現したわけじゃなくて、昔からいたの。
それはつまり、士農工商という四文字熟語が当時意味を持ってなかった、という事でしょ。
何を言ってるの?
士農工商=身分制度だと言ってたのは、学者さんたちでしょうが。
じゃ、もっと複雑に、士農工商・・・・・・・・という身分制度だったらあったのかい?w
ただの職業による区別じゃん。
141が中学生や高校生なら、温かく見守ってあげたいんだよな。
かなり頭でっかちだが、これから鍛えればモノになるかな、という感じ。
だが、彼が33才(!)という現実にはある種恐怖を覚える。
百姓にも貧乏人(小前)
町人にも貧乏人
百姓にも商人
251 :
141:2006/04/08(土) 01:01:47
人の事を簡単に無知だと言うくせに、何も説明しない…。
偉い人の本を読んで分かった気になったるのはお前らじゃん。
俺は身分制度って言っても、武士-百姓ラインくらいでしょ、と言った。
いや、違う、もっと複雑だ、と言う。
じゃ、士農工商・・・・・・・・・・・・・という身分制度ならあったの?と言うと、おっさん捕まえてガキ扱いする。
何なの、お前らw
>>250 まさか、それが反論のつもりなのか…?
それが複雑という事なのか?w
いや、それは間違ってないし、別に問題ないと思うが、それが俺のレスと何の関係が…?
252 :
250:2006/04/08(土) 01:02:50
いや
俺は通りすがり
253 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 01:10:49
よこからごめん。自分、上のほうの大学生です。
士農工商って概念って江戸時代ではなく、後世の研究家が分けたんじゃなかったっけ?
身分を表す髷なんて職業ごとに違ってるんだから、それだけに分けられない。
また、岡引{正式名称わからないw}でも町人で十手持ってたり、名字帯刀許されてる人居たり
そういう意味で、江戸時代の感覚は「武士とその他{細かい分類}」という感じだったんじゃない?
で、江戸時代について本格的に研究を始めたら、教科書でも士農工商ってくくり以外も教えないと御幣が多い
でも、今まで道理の士農工商を元に教えねば・・・っていうんでいろいろ混乱して
研究者{?}の一部が新説で解説とか誤解を解くように説明してるんじゃないの?
141しか知らない141独自の「身分」概念の定義を認めれば、141の言う事は正しい。
まともな人が
>>248に丁寧に答えてくれるかもしれないけど、
141は最終的に「それは身分とは関係ない」と言い出して、独自の身分観を開陳して終わるだろう、と予言してみる。
255 :
141:2006/04/08(土) 01:12:33
>>254 そもそも、身分制度があった、と言ってる人は、身分制度の定義を言ってくれないか?
あった、と言ってる人が、どういう定義をしてるのか、それをまず知りたい。
庶民は武士になれない、公家になれない、って事がすなわち身分制度なん?
非人をどういう風に理解してるのかも知りたい。
俺は非人に触れずにいるのに、どうして触れてこないんだ?
256 :
141:2006/04/08(土) 01:15:10
>>254 つまり、お前が言いたいのは、士農工商・・・・・・・という複雑な身分制度ならあった、という事なのかい?
257 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 01:16:16
多過ぎる人口を輸入食糧で維持する現代と食糧生産量で人口が増減する昔と・・・どちらが良いのか?
>>253 士農工商ってのは、もともとは研究概念ではない。
でも儒者の言葉であって、当時の実態を正しく反映していたわけでもないし、そういう区分意識を皆が共有していたわけでもない。
どっちにも分類できない例、最初からそこに入らない例、ってのが山のようにある。
武士なのか、百姓なのか分らないなどどっちなのかわからない例、あるいは最初からここに入らない連中もいるってことだ。
だから実際、平民身分論というのはある。
でも、だからといって、武士とそれ以外の二項対立を設定してよいほどには、「武士以外」の中の共通性は大きくないだろうね。
>>258 ふむふむ・・・なんとなく頭が整理できました。ありがとうです!
260 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 01:31:45
しかし、なぜ左翼教師は中国を賞賛するんだよ。
あれほど血塗られた歴史を持つ残虐な国家など世界にも類がないのに。
例えば、朝廷(天皇家+公家)は固有の身分集団だ。武士ではない。
同時に、自分の知行所からあがる年貢をもとに生活してる領主でもある。
すなわち、武士と同様に支配階級の一つ。
でも
>>241の定義で言うと、武士も公家も支配階級なんだから武士だよ、
とわけのわからんことになってしまう。
ちなみに、公家の中には知行を持っていないのもいるし、
そもそも低い官位は町人が金で買っているし、
どこまでが公家でどこからが町人なのか・・・などはきわめて不明確なんだが、
わかりやすさだけを求める141にとっては興味のないことだろうな。
262 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 01:38:01
>>260戦中の反動的思考では?
加えて、一部の親日的中国政治家{あえて名前ださないけど}の手腕がすごかったから。
で、中国に対して良いイメージもって、ハロー効果で「全部良い国なんだ!」
しかも、中国を模倣した制度とか社会科とかやってるといっぱい出てくるし
その割りに、中国自体については日本史・世界史の教科書では深く触れないからw
研究者じゃなくて、販売されている本を読む程度だけど、それでもかなりいろんなことやってる国ってわかるしね
近年だとチベット問題とか・・・人権保護団体などが本来動かないとおかしい状況なのにね
263 :
141:2006/04/08(土) 01:38:56
>>258 いろんな人がいた、という事を言ってるだけじゃん…。
細かい例外を挙げて「その他」を細分化して突っ込む事に何の意味があるん?
何が言いたいのかと思えば、「いろんな職業の人がいたんだから、その他で一括りにすんな」と?
つか、半農武士がいたとしても、そいつが主から禄を貰ってりゃ普通に武士なんじゃね?w
有事の際の臨時社員みたいなのがいたのかどうかは知らんけど、いたのなら、そういう武士だった、と。
で、結局のところ、武士-百姓以外の身分的な関係はあるん?
武士が棒手振りから魚かったら、それは武士と商人の身分制度なん?
そもそも、あんたが俺のレスのどの部分に突っ込んでるのかさえ良く分からんのだが…。
264 :
1:2006/04/08(土) 01:39:19
妻が夫を呼ぶとき、子がなければ、あなたとかお前さんとかいうが
子が生まれれば、子の立場になって夫をよんだ。子ができれば父上
孫が生まれれば、おじいさま。
それは武士や農民の風習で
商人や職人は、あくまで、子がうまれなくても夫の身分でよんだ。
旦那さま、とか親方とか。あと名前とか。
そういった違いもおもしろい。まあ関係のないはなしだが・・・
>>255 江戸時代の様々な場面で、様々な形で存在していた身分。身分制度、と一口に言うが、それは複雑な実態の総称でしかない。
そーいう複雑で説明で着なさそうな実態を、納得のいくよう説明できる議論を構築できるように、学者は努力している(それで金をもらってる)。
2chで簡単に説明できるほど単純じゃねえから、本嫁、ってみんな言ってるんだろうね。
ひにんなんてまさに面倒くさい仕組みがあるから、議論の基盤を共有していない君に話をふってもしょうがないと思われているんじゃなかろうか。
266 :
141:2006/04/08(土) 01:46:06
>>261 なるほど、いろいろいた、とw
俺のレスを追ってくれれば分かると思うけど、ちゃんと公家についても言ってる。
極めて不明確な公家や町人がいたとして、その事が俺のレスと何の関係があるんだ?
そこに身分制度があったのか否か、って事でしょ?
単なる商売の関係なら身分制度とは言わんでしょ。
俺の会社の社長は俺の支配階級なん?
いろいろ例外を挙げてくれてるけど、そんな事初めて知った!なんて言うと思う?w
そんな事はと〜っくに通過してる。
身分制度の定義をしてくれないと、意味がないよ。
それがあったか否か、という話をしてるんでしょうよ。
こんな人もいた、こんな人もいた、なんてのは大した意味ないっしょ。
267 :
1:2006/04/08(土) 01:47:44
武士を政治家
農民をサラリーマン
職人を製造業者
商人を起業家
非人や穢多を出稼ぎの外国人とかにおきかえれば
現代にもおなじような身分制度がある、ということ。
そこまで、執着して身分をいうほどでもなかったのではないか。
268 :
141:2006/04/08(土) 01:48:40
>>265 本嫁って言ってる人が恐らくは指しているだろう本を俺が読んだ事がないと、どうして思い込めるんだろうか。
そっちの方が不思議。
つまり、あんたは身分制度はあったか否かより、定義すら難しいと言いたいわけね。
定義すら難しいのに、俺が定義したものにはケチをつけるわけだ。
どっちが大上段なんだかw
現代日本(あるいは世界)を身分社会と規定する研究者もいるし
アフォか現代資本主義民主主義市民社会に身分なんかあるわけないやろ
という幸せな香具師もいる。
江戸時代(以前)なんて身分制社会にきまっとるやないけ、というのが
学界・一般人の大方の意見だが、あんなもん身分ちゃうわい、という
誰かさんみたいなのがいてもしょうがない。そもそも身分というもの
についての考え方が違うんだから。
ちなみに学界一般は
出自によって帰属を決定し、社会的役割の差異を生み出して世襲的に維持するシステム。
多くの場合、身分の差異は服装・名前・儀礼・タブー等により示され、可視化される。
身分は、例えば王権のような権力・権威の中心からの距離に応じて設定されるように、
社会を秩序づける観念世界の表象でもあるので、社会の意味的構造についての認識が
社会的に共有されることにより固定される。日本においては身分がしばしば浄/穢の観念
と接合して構成されたところに特徴があり、そのことが、法制上は身分の別が廃されて
久しいにもかかわらず、今なお差別の根を深く残存させている一因となっている。
と身分を規定するのが一般的。
>>1 よーするに、置き換えられないところに身分制度の特質があるってことさ。
>極めて不明確な
不明確だと規定するのはあんたの勝手だが
それでは他人を説得できない。
新しいパラダイムをたてたいのであれば
もちょっと努力せんとな。
272 :
1:2006/04/08(土) 01:53:00
出自によって職業が固定されていた、ということもあるが
そもそも、士農工商の枠組みも流動性の高いもの。
極端に現在とはちがうわけじゃない。
現在も世襲制はうけつがれているし
まあ、選択がはるかに自由になったということはあるがな
273 :
141:2006/04/08(土) 01:53:47
複雑に渦巻く江戸の人間模様。
身分は、人の数だけ存在し、その複雑さこそが、広義の身分制度であったのだ。
って感じかな?w
アホくさ。
要するに誰かさんは、これまで差別されたことがない幸せな人なんだよ。
だから何でもかんでも一緒くたに出来るんだ。
俺とあいつが一緒の身分? 冗談じゃねえ
なんて気持ちわからんだろうな。
275 :
141:2006/04/08(土) 01:57:23
>>274 いや、俺も広義の差別をされた事はあるよwwwww
>身分は、人の数だけ存在し
極端なやつだな。典型的なアフォだ。
動物の個体の数だけ種があるってのと同じだな。
あるいは動物には2本足と多本足しかいないってかw
種のなんたるかがわかってない。
同様に身分のなんたるかがわかってない。
階級なんてお手上げだろうなw
で、天皇は武士なの農民なの?
えたは? 公家は? 町人は?
僧侶は? 神官は? 医者は?
278 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 02:01:35
完全な封建制身分制度ができたのは、江戸時代であってそれ以前は、はっきり区切られた身分制はなかった(皇室、公家以外)信長が戦闘専門の兵士を作り、秀吉が完全身分制を敷いた、法度に定めたのが徳川幕府、
>>254の言うとおりだな。むりだわ。
ただ、こういうタイプの人をも納得させられる論理を未だ発見できていない、
というのは歴史学の反省点なのかもしれん。全ては他山の石。
要するに江戸時代も今も悲惨だってことでいいでつか?
いいでつね。
はい、このスレ終了
281 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 02:07:23
つまんなくなったね。
一応助け船出すと、141の言ってることは、まだ「階級」のほうが
近いのではないか。階級論としては、まあw 要するに搾取階級と
被搾取(?)階級。
身分論としては話にもならんが。
>>279 別にこんな人納得させれなくてもいいよ。
こおゆうのに学問がまじめに関わると、吉見氏みたいになる。
わかる人はわかってくれる。永久にわからない人もいるだろうが
それはしょうがない。ってのが一番研究者として安全なスタンスじゃないのかな。
283 :
141:2006/04/08(土) 02:16:17
【1】身分とは出自によって帰属を決定し、社会的役割の差異を生み出して世襲的に維持するシステム。
一般的に言われてる教科書的な身分制度やね。
抜け道はいろいろあるみたいだけど。
【2】身分の差異は服装・名前・儀礼・タブー等により示され、可視化される。
チョンマゲとか服装、名字帯刀などかな?
警官が拳銃持ってるのも身分制度だな。
まぁ、ある種の暴力装置だし。
【3】身分は、例えば王権のような権力・権威の中心からの距離に応じて設定される。
何を言いたいのか良く分からんが、将軍様に御目見えできるか否かとかの話かな?
例えば、権力者の近くにいれば、その人も権力のおこぼれを貰える、みたいな現象と想像する。
【4】身分は社会の意味的構造についての認識が社会的に共有されることにより固定される。
皆が「あれが王様だ」と認識した瞬間から権威が生まれる、というような事だろうな。
つまり、江戸が長く続いた理由は、その権威が周知のものであり、庶民にあまねく共有されていたから、みたいな。
これは普通に民主政治においても言えるね。
下々の者が権力者と認めなければ権力者足り得ない。
284 :
141:2006/04/08(土) 02:18:54
【5】日本においては身分がしばしば浄/穢の観念と接合して構成されたところに特徴がある。
穢多とか非人の事かな?
もっと詳しい説明が欲しいねぇw
【6】上記理由により、法制上は廃されても差別の根を深く残存させている一因となっている。
これはもう、単に武士の囲いだった穢多の連中=ある種の特権階級が、
少なくとも職業選択の自由を謳われて以降、飯の種に困って因縁つけてるだけでしょ。
そりゃ、自由競争になったら特権じゃなくなる罠w
語るのも馬鹿馬鹿しい。
一応、こう理解したが、「これが身分だ」という事なら、江戸時代は身分制度はあったな。
もちろん、現代社会も身分制度があるね。(天皇を除いたとしても)
で、俺の「武士とそれ以外」について、何か問題があるのかな?
お前ら、何だかワラワラと湧いてきてるが、結局、何が言いたいのか全然伝わらんぞ。
俺のレスにケチを付けたい、という気持ちだけは伝わってくるけどさ。
つか、ただの部落ヲタなんじゃないのか?w
285 :
141:2006/04/08(土) 02:21:32
>>282 研究者(笑)
ただの部落ヲタのくせに…。
文句があるなら岩波日本史辞典にいえってw
てゆうか、その他の辞典類も大同小異だから、つまり一応こんなところが
学界の共通認識だから、文句があるならこんなとこでウジャウジャ言って
ないで、論文書いて是非とも学界に一石を投じてくれw
てゆうか、ちょっとアンタ文章の読み方浅すぎ。
必要条件と十分条件、あるいは逆・裏・対偶について、もっと認識しましょう【2】
歴史学ってゆうか、社会科学てゆうか、いや日本史についての基礎知識なさすぎ【3】【4】
先行研究つぶしたいんなら、まず先行研究をしっかり理解しましょう。
フーリエ解析の話してるところへ、四則演算の話持ってこられても困るから。
そんなこと遙か昔に論じ尽くされてるよ、としか言えない。
本嫁という書き込みが多いのもそのせいだろ。
学問てゆうか議論てゆうのは共通の土台があってこそ成り立つんで、
土台から異なってるんじゃ、意思疎通しようがない。
身分という日本語で連想するものが違ってるんじゃ、会話不可。
で、結局江戸時代は悲惨だったの?
関係ない議論はよそでやってよ。
288 :
141:2006/04/08(土) 02:31:18
2ちゃんなんかだと、匿名だし、相手が何者かわからない。
よって、以下のような論理展開をする者が多い。
・学会一般では〜言われている
・歴史学の反省点なのかも
・研究者としては〜
といった言葉を使って、まるで自分を一段上の権威者かのように振舞う。
例えば、ちょうど、身分制度の【4】を必死で演出しようとする。
実際は読んだ本の共有知識を披露しあいたいだけのただのヲタw
相手も同じ本を読んでるという事は夢にも考えない。
学術系のスレではこういった人たちが頻出する。
IDが出ないスレでは自作自演もいとわない。
289 :
141:2006/04/08(土) 02:34:04
>>286 あんた、俺の事を馬鹿にしたくて仕方ないみたいだけど、な〜んも伝わってこんよw
俺を馬鹿にしたいという意思だけは伝わってくるけど。
先行研究(笑)
>>220-223 ちなみに最近の歴史人口学では、実は嬰児殺しはあまり行われておらず
余剰人口は江戸や京都、名古屋へ流れ込み、大抵が家庭も作れず早死して
人口が均衡する役割を果たしていたとされてる。
292 :
141:2006/04/08(土) 02:44:42
歴史学、社会学、歴史人口学、はては数学ネタはで飛び出してきた。
権威者を演じようと必死なんだなぁ…。
ある種のコンプレックスが垣間見えて哀れを誘うw
>>292 まてw 俺まで巻き込むな。
俺は少し前に来てさらさらとスレを見ていたら
誤った220の書き込みを見たんで訂正入れただけだ
>>288 あんたにとって学界ってのは存在意味のないものなんでしょ。
俺みたいなヴァカはさ、これまでの先人の研究を参考にしないと
何も言えない訳よ。ヴァカがいくらほざいても、何十年、何百年も
多数の先人が長年論じ合ってきたことを、なかなか覆せないわけよ。
たとえば哲学ってのは人生とかについて考える事だから、みんな
それぞれ勝手にやればいいわけだが、大学の哲学科でやらされること
っていえば、カントとかを原書で読まされたりとかさ、他人の思想の
奇跡を追うわけさ。そのうえで初めて自分の意見を開陳する。
俺は別に自分を権威付けしてるつもりはないよ。
ただ先人の研究に敬意を払うか否かって点では、あんたとは相容れないみたいだね。
当たり前だが、敬意を払うってことと、盲従することとは違うぜ。
批判対象として乗り越えてこそ、恩を返せるってもんだ。
あんたみたいに気楽に言いたい事言えるのは本当に幸せだよ。これからもお幸せに。
>先行研究(笑)
何がおかしいんだろ
296 :
1:2006/04/08(土) 02:59:28
てゆーかおまえら脱線しすぎw
297 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:05:08
だね。
そろそろ戻しましょ。
298 :
141:2006/04/08(土) 03:07:14
基本的にただのヲタなので、知識共有して馴れ合えないと思うと、すぐに敵対する。
相手は自分とは違う下等な人間だと上段より見下す事しか出来ない。
見下すためには歴史学、社会科学、哲学、数学、などあらゆる一チョ噛み知識を権威付けに利用する。
本人は一研究者のつもりらしいが、所詮、ヲタの域は出ず、発想も考え方も10年来変らず、同じ事を言い続ける。
おそらく10年後も同じ事を言っている。
これ、全てヲタの特徴w
299 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:26:32
いやいや、馴れ合えないんじゃなくて
議論すら出来ない、喧嘩すら出来ないってことなんだよ。
わかんねえかな。
チューリップってきれいだね、いやそう思わない、って会話してる
ところへ、いやあれはチューリップじゃない、俺のチューリップて
のは、シダ科の植物で‥‥、なんて言われたらさ、黙り込むしか
ないじゃん。
もういいよ。他の方に迷惑かけてるようだし、もうやめよ。
(ていってもやめないかな。以外と粘着質だな。そのカキコの労力には敬服する。←皮肉じゃないよ)
300 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:27:17
おまいらウザい
301 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:27:57
>>253-255士農工商自体は後世の創作かも知れんが封建制というのは身分(格式)でガチガチに固められた世界で
身分差があると直接会話も出来ないぐらいの世界ですぞ。まあ、その為に側用人や庄屋みたいな中間層が必要なわけだが。
農工商から士になるのが難しいだけで
その他は固定された身分ではないだろ
hininnnihanarerugaetanihanarenai
304 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:40:03
>>302そんなことはない田舎の農民は簡単に村を離れられないし、零から商売を始められるのは江戸・大坂・長崎ぐらい
だったらしい。金沢など商売地も戦国期の身分で分けられてたという話よ
305 :
141:2006/04/08(土) 03:40:36
>>302 その事を「武士とその他大勢」と言ったら、細かい例外を列挙され、そんな単純なモノではないと言われました。
複雑な事象を単純化するなと言われました。
ちゃんと書いてる事や、知ってる事まで、知らないという事にされました。
歴史学、社会科学、哲学、数学などの例を出して、馬鹿だと言われました。
お前のような気楽なやつは好き勝手書けて良いなぁ、と言われました。
本を読めと言われました。
ケンカ出来ないと言いつつ、馬鹿だアフォだと言われました。
彼はどうしてあんなに必死に僕に食って掛かってきたのでしょうか…。
306 :
141:2006/04/08(土) 03:46:00
>>304 子持ちのリーマンが簡単に政治家になれないのと同じ。
307 :
141:2006/04/08(土) 03:56:41
このレス以降、武士、百姓、商人などなどについて、それぞれ語られる方がおられるかと思いますが、
おそらく、貴方の武士、百姓、商人に対する理解は単純すぎます。
実際はもっと複雑なのです。
武士なのか百姓なのかも区別がつかない人がいました。
公家なのか商人なのか区別がつかない人もいました。
そもそも何者かも分からないような人もいました。
それらについて触れず、単純化して語る事は過去の学者の研究を冒涜する事になります。
江戸時代を気楽に語ってはなりません。
彼に怒られますよ。
まずは多くの本を読んで、彼と同じ知識を共有してから、書き込みをしましょう。
>>304 農民が村を離れるのは自由だったけど‥
というか、ある時期からは五人前後で経営する農民が多くなり
家を継ぐ長男一家以外は本家で下働きするより同郷人の人伝で
近隣の城下や大都市へ奉公に出る方が多かったらしい。
309 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 05:03:04
まあまあ、141さん、そうひねずに。
あんたにくってかかってたのは少数だよ。
>>290 どうなんだろうね。嬰児殺しに言及した同時代史料はけっこうあるからな。
浄土真宗が盛んな地域では少なかったという話は聞いたことあるけど。
インドのカースト制度に比べればよほど融通がきくとはいえ
やっぱり身分制度はあったと考えるべきだろう。
現代と同じというのはやっぱり極論だよなぁ。
312 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 11:13:08
>>290 >ちなみに最近の歴史人口学では、実は嬰児殺しはあまり行われておらず
ソースは?
こんな本に書いてあった、でもいいよ。
江戸期に嬰児殺しが多かったというソースならいくらでもあるよ。
不思議なことに、江戸以前には日本では嬰児殺しは少ないんだな。
江戸期に特徴的で。
313 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 11:22:55
そもそも江戸期以前に嬰児殺しについて語っている文献がそんなにあるのか??
平和な時代じゃないとそういうのは書かないのでは?
間引きの歴史についての本が産婦人科の待合室(よりにもよって)にあったんだが、毒草を突っ込むとか一日数度川に漬かるとか色々方法が発展してるみたいだからそれなりに件数が多かったんでないか。
315 :
141:2006/04/08(土) 12:08:26
江戸の嬰児殺しと、今の胎児殺しは大して変らんだろ。
その時代の医療レベルや倫理的に許容できるか否かのレベルの話だし。
目的は同じなんじゃないの?
ようは育てるコストの問題でしょ。
江戸の嬰児殺しは江戸の暗黒面だが、現代の胎児殺しは現代の暗黒面ではない、ってのも変な話。
もし、現代の胎児殺しが暗黒面だと思う人なら、当時の嬰児殺しも暗黒面だと感じるだろう。
所詮は、社会の倫理的許容レベルの問題だし、時代によって変る価値観だから意味なくね?
316 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 12:14:32
江戸時代は暗黒だった悲惨だった最悪だったetcみたいな薩長史観やマルクス史観はもう秋田
317 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 12:23:48
今でも中絶は年間30万件もあるくらいだ
出生率の高かった70年代初めぐらいまでは100万件を越えていた
人口三億のアメリカでは今も170万件ぐらいある
堕胎や嬰児殺しはいつの時代も同じ
チンコマンコの奴隷である人類の宿命
そうそうバカップルが性欲に負けてSEX
「げっ。子供ができちゃった。そだてる余裕なーい。‥‥おろそう‥‥」
なんて構図は今も昔もこれからもかわらん
今の日本が胎児殺しの大国であることは恥ずべきなのに
コンドームも堕胎の技術もない江戸時代の母親の間引きをどう非難できようか
むしろ江戸の母親の方が痛い思いしている分だけ可哀想だ
319 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 13:13:01
今は高校生での堕胎が圧倒的に多く、中学でも珍しくはないよ。
遊んだ時に話すと意外と中絶経験ある子、多くて俺は鬱になる。
今の人間が江戸時代の堕胎を非難はできないだろ。コンドームあるクセによ!
バカップルはおろすより結婚だろ?で、馬鹿子が生まれ育つ
320 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 13:58:11
なんだか熱い夜だったみたいでなにより
数年前に同じようなスレがあったんだが石高自体の根拠はないがなぜだか
一石=一人
の計算が成り立つんだよねって話を思い出したよ
>>312 歴史人口学見た日本、という本に書かれてた
内容に疑問がつくこともちらほらあったけど、嬰児殺しに関しては
宗門改帳から説明されていて信用できそう。
その本によると、嬰児殺しはあったが現代の中絶と同じ程度かより低い割合なんだと
>>317 実際は100万件超えるとの説もあるよね。
323 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 16:52:35
年間100万人も嬰児殺しをやっていれば、それにまつわる文化も
できるわけだな。
年貢が一番重かった地域と年貢が一番軽かった地域はどこなんだろ
彦根領最苛斂、伊達氏最寛なり
らしい。
326 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:20:34
というか、土地に縛られている農業が大昔から最も損な役回りだろう。
補助金が来る戦後でも、まじめにやる農家のほうが損してるから。ーー都市的・広域的な視野をもつ指導層が必要だと思うが、土地を保有していることでどうしても縛られてしまう。
領主権力を指す言葉の一つに「勧農」というのも、
本来農業を嫌う人間のほうが多かったということだと思う。
327 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:23:46
被差別部落、門徒、隠れキリシタンは間引きをあまりしなかったので人口が江戸期にも増加しているようだ。
328 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:25:52
文学でつくられたイメージも大きいが、
腕のよい職人は、どこでも生きていけるので、気楽で喧嘩もできてきっぷがよく女にもてた。
329 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:47:47
実際に長男というか跡取りは土地に縛られたであろうが
次男以降はふらふらとどこぞへ出稼ぎへ出てるだろ
どこぞへ奉公、どこぞで修行、どこぞへ養子
330 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 20:02:40
しかし長男が病死して跡取りいないと他の職で1流になってても
後を継がないといけなかったり、その辺は厳しいよな。
うちの祖父の祖父がそうだったそうな。
331 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 20:06:10
今の価値観で語るなよ。縛られないとか、今の感覚では「気楽」なのだろうが、
江戸時代では、せいぜい小作だから悲惨なもんだ。手に職たって、職業訓練校
なんてあるわけもなし、弟子入りしても厳しい生活が待っている…。
>>331 酒田の本間家なんかは、徐々に土地集積していった大商人だけど
大勢の小作人を抱えて成り立ってるわけだしね。
333 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:36:04
間引きすると男女比が偏るのでわかるんだな。
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~hamano/eap/japanese/1.htm 1.4.2.3 家族形成と間引き
以上の分析結果に示されたように、この東北2村では夫婦の出生力の意図的制限、
とくに子ども数による制限であるところの「家族規模制限」が強力かつ広範に行
われていたと考えれるが、ここではさらに、家族形成のパターンからみた出生児
の性比(より正確に言うと人別改帳に記録された出生児の性比)を分析すること
により、有配偶女性の出生力制限行動のメカニズムを探った。表4には、東北2
村における生存子ども数とその性別構成からみた人別改帳に記録された出生児の
性比(出生女児100人に対する出生男児数)が示されている。人為的な制限が
なにも行われていない状態での出生児の性比は通常(女児100人に対して男児)
104〜107であり、この表の分析結果は、この東北2村では生存児の数と性
別による強力な家族規模制限が行われており、その制限は生まれた嬰児を間引き
(infanticide)することによって成し遂げられたことを示している。
334 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:54:34
http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG627.HTM 下層農民の第三子以降の男女比は不自然である。男児が女児の倍に近い。上層農民
に比べて、出産間隔もあとほど長くばらつきも大きくなるなどの不自然さが指摘さ
れる。子供数の制限、生み分け(男児選択)が行われている。堕胎や間引きは当時の
統計資料には現れぬので学者の腕の見せ所である。堕胎は母体に危険であるから、
実際は間引きが優先したらしい。水子地蔵奉納の一番の動機なのではないか。しか
し、出生制限の幅広い実施は、生活水準の維持を可能にし、前近代経済成長を助け、
1人あたり所得を引き上げることに成功させたと考えられる。それが19世紀後半に
工業化の過程へ離陸するに際して、日本と中国の異なる歴史的運命を決定する重要
な原因だったと指摘している。清、李朝朝鮮その他諸々のアジア諸国が近代化に立
ち後れてしまったのは、基本的には彼ら自身の体制にあるとするのは当然である。
335 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:57:01
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/jinkou996.html ちなみに、19世紀以降、中国の近代化が遅れた原因の一つは、人口増加にともな
い一人あたりの生活水準が劇的に低下し、資本の原始的蓄積ができなかったからで
ある。一方、日本は江戸時代中期以降、「間引き」などの荒っぽい人口抑制法によ
り静止人口を維持したため、江戸時代後期の一人あたりの生活水準は急速に向上し
た。この江戸時代の蓄積なくして、明治以降の急速な近代化は不可能だったと言われる。
近代の中国は、毛沢東(1893−1976)が死去するまで「生めよ増やせよ」の時代が続く。
336 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:06:01
そういえば、職人とか商人以外の町人って結婚率が低かったんだってね。
特に江戸は男女比が極端に違ったからよほど財力持ってないと結婚できなかったとか・・・
地方では逆に出産環境が悪いせいで生命力のある女性が多かったとか
337 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:41:31
貧乏人は結婚できない。
普通だと思うが。昔は。
338 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:45:28
結婚率1割切ってるのはイメージと違うけどなぁ
339 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:19:21
>>1 結局江戸時代は嬰児殺しという手法で人口制限したことにより
豊かな社会を作った可能性が高いな。
340 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:22:35
歴史を価値判断しようとする事自体アフォ
今の世がいいか悪いかなんて、人によりけり
てゆうか同じ人間でも観点・気分・時々‥‥によって違って当然
341 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:52:16
江戸時代が悲惨かどうかは別として、栄養状態が悪かった事は
写真を見ればよくわかる。頬のやせこけた奴ばっか。
342 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:01:22
これ以上ないくらい、国土を開発しまくって、平和だからぎりぎりの生態系だったんだよね。
343 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 01:02:00
>写真を見ればよくわかる。頬のやせこけた奴ばっか。
写真撮影のとき凝固しなければいけなかったせいなので、
こわばった顔が映ったのしか残らなかったせいかもしれないよ。
実際、無表情な顔だったと断定はできないのでは?
>>333-334 そこを読む限りだと、東北地方特有の現象としか読めないような
西国、畿内には有為な差が無いと書かれているし。
345 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 04:51:53
東北は貧しいとかいわれるが、会津や山形なんかの農家は裕福
南東北の日本海側はやませによる冷害の影響を被りにくいからな
案外、四国九州の方が酷かったりする
現代でも日照りで水不足になるのは西日本だからな
346 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 08:54:23
>>339 喰えないからヤヤコを殺さざるを得ないのに何言っているんだ。
誰が好んでわが子を殺すんだ?
347 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 09:08:37
有元正雄さんの本からの引用だけど
例えば佐藤信淵は『経済要録』という本で
堕胎・間引きが「奥羽及び関東諸国には殊に多し、
中国・四国・九州等も子を殺す者極て多し」
と記しているし、越後長岡藩士河井継之助が記した旅日記『塵壺』には
「安芸は至て人衆し、是は近国と違ひマビカざるの故と」とある。
明治九年の「島根県史料」によると、
「抑山陰ノ各国タル其情況概ネ大同小異ニシテ其□(人ヵ)倫ノアル処ヲ
弁スルモノハ僅々晨星ノ如シ、故ヲ以テ旧来生児圧殺ノ惨酷ヲ試ミ恬然之ヲ
怪マサルモノ実ニ算スルニ遑アラス」
天保十三年に百姓達が五条御役所・奈良奉行所に出した願書には
大和国では「おろし屋と唱、堕胎之療治致候もの所々ニ有之」
「適々受得たる人躰を暗りニ而殺害致候儀、
当国中ニ而毎年幾人とも無限、誠ニ天命不恐」
とある。文献史料からみると、全国的にやられていた感じが強い。
ちなみに、浄土真宗が強い地域では基本的に堕胎・間引きが少なく、
信仰の影響を考えるべき、というのが有元さんの考え。
349 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 10:31:53
>>348 信仰が人口を決定できるわけない。
馬鹿馬鹿しい。
350 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:07:46
>>346 http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson24.html 一方、慶応2年(1866)佐久間義隣『一夜雑談』では身勝手
な嫁の側が批判されています。子育てのために物見遊山もで
きず、おいしいご飯も食べられないのはイヤだと、さほど困
窮しているわけでもないのにこどもを産まない(あるいは間
引く)女がいる、と記しているのです。ほら、どうです、歴
史資料の行間から、冒頭に示したような姑と嫁の会話が聞こ
えてくるではありませんか。
現代の倫理感覚をあてはめてしまうと、間引きというのは、
日々の食料にも事欠くほど貧しくて、こどもを養えないので
涙ながらに仕方なくやるものだろう、とドラマチックに考え
がちです。しかし、どうも実際には、ある程度の生活水準を
維持するために、あえてこどもを増やさないという例も多か
ったようなのです。
351 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:11:57
>>349 カソリックが堕胎を禁じなかったら?
イスラム教が4人までの妻帯を認めなかったら?
352 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:34:17
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/woman.html 鎖国直前に来日した宣教師コリャードの『懺悔録』(1632)に、暴力的方法により
何度も中絶した日本女性の告白が出ている。また宣教師ルイス・フロイスも『日欧
比較文化』 で「二十回も堕胎した女性がいる」と驚きの目をもって語っている。
日本における堕胎と間引きの習慣は、来日外人をよほど驚かしたものとみえる。
(立川昭二『日本人の病歴』中公新書 178頁より要約)
中国人やヨーロッパ人は、堕胎や間引きより「捨て子」「子供売買」を選んだの
である。
http://www.kyoto-su.ac.jp/~rvulp/nitibunAnanban.html 中絶
中絶、子供の間引きなどが平気に行われたことは驚きだった。こういうことはキリ
スト教にとって重大な罪である。当然、こういう行為がヨーロッパにもあったことを、
宗教家だったイエズス会の宣教師はよく知っていたが、理解できないのは日本で平気
で公然と行われたことである。それも「悪い宗教」の結果とされていた。たとえば、
ヴァリニャーノは「日本で母たちがその子供を殺す風習がある」ことを記録すると、
それは「大部分比丘尼に発している 」と指摘することで、仏教の腐敗が国民に悪い
影響を与えていると説明する。
353 :
1:2006/04/09(日) 11:36:14
>>346 >喰えないからヤヤコを殺さざるを得ないのに何言っているんだ。
>誰が好んでわが子を殺すんだ?
現に、中絶しているのは先進国のほうが多い。
貧しい地域は、働き手が欲しいので無計画に子供を多く産む。
ひどいところなど、子供らに食わせてもらっている家もあるくらい。
よっぽどの飢饉や災害がないかぎりは
食わせられない、育てられない、などの理由で子供を殺したりはしないのでは?
堕胎は、貧しさからというよりも安定を維持するためだと俺は思う。
354 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:40:06
>>352 キリスト教徒以外を弾圧、虐殺、差別していた人間が非難してもな・・・・・
間引きは世界的な悪習慣なのに
355 :
1:2006/04/09(日) 11:42:57
倫理的模範を教義にもりこんだ宗教を信仰する地域はろくなもんじゃない。
イスラムしかり、アングロ、ラテンしかり、中国、朝鮮しかり
356 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:49:27
>倫理的模範
て檀家制度で全国民を組み込んだ日本の仏教だって同じ
むしろ輪廻を本気で信じていれば嬰児殺しは容易になる。
水子供養まであるし。
357 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:52:45
>>352 堕胎するくらいなら奴隷にしろよ
という発想かな
輸送中に死にまくったわけだがそれは自分らの罪ではないと。
日本を植民地にして奴隷にしてあげよう
というキャンペーンですな
358 :
1:2006/04/09(日) 11:53:30
輪廻を本気で信じていれば、墓などつくらないわな。
日本は外来のものに本気で染まったことはこれまで一度もない
日本には神道という原始宗教の基盤があった。
神道は善悪をはっきりとは区別しない。
359 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:59:25
360 :
1:2006/04/09(日) 12:05:02
>>359 ちがうわ。
日本は仏教が伝来する前から、墓をもっていたし、先祖信仰してた。
神道は穢れを嫌うので、境内に遺灰をうめることはしなかったが
先祖信仰の対象物として境内にも位牌のようなものがあり、そして遺灰を埋める場所もあった。
そもそもお盆や彼岸というのは、仏教用語を借りただけで、行事はもともとは神道由来であり
他の仏教圏ではおこなわれていない。
あんたが主張するのは、スキンシップが英語だといってるようなもの。
>>360 縄文時代あたりの埋葬された死者とかいるしね。
膝折り曲げて埋葬されてたり。
縄文時代に儒教ってないだろうし。
362 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 12:23:18
浄土真宗がこう言ってるわけだが。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/01_09_14.html 釈尊と同じ時代に生きた孔子の教えは、儀礼を重んじた「儒教」とな
り、中国はもとより朝鮮や日本にも教えが伝わり多大な影響をもたら
しました。 その中で葬儀については、<人は死後魂と魄に分れ、魂
は天に昇り魄は地に降る>とされ、また<死後脱け出た霊魂が再び戻
って憑りつく場所が必要>と考えられたため、儒教の影響の強い人々
からは火葬は嫌われ、土葬が中心となりました。
実は仏教と儒教そして道教の思想は、中国において互いに影響を与え
合って展開していましたので、受け入れた日本でも当然混交して伝わ
ってしまいました。そのため後に「仏教以外の儀礼が影響している」
と分っても、単純に切り離すことが困難になってしまいました。ちな
みに年忌や位牌も儒教の儀礼が影響していて、特に位牌のしきたりは
禅僧が日本に持ち込んで定着させたものでした。
363 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 12:24:51
>>360 キリスト教の「墓」も儒教の「墓」も墓である点で同じと主張するわけ?
364 :
1:2006/04/09(日) 12:28:04
だーかーら
しきたりとか儀礼とか、そういう「形」は日本人は真似したがるが
本質は真似できないということ。
墓というのは、仏教国以外にはほとんどあるわけ。
インド人は燃やして川に流すし、チベットの人は鳥に食わす。
日本の墓の形や、位牌の形は、外来のものかもしれない。
けれど、外人の真似をしたがる日本民族ということにおいて
それはもともと日本に墓や位牌がなかったという根拠にはならない。
365 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:38:06
結論として、日本人には適正人口を保つ知恵があったので
江戸時代の農民は悲惨ではなかったということでOK?
農民をひと括りにするのも問題あり
豪農がいれば隷属的農民もおり…
山間の小百姓で、敷地30坪ほどの狭い家に住み…
>江戸時代の農民の生活が悲惨であったということが
>一般常識として、何の疑いもかけられず現代まで生き続けている。
これってさぁ、安土・桃山時代や明治時代と比べてっていうこと?
一般常識かなぁ。
仙台藩だっけ?検地が1回しかできなかったヘタレ藩って?
確か明治に検地したら隠し田が多く見つかって江戸時代の検地は
あてにならなかったって読んだ事あるんだけど、ホントかな?
薩摩が一番嘘の報告してたとかさ
ふと思ったんだけど、近、現代の総生産は第3,2次産業>第1次産業だけど
産業革命が起こっていない段階だと第3,2次産業は基盤が小さいわけで
生活に身近な第1次産業の方が優位なんじゃね?
371 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 21:19:42
>>366 んなこと言っても
どの身分だって貧富の差があったわけだからな
372 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 21:26:23
>>370 おれもそう思う
本来はというか、世界的に見ると未だに第一次産業の携わってる人の方が多い
戦争等で日常が壊れれば、第一次産業の方が圧倒的に有利になるよ
あー・・握飯が食べたくなる。。。
>>352 日本でも、近世後期には売られた女の子がたくさんいたけどな。
以前遊郭の文書をみたことがあるけど、
養子証文(という名の人身売買証文)が山のように出てくる。
「心得違いをして親元に戻っても、親元の方で責任をもって連れ戻します」
「そちらに養子にだしたからには、例え死んでも連絡には及びません、
葬式もそちらで出してください」とかいう文言が当然のように。
やっぱきつい時代だな、と思ったよ。
375 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 00:21:34
生涯5,6人は産むのが普通の時代だから、子供に対する考え方も現代とは違うな。
まずは労働力だったし、増えすぎて困ると思えば間引きもしたんだろう。
376 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 00:30:31
>>374 江戸時代には寺が経営していた遊郭などもあったようだし。
今の感覚で判断できない。
377 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 00:36:48
寺は金貸しも賭博もやってたしな。
378 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 00:42:20
檀家制度的には町役場であり公民館であり学校でもあるな。
379 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:00:50
遊郭への身売りって東北の貧しい所からが多かったんじゃなかったっけ?
資料を全部見たわけじゃないからなんとも言えないけどw
それと、武家からの身売りとか、士族からってのも多かったから一概に農民だけが苦しいとかは・・・
380 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:10:36
公家の身売りは無いのか?
身売りはないが、文書売ったり、知識売ったり、家業売ったり
382 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:32:05
いつの時代も、稼いでる奴もいれば、飯食えないぐらい貧乏な奴もいるのよ
今の時代は昔より裕福なはずだが、公園のダンボールで死にかけてる方々もいるわけで
384 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 07:51:59
公家の場合、武家への輿入れや、大奥への御奉公が身売りの一種で、娘の仕送りで暮らしていた公家も多い。
東北の貧農の場合、間引きされるのは男の子。女は売れるから。
美人の多い藩は豊かで、年貢もきびしくないので、娘を売る人が少なかったので、美人が多い。
貧農の場合、美人の娘から売るので(高く売れる)、美人でない娘が残るのだそうです。
385 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 08:24:12
全てではないが、昭和10年頃の飢饉で東北などの身売りなどで226事件が起こった。
386 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 11:08:40
江戸時代の百姓といってもいろいろいるんだが
地域によっても違うだろうが小作人でも主収入の米
以外の収入が結構あったみたいでそれなりに食うもの
には困ってないみたいだね
そのためには上にも出てたけど間引きなんかで
食い扶持を減らしてその分を余力にまわしてたみたいだが
あとサンカ研究の本を読んでいたら農繁期などの人手が
足りない時期にはサンカにもお手当て出して手伝って
もらっていたらしいね
387 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 12:59:04
江戸時代、いちばん食い物に困らず栄養状態がよかったのは漁師か?
388 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 13:12:09
漁師は常に死と隣合わせだったのでは?
今みたいに動力機械や天気予報もないしね
389 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:00:14
統計を見れば1960年代に比べれば圧倒的に
少年による凶悪犯罪の件数は減っているにも関わらず、
現在の少年犯罪はかつてないほど
凶悪化しているとの空気が漂っている。
これはひとえにマスメディアの
報道の仕方に起因するものと思われるが、
歴史を振り返るときも、これと同じように、
当時の状況を今に伝える媒体の違いに留意しなければならない。
19世紀までの貧農はただただ
お上に収奪されるままに死を待つのみだった。
自分の立場が不当に貶められてるかどうかなんて
考えるきっかけなんかなかったし、
太陽が東から昇り西に沈むがごとく
現状を普遍の真理として受け入れるしかなかった。
ところが、20世紀に入りヨーロッパからマルクス思想が輸入されると
それは貧農が声をあげ歴史の舞台に登場するための旗印となった
(東北地方での凶作と娘の身売りを背景とした、
ニニ六クーデターがこの典型)。
390 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:03:03
>>388 近海での集団漁業ならば、そこまでリスクは高くないよ。
リスクは今もそうだけど、全く無いってのは無いけど。
和船の技術・船大工の技術向上と世襲による天候や潮の読み技術の向上もあるし
強いて問題と言えば、鰯とかお金になる魚の漁獲量が安定しないことかな?
ま、今と変わんないけどねw
>>387 平均すれば、税金取られない商人だろ
といっても人数増えればダメだけど
392 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:04:31
明治になってからは明らかに農民への増税があったんだけどな
地租改正って小学校の教科書に載ってたの忘れました?
393 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:05:26
東北は悪しき、古来から間引きという日本一の差別的な土地柄!
394 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:11:39
>>389 今朝のワイドショーでも19歳の弟が姉を殺した事件かなにかで、
「なんなんでしょうね? この青少年の短絡した殺人は? 私たちの世代の理解を超えてる」
みたいな発言を鳥越とか渡辺アナがしてた。
「おいおい、子供をマンションから投げ捨てた時には、中年世代の問題には言及しないのかよ!」と
一人突っ込みを入れてた俺。
395 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:53:29
>>393 条件反射的な善悪は学問板なんだから止めなよ。
現在と過去の道徳基準は違うんだから。
日本にどれくらい儒教が広まってたか知らないけど、
儒教国家では、親が生き残るために子を殺すのは当然で
子にとって親孝行の基本的なあり方になってる。
396 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 14:58:05
>>394 自分に利益ある言い方しか人はしないからなぁ
>>389 どこの出典か知らんが、そういうこと。
主義主張の正当性・有利性を解くものは事実と大きくかけ離れてるのがほとんどだよ。
しかし‥南部藩って確か、土地があって人足りずじゃなかった?
なんで間引きなんかしたんだろう
>>397 そうすると本当に間引きが言われてるほど行われたか疑問が出るね
土地があっても育てるための資金がなければ育てられねーべ
豪農が引き取って育てるなり、小作人になる事を条件に
養育費を貸し付けるとかしないと無理じゃないの?
400 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 17:43:46
資金てなんだ?
農家なんてほとんど自給自足なんだし
子供も10歳くらいて゛一人前に働いてたろ
なんだ?養育費て。
現代っ子じゃねぇんだから
401 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 17:51:04
食人
402 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 17:51:11
土地が余っていても開墾しなければならないのであればその期間内人を育てないといけない
その余力があったかなかったかということ?
403 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 17:51:52
東北地方ではカニバリズムが盛んだったから、
男女の人口比のアンバランスはそれで説明ができるのでは。
>>400 めんどくせーな、養育コストの事だよ
自給自足でもコストは掛かるだろうが
>>402 そういうこと。
>>403 カニバリズムについての根拠何?
東北と全部をさすってことは広域での証拠があるってことだよね?
407 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:17:31
そ ん な 量 の 人 間 を 農 民 達 だ け で 食 べ れ る の か??
408 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:26:13
>>400 自給自足出来ないから富農に使役されてたんでしょ
409 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:37:59
新田開発は人口増加問題の解決になったか?
410 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:13:50
山の奥の奥まで開発したから、もう余裕がありません。
411 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 04:14:04
>>405 1960年代の犯罪数が今よりはるかに多かったという事実には
何ら変わりが無いよ。
412 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 05:49:53
>>360(・∀・)凸 ◆7xuwBG6R9k
「縁組も同じ身分同士とされ、いわゆる部落内婚にかぎられた」つまり小林茂氏が言う《部落内婚》とは「同じ身分同士の婚姻」を指すのであり、
こんな短い文すら読めない馬鹿は消えろ。
「同一村内に限られた」など一言も書いてないではないか。
>奉公の行き先も、エタ身分の所にしか認めない。←馬鹿か?
単なる奉公と年季奉公を混同している馬鹿。
おまえ、なんでわざわざ小林氏が「年季奉公」と書いたのか理解していないだろ?
小林茂氏はその著作「部落差別の歴史」の通婚圏に関する項の結びで
こう述べている。
『部落民の奉公人雑居禁止や「エタ狩り」「無際限尋」などという支配者側の幕藩体制引締め策の犠牲にされたことは、
本村や近傍の寄生地主層にとって雇用容易な小作人、農村プロレタリアートとして、
その労働力を収奪し得る法的援助を得たことになる。
ことに幕末に奉公人雇人の賃銭の高騰を見るに至っては、
ますますその労働力の供給源として格好な存在たらしめたと思われる。』 また、
>>321で馬鹿=(・∀・)凸 ◆7xuwBG6R9k
が「幕府は永尋ね令の中で部落婚に限定した」とか言っているが、
永尋ね令と文化十一年十一月の御付札はまったくの別物。
その違いすら気付かないレベル。
413 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 05:51:57
414 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 06:10:13
日本史板なのに、江戸時代に士農工商なんてのがあったなんて思ってるのが異常。
江戸時代にあったのは「武士」「町人」「農民」。町人と農民の区別は居住地に
よる区分で職業別ではない。それと「町人」というのは町に持ち家を持ってる
層のことでいる人間すべてを指す農「民」とは違う。
持ち家を持たない町の借家人は、住所不定で何にも属さない浮浪者であって
町人ではない。
415 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 06:13:19
>>82 主要都市って昔と今を一緒にするなよ。江戸時代の最盛期ですら、
武士50万人、町人50万人だったんだから。
町人の居住地のほとんどは東京大阪京都に集中してたらしいし。
田舎の大工とか職人・商人は農民。
>田舎の大工とか職人・商人は農民
アホ? 職人・商人は戦国時代からあるし、職人・商人は職人・商人なんだけど
農民の子息が職人・商人へ奉公したとしても、そりゃ農民じゃないよ。
>武士50万人、町人50万人だったんだから。 w
417 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 10:30:09
身分上では農民
>身分上では農民
なんだそりゃ?
419 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 11:03:00
江戸時代前は武士でした
主家が転封になりついてくるなといわれて帰農しました
しばらくして子供が多すぎたので町の商人に奉公にだした
息子は立派に商人の娘を嫁にもらってその商人を継ぎました
さて問題です
この商人の身分はなんでしょう
だから、身分てなんだよw
421 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 11:24:58
要するに武士以外はみんな「百姓」なんだよ。町人も百姓。
423 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 13:17:58
424 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 13:20:07
425 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 13:23:02
町人て身分なの?
いまでいう、都会人みたいなニュアンスじゃないの?
426 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 13:24:44
年貢を納めるもの=農民
町で間口税を納めるもの=町人
収められた米で給料をもらうもの=武士
427 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 13:29:14
正直、町人とか農民は、身分とかいうより、支配のための便宜上だよ。
今で言うと公務員の武士側から見た言葉。税金の納め方の違い。
428 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 13:31:21
税の払い方のちがい=身分のちがいなの?
429 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 13:33:28
士農工商って言葉は江戸期にはないし、もともと孔子の言葉を
明治期に引用したわけで。徳川幕府は重農主義だったからね。
織豊政権だったら武商工農だったでしょ。重商主義だから。
ところで孔子のいう「士」というのは徳のある人と
いう意味で、武士という意味はないらしい。
孔子があえていうと、士農工商武だろうね。
430 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 15:02:38
馬鹿じゃないの?
自分で書いた文の意味も分からんのかよ
431 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 15:25:36
428は横レスね
432 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 17:04:13
2ちゃんを1対1でやってると思ってるのか?
馬鹿じゃないの?
いまだに身分固定の制度があったと言い張る化石さんは、放置駿河吉
>>415 その田舎にも、町と呼ばれる土地はあるんだけど。
村=百姓、町=町人
>>397 今の岩手県と当時の南部藩は若干面積が違うけど(特に北部と南部)
今の岩手県の面積でも総面積の9割以上が人が住むに適さない山ばかり
三陸沿岸の一体ですらほとんどが山ばっかりで可住面積が極端に少ない
つまり今の時代ですら県面積の1割未満くらいしか可住面積がない
今の時代でそれだから当時の時代ではほとんど無理なのは確か
つうか可住面積も耕作面積も無いに等しい訳でこれでは
土地が幾ら広くても実質的にはほとんど無いのに等しいし
まぁそれ以前に南部の悪政って言う台詞も有る様に
そう言う土地柄だってのを考えもせずに土地の利点を探そうともせずに
苛政を行った南部藩の暗君揃いの歴史が一番なんだけどな
今でこそブランドになってきた岩手三陸の魚介類ってのも実際は20世紀
になってから発展したものだし
当時はそう言う発想も知恵も回らないでただ搾取しか考えてなかったから
最後には日本最大の一揆の三閉伊一揆を起こす羽目になった訳だが
436 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 07:53:14
人が住むのに適さないって
いまは電気とか水道の問題があるからだろ?
むかしは、山でも棚田とか作ってなんとか住んでたんじゃない?
てか、岩手てそんなに山多いか?広い盆地とかあるじゃん
土地の9割が山で人が住めないなんてのは和歌山とかだろ
437 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 09:13:34
米の品種改良、農業技術が進んでいない江戸時代に南部藩で米作は致命的だ。
438 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 09:42:28
今、江戸時代の稲作について調べてみたけど、明治後期まで岩手県が最北だったそうだ。
だから、南部藩だと稲作は絶望的だなw
ただし、変る穀物やイモ類等の栽培が行われていたらしい。
詳しくは帰ってからもう少し調べるが、作物よりも水産資源などの方がメインだったようだよ。
南部藩で稲作がきついのは常識だろ
だからといって、何も作物が作れないわけではないよ。
>>436 立体地図見りゃ分かるよそんなもん
岩手の9割は山
広い盆地なんて存在してない
精々南端の一関辺りが若干平野が有る位
でもあそこは元々伊達系列なので当時の南部藩には関係無い
知ったかでもの言うな
>>439 南部藩のアホなところはそう言う他の作物でも
代替で払うって価値観が無かった事じゃねーの?
つーか南部藩の連中は歴代バカ揃いだから
その土地に見合った方向性の発展を全然考えず
名目の石高にこだわってひたすら搾取ばかりしたところだろ
だから他の藩から群抜いて一揆も多かったんだろうし
幕末前あたりには日本最大の一揆までしでかしたんだし
どっちにせよ南部藩がアホなのは事実
442 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:09:06
そのくせ岩手て、結構歴代首相を輩出してるんだよな
民主の代表になった小沢もそうだし、
これらの政治家もアホっぽい?
小沢は決定だが
443 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:42:21
どうしてこのスレの人は米の心配ばかりしてるの?
お米食べた事ないの?
444 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:53:17
江戸時代の通貨って金・銀・銭ですよね
通貨造幣所もあったわけだし
米本位から通貨本位に変われなかったのはなんでですかね?
445 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 17:00:27
>>444 一因として考えられるのは幕府が改革し難かった政治体制だからということ
武士の給金を完全に通貨本位でできたならば米本位は無くなったと思う。
でも、通貨本位にするにはそれぞれの領地の特性
例えば、表石高と裏の違いや米自体の質の違い、また土地からの物産の違いがある。
それらを公平に解決する基準値をつくらなきゃいけなくなる。
相当な大仕事な上、幕府の上級職を相手にしなくちゃいけない。
上が米本位だから武士という手前待遇格差をつけ下だけ通貨本位にするわけにもいかない。
結局、そこまでの改革をできる人が現れずずるずる幕末へ
別に米本位でもええやん
価値が決まっていて長期間使えるのだから問題無い罠。
つーか、江戸時代は初期を除いて通貨本位だけどね
448 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 07:45:33
449 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 09:43:40
450 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 09:53:58
石高を貫高に変えるとなんかいいことあったの?
銭納しやすい
452 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:02:51
で、
江戸時代の農民は本当に悲惨だったのか?
への答えは?
このスレを読めば大体検討つくだろうが
イマイチつかないと思う
悲惨だった農民もいたであろう
455 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:38:02
悲惨な方が一般的だったんじゃないの?
456 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:41:32
食い物に困ることはそれほどなかったが、悲惨でないとはいえなかった、
でOK?
457 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:09:53
>>1 一年のあいだ、人がひとり食べていけるだけの米というのは、
およそ一俵(60kg)である。個人差はあると思うが、それが基準である。
江戸時代、幕府の制度(俵入)は、1表=3斗5升(0.35合)が標準
地域によっては、1表=5斗(0.5合)の藩、1表=3斗3升(0.33合)の格差があるそだ。
それぞれの地域の俵入も気候・情勢によっても農民から摂取される度合いがある。
「地方凡例録」 著者;大石久敬 より
米の相場高騰で庶民の米購入がおぼつかずに一揆の要因となり、凶作で
農民は飢える事になる。
一概に普通の生活が出来たとは言いがたいのではないだろうか?
なんか全然語られてないけど、江戸時代の農民で
専業農家ってほとんどいなくて、兼業農家だらけなんだよな。
一番身近な賃金労働は、幕府や藩が行う治水等の公共事業の土方。
出稼ぎでは、冬季の杜氏や高遠石工とかが知られている。
川柳では好色な相模下女が大勢いて、武家屋敷の住み込み女中を
農家の若い女がやってるし、乳の出る若い農家の嫁は乳母となっている。
結局、悲惨な農民ってのは博打にはまって田畑を売り払っちまったバカや、
酒に溺れて体こわして働けなくなったバカみたいな、どの時代にも存在する
バカぐらいなもんだと思うぞ。
例えば、河川の氾濫で路頭に迷う小百姓もいたんじゃないか
有力者は高台に住んでるけど、危うい場所に屋敷があったりして
潰れ百姓とか。
460 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:28:48
>>475 誤字が多すぎる
一俵=0.4 石( 4斗) (60kg)
一俵=0.35石(3斗5升)幕府の標準
一俵=0.33石(3斗3升)
一俵=0.5 石( 5斗)
だな。
461 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:32:38
>>458 今みたいに、自由に行動できる方が就職が良いって訳でもないぞ。そんな公共事業がいつも
あるわけもなし…。結局、土地を持たない者は、山奥を自ら開墾するか、小作人になるしかな
いから、結構つらい生活だとおもうけどね。30代半ばで過労のため体の調子を崩し、まともに
働けなくなるパターンが多かったんじゃないのか?過去スレからするとさ。
462 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:41:10
映画『たそがれ清兵衛』の清兵衛は50石の下級武士で、
かなり貧困な生活が描かれていたが、河原の釣りのシーンでは
飢え死した百姓が川上から流れてくる様子も描かれていたな。
まあ、皆、大半は豊かな生活ではなかっただろうに。
463 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:51:49
飢饉に苦しむ庶民の為に芋の栽培を進めました。
464 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:55:59
農林1号 薩摩芋??
465 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:58:19
天明の大飢饉(1783)
天明の飢饉は関東の潰れ百姓を増やした
江戸時代だろ、幕府による
江戸を中心にした世の中だろ参勤交代とかW
467 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:07:41
2.農村の分解
(1) 農村の分解…封建社会の基盤である農村の根幹的構造の変化
A.崩壊前の農村
(a) 農村の中心は本百姓(江戸初期には理論的には水呑百姓はいないはず)
※検地帳にはその土地の直接耕作者が記載されたがゆえに
(b) 本百姓が年貢を貢納(検地帳に記載されたがゆえに)
(c) 自給自足の農村経済
B.崩壊した農村(18世紀以降)
(a) 本百姓の困窮化 → 小作人(水呑百姓)化
・あるいは年季奉公や日用稼ぎに従事(さらに貨幣経済に巻き込まれる)
(b) 寄生地主の出現
(c) 自給自足の農村経済の崩壊(貨幣経済の浸透)
468 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:08:25
(2) 農村分解の要因…農村の自給自足経済の崩壊、百姓の困窮化をもたらしたもの
A.領主による過重な貢租…財政窮乏に対して幕府・諸藩とも貢租負担を増徴
B.天災飢饉の頻発
(a) 江戸期の凶作130回(うち大飢饉21回) → 時代が下るほど慢性的・周期的
(b) 江戸時代の三大飢饉
・享保の大飢饉(1732(享保17)…吉宗の在任中
西日本一帯にうんか害、作柄3分作、餓死者12,000人
・天明の大飢饉(1782〜87(天明2〜7)) → 寛政の改革(1788〜93)実施へ
冷害が始まる(1782)、浅間山噴火(1783)、以後も続く
東北地方に冷害、津軽藩の餓死・疫病死者130,000余人、耕地の2/3が荒廃(天明2〜4のみ)
百姓一揆の頻発、都市では打ちこわし発生
・天保の大飢饉(1833〜39(天保4〜10)) → 天保の改革(1841〜43)実施へ
全国的に天候不順・冷害、全国平均で3〜4分作
(c) その他の天災…江戸時代後半は地震の活動期か
・地震の頻発
・火山の噴火…例:浅間山(1783)、富士山、桜島など
C.農村への貨幣経済の浸透=自給自足経済の崩壊
(a) 百姓の貨幣需要の増大…貢租の金納、金肥の購入、日用品の購入など
(b) 商業資本の流入…問屋制家内工業の農村での普及
(c) 商品作物栽培などの失敗による借金など
469 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:09:22
3) 農村崩壊の影響
A.農村人口の停滞・減少…江戸中期以降は2600〜2700万人前後で停滞
(a) 間引の一般化
(b) 農村からの離村 → 都市への流入
B.寄生地主の出現=農村の階層分化(貧富の差)の拡大
(a) 「寄生地主」
・一部有力な百姓(村役人クラス)が、生活に困窮する本百姓から土地を買い集め、自らは農業経営をし
ないで土地を小作人に貸し付け、高額現物の小作料を徴収する地主のこと
・江戸後期〜昭和前期の基本的な農村構造 → 戦後の農地改革で消滅
(b) 寄生地主の成立過程
・江戸時代初期…地主手作(広い田畑をもつ本百姓は隷属民や年季奉公人を使い自前で耕作)
・江戸時代中期〜…寄生地主の出現
(c) 変化の要因…地主手作の不採算(年季奉公人の賃金、肥料代、農具代の高騰など) →
→ 都市の発展、商業経済の発展、農村への商業資本の流入
C.農村内における階層間の対立(寄生地主の出現を含めて) → 村方騒動の多発
(a) 農村内における階層間の対立(寄生地主の出現を含めて) → 村方騒動の多発
・村方騒動……本百姓が村役人や富農層に小作料引下げや、名主の選挙制、村役人交代を要求
・一揆の頻発…江戸時代の一揆約3,200件
(b) 「豪農」の出現
470 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:10:51
3.百姓一揆
(1) 「百姓一揆」
A.百姓の幕藩権力に対する抵抗運動、本来は統制のとれた集団行動
B.時代によって内容(件数、規模、形態など)に大きな差=農村の崩壊状況の反映
(a) 件数…判明しているもので総件約3,200件、後期に急速に増加
(b) 規模…時代が下るほど大規模化
(c) 特徴
・前期(17世紀〜18世紀初頭)
武力蜂起、逃散・愁訴など中世的一揆の名残が残る(17世紀前半)
代表越訴型が主流(17世紀後半〜18世紀初頭)
・中期(18世紀初頭〜18世紀後半)
惣百姓一揆の出現(一揆の大規模化)
村方騒動の発生 ← 農村崩壊の進展
・後期(19世紀〜)
暴動的性格の強まり
打ちこわし(都市における無統制な集団暴動)の発生
世直し一揆(社会の変革をもとめる一揆)の発生
471 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:12:03
(2) 百姓一揆の推移
A.前期(幕藩体制の安定期)−17世紀〜18世紀初(約120年間)
(a) 件数的には少ない(500件程度)
(b) 一揆規模は小さい(島原の乱(1637)は例外的)
(c) 一揆の形態…武力蜂起、愁訴・逃散 →(島原の乱)→ 代表越訴型
・武力蜂起…武士を交えて徳川氏の支配に武力で抵抗(例:島原の乱)
・愁訴
・逃散…百姓がそろって他領に離散
以上は中世的一揆の名残(江戸時代は怖くてできない)
・代表越訴型…村役人が村民を代表して領主の非法を訴える(島原の乱後に増加)
<例> 佐倉惣五郎(下総)、磔茂左衛門(上野沼田)、松木庄左衛門(若狭)など…「義民」
<要因> 村役人層と一般百姓の利害の一致(農村の階層分化はこの段階では未進行)
<結末> 多くは領主の弾圧の前に敗北
(d) 要求…検地や年貢増徴に反対
B.中期(幕藩体制の動揺期)−18世紀初頭〜18世紀後半(約70年間)…急速に農村は分解
(a) 件数的にはやや増加傾向(660件程度)
(b) 一揆規模の大規模化 → 惣百姓一揆(国や藩領全体に及ぶ一揆)の出現
・惣百姓一揆…成長した百姓が中心となり村落・藩を乗り越えて広範に団結した一揆
万石騒動(安房、1711) 600人
御蔵入騒動(会津、1720) 700人
質地騒動(越後、1722) 2,000人
津山の藩内一揆(1726) 3,000人
磐城平一揆(1739) 20,000人
久留米一揆(1754) 200,000人
472 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:12:48
>>467 崩壊した農村などといっても、
地租改正以降に没落した農民は何倍も増えているのでは。
473 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:13:02
(c) 一揆の組織強化、戦術の巧妙化 → 一揆側の勝利もあり
(d) 政治的・経済的色彩の強まり ←前期は代官などの非法や、年貢軽減を求める要求が主流
・専売制の反対、運上金の徴収反対、借金・借地に対する徳政要求など
(e) 村方騒動の増加…農村の分解に伴い、村役人・地主層と平百姓との立場が対立
・村方騒動…平百姓が村役人や富農層に小作料引下げや、名主の選挙制、村役人交代を要求
C.後期(幕藩体制の崩壊期)−18世紀末〜幕末(約90年間)…飢饉頻発して農村生活を破壊
(a) 急速に増加(1500余件発生)
・天明期・天保期に頻発 ←天明の大飢饉・天保の大飢饉
・開港後に頻発 ←開港に伴う経済的混乱
・1866(慶応2)年 ←第二次長州征伐に伴う米の買い占め
(b) 村方騒動の頻発化…農村の分解に伴い、村役人・地主層と平百姓との立場が対立
(c) 国訴の登場…在郷商人の指導による領主・特権商人の流通独占に反対する訴訟
・1823年の綿作・菜種をめぐる摂津・河内の国訴が最初、生産物の自由販売や干鰯値下げを要求、
参加した村は1000ヶ村にのぼる
(d) 一揆の暴動的性格の強まり
・要因…農村の分解に伴い村役人・地主層が一揆から遊離(支配者側に付く) →
→ 貧農の孤立化 → 無統制な暴動化
474 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:13:58
(e) 打ちこわしの多発
・打ちこわし…都市における無統制な集団暴動
・発生の要因…物価高騰(とくに米価)、飢饉
(f) 「ええじないか」の発生(1867秋〜冬)…民衆狂乱(集団ヒステリー)
(g) 世直し一揆の登場(幕末)…百姓一揆に反封建闘争的性格が表出
・世直し…政治・経済面での社会の革新、封建社会を否定、土地の再配分など
(3) 百姓一揆の意義
A.封建社会の基盤を動揺させる
B.討幕運動には直接結びつかない(世直し一揆の発生があったにしても) →倒幕は(下級)武士の手で
(a) 理由…あくまで一揆は一時的、分散的であって結束力が弱い
【戻る】
475 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:14:04
結局網野さんの言う、江戸時代における「農民」は人口の半分くらいという
話に戻るわけだな。
ざっと項目眺めてみたけど、現代の農家の方が悲惨だな。
牛乳が売れなくて借金まみれの酪農家が
何人も自殺してるって話をよく聞くし。
477 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:28:47
さすがに江戸時代には牛乳が売れなくて自殺した農民はいないな。
478 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:29:02
殆ど半農武士ならな寛大土地があり
貧乏農民は知らない〜
479 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:34:35
もう、マルクス史観はお腹いっぱい。
30年前から都市近郊の農家は御殿のような御自宅だす。
480 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:35:37
1871年
”天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲む”という記事が「新聞雑誌」に載ると、国民の間にも牛乳飲用が広まるようになりました。
481 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:44:40
482 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:45:08
>>476 雪印乳業食中毒事件の影響だろうに。
明治時代からじゃねえ、牛乳飲用が広まるのはw
483 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:52:10
>>479 確かに最近の農家は御殿のような御自宅だろうが、高齢化が進み農家に担い手
がいない為、農地を他人に貸しているのが現状。
歴史は繰り返す…て事だな。
484 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:04:53
>>469 (a) 間引の一般化
こけしはその昔、子消しと呼ばれていたそうだ。
そこには間引きや口減らしといった貧しい時代の悲しい風習が関係してる。
>>483 歴史を覆す事もあるガリレヲW
スレのレベル低下により退散しますW
486 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:09:55
うーん、真面目に農地改革の説明をしなきゃいかんのか・・
487 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:20:58
明治維新後の地租改正による土地売買の自由化により、一部の地主が多くの土地を
所有するようになった。第二次大戦後、GHQは土地所有の平等化を図り、大地主から
土地を強制的に買い上げて小作農家に与えた。この農地が都市近郊では市街化し
たことで高額で売却できたため、多額の収入を得ることができた。
ってなところでどうかな。
488 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:25:11
489 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:32:45
悲惨な農民の割合、裕福な農民の割合、
悲惨と断定するための最低ライン、
そのあたりを明確にしないと、結論など出るわけもない。
491 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 01:51:38
んだんだw
492 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 02:38:56
>>490 悲惨な農民 2割:裕福な農民8割
結論らか見れば江戸時代の農民は悲惨ではなかった…そんな訳ないでしょうに…。
権力構造も貧富構も全てピラミッド型。
493 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 03:04:02
>>492 >>悲惨な農民 2割:裕福な農民8割
その根拠は?
494 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 03:15:13
農民たちは、自分が不幸だということにすら気付いてなかっただろ。
我々が、なぜ自分がアラブの富豪ほど豊かではないのかなんてことに
思いをめぐらすことはないのと同じように。
496 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 07:58:29
『壬生義士伝』に登場する南部藩の足軽・吉村貫一郎の給料は、「二駄二人扶持(にだににんぶち)」。
この給料はどのくらいなのか、というと、当時は侍の給料は米で払われるのが普通なので、当然米俵で何俵になるか、ということになります。
まず、「一駄」というのは、一頭の馬が振り分け荷物として背負うことができる俵のことで、これは普通、「米俵2俵」。
すると「二駄」=「4俵」です。また、「一人扶持」というのは、
一人が一日に五合の米を食すとした場合の一年間に一人を養えるくらいの米の量だそうです。だいたい「5俵」になるそうです。
だから「二人扶持」=「10俵」。「一駄」「二駄」・・・というのは‘切米(きりまい)’といい、これは毎月もらうものです。
そして「〜人扶持」は‘扶持米(ふちまい)’と呼ばれ、これは年に2回くらいもらえるものだったそうです。
なんとなく今の月給とボーナスに似ていますよね。要するに、いろんな物事を西洋化した割には、
給与体系は、江戸時代の武家の習わしをそのまま踏襲してしまったのです。ちなみに、お米の他に、各藩では味噌も配っていたとか。
また寒い地方では薪も給料の他に配られていたということです。今で言う「寒冷地手当」みたいなものでしょうか。
浅田さんの書いた本で『憑神』というのの中に出てくる幕府の御徒・別所彦四郎の給料は「七十俵五人扶持」だそうです(私は読んだことがないので詳細は不明)。
そうすると、この人の給料は、切米が「70俵」、扶持米が「25俵」になります。この二人の給料は二人がどんなに頑張っても、
全然頑張らなくても家の格によって決まっているので、全く変化しません。
その人の能力とか頑張りとかとは関係なく‘家’で給料が決まっているのです。
そりゃあ、吉村さんじゃなくても悔しいし、馬鹿らしくなってきますよね・・・。それでも豊作の年はよいのですが、
凶作の年はお米が支払えなくて、何ヶ月もの間給料が滞ることになります。特に幕末は天変地異が多発し、
飢饉のために世の中どこも大不景気に突入します。そうやって経済状態が不安定になると必ず政治的に何か大きな動きが起こるそうです。
497 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 11:09:48
清では人口が増えすぎて国民一人当たりが貧しくなりすぎたから
太平天国の乱などが起きたわけだ。
498 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 13:04:07
地租改正(1873(M6)〜1881(M14))
(1) 地租改正
A.目的…統一的租税制度の確立、早急に国家財政の基礎をかためる必要
B.背景
(a) 明治政府の財政逼迫
・恒常的収入源の少なさ
・戦費・秩禄・近代化のための費用増大
・大量の不換紙幣の発行、借入金
(b) 幕府より引き継いだ租税収入(年貢)の不統一性、不安定性
・年貢はそのものがもつ不安定性(年貢は気候に左右される)
・藩によって制度化がバラバラ
C.地租改正に向けての前提作業
(a) 田畑勝手作の許可(1871(M4).9)
(b) 東京府下の市街地に地券を交付(1872(M5).1)
(c) 田畑永代売買禁止令の撤廃(1872(M5).2)
(d) 農業の傍ら商業を営むことを容認(1872(M5).8)
D.地租改正条例の発布(1873(M6).7) → 全国の土地の測量、一筆ごとの地券交付 → 完了(1881)
(2) 地租改正の内容
499 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 13:05:07
(2) 地租改正の内容
A.地価を課税の標準とする ※従来は収穫高が標準
B.税率は地価の3/100(3%)とし、原則として豊凶によって増減しない
(a) 税率3%の設定理由…「旧来ノ歳入ヲ減ゼザルヲ目的」として税率を算定
(b) 税率の引き下げ…税率2.5%(1877(M10)) ←地租改正反対の農民一揆頻発(1876)
C.貨幣によって納入 ←従来は原則として現物納
D.地租は地券を交付された土地所有者が負担
(a) 地券の交付=土地所有者…近代的土地所有制度の確立
(b) 「地券」…所在、地種、面積、価格、持主を記載
(3) 影響
A.政府にとって…安定した金納税収入を確保(地租の一般会計に占める歳入割合81%(1874))
※以後、商工業の発展に伴って割合(重要度)は次第に減少
B.地主にとって…米価騰貴により利益増大 → 寄生地主制はますます発展
(a) 理由…小作料は依然として現物納
C.自作農にとって…地価が高いために苦しむ → 地租改正反対一揆
D.小作農にとって…高率の現物小作料のために貧窮化 → 地租改正反対一揆
(4) 地租改正に対する抵抗(「地租改正反対一揆」)と地租軽減
A.地租改正反対一揆の例(1876(M9))
・鹿児島県下(.5)、茨城県下(.11〜.12)、三重愛知岐阜(.12)
B.地租軽減(1877(M10).1)…3% → 2.5% 「竹槍でどんとつきだす2分5厘」
(5) 地券の廃止(1889(M22)) ← 登記法の実施(1886(M19))
500 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 13:10:54
明治期の農業…工業に比べて発展は遅い(とくに松方デフレ政策で大きな打撃、以後徐々に好転)
(1) 生産
A.零細農家による米作中心の生産 ←明治前期の洋式農業導入の試みの失敗
(a) 農会による零細経営に適応する稲作中心の技術改良
・農会法の制定(1899(M32))…行政単位ごとに設置、農家に加入義務、中央組織は帝国農会
B.単位面積当たりの生産量の増加
(a) 金肥(大豆粕)の普及
(b) 品種改良 ←農事試験場(1893(明治26)設立)における研究
C.米の供給の不足…都市生活者(非農業従事人口)の増加、人口の増加
(a) 米価の高騰 →寄生地主に利益増大
(b) 米の輸入(朝鮮などから)
D.栽培作物の変化
(a) 綿・麻・菜種などの栽培減少
・綿は綿花輸入税撤廃(1896(M29))以降、安価な輸入品に圧迫
・菜種は灯油としての需要減少
(b) 桑の栽培、養蚕は盛んに ←生糸輸出の増加に刺激
A.自給自足の農業から商業的農業への変化 ←商品経済の農村への浸透
(a) 農会法の制定(1899(M32))…農業の発達・改良を図る農会に補助金を交付
(b) 産業組合法の制定(1900(M33))…協同組合の設立を促す
B.寄生地主制の発達 →とくに日露戦争後、農業生産の停滞、農村の困窮が社会問題化(→地方改良運動)
(a) 発達の理由
・松方財政による不況…小作地の増加(1873(M6):27.4%→1892(M25):40.2%)
・商品経済の農村への浸透による農村分解の進展
・人口の増加
(b) 寄生地主の利益増大(米不足による米価の高騰、地租は定額金納) → 株・公債・事業資金に投資
※明治以降の日本は1970年代まで常に米不足の危険性あり
(c) 小作料の高率固定、小作地率は40%以上
・総耕地の小作地率…39.3%(1887) → 45.4%(1912)
501 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 13:16:52
大正期 米騒動(1918(T7).8〜9)
A.原因…異常な米価高騰(1914(T3)年時の3倍以上に)
(a) 米の消費拡大と生産の停滞 → 慢性的な米不足(明治以来、米は不足気味)
・米の消費拡大…産業社会の発展により工業労働者の増加・人口の都市集中(非農業従事者の増加)
・生産の停滞……農業従事者の減少により生産は停滞
(b) シベリア出兵を当て込んだ米商人の買い占め、地主の売り惜しみ(当時は米が投機の対象)
(c) 大戦景気に伴う諸物価の高騰…1918年の物価指数は1914年に比べて約2.3倍に上昇
・物価上昇に比べて賃金の上昇は低く実質賃金は下がっている(1918年は1914年に比べ70%程度に減少)
B.経過
(a) 富山県の漁村(西水橋町、現・魚津市)の主婦による米の安売り要求運動(1918(T7).7下旬)
・「越中女一揆」として新聞によって全国に報道 → 自然発生的に全国に拡大(8上旬〜9中旬)
(b) 東京・大阪をはじめ、1道3府38県の38市・330町村で騒動、約70万人が参加
・都市の大衆や貧農は、米の安売り、買い占め反対を叫んでデモ、米商人、富商、地主、精米会社を襲
って警官隊と衝突 → 政府は対策に追われ、1か月余り後、鎮静化
(c) 政府の対応
・新聞報道の統制
・軍隊・警官の出動(軍隊出動は121地点・延べ10万890名) →軍隊出動に非難(軍縮の遠因となる)
・少なくとも30名の死者、起訴7786名、死刑2名、無期懲役12名
・米の安売り、外米緊急輸入
D.結果…寺内内閣総辞職(1918(T7).8) → 原敬政友会内閣(政党内閣)の成立
E.米騒動の性格
(a) あくまで自然発生的、組織的な行動でもない=一定の政治的目標はない
(b) 未だかつてないほどの大規模
F.米騒動の意義
(a) 初の本格的政党内閣、原敬内閣の成立
(b) さまざまな社会運動発展に大きな刺激 →社会主義運動は「冬の時代」から目覚める(1920(T8))
(c) 国民の軍隊不信を招く(米騒動の鎮圧に軍隊が出動) → 1920年代の軍縮の実現に寄与
502 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 13:25:28
昭和恐慌(1930(S5))…日本史上最悪の不況
A.要因と背景
(a) ニューヨーク株式市場大暴落(1929(S4).10) → 世界恐慌に発展 → 日本にも波及(1930)
・アメリカにおける状況…会社・銀行の倒産(約2万件)、失業者(500万人)
(b) 日本の慢性的な不況(とくに金輸出解禁(金解禁)による不況)
B.恐慌の状況
(a) 輸出の激減…日本の物価暴落よりも海外の物価暴落の方が激しい(日本商品は割高売れない)
・対米生糸輸出の激減…世界恐慌によるアメリカ経済の破綻
・操業短縮、倒産、賃金引き下げ、人員整理 → 失業者の増大
(b) 農村窮乏
・農産物価格の暴落
1920年代から植民地からの米の移入で米価低迷、1930年は豊作で米価暴落
1931年は東北・北海道が大凶作
・繭価暴落(主たる輸出先はアメリカであるゆえ)
・都市から失業者の帰農
・不況による兼業の機会の減少
C.結果
(a) 農村の荒廃(農村恐慌)
・東北地方を中心に欠食児童や女子の身売り続出
・対策…公共土木事業の実施(1932(S7)) → 軍事費の膨張で予算縮小 →
→ 農山漁村経済更生運動への転換(「自力更生」、斉藤実内閣)
※地方改良運動(日露戦争後、第2次桂内閣)
・地主制の後退…農業の不振のため(小作地率は1930(S5)年の48.1%最高に少しずつ減少)
>>461 土地を持たない者が農民(小作人)のままでいることは少なかったみたいよ
戦前と違い江戸時代は小作人が少なく、とちらかというと町人になる者が多かったそうで。
まあ、町人が相当辛い生活だったことは間違いないようだけど。
504 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 16:11:25
>>503 >>446 (b) 農村からの離村 → 都市への流入
>>471 ・逃散…百姓がそろって他領に離散
に当てはまるけど、町民になった農民ってどんな生活たったの?
505 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 16:44:33
日雇い人夫。
火事になると復興の仕事が増えた。
職人や商人の下働き。
産業革命後の搾取される労働者みたいなものだとさ
507 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 18:11:15
浪人ってのは町人なの?
悲惨と言われてもレベルがいろいろあるから、悲惨度を低い順に並べてみた。
江戸時代の農民の悲惨度は2と3の間ぐらいかなとは思う。もちろん裏付け無し。
悲惨度1) 嫁の成り手がいない現代日本の田舎の農民ぐらい悲惨
悲惨度2) 香港で暴動を起こす程追い詰められてる現代韓国農民ぐらい悲惨
悲惨度3) 腐敗役人に搾取され続ける現代中国農民ぐらい悲惨
悲惨度4) 適地適作さえ許されず毎年飢饉の現代北朝鮮農民ぐらい悲惨
悲惨度5) 国民に見捨てられたのに未だに夢を見続ける社民党員ぐらい悲惨
平均すれば悲惨度1.8くらいじゃないの、件の東北地方農民は知らんが
町人は4.2と推測、俺も根拠無しね
それにしても、悲惨度の尺度があまりにピッタリしてて笑えるw
白土三平のカムイ伝読め
天領なら比較的税も軽いらしいから、悲惨度は0.5くらいか?
とりあえず、四以下はほとんど無いと思うが。
512 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:46:17
次男三男の悲惨さはセクースできないので何時の世でも
デートの軍資金もねーやケッ
513 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 20:52:54
江戸時代の農民=現代のサラリーマンくらいのもの
リーマンでも高給盗るのもいるから、一概に悲惨とはいえない
>>512 祭りは乱交パーティー
夜這いはいつでもOK
銭湯は混浴
露天風呂はさらにせっくるOK
次男三男は奉公に出れば金も問題ない
働かない奴が苦労しただけ
515 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 21:37:50
>>514 何夢を見て居るんだ?
夜這いや祭りの乱交がOKなのは、どうせ自分は器量と性格と家系が悪い、と思い財産がない
次男や三男に嫁がなきゃいけないと思っている女性がやるんだよ。そうじゃないと思っている女性
は自重したり、15歳(14歳)で性行不能(栄養状態悪いしね)なのに嫁いでしまい、浮気ができな
いようにするわけだ。
奉公たってそんなに都合良く行くもんかw
516 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 21:45:43
農民の食生活
糅飯と粥
当時の主食は、わずかに米に麦、あわ、きびなどの雑穀や野菜や芋類を入れて混炊した糅飯が普通であった。
また、米に多量の水を加えたお粥も常食であった。粥は米だけを炊いた白粥はまれで、
糅飯と同様に根菜類をたくさん入れ塩味つけて食していた。簡単な方法としてよく作られた主食にオジヤがあった。
季節の野菜をたくさん入れた味噌汁に、冷や飯を入れて煮込んだもので忙しいときにはよく作られた。
粉気
ダンゴ汁(スイトン・オツメリ)は小麦粉をやわらかくこねて、野菜を入れた味噌汁に落として煮込んだもので、
手軽にできるため忙しい時によく作られた。これに類したものにヘンノベ・ブチコミなどがある。うどんは、
小麦粉を細くのばして茹で、味噌汁や醤油汁、オシボリやゴマ汁をつけ汁として食べた。
またオヤキ・ヤキモチは農繁期のコビレや子供のおやつ、来客のもてなしなどに作られたり、神仏への供物ともなった。
餅と強飯
晴の日の代表的な食品であり、餅は正月の神仏への供物とともに保存食として重用され、
年間の祝祭日には一家の主が早朝から餅をつき来客をもてなした。強飯は、村祭りや婚礼、出産、お宮参り、
節句など主に祝いの日に炊かれた。
517 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 21:52:29
畑を耕して食料を作らないといけないので結構な労働量だと思うが、
それでも大多数の農民は日々食べていけるだけの余裕はあったと思う。
農民は悲惨だったとかいうのは、農民にそう思わせる雰囲気があり、
思い込んでるだけだろう。
ちなみにいつの時代でも労働者がキツイのは同じだが、
現代のサラリーマンを見て、そこまで悲惨だと思う奴はいないだろう。
だってそれが普通なんだから。
近世後期、
土地を集積して新たに勃興してきた富裕な百姓と
それら富裕農の田畑の耕作に勤しんだ小前百姓。
>>514 333を見ると、次男三男で奉公に出た奴は
結婚できず跡継ぎできず、20代、30代でもバタバタ死んでいったとあるから
働かない奴が苦労しただけ、はないだろ。
>>519 男の収入だけじゃ一人食うのがやっと
商家はピラミッド方式だしね
521 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 22:18:48
農村のことをあまりよく知らないんですが、農地の売買が禁止されてた時代があったんですか?
太閤検地以前にある程度の農地を所有していた地主は小作人を雇っていたと思うんですが、
これによってその土地に小作人が固定化され、地主はそれ以上の農地を所有することが禁止されたんでしょうか?
522 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 22:42:51
>>521 大原則で言えば、江戸時代は土地はすべて藩のものであり、
各農家に貸与されていたことになっていたから、当然
売買はできない。
むろん実際にはいろんな抜け穴があった。
523 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 23:31:43
領主の直営地は太閤検地で否定された?
武士化の否定
525 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 23:36:28
>>507 寄宿人だと、町人ではない。
家持の浪人は町人。
526 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 23:41:40
町人が悲惨って、どこの話?
農民が楽して儲かる町人になりたがったので、必死で
「士農工商」「士農工商」と叫んで洗脳して農民が町人にならない
ような政策していたというのに。
農民には禁止して、かわりに武士が困窮すると町人になってたようだよ。
527 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 23:45:21
百姓って戊辰戦争のときに、畳背負わされて、人間の楯にされてたんだよね。
悲惨。
>>522 >土地はすべて藩のもの
>当然売買はできない。
どちらも初耳なんですが‥
>>526 釣り乙
529 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 23:53:29
ほんと? 会津藩領や長岡藩領ではどさくさにまぎれて一揆起こしたんじゃなかった
確か長岡藩では鎮圧のため藩兵2個小隊使ったような
やはり…会津衆って、ホントに常駐しているんだなw
531 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:06:50
532 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:08:24
>>522 では江戸時代になると、農地の財産権は全て藩に移ったということでしょうか?
また藩制が実地されなかった、天領や旗本領ではどうだったんでしょうか?
いくら江戸幕府といえど、全国全ての場所を管理することはできなかったでしょうし、
実際、地域によって体制側の管理にかなりバラつきがあったようです。
あと、征服地で行われた太閤検地に関しての質問に答えて下さると嬉しいです。
533 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:16:26
えたにひんって、
農民に「お前らより悲惨だよ」と宣伝して、
農民のガス抜きをするために作った制度だったよね。
ほとんどの農民はそれくらい悲惨でしたって話。
534 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:22:35
535 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:24:48
前の方で問題になってた、農民町人問題。wikiさんがこう言っている。
>百姓身分か町人身分かは人別帳登録が村か町かによる
登録が村→百姓
登録が町→町人
536 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:26:52
・「百姓身持之覚書」(1697)
第5条:朝は早起きして草を刈り、昼には田畑の耕作、晩には俵や縄を作り、油断なく仕事をせよ。
537 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:34:12
富農地主は、幕府からとられるよりも、小作からの徴収率を多くした者。
うまく小作人をだまして、取られるよりたくさん徴収してますた。
538 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:35:46
富農地主=うまい中間搾取人
539 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:38:21
農民て最低でも本百姓以上(農家)だからそれ程悲惨じゃねぇ。
商家と奉公人が同じ町人でも違うように大勢占める従属百姓が悲惨なんだよ。
名残として現代でも農業従事者は労働保険等の例外として残ってるだろ。
地域の違いも考慮されてないし、、
江戸時代のどのあたりで、生活をかんがえるか
(貨幣経済の発展度合い)とか、
大都市近郊かどうかとか、
天領かどうか、とか、
支配していた藩の状態はどうか、とか・・・
江戸時代の農民なんて括りじゃ大雑把過ぎる。
541 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:38:33
江戸時代も中期以降になりますと「貨幣経済」が農村にも浸透してきます。
味噌、醤油、塩、酢、たまには酒も飲みたいし、今まで農家で自給自足していたものまで、
お金を使って購入するように、農村も変化して行きます。
農民は年貢対象の作物より、金になる作物を作る様になります。
更に、米を作るより、日銭になる「日雇い夫」で働いたり、
「商家」に憧れ、農地を離れるものが多くなってきます。相次ぐ、
飢饉で食べるものが底をつき、どんどん農村地域を離れていきました。
封建社会の矛盾がここにも現われ、藩の政治もだんだん、行き詰まってしまいます。
小百姓の本物の敵は領主にあらず
名主様だす、富農だす
江戸時代は、小作人多くなかったらしいけどね
>>541 飢饉で食べるものが無くなるのは何所からでしょう?
>543
調べずに記憶で書くと、
江戸中期の東北が最初だったんでなかったかと。
というか、本当に飢饉で食べるものもない状態に陥るってのは、
そうそう、多くないんじゃ?
545 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:47:59
>>542 そうそう。その藩指定の米の搾取率をみて、たいしたことなかった、と
いっても話は見えてこない。
地主が無知でバカな小作人を私的に搾取してたんだからさ。
こんなの記録にも残らないけどさ。
546 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:49:55
547 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:50:41
>>539 農民と農家は違うよ。農家は本百姓以上だけど、農民は小作人も含む。
548 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:52:07
>>546 それは現在で言う「借地権」のことだよ。
こういうスレを見ると本当に西洋の歴史経緯とそこから形成された社会形態に憧れる。
結局、朝廷が存在することによりこの国の社会構造は歪んでしまったと思えない。
天皇制は必要だが、朝廷は捨て、公武合体した方がよかったとしか思えない。
これができなかったがために、
上層の人間が社会的尊敬を集める指導者層になる社会基盤が形成されなかったんだろう。
歪んでしまったとしかに訂正
>>544 何かの本で
飢饉が起こると大都市人口が1割近く減った、という意見を見たことあるぜよ
552 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 00:58:40
>>547 一応アミーノの、百姓=農民では無いに配慮しただけ。
554 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:01:29
西日本=全体的に裕福、朝廷の威光が強いので武士の力が弱い
東日本=全体的に貧乏、武士の力が強い、貨幣経済が発達していないので富裕な町人がいない
555 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:02:27
東日本=江戸を除く
>>547 地下、家人は本百姓と違うけど土地持ちで、それなりの暮らし
本百姓以外の農民のうち、小作人の割合は少ないと思うけど?
557 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:06:29
農民の生活
農民は、支配者に強制されなくても、衣食住を節約して、身を粉にして働いた。着物は、庄屋などの村役人は絹、紬を許されたが、一般農民はすべて模様なしの黒か紺の木綿と麻に限られて、袖桁(そでたけ)の長さも制限された。
髪を結うのにも、元結は使えず藁で結び、髪油をつけることなど以ての外であった。
住居も、一般農家は堀立てが普通で、畳も敷かず、むしろ藁を敷いて寝起きするところが多かった。
食物も地主や村役人は米を食べることがあっても、中農以下は、麦や粟、稗にいろいろな干葉や大根を刻んで入れ、
いわゆる雑炊(ぞうすい)、お粥飯が常食であった。旱魃の年などは、想像もつかないようなもので空腹を満たす
工夫をしたし、水を飲んでがまんしたといわれる。「水呑百姓」ということばはそれを表している。
558 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:07:43
東日本の貧農の悲惨さを100とすると、西日本の貧農の悲惨さは50くらい。
559 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:10:58
>>528 田畑永代売買禁止令って知ってるよね・・
560 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:12:35
>>552 でも現代の「借地権」への合致率が90%。
現代の「私有権」への合致率は10%。
つまり借地権みたいなもの。
>>554 江戸時代に朝廷の威光?
中世の話じゃ?
562 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:14:47
>>1 米が余ったけど、小作人にやるのが嫌なので、醤油とか、米製品を作り始めました。
>>559 知ってるけど、それがどうしたの?
>>560 どこをどう解釈すると借地権になるのかよく分からん
なぜ現代人は江戸時代の農民が悲惨だったという認識を持っているのか
つまり上の人間は搾取するだけの存在だったという考え
その認識は間違っていない
本来領主は指導者に相応しい道徳や振る舞いを身につけるため努力すべきなのだが、
熱心だったのは朝廷との結び付きを深めることと家系図の粉飾だけ
彼らはその権威付けによって満足し、自重努力を放棄し、
下層民など取るに足らない、搾取するだけの存在と見なした
それが現代の認識に繋がっている
つまり領主も糞で農民も糞という考えになり、
よって社会的に何ら尊い物は形成されることはなかった
現代日本の上層部の糞っぷりもここからきている
565 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:17:09
566 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:40:00
>>563 >土地はすべて藩のもの
>当然売買はできない。
どちらも初耳なんですが‥
建前上農地は領主のもので、農民には耕作権が与えられていた。
農民は耕作以外の目的に農地を勝手に使うことは基本的にできない。
借地権というと耕作権より広い意味に取れるので、あまり適切な表現
ではないと思うが。
567 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:43:46
なるほどね〜
>>566 質入れして何年か経つと所有権が移るうえ
建前上農地は領主のもの、というのは初めて聞いた。
根拠は何なの?
>>564 心配すんな。現代日本の上層部の糞っぷりは、
中国・南北朝鮮・米・仏・露などの上層部の糞っぷりより
マシだから。
570 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 06:03:33
与野党そろって、売国的なのは日本くらいだぞ
571 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 06:33:47
日本の近代化は専制的な明治政府が、
現代化は日本を属国にしたアメリカが、
それぞれ日本国民からの抵抗を潰して強権的に推し進めたもの。
近代化・現代化が国民の意思に反したものであったがゆえに、
未だ多くの日本人が中世封建社会である
江戸時代に憧れを抱くのも当然のこと。
欧米の影響を強く受けた部分
(製造業や制度面での政治・経済)のみ文明化を果たし、
日本人が欧米からの干渉を極力排除し
自らの頭で考え独自の路線を歩んだ分野
(第一次産業や金融、地方自治)は
アフリカや中南米レベルの粗末な水準であることを考えると、
日本人の民度・理性はいまだ
中世水準の泥臭いものであることが分かる。
572 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 08:04:48
金融は世界で最初に大阪が先物取引を開始していたし、地方自治も三百に細分化した藩が軍制はもちろん地域の資本を中央にとられることなくそれぞれの商業政策で地元に投資してたんだけど。
573 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 08:18:13
♪ ♪
(゚ω゚)ノ
└( ( ぇえじゃないかぇえじゃないか♪
( ヽ ♪
♪
ヽ(゚ω゚)
♪) )┘ ぇえじゃないかぇえじゃないか♪
ノ > ♪
574 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 09:31:28
本気で書いているのかネタで書いているのか、分からん書き込みがあるなw
575 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:26:51
576 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:48:21
577 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:13:30
578 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:18:11
579 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:45:06
http://ks-dousou.sakura.ne.jp/nisinomiyasisi/nisinomiyasisi.htm 【村と新田】(抜粋)
三宅君が西宮の新田について書いているのを読んでいて江戸時代の農地は誰のもので、
なぜ農民がそうまで努力して新田開発をしたのかという疑問がわき、調べてみました。
問題は耕作地ですが、領主と農民を分離して考えなければなりません。
領主 = 農民の耕作権を保証
農民 = 領主への納税(年貢)の義務
村の自治といっても幕府令で以下の3点が規制されています。
・1町歩または10石以下の相続による分割の禁止(分地制限令)
・耕作権の売買の禁止(田畑永代売買の禁)
・耕作物の制限(田畑勝手作の禁)
土地の領有権(徴税権)は地主にあり永代の耕作権は小作にありました。
地租改正は米による納税から金による納税という面だけを見がちですが、農民に土地の
所有権を与えたという大きな意味があります。耕作物の自由、売買や分割相続の自由と
いうことです。
580 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:50:29
>>579 ここで「地主」と言っているのは「新田」の場合であることに注意。
D 新田の所有権
江戸後期になると大阪の鴻池新田のように富豪の町人が開発費用を出資する
「町人請負新田」が多くなりますが、この場合は藩主に「拝領願い」を提出しその許
可をもって開発しています。「拝領」とは藩主が幕府から領地をもらうときに使う言葉
ですが、新田開発にあたり町人が藩主から「領地」をもらったということになります。
581 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 12:07:07
>>579 にも書いてあるが「版籍奉還」とは土地と人民を天皇に返還すること。
理念において土地は領主のもの、現実においては耕作権の売買が頻繁に
行われた。
582 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 13:00:03
>>497 薩長が革命を起こせたのは江戸時代人口が倍増したからだという本読んだことがある。
583 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 13:30:39
>>235 岡引は町人じゃないんだけど。犯罪者系のひにんですよね。
それから、岡引は十手なんて持ってないけど。
岡引って目明しといわれて、犯罪者仲間のことを聞き出すための
非公式な犯罪者のなかの協力者で、
十手持って捕獲するのは{史実では}武士の最下級の足軽か中間。
皇太子妃の先祖は柔道が得意な捕り手足軽だったみたいですな。
584 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 14:23:11
>>580 町人が藩主から「拝領」というのは変だが?。
名字帯刀の藩士として認められ知行地として与えられたということでないの?
585 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 15:34:03
>>584 名字帯刀したからって藩士じゃないよ。
鴻池は藩士じゃないし。旗本でも御家人でもない。
586 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 15:41:07
本当に悲惨だったら自殺するから悲惨じゃなかったんじゃね?
587 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 15:45:59
>>584 新田開発という特別なケースだったんだろうね。
588 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 15:48:59
>>586 自殺するのは平均以上の脳を持つ人間ばかりらしいから、
農民は自殺しないよ
それに飢饉系の悲惨さの場合は自殺などはしない
589 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 15:57:17
>>586 自殺つか、心中した人間は遺体の埋葬が禁止されていて河原に野ざらしにされたそうな。
案の定、野良犬が食ったりウジが湧いて醜悪な状態として見せしめになるので
ある程度抑止力になってたみたいだよ。
>>583 岡引きは与力同心が私的に雇ってた元犯罪者等で町人だよ。上方などでは四ケ所者と
称される非人も岡引きにしてたらしいが。
時代劇等で御用だ御用だとやってる俸をもった捕り手が非人だよ。
ごっちゃにしちゃいかんな。
591 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 16:08:45
まあまあ安心しろよおまいら。
どんだけ下級武士であっても百姓よりは上だから。
目糞鼻糞だがなw
592 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 16:15:00
>>590 ていうか、町に人民登録してある者=町人なんだから、
岡引として雇われれば、武家屋敷内の足軽長屋に入れられるんだから
町人じゃないよ。私的に雇おうが武士に雇われたものは武家奉公人で
町人ではない。
593 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 16:18:59
そもそもなんで、同心の雇うもの=町人と思ってるんだろうな。
田舎から流れてきた百姓を雇ってる場合もあるのにさ。
人口比からいって明らかに百姓のほうが多いのに。
594 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 16:47:44
>>586 野良犬が、いくら人間から虐められたり
飢えたりしても、自殺はしないのと同じだよ。
>>592 >武家屋敷内の足軽長屋に入れられるんだから
岡引きを足軽長屋にいれてたなんて初耳なのだが。それどころか岡引きを雇う
事自体幕府が禁じたりしてるから、そりゃなかろう。
幕府が禁じても、こっそり雇ってたというのが実情らしいが…
あと岡引きの給金は安かったので、カミさんが小料理屋を経営したりして生計を
たてていたらしい。
↑続き
同心は他に小者と呼ばれる奉公人を屋敷で雇っていたから、それとごっちゃにしてない?
597 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 23:04:43
中間や小物こそが同心の下で在任を捕獲してた人だよ。
598 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 23:31:13
っていうか、同心が私的に雇っていたもの→中間、小物
599 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 23:31:55
正確には同心が雇うんじゃなくて、与力あたりが雇うんだけどね
同心にはそんな金はない
600 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 23:59:38
同心は金あるよ 賂相当大商人からもらっているから
601 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:11:54
>>600 ネタ?
大商人は木っ端労働者の同心になんて金を渡さない。
賄賂を渡すのはもっと上のほう。金を渡すのは代官とか(大身旗本)。
上のほうに渡しておけば下は動けない。
奉行所の町与力は200俵の御家人だが、実際は知行1000石並みの収入があったらしい。
知行1000石=1000俵
知行取り
実収400石
604 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:30:29
代官と商人の癒着に腹を立てて一揆を起こしたのが大塩平八郎の乱。
大塩平八郎って与力なので同心よりはるかに上なのにスルーされて
腹を立てて一揆。
605 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:33:43
江戸の与力屋敷発掘調査で大名家が持つような陶磁器が出土した事があったな。
606 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:35:11
与力は犯罪者を扱う賤業だったから、
100石以上知行があっても他の武士から差別されたんだよね。
607 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:36:38
>>605 与力はそれほどでもない。その与力は泥棒したんでしょうw
608 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:38:36
大商人は代官と癒着して大悪をなしてたかもしれないけど、
中小商人は比較的小規模な融通を利かせる必要があったから
手ごろな与力あたりに金を渡してたんじゃないの?
609 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:44:53
しかし、江戸時代の代官ってひどかったらしいね。
年がら年中、商人の接待を受けて遊んでいる。
吉宗のときに調査したらほとんど全員が汚職をしていて
半数が切腹させられた。
あまりにひどいので、調査は以後行われなかった。
だって旗本が存在しなくなっちゃうもんw
610 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:11:09
まあ数百人ほどの代官は水戸光圀によって処断されたらしいがな。
611 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:21:52
あと、三船敏郎に斬られたり
612 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:44:34
今日は会津ババアが大暴れだな
613 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:44:35
武士=寄生虫?
614 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:47:20
615 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 12:09:41
武士=朝鮮人?
農民にしろ町人にしろ、下層の人間は代々下層のまま
生活も宜しくないってことでいい?
617 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 01:33:55
>>616 それは武士だってそうだよ。
しかも武士の場合、階級固定だし。
>>616 だめ。
小作人でも頭良ければ本百姓の婿養子になれる。
美女なら妾になれるし庄屋の嫁も夢じゃない。
力持ちなら相撲取りになれれば生活はよろしくなる。
職人も腕がよければ大工の棟梁になれるし、
商人の場合はいわずもがな。
なんの取り柄もなければ下層からは抜け出せないけどな。
んな特殊な例を出されても…
>>617 武士も農民になったり、商人になったりしてるよ。
また、寺子屋の先生とか実質的には町人と変らないし。
逆に優秀な養子を武家に入れたり、家を設けさせるとか完全固定ではないよ
身分が固定してるのは、長男だけだろ?武士にしろ、農民にしろ。
武士の次男三男は、ある程度の身分の武士の家ならそこの家来になるけど、家
来を雇えない下級武士の場合はそうも行かない。
武士や農民の次男三男は、養子にいければ大成功で、実際は自分の才覚一つで
食ってかなくちゃならなかったわけで…
622 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:45:41
普通は武士の家や農民の家の二男三男に生まれると、
一生長男の家に寄生して、結婚もできず、内職したり家の手伝いを
しながら「この無駄飯食いが!」とか兄嫁に「いつ死ぬのかしら?」
とか罵倒される一生でしょ。
養子に行けるのなんて5人に1人くらいだよ。
623 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:50:45
目くらが高利貸しをやり旗本にもなれる世の中だよ。
624 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 21:19:03
勝さんとこね
根岸とかいう町奉行も町人の出ちやううんかいの
武士はともかく、農民の家は単婚小家族だから
二男三男は家を出るしかないでしょ、
普通レベルの本百姓は。
小作人の子が陸軍幼年学校〜士官学校〜陸大恩賜で出るようなもんだろう。
辻とか施縞とか
>>626 肝心の耕作地どこにあるんだよ。山間僻地を開拓するか、低湿地を土地改善するたって
並大抵の苦労じゃないだろうに…。
>>628 町に出る
江戸に行く
養子に入る
運良く、どこぞの潰れ百姓の名跡を継ぐ
無宿人
>>629 今みたいに、町に都合良く仕事あるわけもなし…。
江戸に行って無宿人として、取り締まりを受けるのがオチ?
そこで、新興有力農民の小作って手があったな
追加
632 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 02:29:41
町に出ても、コネのない貧乏人の農民の子は丁稚としてすら雇ってもらえないし。
民間会社が採用で家柄調査をやるのは、江戸商人の風習の名残り。
貧農の二男三男あたりは、運がよければ、飛脚問屋の飛脚とか、武家の下男とか
商家の下男とかになれた。体力がなかったり、バカだったりすると、
そのまま、飢え死にか乞食かどっちかになる。治安悪化を避けるため、
ある特定の乞食の住む領域に隔離されたり。
>>63 逆に言えば、コネのある農民の子がどんどん町に働きに出ているわけだが。
越後屋は越後の農民の次男三男を丁稚奉公に、三河屋は(ry、伊勢屋(ry
大商人は自ら、中小商人・職人は口入屋が代行で
町から村に少年の奉公人を募集に来るんだよ。
農民はそれを知ってるから、子供を寺小屋に通わせて
コネをつくりながら読み書き算盤ができるようにするんだ。
奉公先がすぐに見つかり、そこで少しでも出世するようにとの親心でね。
バカが使えないのは古今東西みな一緒。特筆することでもない。
634 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 03:45:08
普通どんなに能力があっても貧乏人の子は丁稚になれない。
有能でも貧乏育ちだと横領するので禁止になったらしい。
農民でもそこそこ富農で、読み書き算術だけでなく、
子供のころから道徳も叩き込まれていないとダメ。
635 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 03:47:27
でも、あまりひどい貧乏だと子供を寺子屋なんかで教育させられないけどね。
そういう子は寺に預けられ、和尚さまになるのです。
637 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 06:08:57
貧民の数>>>>>>>>>>>>>>>和尚さまの数
638 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 06:09:40
そもそも貧民の子は寺も預かってくれないし
639 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 07:20:49
江戸時代だろ?
だったら寺の坊主が肉便器用に
貧乏家庭の男児を引き取ってくれてたんじゃないかな。
640 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 08:08:54
僧侶は社会的地位高いぞ
近くの名主一族、武家出身色々
田舎で食えなくなった農民の次男三男は江戸へきて無宿人となり、当然よからぬ事を
した。これに手を焼いてつくられた組織が火盗改めだ。
有名なのは長谷川平蔵だが、彼はびじびし取り締まり、またその取り調べは過酷を極め
「鬼」と呼ばれた。しかし、一旦刑罰が確定するときには
「この者は食うや食わすの生活から止む無く犯罪を犯した者ですので、何卒情状酌量を」
と、少しでも刑が軽くなるよう尽力した。
また、更生施設をつくって犯罪者に手に職をつけさせて、再犯の防止を図った。
正に鬼と仏の両面を持ち合わせた男だったようだ。
642 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 12:53:56
で、江戸時代の農民は本当に悲惨だったのか?
そろそろ決着つけてよ。
643 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 12:58:22
普通に考えて田舎弁丸出しで文盲の農民が丁稚(御用聞き)なんて
できないよね。江戸末期でも田舎の農民のほとんどは文盲だったみたいだし。
今とは違って、テレビもなく上下差も激しい時代だし。
三男の土方さんも呉服屋の丁稚をやってたらしいけど、大富農だったからコネが
あって、丁稚になれただけらしい。でも素行不良で呉服屋の女中に手をつけた
とかで、すぐにクビになったらしいけど。
644 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 13:01:28
>>642 農民の99%は悲惨。1%はけっこういい暮らし。
645 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 13:13:23
田舎の次男以下は労働力として重宝された 年貢と同時に開墾や開発のために
労働力を必要としていためにかり出された 江戸に出てくる無宿人は 江戸開発が完了した
後に 再雇用されなかった人間を指している
646 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 13:47:39
農民のほとんどが文盲だったの?
江戸時代でもかなり高い識字率があったと習った記憶があったんだが
ヨーロッパと比較するとかなり高い識字率だったお。
時期によっても違うだろうが、識字率は女子こそ20%だが、男子は約80%は
あった。勿論武士はほぼ100%だから、農民なら60〜70%位だろうか。言うま
でも無く地域差はあったようだが…
>>634 そのままいくと貧乏人になる子が、丁稚になったのだけどな。
そもそも、富農の子がわざわざ丁稚するはずもないw
富農の子は分家なりして次代も農家。
649 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 17:30:19
農村でも寺子屋が有って今の小学3年位までは勉強もしてたらしい
東北以外は
農民用の教科書もあったらしい。
また、貧農は別として一般農民でも俳句なんか作ってたらしい。
>>642 天領は比較的良い暮らし。
藩領はその大名家の懐具合と能力次第。
>643
土方は松阪屋の丁稚だぞな。
いまなら地方の商工会議所の有力メンバーボンボンが
何年か商売見習いでお世話になるっての同じパターン。
まともに逝ったらFランクやDランクの大学出ではとうてい無理なところ。
>>651 天領の百姓は
旗本領の百姓より断然裕福
三年前、広東省佛山のあるレストランが「赤ちゃんスープ」というメニューを出していた。これは赤ちゃん向けの
スープではなく、乳児や胎児を煮て作ったスープである。値段は一杯3500元から4000元。調理されているのは
ほとんど女児である。農村部では昔から男児の方が好まれる傾向が強く、さらに「子は一人まで」とする産児制限が
実施されたため、生まれた子が女児と分かると、貧しさや男児欲しさからその子を売ったり、捨てたりしてしまう人たちが
後を絶たない。こうした乳児や胎児は中共政権の政策の犠牲者であると言える。
----
ソース
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/04/html/d27404.html これ昨日の記事だ。まじ悲惨。
655 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 21:06:26
>>643 富農でも次男以下はぷー太郎だよ。
農地を分けるわけじゃないからね。
農地を分ける家はすぐに貧農になった。
656 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 21:09:18
>>652 松坂屋じゃなくて、いとう呉服店ね。
それに、そんなにいい扱いじゃないよ。
657 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 21:11:44
>>648 富農でも次男以下はぷー太郎だよ。
農地を分けるわけじゃないからね。
農地を分ける家はすぐに貧農になった。
貧農がなるのは丁稚じゃなくて、薪割りとかの雑役をやる下男。
658 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 21:12:55
松坂屋は関係がない時代のいとう呉服店。
代々次男三男が出来る度に土地分けてたら、土地幾らあっても足りなくなる罠w
御家人の株(富裕町人買いましょ)
社家の株(武家の次男三男買うぞ)
百姓の株(血縁or非血縁百姓、あこがれの本百姓だす)
社家の株(ただし希少商品)
662 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 21:41:37
ロシアの農奴なんかより、よっぽどマシだろ。
663 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 23:45:20
ロシアの農奴ってそんなにひどいの?
日本の農民みたいにひどかったっていう事実誤認じゃないの?
日本の貧農程度にひどいだけじゃん?
なんたって恋人よこれが私の一週間の仕事ですー
テュラテュラテュラテリュララ〜♪の国だよ。
664 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 01:18:04
ロシアの農奴は地主貴族の奴隷、農地の付属品で土地ごと売られたりするらしい。
この者たちが、皇帝の為に死に物狂いで日本と戦う訳が無い。
665 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 03:13:22
ロシアの農奴には賦役制と年貢制があった
後者の場合一定の年貢を納めた後の収入は自由になるので
金を貯め込んで自分で自分を買って自由民になった者も多い
日本とは比較にならないほど放蕩の度が高いので
借金の片に売られることも多いが支配条件は引き継がれるので
生活が変わることはあまり考えられない
変わるとすれば賦役制の領地で管理人の交代があった場合だろう
管理人は日本のお代官様と同じで悪人が多いがそれも度合による
自己の蓄財にしか興味のない管理人だと最悪
666 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 06:34:21
>>665 日本のお代官様ってそんなに悪かったの?
>>659 富農じゃなくなった時点で、次代の次男三男は奉公とか小作人とかね
でもって、幕末頃には富農は一人もいなくなって、みんな貧農になってるってかw
誰も断家せず、誰も破綻せず、諸々の貯蓄や収益の差がなければそうだろうね
670 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 11:17:33
藻前等机上論はいいから、富農が土地分割していって一般農民になっていった記録
みた事あんのか?
それが一般的なら、いっぱい記録に残ってなきゃならんぞ。
一般論を史料で語ったらどうだ?
富農が土地分割して分家するのは、史料でバリバリ確認されてるぞ?
あと、江戸初期は大人数の家が多く、時代が経つにつれ
徐々に1家族単位での居住が多くなっていった変遷がナントカ帳から解るソーダw
確かに、江戸時代初期は分家・分地も行なわれてはいるよ。しかし、農家の細分化が進むと
将来零細化してしまう事を危惧した幕府は、法令をもって分家・分地の制限を行なっている。
禁止はしていない、現実に家族単位での経営が多くなった。
ということは、分家が行わていたとみていいんじゃ?
勿論、禁止はしていない。
ただ
富農 → 分家・分地を繰り返す → 一般農民化
というのは、極端すぎると言うこと。
そもそも、為政者側からみて体力のある富農は必要だと考えられていたし、庄屋な
どが弱体化していっては勤まらないから、制限を設けただけだ。
675 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:12:16
だから江戸初期だけで、中期以降はほとんど分割されてないんだよ。
分割相続した家が貧農になって飢饉で絶滅したりしたから。
>>671 一家族単位で住んでるのは富農じゃないよw
676 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:18:47
いつの時代も
富農→分家・分地を繰り返す→零細化→一部が成功し土地を集積し富農化→以下∞ループ
>>675 分割相続した家が貧農になる程度の場合
長男が継いで、それ以降は奉公等に出たんだろ。
断家、経営破綻があれば、その跡地を集積できた人間が富農になる→以下略だし
まあ、一口に江戸時代といっても、初期・中期・後期とでは大分様相が変わってきている
という事だな。それを区分せすに一辺に語ってしまおうとするから、ややこしくなる。
680 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:34:46
零細化して単位としてなりたたなくなったら借金まみれになって結局富農の下につく
単純なことなんだけどなー
681 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:39:24
たわけ(=バカ) は 田分け が語源。
江戸時代初期から庄屋だったところは、幕末でも庄屋を続けてるんだが…
683 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:45:15
>>682 そういうところは武士と同じで長子相続。
分割はしない。次男以下は丁稚奉公。
685 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 13:58:46
丁稚奉公をバカにしちゃあいけませんよ。
今で言うホワイトカラーの幹部候補生だから。
ブルーカラーは下男とか、職人の徒弟とか。
貧しい農民の家で丁稚奉公できた家なんてない。
武家や商家の下男か、職人の徒弟。
地元の郷土史を調べてみればわかると思うけど、庄屋は代々庄屋だよ。
たまに、一揆の首謀者としてアポーンされてたりもするけど
>>677は
当時の一般的な流れじゃないだろう。土地売買にも制限があったし。
勿論、
>>676のような例もあったから法令で制限してたというのが、実情
じゃない?
庄屋=富農、では全くないぞ
677は当時の一般的な流れ。
>庄屋=富農、では全くないぞ
全く無いは極論だろうw
少なくとも、農村部では富農の代表格だよ。
庄屋って面倒ばかりで大した見返りがなかったらしいね。
元々の土地は、江戸初期に百姓創設で分かれたり
地下人が百姓と変わらない権限持っていたりして
一般的な庄屋は凡百姓と大した差がなかったそうで。
>>688 庄屋は世襲制だから、変わらないのは当然では?
>>690 確かに世襲制だけど、貧農になったのでは勤まらない。
富農が零細化するのが一般的な流れなら、大勢の庄屋が零細化して消えていかねば
ならない。
692 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:38:19
江戸時代の納め方には法則というか原則があるらしい。
お金儲けできる地位は、調停役やまとめ役など責任者となるって。
長屋の大家とかもそうだけど、組み入れられた人の面倒を細かに見なきゃいけない。
そして、取り締まりの役人とかに対しても適切な対応しなくてはならない。
で、問題が起こると責任の一端を持たされる。
古典落語でも町人が大家や金持ちにはにはなりたくないと言うのがあるくらい割が悪いらしい。
ま、適正があって、安定したい場合が多いからなり手もそこそこ循環してたみたいだけどね。
蛇足だが、今でも田舎で続いてるけど、古くからある庄屋の家は地域の調停役としていろいろ面倒見てる。
故に、尊敬を受けたり、対応がまずいと家名が落ちて没落してる。近所でも近頃没落したのがある。
693 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:21:17
>>692 没落・・シビアだなぁ・・今で言う破産??
>>686 >地元の郷土史を調べてみればわかると思うけど、庄屋は代々庄屋だよ。
庄屋も地域によっては輪番制や選挙制をとっていた所もあったよ。
受け持ち地区の年貢は納めなきゃいけないけど
対応が拙くて信頼が無い、そうなると辛いね
696 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 19:56:53
>>693持ってた特権の破棄とかじゃないかな・・・そういうのならうちの方でもあった。
声を掛ければ人が集められたり、町や国との折衝に当たる権利とか。
それを持ってると商売してもいろいろと便利でしやすいし、困っても助けてもらえる。
でも、人望が無かったりで見放されるといろいろな面で縮小させられる{人間関係で}
そして、自分の家とか土地とか維持できなくなって崩れるのが多い。
潰す人は大体横柄だったり感覚がずれてるから破産まで行く人も居る。
良くて土地の切り売りとかで縮小・・・農家だと商売にならなくなるw
697 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 20:07:56
近郊の農家は野菜で少しは現金収入があって楽でしょう。
オラッチは戦前まで村芝居をやってた。十八番は忠臣蔵
698 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 20:31:48
>>697 ちゅぅことは、おじさん80近いでしょ??
699 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 21:15:54
>>683時代が下るにつれて耕作面積の拡大もあるから豊かな家は分家させてるよ
>>686中期以降選挙(?)で持ち回りなんてのも結構あるぞよ
>>687基本的に庄屋=富農 貧乏なとこは庄屋置かないとこだってあるんだぞ
>>689元々は地侍の為の懐柔策。多分に名誉的なもので実質見入りは関係ない
村の代表名主(庄屋)
各集落の代表組頭
名主職が、組頭クラスの持ち回りなんてのもあり
100戸の村なら2〜3人の名主がいたろうか。
後世ユートピアみたいに騙られる天領・・・
潰れ百姓(村全滅)無かった事にして北陸一向門徒を補充し隠蔽。将軍様のユートピアに本物無し。
悲惨な農奴だろうが存在有る。
ことなかれ主義の、わが国では存在すら無い。
>>699 先祖代々の山林水等の権利を認めてもらうことから得る収入が大事で
むしろ、名誉はあまり関係ない。
703 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 12:10:34
704 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 12:21:36
>>699 そんな耕作地の拡大なんて、めったにない話をされても。。
日本の土地には限界があって、山を段々畑にしたところで拡大は全体から見れば些細なもの。
705 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 12:30:47
>>704時期と地域によるが家の田舎だと元禄期に大規模新田開発をして(堤を築いて水位を上げ水を引いたらしい)
5家分家を出してるが・・・恒常的に拡大は無いかも知れんが。。。
>>704 戦国期には色々な要請から大きく纏まっていた集団が
江戸時代へ入り、年貢の負担軽減のタメに分けられたりしているし。
棚田等における水田を細かく区切る性質から、分家する方が効率がよくて
土地ある場合、分家は割と一般的だったみたいよ。
しかし、根拠も無いのによく断定できるね‥ある意味感心する
まあ分家するには、土地の開墾・干拓のほか飢饉や疫病なんかで耕す者がいなくなったり
した時のほかに、離農者の土地を買うケースもあった。田畑を売って商売を始めたりする者
もいた訳だから。
こうして土地が手にいった時に、分家・分地をしていたんだろうな。
富農はどうせ使用人を使わないと、土地が広くてやっていけない訳だから、次男・三男は働き
ぶちがなければ、分家しなくとも使用人として働かせればいいだけの話。
むしろ、一般農民のほうが分家して飢饉の時、本家分家とも共倒れになるケースがあった。
708 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:50:59
飢饉ていうのは、どの地域でもあったのかね??家の田舎だと記録は無いですね・・・
>>707 >むしろ、一般農民のほうが分家して飢饉の時、本家分家とも共倒れになるケースがあった。
見てきた様なウソ言うね‥
一般農民はあまり分家しないはず、そもそも分家するだけの土地が無いのだからw
それと、飢饉の時でも農村地域の人口はあまり変動が無かったらしいよ。
>708
地域によっても違うし、藩の政策によっても差がでる。
自分の地方では飢饉で餓死者がでているが、隣の藩では一人も餓死者は出ていない。
あほな藩に生まれた領民は悲惨だなw
711 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 14:06:19
あほな藩=田分けを認める藩=分家するタワケ百姓を認めるタワケ藩
712 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 14:14:41
飢饉になると東北ばかりで餓死者が出るのって、やっぱり
東北にバカが多いからだと思うんだよ。
IQの県別平均をみても、東北って、沖縄についでIQが
低くて、東北だけで最下位群を形成している。
>>709 >見てきた様なウソ言うね‥
>飢饉の時でも農村地域の人口はあまり変動が無かったらしいよ。
飢饉は710に書いているように地域差があったし寛永の飢饉に驚いた幕府は早速対策を講じ
ているのだが…
1641年に発生した寛永の大飢饉を受けた幕府は、本百姓の零細化と富農への土地集中を防ぐため
1643年に田畑永代売買の禁令を施行した。
1673年には農民が零細化することを防止するため、名主は20石、一般は10石以下への分割を禁止
する分地制限令が発令された。
大飢饉は何度もあってるし、この法令のほかにも今以上の分家はまかりならぬ、という法を藩独
自で定めたりもしている。
714 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 14:46:42
,-、 nn
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! {. ヾ;| l \ `ヾ='´;: -‐'^'''゛
', '、 \\_,,> ノ::/ } !
ヽ,\ ヾ;、.__,/∠_ ノ/
丶丶、ヽ;:::::::;:ィ´ ゙, /
`'‐-<.___ノ
補足しておくと、飢饉による餓死者は分地もあるが、藩が日頃から備蓄米を用意して
おく等の飢饉対策をとっていたかどうかによるところが大きいようだ。
ただし、東北の被害の大きさは、飢饉の度合いの酷さからくるものだろう。
当時の米の品種って何なんだろ?
>>715 そりゃ非農民の話でしょ、南部藩は知らんけども。
農民が飢え死にするようじゃ、他の裕福でない町人は助かりようがないし
>>713 農民が土地を手放すのは大概、借金10年の後とかそんな感じじゃなかったっけ?
それに田畑永代売買の禁令は分家と関係無いかと
718 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 16:41:46
農林1号
>>717 餓死者の内訳までは調べた事ないが、飢饉のために全滅した集落の記録をみた
事はあるから、かなりの農民が死んだようだよ。全滅といっても全員が餓死した
わけでなく離散した者も多かったけど…
ちなみに、自分の地方の藩内では農民が多く餓死している。
田畑永代売買の禁令はあったけど、実際にはその後の売買も行なわれていたようだ。
苦しくなって田畑を手離す者がいて、それを富農が買い取るという事が多かった
ようだ。
それと、分家と関係してくるのは、分地制限令のほうだね。
ともかく農民が零細化してしまうと、大飢饉でなく凶作程度でも税がおさめられなく
なる農民が増えるので、それを抑えるのが目的だね。
720 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 17:24:32
>>712 江戸時代の飢饉で東北にばかりボロボロ餓死者が出たのは、
東北に馬鹿が多いというより、商業の地盤が無い貧しい地域であり、
徳川体制の下の公的な権威以外の権威(要はブルジョワ)が発展せず、
時の支配者の専横がはびこっていたから。
だからこそ、戊辰戦争で錦旗が掲げられるに及んでも
東北だけがズバ抜けて佐幕一色であり続けたし、
江戸時代当時の農民の声は一切後世の世に伝わることがないほど
完全に圧殺されてしまった。
現在、東北の年輩者に武士道信仰者がやたらと多いのは、
鉄のカーテンに覆われて実態がまるで見えない共産圏に
理想郷を見い出す人が昭和時代に多かったのと、
理由としては似たようなものだと思う。
>>719 何藩?何集落?何名程亡くなった?
719が住む地方の藩内で農民が多く餓死していたなら
それ以前に生活が成り立っていない農民は沢山いたはずだけど。
>719が住む地方の藩内で農民が多く餓死していたなら
>それ以前に生活が成り立っていない農民は沢山いたはずだけど。
意味不明
723 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 17:43:54
東北=北朝鮮
つーかなんで餓死者にこだわるのかも解らん。
飢饉でそもそも分地・分家によって零細化した農民が税を納められない状態
になったのが問題なのだが…
725 :
719:2006/04/20(木) 18:12:35
今日はもう書き込めないので、これにて失礼
726 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:22:22
☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 餓死者まだ〜?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
727 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:25:04
|::::::::::::::;;ノ-=; =--`;:::::::::::::|
|::::::::::::/ ,;:: ;,. i:::::::::::::|
|:::::::::::|`; :,`_^_^_´,ヽ |:::::::::::::|
|:::::::::::|::. -<ー===一>- |::::::::::::::|
728 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:34:58
竜頭蛇尾なスレですなあ。
729 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:38:50
分かっているとは思うけど、腐女子(鬼女含む)は
ニートよりはるかに悪質で性質が悪い。
719が消えた途端元気だしてる…
731 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:55:02
最近の餓死者は根性ないな
732 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:11:39
>>717 町人が農民より貧乏って貨幣経済の発達してない東北限定の発想だな
ちなみに、浮浪者は町人とは言わないのでw
733 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:15:46
ちなみに飢饉のときの飢えやすさは地域差もあって、
東北が一番激しいだろうね。中央の農民は近辺から食べ物を都合
してもらえる。九州は全体として飢えることはめったにないが、
東北は頻繁に食料が取れないことがある。
鹿児島は琉球から食物を都合してもらえる?
東北人は、作物がとれず、なおかつ東北に閉じ込められてるんだから
自分の家で取れなかったら、ほとんど飢え死に決定。
734 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:20:21
東北地方は藩主も専制主義的で、農民も農奴的。
農民は人間と思ってない藩主や武士が多く、農民が飢えても意に介さない。
農民に教育しないので、文盲ばかりで、読み書きできない農民が西日本より
やたらと多く、一揆を起こそうにも非力。
貨幣経済が発達してないので、他地方との交流や流通がないので、
東北で飢饉になると、他地方がどんなに豊作でも飢えるだけ。
735 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:22:12
東北の藩主は、不始末を起こすと改易されるのに恐々として、
幕府に訴えもしないし、見栄っ張りでコンプレックスが強いので
他の藩にも頼まない。農民は飢え放題。
736 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:39:49
東北の町人はブルジョワじゃないんだよね、ていうか、東北に町人なんているの?
大坂の町人とか、西日本の町人は明らかにブルジョワ的意味合いがあって、
借金のカタに町人が藩政に口を出してて、
農民より町人のほうが下とか同じなんて寝言は口が避けても出てこないはず。
東北にも町人(=ブルジョア)がいれば、飢饉になったら、豊作の地方で
取れた米を売ってくれる人がいて、飢饉になっても死ななくて済んだ
のにね。
>>730 何藩の何集落か言えないからって、消えたことにするなよ。
>>736 明らかに農民より町人のほうが下だ、アホ
>借金のカタに町人が藩政に口を出してて
超特大の例外持ち出して、さも一般的町人のように言うなよw
「農民って明らかに大地主的意味合いがあって、小藩より広い土地持ち
町人より農民のほうが下とか同じなんて寝言は口が避けても出てこないはず。」
というレベルのおバカ発言。
738 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:52:58
>>737 東北の町人はいわゆる町人じゃなくて浮浪者のことだから、
町人>農民>浮浪者(東北でいう町人)でいいよ。
739 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:58:48
>>737 農民の土地は藩主か幕府のもので、農民のものじゃないし。
仮に土地が農民のものだったとしても、小藩程度の土地持ちでは、
豪商にはとてもかなわない。
740 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:02:24
中小藩の藩主自体が三井や住友より下といわれるくらいだし。
農民なんてハア?
741 :
730:2006/04/20(木) 20:03:46
東北人でこんな基地外しかいないのかw
742 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:11:00
徳川家を除くどんな大藩よりも経済力のある豪商は大勢いたけど、
権力や武力などを考慮して中小藩より上という表現にした。
>>739 はぁ?農民の土地は藩主か幕府のもので、農民のものじゃない?
なに寝言言ってんだか。
>仮に土地が農民のものだったとしても、小藩程度の土地持ちでは、
>豪商にはとてもかなわない。
>徳川家を除くどんな大藩よりも経済力のある豪商は大勢いたけど、
経済力なら豪商が上というのも分かる。 しかし‥
>権力や武力などを考慮して中小藩より上という表現にした。
適当な思いつきを書き込んでるとしか思えんw
>>741 >飢饉のために全滅した集落の記録をみた事はある
>自分の地方の藩内では農民が多く餓死している。
何地方の何藩と何集落ですか?
745 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:35:05
>>743 だから上のほうにもあったが建前と現実を混同するなよ。
農民の土地が藩主か幕府のものでなかったとしたら、版籍奉還は
誰に何を奉還したんですか?
747 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:40:12
百姓同士の仲違い
748 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:45:52
|::::::::::::::;;ノ-=; =--`;:::::::::::::|
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749 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:46:40
頭の悪いインターネットですね
750 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:19:48
>>746 >はぁ?農民の土地は藩主か幕府のもので、農民のものじゃない?
>なに寝言言ってんだか。
版籍奉還とは誰が誰に何を奉還したのですか?
>>750 藩が土地の統治権を渡した。分かる? 支配地と所有地は違うから
~~~~~~~
752 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:34:10
♪ ♪
(゚ω゚)ノ
└( ( ぇえじゃないかぇえじゃないか♪
( ヽ ♪
♪
ヽ(゚ω゚)
♪) )┘ ぇえじゃないかぇえじゃないか♪
ノ > ♪
ごめーん、どっちでもいいや
754 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:51:19
756 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:20:29
細川内閣の時も米なくて、日本バタバタしてたんだぞ!知ってるかい?
757 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:43:19
>>755 それはあなたがそういう立場だという表明をしているに過ぎない。
【所有権】
特定のものを自由に使用・収益・処分することのできる権利。
【耕作権】
農民が農地を耕作する権利。
>>757 室町〜戦国時代からの流れを見れば
現実に「今の所有権」=「当時の耕作権」なんだからしょうがない。
まぁ、研究者にも重箱の隅ばかり突付く人多いから
それはそれで多少意味あるのかもしれんけど。俺はどうでもいい
759 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:51:11
>>758 googleで「所有権 耕作権 江戸」で検索すると簡単に以下のような主張が容易にヒットする。
>私はこれまで「耕作権」という言い方をして、「所有権」という言い方をしません
>でした。江戸時代は、大名が土地を所有し、百姓はその土地を耕す耕作権しか認め
>られず、そのため百姓が土地を売買することは禁じられていたからです
>土地所有権を認めたのは、明治四年からで、それまでは、耕作権しかなく、その異動
>は質権だけであった。地価の設定後は所有権を認め、一筆毎に地券を発行している。
760 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:52:45
農民は農地としてしか利用できないから、所有権=私有権とは
言いがたい。
761 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:57:00
藩主に直営地が無かったのはどうして?
百姓が土地を売買することはよくあることだったけどね。
農地としての利用がほとんどなら、耕作権=所有権で問題でしょ
山野林業もあるけど、現実には農民の所有だし。
所有権で問題じゃなく「所有権で問題ない」ねw
765 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:04:58
>>764 工場で働く公務員はたくさんいるでしょ?
農場で働く公務員も少数ながらいるし。
766 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:08:23
767 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:10:07
いずれにしろ、現代の「所有権」の概念とは全然別物だね。
768 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:18:22
国土交通省様の見解では、幕藩体制期の農地は「公有地」だそうだ。
百姓は「使用権」を与えられていただけ。
http://www.bank.tochi.mlit.go.jp/data/html/1012/001/table/t0000001.html 幕藩体制期は、幕府が領地を統制し、領地内の土地利用は領主が支配するという
体制であり、封土(領地)を媒介とした身分の上下による主従関係によって成立
していた。封建制下での土地所有関係は、領主による領有権と領民による耕作権
=占有権が重なりあっており、町人、百姓層は領主のもとで事実上の土地の使用
権を与えられていた。従って、幕藩領主は土地所有者ではなく、年貢を徴収する
支配権者であり、この意味では土地は国権の下にある公有地として考えられてい
たものと思われる。近代的所有権としての「使用、収益、処分」という三つの権
能からみれば、この期の所有権は、「処分」の権能を欠いており、「使用、収益」
の権能を重視していたと考えられる。
769 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:19:23
江戸時代の百姓は本当に貧しかったか?
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub226.htm 問1)幕末期、信濃国更級郡川中島平五ヵ村の年貢率は実際にはどれくらいだったと思いますか?
答え)形式的な年貢率(年貢米の量を検地帳上の村の米の生産高<村高といいます>で割ったもの)は
48.2%で、これだと確かに「五公五民」です。しかし、実際の年貢率は10%にも満たないのではない
か、という研究者の意見があります。なぜこれほどにまで違うのか?それは以下に見ていくことにします。
大江戸経済学
http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/zeitaku.html#1 江戸時代には飢饉もあったし、百姓一揆も多発していた。
「封建社会」「士農工商」「百姓は生かさず殺さず」などの言葉から連想されるのは、
「百姓がまるで奴隷のように扱われていて、そのために不満が爆発して百姓一揆が起きた。
しかし結局弾圧されて目的を達しなかった」という図式だ。「歴史の必然性」を強調したい人たちは、
江戸時代をこのように見ている。しかし、一つ一つのの出来事見てみると少し違う。一揆を起こす百姓も、
弾圧する藩主側も命がけだったわけでななさそうだ。
そう考えるよりも、春闘のような年中行事だった、と考えた方が良いような例もある。
百姓側も役人側も槍、刀、鉄砲はめったに使っていない。
百姓一揆と言っても、江戸時代の人が、子供のイヤイヤとしか映らないような一揆があったのも事実のようだ。
広瀬淡窓は、1812(文化9)年、在所の近くで起きた一揆について、凶作とか困窮とかいった具体的な原因もなく起きたものだと、
多少の不審と軽蔑の念をにじませた感想を日記に残している。
770 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:32:20
いまさらだけど百姓が実は豊かだったという主張は網野史学の基調だな。
百姓に分類される人が実は大きな回船を持っていたりするという。
771 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:33:00
772 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:38:09
>>769 >「封建社会」「士農工商」「百姓は生かさず殺さず」などの言葉・・
明治新政府が前江戸政権を否定する為に作り出した言葉だったり
意味を変えた言葉です。
なんで、今更…今までの論議をアボーンするような書き込みが連続してなされるんだw
774 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:03:55
農民は貧しかった。
百姓は豊かだったw
775 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:29:08
百姓って、天皇以外の姓を持つ人々って意味で?
776 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:47:18
まあ、よくわからんけど豊臣時代の太閤検地以降
穢土時代にかけての農民百姓にはまず生まれたくはない。
777 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:52:39
江戸時代の百姓は農民を指す言葉。
778 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 01:03:47
武士・貴族と被差別民以外は全部百姓
779 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 01:54:02
780 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 01:55:52
っていうか武士貴族「が」百姓。
781 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:23:15
本間家も農民に分類されるのか?
782 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 09:45:47
なんか一気に積み上げた議論ふっとばされてるのな
まあいいけどさ
783 :
719:2006/04/21(金) 10:48:03
784 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 10:50:32
785 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 11:00:25
素朴な疑問なんだが
江戸時代はほとんど人口が増えていなかったような気が、、、
何で豊かなのに人口が増えないんだ?
こっち側から見るとやはり農民の生活は
かつかつだったんじゃないのかなと思ってしまう
七割近く増えてるけど・・・
>>766-777 千年以上同じ流れできていた事柄を
江戸時代になっていきなり「所有権ではない」といっても現実離れしてるから
ろくに機能しなかったバテレン追放令や太閤検地の中の新方針と同じく
ただのお題目。 実質的には所有権と解する方が妥当でしょ
787 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 12:41:01
>>785 >増えてなかったような気が、、、
気がしただけ、おまえの妄想を根拠に語るなバカ
こっち側とか意味わかんねえし
家族が中国人に惨殺されればいいのにね^^もちろん犯人捕まらずwwwww
788 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 12:53:23
>>786 国土交通省に文句を言ってくれ。別に江戸時代だけを分けているわけ
ではない。現代の「所有権」とは明らかに違うのだから、分けて考
えるのが当然だろ。
789 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 13:02:37
当たり前のことを忘れるな。
言わせてもらうが、食べ物を作ってくれているのは
今も昔もお百姓さんなんだよ。畑を耕して肥やし、苦労して。
そういったことをしている人に対して、
感謝の気持ちを持たず見下しさえするというのは、人として間違っていないか?
単純な話。
>>788 >現代の「所有権」とは少し違う
人々の感覚としては、結局現代の「所有権」と同じ感覚だろ
791 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 13:42:46
>>790 おまえ、現代の「土地所有権」と「借地権」の違いも分からないだろ?
そりゃ、人々の感覚レベルの話だからねw
794 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 13:54:50
>>793 >>768 でせっかく国土交通省様が見解提示しているんだから、これをベースに
反論でも補足でもいいから持論を展開してくれ。
蒸し返しの多いスレですね
>>794 おいおい、国土交通省様の見解は現代人が現代法で解釈した場合だって〜の
>土地は国権の下にある公有地として考えられていたものと思われる。
この部分は国土交通省様の間違い。
>>783 基地外は放置だ。きのうは餓死者厨にアンタと間違えられてつきまとわれたよw
798 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 14:30:20
>>796 俺たちは現代人なんだから現代語で議論してるんだろw
国土交通省様が間違いというなら、具体的に説明してくれ。
>人々の感覚としては、結局現代の「所有権」と同じ感覚だろ
>国土交通省様の見解は現代人が現代法で解釈した場合だって〜の
とても、同じ人間の文章だとは思えない矛盾のサンプルだ
>国土交通省様の見解は現代人が現代法で解釈した場合
>俺たちは現代人なんだから現代語で議論してるんだろw
だめだこりゃ。。。
>>798 平安時代以来の流れ、決まりごと、慣習を無視して
「国権の下にある公有地」へいきなり変える理由もメリットも無い
外人に占領されたなら話は別としても。
>>799 上の段は、現代人が抱く所有権と当時の人が抱いた土地の権利とは
同じような感覚のモノだろう。ってこと
下の段は当時の状況を現代に置き換えた場合の解釈だろ?という疑問
理解できる?
802 :
785:2006/04/21(金) 14:54:35
803 :
785:2006/04/21(金) 15:00:32
現代日本は貧しい国ってこと。
805 :
719:2006/04/21(金) 15:57:08
>>797 d
ま、そうだな。そもそも論点をずらす為、餓死者の話に持っていこうとしていた魂胆は見え見え。
AA荒らしを相手にしてもしょうがない。という言う事で名無しにもどります。
相手されないとわかったら、また喜んで煽ってきそうだがw
江戸時代のことは詳しくはわからないけど
土地は基本的にずっとお上(天皇)のものだった。建前はね。
それでも、耕作権(その土地の使用権)と所有権(その土地の権利)は中世には分かれていて
それぞれ別々に考えられていた。その土地の所有者がころころ変わっても、耕作権者が変わらず
にずっと同じ家の人がその土地を使うなんてよくあったことだし。
そういう時代を経てきているのに、いきなり土地は売買禁止にしても効果はほとんどないと思う。
809 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:03:28
>>808 いや、所有権=耕作権だ
という馬鹿がなぜかいるんだよなあ。
>>808-809 >江戸時代のことは詳しくはわからないけど
>土地は基本的にずっとお上(天皇)のものだった。建前はね。
>それでも、耕作権(その土地の使用権)と所有権(その土地の権利)は中世には分かれていて
1人でやってろ。
811 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:35:11
>>810 808は俺じゃないよ。
あんたの「所有権=耕作権」という主張のほうがマイナーだということを
理解しろよ。
812 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:35:45
鳥類だったのか
813 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:39:14
ヾヽ
_( ・l> ハトポッポ
ミ_ノ
814 :
808:2006/04/21(金) 19:10:40
所有権=耕作権が江戸期を通じて厳しく守られていたなら
なぜ本間家の様な小大名を軽く凌駕する大地主が存在できたのでしょうか。
本間家は実は幕府から大名扱いとして認められ、江戸期を通じてずっと加増をうけて
いたのでしょうか。
幕府も大名も、誰が耕作しているかより、年貢や公事が無事行われる方が
遥に重要だと考えていたと思います。お上が全ての没落農民を助けてまで所有権=耕作権を
維持する必要があるとは思えません。
所有権には納税の義務も伴いますから、所有権者たる地主は耕作権者たる小作人から
小作料+年貢を受け取り、納税主体としてその中から年貢だけお上に渡せば良いだけです。
お上の検地帳には、耕作権者の小作人の名前を書いてもらえば、建前も守れます。
815 :
785:2006/04/21(金) 19:57:14
816 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 22:04:24
>>807 を本気にしているヤシがいるようなので念のため。
>1800年前後の江戸の人口は、100〜120万人程度と推定され、同時代のロンドン(90万人)
>やパリ(60万人)よりも多い。
ってのが致命的におかしいな。江戸の推定人口はこれほど多くないし、半数は武士と
その家族で町人ではない。
817 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 22:12:58
所有権と徴税権は同じもの?
818 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 22:19:44
本間は土地集積町人。
酒田における旧来の土豪的旧家を押し退けて
成長を遂げた新興勢力。
820 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:07:27
>>807 江戸と大坂で100万人の町人人口があったとして、3000万人の全人口の3.3%に過ぎない
わけで、これでどうやって人口調整ができるのか計算式を見せてもらいたいものだなW
米作じゃ無くても『郷帳』で村高定められ、商行為にも税かけられる。
一次生産者から搾り取るの、たいした労力要らないからな。農民(多数)は悲惨。
現代の税取り易いリーマン(多数)が江戸農業系。
822 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 00:47:00
リーマン=ちょうせんじん
823 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 02:03:04
江戸時代の人口調節で間引きを軽視するのは現代人の価値観による
歴史の歪曲以外の何ものでもない。
むしろ間引きを許容ないし強制した文化を理解することのほうが百倍重要。
824 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 02:28:18
東北の話題が出てるようだけど、
江戸から明治にかけての東北時代の貧しさの名残が、
美人の産地としての東北(仙台除く)と、
ブスのメッカとしての仙台のステロタイプ。
困窮にあえぐ当時の東北地方は人身売買のメッカで、
農家の娘は遊郭に売られていった。
このとき、遊郭の客引きが宣伝のために
東北美人のイメージを道行く人々にアピールしていった。
また、見売りされた娘たちの相当数が仙台に売られていったが、
仙台の遊郭の客引は東北美人の心象操作と平行して
仙台女はブスだということもアピールしていった。
そのほうが仙台男のスケベ心をくすぐることができたしね。
仙台の他には名古屋と水戸がブスのメッカとして有名だが、
これも仙台と同じ理由によるもの。
尾張や水戸は、江戸時代の豊かな大藩だったからね。
825 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 04:58:09
>>784 だから、
>>535を読めよ。
>百姓身分か町人身分かは人別帳登録が村か町かによる
>登録が村→百姓
>登録が町→町人
登録が村の農民以外だっているにはいるんだよ。
登録が町の名主とかもいるし(夏目漱石のとことか町人)。
キョウ電波を感知。
827 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 09:07:24
既出かもしれないけど、
>>1さんの、
一人が年間食べる米の量は一表って、
ピザとかパンとか肉とか、他のものもたくさん食べている現代人の基準じゃない?
年間60kgじゃ一日200gにも満たない。
米の100g辺りのエネルギーは351kcal。つまり年間一表じゃ一日700kcalも取れない。
これじゃ生きていけるはずなし。
ちなみに、
戦国期の一石150kgが一人の年間の食べる量
昭和36年の一人当たりの消費量が114kg
そして米以外の食べ物が豊富な平成15年の消費量が、
年間一人60kgという事だそうだ。
これも既出だとおもうけど、
石高というのは生産力を米に換算したものであって、
文字通り米の生産量を示すものではない。
これは太閤検地の例で江戸期の計算と一致するかはわからないけど、
商工業地は同じ面積のもっとも生産力の高い水田と同等と計算された。
例えば堺の石高は面積13万坪で、およそ5000石と計算されている。
当然だけど、堺の町に農地はほとんどない。
戦国時代から大人一日分の米の量は五合とされており、江戸時代に入るまで日本人は
一日二食であったから、一食分は二合五勺であり、それ故、江戸時代には二合五勺の
桝があった。
但しこれは、武士の話。
830 :
807:2006/04/22(土) 10:49:26
>>815 農民の間でも嫡子単独相続が定着や農耕地拡大の限界により、人口増加が抑えられていた
と言う参考資料で、他の人が指摘しているように決して鵜呑みにはしないで下さい。
特に820さんの指摘どおり、あたかも全国津々浦々の農家の次男三男が全て江戸大阪の商家
の奉公人になっていたかの様にかかれてありますが、全く計算が合いません。
まず、奉公先としては武家でも大勢の奉公人を必要としていましたし、都市は各地方にもあり、
またそこまでいかなくとも、地元の武家・商家等のほか農家にも奉公先はありました。
藩によっては一代限りの足軽として雇用していた記録もあります。
また、間引きはそれほど行なわれていなかったようにも書かれてありますが、多くの記録が
残っている以上、日常的に行なわれていたものと、推測されます。
農民も武士と同じように、次男三男は長男が死んだ時の予備位に考えるようになっていった
ようですから、今のように有効な避妊法のなかった時代である事を考えると、そう考えざる
思えません。また農民自身も村で決まりを設け、次男三男には所帯を持たせなど自主的に
抑制処置をとったりもしています。
なお、間引きを規制する法もつくられていましたが、ざる法だったと思われます。
831 :
807:2006/04/22(土) 11:12:27
次男三男には所帯を持たせなど自主的に
↓
次男三男には所帯を持たせ無いなど自主的に
832 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:35:57
うちの地方だと、次男・三男は大きな農家へ小作に行ってたらしい。
で、大きな農家の次男・三男は長男の配下として小作をまとめるか、寺社や商家へ入ったとか。
農家としては完全独立はできないものの形式上分家となって家族を持てたそうだ。
しかし、実際は本家、長男の小作に過ぎないので、他の小作一家と変らないとのこと。
まあ、明治時代まで未開部分がある関東平野の田舎の話だからできたことだろうけどね。
藩主も幕府のお偉いさんだし
833 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 12:13:09
>>827 当時白米を食べるには手間がかかり玄米や麦飯、穀米なんかを食べていたんだが
これらは白米に比べてローカロリーでありながらビタミン類やたんぱく質、カルシウムに
優れており栄養的に問題ないと思うけど。
それとカロリーってあまり関係ないよ。重要なのは栄養素。
足りない分は果物で取れば問題ない。柿やザクロなんかは吐いて捨てる程だったそうだしね。
米は当時玄米として食べていた。しかし江戸では徐々に白米で食べるようになって
いった。
おかげで玄米に含まれていたビタミンが失われ、「江戸わずらい」という病気が
流行った。この病気が脚気だ。
835 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 13:27:35
そういや玄米を味噌と共に摂取すると栄養素、吸収率共に上がるんだって。
なので、それぞれ単体よりも吸収率が高まり、カロリーとかの効率が良いそうだ。
これに漬物や魚、
>>833が言う果物を秋などに加えると成長分も満たされる。
まあ、近年の過剰摂取状態には程遠いけどね
>>833 >それとカロリーってあまり関係ないよ。重要なのは栄養素。
これは現代人的感覚だと思う。
まずカロリーが満たされての栄養素
例えばビタミンなどの栄養が豊富だからって、野菜だけで一日過ごしてみ。
とてもじゃないけど力が入らない。
また、いくら玄米や麦飯が白米と比べたんぱく質が豊富といっても、
肉や乳製品とは比べ物にならないほど低い。
現代のように副食物が溢れている時代とは違う。
具体的に一日2000kalを米200gの他、副食物で取るとしたら、
一日鰯だと600g、果物、例えばみかんだと5kgも必要になる。
穀物のように長期保存できないとなると、
不足分を農民が魚や果物で補えるとは考えにくいと思う。
837 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 18:34:57
農民自身の食物はコストパフォーマンスですよ。
いかに少ない労力で多く食えるかが勝負。
サツマイモが入ってきてからは、九州あたりではあっという間に普及したと聞く。
838 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 20:29:43
田舎では、芋虫とか食べてて、たんぱく質豊富で、
”飴を食う”貴族や金持ちより体格がよかったらしいね>百姓
芋虫って特定の季節にしか発生しないだろ。
モンシロチョウの芋虫が腹の足しになるんかいな。
840 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 21:02:47
イナゴとかバッタとかの昆虫全般を食うんだろ
まあ、肉を殆んど食わなかったんだから蛋白源としてはそれなりに貴重だわな。
842 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 21:13:04
なんか話が、農村が完全閉鎖の世界の方向に言ってるな。
商業での交流もあるし、それによる品物の流入もあるから考慮しないと。
加えて、マタギなど狩人からの供給もあるし、水鳥なども食べる。
郷土資料関連見るといろいろと食べているのがわかるよ。
843 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 22:01:55
844 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:31:36
江戸のふつうの農民(豪農とかじゃなく)は、今の常識から考えると自給自足(せいぜい村内で
物々交換)の比率が非常に高いよ。
845 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:23:50
崩壊した農村(18世紀以降)
(a) 本百姓の困窮化 → 小作人(水呑百姓)化
・あるいは年季奉公や日用稼ぎに従事(さらに貨幣経済に巻き込まれる)
(b) 寄生地主の出現
(c) 自給自足の農村経済の崩壊(貨幣経済の浸透)
農村への貨幣経済の浸透=自給自足経済の崩壊
(a) 百姓の貨幣需要の増大…貢租の金納、金肥の購入、日用品の購入など
(b) 商業資本の流入…問屋制家内工業の農村での普及
(c) 商品作物栽培などの失敗による借金など
846 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:27:39
農村崩壊の影響
A.農村人口の停滞・減少…江戸中期以降は2600〜2700万人前後で停滞
(a) 間引の一般化
(b) 農村からの離村 → 都市への流入
B.寄生地主の出現=農村の階層分化(貧富の差)の拡大
(a) 「寄生地主」
・一部有力な百姓(村役人クラス)が、生活に困窮する本百姓から土地を買い集め、自らは農業経営をし
ないで土地を小作人に貸し付け、高額現物の小作料を徴収する地主のこと
・江戸後期〜昭和前期の基本的な農村構造 → 戦後の農地改革で消滅
(b) 寄生地主の成立過程
・江戸時代初期…地主手作(広い田畑をもつ本百姓は隷属民や年季奉公人を使い自前で耕作)
・江戸時代中期〜…寄生地主の出現
(c) 変化の要因…地主手作の不採算(年季奉公人の賃金、肥料代、農具代の高騰など) →
→ 都市の発展、商業経済の発展、農村への商業資本の流入
847 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:32:42
>>845 貨幣経済の浸透ったって、地租改正前と後では程度が全然違うだろ・・
>>847 農村でも貨幣経済は室町後期には浸透してるけど?
戦国時代に一端崩れたとはいえ、江戸時代を後進的に考えすぎ
石高の低い山村百姓も小金を結構持ってる。
副収入が主体とすれば、当然
貨幣経済も浸透してる。
850 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:33:54
>>842 >>848 >>849 そりゃ、農民だって定期市に正月用品買いに言ったり、
海の幸を買いに言ったりはするだろうし、
江戸期はそれが活発だったのは事実だろう。
つーかそんな光景は古代の文献の中にも当たり前にあるわけで。
だけど、やはりそれは、農村経済の中に占める比率的に言えばかなり小さいわけで。
勿論例外はあるよ。例えば都市近郊の農村や、
米が育たず、換金作物や漁業を主として作っていた山間部や沿岸の農村
これらは貨幣経済がかなり浸透していたといえる。
特に都市近郊は、商品作物の出荷、都市からの肥料の購入など、
かなり貨幣経済が浸透していたといえる。
だけどそれがまるで日本の全農村に適用されるように言うのは、
やはり誤りだと思う。
例えば雪国だと、冬の間外部から供給が途絶えたら、
それで村の生活が麻痺しちゃうじゃない。
やはり自給自足が基本で、その上での貨幣経済だと思う。
851 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:37:57
これが「浸透した貨幣経済」とやらと言う奴だな。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J004.htm 江戸の家計簿
江戸後期の農家の場合
家族構成:夫婦、子供一人。田1町と畑5反を耕作。中流の農家です。
残りは、金1両弱しかありません。出典の著者は、「余すところ金二、三分に
足らず、ゆえに風寒暑湿に冒し、一、二月も(仕事を)怠るときは収穫に損あ
りて、医薬の価に充てるに足らず」と書いています。
収入は一見金換算で47両ありますが、2/3は税金と諸経費なのです。
可処分所得は、15両くらいしかありません。
○主食費 − 麦が中心の主食でした。野菜類は自給していたのでしょう。
米1.9石、麦3.6石。
○衣食住費
塩・茶・油・紙 金2両、農具・家具 金2両、薪・炭 金1両、
衣料 金1.5両。
852 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:01:37
鉄道ができ、一方、河川交通が衰えた、
明治期の方が、交通路から外れた農山村が悲惨になったと思う。
江戸期のほうが交通による地域格差が少なかったはず。山村でも移出する産品があれば一方的に貧しいということは少なかったのではなかろうか。
853 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:04:47
貿易と近代技術によって、輸出品になる生糸、茶以外の綿花、藍、紅花、櫨蝋などの商品作物が打撃を受けたことも大きかった。
果樹に転換するにしても資金と国内需要の点で限られていたし。
854 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:31:53
>>851 つまり食に関しては事実上自給。たまの贅沢で魚の日干しくらいは買っただろう
っていう生活だな。
855 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:08:17
中小の農家は確か持ち回りで家も作ってたんじゃなかったか。
縄文時代以来の茅葺き屋根は、持ち回りで修復しないと雨漏りがしたり、屋根に雑草が
生えて腐ってくるんだよね…。
>>854 充分浸透した貨幣経済じゃないかw
農民が食に関してかなりの程度自給するのは、今でも変わらんし
858 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:20:01
>>857 >>収入は一見金換算で47両ありますが、2/3は税金と諸経費なのです。
って書いてあるわけだが、本当に「貨幣」が動いているとでも思ってるの?
自給自足に頼る率が高いほど、悲惨な生活なんだろうな。
誰だって出来の悪い自作の物より、プロ職人の作った物が欲しいだろうし。
860 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:00:45
>>859 江戸期以前ではそんな単純な話ではない。
そもそも自給自足に頼るという表現がおかしい。
当時は農村は、まず自給自足ができてなんぼの世界
あくまで自給自足が前提で、その上で余剰生産物を作り金に変える事が基本
自給自足を崩してまで換金作物をつくる必要があったのは、
むしろ山間部の米などの穀物が作れない地域。
例えば甲州郡内地方は米の生産に適さず養蚕が盛んだった。
絹は高級品だから江戸や京で高く売れる。
しかし、天明の大飢饉の時、それが仇になった。
米が高騰して食料が手に入らない。
人口の6万7000人で餓死・疫病死が18000人という、壊滅的な飢饉が発生していた。
一方、自給自足体制があった上での貨幣経済である隣接の甲州国中地方では、
餓死者の記録は見当たらない。
現代でも食料の自給自足体制を整えているのは先進国であり、
食料輸入国の多くは実は自給自足が出来ない、
貧しい発展途上国という現実がある。
同じ所得水準であれば、やはり自給自足率が高いほうが有利。
例えばDIYなんか趣味でやってる人も多いだろうけど、
DIY=品質が低いのではなく、
DIY=節約した金を別の事に回せる=より高品質な職人のものを買える
って事でもあるんだよね。
例えば照明変えたいんだけど、職人さんに頼んだら工事費1万円だって!
自分で工事すれば、1万円分グレードの高いやつ買えるじゃん!って事
862 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:39:02
農村は味噌、醤油等いろいろな加工品を自分達で作ってる。
加えて、米以外に五穀も食べてるし、諸々の地域に根ざした食品を食べてる。
だから、栄養素的にもカロリー的にも、飢饉以外では満たされてるよ。
飢饉などは作物以外に食物もやられるので悲惨な状態になる。
カロリー代謝などを現代人の体格などから出すから変なことになるが、
当時の体格などで計算すれば平時の食事でちゃんと充足してるよ。
>>860、861
つまり自給自足するために必要な衣食住関連の物を
自力で作る農民たちは比較的裕福で、
他地域の職人から買うような怠け者の農民たちが
貧乏になっていったってことでいいのかな。
864 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:53:52
・明治以降の近代化の影響で商品作物を生産していた地域はかえって貧しくなった
場合がある
・商品作物に傾斜していた地域では飢饉のときにリスクが高かった
といっているだけだろう。
昭和初期の話だが、上等な紬が作れる村では紬は売って自分たちは大量生産で安い
綿の服を着ていたそうだ。
現在でも高級食材が取れるトコでは、首都圏とか有名産地とかにそれを売って、
別のモノを食べるのが一般的だなあ。
ふぐ→下関 とかね。
866 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:21:34
>>851 の例の農家は江戸近郊で大根を大量に換金できる中の上クラスの農家らしいが、
それでも換金できるのは収入の半分くらいだよね。
換金できる作物が少ないかもっと貧しい農家なら、換金できるのは収入の1,2
割ってこともざらにあったんじゃないか?
867 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:31:11
秩父困民党みたいに蚕の生産で散々いい思いしていたが、
松方デフレで壊滅→反乱
見たいなもんか。
868 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 02:07:23
DIYてなーに?
869 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 04:19:59
皆、色々と分析してくれて嬉しいのだが、
おら、難しい事わかんねぇだぁ〜。
870 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:36:54
よく勘違いされているけど肉は古来からずっと、江戸時代でも普通に食べられてるよ。
牛や豚は虫が湧くって理由で敬遠されていたけど、獣肉は普通に食べられている。
面白いのが猿。肉質がいいらしくて珍重されたそうだよ。
正し江戸時代には肉屋は薬と称して偽装してたけどね。
当時の文献にもそれを嘆いた歌が残っている程。
>>870 何度も言うけど、
農民は肉を食べなかったとか、貨幣経済が発達していたなったとか、
そんな事言ってる人は誰もいない。
しかしその割合で言えば、少ないといわざるをえないという話。
肉を食べていたという事例が文献から散見れるからといって、
農村や江戸の庶民が普通に肉を食べていたかのようにいうのは、
ミスリードだよ
872 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:44:26
>>870 江戸時代でも普通に食べられてるよ牛や豚は虫が湧くって・・まじかい?
牛や豚 誰が飼ってたの? 酪農家ってないだろ?牛乳だってないぞ!!
873 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 09:12:25
>870 鯨・猪・山鳥・ウサギは 食べてた。あとアイヌはヒグマ!
875 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 10:47:08
山奥の村にも海の魚や鯨は流通してる。特に鮫はなかなか死なないので重宝された{現在もだが}
>>872豚については水戸で食用にされたくらいしか知らないけど
牛に関しては農耕用と牛車用に普及してる。
876 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 12:32:09
中級武士だって、半年に一度食べる魚がご馳走だったんだから、
農民なんて、いわずもがな。
ちなみに一番おいしいものを食べていたのは金持ちな町人だって
山本博文先生の著書に書いてあった。
877 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 12:35:24
豚料理で有名な沖縄でも、戦前は豚を食うのは正月くらいと言ってたな。
878 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 13:35:10
豚というか猪なら文献にあった記憶
ボタン鍋は大人気だったらしいな
山間の農民は自宅に池を作り鯉の養殖
病気になったときは鯉の生き血をすすり
お祝い事には鯉の洗いや鯉こくなどでお祝い
鳥も結構食われてたでしょ
まあ現代人に比べれば圧倒的に動物性たんぱく質の
摂取量は少なかったのは間違いないけど
金持ちな町人て、大藩の藩主や超大名主ばりの希少種じゃないか
880 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 16:22:20
>>879 ハイハイ、東北ではね。
平均的に一番金持ちだったのは、町人でしょうよ。
881 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 18:05:49
実際江戸の町で25石取りの武士は毎日魚食ってる 鰯だけど
>>872 一般的に
西日本=農耕牛
東日本=農耕馬
百姓の馬は大切に飼われていた。
今でも古い農家だと名残があるでしょ。玄関に隣接した南側。
いつも職人と商人を一緒くたに町人扱いするねぇ‥コノ人は
しかも、880の言う町人(一握り)の比較対照は土地持ち百姓だろうに
いつも小作人を例に出してくるという。
884 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 18:42:50
>>881 江戸前は有数の漁場だからね。江戸の経済規模と近接する漁場が
あったおかげで武士は鰯が食えたんだろうね。
干鰯(ほしか)
近所の川で獲ってくるという発想は無かったのかな?
高級肥料だよ
888 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:25:20
魚が高級だのどこの電波だ?
889 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:33:41
>>883 土地持ち百姓って、ぷ
土地持ち百姓が金持ちだったとでも思ってんの?
土地持ち百姓って、町人の平均より明らかに貧乏でしょ。
891 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:57:01
一説によると、干鰯の普及まで現代的な意味での漁業はなかったという。
漁労民はいたが、獲物は局所的に消費されてしまい、一般化しなかったのだとか。
892 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 01:08:59
スシはどうなの?かなり古い時代からの保存食なのでは?
893 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 03:46:25
おう!鮨食いねぇ〜!!
894 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 03:56:33
西日本でいう鮨{保存食)と江戸表の寿司(屋台立ち食い)は
違う食べ物なんだよ。
895 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 04:02:18
>>890 町人が豊かと言張ってるみたいだけど、
町人の生活どの程度か知ってるわけ?
そりゃ自分で店を構えている旦那衆は豊かだったかもしれないけど、
大半はそこで働く丁稚手代で住み込みの貧しい存在
番頭まで行くのはほんの一握りで、今で言えば定年前に放り出される
江戸の大人の平均寿命が農村より低かったのはこういう理由もある。
職人も多くは貧乏長屋住まいなわけ。
一部の事例を一般化するのは誤り
897 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 10:42:21
士農工商の手に職ない商人・でも商売上手で金持ち。でも儒教では金儲けは忌み。今とたいして変わらんなぁ〜
拝金主義と!!
naverの韓国人?
899 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 11:16:21
>>851にあるとおり、
中流の農家の収入が47両、
大工の収入が26両、
貧しい長屋の住民の収入が10両。
町人と「町住まい」とは別だね。
900 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 12:09:33
>>899 それ1両今でいくらの換算?江戸上・中・末のどの時?
>>896 貧しい住み込みは町人ではないんだけど。
町人=間口税を払っている住所確定者。
>>897 孔子の時代は、政策として、農民の囲い込みに必死だったからねえ。
でも、単なる拝金主義が、旦那衆になれることはない。
かなり長く信用を積み重ねなければなれないんだよ。
今と違って、不特定の人間相手に
適当にやって、金をためたら外国に逃亡なんてできないからね。
903 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:08:12
>>901 それは、構成比からいって
農民=大規模農家 な〜んて言い張るのと同じレベルの間違い
でも、大規模農家と旦那衆を比べたら、比べものにならないくらい
旦那衆のほうが金持ちだわな。
町に最貧民がいるのは今も昔も同じ。
田舎で乞食をやっていても、生きていけないのは同じなわけで、
浮浪者は都会で乞食をやる。
でも、浮浪者は江戸時代町人とされていたかというとそうではない。
あくまで、浮浪者。でその浮浪者がどこからやってきたかというと貧しい農村。
×田舎で乞食をやっていても、生きていけないのは同じなわけで、
○田舎で乞食をやっていても、生きていけないので、
>>900 その例は中流農家だね。
小作は、貧しい長屋住まいより、悲惨だったんだろうね。
909 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:32:50
田舎で乞食をやっても、皆が貧民なら誰も恵んでくれないし、
人通りがないから、物乞いできないもんね。
小作は死ぬまで金というものを持たずに生きるだろうから、金では換算できないんでは?
町の貧民のように現金収入がなければ生活できないわけでもないし。
一生自分の家とか近辺との物々交換で得た食料だけを消費して生きるんじゃない?
農家なら、収穫量を金に換算できるけど、小作はそもそも農家からどういう
扱いを受けていたかどうかも不明。町の貧民のように現金収入もないし。
黒人奴隷のように働かされていただけかも。
でも農民のほとんどは小作なんだよね。
911 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:46:52
小作でも現金を得る手段はいくらでもあったろうに
まさか小作人は農業だけしてたと思ってるわけでもあるまいて
912 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:57:15
>>910 江戸時代の小作と、明治中期以降の小作は分けて考えたほうがいい。
江戸時代はまがりなりにも「土地(耕作権)は売れない)」という建前
があった。地租改正後完全に土地を売って小作になった人々のほうが
悲惨。
913 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 16:46:46
やっぱり悲惨じゃんW
>>910 オマエの妄想=史実としないようにw
>>913 スレタイ読もうな。 悲惨なのは明治時代の小作人。
江戸時代の小作人は、住み込み町人より大分いい暮らしらしいよ
住み込み町人が資本主義全開時代の労働者とすれば、小作人は現代の季節労働者くらい
ただ小作人として働ける人数は、町人より少ないそうだけど。
915 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 18:38:10
非常に単純化すると、江戸時代は「土地は売れない」という建前があった。
地租改正以降と違って、「人間の自由意志であらゆる財産は処分できる」
という前提がない。人は村と土地に縛られる代わりに、財産を失う自由も
なかった(大幅に制限されていた)。
現代に置き換えるとザル法か‥
面白いけど
>>851サイトの誤り
>(中流の)農家の場合
中より上の農家だな
>同心
=禄高は70俵5人扶持×
>>914 オマエこそなんの根拠もない妄想じゃん。
小作人は頻繁に逃げ出した。これが史実。
919 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:20:53
>>918 今はサラリーマンも頻繁に逃げる!これが現実。
920 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:21:03
結論としては、
もっとも惨め=町人の最下層
まあまあ惨め=下級武士
惨め=小作人
つまり、いくらでも下がいるのだから
農民が惨めという概念はおかしいということ。
江戸農民の多くは従属百姓、譜代・門・前・名子と呑。商家で言う奉公人。
土地を借りて耕作という意味での小作なんて殆ど居ない。
たとえ○斗でも土地持てれば高持百姓というステータス。
>>920 中級武士も相当惨め。
武士は身分維持費(諸祭事費・人件費・交際費など)が恒常的にしかもかなりの負担になるので、
実際そこまで余裕があるわけではない。
しかも物価の高い江戸に出張しようものなら、いくら手当が付くとは言え赤字覚悟でないと駄目だ。
>>920 下がいくらでもいるのだからって、農民が一番下だったからこそ
被差別階級が必要だったんだけどね。。。
町人が農民より下なら、被差別階級なんていらなかったわけで。。。
>>290 でも日本中に間引きの逸話はゴロゴロあるぞ。
妖怪伝説にも間引きされた嬰児の話しは良く出てくるしね。
ちなみにルイスフロイスの日本史には
「この国の女性は非常に多く、嬰児殺しを行う。
中には10人以上、嬰児を殺した女性もいる。
方法は簡単で喉の上に足を乗せて窒息死させる」と書いてある。
925 :
924:2006/04/26(水) 08:27:23
悪い悪い、とっくに既出だったね。
途中までしか読んでなかった。
ただ昔は暗くなると灯りも娯楽もなく
百章どもは日没と友にとっと寝てしまうし、
その長い夜を何度もセックスしてすごしてたわけで、
女が身ごもる子供の数は5、6人とかいう範疇ではないと思うぞ。
現代ほど避妊具も発展しなかった頃の話しだから、
女性は生涯に数十回も身ごもって、
避妊がわり程度の感覚で嬰児をボコボコ処分してたと思うよ。
現代の週に1、2回くらいしかセックスしなような
日本人とは比べられない。
926 :
924:2006/04/26(水) 08:30:35
>>925 >百章どもは日没と友にとっと寝てしまうし、
>その長い夜を何度もセックスしてすごしてたわけで、
>女が身ごもる子供の数は5、6人とかいう範疇ではないと思うぞ。
そんな仕事しない&無駄な娯楽しすぎな奴バラは一家離散決定。
929 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 10:52:55
暗くなると明かりも娯楽もなくというのは誤解だよ
江戸時代には(明治大正頃までも)全国的に庚申待ちの風習があった
60日に1度の庚申の日には一晩中起きていないといけなかった
それが起きているためには飲めや歌えで騒ぐのが一番となって
賑やかに過ごすのが庚申様の神意に叶うと言われたものだ
930 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 11:38:14
農家、爺さんが嫁からの待遇の悪さに隠居所作れとごねてた。
年中顔をつき合わせているより、知恵だよなぁ。
昔はあったらしい、今は子供優先だから
931 :
920:2006/04/26(水) 14:18:52
>>923 >下がいくらでもいるのだからって、農民が一番下だったからこそ
>被差別階級が必要だったんだけどね。。。
>町人が農民より下なら、被差別階級なんていらなかったわけで。。。
こういうのがなぁ。これは、当時の文献かなにかから得た、的確なとらえ方なのか?
明治以降の歴史学者が唱えた一説にすぎないのでは?
被差別階級というのは、どこからどこまでがそうなの?
えた、ひにんでも金持ちはいたし、えた、ひにんの最下層の暮らしが
どれほどのものだったのか、という情報はあるの?
彼らは、暮らしぶり差別されていた、というよりも、生業上差別されていたのでは?
ここらはへんどうなの。
そもそも、学術的には貧乏人は町人じゃないから。
町人とは売上税を一定額以上納めるもの。
だから基本的に貧乏人はいない。
933 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 15:03:45
>>929 そういう火もあったろあが、普通は暗くなれば寝てしまう。
ロウソクだの菜種油だのは高級品。
>学術的には貧乏人は町人じゃないから
>町人とは売上税を一定額以上納めるもの
無知&怪電波‥
>>934 地子を納めない八つぁんや熊公は町人ではない、
と言いたいのだろう
937 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 15:18:49
一番悲惨だったのは、武家の足軽中間小物
たこ部屋みたいな足軽長屋で共同生活
処刑の処理とか、罪人捕獲とか雑用とか便を捨てに行ったり、
嫌な仕事を一手に引き受ける
>1
>年間ひとりあたり食べれる米はおよそ1俵である。
全く違う。江戸時代はほぼ穀物だけでカロリーを摂取する時代である。
米で摂取しようとするならば、成人男子で一日5合必要である。
(ちなみに木こりは一升飯と言われている)
つまり年間180升=18斗=1.8石必要なのである。
939 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 16:27:02
>>938 実際はお上が把握していない雑穀とかを農民はかなりとっているからバランス
するわけだけどね。
940 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 16:32:38
>全く違う。江戸時代はほぼ穀物だけでカロリーを摂取する時代である。
はあ?お前大丈夫か?
941 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 16:38:25
動物蛋白摂取が「たまに」だったのは確かだろ。
というか栄養学という観念が無かったのだから、仏教関係でなくても、生臭を忌み嫌う迷信があったはず。
「妊娠したら生臭するな」という反栄養学迷信もあったり。
↑ダメっぽい
943 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:44:20
江戸時代の庶民で仏教じゃない人っていたの?
神道の人とか
945 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:58:07
神仏習合でてっきり全員仏教色が強い宗教だと思ってた
946 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 18:03:01
60日に1度の庚申の日と普通の日をごっちゃにしてはいけない。
日没とともに寝て日の出とともに起きるのが健康的だろ。
伊勢参りとか凄かったらしいじゃん
>>946 だから?
寝てばかりで、仕事はしないのかい?
明かりがないと仕事できんだろ。
越後じゃ日中は農作業、夜は編み物など副業をしていたそうだよ。
もともと一石とは、人間が1年間に食べる米の量からきてるんだけどね。
しかし武士や商人ならともかく、農民自身は、ほとんど米食ってなかったかと…
米はそんなに重要か?確かに麻薬的においしいけどさ。
当時は栄養価の高い麦や大麻で作るパン、つか、おやきがあったんだから
栄養的には十分なんじゃねか?
953 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:11:59
>>950 明かりもないのに編み物が出来るか。
できたとしても近眼になってしまう。
明るいうちは活動して夜暗くなれば寝て体を休めればいい。
つーか、日の長い時は朝の4時すぎくらいから明るいから、
わざわざ夜起きてる必要はない。
まあ、暗いところで作れるのは子供だけだべ
955 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:18:27
>>951 だから、それを否定する説が有力になってるんだろうが。
日本の石高が三千万石で人口もだいたい三千万人。
当時の日本の人口の90%以上を占めていた農民が
ほとんど米を食わなかったという事は計算的にありえない。
金ならば一人で常人の何百倍でも何万倍でも消費する事は可能だが、
米を常人の何倍も何十倍も消費する事は無理。
「米を酒や米菓子に使っていただろう」という意見もあるが
それも無視できるほど微々たるもの。
しかも米の輸出も禁止されていた。
という事は結論から言って百勝も米は食ってたわけだ。
ただし、お粥とか雑穀や芋などの混ぜ物などの量増やしは一般的だったろうし、
よほどの貧農は確かに米を食えてなかった可能性はあるが。
ただし農民たちが米を食うために出稼ぎや副業などの努力をして、
納めた米を何倍もの労力を使って再び手に入れるなどの苦労はあったらしい。
もっとも杉浦日向子の言うとおり、
当時の江戸などの都会は理想郷のようなとこで、
町人たちの仕事は雨風の日は休みになり、
仕事も三時くらいで終わりとかなり軽かった。
農民たちの出稼ぎも楽々なものであったろう。
むしろ江戸や都会までたどり着くほうが苦労しただろうね。
三千万石がまるまる米になってたわけじゃないんだけど…
958 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:30:47
町人って地所持って何もしないでそれで暮らしている人の事だろ
長屋住まいの人はどういう身分の人なんだろう?
どっかの本に犬や猫と同じ身分っだって書いてあったけど
>>957 そうだけどさ。それでも一千万石以下とか異様に米の生産量が少なかったとも考えられない。
少なくとも中級の百姓くらいまでは米を食ってただろう。
それと参考までに仙台藩では
百姓や職人に一切の勝手な売り買いを禁止して、
余剰の物資は全て藩に売るように義務づけていたが、
百姓に対して
「年貢として納めた分と自分たちが食す分以外の余剰米は全て売却せよ」
と触れを出している。
つまり、百姓が米を食う事自体は認めているわけだ。
幕府の規定
一人扶持(男一年分)=米二石
例えば松前藩は米はとれないけど十万石あった。
そもそも、米以外の農産物も必要だから、畑も必要。
三千万石が全部米になったと考えるから、計算が合わなくなる。
>>961 松前藩はやや例外。
それとあそこは表向きは無高だった筈だが?
>>960 扶持と一年間で食う量は必ずしも同じではないような・・・
家族も食わせなくてはいけないし。
ま、確かに農民は一般的に米が食えなかったというのは、俺も怪しいと思う。
要するに、ここでいう米というのは白米を食べなかったという意味では?
>>963 おかずも入ってるよ
独り者で
若党(=侍) 四両一人扶持(一日五合)とか
お末(=女中) 二両一人扶持(一日三合)とか
結局当時、米がどの位作られていたわからん事には、結論はだせないけど、
明治時代の農民も米が主食じゃなかったから、江戸時代の農民も主食にしていた
しは考えられんな。
>>966 農民といってもいろいろ居るんだけどな。
少なくとも富農や天領の農民は米食ってただろ。
968 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 20:39:33
誤解している奴がいるかもしれないが、百姓は自分で食うために米を作ったわけじゃ
ない。米は収穫量に対して非常に手間がかかる。それでも米が必要とされたのは
保存性がよく、流通に便利で飢饉の備えにもなるからだ。
自分で食うためには手間がかからない作物がよい。雑穀とかいもとか。
969 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:09:53
>>968 補足だが、単位面積あたりの収量は米は多い。ただしかなりの労働力を
投入しなければならない。そうするくらいなら、粗放的に作れるいもや雑穀のほ
うが農民自身の食料に向く。
投機対象でもあったから作らされてたんじゃないの
971 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:34:20
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-58.htm 米は日本人の主食ではない
(2)第2次世界大戦後説
第2次世界大戦以前は、麦・ひえ・あわなどの雑穀に、米2〜3割をまぜたごはんを食べてい
た。その他、そば・いも・とうもろこし・大根・豆類などを主な食糧にしていたのである。
さらに、戦争で食料が足りなくなり、戦後の混乱期には深刻な食糧不足となった。ようやく
1960年代に干拓事業で米の増産が成功して米が大量生産できるようになった頃には、パン食の
普及などによって、主食としての米の地位が低下し、米余り現象が始まっていた。つまり、米
が主食であったのは存外に短く、戦後の混乱期を過ぎた頃から最近までの数十年に過ぎないの
である。
972 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:41:48
1)弥生時代説
縄文時代の終わり頃、日本に稲作が伝わった。弥生時代には、
全国に広がり、各地に稲作を中心とした村ができ、国家が形成された。
それ以後、日本人は稲作を生活の基盤としてきた。日本の歴史は、米の歴史なのである。
973 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 07:43:07
つーか、年貢の米は食べるためだけに徴収してる訳じゃないだろ?
スレの前半見てないからもう言われてるかも知れないけど。
974 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:42:32
975 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 15:49:41
餓死者の話がしたいに
976 :
日本@名無史さん:2006/04/28(金) 10:51:29
年貢で納められた米のうち
支給されたり貯蔵されたりして結局換金されるわけだが
だったらとっとと銭納にすればよかったのに
そっちのが安定してたんでないかと思うんだがな
銭納じゃ何作るかわからんぞな
結論。
農民は悲惨ではなかった。とはいえないかもしれない。
>農民は悲惨ではなかった。
アンチテーゼとして言われてる面もあるだろうからな
そうゆうの珍しい事ではないが
総論。
悲惨の定義も対照群も背景データも杜撰なままで
議論した気になっていたらアホだ。
結論出すなら、せめて同時代の世界十数カ国の農民や、
日本では弥生時代から現代までの各時代の農民と
比較してからにしてくれ。
江戸時代の情報だけで決めようなんて、井の中の蛙過ぎる。
地方、地域差があるけど、平均すれば現代北朝鮮よりは断然幸福
現代中国の農民よりもマシってことで。
>>981 現代中国の農民って、
嫌中派の俺でさえ同情を惜しまないような生活レベルだぞ・・・。
983 :
日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:30:18
>>982 それでも媚中派には平等で経済発展の著しい未来の希望溢れる地上の楽園として紹介されてますが何か?
984 :
日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:53:13
江戸時代いいだろう〜、今のニートに。義務なくて!ただ
餓死するけど!!
985 :
日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:57:45
幕府内城下だけウホもの
貧乏人は死ぬ。
自由即死
>>983 そんなこといってる奴がいる確率なんて、実際そうである確率程度だろw
988 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 18:46:17
意味不明
989 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:46:32
実際今の化学肥料や耕運機使った農法で江戸時代並の生活したら日本の国土で何人食えるのだろう
江戸時代を通じて、石高が3倍になってっからね。
悲惨というには明るすぎる時代だな。
それに、江戸時代末期の農民層全体の教養水準はかなり高い。
明治維新は、これらの内の上層の富農階層が起こしたと言っても
過言でないだろうし、その後の工業化もそれなくしては達成でき
たはずがない。教養が高い「悲惨な階級」ってのは変だ。
991 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:17:13
渋沢栄一みたいに幕末の動乱をくぐり抜けた末に日本随一のインテリとして活躍した農民もゴロゴロいたからね。
日本以外の国では平民の識字率が低すぎて考えられない現象だよ。
992 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:33:09
渋沢は中国では科挙を受験するような富裕層しか知らない論語について解説書を著し、
その傍ら西洋で金融を学んで日本初の銀行を経営するんだもんな。
農民が明日の食い物にも困るほど悲惨な生活をしていたら、
こういう知識人は出ない。
993 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 03:51:27
平民の女が数学やってるような国は当時、日本くらいだったろう
994 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 03:59:14
995 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 07:11:12
幕府の出すお触れ書きの看板が読める農民がいたのは日本ぐらいだな
996 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:06:18
教養の高さを認められて武士身分に取り立てられる豪農がゴロゴロ居た時点で
「農民は悲惨だ」という時代ではない。
997 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:17:04
>>993 漢詩や論語もね。今の時代の子より教養は遥かに高い
998 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:56:59
中国の高官はほぼ全員が数学を始め理系学問に無知だしな。
999 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 09:00:33
ペリーは日本の庶民の教養が高いのを知って植民地化を諦めたとか何とか
眉唾モンだけど
1000 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 09:03:36
完
1001 :
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