923 :
だご:2006/06/03(土) 20:12:45
>>919 古文書辞典で「為」と同じだったんですが・・・
「藤」を確認してくるのを忘れてきました。
「ふじじひこ」「ふじはるひこ」なんですかねぇ〜
じーちゃん夢に出てきて教えてくれー
今日は予定があってあまり時間取れなかったので
来週あたり図書館に引き篭もってみます。
>>920 先祖があまり移動していないのと、
比較的小さな村だったのがよかったのかもしれません。
10が戸籍では調べようが無くなったのですが、
これは母の実家の過去帳でわかりそうな気がしています。
今日数えてみたら除籍謄本が25冊になってました。
お互い頑張りましょうね!
独りで長々と申し訳ありませんでした・・・
924 :
ボンチ:2006/06/03(土) 20:34:32
羨ましいですね。ところで、その「祖父」は、戸主から見て、祖父と言っている感じは
ありませんか?
925 :
やすべぇ:2006/06/03(土) 20:54:21
>>913 >>916 3時間、5時間と聞き、電車で1時間あまりなのにふぅふぅ弱音を吐いていた自分が情けないです。
>>921 >「亡祖父○○」と書かれていました。なんでじーちゃんが?
ボンチさんが
>>924で仰っているように、戸主の祖父のことだと思います。
高祖父9から見ると、養父ですね。
上の方の欄には実家についての記載があるはずですが。
明治11年に相続させたとなると、後は壬申戸籍なのでしょうが、これは見られませんね。
高祖母10は
1.明治11年の相続から明治19年戸籍への改製まで(明治20〜21年ころ?)の間に除籍された、
2.明治11年の相続以前に除籍された、
3、最初から戸籍に載っていなかった(明治5年以前に死亡したりしていた)
の可能性が考えられそうですね。
>>922 >11はまた同じ除籍謄本が送られてきました(750円勿体無いよ)
ありゃりゃ、役所は親切のつもりだったのでしょうが、それがあだでしたね。
既に取っている除籍謄本のコピーを添付して申請すると、
こういった手違いを減らすことができるように思ったのですが、
それでも送ってきてしまったのでしょうか。
926 :
ボンチ:2006/06/03(土) 21:04:04
9,10、及び21の兄の墓が未だ見つかってませんが、今日寺から、21の兄の戒名・没年・没時の年齢を
教えて貰えました。 兄も間違いなくこの地で亡くなった事が判明しました。ますます墓の行方が気になります。
造り酒屋さんも今度お寺に行くとのことで、私も色々ご教示頂いたおかげで、一時は全く諦めていた寺から3名も判明しています。
説明が肝要だと感じました。「過去帳が保存されている中に必ず居るし、○年〜○年の間に必ず記載あるハズです」と説明すれば、
檀家でなくとも丁寧に調べてくれるものだと感じました。お布施も渡しておいて正解と思っています。
今のところ過去帳は2箇所の寺で見せて貰えました。最初は一回見に行ったらおしまい、という凄い厳粛なイメージジが寺にあった
のですが、実際逢ってみると和尚さんも普通の人間と思えますし、一回こっきりでお終いではなく、何回も逢ったり、電話したりし
ています。才能のある方なら仲良くなれるチャンスさえあろうかと感じます。
927 :
だご:2006/06/03(土) 21:51:34
>924
>>925 仰る様に姓の記載がないので戸主の祖父、9の養父と言う事でしょうね。
やっぱりこうやって皆様の意見を伺うと、
自分の思い込みから外れる事ができます。とても有り難いです。
11に関してなのですが、実は手抜きしてコピー送ってません。
(だって、沢山になりすぎてめんどくさいし。前に送ったの使ってくださいよ)
なんて考えてはいけないのだと思いました。
それなのに一生懸命探してくれた役所の方に感謝すると同時に
申し訳ない気持でいっぱいです。もうこんな手抜きはしません。
928 :
造り酒屋:2006/06/03(土) 21:52:36
>>926 ボンチさん、
アドバイスありがとうございます。今回は、郵送で書類を送ってご先祖を調べてもらえることになったのですが、
いつか、必ずお寺には行かなくてはならないと思っています。
また、酒屋筋以外の方も、お墓を探さなくてはならないものを、ずっとそのままにしているので、
近々(といっても、遠いのでなかなかですが)伺おうと思っています。
やはり、きちんと資料をまとめて、ちゃんと説明することが大事なのですね。
あちらも、ボンチさんの熱意がわかって、きちんと対応してくださっているのでしょうね。
お布施も、こういったお金は無駄にはならないものですよね。
私もお寺に電話するときはドキドキでした。門前払いの可能性もあるだろうと思っていました。
でも、お話しているうちに、「うちの檀家ではないでしょうが郵送してもらえばチェックするくらいできます。」
と言ってもらえました。
私の場合は、緊張していたので、熱意が伝わったわけではないと思いますが、
戸籍をとって、ちゃんと探そうという姿勢は分かっていただけたのだと思います。
また、お寺に実際に伺うことになったら、具体的にご質問しますので、
ご経験からの具体的アドバイス、ぜひお願いしますね。
929 :
ボンチ:2006/06/03(土) 21:54:53
送った資料、返してくれる役場と、そうでないところと2パターンありますしね。
930 :
やすべぇ:2006/06/03(土) 23:03:35
>>926 >>928 お寺訪問はなんとなく気が重いと思っているのですが、
ボンチさん、造り酒屋さんのお話を聞いて、
熱意と真摯な態度を伝えることで道は開けるのだと思っています。
いつになるかは未定ですが、なるべく早く計画してみたいです。
>>927 >>929 確かに上にさかのぼるほど、多くなってしまいますよね<同封コピー
申請書に「必ず返却してください」と書き添えているのですが、
返してくれなかった役所もありました。
ところで、この前の現地調査関連なんですが。
狭い土地にお墓を建てなければならなかったためか、
一つの墓石に何人もの戒名が彫られています。
で、よく分からないのは、正面に彫ってある人と、側面に彫ってある人だと、
何が違うのかということなのですが。
当主夫婦だと正面? その兄弟姉妹だと側面?
931 :
造り酒屋:2006/06/03(土) 23:14:34
>>930 >確かに上にさかのぼるほど、多くなってしまいますよね<同封コピー
申請書に「必ず返却してください」と書き添えているのですが、
なるほど、そう書いておけばいいのですね。
今後は必ずそうします。今まで何も書いていなかったためか、
返してもらったことはありませんでした。
ためになる情報ありがとうございます。
932 :
やすべぇ:2006/06/03(土) 23:29:51
>>918 これ以上は戸籍では判読も厳しいのであとは現地調査で調べてみてはどうでしょうか?
過去帳、墓などです
>>932 若くして亡くなった先祖(とうか傍系)ではないのでしょうか?
信士信女ですから12歳以上でまだ結婚してない女や独立していない男
(早くに亡くなった人物では)
昔ですから流行り病とかで亡くなる人も多いと思います。
936 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:06:33
乳幼児の死亡率高いかれねぇ 昔は…
麻疹 感冒 風疹
先日手紙を出した方の先祖の家じゃない方から葉書が来ました
ここの生まれでないので全く分からない旨を葉書で返信されました
ここ数日は早く手紙がこないかな〜とそわそわしていましたが、全然こないので
やはり駄目か〜〜ショボーンっとしていました
しかし本日葉書が返信されていたので少し回復しました、明日返信のお礼の電話をします
全然先祖と関係ない家でしたし全く分からないとのことでしたが、その返信の文章がとても
心打つものでした、あとは先祖の家からの手紙の返信を待ってからこなければこちらから
電話します(1週間後くらい)
手紙を出すと殆どが返信なしだったりするのですが、その中に感動する文章の手紙があります
実際には先祖の家ではないのですが、励ましのような、調べたのに分からなくて申し訳ありませんとか
他の人に聞いてみるとか 本当に涙が出てきそうな返信が少なからずあります
だからでしょうね、人の親切心に触れてみてまた手紙を書いてしまいます
938 :
やすべぇ:2006/06/04(日) 00:18:49
>>934 それが、維新前に死んだ人の戒名はみな信士か信女なんですよ。
高祖父1の父・母もそれぞれ信士・信女です。
小さいときになくなった人は童子・童女として背の低い墓に彫られています
(写真には写っていません)。
各墓石の内訳ですが、
1 正面:信士・信女・信女 左:信女 右:信士・信女
2 ○○家累世之墓(明治以降のものです)
3 正面:信女・信女・信士・信士 左:信士(他家の苗字)・信女・信士・信女
4 正面:信士・信女・信士
5 正面:信士
6 正面:信士・信士・信女 左:信女 右;信士
7 正面:信女(1の左に彫られている人と同じ戒名・没年月日)
こんな感じで、一つの墓石に多くの人の戒名が彫られているものばかりです。
お寺の敷地内の墓ですね?
だったら土地の面積の関係で一つの墓に多くの先祖の名前を彫ったのでは?
今のお墓は○○家之墓になりますし戦前は一人から夫婦で一つの墓でした
しかし面積が少ないので江戸時代から現代みたいに一つの墓で多くの先祖を
祀ったのでは? それと以前に書き込みしましたが、昔の墓が多くなったので
明治時代とかに纏めたのでは? 1と7の人物で同一人物が彫られているのがその証拠ですね
あとは本家の位牌やお寺の過去帳から検索するしかないですね
俗名や享年、行年は分かりませんよね?
940 :
やすべぇ:2006/06/04(日) 00:41:06
そうです。寺の敷地内です。
かなり狭かったですから、やはりまとめたんでしょうね。
俗名は墓石5の信士、墓石7の信女(墓石1では俗名なし)、
墓石3の他家苗字の信士のみです。
残念ながら、享年・行年は墓石2以外、一切ありません。
総本家の当主に手紙を書いてみます。
先代には送っても返信がなかったですが、
墓誌と卒塔婆から、代替わりしていることが分かりましたので、仕切り直しです。
>>937 返信があり何よりでした。ぜひ肖りたいです。
941 :
勘兵衛:2006/06/04(日) 04:06:18
母の実家のHの墓ですが
古い墓石が6つ、新しいもので21、22、27、28など最近の人がまとまっているもの
が1つあります。
古い順に
○○○○禅定門 元禄十二卯十一月廿五日
○○○○禅定尼 元禄二戌辰六月廿日
●●●●禅定門 享保十巳 九月十五日
●●●●禅定尼 元文四未 五月廿日
◇◇◇◇禅定門 安永九子庚 十一月八日
◇◇◇◇禅定尼 安永九子庚 十一月四日
◆◆信女 享保十五戌 十二月十三日
◆◆◆◆信女 天明五乙巳 十月初八日
★★★★信女 文化四丁卯 七月初四日
☆☆☆☆信女 文化四丁卯 七月初四日
◎◎◎◎信士 天保三壬閏十一月廿八日
となっております、過去帳の写しと一致するのですが、縦のつながりがよく
わかりません。
942 :
ボンチ:2006/06/04(日) 09:18:11
過去帳をすでに見せてもらったという事は、少なくも男は名前が書いてあると想像出来るのですが、
縦の繋がりが良く分からないという意味は、同じ名前で襲名している為に(例えば祖父27・曾祖父21
・高祖父9などが3代位連続で襲名している)為に、縦の順位が分からないという意味なのですか?
それとも、過去帳には名前が(夫も妻も両方)全く書かれていなかったのですか?
943 :
ボンチ:2006/06/04(日) 09:26:38
少し意味を履き違えてしまいました。飽くまでも元禄〜文化の4代の方々の親子関係のつながりが分からない、
という意味ですよね? 過去帳は見せてもらえたけど、そこまで古いと名前が無かったという話になりますか?
それともやはり襲名していて同じなので、縦の繋がりが分からない、という話でしょうか?
それにしても、そんなに古い過去帳があったなんて、羨ましい限りですね。
>>941 元禄時代まで遡れるとは、なかなかありませんよ
戒名から禅宗ではないですか?
禅宗なら過去帳に続柄は記載されていないですか?
○○父とか △△倅(せがれ)とか □□娘とか
そこから推測することが可能です もうここまでくると家系図がないと100%
の特定は困難になりますがほほ確実に近い推測はできると思います
○○○○禅定門 元禄十二卯十一月廿五日
○○○○禅定尼 元禄二戌辰六月廿日
これらの子供が
↓
●●●●禅定門 享保十巳 九月十五日
●●●●禅定尼 元文四未 五月廿日
↓
◇◇◇◇禅定門 安永九子庚 十一月八日
◇◇◇◇禅定尼 安永九子庚 十一月四日
↓
★★★★信女 文化四丁卯 七月初四日
☆☆☆☆信女 文化四丁卯 七月初四日 これが分かりません(同じ日に亡くなっている)
◎◎◎◎信士 天保三壬閏十一月廿八日
◆◆信女 享保十五戌 十二月十三日 は違うでしょう(娘ですね)
◆◆◆◆信女 天明五乙巳 十月初八日 に関しては検証しなくてはいけませんね
ざっとの推測です
あと最後が天保です 21tか最近の人ならば
この間100年間 数世代のお墓はまた別のところにあるのでしょうか?
946 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:27:56
よく推測デキタネ
947 :
勘兵衛:2006/06/04(日) 16:24:58
◎◎◎◎信士 天保三壬閏十一月廿八日は七代前の御先祖です。
過去帳の写しに名前があり、これ以降の人は判明しております。
948 :
ボンチ:2006/06/04(日) 20:16:48
1先定(天宝元年8月8日生)
17太三郎
2かく(弘化元年8月6日生) (慶應3年4月11日生) 25祖父
3先定(天宝元年8月8日生)
18婦志
4かく(弘化元年8月6日生) (明治元年9月9日生) 父
5金次郎(?生)
19儀右衛門
6?(?生) (安政3年7月7日生) 26祖母
7源次郎(?生)
20志津
8?(?生) (安政3年6月5日生)
9太郎右衛門(天保4年4月?日生) ボンチ
21豊吉
10マキ(天保13年4月?日生) (明治元年9月18日生) 27祖父
11熊蔵(天保6年10月5日生)
22ヤス
12ミヨ(?生) (明治元年2月10日生) 母
13文左エ門(天保元年9月3日生)
23文次郎
14フミ(天保9年10月12日生) (明治9年8月27日生) 28祖母
15市郎右衛門(安政4年10月9日生)
24サヘ
16トメ(安政4年4月26日生) (明治15年2月24日生)
949 :
ボンチ:2006/06/04(日) 20:29:37
13文左衛門の寺で再度過去帳見せて貰いました。過去帳は数冊あるとの事で、偶然13の生年月日が書いてある物が出てきました。
過去帳に生年月日が書いてあるものがあるとは始めて知りました。
ややこしかったのは、13と23の兄の俗名が一緒で、更に13から上3代続けて襲名の名が一緒で難しかったです。
当初、石の享年から「文政12年」と考えてましたが、数え歳とかの関係と思いますが誤差が1年ありました。
950 :
ボンチ:2006/06/04(日) 20:34:28
17の実親系
1孫七(文化13年11月15日生)
17太三郎
2そね(?生) (慶應3年4月11日生) 25祖父
3先定(天宝元年8月8日生)
18婦志
4かく(弘化元年8月6日生) (明治元年9月9日生) 父
5金次郎(?生)
19儀右衛門
6?(?生) (安政3年7月7日生) 26祖母
7源次郎(?生)
20志津
8?(?生) (安政3年6月5日生)
9太郎右衛門(天保4年4月?日生) ボンチ
21豊吉
10マキ(天保13年4月?日生) (明治元年9月18日生) 27祖父
11熊蔵(天保6年10月5日生)
22ヤス
12ミヨ(?生) (明治元年2月10日生) 母
13文左衛門(天保元年9月3日生)
23文次郎
14フミ(天保9年10月12日生) (明治9年8月27日生) 28祖母
15市郎右衛門(安政4年10月9日生)
24サヘ
16トメ(安政4年4月26日生) (明治15年2月24日生)
951 :
やすべぇ:2006/06/04(日) 22:07:40
>>947 >天保三壬閏十一月廿八日
勘兵衛さん、実は私の高祖父1の父と全く同じ没年月日です。
何たる偶然! 驚きです。
>>949 過去帳に生年月日が書いてあることもあるのですね。
>>940 再度墓の画像を見ましたが
よくみたらやはり不自然ですね
2か3の墓ができたタイミングで他の墓も一緒に纏めた気がします
纏めたというか墓の敷地内にぎゅっと圧縮したというか
墓があるところは地面よりも1mくらい上ですね(他の墓よりも)
昔は他の墓のように下にあったのをいつの頃か分かりませんが(明治?)
1mぐらいの台を作って2,3の墓をつくり そのあまりの面積の所に
別の昔からの墓を置いたのではないでしょうか?
写真では分かりませんが他の家の墓も同じように1mくらい上になっている例とか
ありますか?
明治以降墓が多くなりお寺から面積を少なくしてくれ依頼があったのかもしれませんね
953 :
やすべぇ:2006/06/05(月) 00:07:08
>纏めたというか墓の敷地内にぎゅっと圧縮したというか
正にそういうことだと思います。
墓石の状態を見ると、後の列の4〜7(特に5・6)はより古く、
どこかの時点で後の方に移されたのだろうと思います。
とにかく押し込んだという感じになっていて、墓誌の確認がしにくかったです。
>他の家の墓も同じように1mくらい上になっている例
いくつかありましたが、時代はよく分かりません。
明治以降かもしれません。
954 :
ボンチ:2006/06/05(月) 14:36:04
11熊蔵の子孫の家に行きました。現在謎の、2点を聞きました。
・何故11は晩年になって21の近くへ家族で転入したのか?⇒全く分からないとの事。
・9関係の、現在無縁化した墓地(以前アップ)の隣に、11の墓もあったか?⇒無かった様子。
このお宅から更に、親戚へ2件電話してくれましたが、知っている事はない様子でした。
過去帳も見せて貰いましたが、11、12の名は載ってませんでした。
かろうじて11の位牌がありましたので、写真を撮らせて貰いました。
955 :
ボンチ:2006/06/05(月) 14:46:28
また、12妻ミヨに関しても、全く知らないとの事。
11の旧村の人別帳を博物館で見れそうですが、持ち主のサインが必要になってしまいました。
(見れる市は完全フリーでマイクロフイルム見れるのですが。)
とは言え、これまでに人別帳は、3〜4回位見ましたが、先祖の名を発見できた試しはありません。
956 :
やすべぇ:2006/06/05(月) 21:45:24
>>954 ボンチさん、今回はちょっと残念でしたが、
11の位牌に出会えたのはよかった、と言っていいですよね。
ところで、12ミヨさんが除籍でどう記載されていたか、なのですが、
母欄に記載されていたんでしたっけ?
「亡」の文字が記載されていたり、「苗字」が記載されていたりするのでしょうか?
>>938 >それが、維新前に死んだ人の戒名はみな信士か信女なんですよ。
そらそうですよ。
戦後になっても、七〇前後で死んだじいさんやばあさんが
信士や信女なんてザラです。
11については旧村に墓があるのでしょうね
でもその村にはだれも子孫の人がいないですよね
旧土地台帳から11熊蔵の宅地を探してから現在そこに住んでいる方を
尋ねてそこから墓が無いか聞くのと、近くのお寺に12ミヨの過去帳がないか
聞いてみるのはどうですか?
959 :
ボンチ:2006/06/06(火) 08:33:02
>>956 >12ミヨさんが除籍でどう記載されていたか、なのですが、母欄に記載されていたんでしたっけ?
「亡」の文字が記載されていたり、「苗字」が記載されていたりするのでしょうか?
引越し後 11が戸主の明治33年式除籍に母「亡 ミヨ」と(11の長男の、親欄にです。)あります。
もう一つ、11が前戸主で、その弟が戸主になった、明治19年式除籍を持ってますが、ここには12ミヨ
の文字は、何処にも書かれていません。
ここに11の子供は3人居ます。3人目の子供の誕生日が明治12年となっています。
単純に12ミヨは明治12〜19年(20、21年)の間に死亡(か離婚)と、考えていいですかね?
>>958 >11については旧村に墓があるのでしょうね でもその村にはだれも子孫の人がいないですよね
11の旦那寺にも3回くらい行ってて、11と同苗字の墓14個ありまして、「ミヨ」の名は現在
発見できていません。 11の子孫の家は判明しました。
もし離婚してて11の村からも出てしまってたりしたら、 益々探し難いですよね?
農繁期が終わる10日過ぎたら子孫を訪問して、その辺分かるか聞きたいです。
寺も過去帳見せてもらえるよう、またがんばってみたいと思います。
11の子孫は旧村にもいて転居したところにもいるんですね
>単純に12ミヨは明治12〜19年(20、21年)の間に死亡(か離婚)と、考えていいですかね?
いいです
お寺で聞いてみたらどうでしょうか?
明治12〜21年くらいなら探す期間も身近ので探してくれるかも知れませんしね
それにしてもニヨさんも短命だったんですね三人目の子供が生まれて産後の肥立ちが悪くて
亡くなったとかも考えられますね(昔はよくあること)
ですからヤスさんも母親を早くになくしているし夫の豊吉さんも両親を早くになくしているので
お互い苦労されたんだなと思います。
961 :
ボンチ:2006/06/06(火) 11:59:15
>11の子孫は旧村にもいて転居したところにもいるんですね
はい。
旧村には11の弟の子孫が、 転居したところには11熊蔵の子孫が居ます。
>明治12〜21年くらいなら探す期間も身近ので探してくれるかも知れませんしね
9でやった要領で、「12〜21年を探してくれませんか」とお寺に頼んでみようかと思います。
21豊吉は兄が25歳で亡くなって、まだ17歳の時に戸主になってます。すでに明治7年には、
母10マキが亡くなってますし、翌年には父9太郎右衛門も亡くなっています。8歳時には両親無しです。
そして本人も46歳という若さで亡くなっています。
親の9も41才、10は32才で亡くなっています。風土病とか飢饉とか色々あってさぞかし苦労したこと
と察しられます。今後もしっかり供養すると共に、今ある自分に感謝することを再確認できたと思います。
「藤」と「為」の崩しが問題になっていたけど、私も「藤」だと思う。
「為」と解読した人は、念の為に次回は「藤」の崩しを確認したらどうだろう。「彦」と「郎」も調べ直した方がいい。「郎」の崩しには、素人目に
「彦」の行書かなと見えるものがあるからね。崩し字字典は何冊か見なきゃ
ダメだよ。
963 :
ボンチ:2006/06/06(火) 12:41:35
私はすっと「荘」か「蔵」に思えてたのですが、未だに自身がないのですが、
だごさん、現在「為」もしくは「藤」と思われる字の上の方って、住所か何かが
架かれてて、そこまでアップ出来ないのでしたっけ?
その繋がり(文の繋がり・文字の繋がりからの判断)を見たいと常々思っていたのですが、
再アップ無理でしょうか?(前のはすでに削除されてしまっているようで。)
964 :
だご:2006/06/06(火) 19:18:01
あれから本屋でよさげな古文書辞典買ってきてにらめっこ。
で、結論からいいますと「藤治郎」(とうじろう)だろうと思います。
>>962さんの仰ったとおり、「郎」がありえない崩れ方していました。
助言していただいた皆様有難う御座います。
除籍謄本の解読は頑固なシロウトには危険ですね。反省です。
今回すごく勉強になりました。
>>963 凄く見えずらいのですが、また貼っておきますね。パスはdagoです。
ttp://www.imgup.org/iup218033.jpg.html 「亡父藤治郎妻」と記載されている一部分です。
965 :
ボンチ:2006/06/06(火) 20:26:15
自分も少し前から古文書に興味が出て、本を買ってみたりしたのですが、
まだまだ難かしくて全然ダメだと感じました。
今まで見た人別帳に見落としも多くありそうです。
966 :
やすべぇ:2006/06/06(火) 21:31:42
>>959 ボンチさん、ありがとうございます。
実は、
>>956のような質問をしたのは、死別か離別かを確かめようと思ったからなのです。
母欄に「亡 ミヨ」と「亡」が付されているのに、「苗字」はないことから
離別ではなく、死別である可能性が非常に高いと思います。
離別した場合には、母欄にも苗字が明示されるからです。
私の高祖父5夫婦は離婚しているのですが、
曾祖父19の母欄には高祖母6の名前が苗字と一緒に記載されています。
例外があるとすれば、ミヨさんの名前は明治31年戸籍になってから追完されていますので、
その際に、本当は離婚していたのに、そのことを申し出ないでいたら、
苗字なしで追完されたということも、ひょっとしたら、あるかもしれないですが。
ということで、死別の線に絞って、墓探し、過去帳探しをするのでいいのではないでしょうか。
>>964 だごさん、辞典とのにらめっこ、ご苦労様でした。
しっくり来るお名前に落ち着き、何よりでした。
それにしても、難しかったです(笑)
最近はカルチャーセンターとかでも古文書解読の講座があるようですね。ブーム?
967 :
ボンチ:2006/06/06(火) 22:06:04
>>966 やすべぇさん。それは非常に有力なご教示、有難う御座います。実は今までは、寺墓を見ても
12ミヨの名前が無いことから、若干離婚強しか?と考えていた位でした。戸籍上の見方から
の見解で、方向性が大きく特定出来た感あり、助かりました。
とりあえず死別と仮定した上での調査(墓・過去帳)を進めたいと思います。
968 :
だご:2006/06/06(火) 22:07:00
>>965>>964 >>897で「郎」ではないかといわれた時、
絶対ありえないと思ったんですよね(すみません
>>897様)
で、
>>962のレスを読み返してもう一度調べてみると・・・
図書館で見たときは気が付かなかったんですよ。
此処には熟練された方がいらっしゃるんですね。頼もしい限りです。
(あまりにも無知すぎてご迷惑かもしれませんが)
いやぁ、古文書読めたら面白いでしょうね。謎解きみたいで。
まともな名前に辿り着いてホントよかったです。
だごさんよかったですね
藤治郎ですか かっこいい名前ですね
古文書は本当に難しいですよね、でもここの住人には古文書にも精通した方もいらっしゃいますので
助かっています
>>966 >母欄に「亡 ミヨ」と「亡」が付されているのに、「苗字」はないことから
離別ではなく、死別である可能性が非常に高いと思います。
確かにそうですね亡くなっているから亡ですよね まさか離別したのに
亡くなっているのを確認して亡とは記載しませんからね
お見事です!!
本日例の手紙を出した家に行きました
手紙が一枚帰ってきてましたがそこには『本家ではないので分からない』
旨が丁寧に書かれておりました、お礼の電話を今日したのですが、そうするとやはり分家なので
分からないが、墓なら家の裏山に本家のもあるよと言いました、そこで興奮を抑えきれずに
すぐにご自宅に伺いました家から40キロくらい離れていますがそんなことはお構いなしで
夕方伺い墓参りをさせていただきました。本家の墓(私の祖父の実家)も見ましたが
戸籍までのしかありませんでしたので遡ることは無理でした。
しかし手紙の文章からこの方はとてもいい人じゃないのかな?と思っていましたが
本当にとてもいい人で奥さんも感じの良い方でした、息子の嫁さんも仕事から帰って着ましたが
これまた素晴らしく丁寧な方でこの家のひとはみんないい人だなと思った次第です
しかし
本家から手紙がなかったのでさりげなく聞いてみたのですが、あそこの奥さんはとてもとても
気が強くて親戚が誰も寄り付かないということを聞きました、その代わりにここの分家にみんな彼岸等は
顔をだしてから帰るらしい
せっかく来たのだからせめてご挨拶くらいはして帰ろうと思い分家の方と
挨拶に行ったのですが、まあびっくりしました、いきない大声でまくし立てられ
『なんの用事?昔のことは分からんから』とか『昔のことはいいじゃないの』とか
いろいろ大声で睨みながらいわれました、そこは、上手いことこちらの思いを伝え
ましたし、途中途中では笑いもありましたが本当に昔のことは分からないみたいでした
(まあ江戸時代のことなので本当に分からないとは思いますが)
だめもとで位牌はありませんか?と尋ねて見ましたが速攻で『そんなもん無い』と
一蹴されました。いや〜本当に参りました最後は先日の手紙を付き返されました
マジかこの人?って思った瞬間です 親戚も代が変われば誰も来なくなると言われていましたが
その時に分家の伯父さんの言葉が脳裏をかすめました『あそこの嫁はきつすぎて親戚が近寄らんよ』と
いや〜同じ一族なのにこうも違うとは驚きです
でもそれには理由がありました
ここの本家の敷地の名義が全て3代目の方の名義なのです、3代前(私の曽祖父)
はハワイに移民に行き土地はすべて3代目の弟に預けて行ったのです
行ったのはいいがハワイで亡くなり、しかも子孫はハワイにいるし
この家の名義変更をするには3代前のご先祖様の子孫全てから遺産放棄の印鑑を
もらわなくてはいけなくハワイの子孫も)不可能なので
手続きをちゃんとしてなかったために私らの名義にならなくて大変なんよ
しかし税金は払わせられるし みたいな事を言われていました
どうも先祖に対してマイナスのイメージがあるみたいです
まあ先祖に興味が無い人でトラブルがあったのが理解の得られない最大の原因ですね
分家のおじさん、おばさんは信仰心に厚く会ったとたんに『あんた若いのに立派じゃね』
『先祖を大切に思うことはいいことじゃ』みたいなことを言われて、最後には
『いつでも墓参りにきんさい』と言ってくれました、感謝です
最後に別の親戚を紹介して頂きました、