−藤原氏族総合スレその1−

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731日本@名無史さん
律令制下における藤原朝臣氏の偉業
大宝元年(701年)の大宝令制定後、明治維新にいたるまでの1100年以上の間、藤原朝臣氏
の五位以上官人がいなかった瞬間はない。
慶雲2年(705年)12月27日に武智麻呂・房前兄弟がそろって従五位下になって以来、藤原
朝臣氏の五位以上の官人が複数でなかったときはない。
天平9年(737年)8月5日の宇合の死後、同年8月28日永手等3人が従五位下になるまで
の一月足らずは、豊成・仲麻呂兄弟のみが五位以上だったが、以後は常時5人以上。
天平9年(737年)8月5日の宇合の死後、同年8月28日豊成が従四位下になるまでは、藤
原氏に四位以上官人がいないが、以後はいなかったときはない。
天平9年(737年)8月5日の宇合の死後、同年12月12日豊成が参議になるまでの約4カ月
は藤原氏に公卿がいないが、以後はいなかったときはない。
天平13年(741年)閏3月5日仲麻呂が従四位下に昇進して以後、四位以上官人は常時複数。
天平15年(743年)5月5日仲麻呂が参議になって以来、公卿は常時2人以上。
それ以前で複数の公卿がいなかったのは、養老元年(717年)10月21日に房前が参議になる
までと、天平9年(737年)7月23日に武智麻呂が死亡して以後、仲麻呂の参議就任まで。
ただし房前の参議はまだ職とは言い難いすれば、養老5年(721年)1月5日武智麻呂と房前が同時に従三位に昇進して以後武智麻呂の死まで。
村上源氏も成立後は似たようなことをやっているはずだが、成立がかなりずれるし。
こんなしぶとい貴族は世界史上稀有の存在だろうな。

なにげに土師宿禰氏(後菅原宿禰→菅原朝臣・秋篠宿禰→秋篠朝臣・大枝朝臣→大江朝臣等)
は、8世紀を見ると、数年おきに誰かが五位に昇進しており、おそらくほぼ常時誰かが五位
以上官人だったと思われる。これもかなりすごい。