伝統宗教って?
神仏分離は江戸時代から始まってるだろ。
出雲も神仏を分離したのは江戸時代だぞ。
明治じゃない。
329 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 14:12:44
明治政府はかまかしすぎた
330 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 02:14:53
謹請不動尊神
謹請弁財天尊神
謹請吉祥天尊神
謹請大黒天尊神
謹請毘沙門天尊神
謹請大自在天尊神
謹請魔王尊神
謹んで天部の尊神達に請い奉る。
寺行って、仏堂の前でかしわでパンパンたたいて、大祓祝詞奏上☆☆
これで、仏寺も清められますな♪
331 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 15:52:14
7:考える名無しさん :2009/01/17(土) 11:50:10 O [sage]
「宗教」という言葉が、現代人にとって極端なアレルギー反応の素となっている。
聖書教や創価学会、オウム真理教らのカルト宗教の異様さやきな臭さから
なるべく遠くに置いておきたい、蓋をしておきたい臭いもの扱いとなる。
そうではない、東洋でいう本来の宗教ってのは「教訓」とか「教科」とかいったぐらいの意味。
人間をなるべく犯罪や犯罪性に走らせず、道徳や道徳性に
繋ぎ止めておく上での要領のいい教えという程度のもの。
だから不当利得含む犯罪や犯罪性への積極を目論むカルトのほうがむしろ
東洋でいう所の宗教の条件を満たしていない。宗教の仮面を被ったただのヤクザやギャング。
オウムのように無力化させられてたらまだいいんだが、
未だに摘発も受けずに敬虔な信仰者であるかの如く思われ(実際、末端の信者は
カルト性に気付かずに本気で信仰していたりもする)、金融や権力の乗っ取りによって
社会全体を自分勝手にひっかきまわしてすらいるから、
そういうカルトの横暴を許さないための自己防衛策として、
非カルト・反犯罪な信教を一人一人の人間が携えておく必要がある。
一銭も払わなくたっていいから、最初は神仏を敬う所からでも始めてみること。
332 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 18:32:13
>>328 確かに、戦前への反動で、逆に
「神仏分離はすべて明治政府が突然でっち上げたものだ」
みたいな極論があるけれど、神仏分離思想は、江戸時代から
あるよね。
林羅山なども、儒家神道で、神仏分離で考えてるし。
333 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:40:38
造られた神仏習合の伝統(笑)
334 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 02:10:47
江戸時代は幕府管理化の「国家仏教」
しかも、江戸幕府は封建主義のシステムのために国家仏教は幕府国家に管理されつつ自主性ももっていた。
幕府国家から保護されながらやりたい放題しほうだい☆
利権も金も取りほ〜だ〜い♪
仏教は甘い甘い利権の蜜に満ちた近世の国家仏教に戻りたいよね〜★
しかも、神社にたいせても別当とか置いて神道の一部までも支配していた。
寺はもちろん我のもの、神社もついでに我のもの!ってね。
日本の仏教が支配したるぞ!ってな。。
欲の権化とはまさにこのこと。
建前として僧侶の肉食妻帯や飲酒が許されなかった江戸時代に戻りたいわけなかろう。
幕府が体制内に仏教を取り込んだのは事実だけど、
それだけだからね。
上でも書いてる人がいるが、林羅山も猛烈に神仏習合を批判している。
安土桃山までは政治家のブレーンが僧侶ってのは結構あったが
江戸時代に激減してるのも関係あるんだろうね。
ほとんどが儒者になっている。
337 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 15:36:50
神仏習合厨って低脳仏教徒の自慰史観に乗ってるだけだもんなw
338 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 15:38:59
室鳩巣の随筆なんか読んでも、神道には好意的である一方、
仏教のことはボロクソに書いてるよね。
国家神道を日本のあるべき姿とするのも誤り
340 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:14:03
>>340 そのあたりまでだろうね。
それ以降は沢庵くらいしか知らない。
342 :
日本@名無史さん:2009/02/13(金) 00:47:24
あんまり儒者がのさばるとシナ朝鮮みたいになっちゃう。
343 :
日本@名無史さん:2009/02/14(土) 04:31:42
信仰と言うものは世界どこででも混合しているもの。
純粋な或いは混同混合のない信仰は世界のどこにも何時の時代も
存在はしていない。
例えば明治神道はキリスト教と神道の混合。
その実例が年賀状や神式の結婚式。
天皇誕生日を祝日にするのもそうだろ。
明治維新の尊王論がもともと儒学から発展したんだから、儒学の影響は大きいと思うね。
神仏分離を最初に行ったのは保科正之だと思うが、彼は垂加神道の山崎闇斎の意見を取り入れた
のは有名な話だよ。
345 :
日本@名無史さん:2009/02/14(土) 15:20:27
>>344 神道優位の垂迹論を説いた吉田神道の普及だろうね
これの登場で、押されっぱなしだった神道に帰依するものが
神道を押すことができることになったわけだ
保科正之は吉田神道にハマって葬式も神式で行ったというから
しょせん方便でしかない仏教祭祀はやめて神式でやれと領地で命じたわけ。
合体したまんまじゃないの?
相変わらず「権現様」なんか坊主姿みたいだし。
347 :
日本@名無史さん:2009/04/23(木) 23:35:04
神仏習合は、形式はどうであれ実質的には、仏教と神道のいずれかを主、他方を従の関係におかなければいけない。
これは現代日本の平等観にはそぐわない。
それに、信教の自由という観点からも、浄土真宗のように純粋な仏教のみ、あるいは、純粋な神道のみを信仰できるようにしたと言う意味でも、
神仏分離は、「現代日本」にとっては優れた政策だったと評価できる。
もちろん、日本古来の伝統が神仏習合に根ざしていたことは否定しないし、
現代日本で「神仏習合教」のようなものを作る者が現れても、信教の自由から否定はしないが。
349 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 08:13:47
昔から今のいままで信仰上、神仏なんか分離した経緯はない。
境内や建築物が区別されただけの話しだなw
350 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:16:36
明治以降の神様はねつ造神が多くてイ屋。江戸時代までの本当の神式の神様辞典を
誰か発行して九んないかな
>>344 そもそも、儒・仏は相容れないという発想が日本に入ってきたのは
日明戦争の際に姜によって朝鮮朱子学が本格的に導入されたことによる
(それまでは岐陽方秀のような禅僧が朱子学を講じていた)
ここで朝鮮朱子学の影響を濃密に受けた山崎闇斎が
仏を排して儒・神の習合を行った(=垂加神道)
垂加神道を受容した徳川光圀が、さらにこれを水戸学へと変容させる
(水戸以外では、殆どが時間の経過と共に徐々に日本的なものへと中和されていく)
水戸学に則った明治維新によって、水戸学に合致しない神道理論はことごとく抹殺され
その隙間を埋めるかのように基督教の要素が流し込まれて国家神道の一丁上がり
(神道が基督教に上書きされるのは平田篤胤に起因する)
ぶっちゃけると、国家神道(→神社本庁)とは
表皮の薄膜が神道で、中身が儒・基習合の水風船
150年前に造り上げられたこの水風船が、果たして「日本の伝統」と呼べるものか
>>351下から二行目
表皮の薄膜が神道で→表皮の薄膜が神道の残骸で
353 :
日本@名無史さん:2009/07/21(火) 16:03:50
江戸時代に神仏分離が肯定されたのは歴史的経緯からもあきらかなんだから
なんでいまさら神仏再習合しないといけないんだ
354 :
日本@名無史さん:2009/07/21(火) 22:30:06 BE:484466933-2BP(300)
そもそも寺が先祖供養するのだって神仏習合だよ。
355 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:37:30
356 :
日本@名無史さん:2009/08/10(月) 16:35:05
>>351 国家神道と呼ぶかどうかは別として、
神仏分離の思想は、江戸時代ずっと準備され
発展し続けた。
「150年の歴史」ではない。
それを言うなら、(姜はおいといて)
惺窩、羅山からの400年の歴史ということになろう。
357 :
日本@名無史さん:2009/08/11(火) 09:21:21
明治以降の仏教は、どっちにしても
近代的なインド哲学研究を経由するのが
ほとんどだから
仏教の側でも既に変質している
>>356 原因は400年前に遡るが、日本が完全に自失してしまたのは150年前だな
>姜はおいといて
そこを無視したら、惺窩・羅山に神仏不相容の発想が伝わった説明がつかない
神道が根本で枝葉が儒教、花実が仏教だとして
神道が根本だという考え方は、すでに室町の吉田兼倶がいってたはずだが。
神仏習合といっても、思想的には室町時代で枯渇していて、
あとは民衆信仰レベルでだらだら続いていたという話だろう。
思想的には江戸時代以降は仏教はほとんど不毛。
>>361 そう単純に決めつけるのもいかがなものか?
いずれにせよ、我々は、もっと神仏儒の関係について
謙虚に研究するべきだよ。
林羅山は徹底した排仏論者。
しかし思想とは別に、家康に求められて法体になり涙目
浄土の信仰厚かった母の葬儀も、孝行心からやむなく仏式。
>>363 神仏&儒仏分離については
林家が江戸時代を通じて徐々に中和されていったのに対し
垂加・水戸は輸入当初からの強硬性を保ち続けていった
スタートラインの羅山からしてその傾向の差が出ている例ですね
>>364 林家は信篤の時代に坊さんの格好やめたんじゃないのか?
>>365 儒官→大学頭への変更に伴う措置だな@僧形廃止
でもそれを契機に鳳岡が祖父らのような水戸学的排仏論に走ったとは聞かない
>>366 信篤の弟子の徂徠は親仏教的とは思わないが。
368 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:03:44
そうかね
つ毘沙門天、大黒天、弁財天、荼吉尼天(稲荷神)、歓喜天(聖天)、八幡神
370 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 02:24:04
で?
371 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 00:13:27
◆神仏習合が衰退に向かったのは、明治維新時ではなく16世紀以降!
「15世紀を境として、日本の社会は、質的に大きく構造変容を遂げる。
呪術性を伴う従来の神仏すべてを排し、古来の神を呪術を脱却した存在に
すべく、唯一神道(吉田神道)さらに垂加神道なる教説が出現するのである。
このような事態を作り出したのは、商工業の発達が合理精神をはぐぐみ、
呪術的な神仏の枠を必ずしも必要としないところに到達したこと、・・・朱子学を
導入・摂取したことの二つにあった。国学をはじめとする近世の日本型合理主義の
思想は、ここに全面開花の条件を整える。
16世紀以降の日本の歴史は、神仏習合を母体としたとはいえ、それを乗り越えようと
する歴史の歩みであった。従って神仏習合はここに最後の到達点を見、本来の
歴史的生命を完うしたのである。」
(義江彰夫「神仏習合」岩波新書)
372 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 18:59:56
へえ。
373 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 21:25:10
本当かよ
374 :
日本@名無史さん:2010/04/21(水) 11:02:36
「8時だヨ!神仏集合」×→「神さま仏さま」に
兵庫県尼崎市のコミュニティーFM局「FMあまがさき」で6日から始まった新番組「8時だヨ!神仏集合」のタイトルが、
宗教関係者から「誤解を招く」と指摘を受け、13日の2回目の放送から「8時だヨ!神さま仏さま」に変更された。
往年の人気番組「8時だヨ!全員集合」をもじったタイトルで若年層への浸透を図ったが、“遊び心”は1回限定となり、
内容に沿った無難なものに落ち着いた。
番組のパーソナリティーを務める貴布禰(きふね)神社の江田政亮宮司によると、
1回目の放送前にインターネットで紹介された内容を見た宗教関係者から「『神仏習合』を思わせ、よろしくない」と指摘されたという。
2回目からは、番組内で流すタイトルコールを変更した。
江田宮司は「神社と寺についての話が同時に聞けると好評をいただいており、できるだけ番組を続けられるよう、
誤解を招かない形で放送していきたい」と話している。
(2010年4月21日09時28分 読売新聞)
宗教界にはまだ神仏習合はタブーみたいなのがあるんだな
375 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:17:11
神仏習合とかキモいんですけど。
なぜ混ぜるのかな?
キリスト教やイスラム教はどことも混ざらないじゃん。
ヒンズー教もシク教も単独で栄えてるのに。
ここが変だよ日本人。
物部古神道を消すためだよ。意外かもしれないが、日本に仏教は伝わっていない。
知識人レベルでは、既に江戸時代から
神仏分離的な傾向は広がってきてるだろ。
民衆レベルはもちろん別だが。