坂東武者は本当に残忍だった?

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90 ◆26IT/WpOkg
>牛ちゃんw
それはそうと、素手でヘビー級ボクサーに勝てると思ってるの?w

この罵倒にかけろ♪
気合で書き込めよ♪
誰もおまいをとめられない♪
青牛よつっぱしれ〜♪
91白馬青牛:2006/09/18(月) 01:41:29
>>89-90
また、同じコピーの繰り返しか。つまらん。中国南部の稲作民の「越」は、
間引きや旅行者を殺害する習俗等、関東と似とる。蝦夷の推結、魋結も
中国南部や古朝鮮の髪型で『魏志』に描かれる倭人の断髪と共に
南方の稲作民に近い。北方渡来系の近畿古墳人から視ると、異質な連中
じゃろう。殺生を嫌うんは、農耕民より、遊牧狩猟民の方じゃ。
チベットやモンゴル、満洲族が大乗仏教の信者であったこと、
江南系の「越」は、朱子学、道教等。仏教では、鎌倉関東政権は宋学の
影響を受け、「禅」か。
何でボクシングのルールに合わせて、素手で闘う必要があるんか。
道具が無い場合は、頭突きを食らわすか、拳を握っちゃあ駄目じゃが、
○で○部を撃つか、○を撃ち窒息させるか、相手の眼に、(特に○根部の
○側も重要じゃが、)指を突っ込んじゃるに決まっとろう。
もう、これ以上は、書けんよ。犯罪を煽るように誤解される。
92日本@名無史さん:2006/09/18(月) 02:01:34
大丈夫、牛の脳内喧嘩だれも信じないからw
そんな事してタダで済むと思ってんのw日本軍の白兵戦の本からのパクリだろww
93白馬青牛:2006/09/18(月) 02:49:40
>>92
信じる、信じんは、あんたの勝手じゃ。新興宗教じゃあるまいし。
タダで済もうが、済むまいが、勝たにゃ、意味がないよ。
日本軍の白兵戦の本のパクリじゃ云うとるが、日本軍の白兵戦闘は、
銃剣や、上の階級の連中は刀じゃ。
確かに現代の世界の特殊部隊のマニアル本には、素手での対処の仕方が
出とるよ。ほいで昔は、左翼側の学生運動やっとった連中も、マニアル
対処法を書いとった者がおったろう。
まあ、西洋者のマニアル本は、フットワークの様な、側から攻撃し止めは
内部を狙う云うスポーツに近い戦闘法で、一発に生死を賭ける日本人の
戦闘方法とは違う。全てが参考に云うわけにゃいかんよのう。
パクっても、役にたつか、たたんかは、自身の経験も考慮せんとね。
94 ◆26IT/WpOkg :2006/09/18(月) 07:55:23
>>91
現代の相撲だって素手。>93フットワークは一種の才能。
スピードの違いを考慮せよ。運動音痴の神戸史観せんせじゃあるまいしw

牛ちゃんはスポーツ馬鹿にしすぎ。真剣勝負なんだぞ。
武人や武士の戦争だって、遊びの要素が含まれてるんだから。
流鏑馬しかない都の武芸じゃ、子供のお遊び程度だがw

西国の「祓え」は中国江南由来、稲作文化と比例するものだろ。
殺生や死も嫌う「穢れ」。畿内中心に西国で浸透する思想。
95白馬青牛:2006/09/18(月) 23:53:37
>>93
フットワークじゃあ、間に合わんよ。わしが、ガキの頃、袋をこさえて
(作って)天井にヒモを吊るして、打撃練習をしとった時、
祖父から、目標を見て、構えて打つようじゃ遅い云われたもんじゃ。
眼が目標を捉えた時は、手も同時に到達しとらんと、相手と眼が会うた
時は、もう一撃食らわしとらにゃいけん。ごく普通に歩いとって、
通行人にも察知されんよう、対処せい云うことでもあるんじゃが、
容易じゃないんじゃけどね。柔道五段の方(戦前の柔道初段は戦後の三段
クラスの実力じゃったそうな)相手に、軽くあしらう事が出来た祖父や、
祖父が、喧嘩の名人じゃった云われた曾祖父から見たら、わしなんぞ
幼児のレヴェルじゃろう。ほいじゃが、スポーツ人クラスに劣るとは
思わんよ。まあ、格闘技より川魚を突いて捕る方が、練習になるじゃろう。
構えて、お互いに戦闘意思を出してのスピードなんぞ意味がない。
真剣勝負のレヴェルも下がるのう。それこそ子供のお遊びじゃないか。
江田島の海軍兵学校を視察した英国人が、日本人の最初から止めを刺す
銃剣戦闘法と母国の軽いジャブを出し、隙を見つけて強打を浴びせるような
銃剣の使い方と文化の違いを述べておったが、ほんま、向こうはスポーツ
じゃ。日本人なら、一瞬で勝負を決める。
96白馬青牛:2006/09/19(火) 00:24:20
>>93
続いて、まあ、相手を敵と確認した時は、眼と同時に手が出とらんと勝負の
間に合わん云うことじゃ。
>殺生や死も嫌う「穢れ」。が、江南、稲作?「出血供儀」や内臓の
供儀、動物の耳、鼻、頭を初穂として山神に捧げるんは、月神話圏の
東南アジアの農耕地帯に広く分布する。
一方、「無血供儀」は、北アジアの牧畜文化圏に見られる慣習である。と
岡正雄氏は云われる。確かにモンゴルでは、羊を殺し、解体する時も、
血を大地に流すのは穢れるとして嫌う。肉を焼くのも火の神が穢れるゆえ、
嫌う。モンゴルの羊料理は、茹でた羊肉が基本じゃろう。
北ユーラシアの牧畜民の慣習や、東南アジアの農耕ー狩猟文化を考慮せず、
また、日本国内しかも東国鎖国史観の思い込みで書いとる。
97白馬青牛:2006/09/19(火) 02:27:50
ほいじゃが、運動音痴でない関東ロデオ君が、真面目にスポーツに
励んでおった姿を想像すると面白い。普段わしに、ふざけた文を
書いとるんじゃに。
そういやは、わしゃは、カケッコ(徒競走)の位置について、ヨウイ・ドン
の時、隣の者が、ケツを浮かせるけえ、隣の者のケツが欲情しとるんかと
思い、瞬間、浣腸してやったら、前のめりに転げて、カケッコでドベ
(最後位のドンケツ)になりよった。真面目に走るより、そういう悪戯の
方が面白かろう。後ろから来る者にスタートから握っとった砂をかけて
邪魔したりせんかったか。もし全然ない云うとるんなら、余程、真面目な
スポーツマンじゃ。
98 ◆26IT/WpOkg :2006/09/19(火) 07:26:09
>>95
日本、いや世界最強は自分だと言いたいんだなw朝青龍よりも強いんだろ?
>>96
殺生禁断思想と西国。意味が違う。
>>97
・・・・。
99 ◆26IT/WpOkg :2006/09/19(火) 20:37:23
>>97
付け加えれば、そんな態度じゃ怪我する。
100白馬青牛:2006/09/21(木) 01:02:30
>>98-99
誰が最強じゃ云うたんか。>>95をよう読め。わしゃはその程度じゃ。
殺生禁断思想は、「遊牧民が、いくら屠殺に馴れているとはいえ、
殺すという事は余り気持ちのいいものでないらしく、」と西川一三氏が
書いておられるが、屠殺方法も遊牧民は出来るだけ、家畜を苦しめぬよう
殺害するが、「支那人はほとんど咽喉を切って殺している。この方法は、
羊は長く苦しみもがき大切な血をタラタラとこぼし、残虐極め余り感心した
方法ではない。」とも書いておられる。
関東は、血を穢れと思わず、しかも人間をも捕え殺害したことが、
勇敢としたいんじゃろう。残酷さと、勇敢さを混同しとる。
東国は、残虐農民で狩猟民の伝統を、余り受け継いでないね。
誰が怪我するん。わしゃは、怪我せんかったよ。まあやられた者も
大して怪我せんかったよ。ほいで、笑い話になるんじゃ。
101日本@名無史さん:2006/09/21(木) 04:07:37
ああ、八幡太郎はおそろしやおそろしや〜
102 ◆26IT/WpOkg :2006/09/21(木) 07:49:33
>>100
フォアマンに勝てると抜かして、「わしゃはその程度じゃ」はないだろw

穢れというのは多かれ少なかれ存在する。
だけど日本の貴族社会が生み出した畿内のそれは、度を越してるわけで。
羊は全く関係ないだろw

とりあえず、運動会と一緒にするなってこと。
高校野球板で叩かれるワガガッコカナシス
103 ◆26IT/WpOkg :2006/09/21(木) 21:56:43
>うし 
魚さえ食うのを忌んだ平安貴族もいたのに、比較が羊の屠殺とはw

コレ訂正。
競馬じゃ弓すら射てないから、静止的ですらない。
幅の狭い平坦な馬場で、都のお遊戯武芸w

『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、オノズカラ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候

>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。

都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う静止的で単純な運動、流鏑馬や笠懸などしかない。
104白馬青牛:2006/09/22(金) 02:02:18
>>102-103
よう読め。わしゃは、上の世代の人らほどじゃない云うたんじゃが、
格闘技者に劣るとも思わんよ。
最近コピーばっかしじゃのう。平坦な馬場でよう弓を射つことが出来ん
けえ西行に学んだとでも言い訳したいんか。関東は平野が広うて、
平坦な場所も多かろうに。平野が多いゆえ、山地の兵と違い、
近代の関東兵団は、行軍が苦手じゃったんかのう。
105 ◆26IT/WpOkg :2006/09/22(金) 23:03:53
>>104
朝青龍>白馬青牛>フォアマン>コーリースピンクス>その他
こんな図式に納得できるわけないだろw

源頼朝が西行から下野藤原秀郷以来の兵法の話を一晩聞いただけなのに
西行に学んだってw
流鏑馬での弓の持ち方だけだろが。
都の流鏑馬術なんて遡れば東国のパクリだろ。中澤氏が言うように。
馬場の平坦と、自然上の平坦の違いも知らないのか?
106白馬青牛:2006/09/23(土) 01:28:29
>>105
おいおい、わしゃは、朝青龍より下か?
秀郷が下野の豪族であっても、子孫の西行は西国武士じゃないか。
血統を云うんなら秀郷の末裔とされる奥州藤原氏は人種的に蝦夷や現代
東北人より現代京都人に近い(埴原和郎氏の多変量解析法による分析)。
秀郷の末裔、下河辺行平のような「京都に馴れたる輩」が関東武士の
弓馬の師匠であって、騎馬下手、関東ど百姓武士は、パクルほどの技術が
あったんかのう?
107 ◆26IT/WpOkg :2006/09/23(土) 02:00:09
うしは朝青龍より強いのかwww

平泉藤原氏は下野秀郷流だって言ってるだろ。
秀郷流は下野から京に進出して、都の軍事貴族になってるんだから。

何が関東武士だよ。頼家の師匠だろ。
下総の秀郷流下河辺行平は頭も切れた人物だろうし、頼朝のお気に入り。

百姓武士ってw田畑依存は西国人だろ。


(東国の武士)狩猟民の系譜を引いている者が多く、東国は狩猟民の社会。
東国の武士団そのものも殺伐とした側面が存在。
弓を得意とし、馬を巧みに乗りこなす者たち。

(実盛の発言)東国武士団が西国の武士団のように田畑を支配の中心にすえた武士団ではなかったことを
多少オーバーに述べているのであるが、事実東国は「殺生」や「死」というものについて
重大視しない社会であった。日常的に殺生が行われている社会であった。
(2001年、福島大・伊藤喜良氏)
108日本@名無史さん:2006/09/24(日) 17:55:38
>>104,106
あんたの云う強さならヤクザがいちばん強いな。力道山もドスでやられたしな。
でもあんた最近の奴ナメ過ぎ。報復とかされた事ないの?
109白馬青牛:2006/09/25(月) 01:28:03
>>107
下野藤原が京に進出?逆じゃないか。藤原秀郷は、京の貴族の左大臣、
藤原魚名の末裔じゃろう。更に昔の古墳期から関東は北方渡来形質の
新モンゴロイド系が流入しとるよ。西行の弓馬談に感心した北条泰時や
三浦義村は関東武士じゃないんか?
東国武士が狩猟民の系譜?相模系は漁撈民・海民系と思うが。
9世紀以降の気候温暖化で、関東の農業生産もかなり増え、農業社会じゃ
ろう。狩猟民らしさは関東武士に無いね。何しろ乞食や旅人を殺す残酷さ
で、温情に欠ける。狩猟民は傷ついた獣を見逃す温情に溢れておるよ。
残酷性を誇るのも、精神異常のサディストと思われる。東国人は、
精神異常者が多いんかのう。
>>108
格闘技者よりも、命のやり取りをするヤクザの方が強いんは当然の
ことじゃ。戦争体験者の世代が強かったんも、白兵戦で命のやり取りを
やっとるしのう。後方で行軍だけしとった部隊は別じゃが。
わしゃは、他民族に体格とやらで劣等感を持つ関東ロデオ君が
可笑しいんじゃが。まあ、最近の者じゃろうと、どがいな相手でも
ナメとらんよ。子供でも、武器を持ったら一発じゃけえのう。
ほいじゃが、最近の者は、睨んで威嚇だけする者が増えたんじゃないか。
昔じゃったら威嚇する暇がありゃあ、即攻撃しとった者が多かったよ。
110日本@名無史さん:2006/09/25(月) 11:02:50
太古の話を今の価値観でサディストとか精神異常者とかいうほうがアホ
西だって似たようなモンだろ。

それと関東の人にでも西日本に劣等感持ってますかって聞いてごらん
「頭大丈夫ですか?」って言われるよきっと


111日本@名無史さん:2006/09/25(月) 18:20:01
>>110
たしかにwww


てか俺は素人なんだが東西への人の行き交いがある程度盛んなれば違いなんてたいしてないんじゃないのかな。
違いがある地域てのは一部ではないのかなと思った