実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大・福田以久生氏)
(東国の武士)狩猟民の系譜を引いている者が多く、東国は狩猟民の社会。
東国の武士団そのものも殺伐とした側面が存在。
弓を得意とし、馬を巧みに乗りこなす者たち。
(実盛の発言)東国武士団が西国の武士団のように田畑を支配の中心にすえた武士団ではなかったことを
多少オーバーに述べているのであるが、事実東国は「殺生」や「死」というものについて
重大視しない社会であった。日常的に殺生が行われている社会であった。
(2001年、福島大・伊藤喜良氏)
【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
>usi
渡来人の宝庫は大和国檜前とか。
中央貴種の血を在地豪族が取り込む。招婿婚。
秀郷流なら、母系・下野鳥取氏と父系・中央藤原氏(藤成)。
↓秀郷流平泉藤原氏
藤原魚名―藤成(伊勢守)―豊沢(母下野鳥取氏)―村雄(母下野鳥取氏)―秀郷(母下野鹿嶋氏)
秀郷流藤原氏は関東下野発祥。都に進出して鎮守府将軍も輩出してる。軍事貴族。
藤原兼光(足利,小山,平泉藤原祖)も鎮守府将軍。
坂東、都、それに俘囚勢力とも関わりがあった。
10世紀、坂東出身の軍事貴族が東北に進出してる。混血も進んだろう。
下野から都に進出、弓馬での狩猟から離れ、体も華奢になるかも。中央貴族の血も入るし。
・奥州藤原のミイラ(参考:富士大教授,七宮氏)
清衡⇒華奢な体型で手も小さい。父の藤原経清(都の軍事貴族出身)の血を受け継いだものか。
基衡⇒小太りでがっちり型。首の太い猪首。
秀衡⇒腹の出たがっちり型。首の太い猪首。母系の蝦夷の血か。
>広島ウシ
近衛舎人は弓矢を具すといえども、武勇には及ばぬ者なり(『続古事談』)
↓都で騎射術を磨けなかった事がよく理解できるエピソード。
『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、自然ヲ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。
都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う制止的で単純な運動、流鏑馬や競馬などしかない。
つまり、京の都で騎射の訓練などは出来ないという事。