【紀伴菅江在】 マイナー氏姓 【マケルナ源平藤橘ニ】
1 :
日本@名無史さん:
日本の姓氏は何かと源平藤橘で代表されていますが、
いわゆるウジカバネでは、そのほかにも紀朝臣とか菅原朝臣、
清原真人や高階真人、古くは物部氏(石上朝臣)蘇我氏(石川朝臣)
までもっといろんな氏姓があったはずです。
中世以降に活躍した源平藤橘以外の人々について語りましょう
中世以前の間違いじゃねえ?
3 :
1:2006/01/21(土) 17:29:06
中世ではたとえば大江朝臣を名乗った毛利一族とか
惟宗朝臣を名乗った島津一族なんかはどうですか?
日下部宿禰姓の朝倉氏もありますが
4 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 20:34:11
たしかに朝倉氏の出自はあまりにもマイナーすぎて、かえって信憑性がある。
戦国時代においても日下部氏なんてどんな家柄か誰も知らなかったと思われ。
5 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 01:00:25
周防大内氏は多々良朝臣だな
6 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 03:09:38
四国、安芸氏は蘇我臣赤兄の末裔を称している。
赤兄は壬申の乱で流罪になってから、その後は消息不明。真偽はわからない。
自称でも、こういう人を祖先というセンスは好きだな
織田は忌部の子孫という説なかったか?
チョウソカベも蘇我じゃないの蘇我の部民だけど
9 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 08:47:58
長曾我部は秦氏
10 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 09:36:42
長宗我部も香宗我部も蘇我氏ではないけど、蘇我部に関わりはありそう
だいたい蘇我部は渡来人が多かったんじゃないの?
11 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 11:46:25
橘氏もマイナーグループに入れてよくね?
江戸時代には橘氏を称する大名、堂上公家は一家も無し。
12 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 11:47:24
13 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 11:52:47
物部(穂積、鈴木、五十猛、五十鈴=朝鮮出戻り、児玉)
が一番の渡来姓だろ、ニギハヤヒだぞ。
朝鮮のアイテム持ってる日だ。
彼が、日本に最初に入った
ツングース族だよ。
宮崎に子孫天下りさせたのもこいつやし、悪の権化
14 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:03:10
物部って孝昭天皇の末裔でもあるらしいが、
その前にもこの一族天皇家に嫁がせてるね。さいあく
15 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:10:35
皇別も早く分かれてる姓の方がいい、後の方になると
五十 鈴人の血が濃くなってるのでまんま朝鮮系になってしまう
源氏のころになるとまんま朝鮮系になってるし 東人白旗
16 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:28:01
后が純血の高麗人だからね、天皇族は。
一代目で分かれるのが吉。
神別だとやっばり物部氏が多いの?
鎌倉時代に武家に転じた大江氏も元は神別だったね
18 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:39:44
19 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:40:54
日本も地域によってだいぶ違うよ。
天孫氏姓が多いのは東日本。
20 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:50:41
東日本は元々、国津神、島津神に変わる形で天孫系の氏族が
支配層に収まってるんだが、東にいた国津神、島津神も
ニニギの系統で高句麗系なんだよ。
一方、西日本は土蜘蛛や熊襲の非高句麗系の土着の一族が
支配していたんだ。
だから物部などの天孫氏姓は西では圧倒的に少ないの。
そして中世、宇都宮などの東人が西の支配層に収まるけど、
これは西に天孫系の支配者が殆どいなかったせいなんだ。
驚いただろ、東朝鮮人どもめ
21 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 19:21:12
>>11 でも一応ひとくくり四姓と呼ばれているしね。
橘オンリーの話題は橘氏スレに、流れのなかでは橘氏や藤原京家もマイナーにいれてよいかと
22 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 20:35:21
清和源氏、村上源氏以外の源氏もマイナーに入れてもいいですかね?
23 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 21:02:02
数こそ少ないけど摂津源氏や河内源氏などのいわゆる京武士はマイナーにはならないかと。
24 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 21:40:43
マイナー氏姓の筆頭はやはり豊臣朝臣でしょう。
大名では豊後日出の木下家と備中足守の木下家が豊臣朝臣だね。
25 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 22:28:08
最大の大名、前田家が菅原朝臣を称したのは、
源氏と称したら「将軍位を狙ってるのか?」
平氏と称したら「源氏である徳川家に取って代わろうと考えてるのか?」
藤原氏なら「関白にでもなりたいのか?」
と徳川将軍家に警戒されるから?
菅原氏なら政治的野心を疑われず、かつ菅原道真の後裔と言えばカコいいからか?
26 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 22:46:21
朝臣賜姓は豊臣氏が最後じゃね?
27 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 23:12:29
あんたらマジで皇孫(高句麗人の子孫=天孫=ニニギ)
であることが自慢なの?
もれは恥こそすれ、自慢したいとはおもわんぞw
熊の子孫て言われるよりかはマシかと
>>14 >物部って孝昭天皇の末裔でもあるらしいが
それ、皇別系・春日氏族の物部(布留)氏だな。
神別系の物部氏とは別系統。
>>15 逆だろ、真人姓
>>20 足元(河内、大和)をよく見よう
30 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 03:40:00
文室氏
天武天皇━━長親王━━文室智努(浄三)
31 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 07:19:23
平氏は赤旗だから
倭人伝で倭人が体に朱塗ってたので先住民だよ。
鹿児島の平氏は日本書紀によると、
葦原中津国(九州)の日向にニニギが畿内から天下りし
阿多隼人(海人)の妻を娶ってる、この妻の名は「阿平姫」だよ。
つまり、平は先住民の一つの立派なステータス。
平は「たいら」とは読まない、「ひら」とよむ、
この「ひら」は中国地方の方言で「端」という意味があるらしい、
なお、アイヌ語でも「ビラ」は崖、端という意味がある。
つまり平氏は先住民の末裔を標榜してたわけだよ。
源氏白旗はもちろん朝鮮人の白装束だ。
源氏は半島に帰ってね★
32 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 08:24:17
平氏(赤旗=先住民の色)はどこに拠点があった?
源氏(白旗=朝鮮人の色)はどこに拠点があった?
南朝はどこに拠点があった?北朝はどこに拠点があった?
水神と共に祀られる平氏、水神といえば西日本だよね。
平氏も貴族だから朝鮮の血は濃いよ、しかし先住民の
反乱だったんだ。あれは単なる権力闘争じゃないんだよ。
南朝しかりだ。よーく考えよう。
記紀、倭人伝、東夷伝、風土記をよーく読もう。
先住民はいま朝鮮人(源氏=東日本人)により根絶やしに
されようとしているのである。
>31 おまいこそ先に帰れよ
34 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 09:24:11
>>33 あんた知ってるんだ?
日本国?の秘密?
漏れと一対一で話するか?
35 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 09:32:02
ねーどうすんの?
他にも考えあるけどどうすんのよ。
情報統制もしてるんだよね
>>11 空気を読まない遅レスで申し訳ないが、源平藤橘」はメジャー氏族だから一括りに
されているわけではなくて、確か皇后を輩出したことがあるとかそんな意味合い
だったと思うが。
それで思い出したが、紀氏は天皇の生母をだした数少ないマイナー氏族だ。
38 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 22:15:53
伊藤博文は越智宿禰だそうですね
きゃあエッチ!!
エッチ少ねぇ
朝鮮と言っても、古代朝鮮と今の朝鮮は
民族的に別物だからね。
三善朝臣氏と大江朝臣氏は鎌倉幕府に入って公家から武家へと生き延びたよね
毛利が明治維新まで大族として名を残したのは考えてみればすごいことだな
祖先の土師氏は古墳づくりのエキスパート集団だった。
45 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:31:54
野見宿禰だっけ、埴輪の始まりの伝承から古墳づくりに従事するようになったのは
46 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:52:06
結局「葬式担当氏族」であることを嫌がって大江や菅原に改姓>土師氏
47 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 01:08:59
しかも平城天皇の子孫ということにまでしてしまった
48 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 10:35:13
私の実家も本家に伝わる系図では先祖は大江氏だそうです。
49 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 14:08:32
50 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 22:13:18
>>48 うそくさい源平藤より、マイナー大江氏を名乗れるというのは
うらやましいかぎり。日本史板的には自慢してよい話ですな。
51 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 22:17:42
大江広元は藤原の血が濃かったよな、確か。
52 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 23:12:51
その藤原の縁で鎌倉に下ったんだろ
53 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 20:15:55
大江広元に藤原の血なんか入ってねえよ
54 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 09:31:29
徳川吉宗の母の実家が巨勢氏を称してたという話も。
源氏でも、嵯峨・宇多・村上・清和以外は、マイナーだしここで語ってもいいのかな? あと、桓武平氏以外の平氏で後世に名を残した人っているか、教えてもらえませんか?
56 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 20:41:58
織田信長
57 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 20:42:46
は、桓武平氏を称している
58 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 22:41:25
桓武平氏にあらざれば平氏にあらず
善法寺通清(紀氏)
二人の娘がそれぞれ天皇と足利将軍の母となりながらも別段、権勢を振るった様子がないが、本人はもう死んでいたのか?
60 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 14:28:39
戦国時代はとにかく源平を僭称した輩が多いが、
鎌倉時代はまだ豪族達は姓を変えたりすることはなかったんだろうか
61 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 14:58:20
>>32 おいおい
ヒント教えてやるから考えなおせ。
タイラは元は多比良で。
金毘羅フネフネしゅらしゅしゅしゅ〜
多々良=多田羅で何が多いかて言うと朝鮮南部は鉄の産直であり、
小国が沢山あったからさっ。
62 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 15:37:12
織田氏(忌部姓?)
羽柴氏(豊臣姓 もとは不明)
徳川氏(賀茂姓?) 毛利氏(大江姓)
島津氏(惟宗姓) 長曾我部氏(秦姓)
河野氏(越智姓) 宇喜多氏(児嶋姓?)
鈴木氏(穂積姓) 朝倉氏(日下部姓)
秋田氏(安倍姓)
戦国時代は流石に四姓以外が多いね
63 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:14:25
>>60 鎌倉御家人でも系図を詐称している家はけっこうあるよ。
大友とか宇都宮とか。
64 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:20:05
徳川家は葵紋がいかにも賀茂氏らしいかんじなんだがな
結局清和源氏を僭称しちゃってつまらないなぁ
朝鮮南部なら日本だな。
66 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 05:51:08
豊臣は姓だから、羽柴太政大臣豊臣秀吉?
詠み方も「とよとみ の ひでよし」かな?
67 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 14:11:02
>66 豊臣に朝臣がつきます
68 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:04:50
藤原純友の乱前後に、伊予守紀淑人がいたが(大河で細川俊之が演じてたかな?)、
その後子孫はどうなったんだろう?
69 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:06:14
尊卑分脈見たか?
70 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 10:59:33
ひさかたのひかりのどけきはるのひに
しづこころなくはなのちるらむ
文人あり武官ありの紀氏
子孫の方いますか?
71 :
善法寺通清:2006/02/19(日) 11:05:58
>>70 岩清水八幡の社家が紀氏ですね。
私も友紀のその歌好きです。
72 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 11:09:38
徳川は名門でもないのに名門を気取りすぎてなんかやだ
73 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 15:49:38
紀時文が古文の資料集にでてきた最後だ
源平藤橘とあと菅原ともう一つどこだかくらいは主典にしないという習慣があったそうだ。
やはりマイナー氏族の中では菅原はメジャーだ。
75 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:39:11
藤原は名門でもないのに名門を気取りすぎてなんかやだ
・・・と石上宅嗣が申しておりました
76 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:04:57
中臣は元は卜部である
77 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:30:18
世の菅原姓は、やはり皆土師氏のゆかりなのだろうか?
菅原姓って結構多いよね。
78 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 02:43:28
( ゚Д゚)ウマー
80 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 22:31:16
カムヤッコを賤民とするかどうか見方は別れるかな
戦国・朝倉氏は日下部姓だ
藤堂氏は中原姓。井伊氏は三国姓か
厚東氏や浅井・脇坂氏は物部姓か
大江って結局土師なの?皇孫なの?
83 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 21:32:14
84 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 23:27:12
土師氏も昔はよかったんだけどね
だんだん古墳は小規模になるわ、薄葬になるわ、さらには土器も須恵器が主流になるわで
大きく没落しちゃった。平城落胤説を流布してなんとか回復を図ろうとしたんだね
蘇我姓はなかなかいない
土佐の安芸氏 対馬の阿比留氏。。。
86 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 04:29:57
うちは紀姓らしいのだが・・・
よくわからん
しょうこなにもなし
87 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 04:30:56
しいて言えば家紋が似ているぐらい・・・
よわいな
旧豪族の中では紀氏と大伴は最後まで頑張ったほうだな。
菅原は豪族ってほどじゃない気がする、土師でも傍系っぽいし、
古人以後の4代で学問を武器に成り上がった感じだ。
浦島太郎は日下部氏
寛政譜に清川忌寸姓(?)とかあった。
諸蕃はアイデンティティーが強いのか。
91 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 18:02:57
92 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 20:44:21
皇別の文室氏、良峰氏、在原氏なども、平安初期までは公卿を輩出
してるが、その後はどうなったのやら。いちおう、地下官人には
その後裔を称する家系もあるも疑わしいし。
石清水八幡宮の別当の家系は紀氏だよね。院政期にすでに紀氏姓で出てきて
るからかなり確実なんだろうな。御厨子所預を世襲した地下の高橋家も
紀氏だったような。
何が院政期だよ。摂関期からとっくに紀姓で出てくるよ。
94 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 23:45:01
つか、石清水を創建した人物が紀氏なんだが。
朝廷から離れることで、藤原氏による他氏排斥から逃げおおせた、いい例だな。
96 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 00:30:41
>>94 行教の俗姓が紀氏ってことを言いたいの?
>>92 いや、別に院政期以前には無かったと言うつもりはないよ。
御厨子所預の紀氏も摂関期にも文献に出てくるようだし。
だけど、頻度が多くなるのって院政期ぐらいのような気がしたん
だよね。実際どうなの?
頻度も何も。代々そうなんだからw
98 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 00:53:19
石清水の別当の紀氏って、平安初期に中納言だか参議だか、
とにかく公卿だった何某の末裔っていう伝があるよね。
もしそうだとすると、宇佐宮祠官の紀氏(行教の系統)とは、
同祖だとしても別家系ってことになり、その点が気になるんだよね。
99 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:03:42
てゆうか、藤原氏ほどには強大になれなかった紀氏などの場合、
疑い無い、と言えるほどに系譜が明確なんだろうか?
何しろ紀氏は平安初期以降は全く公卿を輩出してないし。
初代神主は行教の甥・紀御豊。のち俗別当に御豊の曽孫・良常。
以後別当職を紀氏が独占。良常の子聖清の時から世襲。
29代別当慶清が田中を家号とし、32代祐清が善法寺(菊大路)を称し、
二流に分かれた。以降、紆余曲折を経ながら、田中・善法寺の二家
が相次いで社務につき、現代にいたる。
101 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:25:50
紀氏の嫡流はどの家系?
102 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:37:27
>>100 地下官人の多くと同様、結局 華族になれずじまいだったね。
その二家。
>>62 宇喜多は三宅姓っしょ。秀家が豊臣姓貰って変わるけど。
104 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:43:20
>>55 遅レスなんだが、三十六歌仙のひとり平兼盛は光孝平氏。
光孝平氏ではほぼ唯一の著名人だとおもう。
105 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:45:11
いまの石清水八幡宮の宮司って田中さんていうんだよね。
もしかして社務家の田中家の子孫なのかな?
大伴ってなんで宿禰のままだったのかな?
有力氏族は大抵は朝臣になってるよね。
107 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:56:40
八色姓で物部、中臣が朝臣に格上げされたのと比べても大伴は冷遇されている
土師や秦など改姓で朝臣になった氏族もいるのに
108 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 05:45:07
清原は真人のままか。
真人や宿禰のままのほうが漏れ的には萌えるが。
真人は一応朝臣よりは上だったからね
高階や文室は真人から朝臣へ
海宿禰から清原真人は(゚Д゚)ウマー
坂上氏も姓では差別されている感がある。
恵美押勝の乱の時、部下の牡鹿連島足が宿禰になったのに、
坂上苅田麻呂は、忌寸が大忌寸になっただけ。
せいぜいが陸奥の豪族の子弟らしい(もしかすると蝦夷)の島足が連から宿禰で、
曽祖父が四位相当の贈位、祖父が外従五位下、父に至っては正四位上、
父の代で既に忌寸であった苅田麻呂はわざわざ大忌寸を新設しての中途半端な改姓。
子の田村麻呂があれだけか活躍して、正三位大納言にまで至っても、
これまた朝臣にはなれず大宿禰(これは県犬養宿禰→県犬養大宿禰の前例あり)どまり。せいぜい五位になった程度の大したことのない家が結構朝臣に改姓されていることを
考えるとかなりの冷遇ではあるまいか?
実力の藤原
血統の物部
大伴は?
種継の子が藤原から井手宿禰に改姓してるね
115 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 19:39:14
しかし平安時代半ばになってくるとカバネなんてそんなに意味無くなるだろ。
116 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 20:50:24
村主ふみえ正四位叙位
ダウト
118 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 18:41:36
村主さんとか宿禰さんとか
そのまま近代の苗字なってしまった人たちって
百人一首を見ると、最初の方は柿本とか山部などのマイナー氏姓が多いね。
だんだん、平安後期になると中央の政治情勢に連動してか、藤原、源ばかりになるけど。
坂上田村麻呂の子孫が、歌人をやってるのがなんか悲しい・・・。
平安中期になってもしぶとく頑張っている、春道列樹と曾禰好忠が割と好きだ。
春道宿禰と曾禰連は物部氏族
118
そういえば、同級生に連(むらじ)さんっていたなあ。でも、このパターンだと、姓わかるけど、肝心な氏がわかんないね。
吉田兼倶(卜部氏)室町後期の神道家。吉田神道の創始者。中臣氏を偽称。
吉田兼好(卜部氏)鎌倉末・室町初期の歌人・随筆家。『徒然草』の著者。
卜部兼方(卜部氏)鎌倉時代の神道学者。日本書紀の注釈書『釈日本紀』の著者。
塚原卜伝(卜部氏)戦国時代の剣豪。鹿島神宮の社家・卜部覚賢の子。
卜部季武(平氏)平安時代の武士。頼光四天王の一人。でもなんで卜部になった?
行基・高志史 玄ム・阿刀連
道鏡・弓削連 行表・檜前調使
空海・佐伯直 最澄・三津首
義真・丸子連 円仁・壬生公
円珍・和気公 良源・木津忌寸
法然=漆間宿禰?
親鸞=藤原朝臣(日野)
一遍=越智宿禰(河野)
栄西=賀陽朝臣
道元=源朝臣(久我)
日蓮=三国真人(貫名)
乙!
坊主めくりの歌人達も俗姓わかっているのが多いよね
検討も付かないのは、猿丸・喜撰・蝉丸・恵慶・良暹くらいか
春澄善縄(はるずみのよしただ)
伊勢国員弁郡の地方豪族、猪名部(いなべ)氏の出身。仁明天皇のもとで
東宮博士、文章博士に就任。文徳天皇の命で、藤原良房、伴善男とともに
「続日本後紀」の編纂を行う。参議に昇進、公卿に列せられる。
菅原道真の父、是善と交流があり「在朝の通儒」(万事に通じた学者)と
賞される。貞観12年(870)、74歳で死去。
128 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:08:41
百人一首といえば、春道列樹も素姓あやしき人物だな
130 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 08:36:30
現代の菅原姓は、「すがわら」と「すがはら」と発音する場合
の2通りあると思う。
読みの違いはなにか理由があるのだろうか・・・?
132 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 11:34:22
垂仁天皇は紀氏
銅鐸も紀氏
大伴はクメール人
忍者も大伴氏
久留米は美人が多い
大友龍太郎はセリフが聞きとりにくい
「りゅう」の字が違うよ
134 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 01:51:33
織田は押熊王の後裔。
135 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 01:58:17
>>128 そうそう
京都嵐山に百人一首博物館
オープンしたね〜
「ろう」の字も違う。
137 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 15:02:33
相撲の五条家は菅原氏
でも京都相撲は衰退するし
相撲司家は吉田追風に占められて
相撲の権威としては家名を残せなかったね
138 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 23:16:03
唐橋家も菅原だが、マイナー氏族の
半家のなかではましな知行高だ。
マイナー氏族のなかには三十石三人扶持の家も多いね
139 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 09:45:18
140 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 10:17:07
>>128 120がいうように、春道氏は物部氏の一族ということになってるから、
平安貴族の末席に名を連ねていてもそう不思議でないとおもう。
百人一首の歌人で系譜未詳といえば壬生忠岑・忠見の父子とかかな。
官務の壬生家(小槻氏)とは無関係だし。
>>140 忠岑・忠見は壬生宿禰。甲斐国造の末裔らしい。
142 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:17:40
どんな一族でも無名な庶民として生き延びているものは数知れないだろう
143 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:46:53
江戸期の地下官人には町人・農家出身者も居たわけだけど、
彼らの姓氏はどのように決められていたんだろ?
自由に選べたんだろうか。
あえて菅原、伴、宗岡(つまり蘇我)、紀
とかを称したんだとしたら歴史ヲタというか拘りが凄い。
144 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:01:52
賜姓じゃないかな? 地下家は堂上家の家礼になっていて、官位をもらうにも主家の執奏が必要。
その際、無姓の身分の者には官位とともに主家ゆかりの姓を与えられたのでは?
下官人で自分から姓を名乗れる者ばかりとは思えんな
無姓の卜部?
夢精のト部
織田も卜部
織田は斎部宿禰
>>141 壬生直だったかも知れん・・・ よく分からんな。
151 :
日本@名無史さん:2006/04/29(土) 10:38:57
親氏が婿入りする以前の松平氏は賀茂姓だったのですか?
そのようですね
153 :
日本@名無史さん :2006/04/30(日) 22:29:37
賀茂神社の社紋が葵だから徳川家(松平家)の家紋が葵なんだろ?
154 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:11:19
そういえばもうじき京都の葵祭が始まるな
上賀茂神社、下鴨神社
156 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:31:34
泰親から僣称したのか? でも酒井も源姓だろ?
157 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:38:39
でも源氏ってゆうのは家康が征夷大将軍になる正当性を示すために
捏造したって聞いたことがあるけど・・・?
>>156 僭称じゃない。
親氏は賀茂姓、松平氏は在原姓。
源姓新田氏世良田流徳川氏は泰親。
松平信重の長女の聟が親氏で、次女の聟が泰親。
三代信光は親氏の子で、泰親の養子となった。
家康は血系は信光の子孫だが、家系では信重の子孫、また泰親の子孫
でもあるから、源姓でもあり、在原姓でもあり、賀茂姓でもある。
僭称というなら、それは藤原姓。但しこれは家康より前、すでに
信光の頃に称していたんじゃなかったかな。
159 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:37:49
在原朝臣のまま征夷大将軍になっていたら
メジャー姓に逆転だったのに
160 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 10:18:02
徳川は新田支族には間違い無いとして、家康の松平家がその徳川の
家系と言うのはウソ八百と言う事でOK?
161 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 16:39:20
オーケー オーケー OK牧場
荒尾が在原姓というのも仮冒じゃないかと。
酒井はもと大江姓だっけ?
息長氏はどこいったんだろな
志摩・紀伊の木本氏は息長姓?
南北朝期に木本盛房がいる
164 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 13:40:07
豪族じゃないパンピーは藤原部(ふじわらべ)の某、というふうに言われていたの?
165 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 13:58:35
伴と大伴は違うの?
166 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 15:19:39
>>165
一緒だよ。平安時代に大伴皇子に配慮して大伴から伴に改姓した
>>166 大伴親王=淳和天皇
この天皇が即位した翌日に大伴氏は伴氏にウジナを改めた
169 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 01:50:43
大伴親王は母親が大伴氏?
乳母が大伴氏
171 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:07:22
平群氏は?
172 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:11:20
有道は?
173 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:15:49
エロいよ。
伝統というと何でも良いものだと勘違いしている者が時々居るが、大きな間違いだ。
悪しき伝統、悪弊と言うものも有る。
天皇制は正にそれに当る。
天皇制が出来てからと言うもの、日本人は長い間、重税や徴用に苦しめられて来た。
自民党と公明党は教育基本法を改定して子供達に「伝統を重んずる国を愛する心」を押し付けようとしている。
伝統に固執した時、進歩は止まる。
インカやアステカの様になると言うことだ。
男尊女卑、封建的上下意識、天皇万歳、談合、天下り、癒着、町内会。
みんな伝統だ。
悪しき伝統、悪弊を断つ改革なくして、進歩は無い。
その進歩に必要な心を子供達から摘み取る積もりらしい。
国の行く末は子供達がどんな教育をされたかによって決まる。
間違った教育を受けた場合、もう、自力では元へ戻すことが出来なくなるのだ。
それが教育の恐ろしいところだ。
またバカをやって外国の軍隊に進駐してもらって正してもらうしかないだろう。
まぁそれまで、国民は散々苦しむだろうな。
民玉党代表尾沢一郎
179 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 18:54:31
180 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:33:59
物部本流は残れなかったの?
181 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 00:33:28
なんか土佐に逃げて末惟(すえのぶ)氏になったと聞いたが。
183 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 15:26:41
蘇我と曽我は違うの?
184 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:21:26
小野あ滅亡?
>>184 地下家としては、大膳職に就いた徳岡家がある。
横山・猪俣党の小野姓には疑問。池坊は論外w
>>184 妹子が現代にタイムスリップしちゃったので
間が飛んでるだけ。
188 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 05:31:09
尊卑分脈の内容の多くは信用できるの?
>>187 タイムスリップすると希に性転換することもあるらしいな。
>>188 公家部分はほぼ信用してよい。
武家部分はまず疑ってかかれ。
191 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 18:49:46
武家はみんな貴族出身にしたがるからねぇ・・・
192 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:22:01
私は、小学3年です。私には、彼氏がいます。
彼とわたしは、デートの時、どちらかの家に行き、 だれもいないとき、部屋で横になって裸でだきあいます。
それがだんだんエスカレートしていって、 学校の体育倉庫で服をぬがされ、まだ3年生ですが学年で1番大きいおっぱいを、つかむように触られたり、しゃぶったりされます。
最初は、苦手だったんだけどだんだん気持ちよくなりサイコーです。
しかも、わたしは、学年1美人でもてます。
彼も同じで、美男美女でよくみんなにうらやましく、思われます。
このカキコ見たあなたは4日後に不幸がおとづれ44日後に死にます。それがイヤならコレをコピペして5ケ所にカキコして下さい。
私の友達はこれを信じず4日後に親が死にました。 44日後友達は行方不明....。
いまだに手がかりもなく私はこのコピペを5ケ所に貼り付けました。
すると7日後に彼氏ができ10日後に大嫌いな人が事故で入院しました。
信じる信じないは勝ってです
ふるしゃ
布留今道と石上並松
良峰朝臣とか。
丹羽長秀が末裔だっけ。
良峰朝臣姓は仮冒で、実際は椋橋宿禰姓と見られる。
もっとも藩翰譜の児玉党説をとれば有道宿禰姓だが。
>>163 鹿児島神宮社家の一、桑幡(桑畑)家が称息長宿禰姓。
196 :
日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:16:12
朝日将軍源義仲の信州軍勢の実質は、おそらく巴御前の出所の中原(姓)一族。
中原一族はどうなった?
巴に近い族裔としては、今井兼平の子孫や樋口氏(直江兼続の実家)
198 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 01:41:29
でも直江兼続の子孫は江戸時代に断絶したんじゃなかったけ?
200 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 20:13:38
聖武天皇に姓を申請して却下された御方大野の父親って誰ですか?
天武朝の親王らしいんですけど、天智皇子?天武皇子?
御存知の方教えてください。
>>200 俺の知る限り、結論は出ていないと思う。
「大野之父於浄御原朝庭在皇子之列」を単純に解して、天武の皇子と
するのが一般的。 磯城皇子とする説もあるが、彼には皇籍を奪われた
形跡がない上、その子は二世王として叙位されていることが証明済み。
一方で、「浄御原朝庭在皇子之列」が天武の皇子に限定される必要は
ないとして、天智の皇子とする説も唱えられている。扶桑略記に「(天智
天皇)王子男六人女十三人(略)但一人不載系図」とある一人を「大野
之父」と見なせるというが、後世の史書がどこまで信用できるかは疑問。
202 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 19:57:28
そうですか、やはり定説はないんですか?ご教示ありがとうございます。
あと不思議なのは、大津皇子説はないんですか?
686年没ですから、749年(大野はこの年までは生存)に遺児の生存は有りえますよね。
大津皇子の年齢から言って子供がいたとしても乳児でしょうから、助命だけはされたとか
ありそうですが。
子孫が判然としない川島皇子か弓削皇子の子とかってことはないですかね。どちらも処罰
された形跡はないですけどね。
あと天武朝で皇子とすると、天智&天武の弟(高齢すぎるか?)とか、有馬皇子に弟がい
たとか、皇位継承に縁がないほど母方の血筋が悪い皇子の一人や二人いても不自然ではな
いような。
>>197 兼続の養家の直江家の方は、藤原京家の末裔を自称してたんだっけ。
それも珍しいよな。菅原とか大江なんかより遥かにマイナー臭がする。
204 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 19:47:48
武家の藤原氏って南家か魚名流って印象があるけど、他のもいるのかな?
永手流とかもマイナーな感じだ。
南家でも仲麻呂流とかもいてもいいよな。
偽京家は平安時代からいたらしい。五位の京家枠獲得が目的。
ところで多治比氏って結局どうなったの?
206 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 20:11:15
なぜ家康は、自分の代から松平ではなく徳川と名のったのか?
208 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 21:58:27
- 四姓以外の主な武士 -
物部(→有道)姓 ‥ 児玉党(児玉・本庄・秩父・人見・小幡 等)
小野姓 ‥ 横山党(横山・稲毛・荻野・糟屋・海老名・由木 等)
猪俣党(猪俣・岡部・甘糟(甘粕) 等)
橘 姓 ‥ 楠木氏<異説あり>
多治比姓 ‥ 丹 党(丹・由良・勅使河原・加治・高麗・小鹿野 等)
日奉姓 ‥ 西 党(西・平山・日野 等)
私部姓 ‥ 私部党(私部・箕田 等)
大江姓 ‥ 毛利一族・長井氏・那波氏・海東氏
菅原姓 ‥ 美作菅家党
高階姓 ‥ 高氏
越智姓 ‥ 河野一族(河野・得能・別府・土居・一柳・稲葉・林・得居・来島(久留島) 等)
惟宗姓 ‥ 島津一族(島津・山田・伊集院・伊佐・新納・樺山・北郷 等)
多々良姓 ‥ 大内一族(大内・陶・右田・山口 等)
日下部姓 ‥ 朝倉一族秦姓 ‥ 長曾我部氏
安東姓 ‥ 安東・秋田一族
大蔵姓 ‥ 大蔵(原田)氏・筑紫氏
209 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:24:02
- 続き(四姓以外の、上記以外の主な武士) -
【九州二島】 阿蘇大宮司家・肝属氏・禰寝(根占)氏・土持氏・緒方氏・草野氏・宇佐大宮司家・宗像大宮司家・阿比留氏
【中・四国】 安芸氏・綾氏・海(安摩)氏・厳島祠官佐伯家・出雲国造家・吉備一族・三宅氏
【関西】 穂積(鈴木)氏・湯浅党・紀伊国造家・和田(にきた)氏・建部氏・(伊勢内宮)荒木田神主家・(伊勢外宮)度会神主家
【三関以東】 熱田大宮司家・伴氏(設楽・富永)・土方氏・富士大宮司家・三枝氏・神家党(諏訪氏)・神保氏・長(長谷部)氏・滋野(海野)一族・上総坂上党・奥州坂上党・紀清党(紀姓猿子(=益子,ましこ)氏と,清原姓芳賀氏)
>>208 乙。朝臣や宿禰等のカバネも付してほしいが
丹党の多治比姓は疑問大かな。あと、安東姓じゃなくて
安倍姓かと。物部(→有道)姓も有道姓としたほうが良い。
211 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 11:41:29
阿波民部大夫こと田口重能は田口朝臣だっけ?
蘇我田口臣の後裔だとか何かで読んだ。
楠木氏は猪俣党説(網野)あり。
213 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 15:49:55
楠木氏はもともと河内の一族じゃないって本当!?
先祖は源頼朝に仕えていたというのを聞いたことがあるんだが。
214 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 16:00:06
>210御教示ありがとうございます。
しかし、戦国末の大大名のうち、東国は四姓{伊達・長尾上杉・後北絛・武田}なのに、中央より西はそれ以外{織田(忌部姓?)・毛利・島津・長曾我部}とは面白いですね。
守部姓・・・山内首藤氏
佐伯姓・・・波多野一族
218 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 01:02:30
文室姓は?
×称しているほぼ皆無
○称している例はほぼ皆無
221 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 21:13:28
佐伯三野って今毛人の弟でしょうか、子供説もあるみたいですが。
あと佐伯真守(生年不祥)は今毛人の兄とされているようですが、官位昇進を見ている
限りでは弟みたいですね。まあ今毛人の昇進の方が異常(四位あたりまでは藤原氏主流並)
なのでしょうが。
>>219 怪力伝説のある五十嵐小文治、太平記に五十嵐
文四・文五と見える一族に関係があるらしいです。
かの紀国屋文左衛門ももと五十嵐氏で、名は文吉
だったはずですが・・・ まァ、妄測は止めませう(汗
223 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 22:32:27
物部=有道?
有道氏は物部氏と同祖同族の関係にあるということ。
物部氏を宗家と見れば、有道氏は初期の分流になる。
久自国造=物部姓
丈部(大部)姓だろ。平安初期、有道に改姓。
227 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 01:41:25
>223-226
伊香色雄命┳(物部)十市根━5代略━守屋
┗○━(大部)豊日‥‥稲守━(有道)氏道
228 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 08:31:11
物部一族は奥羽にゆかりがあったのか?
229 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 09:11:39
>228久自 → 常陸國久慈郡だぞ! 大丈夫か?
230 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 09:21:54
231 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 10:21:23
>230
228は、陸奥國糠部郡久慈郷(→岩手縣久慈郡)と勘違いしてるのだろう。
田使姓・・・難波・清水氏
宮道姓・・・蜷川氏
建部(阿保)姓・・・比企氏
233 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 19:24:52
K−1の武蔵は蜷川氏の子孫らしいが宮道姓とは別流だろうか
同じ
235 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 07:24:01
862 :日本@名無史さん :2006/05/16(火) 02:48:38
藤原南・京・式家の生き残りは公家に居ない
863 :日本@名無史さん :2006/05/16(火) 09:43:40
南家流は皆無ではないはずだが。
864 :日本@名無史さん :2006/05/16(火) 21:03:23
子孫が絶えた京・式
236 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 19:26:48
系図は書かれてある通りに見ても無意味。
たとえば下野国の宇都宮氏は、藤原氏北家の藤原道兼の後裔の藤原宗円を祖とするとされるが、
下毛野氏子孫説ほかがある。
このように、藤原、源の子孫の系譜を持ちながらも、古代氏族の子孫説のある氏は意外と多い。
これは、藤原氏の者が、下毛野氏の娘に子種を孕ませたということだろう。
子供は、母親の家である下毛野氏の方で育てるため、下毛野氏の家の子となる。
しかし、藤原氏の種だから氏の血筋の上では藤原氏の子になる。
下毛野氏としては藤原氏と結びつくことが有利と判断し、その子の父の藤原氏を、その子を基点にして祖にし、
藤原氏後裔の系譜を作る。
地方の豪族の大半は、このようなもので板東の平氏も、古代氏族の子孫だが、都から下向してきた平氏の子種から
系譜を平氏に変更したものが大半。
237 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 21:04:37
公式系図にも母方記しているのでは?宇都宮氏系図に下毛野氏娘と記載されているの?
238 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 23:53:33
>都から下向してきた〜
中央貴族から養子を迎えたとか、配流された貴族から氏が発生
したとか、地方に活路を求めた中央貴族が地方に下って武士の
起りとなったという所伝自体を疑問視すべきでは。源平藤などの
貴姓を称していても、実際の血縁関係はないことが殆どだろう。
239 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 00:27:47
父親から「認知」されたらいいのか?
小野朝臣横山党のようなのですが帰農しますた・・・orz
日中韓(日本・唐・朝鮮のほうがいい?)で氏のバリエーションてどんなもんです?
源、平、藤原、橘、高階、紀、(大)伴、菅原、大江、在原、土師、小野、秦
丹(治比)、日奉、私市、越智、惟宗、多々良、日下部、安倍、阿部、大蔵、蘇我
物部、息長、佐伯、坂上、滋野、金、清原、穂積、忌部、良岑、文室、尾張、有道
井上、葛井、海部、毛野、
姫、呂、曹、徐、黄、馬、劉、孫、ウォン、チェン、王、関、張、趙、毛、江、
金、李、張、黄、ペ、朴、チャン、リュ、チェ、イ、ノ、
242 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 19:04:26
嵯峨源氏以後に賜姓された皇族で源平以外ってありますか?
243 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 21:18:49
在原
>>238 秀郷流藤原氏は母系(下野国鳥取氏)で繋がってる。
坂東八平氏などもそうだろう。
在地勢力が王胤貴種の血統を取り入れる。
ただ、系図で見ると父系で繋がってる。こういう所が詐称だろう。
読み返すと説明が悪いか。
王胤貴種は種付け馬みたいなもんで、その子供は母系の在地豪族の地盤で成長する
みたいな感じ。
在地豪族化した王胤貴種もいたようだが。
246 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 23:17:06
>241
姫なんて思いっきり周の王族限定の氏なんだが、
ときどき陜西省あたりの貧しい農民の姫さん
とかTVにでてきて「周の文王の末裔なのかな?」とか思う。
247 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 23:44:56
縄文系どころか倭人系の苗字ってあるんかいな?
ほとんどが皇族か半島系の姿勢ばっかじゃん。
>>242 嵯峨・・・春朝臣
淳和・・・統朝臣
仁明・・・貞朝臣
光孝・・・滋水朝臣
>>247 神別の天神系
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
_ -―-- 、 _
, ', -、ヽ'´ `'´, -、ヽ
! { / ゙ } i
ヽ`ー,' ● _ ● ゙ー'ノ
` ! , '´ ▼ ヽ l" な、なんだって──!?
/ `ヽ i ○ i ノヽ、
ヽ./ `==ァ'⌒ヽ==' ヽ/
ヽ, {(^) } 〈
! ヽ!l__,ノ ゙
252 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 06:55:42
>>236 宇都宮は中原氏の後であると系図に明記されている
海野一族(滋野朝臣)が清和源氏に比肩すべく、
清和皇裔を仮冒したことは常識と思っていたが。
254 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 15:17:47
宇都宮って天王寺で楠木に負けた宇都宮?
256 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 14:34:34
その後の平群氏は?
258 :
日本@名無史さん:2006/05/24(水) 09:55:42
確か中世の場合、源平藤橘等の貴姓は、主典(近衛将曹・兵衛志・馬属・八省録・職寮
の属の類)には建前上は任命しないという習慣があったらしい。
逆に実際に任命する時は、藤原は藤井、橘は立花とか仮の姓をつけたらしい。
それで平の場合は平群にしたそうだ。(源は忘れた。)
あるいはそれを逆手にとって平に化けた平群もいるかも知れない。
それにしても平群って伝承ではすごいけど歴史時代にはいってからはぱっとしない。
259 :
日本@名無史さん:2006/05/24(水) 14:52:26
平群氏出身の人物ってだれですか?
260 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 20:38:26
伝承時代の大臣は別として奈良時代でも五位くらいになったのはいくらかいるけど、印象
に残るようなのはあまりいない。
続日本紀によると763年に渤海使を送る判官に任命されたけど船がぼろくて乗らなかった
奴がいる。それで代わりの責任者が帰路に事件を起こしたので名前が残った。
けど別に処分もされなかったみたいで後に五位になっている。平群姓で名前は虫麻呂だっ
たかな?
平群女郎(へぐりのいらつめ)
越中守大伴家持に贈る歌「君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも」
平群朝臣広成 天平五年、第九次遣唐使の判官
帰路、季節風に流され南ベトナム漂着。現地人に襲われたりして、一五〇人以上の
死者を出しながらも捕虜となって最後の生き残り4人に入る。唐の商人に買われ(?)
て長安に戻る。阿部仲麻呂の奔走により、同一〇年、渤海に渡る。
一一年、日本に向かう渤海使節に便乗。この時も嵐にあって正使の乗った船は難破
するが、広成の乗った船は無事に到着。帰国を果たした。
帰国後は順調に出世して、最後は武蔵守となって武蔵で没した。
平群朝臣虫麻呂 第七次渤海使を辞退。
>>260の説明通り。
262 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:32:33
平群広成さんかわいそう・・・
263 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:23:48
仲麿のほうがかわいそうかも
264 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:25:02
吉宗の母親は郷士平群氏?
あれは巨勢氏だろ
tes
268 :
日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:09:59
小氏族が源平藤に吸収合併されていったのが中世〜近世?
269 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 01:48:28
菅原氏で公家に残ったのは?
>>269 高辻家や唐橋家などいくつかある
文章道を家業としていたので、
公家社会でそれなりに生き残ったのだろう
271 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:13:58
古代には「成り上がりもの」いなかったの?
「豪族」出身ですらないものからの
272 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:25:07
柿本は?
石見の大族、御神本・益田氏を柿本人麻呂の後裔とする
「石州益田系図」なるものがあるが、果たしてどうかねぇ?
275 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:24:38
紀寺の奴益人→紀朝臣益麻呂→田後部益人
解放(764)→紀朝臣賜姓(764)→従六位上(765以前)→従五位下(765、三階)→正五位下(767、
二階)→陰陽頭(767)→伯耆介(770)→従四位下(770、二階)→免官・田後部に改姓(771)
奴から四位まで行ったのはこの人くらいでは?
羽栗臣翼(?〜798。父は遣唐使の従者)
正七位上遣唐録事(775以前)→外従五位下遣唐使准判官(775、五階)→大外記→勅旨大丞→
丹波介→内薬正→侍医→左京亮→内蔵助→正五位上(797)
276 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 20:45:27
>>268 熱田大宮司家や奥州藤原氏みたいに
平安時代から始まっていたんじゃないか?
>>276 熱田大宮司家は結果的に
藤原氏が乗っ取った家だよね。
278 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 11:11:53
戦国時代熱田大宮司家は結果的に
織田氏が乗っ取った家?
279 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:53:19
鎌倉北条氏が平氏というのも怪しいとか
>279
それは昔からよく言われてるよ。
281 :
日本@名無史さん:2006/06/19(月) 19:57:39
百済王氏って結構三位の人がいるのに、なんで参議はいないの?
>>279-280 関東は源氏じゃなくてもともと平氏が広く土着して拓いた土地柄。
平氏系の武士団はたくさん存在している。
北条氏が平氏の流れでもおなしなことは何もない。
古代地方豪族の流れでもおなしなことは何もない。
285 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 07:12:27
北条が平氏であることは間違いないが(熊谷氏の庶流)
時政は平氏嫡流ではなく庶流の庶流。
熊谷も北条も平氏の庶流の庶流でしょ。
別に北条から熊谷が分かれたわけではない。
どっちも平直方流。
スレタイ嫁。平氏はお腹いっぱい。
よし、じゃ熊谷つながりでいうけど
熊谷は平氏流という説と別に丹治比氏(古代の丹遅真人)という説もあるぞ。
これでどうよ?
前にちょっと話題になった平群氏
8世紀の内五位以上官人の数(倉本一宏氏の「日本古代国家成立期の政権構造」より)を見ると、
大伴宿禰154、阿部朝臣163、巨勢朝臣82、紀朝臣177、石川朝臣139、
石上朝臣62このあたりの多士済済組にはまけるのはしょうがない。
それでも平群朝臣も30と数では健闘しているんだけど、
同程度の粟田朝臣35、小野朝臣35に比べても印象が薄い。
というか半分程度の中臣朝臣16、佐伯宿禰14より全然目立ってない。
中臣と佐伯が少ないのが意外だ。少数精鋭って感じか?
やっぱ平群はスターはおろかタレントクラスもいないないからな。
語部 笛吹部 白髪部 六人部 刑部 山部 海部 川人部
>>293 あのね。
288=292=漏れ、なんだけど。
熊谷氏は丹遅氏から分かれた私市氏のそのまた分かれと自称している。
(自称だから史実とはまた別ね)
しかし、熊谷氏は武蔵七党のうちのどれか(丹党ふくめて)に専属はしていない。
丹党や私市党の旗頭を務めたことはあるようだがこれも自称であって事実かどうかはわからない。
仮に事実としても一時的な雇われだろう。実際は独立系の零細領主。
>熊谷氏は丹遅氏から分かれた私市氏のそのまた分かれと自称している。
ソースきぼん。 熊谷氏=私市党説は仄聞しているが、
丹遅氏から分かれたという私市氏の存在を知らない。
私市党の出自は但馬国造か千葉国造と言われてるが。
>>295 いやだから熊谷氏は私市党じゃなくて、独立系の零細領主。
所領はちょうど丹党と私市党の中間あたりに位置しており
丹党とも私市党とも離れている。
私市党は系図上(だから史実とは別ね)では但馬国造でしょう。
千葉国造って説はきいたことないのでむしろソースください。
私市氏が丹遅氏からわかれたというのは熊谷系図の独自の説。
初期の熊谷氏は自分らの出自について丹党と私市党の両者に
等距離で親近感をもっていたことの表われかとも思うが
よくわからない。
千葉国造説は但馬国造説の批判に立った憶測であって、ソースは無い。
但馬〜説を採ると、わざわざ但馬から武蔵に移動している理由が不明瞭なの
で、『日本後紀』に見える「千葉国造大私部直善人」の族裔と考えた方が自然。
しかし早くにも千葉国造の系譜は失われたらしく、『姓氏録』に「大私部/開化
天皇皇子彦坐命之後」とある記述を誤解し(大私部直は大私部の伴造)、自ら
を彦坐命の子孫すなわち但馬国造の系譜に結び付けた・・・・というのが大要。
千葉国造と但馬国造は単純に大私市部同士で同族だったんでしょう。
遠く離れていても出雲国造と武蔵国造みたいに同系を称する例はある。
直がついてる方は伴造で、ついてない方は部民でそ。
301 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 20:00:42
続日本紀とかに下道朝臣がちょいちょい出てくるけど、あれは吉備真備の親類?
うむ
303 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 01:22:18
地下官人の中には懐かしい名前が・・・・
大宝元年以後維新までコンスタントに各世代で五位以上を出し続けたのは、
藤原朝臣は当然として、あと神官を除けば、
中臣朝臣→大中臣朝臣と、土師連→土師宿禰→菅原朝臣くらいかな?
土師→大江朝臣はどうだろう?
地下の大伴は古代の大伴の系統じゃなさそうだし
>地下の大伴
何かあったっけ?
306 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 18:47:57
土師といったら大江の前に菅原でしょう!
土師って言ったらまずは秋篠(土師氏最初の参議)?
後はぱっとしないけど
土師氏の系統は良くわからないけど、とりあえず古人は土師の四腹の一派の中の嫡流にかなり近い筋(強大化従兄弟程度)かな?
秋篠安人の父は 宇遅(宇庭)か? 千村か?
分からん
310 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 20:40:28
大江広元は大江氏のとおりでいいのか、
それとも中原氏なのか、藤原氏なのか
わからん
311 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 21:45:09
わかるよ
312 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 23:48:01
土師氏の四大氏族のうちの最後のひとつはなんという氏族?
大枝?
314 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 01:37:28
秋篠?
315 :
日本@香具師:2006/07/22(土) 04:17:04
天皇宗家出身の皇族から下野した家系、天皇家と縁戚関係を結んだ
以降に貴族に列せられた家系、さらに皇族を中心とした縁戚関係から
派生したと言われる家系が氏姓(官職のシンボル)を受けたのが始ま
りで、支配階級を意味した氏姓が地方に散った後も細々と繋いで武士
になり、あるいは豪族となり、後に○○源氏、○○平家を代表として
歴史の表舞台に台頭し、ひいては源頼朝、足利尊氏、徳川家康(自称
源氏)といった征夷大将軍というそれぞれの「幕府」の始祖となった。
日本は、皇族の末裔が地方支配層を作り、地方支配層から天皇宗家
を支える図式を作り上げて今日に至る。国民の苗字とは意味合いが違
うのであるが、苗字の多くはこうした支配層たる氏姓制度になぞらえ
て好きな苗字を名乗って定着している。
四大氏族等は、本来の氏姓(世襲官職)を繋いでいる家系である。
なんて香具師が炒っちゃっていいですか。
316 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 05:03:15
むしろマイナーな古代からの氏族名を名乗っている人間のほうが本物末裔?
317 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 05:18:54
>>315 そんなわかりやすい歴史なら教科書もいらないよね。
土師の四流のうち一流(桓武に連なる流れ)は大枝→大江
残り三流は菅原か秋篠を適当に名乗れってことだったみたい。
なんか後に秋篠から菅原に改姓した連中もいる。
あと多分末流なのか、従属民で血縁関係がなかったせいか土師のままだったのもいる。
後に土師から改姓したのもいる。
319 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 17:41:43
土師氏の4大氏族は互いに血縁関係はなく、親族関係を擬制していた
だけなんですよね?
320 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 18:30:53
従属民=「部」のつく姓の人間?
321 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 19:10:42
>>316 マイナー氏姓の多い地下官人なんかほとんど
成り上がり者が養子縁組で家系を乗っ取ってる
322 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 19:22:19
うちの近所に物部姓の人が住んでいるけど、
まだ生き残っていたのか、と思ったね。
部が井に変化した物井姓の人も、元は物部。
どうも大江は土師の中でも傍流だったらしい。
秋篠安人と菅原古人(道真の祖父)が兄弟ってのはどの程度信憑性があるんだろう。
325 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 23:03:42
源平藤橘につぐナンバー5は結局何?
菅原じゃない?右大臣にまでなっているし。皇族出身ではないところがやや不利か。
藤原だって神別だし。
関白だした豊臣というのもあるが、実質わずか二代で終ったから。
平安中期以後で言えばむしろ菅原は橘以上では?
清原とかも同様。
菅原に1票
330 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 21:52:45
やっぱ菅原でしょう
菅原に一票
錦小路、土御門もよろ
332 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 04:14:30
高階氏に萌え。
美人で才女が多そうな気がする。
具体的には、高階貴子、高階栄子しか知らないが。
子孫はどうなっているのかしらん。
近世になって有名なのは、堀尾氏だけ?
安倍氏が上古の阿倍氏とつながっているなら一票入れたいところだが
陰陽家はたぶん別系統だから
334 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 23:49:34
唐橋もいいな〜
でも本家菅原に一票
336 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 09:40:22
豊臣姓は木下家が名乗り続けた
337 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:30:05
>>336 さすがに宗家が滅びるとナンバー5とは言い難い。
細々生き延びた感じだな
338 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 22:02:55
そんなことはない
菅原は5位だよ
339 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 23:13:09
>>337 宗家といっても秀吉だけだし、枝族もほとんどない
そこがナンバー5になれない弱み
源平藤橘菅□
↑
じゃあ、次も決めようか
生き残りでは清原と卜部かな?
卜部は出だしがしょぼいけど。
343 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 07:44:35
344 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:34:59
↑何の関係があるんだろ
345 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 23:51:01
見ちゃだめだよ〜
346 :
482:2006/08/05(土) 00:04:19
ブラクラ!?
各天皇の派生氏族を分かりやすくまとめたサイトない?
350 :
日本@名無史さん:2006/08/14(月) 21:42:47
菅原が日本一ぃぃぃ!!
351 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 12:23:30
唐橋在数惨殺事件
352 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 20:58:22
俺の苗字が唐橋なんだが・・・
353 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 21:04:16
天皇家
中臣氏
忌部氏
が御三家
354 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 21:32:23
355 :
352:2006/08/17(木) 20:02:10
ははーっ
ありがたく頂戴いたしまする。
356 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 00:25:46
菅原なら唐橋より高辻だろ?
357 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 22:53:03
確かに橘が氏長者を九条家にとられたことを考えると
菅原はがんばってると思うよ
紀、角、秦、金、多、笠、都、菅原、日奉、私市、越智、惟宗、多々良、坂本
日下部、吉備、大蔵、蘇我、石川、田口、桜井、林、佐伯、忌部、尾張、井上
葛井、海部、毛野、車持、三原、朝野、槻本、藤井、小槻、三善、大神、大石
豊原、丹波、中原、山部、凡河内、斎部、安曇、山上、山口、鳥取、平群、木津
檜前、高志、三津、壬生、和気、弓削、阿刀、丸子、椋橋、牡鹿、漆間、野見
柿本、賀陽、高麗、大野、巨勢、美努、高向、粟田、高市、氷上、吉美侯、三宅
伊勢、英保、伊和、他田、丈部、息長、息長丹生、山道、波多、坂田、南淵
道守、三国、酒人、丹治(丹・多治比)、為名、路、守山、甘南備、飛多、英多
大宅、大原、島根、豊国、山於、吉野、桑田、池上、海上、清原、香山、春日
高額、橘、登美、蜷淵、当麻、三島、小野、淡海、高階、三園、笠原、氷上、岡
文室、豊野、三原、永原、春原、惟原、広根、良岑、長岡、源、在原、久賀、平
統、文室、春、貞、滋水、物部、石上、春道、曽祢、有道、穂積、(大)伴
卜部、中臣、藤原、大中臣、井手、布施、阿部、安倍、完人、高橋、許曽倍
阿閉、竹田、名張、百済、高野、菅野(津)、県犬養、坂上、伊蘇志、栢原
滋野、土師、秋篠、大江、飯高、猪名部(春澄)
ちょっと足したけど氏、多すぎ。
何から引用したのか知らんが、
選択基準や順序が不可解だな
完人は宍人(シシヒト)の誤りかと思われ
三原が2つある。
朝臣と何だっけ?
>>359 公卿補任とか新撰姓氏録とか。
順序は天皇別に古い順からにと思ったが、収拾つかなくなった。
362 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 00:56:22
菅原を仮冒した前田家の正体
中国の和邇族(現ハニ族)。日本で和族。北九州奴の国の王家。
奴の国滅亡後、和邇氏族原家は尾張国海東郡で斎藤系前田家に婿入り、前田を称す。
和邇氏⇒和邇氏族原家⇒和邇氏族斎藤家⇒斎藤前田家=江戸時代=菅原氏族前田家
同族に和邇氏族阿倍家。大和筒井家。柳生家もいる。
あー、やっぱりそこだったかw
本物の王族は少ないはずだ。常識で考えれば分かる事
まーねw
でもそこまで詰めてしまうと、上代における「王族」「豪族」と
いう概念自体も改めて問い直す必要があると思うんだよね。
互いに婚姻しまくってるから血は王族も各氏も入り混じってるけどね
ウチの先祖は古代豪族としての系図を名門一族に改竄し
東北人も天皇カルトに洗脳され、今や蝦夷である事を恥とするようになった
この「韓国の総国民捏造」みたいな卑屈さには情けなくなります
371 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 21:58:14
でもそうしなきゃ生きていけなかったのかもしれないしね
天皇家と物部連の先祖は空飛ぶ鳥人間
>>370 白紙の上に書いてるから
捏造ではなく妄想だね。
>>365 和邇氏を海人族とかいってるアホは完全なる電波。
>和邇氏を海人族とか
これは正しいと思うけど。海部と深い
関係にあったことも指摘されている。
古代〜中世、大江氏は歴代秀才を輩出し参議など高官にいたった
人もいるそうだけど、息子に馬鹿が生まれたときはどうしたんだろうね
没落の一途
378 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 10:22:31
大江、菅原は勉強ができなかったら、ただの役立たずだからね
芸事が家職の家柄ならごまかしも効くが
学問が家職で頭悪かったら話にならん
379 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:35:37
菅原も大江も先祖は相撲の神様なのにね
菅原氏の五条家は相撲のアガリが入ったから
頭悪くてもなんとかなったかもしれないな
381 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 13:37:15
しかし、百済の王子のとか、
新羅の王子のとか胡散臭いと誰も思わないのか?
まぁ、そんな奴って向こうでも金と学はあったんだろうけど。
でも油谷町の楊貴さんは楊貴妃の子孫ってはガチっぽい。
聖徳太子がなんか建ててあげてたったかな?
382 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 13:40:40
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383 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 15:18:43
百済王氏だけはガチ
>楊貴さんは楊貴妃の子孫
十二分に胡散臭いからww
源朝臣徳川征夷大将軍家康とどっちが怪しい?
387 :
柿本:2006/09/16(土) 21:08:53
柿本氏も氏のはず!
天皇の后を多く輩出した和邇氏の支族であり小野の妹子や山上憶良などと同族で、柿本人麻呂などが有名。
なにか姓名で二番目の位である朝臣をもらっている。
春日大朝臣
390 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:33:20
中世以降で柿本朝臣名乗っていたのっている?
多分いないだろう。
>>274の話くらいしか知らない。
392 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 18:31:53
平家または平家関係の名字には「鬼」という字がつくそうなんです。
私の叔母が「鬼」という字が名字についてて先祖は平家と母に教えたそうなんですが鬼がつくと平家の人物って本当ですか?
教えてください。
そうですおばさんは平家の末裔あなたも平家の末裔です
ついでに部落民も平家の末裔で有名です
そしてここは源平藤橘以外の氏姓のスレです
スレタイ読めないのかヴォケ
394 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 22:31:20
でも「鬼」がつくのは海賊や山賊のことだと聞いたことあるが・・・
関係ない?
395 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 22:34:25
海賊は苗字に鬼が付くってのは聞いたことあるな
396 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 16:50:20
いたよ。ちょっとはググリましょう
398 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 18:17:49
>>397 すいません;
勉強になりました ありがとうございます
九鬼は称藤原姓
400 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 14:50:03
百鬼はやっぱ平家じゃないですか?
百目鬼(どおめき)さんも平家?
百目鬼も四月一日もみんなへいけへいけ
403 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 16:48:53
百鬼って源氏かもしれないと他の板に書いてあったけど平家でおkですか?
404 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 17:47:54
マルも平家モロも平家
平家みちよも平家
>>404 華族と同じ苗字のエタヒニンがいるように、苗字で出自はわかりません。
そしてここはマイナー氏姓のスレであり、源氏や平家などのメジャー氏姓は除いた氏姓のスレです。
406 :
405:2006/09/30(土) 18:02:55
百鬼という名字の奴が無知でしつこいってことはわかった
408 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 18:09:40
糞スレ
409 :
日本@名無史さん:2006/10/03(火) 00:10:45
>>375 いや、電波だろ。
和邇氏と海部氏の関係なんて具体的になにかあるか?
どうせ和邇氏のワニとはワニザメのことで
どうたらっていうこじつけネタだろ?
海部氏系図と和珥系図を見れば分かるよ
411 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 20:58:37
和迩の本宗は小野氏
春日、柿本は後付け
春日小野臣→小野臣な訳だが
413 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 00:48:47
家康以前の松平氏は在原朝臣を名乗っていたのか?
本当にそうだとしたら、大逆点だな
在原姓というのもかなり怪しいが
415 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:40:44
廬原って氏姓は確認されてないのかな?
廬原って苗字がわずかに残ってるが、廬原国造や豪族の子孫だったりしないかな…
五百原
418 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 21:30:54
「忌寸」の姓の大名はいないよな
419 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 05:41:27
>>417 dクス
だが、氏が何かわかんないな〜
それに、庵原でなくて廬原って名字が存在してる理由が…
>>418 秦氏は忌寸姓じゃなかったっけ?
とすると長宗我部は忌寸姓だったということか。
江戸時代以降の大名ではいないんじゃないかな。
秦氏ってそこまで解かってるものなの?
秦氏は結構研究されてるよ
トンデモ本も多いけどね
423 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 16:03:38
長宗我部氏は惟宗朝臣を名乗っていたようだ
秦氏の多くは平安期に惟宗朝臣に改姓している
>惟宗朝臣を名乗っていた
ソースきぼん
長宗我部の祖は秦能俊と言われてる。
惟宗に改姓しなかった秦氏も多いぞ。
伏見稲荷社家とか地下の三上家とか。
改姓したのとしなかったのの差はどういう理由だったんだろうね
島津は惟宗氏なのに清和源氏を称してる?
それともどっちも信憑性ない?
島津家の家系図はどうなってるんだろ。
コピペだけど
つ
徳川光圀が編纂させた諸家の系譜集に、 − 島津氏はもと惟宗氏、
忠久から義久、義弘までは藤原氏を称し、家久に至り清和源氏をとなえ −
とあるのが『大日本史料』に出ていて、江戸時代はじめになって、
源姓に三転したようになっているが、竹内理三教授も指摘しているように、
室町期に源姓を名乗った「日隅薩三州大守島津陸奥源忠国」という
古文書も残っている。忠国は、忠久から数えて第十代の当主である。
また、島津氏の分族で重臣でもあった山田聖栄が、文明二年(1470)に
書きはじめた「自記」にも、家祖忠久は、源頼朝の子であったという伝承が
記載されていて、これが『島津国史』や『西藩野史』の忠久伝の原拠と
なったとされているが、この伝承は、それよりもなお五十年前の広永末年ごろ、
島津家内部では自認されていたという研究が、鹿大の三木靖講師の
『薩摩島津氏』にも載っている。
ttp://www.town-takajo.jp/syoukai/tyosi/007/002.htm
その後は源氏をとなえていたということだね?
正親町三条実愛が作成したと言われる倒幕の密勅でも源朝臣だったよね
>>158 409 名前:可愛い奥様 [] 2006/11/05(日) 21:34:07 ID:a9SHUcPX
在原も加茂も、願望的可能性の一つとしての仮説にすぎないことをお忘れなく。
普通に考えて、その辺の農民の大規模になったものが松平家の開始。
こんな返しが来ました。
その辺の農民てw
山賊の間違いだろw
431 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 13:00:13
松平益親が地頭職にあったことや、松平信光が
三河守護細川成之の要請をうけて兵を動員したことをしらんのだろう。
その辺の農民が一、二代のうちにこのような地位にはつけない。
だよなあ
>>64 徳川家の葵紋は本多家(賀茂朝臣だけど藤原朝臣を自称)の葵紋にインスパイアされたもの
本多家はもとは賀茂神社の神官の流れ
天皇が桐紋を下賜しようとしたら、うちには先祖縁の葵紋がございますのでって蹴ったんだよな
435 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 15:30:11
大岡は社家出身
437 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:18:58
徳川は源氏じゃねーの?清康の代には新田支流てゆう伝承があったらしいじゃん!
>>429 こういうレス見ると鬼女板は低脳とキチガイしかいないと言われるのもわかるな
無知なのに自信たっぷりなのが笑える
山賊というのなら、
解からない訳でもないかもしれない。
440 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:07:16
↑ほんま!ほんま!
441 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 15:13:27
松平氏が在原姓てのはどういう文献にでてるんですか?
442 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 16:47:53
松平氏が在原姓というのは、どういう文献にでてるんですか?
なんで二回言うんだ
444 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:47:38
在原姓だったら堂々と名乗るのでは?
一応、皇族だし。
松平太郎左衛門信重は在原姓。その長女に婿入りした親氏は賀茂氏。
ちなみに信重室は賀茂有(在)親(親氏の父)の娘、つまり親氏のおば。
信重の次女に婿入りし親氏の跡を継いだ泰親がいわゆる新田姓徳川氏。
しかし泰親の後、3代目を継いだのは親氏の子信光で、家康はこの
子孫なので、彼は血系では賀茂氏、家系では在原姓松平氏となる。
源姓を名乗れる根拠は、遠い先祖の2代目が源氏だったということだけ。
そういや長野業正は本当に在原姓だったんだろうか?
そーすきぼん
系図の冒頭だったかで「在原業平後裔の石上朝臣」と書いてるんだっけか。
ほう。石上の在原寺と関係あるんじゃないの?
451 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:02:06
>445どういう文献に書いてあるんですか?
おまえしつこい。自分で探せよ
453 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:42:31
伊藤博文は越智氏らしいけど、伊藤やのになんで藤原氏ちがうねんやろ?
どうせ嘘っぱちだし
>>453 林家(称越智氏)の生まれで、伊藤家の養子となったんだよ
457 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 05:04:02
>455なるほど!養家の氏は名乗らんかったんやね
458 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 04:45:41
他の維新の元勲の氏ってどんなかんになってるんですか?桂家や木戸家はやっぱり大江氏かな?
藤原朝臣実美
菅原朝臣重信
藤原朝臣利通
平朝臣正形(退助)
平朝臣隆盛
大江朝臣孝允
板垣って相当怪しくないか?
>>460 1 板垣退助の旧姓は本当に乾なのか?
2 乾は本当に板垣氏の分流なのか?
3 板垣氏は平氏なのか?
4 それがちゃんと繋がるのか?
こう見ると確かに怪しいな。
板垣に限ったことじゃないでしょ。
下級武士あたりは事実か事実じゃないかは別にして
客観的な説得力を持つような系図ってあまりないんじゃないか?
463 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 21:13:50
板垣は、甲斐源氏名乗ってなかったっけ?西郷隆盛は菊池裔名乗ってたから、藤原朝臣じゃないの?三条、岩倉は本物でしょ!公家やし
そりゃそうだ。
465 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 22:33:18
マニアックな氏姓の著名人いてないかなあ
斎部宿禰信成
>466
平姓を仮冒したからちがうな
島津って何者?
源平の頃は平家方じゃない?
469 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 12:04:48
島津は惟宗朝臣姓
宮道朝臣昭生
養子や跡継いだ娘婿の姓で変わ(え)るんだよね
島津なんかもそうだっけ
472 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 06:19:36
滋野朝臣幸村
滋野氏はほんとに清和帝裔?
473 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 15:31:52
安倍頼時
阿部仲麻呂
475 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 09:54:40
前田慶次郎菅原朝臣利益
476 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:08:50
矢野弾左衛門秦大忌寸集房
477 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:14:16
大江氏も平城帝裔に非ず。土師氏の裔
奥平九八郎有道宿禰信昌
479 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:01:00
高武蔵守高階真人師直
通称がわからんので授領名で
480 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:01:47
470>誰のこと?
よくそんな器用なアンカー出せるな
482 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:57:18
483 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 04:44:12
>482ありがとう
485 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 17:30:21
486 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:26:33
487 :
日本@名無史さん:2007/01/31(水) 01:49:09
最近、メディアで注目されてる歌手が菅公の子孫らしい。
489 :
日本@名無史さん:2007/01/31(水) 06:24:40
恵美の子孫は絶滅か
>>487 いったいどういった末裔なのかも一切公表してないね。
芸能リポーターも調べ切れなかったらしい。
本名も分からんし、歌に合わせた宣伝じゃないかと思ってる。
道真の末裔というくらいなら家系とか云々じゃなくて当てはまってもおかしくないだろうし。
誰のことかサパーリだが菅公みたいな超有名どころを持ってくる辺り
偽者臭がぷんぷんするぜ
今はブランドっぽいけど元々菅家は位も低くてそれほど高貴ではない。
各地で天神祭りがあるけど、やってるのは菅家や菅家ゆかりの人じゃないし、どちらかっていうとアレなひとがおおいし(これは祭り全般かな?)、名乗っても価値が上がるともおもえない。
平安や鎌倉時代に名乗るなら信用してもいいかも。
どうせ偽称するなら、そのころは源氏や平氏のほうが益が多いもんね。
で、誰なの?
平安や鎌倉時代に名乗るならまあ信用してもいいかも
で、誰よ?
>>492 高貴かどうかってのは問題じゃないし、
源氏や平氏のほうが益が多いって意味不明。
偽称ならなおさら。具体的になんの益があるわけ?
高貴って尺度なら一部を除いて源氏や平氏だってほとんど馬の骨レベルだろうが。
d。やっぱ知らないやw
しかし本物だとしても売るために出自を利用するのはなんか下品なキガス
ご先祖様をヒジョウに尊敬しているからなんだよきっと
しかし道真の後裔って歌を売るにはつくづく微妙な…
498 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 04:52:24
菅直人は?
499 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 09:01:36
菅原朝臣って言っても同族とされる秋篠朝臣(多少怪しい)からの改姓もあるし、
同族関係が怪しい土師諸流(宿禰・連・無姓)からの改姓もある。
また菅原姓でも宿禰や連等からの後からの改姓もある。
土師でさえなく、やはり同族とされる出雲(多分嘘)からの改姓もある。
もっとも菅原自体、土師の本系かどうかもわからない。
道真もはっきりしたことは曾祖父までしかわからないし、
必ずしも菅原の主流だったとは言えないかも。
道真は一族の出世頭ですから、象徴的な人物として直接関係のない人もそう扱ったんでしょう。
道真登場以前に分岐しているにもかかわらず、同族だっていってたのが、いつの間にか子孫だっていう風になってたりしていって・・・。
まあ古人系は間違いなく道真の同族だから、子孫のふりしてもまだ罪が軽いが、
あとはわかったもんじゃない。
大隈でも菅原が名乗れるんだお
>>494 では、利益もないのに何故偽称などするわけ?
何らかの利益があるから偽称するんでないの?
道真公からすると、血が何年もかけて薄まったうだつの上がらない直系子孫が道真公の業績にすがるより、
怪しげでもいいから道真公の業績に恥じない功績で菅原の名を上げてくれるほうが喜ばしいのではないのか。
その点、大隈も立派だったし、彼が道真公の名を汚したことにならない。
先祖を誇りに思うなら、それに負けない立派なことをしてくれよ。
今では学問の神様として受験生にも人気なんだから。
それと菅直人に関してだけど、江戸末期の公家に多額の献金をして菅公末裔のお墨付きをもらったそうだから、
がたがた言うのだったら、お金を返してから文句をいえよ。
まあ、どちらも情けなくて言葉を失ってしまうわ。
少林寺拳法と中国の少林拳の関係に似てて、どちらもかっこ悪いよ。
まあ宮家の女王がやりマンな位だし
505 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 06:50:40
加賀百万石の前田家も立派だよ!柳生も!
506 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 07:14:23
高円宮承子さんのヤリマンビッチ具合はすごいな
>>503 何かに強い思い入れがあるのは分かったが、
言いたいことは意味不明だ。
508 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 11:32:09
道真が官僚生活を始める頃には古人流が菅原の嫡流って言うのは、
すでに菅原諸流のコンセンサスと思われる。
多分大枝以外の土師諸流にとっても嫡流だったんだろう。
それと同時に嫡流兄弟中で一番学問ができる者が、
兄弟順や母親の身分にかかわらず当主ってのも暗黙の了解だったのでは?
509 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 07:59:42
で結局真相もへったくれもわからないまま収束か。
偽称や売名行為と言われても仕方ないくらいのウンコだな。
大方、合格ソングの話題づくりだったんだろう。
薄汚い商売だ。
オリコンで順位上げてるな・・・
511 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 21:19:41
大内って卑姓のくせにやたら高位高官に就いてるな。
512 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 15:34:20
>>511 大内義隆に至っては、時の将軍義輝よりも高位だったりするよな
513 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 18:28:29
室町以降、諸蕃で殿上まで昇ったのは大内だけ?
そんなことはないと思うが
諸蕃で殿上て他にいる?
丹波氏(錦小路家)って諸蕃じゃなかったっけ?
>>516 丹波氏は坂上氏の支族を称していた。しかし「大同類聚方」等を
見る限りは、素直に丹波国造の末裔と考えたほうが妥当らしい。
518 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 00:11:12
すでに豊臣姓にはなっていたと思うが、宇喜多秀家は最初は諸蕃姓だったのでは?
519 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 00:14:45
え!? 宇喜多氏は児嶋姓だと思ってた
児島というか三宅姓な。新羅王子天日槍の裔。
王氏だけど、平安初期の有能国司、春枝王や苦情きまくり国司の中井王て系譜関係どうなってるの?調べてもわからんかった。あと興世王も。皇統譜からもれてる諸王がけっこういる。
>>521 春枝王は高市皇子の玄孫で(たぶん長屋王の曾孫)、仲嗣王の子。
子が高階姓を賜っている。 『系図纂要』清瀧氏に忍壁親王の玄孫と
するのは、脱文のある『続後紀』の記事によったために犯した誤り。
中井王は全く不明。日田氏の系図に鈴鹿王の子とするが明らかな仮冒。
興世王も不明。 『皇胤志』に伊予親王の玄孫とするが、やはり疑わしい。
ちなみに国司関係で触れておくと、弘宗王は舎人親王の子孫(玄孫?)。
中井王は後に文室真人を賜ってるらしいから、長親王の子孫かなと思う。けど日田氏は大蔵姓とあるし、真偽のほどはよくわからん
系譜なんか分からん諸王の方が圧倒的に多いって
けど知りたくなるのが系図ヲタのさが
そうだよね、額田王とか石川王とか舎人王とか厚見王とか(ry
額田王は宣化帝玄孫で額田鏡王の娘。石川王は敏達帝の孫で難波皇子の子。子孫に道鏡の師匠の路真人豊永がいる。後はわかりません。
>>527の系譜はやはり『皇胤志』などが典拠。まず疑ったほうがいい。
僕は古代豪族系図集覧ていうのを参考にしたんですが、その皇胤志ていうのは、かなりあやしげな文献なんですか?
百家系図稿(鈴木真年)・皇胤志(中田憲信)など
→古代氏族系譜集成(宝賀寿男)→古代豪族系図集覧(近藤敏喬)
これがおよその流れ。 真年や憲信は明治の国学者であり、いわゆる系図家。
自ら南朝皇族の子孫を称していた憲信は貴種・落胤に強い関心を抱いており、
それが『皇胤志』編纂の端緒となっている。 ところが、その内容はというと。。
古代豪族系図集覧をお持ちなら、このページを参照するとちょうど良い。
ttp://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/hentaf/20010812.html >一応は近代史学研究の学統の末端に位置する私としては、鈴木眞年・中田憲信(歴史上の人物として
>敬称はつけません)の伝える系図の記載を鵜呑みにすることは致しかねるところであります。
>それらの系図は、史料としての伝来過程の詳らかならざるものが少なからず、よって、
>史料批判をすることなく使用することは、専門が異なるとは雖も史学を研究する者としては、
>研究者としての見識に関わる一大問題であり、少なくとも私個人にはできないことであります。・・・
プロの方だったんですね。僕の方はまったくの素人です。これからも御教授おねがいしますm(_ _)mさっそくなんですが、皇胤志における興世王の伊予親王の末という説は、なにか根拠はあったのでしょうか?
プロではないんだがな〜。まぁ構わない。
中田憲信『皇胤志』から興世王の系譜を引用しておくと、
伊予親王 ─ 継枝王 ─ 三隈王(紀伊守) ─ 村田王(伊勢介) ─ 興世王(武蔵権守)
他史料による裏付けが取れないので、この系譜の出典を明らかにすること
は出来ないが、同書にはもう1人「興世王」が見えていることは興味深い。
仲野親王 ─ 十世王 ─ 時世王 ─ 興世王
と記してあって、後から「興世王」の上に線が引いてある。 削除した印だ。
(自筆稿本だから、校訂跡は所々に見られる) あえて穿った見方をすると、
憲信は初め仲野親王子孫説を支持していたが、後に伊予親王子孫説へと
乗り換えたのだろうと思われる。 この可能性を示唆する本がある。 それは
『皇胤志』より以前に刊行された、鈴木真年の『史略名称訓義』(明治12年)。
真年はこの中で興世王の系譜について、「父祖ノ名不見」としつつ、「或云
仲野親王孫時世王ノ子トアリ」と述べており、憲信はこれを見たに違いない。
この説の出典もやはり不明だが、仲野親王王子が皆「世」を通字としていた
ことに基づく作為ではなかろうか(当時は父子で通字を用いる慣習がない)。
なお、付言しておくと、興世王より前に藤原興世という人がいた(?〜891)。
その父を藤原村田という(『尊卑分脈』藤原南家)。 これは偶然だろうか?
当時、父子での共通の通字の慣習ありませんが、なかには高見王―高望王の様な例もありますし、仲野親王子孫説は前から僕も思ってました。 三隈王や村田王自体の名は資料等にはでてるのでしょうか?(系譜関係ではなくて)
>高見王―高望王の様な例
2代はたまにあるが、3代連続はかなり珍しい。
>三隈王や村田王
『皇胤志』はもっともらしい系図を書いておきながら、
その皇族名が他史料で裏付けられないことも多い。
興世王の系譜もその例に漏れずといった感じ。
535 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 23:35:28
マイナー王氏の話題もいいんですか?
くだらのこしき
こきし、こにきし だろ?
こしきせんむ
>なお、付言しておくと、興世王より前に藤原興世という人がいた(?〜891)。
>その父を藤原村田という(『尊卑分脈』藤原南家)。 これは偶然だろうか?
なるほど。馬脚を現すと言ったところですね。
ところで528=530=532=534さんは、皇胤志や百家系図稿などをお持ちなんですか?
私の知る限り、これらはマイクロフィルムでしか発売されていなく、しかも高価な
もののように記憶しているのですが。
540 :
528:2007/05/11(金) 01:22:37
東京在住ということもあって、図書館を活用している。
皇胤志は古代部のみ、日本歴史研究所から購入した。
百家系図と諸系譜に関しては、マイクロフィルムがあり、
国会図書館や大学に行って閲覧している。 コピー可。
百家系図稿だけは、未だ目にする機会すら得ていない。
その他、近代デジタルライブラリーや東大史料編纂所
のデータベースに採録されている著作もいくつかある。
>537
元大関w
542 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 19:46:02
前九年の役の安倍氏はほんとに浮囚の長?受領系の土着豪族が浮囚と婚戚になった末裔にも思える
家系がちゃんとしてるのって摂家・清華・大臣家くらいじゃない。
羽林・名家クラスでも系図が怪しげなのがある。
武家なんて偽系図のオンパレードだし。
藤原氏の始祖を辿れば偽系図
摂家の近衛ですら養子だらけだというのに
546 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 16:54:45
私も鈴木真年や中田憲信を受けつく系図家を目指しています。
皆さんの希望があれば皇胤系図を作ってあげますよ。
そっちじゃなくて太田亮を目指してくれYO
あの根気は現代人には無理
549 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 00:45:25
偽系図なんて作るの簡単だよ。
それは、すぐ見破られるような偽系図だろ。
って、偽系図だらけじゃん。
言ったもん勝ちだろ?
552 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 10:51:40
源平藤原の系図は信用できないが、ではマイナー氏族の系図だと信用できるかというと、全然そんなことはない。
明治になって、源平藤原のありがたみが薄れると、あえてマイナー氏族の系図を作らせて喜ぶ傾向も見られるようになったためだ。
たとえば井伊直弼の家系を三国真人につなげたり、越中石黒系図を礪波氏の子孫としたりするやつだ。
これらは系図家鈴木真年、中田憲信らの創作とみられる。
>井伊直弼の家系を三国真人につなげたり
井伊氏がもと三国氏であるとか、皇別とかいう説は、
すでに室町期の書物には見えていたと記憶するが。
555 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 18:31:06
井伊氏の場合は、共保が井戸のそばに捨てられていたのを藤原共資が拾って育てたのが井伊氏の始まりだというが、
これは一種の始祖伝承で、もともと井伊氏には共保以前には確固たる伝承がなく、
冬嗣5世の共資につなげるためにこのような伝承が考え出されたものだろう。
また共保の母系は三宅氏で、井伊氏はもともとは三宅姓を名乗っていたという説もある。
明治になって、三宅などという卑姓を嫌って三国真人の末ということで系図を整えたのではないだろうか。
共に土師宇庭の子、つまり兄弟説のある菅原古人と秋篠安人。
でも多分兄弟ではないようだ。
さてどちらが宇庭の子なのか?実はどちらも違うのか?
結構出世したらしいのになにやら正体不明の宇庭った何者?
557 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 00:06:54
三国真人もたいがい、卑姓でないかい?全く著名人がいてないと思うけど
天武天皇後裔の高階・文室・清原・氷上を除けば、
真人姓の著名人なんて片手で数えられる数だろう
559 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 01:29:42
井伊共保の子孫・日蓮の実父である貫名重忠は、
当時から三国の大夫と呼ばれていた。
これは日蓮の弟子・日興が真筆で記してある。
つまりは鎌倉時代にはすでに、
井伊氏が三国の子孫だとゆう事が認められていたんだ。
ちなみに日興は大井氏である。
三国大夫は良しとしても、
>井伊共保の子孫・日蓮の実父である貫名重忠
この系譜が問題なんじゃないか?
日蓮の実父が貫名重忠というのは、弟子による権威づけじゃないかな。
562 :
日本@名無史さん:2007/05/14(月) 23:59:03
>>558 継体帝にひっついてきた公(真人)姓豪族なんてかなり怪しい奴らばかりで
563 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 04:48:55
継体帝の出自は確だと思う。三国真人について詳しい系譜が知りたい。
564 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 05:20:58
565 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 15:46:58
継体天皇の出自が確かだったとしても、真人姓の出自が確かってことはイコールじゃないよね。
567 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 19:21:36
ごもっともやと思いますが、最低でも八色の姓制定時くらいまではまだいけるんとちがいますか?当時から考えてたら、枝分かれしたのがそんな過去の話じゃないし。あんまり素性のはっきりしない豪族に真人姓はあたえないでしょ
568 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 22:49:38
継体帝の出自は越と近江の豪族連合の親玉だよね
で連合豪族が公姓になったんだよね?
569 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 23:27:34
人足は養老年間まで活動してるぞ。
明らかに世代が足りなくないか?
だね。朱大王なんてありえん。
572 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 17:21:00
高齢出産やったんじゃない?
573 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 18:27:44
世代的に、絶対にあり得ないわけではないけれど、
>>569系図は世代が省略されている可能性もあるね。
同系図では奈良後期に活躍した山村王も、来目皇子の子供になっちゃってる。
ただ、素性の知れない何某が、突然飛鳥や奈良の朝廷に行って、
「王にして下さい」「真人姓を下さい」と請願して、それが許され、
朝政に参加できちゃうことの方が、可能性としては低いし、非現実的。
574 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 19:17:09
山村王の場合は確実に世代が略されてるでしょうね
575 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 19:52:49
素性の知れないと言えば、真人姓を賜った茨城公と高橋公。
ちなみに、三国公の出自について、
書紀や姓氏録は椀子皇子の後とするけど、
記は大郎子(意富富杼王)の後としている。
576 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 20:42:03
というか、古事記は酒人公(そして恐らく坂田公も)も意富富杼王の後としている。
茨城公や高橋公の素性が知れないというより、
それ以外の公→真人氏族が、姓氏録編纂時まで存続したため、
幸い素性が知れているといったところだろう。
577 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 22:53:15
紀記て、ところどころ食い違いがあるけど当時の編者はつじつまあわせはしなかったんかな?ちなみに僕は紀派です。
578 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 23:44:55
684年真人賜姓氏族
守山氏、路氏、高橋氏、三国氏、当麻氏、茨城氏、丹比氏、猪名氏、坂田氏、羽田氏、息長氏、酒人氏、山道氏
半分くらい北陸系の名前だな
>ただ、素性の知れない何某が、(中略)可能性としては低いし、非現実的。
それがあるんだよね。六国史(及びそれ以降)にいくつも事例がある。
もちろん記載されてるのは発覚したものだけで、実際はもっとあったんだろうな。
てゆうか発覚したものの中にすら、うやむやにされてしまったものがいくつかある。
手引き・仲介した人間が高位・高官者(時には皇族とか)だった場合とか。
581 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 04:44:06
582 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 08:23:25
>>580 神護景雲元年(767)11月17日。
參議從三位治部卿兼左兵衛督大和守山村王薨。
池邊雙槻宮御宇橘豊日天皇皇子。久米王之後也。
延暦2年(783)9月2日。
近江國言。除王姓從百姓戸五烟。口一百一人。
戸主槻村。井上。大岡。大魚。動神等五人。並山村王之孫也。
其祖父山村王。以去養老五年。編附此部。自尓以來。子孫蕃息。
どういうことだか、わかるよね?
583 :
日本@名無史さん:2007/05/17(木) 23:38:45
>>581 延暦元年(782)6月14日
宍人建麻呂之男女。神野真人浄主。真依女等十四人。弟宇智真人豊公。改偽真人従本姓。
初建麻呂冒称仲江王。事発露而自経。其男女亦偽為真人。至是改正之。
584 :
日本@名無史さん:2007/05/18(金) 05:28:59
偽アリスみたいなんがいっぱいいたのねぇ
無位無官の一般市民の冒称だろ。
偽称なんて、しようと思えば俺にだって出来る。
逆にこの記事から見えるのは、王族を詐称するということが、
バレれば主犯が自ら首くくるほどの大事だったってことじゃないか。
586 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 09:53:51
>>582>>581 平安時代には良国王という人物も現れたね。本姓大蔵。
もちろん本人はうまく逃げおおせて、首などくくっていないw
これらはあくまで氷山の一角で、詐称してばれない例も多々あるだろう。
ほほう
588 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 15:33:12
そういう偽王の人たちって、バレずにいけた時って王族としての官途にはついているのかな?それでないと偽称する意味がない。
正親司は一体何をやってるんだッ・・・
590 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 20:42:43
>>586 私の記憶だと、叙位に際して「良国王て誰?」という話になって、諸々調査の末、
謀略企んだ公家や名簿作った敦平親王が問責や停職をくらい、良国王も捕縛されたんじゃなかった?
くわしいいきさつキボンヌ。
591 :
日本@名無史さん:2007/05/19(土) 22:22:16
そんな時代からすると、偽藤氏、偽源氏、はては南朝後胤まで
いったもん勝ちの時代はいいな。
てゆうか、系図で皇胤となっている者の、半分以上は冒系なわけで
593 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 09:42:21
>>588 ばれない場合は、本物と区別がつきませんw
てゆうか、皇族詐称の目的は、官位より免税特権を得るためと思われる。
>>591 系図などいつの時代にも言ったものがちです。
後世の大名・土豪の粉飾系譜と
朝廷内で代々働く王氏・中央藤原氏・堂上源平の系譜を
同列に論ずるのはどうかと思うぞ
596 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:19:34
中央でも地下官人だとかなり怪しい系譜が多いんじゃないか
地下官人は、人類であるというだけでも詐称だからな。
地下も堂上もないよ。みんな怪しい。
確かなのは神官くらい。
系譜の仮冒は神官から始まった、みたいなことを太田亮氏が
書いてた気がするが。 祖先の系譜を祭神に結び付ける類ね。
んじゃ天皇家も怪しいって事になるな
堂上で怪しいのって何?
602 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 20:41:38
養子が入り乱れてるくらいじゃないの?
603 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 20:45:44
少なくとも土御門(安倍)家が阿倍御主人の子孫とは思えないが
清原姓の舟橋・伏原もそうだな
605 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 03:02:10
どんなふうに怪しい?
押小路は怪しいっていうより明らかに偽者だね
まちがえた
押小路じゃなくて富小路ね
608 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 04:21:46
富小路は2回養子相続がある
室町時代に家を興したのは偽物だけど
江戸時代以降は血統的には藤原氏
いくらなんでも先代、先々代が生きてて、捏造はできないのに、
俺は何でもおみとうしさ、俺はすべてを知っているのさ、
とわけわからん妄想抱いて難癖つける人が多いのも事実。
610 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 19:50:43
大江氏は、本来は神別だが、平城天皇の子孫を詐称している。尊卑分脈ですら皇胤扱い。
ほかには、楽人の豊原氏は渡来系だが大津皇子末裔だといい、
惟宗氏は醍醐天皇の子孫だという。
清原氏ものちの船橋家の系統は海宿禰の末だという。
やはり皇別を詐称するものが多い。
天皇は後宮があるから子供もいっぱい出来たんだろ
612 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 05:23:22
海スクネてなんじゃらほい?
なんじゃらほい、と言われても、古代豪族じゃほい、としか‥‥
この氏族の人間が天武の扶養氏族だったため、天武裔を冒した。
(天武の諱「大海人」や和風諡の中の「瀛」はこれによる)
大江氏も先祖の本主の娘が阿保親王の乳母だったため、その裔を冒した。
614 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 06:03:09
名前からさっするに阿曇氏とは同族の綿津見神の裔なのかしら?
その通り。同族です。
綿積豊玉彦の子、宇都志日金折の子孫が安曇氏で、
その弟振魂の子孫が海氏です。
616 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 10:47:57
朝臣導入以前の氏姓制度がよくわからん。
例えば源氏朝臣姓の家康なら正式な名乗りは「源朝臣家康」だけど、それ以前の国造等の場合はどうなの?
ウィキペディアで氏姓制度の項目を見たら国造姓は君姓や臣姓を名乗ったとあるが、
「紀国造臣○○」みたいな感じで二重に姓があったってこと?
それと、国造から朝臣になった氏があるが、国造のままの氏もあるの?
出雲や紀が今でも国造というのをどっかで見たが、ウィキだと明治の時点で残ってた姓は朝臣、宿禰だけとなっててよくわからん。
土師連で大江朝臣等に改氏姓しなかった人たちはいないの?
あと、おすすめの本はありますか?
从*゚―゚)教えてエロい人
職名としての国造と姓としての国造は一応別物です。
○○国の国造職で姓が○○国造とか×△直とか□○臣とか。
どうも臣姓が一番格が高いらしい。
後のは○○国造の他にただの国造の姓を持つ者もいる。
○○国造の氏が○○直とは限らん。××直のこともありうる。
(もちろん直以外の姓のことも)
例えば、武藏國造笠原直使主とか、火葦北國造刑部靭部阿利斯登とか、
攝津國造從七位上凡河内忌寸石麻呂とか、吉備國造從四位上上道朝臣斐太都とか、
陸奥大國造正四位上道嶋宿禰嶋足とか、阿波國造正六位上粟凡直豐穗とか、
下海上國造他田日奉直コ刀自とか、讃岐国造佐伯直とか、
千葉國造大私部直善人とか、安房國造正八位上伴直千福麻呂とか。
もちろん同じ場合もある。山背國造外從八位上山背忌寸品遲とか、
大倭國造大倭忌寸五百足とか、出雲國造外從七位下出雲臣廣嶋とか、
武藏國造外從五位下武藏宿禰不破麻呂とか、上野国造外從五位下上野佐位朝臣老刀自とか、
紀伊國造正八位上紀直豐嶋とか、尾張國造尾張宿禰小倉とか、
大和國造正四位下大和宿禰長岡とか、從五位下伊豆國造伊豆直乎美奈とか、
丹波国造正六位上丹波直眞養任とか、飛騨国造從七位上飛騨國造祖門とか。
あ、上野は違う方に入れるべきだな。粟もそうしたんだから。
ちなみに自立性が高いのは公(君)。有名なところでは毛野とか筑紫。
土師連のうち主流が土師宿禰となり、傍流(傍系の他に擬制的血縁を含むか?)は土師連
に止まった。
その後土師宿禰のうちでも主流と思われる者が菅原宿禰または秋篠宿禰に改姓。
この時点で菅原と秋篠どちらが嫡流かは不明。後に少なくとも主流は同時期に朝臣となる。
大枝系は土師宿禰の中では傍系だったようで後に大枝朝臣となっている。
秋篠朝臣は後に御井朝臣ないし菅原朝臣に改姓した者がある。
これ以後でも土師連から土師宿禰に、土師宿禰から菅原朝臣・大枝朝臣への改姓有り。
また菅原から大枝への改姓有り。
そのほかに日置臣・日置造・日置首等から菅原朝臣への改姓有り。
>>617 ありがとです。
ってことは○○国の国造職で「○○国造」と表記されるけども、姓は臣だから正式な名乗りは「○○臣」で、
逆に伴造職だけども姓は国造だから「○○国造」が正式な名乗りの場合があるってことですね。
なんかややこしいな。
622 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 11:42:33
上毛野君の武蔵国造合戦への介入や、筑紫君磐井の反乱とか、
まあ大和朝廷への服属度の弱さというか。
もちろんずっと土師連だった人もいるが、何せそういう人は史料に残りにくい。
>>623 ありがとうございます。
他にも主だった公はどんなのがありますか?
>>もちろんずっと土師連
なるほど、単に寺社家や武士階層にいなかっただけですか。
親戚の家の系図が土師連で、藩からの書状でも土師連となってたので気になってました。
あと、朝比奈氏を調べてる一環で九努、素賀、廬原の国造について調べてるんですが、これらの名乗りが
>>618のように載ってる書籍は知りませんか?
625 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 17:07:44
天孫降臨に同伴した五伴緒の子孫はそれぞれ何氏になったのですか?
中臣氏と斎部氏ぐらいしか後世に名前が現れませんが
廬原国造は庵原公だろ
久努国造は久努直かな?
627 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 01:30:35
628 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:34:00 BE:873264757-2BP(0)
足利や新田のような確たる系譜がある一族ならともかく、それ以外の有象無象の
武士たちはなぜ源平藤橘の姓ばかりを詐称したのでしょうか。葛城や物部、蘇我
といった古代に滅びた一族の後裔を名乗った方が後ろめたくないし、「我が一族
は上代に天皇家に仕えた名門である。天皇家の分家に過ぎない源平や歴史の(比
較的)浅い藤原なんかなにするものぞ」などとかっこつけられたと思うのですが
。
安藤将軍
630 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 22:53:24
>>628 現在有力な勢力と同じじゃなきゃ任官や外交等に効果が薄かったんだろう。
現に
>>624が上げてる朝比奈や岡部、庵原、興津、入江等の中駿の土豪は皇別(神別?)廬原国造後裔と思われるが、軒並み藤原氏を称してるし。
それに、マイナーな氏族だと資料が少ない上に入手しづらいから系図が書きづらいだろうね。
だから蘇我や物部が源平藤を仮冒してる可能性も多いにあるのではないかと。
631 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 01:37:17
俘囚の長が藤原氏になったり、熱田神宮尾張氏が藤原氏になったり
婚姻を介してうまく源平藤にすりかわったんだろう
632 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 02:20:25
猿女君の嫡流はどこよ?
稗田阿礼は傍系だけど
633 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 02:47:34
猿女君の男子は何してるの?
634 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 08:59:38
大蔵一族なんで、名前だけだどれば前漢皇帝の劉邦にたどり着きますた。
635 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 10:04:45
>>634なんの話?猿女君やったらさかのぼれば猿田彦よ
636 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 18:56:12
サルタヒコの男系子孫と
アメノウズメの女系子孫がいるんだな
637 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 19:30:51
>>628 やっぱり藤原氏以外では皇胤が圧倒的に人気がある。
いつの時代にも藤原氏以外の神別を名乗るくらいなら皇胤、それも出来るだけ近いのを選ぶでしょ。
当然源平となる。
前近代の人たちは別段古代史ヲタではないからな。
後朝廷のほうでも五位以上の人間はなるべく源平藤原であってほしいという心理があったしね。
638 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 19:34:25
↑それについて詳しくしりたいっす!!猿女氏て名前はよくきくけど、詳細がまったくわからない
中世だと源平藤橘は下級の官(主典)には任命しないって習慣があって、
任命するときは平は平群とか橘は立花とか字を変えたらしい。
逆に言うとそれを逆用して平群は平に化けたかもしれない。
640 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 15:16:53
天孫降臨に関連する一族
ニニギ:天皇家
・五伴緒(いつとものお)
アメノコヤネ:中臣連
フトダマ:忌部首
アメノウズメ:猿女君
イシコリドメ:作鏡連
タマノオヤ:玉祖連
・三種の神器と共に添えられた常世の神
オモイカネ:信之阿智祝
アメノタヂカラオ:
アメノイワトワケ:
・天孫降臨を先導した神
アメノオシヒ:大伴氏
アマツクメ:久米氏
ニギハヤヒ(天磐舟に乗って大和に降り立った神。ニニギの兄):物部氏
641 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 21:56:41
中臣の嫡流は藤波だけど
斎部や物部の嫡流はどこなの?
642 :
日本@名無史さん:2007/05/29(火) 00:29:12
インベの嫡流はどこかの織田神社の神主じゃね?
643 :
日本@名無史さん:2007/05/29(火) 01:19:49
俺の友達は蛇の子孫だ、
この板の人ならわかるだろうが…
644 :
日本@名無史さん:2007/05/29(火) 01:23:24
俺は熊の子孫だ、この板の人ならわかるだろうが…
646 :
日本@名無史さん:2007/05/29(火) 01:57:28
643だが
おれは水島の戦いで平家に味方した妹尾氏の子孫だ、
もちろん岡山出身、在住。
647 :
日本@名無史さん:2007/05/29(火) 07:43:05
>>542 土着受領(権守・介・掾クラス)だけど系図を失い、自分を俘囚系と
勘違いするに至った氏族のような気がする。
648 :
日本@名無史さん:2007/05/29(火) 20:34:32
649 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 01:40:30
物部の嫡流はどこよ?
石上
651 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 12:31:10
石上氏は現代でも健在なの?
石上大朝臣はどうもその後名乗る者がいないから絶えたらしい。
石上朝臣はいるから兄弟か従兄弟くらいの子孫はいたんだろう。
653 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 13:28:41
654 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 19:22:04
伴善男の子孫はどうしておるのだ?
角栄やムネオ、秀吉、清盛と同系列の人物だと思うが、子孫はどう生きたのか?
655 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 19:39:04
■日本VSハンガリー クリック戦争【GAME4】勃発!!■
ハンガリー国民総出の大逆襲、 捲土重来の猛攻撃!
現在、1位のハンガリーに大差で苦戦中!
奇跡の逆転優勝のために 集え2chクリッカー!!!
☆☆ 一番クリックした国が優勝 ☆☆
【本スレ】
ttp://wwwww.2ch.net/news4vip/にいって「クリック」で検索
ってかマジで大変なんでお願い!!おまいらの力、貸してくれ!!
伴氏最後の参議で朝臣を賜姓された保平をはじめ、中央地方とも善男の子孫を称する伴氏
はいるけど、どうもどれも少なくとも直系子孫ではないようだ。
伴宿禰とは無縁なのも混じっているらしい。
直系だと少なくとも孫まではいたけど、その後はよくわからない。
なれたとしても下級官吏だろうな。
657 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 21:27:14
作鏡連、玉祖連の嫡流ってどこ?
五伴緒の中でも地味な二氏
658 :
日本@名無史さん:2007/06/09(土) 14:54:30
主要な真人はすべて朝臣になったとおもうが
真人のまま中世まで続いたのってあるの?
659 :
日本@名無史さん:2007/06/09(土) 16:24:03
>658
清原氏とか。
>>652 石上神宮の宮司が確か石上氏の子孫だった気がする。うろ覚えだけど。
石上神主は布留氏
662 :
日本@名無史さん:2007/06/09(土) 18:40:22
布留氏つうたら皇別氏族だべ
和珥氏族か
664 :
日本@名無史さん:2007/06/17(日) 02:28:07
age
665 :
日本@名無史さん:2007/06/23(土) 21:19:44
和邇氏つうたら滋賀県やじょ
わに⇒春日⇒布留(山辺郡)
667 :
日本@名無史さん:2007/06/28(木) 13:49:12
準ミス日本で和迩さんていたよね
668 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 21:39:30
江戸時代で、士分になるとき、届けますよねぇ。そのとき、苗字だけでなく、姓も届けますよね。
これって、いつごろまで続いたんですか?
明治の最初は必要でしたよね。
伊藤博文が武内すくね(字がでない)とか山県が清和源氏とか、必要だったんですよね。
また、絵描きが落款押すときもなるべく必要だったんですか。
社家も
武内すくねって何だよ
越智宿禰だろw
671 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 11:01:50
670さんへ
伊藤俊輔武内宿禰で何か間違ってますかねぇ?
あなた、もう少し勉強した方がよろしいですよ。
その程度の見識で日本史板にいるなんて、どうかと思います。
673 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 05:11:04
>>671越智宿禰やと思います。それとも、幕末は武内宿禰て名乗ってたの?
>>671 博文が武内宿禰の生まれ変わりってかww
675 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:31:00
武内宿禰はカバネなのか?
678 :
日本@名無史さん:2007/07/30(月) 18:58:24
いやぁ、釣れた釣れたw
679 :
日本@名無史さん:2007/07/30(月) 20:37:01
暗黒神話曰く天海も武内宿禰です
人のいない学問板で釣りなんてよっぽど暇なんだな。
×暇
○友達がいなくて寂しい
683 :
日本@名無史さん:2007/08/16(木) 04:35:01
明智光秀の惟任て何ですか?氏?苗字?
氏
685 :
日本@名無史さん:2007/08/27(月) 10:55:31
大神姓の苗字
686 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 18:34:37
age
687 :
日本@名無史さん:2007/09/14(金) 08:13:19
大神姓と言えば、児島惟謙
688 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 23:05:32
もとは大三輪朝臣
689 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 23:12:26
大神氏といえば犬神家だろ
690 :
日本@名無史さん:2007/09/27(木) 13:41:32
阿蘇大宮司家
691 :
日本@名無史さん:2007/10/04(木) 18:24:17
局務のうちどうして清原は堂上になって中原は地下のままだったんですか?
清原は帝の侍読をつとめたりして出世する機会が多かったからジャマイカ
地下のままとは言っても上座じゃないか
上座でも地下は地下じゃないか
結局は出自じゃないの?
清原氏って真人姓だっけ?
海宿禰から清原真人へ改姓し、舎人親王の子孫を冒称
699 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 21:24:55
公家清原氏の本流(深養父の系統)はいづこへ?
701 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 04:39:37
出羽の清原氏の末は?
奥州藤原だろ
703 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 15:55:20
経清殿は清原氏じゃねーぜ!
704 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 16:39:08
出羽の清原氏は異父兄奥州藤原氏に滅ぼされました
705 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 16:43:24
>699
清原氏の嫡流は堂上家として公家社会に残りました
子孫は舟橋家と称し、江戸時代の家格は半家
明治時代は子爵になりました
堂上の清原真人氏は神別氏族で、もと凡海連→海宿禰姓。
一般に知られる舎人親王裔の清原真人氏とは全く異なる。
707 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 19:33:48
>706
堂上の舟橋家は、699で挙げられている清原深養父の子孫ではないの?
この系統が代々帝の侍読を勤めて近世に至ったのだと思っていたけど。
皇別清原氏は絶えちゃったんだね。
比較的後世にまで続いたのは出羽清原くらい。
下野清党と紀伊の貴志氏を忘れるなよ
711 :
日本@名無史さん:2007/10/20(土) 05:42:04
真人姓はことごとく消えたな
714 :
日本@名無史さん:2007/10/29(月) 04:45:29
平安期以降の皇別はみな朝臣やし
俺の名字在原なんだけど何か文句ある
皇別で当初から朝臣って在原が最初?
橘は宿禰→朝臣だし。
文武皇子の広成に石川朝臣、次いで高円朝臣姓(760年)を賜ったのが最初かと。
石津王や山背王への藤原朝臣賜姓(757年)もあるけど、これは特殊な事情だし。
ただ、実質的な朝臣賜姓の初めはやはり広根朝臣と長岡朝臣(787年)だろうな。
続いて、三原朝臣とか良峰朝臣とか春原朝臣とかが出て来る。
なんだか素性のはっきりしている方が朝臣になって、
怪しげなのが真人って感じになってくるんだな。
公から改姓も平安以後は朝臣の方が真人より有力な感じだ。
文室の朝臣と真人はどういう基準で別れたんだろう?
719 :
日本@名無史さん:2007/10/30(火) 17:21:08
厨真人厨女は素性しっかりしてるぜ
720 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 18:00:36
豊階真人は異常
光仁系は全部朝臣ってことでよいかな?
って言うか天智系で淡海真人以外に真人ってあったかな?
天武系は真人が多いけど、中には(多分天武の孫)無姓もいたな。
子孫が宿禰かなにか貰っているけど。
722 :
日本@名無史さん:2007/11/25(日) 02:29:38
光仁帝の兄の榎井親王の子孫が長井真人で、光仁帝王子の高橋に佐保真人を賜っている。桓武帝以降はいてるのかな?
>天智系で淡海真人以外に真人
大友皇子裔の永世真人と川嶋皇子裔?の美作真人がいるけど、
何れも淡海朝臣に改姓している模様。 後は春原真人とかかな?
>>722 美海真人・長井真人とかの系図の典拠は『皇胤志』だから要注意。
>>530参照
高橋王(佐保真人)が光仁帝王子であったことも史料に確認出来ない。
狩谷エキ斎は「『紹運録』によれば光仁皇子」とか注釈してたと思うけど、
これは稗田親王の子の高橋王(豊江王の父)を勘違いしているらしい。
725 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 18:42:11
あげ
726 :
日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:15:34
age
歴名土代の「石」「川」「橋」はなんの姓の略ですか?
728 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 00:17:25
石は石上氏、川は石川氏かな?橋はわかりません
729 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 01:31:39
高橋?
石は大石宿禰姓かと。
「橋」は高橋朝臣だな。内膳とか浜嶋とか注記がある。
732 :
727:2008/01/28(月) 21:42:32
>>728-731の皆さんありがとうございます。
川は石川かなとも思ったんですけど宗岳があるし違うのかな。
よくわからないですね。
733 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:37:33
除目関係の史料はマイナー氏姓だらけだな。
例えば、
応永22年(1415)3月26日除目(抜粋)
大和国 少掾従七位上田可朝臣殖時
河内国 少掾正六位上文宿禰友来
和泉国 少目正六位上道宿禰徳行
摂津国 大目従七位上宗岡宿禰行富
伊賀国 少目正六位上商長宿禰利幾
伊勢国 大掾正六位上家内連能富
三河国 少掾正六位上桜田連花重
遠江国 大目従七位上近義首信也
駿河国 権掾正六位上藤井宿禰花盛
伊豆国 大掾正六位上文屋宿禰書名
目従七位上村主宿禰殖苗
甲斐国 少掾従七位上道田連之沢
相模国 少目従七位上香山真人花蔚
武蔵国 大掾正六位上春道宿禰花香
下総国 大掾正六位上久賀朝臣大慶
近江国 少掾正六位上住吉朝臣松久
上野国 少掾正六位上新家宿禰良材
大目従七位上広根朝臣滋松
能登国 権掾正六位上檜原宿禰有風
越中国 目従七位上三国真人里寛
越後国 大目従七位上八木宿禰豊年
因幡国 目正六位上有道宿禰恵時
出雲国 少目従七位上池辺直松藤
播磨国 大掾従七位上桜井宿禰春行
美作国 掾正六位上池上宿禰藤盛
備前国 少掾従七位上山口宿禰松有
権目従七位上播磨宿禰幾春
備中国 少目従七位上五百木部宿禰茂山
備後国権少掾正六位上上道宿禰成業
安芸国 権目正六位上河瀬連浪音
長門国 少掾正六位上石上朝臣古野
筑後国 権目従七位上船木宿禰大綱
豊前国 掾従七位上民宿禰安久
肥後国権大目従七位上林連花滋
大隅国 権目従七位上伊水宿禰伊永
壱岐島 目従七位上豊国真人国安
735 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 01:27:34
この時代になってまだ八色以前の姓を保っているのはすごいな
736 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 01:55:03
信濃のマイナー氏姓は諏訪、金刺、滋野以外にありますか?
737 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 01:59:05
諏訪金刺は神氏
滋野もメジャーなんだが?
738 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 03:08:03
善光寺を興した若麻績氏とか?
>>737 金刺は多氏族だろう。
739 :
1:2008/01/29(火) 03:37:45
>>737 このスレでは源平藤橘以外を「マイナー氏姓」として扱うことにしています。
諏訪氏は神別・大三輪系、金刺氏は皇別・多系とされていますね。
実体上橘は菅原・大江あたりよりはマイナーな気もするけどね。
>>733-734 このあたりって公家の家臣・下級官人・献金した京の商人
そのあたりなのでしょうかね?
そうだとすると多少は信憑性があるのかな?
742 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 20:59:59
鎌倉室町期って庶民でも自分の本姓て把握してたんかな?
黒坂伸夫氏によると年官による掾とか目なんか架空の人物だったりするらしい。
744 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 05:47:49
天穂日命→野見宿禰→菅原道真
745 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 06:35:34
>>743何故に架空の人物に除位任官をするの?それで経費がおちるとか?
上皇・女院・上級貴族等が毎年あるいは2、3年に1回特定の官職(下位の者が多い)を推薦できる権利が年官。
本来は推薦された者からの礼金収入が目的だったらしい。
しかし下級の官職に意味がなくなると希望者が減ってきたらしい。
あまりいい加減な人物を推薦すると推薦者の恥になるし、いないのもみっともない。
そう言う形式主義的な意味で架空の人物を推薦することもあったようだ。
朝廷の側もわかっているが、どうせいてもいなくてもどうでも良いような職なので黙認か?
747 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 18:16:26
↑なるほど!解答ありがとうございました。
>>733-734 氏姓を見る限りでは掾の方が目よりはやはりいくらかは格上のような気もしないではないな。
もっとも連で掾、朝臣で目ってもあるけど。
広根朝臣って文武系だったけ?それとも光仁系だったかな?
見事なまでに正六位上と従七位上だけ。
一九世紀になると初位はともかく六位から八位は概ねそろってる。
江戸時代に入って儀式を復興し出した頃になって、
下位の位階も復活してきたのだろうか?
母方の祖母が、芳賀家の出身です
下野清党か
753 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 20:35:08
age
754 :
日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:00:18
菅原氏の嫡流ってどこですか?
江戸期の官位の面では高辻・五条・東坊城はほぼ同格のようですが。
まあ本来なら高辻なんでしょうが、一度断絶して東坊城の庶流として再興?
別系の唐橋はやや家格低そうだし、どこなんでしょう。
755 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 04:49:20
かの柳生氏が本姓菅原を名乗ってたらしい。
高辻家じゃないの
高辻家から五条も東坊城も分かれてるし
うむ。間違っても美作菅党ではない。
ところでなんで菅原庶流のうちで五条家が相撲の家なの?
他の家も野見宿禰の子孫には違いないでしょう。
極端に言えば大江氏もだし。
759 :
日本@名無史さん:2008/03/03(月) 00:46:21
だいだい相撲みたいな野蛮な格闘技は公家の家業にはふさわしくないw
江戸初期の「諸家家業」には相撲は入っていないところを見ると
財政難の五条家がシノギを得ようと、後付けで無理矢理野見宿禰の故事を付会したのでは?
まあ結局は吉田追風のほうにおいしいとこはもってかれたがな
760 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 20:54:34
髦ソ陂・ョカ
761 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:00:55
吉田司家は卜部氏系の堂上吉田氏と同族かとおもっていたが
そうではないみたいね
762 :
日本@名無史さん:2008/05/04(日) 19:11:22
柿本氏や山部氏や山上氏の裔ている?
763 :
日本@名無史さん:2008/05/05(月) 19:23:28
グクってもそれらしいのはでてこないな
石見・益田氏が怪しいというのがある程度
764 :
日本@名無史さん:2008/05/05(月) 21:29:02
こんなん見付けた。
柿本人麻呂:益田氏の祖先? 東大所蔵の写本に系図示される /島根(毎日新聞2007-10-22)
ttp://saint-just.seesaa.net/article/61995069.html >益田氏の祖先を、柿本人麻呂とする系図
>系図収集・研究家が3種類の系図を整理して明治時代にまとめたもの
>11代兼見以降の当主の没年が出てくる
どう見ても鈴木真年の「石州益田家系図」(『諸氏家牒』所収)です。
本当にありがとうございました。今更ニュースにされたことの方が吃驚。
大江姓北小路って十四世紀あたりの系譜で世代が最低でも一世代飛んでると思うんだけど、
本当に大江氏なの?
766 :
日本@名無史さん:2008/05/06(火) 21:26:57
俊宣の直前あたり?
大江信房─重房─信俊─維房─熈房─匡重─【北小路】俊宣─俊泰
『尊卑分脈』は熈房まで
『系図纂要』は信俊〜俊宣の間を省略
『地下家伝』は信房の次が匡重(重房は従三位で公卿)
>熈房─匡重
ここが怪しい? 分脈に匡重以下を繋げた感じがしないでもない。
768 :
767:2008/05/09(金) 02:46:35
やはり「熈房─匡重」に問題がある模様。宝賀氏は以下のように述べている。
> 『続群書類従』所収の「大江氏系図」では、信房の兄弟に挙俊、匡守、信房の子に匡重、重房、
>信俊をあげるが、これらは疑問であり、相当混乱している。匡重の系譜上の位置づけについては、
>「熈房─匡重─俊宣」と直系で続けてよいかは検討の必要がある。
> 『歴名土代』には、寛正三年正月五日に従四位上に叙せられた江匡国がみえ、俊宣が応仁三年
>二月七日に従四位下に叙せられているので、匡国は俊宣の父の世代に属するものと考えられる。
> これに関して、『諸系譜』所収の「北小路」系図には、熈房と匡重との間に二世代分の書込みがあり、
>熈房の子の世代に氏房、宣房、僖房の三人、その子の世代に匡允、村允、宣允の三人が記されている。
>これがどのような資料に基づくかは不明であるが、注目すべき記述であり、特に氏房、匡允の二人が
>熈房と匡重との間に入るものとうけとられる。(『古代氏族系譜集成』中巻、1045頁)
藤原氏だかマイナーな源氏だったのが誰かの時に大江氏に改姓したってどっかで読んだような読まなかったような・・・
770 :
日本@名無史さん:2008/05/14(水) 01:40:51
わざわざ大江姓に?
771 :
日本@名無史さん:2008/05/14(水) 21:41:23
772 :
日本@名無史さん:2008/05/15(木) 05:09:31
柿本姓て結構いてるのね
>>769 藤原道長─長家(御子左流祖)─忠家─俊忠─忠成─光能─大江広元
かな?
大江広元の実父は大江維光という説や中原広季という説もあって
よく分からないが。
774 :
磐井:2008/06/24(火) 01:16:46
筑紫君のその後についてご存知のかたおられますか?
海上て苗字の人は、海上国造か海上真人の末裔?
tes
氏が自称安倍の俺が来ましたよ。
ある意味天皇家より由緒正しいのにテラ蛮族w
ちなみに嫁の家系が自称安曇氏なんで子供が生まれたら百済復興させる
ピラフ乙
780 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 18:10:50
安倍氏ってそんなにマイナーでもないだろ
781 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:03:23
宇佐氏です
>>778 先祖が長脛彦ってあるいみかっこいいよな。
そんなうちは因縁があったりなかったりしそうな金氏です。
キムじゃなくて、こんなんだからね(><)
783 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:58:27
僕の家は物部朝臣です
784 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 21:07:32
じゃあ俺は楓朝臣
785 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 21:38:34
あの質問なんですが、私の友達に伴とかいるのですが、伴となのるものはやはり名門なんですか?
よく藤原名乗ってるものは明治以降の小作がつけたものとかいわれてますが、伴とかはどうなのですか?
786 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:52:17
>>785 名字だけじゃ先祖は辿れません
なので小作とみてよいのでは
伴氏って886年の応天門の変で一族断絶されてなかったっけ?
よく知らんけど、元々は大伴氏と名乗っていた
阿倍と阿曇の子孫なら料理人にするほかあるまい。
789 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:04:24
>>786 ありがとうございます
やはり管直人とか 管 紀 藤原 伴 秦などの名を今名乗ってるのは明治新姓による小作の仕業と思って間違えないでしょうか?もしくは本物の在日とか思った方がいいのでしょうか?
紀家末裔も紀姓名乗ってる中世武家公家なんていませんもんね。怪しいですよね
後世の伴氏というとまず思い出すのは、大隅の肝属氏と
三河伴氏・甲賀伴氏、あと鎌倉の鶴岡八幡の社家くらい。
例は少ないが、紀姓の武家公家もいるよ。
明治新姓?
菅茶山も知らないやつがいるよ
姓と苗字が一致する例も少ないのでは?
藤原紀香は桓武平氏だそうじゃないか
紀香はパチもんだよ。平氏と言ったり藤原氏と言ったりちゃらぽらんだしね
どっちにしても苗字と氏は別物
公家の変わった姓ぐらいしか苗字から出自はたどれない
それも在日が通名で名乗ったら終わりだしな
794 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 13:45:49
橘といえば(0M0)
795 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 14:12:15
じゃあDo As Infinityの伴や管直人、秦などの現代でダイレクトに名乗ってるこれらは在日か小作と理解してもオケということでしょうか?
どうも名家の姓と名字が同一の人見ると胡散臭くて仕方がないのですが・・・
796 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 14:15:40
毛
>>789 なんらかの言い伝えがあっただろうことまでは否定しないけどあくまで落人伝承的な胡散臭いのだけだろうし、
本来の子孫なら遅くとも鎌倉時代から伝わっているはずの名字を名乗らない点が不自然だからね。
藤原だけは小作以外にありえんでしょう。
798 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:21:55
半井 小絵 (なからい さえ、1972年12月26日 - )さんは、
和気朝臣の本家?
戦国時代から江戸時代にかけて代々宮廷医官をつとめた医家半井家(なからいけ)は和気氏の子孫とされる。
799 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 18:45:07
藤原惺窩
友達なら本人に聞けばいいのに。
平という苗字の人がいたが、単に地名(昔の村)が平だからというだけだった。
姓はきいてない。
>>795 そんなもんわかるかw
政治家は大抵は良家出身だけど、野中みたいなBもいるし
芸能人なんて9割9分在日かBだけど、1分貧乏公家の末とかもいるし
苗字から氏素性なんてたどれない。これが結論だよ
つか、自分に関係ない人なんてどうでもいいじゃん・・・
友だちなら家の歴史を聞いて、内容と史実を合わせて自分で判断すればいいしさ
他人がそんなに気になるかね
伴信友
803 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 20:29:19
>>801 >芸能人なんて9割9分在日かB
これはないわwww
804 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 22:56:25
確かにないが、四割クラスは間違いなく今でも在日かBクラスなのは間違いないと思わない?
ほとんど在かBだよ。人権問題板あたり見ておいで
893絡んでて人気だけの明日をも知れない水物商売なんて、普通の日本人ならやらないわな
肝付兼太さんなんかマイナーだが歴史だけは古い
名家の出身だけどな。
スネオ「僕んちは古代から続く名門さ。のび太のご先祖様って誰だい?」
サザエさんの先祖は上士だけどな
>>806 肝付氏は伴(大伴)宿禰姓でマイナー氏姓だね。
保
811 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 23:00:19
nn
812 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 23:14:39
伴大納言はメジャーなんだけどね
813 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 23:21:02
>>812バン大納言ってあの屏風だったか絵巻で有名な奴でしょ?高校で習ったよ
伴善雄だったっけ
伴大納言絵巻だよね
815 :
日本@名無史さん:2009/02/02(月) 10:34:25
日本史的には大伴家持のほうが有名だけど
伴トミコちゃんとちゅっちゅしたいお
やつは貴重ないいボーカルだったけどなぁ
818 :
日本@名無史さん:2009/02/04(水) 13:24:36
友達に「足利」っていう名字の人がいますが、足利家の末裔かどうかはわからないみたいです。
「足利」って名字も明治新性であったのですか??当時逆賊扱いの足利って名字を好んでつける人も
少ないとは思うのですが・・・。どなたか教えて下され。
>>818 維新当時は足利は逆賊扱いされてなかったよ
南朝正当論がでてきたのは皇国史観が盛んになった明治中期以降。
だからナンチャッテ足利さんだっているでしょうきっと
820 :
日本@名無史さん:2009/02/04(水) 14:57:35
足利には藤姓足利氏がいる。子孫が足利を名乗ったままだったかは知らない。
821 :
日本@名無史さん:2009/02/04(水) 21:18:59
東上野の大名の桐生氏が有名だよ
地下官人はマイナー姓の宝庫だそうですね
823 :
日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:14:54
蘇我氏
824 :
日本@名無史さん:2009/03/05(木) 17:19:45
官房副長官の漆間は本籍が大分だというから、宇佐神宮の漆島氏と関係あるのかな?
826 :
日本@名無史さん:2009/03/11(水) 12:30:39
足利
827 :
日本@名無史さん:2009/03/11(水) 14:35:25
その漆間も宇佐の漆島氏由来とする説がある。
829 :
日本@名無史さん:2009/03/13(金) 00:15:04
>>824 宝賀の古代氏族系譜集成だっけか?そんな名前のやつだが、あれには神人部宿禰とあるな。
830 :
日本@名無史さん:2009/03/13(金) 17:39:51
>>829 諏訪家が称していたのは「神人部宿禰」じゃなくて「神朝臣」。
彼らが神氏というか通称の一部に「神」字を付して名乗りだすのが
鎌倉中期以降のこと。
それに鎌倉期における諏訪家は上社系下社系ともに
北条得宗家の被官たる御内人として出仕していたが、
いづれも本姓を金刺と称している(小林計一郎『信濃中世史考』)。
つまり神なる姓氏は古来のものではないと考えるべき。
金刺(金刺舎人)はこのスレでいうところのマイナー姓氏に入ると思うが、
信濃、駿河の国造として知られ、多(太、大)氏同様、「神八井耳命之苗裔」とされる。
831 :
日本@名無史さん:2009/03/13(金) 18:08:02
>>830 そんなの知ってる。
そうじゃなくて、宝賀は神人部宿禰だと言ってるよなってだけの話。
>>831 そうか。でもその古代氏族系譜集成やらは
あまり参考資料になりそうもないな。
833 :
日本@名無史さん:2009/03/13(金) 19:15:42
>>832 何が言いたいかよくわからんが神八井耳命後裔で金刺舎人直金弓の孫の代に下社と上社の祖が分岐してて、
本来は共に金刺舎人氏だが下社は後に金刺氏になり、上社は分岐した代に神人部氏になっている、と。
上社は途中、神人部氏や源氏、神氏等に幾度も改めてるから金刺舎人或いは金刺に固執するのはどうかと。
養子も絡んでくるだろうし同じ金刺舎人氏の別れである神人部氏でも特に違和感は無い。
上社の正系が神人部氏を称したということを記している史料って
「古代氏族系譜集成」所載の系図以外にあるの?
諏訪は源氏だったり金刺だったり神人部だったりで系図が複数あるし金刺と神人部なんて初期の数代が違うだけだろ?
そんなのどうでもいいじゃん
おまいらもちつけ
836 :
日本@名無史さん:2009/03/13(金) 22:53:56
過疎スレがたまに賑わったっていーじゃないの。
837 :
日本@名無史さん:2009/03/19(木) 07:38:48
うちの先祖は、広元の娘さんを娶って大江姓になってました。
838 :
日本@名無史さん:2009/03/22(日) 20:40:21
神人部で検索すると万葉集の防人くらいしかまともなのが出てこないな。
>>837 広元は晩年になって大江に復姓してるけど、それまで中原氏の養子になっていたり、
本当は藤原氏出身という説もあったり不思議な人。
839 :
日本@名無史さん:2009/03/24(火) 19:26:16
真人姓の氏族は、
近世では長州藩の家老の国司氏しか残ってないの?
840 :
日本@名無史さん:2009/03/24(火) 22:44:47
国司は高階朝臣だが。
841 :
日本@名無史さん:2009/03/25(水) 21:27:34
高階真人から高階朝臣に何時変わったんだ?
842 :
日本@名無史さん:2009/03/25(水) 21:34:46
江戸期の堀尾氏も高階真人だよな。
熊本藩や松江藩の家臣として残っているよな。
843 :
日本@名無史さん:2009/03/25(水) 22:09:55
844 :
日本@名無史さん:2009/03/26(木) 08:02:17
真人のままにしてても不都合無いのに...
845 :
日本@名無史さん:2009/03/26(木) 19:43:43
高階が抜けて以降は、真人姓=清原氏がデフォルトだな。
ただしほとんど局務家清原氏の方だ(
>>706-708)。
846 :
日本@名無史さん:2009/03/27(金) 19:52:16
>>845 >>706-708のサイトでも、
仮冒とは言い切れないとはあるけどなあ。
女系で繫がって(婿養子など)で、
真人姓の清原氏を名乗っているのかもしれないし。
847 :
日本@名無史さん:2009/03/28(土) 09:46:47
本物の清原真人氏族から嫁を貰って、
その縁で猶子として認められて、清原真人を名乗ったのかも。
____
/ \
/ _ノ ヽ、_ \ 朝廷では藤原朝臣とか源朝臣ばっかり
/ o゚((●)) ((●))゚o \ はばを利かせてるんだお…
| (__人__)' |
\ `⌒´ /
____
/ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 真人なんて呪い師みたいなカバネじゃ
| (__人__) | 女の子に相手してもらえないんだお…
\ ` ⌒´ /
____
/⌒ ⌒\
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ だから朝臣に改姓するお!!
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
そこで豊後清原氏ですよ!
ますます怪しいだろ
851 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:25:13
そうかね?
852 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 19:44:50
b
853 :
日本@名無史さん:2009/08/12(水) 23:10:54
age
854 :
日本@名無史さん:2009/08/14(金) 21:40:13
このスレおもしろいな
そこそこ論争もしてるし
かといってへんに殺伐ともしてないし
良スレ
855 :
日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:10:06
中井王について調べたい
856 :
日本@名無史さん:2009/08/16(日) 22:39:23
大伴(伴)と佐伯はなんでずっと宿禰のままだったんだろう?
伴氏は、かなり後世の参議保平でやっと朝臣、佐伯はずっと宿禰のままだったようだし。
なんかたいして偉くなったわけでもない卑姓でも朝臣になってるのに。
四位どまりで臣または連→宿禰→朝臣とか、五位どまりで物部首→物部朝臣なんてのがある。
ひどいのだと部姓→臣→朝臣(四位どまり)とか、直→朝臣(五位どまり)とか。
誇りがあってあえて宿禰のままだった?
時の政権側の抑制があった?
門号氏族だったことと関係ないかな?
858 :
日本@名無史さん:2009/08/18(火) 10:13:35
>>641 >斎部(忌部)の嫡流
出雲路氏(御霊神社の社家)か織田氏じゃないかな
859 :
日本@名無史さん:2009/08/19(水) 10:41:38
860 :
日本@名無史さん:2009/08/19(水) 16:23:37
土師氏の嫡流って菅原氏でいいの?
道真に連なる古人流が嫡流かどうかはともかくとして。
861 :
日本@名無史さん:2009/08/19(水) 20:46:05
一代で、出雲連→出雲宿禰→出雲朝臣→菅原朝臣って例もある。
五位どまりの医師で、宿禰までは親の昇進(五位どまり)によるもの。
従五位上菅原朝臣峯嗣
863 :
日本@名無史さん:2009/08/22(土) 13:27:54
六国史に時々初位の下級官人の宿禰賜姓とかあるけど、
あれは誰か権力に近い親類でもいるの?女官とかの。
土師氏の中でも外戚になったのは大枝氏なんだよね。
なのに当初は待遇が低かった。
つまりそれだけ格が低かったってことかな。
天皇の権威をもってしてもすぐには補いがつかないほどに。
結局偶然光仁天皇以後に外戚関係を築きことができた、
紀・土師・橘がそれで一時家勢を立て直して、
しばらく生き延びたってことか。
でその間にほかの道を見つけることができたかどうかが、
最終的な生き残りにつながったと。
御方大野ってなんで747年に姓をもらえなかったんだろう?
おそらく嫡子らしい(内舎人なので)広名が761年に御方宿禰をもらえてるのに。
公か宿禰くらい賜姓しても問題ないと思うけど。
749年には五位になってるくらいだし、貴族として宿禰くらにしても。
あと父親の正体?
天武朝に生存しうる皇子って言えば、舒明・孝徳・天智・天武の子くらいか?
749年に図書頭っていう実職についていいるってことはせいぜい70そこそこ。
するといくら早くても670年代後半以後の生まれか。
そんなころに子供を作れるような皇子がいる天皇って言えば、
年齢的に上の4天皇くらいだな。
御方大野(761以前没?:天武朝で廃された皇子の子)
無位東史生(738頃)→春宮少属(744以前)→従八位上春宮少属(747時点)→姓申請も却下
(747)→正六位上(749以前)→従五位下(749)→図書頭(749)
御方宿禰広名(大野の子か?)
正八位上内舎人(761時点)→御方宿禰(761)→正六位上(784以前)→従五位下(784)→
筑後守(784)→右京亮(791)→上野守(791)
姓申請を却下された2年後に10階も昇進していて、特別昇進があったのは間違いない。
おそらく姓は何らかの理由で却下したが、心がとがめたのか、憐憫の情がわいたかで、
位は特別昇進させたのだろう。そう言うのが聖武天皇らしいような?
広名は大野の嫡子として蔭位従八位上を与えられ、一度目の勤務評定で正八位上に昇進?
内舎人は長上扱いだから4年で勤務評定を受けられ、正八位上から24年後での五位昇進は一般の官僚として特に不自然ではない。
妄想を一つ、御方の氏名の由来はもしかして大野の父が名を呼ぶのもはばかられる存在で、
あの御方とか御方とだけ呼ばれていて、その御方の子だから、あの御方のこの大野、略し
て御方の大野と呼ばれていたとか?
大野の父は続日本紀にさえ名前が明記されない皇子だしね。
この時期に御方って言う言葉があったのか、そういう用法があったのか知らないけど。
だから単なる妄想。
870 :
日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:24:53
>>864 もともとが土葬屋集団だったからね>土師連
学問で身を立てる戦略はよかったんだろうな
加茂朝臣と鴨朝臣とどうちがうの?
872 :
646:2009/09/30(水) 21:20:51
読みは同じ。漢字が違う
873 :
日本@名無史さん:2009/10/01(木) 00:22:08
賀茂氏は出雲系、山城系、葛城系があるんだっけ?
京都の加茂川の沿道は「出雲路」と呼ばれているんだが
京都の賀茂氏も関係あるんかな?
874 :
日本@名無史さん:2009/10/01(木) 00:52:58
やっぱ卜部が一番でしょ!!
粂子は最高だよな
876 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:31:30
テニスの錦織圭って卜部?
謎の宿禰:大伴氏
八色の姓制定時の有力氏族を10挙げろと言えば間違いなくはいるはず。
5挙げろでもおそらく入るだろう。
しかも、当時多治比氏をさておけば、ほとんど唯一の天武天皇与党的有力氏族のはず。
中臣・石川・石上・巨勢・記氏との関係は微妙だし、阿倍氏も積極的与党とは思えない。
平群・葛城は問題外だろうし。
であるのに、なぜに大伴はこれらの氏族より劣る宿禰だったのか?
878 :
日本@名無史さん:2009/10/12(月) 01:12:47
>>877 むしろ、近江朝の有力勢力だった物部連と中臣連が
朝臣に格上げされたのが謎だな
源平以前の賜姓皇族って、原がつくのが多い気がする。
不比等外孫山背王の藤原朝臣は特例としても、
清原・大原真人、三原・春原・永原・在原朝臣など。
これって単なる偶然?偶然だろうな。地名なら原がつくことは多いし。
職掌がそのままウヂ名になったの以外はだいたい地名と考えて差し支えない。
881 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:54:30
そうかねえ。
882 :
日本@名無史さん:2009/11/24(火) 09:48:29
滋野朝臣真田伊豆守信之
883 :
日本@名無史さん:2010/02/13(土) 09:31:11
で?
884 :
日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:01:29
>>879 「原」という漢字は朝鮮半島では「ボル」と読み
朝鮮に近い九州地方では転訛して「バル」(現宮崎県知事もそう)となり
そして大和に入り「はら」と訓読みされるようになったといわれます。
さて壬申の乱に勝利した後、天武・持統時代は新羅の影響が色濃く現れます。
ご指摘の降下賜姓に「原)が多いのは単なる偶然でしょうか?
原=拓けた土地、それを故地朝鮮に求めたイメージだとすれば・・・・
原(ハラ・ハル)の語源は「墾る(はる)」だよ。
>>884 原=拓けた土地?w故地朝鮮に求めた?
沖縄本島北部のやんばる=山原を説明して下さい大先生。
橘氏は橘氏でも伊予橘氏はマイナーな方に入るのかね?
どうでしょうか
889 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 02:20:11
倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼ではないだろうか?
大国主と張り合えるということはそれなりの人物では?
箸墓古墳は当時箸が無かったことから土師のことを指しているのでは?
兄弟が吉備津彦だが、土師は岡山に密集している。
というより物部と土師の分布が極度に似ていることから同属の可能性もある。
http://www2.nipponsoft.co.jp/bldoko/index.asp 菊花紋が使われているようだが土師が天皇と血縁的に深い関係だったことの現われではなかろうか?
891 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 22:09:28
そうかもな
892 :
日本@名無史さん:2010/04/25(日) 05:16:31
ある氏族の神社に菊花紋が使われている場合、国を代表する人物か、古代の正統な王族が多い
物部も土師も天孫に分類されているし、祭祀を扱っている。
河内に陣取っているのも、初期王朝と非常に近い関係だからだろう。逆に遠い関係の氏族は、巻向周辺で天皇を囲むように配置され外戚関係に力を入れている。
万世一系を称する天皇家はほぼ朝鮮系の血に塗り替えられていると見るが、正統な王者を崇拝する者に一定の配慮を施したものと見る。藤原(中臣)は百済王族だと思うのだが、もしそうならかなりの純度の百済系人物が出来上がっていると見られる
カンム天皇の外戚に百済系渡来人がいるのも、見方が単なる友好国出身者から同族の有力氏族出身者という認識に変わっていたのではないかな
上の人のリンクにあった氏名分布を見ると、九州筑後川周辺に分布しているようだが、そうなってくると確かに大和九州発祥説も今まで単に現代人が決定的証拠を見つけられていないだけかもな
その点、巨大政権にとって重要なのは、瀬戸内海の制海権と出雲統治だから吉備・九州・大和、いずれも一つの政権が納めていることが重要なのであって、どこが発祥なのかはそれ程深い意味はないと思うのだがな
半島との交流をかんがえれば、出雲オア九州・吉備・大和連合だろうな
藤原氏の氏神はアメコヤネ命なのに、春日大社では何故その上位に鹿島のタケミカヅチ命を祀る?
タケミカヅチは元は多(大)氏の氏神らしいが・・・
思うに、藤原中臣氏は元は多氏に属する卜占氏族だったのかも。
でも、「主家」である多氏ががだんだんウダツが上がらなくなってきて、
鎌足、不比等父子を輩出した藤原中臣氏と朝廷での地位が逆転現象を起こしたので、
祭祀面に置いても、力の無くなった多氏に代わって、その役割を藤原中臣氏が引き継ぐことになった可能性があるのではないか?
894 :
日本@名無史さん:2010/04/26(月) 01:38:39
中臣なんて名前は鎌足がでるまでは没落貴族だろ
百済王族にあてがう名前としては丁度良いな
>>887 > 橘氏は橘氏でも伊予橘氏はマイナーな方に入るのかね?
伊予系橘氏だろうが、県犬養三千代系橘氏だろうが、源平藤三氏に比べればマイナーだからねぇ。
伊予系橘氏で有名どころを探すといえば、
承平天慶乱で藤原純友を捕縛した遠保が1番有名だろうけど、首謀者を取っ捕まえてる割には特にお手柄扱いってわけでも無さそうなんだよな。
同乱鎮圧で朝廷側について戦った藤原秀郷や平貞盛や源経基の三者と比べると、はっきり言って恩賞の程度がかなり軽めのものである感じは否めない。
たぶん、最後の頃の純友はもう死に体も同然で、誰が行っても捕まえられる状態だったってことなんだろうが。
しかし、将門討伐に大活躍した秀郷や貞盛ならまだしも、
東国でも西国でもさしたる活躍も見せてない経基が五位に叙せられたのと比べると、なんとも理不尽だなあって感じもするけどね。
因みに、
この承平天慶乱鎮圧に功のあった秀郷、貞盛、経基の三者の子孫が朝廷内で「兵の家」(学術用語で言うところの中央軍事貴族)とされ、後には武門の代表的な家と見なされていくことになるんだが、
遠保(伊予)系橘氏は兵の家とされたとは言い難く、その点が先ほども述べたように同じく活躍していない経基の出世ぶりと比べると、可哀想ではある。
896 :
895:2010/04/26(月) 03:43:09
しかし、伊予橘氏は本姓越智氏で、県犬養(中央)橘氏とは無関係とされるが、本当にそうかね?
源平藤の各氏もそうだし、それよりもっと前の時代の中央氏族だって皆そうだが、
地方に赴任したら、地元の有力豪族の婿になり、
生まれた子は母方の地元豪族の家で育ってその家を嗣ぎ、姓としては父方のものを名乗るというのがパターンなんだが。
伊予橘氏が史料に現れる直前頃に、中央橘氏の者が伊予国やその周辺国に国司として赴任しているという記録・史料なんかは無いのかね?
>>895-896 うちのご先祖がもしかしたら伊予橘氏に関係があるかもしれんとおもって、
前に色々と調べたことがあるが、
私が調べた限りではそういう記録はなかったと思う
もっと詳しい人居たら書き込んでくれると私的にもうれしい
898 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 17:28:05
age
899 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 09:46:09
>>897 橘良基が859年に伊予権介に任じられてるね。その息子の澄清も伊予守に任じられてる。
2代続けて同じ国の国司に任じているとなると、地元勢力(伊予なら越智氏とか)と姻戚によって結び付いていくことは十分に考えられると思うよ(てか、そうなるのが自然)。
あと、良基と同時代なら橘広相が阿波守に任じられてるのが気になる。広相の子孫が太宰権帥橘氏の公頼の系統に連なっていく訳だから。
純友討伐の時には、この公頼の指揮で遠保も伊予警固使として共に戦っているわけだし。
それに後の時代(治承寿永乱の頃)には、
その公頼の弟である公材子孫の公業が伊予国宇和郡に所領を有しているが、これは伊予橘氏と筑紫橘氏(筑紫橘氏は中央橘氏系)とが同族であるからこそ、その所領を公業の系統が受け継いだと考えられるのではないか。
900 :
日本@名無史さん:2010/06/05(土) 15:30:01
菅家総理大臣就任記念900get
菅内閣総理大臣菅原朝臣直人
略系図
天穂日命─(28代略)─菅原道真─(30代略)─寿雄─直人
903 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 23:25:42
菅ちゃん、すっぽり!!
倍満だ
>>902 それってよく考えたらすごいよね
そのなかに1人も童貞はいないということだぞ
905 :
日本@名無史さん:2010/08/02(月) 12:40:24
菅の左遷はまだですか?