1 :
日本@名無史さん:
このスレでは吉田郡山時代から廃藩置県までの
毛利軍団について語りたいと思います。
みなさんの熱い書き込みで盛り上げていけや!
導尿カテーテル2げと
3 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 22:12:08
平賀中将萌え
4 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 03:36:35
5 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 03:58:29
井上一族の呪いあげ
6 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 08:04:15
口羽通良あげ
7 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 09:29:51
毛利家臣はあまりにもヘタレ過ぎて幕末では平民に主役を奪われた無能集団という印象が強いね。
ドンゴリ仙台武士より酷い。
9 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 13:20:31
私は長州も安芸も出雲も備前も因幡も
分け隔てなく愛するモッコリ中国人です
毛利の配下は影薄い
11 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:06:13
もしも現代がまだ徳川の世でも、ユニクロの社長や庵野は有能な
能吏として歴史に名を残す働きしたかな?
こないだパクられた姉妹殺害の基地外は人斬りにでもなって活躍したのかな?
俺、家臣とか部下って生まれた時代や環境、出会った人によって
芽が出たり変な方向に走ったりすると思うんだよね。
ほとんどの毛利家臣は食えないから百姓やBになった。
13 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:36:44
1は逃げた?
渡辺勝でござる
15 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 19:29:58
森脇って家臣いたかなあ
吉川家じゃない?
17 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:36:41
age
18 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:45:37
桂
浦
一文字多くね?
19 :
児玉さん:2005/12/23(金) 22:10:46
オラも家臣だお。『毛利元就〜近いの三矢〜』で毛利家を復習してね
20 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 22:16:12
中岡ゲン age
21 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 22:32:48
22 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 07:49:11
>>19 あのゲーム、毛利元就の子供は出てないし、杉重輔がずっと生きてるし、香川光景がなぜか第一話から出陣してるし
突っ込みどころ満載のゲームだな
23 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2005/12/27(火) 14:49:15
毛利の家臣についての小説なら古川ナントカの
「毛利一族」
だね
ちなみに俺のPCのデスクトップは毛利十八将図
24 :
1:2005/12/27(火) 16:18:35
25 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 21:55:19
森脇って吉川の家老だったけ
26 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2005/12/28(水) 12:52:02
>>25 たしか元春の先代の興経を排斥した家臣だったかな
知ってる人も多い有名な話をしとくと元就は知将隆景は謀将の多い山陽に
勇将元春は猛将の多い山陰に配置した
但し尼子なき後重要な戦いは山陽九州に集中したので実質隆景が毛利の切り盛りをした
しかしながら七十戦無敗の名将元春もやはり大物
27 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2005/12/28(水) 13:38:18
毛利軍団特筆すべき点
1他の下克上大名と違って乗っ取るべき有力な軍団がなかった
北条斉藤などは有力軍団を乗っ取った
2家臣の大半が昔は自分より互角か上の実力者ぞろい
3あれだけ実力のある子供がいて内乱の種が少なかった
知識人の多い日本史板で書くのはいささか恥ずかしいがこんなものかな
吉川家は関ヶ原のせいで毛利家から裏切り者として扱われる
小早川家は潰れる
江戸時代に毛利を仕切ったのは虫けらどもの子孫(阿川毛利(繁沢)元氏、大野毛利(吉見)就頼の子孫を除く)
29 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2005/12/28(水) 16:02:06
そういえば幕末の毛利公は俺は将軍になれるとかいう寝言をいってたそうな
30 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 23:26:08
それは島津の殿さんです。
31 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2005/12/29(木) 03:35:38
敬親公じゃなかったか失礼
久光か
32 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 03:57:11
そうだ、こっちは「殿さん」なんだよな。
なんかいいね。
33 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:03:26
age
34 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 20:32:44
毛利最強伝説がはじまる
35 :
山口県人:2006/01/02(月) 20:36:22
そうきたかw
36 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2006/01/02(月) 21:15:14
隆景がいれば関ヶ原であんな目には遭わなかった
てゆうか関ヶ原自体起こさなかった
37 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 21:48:15
隆景・・・・・
日本史に光る存在。
長州人って・・・やっぱ最高!!
そうせい公だろ
39 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:09:26
>>37 小早川隆景と長州人ってどーゆーつながりなの?
40 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:14:11
>>39 キャバクラとかとは関係は無いんだがね・・・
41 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:43:18
>>40 小早川隆景と長州人とキャバクラってどーゆーつながりなの?
42 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:46:25
>>41 長州はソープ禁止条例があるっていう悲しい話さ (下関は除くW)
43 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2006/01/03(火) 00:54:42
しかし隆景をもってしても輝元はアカンかった
せめて関ヶ原のとき元清が生きているか
秀元が歳を重ねてくれていればな
44 :
山口県人:2006/01/03(火) 01:06:21
そうすれば長州国家ができていて、
今頃、大日本光栄圏も繁盛してただろうに・・・・
無念。
45 :
山口県人:2006/01/03(火) 01:07:00
共栄圏だWW がはははっは すっぱい!
46 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:51:45
すっぱいぶどうの法則
47 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:31:51
せめて関ヶ原の時に元就が生きていれば、、、
48 :
トキ ◆PMSktwfo8g :2006/01/05(木) 09:36:19
>>47 そりゃ無理だW
百歳じゃ使いものにならん
ま、家康と同年齢の元就があの毛利家の当主なら、毛利の天下だった
ろうな。
なにせ謀略に関しては元就と家康はレベルが一つ二つ違うから、
騙されるのは家康だろうからな。
50 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 10:44:24
家康は騙された後の処置なんかがうまそうだけどな。
>>50 そうそう。危機対処能力や学習能力の高さが家康の長所だよね。
家康は信玄、信長、秀吉という稀代の悪党どもに散々騙されて
煮え湯を飲まされた挙げ句ああした境地に達した感があるもん
ね。
>>49 元就と家康が同年齢だったら
中国地方統一の前に誰かに屈服してんじゃないの?
>>52 輝元の代わりにあの毛利家の当主に家康と同年齢の元就を
おくってことでしょ。
関ヶ原の時の情勢(全国的な)は実は家康にかなり不利だから、
輝元の位置にいる人間が余程無能でない限り毛利は相当有利
だったと思う。西軍の中核部隊の(はず)だった毛利が家中
分裂し、傍観者的立場だったのが西軍最大の敗因だろう。
徳川は8万弱。その東には上杉4万、佐竹1万5000が控えて
いて、最上は上杉に押さえ付けられてて伊達は様子見。情勢
次第でどっちに転ぶかわかったもんじゃない。おまけに徳川
主力の秀忠率いる本隊は真田に翻弄されて遅着。家康にして
みたら際どい戦いを懸命の謀略と切崩しでしのいだってのが
本当のところだからね。
54 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 15:16:36
確かに。
当時の輝元の状況ままに元就が当主なら家康に分は無いなあ。断言してもいいんじゃあないか?
ただ家康もバカじゃあるまいし、そんな人がいるのに無理に動いて関ヶ原にもつれ込む事もなかっただろう。
三戦板に帰りなよ
ここは君達の来るところじゃないんだよ
>>54 てことなんだよな。だから「関ヶ原の戦い」そのものは、毛利の
当主が輝元だから起こったことだよね。元就だったらそもそも
秀吉死後の争いの様相が全然違うだろうな。
はいはい
シミュレーション小説でも読んでなさい
元春がいたらどうなってたかな?
なんか元春は反秀吉ってイメージがあるけど、広家みたいに西軍妨害したかな?
広家も結局家康に騙されたわけだからな。難しい山陰衆をまとめた
男だから、広家みたいなことにはならんのでは?
豊臣家への忠節心など全然ないだろうが、毛利家繁栄のチャンスと
見たのではなかろうか。あと福原のような譜代主流派と吉川家は
密接な間柄だったようだし。それに安国寺や秀包、秀元などの
小早川派も同格の広家ではまとめられないけど、完全に格上の
元春ならまとめられる。
やはり毛利をまとめて徳川に対峙するのでは?もちろん、毛利の
覇権のためにね。豊臣恩顧はあくまで建て前でね。これならしゃっぽ
の輝元の能力がどうあれ毛利有利の展開になりそ。
60 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 20:01:29
ここまでの話になっちゃうともう結論はでないよ。
たられば話しは不毛なだけ。
61 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 20:19:07
毛利をよく幕末までおとなしくさせただけでも、
よくがんばったよ。
日本の汚点の江戸幕府てさ^^
62 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:02:28
私共日本人は気候風土のためか,「恨」のうらみの事例は比較的少ないようだ。
強いて挙げれば幕末の長州藩の,中,下級武士達の動きであろう。
毛利藩は戦国時代前から豊臣時代迄西国の雄として広島に居城し,山陽,山陰の大部分を領していた。
しかし,関ヶ原の戦いの時,出陣はしたが戦いに参加せず匆々と兵を引き揚げてしまった。(薩摩藩も同じように引き揚げた。)
家康は天下統一の後,この2藩を取り潰そうとしたが,家康側について関ヶ原で武功をたてた毛利の外藩のとりなしで取り潰しは免れたが長州(山口県)一国にとじこめられた。
(一方,薩摩藩は国境に全兵力を配して国を固めると共に,家康と和戦両様の備えをしたうえで藩存続の交渉をした。
家康は薩摩へ兵を出して戦っても,奥州の伊達藩の動きが心配なので得策ではないと判断し,薩摩藩の取り潰しを断念したという。)
毛利藩は山陽,山陰の大部分を領する大藩から,本州の西端一国の小藩になったが,ほとんど全部の家臣が藩主について長州へ移った。
家臣の禄高は数分の一に減らされ,足軽達は農民になって新田の開発へ,中,上級武士も半農生活と妻の内職で細々と生計を支えることになった。
そして,それが徳川300年の間つづいたのである。
親から子,子から孫へと徳川に対する恨みが語りつがれ,今は苦しくても,何時の日か恨みが果せると言い伝えていたという。
(下級武士や足軽達が新田を開くのに既存の農民達も皆で協力し,長州藩の米生産高は2倍以上に増え,また妻子の内職で従来無かった特産品も生まれたと言われている。)
家康に対するこの恨みが幕末に顕在化したとすれば,まさに「恨300年」である。
表題の「恨500年」という言葉は中国に昔からある言葉だと聞いている。まさに気の長い恨みである。
63 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:07:10
信念というか意思というか・・・・すごいな長州。
64 :
白馬青牛:2006/01/07(土) 21:44:18
>>62 >ほとんど全部の家臣が藩主について長州に移った。?
ほいじゃ、わしゃは存在せんのか。家臣と言うのも問題じゃが、
分家以下、地元、安芸に残った者もえっと(多く)おるど。
65 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:02:32
長州最高♪ありがとう♪
66 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 04:49:20
津和野の吉見氏とか三入の熊谷氏は結局どうなったの?
三次の領主だった三吉氏は萩転封のときリストラされて
当主は出家したって何かの本で読んだけど
>>66 吉見正頼のあと、嫡男の広頼が継ぐ。
彼の死後次男の広長が継ぐが、輝元に切腹される
その後、吉川広家の三男であり、広頼の娘婿の就頼が継ぐ
これが大野毛利家
熊谷は一応残っているらしいよ
三吉広高は後に浅野家に養われたらしい
68 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 17:19:34
幕末に坪井九右衛門という家臣がいたが
福田九右衛門容疑者と何か関係があるのだろうか?
背後関係に詳しい人、教えてくれたまえ。
知将とか猛将とか
70 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 14:07:44
有田中井手の戦い ○毛利軍1千5百 対 ●武田軍7千
元就の初陣。 当時の毛利家の領土は3000貫といわれ、15000石〜25000石ぐらいといわれているほど少ないものだった。
初陣、そして圧倒的劣勢にもかかわらず圧倒的な戦力差を華麗な戦術ではねのけ、総大将武田元繁を討ち取り軍団を総崩れにさせる。
元就の天才ぶりはこの時から発揮されていた。
後世西国の桶狭間と呼ばれる。(状況を考えれば桶狭間以上の大勝利)
佐東銀山城死守戦 ○毛利尼子連合軍 対 ●大内軍
有田中井出の戦いで敗れた武田氏が尼子の力を借りようとし、友田興藤は武田氏の援助を受けて、桜尾城を奪った。
一方の大内義興は自ら出陣し桜尾城を包囲した。そして息子の大内義隆と副将・陶興房に銀山城を攻撃させた。
元就はまだ尼子方の武将だったので、銀山城を死守するようにと尼子経久に言われていた。
劣勢に陥った尼子武将。
見かねた元就は軍義で夜襲を提案、意表をつかれた大内軍は大混乱に陥り城の包囲を解かざるをえなかった。
吉田郡山城の戦い ○毛利軍3千 対 ●尼子軍3万
圧倒的な数の軍勢を率いる尼子軍を巧みな篭城戦でこれを撃退する。
その後尼子は衰退する。
折敷畑の戦い ○毛利軍3千 対 ●陶軍7千
山に布陣した倍以上の敵軍を下から攻撃し、大将宮川長房を戦死させ完勝を収める。
地理的にそして兵数的にも不利な状況ながら、総大将を討ち取るという完勝っぷりは元就、そして息子達の戦上手ぶりが垣間見れる。
宮尾城攻防戦 ○毛利軍5百 対 ●陶軍1万6千
圧倒的な敵の大軍の大攻勢に耐え抜き、厳島合戦への足掛かりを作る。
厳島の戦い ○毛利軍5千 対 ●陶軍2万5千
自身の頭脳を駆使して厳島へ上陸した陶軍を壊滅させ、西国無双と呼ばれた陶晴賢を自刃へ追い込む。
運だけの桶狭間とは違い、自身の頭脳を駆使した完璧な戦だった。
この戦だけでも元就の凄さが分かると思う。 この合戦後、元就は戦国随一の勢力になる。
71 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 14:36:25
織田や豊臣や徳川は別としても毛利ってイマイチ影うすいな
例えてみるなら上杉、武田、島津、伊達、北条が同じランクなら毛利は今川、朝倉、長宗我部と同じランクって感じ?
>>71 五大老にまでなってんだから上杉宇喜多レベルの知名度はあるんでないの?
74 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 21:42:55
広世―朝広―広俊―貞俊―広俊―貞俊―元俊―広俊―元俊
同じ名前がいっぱい
75 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 00:46:14
毛利の空弁当
m9(^Д^)プギャー
76 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 01:45:30
毛利は例の3人組相手にブザマ過ぎる連敗を重ねたのが致命的だな。
所詮はメジャーリーグで通用しなかったヤラレキャラって感じ。
例えば島津なんて明帝国の大軍に包囲されながら返り討ちにしたり、関ヶ原でも敵中突破に成功したりと超メジャー級の存在感。
わざと昼飯の時間を延長して戦闘をサボり、食い終わったら尻に帆かけて敗走した西軍大将の毛利ちゃんは人間としてダメ過ぎるだろう。
「毛利か島津のどちらかを味方につけて、もう一方と交戦しなくてはならない」
と言われたらどちらを敵に回す?
毛利を味方に選んで島津を敵に回すのはかなりヤバいっしょ。
78 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 10:29:18
>>77 時代による
元就・元春・隆景・元清のうち少なくとも二人存命だったら毛利を選ぶ
>>76 だって広家はやる気ゼロだもん
ここで秀元が出撃を強行してたら面白かっただろうな
秀秋も積極的な西軍攻撃は出来なくなるだろうし
79 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 10:38:21
広家の評価はどうだろう。東軍に完全につかせることもせず、
あやうく毛利本家滅亡まで追い込まれたけど自分に渡された石高を本家に渡す。
無能ではないが優秀でもない忠義者、ぐらいかな?
80 :
白馬青牛:2006/02/06(月) 04:02:50
>>76 毛利の連敗とは何か?何処に負けたんか?
島津か。白兵よりも近代兵器の鉄砲隊重視の集団戦法は確かに強力じゃ。
野戦における奇襲、特に釣り野伏せり(野郎集団)の側面攻撃は見事な
もの。琉球王国攻略でも、琉球統一をした尚氏は、後武器を廃棄させ、
わずかな部隊のみ武装しておったが頑強に戦い、容易に屈せず、
正面正規軍で手を焼いた島津軍は、野郎部隊の側面攻撃で
琉球兵を敗走させた。
欠点は、岩屋城攻めに多大な犠牲を払ったように、城攻めは苦手であろう。
島津軍は防御や長期戦も難しい。それ故、攻城と籠城戦闘に巧みな
中国地方では力を発揮出来んであろう。
ふと、島津は遊牧民的な戦闘法に似ておる。集団戦闘、側面、迂回、
陽動作戦、攻城下手で防御軽視、関ヶ原の撤兵時、後尾の一部隊が捨石と
なり全滅するまで戦い、敵と本隊を離す。遊牧民が敗走時、敵の追撃に
とる戦法と同じやり方じゃ。
>>79 広家さんは、戦闘上手な勇敢な武将。朝鮮の役の蔚山でもね。
蔚山の時は、黒田勢と共に戦闘せよとの命令を守らず独断で進撃し
敵軍を敗走させたが、功績どころか軍律を破ったと光成さんや恵瓊さんは
太閤さんに讒言したと広家さんは怒り確執となったようです。
81 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 07:35:39
>>80 広家は朝鮮で軍令を破ったのか
30代半ばにもなって
82 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 13:01:42
吉川は単独で東軍と密約を結んだあげく詰めを誤ったアホ
毛利が怒るのも当然
しかも吉川は毛利家のトラブルメーカーだった事実
とにかく誰にでも喧嘩を売り毛利家はほとほと吉川に愛想を尽かしていた
83 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 13:13:37
元春のころから豊臣家を嫌ってたな。
84 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 21:58:58
85 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:12:53
高松
元春:秀吉を追撃してしまえ。
隆景:今は内治が優先だ。秀吉は天下を取るから、今の内に恩を売ろう。
関ヶ原
秀元:籠城したら家康に勝てる。
広家:家康には勝てない。本領安堵の約束もしてあるから、引き揚げよう。
86 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:20:06
>>85 腰抜け、腹黒、裏工作
それが毛利クオリティ
87 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:28:10
片岡鶴太郎が演じた井上元兼
88 :
白馬青牛:2006/02/07(火) 00:52:48
>>81 広家さんは、悪くはない。軍令を破ったのも、勝機と見て独断で進撃した
だけ。戦闘における勝機はそう何回も訪れる訳では無い。
一度勝機を見逃すと、後も戦闘主導権を敵に奪われ戦闘を続けることに
なる。戦闘は隙を見せた方が負けとなる。むしろ石田光成、安国時恵瓊
両人が戦に疎いということであろう。広家さんは、光成、恵瓊両人を
戦を知らぬ愚者と考えたかも知れん。
元春さんは、秀吉と戦闘して負けた訳でもないのに、風下にたてるかと
いう気持ちもあったんか、隠居して出仕を避ける。
元春さん、広家さんは、毛利家から吉川家の養子であるが、応仁の乱以来
鬼吉川と武勲を誇る吉川家に入り、家風に恥じぬよう、吉川旧臣にも
馬鹿にされぬよう健闘したと思える。
89 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 01:07:29
広家は確かに戦も駆け引きも上手いけど将としては二流だな
感情的な好悪で御家に無用ないざこざを起こし
結果的に主家を衰退させてしまった
能力があっても感情に流されるようでは将器ではない
90 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 01:10:52
今、播磨灘物語読んでる。
なんかパッとしないな。司馬遼の書き方なんだろうけど。
小説で毛利家好きになれそうなの教えれ
広家が東軍についたのも家康が強いからではなく恵瓊が西軍派だったからだろ
吉川は秀吉が嫌い、恵瓊は隆景のお抱え坊主で秀吉大好き
この二人は常にぶつかってたらしいじゃん
92 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 02:08:34
例の三人組というのは信長、秀吉、家康っしょ。
毛利はこいつらに負け続けてブザマ過ぎる。
負けたのがブザマなのではなくて、負け方が一々みっともないのよ。
93 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 02:46:03
毛利はまだマシだろ
織田とは戦ったし
豊臣には所領を維持したまま上手くついた
家康はあの性格だからどのみち初めから東軍ついても
削るか潰すかしただろうから仕方ない
秀吉死後の家康は他の大名より実力が頭二つ位抜けてる。
秀吉は何故こんな大名を残したのか。
95 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 07:49:43
>>94 秀吉は寛大だから、北条を除くの有力大名の所領を保障したよね
なんでだろう?
逆に家康は、前田を除く有力大名の所領を削減した
なにさまのつもりだろう?
96 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 15:22:49
その家康が大ナタを奮って関ヶ原で恥態を演じた毛利120万石を36万石にした一方、
島津には西軍諸大名で唯一減封無しで事実上ノーペナルティ。
格の違いは家康の目にも明らかだったんだな。
97 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 15:59:14
>>96 どうでもいい薩摩大隈と重要拠点備後安芸周防長門との格の違い。
自称だけの頼朝子孫と誰もが認める大江広元直系子孫の格の違い。
98 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 16:00:39
『こんどは、萩へ引っ越しだよー・ん』 ↑ ↑ 尼子義久
99 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 16:06:43
本当にどうでもよければ島津だけが特別待遇なんてありえない。
毛利こそ居ても居なくても大差無いから36万石を残されたというのが実情だな。
100 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 16:17:54
百済王の末裔を自称してる毛利ごときよりは由緒正しい宇喜多や長曾我部でさえ領地を全部剥奪されたもんな。
関ヶ原での戦いぶりが西軍諸将の処分内容を左右したのは間違いない。
つまり毛利はヘタレ認定というこった。
101 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 16:31:32
本当なら毛利も全部没収されてプータローになってる筈だった。
それを吉川が必死に36万石だけ認めさせた。
そりゃー吉川にしたら、自分の内通で主君がプータローになってしまえば自分だけがどれだけ加増されても世間の目が冷たかろうよ。
102 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 16:48:57
つまり毛利の36万石はあくまでも家康に協力した吉川が世間体を保つ事を目的とする「吉川への褒美」であって、
家康としては毛利なんざどーだって良かった訳だ。
103 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 17:16:13
まあ、戦国武将としての格は確実に
島津>毛利だよ。
家康は敵対勢力の力を削ぐ千載一遇の好機を捨てて島津を無意味に温存するような甘チャンではない。
104 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 18:07:18
>>100 >百済王の末裔を自称してる毛利
それは大内氏、毛利は天穂日命の子孫 土師氏の出
菅原道真と同族、文章博士の家 大江家
豊臣政権時の毛利家の努力ほど空しいものはない。
どっちにしろ島津も毛利も鎌倉時代からの家
織田羽柴徳川とは格が違う
無能を棚に上げた家柄自慢は新興勢力に屈服し続けたブザマさが際立つだけだな。
島津の方は実力の裏付けがあるから別にいいけど。
島津が強いのは認めよう。
109 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 19:02:26
>>106 毛利は飛鳥時代からだって、百人一首にも先祖が出ていたと思う。
110 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 19:24:57
なんで島津が出てくるんだw
中央政権から見て毛利は絶対潰さなきゃならない勢力だが
島津はどうでもいい
実際毛利は実質潰されたが
島津はどうでもいい処分になった
伊達とか島津とか僻地の豪族はでーでもいいんだよ
111 :
日本@名無史さん:2006/02/08(水) 23:00:59
幕末毛利に山崎って家臣いた?
112 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 01:21:29
僻地だからどうでもいいという理屈なら、長曾我部が潰された事と矛盾するな。
家康はあくまで潰せる奴を抜目なく潰していったに過ぎない。
ヘタレの毛利が生き延びたのは、内通した吉川の立場を家康が蔑ろにする事は無理だったからだ。
何故、家康は吉川の世間体をそこまで配慮しなくてはならなかったのか?
裏切りはさせておきながら用が済んだ戦後の吉川や小早川の立場なんか知らんぷり…、
では、家康は人を使い捨てにする奴と思われてしまう。
そんな真似をすれば家康の調略に応じるマヌケは居なくなるし、
余計な遺恨が徳川に集まるだけだ。
家康には、自分に協力した吉川の世間体を守ってやる必要があった。
潰そうと思えば簡単に潰せる毛利ごときが36万石を許された唯一の理由はそれだ。
家康には「僻地の実力者はどうだっていい」と考えるふざけたケンチャナヨ精神は希薄だろうね。
むしろ緻密な計算ずくで政策を推進する堅実さが家康の強さの源泉とも言える。
島津ひとりが西軍で唯一ペナルティを免れたのならペナルティを免除せざるを得ない理由が有る筈だろうし、
潰しても怖くない毛利が潰されなかったのも何らかの理由があった筈。
(毛利の家柄や地理条件は36万石を許す理由になってない)
いきなり潰すのは危ない。小さくしてからなら潰すのは簡単。
毛利輝元は名目上西軍の総大将だから厳しい処分もやむを得ない。
島津の当主は動かなかったし政略も上手。
115 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 02:38:27
家康はいきなり毛利を潰す気だったのを広家が懇願して助けられたのは有名な逸話じゃん。
広家は家康から安堵された石高を返上してでも毛利にくれてやって欲しいと訴えたから家康もムゲにできなかっただけだよ。
毛利を過大評価してる人の意見は全部我田引水だな。いつもどこかでツジツマが合ってない。
本当に潰す気なら広家の嘆願も一蹴してる。
輝元が減封に応じなければ勿論合戦。
118 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 02:46:43
実際島津や伊達は放置されてたし
前田や上杉のように無理矢理にでも吹っ掛ける事もできたのに
潰す理由もいくらでもあったのを放置していたと言う事は
潰す必要が無かった
と言う事
119 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 02:49:02
家康が広家の頼みを無視できない理由なら、
つい先ほど説明されてるがね。
適当に輝元の罪状を上げれば広家の嘆願など一蹴出来る。
121 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 02:53:40
必要が無いのではなく、
毛利のようにどうにでもできる弱い奴と、家康ですら手出し出来ない強い大名が居ただけ。
122 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 02:57:41
家康の誘いに乗った広家を一蹴したら、家康の誘いに乗って調略に応じるマヌケが今後居なくなるのにか?
家康がそんな短絡的な真似をする訳無いな。
関ヶ原で敗れ、更に大坂城から退去した輝元に味方するアホはもういない。
合戦せずに毛利を弱体化。
これで充分。
広家の嘆願なんぞ屁。
125 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:09:38
家康にも自分の評判という物があるんだよ
甘言で裏切り行為に走らせた広家らを用済みになった途端に足蹴にしたら、
誰もそんな家康についてこなくなる。
家康には、広家の顔を立ててやる必要があった訳だ。
家康は朝鮮人じゃないんだから、広家を一蹴するような馬鹿はやらない。
毛利を潰す方が他の大名が動揺する。潰すとなれば当然抵抗する。
広家の嘆願を容れる形にしただけ。
毛利の団結に楔をぶち込んで安堵。
この処置が広家の顔立ててる訳ねえだろ。
むしろ死んだ方がマシだ。
128 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:18:27
西軍大将の役割を放棄して弁当を数時間かけながら食い始め、
西軍壊滅の主因を招いただけの毛利が取り潰しになっても動揺する奴なんて居ない。
潰すのなら合戦をしないといけない。
130 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:24:58
家康は広家の貢献を認めて地位を保障しつつ、毛利は長曾我部や宇喜多同様に取り潰す予定だった。
広家にしてみればもしそんな事態になれば主君を裏切って滅亡に追い込みながら自分だけは家康に貸しを作って甘い汁を吸った形になる。
そんな事も分からんのか
131 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:27:10
毛利はヘタレだから合戦はありえない。
133 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:35:26
だから広家は家康に交渉して毛利に36万石を譲ったんだよ。
家康に広家の顔を立てる気が無ければそんな事を認めるかよ。
広家に防長二ヶ国を与えるなんてのが広家の顔立ててる訳ねえだろ。
全然話が違うだろうが。
最初から二ヶ国輝元が頭にあっての事だ。
135 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:38:16
毛利は潰される予定だったのを広家の交渉で生き延びたのだから顔は立つね。
面目丸つぶれだよ。
主家を潰して家康に国貰ってどうするの。
そりゃ譲るしかないよ。
137 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:42:20
広家が毛利を切り捨てていれば毛利はただのプーに落ちぶれていた。
本来、家康は潰せる雑魚をすかさず潰す人間だ。
とりあえず統治を固めないといけない。
潰すのは後からでも出来る。
139 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:46:30
だから家康は広家の顔を立てて要求を認めてやったんだよ。
貢献には妥当な報酬で答えないと家康本人が信用されなくなる。
どこが妥当な報酬じゃい。
141 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:49:04
土佐みたいに三河譜代の統治者を置けば済む。
毛利みたいなヘタレは要らない
広家の顔を立ててどっから広家二ヶ国、毛利取り潰しが出てくるんじゃい。
アホか。
143 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:51:07
貢献を認めてワガママを許したんだ。
妥当にも程がある
144 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:57:27
随分もの分かりの悪い奴だな。
毛利は始め完全に潰される予定だったのを広家が交渉して36万石だけ残された。
その36万石はそもそも西軍を裏切って家康に協力した報酬として広家の領地になる予定だったが、
広家のワガママで毛利に譲渡される事を家康が認めたんだよ。
145 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:59:46
毛利マンセーなんて阿呆の証だしな
どっちがアホよ。
そもそも広家の条件は毛利の領国安堵なんだよ。
アホが。
148 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:05:31
どう見ても毛利厨の方がアホっぽい
149 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:06:55
家康相手に0を360000にした広家は大したもんだ。
アホに言われてもな。
そもそもの書状のどこに広家が二ヶ国くれと書いてるの。
151 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:14:42
気違い島津厨よりは毛利厨の方がマシかと
毛利厨なんているのか知らんけどw
152 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:17:08
>>149 そもそも広家が0にしたんだろ…
そりゃ広家も焦るがな
自分だけ領地貰ったら主家売ったみたいで
小早川より立場が悪い
153 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:19:34
広家が無償で裏切りに応じたとでも?
家康は毛利領の保全こそ反故にしたけど、
広家が居なかったらそもそも0になっていたんだよ。
あんなブザマな負け犬がノーペナルティの筈無いじゃん。
広家が単独講和してなかったら秀元の号令で毛利は合戦に参加してました。
>>153 根拠は?
手元に毛利家文書、吉川家文書、徳川家康文書の研究(中)ならある。
156 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:37:35
広家がいなければ毛利が東軍に襲いかかって
長曾我部や小早川も釣られて総攻撃
東軍壊滅
家康は関東に逃げ帰り
東北は上杉を中心に交戦継続
関東は家康が国境を固め
上方では徳川討伐に兵を起こし
九州からは黒田加藤が押し上げてきて
毛利も西に東に大変でしたでしょう
157 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:43:49
関ヶ原のときの毛利はアホとしか言いようが無い
関ヶ原に出陣して島津みたいに敵陣突破してたら明らかに変わってた
広家の脳内→毛利の領国安堵
実際→広家のせいで領国ゼロ。しかし広家のお蔭で膨脹は保有.
160 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 09:13:18
薩・長・土(下士)って、関ヶ原でショボかった癖に、倒幕とか息まいてアフォでつ
そのアフォに倒幕されちゃった幕府もどうかな?
何人いたのか知らないが朝方までヒマだったんだなこいつら
163 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 17:41:54
家康も広家の話を無視すればよかったのに
毛利はプーで吉川が大名にw
これ最高じゃねw
家康もまだまだ甘いよ
164 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 20:03:49
人の道を知らない小早川秀秋ですら関ヶ原での裏切りが良心の呵責を呼んで狂い死にしたのに、
基本的に忠臣である吉川が毛利をプーにしといて自分だけ大名になんてなれまいよ。
毛利が戦闘をサボらなければ西軍が勝っていたという寝言以上に有り得ない。
165 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 20:17:26
西軍大将の癖に眼前の戦闘を無視して何時間もランチタイム入る時点でただの役立たず。
広家が悪いんじゃない。
重臣が家康の調略を受けてこんな失態を演じるような毛利家全体が、
君臣ともども根っからの負け組というだけ。
166 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 20:34:17
吉川は毛利の家臣だろ
毛利が西軍につくのは反対だったとしても、実際ついてしまったのだから
そこからは西軍が勝つように努力するのが家臣の道ってもんだろ
吉川はとても忠臣とは呼べないね
167 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 20:49:25
結果が裏目に出たから忠臣ではないと言う気かよ?
毛利厨はつくづくキチガイじみてるよな。
吉川が忠臣じゃなかったら毛利なんてただのプーで終わってるよ。
168 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 20:55:59
家臣なら主君に絶対服従するべき…負け犬集団への道
家臣なら主君の誤りを自発的にフォローすべき…勝ち組の組織哲学。
169 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 21:04:14
>>164 裏切り組みの中で狂死したのは小早川だけ
脇坂なんて70まで生きてる
小早川秀秋は毛利の家臣っていう感覚はあったのかな?
もとはといえば秀吉の甥であり養子だからな
毛利如きに従いたくないんじゃないかな?
広家内通&東軍勝利→史実
広家内通&西軍勝利→広家だけあぼーん、もしくは混乱を避けるためお咎め無し
毛利参戦&東軍勝利→毛利完全にあぼーん
毛利参戦&西軍勝利→毛利オーライ
170 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 21:06:03
関ヶ原のときに秀元の与力には毛利勝永もいたし
吉川のアホが余計なことしなければ
秀元と勝永が家康をボコっていただろうな
171 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 21:16:40
重臣が家康に調略されただけではなく、戦闘中の長い昼飯を許可した毛利親子のマヌケさも尋常ではない。
要は毛利家全体のマンパワーがダメ過ぎたから家康には勝てなかったというだけ。
「毛利家のマンパワーが史実よりも上回っていたら」なんて仮定はナンセンス。
現実の毛利は君臣ともども徳川家よりマンパワーで劣るマヌケ集団だから負けた。
172 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 21:57:38
>>166 吉川は毛利家の家臣ではないぞ。
幕藩体制がちゃんと出来るまでは一門と家臣には大きな壁があったぞ。
両川&宍戸は一門だったぞ。
というか、虫の子の秀元が毛利本家継ぐくらいなら俺がと思っていたと思う。
西軍が勝って毛利の天下になっても世継が生まれなかったら秀元+安国寺と
吉川+宍戸ほかで御家騒動はあったと思う。
173 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:05:42
両川のポジションは名目的に独立勢力、実態は家臣状態といった所だろう。
ただし秀秋に関しては小早川家を血統的に簒奪して両川体制分裂を狙う秀吉が仕込んだ毒薬、もしくは刺客。
174 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:08:10
あの状態で毛利が動けば東軍が壊滅したのは間違いない
まあ、動かないのを知っていたから東軍はあの配置にしたわけだが
175 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:12:46
176 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:15:01
輝元が隠居し、秀就の後見人として秀元が実質の毛利の支配者に
そしてここから秀元の吉川いびりが始まる
本来なら打ち首にしたいところだが、そんなことしたら毛利家が取り潰されてしまうので
仕方なく言葉で吉川を責めた
それに吉川家がブチ切れ
これ以降毛利家と吉川家はとても仲が悪くなりましたとさ
独断で動いた挙句詰めを誤ったアホ吉川の逆切れキターw
お前らは責められて当然なんだよ馬鹿が
177 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:15:03
西軍もまんまとあの配置を見て油断した訳だ。
調略を懸念しなければ優勢に見えるからな。
その辺が家康に勝てなかった未熟さと言える。
178 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:17:25
何だかよく分からんが、マヌケな毛利なんぞを崇拝してる厨がファビョってるな。
では、毛利はマヌケなヘタレという事でFA?
吉川は糞ってこと終了しようぜ。
181 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:23:46
滅亡してプーになる危機を救ってくれた吉川の忠誠を感謝しない暗君では、
吉川にしても仕え甲斐が失せるというもんだ。
182 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:26:07
毛利は吉川のおかげでプーから36万石の大名にしてもらった有り難みを理解できないヘボリーダーって事で。
183 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:29:35
むしろ吉川の情けで36万石を恵んで貰っても感謝の念を抱かない恩知らずなプーって事で。
毛利も主家を売る吉川なんかに仕えてほしくなかっただろうね。
厚顔無恥とは吉川のためにあるような言葉だ。
秀元の吉川詰問集
恥を知れ吉川広家、この裏切り者が。
お前なんか毛利一門ではないわ。
とっとと消えろ、目障りだ。
186 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 22:54:10
吉川が毛利を売っていたら防長2国は吉川領で毛利は滅亡というのが理解できないのかな?
>>186 さすがにそこで広家が輝元を売る事はない。関ヶ原では結果的に売ったが。
秀元は広家、広俊と大して変わらない。
188 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:21:54
何言ってんだか
189 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:32:52
毛利は忠臣を冷遇する暗君って事を言いたいのさ。
そもそも広家に主家を売る気は毛頭ない。
秀元は広俊に事情を聞き動かなかったのだから大して変わらない。
191 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:57:08
自分が広家の立場で、勝ち目の無い家康のような相手から取引を打診されたらどうする?
このスレで誇大妄想にふけっている毛利厨みたいな馬鹿でもない限り、取引に応じる事こそ忠節だと考える事も自然な事だ。
毛利では家康に太刀打ちできない事は明白なんだから。
192 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 02:10:14
明白って
関ヶ原で毛利勢が本気で動けば家康はかなりピンチになるぞ
負けても輝元が大阪城で篭城すればまだまだわからん
吉川の裏切りのおかげでかなり助かってるぞ家康はw
まさに吉川さまさまだw
>>191 言わんとする事はわかるが、広家から打診しとるんじゃ、ボケ。
194 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 02:20:06
毛利では例の3人組には勝てない。
195 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 02:21:38
自分から取引を持ちかけてるという事は、それだけ毛利の滅亡が明白だからだろう。
勝ち目があるなら自分から内通をもちかけたりする筈が無い。
広家はそもそも反対している。
秀元もまずは反対だった。
>>195 お前よ、程度が知れるから細かい間違いするんじゃないよ。
一々突っ込み入れるのも面倒だから放置してる間違いも多々ある。
198 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 02:36:27
メジャーリーグ・・・織田、豊臣、徳川、島津、武田、上杉、真田、本願寺、
トリプルA・・・伊達、長曽我部、今川、立花、北条、細川、山名、大友、竜造寺、佐竹、朝倉
ダブルA・・・松永、浅井、宇喜多、大内、前田、
シングルA・・・小早川、吉川
リトルリーグ・・・毛利
199 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 02:37:18
毛利に勝ち目があるという錯覚こそ最大の間違い。
読書がてらの暇つぶしの相手にも不足っつうかよ。
201 :
白馬青牛:2006/02/10(金) 02:45:56
毛利家臣団の話題とずれておるように思う。広家さんが裏切り者じゃと
されとるスレが多いが、広家さんはたとえ徳川に利用されておることが
解ってたとしても、「義理」を考えて西軍に属することは出来ん。
広家さんに朝鮮の役で戦闘を知らんのに口を出すなと罵倒された
安国時恵瓊さんも、豊臣家に「義理」があるので仕方ない。輝元さんも
同じ事。みなが「義理」を果たす為苦しんだ。と言うことであろう。
202 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 02:51:37
毛利は外様大名っつーより、不様大名。
203 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 03:03:02
何だか恨が充満しているスレだな。
204 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 03:30:03
毛利みたいな不様大名を過大評価したがる馬鹿が粘着してるだけだろ。
主君がその愚劣さでプーになる危機を救った吉川は忠臣の鑑だよ。
関ヶ原で毛利を評価する奴はいない。
206 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 04:38:42
まあ、その後徳川家などは36万石程度に没落した毛利にボコられて
あっさり天下人から転がり落ちたわけですが
207 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 06:26:44
>>176>>184 幕末に秀元の子孫から輝元の子孫に藩主が代わって
最初にやったのが岩国に謝罪しにいくことだったって
エピソードもあるわな。
ブスの子と虫の子の傍流同士の家内騒動。
208 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 06:29:07
>>206 幕末までに干拓で百万石まで持っていったからな。
しかし、虫けらどもの子孫が栄えるなんて
元就は予想していたのだろうか
それと、広家がシカトされ始めたときに、兄の元氏は何してたの?
広家の冷遇って具体的には何のこと?
211 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:44:19
関が原以外でも毛利みたいな不様大名を評価する奴は居ない。
212 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:50:50
しつこいよ
巣に帰れ
213 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 13:02:41
毛利厨はチョンの血を引いてるからしつこいものでアリマス
そういえばどこのスレでも毛利がらみの厨は皆キチガイじみてるもんな。
同一人物なのかも知れないが。
215 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 13:50:34
余程毛利に恨みがあるんだね
吉川氏ね
不様大名マンセーの毛利厨が目障りなだけでは?
近代史板が出来たのもこの馬鹿が日本史板で暴れまわっていたからなんでしょ。
218 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 14:17:23
たからしつこいよお前
毛利厨がしつこいのは、朝鮮の血を引くからだ。
諦めるんだな。
>>215 このスレには会津人が常駐してるからなw
よほど維新の恨みを晴らしたいのだろう
みじめな負け犬は相手にしないほうがいいよw
あと、毛利は関が原の恨みを維新で晴らしたからね
臥薪嘗胆をまさに実現したわけだ
会津人は永遠の負け犬だからまだこんなスレに粘着してるのさ
壁│・m・) プププ
221 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 15:29:09
じゃあ話を変えて、
元就の代について語ろう
222 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 15:35:06
おーい、会津人がいるみたいだぞw
いつも思うんだが、山口県の奴は自演が下手すぎる。
当てはまるのはどれか。数字を答えよ。
一、毛利厨
二、会津厨
三、島津厨
四、徳川厨
五、尼子厨
六、大友厨
七、石田厨
八、チョン
九、シナ
十、ロシア
十一、ムシャクシャしてやった。誰でも良かった。
十二、その他(名前記入)
〔例、一 〕
225 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 20:36:19
>>210 秀元子孫は支藩になっていたのに吉川氏の岩国藩を認めなかった。
>>207 幕末に輝元の子孫になったときに岩国藩としてもらったけど、それまでは中途半端な立場。
広家の冷遇というよりは吉川家の冷遇だな。
家格問題が出てきたのは17世紀の終わりで、関ヶ原とは
あまり関係がないと思う。
広家について言えば、輝元は娘を広正に嫁がせるときに「当家にては
秀元吉川肝要に候」と書いているくらいだから軽視はしていなかった。
それと、細かいことだが、徳山藩主家出身の元徳に家督が譲られたのは
1869年で維新後。
吉川経幹と和解した1856年当時の慶親は重就の子の孫で、秀元の血統。
秀就が生まれたときに、家督争い起こして、秀吉に潰されればよかったのに
228 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 15:51:55
229 :
白馬青牛:2006/02/11(土) 23:39:48
>>228 何でわしが、毛利厨になるんかいの。せめて郷土広島厨にしてくれいや。
戦国期の毛利氏や安芸国人衆は、広島県人の先人であるが、毛利氏が
山口県に移って、そこで生まれ育った人達は山口県人じゃ。
混同して荒らしとるんは他の厨じゃろう。
230 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 10:28:58
主家を売った売らぬは別として、吉川広家は認識が甘かったのだけは確か。
西軍の総大将になって、ただで済むはずない。やはり豊臣秀頼を奉じて
大坂に篭城した方が和睦がなったにしてもまだマシな結果になったんじゃないか?
徳川がアメリカだとしたら毛利は日本だな
外交下手のヘタレw
その点島津は外交がうまい。それに名君ぞろいだし
例えるなら中国あたりかな
232 :
高杉晋作:2006/02/12(日) 12:45:30
わしはガキの頃、天然痘を患ったんじゃ。青木のオッサンのおかげで
一命は取り留めたが、痘痕が残ってのお・・・
近所の低脳どもから小豆餅ゆーて笑われよった。そのうち道ですれ違った
奴は皆わしのことそう思っとるよーな気がしだした。その都度心の中で
殺意が湧く。
そしてわしは嫌われ者の集団、村塾に居場所を求めた。じゃがそこでもわしは
嫌われそばにいたのは聞多と俊輔だけじゃった。わしらはどーしよーもない狂気を尊王攘夷
の名の下に物を壊すことで抑え続けた、それできかんくなると今度は人を壊した。
やっと作った仲間たちも禁門や池田屋で幕府よりの連中に一網打尽にされた。
わしがこの国で王様になるにはどーすりゃーえーんじゃ!
>>230 大坂城を包囲しつつ毛利の本拠地を攻撃。
234 :
日本@名無史さん:2006/02/12(日) 23:34:45
>>231 徳川=アメリカ
毛利=日本
伊達=韓国
上杉=北朝鮮
島津=中国
琉球=台湾
豊臣=ロシア
235 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:42:38
会津の負け犬が居ると聞いてこのスレに来たが・・・最悪だな。
毛利厨、島津厨の方が遥かにまし。
どうせ、少し前の大河ドラマ「新撰組」でも見て洗脳された
生半可の歴史無知だろ。
このスレから去れ!会津厨。
236 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:45:39
大罪スレを移したのが裏目に出たな。
本来この板にいるのが疑問のやつらだからね。
会津厨の隔離スレは必要だったんだよ。
237 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 00:37:23
会津厨。
超キモ過ぎます!てか氏んでくれ!
238 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 07:09:34
チョン囚人必死だな
240 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 13:20:04
関ヶ原発生時点での主要毛利軍団の年齢
毛利輝元 48
天野元政 42
末次元康 41
吉川広家 40
宍戸元続 38
小早川秀包 34
毛利秀元 22
小早川秀秋 19
毛利秀就 6
ところで誰か右田毛利家(天野元政系)の系図とか持ってない?
241 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 13:26:19
>>240 日本名字家系大事典によると
元政━元倶━元法━就信=広政━広信=広定━就任━房良=房顕=元統=親信=祥久━重雄━祥允━祥元
祥久のときに男爵らしい。
242 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 04:22:08
もし百戦錬磨の吉川元春と島津が戦っていれば島津は滅亡していただろうな。
243 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 05:05:21
プ
元春は秀吉の為に頑張る気はない。
秀吉VS島津のときは
毛利VS秋月の合戦もあったの?
秋月って毛利VS大友のときは毛利方について戦ったけど
百姓に負けた長州
覚
一 みなみな腹立尤もに候
一 上は御気毒に被思召上儀に候
一 早々しづまりかへるべし
吉田御代官 林喜八郎判
船木御代官 市川久右衛門判
徳地御代官 楢崎与兵衛判
247 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 08:19:16
小早川隆景の恋
248 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 08:20:35
秀吉がビビッて逃走してしまう吉川元春と島津とでは格が違う。
249 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 12:15:14
清水宗治は切腹する必要があったの?
秀吉や家康が潰せなかった島津に吉川ごときが何か出来るような気はしないんだな。
251 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 13:42:29
6万もの大軍を率いた秀吉をビビらせて逃走させた吉川元春
秀吉にビビッてあわてて剃髪し土下座をした島津義久
どっちが格上かは明白
252 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 13:55:25
猫騙しが一回当たったみたいな程度の話を切り出してもなぁ
>>251 つまり、無駄な犠牲を払わずに、敢えて下手に出た島津が格上ってことですね?
島津が降伏した時に秀吉は、「馬鹿な奴だ。もう少し粘って戦い続ければ負けたのはこっちの方だ」という本音を述懐した。
秀吉的には生涯最強の敵だったかもね。
>>254 もし勝っても、その後が続かないんじゃないか?
また戦国時代に逆戻りするんじゃ?
中国大返しの時に、毛利が秀吉を追撃しなかったのと似ていますね
256 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 19:01:53
当時の経済大国である琉球を手に入れ、秀吉を倒した島津であれば中部地方から西は完全制圧できる。
後は家康が踏ん張る関東から東半分がどうなるかだが、
それはその時に島津と家康がどう立ち回るか次第だな。
257 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 19:42:12
>>256 島津と本願寺は宿敵も宿敵、本山も抹殺しようとすると、
隠れ念仏にならず、一般門徒も全滅まで戦ったと思われ。
258 :
白馬青牛:2006/02/18(土) 00:22:26
まだ、毛利家臣団と関係ない話ばっかりじゃのう。
百姓が弱い?役人化した武士階級の方がヘタレが多いかろう。
幕末のおり、長州攻略に参加し進駐した越後の高田藩榊原の武士は、
広島の海田で喧嘩し地元庶民より強かったとでも?
「安芸の國でも海田がなけりゃ、殿に恥辱をとらしゃせぬ」
帰りは大変じゃったのう。土民が武装し幕府軍を襲うのを止めるのに
広島藩もおうじょうした。
島津?攻城や籠城に巧みでなく、中国地方では通用すまい。
正面攻撃も琉球で苦戦したように強くはない。持久戦が出来んことは
致命的なことじゃ。
259 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 08:06:54
輝元や隆景の野戦の戦績ってどんなもんなの?
この二人はあまり野戦は得意でない?
260 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 10:52:16
篭城戦が死ぬ程下手な毛利を倒すのは簡単でしょ。
秀吉の真似すりゃ猿でも勝てる。
261 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 14:32:20
>260
うまいこと言ったつもりか
262 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 15:36:50
>>260 そんなこといったら尼子晴久の立場がなくなります><
263 :
白馬青牛:2006/02/19(日) 23:39:32
>>259 隆景さんは、朝鮮の役最大の武勲挙げた将であろう。最大のヤマ場、
碧蹄館の戦いで、もし日本軍が負ければ継続戦闘が出来んかった。
碧蹄館の戦いでは、至近距離に敵を引き付け、後退と見せながら
誘い込み勝利する。勢いのあった明軍を相手に逆転勝利であり、
また無謀な突撃を避けたのも歴戦兵士の休養をさせる意味もあった。
大谷吉継さんもこれを聞き感嘆されたという。
今後の持久戦を想定した判断かも知れん。隆景さんは小田原城攻めでも、
秀吉さんに意見を聞かれ、持久戦を提案されたそうで、名将に相応しい
人物じゃろう。輝元さんは武勲に薄いが悪い人ではないと思う。
264 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:26:33
また広島自慢かよ
265 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 06:15:51
>>輝元さんは武勲に薄いが悪い人ではないと思う。
人間的にはな
266 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 15:22:32
現代の大企業の三代目には打って付けの性格だったかもな
質問です
戦国時代福原氏は広俊―貞俊―広俊―貞俊―元俊―広俊と同じ名前がいますが、
江戸時代も貞俊広俊がたくさんでてきたのですか?
268 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:06:35
>>258 琉球戦では苦戦したのか?
俺の読んだ本では、長年戦慣れしていない琉球兵が3千の薩摩兵を前に
戦わずして次々敗走したと書いてあったが。
>>268 琉球はまともに武器を扱える奴がいないから
勝って当然では?
まあほとんど戦がなかったしな
270 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:59:46
>>258 >島津?攻城や籠城に巧みでなく、中国地方では通用すまい。
中国地方はへタレ王国。九州地方では通用しない。
大内と尼子、木偶の坊の曙ランド。
曙ランド園長 毛利輝元
271 :
白馬青牛:2006/02/20(月) 23:56:28
>>268269270 読んだ本とは、どの本か?琉球軍が戦わず敗走と書いてあったんか?
http://www2.oiu.ac.jp/6/tukoitir/sei0020.htm にも「味方頗る死傷あり、」「終に敗られ、帯刀はしめ従士過半死す、」
等、まともに武器を扱える奴がない相手に苦戦しておるのでは。
>九州地方では通用しない。ほう、小早川(毛利)秀包は、秀吉の
九州討伐での武勲で秀吉さんから、太刀一振りを貰っておりますが。
九州の武士が、ヘタレで木偶の坊であったと自慢したいんか?
後に薩摩藩の武士が、芸州広島藩の武士に喧嘩で負けたことを
自慢したいんか?
272 :
270:2006/02/21(火) 07:40:40
>>271 >読んだ本とは、どの本か?琉球軍が戦わず敗走と書いてあったんか?
漫画の琉球史本で儀間真常について書いた本で、
琉球は平和だったので、歴戦の薩摩の武士にはかなわなかったと書いてあった
273 :
琉球国王の末裔:2006/02/21(火) 23:51:35
>>271 インターネットには嘘や偽の情報も多い。
そこから真実を見分けるのは難しい事だ。
やはり、書物なんかの割りと正確な物を優先せざるを得ないな。
それに、島津氏の歴戦の部隊。戦記や戦法なんかを見ても、
「島津VS琉球」だったら勝利は火を見るよりも明らかじゃな。
274 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:54:44
>>271 もう一度、小学校に戻って勉強したら?
君のような香具師には日本史板は高度すぎて無理だね。
厨房板にでも、書き込んでな!
275 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 00:14:57
どうでもいいが島津厨はどこにでも出てくるなよ
島津の話しは島津スレでやれ
別にそんなもん知りたかない
276 :
白馬青牛:2006/02/22(水) 00:34:30
>>272273274 何じゃ、漫画の琉球史本か。まだ漫画を読む年齢か?
正確な書物を提示せい。勝利であろうが苦戦したことに変わらん。
わしが、小学校なら、おどれら幼稚園からやり直しじゃのう。
277 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 22:41:24
278 :
白馬青牛:2006/02/22(水) 23:54:07
>>277 幼稚園児さんよう、わりゃァ、つまらん罵倒を言う暇があるんじゃったら、
>271で、引用したサイトの文面のどの部分に意見が違うんか言えいや。
こういう資料があると提示せえ。根拠が漫画本と幼稚なこたァ言うなや。
279 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:05:12
毛利は篭城戦が死ぬ程下手糞だから問題ない。
秀吉の真似すりゃ猿でも片手間に勝てる程度の雑魚に過ぎない。
280 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:30:30
/ \
|_ --――― - _ |
/ _ -――ヽ\ |
/ / ̄ ヽ \ .|
| / -―、 ,-―- ヽ \ |
| |  ̄ヾゝ/ ヾ/_/ ̄ \_\|
ヽ | >==、 ,,==< ミミニ |
\| }_(o;)」 》 L(o;)_{ ミ/ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| (⌒ ミ / | < ギギギ・・・ナージャも孤児なんか・・・
| (_ ゝ ^ _) ミ ゝ / \________________
| ヽ ̄⌒ ̄ ̄ / ミ_/
| \, ―-―、ノ /|
ヽ  ̄二 ̄ / |
\_ _/ |
\  ̄ /
\ /
中岡元
町内会長の指を噛み切ったり、右翼と戦ったりする、アウトロー。
281 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:38:00
大友に負けた毛利広島
ヤクザ広島
はだしの広島
284 :
白馬青牛:2006/03/02(木) 01:16:24
>>283 大友に負けた?何処で。立花城も攻略した訳じゃし、(捕虜は護衛を付け
豊後へ返す。)大内輝弘が挙兵した時、立花城を撤退した時も、
小早川隆景は、乃美宗勝に大友側に城を明け渡す際、城の中の大友側の
人質を開放し、速やかに周防に戻るよう指示しておる。
それより琉球で苦戦した>271にまだ答えられんのか?
島津より小早川が朝鮮で武勲を持つことが悔しいんか?
それとも薩摩藩士が三人がかりで一人の安芸藩士に喧嘩で負けたことが
悔しいんか?最初に薩摩を誉めたことに図に乗るなや。
285 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 08:09:44
毛利の家臣構成で大身は外様系と譜代系のどちらが多い?
有田中井手の戦い ○毛利軍1千5百 対 ●武田軍7千
元就の初陣。 当時の毛利家の領土は3000貫といわれ、15000石〜25000石ぐらいといわれているほど少ないものだった。
初陣、そして圧倒的劣勢にもかかわらず圧倒的な戦力差を華麗な戦術ではねのけ、総大将武田元繁を討ち取り軍団を総崩れにさせる。
元就の天才ぶりはこの時から発揮されていた。
後世西国の桶狭間と呼ばれる。(状況を考えれば桶狭間以上の大勝利)
佐東銀山城死守戦 ○毛利尼子連合軍 対 ●大内軍
有田中井出の戦いで敗れた武田氏が尼子の力を借りようとし、友田興藤は武田氏の援助を受けて、桜尾城を奪った。
一方の大内義興は自ら出陣し桜尾城を包囲した。そして息子の大内義隆と副将・陶興房に銀山城を攻撃させた。
元就はまだ尼子方の武将だったので、銀山城を死守するようにと尼子経久に言われていた。
劣勢に陥った尼子武将。
見かねた元就は軍義で夜襲を提案、意表をつかれた大内軍は大混乱に陥り城の包囲を解かざるをえなかった。
吉田郡山城の戦い ○毛利軍3千 対 ●尼子軍3万
圧倒的な数の軍勢を率いる尼子軍を巧みな篭城戦でこれを撃退する。
その後尼子は衰退する。
折敷畑の戦い ○毛利軍3千 対 ●陶軍7千
山に布陣した倍以上の敵軍を下から攻撃し、大将宮川長房を戦死させ完勝を収める。
地理的にそして兵数的にも不利な状況ながら、総大将を討ち取るという完勝っぷりは元就、そして息子達の戦上手ぶりが垣間見れる。
宮尾城攻防戦 ○毛利軍5百 対 ●陶軍1万6千
圧倒的な敵の大軍の大攻勢に耐え抜き、厳島合戦への足掛かりを作る。
厳島の戦い ○毛利軍5千 対 ●陶軍2万5千
自身の頭脳を駆使して厳島へ上陸した陶軍を壊滅させ、西国無双と呼ばれた陶晴賢を自刃へ追い込む。
運だけの桶狭間とは違い、自身の頭脳を駆使した完璧な戦だった。
この戦だけでも元就の凄さが分かると思う。 この合戦後、元就は戦国随一の勢力になる。
287 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 17:22:47
>>286 ○へたれ毛利軍 対 ●スーパーへたれ中国軍
288 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 05:54:12
289 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 14:13:27
290 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 14:50:31
中国地方に猛将ゼロなのは、なぜですか????????
一番強くて、吉川元春ですか???????????
島津家久・義弘、本多忠勝、とかいないですよね??
291 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 15:18:51
居ないわけじゃなくて、メジャーではないだけ
292 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 17:43:34
中国は所詮マイナーリーグだしな。
毛利も雑魚の中では目立つだけであって、全国レベルでは負け犬のオーラを感じる。
あの辺から出たメジャー級の実力派は黒田如水や長政くらいか?
秀吉が自分の死後に天下を取るのは黒田だと考えていたくらいだし。
293 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 19:10:53
猛将 杉原理興
294 :
白馬青牛:2006/03/24(金) 21:20:38
>>290291292 応仁の乱で山名側の安芸国人の鬼平賀と並んで勇猛振りを発揮した
鬼吉川と称された吉川経基や京都・船岡山合戦で目覚しい活躍をし、
鬼平賀と称された平賀弘保等、安芸は猛将の宝庫じゃ。
他地域とはレベルが違う。負け犬は、他地域に蹂躙された地区であり、
安芸は、他地域から蹂躙された負け犬であった事は、一度もない。
295 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 21:16:24
296 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 23:32:07
コーエー厨と広島厨
297 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:53:45
>>290 コーエーゲーに出てないだけでゼロ扱いですかそうですか
298 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 21:53:36
. ィ
.._ .......、._ _ /:/l! <
>>290またまたご冗談を
:~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、| _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':,
``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:' ノ゙ノブ
" .!-'",/ `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
.-''~ >'゙:: ‐'"゙./ ヽ.,' ~ /
//::::: ', / ,:'゙
隆元の早死にが惜しまれるな
輝元の親父らしくお人よしだったそうだが、優柔不断ではなかったようだ
せめて関が原まで生きていて欲しかった
吉川晃司が毛利の子孫、とか昔ベストテンで言ってた。
301 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 03:13:38
吉川コウジも頭おかしかったもんな
302 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 18:09:41
303 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 18:13:24
吉川経家の末裔は毛利一族ではないだろ。
吉川本流だろ。
これからは有地一族の時代!
305 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 18:52:13
毛利の全盛期の石高って何万石?
306 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 18:58:42
36万石の頃が全盛期。
それ以上に石高を持ってた時期は百戦練磨の尾張&三河軍団相手にブザマ極まる連戦連敗を喫して、
メジャーリーグの壁というものを思い知らされまくり。
確かに毛利はマイナーリーグではトップクラスだけどメジャーリーガーに囲まれた途端にデクの棒って感じ
>>305 豊臣家の五大老時代の120万5000石。信長が生きていた頃は、最初は本願寺と上杉と手を結び織田を押していたが、その後、謙信が死に本願寺は降伏し、形勢は逆転しジリジリ押され気味だったからね。
信長の死後、織田家と和睦を願ってた輝元は、羽柴秀吉になびき滅亡を免れたんだよ。
309 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 19:36:24
調子こいて皆と袋叩きにしようとしていた織豊政権に次々と逆転負けを食らい続けた果てに命乞いか。
ザ・ブザマ
310 :
白馬青牛:2006/05/20(土) 00:21:54
毛利罵倒が始まったようじゃ。尾張三河軍団と言うても、現地で兵員と
なった現地兵は存在せんのか。三河、尾張の兵だけで、東国から北陸、
中国、四国と遠征出来るんか?織田、羽柴軍の兵站が延び過ぎて
おらんかと様々な要素もある。メジャーじゃデクの坊等、根拠も無く、
罵倒しまくる処、他国に蹂躙され、奴隷化された地域の言であろう。
311 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 00:32:09
郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史 其の弐
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/l50 86 :名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2006/05/19(金) 22:00:43 ID:/e9Rf/380
>>85 ソースも無しに揚げ足取りレスしないこと。
そういえば君はまともにソースを出したことがないね。
87 :名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2006/05/19(金) 22:10:56 ID:/e9Rf/380
205はねえ、関西周辺優勢史感の民俗学と戦史を幼稚に関連ずけようとしてるね。
88 :名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2006/05/19(金) 22:20:45 ID:KEHWh/K00
おーい>>205、ちょっとばかり戦史に詳しいからって
悪用は良くないぞ〜。
揚げ足を取ろうと思えばいくらでもとれるぞ。何処のでも
312 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 19:09:47
現在の日本は明治維新にあり
それを育てた長州の教えは凄い
313 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 19:58:51
自画自賛ブザマ
314 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 21:26:02
>>290 山中鹿之助は鴻池の先祖だったはずだねたしか
315 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 21:39:13
明治維新は英米の工作によって成しとげられたのである!
西郷の失脚の原因は英米の買収工作にも動じなかったからである!
という新説を発表する。
316 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 21:44:50
だれか、池田梁蔵って知りませんか?
とりあえず顔だけ出しとく。
318 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 21:55:54
>>317 お前は来るな!!
ややこしいことになるさかいに。
319 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 22:48:14
ブザマね
320 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 23:37:34
だれか、池田梁蔵って知ってる人いる?
このスレじゃあ尼子はしょせん毛利の噛ませ犬ぐらいにしか
思われてんだろうな('∀`)
尼子って誰?
忍たま乱太郎の作者
324 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 21:08:10
尼子経久は好きだよ
325 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:41:50
やはり毛利の家臣はぱっとしないね
家臣だけだと武田が一番かな?
326 :
白馬青牛:2006/06/12(月) 01:13:50
>>325 毛利の家臣と云われても、安芸国人は、元来毛利氏と対等な関係にあった
わけで、甲斐武田氏の東国的隷属縦社会制度から発祥した奴隷武士団と
比較されても、しょうがない。
327 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 07:45:57
奴隷武士団?
日本史板ではすっかり嘘つきとして有名になったチョン囚人が今回も歴史歪曲を始めたようだな
328 :
白馬青牛:2006/06/12(月) 23:20:21
>>327 日本の東西の社会構成の違いを云うたんじゃがのう。
東日本の縦型社会である、主人と従者、家人との間に結ばれる主従関係
(名子・下人等隷属奴隷等)の奴隷体制と
西国の横型社会である、結合を強めるには合議が尊重される(横の連合で
安芸国人の傘連判状に典型である一揆結合)様式とは違う。
東西の武士団の形態の違いを考慮せず、嘘を吐くのはどっちかのう。
329 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:40:38
恣意的な資料選択で粉飾された強引な屁理屈
紛れもなくチョン囚人の習性だな
330 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 16:13:27
東国の武士は略奪するしな〜
やはり海洋と大陸の違いか
331 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:22:43
またくだらないやりとりの始まりか、やれやれ・・・
332 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:24:42
>>327 日本史板ではすっかり嘘つきとして有名になった白馬青牛が今回も歴史歪曲を始めたようだな
333 :
白馬青牛:2006/06/14(水) 23:47:43
>>329 恣意的な資料選択で粉飾されたと断定するんなら、東西武士団の構成要素に
差がないとする意見を聞きたい。どのようなものか?罵倒だけで、あなたの
意見や考察もない。
>>330 東国の習いに女子童子を捕らえ売買する族が多かったが、梅棹忠夫氏の
ような西日本=海洋国家、東日本=大陸国家とは違う概念。海上交易には
奴隷売買が不可欠であり、海洋国家=民主的とは言い難い。
東国の上下の差の激しく、村落の代表も世襲制であり、社会的に
隷属奴隷制度であったのと違い、西国の村落の代表は選挙制、
武士団も横の連合で構成される社会と違うと云うこと。
東西日本の社会構成を同一視するのが、そもそも可笑しい。
334 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 00:01:26
乱世に毛利
335 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 01:02:13
下らん妄想を垂れ流す前に、
毛利家中の武士たちの間には縦の関係、
則ち上下の身分差が無かった事を証明すれば済む話じゃないかw
336 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 03:20:08
長州人は知能が低いからそういう回りくどい皮肉は理解出来ないよ。
337 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 04:07:32
長州の吉田松陰は尊敬するなぁ。
338 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 04:28:56
長州必死だな
339 :
白馬青牛:2006/06/16(金) 00:50:38
>>332 おどれの意見と違うたら嘘つきか。歴史歪曲とするんはどの部分か?
具体的な指摘もせず、罵倒を繰り返すだけじゃないか。
>>335 下らん妄想と断言出来る要素は何か?抽象的な妄想を繰り返しとるんは
おどれらじゃろう。戦国期、毛利家が突出して勢力があっても、傘連判状の
国人間の対等な一揆契約を結ばざるを得ないことや、輝元さんが、広島に
城を作っても、国人領主が領地から離れず、城下に強制的に集めることも
出来ん状況があった。まあ兵力の運用で弱点にもなったが。
まあ、安芸は封建制が薄い土地柄なのでしょうがない。
東国の親方小方隷属制度と一緒にすなや。
ほいで、わしは安芸人であって長州人じゃないど。
別に毛利の力は突出してないし。
例の3人組や武田、上杉、島津をメジャーリーガーとすれば毛利はせいぜいAAAどまり。
341 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 08:23:38
最後に徳川を倒したんだから良いではないか
343 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 19:49:53
良いではないか良いではないか
344 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:37:00
>342
伊達も江戸時代に本家の本拠地があった県の球団
"愛媛マンダリンパイレーツ"ぐらいの実力はあると思う。
345 :
白馬青牛:2006/06/29(木) 23:13:19
>>340 兵力動員力で実力を決めなや。封建制の薄い国人横連合の安芸とは、
社会制度の違いがあるんじゃに。毛利は、島津を撃退したこと
(天正十四年)はあっても、島津ぐらいに負けとらんのじゃけど。
四国の長宗我部と一緒にすなや。
まあ島津の負け惜しみはどうでもええわい。
ほいで、上杉、武田等は、西日本のレベルでは雑魚に過ぎんよ。
346 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 05:42:36
確かに西日本の兵隊の強さは、越後兵や薩摩兵にはかなわないが、
城攻め(富田城)で城を陥落させたり、海をわたって戦ったり(四国攻め・
九州攻め)など毛利家はかなり先駆的な合戦を行っている。
347 :
白馬青牛:2006/06/30(金) 23:30:01
>>346 西日本の兵隊の強さは、越後兵や薩摩兵にかなわない?
どういう理由で?どこが強かったんか?安芸に勝ったことは無い
じゃろうに。
越後兵は、関東よりは強かったじゃろう。まあ関東人奴隷狩りじゃし。
上杉謙信も、関東奴隷売買業の主に過ぎん。毛利家は地元豪族の要請で
出兵した訳じゃし、先駆的な合戦でもないよ。
訂正:討死のようだ。
>うし
>>290みたいなコーエー厨房に低評価され叩かれる点では、
中国(山陰とか)も関東も同じだと思う。
伊予なんかもそうだろうな。
350 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 20:32:56
しょぼかったら中国地方十カ国の主にはなれんと思うよ
広家の関ヶ原での不戦は中国大返しにおける隆景を真似ようとしたのかな?
「羽柴との盟約を守り、追撃しなかったからこそ今の毛利家の安泰がある」
と隆景が広家に終生自慢したと書かれてある
351 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:44:25
毛利元就の成分解析結果 :
毛利元就の98%は気合で出来ています。
毛利元就の1%は鍛錬で出来ています。
毛利元就の1%はミスリルで出来ています。
ちょwwww
>>344 それは随分好意的な評価だな。もしかして仙台人?
353 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 00:21:40
まことに
☆☆☆日本史板雑談スレ其の二☆☆☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1135244101/ 625:宇治小町◆Coro/vD7aI 07/29(土) 10:01
夏の暑さも本格的になってくると、よく演じられる怪談落語に、
岡本綺堂の戯曲「番町皿屋敷」を題材にした「車屋敷」というお噺があります。
お菊伝説にはいろいろな言い伝えが(姫路城より古い)日本国中あるそうですが、そのひとつに、
じつはお菊は、尼子十勇士の一人、寺本障子之介の娘で、青山家へ隠密となって入り込んでいて、それが見つかって殺された。という話しがあるそうです
627:宇治小町◆Coro/vD7aI 07/29(土) 10:08
この寺本障子之介のことが、知りたいにゃ。と、
尼子十勇士や山中鹿之介(変名組?)のスレッドはないか?と、
「尼子」で検索しましたが、ノーヒットですたorz
どこのスレッドがオススメでせうか?おせーて播州な方 ♪
--------------------------------------------------------------------------------
628:宇治小町◆Coro/vD7aI 07/29(土) 10:26
627
×播州な方 → ○雲州な方 スマソ
355 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 11:18:30
こにょスレ。前かゃ気になてたデチッ ♪
〃
(`・π・)
σ σ
356 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/07/29(土) 11:21:03
寺本障子之介のことが、知りたいにゃ。と、
尼子十勇士や山中鹿之介(変名組?)のスレッドはないか?と、
「尼子」で検索しましたが、ノーヒットですたorz
どこのスレッドがオススメでせうか?おせーて雲州な方 ♪
357 :
大目付:2006/08/01(火) 14:19:30
>>326 >毛利の家臣と云われても、安芸国人は、元来毛利氏と対等な関係
>にあったわけで、甲斐武田氏の東国的隷属縦社会制度から発祥した奴隷武
>士団と比較されても、しょうがない。
つーか、守護大名が名ばかりになった時代は、全国的に複数の豪族の集合体
が国を形成していた。血筋もあるけど優れた人間が指導者として指揮してい
た訳で、東西は関係無いと思うぞ。たまたま、武田家は信虎、信玄とカリス
マを輩出したから小豪族が担いだのであってね。一方武田家と直接利害関係
のあった村上家は上杉家に泣きついたりして、謙信はこの小豪族の為に大戦
をしたりしている。
そう思うと毛利家こそ大内家に隷属してたと言えるね。何故なら元就は大内
家の手伝い戦にまで借り出されている。逆に謙信は、小豪族の為に信玄と戦
っている。寧ろ越後上杉の方が横の繋がりが評価できる。
また、付け加えると元就の戦は陰謀ばかり目立って爽やかじゃない。秀吉、
家康、謙信、信玄、氏康、政宗、四国の元親、九州の島津など名立たる武
将らが持つ、心地良さが無いのだ。
358 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 00:08:48
>>357 優れた人間とは何か?個人崇拝か。新興宗教の信者か、北朝鮮のような
独裁体制を賛美したいんなら、北朝鮮に移住した方が個人崇拝、カリスマ
体制を実感出来ると思うよ。合議制の強い西国と主従制の強い東国を
同一視して解釈出来るんか。東西の社会集団に違いが無いとする根拠は?
風土、民俗学的考察が無いと妄想に等しい。
小豪族が担ぐのであれば、言いなりになる君主の方は良い。
毛利が隷属したと云うより、大内氏が勢力が大きゅうなった尼子氏に
警戒し、安芸の国人領主に対し、強圧的であったとすべき。また戦に
借り出されると云うのも東日本的解釈で、西日本の契約と東日本の従属と
同一視しとる。爽やかな謙信、信玄、九州の島津とはのう。
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople. htm
に、あるよう謙信は自ら奴隷市場を差配し、拉致、人身売買の親方の
越後商人に過ぎん。信玄や豊後人を拉致し肥後で売り飛ばす島津も同じ
ようなもんじゃ。尾張・三河勢も含め降人(捕虜)を殺すなど残酷さを
発揮したことが心地良いとは、サディストと云うより他ない。
民衆主義国より、英雄願望の個人崇拝であるあなたは、独裁国家に亡命
した方がええわい。
まあ、毛利勢は立花城を攻略した後、城内の者を豊後まで護送し「中国者の
律儀」振りを発揮したんじゃが。元就さんも、養子による他家への介入等、
欠点も多くあるが、領民に対し、浄土真宗安芸門徒に対しても、他国の
ような弾圧することも無く、他の領主と較べると余程良い。
359 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 00:19:37
360 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 00:27:39
>359も間違えたわい。
http//www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople.htm
>>357 これが広商牛風の罵倒ってもんだよ。
東国の一揆を認めない人だからね。
362 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 00:36:37
365 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 01:02:52
366 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:17:08
「私に対する御恩は生涯忘れませんが、何とぞ毛利という名跡なりと残して戴きたく存じます。輝元父子は今後、
徳川に対して忠勤をはげむことでしょう。万が一のときには、たとえ本家といえども輝元父子を討ち取り首を差し出す覚悟でございます」
広家の起床文は、さすがに彼らの胸を打ったのであろう。十月十日になって、はじめて毛利輝元に対して、長門・周防二ヶ国を安堵すること。
輝元父子の身体は保証することを認めた起床文がもたらされた。中国十一国を兼ねる毛利一族はいずれにせよ厄介な存在である。
毛利一族の解体は家康がかねてから目論んでいたことなのであろう
367 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 01:26:23
やれやれ、やっと出たわいや。
>>364 毛利氏等中国地方は、住民を山城に避難させ、保護したことは、
藤木氏も否定しておられんのじゃないか。藤木氏は、山上がりを
普遍的事例と解釈しておられるが、地域性の違いを考慮せず、
一様にそれぞれの地域の事例を集め、全国一律のようにされて
おられる。また、秀吉の真田氏に宛てた文書で「東国の習いに
女子・童子を捕らえ、売買する族」と東国の後進性も挙げて
おられる。まあ、東国人の地元地域の価値観で西日本を含めるなや。
東国人は、自らの価値観で西日本を同一視するんには、閉口するよ。
368 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:33:52
いやいや、京都大学大学院文学研究科の宮崎教授は、西日本でも広範な捕虜人身売買がされていたと指摘しておられる
369 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 01:49:58
>>368 労働力として、西日本でも人身売買があったことは否定せんが、
全国一律に同じような形態とは云えんよ。
甲斐の分国法ように、子供の配分条項や、労働力の確保に集中した
社会と、北陸のように浄土真宗の門徒が領主の圧制と反撥した
社会。畿内の町衆連合、安芸門徒の本願寺救援に同心した毛利氏等
様々な地域性がある。主従間の隷属性にも差がある訳で列島を
同一性社会と前提条件を付けるのも可笑しい。
>>358 毛利元就の遣り口は陰湿極まりない。
芸術的な物ととらえていた武士にあって、元就は吉川親子を騙まし討ちし
乗っ取りさえしている。
あまたいる武将の中でも元就の遣り口は類を見ない。
>>368氏に指摘されて、今度は否定してないだと?論破されて必死に取り繕
うなよ
お前の東国嫌いは、所詮は羨望と嫉妬が要因なんだろう。お前の論法は
東国が悪で、西日本が善と論じる前に結果が出ていて、それあり気で必死
に罵倒している。これじゃどっかの半島南北国家と同じ論調じゃねか。
しかも、かっぺ丸出しのその口調。周りに田圃か畑しか無い処で、キー叩い
てんだろうけどさ。特に毛利なんざ閉鎖社会だろう、他所モンは絶対受け付
けないケツの穴の小ささ、お前のマインドはそこにある
371 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 23:40:50
>>370 芸術的な物ととらえていた武士とは何か?抽象的表現じゃ解らんよ。
元就さんが興経さんと千法師さんを謀殺し他家を乗っ取りしたことは、
その通りじゃが、遣り口は類を見ない?信長を始め、他の戦国武将と比較
したんか?騙し討ちは、安倍貞任が源義家対し重陽の節句に酒を進上を
装い騙し討ちを仕掛けたた東北人もお得意なようで。
>368氏の指摘とは関係なく、今度はと、工作しとるが、
否定もしとらんよ。しかも論破もされとらん。藤木氏が云われるよう、
毛利氏が住民を山城に匿うのも、住民を収奪される危険があった訳で、
人身売買の要素は、中国地方でもあった。じゃが、分国法で被官の扱いで
他家に仕えんようにとした毛利氏と他家に移った者は死罪とする武田氏とは
社会性の違いがある。それを全国一律に時代的現象とする共産主義的
発展段階説で捉え、西日本に自らの価値観を押し付ける、異民族とも
云える東日本人の思想が可笑しい。東日本の残酷さにはあきれ、同じ列島
住民としては恥と思う心はあるが、弱いもの虐めの東日本に羨望や嫉妬
する訳あるまい。
善悪じゃ二元論、感情論で決め付ける方が朝鮮半島的、朱子学的解釈
じゃろう。かっぺと文明人ぶるのも、宗族性の発達した、東日本や
朝鮮半島の思考じゃろう。閉鎖社会じゃ他所モンは絶対受け付けんとは、
あんたの地域じゃそうなんか?他民族であっても、こちらから誠意を
尽くせば良い。自分以外の他者のおる前で、相手の面子を潰さんように。
相手に意見したい場合は、他者の権威を借りず、一対一で五分の関係で
話あえばええよ。異国に来られた方は、周りに同質文化を持っておる
相談相手がおられる場合は別として、孤独なんじゃし、そのご子息は
日本人(日本文化人)となる。誠意を尽くしてから、地元地域で守りゃな
いけん筋を教えてあげにゃあいけんよ。そがいな配慮がないとのう。
ケツの穴の小さい、ケツの穴は処女のわしでも、他所モンを絶対
受け付けんと断定されても困るわい。他所から来られた方にも寛大で
ありたいとは思うとる。わしゃは、まだまだ人様に対し誠意が足りん、
つまらん者じゃがのう。
>>371 語るに落ちるとはお前の事だな。
当時の武士がどう言う精神状態や、戦における作法や暗黙のルールって言うのを
考えた事があるのかね?だいたいさ、戦国期の比較をしているのに、今度は古代に
遡って反論か、もう馬鹿かアホかと?
少なくとも首都東京は、お前の様な分からんちんも、受け入れる度量がある。しかし
だ、関東の人間が山口に行って受け入れられた試しが無い。
お前の執拗なまでの東国批判を見れば、受け入れる人間である筈が無い。
どんなにお前が喚いても、首都は東京にあり、第二の都市は大阪にある。関西以西の
西日本は所詮、橋にも棒にもかからない地域。一方の関東ばかり発展し、己の地域は
近所のデパート崩れが唯一の拠り所で、コンビニすら何処にのか?街って言っても夕
方にはそそくさとクローズする有様だからと言って一々、こちらを攻撃しないでもらいたい。
だいたい、その口調辞めろ!いろんな地方の奴も読む場なんだから標準語で書き込め。
373 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 09:58:22
>>371 例えば、一騎打ちを所望し、挑戦された相手が進み出ると
矢を射掛けるなど、卑怯であり武士にとってあるまじき所業だね。
武士の感性とは、戦場にあって卑怯な態度や作戦を取らないと言う
のがそれだ。それが効果の期待できるものであってもね。
それに半島国家の言い分は、我が国の繁栄に嫉妬があるから何に
つけ、言い掛かりをつけて扱下ろしているだろう。比較したり、
倭人と称したり、既に賠償の済んでいる事案を持ち出して謝罪要求
したり、一方では我が国の発展を横目に、自国と自国民は優れてい
ると言い放つ始末。
貴方の批判文も、関東・関西に西日本が経済や文化の発信に及ばな
い事を妬んでいるが故で、論調も半島国家のそれと極めて似ている
ね。
少なくとも、色んな連中が集まる関東や関西は閉鎖的じゃないよね
>>371 小早川のっとりの手本を見せたのは経久で・・・
375 :
白馬青牛:2006/08/03(木) 23:25:17
>>372 当時の武士の精神状態をどう理解出来たんか?戦国時代の作法や暗黙の
ルールとは何か?抽象的過ぎる。具体的に云えいや。東日本人に多い
共産主義的な時代的発展段階説で捉え、毎度じゃが、地域性は考慮外か。
われが、山口で受け入れられんかったんを「関東の人間が受け入れられた
試しが無い」と個人体験を、あたかも全ての関東人が受け入れられんと
工作する。わしに対しても「筈が無い」じゃ断定口調で云う。余程、
山口で嫌われたんかのう。隣の広島弁に嫌悪感を持ち、あんたの様に
抽象的妄言をたれよったら、広島でも、「おどりゃァ、何、つまらん、
かばちたれとんなら。わりゃァ、妄想文でセンズリこいとるけえ、
他地方で相手にされんのじゃ。」と、云われるんが当然じゃろう。
377 :
白馬青牛:2006/08/04(金) 00:29:27
>>373 一騎打ちを所望し、挑戦された相手が進み出ると矢を射掛けるなど、
卑怯とされたんは、いつの時代でどの地域の習俗か具体的に実例を述べて
無い。武士の感性において、戦場における卑怯な態度や作戦とは、
どがいなもんか?
何で半島国家が出てくるんか解らんが、倭人を称したりするんか?
倭人を日本人と解釈するんは、半島国家の解釈で、倭人集団は朝鮮の賤視
された集団(モンゴルやツングース集団も含む)や中国沿海民も含め、
エスニック集団であろう。自国と自国民が優れておると考えるんは、
朝鮮半島の人達と嫌韓人の共通性であろう。
宮本常一氏が主従制の強い社会は嫉妬も強いとされたのも、宗族制の強い、
東日本と朝鮮半島に共通し面白い。都市化や人口で華夷思想結びにつける
とはのう。あなたの言は、半島の国粋主義の人達や、日本の嫌韓、国粋、
中華主義者と同レヴェルじゃろう。色んな連中が集まったら閉鎖的で無い
とする根拠は?
>>374 尼子経久さんの、鉢屋賀麻党と云う芸能民を使う乗っ取りと、
小早川氏のそれは、大内氏の意向(大内氏の安芸に対する懐柔で、
養子政策は、逆に毛利家を突出し強大にして仕舞う結果となる)もあり、
同一視は出来んと思うが、結果として大内氏の意向を汲んだ元就さんが、
漁夫の利を得ることとなったとも云えます。
自分自身の事だろ。
>>375 広島弁だか何だか知らないけど、嫌ってるんじゃなくて読み難いの
我の強いのはどうかと思うね。標準語で書き込んで欲しいね。
何をそう息巻いてるのか理解できないけど、広島県以外の連中も読む機会
のある場で、訛りを披露した処で単に我の強い奴としか思われない。
前レスで指摘しても、尚続けている態度の何処に他所者を受け入れる思考
が備わっていると言うのか?
その態度を改めない限り、所詮は自我を押し付けるだけの狭小な人間とし
か思われないんだ。
いいか、所詮田舎は余所者を、多く受け入れると言う文化が育ってないんだよ
逆に言えば受け入れない事で、地域の古い文化や町治安を守っていたのだろ
うけど。
て事は、余所者や余所者の持つ考えを受け入れる文化を持てないって事だ。
それは、お前のこれまでの病的な東国批判文を見れば明らかだが。
>>377 ま・・・まさか月山富田城のっとりのことを言い出してくるとは思わなかったw
経久の月山富田城ののっとりの話じゃないよ。
塩冶氏のっとりの話だよ。
382 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/08/06(日) 16:13:06
>>379 現在の広島県は、原爆にあってから県民性が変わったらしいから ..
けど。PUって方も変わってたなぁ〜
あ、あの方も広島ご出身や。
日本史板て、広島分が高いねんなぁ〜
>>382 白馬青牛が被爆者だという噂があるのだが本当でしょうか。
経久もそうだが元就さんって衆道の話ってあんま聞かないね。
公家かぶれの大内さんの家ではどうなんだろう。
385 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 02:52:21
義隆と相良武任,晴賢の痴情のもつれ?
386 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/08/07(月) 21:42:03
今日も罵倒大進撃なしか。ジョスイにナカータありがとうございました。
・・・牛ちゃんのいない史板なんて(´・ω・`)
白馬青牛が来なくなったのは痛いトコ突かれたからで、ふて腐れてるのだろう
まぁ結局は、ケツの穴の小さい奴だったって事だな
390 :
白馬青牛:2006/08/17(木) 15:02:59
>>389 痛いトコ突かれたから?ケツの穴が小さい奴?突くじゃあケツの穴じゃあ
わりゃ、そがいに男の尻が好きなら、衆道のスレへ行ったほうがええど。
392 :
白馬青牛:2006/09/06(水) 00:24:50
>>382 >現在の広島県は、原爆にあってから県民性が変わったらしいから?
具体的根拠ものうて、ええかげんなこと云うなや。
風土的には、戦前と戦後も変わりゃはせんど。
牛ちゃんが定ちゃんに噛み付いたw
394 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 13:14:05
薩摩の土人に比べたら足利1?代将軍の為に京に上った大内がいたりと、中央に多少なりとも影響があった本州の国・大名の方が上じゃね?
毛利>>>>>名将(笑)がいるわりに九州すら制圧出来なかった土人
395 :
金吾秀秋:2006/10/09(月) 15:05:39
いくぜ! 漏れ様について来い(´・ω・`)!
396 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 16:15:19
萩の三角洲に島流し同然の居城移転を命じられた毛利なんて単なるヘタレ
397 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 23:30:59
桂家が毛利宗家に取って代わるべきだったかもしれん。
398 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 16:03:28
>>372 釣りで書いてるのか?ならば釣られてやろう
俺は関東(東京に隣接した都市)から山口に移り住んだが
地元の人たちは暖かく迎えてくれたぞ
コンビニが少ない?セブンイレブンだらけという表現ができるほど
セブンが乱立してたぞ。少なくとも俺の住んでる地域ではコンビニには困らない
お前はもっと国内見識を広めた上で偉そうなこと言うんなら言えや
399 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 17:06:45
おいでませ山口へ
400おいでま
関ヶ原合戦後の処置が安芸一国への減封だったら
徳川への恨みをあれほど強く抱くことも無かっただろう
もともと防長は大内家の所領だったんだし・・・
402 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:28:13
毛利の子孫に剣道で勝ったことがある
石高、安芸>防長じゃなかったっけ?鉄とかなしで。
404 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 04:00:08
まあ、家康もこんな危険は藩を取り潰さなかったのが
画竜点睛ななけでして
405 :
岸田 森:2007/01/31(水) 16:45:57
関ヶ原で毛利本隊が参戦することをくい止めた吉川を出雲富田12万石から毛利旧領のうち長門周防二カ国36万石に封じるとした家康側の処置に対し、
吉川広家が井伊直政、黒田長政に送った起請文が彼らの胸を打ったのであろう。
家康は毛利をつぶして味方になった武将の俸禄に変えたかったのと、
石見銀山をどうにかしてでもほしかったってのが本音じゃねーか。
家康にしたら、吉川が36万石だろうが毛利が36万石だろうが、
その二つが達成されてりゃどうでもよかったはず。
関係ないが、元就が10年長生きして正宗が10年早く生まれてたら
戦国も随分変わってただろうな。
そいや、本能寺にしろ、関ヶ原にしろ、幕末にしろ
毛利は歴史的節目にいつもいつも関わってやがりますね…。
409 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 13:04:54
ゲッ
410 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 13:13:26
大内氏の後はソエだか何だかって大名が周防と長門を納めたんだったね
その後が毛利だったと思う。
>>403 幕末の頃は下関の港+実高80万石だからなあ
家康自身も秀吉に関東に左遷されたことを逆手にとって実力を蓄えた事を考えると歴史の皮肉を感じる。