源頼朝・徳川家康・大久保利通

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1日本@名無史さん
源頼朝・徳川家康・大久保利通

自然発生的な古代国家から確固たる信念と次世代へのビジョンを持って
新秩序を確立した彼らは現在日本人の思想・文化等に多大なる影響をもたらした
日本史上極めて重要な人物であり、この3人を語らずして日本史を語ることはできない。

※大化の改新、聖徳太子等古代の政変・事跡についてはその真偽が定かではないので割愛させていただきます。
2日本@名無史さん:2005/12/13(火) 01:50:10
2
3日本@名無史さん:2005/12/13(火) 09:44:23
業績の割りに不人気な人達ですね。
4日本@名無史さん:2005/12/13(火) 20:41:24
源頼朝と徳川家康は、
同じ武士精神ラインにおける頭と尾の関係で、一つの完成系なので
>1の言う日本史の壮大な大局観に基づく
民族としてのこれまでの生活様式、庶民の価値観、秩序や社会体制を
完全に引っくり返した決定的な転換点となると
源頼朝と大久保利通になるな
5日本@名無史さん:2005/12/18(日) 13:30:33
ここに小泉純一郎も加わるべき。
6日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:08:01
織田信長もな
7日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:58:00
大久保って、開発独裁のリーダー、くらいのイメージしかないなあ。
8日本@名無史さん:2005/12/28(水) 15:28:08
そういう不勉強な君には講談社学術文庫「大久保利通」をお勧め

大久保卿が太陽系史上最高の政治指導者と言われる理由が分かる事だろう。
9日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:33:42
3人の共通点冷酷 ずるがしこい(3人とも他人の築きあげたものをそのまま横取り
10日本@名無史さん:2005/12/29(木) 14:11:27
ずいぶん無知な奴だな
11日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:44:01
源頼朝 鎌倉に幕府を開く
徳川家康   江戸に幕府を開く
大久保利通  東京に遷都する

政治の中心を京都から移した人たち。
遷都を繰り返した天皇はいるし、平清盛もいるが‥。
12日本@名無史さん:2006/02/20(月) 18:42:05
大久保はバックが三菱
三菱との関係を引き継いだのが大隈
大隈以後は三菱は娘婿の加藤高明(憲政会)を政界における代表に

大久保のアイデアはほとんどが旧幕府の西欧留学系の学者官僚からのパクリ。
人をまとめて国をうまく運ぶという政治家本来の能力は同じパクリ屋でも伊藤に及ばない。

その伊藤は井上馨と共にバックが三井。
処女の千人切りと言う有名なエピソードも、処女集めたのは多分三井。
13日本@名無史さん:2006/02/21(火) 21:00:06
三菱って創価だろ
14日本@名無史さん:2006/02/22(水) 10:48:37
源頼朝・徳川家康・大久保利通

そして小泉純一郎
15日本@名無史さん:2006/02/28(火) 21:18:08
源頼朝と藤原道長ってどういう関係かわかりますか??
自分はこのどっちかの子孫だって教えられました。
自分は真面目です。
どうか本気で教えてください。
16日本@名無史さん:2006/03/13(月) 09:53:26
大久保利通は明治から現代にかけての近代国家において最強最大の指導者。
大久保を超える人物はもう二度と現れない。
17日本@名無史さん:2006/03/13(月) 10:20:42
>>15 何の関係もありません。
 血筋も、生きた時代も全く違います。
18日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:42:11
>>4
とはいえ、家康以前と以降では随分武家社会の体制も変わったよな。

 そういう意味では同じ古代王朝でも律令体制を完成(とまで言ってはいけないかもだが)
 させた天武あたりはその三人につけ加えても良いとは思う。
19日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:45:05
逆に考えれば頼朝の改革から朝廷を守りきった後白河は別の意味でスゴイかもしれんw
20日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:47:39
>>12

逆、逆。
三菱(九十九商会)は大久保その他の政府がバックになって成長した政商的財閥。
三井や住友なんかとは違うので、その辺間違わないように。

2118:2006/03/23(木) 14:47:47
うあ……スレタイよく読んでなかった。スマソ
22日本@名無史さん:2006/03/23(木) 15:04:38
義経、信長、龍馬が天才
23日本@名無史さん:2006/03/23(木) 16:50:51
義経は騎馬戦術、信長は既存秩序を破壊したこと、竜馬はフリーな立場から幕末勢力図を巧く調整したことがそれぞれ最大の功績かな?
三人とも天才だとは思うけど、スレちがいなのでお逝きなさい。
24日本@名無史さん:2006/03/23(木) 16:54:11
>>22
龍馬が天才ね。さてな。どうだろうなぁ。
義経とかは軍事的には天才なんだろうな。信長も色々凄い感じはするな。
でも、天才というより、三大人気者の間違いでない?

>>12
>大久保のアイデアはほとんどが旧幕府の西欧留学系の学者官僚からのパクリ。
具体的にどのアイデアを言ってるのかな?その、留学系の学者官僚の名前も分るならプリーズ。

まあ、確かに大久保はアイデアの人ではないと思うけど。
25日本@名無史さん:2006/03/23(木) 17:01:45
頼朝がいなければ、中世も近世も来なかった
26日本@名無史さん:2006/03/24(金) 02:31:05
>>24

洋行組の官僚の事を言ってるんでしょ。
27日本@名無史さん:2006/03/31(金) 21:07:02
この三人が確立した制度の中では頼朝のものはやや精密性には欠けるように思える。
一族存続よりも武家政権確立が彼の目的だったとはいえ、結局北条に実権取られてしまったし。
その代わり、創造性では頭一つ抜けてトップだと思うが。
28日本@名無史さん:2006/03/31(金) 21:18:42
この三人は大政治家だな
29日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:08:33
>>17
痴レスですが。
源頼朝のご先祖の清和源氏の2代目源満仲は、摂関藤原家に仕えて官職を得いた。
時期的に言えば道長の叔父、藤原伊尹の時代。
その後、武蔵国、摂津国、越前国、伊予国、陸奥国などの受領を歴任し、
左馬権頭、冶部大輔を経て鎮守府将軍に至る。
河内源氏としての繁栄の発端が、摂関藤原家に取り入った事で始まった訳だから、
藤原道長と源頼朝の関係は全くないとは言えないと思う。
30日本@名無史さん:2006/04/02(日) 13:08:41
風が吹けば桶屋が……っぽい気がしないでもないが、意外な所であまり関わりの
ないような事象同士につながりがあったりするのも歴史の醍醐味かもな。
31日本@名無史さん:2006/04/24(月) 10:08:51
頼朝よりも、妻の政子のほうが凄かったと思う。

政治力といい、残忍性といい・・・・

ところで岩下版政子と財前版政子はどちらが実際の政子に近いのか?
財前版政子はあのまま行けば間違いなく頼家・実朝も手に掛けそうだが・・
32日本@名無史さん:2006/04/28(金) 13:42:51
>>31
たして2で割ったような感じ、と想像してみる。
一方は情が深すぎる女の部分、もう一方が冷酷な政治家。
どっちも極端な描かれ方だったとおもうから。
33日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:53:03
結論としては、ヤッパリ性格が壊れていたんだろう、と思うのです。
あの明かるさで何をしても許されると思っていたのではないか。
秀衡でしたっけ?オヤジさんの方。
あの人が生きてた時は大きな態度で居候していられたと思うのですが兄弟間のゴタゴタもあったわけだから
オヤジさんが亡くなってからは自分が転がり込むにはマズイんじゃないかと普通の人は考えると思うのですが。
自分の兄の頼朝と藤原家が自分の事で争うようになってはマズイと普通の人なら考えると思うのですが。
義経という人は人間の心の中の計算は全く思考回路に入っていない人のようです。
「弓流し」で弱い弓を使っているのを敵に知られたくないような人物が弓の事には見栄を張って、
正々堂々戦うことには頓着せず裏をかく手は次々と考えつく。
義経のような人は精神分析学の方ではどういう診断になるのでしょうか?
34日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:45:00
やっくん
35日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:49:49
スイマセン!質問があるのですがよろしいでしょうか…??
小牧・長久手の戦いで、家康は織田信雄と組んで、
秀吉と戦いましたよね???
どうしてこの2人はくんだのでしょうか???
よろしくお願いします★
36日本@名無史さん:2006/06/22(木) 04:01:57
頼朝が居なくても平家はいずれ自滅して
しばらくして戦国時代に突入したと思う。
誰が居ようが居まいが歴史の大きな流れは変わらないはず。
37日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:39:20
そうか?
薩長が倒幕しなかったら
今も徳川幕府が存続していた可能性が高いが・・・
38日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:08:28
>>22
悲劇の三人www
39日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:20:03
頼朝もいいけど、北条泰時の方が重要人物だ。
承久の乱後、後鳥羽上皇を追放し、天皇家の土地を没収して
それを自分のものにせず、すべて部下に与えたのだ(封建制)。
これは本当にすごい!
なぜなら泰時は自分の部下の土地所有〈私有)を完全に認めたから。
そしてこれは、日本が公地公民制〈土地国有制)と完全におさらばしたことを
意味する。
要するに、日本はこの地点で他のアジア諸国(王や皇帝が土地所有者)と決別
し、土地私有制〈封建制)を発展させていくのだ。

40日本@名無史さん:2006/07/01(土) 21:45:16
頼朝君は・・・
鎌倉幕府開いた。












【常識】
41日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:19:05
なぜかくも泰時を重視するか。
それは、鎌倉幕府という政治組織体の設立よりも、
土地私有のルールと所有権概念の確立を重視するから。
泰時は関東御成敗式目制定により、それを成し遂げたのだ。
42日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:45:49
>>1
君の考えに基本的には賛成だ(古代を取り敢えず省くというのも懸命)。後、
これにマッカーサーを入れるべきであろう。
43日本@名無史さん:2006/07/15(土) 00:55:01
ほう
44名無し募集中。。。:2006/07/15(土) 12:03:50
太一がいるな
45じいさんにあわせる顔がない:2006/08/25(金) 18:56:19
孫の大久保利謙(としあき)は日本近代史家で東大名誉教授。
もう一人の孫大久保利春は丸紅専務で、ロッキード事件に際し
ては贈賄側の一人として逮捕起訴され、有罪判決を受けた。
「じいさんにあわせる顔がない」が口癖だったという。


46日本@名無史さん:2006/08/25(金) 23:10:55
頼朝を尊敬していた家康
愛読書が頼朝の吾妻鏡
47日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:22:02
>>46
家康は幼少から岡崎入城までの忍耐の時期の自分を、流罪地での頼朝と
重ね合わせてたのかもしれない。
お互いに父が殺されているという共通点もあるし・・・
48日本@名無史さん:2006/09/15(金) 01:43:58
家康の墓は立派だね
49日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:07:50
よく頼朝の冷酷さを語る奴がいるが、史実の義経もそう褒められたもんじゃないぞ
50日本@名無史さん:2006/09/23(土) 08:05:45
大久保利通は人気が無いのかな?
日本の歴史の中で、尊敬できる一人なんだけど。
51日本@名無史さん:2006/09/23(土) 08:25:22
白河が院政を敷いて、北面、西面の武士を重用して
摂関家を弱体化させた時点で武士の世でしょ。
その後の保元の乱で完全に武力で王権が左右される時代になり、
平治の乱でそれが確固たるものとなった。

平安時代の凄さは、古代は武力で王権争いを繰り返していたのに、
天皇というものを権威づけて、武力を用いないで権力争いを繰り返した。

白河、後白河が莫迦すぎたのが政権中枢の権力闘争が武力へと流れて言った原因かな。
源頼朝は時代逆行じゃないの?莫迦院2匹がいなければ、時代の方向性はまた変わっていたな。
52日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:44:39
>>51
俺は頼朝が時代を逆行させたとは思わないな。
天皇家や貴族よりも武士の方が圧倒的に人口も多かったし、武士の人権や財産を保障してやる権利も何もなかった時代だ。
すでにそういった不満が平将門の時に噴出してるにも係わらず、朝廷は何の対策も打っていない。
保元・平治の乱がなければ、全国各地に第2・第3の将門が現れて混乱が深まっただけだろう・・・
頼朝が全国に守護・地頭を置く権利を朝廷から手に入れて、頼朝の名で武士に褒美を与えたり武士の持っている土地を
保障してやれるようになって初めて、将門以来の武士の不満が解消されたと言えるのでは・・・
53日本@名無史さん :2006/09/23(土) 14:04:34
>>1
源義経、石田三成、榎本武揚

武威ではなく交易による平和な世を夢見たが頼朝に潰された
平和をもたらした豊臣政権を乱す奸雄徳川を鎮定しようとして潰された
北海道に理想共和国を作ろうとしたが大久保に潰された

この3人こそ歴史に勝利すべきだったな
54日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:22:39
>>53
大河に影響され過ぎじゃない?
義経はそこまで深く考えてないよ・・・
交易による平和な世なんて、それを実現させようと足掻いた痕跡もないでしょ・・・
55日本@名無史さん:2006/09/25(月) 17:03:42
>>50
うちの予備校の先生は絶賛してたぞ
やつは日本のために自分を鬼にした
56日本@名無史さん:2006/10/16(月) 12:55:49
大久保は死ぬのが早かったので、家康ら3代と比べるのは
酷だとおもう。たしかに明治の黎明期に内務省を中心にして、
少ない人材を最大効率で使うという方法は的確だったと思う。

しかし、多分本人も理解していたと思うが
国家100年を考えると、明治のシステムは欠陥。

原理的に、運営する人が官僚主義におちいったとき
あれを制御できるのは天皇だけになってしまうからな。

それに対して家康以降3代のデザインは、日本史上の黄金期を
築いたといえるんでないか?考えようによっては、武家階級に
委託された共和制といえなくもない。地方の運営の方法や、
幕政への有力諸侯のかかわり方などは、下手な民主主義より
公正でよくできていた。

明治期〜現代は、基本的に江戸の遺産の食い潰しで、
日本の繁栄のここ30年は国際情勢的に運よく
はまっただけ。あとは普通の国になるような
気がする。
57日本@名無史さん :2006/10/19(木) 10:16:28
まぁ、今より地方分権できてた点では江戸時代評価か。
天皇制以降なら
古墳〜平安 集権
鎌倉〜江戸 分権
明治〜平成 集権
今後〜    分権
58日本@名無史さん:2006/10/22(日) 18:16:04
天武天皇と家康の立ち位置が似てる。 伊藤博文も。
そういう意味では北条泰時も。 簡単に言うと創業者じゃない、てこと。
頼朝 大久保と並ぶのは信長か聖徳太子だろうな。まあ1が古代を省いているし
頼朝 信長 大久保 が3偉人だと思うね。

信長と家康はカエサルとオクタビアヌスの関係だな。
59OPS:2006/10/22(日) 18:39:08
大久保利通ほど私欲を捨てきった政治家もいないだろ。
幕末の志士たちが明治になった途端今までの「維新にかけた闘志はどうしたって」
言いたくなるように私欲に溺れ汚職が公になり大久保や西郷、木戸は言葉も出なかったろう。
西南戦争で人生の最大の親友であった西郷隆盛のを失いその最中木戸孝允は病で倒れ
明治政府を引っ張る存在がほとんど消えてしまった。
そして西南戦争後の石川県士族らの大久保への報復。
少なくとも大久保の死で明治政府の状況は最悪になった。
60:日本@名無史さん :2006/10/22(日) 19:20:41
また薩摩のバカが自分達の歴史的地位を高めようとさりげなく偉人達の中に
地元の小物を無理矢理織り交ぜてきましたwww
61274:2006/10/23(月) 13:21:30
>>58
信長と家康はカエサルとオクタビアヌスの関係
まぁ、それはそうとも言えるとは思うが、

徳川の3代は家康の代では、方向は漠然とあったの
かもしれないが、具体的になっていない。
江戸を太平に導いた国家の理念とか、法治国家と
しての基礎とかはつくたのは、後の2代。よって、

信長+家康 = カエサル
オクタビアヌス = 家忠+家光

信長は過大に、あとの二人は過小に
評価されてると思う。
62日本@名無史さん:2006/10/23(月) 13:23:07
274は誤爆。
6358:2006/10/24(火) 16:05:56
中世から近世への転換の意義について、どう理解するかで信長と家康の評価が変わるね。秀吉は信長の延長とみていい。
つまり織豊政権と徳川幕府の評価の差だな。
一般的に信長がやったこととは
@荘園制を最終的に破壊したこと
A兵農分離を行い 領主権力を拡大したこと
B奈良時代以来 強大な支配権力であった仏教勢力を圧伏せしめたこと だな。
中世国家を解体せしめた、という1点に尽きる。だからこそ 近世は江戸時代ではなく安土桃山からはじまるわけで
そういう意味では家康も信長の延長となる。
信長+秀吉=カエサル 家康+秀忠+家光=オクタビアヌス が近いかな。
これは誰が上か下か というランク評価ではなく “立ち位置”の違い、ということ。
現代社会への影響・遺産という意味では信長より家康のほうが大きいとは思うよ。
だが、それは信長の破壊と創造があっての話だと思う。 つづく
6458  連投すまそ:2006/10/24(火) 16:16:23
歴史の立ち位置

<創業者>  <第2創業者>  <発展・完成者>
始皇帝     劉邦       漢の武帝
カエサル   オクタビアヌス   5賢帝
聖徳+天智   天武天皇     持統・聖武
源頼朝     北条義時     北条泰時
信長+秀吉   家康       秀忠+家光
大久保利通   伊藤博文     原敬

まあ、こんな感じ。頼朝 大久保と家康は立ち位置が違う、というか一人違和感があるのだな。
家康が入るなら足利義満はあかんのか? と。  >>61
6558  快進撃:2006/10/24(火) 16:30:32
中世から近世への破壊者創造者としは家康は信長のエピゴーネンと思うけど、先に述べたように
後世への影響では家康の存在は信長より大きいともいえる。それは江戸300年泰平だったいう地味な意味ではなく
文明論的な意味で捉えることができる。
日本は国家誕生以来 畿内・西日本優位の国家構造であった。鎌倉時代に幕府が関東に置かれるが、鎌倉時代そのものが
京都朝廷と鎌倉幕府の二重構造政体であり、政治的には有史以来1600年まで畿内が中心だった。
また 経済・文化は18世紀の田沼時代までやはり上方優位であった。
今日の日本は 政治経済文化 いずれの面でも東京中心である。東西の転換 日本列島の構造転換を行った点にこそ、
家康の最大の存在価値なんかもしれんね。>1
66日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:55:06
頼朝がフロンティア。
京都政権に対しての体制としての異議申し立て
67日本@名無史さん :2006/10/24(火) 17:39:21
それは将門が先では>古墳以来の近畿政権への異議
68日本@名無史さん:2006/10/24(火) 20:49:58
家康は政治だけじゃなく軍事もできたから
能力的には家康の方が上じゃね?
69日本@名無史さん:2006/10/24(火) 21:47:59
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。

70日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:03:44
>>64
秩序は、破壊、創造、成熟という過程を
かならず経るが、大体、その役割を担う
人物はその中間をとるが、不思議と二つに
わけるのは無理で、3つに分けるのは
妥当だと思う。

で自分の知る範囲で印象に残ったのは
第2創業者 伊藤博文かな。
71日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:05:41
この伊藤の明治憲法によって、
ようやく、近代国家として形を整えたのだし、
ここで果たした彼の関わり方からみても
役割は大きいし、彼の個人の資質が明治憲法に
与えた影響も実に大きい。

この個人の資質に関する部分だが、
72日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:14:16
大久保が生きていたら、統帥権は果たして
天皇にあっただろうか。という"if"をどうしても
考えてしまう。

この統帥権によって第1次大戦でドイツ帝国
は滅亡する。

大久保はたしかにビスマルクのファンだったろうし
それを伊藤は身近にしっていた事は大きく影響して
いたに思う。

ここは彼は、いい人物だし頭も抜群だが、
思想として本質はあまり考えず、多分に
経験で考える人だったと思うが、

維新における錦の御旗の威力と、朝廷工作に巧みで
それをうまく利用した大久保をしる伊藤故に
統帥権を天皇に残したんだろうと思う。
もしこれが内閣あるいは日本独自の形態で
あったら、軍部の暴走はなかったかもしれないと
考えると。。。
73日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:16:24
あまり必要のない戦争に負けた後、日本はアメリカの庇護の
もとによる繁栄をてにいれた。だが江戸→明治で
つたわってきたよいものの多くも失ったのでね。
伊藤でなく大久保ならどうだったかと考えざるをえない。
74日本@名無史さん:2006/10/25(水) 23:06:26
1873(明治6)年、大久保利通は岩倉使節団の欧米視察の経験をもとに、政府に対して政体を定めるよう建言した。
次の引用文はその一部である。これを読んで下記の設問に答えよ。
なお、引用文は現代語に改め、一部は要約してある。

(1) 政体には、君主政治、民主政治、君民共治(後にいう立憲君主制)の三種類がある。

(2) 民主の政は、天下を一人で私せず、広く国家全体の利益をはかり、人民の自由を実現し、
   法律や政治の本旨を失わず、首長がその任務に違わぬようにさせる政体であって、
   実に天の理法が示す本来あるべき姿を完備したものである。アメリカ合州国はじめ、
   多くは新たに創立された国、新しく移住した人民によって行われている。

(3) 君主の政は、蒙昧無知の民があって、命令や約束によって治められないとき、ぬきんでた才力をもつ者が、
   その威力・権勢に任せ、人民の自由を束縛し、その人権を抑圧して、これを支配する政体で、
   一時的には適切な場合もある。

(4) イギリスは土地・人口の規模が日本とほぼ同じであるが、その国威は海外に振い、隆盛をきわめている。
   それは3200万余の人民がおのおの自身の権利を実現するために国の自由独立をはかり、
   君長もまた人民の才力を十分にのばす良政を施してきたからである。

設問

大久保は諸国の政体を比較した上で、日本には君民共治の制がふさわしいと主張した。なぜそう考えたのか。
当時の日本がおかれていた条件や国家目標を考えて、5行以内で説明せよ。

94年 東大入試
75日本@名無史さん:2006/10/25(水) 23:57:14
大久保本人に訊けよタコ。
76:日本@名無史さん :2006/10/26(木) 00:31:24
大久保天誅に加わった6名の加賀藩士たち

 島田一良(しまだ・いちろう) 長連豪(ちょう・つらひで) 杉本乙菊
 脇田巧一 杉村文一(以上石川県士族) 浅井寿篤(島根県士族)

戦国史をちょっとかじった連中なら彼ら藩士の名前にハッとする。
近江や能登の武将の末裔らしき彼らがただの暗殺者などとは誰も思わない。
いかに薩摩が捏造で大久保を持ち上げたところで所詮はそういうことです。
77日本@名無史さん:2006/10/26(木) 02:15:30
会津の捏造よりまし。
78日本@名無史さん:2006/10/26(木) 02:41:04
>>75
ちょっと3つに分けるのは乱暴な気がするなぁ。
イタリア都市国家の共和制とか、ローマの帝政(主権はローマ市民)
とか、ベネチアの共和制とか。これらはなにに分類するのかな?

民主制は個が成熟していなければ不可能。時の日本にはとても無理。
君主制を明治政府が採用すれば、維新の意味や当時の世論や機運を
考えると反発は必至。大義名分がなくなり諸藩の群雄割拠の内戦に
なるだろう。消去法でも立憲君主になるが、まぁ明治国家の成熟度
に従い徐々に民主国家をめざし移行させていくのが望ましいと
いったところか。あっ6行。。。。。。。。
79日本@名無史さん:2006/10/26(木) 02:46:00
>>76
藩士の名前はたしかに戦国武将の姓があるが負けた連中でね?
加賀の連中はその薩摩の西郷に対する恩を返すといって
暗殺を企てたという事になってるが。
ただの暗殺者じゃなければなんなのさ。
いいたいことがわからないなぁ、教えてくれまいか。


80日本@名無史さん:2006/10/26(木) 12:55:58
>>74
なんか、別に大久保でなくても当時
立憲君主制以外のシステムにしようと
していた参議はひとりもおらんと思うな。
あまりに概論すぎる気がする。

なんか出題の意図もわからないから
出題者の解答も聞きたいね。
81大久保利通:2006/10/26(木) 15:43:10
日本のビスマルクである、この俺の抱負経綸を
たった5行で述べろ、とは
俺も安く見られたもんだ。、

ていうか、おまえら世界史もちゃんと履修しろよタコ。


82日本@名無史さん:2006/11/04(土) 12:16:43
三好長慶 清河八郎 高田がん

83日本@名無史さん:2006/11/27(月) 16:52:34
あげ
84日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:48:16
急進派の大久保の手綱を締握ってコントロールしてたのが
木戸じゃなかったっけか
85日本@名無史さん:2006/12/21(木) 19:34:13
この三人って、若いころに人質になったり仕事獲られて極貧になったり
散々だったんだよね? 
後大久保さんって家康の政治も目標にしてたって本で読んだけど。
・・・・頼朝は解らんが家康と大久保さんは共通点多いのかもね。

後大河とか本で家康が遺言に自分の墓を南に向けろって言って死んで
何百年も後に自分と似たようなタイプの大久保さんのいる薩摩が
西の藩と手組んで幕府倒すのは・・・・ごめん妄想しすぎた。。
86日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:55:20
源頼朝・徳川家康・大久保利通=大政治家

源義経・織田信長・西郷隆盛=国民的英雄

源義仲・豊臣秀吉・木戸孝允=萌えキャラ
87日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:56:35
源頼朝・徳川家康・大久保利通=大政治家

源義経・織田信長・西郷隆盛=国民的英雄

源義仲・豊臣秀吉・木戸孝允=萌えキャラ
88日本@名無史さん:2007/01/13(土) 17:12:28
国民的英雄というなら、信長より秀吉じゃないの?
大政治家というなら、家康より信長の方がしっくりくる。

しかし萌えキャラ家康はありえんし・・・・・
89日本@名無史さん:2007/02/03(土) 20:38:48
最強内閣
90武陽陰士:2007/02/05(月) 23:27:18
>>86>>87
信長が脚光を浴びるようになったのは80年代半ば以降だよ。
津本陽の小説が加速させたね。
それまでも信長は一応人気はあったけど、世間の大人たちに人気があったのは
家康。山岡荘八の「徳川家康」を愛読書に挙げる経済人が多かった。
「そんなの嘘だ」って思うなら、戦後の週刊誌と新聞をザッと目を通して
みるといいよ。
ちなみに終戦後占領下のの日本で、大衆が最も憎んだのが、東條英機。
もっとも尊敬されている人物は昭和天皇じゃなくて、マッカーサーだよ。
まあ「日本人は12歳」といってからはちょっと嫌われたけど。
あと吉田、岸首相も国民にはほとんど人気がなかった。今の再評価は
逆転だな。
91日本@名無史さん:2007/02/06(火) 09:10:03
むしろ木戸の軽率な言動を大久保が手綱捌きでコントロールしていたというのが正解
端的な例は木戸と伊藤が2人で前原一誠を参議にする事を要請する為に大久保を訪ねた際のエピソード。
大久保は2人の要請に対し「その件については考えがあるので暫く待ってくれ」とあしらった。
2人は大久保が何を躊躇しているのか分からずに苛立ったが、間もなく前原が萩の乱を起こして逆賊になってしまった。
大久保はその情報を事前に把握しており、2人が同郷の逆賊を参議に推薦して面目丸潰れになってしまう所を救ってやった訳だ。

それを機に伊藤は大久保を深く尊敬するようになり、軽率でイジケ虫の木戸から距離をとるようになる。
92日本@名無史さん:2007/02/06(火) 10:47:17
>>91
木戸が仇敵に近い前原を参議に推薦ってとこが怪しい説だな
93日本@名無史さん:2007/02/06(火) 11:02:42
講談社学術文庫の「大久保利通」によると大久保や伊藤の部下だった元役人が伊藤本人から聞いた話として報知新聞の特集記事に載った話だよ。
疑う理由は無い。
94日本@名無史さん:2007/02/06(火) 13:21:47
吉田松陰が書いた伊藤博文の紹介状が残っている。

「何の取り柄も無い無駄飯食らいですが根は善良なのでヨロシク」
といった内容でこんな紹介状なら無い方がマシというDQNぶりが松陰先生の人となりを偲ばせる。

そんな屈辱的な扱いに耐えていた伊藤に目をかけていた恩人が木戸。

その伊藤があっさり大久保マンセーになって木戸から離れていったのだから木戸と大久保とでは資質の差が歴然としていたのが分かる。
95日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:16:04
>>90
ならば、家康を狸にしたのは司馬ですか?
96日本@名無史さん:2007/02/06(火) 17:12:57
つテイエムオペラオー、シューマッハ
97日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:04:13
>>95
立川なんとか
98日本@名無史さん:2007/02/28(水) 16:44:56
>業績の割りに不人気な人達ですね。

名を捨てて実を取る(外してる?)
99日本@名無史さん:2007/02/28(水) 16:47:56
>いい人物だし頭も抜群だが、
>思想として本質はあまり考えず、多分に
>経験で考える人だった

誰の事?
100日本@名無史さん:2007/03/01(木) 21:02:19
家康と大久保ってのは、よく調べれば調べるほど
その凄さがわかってくる人物だよな
マジで今日の日本の発展があるのは、日本史の転換期に権力を持ったのがこの二人だったから、
だと言っても過言ではないかもしれん

頼朝は調べれば調べるほど陰険さが目立ってくるがwww
101日本@名無史さん:2007/03/01(木) 21:22:11
>>95
大阪人
102日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:42:38
最近は信長・家康に比べて秀吉の評価が相対的に低くなっているよなあ。
103日本@名無史さん:2007/03/03(土) 13:54:31
それだけ朝鮮韓国がやかましいってこと
無視すりゃいいのに
104日本@名無史さん:2007/03/03(土) 16:50:11
もともと極短期的な秀吉人気に限っての話だと
アンチ徳川政権と大陸へ攻め込んだ先輩ってことで清正とかと一緒に上がったもんだからな
105日本@名無史さん:2007/03/23(金) 12:50:40
そら、秀吉には上昇志向以外なくてのし上がったはいいが、
思想とかビジョンが感じられないからな。

関白になってから、税収アップ・権力維持のための刀狩と太閤検地
以外なにもやっておらん。
場当たり的権力維持以外なにもせず、家中をまとめ権力を維持する
だけ四苦八苦、あげくに朝鮮出兵して自滅。

家康の関が原以後の行動の明快さと速さを比較
すれば歴然だろう。
106日本@名無史さん:2007/03/23(金) 12:52:37
自民の首相にも秀吉みたいなのが、
3人に1人はいるな。
107日本@名無史さん:2007/03/26(月) 15:29:43
>>105
刀狩は武士以外から武器を取り上げることによって、治安の向上に役立ってるな。
全国統一を目前にして、検地をして戸籍を作り直し税収を確定させるのも支配者としては当然。
この時点で明に攻め込む事を考えてたんだったら、どれだけの兵を徴収できるか知っておくためにも
必要だったんじゃないか?
単純に税収アップ・権力維持のためとは言い切れないが・・・
108日本@名無史さん:2007/03/27(火) 09:10:36
>>107
全く同意。
おっしゃるとおり”支配者としては当然”
のことをしただけ。まぁ背景がないから
権力維持で背一杯だったのかもしれんが。


109日本@名無史さん:2007/04/01(日) 04:22:36
秀吉が失敗例をみせてくれたおかげで家康がやりやすかった面はたしかにあるだろうな。

ちょうど清盛が頼朝のよい反面教師になったように。
110日本@名無史さん:2007/05/31(木) 14:41:43
家康は今まで狸じじいと言った陰険なイメージばかりだったが、最近は陰険な
性格になっても仕方がないとも思うようになったな。
幼少時は織田の人質となり、父親が家来に殺され、成人してから信長に仕えるように
なってからは信長から正妻と長男を殺すように命令されてやむを得ずさせられている。
狸だとか、陰険な奴とか言われているけれどこんな半生送ったら誰だっておかしくなって
陰険な奴になるよ。
111日本@名無史さん:2007/05/31(木) 16:17:58
天皇を頂点としその下に武家と公家が並立するという公武融和策、
天正大判の鋳造による貨幣制度の統一、
検地と刀狩、海賊停止令や喧嘩停止令による身分統制、
朱印船貿易に禁教令と秀吉の改革案は枚挙に暇が無い
家康の頃の幕府の政策はそのまま豊臣政権を継承したものが多い
極論すれば鎌倉幕府と豊臣政権を足して二で割ったのが家康の頃の江戸幕府って感じ
112日本@名無史さん:2007/06/02(土) 03:32:16
まあ信長・秀吉と比べて家康のビジョンはわかりやすいよな
「政権執行者としての徳川家の維持」が彼の唯一にして最大の目的で
その為には苛烈な外様大名苛めや朝廷・寺社に理不尽な圧迫を加えるのも厭わなかった
貿易独占や思想統制も全て徳川家の安泰を図ってのもの
政権構築に当たって家康程無思想な人間は居ない
まあ将軍家の安定がひいては江戸時代を通して日本の安定・発展に繋がったわけで、
彼のやり方は結果的に大正解だったわけだが
113武陽陰士:2007/06/03(日) 11:01:20
>>112
そんなことないよ。
武家政治の王道を行こうというビジョンがある。
信長、秀吉の方が、明確な政権構想がゆるい。
ちなみに家康の愛読書は吾妻鏡だ。
相当読み込んでいる。
朝廷の抑え方なんかが老獪なのも、吾妻鏡に学ぶところがあったんだろう
114日本@名無史さん:2007/06/04(月) 09:01:10
はじめまして訪問です。

私の知人にいる大阪市に住む源さん。
源さんから源兄弟の祖先から生き子孫に言われた。
プライベートため、名前を公表しません。
115日本@名無史さん:2007/06/04(月) 09:04:42
知人にいる源家26世・29歳。
116日本@名無史さん:2007/06/04(月) 23:13:38
>>114
詐欺師??
今、韓国にいる源が子孫よ
117日本@名無史さん:2007/06/05(火) 08:15:44
大久保は措いといて、頼朝と家康に共通するのは当時の社会基盤であった
武士階層に即した政権を打ち立てたことだな。つまり当時の社会的現実に
即した体制をとったということ。

清盛もそうだけど、信長・秀吉は朝廷に密着し、律令体制下に入ることで
政権を構築した(信長は中道で斃れたから将来的に未知数ではあったけど
秀吉は明確な武家関白制)。しかし当時事実上社会基盤層にまで成長していた
武士は、元々律令体制からはみ出したところから発生したもので、原理的には
朝廷における律令体制と相反する。その意味では清盛や秀吉の体制は非常に
不安定なものだったのではないか。その矛盾を頼朝は幕府という本来臨時的な
軍政を恒久化することによって解決したわけで、戦国末期においてもその事情は
変わっていなかったと思う。つまり世論という用語をあえて使うとすれば、当時の
世論はなお武家による封建体制を指向していたということ。家康は伝統的な幕府制を
採用することによって、世論(つまり全国の諸大名・武家階層)の支持を集めることが
できたわけだ。
118117:2007/06/05(火) 11:12:26
う〜ん、完全にチラ裏だったな…とばしてくれ
119武陽陰士:2007/06/07(木) 00:18:22
>>117
まあそうですね、だいたい。
120日本@名無史さん:2007/06/07(木) 01:53:39
>>117
読んでないけど禿しく同意しておく。
121日本@名無史さん:2007/06/07(木) 04:19:15
頼朝も家康も天下人だが、一度死にかけて命拾いをした共通点がある。
西郷も木戸も危なかった。大久保最大のピンチは何であったか?
122日本@名無史さん:2007/06/08(金) 04:59:50
俺は信長豊臣は義経義仲タイプだと思うし
徳川は頼朝タイプでいいんじゃない
123日本@名無史さん:2007/06/24(日) 18:46:15
清盛はまだしも、信長・秀吉は政権構想の途上で死んだ感じだからあれを最終的に目指してた形態として
評価するのはどうかと思うがね。
まぁ政治家は何をやろうとしたか、ではなく何をやったか、で評価されるところがあるから、その見方も間違って
いるとは思わないが。
124日本@名無史さん:2007/06/27(水) 15:00:41
三人に共通する印象は、権力を樹立していく過程で毛ほども私情や人情味を見せず、
あたかも自らを権力機関の一部として抽象化していった冷徹さだね。
頼朝と家康は肉親や主君であっても容赦なく抹殺したし、大久保も莫逆の友であった
西郷を追い落としたのは勿論、国家構想の対立者であった江藤をむごたらしく刑殺して
権力確立の道具にしてしまった。自分の権力構想に身も心も委ねてしまうところがなければ、
権力という魔物を御すことはできないのかも知れない。そういう、生身の人間性を超越
してしまったら人間的な面白みもおかしみもなくなってしまい、後世に人気が出ないのも
無理からぬことじゃないかな。
125日本@名無史さん:2007/06/27(水) 19:05:11
頼朝は関東・東国をどのように政治的に改変したか?っということについて、詳しく教えてください!
126日本@名無史さん:2007/06/29(金) 18:20:11
概説の本でも読んだら?
127日本@名無史さん:2007/06/30(土) 01:15:23
数行で詳しく語れと言われても無理だ。
128日本@名無史さん:2007/07/08(日) 13:10:44
>大久保も莫逆の友であった西郷を追い落とした

別に大久保としては西郷の失脚を望んでいたわけではなく、やる気なくなった西郷が勝手に辞めていった感じだが。
影響力大きい西郷には、新政府でもっと活躍してもらいたかったのが大久保の本音だろう。
129日本@名無史さん:2007/07/24(火) 08:06:21
家康は吾妻鏡が愛読書で頼朝を尊敬していたし、大久保は家康を
「神君」と敬称で呼んでやはり尊敬していたらしいね(島津久光などの
守旧派への配慮があったという説もあるが)

達人は達人を知るということか。
130日本@名無史さん:2007/07/27(金) 05:36:55
大久保ってイケメンだよな いやマジで
大久保利通ってでも武人って感じがしないんだよね
131名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 03:25:56
何で足利尊氏がいないの?
132日本@名無史さん:2007/08/08(水) 07:01:08
>>124
そういう悪人(嫌われ者)でなければ安定した秩序の世の中を作ることはできない。
そしてそれは結果として多くの人に平安をもたらした。
しかし、いつの世であっても人間は不平不満を持つ。
どういう世の中になってもその時代を作った人が恨みをかうのが人の世のつね。
133日本@名無史さん:2007/08/08(水) 07:27:33
義経、幸村、西郷。
スレタイの三人は人気者を殺したという点で共通しているな。
そのせいで不人気という点も。大久保の不人気は主に西郷贔屓の人中心だが。
134日本@名無史さん:2007/08/08(水) 11:10:51
幸村だけ小物過ぎる
しかも殺されたからこその人気だし
判官贔屓の本家どころじゃない贔屓っぷりだな
135日本@名無史さん:2007/08/15(水) 18:23:14
たしかに殺した側と殺された側の差が、家康と幸村じゃ大きいな。
それに謀殺したわけでもない、たんなる戦闘上の戦死だし。
楠木正成あたりと並び称されるならちょうどいいかも。>幸村
136日本@名無史さん:2007/08/17(金) 21:41:02
国民的英雄
源義経 楠木正成 織田信長 西郷隆盛
秀吉じゃ
楠木正成や義経にはなれん
137日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:03:00
何故みんな新田 楠木 尊氏を面白おかしく取り上げないか不思議だ
なんでも尊氏が朝敵だから駄目らしいが
138日本@名無史さん:2007/08/18(土) 00:44:59
家康や頼朝が日本人の嫌われ者として扱われているのって
もしかして天皇家の陰謀かも
朝廷に対して割とつらく当たったこの2人はもしかしたら
天皇制の名の下悪者にでっち上げられた可能性があるんだが
南北朝室町が人気ないのも何かしらの呪いか?
頼朝を極悪人にでっち上げたの
は北条家だと思うが 家康は間違いなく天皇に悪人扱いされた奴だけど
139日本@名無史さん:2007/08/18(土) 00:55:51
天皇家なんていつでもプロパガンダできるし
教育機関やらなんやら既存権力にいつでも圧力かけれるし
140日本@名無史さん:2007/08/18(土) 08:26:09
>頼朝を極悪人にでっち上げたのは北条家だと思うが

う〜ん、自分としては頼朝の極悪人イメージは、そのまま北条家(時政、政子、義時)にも当てはまるんだが。
どちらが極悪人として語られているかとなれば、いい勝負かと。
141日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:19:00
でもねぇ、天皇家や藤原氏などの貴族は家康や頼朝に感謝しても
いいくらいだと思うんだけど。はっきし言って当時の朝廷は日本の
社会の現実から完全に乖離した存在だったんだし、朝廷が実際に
政治をとったら国内が混乱するだけだったのは後醍醐の例を見ても
明らか。大陸の歴史で言えば完全に滅ぼされても不思議じゃなかった
のに、頼朝も家康も名誉的な地位を与えて保全したんだから。
142日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:41:56
実際に政治をとっていなかったからこそ、完全に滅ぼされなかったわけで。
頼朝や家康の前から、すでに名誉的な地位に朝廷はなっていた。
143日本@名無史さん:2007/08/19(日) 19:23:50
名前 U・T
髪型 キノコカット
眼鏡 すごい度が厚い
体格 筋肉質
年齢 20歳過ぎ 
病気 自閉症 パーソナリティ障害
性格 弱い物イジメ,何人も不登校に追いこむ
身長 推定159cm 
出身中学 千葉市立葛城中
(中学1年)担任I,T教師 (中学2,3年)担任K,K教師 (バスケット部顧問)M,T教師

(千葉市立葛城中在籍当時のU・Tによる犯罪歴)
・同級生の顔面の眼球辺りを殴る 
・廊下ですれ違うたびに生徒を暴行  
・マスク忘れても、給食配膳   
・同級生男女全員にエロ本。エロビデオ見るよう強要 
・嫌がる女子生徒のお腹を触り続ける 
・嫌がる女子生徒の身体を背後から抱きつく 
・自宅に遊びに来た女子生徒を裸になれと命令して泣かせる   
・風呂に入り、垢を落とさずに無遅刻無欠席登校  
・図書室で同級生の女子と姦淫。女子生徒の喘ぎ声が外まで漏れ発覚  
・毎日のように廊下で女子生徒の身体を無理やり触り、周囲に見せびらかす 
・委員会発表の芝居で体育館の床に寝転ぶ生徒のみぞおちを空中飛び膝蹴り。被害者は苦痛で叫ぶ 
・葛城中バスケット部に所属した同級生の腕時計(G−SHOK)を盗む   
 部室の鍵を人のカバンへ勝手に入れ込むことで、葛城中校則の部活動停部という恐怖を同級生のバスケ部員にさらす。
 被害者は今も引きこもり。もちろん、U・Tによる窃盗と脅迫によるいじめが原因。
・部活動中に自分の半ズボンをずり下げ性器を露出寸前     
・小学二年時にすでに女子生徒とペッティング。 他の女子生徒に見せびらかす  
・幼稚園の時すでに、嫌がる女の子のお尻を無理やり触る  
(暴行罪)(傷害罪) (校則違反) (わいせつ物領付等) (強制わいせつ)
(強制わいせつ未遂)(脅迫罪) (迷惑防止条例)(公然わいせつ)(窃盗罪) (不純異性交遊)
U・Tに該当する犯罪を調べました。法を楯に訴えたいのですが、U・Tによる卑劣な許しがたい行為は時効でしょうか。
144日本@名無史さん:2007/08/19(日) 22:57:54
源氏も徳川も日本を外敵半島人の干渉から守ろうとしたが故に国の英雄なのである。
売国という真逆の行いをした大久保を無理矢理同列に並べようとするあたりに
チョン州人のいやらしさを感じる。生まれも育ちも行いも末路も秀吉と同系等。
145日本@名無史さん:2007/08/27(月) 21:57:51
平清盛 豊臣秀吉 木戸孝允 という括りと対比しても面白かろう。
組織力 マネジメント力で次代の国家体制を築いた頼朝家康利通と
企画力行動力で新機軸を打ち出した3人。ラジカルな先駆者抜きにして守成者は
登場し得ないわけで この辺が日本史の特徴でもある。日本は始皇帝やビスマルクのような革命と
制度設計の両方をやる政治家は少ない。
146日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:54:23
> 日本は・・・革命と制度設計の両方をやる政治家は少ない。

つ聖徳太子と馬子
つ天智帝
つ天武帝
つ後醍醐帝(失敗したが。それこそ始皇帝と同じように)

それなりに結構、いると思うよ
147145:2007/08/28(火) 21:31:55
聖徳太子&馬子に革命性は無いと思われ。北条泰時とか徳川吉宗みたいなもんだ。
天智と天武と藤原不比等の3点セットならわかるが、個々では違う。
後醍醐に革命がない。あれは旧体制への回帰志向。しかも失敗。
日本史上 革命と制度設計をやったのは 強いて言うならマッカーサーと足利義満
しか思いつかない。スレ違いすまん。
148日本@名無史さん:2007/08/29(水) 01:09:55
聖徳太子と馬子は政敵を武力で滅ぼして政権をとっている。
まあこれを「革命性」と見るかは人によるかもだが、
古代的な政治形態を打破しようとしたことに違いはない。

天智は誰がどう見ても「革命」の中心人物だ。
そして、大化改新後の体制を作る中心だったことも間違いない。
天武もまた壬申の乱という古代最大の政争により滅ぼしたわけで、
しかも後の日本国の制度の基礎は、天武のもとに作られた。

後醍醐の倒幕が革命でないのなら、日本史上に革命はないだろう。
(もちろん本来の意味での「革命」は日本にはないのだが。)
149日本@名無史さん:2007/09/05(水) 00:59:40
足利尊氏 藤堂高虎 由利公正がいなければ今の日本は無い。
150日本@名無史さん:2007/09/13(木) 03:32:11
聖徳太子なんて現代で言う革命家独裁者みたいなもんだろ
それと家康と被るのは北条氏だと思うんだが
どうかな?家康は吾妻鏡を愛読してたし幕府運営の参考にしていた
頼朝は初期幕府の基礎的な運営方法や決まりを構築しだだけで
秀吉のが頼朝に近いと思うんだが
どうかな?
151日本@名無史さん:2007/09/16(日) 20:51:53
秀吉はむしろ清盛に近いような。
152日本@名無史さん:2007/09/17(月) 11:26:10
北条時政・義時ペアと頼朝を足したのが家康
153日本@名無史さん:2007/09/17(月) 12:00:53
3人だけ挙げろといわれても無理な話だな
強いて5人挙げれば、

天武天皇・桓武天皇・源頼朝・徳川家康・大久保利通
154日本@名無史さん:2007/09/17(月) 12:15:46
しいて5人挙げれば
道教・足利尊氏・藤堂高虎・伊藤博文・福田康夫の5人だと尾思う。
155日本@名無史さん:2007/09/17(月) 14:28:51
全然関係ないけど、
大久保利通ってあからさまにブサイクだよな。
リンカーン並にブサイク。
156麻生太郎:2007/09/19(水) 23:12:57
おれのご先祖さんにブサイク言うな。加山雄三の先祖もブサイクだぞ。
157日本@名無史さん:2007/09/19(水) 23:51:33
>>155
坂本龍馬の方が不細工だよ。
158日本@名無史さん:2007/09/20(木) 18:30:06
 清盛:頼朝≒秀吉:家康
のような感じ。海外との関係を重視し、西日本の港町に首都を移した清盛・秀吉と、
国内の安定を重視して東日本に首都を持っていった頼朝・家康。
159日本@名無史さん:2007/09/20(木) 22:52:39
単なるイメージだけで言うのだが。清盛秀吉博文が人間的に陽性で政策面でも
開明的な感じであるのに対し、頼朝家康利通は陰性で保守的な感じ。
自民党ではないが、日本の歴史は振り子理論で宜しく政権運営されてきたと言える。
160日本@名無史さん:2007/09/21(金) 02:21:36
>>155
セピア色の、フレームいっぱいに顔よせた上目遣いの写真を
以前偶然検索してて見たことあるけど、
すごい可愛かったよ。
キミはどっかのアイドルか!と。

幕末の侍姿と、明治になってからのギャップが激しすぎるというか、
あの幕末の写真、何とかならないかなぁ〜
161日本@名無史さん:2007/09/21(金) 17:54:15
スレタイ
他の2人に比べて大久保利通は明らかに劣るだろう。
明治維新で活躍した偉人は他にも大勢居るし。
162日本@名無史さん:2007/09/21(金) 18:00:57
明治政府の屋台骨を作ったのは大久保だから
特に明治六年から十一年までは大久保の独裁国家だったようなもの
蛇足だが太政官→官僚のシステムは今日まで続いている
163日本@名無史さん:2007/09/21(金) 18:06:43
明治といえば明治天皇である気がする。
統帥権をもった国家の最高責任者。
164日本@名無史さん:2007/09/21(金) 18:42:22
明治天皇は勅旨だすだけだよ。
165日本@名無史さん:2007/09/21(金) 21:13:32
>>161
劣らないと思うよ。
もし大久保が采配を間違えたら、
日本も中国のように、
革命後も古い封建的思考の奴らが下らん勢力争いを続けていたに違いない。
明治以後の日本の発展は世界の近代史上
他に類を見ない奇跡であることは間違いないし、
それを成し遂げる基礎を作った中心人物は何と言っても大久保。
166日本@名無史さん:2007/09/21(金) 21:25:53
もし大久保が凡庸な人物だったら

官軍が江戸を摂取
→薩摩が覇権をめざす
→薩長が権力争い
→旧幕勢力が息を吹き返し、根強く抵抗
→西洋諸国につけ入られ、分断されて植民地に

って流れになってたかも知れない。
というか、むしろそれが非ヨーロッパ国の「近代化」のデフォ。
それを回避して発展した史上ほぼ唯一の例が日本。
167日本@名無史さん:2007/09/22(土) 00:09:20
大久保が活躍するのは明治6年の政変以降だな。それまでは西郷と木戸が主軸。
大久保は良くも悪くも事務屋ー官僚なんだよ。革命家としては木戸。西郷に劣り、
開明性進歩性では伊藤大隈らに劣る。決められた課題を断固推進するプロジェクトリーダーとしては
最高だと思う。後藤田正晴みたいなもんだ。
168日本@名無史さん:2007/09/22(土) 01:03:27
> 決められた課題を断固推進するプロジェクトリーダー

決められた課題なんて言ってられる立場ではないだろう。
その課題ってのは大久保自身が決めたものでしょ。
169日本@名無史さん:2007/09/22(土) 01:20:06
ていうか大隈、伊藤て大久保の子分でしょ?
170日本@名無史さん:2007/09/22(土) 03:14:20
>>167
長州はともかく、薩州は島津家も能動的に関与しているからなあ
明治以降の西郷は御親兵の組織くらいしかやっていないし
桂も自藩の後片付けくらいのものだろう、表立った活躍というか新政府への貢献は
両者とも藩閥の長として大活躍した分、表にいるように見えるだけ
171日本@名無史さん:2007/09/22(土) 03:16:53
大久保が後10年内冶をやった日本史が見たかった
172167:2007/09/22(土) 12:29:17
>170
廃藩クーデターと留守内閣について どう評価してるの?
薩長同盟も王政復古も西郷主導が目立つ。
 キャラは全然違うが 総理になる前はぱっとしなかった小泉が
総理になってからブレイクしたように、大久保も内務卿になってから才が爆発したタイプだと思う。
政治状況が破壊から建設期に移行しつつある時にマッチした現実主義者だった。そういう意味で
その点では大久保は西郷・木戸を凌駕していたのだと言える。
173日本@名無史さん:2007/09/22(土) 14:43:55
幕末の英雄は両陣営合わせても勝ぐらいしかいないから
政権とった側から無理やり選ぼうとすると話がまとまらないな
174日本@名無史さん:2007/09/22(土) 19:54:52
>>172、173 お前のテンカン法螺ホラ病では誰も信じない。
175日本@名無史さん:2007/09/26(水) 02:17:41
「将軍の子供しか将軍になれない」みたいな制度が
明らかにおかしい、もっと幕府が万人にとって開かれた政治の場
になっていたらここまで家康も頼朝も嫌われずに済んだはず
ある程度誰でも将軍になれるシステムを作り出しておくべきだった、
昔の政治体制って徳川家とか北条家とかなんというか
家族のみで政党運営しているみたいでなんかイヤな感じ
176日本@名無史さん:2007/09/26(水) 02:27:32
とにかく頼朝が北条家に幕府乗っ取られた時点で
将軍職を世襲させようなんて馬鹿な政権運営体制は止めておくべきだった
177日本@名無史さん:2007/10/06(土) 11:49:04
しかし選挙制度が確立される近代以前では、世襲というのは「恣意性が入りにくい」という点ではかなり合理的だぞ。
「もっとも能力が高い者が後を継げばよい」というシステムなら、俺こそが、という者が何人も名乗り出て結局血をみる
ことになる。代替わりの度に。

世襲だから無能がトップになるリスクは常にあるが、それならトップが多少無能でも機能するような組織体系を整備
しておけばよい話(無論、定期的なメンテナンスはいるが)。
178武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 01:56:19
>>175
昔の人に共和主義とか民主主義なんて考えはありません。
念のため
179日本@名無史さん:2007/10/09(火) 15:10:09
最近、麻生太郎が、2ch書き込みしてたで話題になってるが、
その元ねたの番組は先週の放送だったので、もしかすると
>156
は本物だったのかもしれん。w

麻生太郎が、どの板にいくかといえば、政治と日本史には
間違いなくいくし、日本史でどれに書き込むとしたらこのスレ
だからな。
180日本@名無史さん:2007/10/09(火) 16:10:14
華麗にスルーされているな
181日本@名無史さん:2007/10/10(水) 00:22:06
>>179
本当に「麻生太郎」と名乗って書き込んでるなら、天晴れだね。

私は大久保さん美男だったと思うよ。
182日本@名無史さん:2007/10/10(水) 13:50:06
麻生太郎って大久保利通の子孫だったのか・・初めて知った。
そう考えると、日本人って世襲とか血統とか大好きだよな・・
2世3世議員どころの話じゃないじゃん。
183156:2007/10/10(水) 21:19:42
>>179
夢を打ち砕いてスマンが、おれは麻生本人じゃない。
184日本@名無史さん:2007/10/11(木) 00:08:21
>>182
そうでもないだろう。大名や明治の元勲の子孫は、政治や経済の表舞台にはほとんど出ていない。
麻生太郎は「血統書付だが育ちは悪い」と言って自身を揶揄していたとか。
185日本@名無史さん:2007/10/11(木) 00:54:29
>>182
どう考えてもイギリス人やアメリカ人の方がずっと
世襲や血統が好きだと思うが如何?
日本だと「世襲議員」ってだけで
マスコミに意味もなく悪口言われるわけだしね。
186182:2007/10/11(木) 12:29:09
ただの独り言に、こんなに早いレスがあるとは思わなかった。
世襲だからいいとか悪いとか言ってるわけじゃないよ。
187日本@名無史さん:2007/10/12(金) 01:05:56
>156
そうか、夢はうち砕いてないぞ。

総理大臣にもなろうという奴ならもっとましな
書き込みをしてくれるだろうと期待してたからな。
188日本@名無史さん:2007/10/17(水) 19:26:50
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
189日本@名無史さん:2007/10/23(火) 04:11:29
最後の悲惨さ
は大久保利通が何より
190日本@名無史さん:2007/10/25(木) 18:25:17
子孫と言っても、母方の母方じゃないか。
本当の意味で、子孫と呼んでいいのは、父方(直系)のみだよ。
>182
191日本@名無史さん:2007/10/26(金) 11:29:45
いいたいことはわからんでもないが、直接血を引いているのだから、子孫と呼ぶことに何の問題もないぞ。
家を継いでいるという意味は「子孫」という言葉にはない。
192日本@名無史さん:2007/11/10(土) 11:56:50
北条早雲は〜?
193日本@名無史さん:2007/11/13(火) 17:17:43
182が世襲とか血統という文字を引っ張ってきていること自体、
大久保利通の子孫であることが麻生をここまでのし上がらせたと
言っていなくもない
麻生の場合大久保利通の血は引いているがかなり複雑なので
大久保利通の子孫だからと言って票を入れることはないと思う
母方の祖父が吉田茂元総理であるというのはよく言われるが

大久保利通ー牧野伸顕(利通次男・牧野家養子)ー牧野雪子(吉田茂夫人)−
吉田和子(麻生太賀吉夫人)−麻生太郎
194武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/13(火) 23:49:52
勝手な私見だが吉田茂の最高傑作は吉田健一。
失敗作は…いうまい。
195日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:20:53
>>185
ヒラリーが大統領になったら
ブッシュ父→クリントン夫→ブッシュ息子→クリントン妻
だもんな。
196日本@名無史さん:2007/12/17(月) 02:37:54
大久保が政治政策を進める上で模範としたのが徳川公
漸進的に施策を行う
 やり杉はやらないよりも弊害がある〜とは大久保の考え方を象徴する考え
197日本@名無史さん:2008/01/12(土) 14:56:23
明治天皇は大酒飲みだったが侍従らを夜中の3時まで帰さず
飲み続けたのは生涯に一度きり
西南戦争が終わった直後のことで飲みながら詩を賦し歌を詠み
侍従らにそれを朗詠させた

有名な「四方の海・・・」の歌もこの時作られたもので西郷の死を惜しみ
西郷は断じて叛徒ではないという気持ちを表したもの
西郷が勝って今いる政府の連中を追い払ってくれると期待していたらしい
198日本@名無史さん:2008/01/24(木) 18:42:27
平家と源家は悪縁
199日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:52:04
【源頼朝】←木曽の義仲父子、義経、範頼と一門を次々に殺害。息子の頼家・実朝を守ってくれる人間を殺害した頼朝。頼家・実朝の悲劇は当然の報い!それに引き換え、平家と北条氏は一門の結束は固かった。源氏の天下が短命だったのは一門の人材不足←内紛で殺害したため。
200日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:16:17
裏日本・金沢のゴロツキ士族に斬り殺された大久保が一番悲惨
201:2008/03/24(月) 00:53:14
このスレを立ち上げた者ですが、初めて書き込みします。
2年以上も残っていたなんて驚きです。

大久保が大好きです。大久保の慎重且つ大胆さがたまりません。
大言壮語やカッコつけるようなところがなく、いつも地味で日陰なところでこつこつと一つのことに取り組む姿勢がたまりません。

何しろ、万事漸進主義者で、日本の近代化には重工業はまだ早いと言って
軽工業と近代農業からはじめようとしてた人ですから。

現実主義者でありながら長大な理想を掲げる人で、これからはアメリカの
時代だといって東北地方に巨大ドックを建設しようとした人でもあります。
202日本@名無史さん:2008/03/24(月) 17:05:34
>>1 >>201
確かに、古代とか抜かしたらその3人が与えた影響ってのはデカイけどな。
でも、頼朝・大久保と比べると家康は少し格が落ちないか・・?
むしろ旧秩序を壊したという意味では、家康より信長なんじゃね?

・・っていうか、2年放置してて書き込む気になったのは
大河の影響か〜w?
203日本@名無史さん:2008/04/03(木) 19:36:08
大久保だってゴロツキ士族じゃん
204日本@名無史さん:2008/04/18(金) 10:51:57
明治維新後パッとしなかった元薩摩藩士
吉井友実
岩下方平
税所篤
桂久武

205日本@名無史さん:2008/04/26(土) 13:39:09
↑なぜ?
206日本@名無史さん:2008/04/26(土) 14:28:03
>>202
家康が一番大物だと思うが。
信長じゃあ平和な江戸時代を作ることはどだい無理。
室町のような戦乱が延々と続き、そのうち西洋人につけ入られて
他の(タイ王国を除く)全てのアジア諸国と同じように、
植民地化したと思われ。
むしろ自分の一族さえ守れなかった頼朝の方が格下。
207日本@名無史さん:2008/04/27(日) 15:47:29
何も、個人の人格が云々言ってるわけじゃないんじゃね?

家康が250年以上の泰平を築けたのも、信長・秀吉の後を
ついていったからであって・・
頼朝や大久保のように、何か目新しい事始めたわけじゃないしな。
208日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:15:00
頼朝や家康が高貴な生まれなのに対し大久保は下級藩士
よって大久保一抜け
209日本@名無史さん:2008/05/04(日) 19:59:48
この三人 やはり好きにはなれん!!
210日本@名無史さん:2008/05/05(月) 14:35:37
>>209
だが偉大なことは否定できん。
211日本@名無史さん:2008/05/13(火) 01:40:42
信長と秀吉と家康でローマ帝国を作る
212日本@名無史さん:2008/06/22(日) 22:00:02
>>210
確かに、偉大だ!!
213日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:21:25
家康の成功が、信長・秀吉たち先人たちのおかげというのなら、頼朝の成功だって清盛たち先輩のおかげとも
いえるわけで。大久保だって、ひとりで明治維新引っ張っていったわけじゃなし。
214日本@名無史さん:2008/07/27(日) 21:53:07
しかも頼朝は清盛に命を救われている
215日本@名無史さん:2008/08/15(金) 03:59:59
頼朝に確固たる信念や次世代へのビジョンなんかなかったと

216日本@名無史さん:2008/08/15(金) 08:58:55
俺はこの三人大好き。
どいつもこいつも憎たらしいほど賢くて、色々と立ち回りが上手い。
特に家康。関ヶ原〜大阪にかけての家康はまさに覇王だね。信長とも秀吉とも違うタイプで、これがまたワルカッコイイことこの上ない。
217日本@名無史さん:2008/08/24(日) 14:43:05
偉大なのは義経
頼朝は小物
218日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:38:38
                   
 新羅(ケリン)は、やはり原始的な国だったな。
建国王=キム・アルジの誕生伝説の中に、ケリンがシラキを侵略した証拠がある。
なぜ、新羅の役人たちは、全員が倭人だったのか?
ケリン族は漢字の読み書きができなかったから、征服後も倭人の役人を
そのまま使うしかなかったわけだ。

新羅の古い記録には捏造が多いが、それでも、所々に日本語の証跡が見える。
貴族階級を意味する『真骨』の読み方は、「ジンピョ」ではなく、「マホネ」だろう。
マホネは日本語だよね?

マホ=真秀、だろう。
「まほろば」のマホだろ。

京丹後市議会<まほろば>
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/shigikai/mahoroba/index.html

219日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:17:43
>>209
こうあって欲しいと思うことと、
現実にこうあるということは違うということだろうな。

現実に出世する人間を見ればわかる。
220日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:20:58
>>215
頼朝自身にはなかったとしても、
坂東武者にはあったと思うし、
頼朝も良く認識していたんじゃないかな?

その利益代表となりえたから、
祭り上げられる存在になりえたんだろうな。
221日本@名無史さん:2008/08/25(月) 04:07:48
みんな、北条義時にはどんなイメージ持ってる?
俺の中では、義時・家康・利通の3人衆なんだよね
頼朝はどこまで実権握っていたか疑問じゃない?

計算高くて冷静で慎重で狡猾な頼朝は大好きだけど
御家人同士の闘争を勝ち残って朝廷から独立し武家政権を完成させた功績の主を
誰か1人と言われたら義時じゃないのかな?って思うんだよね
222日本@名無史さん:2008/08/25(月) 18:34:59
>>221
確かに、実権という点では微妙とはいえるよな。
しかし、微妙だというのであれば、
一応トップを立てるという趣旨でこのスレが成り立っているんじゃないかな。

大久保利通の場合は、明治天皇に実権がないのが明らかだったし、
それどころか、朝廷自体、徳川家が勝てば、勝ち馬に乗ろうとしていたんだから、
誰か別の人をリーダーとして論ずるしかない。
223222:2008/08/25(月) 18:59:36
ついでに言えば、後醍醐天皇を論じないのは、
理想は理解できなくはないものの、
論ずるほどの人物ではないということなんだろうか。
224日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:03:13
たしかに義時にしちゃったら、時政・政子・泰時は?
ってことになるかもしれんね
自分の義時高評価は草燃えるの影響もあるだろうし
跡継ぎでもない純粋無垢な坊やが老獪な政治家に成長していくあの感じ
ゴッドファーザーのマイケルとそっくり

でも後醍醐と尊氏を挙げる人ってあんまりいないね
新秩序立ち上げたというより
後醍醐→絵に描いた餅、時代錯誤 尊氏→優柔不断、リーダーシップ欠如
というイメージが強い
225日本@名無史さん:2008/08/28(木) 13:47:29
スレタイの3人は、新秩序を確立したというより新秩序の元となるものを築いたって言った方がいいだろうな。
頼朝、家康、大久保が始めた事業をそれぞれ完成させたのは
実際は北条泰時だったり、家光(天海)だったり伊藤博文だったと思う。

後醍醐は「絵に描いた餅」「時代錯誤」に「KYジコチュー」も追加した方がいいと思う。
226日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:35:39
後醍醐の場合、やろうとした事は本質的には時代錯誤なんだが、一部だけものすごく時代にマッチしていたがために
時代の後押しを受けて事業の半ばは成功してしまったケース。
227日本@名無史さん:2008/10/02(木) 01:34:23
個人的には頼朝と曹操 義経と劉備が被る
228日本@名無史さん:2008/10/02(木) 10:20:20
利通の子孫が総理に
229日本@名無史さん:2008/10/07(火) 15:46:41 BE:838188746-2BP(0)

>>1
その3人に信長とオーベルシュタインが加わったら
∞回は粛清食らいそうだぉ。
230日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:14:10
カリスマホストの頼朝さんに聞きました
http://r25.jp/web/link_review/20007000/1122008110706.html?vos=nr25mn0000001
231日本@名無史さん
関連スレ
源頼朝・徳川家康・大久保利通
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1171269552/