1 :
日本@名無史さん :
2005/11/26(土) 17:53:39 朝鮮人が朝鮮出兵の件で秀吉公を激しく恨んでいるそうで、 それを聞くたびに秀吉株が漏れの脳内で上がりっぱなしなんですがw 織田信長、徳川家康の間の最高権力者というぐらいのイメージから 日本を代表する憎まれっ子に飛躍する豊臣秀吉公を語るスレッドです♪
2 :
日本@名無史さん :2005/11/26(土) 18:19:17
あげ
ここに誤爆していたのかw 失礼。
5 :
日本@名無史さん :2005/11/26(土) 19:59:01
6 :
日本@名無史さん :2005/11/27(日) 01:25:43
今話題の姉歯建築士が豊臣家出身ってほんとう?
7 :
日本@名無史さん :2005/11/27(日) 23:57:58
あげ
8 :
名無し募集中。。。 :2005/11/28(月) 00:29:39
秀吉死後の高台院は、今の大宮御所の辺りに有った 禁裏より大きな屋敷に住んでたんだな
9 :
日本@名無史さん :2005/11/28(月) 00:36:07
秀吉は俺の叔父だ
10 :
日本@名無史さん :2005/11/28(月) 03:35:10
11 :
日本@名無史さん :2005/11/28(月) 16:58:07
>>1 秀吉スレ立てるのもいいけど、過去ログ確かめたのか?
黄金太閤はいい本
山室さんのやつか。
14 :
日本@名無史さん :2005/12/01(木) 09:58:40
秀吉は松永久秀に大きな影響を受けてるね
15 :
日本@名無史さん :2005/12/01(木) 10:29:15
日本では英雄、朝鮮では魔王 アメリカではWho? まあ、日本でもジョージ・ワシントンとデンゼル・ワシントンの 区別がつかんヤシがごまんといるからしょうがないかw
信長・・・魔人or魔王 秀吉・・・猿or禿げ鼠 家康・・・狸親父or狸爺 やっぱり第六天魔王信長が一番カッコイイwww
まおたん
調べたら秀吉ですた
きんかん?
「朝鮮はな、秀吉の侵略のせいで文化の発達が300年おくれたんだ! どうしてくれる!」とかおっしゃる朝鮮の人がおられるようですね。 秀吉すごいな。
英雄秀吉の時代と国境を超えた影響力を示す良いエピソードですね
>>21 つまり、チョンは自分たちを
300年遅れと思っているのですね。
なんて厚顔なんでしょう。
300年で済むわけがないのに。
24 :
日本@名無史さん :2005/12/03(土) 11:01:35
禿鼠あげ
25 :
日本@名無史さん :2005/12/10(土) 14:07:24
ないすひでよし
26 :
日本@名無史さん :2005/12/14(水) 04:21:46
あげ
300年にして上げなさい〜〜〜〜〜〜〜 それにしても原爆製造をしてるとの事? チンピラの国の様でもあるので気おつけるべし。
28 :
日本@名無史さん :2005/12/14(水) 20:05:43
>>23 つまり、かの国は縄文時代に相当するとおっしゃりたいの?
29 :
日本@名無史さん :2005/12/14(水) 22:36:20
「花の慶次」の秀吉は何気に迫力があったな アレは上手かった
30 :
日本@名無史さん :2005/12/15(木) 00:23:29
秀吉があと10年長生きしてたらどうなってたかな?
朝鮮出兵が10年長引いた
32 :
日本@名無史さん :2005/12/17(土) 00:31:55
イ・スンシンを敬え
流れ玉で討ち死には最低の武将、なの 背中からは朝鮮軍から撃たれたかも
34 :
日本@名無史さん :2005/12/17(土) 19:23:43
>30 支那で皇帝になって清朝の出番は無かった。
35 :
日本@名無史さん :2005/12/22(木) 16:01:52
age
信長あっての秀吉。秀吉がもし天下取ろうと思わなければ「羽柴家」は一大名家として存在してたと思う。 秀吉も信長の後継者として天下人になるつもりは毛頭なかったんだろうが、天下を治める器量のある人間がその時代にいなかったため、仕方なく自分が天下人になったのだと思う。 平清盛や源頼朝のように天下を取ったために自分の死後、一代で築き上げた家が滅んでしまった。信長の子のように天下を治める家ではなくなっても一小大名としても残れなかったのは悲しい。
信長の生存中に抵抗し続け服従しなかった毛利や上杉が、信長の死後に秀吉になびいたのも彼の寛容さだろうと思う 九州で自分の命令に従わなかった島津を征伐した折も、薩摩・大隈・日向を安堵したしな。もしこれが信長だったら勿論、全部召し上げで打ち首。
38 :
日本@名無史さん :2005/12/24(土) 08:09:45
age
空アゲするな
40 :
日本@名無史さん :2005/12/28(水) 00:40:51
超時空天下人秀吉ってコピペ見たくて探してるんだけど誰か貼ってくれ
>>36 それは初めて天下統一した点と、その後が家康だった点の2点が
原因だろう。天下人たる者が他にいなかったから仕方なく天下とった
ってそれが天下人たる人間(=秀吉)がいたってことだろう。仕方なく天下とれるかって。
43 :
@@ :2006/01/07(土) 12:06:11
すっぱmen
44 :
世界@名無史さん :2006/01/08(日) 19:10:05
朝鮮征伐の業績がすごい!
45 :
日本@名無史さん :2006/01/08(日) 21:21:29
NHK「その時歴史は」の北政所と淀君の対立を題材にした回で エンディングで本物の関白宣下宣旨が出てきたな。 ナレーションでは、「北政所が絶対に淀君に渡さなかった物」と 紹介していた。あれを持っている人は木下家の人だった。
46 :
日本@名無史さん :2006/01/08(日) 22:48:34
豊臣国松って誰だ???
47 :
日本@名無史さん :2006/01/08(日) 23:15:54
羽柴太政大臣豊臣朝臣秀吉公
>流れ玉で討ち死には最低の武将 イギリス人に喧嘩を売るつもりですか?
52 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 01:09:07
エッチな寺があったよね?秀吉の
53 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 02:07:23
>天下を治める器量のある人間がその時代にいなかったため、仕方なく自分が天下人になったのだと思う。 既に脅威的なライバルとして家康が頭角をあらわしていたのに、それはありえない。
54 :
日本@名無史さん :2006/01/27(金) 16:09:33
戦略眼というか、政治・外交・戦争を全てひっくるめて総合的に見る能力に関しては 世界史でもトップクラスの男だな。本能寺から天下とるまでのスピードが驚異的。 これと比較できるのは、ポーランド侵攻→フランス征服までのヒトラーの電撃戦くらい。 また、氏素性の全く無い身から天下人にまでなったのも、朱元璋と秀吉の二人だけ。 唐攻めの失敗は痛いが、あれはボケちゃったから。間違いなく、世界史クラスの 男だと思う。
55 :
日本@名無史さん :2006/01/27(金) 19:57:09
56 :
日本@名無史さん :2006/01/27(金) 20:06:21
秀吉は持ち前の人たらしの寛容さで速やかに天下統一を成し遂げたが、 徳川や伊達のような敵を温存してしまった。信長が生きていたら、 統一自体はむしろ遅れたかもしれないが、敵は残さなかっただろう。
57 :
日本@名無史さん :2006/01/28(土) 17:43:00
1580年代の秀吉は最高 90年代は最低 天下統一と共に秀長が死んだのがイタイ
58 :
日本@名無史さん :2006/01/28(土) 17:50:24
山田風太郎の『妖説太閤記』が俺の中での秀吉像なのだが。
59 :
甲斐犬 :2006/01/28(土) 19:19:02
天正10年6月 譜代・直轄がわずかな秀吉の軍団とは、自己資金の無い会社の ようなものだ。そして、保証人織田信長の急死によって、配下の中小の領主達、 つまり債権者たちは、一斉に資金(兵)を引き揚げるはずだった。 しかし、秀吉は、見事に危険な綱渡りを渡り切った。 光秀の、いや、大方の予想を越えていた。 この頃の秀吉は、政治(多数派工作)の天才。人生の器量のピーク。 しかし、軽率で不安定な面もあった人物だと思う。
60 :
北条氏政 :2006/01/29(日) 07:42:27
>>37 全部召し上げで打ち首になりましたが・・・
61 :
日本@名無史さん :2006/01/29(日) 17:52:50
62 :
日本@名無史さん :2006/01/30(月) 19:47:18
家康の関東転封で安心したのだろうけど 結果的にそれが誤算だったようだ。 家康の着実な国造り、蒲生氏郷の早逝etc・・・ 滅ぼそうと思えばどんな手を使っても可能だったとおもうんだがなあ。 家臣の中にもだれも進言する人間がいなかったのか?
>>62 関東経営に失敗して成政と同じ処置してOK
のはずだったんじゃないか。
豊臣家は滅びたけど、豊臣の姓を賜った人の子孫は今いるの? あと秀吉の親類の末裔はいるのだろうか・・・・
65 :
日本@名無史さん :2006/02/03(金) 10:17:23
>>64 純粋な秀吉子孫はいない。それと豊臣姓は下臣に恩賞かわりに名乗らせたから、子飼いや恩顧の大名は正式には豊臣姓になる?
木下氏が豊臣朝臣姓で残ったはずだが
豊臣秀長秀次にも子孫いないんだっけ? 他にも淀の姉妹とか北政所の実家とかは今につづいてるんだろうか
68 :
日本@名無史さん :2006/02/04(土) 12:43:51
>>67 秀次子孫は斬首、淀姉妹は京極、徳川へ嫁にいく男系はともかく女系なら確実に血は残っている。
69 :
日本@名無史さん :2006/02/04(土) 12:46:24
ねねの実家は、木下家が豊臣姓のまま大名や幕臣として存続している。 名義上の実家なら芸州浅野家。
維新の時、浅野家は官軍だよな。侯爵
71 :
日本@名無史さん :2006/02/04(土) 20:49:30
秀次の娘で真田幸村の側室となった女性がいた。 秀次事件後も生き延び、 幸村との間に一男一女をもうけた。 この一男一女であるが、大坂の陣の後、 姉は小大名に嫁ぎ、弟は姉の嫁ぎ先に仕官した。 弟は三好姓を名乗ったとのこと。 まさに生きてるだけで丸儲け。
宇喜多秀家は豊臣じゃなかったっけ?
73 :
日本@名無史さん :2006/02/05(日) 22:23:13
羽柴小吉秀勝といふ男あり。 豊太閤の甥にて、秀次公の御舎弟なりけり。 小吉、淀殿の御妹君お江与と契られ一女をなしにけり。 姫君、お江与が徳川秀忠公に御台所になりてのちは、 淀殿に養育せらるる。 御名を豊臣完子いふ。 九條家に嫁す。 お血筋、やんごとなき御方にも受けつがるるといへり。
「鍋島加賀守豊臣朝臣直茂 慶長十三年戌九月吉祥日」
75 :
日本@名無史さん :2006/02/06(月) 21:33:13
たしか前田利長は関が原後も羽柴筑前守を称していたような。
76 :
日本@名無史さん :2006/02/06(月) 21:55:23
大坂夏の陣が終わるまでは羽柴の名字を称していた大名はけっこう多かったらしい
77 :
日本@名無史さん :2006/02/08(水) 21:18:52
秀吉は日本を5つに分け、 うち1つを秀頼にやってほしいと秀次に提案したとか、しないとか。 これは、どういう政権構想なんだろう。 俗説だろうけどね。
78 :
日本@名無史さん :2006/02/08(水) 23:27:47
成り上がり者の猿め!!!
79 :
日本@名無史さん :2006/02/08(水) 23:28:03
秀頼を秀次の娘婿にしようとした事実はあるよ
80 :
日本@名無史さん :2006/02/11(土) 01:33:11
81 :
日本@名無史さん :2006/02/12(日) 17:03:33
秀長、秀次の死が豊臣家崩壊の序曲という捉え方もあるけど、 それはどうでしょうか? 秀長晩年はすでに政権内のパワーバランスは、 中央集権派へ傾きだしていたようだし、 秀次事件にしても、 奉行衆による大身外様大名への牽制という側面も感じられる。 所詮は歴史のIFだから、こういう話もナンセンスになるんだろうけど、 秀吉死後に秀長と秀次が生きていたとしても、 動乱は避けえない事態であったと思う。 むしろ一方の旗頭に推され、 本家(秀頼)と敵対した可能性もあるだろう。
関ヶ原みたいに両方に大義名分があって勝てば官軍みたいな合戦は起こらないだろう。 秀長らが名言すれば官軍は明白になるし、豊臣家の当人が立てば恩賞も約束されるし、 家康がいくら石高が高かろうと豊臣が「潰される」ようなことはないだろ。
83 :
日本@名無史さん :2006/02/15(水) 21:29:45
秀頼が大坂城を退去し、 都で公家として生きてくれたら、 豊臣恩顧の大名は胸をなでおろしたことでしょうね。
84 :
日本@名無史さん :2006/02/15(水) 21:35:31
秀吉より 前田利家が猿ぽっい。 画だけどW
そもそも秀吉がサルと呼ばれてたという確かな証拠は残ってないらしいからね。 禿鼠ってのは、信長がねねに宛てた手紙の中で1度だけ出てくるけど。
86 :
日本@名無史さん :2006/02/18(土) 17:28:11
>>64 73でガイシュツやが天皇陛下や皇太子も
豊臣秀勝(大政所の孫)の子孫
徳川家康や島津の子孫でもある
87 :
日本@名無史さん :2006/02/18(土) 17:46:09
> もしこれが信長だったら勿論、全部召し上げで打ち首。 > 歴史群像シリーズ?で信長ならIfという大名配置があた気がする(万石) 蛎崎はそのままで、南部は津軽がどうなるか?斯波は残ったかも 伊達・・・米沢・福島(江戸初期の上杉と同じつうか伊達旧両)30 佐竹と芦名・岩城ふっくるめて会津40 上杉…越後と越中下新川1郡で川中島4郡は無しで60 徳川…甲信がないので70 北条…相武に伊豆くらい80 毛利…秀吉和議と同程度の4か国割譲で60 曾我部・・・長・香2つで土佐10 島津…三州か転封か50 秀吉とあんまし変わらんか?
88 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 00:50:10
>>73 ってことは、秀吉の血筋が現代の天皇に流れてるってことか??
>>85 京の市民かなんかが「猿関白」って歌に詠んでたのはあったと思うw
90 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 12:29:11
秀吉の血族で豊臣の姓を名乗れる人間って何人? 豊臣秀吉・秀長・秀次・秀頼・国松?あとだれだろ
>>89 まつせとは べちにあらじ 木の下の さる関白を みるにつけても
これのこと?
これはルックスというより、出自の怪しさを揶揄したものだろう。
(貴族から見て、出自がはっきりしない秀吉は人並みではなく猿のようなもの)
ただ、この歌が誤解されて広まり、秀吉=猿という認識になっていった可能性は強いと思うけど。
92 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 19:13:19
>>90 豊臣姓の創設以後、秀吉の推薦で朝廷から官位を授けられた人間はすべて豊臣姓です。
93 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 19:19:18
>>90 根本的な誤解があるようなので、説明しておく。
豊臣姓はウジであり、名字である徳川姓や織田姓とは対応しない。
豊臣姓に対応するのは源氏や平氏や藤原といった古代以来の本姓で、
一族の少なかった秀吉は自らに臣属した大名を擬制的な同族にするため、
豊臣姓を与えた。
94 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 19:23:44
本姓(ウジ)・・・源、平、藤原、豊臣 名字・・・足利、新田、細川、織田、羽柴 本姓でよぶなら、源家康、平信長、豊臣秀吉 名字でよぶなら、徳川家康、織田信長、羽柴秀吉 秀吉も秀長も秀次も秀頼も、名字としては羽柴のまま。
95 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 21:59:19
秀吉はあんまり好きになれないな 信長ほどの狂気もないし、家康ほどの集中力もない 所詮、猿真似・亜流
日本人にしてはめずらしく兵站の重要性を知っていた人 旧日本軍に秀吉がいてほしかったonz
98 :
日本@名無史さん :2006/02/21(火) 10:19:04
>>95 そりゃイメージだろが
実際には秀吉って農民上がりのくせに、軍略の才はおろか、
刀狩などの政治的に重要なこともやってるじゃん
しかも血脈が重要なあの時代に信長の旧臣を全部味方に付けたし
こんなの奇跡に近いよ
めちゃくちゃ頭がキレキレじゃん
秀吉のカッコ良さを分からないのはガキの証拠だな
信長は奇才だけどほとんどキチガイだし、家康は身内に優秀なのが多かっただけ
あと長生きしたし
>>92 >>93 それで血縁で豊臣氏なのは誰かなと思ったわけよ
清正とかは名乗れなかったままかな。秀秋とか
いやまぁ血縁でも区切りがあったのかなとか思っただけよ
100 :
日本@名無史さん :2006/02/21(火) 19:12:23
確かに秀吉の血縁者の範囲って、どこまでなんだろう。 歴史の本などで一門扱いになってるのは、秀吉の兄弟姉妹とその子供たちまでで、 ねねの実家の木下家は一門というより家臣扱いになってる。 さらに福島とか加藤とか小出は秀吉の親類とはいうものの、完全に家臣扱いだな。 赤の他人には豊臣姓を与えていたのに、親類で古くからの直臣だった加藤清正が 豊臣姓を与えられなかったというのは可哀想だな。
101 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 01:21:02
福島か加藤あたりを養子にしておけば良かったのにな。 養子とはいえ秀頼の兄って立場なら、後々影響力もかわってくるだろうし。
秀吉は6本指だったって知ってた?
104 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 14:32:26
豊臣が苗字ではないことを説明したい奴ばっかだなw
105 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 21:11:32
それより羽柴の名字がどれくらいの範囲にばらまかれたのかのほうが興味ある 徳川秀忠も「羽柴江戸中納言」だろ。
羽柴は部下に名前与える程度で他の例と変わらないんじゃないか それより姓の豊臣のほうが重きをおきそうだけど、秀吉自身どう考えてたのか 結構清正とか豊臣清正でもいい気がするけど
107 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 20:21:24
羽柴のほうが豊臣より与えられる範囲は狭かった
108 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 20:30:00
それは松平名字と源姓の場合でもそうだな。 松平名字を与えられた大名はごく一部だが、源氏の大名旗本はくさるほどいた。 秀吉は豊臣姓を源平藤橘と並ぶ第五の姓にしようとしていたから、臣従した大名には 片端から与えていたんだろう。 ある文書では、秦氏の長宗我部元親と源氏の徳川家康以外は、ほとんど豊臣姓だった。
109 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 20:34:59
秀吉は豊臣姓を源平に代わる武家の大姓にしようとし、広範に与えた。 しかし、羽柴名字は豊臣姓の中でも秀吉一門の名字として、より範囲が限定された。
110 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 20:50:23
片桐且元ですら、豊臣且元と名乗ってるのに加藤清正って・・・
111 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 21:18:26
加藤は豊臣姓創設以前に叙爵しているからな。 でも加藤は羽柴の名字はもらっているだろう。
112 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 21:42:55
かとちゃん ぴっ
113 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 21:48:44
秀吉は大名と封建的主従関係をもつ点で 武家の棟梁の地位を確立。 次に諸大名を朝廷の官位に組み込み関白政権を運営。 さらに豊臣姓を与えることにより有力大名を一門化し、 自らは氏長者として一門化した有力大名の統制を図った。
114 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 23:34:01
豊臣の血筋は女系で残っているの?
115 :
日本@名無史さん :2006/02/24(金) 13:22:15
豊臣家は滅亡したが、豊臣氏はまだいると言うことだな
116 :
日本@名無史さん :2006/02/24(金) 22:15:18
大名だと備中足守の木下家と豊後日出の木下家が豊臣朝臣 旗本だともっといるかも。寛政重修諸家譜を見るとわかる。
117 :
日本@名無史さん :2006/02/25(土) 18:22:50
木下弥右ヱ門−(秀吉の姉)−豊臣秀勝−(九条完子)…略…昭和天皇
118 :
日本@名無史さん :2006/02/25(土) 18:26:28
羽柴秀勝(信長4男)は羽柴姓だが平家(津田氏) 豊臣秀勝(秀吉のヽ(´o`; オイオイは三好製だが豊臣氏
119 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 23:48:44
秀次の死後、三好氏はどうなったん? 家をのっとられるは、それが改易になるは、 名門やのに悲惨やな。
>>113 その代わり公的統治機関がなく、それが秀吉死後の政権崩壊に至った
121 :
日本@名無史さん :2006/03/09(木) 18:01:08
平氏と豊臣氏は似ていませんか? 豊臣秀吉・平清盛 (晩年の転落) 豊臣秀長・平重盛 (御意見番) 豊臣秀頼・安徳帝 (悲哀な最期) 徳川氏・源氏 (敵は関東の源氏) 阿弥陀峰・六波羅密寺 (墓も近い)
>>119 豊臣家の旗本になった三好政勝、房一(長直-長房の家系)、政康が、
秀次付きを経て秀次死後は秀吉直属に復帰。
宗家・義継はすでに亡く、十河存保も改易で寄る辺もない三好一族は
大坂の役で豊臣・徳川に分かれ、政康と存保の子・存英が豊臣方について
戦死、政勝と房一が家康の旗本として三好氏の家系を残した。
122補足 十河存保の子・千松丸は秀吉に目通りを許され、成長後は父の讃岐の所領を 返してもらえることになっていた。 讃岐の大部分を支配する生駒親正に預けられたが、何者かに毒殺された。 おそらくは讃岐一国支配を狙う生駒親正の仕業といわれている。
124 :
日本@名無史さん :2006/03/11(土) 11:27:03
史実に対して秀吉って持ち上げられすぎだよね。 「妖説太閤記」みたいなのをドラマ化すれば 面白いと思うのだが、タブーなんだろうか?
125 :
日本@名無史さん :2006/03/11(土) 11:28:16
一般人に語られる秀吉は明智光秀を討つところまでだからな。 そこまでなら秀吉は日本史上における英雄といっても差し支えない。
127 :
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 06:51:56
>>126 秀吉の光と影。なぜ影の部分は一般人に語られないのか?
トータルでみないと歴史上の人物は評価できない。
そもそも一般人はあらためて歴史を語ったりしないだろ 歴史が好きでなければ。だから光秀征伐以前以後とか関係無しに ぼんやーり、秀吉=戦国時代=サルと呼ばれてた=凄い人=天下人=英雄とか 漠然と記憶してるだろう。信長から秀吉家康へどう移行していったか細かく知ってる人 なんて少ないっしょ。普通は。
農民から身を起こした、が抜けてたか。まぁこれも否定されたりするけど、イメージとして
130 :
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 16:25:36
秀頼を武将として育てたらどうなったか気になる。 秀頼は血筋で言えば一級品だもんな。秀吉の血を受け継ぎ、織田信秀と浅井長政も。 血縁の親戚なら豊臣秀長に織田信長も。 伊達政宗の書状に秀よりは家康のもとで育てるとかいう文があるらしいけど、 そうなったら家康から政略武略を学んで、武田の軍法とか頼朝の思想とかも 学んで凄い化け物になったかもしれん。
>>130 化け物になる前に殺されてる。
危険と思えば実子でも平気で殺す家康さんだぞw
しかも信長の娘を介してわざと情報を垂れ流し、
「信長の威」で殺したように装ってる。
手元においてヤバイと思えば、毒殺するか大義名分を用意して
誅殺するよ。
132 :
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 20:24:24
>>128 ドラマや小説なんかが、秀吉の影の部分をきちんと伝えないから、
一般人に大雑把なイメージしか植えつけられないのでは?
秀次事件なんて史実通りリアルにドラマでやれば、秀吉の実像も
より正確に認識されると思うが…
133 :
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 21:35:36
>>131 まぁそうだな。セルみたいな強者の混合怪物になるまえにな。
他スレだが秀吉が長生きしてて秀頼育てたらどうだったかな
いや、過保護だし淀殿と差ほど変わらないか
134 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 06:52:54
>>128 同意。信長とか秀吉みたいなヒットラー的独裁者を
マンセーしてたら、いい加減外国からバカにされるよ。
135 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 06:56:39
秀吉は女狂いのロリコン。
136 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 16:18:37
>>134 この手のことを、
京都辺りの仏教系カルトが70年代から言ってますね
キンモーーーーーーーッ
137 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 16:39:41
秀吉の出生について新しい説はないのか?
138 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 16:51:39
日吉社の神猿の実子説
139 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 16:55:42
猿と人間がセックスしたら 子供出きるの?
140 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 19:25:38
秀吉が朝鮮人を根絶やしにしていたら在日チョンという粗大ゴミがなくなってたのに
141 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 20:33:30
>>140 最近この手のDQN秀吉ヲタが増えてるのか?
142 :
日本@名無史さん :2006/03/15(水) 20:38:25
>>137 >この手のことを、
>京都辺りの仏教系カルトが70年代から言ってますね
キモイのはお前
>>124 専門家や歴ヲタには叩かれる事の方が増えてきた気もする
今まで持ち上げられてきた反動も有るだろうし
朝鮮贔屓な左翼系学者・作家の発言力が増してきたのも要因の一つ
それでも一般層の間では未だ「陽気な太閤さん」イメージの方が大きいだろうけど
145 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 06:28:55
>>144 そんな時間にカキコしてるお前こそ大丈夫?
146 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 06:30:01
147 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 08:03:31
>>145 >>146 連続カキコ乙w
よっぽど悔しかったんだろうね〜
悔し〜w
悔し〜w
悔し〜w
悔し〜w
148 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 08:46:44
>>147 幼稚なカキコしてないで
真面目に働けよ!社会のクズ
149 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 09:16:40
>>148 幼稚なカキコしてないで
真面目に働けよ!社会のクズ
150 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 09:43:12
今日はWBCの対朝鮮戦だ。慰安婦まんじゅう食いながら応援しよう。秀吉や伊藤博文も応援してくれるだろ。
151 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 09:49:50
152 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 12:30:49
>>149 文章を考える能力もないのか。
保育園から行き直せ!
153 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 12:39:32
>>152 文章を考える能力もないのか。
保育園から行き直せ!
154 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 13:05:46
っーか、秀吉軍て朝鮮半島でたいした戦争してないだろ? 日本軍が行く前に百姓一揆や市民の盗賊化で町は略奪され全部焼けてたんだろ。
155 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 13:15:35
,r'´ ,r ニ 、ヽ /ふ(⌒r_-_、_ /// ,rニ 二 、ヽ .l'、そrィ(_,,},}ニ) i//// ,r ニ 、r゙! l ` ''ー<´..... __゙! lr 、彡 ノ,ノ´ ̄ }i;} ゝ.,,__ : | ,rーゝ '´ ̄、ー-、 -;リノ f彡'、ニァー_-_⊥! ,/ヾ< :.  ̄ l'7′ i彡ゞー' ー :f'! ,.、‐'":ヽ::::\ ヽ __ァ'′ _,チ. :. _ '/ /::::::::::::::::ヽ::::::ヽ `/)乙二ス、 ,rニ ̄`ヽ` ;-< /:::::::::::::::::::::::::::ヽ::::;/ ーンノハヾ,!} /- ... `ヽ、 ,! ! ヽ /::::::::::::::::::::::::::::::/^i´ /(_, イヽ' :.. \,! : ', . i:::::::::::::::::::(⌒/:::::::::::l,r‐ァ''";!/:i, |:::::::゙! :.. \: ',
156 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 13:42:16
┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ └─┤ └─┤ └─┤ ├─┘ ├─┘ ├─┘ _ ∩ _ ∩ _ ∩ 日本! ∩ _ ∩ _ ∩ _ ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 日本! ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ ) ┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡 ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐
157 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 15:43:34
>>154 秀吉遠征軍が戦った相手は「明」。
明と戦い、互角〜補給負け、している。
その後、明は
・膨大な戦費の支出
・恩賞の不足
・朝鮮出兵を巡り、明政権内でのごたつき
・「日本ごときと互角」という格下げ感
・つまり法則発動
して、滅亡方向へ向かっていきます・・・
決して半島の蛮国相手に戦ったわけではない。
158 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 16:41:29
なるほど。 朝鮮に軍隊と呼べるほどのものなんてなかったんだろうな。
159 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 16:52:14
軍隊を持つという概念すらなかったんだろう。
160 :
日本@名無史さん :2006/03/16(木) 20:30:15
秀吉に指が6本あったって本当?
162 :
日本@名無史さん :2006/03/17(金) 09:15:43
シックスフィンガー
163 :
日本@名無史さん :2006/03/17(金) 12:17:36
妖怪人間ヒデヨシw
164 :
日本@名無史さん :2006/03/17(金) 12:44:21
指が六本あって、声が馬鹿でかくて、身長140センチくらいで、めちゃめちゃ仕事が出来る男ってすごい格好いいな。
元々人間には七本の指があるし
>>164 秀吉は下賎の身から成り上がった業績だけでなく
その異形な姿態も日本史上の中で特異な存在感があるな
”フェノメノ”
168 :
日本@名無史さん :2006/03/17(金) 20:31:12
>>166 日本史上、まれな狡猾でキモいはげネスミw
169 :
日本@名無史さん :2006/03/17(金) 22:22:15
秀吉はちんちんも小さすぎて、子供も作れなかったらしいw
170 :
日本@名無史さん :2006/03/17(金) 22:53:50
秀吉は晩年、数々の愚行・暴挙を行った。 要するに狂ってたんだね。
171 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 09:33:59
秀吉最高〜! 一番の功績はキムチ退治ww
172 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 10:00:49
これだから脳内秀吉ヲタは…
173 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 10:42:50
秀吉最高〜! 一番の功績はキムチ退治ww
174 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 11:08:14
これだから脳内秀吉ヲタは…
175 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 11:59:57
秀吉最高〜! 一番の功績はキムチ退治ww
176 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 12:23:35
みんな秀吉を持ち上げすぎ。 朝鮮半島から中国北部くらいまで占領できてたら実力を認めるんだけど。
177 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 13:53:29
>>175 これだから脳内秀吉ヲタは…晩年の秀吉動揺DQN
178 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 15:06:20
>>177 これだから反日ブサヨキムチは…晩年の秀吉動揺DQN
179 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 15:12:37
太閤殿下が紙幣の肖像画になる日も近いよ。 刀狩の人だよ。犯罪撲滅の効果はここからだ。なにも朝鮮人を殺戮したしたから 偉いのではないよ。
180 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 15:18:50
>>178 これだから脳内秀吉ヲタは…晩年の秀吉と同様にDQN
秀吉の出自って明らかにならないのかな? 天下人になるためには高い知力が必須、 知力を得るためには文化資本の高い家に生まれる必要がある。 個人的にお金のある豪農とかの出身だと思う。 貧乏な家だと長男は失敗するし。
182 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 16:55:53
>>180 これだから反日ブサヨキムチは…晩年の秀吉動揺DQN
183 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 17:53:02
184 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 18:48:57
>>181 おおよそ
木下家は織田(信秀)家の足軽頭、程度の郷士(=そこそこの分限者)
という感じではなかったかと。
ただ、親父が死んで、家が一瞬没落しかけたのではないかと
推測できますね。
なので母は竹阿弥を迎え、
前夫の子である秀吉は弟に家を任せて、立身を夢見て家を飛び出し。
185 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 19:16:29
186 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 20:37:01
朝鮮半島を綺麗なさら地にしなかった罪は重い。 ぺんぺn草一本生えないようにしておけば、朝鮮高利貸し、朝鮮玉入れ、朝鮮タレント、朝鮮ヤクザなどの問題は起きなかったのに。 この現実を見れば秀吉は無能だったことがわかる。
187 :
180 :2006/03/18(土) 21:29:45
>>182 晩年の秀吉動揺DQN と
お前が書いてる通り、晩年の秀吉は動揺したDQNだw
ケケケケケ
188 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 21:33:42
>>187 ボケたDQNがDQN半島に攻め込んだなんて楽しいなw
ケケケケケ
189 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 07:30:12
>>187 に大賛成!
秀吉はDQNで無能
秀吉はDQNで無能
秀吉はDQNで無能
朝鮮半島を綺麗なさら地にできなかったことがその証明。
こんな無能で役立たずな男を英雄扱いする日本人は非国民。
半島をぺんぺn草一本生えないようにしておけば、朝鮮高利貸し、朝鮮玉入れ、朝鮮タレント、朝鮮ヤクザなどの問題は起きなかったのに。
190 :
尾藤イサオ :2006/03/19(日) 07:33:19
おれはワル、ワル、ワルがなぜワルい♪
191 :
秀吉 :2006/03/19(日) 08:01:10
おれはサル、サル、サルがなぜワルい♪
192 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 08:36:03
193 :
高子 :2006/03/19(日) 12:05:53
┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ └─┤ └─┤ └─┤ ├─┘ ├─┘ ├─┘ _ ∩ _ ∩ _ ∩ 日産! ∩ _ ∩ _ ∩ _ ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 日産! ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ ) ┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡 ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐ |●| |●| |●| |●| |●| |●| └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘
194 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 14:16:55
,,、r''''" ゙゙̄`''ー .、 ,rニ,_ ミ| ヽ./~~`ヽヽ. ,;" `-、,/ ゙!,゙'i, ,:i' _ ----、`i, ゙i, ┌―――――――――― ,l 'l 、 | ,r-ッ---r゙i, ゙i, | 圧倒的じゃないか . l, i' 、_,,,.-ッ'フ,)tr'"===='" ゙i ,ト.、 | 我が帝国軍チームはw ゙t,'i `'フ",:"!, ` |' i l ノ ー―――――――――― r' i, ''" : ! _ ゙ir'r l, |ヾi ゙' i;:. ヽ ゙'| ,! ゙i, ! ! ~;; ___, ,、ノ ゙i, ,,; -''"~,、 ,/ | `" ト、 " ` / | | 'ヽ. .| / .| | ゙i,ヽ._ l __,,./ .| ! _,,,二゙~r-:'::::::::::::::::┴┐ ,r゙‐'"---i | |~~.........---r ゙i | | r''''''''i i,゙l | ,,! ''''''''7i_,,,! | | ゙l'" __゙ヽj | ー' '''''''7 `ニ' ゙i,_、___ ├i゙t'",,r'' , i ,....,'''''ソ,,.-''"''"t'r'"__,r'" ̄''7 ,,,,r:、ヽ、ヽ-''"l !ヽ,,,、-'""_,、-'''' ゙'ヽ、r"
195 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 17:54:17
,イ^il ,イ:::: l /:::::::: l /:::::::::: { /| /:::::::: _`-、_ /:: { /::::::::::: < 。\  ̄ __ l ./::::::::::: r  ̄ ̄ :::::::..... <。゙yi /::::::::::: 人 :::::::::::::::. ̄、{ |:::::::::::. l __`ー-、.__,,.ノ! ! |::::::::::::. \ ..`..____' / | .l:::::::::::::. \:::::::::::::::::::::/ / ヽ::::::::::. ___ \_ ̄~^/ ,/ おうっ 馬鹿ンコックども!! \::/`ー---‐^ヽ ゙`=' / 30年近くもプロ野球を続けてて l::: l / 日本の引き立て役にしかなれねえ _ /,--、l::::. ノ l 馬鹿犬チョンどもザマーーミロ ,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l \ ,/ ::: i ̄ ̄ | \ そろそろ地上から消えちまいなっ /:::::::. l::: l::::::: l \ 糞ったれ劣等民族どもwww l:::::::::::. l::: !:: |::::::: l \ |:::::::::l:::: l::: |:: l::::: l l |::::::::::l:::. }::: l:::::,r----- l l ヽ::::::::l:::: ト:;;;;;;;/-/__........... / |
196 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 20:51:19
↑ まあまあw 気持ちはわかるがもうちょっと大人の対応をしようじゃないかw 犬を調教するにはそれなりの忍耐が必要なのさ
197 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 22:45:34
\::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 韓 ../::::::::::::::::::::::::、::::::::::::::::::::::::::::::: い 日 国 ヽ:::::::::::::::::::::::::ヽ、,:::::::::::::::::::::::::: ま 本 を 〉∧i i゙i .|l, 、ヽ斗l' ヽ:::::::::::::: せ 人 嫌 /`トl、{.ヽ.l!、 イ弋)ヽ i:::::::::::: ん な 悪 >! (|f゚|}`ヽ ヽ!"´´ ヽ l,::::: !!!! ん し l 、 !"!´ u |:::::: か な i ヽ ._.. - 、. !:::::: いv-"!、 .u .r‐''''"゛ . l .il:::::::: .、., i=@.、 ,,/ヽl::::::::`-..、 ! / / l::::::: ! ./ `'".! ″:::::::::::::`''!=ii,,........ ;;ツ" |::::::: ″ !:::::::::::::::::::::::::::::::::::`''ァ'"゛ ., ー'' │::: ,!::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/]、,/ .l::::: /:::::::::::::::::::::::::::::::::,,イ ,l'" ,!:::: iヽ,∧/i,7::::::::::::::::::::::::::::/ / ,l'l ,,i'!::::: ┌, ‐''''ヽr‐┐:::::::::::::::/ /′|, \, ./ │:::: . / 、 ゙ッ.l:::::::::,i'" ./゛.--ィ_.ゝ/i″ |::::: .| .''" .l /::::::/ ○iラ"、.フ゛ i' .l′ l::::: .| ...=@ l::::./ ゙゙ノ,ljZr"''''''゙゙".、/ /::::: .,! 〈::./ .r'"'!ッ'"._ l'"´ =''゙/ !:::::: .:!. u -'" リ゙ .,iヘ,フ" ,, - ,,,7_,レ ,! ./:::::::: : .l'ヽ ./ .|,,./′.,ノ_./ l ./::::::::: .゙'、ヽ_,,,..i''|′.l ./ ./ ''''ー′ l /::::::::::: ::::::.`'ー--'゙/ ./ .│ .| l /:::::::::::::: ::::::::::::::::::::! ,! l ! i_./::::::::::::::::
秀吉の話しようょ
199 :
日本@名無史さん :2006/03/20(月) 09:01:09
┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ └─┤ └─┤ └─┤ ├─┘ ├─┘ ├─┘ _ ∩ _ ∩ _ ∩ 秀吉! ∩ _ ∩ _ ∩ _ ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 秀吉! ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ ) ┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡 ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐ |●| |●| |●| |●| |●| |●| └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘
織田家は商人的スタンスを持っていた戦国大名である。 例えば、港湾を所有し、発展させることで得た経済力をもとに国力の増進に成功した。 そうした、織田家所有の港湾には、日本国内だけではなく、海外からの商船もたびたび入港した。 そこには当然ながら朝鮮船の船団もあり、そのうちの頭領格の商船員に李藤吉という名の男がいた。 極東の海を駆け回る貿易船の頭領格らしく、地理・天文・経済・言語に通じていた彼は、信長に請われ、配下の一党と共にその家臣となった。 日本風に改名して木下藤吉と名乗った彼こそ後の天下人、豊臣秀吉である。 その先進的な知識と能力を駆使して信長を覇者とせしめ、ついにその後を継いで天下人となった秀吉だったが、かつて、明・朝鮮はおろかルソンまでも航海した彼にとって「天下」とはただちっぽけな島国である日本国だけを指すものではなかった。
201 :
日本@名無史さん :2006/03/20(月) 18:39:44
↑この話、俺も聞いたことあるな。 結構、信憑性高い説らしいね。
202 :
高子 :2006/03/20(月) 19:07:01
203 :
別当 :2006/03/20(月) 20:26:37
>>201 俺も聞いたことある!
これは新発見の資料でほぼ確実らしい。
日本の学界は隠してるんだって。
秀吉が朝鮮人だと考えると彼の行動は理解できる。
あの醜い容貌といい、半島に攻め込んで同胞を虐殺するなんて行動はまさに朝鮮人そのもの!
史実と「願望妄想ファンタジー創作」は別ですよ?>キムチ そもそもキムチよ、お前の存在が板違い。 ちゃんと相応しい板に移動しろ
205 :
日本@名無史さん :2006/03/20(月) 21:18:42
.!. ! , '"  ̄ `_ 、 .| .! ./ ((.´ヽ'.ヽ l. | / ‐*.- ヽ | | ,' ___'`=''__.l ! ! i -<_______,`ゝ ! .l/ 〈. -=・=- -=・=-}-、 l !{ } ,ハ !f/ l !ヽ._ ノ ,‘,,-,,', .!ノ ! .! i.ヽ. ,'"-===-'; | ドーピングが切れた馬韓国など ケニアチームより弱かったよ。 クスw .l. ! /\ \;; `''';;;'''´;/ .| |,/ヽ、`ヽ、`ー''ー'i´ ,. -! !,'ニ二.`ヽ 、` ー ' {` ー- 、__ ,. ´ ,l |/ニ二`、 `ヽ、、| ヽヽ { ` ー、 / ⌒`ヽ l !' ー'ヽ、 ノノ ヽ、_ \V/ ヽ / ! .| i ` ー 、 〃 `丶、/ .⌒ ヽ . / '  ̄ .! .|ヽ | ヽ `´、 `丶、 .ヽ / / 二 .rー} .|,...、 .! ヽ ヽ` 、 ` .、⌒ヽ // 三 ,f`-i .!| { ヽ ヽ ` ヽヽ. {{ fヽ二二:} ヽ ` 、 ヽ | { 〃i {ヽ.二二:} ┌、/´| |´ヽヽl´| i´ヽ ` 、 ` } ヽヽ ヽ `ー ' | 、v/l.! !.i 、ヽ.| .! ! 、ヽ|ヽ ` 、 〃
206 :
日本@名無史さん :2006/03/20(月) 21:46:11
↑ まあまあichiro君落ち着いてw 気持ちはわかるがもうちょっと大人の対応をしようじゃないかw 犬を調教するにはそれなりの忍耐が必要なのさ
207 :
日本@名無史さん :2006/03/20(月) 22:09:50
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::人:::::::::::ヽ /:::::::::|:::::::::::::::::::::::::::::::::/ ヽ、:::::::ヽ |:::::::::::@ヽ-------‐‐'′ ヽ:::::::::| |::::::::::/ |:::::::::| |:::::::::/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ|:::::::::| |::::::=ロ -=・=- |, | -=・=- ロ=::::::| |::::::::/ヽ /ノ ヽ /ヽ:::::::| |:::::/ `─── / ` ─── 丶:::| |:::ノ (●_●) |::| |::| l l |::| |::| __-- ̄`´ ̄--__ |::| |::| -二二二二- |::| |::::\ /::::| \::::::\ _- ̄ ̄ ̄-_ /::::::/ |Ξ|~ \ / ~|Ξ| /::::::ヽ/|\_______/|\ /:::::::ヽ |::::::::::| \ / |::::::::::::| /|:::::::::::| \ / |::::::::::::|
>>200 >>201 >>203 >>206 ┏┳┳┓ ハイ. ┏┳┳┓
┏┫┃┃┃ チョンは . ┃┃┃┣┓
┃┃┃┃┣┓ ここまで ┏┫┃┃┃┃
┃ ┃┃┏━━━┓┃┃ ┃
┃ チョン . ┣┫ . ・∀・ ┣┫. STOP!┃
┗━━━━┛┗┳━┳┛┗━━━━┛
┏┻┓┃
┏━┛ ┣┻┓
┗━━━┫ ┗━┓
. ┗━━━┛
209 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 17:25:11
織田家は商人的スタンスを持っていた戦国大名である。 例えば、港湾を所有し、発展させることで得た経済力をもとに国力の増進に成功した。 そうした、織田家所有の港湾には、日本国内だけではなく、海外からの商船もたびたび入港した。 そこには当然ながら朝鮮船の船団もあり、そのうちの頭領格の商船員に李藤吉という名の男がいた。 極東の海を駆け回る貿易船の頭領格らしく、地理・天文・経済・言語に通じていた彼は、信長に請われ、配下の一党と共にその家臣となった。 日本風に改名して木下藤吉と名乗った彼こそ後の天下人、豊臣秀吉である。 その先進的な知識と能力を駆使して信長を覇者とせしめ、ついにその後を継いで天下人となった秀吉だったが、かつて、明・朝鮮はおろかルソンまでも航海した彼にとって「天下」とはただちっぽけな島国である日本国だけを指すものではなかった。
210 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 17:42:14
秀吉は朝鮮人であった。
211 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 18:56:03
>>203 >半島に攻め込んで同胞を虐殺するなんて行動はまさに朝鮮人そのもの!
私も納得致しました。
212 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 18:58:47
中国に『山海経』という古文書がある。
山海経は、中国でもっとも古いとされる地理・博物書であるが、この書物の中に
義和国という国が登場する。
【山海経・義和国の話】
東海の外側に義和国という国がある。その国には女が住んでおり、名を義和(ぎか)という。
義和は今、太陽に水浴びをさせているところである。
古代日本の呼称である「倭国」が「和国」に改号される時、山海経に登場する義和国から、
『和』の字を借りて、和国にしたのかもしれない。
義和国を支配する義和という女神は、日本神話の天照大神にそっくりである。
義和も、天照大神と同じように太陽の女神なのだ。
山海経によると、義和国には扶桑という巨大な神木があり、扶桑の枝には十個の太陽がとまって
いるという。
そして、義和が十個の太陽を支配しているとされているのだ。
日本神話の天照大神の原型は、この義和なのかもしれない。
■『山海経』について■
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/sengai.htm
213 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 19:48:39
武勇伝、武勇伝、パッパッパヤッパ!
214 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 19:51:39
なんで、日本人が、大和朝廷が作った人工国家=百済の文化を羨むんだ?(笑
_____________________________________
韓国人がアホな歴史教育をしているようだ。
【歴史教育、幼稚園から実施】『日本が羨んだ百済文化』 ←無知にもほどがあるよ(苦笑
教育人的資源部(訳注:日本の文部科学省に相当)は、幼児の時から正しい歴史意識を
身に付けさせるために、多様でおもしろい活動を素材とした『幼児のための歴史教育活動
資料』を発刊し、全国8300余りの国・公・私立幼稚園に無料配布するほか、保育施設など
で出力して活用するようにホームページ( www.moe.go.kr )にも掲載することにしたと、16日
発表した。
この資料は、幼児期発達に相応しくておもしろい10編の時代的歴史エピソードと、33種類
の多様な活動で構成されており、歴史に対する幼児たちの関心と好奇心を引くことが期待
される。
「苦難の中の希望、日帝強占期」編では、日帝時代に民族に希望を与えた孫基禎翁(下記
関連サイトご参照の話が紹介されており、「韓国の文化の誇り、百済」編には、日本が羨ん
だ百済文化が紹介されている。
また、「我が国の領土、独島」編は、幼児たちが独島に対する親近感と我が国の領土を大
切にする心を持つように構成されており、朝鮮戦争と平和、申師任堂(訳注:李氏朝鮮時代
の女性文人。下記関連スレご参照)、権慄将軍(訳注:文禄・慶長の役の時の将軍)、慶州、
古朝鮮(訳注:檀君の建国した国のこと)などのテーマも入っている。
教育人的資源部では、この資料が幼児教育現場で有効に活用されるようにするため、2月
に全国16道・直轄市の教育庁幼児教育担当講師要員400人余りを対象に研修を実施する予定だ。
▽ソース:Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2006.01.16 20:21)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&newssetid=746&articleid=2006011620210117447
215 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 20:22:50
∧_∧ ( ・∀・) まぁお前等にはベスト4で国旗立ててんのがお似合いだよw ( ) ) /\\ グリグリ (_) ヽ_)∧ | ̄ ̄| <`∀´;> | | U U ) | | ( ( ノ | | <__<_〉
216 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 22:12:51
豊臣朝臣羽柴何某というのが、一時の全国諸侯の名前です。 豊臣の生き残りは、豊臣秀勝息女完子、豊臣秀次の子孫の生き残り(真田氏との血縁)以外に いるのだろうか??知っている人教えて。
217 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 22:14:51
日出の木下家の墓は、豊臣何某と彫りこまれていて、江戸期も公式に豊臣姓が、認められていた 証である。
218 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 22:15:54
朝鮮出兵は、まさか秀吉の代表的な足跡ではなかろう。
219 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 22:19:51
羽柴秀長の甥、秀保以外に養子としては、藤堂高虎子息・高吉がいたが、これは ある意味、江戸期も存えた子孫ともいえる。 日本は家の文化であり、この家に育ち、家風を継いだ者は子孫といえるのだ。 残念なのは、時勢から、羽柴を継がず藤堂姓に復した事だ。
220 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 22:24:22
秀吉の魅力は、スピードだ。 勝家との決戦で、半日で、琵琶湖の対岸に移動し、勝家甥の佐久間盛政を誘き出して、 勝家から分断して急襲する場面は、痛快だ。 知恵を使って合戦するさまは、朝鮮人のボンクラにはないものだ。 日本の偉人だ。
221 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 22:25:45
家康には、このスピードはない。 百姓大名の異名がある所以だ。だから、好きじゃないと言う人が多い。
222 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 22:35:02
.,.v-ー''″ ミ, ,,/ ,,,, ミ .,/ ,,|||||||,, ミ. ,!′ ,,||||||||||||| .゙゙!; ノ ||||||||||||||||| ゙`!; イチロー万歳! .\., "|||||||||||||" ..ミ 王監督万歳! .\ "|||||||" ,.,v-r|i 天皇陛下万歳! ) "" ./ ′ .ミ, 佳子様眞子様万歳!! .) .,r'′ ミ. .゙'ー‐'¨¨″ フ∧_∧ r(,,゚Д゚) 〉日本つ
223 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 23:01:56
224 :
日本@名無史さん :2006/03/22(水) 05:18:46
ぶゆうでん、ぶゆうでん、でんでん でんでんでん
225 :
日本@名無史さん :2006/03/27(月) 13:52:50
秀吉の異父妹弟というのは出てくるけれど、外で作った隠し子というのは ないね
まぁ種無し説がでるぐらいだからな
227 :
日本@名無史さん :2006/03/28(火) 22:09:45
秀次が今出川晴季の娘と孫娘の二人を側室にし、母子併姦の酒池肉林をしたというのはまじか?
228 :
日本@名無史さん :2006/03/28(火) 22:28:48
一緒にしたかまでは分からないが、母子といたのは事実
一の台とその連れ子・お宮の方。 秀次のご乱行は捏造も入ってるだろう。 岡崎信康のご乱行と同じね。
豊田という性は、豊臣にちなんでるのかいな。
231 :
日本@名無史さん :2006/05/07(日) 17:04:48
無知やのう。 豊臣は、源平藤橘に続く氏であり、トヨタなんぞというのは、地名姓に他ならず。 例えば、徳川は源氏を自称しており、足利氏だって、足利庄に土着した、源氏であり、 豊田なんて苗字が、どれほどか知らんが、豊臣と同列に扱う次元じゃねえってこと。 羽柴と次元を同じく語るならまだ分かるけど。
232 :
日本@名無史さん :2006/05/07(日) 17:06:35
秀次が今出川>>晴季の娘と孫娘の二人を側室にし、母子併姦の酒池肉林をしたというのはまじか? 秀吉が人のこと言えた義理か?と関白秀次公に成り代わり申し上げておく。
233 :
日本@名無史さん :2006/05/07(日) 18:22:36
ていうか、秀吉のスケベ話も大袈裟な気がするが…
234 :
日本@名無史さん :2006/05/07(日) 22:52:50
秀吉には、男色の傾向が見られない。 その代わり、後家ねらい。 特に偉い人には目がない。 まあ庶民出身なら仕方がないが
236 :
日本@名無史さん :2006/05/11(木) 12:03:01
秀吉は公家とか足利一門などの有力守護の女性を側室にしてました? 若い頃にはあまりに遠すぎて憧れの対象にならなかった気が・・・
>>236 そこが秀吉ですよ。
偉い人(の奥方)と言ってもせいぜい、滅ぼした相手の大名の奥方。
お前の旦那を殺したのはワシ 今度はお前を殺したる(性的な意味で
>>237 当時の秀吉の権威を考えたら何とも慎ましい側室ばかりだよなw
足利一門、上位公家どころか皇室の内親王もモノに出来そうなのに
240 :
日本@名無史さん :2006/05/13(土) 00:07:42
秀吉が、毛利や島津に領土を保障したのってのは、評価できるね、もし全部召し上げとかだと、謀反が起こるだろうねいずれ それは、火をみるより明らかだろう・・ そしたら、また戦国時代に戻るな。 信長も、本領安堵ってのはしてるんでは?
241 :
日本@名無史さん :2006/05/17(水) 02:55:44
>>240 毛利は秀吉と講和したとき、領地の半分を差し出しているわけだが。
島津も九州をほぼ支配下においていたのに、鹿児島に戻されたし、
長曾我部も四国を取り上げられ、高知に戻された。
甘かったのは、100万石うち、30万石の会津だけを取り上げられた伊達政宗と
5カ国安堵させた家康くらいでは。
本領安堵は秀吉の得意芸、東北の田舎合戦ならよくあるけど。
243 :
日本@名無史さん :2006/05/20(土) 09:00:50
淀君の父ってだれか 教えてください
244 :
日本@名無史さん :2006/05/21(日) 00:24:36
>>241 地味に織田信雄も領地を削られている。三河まで戦場になっていたら徳川も危なかったな
245 :
日本@名無史さん :2006/05/28(日) 01:43:04
243 浅井長政。
246 :
日本@名無史さん :2006/05/28(日) 05:35:52
日本の“姓”と“苗字”の違いについて。 日本人の姓は藤原・橘・源・平・の4種類に分けられる。 苗字は多彩で、住んでいる地名から取られる例が多いという。 例えば、足利尊氏。 姓は源で苗字は足利だ。 つまり、「源尊氏」。 新田義貞も姓は源だ。 「源義貞」 源頼朝は「伊豆頼朝」と呼ばれていた。 信長は平信長。 家康は源家康。 信玄は源信玄。 北条は平氏なので。「平氏康」 秀吉が太閤になった時に朝廷から新しい姓が下された。 その新しい姓は「豊臣」。 秀吉の苗字は「羽柴」である。 しかし、認識されているのは「豊臣秀吉」が一般的である。 どうして「羽柴秀吉」ではないのか? 教育の現場でも「豊臣秀吉」と教えている。 苗字で統一するなら、織田信長・武田信玄・羽柴秀吉で教えるべきであり 姓で統一するならば、平信長・源信玄・豊臣秀吉と教えるべきであろう。
te
248 :
日本@名無史さん :2006/05/28(日) 21:20:28
<足利家> 側室:月桂院(お嶋・嶋子)- 足利頼純娘 <守護大名家> 側室:南の局 - 山名豊国娘(豊国の母は管領・細川高国の娘) 側室:松の丸殿(京極竜子) - 京極高吉娘 <右大臣織田信長家> 側室:三の丸殿 - 織田信長娘 側室:姫路殿 - 織田信包娘 側室:広沢局 - 名護屋経勝娘 側室:淀殿(茶々) - 浅井長政娘(母は、織田信秀の娘) 確かに公家の娘がいないね。親王を養子にはしていたけれど…。
249 :
日本@名無史さん :2006/05/28(日) 21:28:12
>>246 姓は四種類だけじゃないよ、
八色の姓って教科書にも載っている
ぐらいだからもっとある。
250 :
日本@名無史さん :2006/05/28(日) 21:49:32
>>246 天皇との関係が生じるときはかならず
源などの姓で表記する、源尊氏、源義貞のように、
しかし普段は他の源氏と区別するために
苗字を名乗っている。
秀吉は豊臣の本家なのだから他と区別し
て苗字をなのる必要がない。
その理論だと氏長者は姓表記にならなければならないが
252 :
日本@名無史さん :2006/05/28(日) 23:45:19
嫡流っていえば良かったですね。
253 :
日本@名無史さん :2006/05/29(月) 00:10:48
>>249 おいおい。それはカバネ。朝臣とか宿祢とか、姓の次に付く奴。
ここで言ってる姓は、源平藤橘、在菅清伴‥‥
って、何でこんな基礎的なこといちいち。
何かここもレベル下がったなあ‥‥
このスレでどの時期がレベル高かったと思うんだろうか・・・?
255 :
日本@名無史さん :2006/06/15(木) 05:58:16
256 :
日出ずる処の愛国者 :2006/06/27(火) 12:45:36
>>1 ひとつ言いたいのは、『内乱が収まり国内が統一されると外征をする。』というのは、
世界史上の常識であって、むしろしないほうがおかしい
なぜかと言うと、内乱と言うのは『バトルロワイヤル』であって、それを制するには
強力な軍隊を必要とする。そして『内乱が収まった』というのは、
『この強力な軍隊の仕事がなくなった。』ということだ。
仮にトップが『もう戦争はやめよう』といっても兵士たちは承知しない
彼らは、立身出世のために兵士になったのである。
それでもやめようとすれば、トップは殺され別の人間が戦争を遂行する。
アレクサンドロスが、チンギス・ハーンが外征したのは、そういうことで
必然の結果なのである。
そのため外征がやむのは、兵士が『もういい、休みたい』と言った場合だけだ。
世界史上の外征もこれで終わっている。
257 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 21:16:14
金ケ崎の退き口について詳しく教えて
258 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 22:05:24
おいおい「唐入り」って言葉を知らないやつがここに来てるわけないだろ 知ってて知らないふりすんのは朝鮮人ぐらいだよ
259 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 00:43:48
>>246 以後言われているのは「姓」ではなく「氏」だろう。今では「姓氏」と言えば苗字と名前だが、
元々は「姓」は「かばね」であり、氏単位で与えられた称号。「臣」や「連」が有名だが後には「朝臣」のみが残った。
対して「氏」は古代の朝廷を構成していた族に与えられた名で、「源平藤橘」の四氏が大族。
秀吉は朝廷から、新たに「豊臣」の「氏」を貰い、それを名乗った。
平安時代、藤原氏も家号を名乗らず、総て藤原氏であったように、秀吉は一人なのだから、
当然、家号を名乗る必要はなく、「氏」の豊臣で通した。
260 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 00:47:17
↑読み方を書き忘れたが当然「氏」は「うじ」だ。
261 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 14:15:35
朝臣のみって言ってる時点で・・・・・
262 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 14:58:21
氏(うじ)・・・・・源、平、藤原、橘、在原、菅原、清原、伴、紀、大江、惟宗、賀茂・・・ 姓(かばね)・・・・・真人、 朝臣、宿禰、忌寸、臣、連、首、造、公、直、史、村主、県主・・・ 姓(せい)・・・・・源、平、藤原、橘、在原、菅原、清原、伴、紀、大江、惟宗、賀茂・・・ 氏(し)・・・・・足利、細川、斯波、畠山、上杉、織田、羽柴、徳川・・・
264 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 10:21:49
265 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 10:26:11
豊臣 羽柴 秀吉 トヨトミノ ハシバ ヒデヨシ
266 :
愛国者 :2006/07/04(火) 16:14:12
>>1 朝鮮人が朝鮮出兵のことで秀吉公のことを激しく憎んでるって
オレは朝鮮人を激しく憎んでいるぞ
なぜかって
鎌倉時代、朝鮮は元(蒙古)の手先になって日本を侵略したからだ。
しかも元寇の原因は朝鮮にある。
それは朝鮮人が元の皇帝に『日本と通じるように』と献策したからだ。
ちなみに、元の皇帝には他国と『対等』の国交を結ぶ気がまったくないから
『日本と通じる』とは、日本を属国にするか征服するかしかない
だから元寇が起こったんだ。
267 :
エヴァンゲリオンさん :2006/07/07(金) 15:13:37
豊臣秀吉のこともっと教えてください!!
268 :
日本@名無史さん :2006/07/10(月) 03:35:40
天草四郎は、豊臣秀吉の孫
269 :
日本@名無史さん :2006/07/14(金) 01:54:06
古代には氏って呼ばれてたものが 中世には姓になったんだよ。 豊臣賜姓って言うだろ。
270 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 22:30:49
ウジ(氏)+カバネ(姓)=セイ(姓)でなかったけ? 羽柴や徳川は苗字でないの?
271 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 22:50:36
古代 氏(ウジ) 源、平、藤原、橘、菅原など 姓(カバネ) 真人、朝臣、宿禰など 中世以降 姓(セイ) 源、平、藤原、橘、菅原など 氏(シ) 足利、新田、細川、佐竹、武田、上杉、北條、織田、徳川など 中世以降、古代までのウジがセイと呼ばれ、氏表記と姓表記が混同されるようになった。 中世以降の氏(シ)は名字のこと。
ウジ・カバネは朝廷からもらうもの。
セイはその流れで中世まで残ったもの。
公式な(朝廷が絡む場合とかの)文書・名乗りを表記する際、セイを持つ者は必ずこれを使う。
シは基本的に自分で勝手に名乗るもの、もしくは通称の公式。その大多数は地名が由来。
日本におけるウジ・セイ・苗字は近世において混同が激しいが、
>>271 にあるとおり概念は全く違う。
「豊臣」は他例と照らし合わせると氏(ウジ)に含まれると思うが、秀吉の場合は一族なんてあって無いようなものだったし
そもそも古代の氏姓ルールは慣例&一族の固定=ルールみたいなもんだったろうから、成り上がりの秀吉に与えられた「豊臣」の扱いは、ちょっと難しい。
秀吉は豊臣の姓(セイ)をもらったが、彼の苗字(氏)は死ぬまで「羽柴」だった。
秀吉に指が6本あったのは本当なのでしょうか? 誰かその話に詳しい方教えていただければ助かります知人とその話題で討論になってしまい 自分は否定派で秀吉を特別視する為の作り話しだと思うのですが。。。。
>272 >秀吉は豊臣の姓(セイ)をもらったが、彼の苗字(氏)は死ぬまで「羽柴」だった。 秀吉が「豊臣」を貰った後に「羽柴」を称したことはあるんですか? そういうことがあればともかく、ないのであれば、 >彼の苗字(氏)は死ぬまで「羽柴」だった。 なんていうのは的外れではないでしょうか。
>275 ?自分の称号として、あるいは他者が記録として秀吉なり秀頼を「羽柴」と呼んで いたかどうかだと思いますが。 部下に与えまくっていたかどうかであれば、家康だって「松平」を与えまくって ますし。
278 :
272 :2006/07/18(火) 00:53:17
>>272 「豊臣」は他例と照らし合わせると氏(ウジ)に →×
「豊臣」は他例と照らし合わせると姓(セイ)に →○
>>276 「豊臣」は後陽成天皇から下賜された「本姓」であって、「苗字」とは別物。
『羽柴秀吉』→『豊臣秀吉』に改名したと思い込んでるヤツ多いけど、
実際は、下賜によって公式文書での名乗りルールが変わっただけ。
武田信玄は、朝廷がらみの公式文書では『源晴信』の表記だし(信玄は法名であり俗名ではない)、
織田信長は同様に『平信長』。
『羽柴』じゃなくて『豊臣』が後に定着した理由は、個人的にはこう考えてる。
源平藤橘の子孫を称してる人は当時たくさん居たが、
豊臣を下賜されたのは秀吉が始めてであり、かつ唯一の人物。
しかも源平藤橘の慣例が定着して数百年の時が経ってから、新姓の「豊臣」が生まれた。
それを強調したかったのではないか。
>278 姓とは別に称号を持っているという事を当然の前提にしておられるが、その理由 がわからないんですが。 新しくできた「豊臣」の本家が、なぜ敢えて「羽柴」の称号を必要とするのか。 そもそも、分家を本家と区別したり、あるいは五家のように「本家」を称する資 格のある家が複数ある場合はともかく、「豊臣」にその必要性はないでしょうに。 公式の記載には名字はでないにせよ、私的な日記その他に、秀吉、秀次、秀頼らを 「羽柴」と記した物があるんでしょうか。 「豊臣」賜姓後にこれらの「本家」の人々を指して「羽柴」と称した例があれば 別ですが、「使われたことのない称号」を、「変えたという話がないから、その ままだろう」と形式的に論ずるのはナンセンスではないでしょうか。
280 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 11:45:24
粘着厨晒しage
羽柴の称号という言い方が理解出来ない 単に豊臣という氏姓と、羽柴という名字は別物だと説明してるんだろうに つか私的な日記に「羽柴」と表記する訳がない、官位役職での通称表記が普通だろうに
ちなみに秀次は関白に就任するまでは「羽柴宰相殿」という表記だから 関白就任後は、「関白殿」 ま、当たり前だが
283 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 20:39:06
>>282 それはおかしいだろう。関白は「官」ではなく「職」だから藤原師通のように、
内大臣で関白を兼ねる事もある。だから、関白就任までにどのような官職に就くか、
多少違いはあるが、それにしても関白就任まで「羽柴宰相殿」とは、飛ばし過ぎだ。
公卿補任によれば、秀次が参議(宰相は参議の異称。中国の宰相とその職責が似ている
からと言われているが、むろん、宰相は首相であり、参議は下級閣僚に過ぎない)であったのは、
天正14年1月5日から同年10月4日までの9ヶ月に過ぎず、すぐに権中納言となり、天正19年2月11日権大納言、
同年12月4日内大臣、そして、同月28日内大臣のまま関白に就任している。
したがって、「宰相」からいきなり「関白」などと言う事は、全く有り得ない。
それに、秀次が参議になった天正14年には、秀吉は「藤原」から「豊臣」に改姓している。
公卿補任の秀吉の覧にも「−−改藤原姓為豊臣云々」とあり、秀長、秀次の名前の上の「氏」も
「豊」になっており、この点から見ても「羽柴宰相殿」ではなく、「豊臣宰相殿」と呼ぶべきだろう。
呼ぶべきだろうと呼ばれても、兼継卿記にはそう表記してあるから 頭大丈夫かいな?
あ、公卿補任だけで判断するなら徳川家康は源家康だし、宇喜多秀家は豊臣秀家となるぞ
>281 「称号」は名字やら公家の称号やらの総称のような感じで言っただけで、用語と しては適切でなかったかもしれません。 (「紀州ご相続を仰せつけられ、徳川の称号を進ぜられた」とか、武鑑にも 「松平之称号ハ 為観各用也或本姓記」 等々とあります。) で、姓と名字が違うというのはわかっていますが、同じ氏の中での区別という 必要性がない「豊臣」本家について、なぜ「名字」が必要なのか。なぜ「絶対 に名字を別に持っていた」と言いうるのか、というのがよくわからないです。 秀次の朱印状の朱印部分の画像を以前見ましたが、印文は「豊臣秀次」でした。 なので、彼らが「羽柴」を称していたかどうかを知りたいのですが。実際に 使われていなければ、「豊臣」を名字と同様にも使っていたと考える方が自然 なのではないだろうか、と思いますし。(なにしろ、「称号の変更」を願い出 る相手がないわけだから、自分たちの発給文書なり、あるいは書状の宛先くら いしか根拠にならないでしょうし。)
287 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:22:49
↑公家の日記をそのまま信用するのは馬鹿。しかし、その兼継卿なる公家も、 秀次が参議になった年に、羽柴から豊臣に改姓があったのだから、 「羽柴宰相殿」と呼んだとしても不思議ではない。 だが、あくまでもそれは秀次が参議時代の記述であって、その後昇進した中納言、 大納言、内大臣時代の秀次を「羽柴宰相殿」とは呼んでいないだろう。 公家にとって、官位は命だから、そんなミス記述はしていないと思うので、 その後の兼継卿記を調べてみてくれ。
>>286 日記とか書いてるから言経卿記(兼継卿記は間違い)を挙げたら、今度は発給文書か?
区別の必要がないとか意味不明、豊臣は氏姓であって名字ではないのだから、同じにする必要もない
よくわからないのは「区別」という必要性の意味
なら氏長者は「本家だから名字は必要ないのか?」となるが
>>287 ちなみに言経卿記にある「羽柴宰相殿」は天正15年1月4日
その後は「中納言」、「尾張中納言殿」となる、秀次の中納言就任は天正15年11月22日(公卿補任)
まぁ2ちゃんには史料も知らない連中に史料に書いてあるといえば、何の根拠もなく否定するのがいるが
今だに根拠をもって否定したのは見ないな
289 :
日本@名無史さん :2006/07/20(木) 00:25:03
豊臣や羽柴を「苗字」ととらえるから、ややこしくなるのであって、豊臣は「氏」。「本姓」と言ってもいい。 羽柴は当時の感覚からすれば、公家や、中世から続く有力武士と同じく「家号」と言うべきもの。 多くの支族を持つようになった大族の公家や武士は、同族間の各家を区別するために、近衛、一条、足利、 細川などと「家号」を称した。これが後の「苗字」の起こりである訳だが、それは、あくまでも仮のものであって、 正式には、関白藤原前久であり、将軍源家康であり、河内守橘正成なのである。 昔は田舎へ行けば、同じ苗字の家が何軒もあり、一本松の佐藤さん、川向の佐藤さんなどと、 区別したのと同じで、一本松でも、川向でも、佐藤さんは佐藤さんと言う事。 秀吉は羽柴時代は、「平」と「藤原」の本姓を使っていたが、藤原家の猶子となって関白に昇ったものの、 成り上がりとしての、自分のアイデンティティーの確立のため、源平藤橘に次ぐ、「氏」の創設をはかった。 そして、古代の藤原氏や源氏が、まだ支族も少なく「家号」が必要でなかったように、 創設されたばかりの「豊臣氏」に同じく「家号」がいらなかったのは当然である。 大体羽柴と言っても、秀吉が織田家の軍団司令官として認められた時、重臣二人の家号を取って名付けた 事から見ても分かるように、成り上がりの象徴であり、高位の公卿に出世して行くにつれて、疎ましかったのでは ないだろうか。
だから、「同じにする必要」はないが、「別に持つ必然性」もないでしょう。 「姓」と「名字」は必ず異なっているということを、「当然の前提」としうる のか、そこまで無条件に仮定し得るほどの根拠があるようには思えないのですが。 「『羽柴』を捨てて『豊臣』を姓としても名字的にも使っていた」という俗説 を否定する根拠が、「姓と名字は別物だから」だけでは、到底納得できません。 >なら氏長者は「本家だから名字は必要ないのか?」となるが 最初はなかったし、実際に名字的な物は使っていないでしょう。藤原家にしても、 嫡流の分裂があったからだし、五家のどこかが完全に氏長者を独占という状況で ない以上、「称号を止めて本姓を」なんて有り得ないでしょう。そんな事をすれ ば他の四家がおさまらないでしょうから。 全くの新姓である「豊臣」の場合はそういう状況がない訳で、「他家と区別する ための称号」は必要でないですよね? で、豊臣家のような場合であれば、「羽柴」が称号として機能したかどうかは、 当時実際に「羽柴」を使った例があるかどうかでしか判断できないし、名字を 使う場面で「豊臣」を称しているなら、それは「豊臣」が名字としても機能して いたということに外ならないだろう、と考えたから、「用例はあるのか」という のが気になったんです。 「兼継卿記」とあったんで、「は?」と思ったんですが、言経卿記にそう書いて あるのであれば、少なくともその時期には「称号は羽柴のまま」と認識されてい たという事になると思います。 で、「発給文書」等々と書いたのは、そういうもので「通常は名字」を記する ような所の記載をみれば、「当事者が自分の称号としてどちらを使うつもりだっ たのか」疑問の余地がなくなるだろう、と考えただけで、それがないからどう こうとまでいうつもりはありません。 もっとも、先にも書いたように、関白秀次は「豊臣秀次」の印を使っているわけ で、「豊臣」を強調する意図があったのは明らかだと思ってはいますが。
>氏長者を独占という状況でない以上、「称号を止めて本姓を」なんて有り得ないでしょう。 徳川や足利の源長者は独占していたが、名字は徳川・足利のまま >「発給文書」等々と書いたのは、そういうもので「通常は名字」を記するような所 そんな箇所ないし、印判よ署名の混同するのがわからない つーか称号という言い方が謎、豊臣家でなく豊臣氏で羽柴家、他に木下家も豊臣氏とあるから 「豊臣」が名字として機能という言い方、名字を使う場面というのも謎
292 :
日本@名無史さん :2006/07/20(木) 00:37:57
>>288 「何の根拠もなく否定するのがいるが云々」と言うが、「兼継卿記にはそう表記してあるから」と、
何の根拠もなく、信用するのも同じだろう。おまけに、日記の名前を間違えるようでは、
何をかいわんやだな。
「兼継卿記にはそう表記してあるから」と、 何の根拠もなく、信用するのも同じだろう。
根拠は「言経卿記」という史料、信用するのは信憑性の高さ
で、否定する
>>292 は何の根拠もなく否定
同レベルにするとはな(爆笑
>291 本人達が『羽柴』を称していないとすれば、後付けで「『豊臣』は姓だから お前の名字は『羽柴』のままだ」と言ってみても意味がないでしょう。 どこかの許可を得て称するというようなことであればともかく、彼らの場合 には、最終的には ・本人達が「羽柴」を使っていたか ・周囲からどう呼ばれていたか 等でしか判断ができないと思うのですが。で、少なくとも有る時期に周囲の 公家が「羽柴宰相」と解していたことは、示していただいた箇所で明白にな りました。 その他の部分は言いたいことが今一つわかりませんが、「名字として云々」 は、例えば 「徳川右兵衛督とのへ」というような宛所が、「羽柴」か「豊臣」かという ことです。
295 :
日本@名無史さん :2006/07/20(木) 01:01:56
秀吉もので「なにわの夢」って本を読んだのだが 秀吉の素性をサンカとして捕らえていて、結構 面白かった。
>>294 >後付けで「『豊臣』は姓だからお前の名字は『羽柴』のままだ」と言ってみても意味がないでしょう。
これこそ意味わからん、藤長者になっても羽柴の名字は変わってない
>・本人達が「羽柴」を使っていたか
>「徳川右兵衛督とのへ」というような宛所が、「羽柴」か「豊臣」かということです。
これも意味がわからん、本人達の署名ならば諱か通り名を使い、宛名なら関白殿などの官位名だと書いてるのに・・・
>296 「豊臣」賜姓というのはその頃には例がなかったことなんで、それ以前の話と 一緒に扱えるかどうかについても、考察が必要じゃないんですか?藤原改姓の ときは、それこそ猶子になった相手の近衛やらなんやらといった家があったわ けだし。 後、 >本人達の署名ならば諱か通り名を使い、宛名なら関白殿などの官位名だと書いてるのに・・・ 朱印状の件を出しましたが、ある秀次朱印状では、右筆が書いた本文に「豊臣秀次」 の朱印が押されているとのこと。ありがちなキャッチフレーズやら実名だけの印で なく、わざわざこういう印を用いたというのは、それなりの意図があってのことと 考えたんですが、変でしょうか。 それから、「宛名なら関白殿などの官位名だと書いてるのに・・・」と仰るが、普通は 「○○中将」というように書くんじゃないですか?(例に出したのは、秀忠が 尾張義直にあてた領地状です。)この時期に「関白殿」なんていう言い方があった のかどうかは、知りませんが。 で、○○の部分に「羽柴」があればわかりやすいな、と思った次第。無論、それが ないから「『羽柴』は捨てたんだ」なんていう証拠にはならない、という事は当然 ですが。
なにこの水掛け論
297だけど、同時代に羽柴宰相と記した 史料がある時点で、最低限の決着はつい ていると思います。 後の部分は、彼ら自身はどう考えたのか という、当てものみたいな話です。 なにか推量できる史料があれば面白いな、 という程度ですね。
羽柴宰相じゃ誰だか割らないな
↑誰だかわからないと思うのは
>>300 は何も知らないという証拠でしかない
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。 半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。 もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。 脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、 脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。 そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。 私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっくりした。
>>301 言経を間違っちゃ如何よ、言経卿記とか目を通してるか?
この人も結構複雑で秀吉政権の時は朝廷から追放されてんだよね
話逸らしても羽柴宰相が誰かわからないと無知晒したのは変わりなく、 史料否定にもならない
否定なんてしてないよ、言経の出入りは面白いよ
306 :
日本@名無史さん :2006/07/21(金) 08:33:08
教科書あたりに「秀吉と秀次の二重権力状況が生じた」と書いてあるが、 二重権力という表現が妥当なほど、秀次派は強勢だったのか? 秀次派に秀吉を脅かすだけの力はあったのかな。
307 :
日本@名無史さん :2006/07/21(金) 14:58:14
ラッキー武将
308 :
日本@名無史さん :2006/07/21(金) 16:24:51
秀吉は武力が低いから 戦は得意じゃない
309 :
日本@名無史さん :2006/07/21(金) 18:25:17
>>306 秀次が政治を行い、その上に秀吉がいた
その後の家康と秀忠の大御所政治みたいなものか?
信長の末期も織田家当主は信忠になっている
海部総理の時代も上に金丸さんがいた
信忠の場合、一大名である美濃・尾張の国主としての織田家の当主が信忠で、 中央政権としての織田家の当主は信長ということじゃないのか。 信長生存中に、既に信忠が織田政権のトップだったわけではないのだから、 信忠は信長政権下の一大名としての織田家の当主になったのでは?
311 :
日本@名無史さん :2006/08/16(水) 08:04:00
そうなの?
地元の町長選ですら当選できないのに、大阪知事選に立ったアホ 土建屋の秀吉、三上誠三はどこの出身?
314 :
日本@名無史さん :2006/08/20(日) 22:06:14
秀頼は大野治長の子供だけど、 夭折した鶴松は一体誰の子?
それも大野治長w
316 :
日本@名無史さん :2006/08/22(火) 23:54:41
いろんな作者の秀吉立身もの小説を読んでいると かなりの確立で登場する一若、がんまくという人物。 この両者は史実に基づいた人物なのでしょうか?
317 :
日本@名無史さん :2006/08/23(水) 02:58:21
319 :
日本@名無史さん :2006/08/26(土) 23:07:54
がんまく=前野長康説というのは初めて聞いたなあ。 同時代の織田家の家来に秀吉と同じ村の出身の者が他に2人いて、 それが一若、がんまくという名前だったというような話は 聞いた事があります。(史実かどうかは不明)
320 :
日本@名無史さん :2006/08/27(日) 20:26:33
>>314-315 ,317
秀吉と秀頼の骨って残っていないの。
DNA鑑定しないと真実は分からない。
321 :
日本@名無史さん :2006/08/27(日) 20:56:05
秀頼の娘の骨ならあるかもよ?
322 :
日本@名無史さん :2006/08/27(日) 21:35:21
秀吉の骨も明治中期に発掘されているよ。何処に保存されているか不明だけど。
323 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 14:44:59
京都・嵯峨野の清涼寺・釈迦堂に、80年代初期に大坂城三の丸跡から発掘されて埋葬された秀頼の首塚があるらしいですね。 鶴松は、京都・妙心寺に埋葬されたらしいけど、何も残ってないかも?
324 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 18:05:24
気になるのは秀吉はほんとに秀頼が自分の子だと死ぬまで思っていたのかな? つまり、顔付きとか体つきとか見れば親なら「なんか変だな」と思っても 不思議じゃない。北の政所をはじめとして側室、それ以外にも 数え切れないほどたくさんの女性と交わって子ができなかったんだし、 その疑念は死ぬまで抱いていたと言うのが本当のところじゃないかな
325 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 18:27:07
そう言えば小柄と言われる秀吉に対して、秀頼はその秀吉の子とは思えない体格の持ち主だったらしいしね。 蒲鉾の喰い過ぎかな。
小柄な親から大きな子どもが生まれるのは別に珍しいことではない。 まあ、淀にしか子どもが生まれなかったというのは不自然だがな。
327 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 21:15:01
秀頼は浅井長政に似てたんだろう
328 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 21:25:01
三姉妹の中で、茶々が一番大柄だから側室に選んだんじゃない?
自分の子じゃいから余計に溺愛ポーズを取ったのかな 秀次たちは所詮吉房の子で、求心力に難ありで 秀吉の実子っていうのは名目が重い
330 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 21:55:58
>>326 体格だけじゃなくて体質も違ってそうなんだが
秀吉は小柄で痩身、秀頼は大兵肥満型
331 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 21:59:03
生殖能力も父親と大違い
332 :
日本@名無史さん :2006/08/29(火) 23:18:12
逆説の日本史の作者によると 羽柴ってのは丹羽・柴田にゴマすったんじゃなくて ハシバ?柴?を売ることを生業にしてた河原者だったからってあったんだけど ホントかな? いくら下克上の世の中だからって被差別部落の人間がトップになれるかな? 足軽身分ならまだ分かるけどさ、あまり下賎の出すぎてもダメだと思うんだけど
立身して改姓したのに、それじゃ明らかに前の苗字より格が落ちるだろう。 流石にそれはありえない。
334 :
日本@名無史さん :2006/08/30(水) 11:50:41
でも木下って苗字だったかどうかワカランのだろ? 資料によると、時期的にねねとたまたま同じ苗字だったことになっちまう
>334 たまたま同じというより、「木下」を女房の所から借用したんじゃないかという 話もありますね。 いずれにせよ、桑田忠親「太閤の手紙」によると、「木下藤吉郎」と自署した手 紙が七十数通(執筆時点)あるとのことなんで、 >でも木下って苗字だったかどうかワカランのだろ? ということはないのでは?
336 :
日本@名無史さん :2006/09/01(金) 13:10:30
ねね(お禰)の生家は杉原で、秀吉が木下に変えさせたんじゃなかったの?
337 :
日本@名無史さん :2006/09/01(金) 19:42:20
杉原というのはねねの父親の姓、その彼が木下家に 婿養子に入り木下を名乗った。
338 :
日本@名無史さん :2006/09/01(金) 21:34:17
ねねの養父である浅野長勝はいつごろ亡くなったのでしょう? wikiで調べると1575年なんですが、他では1561年?に討ち死にしたという説まで ある。どっちがほんとなのか・・・ 75年まで生きたとすると、秀吉が城を与えてもおかしくないような気がするのですが、 石高はたいしたことないし、子供の長政になってから22万石を与えられていることが 不自然。秀吉は養父である浅野家の方を木下家より大事にしていたというし、 長勝は早死にしたと考えた方が自然ではないでしょうか?
339 :
338 :2006/09/01(金) 21:36:26
>>337 木下家は一家全員、秀吉とねねの結婚に反対したそうです。
だから秀吉は木下家には縁が深いのに大きな国を与えなかった
杉原って岩倉織田なのか?
林弥七郎なんていうのあるし良く解らんな
被差別部落をあからさま看板に背負い込むというのは、生まれが卑しいことがわかりきっている秀吉にとっては、あまりメリットにならない。仮に本当にそうだったなら、未当選の代議士が朝鮮系と暴露するが如きである。 織田家部将時代の秀吉にとってのメリットは、譜代衆に迎合することの方が大きかったことは疑いない。 謎があるとすれば、柴田と丹羽、さほど仲のよくない両家において、なぜ秀吉ほど鋭敏な政治感覚の持ち主がどっちつかずの対応をしたかである。
余談だが。 松前藩の祖となった蠣崎慶広は、豊臣政権の2大巨頭である松平と前田から 『松』と『前』を取って松前と称している。これは秀吉の前例に倣った面もあるだろうけど。 どっちかに肩入れするという事は、もう一方から敵視される事と同義。 出世したい秀吉としては、徒党の一部になるより八方美人で居た方が、 頭打ちを食らわないで済むと思ったからでは?
>>339 その木下家が最後まで豊臣姓を使い続けたのは皮肉なもの。
ちなみに、よく「大坂夏の陣で豊臣氏滅亡」なんて言われるけど
木下家がその後も豊臣姓を名乗り続けたことを考えると
これは明らかな誤りだね。豊臣氏は滅亡なんかしていない。
木下家も明治で途絶えたそうですね。 豊臣姓は名乗っていても徳川のような正統な系譜ではないし
346 :
日本@名無史さん :2006/09/04(月) 00:05:36
>>344 NHKの「歴史が動いた」なんかもそうだが、「氏」と「家」をごちゃまぜにしているのが多いね。
「壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡しました」とか。
あの合戦も、清盛一族の「平家」が滅びたわけで、平氏は滅亡なんかしてない。
>>346 あんたも「氏」と「家」をごちゃまぜにしているじゃないか。
348 :
日本@名無史さん :2006/09/05(火) 17:30:25
秀吉が全国統一を成し遂げた後、日本国と外国との国境を決定する 政策は行ったんでしょうか?
349 :
日本@名無史さん :2006/09/05(火) 17:32:52
それとも、wikiにあるように当時天下統一しても外国との国境は 決めなかったんでしょうか?
350 :
日本@名無史さん :2006/09/07(木) 01:02:35
「平家」=平清盛の一門だけを指す
>>346 はそれを説明したかっただけで問題なし
351 :
トリーズン :2006/09/07(木) 08:22:21
天草四郎がひょうたんの馬印を使っていたのはなんで??秀吉の身内?秀頼のかくし子??
って俗説も有る
353 :
日本@名無史さん :2006/09/07(木) 20:40:00
井沢の本読んできたけど 1、秀吉は「端柴(ハシバ」売りをしてた貧民。丹羽+柴田説は嘘 2、秀吉は指が6本あった。それをタブー視して見て見ぬフリする歴史家は差別してる って感じだったな 相変わらず井沢はどうせ証拠も確証もないことに突っ込むことが好きだなw
354 :
日本@名無史さん :2006/09/07(木) 20:41:26
ついでに秀吉=稗よし=部落民によくある名前 って感じでどうしても秀吉を被差別階級の人間にしたいようだった
>秀吉は「端柴(ハシバ)」売りをしてた貧民。丹羽+柴田説は嘘 じゃあなんで改姓の時に「端柴」っていう字を当てないんだろうな。 井沢ってアレか? 事実を実証して述べるよりも、 奇をてらった説で注目集める方が大事だと思ってるクチか?
356 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 20:53:34
あまり話題にされないが 秀吉の弟秀長がいなかったら 秀吉は天下を取ってはいなかっただろう 秀吉の功績の1/3以上は秀長のお陰だと思われ
秀吉と寧々って恋愛結婚になるのかな。
358 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 21:33:54
359 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 21:36:11
まあ、ある意味見る目はあったんだろうけど。
実話かどうか知らんが 前田利家がネネに結婚を申し込んだ 浅野家の一同は喜んだが、当のネネは 「もう約束した方がいるので お断りします」とか言って断ったらしい その約束した方が藤吉郎だった
大名になった武士で正室と恋愛結婚してるのって他にいたのかな? 信長や家康とかも、お見合い結婚だし。まあ秀吉は足軽だったから政略結婚も何もなかったわけだが。
362 :
日本@名無史さん :2006/09/13(水) 23:22:33
羽柴については、丹羽長秀と柴田勝家から取ったほかに、
末席という意味の「端場」から連想したんじゃないか説もあると、どっかで
読んだ事がある。でも、この「端場」説も他で聞いた事が無いから、
丹羽・柴田にあやかったってのが妥当じゃないか?
>>353 井沢氏の本って読んだこと無いが、そんなにトンデモな事が書いてあるの?
(1)憶測と思い込みとしか・・・
(2)いつ誰がタブー視したんだ?割と有名な話じゃないか?
363 :
日本@名無史さん :2006/09/13(水) 23:38:09
364 :
日本@名無史さん :2006/09/14(木) 00:21:48
>>363 唐突に出て来てなんだこの犬畜生。氏ねよゴミが
365 :
日本@名無史さん :2006/09/14(木) 00:29:00
366 :
日本@名無史さん :2006/09/15(金) 00:35:33
>>362 でも井沢の本は面白いと思うよ
真に受けるのはどうかと思うけど切り口は面白いと思う
マニアックな話から話を広げるのが上手いと思う
思わず読んでしまう
>>361 源頼朝と北条政子
鍋島直茂と彦鶴姫
前田利家とまつ
政略結婚でも、毛利元就夫婦や浅井長政夫婦は ヤリまくりだったようでして・・・ 浅井夫婦にいたっては、織田との戦の真っ最中でも 2人で(;´Д`)ハァハァしてたようですなw
369 :
日本@名無史さん :2006/09/17(日) 15:10:47
いやー、でも秀吉はスゴイよ。 好きだった女の娘を愛人にするなんてさ。 現代でそれを成し遂げるのは不可能でしょ
370 :
日本@名無史さん :2006/09/17(日) 22:11:18
秀吉ってかしこいよ やっぱり偉大な人物だね
371 :
日本@名無史さん :2006/09/18(月) 15:12:53
372 :
日本@名無史さん :2006/09/18(月) 15:17:57
ごめん、俺って信長の寵童でした。 若い頃はよく可愛がられて夜な夜な・・・
375 :
日本@名無史さん :2006/09/22(金) 16:11:09
比べる対象がなんだか変
論点ずらしちゃってゴメン
377 :
日本@名無史さん :2006/09/30(土) 09:41:10
やりまくりやね
なぜ浅井夫婦は戦の真っ最中にも拘らずやりまくったのか やりまくってたせいで織田に潰されたんじゃねーか?w 寝返りを兄貴に通報した市はよく殺されなかったよな・・・
379 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 11:15:14
木下や羽柴を名乗った頃の家紋は何だったのですか? くぐっても出てきません
380 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 19:07:45
足守や日出の木下家と同じ家紋だったんじゃないのか?
381 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 23:20:17
>>379 おもだか紋というやつです。沢の次の字が…今、分かりません。
福島正則や、おねの実家・木下家の紋のようです。
しかし、江戸期の日出・木下家はコマの紋で、足守藩は日足だったような…その逆
だったかな?日足は、太陽のマークで如何にも秀吉の親戚筋の感じするね。
大河ドラマみてみ。利家とまつ、の羽柴家ののぼり旗とか、いまやってる巧妙が辻の
ビデオが出たり、ケーブルで再放送したら、羽柴の旗は、桐紋を貰う前は、おもだか紋の
変則みたいなのだから。
>>381 「沢瀉 」だね。新潟の潟の字の右側にうかんむりが乗ってるような文字。
383 :
379 :2006/10/16(月) 11:45:31
レスサンクスです 秀吉というとどうしても桐紋と思い浮かんでしまいましたものなので
384 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 20:21:20
沢瀉は桐紋に似てなくもない。
385 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 21:53:51
>>345 木下家は途絶えてないでしょう。日出も足守も。
日出藩の分家・所謂、豊臣国松の後身・木下延由が5,000石を貰って立てた立石藩
が、大正時代に男系が絶えたようです。
しかし、江戸期を通して、女子を、木下本家なり、他家に嫁いだりさせてるだろうから、
血統は残ってんじゃない??
386 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 22:01:54
387 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 22:05:27
>>362 PHPのなんだっけかなあ、九鬼嘉隆?雑賀孫一?読んだときかなあ、伊勢、伊賀には
羽柴って姓が、地侍の中で昔からあるみたいよ。
>>387 出羽にも羽柴なんたらというのがいて、最上に滅ぼされてたと思った。
389 :
日本@名無史さん :2006/10/21(土) 22:02:57
秀頼が秀吉の実子かどうかというのは、今となってはあまり意味がなくて 当時どう思われていたかとなると、どの程度のものなんだろうか?
390 :
イランジン :2006/10/21(土) 22:05:11
|::::::::::::/::::!::::. : : 、: : : :ヽ、: : : : : \: : : \ : : : : i : : : : : : ヽ こんにちは、イランジンです! |:::::/:::/::::ハ:::::. : : \: : : : \: : : : : :\: : : ヽ: : : :!: :ハ : : ヽヽ |:::/::::f:::,イ ヾ::::.ト、: : \: : : : :\: : : : : :ヽ : : ヽ: : :!:.!:::}: : : :!: ! 戦争に負ける前は「万世一系これを統治す」式にやってたけど、 . /::/:::::!::f::::! ヾ:::k \: :ヾ丶、: : : ヽ __,.,_: :丶: : :! : !Z_::!: : : ト、ヽ、 /::::f:::::::!:::!::::! .,,_ヾ:ヽ \ヽ、_,,.><"ゞ、: : : :ヾ: : !: :ト、ヾ: : i :! `ーヽ まけてから、「君臨すれども統治せず」だって。 . /::/!:::::::!:::!:::::ヽ, `Y::{ ヾ´ r',.ィ-zュァ\: : ヾ: :!: :ヒ_ ,〉 /: ! // !:::::::!::ト、::::::ヽf弋ヾ、 ´、ゞ-‐' ト、 !ヽ! lノ/ ./| / !::::ハ::! ヾ::::::::!`¨´ j` |: :ヾ: : ,.ト' / ,イ.|/ これって、「出勤すれども仕事せず」やん! !:::! ヾ ヾ:::::::!. / |: : : : :,イ: :/ fヾr 、 ヾ| ヾ:::::ヽ〈.,__ |: : : :/ !::ハ:: :!/ \ \:::i丶、` __, |: : :/ / >、! /ヽ、 ヾj \ ー ./|: :// / / \ 丶、.__,,.イ ,|/'´ / / \ _,///_>'´ / / ヽ、 _,.ィ'"´ / /Aヽ / / `丶、 ,.イ / /f⌒ヽ / / _,,..,,_ \ / .! < { ! .!/ ./ , -'"´ `丶\
391 :
日本@名無史さん :2006/11/01(水) 13:26:44
秀吉が織田家に仕官する際に紹介したと言われる幼馴染のガンマクはその後 どうなったのですか?
393 :
日本@名無史さん :2006/11/04(土) 15:27:43
木 下 弥 右 衛 門 マ ン セ ー
395 :
日本@名無史さん :2006/11/19(日) 15:00:15
何この無知で無恥な連中の集まるスレ
秀吉「私もそろそろ木下姓を変えとうございますなあ」 柴田「きさまごとき『端柴(or端場)』で十分だろ(ププ」 秀吉「なるほど!丹羽様の『羽』、柴田様の『柴』を頂いて『羽柴』と名乗れと!それは名案です!」 信長「ハハハ、藤吉郎に一本とられたな!よいぞ、これからは『羽柴』と名乗れい!」 秀吉「殿、ありがとうございます!丹羽様、柴田様、光栄でございます!以後『羽柴』をよろしくお願いいたします!」 柴田・丹羽「・・・・・・・」 この説ですべて解決!
397 :
冬美 :2007/01/04(木) 17:28:16
歴史では秀頼は自害、息子の国松も殺害された事になっているけど四国は松山に逃げて松山藩に匿ってもらい生き長らえて来ました。国松はお坊様になり80数年生きていたと聞いています。秀頼以外の子孫は姓を木元に変え代々松山城に明治の頃まで使えてました。
398 :
日本@名無史さん :2007/01/04(木) 17:46:49
秀吉は 何故 猿と言われたのかご存知ですか? どうも 見た目で猿に似てるとかじゃないみたいです。歴史学者から このことに関して口外しないようになってるみたいですが。 どなたかご存知のかたは教えて下さい
実の子がどうかは最大の関心事だろうなあ もし実子じゃなかったら物凄い影響が出るから 秀吉は種無しの可能性はかなり高いと思うんだけど 淀君とだけはなぜか子が出来るようになってたんだろうかね
400 :
日本@名無史さん :2007/01/09(火) 12:39:11
淀君以外にも子供はいただろ。
秀忠の正室のお江与の方の前夫の羽柴秀勝って誰? 秀勝が多くてなぁ。長浜時代に子ができて、秀勝だったって本当なのかな それが死んで秀勝ばっかになったという あと信長四男は自然死なんだろうか
402 :
日本@名無史さん :2007/02/22(木) 12:30:32
>>401 その秀勝は秀吉の甥で養子。早世した実子の秀勝とは別人。
しかしお江与の方と結婚してすぐ出兵して亡くなっているのにきっちり子供を残し、
そこから多くの子孫を残したって秀吉とは随分違うなあ。
天皇家の祖先にもこっちの秀勝の子孫がいるらしい。
403 :
日本@名無史さん :2007/02/22(木) 13:41:49
天皇家→現皇室のって意味ね。 何代か前の帝の母親に秀勝の子孫がいるらしいんで。
404 :
日本@名無史さん :2007/02/23(金) 01:51:46
確か昭和天皇の母親(九条節子)がその血筋じゃ? 九条家に嫁いでるから
405 :
日本@名無史さん :2007/02/23(金) 17:14:16
日吉大社の社家、樹下氏の伝承によれば、秀吉は、日吉大社の社家の 樹下氏の血統。秀吉の幼名、日吉丸は、日吉大社の子を意味し、初名 の木下藤吉郎は、日吉大社の社家、樹下氏の子であることを意味する。 呼称の猿は、日吉大社の神使の猿を指し、秀吉が日吉大社の出身で あることを意味していたのである。 ここからが重要。なんと、樹下氏(葵)の正体は、祝部宿禰で、八咫烏の 子孫にして、賀茂氏と同族なのだ!即ち、豊臣秀吉は、八咫烏の一族 「烏族」だったのである!
それで手がry
407 :
日本@名無史さん :2007/02/23(金) 19:04:27
太閤殿下が任那地域を奪還していれば 任那地域は小西と小早川と島津で分割されてたのかな?
408 :
日本@名無史さん :2007/02/27(火) 14:09:43
猿吉の出自が六角氏の一族や地侍階層だという説があるが、あの金ぴかの 茶室とか見ていたら成り上がり臭さがありまくり・・・ 農民出身であれだけ出世したのが痛快でいい その裏での腹黒さや残忍さはスルーで
409 :
日本@名無史さん :2007/02/27(火) 16:57:54
自分の版図と隣接する国の人は、喋ると通じないが、真名にすると通じる →その隣接勢力に恭順と先導を命じる →従わなければ討つ 朝鮮出兵とか言っても秀吉が前半生でやって来たことを拡大再生産しただけなんだわな。
410 :
日本@名無史さん :2007/03/08(木) 23:00:51
梁山伯の豊臣春国ってwww よく同胞から袋だだきにあわなかったな
411 :
日本@名無史さん :2007/03/09(金) 18:41:58
【キムチ】 衝撃の事実!キムチの原料の唐辛子は、実は秀吉の化学兵器だったニダ!
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=33905&servcode=100§code=100 韓国にトウガラシが伝来したのも、壬辰倭乱(文禄の役)のとき、
日本軍が「化学戦」のために持ち込んだという説がある。
これらも広義の化学兵器だ。(■中央日報・噴水台 2002.10.30)
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豊臣秀吉(1536〜1598)
豊臣鶴松の一生を、とことん語りつくそうぜ!
413 :
日本@名無史さん :2007/03/10(土) 19:47:51
朝鮮討伐こそ我が国の悲願
414 :
日本@名無史さん :2007/03/11(日) 21:44:45
まあ、秀吉も本音では明の臣下って自覚はあったけどな。
415 :
日本@名無史さん :2007/03/12(月) 15:37:38
李舜臣に手も足も出なかったくせにw
源氏はいつも勝ち者である
417 :
日本@名無史さん :2007/04/03(火) 04:17:36
豊臣ってアホだろ こいつの最大の汚点は朝鮮出兵 ろくな成果を挙げられず帰ってきた馬鹿 刀狩も柴田勝家の作り上げた政策
418 :
日本@名無史さん :2007/04/03(火) 04:33:31
実は豊臣って少年時代かなり惨めな奴だったらしい いじめられっこで父親に虐待されていた
刀狩は柴田勝家じゃなくて上司の織田信長の政策だろ
420 :
日本@名無史さん :2007/05/08(火) 13:11:45
>>うしろに明がいなけりゃ、善戦だったんじゃないのか? 中国朝鮮やつら、セコイんだよ。そういうときだけ、協力しやがって。
421 :
日本@名無史さん :2007/05/09(水) 09:19:13
>418 司馬遼太郎の読み過ぎでは? 実父が幼い頃に死に、母は継父と再婚したのは事実だが、 いじめられっこで父親(継父か)に虐待されてた史料はない。
422 :
日本@名無史さん :2007/05/14(月) 14:28:22
423 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 11:20:56
>404 お江与と羽柴秀勝の娘完子が九条家に嫁いだのは事実だが、 九条家は江戸時代に絶えて、鷹司家から養子をもらっているため、 大正天皇の皇后九条節子にはつながっていないよ。 ちなみに養子をもらったという鷹司家は、閑院宮家からの養子。 完子の一人は二条家に養子に行っているが、こちらも 養子にとってかわられている。
424 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 11:43:47
女系でつながってるよ。
425 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 11:47:23
>424 どの天皇と女系でつながってるんだっけ?
鷹司から養子に入った兼晴と 九条家の娘との間に生まれた九条輔実の子孫に 貞明皇后(九条節子)がいる。
427 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 12:22:03
>426 鷹司家から九条家へは、二度養子が入っているよ。 おたくが指摘しているのは最初のほう。九条輔実はたしかに完子の血を母方で引いているが、その後断絶。 二条家から治孝が養子に入って継ぐ。二条家へは九条家から養子がいっているので、政孝は完子の血を引いている。 その後、この血筋も絶え、鷹司家から幸経が養子に入る。これが鷹司家からの二度目の養子。 このときの鷹司家は閑院宮家の流れで、母方からも完子の血は入っていない。 九条幸家以降の当主の母親はいずれも家女房であり、母方から完子の血が入っていることは考えられず、 九条節子は完子の血を引いていない。
428 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 12:43:59
豊臣完子−九条道房−九条兼晴室−九条輔実−九条幸教−二条宗基−二条治孝−九条尚忠−九条道孝−貞明皇后 だろ?
429 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 12:45:11
>427急いで書いたので、少し文章を直します。 鷹司家から九条家へは、二度養子が入っているよ。 おたくが指摘しているのは最初のほう。九条輔実はたしかに完子の血を母方で引いているが、その後断絶。 二条家から治孝が養子に入って継ぐ。二条家へは九条家から養子がいっているので、治孝は完子の血を引いている。 その後、この血筋も絶え、鷹司家から幸経が養子に入る。これが鷹司家からの二度目の養子。 このときの鷹司家は閑院宮家の流れで、母方からも完子の血は入っていない。 幸経の子、九条道孝以降の当主の母親はいずれも家女房であり、母方から完子の血が入っていることは考えられず、 九条節子は完子の血を引いていない。
430 :
日本@名無史さん :2007/05/15(火) 13:21:05
432 :
日本@名無史さん :2007/05/16(水) 19:29:39
この手の系図ネタになると、やたら活性化する系図オタクのキモさw
433 :
日本@名無史さん :2007/05/16(水) 20:01:07
昨日、京都到着後直ちに山の頂上にある豊臣秀吉のお墓に行き、 廻りに誰もいないのを確認後、お墓の裏で持参したセーラー服に着替え(ルーズ、ローファー着用) お墓の前に行き豊臣秀吉に向かって勢いよくオナニーし、濃いザーメンを ぶちまけた。
434 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 10:12:45
秀吉って地侍の出身? 足軽って地侍なの?
435 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 10:17:04
地侍でも足軽でもない
436 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 13:55:14
でも、山川の日本史Bには「地侍の出身」と明記されてる。
437 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 15:19:29
地侍、小土豪なら譜代の郎党がいるはず。 こういうのが全く見当たらず。 その後に生まれた伝説じみたエピソードも地侍の出であるならおかしい。 従来説通り、百姓で父の代から足軽奉公、いくさ稼ぎをしていたとする説が妥当。 それに秀吉の経済感覚、戦のやり方など、地侍的感覚ではない。 若い頃、たぶん商人の経験もあったと思う。
>>437 現在伝わってないだけで、譜代の郎党は秀吉にもいた可能性はある。
439 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 17:07:47
守護大名>戦国大名>国人>土豪>地侍 として荒子城(砦程度)を持っていた前田利家はどれになるのかな? おまつの実家の篠原家は地侍にあたるだろ。ねねの浅野家もそれくらいか。 秀吉はそれより下だから侍ではなく兵農分離以前の百姓足軽とした方が自然ではないか。
441 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 17:49:45
一城程度持っていたなら、前田家は土豪でいいような気がするが。 守護大名と戦国大名の上下関係は微妙だな。 戦国大名が出てきた時点で、室町幕府お墨付きの守護など、 意味がなくなったわけだから。
442 :
日本@名無史さん :2007/05/22(火) 12:32:11
>>431 じゃ、最近良く言われるように、やっぱり繋がるんですね。
何かの本で、途絶えていたと思われていた完子の系図が今に
繋がっている事が分かった、って書いてあったもん。
>>429 の人の情報は、ひとつ古い物なんじゃないの。
羽柴家(木下家)は浅井家と同族って系図があるのは何でだろ? いや、事実ではないとは思うんだけど 捏造するにしても何で浅井家?
444 :
日本@名無史さん :2007/07/15(日) 22:41:42
オレ、豊臣秀吉の末裔
445 :
日本@名無史さん :2007/07/16(月) 07:40:26
>>443 浅井三姉妹や織田氏との関係が近くなりすぎて、かえってウソっぽいよな。
446 :
日本@名無史さん :2007/07/16(月) 07:55:29
羽柴は浅井が好きなんだろ
447 :
日本@名無史さん :2007/07/16(月) 08:26:07
秀吉が浅井の旧領を支配し、浅井氏出身の側室をもったから、 安易に浅井氏と結び付けてる感じで、捏造臭プンプンだな。
秀吉の出自ってサンカから天皇のご落胤まで諸説有るけどぶっちゃけ全部胡散臭い
449 :
日本@名無史さん :2007/07/16(月) 16:39:52
普通に尾張中村の農民の出というのが妥当だと思うが、 山川の教科書が「地侍」の出と明記して検定にパスしたのが引っかかる。
あの時代の農民ってしっかり定義できないからなあ どっちも間違ってはいないんじゃないか?
451 :
日本@名無史さん :2007/07/16(月) 21:25:13
地侍といったら、戦のときは平侍=騎士くらいの格式になると思ってたけど、 実際には足軽=歩卒レベルの扱いなの?
452 :
日本@名無史さん :2007/07/16(月) 23:42:30
結局、豊臣秀吉の子供って男女で何人いたの? 東殿との子 大谷吉継 淀との子 死んだ長男 次男の秀頼 他に誰との子供がいたの?
453 :
日本@名無史さん :2007/07/17(火) 03:12:04
>>452 大谷刑部は1559年生まれだからありえないだろ
1559年て秀吉が信長に仕えて間もない頃だろ。
454 :
日本@名無史さん :2007/07/18(水) 21:16:12
日本男性と生まれ来て衆道の嗜みも無き者は 出来損ないの変態でしかないだろう。
455 :
日本@名無史さん :2007/08/05(日) 00:56:42
今の九条家とか浅野家とか仙台真田家の誰かが羽柴家を再興しないのだろうか。 一応、羽柴豊臣朝臣秀勝と羽柴豊臣朝臣秀次の血脈はいまだに続いているはずだけど。 皇室もついでいるけど、さすがに無理だろうからなあ。
456 :
日本@名無史さん :2007/08/21(火) 09:45:28
羽柴姓の人は現在もいるけど、どういう系統なんだろ?
457 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 02:42:54
>>452-453 こないだ民放でやってたけど、いくらなんでもあり得ない。
興味をそそるような番組構成とはいえ、あんまりレベルの低いものを
垂れ流さないでもらいたいよな
たしか、日出藩末裔の旧子爵木下俊煕氏は「豊臣家18世」を自負
し、「国松生存説」を言っていたなどと、なんかの本で見た事がある。
458 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 18:01:33
459 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 18:14:21
>>439 ねねの実家の浅野家はもとは足軽→足軽組頭じゃなかったっけ。
あれが地侍なら秀吉の地侍もありだと思う。
地侍って半農半武ってことでしょ。
460 :
日本@名無史さん :2007/09/04(火) 21:52:35
秀吉も本音では明の臣下って自覚はあったけどな。
>>641 木下家はたしか江戸時代の間も「豊臣」姓を名乗っていたからな。
ただ、羽柴という名字の家は江戸時代の武家ではないはずだから、
明治当たりに勝手に名乗ったんでしょうね
あと、羽柴誠三は本名じゃないって
463 :
日本@名無史さん :2007/09/07(金) 16:40:42
>>462 木下家は、ねねの実兄杉原家定の子孫の家系で、
秀吉やその兄弟姉妹の血は一切入ってないんだよね?
浅野家も、ねねが養女に入っていた家で、
やっぱり秀吉一族の血は入っていない。
結局、秀吉の血縁になるだけ近いところとなると、
秀吉の姉ともの家系しか残っていないってことかな?
>>463 多分団男系の豊臣家の子孫は残ってないだろうね。
(日出藩の分家=国松の子孫という伝承があるが)
多分、秀次の娘で真田信繁の側室になったという娘と、羽柴秀勝
(秀次弟)の娘完子の子孫くらいじゃないかな?
465 :
日本@名無史さん :2007/10/03(水) 19:47:47
秀吉モノのドラマ・映画で一番のお勧めは?
女太閤記
467 :
日本@名無史さん :2007/10/04(木) 20:21:05
豊臣太閤曾て朝服を、闕下の施薬院に着けし時、屡々天顔を拝し奉るに感激し、 人に謂て曰く、身微賤より起て人臣の位を極むること、天恩実に深し、蓋し吾母、 むかし朝家式微にならせ給ひし時に当つて、後宮に仕へて一賤役を勤め奉りしが、 一日不図、竜体に近づき奉りて孕み、その儘出て尾張の人に嫁ぎて吾を産みたるなりと。 按ふに豊臣太閤は、我国古今無双の大英雄にして、其行事の凡人に卓絶せしことは、 日月と光を争ふが如くなるに、瞹昧なる托言を作りて、自身の貴き胤なりと称ふが如き、 卑劣魂性の寸毫も無かりし大人物なりき。 世に豊太閤の母、嘗て日輪吾が懐中に入り給うと夢みて、吾を生みたりと宣まへる 由を伝へしは、隠然其皇胤なることを云へど、豊太閤のそれと宣まはざりしは、 朝廷を憚り給ひし忠良の御精神にて、国家への礼儀を思ひ給ひての事なりき。 施薬院に於ける太閤の話は、偶々感激喜悦の余りに出でて、思はず其実を 漏されたるなるべし。抑また太政所の日輪の夢は、托けて言へる言か、 或は夢に其瑞兆ありしにや、何れにしても豊公の興起せしは、僅々数年間の 短時日に、天下の大乱を鎮定して、皇上を輔翼拝戴し、諸侯を糺合し、以て法を 将来に垂れ、武将万世の模範と成りし、大智大勇を兼備したる事の大に優れたる を観れば、其胤在りし事必然なり。
468 :
日本@名無史さん :2007/10/04(木) 20:22:05
我皇国は、外国の国状とは非常に相異ありて、天下は即ち一人の天下にして、 皇上は実に、天上の現人神に在し坐し、王侯将相といへども、悉く皆、その胤あるなり。 故に古今の豪雄の、将相の位に至つて天下の権を執りし人の、微賤の種なるは、 明治の御代に至るまで、曾て在りしこと無し。平相国清盛の如きも、固より皇胤なり。 鎌倉の右大将源頼朝及び北条氏、足利将軍、織田右府信長の如きも皆、桓武、 清和の皇裔なり。 故に豊公の系統も、亦貴き方の胤なる事前述の如し。 世に豊公は凡種奴隷の出身なりとするは、大誤解たるを思ふべし。 余輩は思ふ、豊太閤の、此事実を妄りに言はざりしは、天皇の太政所に堅く 誠めおかれし為に、是を言ふ能はざりしものなるべし。 また一説に、太閤は後奈良院の落胤にして、母は持萩中納言保廉卿の尾張国へ 配流せられし頃同国御器所村の猟師の娘に逢ひて、産せたりし由縁を以て宮中に 奉仕し、遂に竜体に近づき奉りて懐孕に成りしと云へり。吾大本開祖も一時は時運 非にして、賤業に就事し給ひしかども、祖先を尋ぬれば、矢張り尊き人の後裔にして、 山陰中納言より出で給ひしことは、桐村家の系図に由りて、明白なる事実なり。 故に我国は、凡て王侯将相大賢至聖、皆その種ある事を知るべきなり。
469 :
日本@名無史さん :2007/10/16(火) 18:58:49
まあ、秀吉も明の皇帝の臣下という自覚はあったけどね。
470 :
日本@名無史さん :2007/10/24(水) 22:13:24
ふと思ったことがあります。 趣味で江戸時代以前の「タタラ製鉄」についてちょっとだけ調べたことが あるんですが、一つのタタラ場で1回の操業をするのにおよそ1ha分の 広さの木炭が必要です。 一つのタタラ場は年間60回の操業をします。 そしてタタラ製鉄の用炭になる木材(槙 橡 松など)はおよそ30年は 育ったものでないと使用できません。 これらをまとめると、一箇所のタタラ場でおよそ1800haの森が必要に なるそうです。(日刀保タタラ調べ) つまり「製鉄」と「植林」は切っても切れない関係になります。 日本は中世より大量の刀、槍などを「産業」として流通させ、近世には 鉄砲の大量生産にも成功しています。 これらの鉄は、すべて自国産の製鉄によったものです。 さて、日本が統治する以前の朝鮮半島では「植林」という概念自体が 無かったと聞きました・・・。もし、それが本当なら、倭人や百済人が 活躍した古代ならいざ知らず、そもそも「製鉄」そのものが、ほとんど 成り立ってなかったのではないでしょうか・・・?? それなら「国力」の弱体化に直結します。 秀吉が攻め込んだとき、武器自体貧弱だったのでは・・・。
つ【中国】
ひょっとして信長と秀吉って最初は主君・臣下の関係ではなく遊び仲間だったんじゃね? 信長がうつけ者と呼ばれてた自分、領内を馬で回ったりしてる時にガキ大将だった秀吉と出会い悪い事をする友達の関係になったんじゃないか? 俺はどうも、草履を懐で温めてたとい逸話は作り話だと思うんだが
474 :
日本@名無史さん :2007/11/12(月) 12:31:30
もし家康と旭姫の間に男子ができていたらどうなっていたでしょうか? 少なくとも初夜ぐらいは臥所を共にしたはず。 二人とも結婚当時はいい年でしたが、家康はその後も子供を作るぐらいですし、旭姫の方も栄養状態などがよければまだ閉経はしていなかったかもしれません。 その上で周期が合えば、受胎する可能性も無きにしも非ず。 秀吉の圧力で徳川の後継者に押し付けられるか、逆に秀次・秀勝らのように秀吉の養子の一人に加えられ、豊臣の有力な後継者候補の一人になったかもしれないです。
475 :
日本@名無史さん :2007/11/13(火) 23:41:08
確かにもし徳川家と豊臣家との間に第一男子が生まれたとすれば秀吉の計略道理、後継ぎ候補として徳川家とより縁が深まり、家康は神経質なまでに豊臣を危険視せず、豊臣家は徳川政権の中でも生き残れただろう
家康45歳と旭姫44歳が結婚した天正14年、 家康にはすでに秀康14歳、秀忠9歳、忠吉8歳、信吉5歳らの男子があった。 旭姫に男子誕生なら秀吉は跡継ぎを期待したかもしれないが、 家康がそれに応じたかは疑問。 旭姫には前夫、前々夫との間にも子はなく、 翌々年大政所がなくなると家康のもとから逃れるように聚楽第に入り、 そのまま聚楽第で亡くなった。
477 :
日本@名無史さん :2007/11/15(木) 15:55:47
秀吉って失政ばっかりだから関白にならんほうがよかった
>>470 司馬遼太郎の「この国のかたち」にもででたけど、
古代の時点で木を切りすぎてたというのは正しいね。
朝鮮軍はきわめて弱体で、斧で戦っても勝てたらしい。
っていうか明を攻めるのならわざわざ朝鮮を通らなくても海からでもいけるだろ。 信長が造らせたような大型軍艦で
480 :
日本@名無史さん :2007/11/19(月) 21:33:34
信長が造らせた大型軍艦は全然機動力無いからな…
481 :
日本@名無史さん :2007/12/06(木) 22:14:33
>>479 当初は素通りする予定で、朝鮮側も通過させるつもりだったらしい。
でも朝鮮側が、自分達の立場が危うくなるのでは?と思い始めて
戦うことになったそうな。
>>465 韓国の圧力でほとんどの場合タダの悪役扱いされているから、お勧めというとあまり無いんだよね
483 :
日本@名無史さん :2007/12/18(火) 18:39:27
歴代秀吉ランキング 1位竹中直人 2位香川照之 3位柄本明 4位西田敏行 5位勝新太郎 6位中村梅雀 7位仲村トオル 8位武田鉄矢 9位藤岡琢也 10位長門裕之
>>472 昔、少年サンデーで椎名が書いてたやつか?w
>>483 俺の中では西田敏行がトップだな。
イメージとしてはかなり違和感があるけど、
この人の演技は本当に素晴らしい。
西田さんかぁ…
487 :
日本@名無史さん :2007/12/19(水) 17:31:44
なんだ?
sage
489 :
日本@名無史さん :2007/12/19(水) 17:44:15
中村梅雀
>>483 1〜3はサル太閤
4〜5は天下人秀吉
という感じ
491 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 16:11:52
大河で秀吉やったヤツってミスキャストが多すぎる。 役者のランクや知名度でキャスティングしてるから、どうしても無理が出る。 西田?勝新?藤岡琢哉? 秀吉はサルであってブタじゃねえぞ。
492 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 16:13:52
勝新は武田信玄か家康のイメージだろ、常識的に考えて。
サルでもねーよ、ハゲ
494 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 18:44:54
日本史板から話題がずれるが・・・ 今やってる東映映画、茶々の配役では渡部篤郎が秀吉役だなw 徳川家康役の中村獅童って、息子の嫁役の寺島しのぶと 実際の年齢が同い年ジャンw 茶々・・・和央ようか おはつ・・・富田靖子 おごう・・・寺島しのぶ 織田信長・・・松方弘樹 豊臣秀吉・・・渡部篤郎 徳川家康・・・中村獅童 お市・・・原田美枝子 ねね・・・余貴美子
495 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 19:26:41
>>492 勝新は大河ドラマで秀吉やってたよ
たしか独眼竜政宗で
496 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 21:12:56
最近のでは柄本明や香川照之は晩年のメイクが肖像画のイメージによく似ていた。 そもそも秀吉って貫禄あるタイプじゃないから、勝新なんて論外。
>サルでもねーよ、ハゲ そうはげ鼠
まぁ、偉大な天下人、好色で残忍な権力者、外交・調略の天才、お調子者の出世人など 見た目のイメージより役柄に対するキャラクターで役者を選んだ方がしっくりくるな。 信長の棺の中村梅雀は酷かった。 見た目はもちろん、キャラクター的にも全然合ってない。
499 :
日本@名無史さん :2007/12/22(土) 23:22:09
でも、秀吉の場合、世間の最大公約数的イメージからいって、勝新はミスキャスト。 そもそも、現実の政治家を見ても権力者イコール恰幅のよいピザ親父とは限らない。 後藤田みたいなショボイおっさんが切れ物だったりする。
500 :
日本@名無史さん :2007/12/23(日) 08:57:56
肖像画だと東野英治郎みたいな感じ
501 :
日本@名無史さん :2007/12/23(日) 09:58:47
昔、松方弘樹が秀吉を演じていたがあれでは猿ではなくブタゴリラだな
502 :
日本@名無史さん :2007/12/23(日) 21:37:39
柄本明・・・ ションベン垂れ流しにはワロタ
実際失禁してたらしいけどな。 しかし秀吉が死んだ時の年齢は柴田勝家が死んだ年齢とほぼ同じなのに、 一方は痴呆・失禁、もう一方は戦に出てた訳だから秀吉は随分と老いるのが早かったんだな
個人差の範囲じゃね
505 :
日本@名無史さん :2007/12/27(木) 23:04:04
【記事】 羽柴秀吉が構築か 鳥取城跡内で横堀見つかる
鳥取市の久松山にある史跡鳥取城跡内で、因幡地方と異なる技術の横堀があることが二十六日、
鳥取市教委の調査で分かった。関係者は鳥取城を攻めた羽柴(豊臣)秀吉の軍勢によって造ら
れた可能性が高いとみており、「秀吉の包囲戦術を調査する上で貴重な発見」と評価している。
横堀は自陣を守るために造られたもので、標高一〇〇メートル、幅八−十メートル、深さ五−六
メートル、長さは東西に四十メートル。
鳥取城跡から約一・四キロ離れた場所で秀吉の本陣「太閤ケ平(たいこうがなる)」が発見されて
いたが、横堀は久松山頂からわずか五百メートル付近で見つかった。
市教委は「秀吉方の施設だとすれば、鳥取城を広域に取り囲んでいた包囲網が城のすぐ近く
まで狭まっていく様子を知ることができる」としている。
また、参道や本堂の跡地とみられる場所の近くで横堀が見つかったことから、「築城前の中世
から寺院があり、その後、横堀を持つ陣と一体化したと思われる」と説明している。
一五八一(天正九)年の秀吉の鳥取城攻めは「鳥取城の渇殺(かっさつ)」として有名で、籠城
(ろうじょう)の兵士を助けるため切腹した武将、吉川経家の物語は今も語り継がれている。
2007/12/27のローカルニュース
http://www.nnn.co.jp/news/071227/20071227001.html
506 :
日本@名無史さん :2007/12/30(日) 23:48:00
羽柴論争の件ですが 東京大学の教授が書いた論文に 秀吉は豊臣姓を賜った後は羽柴名字を称した形跡は無い と書いてありました。 秀吉は公家の関白として日本を治めようと思っていたのに あえて武士的な羽柴を公称しないはずだと。 豊臣姓以外に称号があったとするならば、 それは邸宅名の「聚楽亭」ではなかったか? とありました。 公家の菊亭と親しい秀吉なので、羽柴より、ありえる話だと私も思います。
507 :
日本@名無史さん :2007/12/30(日) 23:57:03
>>506 目から鱗です
そうですね、羽柴という武士の名字から公家の称号に変えたかもですね
508 :
日本@名無史さん :2007/12/31(月) 10:09:41
小出秀政 1540年−1604年 妻は豊臣秀吉の母・大政所の妹であり、秀政は秀吉の叔父に当たる。 豊臣秀吉 1537年−1598年 大政所 1513年−1592年 豊臣秀吉・豊臣秀長・日秀院・朝日姫の生母である。 なんかおかしくない?
509 :
日本@名無史さん :2007/12/31(月) 14:58:06
>>506 聚楽亭関白秀吉ですか・・・
羽柴関白よりは良いです
510 :
日本@名無史さん :2007/12/31(月) 15:02:00
聚楽亭って落語家みたいでヤダ。
511 :
日本@名無史さん :2007/12/31(月) 15:05:15
上方落語家:聚楽亭秀吉(しゅうきつ) かっこいいじゃんw
512 :
日本@名無史さん :2007/12/31(月) 16:35:08
>>508 それが事実なら、
大政所には親子ほどに年の離れた妹がいたとしか読めない。
513 :
日本@名無史さん :2007/12/31(月) 18:47:35
あるいは小出が熟女好きだったとか・・・
514 :
日本@名無史さん :2008/01/01(火) 17:25:05
秀吉の親族は朝鮮侵略に前後して多数死んでおり、これが災いして一族が途絶える原因となったのは周知のことである。 朝鮮人民の恨みといえるだろう。
515 :
日本@名無史さん :2008/01/02(水) 21:06:32
516 :
日本@名無史さん :2008/01/19(土) 01:14:01
朝鮮 シナ ボコボコにしてくれたんで今の時代の俺たちも自信が持てるのさ、 サムライ、武士道と評価してくれても日本人は小さいし素手じゃ外人にスポーツや格闘でも負けるし自信が持てん。 だから秀吉は偉いと思う、それと島津とか加藤とかね。 倭タケル 義経 秀吉 東郷 児玉となぜか国家レベルの天才軍略家は小さいの多いが、
517 :
日本@名無史さん :2008/01/19(土) 08:48:50
黒人にニッポンの少子化対策まかさないか
518 :
日本@名無史さん :2008/01/23(水) 21:02:43
信長に仕えていたクロンボの弥助がいればな。
519 :
日本@名無史さん :2008/01/23(水) 23:31:32
っか信長と秀吉って親戚みたいな物なんだろ? 絶対赤の他人ではないはずだと思う
520 :
日本@名無史さん :2008/01/24(木) 19:24:30
秀吉スレは必ず朝鮮ネタで荒れますね 死ねばいいのに
歴史上かなり重要な位置を占める存在の中でこれほど出自が曖昧な まま放置されてる人物は珍しいな 現存する真っ当な資料の範囲での初出は義昭を奉じての上洛前後? そのあたりを根拠に六角の家臣説などが出てきた?
>>521 色々研究はされてるけど分からないってだけで、放置されてる訳じゃないだろ。
秀吉の名前が歴史に登場するのは、永禄八年十一月二日の坪内利定宛の副状。
墨俣一夜城伝説の頃。
523 :
日本@名無史さん :2008/02/02(土) 14:55:43
一つ聞きたいんだけど、「源平合戦」で言えば、源氏と平氏と 真っ二つに分かれてて分かりやすいんだけど、秀吉が天下を取った後は 源氏や平氏の流れを汲む者でも、豊臣姓を与えられたら豊臣姓を 絶対に名乗らないといけない訳なん? あと、秀吉の部下として働いていたモノは足軽の様な下っ端でも、 「豊臣姓」を名乗れるの?それとも、名乗れないにしても 「豊臣家」「豊家の者」と言う肩書きが出来るの?
一つ以上聞いちゃだめ
525 :
日本@名無史さん :2008/02/02(土) 15:04:48
ところで、みんなの家は何氏になるの? 俺は大阪在住だけど、親父の本家が岡山県の笠岡市だから・・・ 何氏になるんだろう・・・ご先祖が猿掛城の城代家老の血筋らしいけど。
>>523 > 「源平合戦」で言えば、
源平合戦だって全部が源氏と平氏だった訳じゃないよ。
> 豊臣姓を与えられたら豊臣姓を
> 絶対に名乗らないといけない訳なん?
当時の絶対権力者に賜ったんだから、表面上は使わないとまずかっただろうね。
ただ、真田は滋野姓に特別な拘りがあったみたいだからどうだろう?
> あと、秀吉の部下として働いていたモノは足軽の様な下っ端でも、
> 「豊臣姓」を名乗れるの?
無理
>>525 そりゃ、母方父方色々辿っていけばどっかには行き着くだろうけど、
基本的には農民だろ、大抵。
528 :
日本@名無史さん :2008/02/02(土) 16:55:54
秀吉は評価されるべきだと思うぜ。 室町時代でしかも戦乱の世に貧しい小作農として生まれるという事は、当時の状況からいえば秀吉は奴隷になるしかなかったぐらいである。 だが秀吉は、越前の神主の子孫で小国尾張の武将である織田信長に仕え、革新的な力で戦乱の世を治め、天下を統一し、関白という地位を得た。 朝鮮出兵の時は従五位下の石田三成が強く反対したが、秀吉は出自が貧しかったため権力に対する欲望が消える事はなかったのであろう。
529 :
日本@名無史さん :2008/02/02(土) 17:16:08
秀吉は関白太政大臣にまで上りつめたが、さらに上の東亜帝王を目指したところに豊臣家の崩壊の原因があったのである。 秀吉は天皇を北京、またはニンポーに移住させ、自らを東亜帝王としアジアを支配しようとしていたのだが、石田三成は軍事力や資源などを計算しアジア進出を強く反対していた。
530 :
日本@名無史さん :2008/02/02(土) 17:19:04
秀吉は関白太政大臣にまで上りつめたが、さらに上の東亜帝王を目指したところに豊臣家の崩壊の原因があったのである。 秀吉は天皇を北京、またはニンポーに移住させ、自らを東亜帝王としアジアを支配しようとしていたのだが、石田三成は軍事力や資源などを計算し、アジア進出に強く反対をしていた。
531 :
日本@名無史さん :2008/02/02(土) 18:48:31
まぁ似たり寄ったりw
532 :
日本@名無史さん :2008/02/09(土) 19:44:10
秀吉は、天下統一するまでの、人心掌握術、戦術、策略・謀略、外交力などは 天才的で、日本史で右に出る者は、いないと思う。 ただ、天下を統一してから豊臣体制を盤石にして永続させる 体制づくりを整えられず、また実行できる部下もいなかった。 その点では、徳川家康が優れている。 将来、凡庸な、もしくは暗愚な将軍が現れても、徳川体制が 揺るがない予防線をいくつも張り巡らしている。 豊臣家の悲運は、徳川家のような一族繁栄のための体制づくりができなかった点だな。
533 :
売国企業マルハン :2008/02/10(日) 11:32:01
【豊臣秀吉】←織田の天下を盗み取った謀叛人!死ぬ直前、6歳の秀頼の天下を願ったものの、結局は徳川の天下に!当然の報い!
>532 > 豊臣家の悲運は、徳川家のような一族繁栄のための体制づくりができなかった点だな。 体制作りができなかったというより、秀吉が一人で暴走して自滅しただけだと思うが。 数少ない成人した親族と一緒に、数少ない「豊臣恩顧」の家臣を大量に殺しておいて、 体制作りもなにもないと思うけどね。
536 :
日本@名無史さん :2008/02/10(日) 13:51:37
>>535 天下をとってからの秀吉は、狂っちまったと思うぐらい親族と豊臣恩顧の
家臣を粛清しまくったから、子孫のための豊臣体制ができなかった。
歴史に「if」は禁句ということを敢えて破らさせてもらうが、秀長が
秀吉より長生きしていれば、豊臣家はあんな形で滅んでいなかったかもしれん。
まあ、秀吉の人生は、一代が秀でても子孫が永続するわけではないことを教えてくれている。
ifを持ち出してもキリがないけどな
歴史にifは禁句とかって日本人だけの格言で 海外の史家は別にそんなこと言ってないんだよね
世界史板にも殆ど日本人しかいないと思うが。
ひょっとして
>>539 は日本語読めない人なんですか?
テレビで見たが、秀吉って最近の説によると商人の家に生まれたらしい。 イメージが崩れて困るな。
542 :
日本@名無史さん :2008/02/10(日) 18:22:20
>>541 まあ、あの合理主義からして商人の出でもおかしくない。
543 :
日本@名無史さん :2008/02/11(月) 06:53:25
商人は頭がいいからね 武家上がりはどうしても商才にかけては鈍い
544 :
日本@名無史さん :2008/02/11(月) 08:26:26
太閤記でも、針の行商してたって出てくるけどな。 秀吉、商人説なんて別に突飛じゃないだろ。
もし商人やってたとしても、出自が悪いから 何か秀吉は卑しい行商人をイメージしちまうな。
546 :
日本@名無史さん :2008/02/11(月) 12:08:20
>>544 針売りのほかに、瓜を売っていたという説明もあったよな。
547 :
日本@名無史さん :2008/02/15(金) 04:07:54
さっきスターリンを調べてて思ったんだが、何となく スターリンと秀吉は悪い意味での知恵者として通じるトコがあるな
548 :
日本@名無史さん :2008/02/15(金) 23:40:03
先日ある事件で男性が逮捕されたと新聞に出てました。豊臣性でびっくりしました。
豊臣は本姓だから関係ないけどな
551 :
日本@名無史さん :2008/02/16(土) 16:49:43
547> 二人ともコンプレックスの塊
552 :
日本@名無史さん :2008/02/16(土) 17:16:57
織田姓はうじゃうじゃいる 徳川姓はまあまあ 豊臣姓はほとんどいない
そりゃ、豊臣は苗字じゃないしなw
554 :
日本@名無史さん :2008/02/16(土) 17:35:58
秀吉の正室ねねの兄杉原家の子孫が 江戸時代豊臣姓を名乗っていたけど(秀吉との血縁関係はない) この子孫はまだ残っているの?
555 :
日本@名無史さん :2008/02/16(土) 18:06:16
徳川姓は「まあまあ」というほどではないな。 徳川一門以外は、別系統が佐賀に若干いるくらいだ。 常陸にも別系統の徳川がいるらしいが。
>>554 大正時代の歌人、木下利玄がそうみたいだね。
この人には木下利福という子供がいたみたいだけど。
たしか、旗本の木下氏も豊臣姓を名乗ってる。 冠に鎧着た秀吉の肖像を作らせた人
「豊臣姓を賜った」ってだけなら沢山居そうだけど。
>>558 他氏に与えていたのは羽柴姓ではなかったかな?
羽柴と豊臣はセットだよ
>>558 榊原康政や国司元相、直江兼続など陪臣クラスでも結構貰ってたりするしな。
羽柴については、蒲生氏郷が功績を挙げた家臣に蒲生姓を
あげまくっていたのと同じ(というか秀吉の真似)。
豊臣姓については、要するに源平藤橘と同じ本姓。
史板で書くのは板違いな気もするが… ほとんどの文芸作品で市姫に対して恋慕の情を抱いていた設定だけど 上質な資料にそれを裏付けるに足るものはあるのかな? 茶々を側室にした事からのこじつけ?
563 :
初心者 :2008/03/02(日) 00:05:19
指が六本だったって本当ですか?
564 :
日本@名無史さん :2008/03/02(日) 16:33:06
戦国大名の辞世の句では秀吉のが一番心にしみるよな
565 :
日本@名無史さん :2008/03/04(火) 22:08:42
なにわのことも 夢のまた夢 大阪の栄華も、まるで一夜の夢のようなものだった。 諸説あるが、俺の中では秀吉の死が戦国時代の終わり。 日本史で秀吉ほど「一夜の夢」の様な人生を送った人間もおるまい。
566 :
日本@名無史さん :2008/03/04(火) 22:47:55
だよな
567 :
在日 :2008/03/05(水) 20:41:06
俺は絶対に許さないよ 植民地への道を開いたのは猿だから…
>>567 鎌倉時代、朝鮮軍は元軍とともに、2度も日本に攻めてきましたとさ。
>>567 日本軍が朝鮮に上陸したのは、「仮途入明」のため。
太閤殿下、万歳!
>>565 だな。
強烈に現実的な内容なのに何故か強い浪漫も感じる。
573 :
日本@名無史さん :2008/03/09(日) 18:16:09
>>563 それ本当!多指症だった
右手の親指と人差し指の間(水かきの部分)に
親指の第一関節ほどの「孫指(まごゆび)」がありました
574 :
在日 :2008/03/10(月) 09:32:13
韓国の近代化が遅れたのは猿の侵略が遠因だからね。
575 :
在日 :2008/03/10(月) 09:36:04
先進国ドイツの近代化が遅れたのは 神聖ローマ帝国のイタリア経営、30年戦争、 そしてナポレオンの侵略の3要素が主因だが、 同じく先進国たるべき韓国の近代化が遅れたのは 白村江、豊臣秀吉、伊藤博文、この3大悪が主因。 おまえらは侵略犯罪強制強姦民族だよ。
576 :
日本@名無史さん :2008/03/10(月) 11:59:57
戦後日本からの莫大な補助金を受けてはじめて近代化始めたくせに・・・ 戦前でしかも白村江かよw
577 :
日本@名無史さん :2008/03/10(月) 17:37:54
>>575 オマエマジで死んだ方がいいよ?
いっその事人間やめれば?
あ、朝鮮人は人間じゃなかったな?
人モドキだからなwwwwwwwww
578 :
日本@名無史さん :2008/03/10(月) 17:46:46
>>567 お前は何もしらないんだな。
今でこそ、朝鮮出兵とか言ってるけど
殿下自身はは朝鮮なんて侵略したつもりはもうとう無いんだぞ?
何故なら、殿下は大明国を征服するつもりで派兵したんだからなww
それ故に当時は「唐入り」と言われたんだからな。
朝鮮なんて明に攻め込むためにどうしても確保しなきゃならない
通り道だったわけで、あくまでも「ついでに」攻めただけのことだww
その結果、朝鮮なんてわずかな期間で首都の(漢城)ソウルを陥落させられた
挙句に、加藤清正に朝鮮国王の皇太子を人質に取られてるじゃないか?www
弱すぎなんだよなバーカwww
しかも、地元の朝鮮の農民どもは分が悪いと思うや、いつもの事大で日本軍に協力する始末ww
結局、明からの援軍があって、日本が苦戦したのを機にまたもや明に事大だろww
昔からお前らチョンは何も変わってないんだよカスwww
579 :
日本@名無史さん :2008/03/10(月) 17:55:20
>>536 >天下をとってからの秀吉は、狂っちまったと思うぐらい親族と豊臣恩顧の
家臣を粛清しまくったから、子孫のための豊臣体制ができなかった。
人は誰でも自分の鏡で物を見るから、第二の秀吉がいては困ると思ったん
だろう。
子孫のためとか考えるより先に、今の固めを優先するのは当然。
それだけ必死だったんだと思うし、今の人が考えるほど余裕だった訳じゃない
んだろうね。
580 :
日本@名無史さん :2008/03/10(月) 18:02:39
仮途入明という言葉をご存じないと見える
いくら何でも「在日」だなんて名前欄に書く在日はおらんだろうよ。
582 :
日本@名無史さん :2008/03/12(水) 20:41:32
583 :
日本@名無史さん :2008/03/16(日) 21:30:01
日本の歴史上これほど最強の権力をもった人物はいないだろう。権威、武力、財力どれも圧倒的。一個人の欲望だけで何十万もの人間を動員して海外まで戦争を仕掛けたり究極の独裁政権だな。
584 :
日本@名無史さん :2008/03/19(水) 09:13:22
585 :
日本@名無史さん :2008/03/25(火) 02:47:20
秀吉君><
586 :
日本@名無史さん :2008/03/29(土) 20:27:26
wikipediaで秀吉が明王朝に土下座したことになってるけど本当?
http://en.wikipedia.org/wiki/Kowtow >The kowtow was often performed in diplomatic relations as well.
>In 1596, Japanese Daimyo Toyotomi Hideyoshi who unified Japan had to kneel 5 times
> on the ground and hit his head 3 times on the ground (五拜三叩頭禮),
> to show his vassal status to the Chinese Ming Dynasty.[1]
>>586 秀吉の意識下ではあくまでも明が「詫び言」を言ってきたから講和に応じると言うスタンスを
とっている。一方明は逆徒日本が明に降るという体裁をとりたかった。そこで「関白降表」なるものが
偽造されたわけだ。
しばらく後の秀吉の小西行長、寺沢正成宛の書状を見ると、「大明の釣命により」とか「(朝鮮を)恕宥」と出てくる
ので、明を立てた表現になっており、当初からは譲歩した形になっているんだが、いずれにせよ秀吉としては
文禄の役が「全面降伏」であっては国内に示しがつかんし、朝鮮4道の確保などという問題もあるし、
「五拜三叩頭禮」したとは考えられん。
588 :
日本@名無史さん :2008/03/30(日) 14:04:39
>>587 じゃあ、wikipediaを修正してくだされ。
589 :
日本@名無史さん :2008/04/09(水) 21:37:00
織田達勝の部下は 織田信秀 木下弥右衛門 だね
実の母親を徳川家康に差し出したのは絶望したよ。 秀長があんだけいさめたのに。
591 :
日本@名無史さん :2008/04/20(日) 00:28:56
秀吉が殺した織田家の人間 信孝 柴田 お市
592 :
日本@名無史さん :2008/04/20(日) 16:17:41
>>591 柴田は織田家の人間じゃない。
お市は勝手に死んだし。
秀吉がお市の娘を自分の養女にしているしな。
(長女茶々だけは側室、妹2人は養女)。
柴田が織田家の人間じゃないなら一体何なんだ
594 :
日本@名無史さん :2008/04/21(月) 09:22:50
>>593 柴田が織田家の人間なら
豊臣秀吉も前田利家も織田家の人間というくくりなのか?
豊臣は知らんが、羽柴なら織田の人間(家臣)だっただろう
596 :
日本@名無史さん :2008/04/29(火) 19:59:47
東国太平記に秀吉の父親は、鉄砲のもの木下弥右衛門と出てくるらしいんですが、詳細を知ってる方がいたら教えてください?
詳細というと?
598 :
日本@名無史さん :2008/04/30(水) 01:12:25
>>597 東国太平記がいかなる文献か教えてほしいんです。
>598 ググれば誰がいつ書いたどんな本か分かるはずだが?
チビ、ハゲ、ブサの三冠王( ´,_ゝ`)プッ
秀吉は一代限りの独裁者、自分のやりたい放題やりまくった 下層から成り上がったことといい、WWUのアメリカ軍のような戦術を好んだことと言い 好きか嫌いかは別にして、相当な能力者、運もあったんだろうけど。
602 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 08:17:02
信長は清盛、頼朝、足利義教などの中世ワンマン権力者の要素はあるが、近世の扉を押し開いた政治家でもある。 秀吉は信長の模倣をしてるだけというか2代目的なイメージしかないんだよね。信長を越えられていないし。
信長が生きてたら朝鮮出兵なんてやっただろうか?
>>385 自分は木下家です。
家紋は中輪に抱き沢瀉なのですが、秀吉の血縁だったりするんでしょうかね。
木下ゆきなとか怪しいな
秀吉の生母の出たあたりに住んでるんだが、碑があるなんて全然知らなかった。 どこらへんなんだろな、うちのばあさんボケててよく覚えとらんもんで。
607 :
日本@名無史さん :2008/07/05(土) 19:50:16
秀吉がスペインやポルトガルに対して怒りを向け、警戒感を露に するようになったきっかけは、九州地方においては金銀がさほど 産出しなかったため、スペインやポルトガルの商人から大名が 硝石を購入した代価として、戦で捕虜とした日本人同胞を奴隷 として提供していたということだったということです。 これはまさに、ヨーロッパ諸国がブラック・アフリカで行っていた 奴隷貿易の形態と一致しており、その後、ブラック・アフリカ社会が 大量の奴隷流出で衰退していき、最終的には西洋諸国の植民地 になっていったことを考えると、戦国時代の日本もまた同じように なった可能性も十分にあったわけです。 それが秀吉によって禁止されたことにより、日本のアフリカ化は 阻止されたわけですから、少なくとも秀吉はアフリカ黒人部族の 指導者たちよりは先を見通す能力が有ったのだと言えます。
それもあるかもしれないけど、 警戒するようになった最大の原因は布教が日本征服の一環だと知ったからじゃないか
>>602 けどそういう、滑稽さや晩年の暗愚な面も含めて秀吉の魅力だと思うんだよな
主に妖説太閤記や太閤の錬金窟の影響なんだけどw
他にも晩年の秀吉を無様で滑稽で、でも魅力的に書いてる作品があったら教えて欲しい
610 :
日本@名無史さん :2008/07/26(土) 16:15:22
猿関白
611 :
日本@名無史さん :2008/07/26(土) 19:33:30
保守
612 :
日本@名無史さん :2008/07/26(土) 20:30:39
羽柴飛騨守氏郷
613 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 01:59:30
614 :
日本@名無史さん :2008/07/29(火) 18:44:49
家康・勝家・秀吉・光秀らオールスターで楽々攻略し植民地化したはず。
615 :
日本@名無史さん :2008/10/10(金) 18:27:58
信長なんぞ秀吉の引き立て役
>>601 秀吉が第二次大戦中にいたら勝てただろうか?
617 :
日本@名無史さん :2008/10/13(月) 16:34:31
負けてた!
618 :
日本@名無史さん :2008/10/13(月) 18:47:52
名古屋には「太閣通り」があり秀吉人気は根強い 尾張徳川家のお膝元だというのに徳川にちなんだ通りの名はない 名古屋城の元祖名護屋城は信長の父が信長が産まれる直前に奪い取った城で 信長は名古屋で生まれたという説もあるそうだ しかし名古屋人は秀吉が好きだ 名古屋市中村区は秀吉が出た「中村」そのものだから無理もないが
619 :
日本@名無史さん :2008/10/15(水) 01:48:22
信長、フェリペU世、李舜臣等の世界の英雄とあなたの 知識で世界を統一! 国盗り学習ゲーム世界戦国編 無料学習ゲームサイト”ソレスタ” "ソレスタ ゲーム"で検索
620 :
日本@名無史さん :2008/10/15(水) 18:54:43
621 :
日本@名無史さん :2008/10/15(水) 22:58:17
>>618 松平元康は三河者であり尾張衆からみたら他所者なんだよね
622 :
日本@名無史さん :2008/10/18(土) 20:29:13
フロイスは秀吉は岐阜出身と書いてる
623 :
日本@名無史さん :2008/10/19(日) 18:12:34
農民から太閤まで上り詰めた程の成り上がりは世界史上にも例が無い。秀ちゃんはもっと評価されるべき。
世界史上では知らんが日本史上では空前絶後だろうな 田中角栄とか今太閤と呼ばれてたけど議会制民主主義のおかげだし
田中角栄は単に総理大臣になっただけじゃん。 秀吉は全国を統一したんだよ! 今でいえば野党も自治体も大企業もすべて支配下に入れたようなもの。 田中角栄なんかと一緒にせんといて!
田中角栄はねーってw
627 :
日本@名無史さん :2008/10/20(月) 09:07:15
秀吉がいなければ本能寺のドサクサで織田家は再分裂し、天下を統一する者は現われず、或いは日本は西欧植民地になっていたかもな まあ大した物だ 好きな偉人ランキングでは聖徳太子や坂本ナントカが上位の常連だが、秀吉公の偉業を前にしては足下にも及ばんだろう
628 :
日本@名無史さん :2008/10/20(月) 09:46:37
博識なお前らに聞きたい 関ヶ原の時にどうして三成は秀頼の声明を取らなかったんだろうか 秀頼方も何故無関心だったのか 関ヶ原は豊臣の遺臣の内部分裂なんだから、 主君の秀頼をキープした奴が圧倒的に有利なはず 秀頼としても専横極まりない家康を倒すのは一つの大きな課題だったはず 三成と秀頼の利害は一致してる ここで動かない両者が謎なんだが
ここは秀吉を誉め称えるスレだろう まあ戦後の保身を考えたからじゃねーの
630 :
日本@名無史さん :2008/10/20(月) 11:57:01
誉め称えるも何も、秀吉以上の人物が日本史上に居るのなら教えてくれ。
関白となった秀吉が大阪城に松下之綱を呼び、「松下よ、わしは昔と変わったか?」と問いたという逸話などは、フィクションとしか思えない。 かつて自分の家来だった農民の小倅が、いつの間にやら天下人になってるんだぜ? ありえねーだろ。
>>628 三成が勝ったら勝ったで、三成の専制が始まらないと言い切れないからな。
単なる家臣の一人の三成と、血こそ繋がっていないが親類関係である家康のどちらが力を持った方がよいか、という話もある。
634 :
日本@名無史さん :2008/10/21(火) 21:27:46
>>628 秀頼が幼主であったということがどうしようもなかった
としか言いようがない。
家康はこのとき秀頼を打つのではないと天下に表明し、
高台院も秀頼様はどちらにも付かない、と弁明して
自分の配下の豊臣大名を家康に味方させたため。
秀頼が成人していたらそもそもみすみす家康に
天下を取られなかっただろう。
家康×秀頼の戦いを関ヶ原時点で家康が表明していれば
高台院も淀殿憎しとはいえ露骨に豊臣を滅ぼす手伝いはしなかっただろうし
豊臣恩顧の大名も家康につかなかった
635 :
日本@名無史さん :2008/10/21(火) 23:32:00
まぁそれはそれとして 兵庫県では偉人だしw
636 :
日本@名無史さん :2008/10/21(火) 23:39:13
【華麗なる一族になりたかった男】豊巨秀吉 1537年 木下藤吉郎 1573年〜 羽柴秀吉 1582年〜 平秀吉・秀吉を養子にして下さいと頼み断られ(足利秀吉)名乗れかった幻の苗字。 1585年〜 藤原秀吉・御落胤秀吉 朝廷からクレームが付 名乗ることを許されなかった。 1586年 関白になり朝廷からようやく 名を与えたられ 【豊巨秀吉】になれた。 農民上がりプライド無し豊巨秀吉の馬鹿な苗字変換でした。
637 :
日本@名無史さん :2008/10/22(水) 21:10:43
秀吉が足利氏の養子にしてくれと言ったのは事実ではないと 結論が出ていなかったか(一次史料では確認できず) 藤原秀吉は実際に名乗っている 秀吉はすんなり近衛前久の養子に納まり 前久の娘前子を自分の養女にして 後陽成天皇に入内させていもいる 藤原を名乗るなといったのは摂家の二条家で 天皇家は何にもいっていない
638 :
日本@名無史さん :2008/11/26(水) 18:55:22
保守
639 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 01:26:38
すいません、 他板で見たんですが、 秀吉の姉だか姉の娘だかなんかが公家に嫁いだのがもとで 現在の皇室にその血が流れているとの話ですが、 ほんとなんですか?
640 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 08:37:13
秀吉の姉の子秀勝(秀次の弟)と淀殿の妹お江(後の徳川秀忠正室)の娘完子が九条家に嫁いで子供を何人も産んでいる。 完子の夫の死後、完子の子が九条家を嗣いでいる。 確か後水尾天皇は完子の孫だったような…。ごめん。これは定かではない。かなりあやふや。 ちなみに大正天皇皇后(昭和天皇生母)は九条家の出身。 ただ、九条家はその後何度か断絶してるみたいだから、 完子→大正天皇皇后→今上天皇、あるいは完子→後水尾天皇→今上天皇、と繋がっているかどうかは分からない。どこかで途切れているかも。 ただ、完子はかなり子供を産んでいるから、男系・女系問わなければ繋がっている可能性は強い。
641 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 09:35:36
今調べたけど、繋がってるね。 ちなみに後水尾天皇の祖母は秀吉の養女の近衛前子だった。完子とは関係なかった。 豊臣秀勝−完子−二条家−(省略)−九条尚忠−九条道孝−大正天皇皇后。 そう考えると織田・浅井(お江から)の血筋も繋がっててすげーな天皇家! 源平なんかはむしろ輩出したわけだし。ただ、あくまで秀吉の姉の血が繋がっているわけで、秀吉ではない。 念のため自分でも調べてみて。
642 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 16:52:03
>>640-641 ありがとうございます。
秀吉の母というと、ドラマなどで庶民的オバチャンというイメージを
受けていたので
現在の皇室とイメージ的に結びつかないですが
ほんとに血がつながってるんですね! おもしろいです。
643 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 19:04:09
今の皇室のイメージは美智子さんの影響が強い気がする。 天皇の妹の島津貴子さんなんかは普通のおばちゃん、な感じ。若い頃(降嫁する前)はお転婆娘、のイメージが強い人だった。 美智子さんにすれば、民間出身だってことを苦にしてたのかな。必死に神々しいイメージを作った気がする。 九条道孝もたしか生母は家女房だし、どこの誰だかは分からない。 ああいう秀吉生母のイメージも、実は農民だったかどうかも怪しいし、後世の人が勝手に作ったイメージだよね。
644 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 23:17:38
秀吉は家柄コンプがあったのかなーと勝手に思ってたもんで。 小説やドラマから勝手に想像したもので事実とは離れてるのかもですけど。 なんか秀吉が自分が皇室の血をひいている、みたいなでっちあげ話を作り、 生母がそれはあまりに不敬で恥ずかしすぎる!と怒るというのを、なんかの 小説で読んだので、 逆に現在の、天皇家に秀吉母の血が入ってるというのがおもしろいなー、と。 完子という人を知らなかったんですけど、 こういう、男系が秀吉という家柄が高くない人の血をひいている娘が 公家に嫁にいったりすると、ちょっと差別的にされてりしたんでしょうかね。 でも子がたくさんできたのなら、けっこう気にいられてたのかな。 魅力的な人だったのかも。 長文すんません。
>>644 皇胤説の出所は「天正記」という秀吉が大村由己に書かせた物。
本人在世時の物だけあって、史料的価値は大田牛一の「太閤軍記」や
太閤記関連の初出である「川角太閤記」や秀吉出生の通説とされる
「太閤素生記」等と比べても全く引けを取らない物。
勿論、皇胤説自体は有り得ないと思われるけど、誰かが勝手に作った話
ではなく、「秀吉自らが言った作り話」であろう点が面白い。
646 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 08:47:10
完子が幸せに暮らしたのか、とか差別的にされたのか、とかは分からない。 父秀勝が朝鮮出兵時に戦死し、母のお江が再婚するにあたって、淀殿に引き取られて育ったそうだから、教育はしっかり受けたのだと思う。 また、菊亭家(の誰だったか忘れた。ごめん。左・右大臣の経歴がある)の娘が秀勝の兄・秀次の側室になった女性もいるし(一の台←この女性、その前は秀吉の側室だった)、 豊臣家自体、野蛮な成り上がり者、という扱いを受けたイメージは少ない。 関白近衛前久とも交流があり、前久の娘、前述の前子は秀吉養女になっている。 徳川の時代になってからは、将軍の義理の娘である立場だったし、むしろ尻に敷かれるくらいだったんじゃないか、とも思える。 公家は幕府から統制される立場だったしね。
647 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 11:51:33
日韓併合を達成した日の夜に歌った和歌 ◎寺内正毅初代朝鮮総督 「小早川、加藤・小西が世に在らば、今宵の月を如何に見るらむ」 (秀吉公の朝鮮征伐に参加された小早川・加藤・小西の諸将が今生きて居れば 朝鮮を大日本のモノとしたこの夜の月をどの様な気持ちで見られるだろうか?) ◎小松緑外務部長 「太閤を地下より起こし見せばやな、高麗(こま)山高く昇る日の丸」 (太閤殿下を蘇らせて、御見せ申し上げたいものだ 朝鮮の山々に高く翻る日の丸の姿を)
648 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 12:28:03
秀吉は史書が描くようなそんなに悪い出自ではないでしょ。 ただやっぱり育ちが悪すぎるんだと思う。
どっかに秀吉が李藤吉とか書いてあったけど どうせなら朴藤吉にすればよかったのに
650 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 14:50:19
秀吉は純粋な農民じゃなくて足軽百姓だろ 一応、武士属性だな
秀吉は神
652 :
日本@名無史さん :2009/01/12(月) 20:35:39
弟の秀長が二十歳すぎの武士デビューにして華麗に務まってるということは 最初からそれなりの教養を身に付けてたと考えてもいいだろ? つまり秀吉兄弟の生家はドラマで描かれてるようなDQN百姓じゃなくて、 650も書いてるけど、後年の郷士に近いような百姓家だったんじゃね?
653 :
日本@名無史さん :2009/01/12(月) 21:12:33
>>644 完子が摂家の九条家に嫁ぐ前に
織田信長の娘が摂家の二条家に嫁いでいるし
天皇家に次ぐ歴史を誇る藤原摂家としては
新興の織田も豊臣もどっちもよく似たようなものだったのでは
秀吉は摂家の近衛前久の養子となって関白に就任しているが
前久の叔母は足利将軍夫人、前久の妻は若狭武田氏の娘と
完子が嫁ぐ前から公家社会に武家の嫁は入り込んでいたわけで
特に武家から嫁をめとることに強い抵抗を示したという史料もないようですし
654 :
日本@名無史さん :2009/01/12(月) 21:40:35
確かに普通の百姓なら字が書けない読めないだろうから、 たとえ猛烈に勉強しても、普通に書状などを書けたり読めたり できないと思う。(信長に仕えながら、勉強する時間はなかった だろうし。)
655 :
日本@名無史さん :2009/01/12(月) 22:35:01
母も姉や妹も武士社会にすっと適応してるイメージだし。 秀吉だけが寺で学んだわけじゃなくて、 兄弟全員教育受けられような家だった可能性あると思う。
656 :
日本@名無史さん :2009/01/13(火) 00:14:23
信長の時代には広く人材を求めていたんだよ どうしても足軽が不足するんで、身分は問われなかった。
秀吉が足軽だったというのは土屋知貞の「太閤素生記」の 「父は木下弥右衛門と云中々村の人、信長公の親父信秀鉄炮足軽也」 の記述が元になってる。 ただ、弥右衛門が死んだのは天文十二年で、一般的に鉄砲が伝来された とされる同年以前に既に鉄砲足軽などという物があったのか?という事、 「木下」という苗字は妻方の苗字と同じであり、筆者が「木下藤吉郎」という名前から 勘違いしたのでは無いか、という事。 これらの事から「太閤素生記」の記述を全て信用するには少々抵抗がある。
658 :
日本@名無史さん :2009/01/13(火) 13:11:24
秀吉キモ面だがすごい
今更年明けに録画しておいた女太閤記見たけど。 秀吉が情けなさ過ぎるな… ねねが主人公だからだろうけどいくらなんでもあそこまで嫁に依存するとは思えん…。
660 :
日本@名無史さん :2009/01/13(火) 21:20:27
>>655 室町時代の百姓一揆の様子を、実際に参加した百姓が
石に文字を彫りつけて記録していたりするんだよな。
つまり、この時代の百姓は意外に文字がかけたんだよ。
野良仕事放り出して勉強に専念しなければ文字が書けないんじゃなくてさ。
村の物知り爺さんにでも聞けば文字ぐらいかける百姓はいたんだよ。
生活していくための知恵などは箱入りで育てられた武家の姫君などより
農家の主婦などのほうがはるかに持っている。
下剋上は箱入り育ちのぼんぼんや嬢ちゃんを
身分が低く勉強する暇もない輩どもが追い越していくということなんだから
勉強よりも知恵があれば秀吉の家族が周囲から相応の尊敬を受けて生活することは
十分可能だったろ。
>>659 詳しくは覚えてないけど、昔見た西田敏行の「おんな太閤記」はそんな印象は無かったなぁ。
ま、昨今の風潮という事で。
663 :
日本@名無史さん :2009/01/18(日) 07:43:29
ところで、最近秀吉側室→秀次継室となった一の台という女性に興味があるんだが、資料・史料ともに何かお薦めある? 今本屋で『近江 戦国の女たち』という本を取り寄せてもらっているのだが、他にもお市とかいろんな女性のなかの1人らしいので、一の台に何ページさかれてるかも分からないし。 読みやすいかどうか、信用があるかどうかは問わないし、史料・資料ともに教えてください。
664 :
244 :2009/01/28(水) 19:05:31
すみませんが質問です!!! なぜ農民の子だった秀吉が天下をとれたのか・・・・・ いろいろ見てもいまいちピンとこなくて・・・・・ お願いします!!m(・
天下を獲った理由を結果から類推するだけじゃなく、 一から十までまで完全に分かってたら君も天下人。
666 :
日本@名無史さん :2009/02/02(月) 01:26:11
>>663 です。『近江 戦国の女たち』を買って読んだけど、ダメダメだねこれ。
わたくしの夫、秀次殿は〜から始まる本だった…。一人称だし、参考文献・参考史料ともに載ってないし。
しかも一の台については13ページのみ。写真のページを除けば8ページ…。
もう1回質問させてください。どなたか一の台について書かれた本、分かりませんか?
667 :
日本@名無史さん :2009/02/04(水) 22:16:13
刀狩賢い 賢過ぎ
668 :
↑ :2009/02/24(火) 10:53:42
秀吉の子飼いの将って全員教えてくれ
↑それは無理ですが、秀吉の官位を紹介 筑前守→従五位下・左近衛権少将→従四位下・参議→従三位・権大納言→正二位・内大臣→従一位・関白(人臣最高の位)、太政大臣(太政官の長官) 贈正一位(死後) 秀吉が、本姓が藤原の五摂家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)しか任官されない関白になったのは戦国時代でも凄いと思う(戦国だからと言える)
670 :
日本@名無史さん :2009/02/24(火) 22:07:13
京には帝が、大坂には太閤が
671 :
日本@名無史さん :2009/02/24(火) 22:18:59
>>669 秀吉は近衛前久の養子になったから関白になれたんだよ。
秀吉は「藤原」姓を名乗ったことがある。
前久の息女近衛前子は秀吉の養女として後陽成天皇に
入内しているし。
>>671 なるほど
財力や武力を背景に、強引に養子になったような感じがしますね
674 :
日本@名無史さん :2009/02/24(火) 22:46:05
675 :
日本@名無史さん :2009/02/27(金) 20:08:46
↑あまり利口なやり方ではないな
677 :
日本@名無史さん :2009/03/06(金) 00:51:57
保守
678 :
日本@名無史さん :2009/04/17(金) 22:02:54
軍事板の戦車スレで朝鮮の兵器が話題になったのでここで質問します。 朝鮮出兵の際、イスンシン率いる亀甲船&戦車は豊臣軍相手に本当に活躍したんでしょうか? 細目の社会科教師(本当)に自虐史観を植えつけられたものとして気になってしまいます。 age of empire 2 では異常に強く設定されてますが・・・
679 :
日本@名無史さん :2009/04/19(日) 04:09:36
慶長の役に臼杵藩主太田飛騨守一吉の侍医として従軍した僧慶念の陣中日記 『朝鮮日々記』には、興味ぶかい記述がみられる。彼は、一五九七年六月釜 山に上陸、翌九八年二月に帰国するまでの見たまま感じたままのことを、宗 教家の良心に基づいて詳細にかいている。
680 :
日本@名無史さん :2009/04/19(日) 04:10:47
それによれば、日本に連行された朝鮮人には、兵隊に捕えられ たものと、奴隷商人によって売られてきたものとがある。彼らは 日本国内で生じた労働力の不足を補充し、奴僕としてこきつかわ れた。奴隷商人の手で捕えられた朝鮮人の多くは、ポルトガル商 人の手で南洋各地に売りとばされた。慶念は一五九七年十一月十 九日付の日記にはつぎのように述べている。
681 :
日本@名無史さん :2009/04/19(日) 04:11:44
「日本よりも万(よろづ)のあき人(うど)もきたりしなかに、 人あきないせる物(者)来り、奥陣(おくぢん)よりあとつき 歩き、男女老若(らうにやく)買い取つて、縄(なは)にて首 をくくりあつめ、さきへおい立て歩み候はねば、あとより杖に て、追立て、打はしらかすの有さまは、さながらあほうらせつ の罪人を責(せめ)けるも、かくやと思ひ侍(はべ)る。…… ……かくの如くに買あつめ、たとへば猿(さる)をくくりてあ るくごとくに、牛馬をひかせ荷物もたせなどして、せむるてい は、見る目もいたはしくて有(あり)つる事也」 また、他の個所ではつぎのように述べている。
682 :
日本@名無史さん :2009/04/19(日) 04:12:31
「皆々やきたて、人をうちきり、くさり竹の筒(つつ)にてくびをしバり、 おやは子をなげき、子はおやをたづね、あはれなる躰(てい)、はじめてミ 侍(はべ)る也」(八月七日) 「高麗人(かうらいじん)〔の〕子供をバからめとり、おやをばうちきり二 (ふた)たびとみせず、たがひのなげきハさながら獄卒(ごくそつ)のせめ なりと也。あはれなり、してふのわかれ、是かとよ、おや子のなげき見るに つけても」 悲惨といおうか、凄絶といおうか、まさにこの世の地獄にほかならなかった。 朝鮮の民衆をこのような不幸のどん底におとしいれたのは、いうまでもなく、日 本の侵略戦争のためであった。現在にいたるまで朝鮮人が壬辰倭乱に怨念をいだ くのも、無理ないであろう。
683 :
日本@名無史さん :2009/04/19(日) 12:20:11
ねむい・・・
684 :
日本@名無史さん :2009/04/19(日) 13:55:27
豊臣の氏姓論争に俺が決着付けます。 秀吉は後陽成帝から「豊臣」を賜姓された時点で天皇の権威でリセットされていますので 彼個人はそれ以後「豊臣朝臣秀吉」だけ、初代なので苗字をつける必要も無し。 つまり「羽柴」は過去のものであるから、前田利家は「羽柴筑前守」を受け継いだだけ。 もし、大阪夏の陣が回避されて秀頼が大阪城を退去して京都で公家として暮らすなり 幕藩体制に組み込まれるなりしていればその子孫は居住地名に因んだ苗字を名乗っただろう。 しつこいようだが「羽柴」は豊臣嫡流には寧ろ邪魔なだけ。
今夜の世界ふしぎ発見
686 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 21:01:55
豊臣朝臣羽柴摂津守秀頼
687 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 00:05:54
>>684 賛同するわ
このスレの住人てバカばっかりだな。
公家の称号と、武士の名字とをゴッチャにしている。
公卿になり豊臣姓を賜った後の秀吉が羽柴なんてゲスな名字使うわけないじゃない。
京師の居宅名を称号にするのが当たり前田のクラッカー。
高級貴族になると出自の名字なんて、どうでもいいんだよ。
羽柴秀次とか羽柴秀頼とか
笑いすぎて腹いたくなるから止めてくれwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
羽柴名字を家臣に称させてるから本人も羽柴なんてwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
○○(小路、大路)殿か、菊亭のように聚楽亭か、西園寺のように○○寺だろ先例を踏襲したら
688 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 00:20:38
地名を名字にしたら 大坂秀頼かいな
689 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 21:29:23
大坂は広大な地名 九条やら三条やらに匹敵する地名といえば石山だろう 大坂城が立つ前には浄土宗石山本願寺があった よって石山秀頼 でも名字って分家が多く出過ぎてわけわかんない時につけるんだよね 公家だって藤原不比等がおれの子孫以外名乗るなといった時には 藤原姓だけで問題なかったんだし 分家が出ずじまいだった豊臣家では名字を使う必要なし 大勢分家したら名字を使う
690 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 21:59:40
西成秀頼
691 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 18:45:11
692 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 19:23:47
羽柴秀吉
693 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 20:12:38
>>689 聚楽第が聚楽亭と呼ばれたことはないんだが。
変なところで菊亭の真似をされても。
菊亭の名字は今出川だろう。
邸が今出川にあったから。
江戸時代にも今出川家を名乗っていたよ。
菊亭は菊がたくさん植えられていたことによるあだ名。
明治時代に自由に苗字を決められるようになって
室町時代のあだ名だった菊亭に改姓したが。
694 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 20:50:59
聚楽亭秀吉って、どこの上方落語の噺家だよw
695 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 10:28:22
豊臣姓になったあとも羽柴の家名のままだったと思う。 自ら名乗ったり使う機会がなかっただけで、徳川将軍家の「徳川」みたいなものだろう。
696 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 12:54:39
おいおいw 徳川は源姓だろw
どこに書いてある?
698 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 14:56:20
上州新田の乞食坊主 得川親氏が三河松平郷に流れて来て 半農の地侍・松平某に取り入り やがて家を乗っ取った これが松平家の初代 宿無しの放浪僧なので 源氏もラッキョウもない
699 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 15:17:03
>>689 浄土宗石山本願寺は間違い
浄土真宗石山本願寺が正解
700 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 16:40:09
阿弥陀如来の御加徳は 身を粉にしても果たすべし これが浄土宗や
701 :
日本@名無史さん :2009/06/04(木) 18:41:55
金正雲も豊臣秀頼も三男
702 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 13:18:26
源平以外で賜姓の例は、豊臣朝臣以前だとどこまでさかのぼるの?
703 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 20:10:13
金正男ついに追放か?
704 :
姫 :2009/06/05(金) 20:16:28
test
test
706 :
日本@名無史さん :2009/06/06(土) 12:23:44
とりあえず県犬養三千代が橘氏貰ってるから藤原まで遡るってことはないんでね>賜姓 鎌倉時代や室町時代はあんまり例がないみたいだけど
708 :
日本@名無史さん :2009/06/06(土) 13:32:06
真田とかの滋野朝臣は平安時代の賜姓じゎなかった?
709 :
日本@名無史さん :2009/06/06(土) 17:54:16
>>706 奈良時代には橘姓もそうだし、恵美押勝がもらった恵美姓もそう。
桓武天皇が皇太子になった際にその母親の新笠が父親とともに高野姓をもらったり
けっこう賜姓の例はある(ちなみに新笠は高野新笠となる前は和新笠といった)
天皇の子や孫が賜姓するのも現在では源平ばかりが有名だけど、
平安時代初期にはいろんな賜姓があった。
桓武天皇の皇子に良岑姓や長岡姓を受ける者がいたり、
平城天皇の孫に在原姓、淳和天皇の皇女に統姓を受ける者がいた、などなど。
710 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 13:13:30
新姓下賜と女帝即位、突然の復活はどっちがすごいか
711 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 17:33:39
秀吉を暗殺した朝鮮人 その名は 沈惟敬
712 :
日本@名無史さん :2009/06/18(木) 15:03:20
悠仁王が性同一性障害になれば 女帝の誕生 皇配のほかに側室もてば皇太子も作れる
713 :
日本@名無史さん :2009/06/18(木) 15:06:45
ヒゲ殿下に新姓与えて 民間人にしちゃえ 宮家が減って経費削減になる
714 :
日本@名無史さん :2009/07/04(土) 13:04:33
アル中に賜姓できるか
715 :
日本@名無史さん :2009/07/04(土) 13:21:25
716 :
日本@名無史さん :2009/07/22(水) 02:48:15
朝鮮出兵で討伐に成功していたら、 今の世の中はより素晴らしい世界になっていたんじゃないか?とマジで思う。 秀吉がもう少し頑張って運が良ければ『神』になれたのに……。おしい!
今でも神様ですが
718 :
日本@名無史さん :2009/09/13(日) 06:20:15
豊臣ってだれがどうやって考えたの? 中臣を念頭に置いてたの?
719 :
日本@名無史さん :2009/11/14(土) 18:32:35
しらん
720 :
日本@名無史さん :2009/11/21(土) 00:40:43
豊臣秀吉は今で言うところの 「政策通」であった。
721 :
日本@名無史さん :2009/12/03(木) 14:07:32
>>671 厳密には養子でなく猶子ね。
(養子と異なり相続権がないらしい)
刀狩りで一揆を防止 するのに対する一揆は起こらなかったのか!
織田政権下で座や関所のアガリを巻き上げていた比叡山や一向宗のジェノサイドがあったからな。 一揆の元締めやそれに加わる人も武器を採って徹底抗戦したらどうなるかは分かっていたから、 本領安堵とか既得権の一部承認で手を打った。
なるほど、いわゆる単純な土一揆なだけでは無いと。 農民は鍬、鋤、鎌などだけど、一向宗は 長刀、槍、鉄砲、 などもありますが、過去信長に徹底的に打ちのめされた 延暦寺、本願寺、伊勢の一向、紀伊の雑賀など、秀吉も それに従軍していてノウハウを知ってるからね
江戸中期以降の一揆はともかく、室町〜江戸初期は農民・職人・運送屋・侍の身分・役割はゴチャゴチャ混ざってるからね。
726 :
日本@名無史さん :2009/12/14(月) 22:54:51
「秀吉の接待」を読了。 なかなかに味わい深かった。 毛利輝元の初上洛の資料として端的、生き生きと描かれている。 しかし、太刀が一体何腰必要だったのか、金が幾らあれば足りるのか想像もできん。とんでもない儀礼の社会だったのだと驚くばかり。
727 :
日本@名無史さん :2009/12/15(火) 00:58:27
729 :
日本@名無史さん :2010/02/21(日) 12:53:50
極悪人秀吉4
保守
731 :
日本@名無史さん :2010/03/23(火) 07:57:36
革新
<日本軍による沖縄住民虐殺> 沖縄戦で起きた自国軍隊による自国民殺害。沖縄守備軍の第32軍は1944(昭和19)年3月に創設された。 陣地や飛行場の設営には多くの住民が協力、一部の地域では軍民雑居ともなった。米軍が上陸すると守備軍は、これらはすべてマイナス要因と考える。 沖縄住民が話す言葉も理解できず、方言を使う者はスパイとみなす通達もまじめに出された。軍隊の本質と沖縄県民への無理解が数多くの虐殺事件にあらわれている。 虐殺の態様は、(1)スパイ視・容疑(2)食糧提供をしぶった(3)壕の提供をしぶった(4)壕内で乳幼児が泣き叫んだ(5)米軍の投降ビラを所持(6)米軍に協力し投降を呼び掛けた、などさまざま。 久米島では6月26日から8月18日までの間、海軍守備隊によって一家全員殺害を含み20人が虐殺される事件があった。慶良間諸島や沖縄本島各地で起きた住民の集団自決も軍隊による住民虐殺と、とらえられる。 『最新版 沖縄コンパクト事典』(琉球新報社発行 2,415円)