529 :
日本@名無史さん:2009/09/10(木) 00:10:53
唐の国書でも、「日本国王・主明楽美御徳(すめらみこと)に勅す」とあり、
天皇号の和訓をあたかも日本国王(天皇)の人名であるかのように書いてるから、
隋の史書に倭王の姓が阿毎、字が多利思比孤(アメ・タリシヒコ)とあるのが、
ヤマト大王の美称の天足彦(天帯日子)だったとしても全然おかしくないな。
というか人名と美称の区別があったかどうかも不明。
もちろん幼名はあったとおもうが。
531 :
日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:02:09
姓がない国はあっても、名前がない国はない。
ただ、天皇などの名は絶対表には出ないだろうし、歴史に残るはずもない。
532 :
日本@名無史さん:2009/09/13(日) 01:21:57
ま、飛鳥人はほとんど渡来人だけどな
この地に移住してきた9割が渡来人とか書いてあるらしいから
百済人や秦氏などだろう
渡来人=楽浪系漢人
秦氏=漢人
百済人=倭人、漢人多数
朝鮮半島が倭人と漢人の国だったことが伺えるね
倭国領の任那もあるしね
●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。
●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。
●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
チョン捏造説満開だな
>>525 なーにがまた随書か、だよ。また大山や遠山が言ってることの受け売りかい。
っていわれてむきになってんじゃねえよばーか
>>525 100か0かで資料を判断しない方が良いぞ。
魏志倭人伝の邪馬台国の位置を示す座標をそのまま行くと海のど真ん中だったりするが、だからと言って「魏に使いを送った女王が治める国家があったらしいこと」はもはや定説になりつつあるし。
司馬遷の史記も、ずいぶんおかしな記述はあるが、だからと言って項羽と劉邦の存在まで全否定する勇者はおらんだろ?
つまりオマエは歴史を語るに値しない大バカだ。もうこのスレに来んな。
539 :
日本@名無史さん:2009/09/16(水) 00:13:35
>537
へー、大山や遠山嫌いって、俺以外にも結構いるんだな。
540 :
日本@名無史さん:2009/09/16(水) 03:05:45
蘇我氏は渡来人
>>540 あの時期の豪族だと、渡来人では秦氏なんかもいるし。
蘇我が渡来人説は、まあ、あってもおかしくはないな。ソースとかある?
>>539 このスレでは当然でしょ。
あと、チャート式門脇、コンビニ作家関、小林惠子ちゃん
の受け売りもだめよ
エフタルとかだっけw
544 :
日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:21:39
>540 :蘇我氏は渡来人
って説が大きくなりつつあるが、そこに書紀のトラップがあるような気がしている。
蘇我は、おそらく書紀に他の名前ででている豪族だった。
ところがそのことを正史に書くと非常に都合が悪いから、出自不明ってことにしてるんじゃないかな。
初代の稲目は、突然当時名族だった葛城氏の娘を妻にしているんだから。
ま、単なる思いつきだけどね。分からなければ何でも渡来人っていうのもなあ。
そもそも人間しかも高貴な貴族の名前に
エミシとかウマコとかイルカなんてつけるのか?
本当は当時は別の名前で呼ばれていたんじゃないの?
546 :
日本@名無史さん:2009/10/14(水) 01:02:08
547 :
日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:48:58
大化の改新で殺されたのは曽我氏ね
548 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 01:23:09
>>544 ???
記紀には蘇我氏は武内スクネ〜葛城氏からの詳細な出自が載っている。
戦後の学者は、「記紀は皇国史観による捏造だ。」という考えで王朝交代とか
のトンデモを言いまくった。
その流れで蘇我氏も記紀の伝承は記紀を書いたときにでっち上げた捏造だ
として、本当は朝鮮系だと言い出す学者が出てきた。
今では、朝鮮系なんて説は学説史上の汚点の一つでしかない。
549 :
日本@名無史さん:2009/10/17(土) 09:41:21
山東半島にあった呉が滅んでその遺民が朝鮮半島に渡ってくて打ち立てた国が馬韓だといわれています。
この国の司祭王が蘇伐公(そぶるこう)と呼ばれていた。蘇伐とは聖林のことだという。
つまり、蘇我氏は朝鮮半島からの渡来人というより、実は呉の人だったということが分かる。
摂関、藤原本家の女系先祖 蘇我本家
551 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:33:22
物部氏の先祖は、どんな人達だろうか?
552 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 15:11:31
このスレはシーシェパードとグリーンピースに監視されています。
553 :
日本@名無史さん:2009/11/26(木) 18:16:18
藤原氏の正体・関祐二・新潮文庫・552円
蘇我氏の正体・関祐二・新潮文庫・476円
554 :
日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:16:47
天皇記・国記ってホントにあったのかね…
>>551 大王家と並ぶ豪族の首長だったらしいという話を本で読んだ。
それが大王家の権威権力が確率されてからは、他の豪族と同様に組下として収まっていったとか。
それは5世紀中ではかなったか?という推論があったけど詳しくは覚えてないなぁ。
>>553 同じ作者さんの本でPHP文庫より発行されてる『おとぎばなしに隠された古代史の謎』ってのを読んでるが、日本書記は藤原氏が作ったでたらめって書いてあった。
蘇我氏はヤマト朝廷の成立に関わった氏族だったが藤原氏が乙巳の変で滅ぼし歴史を曲げてしまったと書いてあった。
読み進むのが楽しみ!
その辺は石渡信一郎の「蘇我馬子は天皇だった」を読むといいよ。
物部は天皇家より血統証明正確だろ
鉄を支配した
日本のヒッタイト的一族・・・か?
>>559 >物部は天皇家より血統証明正確だろ
これはどういう事?
元々治めていた地域やその血族の関係がハッキリしているっていう意味?
561 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 22:35:57
当時のことは、あまりよく分からないのだろう。
厩戸皇子ですら不在説がある。
血統のことを言うのは難しいのでは?
562 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 07:26:56
皇后は物部氏から出ていたのが、ある時期から
蘇我氏からになり、後には藤原氏からになる。
天皇家、物部氏、蘇我氏の出自は同じなんじゃなかろうか
563 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 22:41:20
葛城氏や和邇氏はスルーか?
564 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 02:13:11
おうよ
皇后を出すといえば、時代は遡るけど息長氏なんか有名ですよね。
オキナガのナガが蛇の意味なら、皇后の件も含めて、物部氏とはなにか関係あるんでしょうかね。
566 :
日本@名無史さん:2010/03/24(水) 00:05:54
神功皇后か
567 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 14:11:46
仏教が伝来したとき中央の物部氏や中臣氏は蘇我氏と対立し
滅ぼされた。 しかし祭祀を司る者がいなければ年中行事もままならず
地方の中臣氏を呼び寄せたのです
やって来たのは鹿島にいた中臣御食子で息子がリベンジに燃える鎌足だった。
568 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:09:27
>>567 物部と蘇我の対立の原因は仏教じゃないという説もあるよ。あれはこじつけ。
守屋一族以外の物部氏は後にも出てくる
569 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:21:25
>>565 息長=気長
長寿の意味ではないかという学者さんがいらっしゃいました。
その説を読んだとき、なんとなく息長の娘が大王の長寿を祈って
差し出されたのではないか、と思いました。
570 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 22:08:37
>>565 息長氏の由来は息長氏が本拠地を置く近江国を流れていた
息長川に由来するらしいよ。
この名の川が古代に存在していたことは万葉集からも明らか。
「にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも」
>>569 息長氏の名は、製鉄集団がふいごを長く吹く動作からきていると言う説もある。
製鉄技術による武器製造と富を背景に、中央政界と結びついたらしい。
長寿を祈って差し出すって、イワナガさんみたい。
イワナガじゃなくて息長姫だったかもねー。
573 :
日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:58:30
保守
574 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 06:36:12
575 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 21:01:57
蘇我氏はヤマト王権きっての大豪族であった
葛城氏の支族だという説があったのでは?
蘇我馬子が葛城氏の土地を自分の先祖古来の土地だからと言って
推古天皇からもらう話が日本書記にあったはず。
蘇我氏が歴代大王に娘を差し出し外孫を大王にして栄華を誇ったのも
葛城氏と同じだ。
渡来系氏族が娘を大王に差し出してもその子が大王に即位できたのは
藤原氏に突然担がれた桓武天皇まで待たねばならず
蘇我氏が単なる渡来系氏族というだけでは
あれほど大王の外戚として好き勝手はできなかったはず。
っていうか蘇我氏自身が葛城氏の系統って自称してなかったっけ?
577 :
日本@名無史さん:2010/09/07(火) 07:59:16
物部に比べると新興勢力?蘇我氏
物部って天皇家より古いらしいじゃん