894 :
太国:2006/10/31(火) 18:42:43
大和政権の始祖神武が、ニニギの血筋だったと大和政権が主張しているので
古田としては、記紀の脚色は別として、このストーリーの骨子に異議は無く、
そういうことだっただろう、と判断している。
中国側は倭国と日本国の言い分のうち、日本国側を「正」とした政治決着を
のちにつけたので、大和政権はプレ日本国の始祖神武を、九州王権の始祖
ニニギの末裔と位置づけ、九州王朝との連続性を強調せざるを得なかった。
実態は別な国であったろうし、大和政権は長いこと九州王朝傘下にあったろう。
ちょっとスレ違いだが、関裕二あたりが言ってるのを読むと
結構シンプルな「分家筋」ストーリーを組むこともできるみたい。
古田説が回りくどいからといって、一気に無関係にするのはどうかと。
>>895 >実態は別な国であったろうし
しかし、古田の指摘する「神武の強襲上陸作戦は当時の(消滅してしまった)古地理と整合する」という事実は、
神武がどこの出身にせよそういう「事実」があった可能性が高いことを示す。
とすれば九州の暴力兄弟が自分たちの出自を詐称しながら西へ放浪の旅を続け、
自分たちをもてなそうとしない在大和の権力者をシメようとして返り討ちに遭いながらもついに「天下」を盗った、という
俺の妄想もそれほど不自然ではない?
神武が大和政権の始祖というのが、大げさな話なんだろうと思う。
東京都知事の始祖は太田道灌であり、東京都は摂津源氏の支配下にある、
などといったらそれは嘘になる。
古田さんて天孫降臨は実際に起こった事件とか、
神武天皇、欠史八代も実在したって言ってるし、
論証もおもしろいし、自分は素直に受け入れていいと思うけどな。
900
901 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:32:07
二倍年歴説は受け入れがたいね
文献上それを裏付けるものもないし、かなり恣意的な感じがする
そこまでして長寿であることの説明にしなくても
単にその頃は半神話状態だったから、という方がすっきりする
902 :
太国:2006/11/05(日) 16:18:51
優柔不断の灰色カラーだな?w 中途半端こそ受け入れ難いぞ。
903 :
太国:2006/11/05(日) 16:25:03
>>901 文献上だと? 当然あるではないか。大祓祝詞だよ。
6月末で区切り的に大祓いをするんだから、充分2倍暦は肯定できる。
904 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 18:27:01
>>903 >充分二倍暦は肯定できる
二倍暦が施行された時期と廃止された時期は何時なんだ?
肯定出来るのなら
その時期を設定出来るはず
905 :
太国:2006/11/05(日) 18:39:45
>>904 肯定できれば、施行と廃止の時期がわかるとは必ずしも言えるものでもない。
だいたい神武以前となれば殆どの研究家がお手上げのはずだ。だからそれと
これとは別だ。それはわかりゃぁ、なおいいがね?w
ただ廃止は神武より後代になるのは論の上から当然。検討しやすいことは確かだ。
いろいろやってみたが、余の場合は宣化までで廃止だ。欽明からは等倍暦一本
になる。仏伝前後あたりでそうなった模様?
「2倍年暦の真実」の過去スレに書きこんであるから、取り出して読めるなら
読んで下さい。年表も欽明即位前ころから神武まで逆上り式に書いてある。
あとはここの紀年法のスレと同過去スレに補充的に対話しながら書きこみある。
906 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 18:46:56
二倍年歴なんて奇妙な歳の数え方はどう考えても不自然
外国にもあるのかと検索してみたら、古田説支持者が
古代ギリシャにもあった、と主張してるだけ
907 :
太国:2006/11/05(日) 18:53:23
古代マヤ文明なんぞは多数の種類の暦法を持っている。ツォルキン暦なんかは
260日でやっているし長期暦とか略暦などもまぁさまざまだ。
君は古代史を近代史の気分を捨てきれずに考えるから、そういう不自然だとかで
君自体がおかしなことを言い出すのだ。
>906
うそつくな、南洋の島では月の満ち欠けを歳時にしていると古田が指摘している。
909 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:20:58
昔は年を二回数えたってのはいろんな古記録にあるよ
910 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:25:32
>>909 >古記録
その記録は八世紀以前のものか?
911 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:30:00
二倍暦など所詮、後世の人が苦肉の末に、編み出した浅知恵
途中暦の変更があれば
必ずなにがしかの記録に残る
全てご都合的な数合わせ
912 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:34:21
>>907 古代マヤ文明などの例えを出さないと説明がつかないほどの代物か?
913 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:35:00
二倍年歴が本当にあったなら、日本書紀にもそのことを注記するか
普通の歳の数え方に換算するんじゃね
国の正史なんだから年齢の数え方を混在させたままにするかね
古記録にあるなら、そういう習慣が忘れ去られて年齢の数値のみ伝わっている
というわけでもないし
914 :
太国:2006/11/05(日) 19:39:43
記録にないから駄目だ、無いというのも浅知恵。
記紀に銅鐸のことは記述ないし、女王国の件も0に近い。欠史八代も
即位立太子崩御等ほかは殆ど記述がない。さらに焚書したり盗難も
あったかも知れない。ならば記録が無になってしまう。
それにマヤ文明は多数の種類の暦法をやっている。人類発生から現在まで
全部が等倍暦などというのはまったくのデタラメ。
915 :
太国:2006/11/05(日) 19:41:52
>>912 紀の神武のところか? 179万余年はどうなんだ?
マヤ文明ならば数カラブトゥンで軽く軽量可能だ。
記紀の天皇で、寿命だったか即位だったかが、ちょうど2倍になってるのがあったはず>913
まさに2倍暦の存在が露呈している。
917 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:47:26
>>915 >1792470余歳
これは何と読む?
数字じゃないだろう。
918 :
太国:2006/11/05(日) 19:49:17
マヤ文明だってランダ神父に焚書され、奴から逃れ、救われたのはわずか4冊の
コデックスだそうだ。
919 :
太国:2006/11/05(日) 19:50:45
>>917 それは数字だろうが。何を考えてるんだ?
920 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:52:56
>>914 一概にそうとも言えない
今は誰も貴方の意見を否定していないようだけど
女王国の記載は多数ある
新しいところでは 持統がそうだな
921 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:55:05
922 :
太国:2006/11/05(日) 20:01:53
>>916 そのままだと
神沼河耳尊 立太子 前619年1月3日
磯城津彦尊 即位 前548年7月3日
月日だけ見れば半年の差だ。つまり2倍暦をやってたんではないかとの
考えが充分ありうる数字だ。
それに神武〜開化の紀の記述だと各月が月前半の日数しかなくその後半
はまるでないのだ。ただし孝安即位のみ月後半の記述でこれのみ例外的
だが、別本だと1/7になっており、やはり月前半の記述に入れられる。
これは当時1ヶ月が半月(または2週間)しかなかったことを裏づける。
923 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:02:25
>>918 マヤ文明の説明は判ったから、そのマヤ文明と日本の二倍暦の関係を早く説明してくれ
雑誌ム‐ か たま出版本のネタかな?
924 :
太国:2006/11/05(日) 20:05:00
>>921 からかうのもいい加減にしろ。いまどき数字の読めない奴なんで
幼児精神異常者とか以外は誰でも読めるだろうが。
925 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:07:21
いくら古代人でも半月を一つの単位にするなんてあり得ないな。
古代人にとって月のみちかけは何より重要だったはずだから。
926 :
太国:2006/11/05(日) 20:07:34
>>923 お前も日本と2倍暦が無関係なのをもっと説明しろい。
927 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:10:05
>>924 そおやってごまかしてしまうの?
全てうやむやに
二倍暦もそうだし、マヤとの関係もそう
928 :
太国:2006/11/05(日) 20:11:19
>>925 月ばかりとは言えんだろうが?
>>922の件、神武〜開化の記述が
月の15日手前ばかりだというのは、お前の大好きなその月の言い分と一致
しないようだが、どうなんだ?
929 :
太国:2006/11/05(日) 20:12:21
930 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:13:45
>>926 それは可笑しな現象だな?貴方の肯定する二倍暦に疑問を感じたので 質問している
931 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:17:36
じゃあ、妥協点として、当時は二日をもって一日としていたと考えよう
これなら、
>>922の件、二倍歴と、月の満ち欠けのことが両立できるだろ
932 :
太国:2006/11/05(日) 20:17:52
>>930 じゃあお前は
>>908に南洋の島のことで何故詳しく聞かないのだ?
片面のみで可笑しな現象ではないか?w
933 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:21:33
おいおい。
古代史は妥協かよ?
だったら
(記 紀)は手塚治虫の作品ということで、誰か妥協してくれ
934 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:23:22
935 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:28:26
>>932 >>908は、レスの中で「古田」と言っている 白旗あげてる者に銃の乱射はしないだろう。
俺には出来ない
936 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:42:22
うやむやに お茶を濁し
逃げられた
一つの延命行動か?
>>903 それって単に1年を2季に分けていた時期がある以上の証明にはならない。
その1季を1年と数えていたことに対しては別証が必要。
938 :
太国:2006/11/05(日) 21:39:28
以下のように、神武〜開化の記録の日数は紀に記述されてある。
太子 即位 崩御 葬
神武 1/1 3/11 9/12
綏靖 1/3 1/8 5/10 10/11
安寧 1/7 7/3 12/6 8/1
懿徳 1/1 2/4 9/8 10/13
孝昭 2/12 1/9 8/5 8/14
孝安 1/14 1/7 1/9 9/13
孝靈 1/5 1/12 2/8 9/6
孝元 1/1 1/14 9/2 2/6
開化 1/14 11/12 4/9 10/3
媛関係も月前半ばかりである。
豹を眺めると、総てが月前半の数字である。孝安即位は既述のとおり月後半の
唯一の既述だが,別本では上記のとおり月前半である。
939 :
太国:2006/11/05(日) 21:40:38
訂正
× 豹 ○表
940 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 21:51:16
その日時が正しいとする根拠は?
神武のような半神話的人物や、欠史八代の記録が
日時まで正確に伝わっているのはむしろ不自然だが
941 :
太国:2006/11/05(日) 22:10:58
>>940 古事記の歳と日本書紀の歳を比べて異なるのは、前者の記述を後者で
編者連中を集め徹底して検討して修正したもので、その信用性は大きい。
フィギュアでオリンピック当時惨敗した安藤美姫が努力して欠点を直し、
今度は優勝したように、後者のほうが正確性は大だ。勿論そう出来ないの
もあるから、そういうのは〜一書に曰く〜の書き方等注意を払っている。
記録がデタラメならば月の後半の数字が少なくても20〜30%ばかりなけれ
ば寄っていて隠し立てになりにくい。つまりランダム性を多くすれば捏造
とはわかりにくくなるわけで、記述のように故意に月前半側に数字を
集める必要はなく、目を散らすために均等的に月後半も入れて書くはずだ。
それに八代くらい捏造したって大した利害の埋め合わせにもならない。
代数を捏造するならば、少なくとも1桁を超えて50代とか100代とか
に増加させる必要がある。だからこそ逆に信用性があるのである。
942 :
サガミハラハラ:2006/11/06(月) 12:18:25
>>937 古事記天皇崩年干支を挙げます。
この干支は驚くべきことに二倍年暦にて記されております。
943 :
日本@名無史さん:
後世の付け足しなら何でも出来る
古事記に干支は無かった筈