905 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:18:09
朝鮮総督府→日本政府への上納金(特別会計繰入金)と
日本政府→朝鮮総督府への補助金(補充金)
昭和14年度 上納金7349万円 補助金1200万円
昭和15年度 上納金9217万円 補助金1474万円
昭和16年度 上納金1億3267万円 補助金1384万円
日本政府からの朝鮮総督府の借入金残高
明治43年末 2006万円
昭和10年末 769万円
昭和14年末 88万円
日本国際問題調査会『世界年鑑 昭和十七年版』
906 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:23:58
う・そ・つ・き
907 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:43:23
植民地に作られた帝国大学って、内地日本人の入学者が多くを占めて、
現地台湾人や朝鮮人はさほど入学してないんだよな
内地日本人の越境入学のための建学
908 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:51:31
たしかに。
でもそれくらいの差別なんか欧米列強に比べればゴマ並の小ささ。
しかも、後々入学を認め、日本人と台湾人は半々になった。
付け加えると、朝鮮は日本だったから、上で述べた日本人のなかに、朝鮮人はもちろん含まれている。
半々ということは、日本人:朝鮮人:台湾人=1:1:2の割合ってことなので。悪しからず。
909 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:56:58
あたりまえじゃん。恐れ多くも帝國大學に連中が入れるわけないじゃん。
教授(東大・京大の錚々たるメンバー)も学生も内地と何ら変わりない。我が国のエリート養成期間。
910 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:58:19
京城帝大の入学者は内地人7対朝鮮人3
台北帝大の入学者はほとんどが内地人、台湾人は一割以下。
911 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:00:34
そういえば官立大学の教官に外地出身者っていたの?
将官とか議員ばかり言われてるけど。
912 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:08:46
差別も何も本国人の入学者の方が多いというのが植民地の大学としては異常。
植民地の大学というのは植民地人のエリートを養成するところだから。
913 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:35:30
何で帝大に、あんな連中入れなくちゃいけないんだよ。
帝大ってのはエリートなんだよ。
もし、帝大に奴らが入ったら、それは日本の一般住民より
奴らのほうが上になっちまうじゃねえか。
そんなことが許されてたまるか。
915 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 08:20:25
>>908 以下の数字は何かわかりますか。そうです、大学生の数です。
年 インド 日本 フィリピン(単位:千人)
1875 83 85 -
1885 11 12 -
1895 19 16 -
1905 25 42 -
1915 55 57 -
1925 88 134 6
1930 92 182 18
1936 117 188 21
1939 145 216 40
1944 191 386 -
年 朝鮮 ミャンマー ベトナム インドネシア(単位:人)
1895 72
1900 140
1905 188
1910 278
1915 645
1920 331 516 28
1925 321 1,297 395 162
1930 534 1,592 552 618(1931)
1936 984 2,165 612 1,038
1939 556 2,466 778(1940) 1,246
(マクミランの歴史統計集より)
916 :
915:2005/12/03(土) 08:23:27
上の統計と下の統計では単位が違う(1000:1)ことに注意。
インドは人口が日本の5倍以上ですから、たしかに日本よりも大学進学率はかなり低いです。
しかし、朝鮮の人口がだいたい日本の半分とすれば、1936年のインドの大学生数が
朝鮮のそれの100倍以上だというのは、驚異的な数字といえるでしょう(大学進学率で10倍近い差)。
なお、フィリピンの人口は朝鮮を下回っていますから、フィリピンは朝鮮の20倍以上の大学進学率を誇ることになります。
だいたい人口規模が同じ程度のミャンマーやベトナムと比べてみても、
とくに日本の植民地民地での高等教育政策がインドやフランスやのそれと比べて勝っていたとはいえません。
インドネシアのオランダよりましというところかな。
ただ京城帝国大学の学生の半数以上は日本人ですが、インドネシア在住のオランダ人は本国の大学に進学したでしょうから、
現地の大学の学生数に占めるオランダ人の割合は京城帝国大学のそれよりはかなり低かったでしょうから、
それもあやしくなるかもしれません。
917 :
915:2005/12/03(土) 08:26:15
>>908 参考:1936年の人口概数
インド:3億人
アメリカ:1億3000万人
日本:7000万人
インドネシア:6600万人
イギリス:4000万人
フランス:4000万人
朝鮮:2200万人
ミャンマー:1600万人
フィリピン:1600万人
1936年の人口1000万人あたりの大学生数(千人)
アメリカ:93
日本:29
フランス:18
イギリス:15.6
フィリピン:13
インド:3.9
ミャンマー:1.35
朝鮮:0.45
インドネシア:0.16
ベトナム:N/A
アメリカとフィリピンの単位人口当たり大学生数格差:約7倍
イギリスとインドの単位人口当たり大学生数格差:約4倍
イギリスとミャンマーの単位人口当たり大学生数格差:約11倍
日本と朝鮮との単位人口当たり大学生数格差:約64倍
このように、朝鮮の大学進学率は欧米も含めて植民地中で最低です。
もうちょっと欧米の植民地統治を勉強しましょう。
918 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 09:26:04
京城帝大の入学者は内地人7対朝鮮人3
台北帝大の入学者はほとんどが内地人、台湾人は一割以下。
本国人の入学者の方が多いというのが植民地の大学としては異常。
植民地の大学というのは植民地人のエリートを養成するところだから。
>915
こういう資料見るといつも思うんだけどさ。
その時期時点の進学者数やらなにやら見ても大学進学についての社会の認知度や可能性考えないといけないわけだから、
そりゃ後の方で植民地になった方が数が少ないのは当たり前だと思うけどどうなんだろ?
どう考えても早く植民地化して、教育を本国方式にしていった国が多いと思うんだが?
920 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 09:46:39
フランスやイギリスて、日本より大学進学率低かったのか?確かか?この統計。
921 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 09:56:15
>>920 欧米の大学生の数。
年 イギリス フランス アメリカ(単位:千人)
1870 52
1880 116
1890 20 157
1905 36 264
1915 13 404
1925 56.3 58.5 941(1926)
1930 62.3 78.7 1,101
1936 62.5 72.1 1,208
1939 49.8 55.5 1,494(1940)
1944 49.8 97.0 1,155
(マクミランの歴史統計集より)
922 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:00:43
>>919 そう、日本の朝鮮統治が始まったのは20世紀に入ってからなんだから、一番遅れてて当たり前。
それなのに日本は欧米よりも進んでた、欧米植民地では大学進学で植民地人が差別されてた、
なんて
>>908が馬鹿なこと言うから、それに対する反論としてアップしただけ。
それ以上の意味はないよ。
923 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:02:11
>>915 そう威張りなさんな。
朝鮮籍日本人が日本の私立大学に多数進学していた。オリンピックのマラソンで
優勝した孫などだ。早稲田、明治も多くの朝鮮籍学生がいた。
朝鮮の大学生の数は半島のものだろう。当時、官立大学は京城帝大だけだった。
仮に京城帝大に朝鮮人学生が400人もいたとすれば優遇されていた事になる。
尚、1905年日韓併合時の朝鮮の文盲率は90%台で1945年には30%台に急減した。
出所の1936年に比べ人口増加、識字率のアップ、経済力のアップ等を考慮すれば
1945年に朝鮮人大学生がもっと増加する事は容易に推測される。
924 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:11:27
進学率は、当人の進学意欲によるのでは?
欧米植民地で進学意欲が高かったのは、欧米支配を覆そうとしたり抑圧に対す
る反発が強かったからではないだろうか。
925 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:11:29
>>923 朝鮮は1939年当時、552人しか大学生がいなかった。
それに対して例えばインドは1944年当時、191,000人の大学生がいた。
>>916にも書いたが、とても比較にならない。
926 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:15:52
ふーん、それで英軍の将官になれたのはせいぜい准将が一人か。
下院議員も一人か。
朝鮮からは日本陸軍の中将と国会議員が一人づつ。
インドと朝鮮の人口比、本国との人口比から言っても比較にならんな。
それに日本の陸軍の中将は陸相、参謀総長、陸軍次官級。
「准将」は英語での名前のとおりせいぜい旅団長ができるくらい。
927 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:19:40
ある頃まではインドの大学の教授はイギリス人でないとなかなかなれなかったようです。
しかし、その後多数の優秀なインド人学者が輩出しています。アジアの人間で
最初にノーベル物理学賞を受賞したのはインド人です。イギリスが「愚民化政策」をとっていたら、
「日本無罪論」で有名なパル判事も東京裁判の判事になることはできなかったでしょう。
パルは1911年にカルカッタ大学を卒業し、1923年にカルカッタ大学の法学部教授となり、
1944年にはカルカッタ大学の総長に就任しています。
京城帝国大学が設立される少し前にミャンマーでラングーン大学が作られます。
この前身は1878年にカルカッタ大学の予科としてイギリス人がつくったジャドソン・カレッジなんですが、
ジャドソン・カレッジの出身者に、皇国日本の支援のもとに独立ビルマの国家元首となったバモーがいます。
バモーはジャドソン・カレッジ卒業後、カルカッタ、ケンブリッジ、ボルドー各大学に学び、
1924年イギリス高等法院の弁護士資格を取得。ビルマに議会が開設されると、
1933年貧民党を結成して政界に進出し、1934年ビルマ政府の教育相、37年財務相を歴任しました。
イギリス人は、植民地政府にビルマ人の大臣を任用したばかりか、ビルマ議会をつくらせ、
さらにはビルマ人だけの内閣の組織すら許したのです。つまりかなりの範囲にわたって
ビルマ人による自治を認めたのでした。
コモンウェルスになったフィリピンには議会がつくられ、フィリピン人の大統領もいました。
同じ頃のミャンマーにもビルマ議会があり、議院内閣制に立つビルマ人首相がいました。
しかし、朝鮮には住民の選挙で選ばれる朝鮮議会もありませんし、朝鮮人の政務総監もいませんでした。
928 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:24:38
「欧米もインフラ投資していた」から導き出される答えは
「欧米の植民地支配も日本と同様に善政だった」になるのが普通だと思うのだが。
日本の植民地支配が「欧米と同様に悪政」だった、と主張したいなら、
まず「欧米の植民地支配がどう悪かったか」を出すべきだろ。
で、その「悪かった理由」が日本にもあったかどうかを議論すべき。
929 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:31:51
イギリスは国内産業保護のためにインドの職人集めて手切り落とすような
マネしてたけど。
それでも善政といえるかね?
930 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 10:59:41
>>925 そう、気色ばらないことだ。
1939年の人口
インド--3億人に対し学生数は145千人
朝鮮----2200万人に対し学生数は556人
インドと朝鮮の学生数が人口比で同じになる方法。
朝鮮とインド人口比から朝鮮人学生数が10585人いれば同じ比率になる。
朝鮮半島に556人いるので残りの1万人が問題になる。この一万人が日本に
留学していたと考えればつじつまが合う。1学年2500人だ。
1945年当時在日朝鮮人は約200万人いた。200分の1が学生だったと
しても不思議ではない。むしろ少ない位だ。
変なコジツケは止めるべきだ。
931 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:01:19
>>929 また「イギリスはダッカの毛織物職人の手を切った!」ですか。
イギリスの悪政っていうとそれしか出てこないんですけど。
932 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:05:04
自分がされてみろや。
933 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:08:15
>朝鮮半島に556人いるので残りの1万人が問題になる。この一万人が日本に
>留学していたと考えればつじつまが合う。1学年2500人だ。
>1945年当時在日朝鮮人は約200万人いた。200分の1が学生だったと
>しても不思議ではない。むしろ少ない位だ。
分かった分かった。
想像や思い込みはいいから朝鮮人が一万人も日本の大学に留学していたというソースをだせよ。
ソース主義って言葉を知ってるか?
934 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:12:01
>>932 インドの一都市であるダッカの、しかもそこの毛織物職人のみに限ってのイギリス人の蛮行だろ。
しかもイギリス政府の指示じゃなく、現地のイギリス人が勝手にやったこと。
そんなものイギリスの植民地統治全体を否定する理由になるかよ。
935 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:13:54
936 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:21:34
>>934 朝鮮「現地の日本人」は「勝手」にそんなことやってないよな。
それに、イギリス植民統治がそんなにいいならなんであんなに必死の独立
運動がおこるんだ?
そもそもなんでそんなにイギリスの肩もちたがるんだ?移住したら?
937 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:26:02
938 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:27:11
>>936 日本軍の鎮圧記録によれば、朝鮮独立を支持する義兵=朝鮮独立支持派との武力衝突は
1907年(8月以降)323回、1908年1,451回、1909年898回、1910年147回、1911(6月まで)33回であり、
19079月から1909年9月まで毎月50回を超え、そのうち1907年11月から1909年6月までは
毎月100回前後を記録している。1919年3月には朝鮮内部で3・1独立運動も発生しているね。
日本の植民統治がそんなにいいならなんでこんなに必死の独立運動がおこるんだ?
939 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:29:33
>>938 将来的展望の無い暴動が多かったみたいだよ
土地をタダでよこせみたいな、どっちかと言うと略奪が凄いんで日本側が住民保護の為に
鎮圧しているという感じ、李朝末期におきた農民反乱の延長なんじゃない?
940 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:36:17
しかも、日本が戦争負けたときに朝鮮人の政府はできてないし。
ふつう独立の絶好のチャンスで、本来ならすぐに自分の政府つくるだろ。
>922
そうじゃなくてさ、その国が宗主国に植民地にされてからの何年後かで比べた方が
比較するのに適してるんじゃないか?ってことだよ?
資料持ってないから俺はなんともいえないけど、植民地歴のまったく違う国の同じ年の人数を
比較対象として持ち出してだからあーだこーだいえるようなものじゃないと言いたいわけ
942 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 12:14:45
>>941 その時代時代で植民地の統治方法に違いがあるんだよ。
植民地とは宗主国の物で、植民地の人々に対する搾取や人権侵害が常識とされていた時代もあれば、
植民地の人々を教育し、近代化してあげるのが先進国である宗主国の役割と考えられた時代もある。
16世紀や17世紀の欧米の統治を持ち出して、日本の20世紀の朝鮮統治と比べても意味がないわけ。
同じく、「欧米は植民地を数世紀も保有していながら〜」云々と主張することも意味がないわけよ。
>942
そうはいっても植民地としてその地を長い間統治してた実績というか、経験があるわけだから、いくら時代ごとに
植民地統治のやり方が違うとはいえ新規で植民地を得て、まず文盲率を上げるなど基本的なところからやらな
いと行けない日本と同じ立場で比べるのはおかしいと思うけどな?
944 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 13:34:48
>>933 日韓併合翌年の明治末年(45年)の在日朝鮮人の数(法務省入国管理局発表)
約4000余人がいた。
内訳は少数の外交官及びその家族を除き殆どは大学生である。
当時でさえ3000人を超える朝鮮人が日本に留学していた。
18年後に1万人を超える朝鮮人学生の存在は当然に推測できる。
『ソース』なら法務省入国管理局へ問い合わせて見るか各大学に当ってしらべろ。
945 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 13:45:12
>>944 あれえ?ウヨの話では朝鮮からの出稼ぎ労働者が沢山いたんじゃなかったっけ?
出稼ぎ労働者はどこに消えたの?それと自分で言い出したことなんだから自分でソース出しなよ。
946 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 15:27:57
このスレのウヨバカすぎだろ。
常識的に考えて現地大学にも数百人しかいないのに日本に一万人も
朝鮮人留学生がいるはず無いじゃん。
ましてや奨学金制度まであったイギリスへのインド人留学者の数を意図的に
無視して日本優位に持っていこうとするなんて脳みそ腐ってんじゃないの?
947 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 16:57:29
善とか悪とかいう基準自体が下らない。
他国と比べるなら、現地の経済・産業の発展という点では
明らかに日本の政策が優れてるでしょ。
そんなの現代の韓国と、かつて植民地だった諸国を比べれば
一目瞭然でしょ。(まあ、賠償分の上積みもあるだろうけどさ)
ただ、一部に見られる、「日本の統治は道義的に正しい」という
主張は下らない。というか善とか悪とかいう基準を政治に持ち込むなっての。
まあ、「善政」という言葉の解釈次第だけどな。
奴隷のまま・未開人のままでいたい連中に文明を与えることが
はたして「善政」か、という疑問もあるしなw
948 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 17:11:29
>>947 イギリスの恩恵を受けたインドは、世界第八位の工業大国になりましたが何か。
エッカート氏の日本帝国の申し子を読んだほうがいいぞ。
韓国の資本主義の基本は日本統治時代にできたものなんだからな。
戦後の経済成長では日本の莫大な援助があったのだから、日本のおかげといっても
間違いではない。もちろん、戦後の発展では米国や他の資本主義国の貢献もあるから、
100%日本起源というわけではないが。
>>948 インドの人口考えたらわかると思うけど
人口で割ってみ
イギリス(欧米の)植民地統治において、一番醜いのは分断統治で、特定の民族や宗教を
優遇して、独立後に内紛をもたらす酷いものだと聞いたことがあるけどな。
http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/00bengal/uttaran2/uttaran2.html 1835年からイギリスは植民地教育を導入し、ヒンズー教徒を優遇し、イギリス支配層がヒンズー教徒を
教育→ヒンズー教徒がそれ以外のイスラム教徒などを教育→イスラム教徒がそれより下層民を……と
いうように上から下への教育を行う、という「下方濾過システム」を導入した。すべての人々に費用をかけて
平等な教育を施すのではなく、一部の人々のみを親英エリートに仕立て上げて植民地支配を担わせ、
残りの人々を事実上植民地の公教育体制から排除して「愚民」のままにとどめておくこのシステムは、
結局、独立後も旧英領植民地諸国に垂直的な社会関係を遺し、大多数の人々の識字率を今でも低いままにとどめている。
そういやパレスチナ問題もクルド人問題も、そしてルワンダの虐殺、インド・パキスタン両国の紛争も
西欧(パレスチナ問題とインド・パキスタン両国の紛争は英国)の植民地統治起源だったな。
独立後に長期間続く内紛をもたらしたということは、単純な搾取や圧政なんかよりもずっと醜いと
思うね。
952 :
日本@名無史さん:
インドの経済発展は英国の植民地のおかげであるといえる部分が多々あることは
認める。しかし、ヒンドゥーとイスラムの対立などの植民地原住民間の対立を
煽りたて、独立後の数々の内紛をもたらし、多くの人々の不幸を考えれば
英国の植民地支配は正当化できない。日本の場合は、少なくともたとえば朝鮮人同士で
対立を煽るなどはしていない。