【初心者】スレッド立てる前に質問をPart14【歓迎】

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1日本@名無史さん
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart13【歓迎】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123956642/l50
2日本@名無史さん:2005/10/11(火) 19:13:27
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●初心者歓迎:スレッド立てる前に質問を●
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【初心者】スレッド立てる前に質問を Part2【歓迎】
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3日本@名無史さん:2005/10/11(火) 19:15:24
4日本@名無史さん:2005/10/11(火) 19:15:47
日本史 ・ 世界史FAQ
ttp://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html
5日本@名無しさん:2005/10/11(火) 20:26:11
>>1 さん乙
6日本@名無しさん:2005/10/11(火) 20:51:35
911 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/10/07(金) 02:39:26
姓と苗字についての質問です。
平安末期の頃から、藤原→近衛、源→足利、平→北条、清原→舟橋のように姓の代わりに苗字で名乗る例が続出しますが、苗字を使わずに姓で通した家もあるのでしょうか?
明治維新の頃までは公文書には姓が使われていたようですが。
その後は姓の扱いはどうなったのでしょうか?
以前から疑問に感じていました。
よろしくお願いします。
7日本@名無史さん:2005/10/11(火) 23:48:36
あなたの周りには藤原さんも橘さんも蘇我さんもいませんか?

と初心者スレで嫌味を言うのは止めます^^;;

明治維新で国民全てが名乗ることを義務付けられたのは
正確に言えば「苗字」で「姓」はありません
明治3年(1870年)平民苗字許可令、明治8年(1875年)平民苗字必称義務令

その後苗字=姓になっていったと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97
ここあたりを参考に
8日本@名無しさん:2005/10/12(水) 00:31:01
>>6
あなたの周りには大江さんも清原さんも菅原さんもいませんか?

とついでに嫌味を言うのは止めます(^^;;

これらは現在において血統名として取り扱われない只の家名、すなわち、旧来の姓(本姓)と
字や読み方が全く同じなだけの名字(苗字)になっています。

おわかりでしょうか。
つまりは、>>7の「平民苗字必称義務令」においては、名字(苗字)を名乗ることを義務付けられた
というだけではないのです。同時に、公文章に載せるのは名字(苗字)だけに一本化され、旧来の
姓(本姓)はこのときを以って完全にその概念を捨てさせられた…即ち、廃止されたのです。
理由は四民平等政策の一環、そして戸籍(つまりは家単位の)管理体制構築のためです。
家のブランド名に過ぎなくなっていた旧来の姓(本姓)など、載せても無意味ですから。
9日本@名無史さん:2005/10/12(水) 02:17:29
幕末に幕府の役人が蒸気船の蒸気機関を見せられて
「あぁ、機関車の蒸気機関と一緒やんか」みたいなことを言ったとか
聞いたんですが、
黒船来航前に幕府や知識人は西洋についてすでにどれだけの知識を
持っていたかについて書かれた本ないですか?
10日本@名無史さん:2005/10/12(水) 09:38:57
火牛の計に関する雑学おしえて
11日本@名無しさん:2005/10/12(水) 10:42:33
>>10
いつ誰がやったのかはご存知ですよね?
アレの出所は『源平盛衰記』。でも『平家物語』にはかかれていません。
「奇襲を受けた平氏の軍勢は谷底に落ちていった…」とあるだけ。
このことから、火牛の計は創作ではないかと言う人もいます。
1210:2005/10/12(水) 17:12:39
>>11
有難うございます。
13日本@名無史さん:2005/10/12(水) 19:22:20
>1
乙華麗
14日本@名無史さん:2005/10/12(水) 20:42:29
先日、財務省が保管していた金貨を競売にかけたと言うニュースが流れていました。
この金貨は少数が作られたまま一度も流通しないままずっと保管されていたとの説明がありました。

それで質問なのですが、なぜこれらの金貨は流通しなかったのでしょうか?
それとも当時の政府は最初から流通させるつもりが無かったのでしょうか?もし最初から流通させるつもりが
無かったとしたら、何のためにそれらの金貨を作ったのでしょうか?
15日本@名無史さん:2005/10/12(水) 20:51:58
交換用に作ったけど金本位制やめることになったんで交換される機会無しにそのままお蔵入り
1614:2005/10/12(水) 22:02:47
なるほど、レスありがとうございました。
17日本@名無史さん:2005/10/12(水) 22:04:28
徳川家は源氏と語っていますが実際はどこの家系ですか?
18日本@名無史さん:2005/10/13(木) 00:23:16
東京裁判でA級戦犯として死刑になった東条英機らは
何日も前から執行日を知らされていたのですか?
19日本@名無史さん:2005/10/13(木) 00:26:05
>>18
ググるか、本を読めば?
20日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:10:35
>17
まずは誤字から
×語る
○騙る
家康が話したことのある源氏なら佐竹、今川あたり?
というのは置いといて

家康も松平時代は藤原を姓にしていたといわれます
で新田流世良田、得川を名乗っていたと
21日本@名無史さん:2005/10/13(木) 05:11:27
明治時代の税制に関する著書がありましたら
教えて下さい。
22日本@名無史さん:2005/10/13(木) 12:52:23
>>21
入門書としてはこれがおすすめ
ttp://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-20312-8
これにある参考文献をたどっていったらいいかも

あと、これは面白かった
ttp://www.fujiwara-shoten.co.jp/kan/skan07.htm
23日本@名無史さん:2005/10/13(木) 19:25:24
奈良ー平安初期の制度に関する著書がありましたら
教えてください
24日本@名無史さん:2005/10/13(木) 22:30:37
忠臣蔵で、浅野内匠頭の刃傷に綱吉がぶち切れた理由に、「内匠頭のせいで母親に従一位がもらえなかった」と思ったからと言うのを聞いたのですが、

「勅使がすでに出ている勅命を勝手に撤回」なんてやれる物でしょうか?
あと、綱吉の母親ってその後従一位もらえたのでしょうか?

25日本@名無史さん:2005/10/13(木) 23:43:57
大奥見てたら「綱吉公の御世にございました」とかナレーション入っていたけど
御世って天皇の治世下の時にしか使わないんじゃないんですか?
26日本@名無史さん:2005/10/14(金) 09:50:47
>>25
みよ【御世】天皇・皇帝・王などの治世を敬っていう語。
間違いではない。



石高についての質問なんですが、大きい方から順に石、斗、升、合、勺なんですが、それ以下の単位は、いったいなんでしょうか?
ヨロシクお願い致します。
27日本@名無史さん:2005/10/14(金) 12:34:05
>>24
1702年には女性最高位の従一位の官位を賜り、藤原宗子という名前も賜った。1705年に82歳で没する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%98%8C%E9%99%A2
2821:2005/10/14(金) 13:46:12
>>22
ありがとうございます。
29日本@名無史さん:2005/10/14(金) 14:43:18
ペリーによる開国要求に関して

「外国との条約締結には朝廷の承認が必要だった」

と習いましたが、なぜなのでしょうか?
徳川幕府は朝廷から実権の全てを奪ったら良かったのに……
30日本@名無しさん:2005/10/14(金) 14:59:06
>>29
将軍が「関白太政大臣」の地位を得ていたら、朝廷の承認を得る必要もなかったでしょうが、
兼務していたのは内大臣だったし、そもそも江戸幕府には初めから外交決定権はなく…
31日本@名無史さん:2005/10/14(金) 15:12:09
バカタレ。
家康は朝廷に関係なく外交やってたし、鎖国も朝廷に関係なく幕府が決めたこと。
32日本@名無史さん:2005/10/14(金) 15:51:51
>>31
どこを縦読みしたらいいんだ?
33日本@名無史さん:2005/10/14(金) 16:11:02
>そもそも江戸幕府には初めから外交決定権はなく…

江戸時代の大部分において朝廷は外交にノータッチだった。
国学がさかんになった寛政期、松平定信が朝廷に外交問題を報告したのが、
朝廷が外交に関わるきっかけとなった。

家康も家光も朝廷に関係なく外交やってます。
34日本@名無史さん:2005/10/14(金) 17:20:56
功績のあった首相が死後に正二位を贈られることが多いのは
律令制で右大臣や左大臣などの宰相格の人が正二位の位を与えられていたことに
由来しているんですか?
35日本@名無史さん:2005/10/14(金) 21:34:33
大して権力もなかった足利義政に蘭麝待の切り取りが許されたのはなんでですか?
頼朝も清盛も絶大な権力を持ってても手に入れられなかったのに…
36日本@名無史さん:2005/10/14(金) 21:57:50
>>29
幕府が他の大名の開国への反発を抑えるために、朝廷を利用しようとした。
まさか幕府の意向に反対するとは夢にも思ってなかったらしい。
外交権は幕府が持っていた。天皇の反対にもかかわらず開国したでしょ。
37日本@名無史さん:2005/10/14(金) 21:59:34
>>35
足利幕府は朝廷の権能を吸収していた。
義政は前半はちゃんと政治しており、趣味人としても一級。
38日本@名無史さん:2005/10/14(金) 22:01:02
>>35
頼朝や清盛はオタクじゃないから、そんなものどうでもよかったんです。
一方、義政は文化人という名前のオタク、フェチでしたからね。
39日本@名無史さん:2005/10/14(金) 22:06:13
>蘭奢待
紀州家には、鵺退治をした頼朝がもらったとの逸話のある蘭奢待がある。
大名や神社が分木して秘蔵しているらしい。
40日本@名無史さん:2005/10/14(金) 22:27:56
え?つまり頼朝や清盛の時代には法皇の権力が隠然として存在してたから
切り取れ無かったって事?
41日本@名無史さん:2005/10/14(金) 22:34:30
京都の武器である文化・芸術は、京都の重要な武器だった。
朝廷の権力や権威が吸収されたのは室町幕府になってから。
42日本@名無史さん:2005/10/14(金) 22:52:58
信長や家康は朝廷以上だったからなぁ
43日本@名無史さん:2005/10/14(金) 23:07:15
徳川姓を将軍家や御三家以外が名乗ってはいけなくなったというのが制度化
されたのはいつから?駿河大納言忠長とか甲府宰相綱豊とか館林時代の綱吉とか
は徳川姓だったよね?
44日本@名無史さん:2005/10/15(土) 00:02:29
>>26
勺の下は撮(才とも書く。ヘンのみで済ませたのだろう)。
45日本@名無史さん:2005/10/15(土) 10:52:39
DNA鑑定による血縁関係の証明って何代ぐらいまでが有効なの?
たとえば徳川家康と慶喜のDNAを採取して、なんらかの事情(どこかの代で不義密通したとか)
で血縁関係が繋がってない場合はともかく、本当に家康の子孫だとしたら
科学的にもそれを立証できるのでしょうか?
4626:2005/10/15(土) 12:39:03
>>44
もしよろしければ、それよりさらに下の単位を教えてください。
出来れば、五桁ぐらいお願いします。
47日本@名無史さん:2005/10/15(土) 13:45:23
千年前の日本、
藤原道長、紫式部、清少納言、阿部清明、源頼光などが存在し
60年前には平将門の乱が起きていた時代。
本当に起きていた事とは何だったのでしょう?キリスト教の千年紀
思想とも関わりがあるのでしょうか?
48日本@名無史さん:2005/10/15(土) 13:51:12
>>47
通史を読もう
49日本@名無史さん:2005/10/15(土) 16:09:23
>>46
>>44 とは違う記述があるが、下記。
ttp://www.geocities.jp/s_iikawa/tanni/tanni/taiseki.html

この手のものは、ぐぐれば分かる。
5046:2005/10/15(土) 18:22:36
>>44>>49
ありがとうございました
51日本@名無史さん:2005/10/15(土) 20:52:02
>>45
家康の骨でDNAが取れるのか?
52日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:00:43
>>45
禿しくスレ違い
53日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:05:12
>>45
染色体から可能。
ただし、家康の場合に限って言えば採取が難しいかもしれない。
まあ日光に納められているのは火葬骨ではないから比較的容易かもしれん
54日本@名無史さん:2005/10/15(土) 23:32:37
GHQの兵がつけている腕章の「MP」ってどういう意味?
55日本@名無史さん:2005/10/15(土) 23:35:59
みりたりぃけいかん
56日本@名無史さん:2005/10/15(土) 23:41:16
現在高2で、日本史が凄く苦手です。日本史の模試を受けた事がないので偏差値はわかりませんがかなり低い(30〜40)と思います。
良い教材ありますか?それとも教科書命ですか?
57日本@名無史さん:2005/10/16(日) 00:35:18
>>56
歴史とは方面が違いますが、専門の科目が本当に面白いと思うようになったのは、学校の講義の余談で、
こういう奇想天外な実例があるという話を聞いたり、細かい実例が書かれた副読本を読んだりするように
なってからでした。

歴史についても、歴史逸話集とか歴史小説とか、何でもいいから、自分にとって面白いと思えるような話を
読んでみると変化があるかも。
人によってどういう事柄にどう興味を持つか違うので、具体的などういう本を読むと良いかは分からないですし、
成績の向上につながるかどうかも分からないですが。
58日本@名無史さん:2005/10/16(日) 01:33:31
身も蓋もないことを言えば、試験で点数を取りたければ
山川出版の「詳説日本史」を100%丸暗記すればそれでいい。
これでセンター日本史100点までは間違いない。正直大した作業ではない。

歴史に興味があって、色々知りたいのならまた別の話だが。
59日本@名無史さん:2005/10/16(日) 01:49:56
>>54
憲兵
60日本@名無史さん:2005/10/16(日) 02:32:20
>>56
待て待て
普通に受験板で聞いたほうがいいよ。
61日本@名無史さん:2005/10/16(日) 07:17:47
非人になった武士っていますか?
62日本@名無史さん:2005/10/16(日) 08:37:17
>>57>>58>>60
ありがとうございました!
63日本@名無しさん:2005/10/16(日) 09:37:21
>>61
結構いるらしい。
親に勘当、非人にされて、また連れ戻されたとか何とか。

非人は無籍者という概念であって、身分や職業とは
いえないものだからな。
64日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:55:20
土佐・山内家の家老の石高を教えてください。五藤とか祖父江の。
65日本@名無史さん:2005/10/16(日) 22:04:24
MPってなんとかポリスの略称じゃなかった?
マインドポリスか?
66憲兵:2005/10/16(日) 22:24:35
military police
67日本@名無史さん:2005/10/17(月) 07:23:47
町人が他藩の領地に引っ越すと非人身分になるの?
68日本@名無史さん:2005/10/17(月) 08:39:18
歴史教科書で、古墳時代では豪族と書かれているのに、平安時代になると貴族と書かれるのはなぜですか?
69妄想中:2005/10/17(月) 09:37:41
江戸時代は戸籍が寺請け人別帳になってて、引っ越しはできない時代で
無理にすると無宿人になり、ます。
70日本@名無史さん:2005/10/17(月) 10:20:32
就官式についての著書はありますか?
大納言に就くとどこかの神社で起請文を読み上げるとか…
71日本@名無史さん:2005/10/17(月) 10:39:38
エアロばきばきってなんですか?
72妄想中:2005/10/17(月) 11:24:34
車のカザリがばらばらになるさま
73日本@名無史さん:2005/10/17(月) 12:21:03
>>68
豪族は在地。
貴族は在地を離れた豪族が都に住んだ。では?
74日本@名無史さん:2005/10/17(月) 12:34:59
中国史の場合、漢代の在地の大土地所有者が豪族で、
魏の九品中正で官職の独占と世襲がはじまってからが貴族だな。
75日本@名無史さん:2005/10/17(月) 13:10:07
>>74
ここは日本史板だ、ヴォケ!!
76日本@名無史さん:2005/10/17(月) 16:58:43
東海道とか、有名な街道って何百年も前からたくさんの人が通ってたんだよね?
今でもそういう名残とかある?
77日本@名無史さん:2005/10/17(月) 17:30:44
いくらでもある。
ていうか歴史好きなら、たまにはNHKの番組も見ろ。
78日本@名無史さん:2005/10/17(月) 17:50:40
サンクス
79日本@名無史さん:2005/10/17(月) 19:07:25
昔の国名の読み方なんですが
例えば、相模→相州
武蔵→武州
などとなりますが
越前、越中、越後は3コ合わせて越州
備前、備中、備後も3コ合わせて備州でいいでしょうか
80日本@名無史さん:2005/10/17(月) 19:08:53
夢破れて山河あり

って誰の言葉でどんないみでしたっけ?

用法もできれば教えてください

81日本@名無史さん:2005/10/17(月) 19:14:47
>>73
割り込みだけど、受領とかになるのは主に中級・下級貴族、とか言わない?
82日本@名無史さん:2005/10/17(月) 19:19:44
>>80
杜甫の「国破れて山河あり …」なら知ってるけど?
83日本@名無史さん:2005/10/17(月) 19:21:04
>>82
そっちが正しかったのですか。
どうりで調べても出てこないわけだ。

そちらの使い方は?
84日本@名無史さん:2005/10/17(月) 19:58:58
>>76
たとえば、東海道の箱根の旧道など、防衛のために故意にそうしてあったとはいえ、ちょっと整備の
良い登山道くらいのものなので、「よくこんな道が主要街道として使われたものだ」と感心します。

>>77
とはいえ、往事の様子が保存されている区間はごく少なくて、相当に断片的ですよね。
85日本@名無史さん:2005/10/17(月) 20:00:32
>>83
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E7%94%AB
とりあえず↑
国破れて山河あり 城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んで鳥にも心を驚かす <まだ続く…>
って感じの詩なんだけど、教科書に載ってなかった?
詩の意味が解れば、使い方はご自由に^^
86日本@名無史さん:2005/10/17(月) 20:12:03
>>79
良く知らないけど、「○州」という名称は、上野なら上州、下野なら野州とか、何らかの理由で特定の国に
ついて特定の略しかたが慣用されているみたいで、上下をまとめて必ず「毛州」と総称するとかいった通則は、
あるかもしれないけど知らないです。
「吉備」をまとめたいなら、「備州」ではない「吉備」とか。
87日本@名無史さん:2005/10/17(月) 20:22:51
>>68
教科書の基準は知らないですが、日本でいう「貴族」は、貴族院議員となる資格とかの例から
考えると、天皇を頂点とする位階によるものみたいだから、それ以前の時代なら、貴族という言葉の
定義から外れることになりますね。

>>74
その基準を準用したんでしょうね。

>>75
制度を真似た本家のほうの話だから、いいんじゃない?
88日本@名無しさん:2005/10/17(月) 21:00:43
>>79
>備前、備中、備後も3コ合わせて備州でいいでしょうか

一応そのとおりだが、「手前、備州より発します…」なんていう言葉だと、
これは「備のつく国のいづれか」を意味するのであって、三国を纏めて
称しているのではなくなるな。
89日本@名無史さん:2005/10/17(月) 21:03:49
江戸時代の参勤交代は寛永12年(1635)に制度化され、文久2年(1862)に緩和され
幕府の権威失墜と共に拒否する大名が増えていったということですが、
加賀前田家の参勤交代は参勤(上り)が93回、交代(下り)が97回。合計190回
金沢と江戸の間を移動したそうですが、
http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/rekishi03.htm
参勤と交代の数が違うし1635−1862でも228回のはずだが38回少ないですが、
これは何故でしょうか。前田家や徳川家の当主などの不幸や重病のときなど
免除されたのでしょうか。
90日本@名無史さん:2005/10/17(月) 21:23:53
上米の制ってのは教科書に載ってなかったか?
病気や飢饉のときにも免除されることはあった。
移動というより江戸在府にはお金がかかるからな。
91日本@名無史さん:2005/10/17(月) 21:26:56
江戸に行くことより、江戸から帰ることのほうが多いのは簡単だろ。
新しく藩主になる人間が金沢にいるとは限らんからな。
9268:2005/10/17(月) 21:59:58
答えてくれたみなさんありがとうございました。
93日本@名無史さん:2005/10/17(月) 22:48:30
>>88
ありがとうございます
それしりたかった
つまり、越後だけでも越州ですよね
>>86
野州は特殊ですね
それよりも九州なんかが覚えるのが大変だ
94日本@名無しさん:2005/10/17(月) 23:04:52
>>93
そう。あくまで中華風の言い方だから、ああいう風な適当さがある。
ちなみに、備州の場合は、備前、備中、備後、吉備のほかに、
美作を含むことがある。美作はもともと備中の一部だったため。

>>86
713年(和銅六年)風土記編纂の詔命で「畿内七道の国,郡,
郷の名は好字を著けよ」という条があるとのこと。

「下州」と称すると、何ともよろしくない。
この条文が直接のきっかけではないだろうが、具合の悪い
地名を避ける習慣はこの頃から始まったのではないかと思う。
95日本@名無史さん:2005/10/17(月) 23:09:32
官位位階の任命ってどの時点で有効になるのでしょうか?

秀吉を筑前の守にするにしても、秀吉本人御所に呼んで、「今日からおまえ筑前の守だ」って言うわけもなく、勅使が秀吉のところに行って「筑前の守に任ずる」って言う物ですよね。

仮に、天皇が任命して、それが本人のところに届くまでに秀吉死んだら、一応葬儀は「羽柴筑前の守」として執り行われるのですか?
9693:2005/10/17(月) 23:30:20
>>94
ありがとうございます
勉強になりました
97日本@名無しさん:2005/10/18(火) 00:50:42
>>34
遅レスだが、そんなところ。
ちなみに中曽根康弘は従一位。
http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/ikai.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/rekisi/ikai.htm
98日本@名無史さん:2005/10/18(火) 01:33:01
>>97何故中曽根は生存中にもかかわらず従一位なの?
99日本@名無史さん:2005/10/18(火) 01:44:02
風見鶏と呼ばれる所以
100日本@名無史さん:2005/10/18(火) 02:15:48
>>88
そういえば、池田さんとことかは何と呼ばれていたのかな?
もし「備州」と呼ばれていたなら、「総称」というのとはちょっとニュアンスが違うけど、
特に細かく区別しない「その辺り」の呼び名、ということにもなりそうな?
101日本@名無史さん:2005/10/18(火) 02:18:32
>>91
「限らん」というより、世子なら「人質」の意味で江戸のほうが原則じゃなかったっけ?
102日本@名無史さん:2005/10/18(火) 02:23:50
>>94
たとえば備中池田家にしても、「備中殿」ではなくて「備州殿」とか呼んでも礼儀に反しない、
とかかな?
103日本@名無史さん:2005/10/18(火) 02:24:49
>102
間違えた 備前。
104日本@名無史さん:2005/10/18(火) 02:57:16
大辞林によると、備州とは、備前国・備後国の別名だそうな。
つまり、備中は備州には入らないようだ。
105日本@名無史さん:2005/10/18(火) 07:13:23
中曽根って勲一等大勲位(だっけ?)を持ってるから
それが官位に直すと従一位になるんだっけ?
正式な官位は死んでから贈られるということで。
106日本@名無史さん:2005/10/18(火) 07:22:26
>>91
>>101
ご教示ありがとうございます。参勤交代の回数不足はやはり
代替わりと関係しているようですね。
107日本@名無史さん:2005/10/18(火) 10:41:04
国司と受領と守護と地頭と守護大名と戦国大名の違いについて、教えてください。
自分はだいたい下記のように理解しているんですが、間違っている点があったらご指南を。

国司は朝廷に任じられた律令上の守や介などの地方役人全般
その中のトップ(今でいう知事)が受領
守護は幕府に任じられ、国ごとの軍事・警察権を掌握
地頭は幕府に任じられ、荘園単位で置かれた徴税官
守護大名は守護のうち、その国を私領化した人たち
戦国大名は朝廷や幕府が認めようが認めまいが現に実力で領国を支配している人たち
(もともと守護大名の人たちもいればそうでない人たちもいる)

中世以降、律令が有名無実化した後も、たとえば江戸時代の大名なんか「○○守」の官名を持ってますが、これを「国司」とか「受領」と呼ぶことはありでしょうか?
(呼ぼうと思えば呼べるけど、意味ないから呼んでない?)
108日本@名無しさん:2005/10/18(火) 11:49:36
>>107
国司を自称していた大名はいた。
飛騨姉小路・土佐一条・伊勢北畠の「三国司」だね。
これも戦国時代までだが…
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/aneko_k.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/1zyo_k.html

江戸時代の武士は…官名以外では、どうかしら。
109日本@名無しさん:2005/10/18(火) 11:51:48
>>100 >>102
だね。「あの辺の地域出身」みたいなテキトーな括り方だったんで、よく使われたと…
110日本@名無史さん:2005/10/18(火) 12:08:23
聖徳太子はいなかったのでしょうか?
111日本@名無しさん:2005/10/18(火) 12:33:12
>>110
いなかったというよりも、

「怪力の持ち主で東京で大暴れした挙句アメリカに去っていったゴジラ松井」

なみに実像が訳ワカラン人というほうが正確>聖徳太子
112日本@名無しさん:2005/10/18(火) 12:36:47
文章がよくないな・・・

「怪力の持ち主で口から火を吐き東京の街で大暴れ。
秘密兵器で一度は倒されたが、いつの間にかアメリ
カに上陸していたゴジラ松井」

と書くべきか。
113日本@名無史さん:2005/10/18(火) 12:42:38
ウマヤドノ皇子はいたけどな
114日本@名無史さん:2005/10/18(火) 12:58:35
というか、
「中世に信仰の対象になった『聖徳太子とその事蹟』は
かならずしも、厩殿皇子の実像とはいえない」
これに文句をつける人はいない。

さらに実証をすすめて、
「『日本書紀』に聖徳太子の事蹟として記載されている
事項には信用できないものがある。」
これも誰しもが納得するところ。

で、いわゆる「いなかった」説は、
「『日本書紀』の厩殿皇子に関する記載はまったく信用できない」
と議論を展開し、最終的に「その存在自体がフィクション」と結論づける。
つまり『紀』をどこまで信用するかどうか、が今議論になっているってとこです。
115日本@名無史さん:2005/10/18(火) 13:05:26
ありがとうございました
116日本@名無史さん:2005/10/18(火) 14:02:47
源満仲の時代、一戸あたりの平均人数は何人ぐらいだったんでしょうか?
117日本@名無史さん:2005/10/18(火) 14:05:30
すいません、質問です
尼子義久が毛利の軍門に下ったあと、尼子家は義久―元知―就易と続きますよね?
こやつらは養子のようですが、実父は誰なのでしょうか。
どなたかご教示お願いします。
118日本@名無史さん:2005/10/18(火) 14:19:17
>>101
“許可なく”帰国してはいけないだけで、
藩主と入れ替わりで在国する機会も当然ある。
平和な時代になると、30、40になって家督を相続することもあったのに、
その歳まで領国のことを何も知らんて、そりゃ無理があるでしょ。
119日本@名無史さん:2005/10/18(火) 14:35:17
>>117
弟の倫久でしょ。毛利との付き合いで兄貴の代わりに嫌々仕えさせられて、
嫌気が差して出家してしまった。
120117:2005/10/18(火) 15:23:44
>>119
元知も就易も倫久の子ってことでしょうか?
121日本@名無史さん:2005/10/18(火) 17:04:06
>>116
何かえらく変な質問の仕方だなw
122日本@名無史さん:2005/10/18(火) 19:53:20
>>105
だろうね。
今の位階は海軍主計少佐任官時に賜った従六位のままのはず。
123日本@名無史さん:2005/10/18(火) 21:20:25
戦前の領位って戦後でも有効なの?
124日本@名無史さん:2005/10/18(火) 22:12:18
源氏や足利氏、徳川氏が就任した征夷大将軍と言うのは、
諸国で言う皇帝に準ずる地位なんでしょうか?
125日本@名無史さん:2005/10/18(火) 22:21:06
秀吉は太閤の職に就きましたよね?
太閤って(中国やフランスの)皇帝に準ずる地位なんでしょうか?
126日本@名無史さん:2005/10/18(火) 22:26:36
>>124-125
そうですね
127日本@名無史さん:2005/10/18(火) 22:34:08
イギリスで言う所の首相、中国で言う所の宰相(丞相)
128日本@名無史さん:2005/10/18(火) 22:46:14
征夷大将軍は、坂上田村麿のように元々、東国の蝦夷を征服鎮圧する為
の臨時軍務職で、平安時代、阪上田村麻呂などが任命された。蝦夷平定
の目的を達成した後は空位だった。
大将軍は一品官にのみつく将軍号であり、五品官の中で、他の将軍号は
例えば、鎮西将軍がニ品官、安東将軍が三品官であるように最も高い将
軍の官位であり、この点が武門の棟梁という謂れになってゆく。

大将軍は臨時に大軍の兵営を賄う為に、一定の収入収穫の権利と植民地
における司法行政の権利を持ち、兵に身分を与え、陣幕にて軍政務を行
う事ができた。
この点を源氏は拡大解釈し軍事力を背景に、国守と異なる統治体系を全
国に広めたのが幕府なのである。
ただ大将軍の官位は天皇から個人に任官される性格上、その継承は勢力
の維持が必要であり、朱子学で将軍<天皇の根拠とされてしまう弱みを
内在していたのである。大政奉還とは、この大将軍職を天皇に返還、す
なわち軍政の解消を意味したのである。
129日本@名無史さん:2005/10/18(火) 22:48:21
前首相。つまり、森さんと一緒。
130116:2005/10/18(火) 22:58:59
で、何人?
131日本@名無史さん:2005/10/18(火) 23:32:12
別に将軍だけが独自の行政機関を持つ資格を持ってたわけではない。
もともとは従三位以上の官位を持つものにはその資格を与えられていた。
従三位・右大将に任じられた源頼朝は征夷大将軍になる前から、朝廷から
独自の行政機関を持つことを許されていた。
それが単に頼朝が征夷大将軍に就官したのが、後には慣例化したもの。
もともと征夷大将軍なんて五位の諸大夫でもなれた
132日本@名無史さん:2005/10/19(水) 00:09:49
お答えくださった皆様ありがとう御座います。
133日本@名無史さん:2005/10/19(水) 00:22:13
太閤はどうなんですか?

例えばチンギス・カンなどはモンゴル皇帝と称される事がありますね。
テムジンは汗の地位でしかない人物ですが、諸国から見れば皇帝になるのでしょう。
秀吉は諸大名を従わせている訳ですから、諸大名を王と考えた場合、
秀吉は皇帝と考えても不自然ではないのでしょうか?
134日本@名無史さん:2005/10/19(水) 00:22:52
きしゅつだと思いますが
山田長政って実在した人物なのですか?
聖徳太子否定の大山氏の書物のまえがきに
「つくられた人物であることが解明された」というような趣旨の発言あったが
今でも新たに出版されてくる本に名前が散見されますが
135日本@名無史さん:2005/10/19(水) 00:23:11
>>114
つまり、居なかっただろう論のひとは、
「ウマヤドノミコ」自体、存在しないって言っているのですか?
136日本@名無史さん:2005/10/19(水) 00:41:55
>>135
そうです。
137日本@名無史さん:2005/10/19(水) 01:28:58
>>136
例えば誰?
138日本@名無史さん:2005/10/19(水) 05:54:43
大坂の陣で活躍した毛利勝永って毛利元就と関係あるんですか?
139116:2005/10/19(水) 06:49:00
で、何人?
140日本@名無史さん:2005/10/19(水) 09:45:26
賤ヶ岳の合戦で賤ヶ岳七本槍の7人が着てた鎧とか兜がどんなのか
詳しく記述されてる本とか史料とかってありますか?
141日本@名無史さん:2005/10/19(水) 13:08:12
東京裁判のオランダ人の判事の名前はレーリンクでしょうか、ローリングでしょうか。
142日本@名無史さん:2005/10/19(水) 13:43:36
>>137
谷沢永一。
大山誠一は「厩戸皇子」自体の存在までは否定してないね。
143日本@名無史さん:2005/10/19(水) 15:35:56
質問。
なんで日本は売国奴が多いんですか?
144日本@名無しさん:2005/10/19(水) 16:06:51
>>143
日本人の「やさしさ」「同情心」によるものではないかといわれているが、
これはあくまで素地。

直接のきっかけは、昭和22年だったか、あるラジオ番組が切っ掛けで
今の「戦後史観」が形成されたのだと聞いたことがある。
145日本@名無しさん:2005/10/19(水) 16:50:47
>>141
英語だと「BVA Roling」。
ググルと「ローリング」のほうが多いが。
146日本@名無史さん:2005/10/19(水) 17:02:18
>>141
オランダ語読みと英語読みとの違い。
オランダ人である以上は、オランダ語読みをする方が正しい。というか、それが礼儀。
147日本@名無史さん:2005/10/19(水) 17:06:55
>>143
「平家・海軍・国際派」という言葉をご存知でしょうか。
日本国内での負け組法則を表す言葉で、
それぞれ、源氏・陸軍・国内派に負ける、ということを言います。

つまり日本人は国際派を決して支持しないのですが、
「国際派」は「外交というのは戦争の延長」と心得ており、
一戦場ならともかく、戦争全体としてみた場合、
「味方になんの被害もない一方的な勝利」は存在しない以上、
外交交渉においても「いかに自分の譲歩を高く売りつけるか」を
目指します。つまり「譲歩が前提」なんですね。

ところが、「国内派」はいまひとつ「外交は云々」がわかってないので、
交渉におけるいかなる譲歩も認めようとしません。
そういう「国内派」が、譲歩する「国際派」に投げつける悪罵が「売国奴」であり、
彼等を日本人が支持するため、「売国奴」のレッテルがそのまま通用する、
そんなしくみになってるのです。
148日本@名無しさん:2005/10/19(水) 17:19:31
>>147
木村尚三郎(東大名誉教授)が提唱した言葉なの?
149日本@名無史さん:2005/10/19(水) 17:31:02
坂上田村麻呂について詳しく知りたいんですがどうすればいいですか?
あんまり資料がなくて困ります。
150日本@名無史さん:2005/10/19(水) 17:33:49
どうして古代以降、日本の武装集団は個人装備の「盾」をやめたのですか?
151日本@名無史さん:2005/10/19(水) 17:41:25
>>138
関係なし。
勝永は尾張の毛利。
毛利なんていっぱいいたからね。

>>140
学研の歴史群像なんかには、黒田、福島、加藤とかの使ってた鎧、旗指しなんかがカラーで出てたな。
勿論、賤ヶ岳当時のじゃないだろうけど・・・
152日本@名無史さん:2005/10/19(水) 17:42:36
>「外交というのは戦争の延長」
そりゃ理解されんわな
153日本@名無史さん:2005/10/19(水) 17:43:35
よく分からんな
海軍ってのは侵攻先を東南アジアにしようといってたほうだろ?
勝ってんじゃん
154日本@名無史さん:2005/10/19(水) 18:41:19
明日、日本史のテストなんです。
勉強は殆どしてません。
ですので分かりやすく纏めてあるサイトとか無いですか?
155日本@名無史さん:2005/10/19(水) 18:54:45
>>147
最早、海軍善玉論にはカビが生えてますよ。
156日本@名無史さん:2005/10/19(水) 18:55:32
>>154
範囲も言えんのかお前は
出直してこい
157154:2005/10/19(水) 19:01:10
すいません。
安和の変〜1189泰衡が義経を討つ所までです
板違いかもしれませんがお答えできましたらお願いします。
158日本@名無史さん:2005/10/19(水) 19:13:15
学生の校内試験なら
普通に漢字に注意しながら教科書詰め込めば足りる。てかそれで簡単かつ十分。
159日本@名無史さん:2005/10/19(水) 19:19:58
いや、それが一応私立なもので、教科書からはいつも決まった所だけでて、
あとは殆どノートからなんです。結構詳しい事まで出るんですが…
やっぱりノート暗記とかになるんでしょうか?
160日本@名無史さん:2005/10/19(水) 19:38:45
じゃあ、今すぐ友達に電話してノートをコピらせてもらえよ。
友達いなくても誰でもいいから頭下げたら、案外断られないものだ。
161日本@名無史さん:2005/10/19(水) 19:38:53
154にできること
・一番近くに住んでいる真面目な友達の家まで行ってノートをコピーさせてもらい必死で覚える
・教科書だけでも覚える
・諦める

どれかだ。
ノートから詳しく出題されることまで知っていながら前日の夜まで放置していた自分が悪い。
2ちゃん見てる暇があったらまず友達に連絡しろ。
162日本@名無史さん:2005/10/19(水) 19:51:49
ノートは取ってありますが、今日一日でノートを覚えるのに
流れが分かりやすいサイトは無いものでしょうか
と言いたかったのです。説明不足で分かり難くしてしまって済みません…
PCに、ノートの内容+分かりにくい箇所だけぐぐって来た寄せ集めの知識
などを載せて纏めた所、前回はクラストップだったのですが、
今日は何の準備もしてなかった為、PCには少しだけ纏めてあります。
ですが時間的にまだ余裕があるので、今からなんとか頑張る事にします。
スレ汚し失礼しました。
163日本@名無史さん:2005/10/19(水) 20:20:27
ノートと教科書があって勉強できないとか、どんだけ頭わるいんだよ
164日本@名無史さん:2005/10/19(水) 20:42:32
政治板の質問スレでは答えが来なかったので・・・

サンフランシスコ平和条約第11条にある、「これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。
この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」
という条項に基づいて、1952年の一連の国会決議で戦犯の赦免がなされたと思うのですが、このとき、この赦免決議を承認した「各事件について刑を課した一又は二以上の政府」とは、どの国の政府か分かりますか?
165日本@名無史さん:2005/10/19(水) 21:38:58
>147
「国際派」と「国内派」という用語の括り方が分かりにくいのは元の文章を大幅に削っているから?
その論だと三国干渉に屈服したのは「勝ち組」?それとも「負け組」?


>「外交というのは戦争の延長」
「戦争は外交の延長」を捩っていっているの?

↑もだが、147の主張は日本の極短い期間を限定的に意味不明の語句で指しているだけで、
一般論としては通じにくいように思う。。。
166日本@名無史さん:2005/10/19(水) 22:45:46
>>147
つまりいま日本の政治家に「国際派」は居ないと言うことですね。

なにしろ、「中国は何も日本に譲歩する必要がない」って言うのが衆院議長をやってるくらいですから。
167日本@名無史さん:2005/10/19(水) 23:25:21
>>147にいわせりゃ、国内派がネトウヨってとこか。
168日本@名無史さん:2005/10/19(水) 23:39:27
おバカな>>147を釣り上げるスレはここですか?
169日本@名無史さん:2005/10/19(水) 23:43:13
むしろ、147に釣られるスレでは?w
170日本@名無史さん:2005/10/19(水) 23:59:48
>>147など、ウングガングでアスケルペルン、エトーメスクライパールングッガ。
171日本@名無史さん:2005/10/20(木) 00:45:23
>>170
なんて意味ですか?フィア
172日本@名無史さん:2005/10/20(木) 16:46:28
本日、日本史の授業で先生が雑談をしてくれました。
その内容で、いくつか正誤が気になる点があったので・・

・鳥羽天皇の父親である白河上皇がかなりの女たらしで、
崇徳天皇は実は白河上皇の子だといわれている、という内容をやったのですが
白河上皇は鳥羽天皇の祖父ですよね?

・大河ドラマ「義経」の話に派生し、常盤御前は史実では平治の乱後、殺されたのだが
あのドラマでは生き延びていたね、という話があったのですが、これは本当ですか?
また、義経は実際に清盛らに育てられたのですか?
173名無し募集中。。。:2005/10/20(木) 17:32:59
質問です

「日本」という言葉はいつできたのですか?
「日本」と呼称しだしたのはいつの時代ですか?またその前は自分たちの国を何と呼んでいたのですか?
日の丸の発祥はいつの時代ですか?


お願いします
174日本@名無史さん:2005/10/20(木) 18:12:49
>>172
上のについて
白川→堀河→鳥羽→崇徳だね。
崇徳、鳥羽の息子説は『愚管抄』に出てた説だと思う。
崇徳が鳥羽のことを「叔父子」と呼んでいたそうな。
ただ『愚管抄』は鎌倉時代にできたものだから、どこまで本当か。

下のについて
常盤は殺されてないよ。
義経が鎌倉から狙われるようになった時、人質として常盤は鎌倉方に捕らえられ尋問されてる。
清盛に育てられたかはどうか知らないけど・・・
175172:2005/10/20(木) 18:32:52
>>174
丁寧な解説、ありがとうございました。
白河天皇が鳥羽天皇の父というのは先生の間違いということでOKみたいですね。

大河ドラマを見ていて、義経が清盛に育てられたというのはドラマを面白くするための
脚色っぽいなと思ったのですが、それならば鞍馬寺に入るまでどこで過ごしていたのかが
気になったもので・・
176日本@名無史さん:2005/10/20(木) 19:14:11
日本と呼称したのは、『国号考』にも著されているとおり、七世紀から。
それまでの国号は「倭」「大倭」「大和」「大八洲」「磯城島(敷島)」「豊秋津島」「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」「豊葦原瑞穂国」など。
177日本@名無史さん:2005/10/20(木) 20:29:05
大八洲ってどこのことだ?
178日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:44:54
>>177
『古事記』か『日本書紀』でも読め。
179日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:49:55
平成1年は1週間しかなかったようですが、仮に平成1年が365日続いていたら、今日は何月何日ですが?
180日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:08:14
10月20日
181日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:14:01
>>179
昭和64年のこと?

昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御して、翌8日から平成と呼ばれ始めた。
つまり昭和64=平成元年。

今日は10月20日。同じだよ。
182日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:24:43
ええ、昭和64年の事です。
昭和天皇が崩御しても日付は変わらなかったんですね。
183日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:37:03
>>179
元号法なんてのがあって・・・
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
  ↓
皇室典範 第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

「皇位の継承があったときに直ちに改められる」ということになりますな。

たとえば
> http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/S54H0043.htm#K1

なお「皇帝とかが即位したらその日が元日になる」とかいう風に勘違いしているとか?
そういう習慣は本家の中国でもないはず。
皇帝が思いつきで元号を改めたり、暦自体を変更したりすることはあるけど。
184日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:03:16
中学の時に歴史の教科書に載っていましたが、明治何年かに、日付を政府が変えたらしいですね。

昭和64(1989)年1月7日に昭和天皇が崩御しましたが、もし仮に天皇崩御後、来年(1990)の元旦に年号が変わるという制度なら、今年は平成16年ですか?
185日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:20:49
>>184
もしかして「暦を太陰暦から太陽暦に変更した」という話の意味を取り違えているのでは?

> もし仮に天皇崩御後、来年(1990)の元旦に年号が変わるという制度なら、今年は平成16年ですか?
単なる計算問題。
186日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:54:24
あ、確か暦の関係で、明治○年○月○日を、明治○年○月○日とする、みたいな事が載っていました。

仮に日付を変えなかったら、今日は何年何月何日なんだろう?
187日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:59:24
平成17年10月21日
188日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:02:11
日付は一日違いで変わったんですか?
189日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:23:30
>>188
いや、ただのフライング
190日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:50:32
>>186
http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/calendar/koyominorekishi.htm
太政官布告 第三百三十七号
http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/calendar/kairekinofukoku.htm
「明治五年十二月三日(旧暦)=明治六年一月一日(新暦)」

> 仮に日付を変えなかったら、今日は何年何月何日なんだろう?
それは「旧暦・太陰暦のままだったらどうなるか」ということだから、捜せばどこかに「換算表」が
あるかもしれないけど、暦を売っているところがあるから、無料公開はないかも?
191日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:51:06
>>189
変なことを書かないように。
192日本@名無史さん:2005/10/21(金) 02:03:42
>>186
旧暦の日付くらい情報量の多いカレンダーにも載ってるだろう。
今背後のカレンダーを見たら、10/21は旧暦9/19だ。
あと約3年に1度閏月があるから、旧暦でも今日は当然西暦2005年、神武暦2665年だ。
193日本@名無史さん:2005/10/21(金) 02:10:21
>>192
旧暦でも西暦2005年て…おかしいだろw
>>186
旧暦なら昭和天皇崩御の時期は年末にあたるから、平成元年はすぐに終わることになるね
だから旧暦でずっと続けていたなら今日は平成18年9月19日ってことになる
194日本@名無史さん:2005/10/21(金) 06:07:26
平安初期の武将(坂上田村麻呂や大伴弟麻呂、文室綿麻呂など)って愛刀や名刀について聞かないんですが、実際はどんな刀や槍などを使ってたんですか?
蝦夷側はやっぱり弓みたいなんですか?
教えてください。
195日本@名無史さん:2005/10/21(金) 08:22:37
うちの塾のテキストで「平氏は貴族と同じような政治を行ったため()が
兵を挙げると各地の武士が立ち上がり・・」という問題があり
答えが源頼朝なのですが
妥当ですか??
196日本@名無史さん:2005/10/21(金) 08:24:50
塾レベルなら妥当
197日本@名無史さん:2005/10/21(金) 08:39:05
以仁王の宣旨で、最初に立ち上がったのは源頼政ですか?
高校日本史レベルで妥当な答えはなんでしょう?
198日本@名無史さん:2005/10/21(金) 08:51:08
>>193
年末に元号が変わろうが、今年は平成17年だ。
昭和元年だって、数日しかなかったじゃないか。

>>195
源氏じゃないか?
199日本@名無史さん:2005/10/21(金) 08:56:35
>>198
なんでだよ
年末に平成元年が始まったらすぐ平成2年になるだろ
旧暦の平成2年が、太陽暦の平成元年2月くらいに始まるだろ
そしたら太陽暦の平成17年10月は旧暦では平成18年9月になるじゃん
200日本@名無史さん:2005/10/21(金) 11:51:49
>>199
ホームラン級のバカだな。
201日本@名無史さん:2005/10/21(金) 14:00:44
>>200
煽るだけなら猿でもできる
間違いを指摘せよ
202日本@名無史さん:2005/10/21(金) 14:25:32
>>201
場外ホームラン級のバカだな
203日本@名無史さん:2005/10/21(金) 14:38:21
>>201
>煽るだけなら猿でもできる
ネットで煽る猿なんて、見たことないぞ。
それだけでテレビに出れ、かなり稼げるな。
204日本@名無史さん:2005/10/21(金) 15:35:48
現代では犬を普通に目にすることが多いと思うのですが、

安土桃山時代や室町時代の犬はどのような暮らしをしてたのですか?一般人でも飼う事はあったのでしょうか?

幼稚な質問ですがよろしくお願いしますm(__)m
205日本@名無しさん:2005/10/21(金) 15:43:53
江戸時代のイヌと人の関係
http://krd.roshy.human.nagoya-u.ac.jp/report/sakita.htm

それ以前は、さて…
206日本@名無史さん:2005/10/21(金) 17:29:21
>>204
犬は人類の友
207日本@名無史さん:2005/10/21(金) 18:22:52
>>204
詳しくないけど、やっぱりマタギの人間とか猟には犬使ってたんじゃないのかな?
208日本@名無史さん:2005/10/21(金) 22:46:59
>>193
> 旧暦でも西暦2005年て…おかしいだろw
おかしくない。「キリスト教暦の紀元1年」から計算したら2005年になることに何ら違いはない、
という論理の話。
209日本@名無史さん:2005/10/21(金) 22:49:31
>>194
反りがあるタイプではない「直刀」じゃなかったかと思うけど、刀スレってなかったかな?
210日本@名無史さん:2005/10/21(金) 22:56:19
日本の天皇、将軍、藩主の中で、「暴君」といえば誰ですか?

やはり、島原の乱のころの島原藩主ですか?
211日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:25:06
>>210

君と言うからには、やっぱ天皇でしょう。
で、天皇で「暴君」とまで言えるのは後醍醐天皇に一票。
212日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:41:51
>>211

確かに、あの時代に大内裏造営するのは時代に逆行しすぎだし、
紙幣を発行するのは時代を先取りしすぎてますな。
213日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:47:20
暴君と呼べるほど個性がある奴ってあんまり思いつかないな
214日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:57:37
>>210
だから、そういう質問をするなら、まず定義を出せ。もしくは死ね。
215日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:58:35
やっぱり日本史板は荒れているね。
216日本@名無史さん:2005/10/22(土) 00:03:01
>>215
たまに同レベルで競り合うやつもいるからね。
217日本@名無史さん:2005/10/22(土) 01:41:32
>194
鞍馬寺には坂上田村麻呂の佩刀と伝えられている切刃造があります。

藤原秀郷が百足退治をしたときに使用したのは弓ですが、佩用の刀が毛抜形太刀として伝えられています。

平家の重代の名刀としては小烏丸があります。

『享保名物牒』にある童子切は源頼光愛刀として有名ですね。国宝として現存しています。
もっとも『今昔物語』には鬼同丸を切った話はありますが酒呑童子云々の初出は室町期です。
218日本@名無史さん:2005/10/22(土) 01:48:40
「暴君」の定義は、
苛斂誅求で民百姓を苦しめ、残酷な刑を執行し、諫言する家臣は殺す、といった具合かな?
219日本@名無史さん:2005/10/22(土) 02:43:16
>>218
言葉の意味としてあるだけ、定義はない。
220日本@名無史さん:2005/10/22(土) 03:24:48
>>211
>君というからには、やっぱ天皇でしょう。
どんな理論なんだか。

>>218
要するに、暴力政治を行なった統治者ということか。
伊予松山藩では、200〜250%もの税率を農民に課していたことがあるな。
221日本@名無史さん:2005/10/22(土) 03:29:01
>>220
国語辞典を引け!
222日本@名無史さん:2005/10/22(土) 05:28:32
津軽の人々・・の次スレ誰か立てていただけませんか。

前スレ
 ↓
津軽の人々はそろそろ南部に謝罪したほうがpartV
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1116781688/
223日本@名無史さん:2005/10/22(土) 06:03:59
>>221
国語辞典がすべての坊やは、もうここには来ない方がいいよ。
224日本@名無史さん:2005/10/22(土) 12:46:41
織田信長は相当な暴君だな。
225日本@名無史さん:2005/10/22(土) 19:08:05
皇室の方々ってオナニーとかどうしてるの??
226日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:48:28
札差が借金のかたに武家の刀剣・家財・俸禄を差し押さえたり、武家娘を
女郎に売り飛ばしたりすることって可能だったのですか?
227日本@名無史さん:2005/10/22(土) 22:19:54
相対済し令で金銭貸借の紛争が当事者主義になると、武家に有利だったという
事実から判断しろ。
228日本@名無史さん:2005/10/23(日) 12:02:25
>>177
本州、四国、九州、淡路、壱岐、対馬、隠岐、佐渡
229日本@名無史さん:2005/10/23(日) 18:43:00
淡道之穂之狭別島、伊予之二名島、隠伎三子島、筑紫島、伊伎島、津島、佐渡島、大倭豊秋津島
(淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州)
230日本@名無史さん:2005/10/23(日) 19:12:07
>>209
>>217
ありがとうございます。
その辺りからもう一度調べてみますね。
231日本@名無史さん:2005/10/24(月) 07:21:52
図書館で奈良時代の氏族一覧を見ていたら、
「○○氏(忘れた)」 後漢ケイ州刺史、劉jの裔也
って書いてあったんでけど、劉jって三国志に出てくる劉表の子供でしょ?
そんなのの子孫を自称して何かの箔付けになるのでしょうか?
それとも、始皇帝や劉邦とか霊帝の子孫の末裔を称していないので
本物の子孫なのでしょうか?
232日本@名無史さん:2005/10/24(月) 07:41:09
華族令にある「華族にあるまじき行為をした者はその爵を失う」
とかいう意味の条文があったような気がするんですけど、実際これに抵触して
爵位を取り上げられた家ってあるのですか?
233日本@名無史さん:2005/10/24(月) 11:00:50
>>231
今でも有名人とつきあっているとか、近所にいるとかいって自慢げに話をする人は多い。
不動産屋もそういうことでふっかける場合もあるが。便乗は世の常。
234日本@名無史さん:2005/10/24(月) 11:04:34
>>231
なぜ自称前提なんだよ。
235日本@名無史さん:2005/10/24(月) 11:08:40
外野から失礼します。
>>220 伊予松山藩は何ゆえそんな重税を課したのでしょうか?
藩は農民が払ってくれる見込みがあると思っていたのでしょうか?
収入よりはるかに高い税。支払い不能だと思います。
236日本@名無史さん:2005/10/24(月) 12:18:18
先に税額決めといて後から飢饉が来たんじゃないの?
237日本@名無史さん:2005/10/24(月) 13:07:06
>>232
土方伯爵。共産主義者でソ連滞在中に爵位を剥奪。
238日本@名無史さん:2005/10/24(月) 13:45:45
●世界史雑談vs日本史雑談 お前らクタバレ●
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1130128949/
239日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:17:49
小早川隆景が死んで上杉景勝が五大老の一人に加わるまで、景勝は
秀吉政権下でどんな役職についていたのですか?
240日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:59:32
>>239
五大老、五奉行という組織は、秀吉の晩年に作られたものであり、
もともとは秀吉の独裁の形で政務は行われていました。
ですので、質問の意ですと、上杉景勝は普通の大名と同じように
領国経営を行っていたと考えられます。
また、景勝自身は、朝廷から参議という位をもらっていますが、
この当時の武士の官職は、ほとんどがステータス化していますので、
朝廷の実務は、別の人が行っている可能性があります。
241日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:05:08
提案があるのだが、このスレでの雑談は禁止にしないか?
242日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:22:07
一応昔は雑談もOKだったんだけどな。
まあ今更かもしれんが明記するのもいいかもしれん。
243日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:53:47
すいません、質問です。
慶応生まれで農家出身の人が、武家に養子に行って、
明治10年頃に養子縁組を解消したんですが、平民に
戻るんでしょうか?
244日本@名無史さん:2005/10/24(月) 22:10:12
>この当時の武士の官職は、ほとんどがステータス化していますので、
>朝廷の実務は、別の人が行っている可能性があります。
秀吉の官位は令外の官ではないから朝廷の仕事をやってた思うが…
公家の仕事奪ってたし
245日本@名無史さん:2005/10/24(月) 23:00:08
>>243
一部の人間でもない限り、武士と言えども維新後は平民。
246日本@名無史さん:2005/10/25(火) 00:14:41
>>245
・・・・・・・士族もしくは卒族でぐぐってください。
247日本@名無史さん:2005/10/25(火) 00:18:35
247が華族になる!
248日本@名無史さん:2005/10/25(火) 00:23:09
>>234
外来貴族の裔を名乗ってるやつは98%偽者。
どーせ大昔の話だし、外国だから系図もごまかせるだろうという手軽さで
偽の家系図を作成する香具師があの時代には相当多かったはず。
劉氏のほかに、曹操の末裔、孫権の末裔、遼東の公孫氏の末裔、周王朝の末裔、
春秋時代の大国の末裔などの子孫を称している香具師がいた。
249日本@名無史さん:2005/10/25(火) 01:10:24
>>246
lol
250日本@名無史さん:2005/10/25(火) 01:35:53
>>245-246
間違いでもなかろう。現実的には下級武士の大多数は臨時雇いなはず。。。幕末は・・・に限定だが。

251日本@名無史さん:2005/10/25(火) 04:16:48
『家康に過ぎたるものが二つあり
唐の頭に本多平八』
の「唐の頭」とは何のことですか?
252日本@名無史さん:2005/10/25(火) 04:44:15
>>251
これ
http://www.kozando.co.jp/catarog/sekigahara/heihachi.htm

幕末期に官軍が付けたのでも有名。
253日本@名無史さん:2005/10/25(火) 07:28:32
>家康に過ぎたるもの

これ江戸時代だったらできない洒落だよな。
信長か秀吉の台詞なのだろうか?
254日本@名無史さん:2005/10/25(火) 10:32:28
>>235
松山の連中は、いまも昔も、変わらず街造りが下手なんだよ。
255日本@名無史さん:2005/10/25(火) 12:41:56
質問させてください!
「座して死を待つのみ」という言葉がありますが、
これはどの様な経緯で生まれた言葉だったのですか?
歴史に関係あったなっていう記憶しかないので教えてください。
256日本@名無史さん:2005/10/25(火) 13:42:22
公営田や諸司田と初期荘園ってどうちがうのですか?
257日本@名無史さん:2005/10/25(火) 13:44:41
>>255
国語板行けw
258日本@名無しさん:2005/10/25(火) 14:17:17
>>252
ヤクの毛でできた兜飾り。
染めた色別に黒熊(こぐま)、 赭熊(赤熊、しゃぐま)、白熊(はぐま)と言う。
当然舶来品。中国四川省やチベット産。

戦国時代に流行りだし、家康は難破した南蛮船から相当数かっぱ
らったという話もあり(あとで賠償している)。だからこそ「家康に
過ぎたるもの」と呼ばれたりした。

で、これは幕府内でストックされていたのだが、明治維新のさい、
それを官軍は鹵獲(かっぱらい)して上野戦争以降で使い出した。
上記の色別にそれぞれ薩摩、土佐、長州軍が使い分けしている。

尤も、南蛮船がくる少し前の享禄三(1530)年に龍造寺家兼が
大内との合戦でピンチになったとき、突如、鍋島清久親子率いる
赤装束の赤熊武者百騎が現れ大内勢をコテンパンにしたという話あり。
南蛮船渡来以前から流行だしたということかな。

余談だが、家兼いたく感激して孫娘を清久の次男清房に娶らせ、
龍造寺と鍋島の姻戚関係成立。のちに龍造寺の家督をゲットする
鍋島直茂はこの夫婦の子。
259日本@名無史さん:2005/10/25(火) 17:13:35
明治維新の際日光東照宮が破壊されなかったのはなぜですか?
260日本@名無史さん:2005/10/25(火) 17:40:03
板垣退助が「歴史的に価値のある建物だし、先の主上の親筆が納められている
から」と言って官軍をなだめて、東照宮に立て籠もっていた八王子千人組同心を
交渉の末に、焼き払わないという条件で無血退却させたから。
まあ結局は東照宮を破壊することで幕軍の余計な反感を買いたくなかったんだと思う。

だから東照宮の前には板垣退助を顕彰する銅像が立てられている。
261日本@名無史さん:2005/10/25(火) 18:12:15
>>252
>>258
>>251です。ありがとうございました。あのフサフサしたやつですね。勉強になりました。
262日本@名無史さん:2005/10/25(火) 19:07:07
>>259
ただし、廃仏毀釈の影響をもっとも大きく受けた神社であることは忘れてはいけない。
263日本@名無史さん:2005/10/25(火) 19:31:21
なぜ家光は豊国神社を破壊したのですか?
264日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:24:51
豊臣恩顧の大名をほぼ潰し終わったからじゃねーの?
265日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:44:09
支那って、「秦」が由来ですか?
それとも那国(日本)を支える存在という意味で支那というのですか?
どこかの先生がずぅぅっとむかしに後者だと言っていたのですが…
266日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:52:31
缶蹴りって、不逞中国人を摘発する警察を真似たのが起源ってマジっすか?
みっけポコペンって例の台詞のポコペンってのは中国人の隠語だとか…
267日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:18:52
>>266
ポコペンは隠語ではなく、単なる中国語。
それと、缶蹴りも他の児戯と同様、ルールはバラバラ。
268日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:49:09
>>258
>それを官軍は鹵獲(かっぱらい)して上野戦争以降で使い出した。
>上記の色別にそれぞれ薩摩、土佐、長州軍が使い分けしている。

その前から使ってて、色分けもされてないという説もある。
269日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:32:18
説ではなく、分かれていないが正確。
270日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:56:30
勝海舟の『氷川清話』に、
「渋田の遺書をいっさい奉行所で買い上げて、その子孫には帯刀を許すようにしてやった」
とありますが、ただ単に帯刀を許しただけなのでしょうか? それとも、いくばくかの禄高を与えたのでしょうか?
また、その子孫の名前は何というのでしょうか?
271日本@名無史さん:2005/10/25(火) 23:25:53
>>267
ポコペンって漢字でどうやって書くんだっけ?
不○○だったような
272日本@名無史さん:2005/10/25(火) 23:27:31
熊の毛に限らず、薩長軍って江戸城からいろいろなもの略奪したわけ?
273267:2005/10/25(火) 23:35:55
>>271
ポはそれでOK。
コはケータイでは出なかった。左は士、冖、一、弓で、右は殳。
ペンは本。
274日本@名無史さん:2005/10/25(火) 23:50:04
>>272
知らんけど、金の切れ目が政権の切れ目という道理からいって、ろくなものは残ってなかったんじゃないかな?
建物も相当にボロになっていたみたいだし。
275日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:11:07
>>273
穀物の穀だね
276267:2005/10/26(水) 00:28:59
>>275
違う。

穀物の穀は、
士+冖+禾+殳

ポコペンのコは、
士+冖+一+弓+殳

穀は部首は禾だが、コの字は弓。全くの別字。
277日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:33:51
語源は中国語の「不?本」(元値に足らずの意)が有力である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3
278日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:37:50
伊達 前田 毛利 島津も豊臣恩顧に入りますか?
279日本@名無史さん:2005/10/26(水) 01:37:30
町反畝歩から、石高の計算ができるのでしょうか?
また、出来るとしたら、どのような計算式なんでしょうか?
280日本@名無史さん:2005/10/26(水) 11:01:03
>>265
↓ここであーだこーだやってます

なぜ学問板なのに支那と表記しない?W
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119090991/
281日本@名無史さん:2005/10/26(水) 12:09:08
社会主義は政治的に左翼と呼ばれるのに、日本、ドイツ等の、
国家社会主義が右翼と評価されるのは何故でしょう?
言葉の定義上誤っていると思いますが…
282日本@名無史さん:2005/10/26(水) 12:21:12
>>281
お前がアホなだけ
283日本@名無史さん:2005/10/26(水) 12:25:41
共産主義者や自由主義者を弾圧し、
右方向からの全体主義だから
284日本@名無史さん:2005/10/26(水) 13:03:00
>>279
このあと専門家が別の説明をされるかも知れませんが、石高が江戸時代などの領地
の規模を示すものを指すなら、出来ないと思います。

かっての経験からいうと1反からの収穫は地味や気候により4俵〜6俵とかにバラ
ツキます。8俵の経験もありますが稀です。1畝の田からごく稀に1俵取れること
もあり、畝米といってました。1枚の田が小さいと目が行き届くためでしょうか。

しかし経験的に地方毎の面積当たりの平均収穫量が分かれば、面積と石高の換算式
は存在しうると思います。現在年毎に今年の出来具合はいくらと指数で示す場合が
あるのはこの概算に使うためでしょう。現在は休耕田もあるので作付面積を把握し
ておかないと石高はいいかげんになります。
(昔については、時代により面積の単位や升の大きさもいろいろの場合があるよう
 ですので、注意が必要でしょう)
285日本@名無史さん:2005/10/26(水) 15:54:38
>>284
お前の経験なんて、どうでもええねん
286爺爺:2005/10/26(水) 21:30:44
織田信長は現在の言葉で言えば天皇を殺害
天皇制を破壊する意図を持ったいたのでしょうか
上記の意図を持つに至った原因は何であったのでしょうか
最後に意図を持っていたとすれば何故に実現しなかったのでしょうか
又は実現出来なかったのでしょうか
上記に係わる資料、言説、史実、推測等、本件に関わる
一切についてお知らせいただければ幸いです
287日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:34:08
>>286
ライトノベル板へ移動することを強く推奨いたしますです。はい。
288日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:28:12
藩主の就任期間は、藩祖の場合、いつから始まるのでしょうか?
領国を与えられてからでしょうか? 城池受取りをしてからでしょうか? それとも、入国してからでしょうか?
289日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:12:32
>>278
どこも半島出兵で煮え湯を飲まされているから、半島出兵以後には「豊臣恩顧」なんて存在しない。
290日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:14:07
>285
         | |‖│||
    ┌― | |‖│|| ―┬────
    |   | |‖│||   |
    |             | | ̄ ̄ ̄
    |   / ̄ ̄∨ヽ.  |  |
    |   /     ∨. | |___
    |  /___________ヽ  |ガッ
    |  / | \/_|ヽ  |
    |  | |  ゚| ゑ| \.|
    |  | |  ゚|  |\__|つ
    |  | |  ゚|  |  |
291日本@名無史さん:2005/10/27(木) 14:31:28
元・広島カープの小早川毅彦は毛利両川の小早川家の末裔と言われていますが本当ですか?
隆景も秀秋も実子はいませんよね?
292日本@名無史さん:2005/10/27(木) 15:35:32
>>291
たぶん毅彦氏の小早川家の言い伝え程度のものでは?
293日本@名無史さん:2005/10/27(木) 17:15:36
明治維新で平民に名字が許可されたとき、安易にその国の殿様の名字を僭称した
例とか多そうだからね〜。
浅野さんとか小早川さんとか毛利さんとか、広島に多いかもしれないね。
知らんけど。
294日本@名無史さん:2005/10/27(木) 17:26:51
教えてください。
中国ではむか〜しむかしから、地方(もしくは全土)を統治した人間が
歴史を都合よく書き換える、もしくは、自分について都合のよいことを
書かせる等のことが行われていました。
また、韓国でも現在の韓国を見る通り、歴史の書き換えを行っているわけですが、
日本ではこういうことが行われたことはないんでしょうか?

よろしくお願いします( ^ω^)
295日本@名無史さん:2005/10/27(木) 17:49:16
ハングル板にでも帰れと言いたいところだが簡単に。

・歴史学においては、多数の史料を集め、
その内容を相互に検討し真実を見極めていく必要がある。
この原則は日本史の研究においても、一切揺るぐことはない。

・あと日本では日本三代実録以降国家による正史の編纂は行われていない。
296294:2005/10/27(木) 18:04:04
>>295
ありがと。
多数の資料集め->相互に検討して見極めは、日本史に限ったことではないと思います。

多数の資料の中の一つとして、これは都合の良いように書いた物だろうと
思われるような物はなかったんでしょうか?
また、資料が一つしかなく、これはあきらかにウソだろう…と思われるようなものはないんでしょうか?

またまたよろしくお願いします( ^ω^)
297日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:44:12
江戸の町奉行に関する著書を読んでいると、
「与力・同心は大変貧しかった」と書いてあったり、「与力・同心は諸大名の家臣からの
付け届けがあったので無役の旗本よりずっといい暮らしをしていた」という事が書いてあるのですが
実際はどうだったんですか?

あと、「町奉行は大変数多くの仕事をこなしていた為に寝る間もなかった」と書いてあったり
「大変数多くの仕事があったので殆ど手下の内・外与力が片付けていたので、自身は暇だった」
って書いてあったり…
298日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:54:22
歌舞伎役者って厳密に言うと非人の身分なのでしょうか?
299日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:12:23
与力について全然詳しくないが、
真面目に仕事してれば超忙しいけど、部下に丸投げしてれば暇。
付届を役得として受け取ってれば裕福、真面目に断ってれば貧乏。
って、今の役人にも当てはまる至極当たり前の話にしか見えないが。
300日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:20:19
っていうか付届は当時の礼儀の一環だろ?
江戸の街役人が貧乏だと主張している学者先生は現代の常識・風俗で
江戸時代について語ってないか?
301日本@名無しさん:2005/10/27(木) 22:01:08
>>294 >>296
そもそも統一王朝による「正史」があって、他が「異聞」として排斥される歴史の世界では、
歪曲や誇張や捏造が「正史」に対して行われるからこそ問題視される。

しかし正史がない世界の歴史は、雑多な史料から再構築せざるを得ないから、例え
個々の史料に歪曲や誇張や捏造があったとしても、後世のファンタジーか、ヤッカミか、
根拠のない噂かはある程度判ってしまう。特に日本の歴史は日記や書簡レベルの史料が
非常に多いから、歪曲や誇張や捏造に対して強い。検証が大変だが。

「あきらかにウソだろう…」という例は、やはり日本三代実録に多く見られると思うが、
元々が神話時代をテーマにした一種のファンタジーだからね。平家物語や太平記に
しても歴史を考える上では重要な資料だが、元々が大河ドラマのような「物語」だから、
ウソのない、史料としての価値はどうだかというところ。

そもそも歴史には、むかしがたりとしての「物語」の要素と、それを排する要素がある。
教育の対象としては「学問」によってフィクションの要素を除かねばならないが、
歴史においては、フィクションと分離する事が難しい物語性を除く事は、歴史の生命力
を失わせることにもなりかねないので、嘘か真かと単純に考えていいものではない。
302日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:23:24
>>298
河原者

>>300
アホ
303日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:04:20
よく系図とか見てると、
「清和源氏新田流」とか書いてありますよね。

最後の字の「流」は、なんと読むんでしょうか?
「りゅう」あるいは「ながれ」?
どっちなんでしょうか?

よろしくお願いします。
304日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:06:32
東京の与力屋敷の発掘調査で大名が持つようなお茶碗が出て来たことがある。
305日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:07:02
>>303
「りゅう」
306303:2005/10/27(木) 23:16:26
>>305
「りゅう」ですか。

ありがとうございます。
307日本@名無史さん:2005/10/28(金) 01:09:34
どこかのスレで「『信長公記』『名将言行録』『甲陽軍艦』を最低限読んでいれば戦国通になれる」
といっている人がいたのですが、これでいいんでしょうか?
他にも抑えておいたほうがいい歴史書はありますか?
308日本@名無史さん:2005/10/28(金) 01:47:55
『名将言行録』だけで十分だと思ワレ
まぁ強いて言えば『武将感状記』かな・・・
309日本@名無史さん:2005/10/28(金) 02:34:08
江戸時代の侍、特にそんなに禄高のない旗本や御家人は、馬に乗れたのでしょうか?
公的な乗馬練習場みたいなのはあったのでしょうか?

できれば地方のことも教えてください。
310日本@名無史さん:2005/10/28(金) 05:51:37
ドラマの大奥を見てこの時代に興味を持ちました。詳しい史実が知りたいです。おすすめの大奥関連の書籍を教えてください。
311日本@名無史さん:2005/10/28(金) 13:16:22
菊池寛の『日本合戦譚』などに、
「食事の仕方で人物批評をされたのは
平親王と北条氏政の二人である」といった文言があります。
北条氏政が一杯の飯に二度汁をかけて食した為に、
父親の氏康が「北条家も自分一代で終わるな」と嘆息したという史話は
有名ですが、もう一人の平親王の史譚は如何なる内容のものなのでしょうか?
出典や説話伝承のあらましを御教示下さいませ。
よろしく御願い申し上げます。
312日本@名無史さん:2005/10/28(金) 14:37:09
将門の反乱に味方しようとした関東の武士が、
将門がボロボロ飯を落として食うから、こいつダメポと思って、
やっぱり朝廷側に付くってのはネタとしては有名な話だと思ったが。

ネタ元は確か源平盛衰記だったと思うがやや不確か。
313日本@名無史さん:2005/10/28(金) 14:55:16
>>311
なんだ、マルチ野郎か。
だからといって、どうということもないが。
314日本@名無史さん:2005/10/28(金) 15:15:16
菊池寛の『日本合戦譚』などに、
「食事の仕方で人物批評をされたのは
平親王と北条氏政の二人である」といった文言があります。
北条氏政が一杯の飯に二度汁をかけて食した為に、
父親の氏康が「北条家も自分一代で終わるな」と嘆息したという史話は
有名ですが、もう一人の平親王の史譚は如何なる内容のものなのでしょうか?
出典や説話伝承のあらましを御教示下さいませ。
よろしく御願い申し上げます。



315日本@名無史さん:2005/10/28(金) 16:03:15
さすがに>>314は愉快犯がやったと思いたいな。
316日本@名無史さん:2005/10/28(金) 17:39:22
さにあらず。
ただひたすら御聞きし度き儀ありて問うて居りまする。

★菊池寛の『日本合戦譚』などに、
「食事の仕方で人物批評をされたのは
平親王と北条氏政の二人である」といった文言があります。
北条氏政が一杯の飯に二度汁をかけて食した為に、
父親の氏康が「北条家も自分一代で終わるな」と嘆息したという史話は
有名ですが、もう一人の平親王の史譚は如何なる内容のものなのでしょうか?
出典や説話伝承のあらましを御教示下さいませ。
よろしく御願い申し上げます。



317日本@名無史さん:2005/10/28(金) 18:18:21
なぜ、脇田晴子氏は文化功労者に内定したのれすか?
318日本@名無史:2005/10/28(金) 18:32:09
前から不思議だったんですが、本物の日本刀ってすごく重いですよね?太刀廻りとか本当にできるんでしょうか?
319294 & 296:2005/10/28(金) 19:08:24
>>301

たいへん為になりました!!
ありがとう!!
320日本@名無史さん:2005/10/28(金) 19:54:56
なんで江戸の死罪のうち斬首刑だけは非人ではなく武士が行うのですか?
非人に刀を持たせてはいけなかったんですか?
321日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:01:13
>>318
鍛えればできる
322日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:34:58
刀は重いだの鉄を両断できるとか二・三人斬ったら刃こぼれするだの
血油で斬れなくなるだの、刀に関するとどこかで聞きかじった事を並び立てる人が
多いのはなぜでしょうか?
323日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:47:21
茶屋四郎次郎と言う名前ははどうして四郎と次郎を合体させちゃったの?
324日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:59:36
>>322
>鉄を両断できる
まぁ、出来なくはない。その鉄の太さや形状にもよるが、出来なくはない。
他の者は知らんが、俺は目の前で見たから確か。

>>323
四郎次郎は、四郎+次郎ではなく、四郎次郎なんだ。
325日本@名無史さん:2005/10/28(金) 21:32:28
平将門って親王?
マルチの愉快犯に乗るようで悪いですが、
なぜ親王って呼ばれるのですか?たんに、311が言ってるだけ?
326日本@名無史さん:2005/10/28(金) 21:43:03
新皇
327日本@名無史さん:2005/10/28(金) 21:52:57
彼が称したのは新皇だけど、天皇乗っ取りってはさすがに感じがよくないので、
彼をヒーロー視した江戸時代の各種の読み物では、同じ読みで親王と表記したの。
328日本@名無史さん:2005/10/28(金) 22:27:08
なるほど、ありがとうございます。
329長谷川田丁子(偽名):2005/10/28(金) 23:53:13
>>316
斎藤道三とこでも似たような話があったような。

> 有名ですが、もう一人の平親王の史譚は如何なる内容のものなのでしょうか?
「ヒモが見あたらないのでカンピョウで荷物をしばった」とかじゃないですか。
330日本@名無史さん:2005/10/29(土) 00:13:48
>>318
「鉄の棒」とはいえ平たいので、特別に長いのは別として、普通は1kgを切る800g前後だから、
「野球のバットと大差ない」です。
331日本@名無史さん:2005/10/29(土) 03:36:33
★菊池寛の『日本合戦譚』などに、
「食事の仕方で人物批評をされたのは
平親王と北条氏政の二人である」といった文言があります。
北条氏政が一杯の飯に二度汁をかけて食した為に、
父親の氏康が「北条家も自分一代で終わるな」と嘆息したという史話は
有名ですが、もう一人の平親王の史譚は如何なる内容のものなのでしょうか?
出典や説話伝承のあらましを御教示下さいませ。
よろしく御願い申し上げます。

>>329
斎藤道三の似たような話に就いて教えて下さい。
また、「ヒモが見あたらないのでカンピョウで荷物をしばった」
という史譚は、平将門の故事なのでしょうか?
さすれば、出典は『将門記』で御座りましょうかの?
是非ともお教えの程、よろしう御頼み申し上げまする。



332日本@名無史さん:2005/10/29(土) 16:59:33
戦前の宮内省の内蔵寮とはどういう部署なのでしょうか?
また、華族が多く就任している主猟官とはどういう役職なのでしょうか?
333日本@名無史さん:2005/10/29(土) 17:05:52
華族の系図本などを読んでいると、華族には宮内省勤務の人が多いのですが、
とくに侍従、式部官、主猟官の三つが目立ちます。前二者はわかるのですが、
主猟官だけ役職の内容がはっきりしません。
また、式部官兼主猟官というケースもよくあるようです。

それから宮内省職員は「宮内官」として「文官」とは別のカテゴリーになっており、
国の官吏ではなかったというのですが、皇室の私的使用人ということですか?
334日本@名無史さん:2005/10/29(土) 17:20:20
そもそも近代以降の日本で貴族のレジャーとしての狩猟なんてあったのか?
335日本@名無史さん:2005/10/29(土) 20:53:45
西洋の貴族みたいにキツネ狩りとか鹿狩りとか、やってないよな。
そんな広い野原も森もないし。
336日本@名無史さん:2005/10/29(土) 23:47:40
中学生です。よろしくお願いいたします。

歴史の先生がよく「天皇なんざごくつぶしの税金泥棒にすぎないんだよ!
女の天皇だ?ふざけんな!!もう廃止廃止税金の無駄!!!」って語ります。
確かに先生の言い分や、現在の皇族のニュースを見ても鬱病で引きこもっている
奥さんやオタクが嵩じて(先生曰く)結婚を機に秋葉原に住むおばさんやら確かに
先生の言うとおり税金の無駄にしか思えないと思い始めましたが、あるスレッドで
↓のサイトを紹介されて熟読してみたんですが、これを読む限り天皇さんや皇族http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan2.html
ってもしかして先生が言うほど悪い人たちじゃないような気がしてきました。
でもネットの情報を一方的に信じるのは良くないってひろゆきさんが言ってました
ので真偽の判断がつきません。
そこで質問なんですが、このサイトの言っていることが正しいのか教えて下さい。
僕の他にも歴史の先生の言い分に疑問を持つ生徒が少なからずいます。
もし正しいのであればうそを教える歴史の先生なんか要りません
グループを組んで正しい歴史を教えてくれるように頼んでみます。

よろしくお願いいたします。
337日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:36:24
コピペうぜええええ。

そんなことより、誰か主猟官の質問に答えろよ。
338日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:37:47
コピペはコピペをもって制す。仕切り直し。

332 :日本@名無史さん :2005/10/29(土) 16:59:33
戦前の宮内省の内蔵寮とはどういう部署なのでしょうか?
また、華族が多く就任している主猟官とはどういう役職なのでしょうか?


333 :日本@名無史さん :2005/10/29(土) 17:05:52
華族の系図本などを読んでいると、華族には宮内省勤務の人が多いのですが、
とくに侍従、式部官、主猟官の三つが目立ちます。前二者はわかるのですが、
主猟官だけ役職の内容がはっきりしません。
また、式部官兼主猟官というケースもよくあるようです。

それから宮内省職員は「宮内官」として「文官」とは別のカテゴリーになっており、
国の官吏ではなかったというのですが、皇室の私的使用人ということですか?


334 :日本@名無史さん :2005/10/29(土) 17:20:20
そもそも近代以降の日本で貴族のレジャーとしての狩猟なんてあったのか?


335 :日本@名無史さん :2005/10/29(土) 20:53:45
西洋の貴族みたいにキツネ狩りとか鹿狩りとか、やってないよな。
そんな広い野原も森もないし。
339日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:57:16
>>334
あります。

>>335
熊・鹿・雉などを狩猟していました。
340日本@名無しさん:2005/10/30(日) 01:11:06
>>336
キミに二つだけ、話をしよう。

キミは先生から「天皇がいると税金がたくさんかかるからダメ」といわれたことに疑問を感じたんだよね。
ということは「ではどのくらいお金がかかるの?」と思わなくてはならない。
そして、「どこの誰にきけば、どの本を読めばわかるんだろう?」と思わなくてはならない。
自分の疑問は、まず自分で答えを作らなければならないんだ。

さて、これは国から出るお金だから、国がキチンと公開しているんだ。
お金を払っている国民に国はその中身を公開しないといけないからね。
国にはそうする責任があるんだ。他の国は別だけれど、民主主義の国は
国民が国にお金を払うご主人だから。
341日本@名無しさん:2005/10/30(日) 01:12:42
>>336
今年度はこれだけお金が使われることになっている。
http://www.kunaicho.go.jp/15/d15-03.html
今年度の「皇室費」は全部で3憶2400万円+62憶7783万円+2憶6967万円=68憶7150万円。

これだけみると随分多いように思うだろう?
でも、数字だけを見て「多い」「少ない」って言葉をつくってはいけない。
まずは、「中身」をみないといけない。

真中の62憶7783万円は外国の偉い人を招くパーティ代や、プレゼント代、逆に外国へ招かれる
ときに使ったり、国のものである宮殿の手入れをするためのもの。つまりは「お仕事」にかかるお金。
天皇陛下たちがゼイタクをしたいばっかりに使っているお金じゃないんだ。
342日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:21:45
教えてください。

高校の時に日本史の先生がとても面白い方で、
いろいろな時代の仮説を教えてくれました。

ネットで検索するにはどうしたらよいのでしょうか。
自分的には幕末あたりが面白そうだと思うのですが。
343日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:26:42
そういや皇室も株式投資とかやってんだっけ?
344日本@名無しさん:2005/10/30(日) 01:28:05
>>336
それからね、「全体」をみないといけない。
キミにとって1ヶ月で5000円払おうとすると、ちょっと考えてしまうだろう?
でもお父さんにとっては、そうでもないと思う。
收入がキミよりもずっと多いから。

で、この68憶7150万円というお金は、国の收入(今年は約82兆1830億円)
の何パーセントなんだろうか。約0.008%に過ぎないんだよ。
そして、日本人の人口で割ると一人が一年間に52円払えばいいだけのお金なんだ。
さらにこれから、さっき言った「お仕事」にかかるお金を除いたらどうだろう。

キミはこれを見て「天皇がいるとお金がかかる」って思うかい?
キミが缶コーヒーを買うお金より、安いんだよ。
345日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:31:25
皇室財産という個人資産もあるからね。
346日本@名無しさん:2005/10/30(日) 01:57:04
>>336
二つ目の話。

君主は、国や国民が必要だというから玉座に座らされているの。
そして、自分の国のために仕事をしているの。だから他の国のことで止める必要なんてないんだよ。
だから、「戦争でアジアの人たちにひどいことをしたから止めさせるべきだ」というのは道理に合わない。
ましてや、「悪い人だから君主を止めさせるべきだ」「いい人だから君主に止めるべきだ」って
考えるのは、まちがいなんだよ。
でも、自分の国や国民から「この君主は仕事ができないから、仕事で悪い成績を残したから止め
させよう」といわれて止めるのは、正しいこと。



347日本@名無しさん:2005/10/30(日) 02:08:11
>>336
昭和天皇のことだけれど、戦争に負けるという「悪い成績を残したから」辞めろという話はあった。

「マッカーサーが『いてもいい、辞めさせるべきではない』といっていたけれど、でもあなたの仕事で
日本の兵隊はたくさん死に、国民もたくさん死んだ。遺族たちはあなたがまだ天皇をやっている事を
見てどう思うだろうか。憎むのではないだろうか。だから、あなたは「日本の国民に対して責任をとる」
意味で、辞めて皇太子(今の天皇陛下)に位を譲るべきではないだろうか…」

お付きの人や、親戚からこんなことを言われた。

昭和天皇はひどく気にして、国じゅうを回ることにした。
国はどのくらいメチャクチャになっているのか、国民は今どんなくらしをしているのか、
自分をどう思っているのか、そして、自分はこれから何をすればいいのか、それを確かめるため…
348日本@名無史さん:2005/10/30(日) 02:11:39
>>333
> 主猟官
ちょうど、講談社学術文庫『オーストリア皇太子の日本日記』を読んだところで、
どこからどこまでか、また任務も明確には書いてないみたいだけど、フェルディナント一行に
「主猟官」というのが随伴して回ったように書いてあるので何のことかと思ったんですが、
何なんですかね? 

関係ないけど、ちょうど松平容保が東照宮の宮司をやっているときで、会ってちょっと言葉を
交わしたとか。
349日本@名無史さん:2005/10/30(日) 02:12:34
>>348 訂正
> 「主猟官」というのが随伴して回った

> 「主猟官」というのが随伴して回った部分がある
350日本@名無しさん:2005/10/30(日) 02:43:33
>>336
昭和天皇は、(自分を憎むものがいるのは当たり前だから)「石でもぶつけられればいいんだ」と
お付きの人にいった。石どころか、殺そうという人だって当然いたはず。覚悟をしていたんだ。

でも、どこへいっても、そんなことにはならなかった。
行く先々で大歓迎を受けた。中には死んだ息子の写真を胸に「天皇陛下がお見舞いに来て
下さいましたよ」と泣く母親もいた。

もしここで辞めたら、泣いて歓迎してくれた国民の気持ちを裏切る事になる。
辞めることは国と国民の心を受け止めることを放棄したという、君主が一番やっては
いけないことなんだ。苦しむ心を受け止めるのは辛い。一生やらなくてはならないのか?
辛い、辛すぎる。でも、辞められるわけがない。それが戦争をやって、そして負けた
君主としての責任の取り方なんだ…

昭和天皇はそう気が付いて、辞めなかった。
351日本@名無しさん:2005/10/30(日) 03:14:37
>>336
話が長くなってしまってすまなく思うが、天皇と民のこんな関係が「日本」と呼ばれるものなんだ。
古くから天皇はいたが、こんな関係が本物になったのは、ほんの百年前。
つまらない口を利くものはたくさんいるけれど、そんな者が何と言おうとも、これが今ある「日本」
なんだ。だから、例え政府が変わっても、領土が東京都だけになっても、政府が天皇を決めて
さえいえば、国民が関係を持てる天皇がありさえすれば、それが「日本」になる。
「天皇なんていなくてもいいじゃないか」という人も多いが、天皇がいなくなれば、それは「日本の
後に続いているだけの国」に過ぎない。もうそれは「日本」でない、別の国なんだ。

わからなければ、十年経っても、五十年経っても、大人になっても、老人になっても、わからない。
キミは先生や、「サヨク」と呼ばれる人たちを見て、それを感じているはずだ。

彼らは何も学べずに、大人になった。
君主のありかたも、日本のありかたも、昭和天皇の生き方も、健全な理屈も、人の真心も、
そして、キミたちがなぜ疑問に思うようになったのかも、何も。
352日本@名無しさん:2005/10/30(日) 03:31:22
>>336
私は歴史が好きで、中学生の頃、キミと同じように疑問をもった。
その回答を作りたくて、秀才から見れば少しばかりの勉強をして、今に到っている。
その回答のほんの一部を、ここに書き込んだ。

だがこの回答を、キミは尻目に見なくてはならない。自分の回答としてはならない。

言葉にして文章にして自分の外に広げたとき、それは命を失うもの。
私の回答も、私の代で、古臭いという言葉を浴びせられて寿命を迎える。
歴史とはその蓄積。だから歴史とは、生きてはいないもの、死んだものに過ぎない。

歴史を学べば、キミは回答を心に抱ける筈だ。
そのとき、生きてはいない歴史というものに、初めて命が吹き込まれる。
だからこそ、キミは自分の回答を自分で見出さねばならない。
私の回答という歴史を、そこに遺る失敗を、キミがなぞらえないために。
353日本@名無史さん:2005/10/30(日) 08:21:36
中学生ネタに釣られすぎ。バカジャネーノ。



もしかして自作自演か?
354日本@名無史さん:2005/10/30(日) 08:28:46
日本の国際連盟脱退を伝える記事(東京朝日新聞/1933.02.25)で
松岡洋右の顔写真の下に載っている二人は誰なのか教えてください。

自分でも調べてみたのですが、松岡氏の情報ばかりで、
この二人の良さげな情報がなかなか見つかりません。

ちっちゃな情報でもいいのでお願いします。
355日本@名無史さん:2005/10/30(日) 14:05:15
★菊池寛の『日本合戦譚』などに、
「食事の仕方で人物批評をされたのは
平親王と北条氏政の二人である」といった文言があります。
北条氏政が一杯の飯に二度汁をかけて食した為に、
父親の氏康が「北条家も自分一代で終わるな」と嘆息したという史話は
有名ですが、もう一人の平親王の史譚は如何なる内容のものなのでしょうか?
出典や説話伝承のあらましを御教示下さいませ。
よろしく御願い申し上げます。

>>329
斎藤道三の似たような話に就いて教えて下さい。
また、「ヒモが見あたらないのでカンピョウで荷物をしばった」
という史譚は、平将門の故事なのでしょうか?
さすれば、出典は『将門記』で御座りましょうかの?
是非ともお教えの程、よろしう御頼み申し上げまする。



356日本@名無史さん:2005/10/30(日) 14:36:45
主猟官について気になったので「宮内省官制」で調べてみた。

第四十七条 主猟寮ニ於テハ狩猟及猟場ニ関スル事務ヲ掌ル

第五十九条 主猟寮ニ主猟官ヲ置ク
2 主猟官ハ十五人内二人ヲ勅任十三人ヲ奏任トシ共ニ名誉官トス
  狩猟ノ事ヲ掌ル
357日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:03:33
明治時代、店を構えて商売をする場合、今のような〔営業許可証〕が必要だったんでしょうか?
もし必要だとしたら、そういった申請はどこでしたのでしょうか?
358日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:28:03
昔の吉原って避妊具も無いのに妊娠したらどうしてたんでしょうか?
冗談ではなく本気で気になって質問してます
359日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:43:56
アソコに紙詰める。これは当時の基本テク。
大抵は淋病に掛かってるので、そもそも妊娠しにくい。というか出来ないケース多数。
最悪は堕胎専門の医者におろしてもらう。
360日本@名無史さん:2005/10/31(月) 00:19:24
>>359
>>大抵は淋病に掛かってるので・・

それでは男も淋病に掛かっていたのが多数ですか?
361日本@名無史さん:2005/10/31(月) 01:10:51
梅毒と違って淋病では死なないらしいから。
362日本@名無史さん:2005/10/31(月) 01:32:27
>>358
>避妊具も無いのに
いや、あるよ。
363日本@名無史さん:2005/10/31(月) 07:45:53
江戸時代とかに古墳を発掘調査した記録等はあるのですか?
また、土器・石器などが発見されていた場合、当時の人にどんな物だと思われていたのでしょうか?
364日本@名無史さん:2005/10/31(月) 09:27:56
★菊池寛の『日本合戦譚』などに、
「食事の仕方で人物批評をされたのは
平親王と北条氏政の二人である」といった文言があります。
北条氏政が一杯の飯に二度汁をかけて食した為に、
父親の氏康が「北条家も自分一代で終わるな」と嘆息したという史話は
有名ですが、もう一人の平親王の史譚は如何なる内容のものなのでしょうか?
出典や説話伝承のあらましを御教示下さいませ。
よろしく御願い申し上げます。

>>329
斎藤道三の似たような話に就いて教えて下さい。
また、「ヒモが見あたらないのでカンピョウで荷物をしばった」
という史譚は、平将門の故事なのでしょうか?
さすれば、出典は『将門記』で御座りましょうかの?
是非ともお教えの程、よろしう御頼み申し上げまする。




365日本@名無史さん:2005/10/31(月) 12:11:20
答えが返ってこないからって何度も書くなよ
一ヶ月自分で調べて、その後にまたこい
366日本@名無史さん:2005/10/31(月) 18:38:55
戦後の日本が連合国に分割されたと過程して戦後日本の未来を予想するスレッド
があったような気がするんですがこの板でしたっけ?
イギリスに売却された四国アイランドとかあったような…
367日本@名無史さん:2005/10/31(月) 18:43:30
>>363
発掘調査という発想はないんじゃないですかね?
陵墓の状態を調べて記録した人はいましたね。たとえば蒲生君平だっけ?
368日本@名無史さん:2005/10/31(月) 18:45:12
>>364
> 「ヒモが見あたらないのでカンピョウで荷物をしばった」
正確な出典は失念しましたが、確か、長谷川町子『似たもの家族』ではなかったかと。
369日本@名無史さん:2005/10/31(月) 19:30:20
>>358
吉原関係は女性史とかで研究してる女の人多いから、本探してみれば?
お酢で膣内洗浄ってのは聞いたことある
370日本@名無史さん:2005/10/31(月) 20:01:31
>>368
ちょっと、あんさん!
それ冗談と違いますか?
長谷川町子の漫画が出典やなんて。
殺生でんがな!
371日本@名無史さん:2005/10/31(月) 20:38:22
膣内洗浄はほぼ無意味。
ってのは当時の人間も実体験上で理解していたようだが。
372日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:25:04
>>367
壱岐の領主が江戸時代に古墳を調査・発掘してなかったっけ?
平安時代の人間は、石器を天から落ちてきたものと考えていたという話も聞いたことがある。
373日本@名無史さん:2005/10/31(月) 23:18:04
>>370
さいでっか?

> 斎藤道三の似たような話
だから「まさに似たような話」。
なお、そういった逸話は「目分量」の上手下手の問題とかいう風に解釈されているようですが、
平時にもかかわらず食欲に波がある体質では、合戦のときに危ない、とかいう解釈も成り立ち
そうな気がします。
374日本@名無史さん:2005/10/31(月) 23:20:26
>>372
石器は「ただの石」では?
掘り出された銅鐸が何だか分からなかったという話はあったですね。
375日本@名無史さん:2005/10/31(月) 23:40:03
>>363>>367
あの水戸光圀が、下野・那須の何とかという古墳(侍塚古墳だったかな、忘れた)を
『那須国造の墓かどうかを調査する』という名目で掘り返したことがあります。
これなんか、立派に「発掘調査」の名に値するでしょうね。
ちなみに、実際の作業を行ったのは助さん(のモデルになった人)だとか。
376日本@名無史さん:2005/11/01(火) 06:59:05
旧日光御用邸が公園として公開されているそうですが、調べてみると公開されているのは
大正天皇の別荘として使用されていた旧田母沢御用邸で、それ以前から東照宮に近い山内に
明治天皇の皇女の別荘だった「日光御用邸」というのがあったそうです。
ところが、この山内の御用邸のその後がいくら調べてもわかりません。

現在、山内の御用邸の跡がどうなっているのか教えて下さい。
377日本@名無史さん:2005/11/01(火) 07:24:13
あと、戦前存在した霞ヶ関離宮、青山離宮(青山御所)、高輪御所などについても教えて下さい。
378日本@名無史さん:2005/11/01(火) 07:57:01
日本史で、
殿様が奥さんや子供を敵方に人質みたいにして渡すの、
何ていいましたっけ?
信長とか秀吉が家来に裏切り防止のためにやったアレです。
379378:2005/11/01(火) 09:14:52
解決しますた。スルーで。
380日本@名無史さん:2005/11/01(火) 12:33:31
准士族って表記を時々見るのですが・・・なんですか?字の通りって言うのは無しで。
381日本@名無史さん:2005/11/01(火) 15:03:06
>「ヒモが見あたらないのでカンピョウで荷物をしばった」

源平(源平というのは厳密には違うけど)〜鎌倉期には
ポピュラーな兵糧輸送上のノウハウだけどね。
ただの縄を運ぶより、食える縄を運んだ方が
限られた輸送能力をフルに使える。

これは山野さん当たりが詳しいんじゃないかな?
382日本@名無史さん:2005/11/01(火) 15:51:17
皇室の跡継ぎとして女系を認めるかかどうかの議論がなされてますが
これは男系で繋いできた伝統が途絶えるというだけの事なんでしょうか
それとも王権の正当性が失われるという事なんでしょうか?
383日本@名無史さん:2005/11/01(火) 16:32:21
どっちかっつーと伝統。

それと本格改憲の足慣らしにしたいという思惑も見え隠れ。
384日本@名無史さん:2005/11/01(火) 18:15:00
>383
護憲教信者乙
385日本@名無史さん:2005/11/01(火) 18:20:31
揉めるな、素人の俺には何が何だか分からなくなる。

「王権の正当性は失われないが王朝樹立以来の伝統には反する」

これで宜しいか?
386日本@名無史さん:2005/11/01(火) 18:40:13
諸外国だって昔は「男系男子」が継ぐ者だったのではないですか?

良いでしょ、愛子天皇陛下で。

言っちゃなんだが、秋篠宮に男の子ができてその子が継ぐくらいならまだしも、
「旧皇族を皇族に戻して皇位継がせる」なんてトンデモをやってまで男系にこだわる必要はない。
387日本@名無史さん:2005/11/01(火) 19:06:13
いや、諸外国は関係ないし男系か女系かではなくて
王権の正当性が保てるのかどうかが大事。

保てるんであれば男系でも女系でもどっちでもかまわないが
保てないんなら、それは大和朝の終わりであって新王朝の樹立だろ。

そんなのは馬鹿げてるし、当然ながら天皇制は廃止するべきだろうね。
だから正当性はあるのかと聞いてるの、教えてよ。
388日本@名無史さん:2005/11/01(火) 19:13:56
4分の3まで平民の愛子より私のほうが「至尊の位」に
ふさはしいぞよ。



389日本@名無史さん:2005/11/01(火) 19:47:37
神武帝以来のY染色体の継承、
なんてのは客観的科学的に見れば、まったくもって無意味なこと。
(本来とは違う父親の子供の誕生、子供のすり替え、なりすまし、
 遺伝子の自然的な欠損、変異、入れ換えが歴史上一度も無いなんてことが有り得ようか)

そして、日本国憲法に
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
 この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあり、
多くの日本人がこの考えを受け入れているということは、
王権の正当性もまた日本国民の総意に基くものになるだろう。

つまり、
>だから正当性はあるのかと聞いてるの、教えてよ。
それはどっかの誰かが決めることじゃなく、
アンタも含む(アンタが日本国民じゃないなら含まれないが)、日本国民が決めることだ。
390日本@名無史さん:2005/11/01(火) 20:10:04
だから、その判断材料をくれと言ってる。
391日本@名無しさん:2005/11/01(火) 20:24:50
今、未成年男子皇族がいない。
この現実こそが揺ぎ無い判断材料だと思うが。
392日本@名無史さん:2005/11/01(火) 20:34:47
そこで共和ですよ。
393山野野衾:2005/11/01(火) 20:36:15
とりあえず、わが娘ながらアイコみたいな豚児はどうでもいいですね。
天皇制断絶後は象徴靖国制への移行しかないでしょう。靖国の英霊が象徴なら不足ない。
394日本@名無史さん:2005/11/01(火) 20:46:43
天皇と千家の当主が相撲を取って国譲りを行えば良い。

他に良い案があるか?
395日本@名無史さん:2005/11/01(火) 20:59:51
なんで板倉修理は細川越中を江戸城内で斬ったのでしょうか?
396日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:16:53
間違えた
397日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:43:34
なんか政治家と大企業の社長の家系図とかみたら旧華族の人と結婚してる人が多くいますね。
この人達って血筋を遡ると天皇とか藤原氏にあたるんでしょ。
血筋でみたら日本の階層って昔から変化してない事ないですか?
398日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:49:54
>>397
政治家とか大企業の社長の方は血筋を遡り切れない人もいるけどね。
399307:2005/11/01(火) 22:07:56
>>308
ありがとうございました
400日本@名無史さん:2005/11/01(火) 22:49:58
>>397
人は家柄や血筋といった貴種が大好きだし、貴種の方も権力や財力をもった奴が大好き。
だから貴種のグループに社会的成功者が仲間入りし階層を構成する構図が必ず出来上がる。
これは外国の侵略とか革命でも起きて追放か虐殺しないと、この階層は変化しない。
でも日本にはそんな事は起きなかった。
制度として公家・武家や華族といったものは失われていったが
追放も何もされてないので今でも構図は変わらない。
家柄でなく、血筋でいうなら安和の変以降の1000年間、日本の階層は変化してない。
401日本@名無史さん:2005/11/02(水) 00:33:44
北畠氏って足利氏にとって不倶戴天の敵同士でしょ?
なんで室町政権下でものうのうと伊勢国司なんかやってられるのよ?
402日本@名無史さん:2005/11/02(水) 00:44:20
続日本紀の現代語訳がのっているサイトがあったら教えてくださいorz
自分で探してみたけど見当たりませんでした。
403日本@名無史さん:2005/11/02(水) 02:20:11
>>401
何度となく足利勢と戦ったり和睦したりを繰り返してるので
決してのうのうと国司をやってたわけじゃない。
404日本@名無史さん:2005/11/02(水) 05:57:29 BE:211638375-
天皇陛下が男系継承だったのは、なにかで決まっていたのでしょうか?
過去のすべての系統についてです。
405日本@名無史さん:2005/11/02(水) 06:25:02
実質的に地主階級が成立したのは江戸中期といわれますが
より正確にはいつごろなんですか?
406日本@名無しさん:2005/11/02(水) 06:39:05
>>404
そもそも女系で継承させるパターンが世界的に存在していたのか。
特殊体質を要する巫女霊能の世界くらいではないのか。

女は子供を産めても十人が精々。それも上手く成人するとは限らない。
いざ継がせても、その代が産まず女だったらどうする。
息子ばっかりだったらどうする。殺されたり死んだりしたらどうする。
元の継承者が少ないのだから、あっという間に断絶してしまう。
女系は継承性に著しく欠けるではないか。
407日本@名無史さん:2005/11/02(水) 07:25:32
しつもんです。
よく豊臣秀吉と言いますが「臣」の意味や、当時の文書が「豊 秀吉」「豊 秀次」となっていたり、「豊家」と呼ばれていたりすることから、当時は、
「豊 秀吉」「 とよ ひでよし」
と呼ばれていたのでしょうか?


408日本@名無史さん:2005/11/02(水) 10:26:09
>>407
呼ばれてない。
そもそもそんな官位の高い人間を安易に名前で呼べないだろ。
豊臣家を豊家(ほうけ)と読んだりするのは、そういう偉いさんを呼ぶときに敬意をこめて音読みで読むという習慣みたいなものがあったからだよ。
徳川家を「とくせんけ」と読むこともある。
409日本@名無しさん:2005/11/02(水) 11:06:34
>>407
古来、日本語の世界では口や言葉で「呼ぶ」ものと文章に「書く」「読む」ものとは
違うというところから説明しないといけないかな。

中世までの日本の文書は普通「漢文」「中国式の文」なんだ。公文書は特にそう。
だから記名も中国式っぽく「一文字姓+名」の形式で、豊臣(とよとみ)の頭一字
だけにすると。源平は一文字だからこんなことをしなくてもいい。

でそれを読むときは、中国式っぽく音だけで「ほう・しゅうきち」と読むか、
何せ漢文の中にある記名なんだし、姓を中国式に仕立ててるなら
読むときも音読でしないと格好がつかない。くだけた言い方だと
姓だけ音で「ほう・ひでよし」と読むかもしれん。

例 : 菅原道真          → 菅道真
    (すがわら・の・みちざね)   (かん・どうしん)(かん・みちざね)

    源吉宗            → 源吉宗
    (みなもと・の・よしむね)    (げん・きっそう)(げん・よしむね)
                       (みなもと・の・よしむね)

源平などの一文字姓は呼び方と読み方を同じにできるから面倒だわな。
410日本@名無史さん:2005/11/02(水) 15:41:44
日本が武家社会になっていく過程をまとめるとこれで良いですか?


平安時代までは常設軍を持たずに必要に応じて討伐軍を編成をしていたが
鎌倉幕府は全国に散らばる武人を組織化した武人に対する支配組織。
この時点では、まだ公家や寺家の荘園・公領に対する影響力は無い。

その後、戦が増えるにつれて荘園や公領の守護者として非御家人に対しても影響力が増し
守護が荘園や公領の主に対して一定の年貢の保障と引き換えに直接支配に乗り出した。

戦に負けた側が支配していた荘園や公領は勝った側の領地となった為
朝廷の政権機能は失い、僅かに残った公領の存在も無実とかした。
そして、太閤検地によって荘園も消滅し全土に及ぶ武家支配が確立した。
411日本@名無史さん:2005/11/02(水) 16:33:34
表面的な勢力争いしか見てないから全然ダメポ。
なんで全国に武士が散らばりだしたのかという
一番根本的な部分を考えなくてどうするのよ。
412日本@名無史さん:2005/11/02(水) 16:51:09
何を指してるのかわかんないんすけど・・・・
分かるようにお願いします。
413日本@名無史さん:2005/11/02(水) 17:25:08
>>403
そーいえば北畠満雅は、南朝の子孫担いで幕府に二回も叛旗を翻したばかりか
最後は戦死しちゃってるよね。
でも伊勢は信長に滅ぼされるまで北畠氏が国司として統治してるし……なんで?

つーか室町時代って、大内だの赤松だの土岐だのの謀反人に対して随分寛容だよね。
やっぱそうしないと国を統治できなかったのかしら?
414日本@名無史さん:2005/11/02(水) 18:09:50
単純に足利将軍家は直轄の大きな軍事力を持ってないんだから仕方ない。
将軍直轄の兵力というと奉公衆がそれなんだろうけど、
それも一番大きいときでも数千くらいのもん。
細川政元のクーデターであっさり潰されちゃった。

守護大名の一族間の勢力争いに介入して、
それで権威を高めてたのが足利将軍であって、
将軍家単独では近江の南半分を持ってた六角を
軍事的に潰すことすらできなかったのよん。
415日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:04:06
>>410
土地の所有権は戦の勝敗だけじゃなくて、
「因縁」の濃淡とかでも移動するんじゃよ。
どっちの因縁が濃いかの裁定を幕府・朝廷でしてもらう。

有力寺社の荘園が畿内を中心に残っていた原因とかを調べていけば、
理解が深まるかもね。
416日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:05:13
足利茶々丸って本名が不明なの?それとも誰かに憚ってるの?
いずれにしろ20越えて茶々丸なんて名前で通していたわけじゃないでしょ…
417日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:42:11
>>415
いろいろとアリガトウです。

最後に一つだけ。
朝廷の行政権は応仁の乱で崩壊したでFA?
418日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:00:36
>>409
丁寧なレス
すまそ
419日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:01:38
>>408
れす
トンクス
420日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:35:02
明治2、3年と続けて、歌舞伎にまぎらわしい所作禁止の布令が出されたそうですが、いったい何のためにそのような布令を出したのでしょうか?
421お 定:2005/11/02(水) 23:03:53
雑談すゅデチ
422日本@名無史さん:2005/11/03(木) 10:25:32
島津・伊達・前田は徳川時代でも一時は従三位権中納言になっているのに
その後最高でも参議クラスまでしか昇官していないのはなんでですか?
中納言から上は幕府によって禁じられていたのですか?
423日本@名無史さん:2005/11/03(木) 11:47:25
時代劇のちょんまげって
頭を剃ってる場合と剃ってなくて直接まげを結んでる場合がありますが
あれの違いって何なんでしょうか?
どういうときに剃っててどういうときに剃らないのでしょうか?

信長などの映画やドラマなども映画によって剃ってたり剃らなかったりされていますが
武士や一般的な住人にとってどっちがメインなんでしょうか?
424日本@名無史さん:2005/11/03(木) 13:02:25
大奥総取締役は、
春日の局以降は、どんな人がいるのですか?
できれば、歴代将軍とあわせて教えてもらえたらうれしいです。
425日本@名無しさん:2005/11/03(木) 13:22:15
>>423
あの頭の前側を剃った形を月代(さかやき)と呼ぶが、まずはこれを読んでくれ。
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/sakayaki.html

兜を被ったら頭が蒸れるから剃ったというのが始まりで、つまるところ、これは元々武士専用の髪型だったんだ。
だから天皇や公家は江戸時代になっても剃らないし、古代から独自のステータスであった医者も剃らない。
僧侶は剃るが神主は剃らないようにね。

庶人が剃るようになったのは、公家風の古典的な服飾が廃れ武士的な服飾が広まる室町後期から。
所詮はファッションだから、服飾の変遷と流れは同じなんだね。具体的にはここでは言わない。
この頃以降、庶民を描いた絵がたくさん残っているから、それを見て認識を固めて欲しい。

それから、どういう時に剃ってどういう時に剃らないかだが、あなたは会社や取引や行事に出るとき、髭を剃らないかい?
休日のときやプライベートなときには、髭を剃るかい?几帳面なら毎日剃るかもしれないが、不精だったら剃らない
だろう。でも恥をかきそうだったら、不精でも流石に髭を剃るだろう。武士でも僧侶でも、同じことなんだよ。

映画やドラマで剃っていたり、剃っていなかったりだけれど、アレはあくまで演出の内。
篭城戦で疲れ果てている将兵や何とも汚らしい貧民だと、綺麗に剃っている姿は不自然だろうし、
武士が儀典や城内にいるときに剃っていなかったとしたら、無作法すぎて不自然だろう。
要はマナーとしてどうかということだけ考えればいいのであって、あれらをもって一般的に剃っていた剃っていないと
見解を考えるべきではないとおもうよ。

426日本@名無しさん:2005/11/03(木) 13:38:23
427日本@名無しさん:2005/11/03(木) 13:42:50
>>426
歴代徳川将軍の中で、御台所の子は三代家光だけ…意外だった。
428424:2005/11/03(木) 14:04:13
>>426さま
ありがとうございました!
ぐぐってもなかなか見つからなかったので(´д`;
429日本@名無しさん:2005/11/03(木) 14:33:37
>>420
http://blhrri.org/kenkyu/burakushi/burakushi_27_1.htm

幕末から明治初期にかけて、都市の社会秩序の崩壊(藩士の子女が
身を落す事も多かった)、それに伴う風俗産業の溢流、芸能産業の
猥雑化、同産業構造の崩壊・流動化があったのです。
今と違って歌舞伎はトレンディ芸であり、こんな時代ですから彼らとて
卑猥なものに走ること無きにしも非ずだったのです。

それを「風俗矯正令」を出して秩序を維持しようとしていたということです。



430日本@名無しさん:2005/11/03(木) 14:48:57
>>418
ごめん、「ほう・しゅうきつ」だね > 豊秀吉
「しゅうきち」だと(音+訓という、いわゆる)重箱読みになってしまう。

豊家を「ほうけ」、豊姓を「ほうせい」と音読するように、「豊」だけにしてしまうと、
豊秀吉も「ほう」で音読するべきだし、またこれを「とよ」と読むのは不適切かと。

まぁ実際にどうだったかを厳密に論じても意味がないと思う。
何しろ、公文書を音読するなんていう機会は、特に当時としては、勅使しか
やらなかったろうし。
431424:2005/11/03(木) 15:53:58
>>426さま
ありがとうございました!
ぐぐってもなかなか見つからなかったので(´д`;
432420:2005/11/03(木) 16:54:23
>>429
ははぁ、なるほど。
ありがとうございます
433日本@名無史さん:2005/11/03(木) 17:37:36
今の世の中で、蘭奢待を正式に頂くためには
どのような方法がありますか?
434日本@名無史さん:2005/11/03(木) 18:56:50
古代日本に仏教が伝来し、奈良時代にかけて国教化していきましたが、
それ以前の日本の信仰はどのようになっていたのですか?各地に
個別の信仰があって、国教的なものはなかったのでしょうか?
以上宜しくお願いします。
435日本@名無しさん:2005/11/03(木) 19:01:28
>>433
素直にベトナムの伽羅を手に入れたほうがいいと思う。
最近では殆ど採れないらしいが。
436日本@名無史さん:2005/11/03(木) 19:13:30
>>434
まずは神道の歴史から調べるのをお勧めする
あとは魏志倭人伝の記述なんか参考になるかと
437日本@名無しさん:2005/11/03(木) 19:16:00
>>434
日本における宗教受容史
http://abe.ihatov.jp/pdf/japanesereligion.pdf

この辺は考古学(遺跡)を経時的に見ればわかるとおもうが…
まず「日本書紀」や八幡信仰にも見るように、神道の国教化の動きもあったことを忘れてはいけない。
それ以前に国教を考えてみると、崇仏論争や聖徳太子時代の仏教、さらには各地の古墳の石室の
星辰図にみる道教信仰も、国教の原型としてとらえることができるかもしれないと思う。
438日本@名無史さん:2005/11/03(木) 19:38:51
八井耳命について教えてください。
いちおうケータイで検索したのですが、神八耳命しかでてきません。
どんな人だったのか、よろしくお願いします。
439日本@名無史さん:2005/11/03(木) 19:50:37
>どういう人だったのか
こんなもんかな

ttp://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/temple/shimada-sudou02.htm
で、この嶋田神社のご祭神は、神八井耳命・・・かむやいみみのみこと という、
神武天皇の皇子となっています。う〜ん すげ〜っ ここに神武天皇の息子が登場するんですね。

神武天皇に確か子供は、3人・・・
かむやいみみ(かんやいみみ)は、初代天皇である、神武天皇の真ん中の息子です。

日本書紀を見てみると・・・
神武天皇の跡目争いが起こります。第1子である 手研耳命(たぎしみみのみこと)は、
あまり人情味のない方だったらしく、2番目、3番目の弟を密かに殺害しようとしたらしいの
です。

で、このイチバン末っ子の3番目の弟(のちの綏靖天皇)は、2番目の兄(神八井耳命 かむやいみみのみこと)と共に、弓矢を造らせて、
先手を打とうとしますが、しかし、いざっ・・・と言うときに、2番目の兄は、びびっちゃった・・・ つまり、この嶋田神社に祀られている神八井耳命は、びびって、
3番目の末っ子 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)が、長兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)を殺して、皇位についています。つまり、第2代綏靖天皇が、誕生したワケ。

で、お話は・・・ この真ん中のびびった、神八井耳命(かむやいみみのみこと)が主祭神ってことなのですが〜
綏靖天皇が即位した時、「汝の輔となり,神祗を奉典せん」と言われ、政治ではなく、神を祀るということに専念されたと言われています。この神八井耳命の子孫は、多氏(=太安万侶なんかのご先祖さま)とか、阿蘇氏など、多くの氏族を生んでいます。
440日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:05:57
アイヌ民族を指す蝦夷と、坂上田村麻呂に討伐された「蝦夷」は
まったくの別物なんですか?
441日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:24:52
世界史板コテハン毛髪力一覧表

山野 74
年齢のわりには元気。紫外線を浴びぬ生活が勝因か。

水 81 
まだまだ毛髪力は強いが、年齢からするとゲハエリートの素質あり。

ナポレオン 68
不摂生が敗因だと思われる。仕方ないのでテレ蔵からキャバクラに逃げたようだ。

あやめ 57
やっぱりネカマだったようだ。

おぎまる 98
さすが髪。

とてた 12
もう気にするのもやめたようだ。

442日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:44:29
蝦夷≧アイヌ
ぐらい

Wikipediaより
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、日本列島の東方、北方に住み、
朝廷によって異族視されていた人々に対する呼称である。
時代によりその範囲が変化しており、特に古代の蝦夷(えみし)を
一個の民族と見なすことは疑問視されている。近世の蝦夷(えぞ)はアイヌ人を指す。
443日本@名無史さん:2005/11/03(木) 21:36:48
>>439
いや、神八井耳命ではなく、八井耳命なんです。
俺も最初は同一人物かと思ったんですが、神八井耳命はおっしゃる通り神武天皇の皇子ですが、八井耳命は成務天皇の時代の人のようなんです。
ですから、別人ですよね?
またお暇な時間がありましたら、よろしくお願いします。
444日本@名無しさん:2005/11/03(木) 21:59:50
>>443
こんなのがみつかった。
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt0/n5smd01.htm

[嶋田神社]  :しまだ、崇道天王社。
祭神:神八井耳命かむやいみみ、
由緒,伝承:「式内社」
成務13の時、八井耳命の末裔仲子上が尾張国島田の悪神を平らげた功により島田臣を賜る。
----------
神八井耳命の別名、あるいは末裔として登場していたのではないか?
445日本@名無史さん:2005/11/03(木) 22:00:27
蘇我蝦夷ってなんで蝦夷?
蝦夷出身なのか?
446438:2005/11/03(木) 22:19:10
>>444
別名だとしたら、かなりの長寿ということになりますよね?
ということは、神八井耳命の子孫ということでしょうか?
447日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:02:26
>>435
別に伽羅抹香が欲しいのでは無くて、正倉院にある?「蘭奢待」を臣○○とか書いて切り取らせて頂くにはどんな方法があるか、無いのか知りたいのです。
448日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:40:09
いまあれ正式な所有権は寺じゃないの?
449日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:44:54
正倉院御物
国宝であり皇室所有

447が内親王と結婚、皇位を継ぐか摂政クラスに就く
正倉院の国宝指定を取り消す
なにか大きな業績をあげる

これで切り取ってもらえるだろ
「明治天皇」「織田信長」と並んで「447」と切り取ったあとに注がつけられてな
450日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:47:47
>>445
在命中は蘇我毛人 
蝦夷は後世の当て字

と言われてる 
451日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:55:35
切腹って即死できない気がするんですが、普通もがきのた打ち回るんじゃないでしょうか。
452日本@名無史さん:2005/11/04(金) 00:01:07
だから介錯がつく
453山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/04(金) 00:12:37
>451

刺しどころ(?)がよくてすぐ死んだ例もありますが、確かに一度きりなら
のた打ち回る様な失敗をしてもおかしくなかった訳で、戦後行われた切腹
の中にも、複数人で腹を切ったがうまく死に切れず、他人の介錯を受けた
例がありました。
握りは逆手の方が力を入れやすいとか、内臓を刺すと痛みにのたうちまわ
り、介錯人をわずらわせることになるとか、コツがあったものです。
介錯人の無かった例では、最後に火中に身を投じたり、刀身を加えて頭を
刺して死んだりしています。
死ぬだけなら腹を切るのは不適当で、心臓を刺すなどのとどめがいります。
耳目を驚かせるための象徴的行為と見るべきでしょう。
454447:2005/11/04(金) 00:14:03
>>449
ありがとさんです
現行制度下では事実上「出来ない」という事ですな
自分が切り取れるかどうかは別として
何か大きな変化が無いと、今後あれに名前を残す人が出ないと考えると
なんとなくそれはそれで寂しい気もします
455日本@名無史さん:2005/11/04(金) 00:25:38
>>451
腹を切った後に介錯人が首を切り落とす
切腹は名誉ある死の象徴
象徴だから当然儀式化して平和になると腹を切る振りすらしなくなった
456日本@名無史さん:2005/11/04(金) 00:48:46
我々世界史板住民は、長年日本史板からの難民に苦しめられてきました。
そこで本日をもって日本史板に宣戦布告を行います。

このスレは重複ですが、雑談スレを混乱させるためにあえて行いました。
日本史板は、本日を持って世界史板の実質的植民地となりますので、この雑談スレは

☆☆☆日本史板雑談スレ☆☆☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1131031728/l50

世 界 史 の 話 題 が 中 心 と な り ま す 

我々世界史板住民の苦しみを日本史板住民も味わってください。



世界史板コテハン水と名無し一堂。
★☆★世界史板・統一雑談スレ32★☆★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1130165816/413-449

457日本@名無史さん:2005/11/04(金) 00:57:22
>>449
いわゆる御物とかってのは、重要文化財には指定されないという慣例がある。
法律上、正倉院で国宝(つまりハイレベルな重要文化財)に指定されているのは、実のところ
正倉院の建物それ自体のみであり、これも世界遺産登録に必要なので1997年に慌てて指定したもんであって、
その中の宝物は、少なくともそのうち蘭奢待は、特に重文指定されとらんようなのだ。
これら宝物の法的な位置づけってのは、一体どうなってんだろ。どうもよく判らない。詳しい人居られぬか。
458日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:02:16
宣戦布告?
459日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:03:09
ああ、やっぱりそうなのか

正倉院=国宝
でもその中身は細かく指定されてるかどうかはどうしてもわかんなかった

国宝の中の国宝蘭奢待 なる記述を一個だけ見つけたけどほんとに?とは思った

宮内庁所有という記述もあったけどこれはどうだろ?
460日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:05:19
>>457
アホ、原則的に国宝の個人所有は禁じられてる。(例外は犬山城)
ただそれだけだ。
日本史板住民のレベルってこんなもんなのか?
難民が世界史板に流れてくるのも理解できるな。
461日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:09:56
>>460
それは建造物に限った話じゃないの?
宣戦布告かどうか知らないけど、板を荒らすのはやめろよ。
世界史板の評判、最近悪いぞ。
462日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:11:53
>>457のどこに個人所有云々などと書いてあるのだド阿呆。
各々の宝物の法的な位置づけを問うておるのだ、この大馬鹿者め。

所有かどうかは判らぬが、管理してるのは宮内庁正倉院事務所なる部局の由。

463日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:14:46
>>462
だから個人所有だから国宝指定できないって言ってんの
指定するなら国に物納するしかないんだよハゲ
日本史厨って馬鹿ばかりだな
464日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:21:49
はいはい、世界史板のお客さんも>1をお読みください
ここは初心者スレです

 ・過度な論争は自粛してください。
 ・煽り質問はスルー。
465日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:23:12
ああ論争禁止なわけな。
ごめんね、レベルの低さを指摘して。
さすが植民地板住民。


さよなら〜。
466日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:36:24
>>462
>各々の宝物の法的な位置づけを問うておるのだ
法学板にでも質問をなされよ。
467日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:38:38
>>465
世界史板のレベルが知れるな。
御物の国宝指定は慣習上はずされているだけだ。
あまり良い子してると逆にこっちも攻めるぞ。
468447:2005/11/04(金) 01:57:13
うーむ、そもそも質問したのが
制度的な蘭奢待自体の位置付けもさることながら
「蘭奢待を切り取ってヨシ!」いう権限が誰かにあるのか、いやないのか気になったんです
上にも書いたように、今後日本史に凄い英雄が現れても
蘭奢待を切り取って名前を記す事が出来ないとしたら
一種の文化的な損失じゃないかと・・・大げさですかね
469日本@名無史さん:2005/11/04(金) 02:24:21
「英雄」なんてのが必要な時代を想定するなら今の位置づけなんてまったく関係ないじゃないか
470日本@名無史さん:2005/11/04(金) 02:31:16
>468
蘭奢待を切り取ることの方が文化的な損失じゃないかと・・・
471日本@名無史さん:2005/11/04(金) 02:40:08
ばかはスルーで。
472日本@名無史さん:2005/11/04(金) 07:32:38
>>450
毛人自体も、神武天皇に討伐された蛮族の名前だろ?
なんで朝廷の重臣がそんなもん名乗ってたんだろうね。
473日本@名無史さん:2005/11/04(金) 09:44:41
>>472
征伐した敵の力を得るために、その肉を食ったり、名を名乗(奪)ったりすることは珍しくない。
474日本@名無史さん:2005/11/04(金) 11:11:13
戦国時代、秀吉軍が備中高松城を水攻めにしていた時、西からは既に毛利軍が高松城付近に到着していたにもかかわらず
そのまま軍を動かさず両軍にらみ合い。ついに高松城は力尽き城主清水宗治自刃。

なぜ、毛利軍は高松城周辺に到着後速やかに秀吉軍めがけて全面攻勢をかけなかったのでしょうか?
475日本@名無史さん:2005/11/04(金) 11:59:55
私は世界史板にも常駐している身なのですが
分かっていると思いますが世界史板ではじかれた人間が
この板に腹いせに来ているだけなので生ぬるくスルーしてやってください。
476日本@名無史さん:2005/11/04(金) 13:31:53
>>470
俺もそう思う。
今後勅許が降りることはまずないだろうね。
477日本@名無史さん:2005/11/04(金) 15:06:25
延久の荘園整理令で荘園を審査し、基準を満たさない荘園を
停止しましたが、停止された荘園は公領に取り込まれ、郡司
(郷司・保司)の管理の下すぐに課税対象となったのですか?

以上宜しくお願いします。
478日本@名無しさん:2005/11/04(金) 15:47:57
>>468
御物は所有者が「天皇」であり、管理団体が「宮内庁」じゃないかな。
確か正倉院御物は宮内庁管理部の管轄。
重要文化財・国宝は、文化庁が文化的な価値を認め指定・管理する
ためものであって、御物の扱いとは全く別の話になると思う。
御物=文化財とは限らないから。

だから御物は「国有財産法」に記された皇室用財産の取り扱いに
準じるんじゃないかな。そうなると、もし蘭奢待を使いたかったら
「国会の承認を得る必要がある」ことになると思う。

文化財保護法
http://www.houko.com/00/01/S25/214.HTM

国有財産法
http://www.houko.com/00/01/S23/073.HTM#s3
479日本@名無史さん:2005/11/04(金) 17:02:05
天皇個人の財産ってことは相続税がかかるわけだからちゃんと値段がついてるってことか…
480日本@名無史さん:2005/11/04(金) 17:19:01
天皇は私有財産もあるし、相続税も払ってはいるが、
正倉院なんかは国有の皇室財産なんでまた別。
とすると、三種の神器には相続税評価額があったことになる。
481日本@名無史さん:2005/11/04(金) 19:28:47
BRUTUSの2005年6月1日号に、『織田信長も虜にした、名香・蘭奢待の香りを聞く』という記事があるようだが、読んだ人間はいるかい?
482日本@名無史さん:2005/11/04(金) 20:31:45
>>480
相続税法で
三種の神器と宮中三殿は
相続税適用対象外と定められているがな。
483日本@名無史さん:2005/11/04(金) 21:12:40
へー。調べたら本当だ。
まあ、一般人も墓地なんかは課税されないからな。
484日本@名無史さん:2005/11/04(金) 21:26:15
>481
その記事は読んでないけど
確か信長は蘭奢待を切り取る事のみが目的だったのだから
切り取った後、直に複数の部下(?)にくれてやったような・・・
485日本@名無史さん:2005/11/04(金) 21:55:23
内国勧業博覧会で受けた褒状というものは、参加賞のようなものでしょうか?
それとも選抜され評価受けた者だけに与えられる賞なのでしょうか?
知っておられる方いましたらお教えください。
486日本@名無しさん:2005/11/04(金) 23:34:59
>>485
内国勧業博覧会は明治十年に始まっているのですが、これは博物色の強かった
従来の薬品会・博覧会を改め、大久保利通らが万国博覧会をモデルとして産業や
技芸の発展を重視して開いた「勧業」目的の催しでした。つまりは、日本の技術力の
アピール、そして今後諸外国に売れる工業品・工芸品を研究育成するためのもので
して、また、万国博覧会の予選的な性格も持ちあわせていました。

従いまして、褒状は特に優れたものに与えられたのです。
高村東雲(実は弟子光雲の代作)、黒田清輝、塩崎利平…という大芸術家・工芸家達も
名を連ねています。
487日本@名無史さん:2005/11/04(金) 23:46:47
江戸時代の朝廷における将軍の地位を教えて下さい。

家光のころは天皇に次ぐ地位(席順)だったのに
時代が下るにつれて下がっていったらしいので
どうように変わっていって
最終的にどの位まで落ちたんでしょうか?
488日本@名無史さん:2005/11/05(土) 00:15:34
>>487
地位は常に天皇に次ぐもの。
489日本@名無しさん:2005/11/05(土) 00:25:28
>>487
つ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%B0%86%E8%BB%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7

家光以降下がってくるのは、秀忠の代からの婚姻政策が不首尾に終ったためだが、
別に下がっていったというほどではないよ。

これらより上となったら太政大臣しかない。
太政大臣は大老のような非常設の職だし、他の大臣と比べ特別な権限があるわけでもない。
死後贈官されるだけで十分というもの。
そもそも征夷大将軍になるだけならこれほどの高位は必要無いし。
490日本@名無史さん:2005/11/05(土) 00:30:13
>>486
そうだったのですか。ありがとうございました。
私の祖先が第2回内国勧業博覧会にて褒状を得ていたことが
分かったのですが、褒状って博覧会でどういう位置づけなのか知りませんでした。
凄い名誉だったんですね。
491日本@名無史さん:2005/11/05(土) 00:35:45
>>489
えっと、天皇の使者が来た時や皇族と同席した時に
どちらが上座かという序列はかなり下がったらしいんですが
そういうのはわかんないすかね。

あと、その表みたら家康でも従一位なんですね。
武家では正一位は貰えないんでしょうか?

質問増えてスンマセン。
492日本@名無史さん:2005/11/05(土) 01:01:06
>376
M26、東照宮が所有していた朝陽館などの建物を改修して
御用邸にしていたとのこと
(田母沢御用邸はM31)
亀レスすまん
493日本@名無史さん:2005/11/05(土) 09:43:59

関西風景画像
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/

京都御所・紫宸殿の高御座(たかみくら=天皇の御座)
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20040915234531.jpg

大阪・四天王寺・金堂(国宝、聖徳太子が建てた日本最初の官寺))
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20041003222528.jpg

兵庫・姫路城(世界遺産)
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20041026193042.jpg

大阪・仁徳天皇陵(世界最大の墳墓)
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20041019235719.jpg

京都・銀閣寺(世界遺産、国宝)
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20040911210503.jpg

大阪・難波宮跡(旧首都、孝徳天皇により遷都された)
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20050226232858.jpg

奈良・法隆寺大講堂(国宝・世界最古の木造建築物)
http://epidiascope.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20040928013747.jpg
その他多数
494日本@名無史さん:2005/11/05(土) 13:12:18
史料編纂官とは、何省の職員でしょうか?
495日本@名無史さん:2005/11/05(土) 13:14:35
国司、国造、別の身分順位や、それぞれの任務について教えてください。
496日本@名無史さん:2005/11/05(土) 19:42:20
日本が米国のようなデモクラシーの国になったのは何時ですか?

日本が米国のようなデモクラシーの国になる前は、
現代で言うならばどのような体制の国だったのですか?
将軍が日本を統治する訳ですから、絶対君主制の国だつたのですか?
497日本@名無史さん:2005/11/05(土) 21:03:11
明治初期のいわゆる「お雇い外国人」は非常な高給で雇われていたそうですが
何故そんなに高くついたのですか?
498日本@名無史さん:2005/11/05(土) 21:15:16
451に切腹には介錯が必要とあるんですが
三島由紀夫ってひとりで割腹自殺したんじゃないでしょうか
介錯がいたなんてことはきいたことがないです
平手政秀もひとりで切腹しましたし、日本軍でも集団自決に介錯がいたら手間がかかりすぎではないでしょうか
個人的には失血死を目的にしてるのではないかと推理しますが、あさはかでしょうか
499日本@名無史さん:2005/11/05(土) 21:17:43
>>497
例えば今、現地人と同じ給料だといわれて北朝鮮まで教えに行くか?
500日本@名無史さん:2005/11/05(土) 21:38:20
>>498
三島由紀夫も介錯してもらってましたよ。検索すれば簡単に出てきます。

介錯人がいない場合は腹を切った後に喉を付く事もあったようだし。
501日本@名無史さん:2005/11/05(土) 21:45:15
>>498
三島の介錯は森田必勝がやった。
介錯がないなら、腹を斬った後、頸動脈を斬れば問題ない。
平手の場合は、自刃ではなく命令による切腹だから、介錯人がいたと思うが?
502お 定:2005/11/05(土) 21:49:53
セックスしたいのですが...彼氏がいません...誰か..○んこ入れて..
503日本@名無史さん:2005/11/05(土) 22:06:10
>>502
>○んこ入れて
和菓子屋に行ってこい。
504日本@名無史さん:2005/11/05(土) 22:55:43
>>三島の介錯
そういえばあの剣道部の主将は俺の高校、大学の先輩にあたる人だと聞いたな。
たしか一回で切り落とせなくて…という話だったな。
505日本@名無史さん:2005/11/05(土) 23:09:11
一回で切り落とせないって…
話が怖いよ
506日本@名無史さん:2005/11/06(日) 01:01:31
>497
未開の辺鄙な土地に来てもらうには
高給払うしかあるまい。
507日本@名無しさん:2005/11/06(日) 01:03:49
>>491
武家どころか、死後贈官を除けば正一位はまず貰えない。
関白太政大臣は大体が従一位だ。
でなければ(お稲荷さまのような)神階で使われるだけ。

ただ「今の正一位は美智子皇太子妃殿下(当時)一人だけ」と教わったことがある。
確かに内親王ではないのだからありえるなと思っていたが、本当なのかどうかは
残念ながら判らなかった。
508日本@名無史さん:2005/11/06(日) 01:22:27
>ただ「今の正一位は美智子皇太子妃殿下(当時)一人だけ」と教わったことがある。

位階は臣下に対してのものなので皇族には関係ない。
皇族は一品から四品。
509日本@名無しさん:2005/11/06(日) 01:23:17
>>494
文部科学省。
史料編纂官は、文部事務官という名称に変わり、現在では文部科学事務官。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/hihisj.html


510日本@名無史さん:2005/11/06(日) 07:58:35
>>498
>>501
>>504
森田が二度やったが腕が未熟だったのと緊張のために失敗している。
三度目に達人の古賀浩晴に交代してようやく切り落とした。
森田の介錯も古賀がやった。
511日本@名無史さん:2005/11/06(日) 11:27:07
山内の日光御用邸に利用された「朝陽館」って現存してるの?
現在の東照宮には「朝陽閣」という建物があって美術館として利用されてるが、
昭和初期の建物だそうなので、建て替えられたのかな?
512日本@名無史さん:2005/11/06(日) 13:29:13
ちなみに介錯無しで切腹だけで絶命した人といえば
終戦時の阿南陸軍大臣や大西軍令部次長がいる
513日本@名無史さん:2005/11/06(日) 16:42:53
>切腹には介錯が必要

ってのは江戸時代以降の話

戦国時代の切腹の作法では
腹を十字に切り裂いた上で
心臓めがけて懐剣を突き立てる

漏れはやってみたことはないが
まあ一人で死ねるだろうね
514日本@名無史さん:2005/11/06(日) 17:08:17
そういやー鎌倉幕府滅亡の時家臣団が切腹して果てたそうだが介錯は無し?
515日本@名無史さん:2005/11/06(日) 17:45:37
>漏れはやってみたことはないが
>まあ一人で死ねるだろうね

おいおい・・・大上段にきたね
確かにそういう作法もあるが
家康の長男信康も介錯を受けてるし
普通は腹を切った時点で苦痛にのた打ち回る
8時間死ねなかった例もあるそうな

最初の切腹 988年、盗賊の袴垂保輔も腹を切って死にきれず獄気宇中死
介錯されずに死ねたら誉められるというものだろう

>そういやー鎌倉幕府滅亡の時家臣団が切腹して果てたそうだが介錯は無し?
自害・自刃とされているが、太平記の自害を数えたものがある

太平記を通して切腹は259人、刺し違えが332人、自害が147人、刀を口に貫いた
のが2人
この数を見ても切腹だけが鎌倉時代の自殺法じゃないのがわかる
刺し違えで勇名なのは楠木兄弟ですね
切腹して気を失ったり、のた打ち回るのを止めさして回った役はいたと思う
で、切腹する勇気が無かったり、最後の数人になったら差し違えと思うな
516日本@名無史さん:2005/11/06(日) 21:08:22
俺の知り合いに、(家族に対して)「今日、俺は部屋にこもって色々と作業をするから、いっさい声をかけたり、近付いたりするな。飯もいらん」と言って、部屋にこもって腹を切った人がいたよ。
むろん、その人はそれで死んだが、家族はその自殺にいっさい気が付かなかったそうだ。
517日本@名無史さん:2005/11/07(月) 19:58:40
沖縄について質問します

沖縄は明治時代に日本に組み込まれたと思いますが
琉球王国時代は独自の言葉を使っていたのですか?
「琉球王国」という名前は中国からの呼び名だと聞いたのですが本当ですか?
518 ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/07(月) 21:48:29
ウィキペディア「琉球」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83
琉球(りゅうきゅう)は、かつて沖縄島を中心に南西諸島の大半を占めた地域。
薩摩藩の侵攻を受けるまでは、日本から独立した王国(琉球王国)であり、
中国の冊封国であった。その領域は現在の沖縄県だけでなく鹿児島県の奄美諸島などにわたっていた。

「琉球」とは中国から与えられた呼称で、かつては台湾島を小琉球、沖縄島を大琉球と
呼んでいたが、「流求」・「溜求」などの表記もあり史書などでも両者が混同される事が
多かった。

日本では古来から「オキナワ(阿児奈波)」として知られていた。

言語については沖縄方言は大和言葉の変化したものらしいけど
中国語の影響も当然受けてるね
519日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:01:26

日本の本州、北海道、九州、四国(俺の脳中でのサイズ順)の国際的な呼び名ってあります?
520日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:08:33
そのままじゃなかった?
521日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:28:04
>>519
たとえば「honshu」で検索すると、「(日本の)本州」の旅行ガイド
http://www.world66.com/asia/northeastasia/japan/honshu
が出ますね。
522日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:29:59
>>519
ん? 歴史的に、という意味かな?
523日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:53:13
>>520
>>521

ありがとうございます。

>>522
歴史的なのも含めた「学名」みたいなのってあるのかなと思って聞いてみました。
524日本@名無史さん:2005/11/08(火) 00:04:17
525日本@名無史さん:2005/11/08(火) 23:23:22
昭和初期に2.26事件の青年将校みたいな人が軍部に多かったのはなんでですか?
526日本@名無史さん:2005/11/08(火) 23:57:17
青年将校が軍部にいなければ「将校」じゃないと思うのですが?
527日本@名無史さん:2005/11/09(水) 04:10:07
「2.26事件の青年将校みたいな人」というのはどういう人かあなたの認識を具体的に説明しないと
多いも少ないもその理由も答えようがないんじゃない
528日本@名無史さん:2005/11/09(水) 06:31:31
日本の文献にローマ・ビザンツ帝国に関する話は載っていないの?
中国には大秦国・払林国(ビザンツ)として載っているから日本の資料にも
載っているような気がするんですが…
529日本@名無史さん:2005/11/09(水) 09:39:45
>>525
糸引く奴が多かったから。
530日本@名無しさん:2005/11/09(水) 14:53:53
>>528
中国のアレは使節が来たと記紀にあるから。
でも当時の日本とは国交もなかったですし、記述文化もなかったですし。
531日本@名無史さん:2005/11/09(水) 19:20:09
質問です
よく、徳川軍2万とか、一万石につき250人の動員兵力があるといいますが、この人数って、武士や足軽のみの人数ですか?
それとも、荷駄隊や雑役、食料隊とか、鉦や太鼓をならすような人まで入れた数なのですか?
詳しい方教えて下さい。
532日本@名無史さん:2005/11/09(水) 21:46:52
昭和初期に北一輝のような大物右翼や、軍部内で皇道派みたいな派閥ができたのは
なんでですか?
中華民国の革命の影響?
533日本@名無史さん:2005/11/09(水) 22:46:53
質問です。

薩摩藩は、豊かな藩だったのですか?それとも貧しい藩だったのですか?

奄美の砂糖や琉球を介した密貿易で潤っていた、とも言いますが、
宝暦の長良川河川改修で膨大な負債を抱えたといいますし、調所広郷が数万両もの借金を
250年にわたって返却するという契約を強引に取り付けた話もある。

豊かなのか貧しいのか・・・
534日本@名無史さん:2005/11/09(水) 22:54:56
外様なので質素倹約、質実剛健を旨としていました。
薩摩では、領内を113 の区画に割り、それぞれに地頭仮屋を設け、その
周囲に「麓」という武士集落を作って、その地域の行政を管轄させた。
これを外城制度といい、一朝事あるときには、そのまま麓 の武士が軍
団を形成し地頭の指示にしたがって動員される仕組みであった。
薩摩藩は加賀102 万石につぐ天下第二の雄藩で、俗に77 万石といわれ
る。しかし、これは籾(もち)高であり、他藩なみに米高に計算すれ
ば37 万石程度となり、農業的にみれば裕福な藩ではなかった。
そのうえ、 総人口の約4分の1(全国比率の約6倍)という、多くの士
族を抱えており財政面 でも苦しんでいた。そのため麓の武士は、外城
衆中(郷士)として、平時は農耕によって生計を立てていた。
土地は火山灰で痩せていたので、貿易・畑作の工夫に立脚した産業育成
が行われていた。
535日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:21:31
後白河法皇の強さとは何ですか?
536日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:33:24
よく戦時中を扱ったドラマや映画で、教練のために学校に将校が配属されていますよね。
その場合って、必ず陸軍軍人ですが、海軍では将校は派遣していなかったのですか?
537身も蓋もない説明:2005/11/10(木) 00:26:03
>>525
不況の反動です。 ←冗談ではないですよ。
538日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:27:19
>>527
なんか変な具合に政治色を塗りたくった説明を鵜のみにしてない?
539日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:30:41
>>529
それもこれも不況のせい。

大正期の軍縮に伴う大リストラでバンバン首切られたからね。
それに輪を掛けたのが昭和初期の恐慌。
現役にとっても「明日は我が身」だから逆切れした。
540日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:33:53
>>539
訂正。「逆」切れではないよね。
541日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:40:58
>>531
兵站要員なども含めた人数です。
戦国期の遠征の場合、兵力の半数はその様な人たちであったと考えられます。

>>535
質問が抽象的過ぎて何とも言いにくいですが、取り敢えずは、
時局に対する処し方、老獪さに長けていたところでしょうか。

>>536
陸軍現役将校学校配属令という法令に基いて行われていたので、
名前の通り、陸軍将校のみでした。
542日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:55:05
>>538
いやそんなつもりは無いんだが
大善小善みたいなやつとか、統帥乱してクーデター起こしそうなやつとか、
年寄りにおだてられて道を踏み外すやつとか、皇国史観にそまったやつとか
貧乏に生まれて故郷をなんとかしたいやつとか
他にもいろんな属性や立場があるだろ
青年将校の特徴のどれか一つでも当てはまるというなら殆どの軍人がそうだろうし、
本当に決起してしまうとこまで行くのはそれこそ少数派なんだから、
枠を嵌めないと多いも少ないも無いとそういうこと
543日本@名無史さん:2005/11/10(木) 07:01:34
でも明治・大正には5.15とか2.26に類似する事件はなかったし
ましてや軍部のクーデターすらなかった。
544日本@名無史さん:2005/11/10(木) 12:22:29
>>543
意味が良く判らん、それまではほとんど0だったものが徒党を組める程度になったから
多かったという事が言いたいのかな?
545536:2005/11/10(木) 12:36:16
>>541
ありがとうございます。
しかしながら、なぜ海軍はそれに参加することはできなかったのでしょうか?
546日本@名無史さん:2005/11/10(木) 13:24:15
大和朝廷って滅びてるんでしょうか?
よく「憲法が変わった」と言いますが、この憲法自体が天皇が発布したものですし
天皇に任命された小泉総理が87代目というのも戦前から数えてですよね。
憲法解釈がどうと言っても形式的には戦前や江戸時代と変わってない様ですし
200〜300年経ってからも、この解釈が通じるとは思えないんですけど
後世に、歴史的にみた場合は滅びた事になるんでしょうか?

後、江戸時代より前の漁師は税をどうやって負担していたんでしょうか、干物?
547日本@名無史さん:2005/11/10(木) 13:27:10
そもそも陸軍現役将校学校配属令がなぜ作られたかというと、
いわゆる宇垣軍縮で将校が大量に失業の危機に見舞われたから。
大体いつ予備役編入でクビになるかわからんのに。
要は体のいい天下り先創出ってこと。
海軍の将校は圧倒的に数少ないんだからその必要はなかった。
548日本@名無史さん:2005/11/10(木) 13:28:02
>>545
中学校等に陸軍将校を派遣するようになったのは
宇垣軍縮の結果、大量の陸軍将校がクビになったので
彼らに職をやるため。
549日本@名無史さん:2005/11/10(木) 15:06:02
なぜ松平家康は「徳川」と名字を改めたのでしょう。
必然性、改めた経緯など教えてください。
550日本@名無史さん:2005/11/10(木) 15:36:53
戦後、占領軍が英語を公用語にしようとしたのって本当ですか?
551日本@名無しさん:2005/11/10(木) 16:21:09
>>546
仰るとおり、滅びてない。
天皇制(というのは共産党が作った言葉だが)が古来から続いているということがその証し。
だからこそ、万世一系なんていわれるわけで。
律令自体も(とっくの昔に散逸していたが)形式上は明治時代まで廃止されていなかったし、
戦前と戦後にしたって例の三原則と細々したこと以外何が変わった訳でもない。
憲法を改正しただけというだけのことに過ぎない。

>後、江戸時代より前の漁師は税をどうやって負担していたんでしょうか、干物?
網野氏の本に拠ると「海産物」ということだが・・・
これ以外だと貨幣で払うほかはないし、都市部はともかく地方で江戸時代以前に
それが完全に普及していた訳ではないのだから、答えの選択枝はこれしかあるまい。
552日本@名無史さん:2005/11/10(木) 16:22:24
マッカーサー、南朝鮮に軍政実施を布告 〔昭和20年9月12日 〕

マックァーサー元帥は九月九日、「朝鮮の住民に告ぐ」と太平洋米国陸軍司令部
布告を発したが、大要左のごとく、いずれも北緯三八度以南の朝鮮に実施する。
第一号  朝鮮は不日開放独立すべきものなりとの信念を有する朝鮮人は、
降伏文書の条項の実効は並びに朝鮮人の人権、宗教上の権利の保護が
占領目的なることを深く認識するものと余は確信し、右目的遂行にあたり余は
諸子の積極的援助と協力を期待する。
余は朝鮮の北緯三十八度以南の地域および同地の住民に対し軍政を設立す。

すべての行政権は当分本官の権限の下に施行す。住民の所有権はこれを尊重す。
軍政期間中、英語をすべての目的に使用する公用語となす。
553550:2005/11/10(木) 16:34:43
>>552
朝鮮じゃなくて日本の話で
公用語を日本語にして米軍票を通貨にしようとしたって聞いた
554553:2005/11/10(木) 16:35:15
× 公用語を日本語にして
○ 公用語を英語にして
555日本@名無しさん:2005/11/10(木) 16:55:35
>>549
栄禄7年、松平家康は目出度く三河統一を果たします。
足利幕府によって承認はされましたが、周囲はご存知の通り名門だらけ。
そこで彼らに対抗し正統な支配者であることを内外に知らしめる為に
三河守護職に任じて欲しいと朝廷に申請しました。

しかし、断られました。
氏素性がはっきりしなかったためです。

そこで家康は、吉田兼右に献金し奔走してもらいました。
吉田は萬里小路家の古い記録から「元は源氏で途中で藤氏を名乗った」
などの論を構築して纏め近衛前久を経て朝廷に提出、永禄9年、従五位下
三河守に任じられました。

このように、徳川の名字を名乗るときに、惣領家として松平一門内での差別化
(松平全体からすると、実は嫡流ではない)、源氏として武門の家を正式に自称
すること、三河一国の正式な支配者であること、それを周辺諸国へアピールする
などを同時に行うという、非常に重要な意味があったのです。
実際の出自はどんなものだったのかは、こちら(↓)を参照のこと。

徳川家のルーツと十八or十四松平Part2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1090595662/
556日本@名無しさん:2005/11/10(木) 17:43:58
>>550,553-554
1945年9月2日のミズーリ号艦上降伏文書調印の直後に、マーシャル参謀副長から
鈴木公使に「翌三日に告示する予定である」と提示された有名な「三布告」の一つ、
「布告第一号」の中に英語を公用語とする旨が書かれていたそうです。

原文は検索できませんでした。スマソ。
557日本@名無史さん:2005/11/10(木) 17:45:09
>>546
大和朝廷は滅んでいます。
日本国の主権者は国民になっています。

国民主権は人類が幾多の争乱を経てようやく手にしたものです。
独裁者や権力を専横する者達の欲望によって無数の人々が死にました。
国民主権は国民が国の最高位であり、国民の上位には何も存在しません。

平和ボケしていると国民主権や民主主義、平和主義がどれほど大切で
どれほどの犠牲の基に手に出来たのかを忘れてしまいます。
558日本@名無史さん:2005/11/10(木) 17:47:14
>>550
戦後、GHQには赤から奇人変人まで変な米軍人がたくさんやってきて、
日本が軍国化した理由と、再度そうならないためにはどうすればいいか、
彼らなりに頭を絞って考えてくれたわけだ
(余計なお世話と見るか、感謝すべきと見るかは人それぞれだろう)。
その中に「日本語が難しすぎて新聞読める人間が少ない」から
簡単に思想統制できたんだという勘違いした人間もいて、
英語公用語化を進めようとしただけ。GHQ全体で政策として推進したことはない。
559日本@名無史さん:2005/11/10(木) 18:19:03
質問です

よく、○○山に、××軍着陣! とありますが、実際に史跡巡りで行ってみると、木が沢山あるところが多いです。
関が原や、川中島、備中高松・・・。
小高い山と言うか丘ですが。
その当時は、山に軍を置く時には、山の木は切っていたのでしょうか? そうしないと軍は置けないわ、上から見下ろせないわ、場所は無いわ・・・という気がします。
また木を切るとすると、えらい時間がかかるような気がするのですが・・・。
560日本@名無史さん:2005/11/10(木) 19:49:24
>>553
本当。
ただし、大日本帝国政府の頑強なる抵抗にあって、諦めた。
561日本@名無史さん:2005/11/10(木) 20:01:12
>>560
軍国オタの自作自演はもういいよ
562日本@名無史さん:2005/11/10(木) 20:42:53
>>561
一万田法王も知らんガキは引っ込んでろよ。
563日本@名無史さん:2005/11/10(木) 21:27:52
>>551
江戸時代には年貢米の買納制もあったわけだが…。
貨幣経済自体は安土桃山時代の一時期的に流通不足から衰退してきたけど、江戸時代に寛永通宝が出来て撰銭問題が解決して以後は再び貨幣流通が復活した。
564日本@名無史さん:2005/11/10(木) 22:42:23
頼朝・義経が死んでいたら権力を握ったのは誰だと思いますか?
565日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:07:09
>>558
調査したらアメリカよりも識字率が高かった話だよね。
書き順みたいな枝葉末節にこだわるバカ教師は
今の漢字の成立過程も知らないんだろうなぁ。
566日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:19:02
>>543
> 5.15とか2.26に類似する事件
明治初期はそんな小規模のチンケな事件とは桁が違う内戦が連発したでしょう。
中期から後期は戦争だし。
567日本@名無史さん:2005/11/11(金) 00:15:41
共産党と日本共産党って同じですか?
568日本@名無史さん:2005/11/11(金) 00:48:45
>>559

当時は今のような化石燃料が無く、燃料は全て薪や炭だった。
それに茅や飼い葉、刈敷を取るための草原の山がたくさんあった。
昔は、見晴らしがいい山が沢山あったんだよ。
569日本@名無史さん:2005/11/11(金) 02:20:20
>>546
もの凄く極端な言い方をすると、その日の気分です。

歴史にしても憲法や法律にしても形ある物では無いので
結局のところ、どう受け止めてどういう事にして置くのか
という事なんで全てはその時代の解釈に過ぎないのです。
ですから、後世にどう受け取られるかは後世の世のあり方しだいです
という他はありません。


で、今の時代はどうなのかというと、それに触れるのはタブーとなってます。
「戦前ではない憲法は変わった」「国民主権」「天皇は象徴」とここまでは問題ないけど

その憲法を国民の代表者ではなく天皇が発布してるのはどういう事なのか
自身は象徴であり国民では無いという位置付けてるのはどういう事なのか
法の下の平等を謳いながら自身の地位を確保しているのは何故か
国民主権を謳いながら6条と7条の権限が天皇にあるのは何故か

こういった事に関しては触れられません
学問・思想の範囲を超えて現実的な対応を迫られるからです。
つまり、面倒なのでそのままにして置こうという事で
それがどういう事なのかは人それぞれの胸の内。
570日本@名無史さん:2005/11/11(金) 02:33:15
>>567
お前さんは共産党宣言をちゃんと読んだことがあるか?
それならその議論につきあうことも可能だが。
571日本@名無史さん:2005/11/11(金) 02:36:50
>>559
568が言うように刈場だったかも知れないし
わりと最近、植林されたという事もありますね
572日本@名無史さん:2005/11/11(金) 02:42:09
>>567,570
できれば「国家と革命」も読んどいてほしいところだな
573日本@名無史さん:2005/11/11(金) 06:38:08
山って昔はハゲ山が多かったのか・・・
574日本@名無しさん:2005/11/11(金) 08:24:53
>>571,573
牛馬に食わせるものは原則青草だったので、刈場として使う里山が多かったのですよ。
麦藁稲藁は決まった時期にしか確保できないし、日用雑貨の資材としても多用される
ので…大体、藁を食わせると力が落ちるので専ら保存食。

>>559
そもそも戦場になるポイントは粗方決まっています。
しかも敵が使う味方が使うの繰り返しですから、あまり困らないのですよ…

575571:2005/11/11(金) 08:48:12
>牛馬に食わせるものは原則青草だったので、刈場として使う里山が多かったのですよ。

それと緑肥ね
576日本@名無史さん:2005/11/11(金) 08:58:07
>>559
田舎に行った事があれば自然というものがどういった状態かわかるハズ
開拓しない限りは人は土地を利用出来ないし出来る所があれば人が住んでます。
戦や行軍も同じで開拓済みの利用できる人間の生息範囲内でやるものです。
昔と今では生息圏が変化していて使われなくなった土地は自然に戻ってるので
今の状態から当時を連想するのは無理があり過ぎで意味ないです。
577日本@名無史さん:2005/11/11(金) 11:04:36
どこそこの土地は○○石などといいますが、石高はいったい、どうやって算出したのでしょうか?
578日本@名無史さん:2005/11/11(金) 11:24:50
勤皇と尊皇って同じ意味?
579日本@名無史さん:2005/11/11(金) 11:52:29
きんのう【勤王・勤皇】
天皇に忠義を尽くすこと。「―の志士」

そんのう【尊王・尊皇】
〔「そんおう」の連声〕王室や皇室をとうとび、天皇を国政の中心と考えること。勤皇。「―派」
580日本@名無史さん:2005/11/11(金) 11:53:03
皇×
王〇
581日本@名無史さん:2005/11/11(金) 11:56:35
>579
d。ほぼ同じ意味なのね
582日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:03:32
日本人の多くが、地球は丸くて唐天竺南蛮(ヨーロッパ)以外にもアフリカだのアメリカだのがある、と言うことを
一般的な知識として持つようになったのは何時頃からの事でしょうか?
明治維新以後でしょうか?


583日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:04:24
自作自演厨はまだいるのか
584日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:11:39
>>581
当時の語感では、
「尊王」:そんなの当たり前じゃん。

「勤王」:火付け泥棒なみの犯罪者。

だったとかつての「勤王の志士」が書いている。
585日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:23:30
>>580
お前、ちゃんと教育受けたのか?
586日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:35:47
>>583
自己紹介乙
587日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:42:19
>584
あぁ、確かに尊王より勤皇の方がイメージ的には過激だな
588日本@名無しさん:2005/11/11(金) 13:07:24
>>582
先日その点をテーマにした特別展に行ったよ。
家老や医者、学者といった有識者が古来の地図に西欧などを書き足した世界図などを。
大体18世紀中頃〜19世紀にかけてのものだった。インドシナやヨーロッパはともかく、
アフリカやアメリカといったものはなかった。
でも輸入品の地球儀には描かれていたから、これで知る事はできただろうけれど、
一般人が知るまでには到らなかったろうね。世界地図や地球儀を見ることがなかったら、
一生知らないままだったろう。幕末まではほんと、何も知らなかったんじゃないかなぁ。
589日本@名無しさん:2005/11/11(金) 13:10:07
>>584
「敬虔なイスラム教徒」と「イスラム教原理主義者」並みの差だな。
590日本@名無史さん:2005/11/11(金) 13:13:17
>>555

549です。完璧なお答え、いたみいります。
ありがとうございました。
591日本@名無史さん:2005/11/11(金) 19:21:11
尊王は思想。
「佐幕」と両立する。

勤王は行動。
それゆえ「佐幕」とは正反対。
592日本@名無しさん:2005/11/11(金) 20:17:19
>>592
なるほど。わかりやすい。
593日本@名無史さん:2005/11/11(金) 23:11:02
将軍のいろいろな肩書きの中で氏の長者ってあったのですが、これは「源氏のトップ」って意味なのは解ったのですが、
朝廷から任命されるものなのですか?「源氏一門で決めるもの」のような気がしてなりませんが。
594日本@名無史さん:2005/11/12(土) 00:18:36
武家の棟梁ってのもあるよね
595日本@名無しさん:2005/11/12(土) 00:25:37
>>593
「氏の長者」という呼称がある。
宣旨によって源平藤橘の諸氏へ下賜した呼称だが、同氏族を統率して朝廷に仕え、
氏神の祭祀や同氏族の叙爵の推薦や処罰などを掌ったといわれる。
久我家は「源氏の長者」も世襲しているが、いつからかは分明でない。
おそらく淳和・奨学両院の別当に任ぜられると同時に、源氏の長者にも任ぜられたものと思う。

久我家が源氏の長者を世襲できなくなるのは、室町幕府3代将軍足利義満によって、
淳和・奨学両院の別当を奪われてからである。つまり、淳和・奨学両院の別当と
源氏の長者はセットになっていたのである。

天皇公卿の制度と事件2
http://www.0105.jp/~mizuki/tennoukughounoseido2.html
以後、淳和・奨学両院の別当、源氏の長者と征夷大将軍は、「武家の棟梁」を象徴する
意味を帯び、義満から歴代の足利将軍と徳川将軍に世襲されていくことになる。

596日本@名無史さん:2005/11/12(土) 00:35:01
>>593
要するに「天皇の血を引く由緒正しい(と称する)一族」の正統的な後継者ですね。
597日本@名無史さん:2005/11/12(土) 01:44:14
大奥関係の本を読んでいますと、第七代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。
598日本@名無史さん:2005/11/12(土) 12:10:35
>>551
網や舟などに役がかけられていました。
それで、現物(漁獲物)を直接上納する場合もあったし、
貨幣で納める場合もありました。

>>563
貨幣流通に対する理解が古いです。

最近の研究では、戦国期には大名領国毎に
価値基準としての基準銭(東の永楽銭・九州の洪武銭など)、
そして実際に通用していた通用銭(主に私鋳銭)があったことが、
文献史学や出土銭貨研究によって明らかにされています。

米・金・銀・銭が貨幣として流通し、
それが地域毎に異なっていたのが、戦国期の貨幣流通の特徴です。

その上で織田信長による撰銭令、
慶長期の幕府による金銀貨の発行と金・永楽銭・京銭の比価公定、
寛永・寛文期の寛永通宝の発行により金・銀・銭の三貨制度が成立し、
元禄改鋳により領国貨幣が消滅して、
全国的に統一された貨幣流通が実現するのです。
599日本@名無しさん:2005/11/12(土) 12:47:26
>>598
なるほど、どうもありがとう m(_ _)
600日本@名無史さん:2005/11/12(土) 13:42:15
子供に初代天皇は?ときかれ、改めて検索したのですが、崇神天皇、神武天皇、ここが良くわかりません。
子供に与える答えはどちらが正しいのでしょうか?
601日本@名無史さん:2005/11/12(土) 14:03:09
「初代」天皇だったら神武。
602日本@名無史さん:2005/11/12(土) 15:42:41
大奥関係の本を読んでいますと、第六代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

「第六代徳川将軍」に訂正いたしました。



603日本@名無史さん:2005/11/12(土) 16:04:26
>>600
「神日本磐余彦尊(かんやまといわれびこのみこと)が大和を平定し、辛酉の年の春正月、橿原宮で即位し、神武天皇になった」
ことから神武天皇が初代という説と、
崇神天皇の名が『古事記』に〔所知初国天皇(はつくにしらししすめらみこと)〕、『日本書紀』に〔御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)〕と見えることから、崇神天皇を初代とする、二通りの説がある。
604日本@名無史さん:2005/11/12(土) 20:54:56
>>600
史実は定かではないが、
公式には神武天皇が初代なんだから悩むことはない。
605582:2005/11/12(土) 22:11:11
>>588
レスありがとうございます。やっぱりほとんどの人は幕末以降に知ったようですね。
606日本@名無史さん:2005/11/12(土) 22:40:08
班田制が崩壊した後も戸籍は作成されたが
すでに戸籍としての実質を失い形骸化していた。
戸籍の観念はその後もまったくなくなったわけではないが、
新たに形成された土地制度と負担体系は、土地のみを基礎とするもので
戸籍を必要とせず、計帳の系譜をひく在家帳や棟別銭の台帳などが作成されるのみであった。

という問題文があって
「新たに形成された土地制度」の歴史的名称を5字以内でしるせと問題があるのですが
この土地制度が何なのか分かりません。
どなたか教えてください。宜しくお願いします。
607日本@名無史さん:2005/11/12(土) 22:55:31
荘園
608日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:16:59
頼朝と義経が殺されていたら源氏の総大将は誰ですか?

609日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:29:26
日本がある時代に中国から文化や技術や政治システムの急輸入をしたのは
異論がないと思うんだけど、どうして宦官と科挙は導入しなかったんだろう。

江戸時代なんてどちらもやっても何の不思議もないと思うんだけど。
何か明確に意志をもって拒んだのか、単にたまたまなのか。
610日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:32:19
>>608
兄弟の中の生き残り。
611日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:39:25
義仲では無理でしょうか?
612山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/12(土) 23:41:36
>>605
参考までに。西川如見の『華夷通商考』というのがあり、版を重ねています。
エジプトやペルーやモノモタパ(南アフリカ)なども出て来ていますよ。
岩波文庫から出ているので、閲覧も楽です。

>609
直接答えを記したものではありませんが、日中間の比較については、
『日本古代学校の研究』、『上代学制の研究』、『菅原道真と平安朝
文学』、『平安朝の漢詩と「法」』辺りが良いかと。
宦官はさておき、科挙というか学問する者の環境の違いについて述
べられています。ちと読むのが骨ですが、参考までに。
613Tekune ◆RKfXNv3/3o :2005/11/12(土) 23:49:18
>>611
六男 源 範頼
七男 阿野全成

あたりが生きてるから難しいかも知れない。
ただ、義経も 九男だし、強くて頭が良ければ
可能性は無くは無かったかもしれない。
馬鹿だったからあんなことになっちゃったけど
614日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:57:45
後白河法皇の軍事面での強さとは何ですか?
615山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/12(土) 23:58:47
>菅原道真と平安朝
『菅原道真と平安朝漢文学』でした。失礼。

>地球は丸くて
司馬江漢の『西遊日記』に、伊勢の真宗門徒に地球儀を示していて極楽の
位置を聞かれたという話がありますが、多くの人は江戸などの都会を知
ることなく一生を終えるのだという記述も同書にあります。
ただ、そこそこの財力とやる気があれば、知る機会はあった筈。
(明治初期になっても、仏僧によって大地が平だという説が出ていますが。
国学者は、仏教的世界観の否定の為、地球説を喧伝する者もいました)
616日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:01:34
>>614
綸旨の乱発
617日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:13:22
大奥関係の本を読んでいますと、第六代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

誰ひとり答えられぬと見ゆるのう!
やはりド素人ばかり打ち揃うて居るスレだったのか!!

618日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:15:14
>>616
もうちょっと詳しくお願いします。
619日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:43:56
>>607
どんな荘園なのですか?
620日本@名無史さん:2005/11/13(日) 03:40:30
>609
おぬし、まさか「自宮僧」をこちらに誘導したいのではあるまいな?w
621日本@名無史さん:2005/11/13(日) 07:34:31
大奥関係の本を読んでいますと、第六代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

誰ひとり答えられぬとは情け無き限りぢゃのう!
かかる有名な話の典拠も調べられぬとは!!
ド素人以外の人々が立てているスレッドは無いものかゑ?



622日本@名無史さん:2005/11/13(日) 11:34:48
>>621
コピペ連投(しかもマルチ)荒らしは消えろ!
623日本@名無史さん:2005/11/13(日) 12:50:57
質問です。

かつて琉球国の宮古、八重山地方にあった「人頭税」の悪習は、何故琉球処分後も
なくならなかったのですか?
そして完全に無くなった明治36年まで、税として取り立てられた穀物や布はどこへ流れたのですか?
624日本@名無しさん:2005/11/13(日) 15:01:59
>>623
沖縄国際大学南島文化研究所編 『近世琉球の租税制度と人頭税』 ISBN:4818815403
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4818815403.html

新しい本なので、買うなり図書館で読むなりすべし。
625日本@名無史さん:2005/11/13(日) 15:51:40
>>614
天皇(法皇・上皇)の権力をもって、有力武士(清盛、頼朝、義経、義仲など)を次々と味方につけまくった事でしょう。

>>623
琉球処分後も、旧琉球王国は明治政府に対して不服従運動を展開したため、政府は沖縄に対し慎重な政策を取り、
急激な(本土並み)近代化を進められず(あるいは植民地的意識があったため敢えて進めなかったともいわれる)、
旧王国の制度が残ったままになっていたからです。(旧慣温存政策)
626日本@名無史さん:2005/11/13(日) 17:40:39
>>400
予想だが、一番の長生きは、伊予・宇和島藩第七代藩主、伊達宗紀ではなかろうか?
627日本@名無史さん:2005/11/13(日) 19:39:31
>>626はスレ違い。スマソ。
628日本@名無史さん:2005/11/13(日) 22:23:37
東京裁判の戦犯について、
A級のみ解放理由が「赦免」ではなく「刑期満了」によるものとどこかで耳にしましたが、
本当のところはどうなんでしょう?
629日本@名無史さん:2005/11/13(日) 22:39:08
昭和20年9月2日の戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印式に参加していた、5名の日本側通訳の名前を教えて下さい。
誰か知りませんか?URL貼ってくれるだけでもいいです。
630つきあう暇人:2005/11/14(月) 01:36:54
>>621
> かかる有名な話
聞いたこともねえな。

> 典拠も調べられぬとは!!
自分で調べたらどうかね?
631日本@名無史さん:2005/11/14(月) 01:48:36
>>628
そういうのは歴史というより現代政治と法律の問題でしょう。
政治板か法律板のほうで事情に詳しい人がいるかも。
632日本@名無史さん:2005/11/14(月) 06:53:30
大奥関係の本を読んでいますと、第六代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

誰ひとり答えられぬとは情け無き限りぢゃのう!
かかる有名な話の典拠も調べられぬとは!!
ド素人以外の人々が立てているスレッドは無いものかゑ?

633日本@名無史さん:2005/11/14(月) 11:16:06
最近、〔アネクドート〕という言葉を知った消防か厨房が、使ってみたかったから書いた質問だな。
634日本@名無史さん:2005/11/14(月) 11:25:24
身分制度で士農工商ってあるけど
医者の身分や有楽の女はどこらへんだったんでしょうか?
635日本@名無史さん:2005/11/14(月) 11:38:21
医者は法外。身分差の外側。
636日本@名無史さん:2005/11/14(月) 11:48:31
そうなんっすか・・・
637日本@名無史さん:2005/11/14(月) 12:17:31
士農工商自体言葉だけで制度はないよ
638日本@名無史さん:2005/11/14(月) 13:48:06
頼朝がいつ後白河の軍事力になったの?>天皇オタの自演自作くんw
まだ懲りないの?
639625:2005/11/14(月) 16:15:55
>>638
厨な答えですいません。
うまくまとめられなかったために、
ざっくりと答えたらこんな感じになってしまいました。
いろいろとご指摘ありがとうございました。
あなたの言うとおり、頼朝は違うかもしれませんね。
ほんとはよく調べなかったせいです。
かもしれない、だけで答えるのはよくないですよね。

最後に、
「自演自作」って何ですかw
「自作自演」なら私は違いますよ。
640日本@名無史さん:2005/11/14(月) 17:25:53
>>638
君は、「操作」という日本語を知った方がいいよ。
641日本@名無史さん:2005/11/14(月) 18:50:15
というか、安徳天皇を擁した平家に対抗するには、
フツーに「後白河の侍大将」と、自分を位置づけるのは
当然な気がする。

平家追討の院宣をもらってたり、
義経追討の院宣をもらってるんだから、
国家的位置づけは
「後白河の(あるいは彼の擁立した後鳥羽の)軍事力」
なんじゃないのかな?
642日本@名無史さん:2005/11/14(月) 19:20:24
Q
映画なので戦場のシーンになると、刀を持った者同士がかなり長く激しく戦っていますが、実際はどうだったのでしょうか?
剣道だって、5分もやっていると疲れます。
戦場ではあんなに長い間刀を交えられないと思うのですが。
643日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:15:36
>>642
ヒント:火事場の馬鹿力
剣道では疲れても負けるだけ。しかし、戦場ではは死を意味する。

斉藤一によると、(斬り合いは)もう無我夢中だそうな。
だから、
(疲れを感じる間もなく……)
戦場を駆け抜けるのだろう。
644日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:31:09
>>642
フィクションはフィクション。
五分も戦う前にどちらかが負けるか逃げるか、あるいは後ろからやられます。
今と昔じゃ体力も全然違いますからね。
645日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:45:21
一応まじめな質問なんですが、
江戸時代の一般庶民が三つ葉葵の紋を見て、どこの家紋かわかるものなのでしょうか?

あと、将軍家と御三家で同じ家紋なのでしょうか?
646日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:09:29
>>645
1.わかる。
2.違う。

真面目な質問なら、いちいちsageるな。
647日本@名無しさん:2005/11/15(火) 00:12:36
>>629
通訳…という訳ではないようですが、陸士48期から大本営つきになり
例の降伏文章調印式の事務方を勤めた高橋正二氏の話が載っています。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/syoji.htm

何か著作でもあれば、手がかりがつかめるかもしれません。
648日本@名無しさん:2005/11/15(火) 00:13:28
>>550,553-554
ところが、その後が大変なんです。
さっき申しました鈴木九萬公使が横浜終戦連絡事務所長でございましたが、
サザーランド参謀長から布告文の写しを貰って帰って来て、あわてて有末
中将のもとにやって来られた。明日の十時を期してこの布告文を日本国民に
提示をするんだという事で、布告文案を三通持ってきた。

その第一番目は、これからの交渉等は英語をもってする、と。これは当然です。
第二番目は「ポツダム宣言、今日の降伏文書調印のその内容、これから出される
マッカーサー司令官の出す命令等に違反した者は、軍法会議に処する」と。
これもまあしょうがないですよね。
第三項が問題なんです。第三項といいますと、「これからの日本の通貨は軍票をもってする」。
軍票――ご承知の方も多いと思いますが、軍票というのは日本も南方においては
使いました。これは金(きん)の裏付けの無いただお札のような印刷をした紙切れです。
これをもって今後日本の通貨とする、日本の国内はその紙切れでやれということです。

これは大変です。それでなくとも終戦の混乱、経済混乱に加えて、さらにこの軍票を
使われたならば、日本の経済はどうなるんだろう。しかもそれは明日の午前十時を
期して、日本国民に布告文を出して、そうすると日本国天皇ならびに日本国政府の
頭越しに、マッカーサーの指令がこれから出されるという事なんです。
これはポツダム宣言にも違反するんです…
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/syoji.htm

649日本@名無しさん:2005/11/15(火) 00:16:54
「これからの交渉等は英語をもってする」と「英語を公用語にする」…

何かニュアンスが違いますね。
誤伝かもしれませんが、>>552の布告を読む限り誤伝ではないかもしれない。
650日本@名無しさん:2005/11/15(火) 00:38:47
質問です。

いわゆる「○世」と「○代」の区別がつかないんです。

1┬2─4…
 └3

こんな系図の場合は、得てして

1─2=3=4…

と描くものですが、これは「○代」を意味するものですよね?
となると「○世」ってどういう意味なのでしょう?
「一世一代」という言葉もありますが、区別が前提で言っているのですよね?

あと「○代」と「○代目」も異なるものらしいですが、これも区別がつきません。
よろしくお願いします…
651日本@名無史さん:2005/11/15(火) 00:45:43
>>648
そのほかの部分では、日英同盟はアメリカに潰された、
今の日本の害悪はすべてフリーメーソンの陰謀って言っててアタタ。電波親父じゃねーか。
652日本@名無史さん:2005/11/15(火) 03:55:35
貞明皇后は皇太后で時代に長谷川清海軍大将がお気に入りで、手編みのマフラーを下賜されたという話があるのですが本当でしょうか?
なにかそれを記録する史料がありますでしょうか?
653日本@名無史さん:2005/11/15(火) 09:36:49
大奥関係の本を読んでいますと、第六代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

654日本@名無史さん:2005/11/15(火) 11:50:45
襦袢というのは、ポルトガル語だそうで、つまりは舶来品ということを意味しますよね?
いったいいつごろ日本に伝わり、それ以前は襦袢と同じようなものは、日本にはなかったのでしょうか?
また、もし同じようなものがあったとしたら、それはどのような名前だったのでしょうか?
655日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:34:59
なんか同じ人間ばっかり出てくるなぁ
656日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:49:34
今川義元が死んだ後に今川氏が簡単に滅んだのはなんでですか?
特に、今まで吹けば飛ぶような存在だった松平元康が義元死後たった一年で
今川の脅威になっているのには納得ができないんですが……
武田のように相続でもめてもいないし、周辺国との関係もしばらくはよかったし…(武田は別)
657日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:52:27
質問です。
徳川家康の死後、その神号を巡って『明神派』の崇伝と『権現派』の天海が争い、最終的に天海が勝って『東照大権現』になったそうですが、そもそも『明神』と『権現』て何が違うのですか?
そして崇伝と天海にはそれぞれどんな思惑があったのでしょうか?
宜しくお願い致します。
658日本@名無しさん:2005/11/15(火) 13:39:33
>>654
衵(あこめ)、おんぞといいます。衵の丈の長いものを、風流(ふりゅう)といいます。
さらにその下には、単(ひとえ)を着ることもありました。
平安時代の衣裳風風俗
http://www4.ocn.ne.jp/~isyo/his003.htm

が、襦袢それ自体は名前だけ輸入されたもののようです。
-------
現在ある「きもの」は小袖と称され,古くは庶民の労働着であったが,平安時代末期に貴族の肌着となり,
室町時代には再び表着となった。
そこで現代の和装の肌着である襦袢(じばん・転訛してじゅばんともいう)が下着を代表するようになった。
襦袢の名称はポルトガル語のジバオ(チョッキ風上衣の意)からきていると言われるが,その起源は古く,
ポルトガルと交易が始まるかなり以前より着用されていた。現存するものでは奈良時代のものが東大寺にある。
これは汗衫(かざみ)といわれ,汗取り用の短衣である。これが発達し,襦袢の形になったと考えられる。
-------
http://www.tabiken.com/history/doc/H/H309C300.HTM
659日本@名無しさん:2005/11/15(火) 14:15:19
>>657
「権現」とは仏(菩薩)が日本の神の姿をして現れることです。権化と同じで、
仏様の化身。つまりは、神仏混淆(神仏習合)の理念の産物なのです。

これに対し「明神」は吉田神道(ぐぐってください)の理念にもとづく、宗教的に
ピュアな神様です。「明神」の平安時代以前から用いられており、その語源に
ついては明らかでないそうですが。

崇伝と天海、双方の思惑は定かではありませんが、要は神道優位でみるか
仏教優位でみるかという論争なのです。天海は「明神」は関東では平将門の
ことだから憚ったという説もありますが http://www.tsukudo.jp/hito-tenkai.html
豊国大明神(秀吉)に宗教的な対抗をするということもあったかもしれません。
660654:2005/11/15(火) 15:24:23
>>658
ありがとうございます
661日本@名無史さん:2005/11/15(火) 16:49:38
家康は信仰心はともかく浄土宗の熱心な支持者であったことは間違いない。
家康や家光は(政治的な目的もあったのだろうが)知恩院を大規模に改修したし、
照譽了学という坊さんには家康も秀忠も、あと本多忠勝も熱心に帰依してた。

当時の浄土宗は密教などと同じく神仏習合だったわけで、家康が権現になれば、
浄土宗の寺でも祀られることが可能。まあ、家康や秀忠の遺志を考えれば、
権現を選ぶのは自然というか当然というワケだな。廃仏毀釈をくぐり抜けて、
今でも家康を祀る権現堂を持つ浄土宗の寺院は結構あるんだよ(知恩院にもある)。
662日本@名無史さん:2005/11/15(火) 16:58:09
ごんげん【権現】
@〔仏〕仏が衆生を救うために、神・人など仮の姿をもってこの世に現れること。また、その神・人。権化。神道の本地垂迹説では、日本の神々は仏が衆生を救うために権現として出現したものと考えられた。
A江戸時代、徳川家康の尊称。

みょうじん【明神】
〔「名神」から転じた語か〕神を尊んでいう語。特に霊験あらかたな神をいうこともある。「―様」「大―」
663日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:06:51
熱心な信者が陰湿な策謀で寺領を焼き払って住職を虐殺するか?
664日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:28:20
軍国天皇マンセーオタが自作自演だ、アラシマクリ〜
665日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:53:50
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             J   >( c´,_ゝ`)プッ
                    >( c´,_ゝ`)プッ
666日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:57:04
>>664
自己紹介乙
667日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:48:43
>>661
家康の場合一向宗への対抗上浄土宗を支持したという面は無いの?
668日本@名無史さん:2005/11/15(火) 20:08:51
>>659
>>661
>>662

ありがとうございました。
勉強になりました。
669日本@名無史さん:2005/11/15(火) 20:47:07
>>667
家康の先祖に浄土宗の高僧がいたはず。
670日本@名無史さん:2005/11/15(火) 21:43:36
大賀弥四郎事件って史実?
671日本@名無しさん:2005/11/15(火) 22:05:06
>>656
義元も、たしかその先代も相続でおお揉めに揉めていたのだが('A’)
ま、これはつまらぬツッコミと流してくれ。

一般的な話をしてしまうが、戦国大名というのは独裁色の強い組織でな。
親兄弟あるいは長男を粛清し、先代の宿老を遠のけ、身内で子飼いの
部下を育成して周囲を固め…といったことをどこでもやっていた。
だから体制はその主あってという面があってね、後代に続けるのが大変なんだ。

そんななか、大遠征をしかけて大負けに負ける、あるいは当主が死んでしまったら
TV番組の悪の組織よろしく急性アノミーを起こして簡単に崩壊してしまう。
子飼いはかなり無理をしているから、逃げたり、自殺したり。
それ以外も子飼いを殺したり奪ったり逃げたり。有力な部下が立ち上がり
なんとかするか、それができなかったら周辺諸国から蚕食されるだけとなる。
同盟とても、パワーバランスあってのこと。崩れたら同盟など無に帰する。

何も今川だけではない。甲斐の武田、周防の大内、豊後の大友。
博打を仕掛けてしくじり、それがきっかけで皆滅んでいる。

今川大友のように後代が愚鈍ならまだマシ、大内や…実は織田もそうだが、
嫡子も殺されたとあっては崩壊・簒奪はほぼ必然。その点武田は恵まれて
いた。大負けに負けず主が急死しただけということもあるが、勝頼が有能
だったとしても、どうにもならなかった。
672クワットロ:2005/11/15(火) 23:00:26
え〜と、江戸時代に3都(江戸・大阪・京都)がにぎわっていた
理由をそれぞれ答えなさいとかいう問題なんですが…
先生が厳しいのでしっかりとした答えを言わないといけないんです。
誰かわかりませんか? 期限は明日なんです…(汗


673日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:03:57
時節ネタですが、高家筆頭はなぜ吉良家だったのですか?
なんか今川の方が家康の株も上がりそうですが?
674日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:04:59
>>672

江戸は、言うまでもないとして、大阪は商業の中心地だし、京都は流行の発信地だし・・・程度では落第?
675日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:11:07
>>673
筆頭じゃない
676日本@名無しさん:2005/11/15(火) 23:19:37
>>672
国土計画面からの本格的な研究本がここにあるが…
国土経営における大都市の機能と役割分担に関する研究
http://www.nira.go.jp/pubj/output/dat/2203.html

「にぎわう理由」を語るのか?
大阪書籍の教科書の中にこんなのがある(らしい)
---------
にぎわう三都

江戸・大阪・京都は合わせて三都とよばれました。
江戸は,「将軍のおひざもと」といわれ,政治の中心地でした。18世紀初めには人口は約100万を数え,
国内最大の消費地となりました。また,江戸を中心とする五街道が定められました。街道には,宿駅が
おかれ,大名や商人のほか,手紙や小荷物を運ぶ飛脚がゆきかいました。箱根など,街道の要所には
関所がおかれ,江戸へ出入りする人人や荷物を取り調べました。

大阪は,堺(大阪府)や京都から商人が集まり,商人の手で運河が掘りめぐらされ,商業都市として
栄えて「天下の台所」とよばれました。江戸・大阪間に定期航路が開かれると,木綿・酒・しょう油・
菜種油などが江戸へ積み出され,それをあつかう問屋が力をのばしました。各地の大名は,大阪に
蔵屋敷をおいて年貢米や特産物を売りさばき,藩の財政をまかなうようになりました。また,日本海と
大阪を結ぶ西まわり航路が開かれると,商業都市としていっそう発展しました。

京都は,天皇・公家が住み,文化の中心として栄え,西陣織や清水焼などの手工業が盛んでした。
また,幕府は,金貨・銀貨・銅銭を作って,全国に流通させました。大阪の鴻池や江戸の三井のように,
金と銀との両替や金貸しによって,大名をしのぐほどの財力をもつ商人も現れました。

http://www.osaka-shoseki.co.jp/kyoka/r_junior14_txt/r1403_02.html
---------
宿題レベルならこれで十分だろう。
677日本@名無しさん:2005/11/15(火) 23:42:04
>>673
高家肝煎ではあった。肝煎とは世話役・斡旋役のこと。名主のことも肝煎と呼ばれた。
天和三(1683)年、吉良義央は大沢基恒、畠山義里とともに任じられた。
これは高家のうちでも役をもつ「奥高家」からの選抜で、その時々で任命されるもの。
678日本@名無史さん:2005/11/16(水) 08:23:36
戦前の日本では地方自治ってどうやってたんですか?
今みたいに県議会や市議会、そして県知事や市長がいてその人たちを住民が選べたんですか?
679日本@名無史さん:2005/11/16(水) 08:51:59
>>678
そう
とりあえず、図書館にでも行って、行政で出版している本でも読んで来なよ。
680日本@名無史さん:2005/11/16(水) 12:29:14
大奥関係の本を読んでいますと、第六代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

誰ひとり答えられぬというのであろうかの?

681日本@名無しさん:2005/11/16(水) 14:01:09
>>680
アンタもしつこいねぇ。

ともあれだ、少し調べてみたが指輪はこの頃から広まりはじめたらしい。
基本は中国オランダからの輸入品。玉(宝石)が入っているようなら確実だろう。
日本古来の装飾品種は総じて少ないから、珍しいもの好きの大奥女中達に
歓迎されたんじゃないかの。ましてや当時の大奥は随分贅澤していたんだ。
推して知るべし、だ。

当時は「ゆびがね(指金)」と呼ばれていた。今でも長崎方言として残っている
そうだが、これからも元は舶来品だったことがわかる。どうでもいいことだが、
化政年間には一般にも広まっていて、指環と書かれたのは明治初めから、
指輪と書かれたのは大正時代だ。

指輪といっても、丸いものだと拾うのは大変だ。
コインを落とした経験はあるだろうが、コロコロコロコロ転がっていってどこに
いくやらわからない。畳の上で玉が入ったものならそういうこともないだろうと
いうかもしれないが、捜すのは意外と大変だ。ましてやあんな着膨れした
連中にとっては重労働だろうな。

実際の所はどうか知らんが。
682日本@名無史さん:2005/11/16(水) 15:05:31
>>678
北海道会、府県会、市会、町村会議員は住民による直接選挙。

北海道は長官、府県には知事が置かれ内務大臣が内務官僚の内から選ぶ。(住民の関与する余地なし)

市町村長は市町村会で選挙で選ばれる。(住民の関与する余地なし)候補者は市町村の有力者の中から選ぶらしい。


683日本@名無史さん:2005/11/16(水) 15:58:28
>682
市町村長は住民が関与する余地無しといってるが、市町村長までは間接で住民が決めるって事だろ?
684日本@名無史さん:2005/11/16(水) 17:21:36
日本・・・と言うか、
列島で使用された最初の通貨は西暦何年に作られたんでしょうか?
685日本@名無史さん:2005/11/16(水) 17:50:33
>>684
『日本書紀』に、天武天皇の治世12年(西暦683年)に
銀銭の使用を禁止し、銅銭を専用することを命じた、と記録があります。

この銅銭がいわゆる「富本銭」、銀銭が「無文銀銭」といわれています。

ですから、それ以前から日本最初の「通貨」たる「無文銀銭」は通用していたことが
わかりますが、いつ「作られた」のか、は不明です。

ちなみに、あなたが「国家が初めて通貨を発行したのが何年なのか」知りたいのなら、
答えはこの「西暦683年」になりますし、
「日本最初の通貨はいつつくられたのですか」になると、回答は
「西暦683年より前だけれど、正確なところはわかりません」になります。

まぁ、「通貨」の定義にもよりますけどね。
686日本@名無史さん:2005/11/16(水) 18:43:43
列島国家が通貨を使用し始めたのは、西暦600年以降と言う訳ですね。
ありがとう御座います。
687日本@名無史さん:2005/11/16(水) 18:51:51
日本と言う国名を有した国家が歴史上に現れるのは、
大宝律令が制定された年(西暦701年)ですよね?

と言う事は、それ以前(西暦700年以前)は日本と言う国は無かった訳ですよね?
それ以前にあった国の国名は何と言うのですか?
688日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:12:59
なんで古代中国では外国を漢字二文字で表したのに
日本だけ一文字で倭だったの?

それから倭が時を経過して和になったの?
わかんないよ〜
689日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:15:03
本能寺の変でもし信長が生きていたらと言う仮説で作られたお勧めの小説が好き
で学研文庫?の 異 戦国志とか読みましたがこの作品のほかに面白い戦国時
代の仮説小説はありませんか?
690682:2005/11/16(水) 19:20:53
>>683
すまない。
直接関与はできないと読み替えてくだされ。
691日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:48:31
>>689
それは書籍板で聞いてくれ。
692山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/16(水) 19:49:17
>>657
「豊国大明神」を対抗する理由として持ち出していた筈ですが、「大明神」
という名称も、『悲華経』という本地垂迹説を解説した経典に出ていたも
ので、『小右記』等に出て来るのが初期の例ですが、仏教と関りを持って
いた場合に使用されている事が多かった。
天海は「豊国大明神」を例として引いており、『梵舜日記』にも「大明神」が争
点となったと記されています。
違いを訊かれた時、梵舜は「上下の差別はないが、明神は潔斎参詣自由」と
返答している。
理屈から言えば、吉田は神→仏となりますが、争点は別にあった様です。
名分はともかく、天海が主導権を欲したのは事実でしょうが。
それと、経典について申し上げた通り、「明神」は単なる尊称として用いら
れたものの、「大明神」というと中世には本地を想定している場合が普通で
あったので、権現と対応する「神道」的称号というのはどうかと。
693日本@名無史さん:2005/11/16(水) 20:01:53
>>686
>>685が不正確だったので一部訂正します。

「通貨」の定義を手元の『岩波国語辞典』でひきますと、
「法律の定めによって一国内に流通する貨幣」ということだそうです。

ですので「通貨」とした場合、「無文銀銭」の流通に
「法律の定め」があったかどうか、が問題となります。
(貨幣は法律がなくても通用します。その場合「貨幣」ではあっても
「通貨」ではない、ということになります)
で、それがわかる史料はありません。「無文銀銭」が「通貨」であった、
と断定することは今のところ出来ないといえます。

ですので>>685を訂正します。
「西暦7世紀半ばには、日本で「貨幣」が流通していた、と考えられる」
「日本最初の「通貨」の発行は、西暦683年という説が有力である」
694日本@名無史さん:2005/11/16(水) 20:44:17
適当な場所が無かったのでここで質問させて頂きます。
福沢諭吉著の学問のすすめ第2編でよく出てくる単語で
「権利通義」と言うものがあるのですが
具体的に訳すと現代的にはどのような意味なのでしょうか?
板違いかもしれませんが宜しくお願いします。
695日本@名無史さん:2005/11/16(水) 21:38:54
>>689
信長新記 徳間文庫
佐藤 大輔 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198920605/qid=1132144534/sr=1-12/ref=sr_1_2_12/249-8559958-2975542

但し完結していない。多分4巻以降は永遠にでない。
696日本@名無史さん:2005/11/16(水) 22:24:04
>>695
レスありがとう
早速、探してみます。   
697日本@名無史さん:2005/11/17(木) 07:07:21
旧軍で将官だった人ってまだ生きてますか?
698日本@名無史さん:2005/11/17(木) 08:06:57
大奥関係の本を読んでいますと、第六代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

誰ひとり出典が判じ得ぬものと見ゆるのう?



699日本@名無史さん:2005/11/17(木) 09:44:42
>>697
いない……と思う。
700日本@名無史さん:2005/11/17(木) 11:31:48
富士山に初めて登ったのはいつ頃誰が成し遂げた事なのでしょうか?
竹取物語に富士山山頂で不死の薬を燃やすという一節が書かれているそうですが、その時代には既に富士山登頂は
行われていたのでしょうか?

また、日本アルプスの山々に人が登り始めたのはいつ頃からでしょうか?
富士山より標高は低くても急峻なので、明治以後に外国の登山技術が入ってからでしょうか?
701日本@名無しさん:2005/11/17(木) 12:37:40
702日本@名無史さん:2005/11/17(木) 14:21:33
>>700
立山は、奈良時代に開山されたと伝えられており、
また、剣岳山頂では奈良時代の物と思われる物が発見されています。
戦国から江戸期には既に木曽駒ケ岳、白馬岳、有明山、御嶽、槍ヶ岳などの
多くの山が登頂されました。

日本では古代の山岳信仰、修験道といった宗教的要素により、
ヨーロッパよりもかなり古くから登山が行われていました。
703山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/17(木) 14:38:23
>>700
『竹取物語』の話があり、それ以前に『日本霊異記』に夜になると役行者が伊
豆大島から富士山へ通ったという話が出ておりますが、いずれも伝説的な
ものです。都良香の「富士山記」に登場する山上の風景は、竹が生えていた
りと神仙志向が強く、実際の情景を描いたものとは考えにくい。
同記には、山上に天女が舞っていたという話もあり、『更級日記』には煙立
つ山上には神々の会議場があるという観念が出ていますが、禁則地に近い
扱いだったのではないでしょうか。確かな登山例を知りません。
確実なところでは、『本朝世紀』に末代上人が鳥羽院以下貴賤上下と結縁し
たが、その頃には山上に大日寺があったというのが古い例でしょう。
我が国古代の信仰では、山上は異界であって人の地ではなく、高山を切り開
いたのは、仏教系の山岳修行者であったものと考えられます。
また、702の紹介された立山は、少なくとも11世紀には開山され、冥界
と通じているという信仰があった事が、『法華験記』に出ていますね。
704日本@名無史さん:2005/11/17(木) 14:47:28
>>697
終戦時に一番若い将官はダントツで戦後スキャンダル王になった閑院宮のはずだが、
それでも今生きてたら100才オーバーだろう。というわけでもう生きていないはず。
705700:2005/11/17(木) 15:03:50
皆さんレスありがとうございました。とても良い勉強になりました。


706日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:32:15
@ロシア使節が、通商を求めてきた例をはじめ、さまざまな国が日本近海に姿をあらわした
A出島が完成してからは、日本国内の政治も安定した
Bポルトガルやスペインが、貿易やキリスト教の布教のため日本に来航し始めた
C朱印船による貿易が盛んになり、各地に日本町もできた

年代順に並べてください。分からないです。
707日本@名無史さん:2005/11/17(木) 18:18:59
ヘルプ!
708日本@名無しさん:2005/11/17(木) 18:22:00
BCA@
709日本@名無史さん:2005/11/17(木) 18:24:22
サンクス!!
710日本@名無しさん:2005/11/17(木) 18:49:43
>>694
とりあえず 『学問のすゝめ』。
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/gakumonosusume.html

権理通義。略して権義、権理。
もともとは江戸時代末期に福澤が"(human) right"を訳した言葉です。

加藤弘之はこれを「権利」と著し明治政府も用いて今に到っていますが、
自己主張の名分としてではなく、人間存在の平等性を形成する理念で
あるところに重きが置かれているようですね。
711日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:07:12
太平洋戦争終結後、シベリアに抑留され、その後帰国した日本人はいったい、何人いるのでしょうか?
712日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:17:32
それぐらいすぐわかることなんだけど?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99
次からはウィキペディアぐらい調べてから質問なさい。
713日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:29:27
8500/473000かぁ
714日本@名無史さん:2005/11/19(土) 19:31:36
日本史板とは板ちがいを承知で質問だが、

昔の貧しい農民などが食っていた
麦飯や粟や稗などの雑穀を食ってみたい。
当然、米の飯よりはまずいのだろうが、
一度も食う事なく死んでいくのもなんだし。

麦飯や粟や稗の飯を食う方法を教えてくれ。
715日本@名無史さん:2005/11/19(土) 19:37:12
五穀でいう米と豆(大豆)以外の飯が食いたいわけです。
つまり、麦(大麦)、粟、黍もしくは稗の
四種の飯を食うにはどうしたら良いのでしょうか?
716日本@名無しさん:2005/11/19(土) 19:45:07
手に入れるだけなら造作もない。小鳥の餌でも買って炊けばいい。
ただ所詮は飼料なので、おいしいわけはない。
栽培種でなおかつ真っ当に育てられたものでないとダメだ。

本物の粟餅をもとめて
http://www.bigai.ne.jp/~miwa/food/awamoch.html
現代稗団子物語
http://www.bigai.ne.jp/~miwa/powder/food/hiedango.html

米に添加して炊くのも良いが、粟や稗の場合、多くは餅や団子の
加工品として今に生きている。食べたければそれを通販で手に入
れるのも良いだろう。

粟餅所澤屋
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kinki/Kyoto/guide/0501/M0026000818.html
717日本@名無しさん:2005/11/19(土) 19:49:27
>>715
普通のスーパーマーケットで売っているんじゃないかと思うんだが。
小麦、大豆、小豆、胡麻やそれらの粉のコーナーに、粟くらいならあるもんだぞ。
今では通販もよくやっているから、「雑穀」「販売」で検索してみてくれ。
718日本@名無史さん:2005/11/19(土) 19:52:31
米と混ぜて炊くような雑穀詰め合わせってのは
自然食品の店とか道の駅には普通に売ってるな。
それだけと言うのなら>>717
719日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:20:45
>>713
wikiはアテにならん記述もあるから
最後に自分で調べ直しとけよ。
720日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:33:17
地理板からの誘導です。

天皇はチョンって本当ですか?
歴史を勉強しているひとなら大半は知っている事実と言われたのですが・・・
721日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:38:35
ただ、720がチョンっていうのは本当です。

日本史板で歴史を勉強している人ならみんな知っている事実です。
722日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:51:11
古代は渡来人ってのは先進文化の象徴であり、一目置かれる存在だった。
今のアメリカ人に対する日本人みたいなもの。
豪族貴族も渡来人が多かったし、祖先を騙る者もいた。
天皇家もその血の中に渡来人がかなり入っている可能性は高い。
人的、文化的交流のなかで血の交わりがない方が不自然。
723日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:56:00
ただ、渡来人はチョンではないがな。

渡来人は遥か北方からビビンバ半島を突き抜けて来た集団。
724日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:57:08
古代の渡来人の流れを汲み人をチョンとはみなさないでしょ、普通。
725日本@名無史さん:2005/11/19(土) 21:10:36
>>722
ありがとうございます。
ということは、根源が渡来人ではなく、途中でその血も混ざっているということですか?
726日本@名無史さん:2005/11/19(土) 21:19:09
>>725
人類みな流れ者だからね。アフリカあたりから流れ流れてはるばると。
727日本@名無史さん:2005/11/19(土) 21:20:51
>>726
木みたいに地面から生えた正真正銘の土着人がいるなら別だけどね。
728日本@名無史さん:2005/11/19(土) 21:23:07
事実はどうなのか?と聞かれても科学的検証が出来ないものに正確な答えはありません。
今日政界で起きている事でさえ表面的な事象は知り得ても真相はわかりません。
歴史的な事象ではなおさらです。
可能性としてしかお答えできずにすいませんです。
729日本@名無史さん:2005/11/19(土) 21:35:43
>>725
何の根拠も示されずに可能性が高いと言われただけで信じないほうが良いよ。
730日本@名無しさん:2005/11/19(土) 21:47:40
論になりっこないこと知っていて、平然と論にしたがるのがチョン
731日本@名無史さん:2005/11/19(土) 22:37:35
>730
少しおかしいのはどこにでもおるじゃろう。
732日本@名無史さん:2005/11/19(土) 22:47:24
★★★無残トリップ割れコテハン「定」のお知らせ★★★

名前欄に「定 #RaraChester」と入れて書き込んでください。
これで今日からあなたも「定 ◆e8G3HDKGd.」です!

今すぐアクセス
733日本@名無史さん:2005/11/19(土) 22:59:14
朝鮮ネタをふる香具師は、質問スレを機能させないことが目的なんじゃないのけ?

いいかげん、スルー耐性ぐらいもってくれよ>リア中・高生
734日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:01:24
近代史板が出来たな

できれば近現代史板にしてほしいのだが。。。
735日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:17:40
大奥関係の本を読んでいますと、第七代徳川将軍家宣の御台所の故事として
「指輪拾いの役目」という史譚が時折り目につきます。
それは御台所の近衛熙子が宝永元年の某日、化粧中に
「夜光の玉の入った指輪」を畳の合わせ目に取り落としてしまい、
それを誰が拾うべきか有職故実に詳しい錦小路の局が調べさせた
といったアネクドートなのですが、何故この時代に指輪を嵌める
習慣があったのかとか、大奥の御台所の御座所の畳に指輪が落ち込む程
広い隙間があったのだろうか等と不審な点が幾つか指摘出来ます。
この史話の典拠を御存知の方々が居らしたら、是非とも御教示のほど
願い上げます。 
何卒宜しく御願い致します。
なお今、手許にある此の話を掲載した書目は『江戸城大奥100話』
(安西篤子・監修、立風書房。156頁)と『江戸女人物事典』(68〜頁)
の二冊だけで、いづれにも出典が明記されて居りません。

誰ひとり典拠となった書物を答えられぬと見えますナァ!
所詮、素人ばかりのスレッドであったか・・・・



736日本@名無史さん:2005/11/20(日) 00:24:07
民俗板で山野氏に聞いたら?w
737日本@名無史さん:2005/11/20(日) 00:37:25
田井友季子(たい・ゆきこ)
1923年、横浜市生まれ。劇作家岡田八千代に師事。
1951年日本新聞協会のラジオドラマに当選。
1965年婦人公論「岡田八千代伝」当選。日本ペンクラブ会員。
大衆文学研究会会員。著書に「江戸女百花譜」(日本図書館協会選定図書)、
「対馬物語・雨森芳州」(日本図書館協会選定図書)、「聖書人物小伝」等多数

安西篤子 神戸市生まれ。神奈川県立第一高女卒。
「張少子の話」(「花あざ伝奇」に所収)で直木賞。「黒鳥」で女流文学賞受賞。

文芸板でもいいかもね、そんな出典がよくわからんものをまともに論議できませんが


喧嘩を買ってしまった反省
738日本@名無史さん:2005/11/20(日) 00:38:59
とりあえず日本近代史板にも初心者スレを立ててきました。
ですので近現代史向けの質問者の誘導をできればお願い致します。
こちらにある近現代史向けのスレも
新スレを立てる際に移していってもらえればと思います。
739日本@名無史さん:2005/11/20(日) 01:04:11
>>738
>日本近代史板
そんなもんないだろ
740山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/20(日) 01:07:30
>>734
対象は「幕末以降」の様ですよ。天皇ネタも移動でしょう。
今は、削除依頼も通りやすくなった様ですが。
穏便に移行するのが肝要ですね。

>>736
マルチですよ。とっくに答えは出ています。
741日本@名無史さん:2005/11/20(日) 01:10:46
>>739
ヒント:板更新or取り敢えずIEで覗いてみる
742日本@名無史さん:2005/11/20(日) 01:19:27
女系・男系ネタや旧宮家ネタの皇室スレは全部近代板に移動。
戦争責任ネタや植民地ネタも近代板に移動。
743日本@名無史さん:2005/11/20(日) 01:39:20
今までに蘭麝待を切り取った人物を教えてください。

ガイシュツの明治天皇が最後でしょうか?

744日本@名無史さん:2005/11/20(日) 01:51:44
つまらん板つくっちゃったな
隔離板になりそうな雰囲気がぷんぷんする
745日本@名無史さん:2005/11/20(日) 02:17:17
746714:2005/11/20(日) 08:32:15
サンクス
747山野野衾:2005/11/20(日) 11:21:22
ウヨサヨとか現代の皇室ネタとか、中韓ネタとか厨くさいのは隔離板へ。
748日本@名無史さん:2005/11/20(日) 11:26:51
>>744
学部生が踏ん張るか
厨・工房の青臭い板になるかは
過去の2chを鑑みれば自明だと思われ
749日本@名無史さん:2005/11/20(日) 11:32:59
とりあえず、現状

1: 太平洋戦争とはなんだったのか (6) 
2: 日本近代史における「自慰」の位置 (1) 
3: 明治維新の功罪 (2) 
4: 【米百俵】長岡藩を語れ【ガトリング家老】 (1) 
5: V I P 大 使 館 (4) 
6: 幕末〜明治維新期の公卿たち (4) 
7: 近代史板オメ! (3) 
8: ♪♪日本近代史上の人物になって前の人に一言♪♪ (3) 
9: ■ 日本近代史板自治スレ (9) 
10: ■ 文明開化 !! (15) 
11: 何この「チャンネル桜」板? (6) 
12: ここだけ200年進んでるスレ (3) 
13: ☆日本近代史板・雑談スレッド☆ (27) 
14: 名無しを定めるスレ (18) 
15: 蛆虫大使館 (3) 
16: 近代史しりとり (21) 
17: どのアニメキャラと日本近代史学びたい? (6) 
18: 日本近代史におけるモーニング娘の果たした役割を考察 (4) 
19: 【初心者】初心者はまずここで質問を【歓迎】 (5) 
20: 近代日本の植民地について語るスレin近代日本史板 (2) 
21: ;゚д゚)<日本近代史(仮)らしいよΣ(゚Д゚;エーッ!! (9) 
22: 【奉天会戦】日露戦争【日本海海戦】 (5) 
23: VIPPERはただの蛆虫 (2) 
24: □ すきやき □ (8) 
25: 文明開化の音(もせ) (3) 
750日本@名無史さん:2005/11/20(日) 12:01:58
イタイ板だな
751日本@名無史さん:2005/11/20(日) 14:30:46
だな
752日本@名無史さん:2005/11/20(日) 15:45:44
江戸時代の髪型はなんであんなに種類が豊富なんですか?
753日本@名無史さん:2005/11/20(日) 17:30:44
山野さん、「野衾」ってつけた由来は?
なんか意味ありそう。
754日本@名無史さん:2005/11/20(日) 18:12:12
>>753
雑談スレって知っているかい?

ここは日本史の質問スレ。
755日本@名無史さん:2005/11/20(日) 19:24:45
「太守」の尊称は、親王が親王任国を国司として治めていた場合にのみ
使われますよね?
鎌倉の北条氏は親王でもないのになんで「太守」と呼ばれていたんですか?
756日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:23:44
質問です。
勝海舟のことを調べていたんですが、
勝家は、徳川一橋慶喜の10男が継いだと書いてあったのですが、
勝には、子供がいなかったのですか?
757日本@名無しさん:2005/11/20(日) 21:49:27
何人かいましたが、長男の小鹿が41歳で海舟に先立ち死亡した事から
清(くわし)に継がせたとか。
758日本@名無史さん:2005/11/20(日) 22:11:44
>>752
東京青梅の「くし・かんざし博物館」へ行ってみ。本も売っている。
759日本@名無史さん:2005/11/20(日) 23:56:26
>>744
i|!| |i┏┓! i!┏┳┓| |||i|!i| ||!i|| |||ii| ||| ||| |i||!|i│i!┏┓i!|
|i|┏┛┗━╋┻┛|i!||!|ii|| i|!i||i|┏━┓ ┏┓i|i| i┃┃i!|
i||┗┓┏┓┃||i┏━━━━┓┗━┛ ┃┃|i||!i┃┃i!|
|i |!|i┃┃┃┃i||┗━━━━┛|i|| || ||||!┃┃i|i| i┗┛!i|
i||i ||┃┃┃┃|! |||i ||i    !|||!|┏━━┛┃|i||!i┏┓i|!
|i!i |!┗┛┗┛i|!i|  / |   / | ┗━━━┛i|i| i┗┛i!|
i| |||i|!i| ||!|i||i!   /,_ ┴─/ ヽ      |!i| ||| |i||!|i|i|||| ||i
|i|| ||i!i||     (_゜.,》.'(_゜,》)ミ ヽ       ! | |!i||!|ii||!|ii|
i|ii        / ,,__,ニ、、 ノ( |           i|i!|i|
|i        | Y~~/~y} `, ~ |  そ、そうなのか?. |i
!.          | ,k.,.,!,.,.,r| ,!  く             |
i        / <ニニニ'ノ    \               l

というか隔離用でしょ 元々。
760日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:00:07
三つ質問します。

一、トイレットペーパーのない時代、昔の人はどうやってケツを拭いてたんですか?

二、コンドームのない時代、昔の人はどうやって避妊してたんですか?

三、分娩台のない時代、昔の人はどうやって出産してたんですか?
よろしく頼みます。
761山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/21(月) 00:07:38
>一、トイレットペーパーのない時代、昔の人はどうやってケツを拭いてたんですか?
院政期の『長秋記』に、大壺紙というのが出て来ますが、大壺は便器のこと
ですから、これが今でいう便所紙です。『餓鬼草紙』では、庶民も使用して
いますが、木のへらも見える。庶民はこちらでしょう。

>二、コンドームのない時代、昔の人はどうやって避妊してたんですか?
江戸時代に、革袋という名で羊の盲腸製のものを輸入していましたが、当然
高級品でした。避妊より、堕胎や間引きですかね。

三番目は例が多いので、日本絵巻大成でも御覧になって下さい。
色々ありますから、イメージを限定しない方がよさそうです。
762山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/21(月) 00:09:00
>庶民はこちらでしょう。
庶民の大半は。地方では近代までそうでした。
近世の上方では女性が立小便をし、紙ではなく布でふいています。
763760:2005/11/21(月) 00:15:59
ありがとうございました。
764日本@名無史さん:2005/11/21(月) 02:20:05
平家にあらざれば人にあらずって本当に言ったのですか?
765日本@名無史さん:2005/11/21(月) 02:55:01
>>757
「くわし」は「精」です。
このヒトも結局実家に帰ったか、早世したかだったと思う。
766日本@名無史さん:2005/11/21(月) 03:26:19
宇喜多秀家が関が原で使用したと言われる、
旗指物の漢字一文字ものは、「睨」ですか?
それとも「児」の旧字体ですか?
767日本@名無史さん:2005/11/21(月) 05:18:37
>>760
>分娩台のない時代
お前は分娩台がないと、出産が出来ないとでも思っているのか?
今でも自宅出産は、普通に行われている事。
768日本@名無史さん:2005/11/21(月) 05:20:58
>>757,765
では、ニュースキャスター?の勝恵子さんは、
どこの勝さんでしょう?
昔、勝恵子さんは、勝海舟の子孫だというやりとりをしてるのを
見た記憶があるように思えるけど、間違いか?
あと、財務省にも、現在、勝さんがいると聞いたのですが。
直系ではないということですね。
769日本@名無史さん:2005/11/21(月) 08:27:53
>>767
そうだよな。
家畜でも立ったマンマもあるが、寝るのもいる。
子はしばらくすると立つ。感動する風景だ。
770日本@名無史さん:2005/11/21(月) 14:28:31
>>768
勝海舟─小鹿─伊代子
            |
     徳川慶喜─精
771日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:21:38
ポルトガル船の来航禁止と
キリスト教の禁止と
島原の乱の歴史順を教えて欲しいのですが。
772日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:18:49
なぜ教科書で調べない?
773日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:19:38
詳しい年が載ってないんです
774日本@名無史さん:2005/11/22(火) 01:27:47
大和時代の都加留と、戦国時代で有名な津軽氏は直接的な関係(豪族で直系とか)がありますか?
それとも、地名の方が残ったのを、後から名乗ったんですか?
775日本@名無史さん:2005/11/22(火) 01:44:12
>>771
高校用の資料集でも調べなさい。
776日本@名無史さん:2005/11/22(火) 08:30:29
なぜに質問スレで質問に答えてくれないのでしょうか?
777家出猫:2005/11/22(火) 08:56:36
1639ポルトガル
1637シマバラ
1612キンキョウ

だろ
778家出猫:2005/11/22(火) 08:59:23
んでここからはおいらの質問。
北条政子の実子が二人も政子の父に殺され。さらに、その愛人の子供を将軍にまでされかけてる
けど、政子って馬鹿なの?
779日本@名無史さん:2005/11/22(火) 09:30:21
>>778
北条政子が権力握ってたなんて、バカな妄想をいまでも信じているのか?
780日本@名無史さん:2005/11/22(火) 17:19:41
こちらにも。どなたかヘルプ
一、惣の所有地と、個人の土地の境線の争いは金で解決する事
一、村を囲ってある塀から東は、屋敷にしかならない
これと
一、けんかをしたものは、理由はともあれかならずこらしめるべきである。

この2つってなんでしょうか?
781日本@名無史さん:2005/11/22(火) 18:35:06
惣掟と喧嘩両成敗じゃねーの
782日本@名無史さん:2005/11/22(火) 20:50:23
四位の高家と五位の大名って、江戸城で出くわしたら
礼をとるのはどっちですか?
783日本@名無しさん:2005/11/22(火) 21:36:11
>>782
高家。所詮は旗本ですから。
784日本@名無史さん:2005/11/22(火) 22:49:34
>>780
危急性があっても、マルチポスト(複数のスレに同じ質問をする)はやめましょう。
失礼な行為(スルー対象)に当たります。次回からは気を付けてください。
他のスレに質問を移す時は、元のスレにその旨を書き込んで一旦質問を取り下げてから、移しましょう。
785780:2005/11/22(火) 23:02:15
すみません。
ありがとうございました。
786日本@名無史さん:2005/11/22(火) 23:16:15
>>783
え、そうだったの?
じゃああの吉良上野介は浅野内匠頭より格は下?
というと、いじめとかって本当はなかったのか…
787日本@名無史さん:2005/11/22(火) 23:25:10
>>786

格がどうこうの前に、「畳替えしてない」だの「儀式の場で裃きてる」だのを第三者に見られた日には、吉良にもとばっちりが来ると思うのは俺だけだろうか?
788日本@名無史さん:2005/11/23(水) 01:10:18
>北条政子の実子が二人も政子の父に殺され。さらに、その愛人の子供を将軍にまでされかけてる
どこから突っ込めばいいの?
何か悪い本かいいかげんな漫画でも読んだのかな?
789日本@名無史さん:2005/11/23(水) 07:59:33
勅使接待の刃傷事件って、よくあるけど
大名が高家に頭を下げることがすごい負担なのかな?
790日本@名無史さん:2005/11/23(水) 09:01:44
若殿は日本で一番偉いんだと変な帝王学で育った大名が頭を下げるのに慣れていない
だけではないか。特に中途半端な石高のところは、卑屈になってはいけないとそう
教えそう。

前田利常だか、登城をさぼって酒井忠清だかにとっちめられたとき袴をめくって
急所を見せて、ホレこんなにハレて困っているとやったという話もある。忠清は
うまく行けば大藩をつぶせると気負ったみたいだったけど。
791日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:47:38
例えば、神武天皇が即位したとする紀元前660年は、神武天皇1年と呼ぶ事が出来ますよね。
でも、紀元前585年に神武天皇が崩御し、次の綏靖天皇が即位する紀元前581年までの空白期間(紀元前584年〜紀元前582年)は、一体何と呼んでいたのでしょうか?
792日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:24:17
38年戦争って何ですか?
793日本@名無史さん:2005/11/23(水) 19:12:11
靖国神社に合祀されているという「英霊」の英ってどういう意味ですか?
英知の英?英雄の英?
それとも意味がないのでしょうか?
794日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:22:21
大変おそれいりますが、近代史関連の質問は、
下記のスレッドでお願いします。


【日本近代史】-【初心者】初心者はまずここで質問を【歓迎】

ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1132414394/
795日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:28:15
徳川斉昭の生母は公家の烏丸氏の娘ですけど、
どうゆう経緯で側室になったのでしょうか?
斉昭父の治紀の正妻は紀州家の出なので
嫁入りの時に連れてきた侍女ではなさそうなんですけど。
あと、斉昭の兄も側室の子なのに藩主になれたのは母親が側室の場合、
母の出自が公家であろうと兄>弟だったのでしょうか?
796日本@名無史さん:2005/11/23(水) 22:03:46
旧軍で大佐だった人ってまだ生きてますか?
797日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:23:10
平家の言った「平家にあらずんば人にあらず」という発言の「人」は人間という意味ではなく、
「貴族階級」という意味だと言われたのですが事実なんでしょうか?

ぶっちゃけると世界史板の質問スレのレスであったのですが、さすがにこれは日本史なのでこちらで質問します。
798日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:28:35
>>797
平家一門が権勢を欲しいままにする中で、大納言・平時忠などは、「此の一門にあらざむ人は皆人非人なるべし」と高言するほどで、世はまさに平家一門のものであった。
799日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:29:43
○「此の一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」について
読み方は、「このいちもんにあらざらむ(ん)ひとはみなにんぴにんなるべし」。
「む」は、「ん」でも良いが、厳密に言えば、「む」の方が正しい。又「人非人」は、
一般的には「平家にあらずんば人にあらず」と解釈されているが、本来の意味は、
「傍流である」あるいは「外側に置かれている人たち」という意味。番組では、
通説で紹介しているため、一般的な意味を紹介した。

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_09.html
800日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:36:02
>>797
任官もうけられない武士や公家、平家以外をあざ笑ったのです。

階級意識が生まれて来るのは、もっともっとあとの時代。
801日本@名無しさん:2005/11/24(木) 01:32:08
>>797
そこでいう「人」を解釈するなら、殿上人(てんじょうびと)であるかそうでないか、
つまり地下人(ちげびと)かということ。要はお目見え以上か以下かということ。
802日本@名無史さん:2005/11/24(木) 02:24:49
>>796
軍板向けの質問だ
803日本@名無史さん:2005/11/24(木) 07:35:55
>>796
大尉が生きてるから生きてるかな?
804日本@名無史さん:2005/11/24(木) 10:25:56
「士農工商」って、どのくらい江戸時代では意識されていたのでしょうか?
古代中国(儒教?)からの直輸入なだけですよね?
805日本@名無しさん:2005/11/24(木) 14:03:12
陸士40期後半ならまだ結構生きているぞ。
大尉はともかく、大佐は年齢的に厳しかろう。
生きていたなら、おそらく100歳くらい?
806日本@名無史さん:2005/11/24(木) 20:29:56
陸士30期後半、海兵50〜52期くらいなら、
まあ成績が上の下なら終戦直前に特進でなくても大佐になれたろう。
つまり今生きていれば100才前後の元陸軍/海軍大佐が、
当時200人以上はいたはずで、
1人くらいは生きている可能性は十分高いような気がする。

まあ、高松宮が今でも生きてれば話は早かったのだけれどね。
807806:2005/11/24(木) 20:37:32
と勝手な想像を書いたところで、
辻〜んが今でもラオス山中で生きている姿をしてしまった。w

今生きてると103才だそうな。
808日本@名無史さん:2005/11/24(木) 21:51:00
率爾ながら御伺い致し度き儀、これあり。
『甲子夜話』に芝高輪の貧乏医者に「化け物振る舞い」をして
からかったとかいう「松平南海候」というのは、どなたのことを指している
ので御座りましょうや?
只今、手許には柴田宵曲『妖異博物館』(ちくま文庫版)しか御座居ませぬ。
その開巻第1話「化物振舞」の項(16頁〜)に、
この松平南海候の史譚が載って居ります。
国史に通ぜぬ門外漢のこと故、分かり易く御教示たまわり度う御座居ます。
何卒よしなに御頼み申し入れまする。
809日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:24:58
昇進が超特急の皇族軍人だった三笠宮が終戦時で少佐だったからな。
大佐や中佐の生存率はかなり低いだろうな。

あと、大勲位の「海軍少佐」ってのはポツダム少佐だろ。
810日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:41:34
三笠宮の昇進は他と較べて早いわけじゃない。

陸士の期でいうと39期までが大佐。今生きてたら97,8歳だろう。
ちなみに39期で有名な草地大佐は平成13年に亡くなった。
811日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:43:35
>>808
松平宗衍かな?
812日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:25:18
佐官から上って旧士族出身者しかなれない暗の掟があったの?
813日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:25:41
んなことはない
814日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:34:19
少佐だった人は結構生きてるけど中佐から上は皆無だな。
少佐から中佐になるには大変だったのだろうか?

そういえば中曽根って海軍少佐だったよね?
815日本@名無しさん:2005/11/24(木) 23:38:51
>>808,811
出雲松江藩主・松平宗衍でしょう。
816日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:50:19
817日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:59:45
中佐なら陸軍は瀬島龍三
海軍なら千早正隆とか奥宮正武がまだ生きておるが、
大佐は草地さん以外知らないなあ。その草地さんも亡くなったし。
818日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:18:16
日本史上最短命に終わった内閣の首相とその期間が知りたいんですが
教えてください!!
819日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:28:41
稔彦王の54日
820日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:33:29
>>818
東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、
1887年12月3日 - 1990年1月26日)は、日本の第43代内閣総理大臣
(在任:1945年8月17日-1945年10月5日)で、日本の陸軍軍人、
皇族唯一の内閣総理大臣。
821818:2005/11/25(金) 00:45:04
>>819>>820
ご解答ありがとうございました!!
822日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:45:59
>>818
首相官邸のサイトに歴代首相一覧がある。
823日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:49:35
>>819>>820は微妙に食い違っとるな
>>820が正しいなら在任期間は50日になってしまう
824日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:53:46
羽田はまだしろ、宇野より短いなんて・・・
本気で、降伏までを乗り切るだけのために皇族を総理にしたんだな。
825日本@名無史さん:2005/11/25(金) 01:00:42
>>823
ほんまやね〜なんでやろ?
826日本@名無史さん:2005/11/25(金) 01:27:21
ttp://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/43.html
>総理在職期間
> 昭20. 8.17〜昭20.10. 9 54日
>総理就任時年齢:57歳

五日に辞職して次が決まるまでの差が四日間
827日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:06:58
東久邇は若い頃はフランス留学経験も長い自由主義者だったんで
アメリカとなんとか交渉できるんじゃないかという期待はあったと思う。
でもまあ、政治の素人ではどうしようもなかったね。
近衛や重光や大臣が勝手に動くんだから。
828日本@名無史さん:2005/11/25(金) 17:52:44
みなさん近現代史板が新設されましたので今後、幕末以降の質問はそちらでなされたほうが良いかもしれません。
829日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:19:29
江戸時代には、旗本や地方の下級藩士はどこで乗馬の稽古してたのでしょうか?

共同の持ち馬とかがあったのでしょうか?
飼育にはけっこう費用かかりますよね。
830日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:30:37
>>829下級藩士は騎馬できたのか?
831日本@名無史さん:2005/11/25(金) 23:34:27
朝鮮戦争開始に伴うわが国における朝鮮特需に関してですが、
具体的にどの様な製品・商品に対して大量発注があったのでしょうか?
832日本@名無史さん:2005/11/25(金) 23:44:09
トラックはよく聞くけどな。
833日本@名無史さん:2005/11/25(金) 23:48:50
質問させて下さい

織田信長は朝廷より征夷大将軍に任命したいとの話に返答しなかったそうですが
何故なんでしょうか?
特に征夷大将軍なら望むべき位ではないでしょうか

御教授の程宜しくお願いします
834日本@名無史さん:2005/11/26(土) 01:50:33
(倭〜)日本と(夏〜清)中国との国力が逆転するのは客観的に見て何時頃からですかね?

1.経済力
2.軍事力
3.文化力
4.庶民の生活水準
5.支配階級の生活水準
6.支配階級・庶民の教育水準

の比較でお願いします。
835日本@名無史さん:2005/11/26(土) 02:23:46
>>833
> 特に征夷大将軍なら望むべき位ではないでしょうか
そういうことは「何をどう間違っても絶対にあり得ない」でしょう。
現に、足利義昭を適当に利用して、利用価値がなくなった後で逆らったら弊履の如く
捨て去ったわけだから、「価値を認める奴がいるから腹の底でバカにしながら使用
したバッチ」くらいの認識しかなかったとしか考えようがないです。
836日本@名無史さん:2005/11/26(土) 03:16:09
>835
>> 特に征夷大将軍なら望むべき位ではないでしょうか
>そういうことは「何をどう間違っても絶対にあり得ない」でしょう。
↑には異論があるが、漏れの説では無いので一先ずおいといて・・・
信長が征夷大将軍を望んだか否かと義昭を弊履のように(?)捨て去ったこととは全く別の事だと思うのだが?

信長の寺や座それと対人関係は、自らの目的に適えば(若しくは関係を割り切っていれば)少々のさしさわりは看過している。
義昭にもう少し器量があり傀儡を演じきれれば、天下統一後信長は義昭の処置に困ったと思ワレ。
信長には信長なりの倫理がある。
837日本@名無史さん:2005/11/26(土) 03:25:20
>>831
そもそも戦争に必要なのが兵器だけだと思ってたら大きな勘違いだろう。
食い物、衣服、医療品などなど補給物資全般に、破壊された街の回復に必要な資材。
戦争となればありとあらゆる物が必要となる。
838日本@名無史さん:2005/11/26(土) 05:25:35
811番殿
まことに以てかたじけ無う御座る。
篤く御礼申し上げまする。
839日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:19:19
>>836
多少なりとも肩書きの類いを有り難がるようなタイプの人間ではなかった、
ということは動かしようがないのでは?

> 少々のさしさわりは看過している。
無駄なことはしないだけでしょう。
840日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:39:13
>>831
正確なところは知らないですが、直接的には短期間に大量に消費されて、いくらあっても
足りない弾薬などを作る金属精錬・加工関係が核になって、他の分野にも余録が回った
という図式みたい。

>>837
> 食い物、衣服、医療品などなど補給物資
? 朝鮮戦争で消費された分が日本で製造されたなんてことはないのでは?
食料なら、米軍は日本の特産の米や魚なんかほとんど全く食わないわけで、日本では
ろくに作ってもいなかった牛肉などの缶詰とかばっかり食っていたわけでしょ?
日本の肉牛が一時的にほとんど消滅したとしても、特需としては多寡が知れてないかな。
医療品にしたって、せいぜいガーゼとかの、大きな儲けになるとは思われないお手軽なもの
だけでは?

> 破壊された街の回復に必要な資材。
それは戦争が終わったあとの話でしょ? 戦争後には景気が急速に冷え込んだとかいうから、
復興に関しては、関連があったとしても戦争特需とは別じゃなかったかな?
841日本@名無史さん:2005/11/26(土) 20:55:59
ポルトガル船漂着以前にこの世には金髪で白い顔をした人種や、全身真っ黒の人種が
いることを知っていた日本人っていますか?
842日本@名無史さん:2005/11/26(土) 23:19:23
>>835,836,839様
色々レス有難うございました
お礼が遅くなり大変失礼しました
843日本@名無史さん:2005/11/26(土) 23:25:29
>>840
資材は戦争中でも必要。
844日本@名無史さん:2005/11/26(土) 23:31:38
845日本@名無史さん:2005/11/27(日) 00:05:07
なぜ平安初期に仏教革新運動がおこったのか教えてください。
お願いします。
846日本@名無史さん:2005/11/27(日) 00:08:52
ヒント:
仏教伝来から鎌倉仏教まで日本の仏教の動向は
中国での仏教の動向と大きな関連性を持っている。
847日本@名無史さん:2005/11/27(日) 00:36:22
>>844
なるほど。

>>843
納得。「破壊された町の回復」ではない陣地構築とかが先決ね。
848日本@名無史さん:2005/11/27(日) 00:41:08
>>841
一衣帯水の中国沿岸に行って見知っていた人くらいいたんじゃないですか。
849日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:41:33
中国が西欧と貿易するようになったのはいつごろの話ですか?
850日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:04:52
>中国が西欧と貿易するようになったのはいつごろの話ですか?
ここは 日 本 史 板 だ
851日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:09:52
日本の宗教は、地理的・時系列的にどのような変遷を辿ったのでしょうか?
縄文時代の信仰はあまりわからないのだろうけど、
神道の体系化や仏教・儒教の輸入が大和時代に始まっていますよね。
他にも、平安時代頃出てきたような陰陽道、天文道、道教など、どのような関係にあって、
どう影響を与えてきたのでしょう?
良い入門書でもあればいいのですが・・・。

道教の太極図よりも日本の勾玉の方が古そうなのも、
どう変遷を経たのか、よくわからない・・・
852日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:15:27
現時点、国立、私立も含め、史学部に進学するなら
どこがお勧めですか。(偏差値ではなく、充実度)
ちなみに、中世〜近世で・・。
853日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:18:40
>>852
「学者になりたい」のなら、迷わず東大を目指しなはれ。
854日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:25:19
855日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:28:11
>>852
結局偏差値です
856日本@名無史さん:2005/11/28(月) 01:29:43
>>852
東京大学
857日本@名無史さん:2005/11/28(月) 01:39:19
>>852
残念ながら我が国には史学部を擁する大学はないので諦めなされ。
ぐぐると水戸黄門大学史学部とかは出てくるけどね。
858日本@名無史さん:2005/11/28(月) 02:03:18
何故か日本の大学では史学は文学部なんだな。
859日本@名無史さん:2005/11/28(月) 03:07:54
>>852
真面目に答えるなら、ロクな図書館も無い馬鹿大学以外ならどこでもいい。
研究する題材、どの先生に教えを請うかも、結局院の進学するときに決めるしかないし。

ただ、高校生のとき学者になろうと思っても、その大半は普通に就職してくのが現実だから、
就職する可能性を考えれば、まあ偏差値高いとこ行っといたほうが無難だとは言っとく。
史学科の学生が就職活動しても、世間では歴史ヲタ扱いしかされないのよ。いや本当に。
860日本@名無史さん:2005/11/28(月) 03:15:49
>>852
ああ、別に学者になりたいとは書いてなかったな。
なら自分が実際に興味もってる事柄の研究をしている教授がいる大学に行くのもありでしょ。
一生モノとして研究題材を選ぶ場合は、高校生のときに抱いてた考えと同じであることのほうが稀だから、
そういう考えで大学を選ぶのはほとんど意味が無いのだけれども。
861日本@名無史さん:2005/11/28(月) 04:52:13
頼朝公とか信長公の公っていったい何なの?
敬称みたいなもん?
862日本@名無史さん:2005/11/28(月) 07:34:40
渋谷にも忠犬ハチ公っている(ある...かな)なあ。
863日本@名無史さん:2005/11/28(月) 11:22:30
天守閣には城主が住んで生活をしていたんですか?それと普通「城」というと天守閣って概念ですけど、これも間違い?
864日本@名無史さん:2005/11/28(月) 11:40:28
>>863
常識を備えてこい
865日本@名無史さん:2005/11/28(月) 12:19:04
ところで大坂城が立っていたのは江戸時代以前の郡制度では東成郡と西成郡のどちらの地域に該当するのかが分からないのですが…。
866日本@名無史さん:2005/11/28(月) 13:15:38
一度階段降りないと天守閣にたどり着けない城があったと思ったんだけど
何城だっけ?
867日本@名無史さん:2005/11/28(月) 14:09:39
2ちゃん初心者ですが質問させてください
前田利家の妻になった人の名前を教えてください
868日本@名無史さん:2005/11/28(月) 14:22:01
【素朴な疑問】
梅原猛や井沢元彦の本は引用文献になりえますか?信憑性はありますか?
869日本@名無史さん:2005/11/28(月) 15:15:40
>>867
松嶋菜々子
870日本@名無史さん:2005/11/28(月) 15:23:08
>>868
引用の仕方による。

「こういう説、こういう解釈もある」という形なら
全文おっけー。

また、引用の部分にもよる。
了・・・じゃない、両先生の論の全部を検討したわけじゃ
ないから、どの部分がおわっとるのか、おわってないのか
までは知らんが、「おわってない部分」だって探せばあるんじゃないの?
871日本@名無史さん:2005/11/28(月) 15:54:08
井沢は駄目だろ。
872日本@名無史さん:2005/11/28(月) 19:30:30
時代劇なんかを見てると、お殿様の使者が「頭が高い!」って
感じで、「上」とか「下」とか書いてる書状を、黄門様の
印籠のように出しますが、この「上」とか「下」って
どういう意味なんですか?
873日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:11:23
>>869
ここは初心者質問スレだぞ?勘違いするなよ・・・
874日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:12:49
>>867
とりあえず調べ方くらい覚えよう

>>1より
質問する前に一度自分でも調べてましょう。
人名・用語について調べたい時はここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。

■インターネット検索
 Google  http://www.google.co.jp/
 Yahoo!  http://www.yahoo.co.jp/
 Goo   http://www.goo.ne.jp/


例えば今回はそのまま「前田利家の妻」で検索するだけで見つかった
http://www.google.com/search?lr=lang_ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%91O%93c%97%98%89%C6%82%CC%8D%C8
875日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:14:52
>>872
それを出した身分

>>873
それで?
876日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:42:27

講議中に、上意下達を「じょういげだつ」と言ってしまい、
学生から失笑を買った教授が、ここしばらく理由も告げずに講議を休んでいます。

彼は本当に大学教授なのでしょうか。
877日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:45:18
>>876
>彼は本当に大学教授なのでしょうか
教授に聞けよ
878日本@名無史さん:2005/11/28(月) 20:47:13
三毛作は稲→小麦→蕎麦だけだったのでしょうか…
例外等あったら教えて下さい
879日本@名無史さん:2005/11/28(月) 21:56:40
>>875
上は上様(将軍様)ですか?
下は地方のお殿様ですか? (下様???)
http://venus.aez.jp/uploda/data/dat5/upload320622.jpg
880日本@名無史さん:2005/11/28(月) 23:39:42
>876
ありがとう!「じょういかたつ」か・・・
人前で恥かくとこだった
881日本@名無史さん:2005/11/29(火) 16:20:28
879
882日本@名無史さん:2005/11/29(火) 19:27:41
>>863
確か、織田信長公は安土城の天守閣で生活してたって聴いてる。
883日本@名無史さん:2005/11/29(火) 22:48:10
>>882
天守閣じゃないでしょ。天守閣のあった天主台のすぐ東の下に平地が作ってあって
屋敷はいくつもそこにあったようだ。ま、本丸というのだろうが、その門を出た所に
森蘭丸の屋敷があったらしい。階段をズーと下りて、安土山の麓に誓いところが
秀吉や利家の屋敷があったとされている。
信長に呼ばれると秀吉など階段を駆け上がったと思うと感心してしまう。

岐阜の稲葉山の天守閣は山上だが、屋敷は麓にあったようだ。

城や天守閣をつぶさに見たわけではないが、天守閣に便所や台所や風呂や
畳を敷いた部屋があったのは見ていないな。
884日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:40:48
誰か〜
>>845お願いします。
885日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:46:35
>>885
教科書的にはこんな事になると思うけど。

奈良の大寺院がいろいろ力を持っていてウザイ→平城京から遷都→でも各種儀礼など仏教と縁は切れない
→とはいえ奈良の坊主どもを呼び寄せると元の木阿弥→既得権益から遠い改革派の僧侶を援助しましょう
886日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:47:12
あっ、アンカーミスった
885→884ね。
887日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:53:20
>>884
マジでありがとうっ!
スァンクスです
888日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:02:30
>>845
遣唐使として渡った日本の僧のなかから帰国できた空海・最澄らが
唐で学んだ仏教を日本的なものに変えていった。
889日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:08:24
>>888
ありがとうございます。
890日本@名無史さん:2005/11/30(水) 08:33:26
>>889
仏教は元はお釈迦さまの始めた処世訓というか人生哲学みたいなもんだが、
抽象的な理屈は庶民に分かり難いので仏像や仏画を作って説明するように
なった(地震はなまずが起こすとか雷は鬼が天空で騒ぐとかの類い)。

しかし理屈を専門にやっていると付随していろいろ勉強するやつが出てきて
仏教は総合学問のようになった。
空海の時代、中国では印度から取り入れた密教が新しい理屈として流行った
ので日本からも一種の技術導入に行った。
おまじないをすると病気が治ったり雨がふったりするというので皆飛びつい
た。(祈祷めいたことは卑弥呼の時代からあったが、なんせ先進国の中国の
ものは新しかったのだ。それにお経という文献に縷縷書いてある。)
祈祷の他に、天文、薬草などの知識も含まれていた。曼荼羅などは宇宙の
模式図だろう。
ま、時の為政者などの要求に応えたということ。国家鎮護とかね。(卑弥呼の
時代は卑弥呼みずから祈祷していたが、奈良・平安には天皇は自ら祈祷はしな
いで専門職にさせるようになったこともあるだろう)

蛇足ながら、後、庶民もなんとかせいというようになり、庶民向けの宗派が
わんさと出てくる。
891日本@名無史さん:2005/11/30(水) 14:19:47
「憂国の士」っつったら
一般的には右翼なんだっけ?
892日本@名無史さん:2005/11/30(水) 15:51:16
江戸時代より前(戦国、室町、平安など)の遊女はいったいどのような服装をしていたのですか?
ネットで調べても、江戸期以降の花魁の服くらいしかわからないのですが、ああいう作りの着物も髪型も
江戸より前の時代には無いような気がして皆目見当がつきません。よろしくご教授願います。
893日本@名無史さん:2005/11/30(水) 16:09:35
>>892
平安時代の遊女っつーたら代表的なのは白拍子。
大河ドラマ義経に出てくる静御前みたいなの。
894日本@名無史さん:2005/11/30(水) 16:31:05
時代劇などを見てると、お侍様が風呂に入る時、
褌をしている事があるんですが、テレビだからでしょうか?
895日本@名無史さん:2005/11/30(水) 18:53:53
蒸し風呂は褌着用でOKだったような。
896日本@名無史さん:2005/11/30(水) 21:57:43
漢字の読み方がわからないので教えてください。

「5」の下がつながったような、「b」の上に横棒がついたような漢字はなんと読めばよいのでしょうか?
897日本@名無史さん:2005/11/30(水) 22:02:47
丑(うし)?
898日本@名無史さん:2005/11/30(水) 22:26:39
うしと読むのでしょうか?5の下部にある丸みが維持されつつ縦棒につながった感じの漢字なのですが・・・。
手書きで出てこぬもどかしさ。「〜順達留り☆可相返者也」な感じで使われているのですが・・・
899日本@名無史さん:2005/11/30(水) 23:26:04
戦国一の槍使いって誰ですかね??
あと、変わった武器(刀・槍以外)を使う武将がいたら教えて下さい。。
900日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:27:36
>>896
「より」だと思う。
もしそれなら漢字ではなく、崩したひらがなをくっつけたもの。
合字とか何とか言ったと思う。
901日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:51:00
>>899
槍の又左、あるいは後藤又兵衛
902日本@名無史さん:2005/12/01(木) 11:04:05
>>899
個人的武勇で名を残したっていうと可児才蔵あたりじゃあなかろうか。
つかそういうのを特定するのは無理。
>>901クラスになるとお偉いさんなわけだし。
903日本@名無しさん:2005/12/01(木) 11:09:07
>>899
又兵衛は又兵衛でも、高田又兵衛はどうかしら。少し時代が下がるが。
904日本@名無史さん:2005/12/01(木) 14:17:28
服部半蔵も槍働きが凄かったって聞いたよ。
905日本@名無史さん:2005/12/01(木) 16:14:48
3さんと現役学部生と旧帝大の修士課程の人は
どうして逃げ回っているんですか?
近世の天皇でも論破されたからですか?
義経が頼朝の怒りに触れても院宣の力で大活躍していたと言ったからですか?

906山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/01(木) 17:13:08
>>892
『職人歌合』や、『法然上人絵伝』に、遊女が描かれています。
907日本@名無史さん:2005/12/01(木) 17:29:12
なぜ日本には米軍が駐留する事になったのですか?
GHQ占領時代に米軍基地が日本におかれ、
朝鮮戦争の際に盛んに使われた事は知っています。
908日本@名無史さん:2005/12/01(木) 17:57:01
>>907
昭和天皇が自分の命を差し出すかわりに国土を差し出した
909 ◆JTuI8UnemM :2005/12/01(木) 18:08:25
普通そこで死ぬのは東条とか陸軍じゃない?
910 ◆JTuI8UnemM :2005/12/01(木) 18:10:23
それに仮に昭和天皇が命をかけても
米軍を説得することは不可能だと思う。
命かければ何とかなるって考えの連中が日本のトップに立った
から死ななくていいはずの命が死んだ
911日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:19:28
>>907
だって米軍にとって居心地いいからね
 
三沢人、佐世保人、沖縄人などの悪とく不動産業者が
土地リース料のかわりに、酒、女、自分の土地などを
差し出してるから
 
 
912日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:33:06
流れを切ってしまいましてすいません。
質問させて下さい。只今史料について調べているのですが
文献史料のうち「典籍」についての説明で

著述や編纂物をさし、刊本もこれに含まれる。
つまり古文書や古記録であっても書物として纏れば典籍の一種になりうる。

程度しか認識できず困っています。
これ以外で「典籍」についての定義や、添えて書くと良いというような
内容はありますでしょうか?また参考資料等あればどうか教えて頂きたいです。

スレ違いでしたらすいません。
913日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:58:23
自慰行為が好きな日本史上の人物とそのエピソードを教えて下さい。
914日本@名無史さん:2005/12/02(金) 00:00:07
質問なのですが、
江戸時代、諸藩は幕府に米の献上の義務はあったのでしょうか?
915日本@名無史さん:2005/12/02(金) 00:20:27
>913
狩野亨吉?(一高校長)
916日本@名無史さん:2005/12/02(金) 01:33:03
質問させて下さい。

江戸時代、支藩の藩主は参勤交代の義務はあったのでしょうか。

それと、藩主の嫡子以外の子供も江戸屋敷に居なくちゃいけなかったんですか?
917日本@名無史さん:2005/12/02(金) 01:36:53
平安時代に当時のノルマン人がベーリング海を越えて日本に来てたのではないかという説があるのですが本当ですか?
918日本@名無史さん:2005/12/02(金) 01:44:56
マスターキートンでも読んだのか?
919日本@名無史さん:2005/12/02(金) 01:57:23
>>907
戦争で負けたから。
920日本@名無史さん:2005/12/02(金) 04:38:19
質問です。
江戸時代のところで学校で、綱吉は質の悪い通貨をたくさん作ったため
インフラがおき庶民の暮らしは苦しくなった。そこで綱吉死後、新井白石は小判の質を高めること
でインフラを押さえたと習いました。

質が悪いと物価が上がるというのが今いち納得できません。ただ単に通貨量が増えたから
インフレがおきて、白石が小判の質を上げる際3枚の小判で2枚の質の高い小判を作った
た、つまり通貨量が減ったからインフレが収まったってことじゃないのでしょうか?
921雷電:2005/12/02(金) 09:49:01
ローマでも同じ例がみられる。財産が危うくなったからぎんの質を落とした銀貨を大量に発行すると
その銀貨の価値が4分の1(たぶん)までさがったらしい。あとソ連でも「金がないなら作れ」とか
言って大量の札束を発行したら価値がガタ落ちして紙切れ同然となり、市場では物々交換が行われた
とか
922日本@名無史さん:2005/12/02(金) 10:07:31
>>892です。

遅くなりましたが>>893さん、>>906さんありがとうございました。
白拍子と挙げて頂いた史料を参考にさせていただきます。
923日本@名無史さん:2005/12/02(金) 11:02:48
>>920
例えば、自分の財布の中にある福沢諭吉の顔が別人になってたら?
裏に透かしが入っていなかったら?
10万円札なんてものが出回っていたら?
そういうまがい物を受け取ったら、自分も使おうと思う?

紙幣を大量発行したら、そういう悪貨も大量に市場に出回ってくる。
924日本@名無史さん:2005/12/02(金) 11:49:50
綱吉は出費をまかなおうとして、貨幣量を増やすために質を下げたんだよ。
それでインフレが起きた。
ただし庶民にはバブルで、元禄の好景気が続いた。
白皙になった不景気となった。
925日本@名無史さん:2005/12/02(金) 12:54:44
額面じゃなくて実際に含まれる金の量に意味があるから
926日本@名無史さん:2005/12/02(金) 14:05:34
>923
なるほど。確かにそうですね。

>925
金の量に意味といいますと?
927日本@名無史さん:2005/12/02(金) 14:18:59
小説「竜馬がゆく」では、木戸孝允(桂小五郎)はかなり小柄と
書かれていたたと思いますが、Wikipediaでは174cmの当時としては
大男だったと書かれています・・・どっちが有力なのでしょう?
928日本@名無史さん:2005/12/02(金) 15:32:14
よく国家神道の象徴や総本山として靖国の名前が挙がるけど。
実際はどうなんでしょう?

国家神道の総本山は靖国であると言う人もいますし、いや伊勢神宮だって言う人もいます。
どちらが正しいんでしょうか?
929日本@名無史さん:2005/12/02(金) 17:18:14
>>927
ttp://www21.big.or.jp/~kirin/tenji/syasin15.html
後列中央が木戸。
ttp://www21.big.or.jp/~kirin/tenji/syasin8.html
一番左が木戸。次いで山口尚芳、岩倉、伊藤、大久保。

写真からすると、小柄には見えないが。
930日本@名無しさん:2005/12/02(金) 18:55:29
>>928
(1) 國神社は初め「東京招魂社」という名称だった。
(2) 國神社は神祇院(内務省外局)ではなく陸海軍省の管轄。「別格」官幣社という扱いだった。
(3) だから国家神道が廃止され神祇院が神社本庁となっても、國神社は神社本庁に登録
    していない。単独の宗教法人である。

ここまで書けばピンとくるかもしれない。
政府が管理し運営していたという意味だけなら、國神社は国家神道の一部とみなしてもよい。
しかしあくまで特殊で特別な存在。なにしろ「一般的な」神社の政府管理の枠組みから外れて
いたのだから。だから國神社が「国家神道の総本山」であるなど、ありえない話。

では國神社とは何かというと、要するに、形式だけ神道の(元)国家慰霊施設(法人)。

931日本@名無史さん:2005/12/02(金) 21:13:52
>>914
基本的にはありませんでした。

ただ、吉宗の享保改革の時には、
石高に応じて米を上納させる上米の制がありました。
932日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:36:43
質問です。

関東大震災直後、「朝鮮人が暴動を起こした!」のデマが流れました。
しかし何故、「台湾人が暴動を起こした!」のデマは流れなかったのですか?
同じ日本の植民地なのに。
933日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:42:23
文句があるならデマを流した朝日に言え
934日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:45:01
台湾人は密入国(とは言わないか国内だから、密航?)してなかったんじゃないのか?
朝鮮人の日本への移住は禁止されていたのに、朝鮮人自身が主張しているところから類推すると百万近い人が「関東だけ」ですんでいたらしいから。
(こういうとき、よほど公権力が積極的に殺す側に回らない限り、死者は人口の1%いかない)

935日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:48:33
■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋
「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)
「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」(福島民友新聞、九月四日)
「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)
「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」(北海タイムズ、九月五日)
936日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:52:21
■各地方紙が報道した真実!! ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋
「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)
「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」(福島民友新聞、九月四日)
「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)
「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」(北海タイムズ、九月五日)
937日本@名無史さん:2005/12/03(土) 09:53:14
>>926
我々は何故あの紙切れをお金として認めているのか。
それはあの紙切れに日本政府が信用を与えてるからだ。
逆に言えばもし日本政府が崩壊したらお札は単なる紙切れとなるわけだが……、

前近代には政府がお墨付きを与えて貨幣を流通させるということはなかった。
じゃあどうしたかというと、貨幣そのものに含まれる貴金属の価値が信用の代わりになった。
つまり、例えば半分の金で額面1両の小判を作ったら、小判たくさん作れたよわーい、だと思ったのに、
実際には「金の量が半分なんだから実質1/2両」として扱われただけだった。
1両を実質1/2両として扱うってことは、物価が倍になるってことだよな。で、インフレ、と。

「ポンド」みたいに重さと貨幣単位が同じなことがあるのは、もともと貴金属の量(重さ)が重要だったってことだよ。
ポンドの略号がLなのはlibra「天秤」の頭文字からだし。
938日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:02:35
はじめまして。よろしくお願いします。
縄文時代に海水面の上昇・下降があり、三内丸山の盛衰にも深くかかわるなど、歴史に大きく影響されていることはよく知られています。
最近、地元の歴史を調べてみると、「江戸時代までは今の国道あたりまでは海だった」と、江戸時代には海水面が高かったような話が随所で見られました。
これが事実かどうかつきとめるために、ここ2000年ぐらいの平均気温や海水面の推移をまとめた書物やサイトを探していますが見つかりません。
どなたかご存知でしたらご教示いただけると助かります。
939日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:07:55
そりゃあ明らかに気象学や地質学のジャンルの学問だろ
940日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:17:32
>>938
江戸時代のことであれば海水面の上昇とかではなく、
埋め立てによって海岸線が遠くなったのでしょう。
941日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:45:17
干拓など以外にも地震で隆起、陥没したり、河川が土砂を運んできたり
色々あるんだよね。
942日本@名無史さん:2005/12/03(土) 21:27:18
みなさん、レスありがとうございます。
>>939
歴史関係の何かで見たような覚えがあるのです。
そちらのスレや本も見てみます。
>>940-941
ある干拓地は、文献で「海面より四尺低い」とされていたのが、現在は海面より高くなっているのです。
堤防で仕切られたことによって、それまでは川や海に流れていた土砂が積もったとも考えられますが、2メートル程度も積もるとは思えません。
埋め立て、干拓などさかんに行われてきた地方ですが、古地図の海岸線とされた地点からなだらかな坂になっていて、海岸に達します。
旧海岸線が明らかに海抜数メートルになっているのです。
数年前に高潮があって水没しましたが、水没した高さより少し下あたりが、もともとの海面だと考えた方が自然なのですが・・・・
943日本@名無史さん:2005/12/03(土) 22:05:58
大和朝廷以後の日本の首都の変遷は?

大和?→飛鳥→
近江→
長岡京→
奈良→
→京
(鎌倉殿、室町殿、吉野朝、安土、大坂、江戸公方)
→(東京)
944日本@名無史さん:2005/12/03(土) 22:14:44
>>943
まず首都を定義してくれ。
945日本@名無史さん:2005/12/03(土) 22:35:43
そういえば、「東京を首都とする法令上の根拠は何もないから、今でも日本の首都は京都」って電波を浴びたことがあるな。
日清戦争の頃、一時的に「首都機能」が広島に移ったことあるけど、東京に戻る際も何も言わずに戻ったのかねぇ?
946日本@名無しさん:2005/12/03(土) 23:10:12
天皇が居なくなれば、首都も何もなくなってくるのかなぁ〜
947日本@名無史さん:2005/12/04(日) 00:01:35
首都機能じゃなくて、大本営だろ!
948日本@名無史さん:2005/12/04(日) 00:05:26
国会も移動したと聞いたが?
949日本@名無史さん:2005/12/04(日) 01:04:12
武士の起源は朝鮮の花朗説、蝦夷の俘囚説、土着化した貴族説、芸人説などいろいろ
ありますが本当のところはどうなんでしょうか?
私的には朝鮮半島起源説が真相であろうと思います。
950日本@名無史さん:2005/12/04(日) 01:35:56
>>949
じゃそういう事で。
951日本@名無史さん:2005/12/04(日) 01:46:29
>>949
乱れた時代ですから武装して自分たちの生命や財産を守らなければなりませんね。
さらに武力を持ったら他人の財産を奪い取りたくなりますね。男なら分かりますね?
そうやって男たちが入り乱れて戦ううちに少しずつ力を持つ奴が必ず出てくるんです。
そうなると弱い連中は「御味方仕る」とか言ってワラワラ集まってくるんです。そんなもんだよね。
そうしているうちにそういう集団がいくつも出てくる。このままでは誰をヘッドに据えても喧嘩になる。
そりゃそうですよね。その集団の地元行けばみんな直立不動でお出迎えされるような猛者ばかりですので。
そういう時に御神輿になるのが中央の貴族です。それも半端じゃない。天皇の子孫です。
さらに天皇の子孫さん、地方に下って結婚などで勢力を拡大していきます。
これが原始的な武士の起源という状態にある人たちです。

全国に散らされた俘囚がその戦力の一端を担ったという可能性はありますね。
土着化した貴族は上記の通りです。ただ、それ以外の可能性もありますけど。
芸人というのも無きにしもあらずですね。漂流者のネットワークを侮ってはいけません。
要するに、武士の起源となるのは私的に土地を所有して武力を兼ねた人たちなのです。
馬借、車借などの商人も可能性があります。唯一全く可能性が無いのが朝鮮の花朗説です。
952日本@名無史さん:2005/12/04(日) 04:12:36
>>937
ありがとうございました
953日本@名無史さん:2005/12/04(日) 08:23:18
まったく歴史や日本史には無知の私がやってきました。
男性はどうして歴史が好きなんですか?
ところで、織田信長の家系に「ねね」って人物がいたと思いますがこの人物はどういう人物ですか?
私の名前は歴史の好きな父に付けられました。
調べてみたんですけどちんぷんかんぷんです…
あんまりメジャーな人物じゃなさそうですね…気になります。返答よろしくお願いします
954日本@名無史さん:2005/12/04(日) 10:19:27
豊臣秀吉はどうして「とよとみのひでよし」と読まないのですか?
955日本@名無史さん:2005/12/04(日) 11:21:01
>>953
ねねは超メジャー級人物です
ttp://www.kodaiji.com/guide/hide_nene.html
信長の親族ではなく部下(そのまた部下)の娘で秀吉の正室
秀吉の覇業を後ろで支えた、といったところでしょうか
956日本@名無史さん:2005/12/04(日) 11:29:51
>>983
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶといってな、
歴史は他人の経験の集積。
他人のヤケドを参考にして自分がヤケドをしないため。

ヤケドをしなきゃ分からないという分野もあるにはあるが、ヤケドが重いと
命を落とすことがある。

今市の女児の事件も広島の経験がなんの参考にもなっていない例。悲惨。
女児が100人ばかり死なないと皆が目が覚めないとかにならなければ
いいと願うばかり。
957山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/04(日) 11:51:05
>>954
本来なら、そう読むべきだと主張する研究者もいます。慣習で。
958日本@名無史さん:2005/12/04(日) 12:16:05
1072年に国家認定宣旨枡を指定したのは誰ですか><
師輔は関係ありますか><
959日本@名無史さん:2005/12/04(日) 17:14:38
>>957
ありがとうございます
960日本@名無史さん:2005/12/04(日) 23:02:54
ノモンハン事件で日本は惨敗。はうそだというものをみたのですが、本当でしょうか?
961日本@名無史さん:2005/12/04(日) 23:13:34
歴代の満州国全権大使・関東州総司令官・関東軍総司令官は中央の政府が任命するのに
関東軍が独断ばかりする悪い軍部の代名詞となっているのはなぜですか?
設立当初から大権を持った軍閥が成立して、そのトップの後継者に中央から仕方なく
肩書きを送る事を慣習的に繰り返すだけに過ぎなかったのでしょうか?
962日本@名無史さん:2005/12/05(月) 00:06:39
>>960、961
近現代史板へ
963日本@名無史さん:2005/12/05(月) 00:48:18
http://academy4.2ch.net/history2/
日本近代史(仮)ですな。
964日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:26:03
徳川の石高は最盛期で400万石のようですが、織田、豊臣の
最盛期はどのくらいだったのですか?
965日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:27:25
江戸時代の天皇家にも直轄領ってあったのでしょうか?
それとも幕府から年間いくらという予算がついてたのですか?
966日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:42:04
>>965
徳川は一万石程度の扶持米を与えいていました。
967日本@名無史さん:2005/12/05(月) 02:26:36
今テレビでやってたけど
松尾芭蕉=服部半蔵説
これって信用出来る?

何でも、旅は1日400`歩いたらしいが、そんな事は「忍びの者」
でない限り無理だとか、いろいろ納得できそうな事を言ってたんで。
968日本@名無史さん:2005/12/05(月) 02:35:17
1日400キロか。24時間休まずに歩いて平均時速16km。
969日本@名無史さん:2005/12/05(月) 03:49:42
忍びだって無理だろ。>1日400キロ
970日本@名無史さん:2005/12/05(月) 09:13:46
>>967まあ、いちおう忍びでしょうね。テレビみたいに細かに探るのじゃなくて泊まる庄屋宅で話しだけでも聞いて帰るだけで
当時としては結構な情報量になるのでは?
971日本@名無史さん:2005/12/05(月) 09:17:28
>>949
平安末期の関東の武士が騎馬戦に長じていたのは武蔵を開拓した
朝鮮人の血を引いているから
972967:2005/12/05(月) 12:37:35
松尾芭蕉が全国を旅して「かごめかごめ」を広めたらしい。
徳川の埋蔵金と大きな関わりが・・・

因みに昨日の深夜TV大阪「やりすぎコージ」にて
若手芸人のハローバイバイ関ってのがレポートしていた。
973日本@名無史さん:2005/12/05(月) 12:53:19
974日本@名無史さん:2005/12/05(月) 13:08:36
ひさびさにきてびびったんだけど
何で近代だけ板分離したの?
975日本@名無史さん:2005/12/05(月) 13:15:17
隔離じゃないのかな?やっぱり。
976日本@名無史さん:2005/12/05(月) 18:59:20
1万石ってどれくらいの家臣をかけれたのでしょうか?
400人くらいでしょうか。
977日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:16:18
1万石ってどれくらいの家臣をかかえられたのでしょうか?
400人くらいでしょうか。
978日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:18:07
>>971
自作自演乙
979日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:18:29
神道の最高神天照大神は女神です。
しかし実は「天照大神は男の神であったが、推古天皇即位のさい女帝に正当性をもたすために女神にした」という説を聞いたことがあります。
この説の信憑性はどの程度のものなんでしょうか?
もしかしてかなりの眉唾説なのでしょうか?
980日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:24:35
>>979
事実ではない神話の世界の話なので歴史としての一般認識の話にはなりません。
神道のスレに行って聞くのがよろしいかと思います。
981日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:26:47
>>980
そうですね。失礼しました。
982日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:34:59
>>977
30人程度じゃないか?
983日本@名無史さん:2005/12/05(月) 23:08:57
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart15【歓迎】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1133791631/
984日本@名無史さん:2005/12/05(月) 23:16:37
>>976
家臣の数に足軽まで含めるかどうかでも数は色々。
985日本@名無史さん:2005/12/06(火) 14:15:34
1万石の場合、戦場への動員能力って何人くらいですかね?
なんかの小説では50石取で家来2人で生活が苦しいって
なってましたから、1万石では300〜400人くらいが相場かしらん。
986日本@名無史さん:2005/12/06(火) 17:42:36
先の大戦で日本は敗けましたが、その時日本は一旦滅亡したんでしょうか?
無理矢理国体を変えられたのだから滅んだんだという人と、それでも天皇家があるのだから滅んではいないだろうという人がそれぞれいるんですが、どちらが正しいのでしょうか?
987日本@名無史さん:2005/12/06(火) 17:55:04
原敬内閣は政党内閣ですがその前の内閣は
藩閥ですか軍閥ですか?
988日本@名無史さん:2005/12/06(火) 18:29:50
>>986
たかが一回の敗戦で神州が滅びるとは何事か!
国体ってのは天皇の位置づけのことと思うけど
以前の飾り物状態に戻っただけだし、時代によっても異なる。
大切なのは国家の独立を保ち、独自の文化を維持していること。
たしかにちょっとアメ公が乗り込んできて色々いじくって行ったけど
たしかにちょっとアメ公に居座られて完全な独立国ではないとか言われてるけど
大事なのはそこではない。断絶してない文化が今でもしっかり残っていること。
これを考えれば滅んでなどいないのではないか。
989日本@名無史さん:2005/12/06(火) 19:26:53
>>985
軍役令でぐぐれ。
990日本@名無史さん:2005/12/06(火) 19:29:02
>>988
ありがとうございます。
そうですね。確かにハワイのように王朝が滅んだというのならともかく、日本は脈々と受け継いでいるものがありますよね。
991日本@名無史さん:2005/12/06(火) 20:18:43
>>990
脈々と言いながら、明治以降のインチキ臭いものやでっち上げ、
時代とともに変化していくのも仕方ないことなんかが、
すべてごっちゃになって語られがちであることを理解しておかないといけない。

たとえば、明治以前の神仏習合時代の日本人が持ってた宗教観、信仰心は
史料を通じペーパーの上で知ることはできても、
本当のところはもう決定的に取り戻せないし。
992日本@名無史さん:2005/12/06(火) 20:27:03
それはどこの国でも同じだね。
993日本@名無史さん:2005/12/06(火) 20:51:13
天皇軍国オタの自作自演はもういいよ。馬鹿じゃないの?
同レベルの所へ行けよ。
994日本@名無史さん:2005/12/06(火) 20:58:30
何か嫌なことでもあったのか。
995日本@名無史さん:2005/12/07(水) 08:48:48
>>930
どうかしたのか?w
996日本@名無史さん:2005/12/07(水) 08:49:09
間違えた
>>993ね。
997日本@名無史さん
……滅んでたら「戦前とは別の国!」と言い張って謝罪と賠償断れるのになあ。