男系断絶!女帝出現後の天皇制を追究しよう!Part32

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75日本@名無史さん
●ガタルカナルの消耗戦は昭和天皇が引き起こした。

昭和天皇は、動員できるあらゆる兵器と兵力を用いて強力な攻勢と痛撃を続けるようにと、ソロモンの司令官たちを督戦した。
天皇が圧力を加えたため、杉山や永野はガダルカナル島を奪還し、確保する決意を固めた。

1942年8月6日、9月15日、11月5日、11月11日の4回、天皇は参謀本部に対し、危機に瀕した海軍を助けるため、
さらに多くの部隊と飛行機を投入するように要求した。陸軍のパイロットには渡洋作戦の経験がなかったにもかかわらずである。

9月15日、杉山の上奏に対して、天皇は陸軍航空部隊の戦闘への投入を要求し、いつになったらニューギニア東端のラビを
占領できるかと飛躍した提案を行った。

杉山は北支那方面軍を増強し、陸軍航空隊のもとで重慶に進攻するための大攻勢をかけようと計画していたが、
天皇がその作戦の変更を強要したのである。

海軍、陸軍共にガダルカナル作戦の中止を考えていたが、天皇がガダルカナルの部隊に「朕が信倚に副はんことを期せよ」
と勅語を述べ、暗に部隊が天皇の期待に応えていないことを示唆した。

11月になり、やっとガダルカナル奪還が不可能ということに気づいた天皇がとった行動は、伊勢神宮参拝のための2日間の
特別な行幸であった(現実逃避の神頼み)。

12月31日の大本営御前会議では、統帥部はガダルカナル撤退を天皇に報告したが、天皇は、「ただガダルカナル島攻略を
やめただけでは承知しがたい。どこかで攻勢にでなければならない」と主張し、杉山は「ニューギニア方面で攻勢をとり
士気を盛り返します」と答えた。

ニューギニア方面での新たな攻勢に希望をつなぐことで、またしても昭和天皇と統帥部は、太平洋における防衛戦への戦略的移行を遅らせたのであった。

中尾祐次「大東亜戦争における防衛転移遅延の要因」軍事史学会編
宇垣纏「戦藻録」原書房
山田朗「大元帥・昭和天皇」新日本出版社
井本熊男「作戦日誌で綴る大東亜戦争」芙蓉書房
防衛研修所戦史室所蔵、戦史資料・陸第二号「眞田穣一郎少将手記」
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社