天皇が平和主義者であった等という、戦後五十数年間、マスコミにより作られた虚構。
満州国を建国し、新たに熱河省を併合しようとする作戦の裁可に得に訪れた参謀総長に、
「満州に付ては此れまで都合好く進み来りたり、誠に幸なり。」
といって、
天皇は中国侵略・満州国建国を評価しています。
(牧野伸顕日記)(牧野伸顕は大久保利通の子。外務省に入り公使を経て、文相・農相・外相・宮相・内大臣を歴任。)
「重点に兵を集め大打撃を加えたる上にて我の公明たる態度を以て和平に導き速に時局の収拾せしむる方策なきや。即ち支那をして反省せしむるの方策なきや」
つまり、武力でガツンとやって、言う事を聞かせろと、1937年8月、日中戦争が始った一ヶ月後、
天皇は、参謀総長と軍令部総長に注文をつけています。(戦史叢書支那事変陸軍作戦1)
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/fumou3.htm