男系断絶!女帝出現後の天皇制を追究しよう!Part32

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46日本@名無史さん
1941年11月、高松宮が参内し「海軍には勝てる自信がない、戦争を思い止まるよう」
説得したが2人の会話はわずか5分間で打ち切られ、天皇は木戸に「虎穴に入らずんば
虎子を得ん」と漏らした。また、昭和天皇は真珠湾奇襲攻撃作戦の一部始終を
1941年11月には熟知し、長野海軍軍令部総長に「ソ連に気づかれぬよう用心せよ」と
注意している。真珠湾攻撃成功や英極東艦隊殲滅の報に気をよくして、
「あまり戦果が早く上がりすぎるよ」と上機嫌で語ったのも事実である。

また、昭和20年2月14日に近衛文麿が「敗戦は必死だから早めに降伏すべし」と
天皇に上奏している。昭和天皇はこれを、「ここらでもう一戦果挙げて置かないと国体護持は難しい」
と断っているのである。昭和天皇の保身のためにずるずると降伏は引き延ばされ、
何万もの死ななくてもよい双方の犠牲が死んだのである。