故人は63年に、病床の両親、夫人とともに帰国し、昌徳宮(チャンドックン)内の楽
善斉(ナクソンジェ)で起居した。しかし、70年に英親王が死去し、77年に夫人と別
居した後、事業の失敗などで再び日本に戻った故人は、宗親から、子どもを産めなかった
夫人との離婚を勧められ、82年に離婚した。故人は、89年に母親・李方子まで亡く
なった後、宗親会などの勧誘を受け入れ、96年に永久帰国し事業を展開したりもしたが、
失敗し、再び渡日、東京渋谷の小さなマンションで暮らしていた。
葬儀は9日間にわたって行われ、全州李氏大同種薬院のイ・ファンウィ理事長と兪弘濬
(ユ・ホンジュン)文化財庁長が共同委員長を務める。葬儀委員会は、日本から遺体が届
き次第、故人が起居していた楽善斉に賓庁(朝鮮王朝時代に大臣らが会議を行った所)を
設ける計画だ。葬式は24日。墓地は、京畿道南楊州市・洪陵(キョンギド・ナムヤン
ジュシ・ホンルン)の裏側にある英親王墓地の霊園。02−765−2124。
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