男系断絶!女帝出現後の天皇制を追究しよう!Part32

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148日本@名無史さん
改正皇室典範素案

○皇室典範の「男子限定」規定をすべて「男女共通」規定に変更する。

○皇位と同様に世襲される「宮家当主」の地位を法的に新設する。

○性別にかかわらず、第1子優先で皇位・宮家当主を継承する。

○皇位継承者以外の親王・内親王(皇子・皇女・皇孫)は、皇孫が既存の宮家を継承する
場合を除いて、原則として新宮家を創設する。ただし、本人の意思に基づき、皇室会議の
議により、皇族の身分を離れることもできる。

○宮家継承者以外の王・女王は、原則、成年と同時に皇族の身分を離れる。

○天皇は、一定の年齢に達した場合、本人の意思に基づき、皇室会議の議により、皇太子
に譲位できる。譲位後の称号は「太上天皇」とし「上皇」と略称する。敬称は「陛下」と
する。上皇の皇籍離脱は認めない。

○宮家当主は、一定の年齢に達した場合、本人の意思に基づき、皇室会議の議により、第
1子に当主の地位を譲ることができる。前当主及び前当主妃の称号・敬称・待遇は当主時
代と同様とする。

○女性天皇、宮家の女性当主及びそれらの予定者は、皇族以外の者と結婚しても皇族の身
分を離れることがない。女性天皇の夫の称号は「皇配」とし、内親王・女王の夫の称号は
「王配」とする。ともに皇族の身分を与えられ、敬称は「殿下」とする。皇位継承順位に
は列しない。皇配及び王配が離婚した場合は皇族の身分を離れる。

○皇配・王配との間に生まれた子女も皇位継承順位に列する。
149日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:44:06
予想される皇位継承順位と皇室の将来像
0 天皇明仁  →皇太子徳仁に譲位
1 皇太子徳仁 →明仁の譲位を受けて即位
2 敬宮愛子  →徳仁の即位とともに立太子→結婚して皇統存続
3 秋篠宮文仁 →眞子内親王に継承
4 秋篠宮眞子 →結婚して文仁親王の跡を継ぎ宮家存続
5 秋篠宮佳子 →新宮家創設、結婚して宮家存続
6 常陸宮正仁 →将来断絶
7 三笠宮崇仁 →寛仁親王に継承
8 三笠宮寛仁 →彬子女王に継承
9 三笠宮彬子 →結婚して寛仁親王の跡を継ぎ宮家存続
10 三笠宮瑶子 →皇籍離脱
11 桂宮宜仁  →将来断絶
12 高円宮承子 →当主となり結婚、宮家存続
13 高円宮典子 →皇籍離脱
14 高円宮絢子 →皇籍離脱

皇太子徳仁親王が即位したあかつきには敬宮愛子内親王が皇太子に冊立される。結婚して
も皇太子の地位にとどまる。

秋篠宮家は文仁親王の後は眞子内親王が当主として継承し、結婚しても皇族の身分にとど
まる。
佳子内親王は成年を契機に新宮家を創設する。ただし、本人の意思と皇室会議の議により
皇籍離脱を選択することもできる。

三笠宮家は、崇仁親王、寛仁親王の後は彬子女王が当主として継承し、結婚しても皇族の
身分にとどまる。
瑶子女王は成年を契機に皇籍を離れる。

高円宮家は、承子女王が当主となり結婚しても皇族の身分にとどまる。
典子女王、絢子女王は成年を契機に皇籍を離れる。
150日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:44:48
皇室が日本で唯一の皇室として認められているのはなぜか

それはあのご一家を「国民の象徴」だと国民がみな信じているからだ
敗戦からの復興も高度経済成長も震災や災害のときも、つらいときも苦しいときも
あのご一家が国民とともにあったからだ

血なんてどうでもいい
二重橋の向こうで
行幸の車の中で
避難所の被災者達の前で

あのご一家が手を振って下さり手を握って下さったからだ

DNAだのY遺伝子だのどうでもいい
聞いたことも無い旧宮家などごめんこうむる
国民はあのご一家を敬愛し思慕し尊敬しているのだ

そのご一家のご長男の一人娘があの家を継げないのならば
そんな決まりなど変えてしまえばいいのだ

われら国民の愛するあのご一家にはどうか栄えて続いていって欲しい
数千年の血が国民になにをしてくれた
大切なのは今あそこに確かに居て下さるあのご一家なのだ
151日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:45:31
天皇の本質、そして天皇制の長期存続の秘訣は、
「変わらない」ことにあるのではない。
天皇の本質は「変わる」ことにある。
時代の趨勢や世論の要求にあわせて自らを変容させることによって、
天皇は、そして天皇制は千年余の歴史を積み重ねてきたのだ。
明治維新を見よ。
昨日まで攘夷の先頭に立つ軍神だった天皇が、
あっというまに文明開化の最先端をゆく開明的啓蒙君主に変貌した。
昭和20年の敗戦を見よ。
昨日まで世界征服をめざす現人神だった天皇が、
あっというまに平和主義を奉じる文化人天皇に変貌した。
天皇制存続の鍵はこの融通無碍な変わり身の早さにある。
天皇それ自体は真空の容器であって、なんの内容も持たないのだ。
状況にあわせて次々に中身を入れ換えることにより天皇制は存続してきた。
日本の歴史を学べば、おのずから見えてくることだ。