士族になれなかった先祖の愚痴を語るスレ

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1日本@名無史さん
戦国時代はれっきとした武士なのに、その後、帰農した人の子孫。
江戸時代、主君改易や脱藩(召し放ちも含む)の子孫で、帰農した人の子孫。
江戸時代、主君改易や脱藩(召し放ちも含む)の子孫で、ずっとお武家様扱いだったのに、、、の人。
主君が、大旗本だったけど(高家、寄り合い)、華族になり損ねたケース。
自分は陪臣だったけど、直属主君は男爵になっちゃったのに、自分は平民になった場合。

 恨みをここで晴らしませう。
2日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:43:03
姉妹スレッド
■□■漏れの先祖は庄屋様!■□■

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1059398904/
3日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:44:32
こういうケースもある。
大旗本本郷泰固は12代将軍家慶に仕えて若年寄、1万石の諸侯になったが、
一橋派に味方したため、井伊大老によって減封され、もとの旗本に戻った。

あと10年持ちこたえていれば華族になれたという残念なケース。
4日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:46:47
江戸時代、主君改易や脱藩(召し放ちも含む)の子孫で、ずっとお武家様扱いだったのに、、、の人。
   
  ・・・・いわゆる浪人のことです。

主君が、大旗本だったけど(高家、寄り合い)、華族になり損ねたケース

  ・・・・主君が華族でなく士族になってしまったケースです。
      高家の家臣は、江戸時代はれっきとした武士で格式もあったでしょうに。
      たとえば、吉良上野介の家臣と上杉家の家臣は、双方、れっきとしたお侍。
5日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:50:24
>>3殿。

するとその家臣は、士族でなくて、平民になったんですね。
今のサラリーマンと似ていますね。会社が買収されて子会社の社員になってしまったとか。
6日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:53:52
加賀の家老(万石クラス)本多家は男爵ですが、
ここの家臣は士族になったんでしょうか。
ほかにも、男爵になった家老がいましたよね。

ちなみに、蜂須賀藩家老の稲田家の家臣は士族になったことは知っています。
7日本@名無史さん:2005/09/17(土) 20:17:00
>>4、呼びました?
8:2005/09/17(土) 21:22:13
>>7 呼びました。
 ところで何方様でございましょうか。
97:2005/09/17(土) 21:29:48
名乗るほどの者ではごさらぬ。
が、後半部に我が先祖の殿の名を見て気になり申した。
下級武士と豪農、豪商ではそんなに違わぬのではないか?
10日本@名無史さん:2005/09/17(土) 21:41:14
これは、恐れ入りました。
高家筆頭上野介さまのご家中の方とは。
上野介様は三河?にご領地を持たれていた筈。
格式は10万石のはず。
大大旗本として、交代寄合いのような参勤交替をなされていたのでしょうか。

して、御仁は、江戸詰めで在らせられたでしょうか、
それとも三河の吉良の郷に。
また、吉良様ご譜代であれば、そんじょそこらの大名より、
はるかに由緒正しい筋目では。
114=10:2005/09/17(土) 21:50:19
>吉良上野介の家臣と上杉家の家臣は、双方、れっきとしたお侍。

 上杉は国持大名と言われ、大名としては最高の格式。実際には一国は領していないが、
 関東管領の家柄として、足利体制での名門につながるともいえる。

 一方、吉良は、旗本に過ぎない。吉良の領地は一万石に満たないからである。
 しかし、「足利なくば今川がつき、今川なくば吉良が継ぐ」といわれた名族にて、
 高家という新制度の筆頭になった。
 足利体制下の名門の流れを汲む点で上杉と同じ。 
12日本@名無史さん:2005/09/17(土) 21:53:19
豪商、豪農では、藩から士分扱いを受けた家もあったかと。
その人らは士族になったんでしょうか。

ちなみに酒田の本間家はどうでしょうか。
酒田藩から士分の扱いがあったとも思いますし、
一時は、会津からも士分扱いであったと聞きました。
13日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:01:34
それがしは上杉の殿の家臣の一味である。
家臣の子孫など多々おるため何も恐れ入る事はあらぬのではないか。
成り上がりが平気でのさばる世の中は厭だが
時代は代わってしまったのである。
ただ気になる事は我が先祖の殿の御子孫がつつがなく暮らしていられるかだ。
14日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:07:09
13=9=7
失礼つかまつる。
15日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:08:27
>ちなみに酒田の本間家はどうでしょうか。
>酒田藩から士分の扱いがあったとも思いますし、
>一時は、会津からも士分扱いであったと聞きました。


豪農。豪商は、二君に仕えるのもアリだったのでしょうか??
16日本@名無史さん:2005/10/19(水) 01:19:19
17日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:21:26
うちは代々藩の典医だったが、明治維新の際に丁度当主が病気で、
一時的に蟄居していたため、士族になれなかったとさ。
しかしそもそも医者如きが士族になれるのだろうか。
18日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:27:36
渋江抽斎の息子とか森鴎外は士族になってるはずだが。
19日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:32:35
もともと百姓だったくせして、親なんかがミエはって(他者からみればつまらんが)
うちの先祖は武士だった、なんて吹聴する輩多いから気つけろ
20日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:37:17
>>15
そら〜、本間家があちこちの藩に金貸し付けており、藩の方では
財政難でなかなか返済できないもんだから、士分を与えたただけでは
21日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:37:47
案外、そういうのって多いんだよ。
証拠もないのに口伝だけで武家とか士族って信じ込んでる人がいるが、
実は単なるホラ話や与太話で、いざ調べるとタダの百姓だったりするw
22日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:40:14
>>18
れすさんくす。
そうか、あながち祖母の負け惜しみでもなかったんだな。
23日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:47:47
除籍謄本(これも近々廃棄されるとか)には、族称が記入されてるはずだが
24日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:48:57
いまは白塗りしてる。80年代に取り寄せた時点で、既にそうだった。
25日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:14:31
族称欄が廃止になる直前に、祖父が記念に取っておいた族称欄記載つきの
戸籍謄本があります。今はレアものです。
26日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:36:28
うちは母方が「武士」で明治以降「伯爵(あんまり書くとバレるが…)」。父方は
「農家」の出身(もちろん今はサラリーマン)。母は一人っ子だが、父が養子に行く
のは嫌だと言ったので、母の家は父と結婚したことで家が絶えた。

父が養子に来てたら「元華族」になってたのに残念と思いつつ、名字は母方は平凡
で、父方の方がカッコイイのでこれで良かったのかとも思う。
27日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:37:44
しかし、農家の出のくせに伯爵の養子になるのがイヤなんてゼイタクな・・・
28日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:43:37
>>27

@養子は肩身がせまそう。
A既に時代が変わって身分制度は廃止されてる。
B名前があんまりかっこよくない。

が理由らしいんですが、どっちが良かったのかな。
29日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:46:42
私なら、名前だけいただいちゃうけどね。
やっぱり「伯爵」ってカッコイイ。
時代が変わっても、華族ネタがこういうネットで話題になるってことは、
やっぱり心の底ではうらやましがってる人が多いってことでは?
30日本@名無史さん:2005/10/31(月) 22:09:49
>>26
どんな農家だったの?
場合によっては、農家の方が家柄良いってこともありうるけど。
31日本@名無史さん:2005/10/31(月) 23:36:51
>>22
当家、明応の政変で失脚・東下、
更に小田原落城で失地、
江戸時代は郷士でしたが、
十六代目が大槻玄沢に師事して蘭学を修めて以来代々医師。
維新後は士族でした。
32日本@名無史さん:2005/10/31(月) 23:47:47
>>29
そうかなぁ?
どういう経緯で伯爵になったかにも寄るんじゃないか?
先祖が幕末にあくどい事をやって得た爵位なら恥なだけだし。

幕末にあくどい事をやって成り上がった華族よりも名家の出の平民なんて沢山いるよ。
原敬なんかもそうだし。
33日本@名無史さん:2005/10/31(月) 23:56:25
原敬は浅井長政の子孫だっけ?
別に名家ではないな。
34日本@名無史さん:2005/11/01(火) 00:54:31
戦国期は名の知れた武家だったが
明治期には士族にはなれませんでした…



華族になっちゃったからね(゚∀゚)
35日本@名無史さん:2005/11/01(火) 14:23:44
原敬は盛岡藩家老の孫。
次男坊だから士族ではなく平民になった。
36日本@名無史さん:2005/11/01(火) 15:33:47
そのまま、どの戦争にも行かずにすんだ!
37日本@名無史さん:2005/11/01(火) 16:12:36
>>6>>稲田家の家臣は士族
北海道に移住組みでしょ。全員移住?
>>9下級武士と豪農、豪商は大違い。豪農・豪商>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>下級武士
>>12士分扱いと士分は違う。おそらく平民。
>>18森鴎外の家は早々に江戸に出てきたため士族にはならなかったと言う話しを聞いたことがあるがソースは無い。
>>23うちは「平民」・・・・当然と言えば当然なんだが。苗字帯刀を許された庄屋で時々郷士って言われることがあるが理由は分からない。
38日本@名無史さん:2005/11/01(火) 16:14:53
 
39日本@名無史さん:2005/11/01(火) 16:47:09
でも蜂須賀本家の足軽は士族になったが稲田家の足軽は士族になれなかったのでは?
40日本@名無史さん:2005/11/05(土) 14:17:02
稲田家の家臣は家老以下全員が卒族にされたので、本藩への分離独立運動をおこし、
結局、本藩による大弾圧と稲田主従の北海道移住という結果になった。
41日本@名無史さん:2005/11/12(土) 02:39:26
>>13
うちも上杉家の家中です。奇遇ですね。
因みに御屋形様のご子孫はつつがなく暮らしておられますよ。時々米沢にもいらっしゃいます。
上杉家中なら、『上杉文書』というマイクロフィルムの、「先祖書」「勤書」「分限帳」に名前が出てきているはずですよ。国会図書館や大きな大学の図書館にはあると思います。あと、『上杉家御年譜』の最後のほうに主だった家の系図が載っております。ぜひご覧あれ。
42日本@名無史さん:2005/11/12(土) 02:59:52
このスレの人達には武生騒動を知ってもらいたい。
43日本@名無史さん:2005/11/12(土) 03:04:46
44日本@名無史さん:2005/11/12(土) 17:16:39
我が家は佐竹家中で、主家と同じ新羅三郎を祖としています
しかし秋田転封の際、我が家は郷土を離れるを好まず
次男のみ秋田へ送り当主と嫡男は居残り帰農しました
結果、分家は秋田で重臣として続き士族になったが
本家はただの百姓です…
45日本@名無史さん:2005/11/12(土) 18:49:29
>>20 経緯はどうあれ、士分は士分のような気が、、、、

 すると、明治で、
  ××県士族、兼、○○県士族となりそうだが、そこはどうしたのか。

逆に、そういう士分は士分とは認められないなら、
明治のドタバタの中で、すっきり「 ××県 平民」になるわけだが。
46日本@名無史さん:2005/11/12(土) 19:48:34
先祖が元会津若松藩の藩士。
祖父曰く、「一番初めに殿様が逃げた。次にうちのご先祖が逃げた」
47日本@名無史さん:2005/11/21(月) 20:31:09
士族だと何かいいことあるのか?
48日本@名無史さん:2005/11/21(月) 20:42:52
ささやかなプライドが満たされるだけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
49日本@名無史さん:2005/11/21(月) 23:39:26
郷士なんて悔しい人たち多いだろうな!
50日本@名無史さん:2005/11/22(火) 02:05:21
むしろ江戸期の方が悔しかったろう
我が家の方が出自がハッキリした名門なのに
出の卑しい、しかもその諸子が藩主だなんて偉らそうにしやがって…
51日本@名無史さん:2005/12/05(月) 23:08:26
そのまま藩の扶持を貰うか、一族から出た藩主につてい行っていれば良かったものを・・
帰農なんてするからだ、バカ先祖め!
52日本@名無史さん:2005/12/20(火) 22:56:38
保守
53日本@名無史さん:2005/12/20(火) 23:19:53
まあ平島公方に比べれば
54日本@名無史さん:2005/12/21(水) 02:34:22
帰農っていっても唯の百姓になるのと庄屋になるのでは雲泥の違い
55日本@名無史さん:2005/12/21(水) 02:39:21

人をアヤメて血に染めるより百姓がマシかも
56日本@名無史さん:2005/12/21(水) 02:44:43
土百姓なんて嫌だよ
57日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:09:24
庄屋なんて元家老ぐらいじゃなきゃ成れないぽ
58日本@名無史さん:2006/01/08(日) 17:16:56
↑嘘書くなよwww
59日本@名無史さん:2006/01/29(日) 19:45:51
どうなってんだ?
60日本@名無史さん:2006/01/29(日) 21:31:26
>>58改易の場合じゃね?
61日本@名無史さん:2006/02/01(水) 04:37:34
士族の子孫たち

江戸時代、全人口の6〜7%を占めていたと言う武士階級の人達は今はいずこに?
戦前まで学校の卒業証書に「○○県士族」という肩書きがあったようで。



http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130473515/l50
62日本@名無史さん:2006/02/01(水) 04:52:31
平安時代に帰農した場合もありですか?
63日本@名無史さん:2006/02/01(水) 11:23:41
家のご先祖は平安から続く武家だったのに江戸時代に主家改易となり他家に仕えるもクビとなり、長い浪人生活の後江戸鶯谷に小さな旅籠を経営し始めた。旅籠は繁盛し使用人を沢山抱える大きな店となったが曾祖父が大酒のみの遊び好きの影響で店は潰れた。
64日本@名無史さん:2006/02/01(水) 12:31:50
>>61大正初期ぐらいまでだろ。族籍記載はその頃に終わりを告げた
65日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:10:22
いや終戦直後まであった
66日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:12:27
現在につながる本当の社会階級の流動化は、戦後の農地改革以降
それまで農家でも極端な格差があった 貧しいところは農奴に近い
67日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:53:46
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレC
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137675415/l50
68日本@名無史さん:2006/02/01(水) 16:12:47
>>62
平安時代に武士いたかよw
69日本@名無史さん:2006/02/01(水) 16:16:11
平安時代に武士はいただろう。

ただ、「帰農」とは笑止だがな。
70日本@名無史さん:2006/02/01(水) 16:24:59
Google で「姉歯武之進 仙台藩士」を検索

世良修蔵を斬首し、世良の首を肥溜めに漬けて鑑賞し、それが原因で戊辰戦争を引き起こした張本人。
日本の歴史を変えた奴。
71日本@名無史さん:2006/02/01(水) 17:09:29
すまん鎌倉だった!
72日本@名無史さん:2006/02/01(水) 17:19:35
はあ?
73日本@名無史さん:2006/02/24(金) 22:28:19
age
74日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:54:16
    
75日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:56:14
>>68

平安時代貴族と言え!
76日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:15:54
なんで
77日本@名無史さん:2006/04/22(土) 11:32:35
三四郎 読んだ。
78日本@名無史さん:2006/05/21(日) 13:30:00
で、どうした?
79日本@名無史さん:2006/06/18(日) 15:08:44
俺のオヤジなんか、開発部部長から子会社室長に
格下げだよ
80日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:48:49
今や当たり前だよ
81日本@名無史さん:2006/07/09(日) 13:30:43
だな
82日本@名無史さん:2006/07/14(金) 08:45:46
オレの苗字は藤原だ。今まで藤原家の子孫と思ってたが、、どうも藤を江戸
中期から改名して藤原にしたとのこと。やってたことも農民そのもののようだ。
83日本@名無史さん:2006/07/15(土) 02:12:48
士族?
安土桃山に加古川城主で関が原の後、行方不明の糟屋武則が先祖だよ。
士族も何もあったもんじゃねぇっつーの。
ひいじいちゃんは警官だよばーか。
84日本@名無史さん:2006/07/15(土) 03:04:00
>>82 半農半武士 当たり前だわ
85日本@名無史さん:2006/08/01(火) 03:34:23
ひい祖父さん、明治時代警官だったんだけど、これって士族って事?
86日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:37:29
うちの先祖は全く不明。由緒書とかそんなん無い。分かるだけでもいいんじゃないかおまいら
87日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:14:39
>>86 DNA鑑定すれば天皇家と繋がっている可能性もあるかもな。

 まあ、日本人は黄色人種なのでアジア人と繋がっていることは確かだ。

88日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:25:08
だからなんやねん
89日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:33:22
  
90日本人 :2006/08/22(火) 22:24:12
おれんち士族。オヤジの旧制中学の卒業証書に書いてる。なんにも良い事なし。
ただ曽祖父が小学校校長の時の礼服の写真を貼ってる。お客が見て皆俺に敬服する。
91日本@名無史さん:2006/08/22(火) 22:36:16
うちは伊賀忍の末裔の貧乏同心で、明治は士族廃止まで四等士族・・・
92日本@名無史さん:2006/09/16(土) 03:08:17
このスレも堕ちる…
93日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:53:31
士族と両班はある意味似ている。時代を下るほど、どんどん自称士族(両班)が
増えていったのは同じ。
94日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:19:55
ウチは百姓。でも静岡だから幕府崩壊後移住してきた貧乏旗本の子孫かもと夢見ている。
95日本@名無史さん:2006/09/26(火) 15:49:03
藤原って名字で藤原姓の人はほとんどいないからな。
姓が藤原なら名字は別にあるわけで。
名字が藤原なら姓は橘源平のいづれかか、無い場合がほとんど。
96日本@名無史さん:2006/09/26(火) 15:53:46
>>95>>82へのレスね。
>>94
調べてみたら?
おいらも静岡県在住だから気になる。
97日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:30:22
御先祖様の調べ方を教えて下さい。
98日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:41:10
>>97
戸籍を取り寄せるのだ。
うちは上級士族だから、明治初期の戸籍には誰々が○○屋敷で出生とか書いてある。
戦時中の人とかは、海軍大佐どーたらとか、とにかく事細かに色々書いてあるから
戸籍見るだけで先祖(江戸期)の身分なんて容易にわかるよ。
もっと単純に言うと、住所所在地だけで分る。明治初期の人の親(江戸時代生まれ)
くらいの人の住所くらいまでなら記載されているので、武家地なら武士、
百姓地なら百姓といえよう。
99日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:47:40
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1161147908/103
お前らを殺すためにやってきた
ぶっ殺ぶっ殺
100日本@名無史さん:2006/10/20(金) 02:14:37
うちは一応士族(肥後藩士)なんだけど明治頃途絶えて、曾爺さんがその家に養子に入ったそうな
で曾爺さん方はべらぼう貧乏だったらしいから多分貧農出身じゃないかなと予想
な訳で今使ってる苗字本当は全く縁ないんだよね
その途絶えた血縁ない士族方は人きり云々と縁あったとか…でも関係ないので心中微妙でつ
101日本@名無史さん:2006/10/20(金) 02:24:28
>>98 おいら取り寄せてもらった明治士族出身とな
102日本@名無史さん:2006/10/20(金) 02:42:47
我が家の明治頃の戸籍には、おもいっきり『平民』と記載されているw

犯罪者がいなかったのが唯一の救いだ。

その頃の戸籍ってご丁寧に犯罪暦まで記されているらしいからな。
103日本@名無史さん:2006/10/20(金) 09:19:36
誰か毛利家の家臣いないのかえ??
毛利家家老って誰だろう・・・先祖がその直属の家臣だったらしい。
おれも戸籍とりよせようかな
104日本@名無史さん:2006/10/20(金) 10:07:24


戸籍見たら暴走族。。。OTL
105日本@名無史さん:2006/10/25(水) 03:57:03
漏れんちの戸籍には、陸軍大尉○○北緯○○東経○○ ○○にて戦死と記されている。
陸軍大尉ってのは、死ぬ前の階級かな?それとも死んで2階級昇進した階級かな?
106日本@名無史さん:2006/10/25(水) 21:22:44
陸士は何期でしょうか?
107sage:2006/11/08(水) 20:53:05
士族は、将校になれます。
平民は、准尉が、限界です。
戦前の総理は、ほとんど士族です。
 
108日本@名無史さん:2006/11/08(水) 21:06:16
>>107
士族しか将校になれなかったのか?
初耳なんだがソースがあればください。
109日本@名無史さん:2006/11/08(水) 21:10:09
>>108 学徒出陣、青年将校大學生が将校になれた。

最も偉い人は、最前戦に行かず。
110日本@名無史さん:2006/11/08(水) 21:15:36
>>109
大学生=士族ではないでしょ?
あのあたりは大学生を軒並み将校にした海軍に陸軍がかなり腹をたててたって話だけどもw
それに、公家の名門の冷泉家の当主が二等兵で召集とか、華族でさえ二等兵で召集される例もあるのに。
士族=将校っていう話にはならないと思うけど。
111洛北高校OB:2006/11/09(木) 00:14:46
イメージはあるかもね
でも、士族でないと将校になれないと云うことは断じてありませんし、藩閥による陸軍支配だって支邦事変の頃には崩壊してます
旧制中学のナンバースクールは、資産がないと通わすのは難しかったし
そんな超進学校ですら陸士・海兵は難関だったんです
何たって、少尉は高等官ですからね
だから、地主や地方の名士は息子を将校にしたかったんですよ
112日本@名無史さん:2006/11/09(木) 04:02:25
士族の大半は没落し、人力車夫・荷車挽きなどの底辺労働者や都市細民に転落した。
明治時代、官吏や教員、会社員などになることができたのは、士族のごく少数にすぎない。

教育制度が整備されるにつれ、高等教育を受ける者も士族より農村の地主層が増加した。
113日本@名無史さん:2006/11/09(木) 04:16:21
足軽なのに武士だったと言い張る山口県民。城がないところで武士といわれても
それは嘘ってやつですぜ。足軽=農民。
114日本@名無史さん:2006/11/09(木) 07:37:36
ウチは元国人。領主が転封になった後も地元に残留し、農民となる。
今でもウチの周りには元下人達の子孫の家が並ぶ。
爺さんは殿様、オヤジは若様と呼ばれていた。
115安藤某:2006/11/09(木) 08:16:07
幕末に現役の藩士であることが士族になる原則でしたよ
身分が正確に把握できないと事務作業だって大変だし当然だと思うよ
ただ、維新の論功行賞で士分から外れる連中も士族になったのは確かだし、明治大正あたりまで…実はねなんて云われたもんです
京都だと、一部の小法師が士族になってるけど…警備清掃を担当する四民の外の人間ですよ
116日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:27:14
>>98
その戸籍というのは、今は閲覧できない戸籍では?
戸籍に新平民かどうかを興信所が調べのてたのが社会問題化して、
今では研究目的でも閲覧不可になったと聞いた事があるんだが。

うちの家系に華族がいるけど、
祖父が長男でなかったから区分がどうなったのか気になる。
117日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:28:15
原敬は家老級の上級武士の家柄だったらしいのに、
分家したせいで区分が平民になったと本に書いてあった。
次男以下は士族のとこの養子にならない限り皆平民になるんか?
118日本@名無史さん:2006/11/14(火) 09:56:36
>>116分家すれば平民だが分家してなければ華族・士族。当時は親戚一同
が入ってる巨大な戸籍です。
119日本@名無史さん:2006/11/14(火) 10:03:55
>>116私の祖父の弟が華族の次男の娘を貰っていますが昭和初期だったので
族籍記載がありません。つまり平民です。大正後期以後は士族・華族のみ
記載されたそうです。

 もうひとつ昭和40年代前半までに遺産相続の手続きをしているのなら
残っているかも。うちは曽祖父の土地の相続手続きをしたのが残って
いますが全て平民記載があります。祖母方の母親、祖母など士族系
なんですけどね。次男以下の娘と言う事みたいです。

120日本@名無史さん:2006/11/15(水) 17:50:31
>>118
基本的に長男以外は分家するんだっけ?
121日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:29:03
旧民法では戸主の法的地位が高かったから、制約逃れのために
分家して平民になった人多いんじゃない?
 三男坊だった俺の父親は戦争終結時、まだ未成年だったから分家すらしないうち、士族制度が崩壊
したため、ずっと士族だった。
122日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:55:15
俺の先祖は苗字帯刀を許された寄生地主(郷士)で明治維新以降も士族だったが、
戦後の農地改革でヤラレタね。昔の勢いは、もう無い。
123日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:24:46
>>122 過去に振り回されるな\(-_-)
124日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:50:36
養子で繋がってないて前書いた100だけど
除籍謄本取り寄せたら血繋がってる身内の養子入りですた
人の話って当てにならんでした
125日本@名無史さん:2006/12/18(月) 02:58:04
ひい婆ちゃんが熊谷次郎ナオザネの家の出らしいんだけど、これって士族なんですか?日本史ワラカンので教えて下さい。
126日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:52:08
一概には言えんよ。
127日本@名無史さん:2007/02/03(土) 01:20:50
>>103さん
母方(私の祖母の生家)が毛利家の家老だか家臣と言われている。
Wという姓で毛利の家紋と類似した家紋です。
当時は都内在住でばあちゃんの姉は若い頃、毛利屋敷に勤め、
ばあちゃんは毛利の奥様の口利きで小早川家に勤めていたらしい
(奥方つきといっていました。)
自宅には裃があったらしいです。
歴史には疎いですが、先祖には非常に興味があります。
ちなみに今の私の姓は尼子家と因縁の深い某家と同姓です。
128日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:54:39
>>110
冷泉家は名門というほどでもないよ。マスゴミに露出して持ち上げられてるけど
公家では中級クラス
129日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:37:07
>>120
士族も華族も長子相続なので、次男以下は分家したり嫁いだりして平民になるよ
徳川や近衛などの一部や、次男以下の養子先や嫁入り先が士族華族なら別だけどね
130日本@名無史さん:2007/03/17(土) 16:37:14
131日本@名無史さん:2007/03/17(土) 16:43:53
華族の分家は士族でも良かったと思うけどな。
華族はともかく士族が増えても別に問題ないんだし。
勲章もらったら士族になれるとか有っても良かったかも。
132日本@名無史さん:2007/03/18(日) 01:00:56
>>122郷士→士族ってパターンは少ないらしいが。薩長土、上州も士族らしいし
結構実際は多いのかな?うちは信濃の郷士(実際は庄屋だが)だが平民扱いだな。
133日本@名無史さん:2007/03/18(日) 01:08:31
薩摩はそのパターンだらけだね
だからルーツ聞くとほとんどが士族ってことになる
134日本@名無史さん:2007/03/18(日) 10:09:48
薩摩は一応公式に苗字帯刀許されてるから。この辺が線引きかな?
135日本@名無史さん:2007/03/18(日) 11:23:38
なんで明治政府は士族の地位を金で売らなかったんだろう。
元手ただだしウハウハじゃないのか。
136日本@名無史さん:2007/03/18(日) 11:25:02
しかしどう考えても足軽も藩主の分毛筋の家老も同じ士族ってのはすごいな。
137日本@名無史さん:2007/03/18(日) 12:42:34
>135維新の士は門閥や身分差別に苦しんだから身分制度は廃止に方向。
華族制度には異論も多かったらしい
>>136不満のガス抜きの為の名目だけですから。
現実問題としての封建制の身分差別は酷くて、違う身分で会話などありえなかったらしい。
その為に中間に取り次ぎ役等置いていたが維新後は華族だろうが平民だろうが
基本的に平等。
138日本@名無史さん:2007/03/18(日) 14:58:31
基本的な子音で申し訳ないが卒族とはなんなのだ?
139日本@名無史さん:2007/03/18(日) 21:32:18
足軽とかがなった士族の下の身分じゃないかな
のちに士族になってるけど
140日本@名無史さん:2007/03/19(月) 05:59:22
なるほど
なんか格があったんだね>士族、卒族
141日本@名無史さん:2007/03/21(水) 03:40:24
卒族は士族の下で世襲のものは士族へ大多数の一代お抱え(同心等)や
一時的の雇われてる(雑務等)は平民へ。
142日本@名無史さん:2007/03/21(水) 04:07:21
世襲ノ卒ハ士族ニ編入ス(明治5年太政官布告第29号)
郷士家筋由緒アル者ハ士族ニ入籍(明治5年太政官布告第44号)
143日本@名無史さん:2007/03/21(水) 04:46:03
ウチは近隣の藩の殿様の連枝の家系だったけど、領外追放されたって話が伝わってた。
その後あまり離れる気も起きなかったので、近隣の藩で造り酒屋を幕府崩壊までやってたそうな。
一応そこそこ商ってられたらしいので、名字帯刀は酒屋がある藩から許されてたらしい。
そしてその家系や出来事を忘れないように、その大名家と同じ姓や屋号を名乗ることにしてたそうな。

ただ、あまり愉快な話ではないし、実際問題どうだったのか分からない様な話なので、俺の代でこの話は完全に握り潰そうと思います。
本当の話なら、隣県のある市にある本来の本家を微妙に恨んじゃいそうだし。

大体造り酒屋も明治に閉じて、同県内の別の土地で別の商売してるしね。
この話も、口伝だし。

曾祖父までは一応の証拠みたいのが残ってたそうだけどさ。
戦中だか戦後にそういうのは食い物に変わったとか、捨てたとか、よく分からん話のみになってたよ。
144日本@名無史さん:2007/04/01(日) 20:02:56
郷士家筋由緒アル者ってのはどういう基準かね?藩から正式に名字帯刀を許され
郷士として藩の藩士録に登録されてるとか?
 天領あたりだと自称郷士が多い気が
145日本@名無史さん:2007/05/10(木) 03:17:34
>>118

一般的にはそう言われてるらしいが、実際は、士族としての分家は出来たのが
事実だぞ?

実際、うちのじいちゃんの兄弟もじいちゃんの父ちゃんの兄弟も分家して
士族のままだった。よく分からんが、かなりの金額を払えば身分そのままで
分家できたらしい。
146日本@名無史さん:2007/05/10(木) 04:59:06
>>145
それは名義上、他の士族の養子になった形をとったもの
147日本@名無史さん:2007/05/10(木) 17:51:07
士族ってもピンキリだからなあ
郷士でも士族で士族だらけなふざけた藩もあるし
お目見え以下で馬に乗って登城もできない下っ端でも士族
148日本@名無史さん:2007/05/11(金) 00:51:23
先日、初めて曾祖父の生家へ行く機会がありました。なぜか武家屋敷でした。
帰って父に尋ねたところ、曾祖父は近衛兵でもあったとのことです。
家族に自慢話をするような人がいないせいか、初耳の連続でした。
家系に関しては父もよく知らず、祖父は早く他界してしまっています。
調べる価値がありそうな気がするのですが、どうでしょうか?
149日本@名無史さん:2007/05/11(金) 18:45:48
友達のじいちゃんも近衛兵だよ
爺さんが近衛兵って他スレでも結構見るから多いね
言えることは他人は他人の先祖なんてどうでもいいってことだな
150日本@名無史さん:2007/05/11(金) 21:03:50
近衛自体は多くはない。ただ曾孫だと百人くらいいても不思議じゃないってことじゃね?
151日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:56:00
>>146
オマエがいってるのは、金がない士族が分家するときの手段だろ。

苗字も変わらず、○○○○の戸籍から分家によりって書かれてたし。
152日本@名無史さん:2007/05/12(土) 01:28:26
>>151
それって幕末から明治以降の話でしょ
その頃は混乱で結構あったんだよ
153日本@名無史さん:2007/07/18(水) 10:13:22
なにが?
154日本@名無史さん:2007/07/18(水) 12:46:56
当ててみ
155日本@名無史さん:2007/07/23(月) 20:35:39
たしかに原敬が平民宰相ということで、教科書にも載っているし、貴族の首相は
貴族院の清原敬吾くらいか
残りでも元士族で現貴族というのは、けっこういただろうけど。

ところで、元御三家家臣(直臣)は無条件で士族になれたのかな?
陪臣になると平民か?
156日本@名無史さん:2007/07/23(月) 20:57:50
士族でも、分家すれば、平民でしょう。

  華族でも分家したら平民なんだし、士族もそう。だから、
  明治体制がそのまま続いていても、
  その後は平民宰相だらけになるでしょう。
157157:2007/07/23(月) 21:08:30
士族と平民の分かれ目

主家から離れて浪人していたら、時代劇では「お武家様」の扱いであるし、
感覚としても武士だと思うが。
そんときに「族」を定めたら、平民ということになるでしょう。
結局、将軍から認めれた諸侯(など)の家臣でないと駄目なんて少し変だな。
158日本@名無史さん:2007/07/23(月) 21:18:52
農民でも、士族扱いのことあり。
武士でも、平民になったことあり。

 そもそも武士の定義は曖昧っち。
159日本@名無史さん:2007/07/23(月) 21:25:11
旗本の家臣は江戸時代なら普通に武士(軍役令で規定された侍)だが、
維新後はどうなったんだ?
160日本@名無史さん:2007/07/24(火) 18:19:41
明治以降だと、農民だったのが官吏になって士族になるパターンもあるしな〜
161日本@名無史さん:2007/07/24(火) 19:58:24
ま、結局上役に気に入られるかいなかで士族か平民か、の分かれ道

明治時代は容易に階層買収できたから
162日本@名無史さん:2007/07/26(木) 21:06:16
>>159 軍役令って、
   どこから出ているんでしゅ?
   各藩から(藩士の場合)?、
   また、将軍から(旗本、御家人の場合)?
 
   それから、公家侍は?
163?????:2007/07/26(木) 22:21:43
公家侍は公家の家来。
皇室にも同じような侍いたかな?
おもいつかないけど、たとえば、滝口武士、北面武士、、、、
それと、幕末急にできた御陵衛士。

郷士はいたね。十津川郷士とか。

この人たちは、士族になったかな。
164日本@名無史さん:2007/07/27(金) 07:31:52
軍役令は幕府が出した。
戦のとき、大名・旗本が動員すべき戦闘員の人数は規定している。

旗本の家臣も軍役令で規定された侍だった。
165日本@名無史さん:2007/07/27(金) 12:36:19
このなかに霞会館の会員さんいますか
166日本@名無史さん:2007/07/27(金) 15:09:51
士族にもなれなかったのにいるわけナス
167日本@名無史さん:2007/07/27(金) 21:07:02
164 そーか、公家侍は対象外かも。

  そーか、核大名は、それで、幕府へ家来の名前、石高、出自を届け出ることになっていたのかな?

  そーか、農民(庄屋)や豪商に、士分扱いをした場合は、これは軍役令の勘定外のような気がする。とすると正式の武士でないかも。
168日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:54:29
侍の定義は知行地や俸禄を支給されていること
それがなければ平民ですよ。

うちも近衛士官を輩出していますが、近衛兵には曖昧な期間があります。
先ず、献上された近衛兵 日露戦争当時の近衛兵ですな。
あとは昭和19年以降に関東の平民から集められた近衛兵です。
これらは通常の近衛兵選考過程を経ないで採用になったもので
通常の師団となんら変わりありません。
これ以外に採用になった近衛騎兵や近衛兵の選考は
学科試験 身体検査 家柄調査 素行調査
などいくつもの試験がなされて採用となります。

我が家は戦闘を経験せずうだつがあがらない一族でして
勲4等功3級金鵄勲章授与です。年金付勲章ですな。
出自は石川源氏 紺戸氏 からでました。
士族を辞めて帰農して肝煎をやりながら300年貧しく生きてきて
やっと先の大戦で花実が咲いたかと思ったらあっというまにまた貧乏。
こんなもんなんじゃないですかね。栄枯盛衰は。
紆余転変は世の習いですが、切ないものです。
169日本@名無史さん:2007/07/28(土) 10:26:00
うちの先祖は士族だったけど、明治になったら監獄所書記官を
やっていました。これって、よくあるパターンですか?
教えていただけるとありがたいです。
170日本@名無史さん:2007/07/28(土) 11:14:37
近衛兵は、最初の「御親兵」の時期は、薩長土三藩の士族だったが、
その後、征韓論での西郷下野で薩摩出身者が大量に辞職して帰郷したり、
徴兵制実施でけっこう入れ代わったんじゃないかな。

西南戦争直後の竹橋事件の段階で、近衛兵には平民出身の兵士がいたし。
171日本@名無史さん:2007/07/28(土) 11:16:13
あと、戦前の近衛兵は基本的に全国の各連隊から優秀な兵士を選抜してたそうなので、
士族とか平民とかの出自は関係ないと思われ。
172日本@名無史さん:2007/07/28(土) 11:20:01
幕軍側だと本来は士族になるべきなのに平民っているんじゃね?
173日本@名無史さん:2007/07/28(土) 11:43:01
旗本家系にそういうのが、けっこういそうだ。

瓦解後の旧幕臣の去就としては、この3つがあった。
1.朝廷に帰順し、朝臣となる(中大夫・下大夫・上士)→東京府士族
2.徳川家について駿府に無禄覚悟で移住する(静岡藩士)→静岡県士族
3.旧領地に帰農、もしくは商工業を営んだり、隠棲する→平民

3の連中は、朝廷にも徳川家に仕えず、浪人したわけだから、士族になれずじまい。
174日本@名無史さん:2007/07/28(土) 22:51:27
平民が爵位を貰って華族になった例は結構あるけど、明治以降に士族になった人っているの?
175名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 12:11:25
明治初年限定だが、平民で新政府に仕えた人とかが士族になってる。
あと、明治前半までなら戊辰のゴタゴタで士族になれなかった人が、士籍を回復している。
後者の例として榎本武陽や北海道に移住した伊達の陪臣たちがいる。
176日本@名無史さん:2007/07/30(月) 17:33:46
>>173
江戸開城に反対して脱走して戦った連中って、みんな平民になったんだな。
177日本@名無史さん:2007/07/30(月) 19:40:33
>>169 部落出身の典型、鑑
178日本@名無史さん:2007/07/30(月) 19:44:11
>>1は偽物士族なのに高慢っておかしいよ。
179日本@名無史さん:2007/08/01(水) 07:18:54
はぁ?部落出身の典型ですか?その根拠は?
根拠を示さずに、わけの分からない部落なんて言われても・・・
大体、部落人が武士になれたんですか?
180日本@名無史さん:2007/08/01(水) 12:54:32
181日本@名無史さん:2007/08/01(水) 19:31:59
>>179 え!明治期に部落民から士族に昇級した種族を知らないの。加えて維新士族たちは 「俺は明治のサムライだ」って御満悦の様子だったようだが。未だに市民会館などで「明治のサムライ讃美」の講演会開催している鼻たれ心酔陶土奴などがいて恐い限りだ。
182日本@名無史さん:2007/08/01(水) 19:32:57
明治のサムライって何なの
183日本@名無史さん:2007/08/01(水) 19:56:42
江戸中期以降の士族は士族かもしれないが、侍ではないだろう
単なる無為徒食の輩だろう
184日本@名無史さん:2007/08/05(日) 04:26:44
なれる分ないじゃん!薩、長、土、肥、の藩閥のなかで!
185日本@名無史さん:2007/08/05(日) 11:40:57
>>115
>>179
>>181
これのことだネ!

http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/memento/m_12/yomimono.html

(以下引用)
なお、益井元右衛門のあとを継いでいた益井信は、朝廷に長く仕えたものがすべて士族に列せられているのに、
小法師のみが平民になったのはおかしいという申し立てをしたところ、
1900年(明治33)7月に内務大臣より許可がおりて、士族に編入された。
これを祝う宴には、京都府知事や下鴨警察署長、愛宕郡長など、そうそうたるメンバーがかけつけている。
186日本@名無史さん:2007/08/11(土) 19:55:17
琉球処分で沖縄が日本になった後、琉球の王様は「華族」になったが、
「士族」は?
187それをいうなら:2007/08/11(土) 21:12:13
   朝鮮併合では、朝鮮貴族は華族になった。
   下級貴族とか、ヤンパンは、士族になったのか?

   で、台湾併合ではどうだったか?
188日本@名無史さん:2007/08/13(月) 10:07:39
琉球の士族は「士族」になっている。
189日本@名無史さん:2007/09/24(月) 16:26:24
ムリせずに先祖は百姓だと認めろ
190日本@名無史さん:2007/10/01(月) 00:16:03
江戸時代は火縄銃を持ってる農民なんていたんでしょうか?
191日本@名無史さん:2007/10/01(月) 01:24:20
僕の先祖は源平合戦のときに北九州に勢力をもっていたらしいのですが、平家側に加勢したため共に没落しました。もっていた領地は没収され、源氏側の宇都宮氏が替わって治めたそうです。
192天台座主 慈円:2007/10/02(火) 22:10:10
>>190猟師ではなくて?
まあ、山がちの村では、「猟師鉄砲」の外、「威し鉄砲」として
領主から預かった鉄砲が数丁存在したようです。

自分の母の実家(江戸後期に名主)にも床の間に火縄銃が置いて有りました。
(幕末に「農兵」になった時に与えられたものかもしれません)
193日本@名無史さん:2007/10/03(水) 14:22:03
以前、秩父事件の本を読んだが行く先々の家で戦利品として鉄砲、刀を
奪ってる。普通に豪農レベルになればあったのではないか?
194日本@名無史さん:2007/10/16(火) 22:50:22
ドキュンからバックアップうけている反日本記事捏造のアサヒる新聞。
恥ずかしくて公共の場では読めない新聞。
195日本@名無史さん:2007/11/03(土) 04:10:38
一応
仕えてた主君は子爵だけど自分の所はただの士族で爵位なかったな。
他スレでも書いたけど剣術指南役をやっていたのだがこれって身分的には
中流武士?
196日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:35:33
>>194
口臭えーんだよww
197ihatemymate:2007/11/10(土) 02:35:03
ihatemymate=NippleOfNippon=Asshole
198日本@名無史さん:2007/12/12(水) 21:06:50
199日本@名無史さん:2007/12/13(木) 01:35:24
旗本が駿河にも行かず新政府にも仕えないばあいは平民らしいけど、どのくらいの人数だったの?
200日本@名無史さん:2007/12/30(日) 06:02:41
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%BA%D9%CC%DA%BF%F4%BB%D2%A4%C9%A4%A6%BB%D7%A4%A6%A1%A9%A1%A9&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1
1番最初にある細木数子どう思う??のアンケートにご協力下さい。宜しくお願い致します。
















201日本@名無史さん:2008/01/07(月) 16:07:54
なんという改行。さては改行と改易を

おっと

母親は士族だったな。役場の用紙にも士族と書く欄があったとか。
まあ父親とオレは平民だが。
つーか親戚から疎まれてるオレ涙目。
202日本@名無史さん:2008/02/20(水) 02:14:44
壬申戸籍かどうかは判らんが、戸主○○県士族と縦書き(手書き)の謄本か抄本?
の写しがある、爺さんが口癖のように「世が世なら云々」とよく言っていたのを思い出す
203日本@名無史さん:2008/04/04(金) 21:46:09


征韓論は西郷の主張していたものと違う件について・・・・

204日本@名無史さん:2008/04/06(日) 02:40:56
足軽だったのに士族だと言い張る山口県民のバカ。
205日本@名無史さん:2008/04/11(金) 23:21:20
明治の日付の、玄祖父が戸主になってるボロンチョな戸籍出てきて、
「士族
前戸主○○ ○○」
って書いてあったので嬉しかった。玄祖父、天保生まれとか笑える。
その戸籍によると玄祖母と曾祖母も士族の娘と書いてあるので、
世が世なら、自分もけっこう「いいとこの子」になれたんじゃなかろうか。
今がド貧乏ニートなんで、そーいう方向に現実逃避してぇーーーーー(゜∀。)

けど、玄祖父よその家から養子に来た人なんで、嬉しさ2割減。
玄祖父より上の先祖と自分は直接つながってないもんな。

ところで「玄祖父」ってなんてよむんだろう。
げんまい→変換→米削除→そふ 
って打ってんだが。
206日本@名無史さん:2008/04/25(金) 23:53:10
俺の先祖は薩摩藩某郷の郷士だったんだが、
祖父が戦前に分家したので平民になっちまった!
207日本@名無史さん:2008/04/26(土) 00:55:12
士族だって言ってもピンキリだしなw
漏れは庄屋の方が土地持ちで良い
村人の世話とかして尊敬される庄屋さん
208日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:12:15
>>207庄屋だった家でも今でも土地持ちは少数でしょ
土塀めぐらせてる庄屋は注意。土塀=襲われる恐れあり。高利貸しやったりして
恨まれてる庄屋も多いよ。

 
209日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:12:45
>206士族の家系じゃん
210日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:55:28
俺が若いころはまだ「うちは士族だから(お前らとは違うんだよw)」って人多かったけど
最近はそんなにいないね。都会に住んでるからかな
実家かえるといまだにそういう奴いるからな。俺ぐらいの年代だと。
うちは代々由緒正しい水のみなのでどうがんばっても士族にはなれん
身分制度が形骸化してよかった。本当によかった
211日本@名無史さん:2008/04/26(土) 13:52:47
>>209
まぁね、先祖はあの平貞時さ。
ただ身分制度が残ってたら俺は平民。
212日本@名無史さん:2008/04/26(土) 16:13:23
養子にいけたかも知れんよ。うちは庄屋の家系だが戦前までは兄弟多くても
養子先には困らなかったぞ
213日本@名無史さん:2008/04/26(土) 16:25:16
まあ、先祖が士族のニートや派遣労働者より、
先祖が小作人の官僚や弁護士の方がエリートだけどな。
214日本@名無史さん:2008/04/26(土) 16:37:36
>>212
先祖代々庄屋の店長やってんの?カワイソ
215日本@名無史さん:2008/04/26(土) 18:11:40
>>213
ま、それが健全な社会だがな。

問題は中小同族会社のボンボンたち。
あの既得権益は、そろそろ潰しておくべき。
216日本@名無史さん:2008/04/26(土) 18:15:18
-──- 、        _____
    /_____ \=@  //⌒ヽ ⌒ヽ  `\
    |/⌒ヽ ⌒ヽヽ | ヽ  /  |  ^ |^  |- 、   ヽ
    |  / | ヽ  |─|  l //  `ー ●ーU′  \   ヽ
   / ー ヘ ー ′ ´^V /  ─  |  ─    ヽ   i
    l \    /  _丿 i   二   |  二     |   |
.   \ ` ー ´  /   .l \     |     /  l   !
      >ー── く     ヽ  \  |   /    /   /
    / |/\/ \     ヽ   ̄ ̄ ̄     /  /   同じスレではこのままだけど
    l  l        |  l     >━━6━━━━━く    違うスレにコピペするとドラえもんがスネ夫
    ヽ、|        | ノ    /  く    /     ヽ    に変わる不思議なコピペ。
       |ー───j      l   (⌒(⌒)  /    |

217日本@名無史さん:2008/04/27(日) 01:51:21
兵農分離出来なかった薩摩は人口の4割が武士。おそらく他の地域の割合も
こんなものだろう。つまり士族は総人口の5%程度だから
40−5=35%程度の人達には先祖は武士で(戦国期まで)あったという
伝承が残ってるんでないの?
218日本@名無史さん:2008/04/27(日) 01:56:25
薩摩は2男以下でも
士族扱いのお国だからね
でも役目がなければ自作農しないと食えないけど
219日本@名無史さん:2008/04/27(日) 02:34:11
兵農分離幻想ですか
220日本@名無史さん:2008/04/27(日) 02:46:14
2ch以外10万ケ所コピペくらぶ

やっぱり報道規制?日本なのに日の丸が無い!? 日本から毎月15万の留学生援助を受けてもこの有り様
【長野・聖火リレー】“チベット派”警察の指導によりゴール地点・若里公園に入場禁止、でも中国国旗はOK…ゴール映像は中国一色?
http://www2.2ch.net/2ch.html

ここは日本?日本人チベット人 対 中国人 
http://www.vipper.net/vip509358.jpg
http://up2.viploader.net/pic2d/src/viploader2d361272.jpg

中国国旗をふり長野市内を走る中国人 
http://up2.viploader.net/pic2d/src/viploader2d361179.jpg

【長野・聖火リレー】中国人ら、長野駅前のモニュメントに登ったり、チベット側のプラカードを破ったり…
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3108089

【長野・聖火リレー】警察、チベット旗を積んだバイクには注意、でも中国国旗を掲げた中国人らの車には何もせず?(動画)
http://jp.youtube.com/watch?v=nSfKIZfBq3E
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209222899/

長野市内を車から身を乗り出して中国国旗をふる中国人右翼?
★Thoughtless Chinese in Japan
http://up2.viploader.net/pic2d/src/viploader2d361179.jpg
221206:2008/04/27(日) 14:46:30
>>218
俺の先祖は郷士年寄ですた。
222日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:35:57
長州討伐の初戦、芸州口の戦いで抜群の働きで幕府先鋒彦根井伊勢を散々に打ちのめし敗走させた長州藩諸隊中の維新団(被差別部落民の隊)の隊士は維新後は士族になったのですか?
223日本@名無史さん:2008/04/28(月) 00:52:33
>>222
古い郷土史をあたれ。
224日本@名無史さん:2008/04/28(月) 01:29:25
>>222
長州征伐の勝利が身分の解放につながったとは聞いたことはないなー
高杉の招魂社の話もあれだし
もちろん長岡、函館に転身して個人的には変わったかんもしれんが、隊全体として動いた政治家もしらないし、もし動いてるなら、芸口の井上だろうし、政治的問題だから井上クラスじゃないとダメだしね
農で参加したのも士族卒族に一部は別にしてなったわけでないだろうし、長州の場合、戦いは武士だけがする思想をすでに超えてましたからね→
長州士民の総力戦
225日本@名無史さん:2008/04/28(月) 01:50:45
芸州口の戦闘は、徳川四天王の内の井伊と榊原両家の軍勢が、
こともあろうに被差別部落民で構成された部隊を含む諸隊に惨敗した、まさに幕藩体制の終焉を象徴する出来事。
中でも維新団の働きは抜群で、彼らは諸隊と違い「一、衣服黒、筒袖黒、立付共紐の事。一、笠惣黒塗りの事(維新団衣服器械隊名の事)」と服装まで差別されていたが、
黒ずくめの異形がかえって目立ち、奮戦振りを認められて一目置かれたらしい。
士族になったかどうかは知らないが、布引敏雄「長州藩被差別部落解放史研究」というのがあるからそれに書いてあるかもしれない。
226日本@名無史さん:2008/04/28(月) 02:36:35
>>225
高田榊原勢は直接交戦してないよ。大竹に着陣していたが逃げてくる井伊勢と一緒に一戦も交えずに広島に逃げて笑い物になった。
227日本@名無史さん:2008/04/29(火) 01:21:38
なんで最強の幕府歩兵を出さないのかと・・・
228日本@名無史さん:2008/07/08(火) 08:29:42
馬の糞の処理をしていただけなのに
どさくさに紛れて士族になっちゃったのは
俺っちのご先祖様だお
229日本@名無史さん:2008/07/31(木) 01:02:25
俺、赤穂浪士の子孫。

でも無職w

子孫こんなんでソミマセ〜んw
230日本@名無史さん:2008/08/03(日) 18:19:54
薩摩藩の郷士ですいませんねえ

自慢できる家柄ではありませんがw
231日本@名無史さん:2008/08/04(月) 16:26:42
西郷さんとは面識あったの  
232日本@名無史さん:2008/08/04(月) 23:01:05
ないと思う。西郷さんは城下士だから。

鉄道すら通ってないド田舎の麓ですよw
出水とか知覧のような手入れの行き届いた屋敷ではないけどね・・・
233日本@名無史さん:2008/08/05(火) 21:04:29
>>230薩摩郷士は士族じゃねいの?スレ違い
234日本@名無史さん:2008/08/06(水) 00:02:53
土佐なんかと違うのかな
235日本@名無史さん:2008/08/06(水) 01:33:08
西郷は薩摩の庄屋にも相手にされてないくらいの格式侍
236日本@名無史さん:2008/08/10(日) 20:09:04
>>233
他藩では庄屋クラスなのに士族扱いだからすいません、って言ってるだけです
237日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:40:17
薩摩郷士のほとんどは士卒クラス。
武家に「契約社員」のように仕えていた。
明治維新は、そういう扱いに不満を持っていた彼らが起こしたクーデターと言えなくもない。
238日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:10:29
>>237
未だにこんな事言ってる人がいるとはオドロキ
239日本@名無史さん:2008/08/14(木) 00:41:55
自ら士族を捨て平民になった福沢先生は素敵です
240日本@名無史さん:2008/10/06(月) 00:37:10
おれんち士族の家系なんだよな。
今は落ちぶれているけど…。

証拠としては
@1858年に作成された○○藩家中分限帳に5代前の先祖さんの名前がある。
名前、石高、年齢、居所、役職、所属、等が記載されている。
A1869年に作成された○○藩士族登録簿に4代前の先祖さんの名前がある。
等級、名前、石高、等が記載されている。
石高によって1等〜5等に分けてある。足軽等は士族ではなく卒。
@は編集されているので図書館で見れる。
Aは内緒で見せてもらった。

241日本@名無史さん:2008/10/06(月) 06:47:41
内緒ってどういうこと?
図書館とかじゃなくて個人蔵ってこと?
242日本@名無史さん:2008/10/10(金) 00:26:35
分限帳は製本されて誰でも自由に閲覧できるが、
士族登録帳はオ−プンにしていないらしい。
係員に元本を見せてもらった。
243日本@名無史さん:2008/10/10(金) 00:37:51
土佐藩など1番身分制度キツかっただろう。
244日本@名無史さん:2008/10/10(金) 00:40:31
>>236
薩摩藩は庄屋は庄屋であり武士ではなかった。
245日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:01:31
土佐藩は旧長宗我部の家臣をほとんど採用しなかったらしい。
採用した武士も位としては最低のクラスだったと聞いている。
その為幕末まで山内家の家臣と旧長宗我部の家臣はもめていたらしいね。
土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎なども元長宗我部の家臣
246日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:06:57
>>245
坂本龍馬は足軽の郷士身分 後に脱藩三度 死罪相当の浪人
247日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:15:02
>>245
>幕末まで山内家の家臣と旧長宗我部の家臣はもめていた
厳密には無関係。長宗我部が滅びて二百年以上経過しているからな。
郷士階級は長宗我部系と言われるが、実際はごく少数。
多くの長宗我部家臣は、途中で血筋が絶えたり、離散している。
新規で郷士になった者が、カッコを付ける為に長宗我部家臣の家系と名乗っているのが圧倒的。
つまり、山内・長宗我部の争いではなく、上士と郷士の身分差別の争い。

>土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎なども元長宗我部の家臣
 坂本の本家は商人。商人が郷士の株を買った結果できたのが坂本家。
故にもととも武士ではない。
248日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:15:23
足軽クラスの身分が日本を変えたと言っても過言ではない。
249日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:17:12
>>248 それは同意する。
250日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:19:31
後各藩理解者であった家老
後藤象次郎など
幕臣 勝海舟
251日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:25:08
小生は長宗我部元親、盛親ファンなんだよな。
252日本@名無史さん:2008/10/10(金) 08:05:33
>>245
土佐藩上級武士(馬廻組)の吉田東洋や谷干城は長宗我部旧臣の家系
253日本@名無史さん:2008/10/10(金) 08:31:12
吉田東洋が上級武士(馬廻組)と言ってもたかだか200石
谷干城の禄高は知らないけど
長宗我部旧臣の家系では最高クラスじゃないの?
254日本@名無史さん:2008/10/10(金) 11:01:36
吉田東洋は執政だし山内家世臣で家格馬廻の二百石ならば歴々の上士
255日本@名無史さん:2008/10/10(金) 21:15:29
失礼しました
当藩の二百石といえば150位ほどなので。
256日本@名無史さん:2008/10/10(金) 22:49:33
華族になりそこねた大沢氏の子孫です
257名無し:2008/10/11(土) 00:00:20
小牧長久手で討ち死にいたした
258板東次郎:2008/10/11(土) 21:45:51
いいか
陪臣ごとき卒の糞ぼやきと また我が一門のような元は地侍なのに庄屋になった家のぼやきと一緒にしないでもらいたい

陪臣ごときが男爵だのいつまで夢見てんだたわけが
武士でもないくせに バカじゃねえの?
我が庄屋一門の足元にも及ばない腐れ身分が なめるなよ

汚らしいん

しかし庄屋は恥ずべき帰農ではない
江戸初期 上士から帰農した庄屋は凄い多いよ
陪臣ごときは永遠の馬引きのくせになめんなよ
259日本@名無史さん:2008/10/12(日) 14:08:15
>>258>江戸初期 上士から帰農した庄屋
 誤解の多い表現だが・・兵農分離の最終形態として新しく移封してきた
大名が家臣が少ない為、地侍(庄屋)を騎馬身分で徴発することは初期には
普通に見られることだが・・・
260日本@名無史さん:2008/10/12(日) 14:13:35
逆もあって減封国替え大名が家臣を自由契約にすることもあったんでない?
261日本@名無史さん:2008/10/12(日) 15:51:05
また糞基地外庄屋か
いい加減自分が生まれた事自体が大失敗だと気付けよ
262日本@名無史さん:2008/10/12(日) 15:54:22
庄屋ど田舎百姓全面スルー
日本史板鉄則
263日本@名無史さん:2008/10/14(火) 00:41:00
まあ、当時は上士≒庄屋だったかも知れんが流石に260年経つと・・・
264日本@名無史さん:2008/10/14(火) 01:09:35
そうだよ。俺なんて五世王の子孫だけど1000年以上経って
コテコテの平民だよ?
265日本@名無史さん:2008/10/14(火) 01:29:59
>>263
身分わきまえなさい。
そもそも上士って・・・・・なに?
266日本@名無史さん:2008/10/14(火) 01:52:11
上士、下士って土佐藩で聞いたことがあるけど
我藩でそんな呼び名は使っていないんだよな。
267日本@名無史さん:2008/10/14(火) 02:11:08
>>266
土佐藩独特なシステムだな!
聴いたことがない。
268日本@名無史さん:2008/10/14(火) 03:04:05
>>267
藩体制にもよるからね。
庄屋の身分は農民頭
269日本@名無史さん:2008/10/14(火) 03:36:24
過去帳なるものみてきた。

先祖は三好浅野藩の山城の城主
○田かくざえもんたんばのかみ

福岡に移住し造り酒屋を営んだらしい。
270日本@名無史さん:2008/10/14(火) 07:09:49
よかったですね。
ご先祖を大切にしてくださいね。
271日本@名無史さん:2008/10/14(火) 08:14:38
上士、中士、下士
どこの藩でもある
272日本@名無史さん:2008/10/14(火) 10:05:14
いきなり脈絡ないレスだなおい
273日本@名無史さん:2008/10/14(火) 12:14:10
上士とか中士下等とか下士上等とか明治維新の時に各藩であらためられた
274日本@名無史さん:2008/10/14(火) 12:34:10
それって士族の話では?
275日本@名無史さん:2008/10/14(火) 12:49:31
士農工商の話しで実際は基本的に武士>町人>農民>被差別民ですが、
江戸時代の笑話にこんな話があります。

とある、剛勇な武士たちが集まる道場がありました。
その道場に居る武士たちはまさに無敵状態で近隣から恐れられてました。
しかし、ある日、その道場に小柄で貧相な男が現れて「相撲を取らせろ」と要求してきました。
すると、その男と組みあった道場の武士たちは次から次へとコロリコロリとその男に投げ飛ばされていきます。
あとで話しを聞くとその小男は実は金貸しの商人で道場の武士たちは全員、その男に金を借りていたのだそうです。

まあ、武士が偉いといっても、実質は現代と同じで金のある商人よりは立場が低かったわけです。
ましてや江戸時代の武士は生活に困窮してましたし。
276日本@名無史さん:2008/10/14(火) 13:18:08
ことわざ

武士は食わねど爪楊枝

負けるが勝ち
277日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:53:13
最近、墓を求めた人が墓石に「○△城主子孫」って彫ってあったな。
ぜひ一度会いたいとおもっている。
278日本@名無史さん:2008/10/14(火) 15:31:26
庄屋ぐらいになれば戦国期は城主ってのも多いだろうに・・・
 まあ、城って言っても小さな砦程度だろうが
279日本@名無史さん:2008/10/14(火) 15:46:53
>>278
よくて“ど”田舎に屋敷ぐはい。
城はまずない
280日本@名無史さん:2008/10/14(火) 19:18:58
スレ違いはイラネ
281日本@名無史さん:2008/10/15(水) 15:39:12
【世襲】閨閥支配国家日本【政略結婚】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1224049613/
閨閥の日本史 (文春新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/4166603019/
282日本@名無史さん:2008/10/15(水) 21:37:31
>>261 爆笑!!!!
その一言であ庄屋消滅!
283日本@名無史さん:2008/10/16(木) 19:04:54
慶応年間、500両もの大金を献上して「永代郷士」
でも、あっという間に御一新。
お金返して!
284日本@名無史さん:2008/10/17(金) 06:43:04
武士の子孫という称号と
話しの種ができたんだし。
損ではないよ。

そもそも君のお金ではないし、
寄付しなかったとしても君の先祖が遊びに散財しただろう。
285日本@名無史さん:2008/10/17(金) 14:53:59
>>283士族にはなったの?
286283:2008/10/17(金) 19:16:44
>>284-285
確かに、笑い話の種にはなるのがせめてもの救いですがw

うちとこの藩が「奥羽諸賊ト同盟,王師ニ抗衝」してしまった為か、
結局士卒には成れませんでした(ry
287日本@名無史さん:2008/10/17(金) 19:33:38
いや。ほとんどの郷士は平民なはずだが薩土肥と郷士の多い地域が官軍
のなったせいで士族数を押し上げてるね。
288日本@名無史さん:2008/10/17(金) 20:56:08
たしかに
289日本@名無史さん:2008/10/17(金) 22:19:17
うちは郷士だったが、博徒になったため廃嫡された当主の息子がその筋の者を率いて東征に少し参加しただけで士族だよん。
後に博徒は廃業したから後を継いでる。
似たようなケースで次郎長は浜松藩に登用されてて、維新時に功績があるけどどうなのかな?
290日本@名無史さん:2008/10/18(土) 02:21:19
>>287
肥前佐嘉藩(鍋島藩)の士族数は本支藩併せて20,014人
其の後佐賀の乱にて江藤新平ほか230余名が徐族となったそうな。
291日本@名無史さん:2008/10/18(土) 03:42:21
長州は余った家臣団は帰農させてるから郷士はいないのね
292日本@名無史さん:2008/10/18(土) 18:09:56
帰農といっても侍身分のまま土着だろ。
湯田温泉に土着した井上馨の生家みたいに。
侍のままだから、息子が上士の家に婿養子に行けるし、殿様の小姓にもなれる。
293日本@名無史さん:2008/10/18(土) 18:21:49
上杉もリストラせず、農村に土着させたな。こっちは下級武士主体だが。
294日本@名無史さん:2008/10/18(土) 20:20:44
暇を出された侍は多かったのでは?
295日本@名無史さん:2008/10/18(土) 20:37:36
毛利とか上杉はあんまりリストラしてないんじゃないの?
毛利は安芸の国人連中をぞろぞろ引き連れて防長に入封してるし、
上杉も減封につぐ減封にもかかわらず大量の家臣団を維持したから、
経済的に行き詰ったわけだし。
296日本@名無史さん:2008/10/19(日) 06:18:42
>>295
秀吉の死〜関が原までの軍拡で召抱えた大量の武芸者たちはリストラしたけどね。
297日本@名無史さん:2008/10/19(日) 09:16:14
郷士から華族になった我が家は勝ち組
298日本@名無史さん:2008/10/19(日) 11:32:45
長州は結構帰農させてるよ。
299日本@名無史さん:2008/10/19(日) 11:52:22
それは上記の井上聞多家みたいに、侍身分のまま土着したってことでしょ。
300日本@名無史さん:2008/10/19(日) 12:07:23
いや唯の百姓身分。
奇兵隊は根底にそういう人達がいたかららしいよ
301日本@名無史さん:2008/10/19(日) 13:18:24
>>299
井上家は在郷の士ではあるが土着したとは言えない。
基本的に萩居住による家計逼迫がその要因であり藩法令では在郷期間も期限つきである場合が多い。

302日本@名無史さん:2008/10/19(日) 13:51:45
井上家や佐藤栄作の家みたいに、藩士身分のまま土着した家もあるよ。
長州藩では経済的理由から藩士が生活費のかからない農村に土着して、
半士半農の生活を送ることを認めていた。

井上家は戦国以来の名家で湯田に土着したが、身分は百石の大組(上士)。
だから聞多は上士の志道家に婿入りできたし、藩主の小姓にもなれた。
佐藤家ももとは萩城下に住んでいたが、江戸後期には田布施に土着した。
藩士の身分を保持していたから、幕末の信寛は萩の明倫館に学んでいる。
303302:2008/10/19(日) 13:54:07
失礼。>>301が説明してくれてた。
「土着」とか「帰農」という用語を広く解釈しすぎたかな。
304日本@名無史さん:2008/10/19(日) 16:49:41
佐藤栄作の佐藤家は名家でも何でもない。ただの出自捏造のエタ侍だよ
305日本@名無史さん:2008/10/19(日) 16:56:23
おれも佐藤、、、
306日本@名無史さん:2008/10/19(日) 18:55:27
長州の佐藤栄作の家は毛利本藩の遠近附だから中級武士だな
307日本@名無史さん:2008/10/19(日) 19:03:26
おれの先祖が秩父戦争で官軍と戦い、宇都宮戦争でも官軍と戦った挙句
「平民」に落とされた・・・
遺言じゃないけど書物に、ものすごい恨み節が書かれているよ!!

小さいが城持ちだったのに・・・。薩摩は裏切り者と俺も思ってるよ
308日本@名無史さん:2008/10/19(日) 20:04:35
落とされたんじゃなくて元々士分じゃなかったんじゃないの?
309日本@名無史さん:2008/10/19(日) 22:51:48
1180〜1185年
朝廷から全国
守護や地頭の統治により
まず、東北地方や北海道などの地域は存在しなかった。
310日本@名無史さん:2008/10/20(月) 08:02:46
>>309
そもそも朝鮮野郎の大和小僧が無いものなんだが。
311日本@名無史さん:2008/10/22(水) 01:55:03
武田軍の武士が母方の先祖。
菱に木瓜の四方木瓜が家紋ですた。

が、ひいじいちゃんの代まで農民………
312日本@名無史さん:2008/10/22(水) 02:10:04
>>304
>佐藤栄作の佐藤家は名家でも何でもない。ただの出自捏造のエタ侍だよ

それでどんな「出自」を「捏造」しているの?
313ゆきひろ ◆96C/A.k1mM :2008/10/22(水) 03:41:50 BE:291562144-2BP(171)

明治政府が調査し国立公文書館に保管されている資料によると
当時で資料によってまちまちだが、大体平均して平民92%、武士6%、華族1%、
その他神官など雑1%とあるがな。士族・華族なんてそう滅多にいるもんじゃないんだよ。
国民の1割にすら満たないような矮小的な数字でしかない。
このスレには郷士を僭称する輩がやたらと跋扈しているが、
昔は金・土地持ちで〜とかいう伝聞や仮冒された家系図なんか信じてないで、
江戸時代の人に当たる先祖の除籍謄本取り寄せて、出身藩の分限帳でも調べて名前が載っているか調べてみろ。
きっとそこには伝聞や偽造家系図とは違った結果が出ることだろうよ。
314日本@名無史さん:2008/10/22(水) 03:58:27
郷士で調べたらこんなのあったけど信憑性はあるの?
ttp://eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2005/09/__47cd.html
315日本@名無史さん:2008/10/22(水) 09:59:07
>>314
興味深いな
316日本@名無史さん:2008/10/22(水) 10:06:27
興味深くない件について
317日本@名無史さん:2008/10/22(水) 17:46:00
家筋由緒の無い郷士って自称苗字帯刀者?
318日本@名無史さん:2008/10/22(水) 18:30:31
【職業柄】

動物の皮剥ぎ業者=エタ


牢屋の番人=ヒニン


所謂、これが特殊部落民と言われた人々です。
319日本@名無史さん:2008/10/23(木) 10:59:37
>>312
佐藤チョン作は、東北名門信夫佐藤家の直系末裔だとほざいてた、まさに朝鮮ばりの出自捏造野郎だよ
そうほざく根拠など一切示さず、ただ言い伝えだの、根拠のない妄想とでひたすら信夫佐藤を自称
たかが本州末端のエタ侍程度に毛が生えた家系のくせに、捏造根性は徳川ばりにイッチョ前

>>312
あの、それらの先祖を示す書類はどこで手に入れられるの?
320日本@名無史さん:2008/10/23(木) 12:57:30
長州の佐藤栄作の家系図なら公開されてるし有名だよ
321日本@名無史さん:2008/10/23(木) 13:30:10
>>313
先祖代々17代くらいまで書きついできた、無くなった人の名を記す手帳があるんだが、そういうのはどうだ?
322日本@名無史さん:2008/10/23(木) 16:16:17
東北といえば安倍晋太郎-晋三前首相父子の家も、安倍宗任の子孫を称してるよな。
長州には、東北にルーツを求める伝統でもあるのか?
323322:2008/10/23(木) 16:21:00
晋三前首相(×)

晋三元首相(○)
324日本@名無史さん:2008/10/23(木) 16:28:54
安部氏なら本当かどうかは別として不思議はないな
前九年の役の後、死罪を免れた宗任や一族が始めは伊予に、次に筑前に流された
藤原経清の一子である清衡が後三年の役を経て奥州を掌握すると
本人か子孫だったか忘れたが宗任の娘と婚姻とかしてる
このように流罪といってもかなり緩いから安部氏の子孫が長州にいても違和感はない
325日本@名無史さん:2008/10/23(木) 20:27:42
>>324
いや、ここは一応学術板なんだからさ、
>不思議はないな
とか、
>(宗任が伊予や筑前に流罪になったからといって)安部氏の子孫が長州にいても違和感はない
とかじゃなくて、
その伊予や筑前から、どう長州の安倍家に繋がるのかを客観的史料などによって説明できないと上の陸奥・佐藤氏と佐藤栄作の家との繋がりと同様、
話にならないと思うんだが。
326日本@名無史さん:2008/10/23(木) 20:35:40
一度総理大臣になれば
元総理とつけるのが日本の習わしです!
327日本@名無史さん:2008/10/23(木) 21:42:43
>>325
学術板と言ってもねー。
そんな資料出して説明してるレスがこのスレ内に限ってもどれだけあるんだか。
328日本@名無史さん:2008/10/23(木) 23:06:20
2chとはいえ、ふつうにいっぱいあるだろ。
329日本@名無史さん:2008/10/23(木) 23:06:52
長州人は息を吸うほどに嘘を吐くので有名
330日本@名無史さん:2008/10/24(金) 11:07:51
>>329
スペシャル禿同

>>320
そんな家系図なんか信憑性などどれほどある?
かの蜂須賀家ですら、家系図は天皇につながっちゃってますよw
徳川に至っても、藤原、源 得川などなどどれほど名字捏造してることか。
まだ徳川なら捏造もいたしかたないが、たかが末端長州のエタ侍の家系図になんの信憑性がある?
どうせ、江戸初期に捏造家系図を作りて、城下に仕官した腐れ根性野郎だよ。東北の佐藤姓も、どいつもこいつも信夫佐藤を自称するからな。
まさに佐藤チョン作はその最たるものだ
331日本@名無史さん:2008/10/24(金) 16:41:52
>>330家系図の信憑性なんて疑ったらダメダメ
 ウチに田舎じゃ山城に近いところが旧家だが平野部の豪農が系図をでっち上げ
ウチより旧家ってことに田舎じゃ陰口たたかれてるのにね

 又、明治期の成金の家が我らが先祖はOO(歴史上の偉人)だなんていってる。
代々小作人だろうがってね。
332日本@名無史さん:2008/10/25(土) 00:08:57
俺の父方の親、砕石事業に失敗、土地を失う
父、事業失敗全てを失う
母親の母方の曽祖父、連帯保証人になり財産を失う
母親の祖父、戦争で親をなくし土地を詐取され、家を失い、壁の無い粗末な小屋を借り布団はワラ風呂はドカン
冬に着る物も買えず単シャツにステテコでリアカーを引いて鉄クズを拾って売って生活していたが、武士は食わねど
高楊枝が口癖だった為、差別だと言われ誰にも相手にされなかった。

これが、没落士族の現実だ、イマダニ差別だと言われる。
333日本@名無史さん:2008/12/16(火) 05:58:47
神山県士族。先祖は貧乏侍だよ。自分が先祖から受け継いだ物は魂だけ。日本人としての魂だけだ。日本をメチャメチャにする存在を絶対許さない。士族の皆は武士としての魂は受け継いでいるかい
334日本@名無史さん:2008/12/16(火) 08:43:00
魂ってなんだい?
335日本@名無史さん:2008/12/16(火) 09:37:05
身分が最低の商人が財力で武士より権力持つから身分は関係ないな
336日本@名無史さん:2008/12/17(水) 23:05:35
祖父が次男で実家と縁を切ってるため祖父の父が職人だったってことしか分からないよ。
祖先が士族なら良いとは思わないけど大正時代しか祖先のことが分からないともどかしい。
ちなみに母方の祖先は徳島の吉野川沿いで船頭として働いていたという。
337日本@名無史さん:2008/12/23(火) 22:27:22
先祖は平民なのでおまえらの下です。どうかこき使って下さい。

ちなみに私はニートです。
338日本@名無史さん:2009/01/11(日) 15:10:29
明治時代の大学卒業証書には、士族なら○○県士族って書いてあるね。
武士でも、下級武士は士卒とされ、その後、平民に吸収された。
明治維新をやらかした薩長士卒は、
どこの馬の骨が分からない「皇族」を薩長の山奥から引っ張りだし、
天皇に据え、武家を徹底的に愚弄する靖国神社を建てた。
そういう無知無能の輩が日本を支配し、その後の国民の不幸が始まった。
日本の下劣な文化は明治維新が発端。
339日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:48:08
うちの地方は江戸中期まで禄もらってる家が村々にいたけど最終的には名主になってる。何故dろう?
340日本@名無史さん:2009/01/12(月) 00:30:42
江戸末期の日本の人口3200万人の内、約400万人が上士・郷士・足軽・給人・下人だった。
士分の割合が1割以上というのは大袈裟な数字ではなく、
各藩に伝わっている人別集計からも求まる。
まあこれには武家の使用人のようなものがかなり含まれるけど。

ところが華族・士族・卒族創設の際、藩によって完全に基準が異なったため、
多くの藩の場合は上士のみが士族(130万人)、郷士・足軽の一部が卒族(65万人)、他は平民となり、
しかも卒族は廃止されて一部(10万人)は平民に統合され、士族は185万人となった。
大体約200万人(まあ使用人クラスを除いたとしても、郷士・足軽を中心とする約100万人)程度が泣きを見た。

郷士・足軽クラスでもほぼ士族になれたのは鹿児島藩。
341日本@名無史さん:2009/01/12(月) 01:42:52
薩摩は郷士といっても完全な兵力としての武士だからね.他藩は旧地侍の懐柔策や褒美のようなもので多分に名誉的意味合いで本来の武士ではないからね。
いざとなったら使えないよ。まあ旗本もたいして使えなかったが・・・
342日本@名無史さん:2009/01/12(月) 02:09:34
近代以前の日本の人口統計
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

府藩県別身分人員表に明治初年の各藩の士族人口がまとまっている。

江戸時代の1852年の鹿児島藩は、62万5365人中
諸士1万8171人、郷士10万4911人、私諸士4万7612人、家来・下人等7万3634人
これらはほぼ士族になった。

鹿児島藩は明治3年に総人口89万6817人中
華族9人、士族24万4700人、卒族9万5569人、神職3408人、平民54万7191人、その他5940人。

江戸時代の1825年の仙台藩+一関藩は総人口68万7802人中
一門・諸士・諸組・諸職人14万9465人。

領地を削られた仙台藩は明治3年に総人口23万9906人中
華族6人、士族2万9408人、卒族1万3091人、神職683人、僧尼4327人、平民19万1244人、その他1147人。
一関藩は明治3年に2万6198人中
華族4人、士族1658人、卒族1149人、神職147人、僧尼56人、平民2万3113人、その他71人。
343日本@名無史さん:2009/01/12(月) 02:23:07
>>341
旧地侍なら完全な兵力になれると思うけど。
344日本@名無史さん:2009/01/13(火) 02:34:17
>>342仙台藩の郷士悲惨だな。しかし数が多いな
>>343江戸初期ならともかく中期以降はただの百姓だろ。薩摩郷士のように郷中教育やっていたとは思えん
345日本@名無史さん:2009/01/18(日) 23:02:07
士族の何がいいんだ?特権がある華族ならまだしも
うちの先祖は山口県士族だったけど事業当てたり陸士入るまでは貧乏してたらしいぞ
346日本@名無史さん:2009/01/19(月) 02:21:48
>342
直参の一ノ関はともかく、白石領や角田領などは、石高は大名並みだが、家来たちは陪臣故にみな平民にされてしまったのかな?そういえば、あの辺りで士族であった家など聞いたことがないな・・・。今度、市史でも調べてみようと思う。
347日本@名無史さん:2009/01/19(月) 02:36:40
亘理と白石は北の大地で士族になったよ
348日本@名無史さん:2009/01/19(月) 08:04:41
家は、氏族では無いが
名家で、古代日本の歴史から近代まで、深く関わって来て居る。
氏族名家図鑑に、名だけが記載されている。
検索してみると
冒険家:測量士一族
神社宮司
剣聖:剣道師範のマイナーな著名人が出て来る。
349日本@名無史さん:2009/01/19(月) 08:07:02
海軍・海賊とも関わりがある。
350日本@名無史さん:2009/01/19(月) 08:13:23
>>348
それはただ単に苗字が同じだけ全く別の系統。そんな例たくさんあるわ。氏族名家図鑑は役に立たないって。
351日本@名無史さん:2009/01/19(月) 14:50:46
全国の鈴木さん神社の鈴木神社と同じく
家の名前の神社が山口県にあり
神社系統に京都の知名度高い神社や靖国神社にも関わって居る。
元のルーツは、新羅神社みたいだがね。
352日本@名無史さん:2009/01/19(月) 14:57:47
歴史によると、同じ姓の測量士の人が当時、未開の地に神社を建ててたりするから
日本人大和民族のルーツの担った一族な気がします。
353日本@名無史さん:2009/01/19(月) 15:03:59
因みに、家の姓発生地の何軒かある内の本家だから
家の墓に沢山遠路はるばる
分家の遠縁の親戚がやって来て案内に大変でしたね。
354日本@名無史さん:2009/01/20(火) 08:05:04
士卒族欠格者の話しはスレ違い
355日本@名無史さん:2009/03/05(木) 23:28:41
俺の先祖は士族だよ。

しかも教科書にも登場する上級士族の傍系。
俺は高学歴資産家だし昔からずっと、上位1%の身分だな。
356355:2009/03/05(木) 23:31:16
俺は、傍系と書いたが
それは教科書に出た有名人物の傍系という意味で
士分としては直系の家系。

まあ俺の頭のよさも遺伝だろうな
357日本@名無史さん:2009/03/07(土) 09:16:43
明治〜1960年代くらいまでの著名人(wikiに載るレベル)の先祖って
スポーツ芸能関係者を除くとほとんど江戸時代の武士階級だね
やっぱ知力も遺伝するのか・・・
358日本@名無史さん:2009/03/07(土) 09:52:26
教育にかける意気込みが違うからな
359日本@名無史さん:2009/03/07(土) 10:10:19
>>358最近は士族でも子供に自由に教育してる親もいるがな
360日本@名無史さん:2009/03/07(土) 10:14:22
>>356
自称田舎侍の直系乙w
361日本@名無史さん:2009/03/07(土) 10:26:33
>>357
教育なしの小卒で極貧から成り上がった人間でも
没落士族の家系がほとんどだしね
間違っても百姓の家系からは出てこないw
362日本@名無史さん:2009/03/08(日) 23:09:24
「家」の意識ってのが、例え没落した家系でも、親から子へ、子から孫へと受け継がれるからな。
わかる人はわかると思う。
363日本@名無史さん:2009/03/08(日) 23:40:59
頭がそうとうに悪いか気がふれてるやつがいるな
364日本@名無史さん:2009/03/14(土) 01:20:56
武士の子孫や、知力面や精神面でいい遺伝をしてるのは
確かだと思う。
このへんの話は、当事者なら理解できるよね。

昔と言っても、3代から〜5代くらいまえの人が何百年も
百姓とは違う修練をしてきた武士でしょう。
同じだと言うほうがおかしいと思う。

特に最近の研究では、母親の知能と子供の知能は非常に類似性があるんだよね。
知能だけじゃなく、教育熱心な親や、教育に必要な資金がある武家出身者は
上流階級を引き継ぐのは当然だよ。
365日本@名無史さん:2009/03/14(土) 02:50:10
十津川の山奥の百姓が士族になれるんなら俺だって
 
と思ってもダメなものはダメ
366日本@名無史さん:2009/03/14(土) 11:41:38
>>364
大学時代日経新聞の私の履歴書を20年分くらい読んだことがあるんだけど
本物の貧乏一般庶民って250人中野村監督ただ一人だけだったw
あとは名門、資産家、知識人あるいは元名家で
やっぱ先祖の知的努力が子にも遺伝するんだと思った
367日本@名無史さん:2009/03/14(土) 12:35:45
バカ
もっといるよ
368日本@名無史さん:2009/03/14(土) 13:48:24
>>367
否定するだけか
369日本@名無史さん:2009/03/14(土) 13:54:32
遠藤周作は?

370日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:04:52
そもそも
「天は人の上に人をつくらず」と言った人自身が
江戸時代の上位10%に入る階級出身だからな
本意は武士階級の中に上下はないという意味だったんだろう
371日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:16:40
福沢は中津奥平家の下士だもんね
しかも三代前は新規召抱の足軽
372日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:23:21
中津藩の下士と中士以上では使う言葉すら違ったなんて旧藩事情に書いてるしよほど恨んでたんだろう
まあ二度と戻ってくるもんかと中津に唾して出ていった福沢だから
373日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:26:30
そのくせ奥さんは中津藩の門閥諏訪氏の娘
374日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:48:55
て言う事は福沢はコンプの反動w
375日本@名無史さん:2009/03/14(土) 15:41:17
>>373
諏訪氏じゃなくて土岐氏じゃないか?
376日本@名無史さん:2009/03/14(土) 16:15:00
でも福沢は平民
377日本@名無史さん:2009/03/14(土) 16:22:01
て言う事は福沢は武士にコンプ持ってたんだなw
378日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:17:34
うちは家老家から四回かな?幾度も分家して幕末には一両扶持(藩士の子が保証されていた最低待遇)で、
移封の際に金が無くてついていけなかったのかリストラされたのか知らんが旧領に残ったのに何故か士族。
帰農出来るような余裕は無かったようで職人をやってたと。
本家の戸籍に入ってるわけじゃないし、なんで士族なのかな?

それから明治以降も三代は旧藩士家との縁組みだったけど、その相手が典医、郡奉行、大納戸のそれぞれ本家で
旧藩内でもれっきとした家ばかりなのは何故か。
逆差別にあったようで嫡男なのに分家して平民になり故郷を離れた(でも家は継いでる)
曾祖父もちゃっかり大納戸から嫁貰ってるんだが。
福沢と同じパターンだな。
379日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:27:01
福沢は自ら士族になるのを拒否して平民籍になったんだが・・・
380日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:46:56
>>378
福沢とどこが同じなんだよ?違いすぎるよ
381日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:48:19
>>380
士族やめて故郷を離れて嫁は旧藩士家から
382日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:49:58
>>364
田中角栄もよく勘違いされてるけど農民の家系じゃないし
豊臣秀吉も最近では百姓出身説は否定されてるよね
383日本@名無史さん:2009/03/14(土) 18:45:46
>>381
福沢とまったく違う
そもそも福沢は中津藩士
384日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:00:01
>>383
幕末の移封を徳川の駿府移封絡みと仮定すると仕えてた藩は福沢と同じく譜代だろう。
維新の数年前に藩士を辞めた以外は福沢と共通だな。
藩士の子が保証されていた最低待遇というのは、いくつかの事例から藩士庶子と見るのが妥当で、
足軽中間は含まれないだろう。

全く違うというからには他にも違う所がたくさんあるんだろうな、それはどんなことだい?
385日本@名無史さん:2009/03/15(日) 03:01:43
>>384
福沢阿適塾の秀才で幕臣でもある。どこが同じなんだよw
386日本@名無史さん:2009/05/05(火) 13:28:38
ほほー
387日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:22:13
>>380>>383>>385はなんでこんなに必死なんだろ。
388日本@名無史さん:2009/06/28(日) 03:28:39
こっち方面の専門的な勉強をしてないから間違えてたら指摘してくれ。
・知能は遺伝的要素もあるし、環境的な要素もある。
・旧家あるいは「旧家であった」という認識を持つものは「現在の地位を守るため」、「世が世ならば」という意識を持ちやすく、子弟の学問等に力を注ぎ、社会的な上昇志向が強い。
以上のことから上層の家系が次代もそのまま上層を占める傾向は否定しないが、

・実力主義の時代にのし上がったものは箔をつけるため頻繁に家系を偽り、捏造した。
・松平定信の時代に揃えられた緒家の家系図も信憑性は疑わしいし、また、優秀な人間を見つけ婿に入れる、あるいは財力のある人間が株を買い、士分になることは江戸時代の平時においてもあった。
・家系図の売買も表立ってではないが、普通に行われた。
・僧職、医者、技能職等は身分制の社会でも優れた者の上昇ルートとして機能した。
との前提が成り立てば、先祖の優秀性とはかかわりなく、自分の力量で社会的地位を確立した者はいるだろうし、また、表面上士分等であっても実際の血縁上そうであるとは限らない。ということが言えると思うのだが。
まあ、本当に一代限りで底辺からかなり上位まで駆け上がることはなかなか難しいとしても。
ちなみに私は個人的に最上徳内が好きだ。
389日本@名無史さん:2009/06/28(日) 04:58:26
>>388IQテストで欧米と日本の違いだが欧米は高IQは上流家庭がほとんどで日本は何故か傾向は見られず偏りがない。

 留保条件としては日本は初等教育の充実があり欧州は早々に職人にしてしまうので単純に比較不可
 又、支配層は基本的に異民族の可能性が高いのでDNA的に違う可能性もあるが数百年立ってるから影響は薄いかな
 
 米はギフテッドと呼ばれる高IQ児を育てるプログラムがあるらしいが頻度的には稀の稀だろうからね

 下級武士に関しては結構厳しい時代を明治以後過ごしていてかなり生活レベルを落としたのも多いと聞く。
 上級武士は姻戚も結びやすいから地主や成り上がりから珍重されるため生き残る可能性は高そう

 名主等努めた知り合いの家が何軒かあるが、どのいえも子供は中卒のニートだな親は宮廷卒だが
 基本的に子供への教育に興味が無いみたい。

 中学受験させる親は家柄,学歴コンプレックスがつよいのかもね。

 系図売りはいつの時代もあるが昔ほど家や家系図に重きを置かれていないような・・・今時家系捏造したら矛盾点だらけで。
 それよりは旧士族や旧名主だった家と姻戚を結べば、かなりの名門旧家と親戚になれる。
390388:2009/06/28(日) 08:58:16
>>389 レス サンクス!
そだね。財と名の結婚というのは古今東西ある話だよね。小説の題材としても事欠かない気がする。

家系図捏造もしなくてすむし。子供も一応真っ当に名乗れる。

IQの偏差が389の言うとおりだとすると、中国とインドを比較すると日本と欧米との比較と似たような結果が出るのかな?
中国(日本)対インド(欧米)的に。国としての教育的な傾注と社会状況(科挙のあった国の伝統とカースト制による職業分化)を考えれば成り立ちそうな気がする。

388を書いたときには忘れていたんだが、士族化へのルートとして
・美形であったので目に留まり、士族入り
というのもあるかな。特に女性。うまくいけば家来筋等の養女としてワンステップ置いて本人が士族に。子は当初妾腹や庶子扱いでもその後正式に家を継いで士族に。このルートだと、華族すらありえるのでは?
念頭にあるのは綱吉の母(桂昌院)や吉宗の母(浄円院)なんだけど。(あれ?美形ではなかったか?)
と、いうわけで姻戚ルートを使えば今でも「元華族」あるいは「元皇族」化も可能かもしれん。

士族になれなかった悲しみを、華族になることで埋めるか?
それが幸せかどうかは知らんが…
これもまた別ルートの例だが、黒田さんもいろんな見えない苦労があるんだろうなぁ。
391日本@名無史さん:2009/06/30(火) 11:54:50
足軽・中間まで恩恵をこうむったと言われる
明治維新の長州藩士
その中で俺の先祖は官に就かず北海道に開拓に行った
今でも無駄なプライドと要領の悪さは先祖代々遺伝している
392日本@名無史さん:2009/06/30(火) 12:01:18
>>391自分に自身をつけることですね無駄なプライドは先祖に対するプライドでなく自分の弱さの裏返しらしい
393日本@名無史さん:2009/08/29(土) 15:50:29
俺の先祖は華族

つまりおまえらより断然偉いってわけだwww
394日本@名無史さん:2009/08/29(土) 18:18:11
>>390
江戸のハンサムな町人がいきずりの大商家の後家さんといい仲になり
後家さんのお金で侍になった話を思いだした。

この兄ちゃんは法的には義理の息子として、後家さんを最後まで面倒みたらしい。
いい話だ。

395名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:26:04
先祖がどんな人であれ
○族だから子孫が偉いとか単純阿呆
396名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:48:18
俺の先祖は武士。本当の話、2割もいないんだよね。 
念のために言っておくが、先祖の1人に武士がいるって意味じゃないぞ。 代々武士の家柄だという意味だ。
397名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:21:37
>>396
先祖が最後に人を切り殺したのは何時ですか?
398名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:38:21
>>397
さあね。420年くらい前じゃないの。江戸時代は一応平和だったらしいから。
399名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:48:12
おいらの先祖は戊辰で少なくとも何人かの首を落としとるな。
といっても味方の首だが。
政府軍に敗北して後、隊の生き残りが切腹したとき
剣の達人であった為介錯役をやった

400名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:46:19
嘘つくならもう少し面白い話にしてくれよ
401名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:13:41
とりあえず山口の貧乏武家だから維新にはあんまり関係無かった
が、戦前戦中に大陸で結構な財産を築いてたんだよな〜
爺さんはガキの時分にフィルムで撮影されてるし乳母付き

戦争に負けてすってんてん
402日本@名無史さん:2009/08/31(月) 02:46:42
>>396−7庄屋の家系ですが戦国期は殺しまくったぽい・・・感状が結構あるし
武田家の家臣だかなんたらだったらしいが武田滅亡で庶民へOrz江戸期は庄屋やって苗字帯刀。

 士族になれずしまい
403日本@名無史さん:2009/10/09(金) 08:46:24
名誉称号として貴族制度を復活してほしい。平民だけじゃつまらん。功のあった人に授与したらいい
404日本@名無史さん:2009/10/16(金) 05:47:54
勲章だけじゃ不十分ですか?
405日本@名無史さん:2009/10/17(土) 04:02:29
詳しいことはわからんが俺の母親の方の祖父が士族だったと聞いた
406日本@名無史さん:2009/10/17(土) 09:54:16
詳しいことを知りたければ藩分限帳と県(藩)別士族帳を郷土資料館等で見る。
もっともご先祖の氏名が分らなければ問題外だがね。
407日本@名無史さん:2009/10/17(土) 17:34:48
神奈川だけどないんだよねそういった資料
408日本@名無史さん:2009/10/17(土) 18:55:43
神奈川県って藩あったっけ???
409日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:41:43
>>407

なんというナマケモノww
小田原藩の資料がありますが?
410日本@名無史さん:2009/10/17(土) 20:16:31
あ...小田原があったね、
411日本@名無史さん:2009/10/17(土) 23:10:30
>>409
いや小田原藩なんて神奈川の極一部の藩なわけで・・・
俺が言ってるのは「神奈川県士族帳」みたいなのはないって話
412日本@名無史さん:2009/10/18(日) 00:02:09
>>411

後学の為に、県単位で「某県士族帳」みたいなのを完備している県を
二・三、御教示ください

413日本@名無史さん:2009/10/18(日) 01:12:47
祖母方の先祖に上田藩士族がいて調べようと思ったら上級武士しか載っていなかった・・・下級武士でもないんだけど。

県別の人物大辞典で苗字を調べたら載っていたよ。
414日本@名無史さん:2009/10/18(日) 01:20:56
>>412
>>406に言ってくれ
415日本@名無史さん:2009/10/18(日) 06:12:39
>>412
それぐらい自分でググレカス
416日本@名無史さん:2009/10/18(日) 08:13:21

ググレナイカス>>407
417日本@名無史さん:2009/10/18(日) 08:18:09


415=407 負け犬の遠吠えwww



418日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:14:47
士族帳を見ると氏名、等級、秩禄が記載されている。
士族にも1〜5等までランク付けがあるが藩分限帳と照らし合わせば納得ができる。
因みに藩分限帳には氏名、石高、所属、役職、年齢、居所が記載されている。
但し藩分限帳は最新でも幕末であり、士族帳は明治初期になるので家督相続(代変り)してる家もある。
士族帳、藩分限帳の内容が全藩統一かどうかは不明。
419日本@名無史さん:2009/10/19(月) 09:35:54
俺の先祖は盗族
420日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:08:12
友達が森蘭丸の子孫らしい。確かに美形の一家。
421日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:35:22
>>418
佐倉藩だと九等まである
422日本@名無史さん:2009/10/20(火) 18:29:18
信州の郷士で士族になりそこね、戦前は華族になりそこね(学者で、、、まあ、なる方がマレだが可能性はあった)
423日本@名無史さん:2009/10/21(水) 02:45:46
>>422
 俺の祖母の実家と似たお家だな。
 祖母の実家の場合は、男爵家の分家に嫁いだ女性がいたり、
陸軍中将の娘が嫁いで来たり、別の男爵とも縁続きの嫁が来た
りしていたよ。
 同じ信州に本家筋(?)ともいう同姓の親戚がいてそちらも
学者が出る家だった。
 似た境遇だったら親戚かもね。
424日本@名無史さん:2009/11/07(土) 03:47:32
>382
田中角栄の先祖は分からないけど、父親の職業は"ばくろう"(馬を売る仕事)。
だから貧しくて苦労したらしいけど、
角栄さんは、頭も良くて仕事も出来る人だったそうだよ。
425日本@名無史さん:2009/12/25(金) 00:00:39
ほー
426日本@名無史さん:2010/01/09(土) 23:09:29
うちは平民だけど25年ほど前、大学から学術調査に来たよ
士族出の祖母は、平民の家に調査来るのはおかしいとか言って
協力しなかったようだけどw
居住地には苗字の小字があったり、大名家と家紋が同じだったりする
史実だと大名家と血縁関係があるようだけど、系図が無いので確定は出来ない
一応、旧華族に嫁いだ者もいるから悪い血筋じゃないと思うが…
427日本@名無史さん:2010/01/13(水) 05:48:43


旧華族っていっても、
ほとんどが関ヶ原以降の成り上がり。

江戸初期にもっともらしい家系図創作したが、
もとはといえば武装百姓。

この国で華族とえば、
ごくごく一部の公家・皇族関係であとはみーんな氏素性のない百姓。

ここの住人はなにがしたいの?

428日本@名無史さん:2010/01/14(木) 15:05:56
>>427
武家には武装百姓もいれば皇族下りもいるから、
百姓上がりの華族士族に対して、由緒正しい平民もいることを嘆くスレ?
429日本@名無史さん:2010/01/15(金) 18:16:32
父方ー武門橘氏 敏達天皇七世孫、橘清友を祖とする 贈 正一位 太政大臣
母方ー大神姓大神部氏族  豊後大友家家臣 大納言
430日本@名無史さん:2010/01/26(火) 21:50:40
>>426

>旧華族に嫁いだ者もいるから悪い血筋じゃないと思うが…

「旧」華族に嫁ぐのは別に特別なことでもなんでもないだろ
431日本@名無史さん:2010/01/28(木) 00:58:58
幕末に1万両献金して藩士に取り立てられたけど明治維新で士籍・家財没収された
普通に百姓やってた方がマシだったわ殿様のアホ
432日本@名無史さん:2010/01/28(木) 01:18:11
百姓で1万両って凄いじゃん
433日本@名無史さん:2010/01/28(木) 16:23:38
1万両ておいくら万円?
434日本@名無史さん:2010/01/29(金) 00:25:12
十億円くらい?
435日本@名無史さん:2010/01/29(金) 12:03:46
むしろ明治維新はそういう階級制を伊藤博文なんかがほとんど形骸化したから成功したんだろうな。
山県有朋や伊藤博文とか明治の元勲クラスで実際に国を動かしてた人は百姓レベルだった人が多いし。

大正以降は変な権威主義がはびこって階級が生じたことでまた社会に不均衡が起きた。
436日本@名無史さん:2010/01/29(金) 19:10:04
>>434
サンクス
437日本@名無史さん:2010/02/13(土) 19:14:50
>1
直系の系図があるのに「士族になれなかった」って先祖公家の人?

系図なくても先祖に士族がいなかった日本人は99%居ないだろ。
スレの意味不明。
438日本@名無史さん:2010/02/14(日) 15:25:01
>>437
帰農、辞退、次男三男…
>1にも書いてあるけど…

それに、99%って何のこと???
439日本@名無史さん:2010/02/17(水) 21:02:52

北海道の屯田兵の子孫だけど、系図なんてないぞ。
まあ貧民だからしょうがないか
440日本@名無史さん:2010/03/03(水) 18:59:42
むしろ屯田兵だから無かったのでは?
441日本@名無史さん:2010/03/04(木) 17:13:14
つうか直系以外は先祖でも子孫でもない
442日本@名無史さん:2010/03/09(火) 05:14:54
んなことないだろ
443日本@名無史さん:2010/03/10(水) 20:35:52
んなことなくないだろ
444日本@名無史さん:2010/03/10(水) 23:35:37
だな
家系は分家した人間を初代とするのが普通だし
445日本@名無史さん:2010/03/11(木) 00:36:43
傍系だろうが子孫は子孫だろ
それでなくとも氏だの姓だの通字だの一族血縁の証としてずっと大切にするような国なのに
446日本@名無史さん:2010/03/11(木) 00:47:20
家制度が名実ともに無くなった現代で何を言ってるのやら・・・
447日本@名無史さん:2010/03/11(木) 01:32:13
>>444
じゃー、俺は次男だから初代だな
448日本@名無史さん:2010/03/11(木) 04:36:52
>>447
次男と分家はちょっと違うわな。
家産の一部を男子に分け与えるのが分家。単に次男が都会に出て働くのとは違う。

ま、分割相続が一般的となってる現代では「御家」っつう概念じたい分かりにくくなってるね。
449日本@名無史さん:2010/03/11(木) 16:52:39
母親の実家に跡継ぎがいなくて二男である私が母親の家を継ぐ場合(もちろん母方の姓を名乗る)、
正当な子孫(母方の家の)と称していいかな。
450日本@名無史さん:2010/03/11(木) 17:10:21
養子縁組すれば直系となると思うよ

十代、廿代続いている家系だって養子縁組の繰り返しがほとんどだからね
451日本@名無史さん:2010/03/11(木) 17:51:13
>>450
養子縁組するつもりです。母系ではあるけど血はつながってるから全く筋違いなことではないと思ってました。
絶やすには惜しい家だということで母に頼まれ、私も母の実家の歴史を調べるうちに継ぐべきだという思いに
至りました。第三者の方の意見も聞けて安心しました。
452日本@名無史さん:2010/03/11(木) 18:43:17
家を大事にするのはいい事だと思うよ
何代も続いた名跡を継ぐ者がいないのは悲しい事だ
453日本@名無史さん:2010/03/11(木) 21:12:50
でもなまじ旧家だったりすると親戚付き合いがハンパなく面倒臭い
義理事がある度に婿養子に入って失敗したと思う
454日本@名無史さん:2010/03/11(木) 22:51:49
母親の実家と云うことは祖父母、孫の養子縁組だし最良のパターンだと思うよ
それに母親がついている訳だから、もし親戚がとやかくうるさい事を云ったら
ケツ捲くったらいいんだよ

少子化で後継がいない家が多い昨今良い話ではないか
455449:2010/03/11(木) 23:24:33
はい、実孫です。孫が養子になる、母系であるという点で正統な子孫と名乗れるのかどうか
心配していましたが、皆さんの御意見を聞いて、とにかく家を絶やさないための最良の策だ
という考えに至れました。 
456日本@名無史さん:2010/03/11(木) 23:35:54



                      ┌─────────
                      |たわけが!そのような綺麗事で
                      |この乱世を渡れると思うな!
                      └y────────────
                   ∧_∧
                  (#´Д`)
                  / lヽy lヽ
                 (⌒つ-∞L 〉
                ⊂二⊃ " )
                └─┘二二二⊃
457日本@名無史さん:2010/03/12(金) 01:32:54
母方の実家が御家制度がi色濃くのこる地域。
冠婚葬祭では、本家のじいちゃんを上座に座らせる。祝辞などを読み上げるのも本家のじいちゃん。
458日本@名無史さん:2010/03/14(日) 00:14:10
分家が士族になって本家が平民という屈辱
459日本@名無史さん:2010/03/14(日) 00:58:55
>>458
kwsk
460日本@名無史さん:2010/03/15(月) 00:02:48
>>459
うちは代々神主だったのだが5代前の当主が神職に継ぐの嫌がって
弟を分家させて神主を継がせた
そしてちょうど明治維新が起きて分家は士族になったというオチ
461日本@名無史さん:2010/03/15(月) 03:46:48
>>460
それ長男が分家になったってことじゃないか?
うちは後妻がきたから、先妻の子だったひいじいさんが分家してもらってできた家だよ。
おかげで「ホントは長男なのに」という思いと、「たんぼを分けて頂いきありがたや」という思いが混ざった複雑な感情を本家に対し抱いてる。

正しい定義は知らないけど、家産とか職を受け継いだ方が本家じゃないかな。
462日本@名無史さん:2010/03/15(月) 06:54:38
>>460
神職を嫌がった兄はどんな職に就いていたのですか?
463日本@名無史さん:2010/03/15(月) 10:57:15
>>460

>>461の言う通り、家産や先祖の祭祀を引き継いだのが弟なら
そっちが本家で、兄は分家初代でしょ
世間にはザラにあることだと思うけど
464日本@名無史さん:2010/03/15(月) 15:18:56

諸藩士や幕士で、帰農・帰商しなかったものは士族になったと
思うけど、神官はどの程度士族になったのだろう?

中小神社は神仏習合で僧侶が管理していたと思うけど
465日本@名無史さん:2010/03/15(月) 20:47:03
分家のうちは士族で本家は平民となった一族です
郷土史とか関係本に登場するので詳しくは云えませんが
466日本@名無史さん:2010/03/15(月) 20:48:32
郷士レベルだと嫡子以外は平民に格下げだったから泣けてくる。
467日本@名無史さん:2010/03/15(月) 21:01:52
族称制度なくなってもうすぐ100年近くたつのに未だに士族だったかどうかなんてどうでもよくね?
それに士族云々が幅を利かせてたのも明治のあいだくらいで
士族なんかより位階持ってるほうがステータスだったろ戦前は
468日本@名無史さん:2010/03/15(月) 21:09:33
どうでもいい人もいるし、興味のある人もいる。
でも、どうでもいいのに何で書き込むのかは不思議だw
469日本@名無史さん:2010/03/15(月) 22:50:34

スレタイ通りの愚痴ネタ、ありがとうございましたw
470日本@名無史さん:2010/03/16(火) 01:02:46
>>461>>463
なるほど
そういう見方もあるのか
今でもうちが本家と呼ばれているから何の疑問も持たなかった
本殿横にあった屋敷は明治に分家?に譲って、我が家は少し離れた山に新築している
土地は99%以上うちが持っているね
この場合はどうなるんだ

>>462
変な話しだけど武士になった
武士になりたくて神主を継がなかったそうだ
どんな職だか詳しくは分からないが同朋役という職に就いている
471日本@名無史さん:2010/03/16(火) 05:54:00
>>470
本家と自他ともに認めてるなら本家
472日本@名無史さん:2010/03/18(木) 23:40:19
江戸期の神主なんて一部を除いて地区の百姓がやってたそうな
473日本@名無史さん:2010/03/19(金) 00:50:16
それは神主じゃないよ
神主がいないような田舎や小さい神社なんかでは地域の人が持ち回りで代行したり
又は特定の人が代行してはいたが神主ではない
大きい神社でも寺でいうところの寺男みたいなのがいて雑用を取り持ったり
他所に使いにいったりしていた
江戸時代は僧や神主などは百姓と身分も別だし管轄も別だった
474日本@名無史さん:2010/03/19(金) 09:40:52
墓って身分によって規定がなかったのかな?
475日本@名無史さん:2010/03/19(金) 16:49:52
でもよく考えると士族になったからって何か意味あるのだろうか?
476日本@名無史さん:2010/03/19(金) 20:57:49
>>474あったけど守られていない。理由としては金銭の問題もあるし戦国期城主であった家さえも農民になることがあるわけで
そのような家が一般農民と同じ扱いのわけない

>>475
表札に士族と書いて旧身分を誇示するとか
477日本@名無史さん:2010/03/20(土) 10:10:23
>>475
藩士から士族になったものにはデメリットが多過ぎて各地で士族の反乱がおきた
喜んだのは士族階級になった足軽等の一部だろな
478日本@名無史さん:2010/03/21(日) 00:27:15
>41
米沢の通町というところで、半農藩士だったんですが、
『上杉文書』に名前が出ているかな?
もちろん足軽なんだろうけど、いちおう士族。
出ているはず無いよな。家系を調べられたら良いな。
479日本@名無史さん:2010/03/27(土) 11:16:54
足軽は卒族じゃないの? 地方によって違うのか?
480日本@名無史さん:2010/03/27(土) 11:45:22
士分 足軽
 ↓  ↓
士族 卒族
 ↓  ↓
士族 士族
    平民

代々足軽は士族、一代足軽は平民となったらしい
481日本@名無史さん:2010/03/28(日) 06:57:50
ていうか半農藩士って何?
482日本@名無史さん:2010/03/28(日) 08:43:16
藩によって士族、卒族に分けられた階級は違う
でも専業の足軽あたりだと、大抵の藩では最初から士族扱い。

卒族に落とされても大抵は明治中ごろには士族に吸収された。
483日本@名無史さん:2010/03/28(日) 10:09:19
うちらの藩は明治初年でこうだった

士族戸数 6516戸、男 15374人、女 15031人 男女計 30405人
卒族戸数 11515戸、男 27385人、女 25976人 男女計 53361人
484日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:51:21
士族・卒族の合計が5万人以上いた藩って、鹿児島藩、熊本藩、静岡藩、
金沢藩、佐賀藩、名古屋藩、高知藩ぐらいなんだけど

手元に『藩制一覧』がないから確認できないけど、もしかして支藩を含めた数字?
485日本@名無史さん:2010/03/29(月) 01:01:47
>>484
そー、佐賀藩なんだけど3支藩も含めている
486日本@名無史さん:2010/04/08(木) 19:45:13
>>228
砂敷いた桐箱に天皇が用足し後で、廃棄・交換役の人が京都府士族になったお。
487日本@名無史さん:2010/04/08(木) 22:43:50
愚痴らないんだったら士族スレに行けよ
488日本@名無史さん:2010/04/14(水) 01:07:58
卒族の廃止の前後の本籍人口の変遷を見ると、

明治5年には士族128万2167人、卒族65万9074人 (合計194万1241人)
明治6年には士族154万8568人、卒族34万3881人 (合計189万2449人)
明治7年には士族188万3265人、卒族7246人 (合計189万0511人)
明治8年には士族189万6371人、卒族4306人 (合計190万0677人)
明治9年には士族189万4784人

明治5年の時点で卒族だった人の9割ぐらいは士族になれたようだ。
士族は戸数が増えなかったので、大正7年になっても229万8719人で、
人口に占める士族の割合は、明治7年の5.6%から大正7年の4.0%に減っている。
489日本@名無史さん:2010/04/14(水) 11:16:08
鹿児島、佐賀あたりは反乱罪で士族から平民に格下げって多いんじゃないかな。
我が家もそうだったけどね。
490日本@名無史さん:2010/04/14(水) 15:45:15
爺ちゃん側うちはこの方代々百姓でした。
須坂藩の堀家にはずいぶん虐められたようです。

婆ちゃん側は郷士で須坂藩の殿様が毎年墓参りの際に立ち寄って
いたそうです。
その後、子孫は近衛兵の騎馬隊として勤めたそうです。

爺ちゃん側の実家には面倒な人間がいるので近づきたくないので
これ以上のことは調べられないです;;
491日本@名無史さん:2010/04/14(水) 15:57:16
騎馬じゃなくて騎兵です
492日本@名無史さん:2010/04/15(木) 01:23:57
493日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:48:30



織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/






494日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:51:45
〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜

●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。

●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」
495日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:52:47

901 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 13:19:54

10代目織田信真 1842年〜?
11代目不明
12代目不明
13代目不明
14代目不明
15代目織田重治 1917年〜1995年?

これが説明つかないんだけど
間に四人挟まってるっていうのは理解し難い

496日本@名無史さん



織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/