【石田】 関ヶ原の戦い 八 【三成】

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1日本@名無史さん
2日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:39:25
二(´∀`)V
3日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:41:02
三成
4日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:49:40
>>1
オツカレー
5日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:52:35
クズどもとっととソース出せ
6日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:56:45
ソースは177項にあります
7日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:28:47
ここはトンカツ屋だがw、かかっているべき黒い液体がない!

何というか?
8日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:31:43
関ヶ原合戦が無かろうが、大人しく家康の軍門に下ろうが、毛利、上杉
の領土が保全されることは無かっただろうな。佐渡金山や石見銀山を
家康としては手に入れたいだろうから。
9日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:35:53
>>8
佐渡金山は既に上杉のものではないのでは?

堀のかな
10日本@名無史さん:2005/09/13(火) 02:11:07
本間雅晴
11日本@名無史さん:2005/09/13(火) 02:32:21
>>10
佐渡はコレヒドール島か?
12日本@名無史さん:2005/09/13(火) 03:23:17
佐渡は上杉領
13日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:32:55
侵略反対
14日本@名無史さん:2005/09/13(火) 07:39:43
989 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/13(火) 05:52:28
織田秀信が西軍の最前線に立って、押し寄せる東軍を一手に引き受け、落城するまで西軍として頑張ったという事実こそ最有力の根拠でないの。
織田秀信が、秀頼と豊臣家のために命を賭けて戦ったという事実は、どうあがいても否定することはできないということ。

別に秀信が望んで最前線に立ったわけではない。
つーか、京極や細川の例もあるように、自分の城が攻められりゃ必死で抵抗くらいするだろうよ。
15日本@名無史さん:2005/09/13(火) 08:00:17
>>7
醤油。
16日本@名無史さん:2005/09/13(火) 08:16:14
前スレで話題になってた入江右近でググったらいくつか出たよ?
http://www.city.gifu.gifu.jp/kisya/2004/01/0401273.html
http://www.m-network.com/sengoku/sekigahara/komeno.html
http://www.m-network.com/sengoku/sakon/sakon0301b.html

岐阜県史とは違うみたいだけど、わがまち町岐阜物語?wとかって論文みたいの
にも書かれてるようだけど

>>14
最前線って言葉が曲者だけど、家臣達が籠城を主張するのに
野戦をしかけるように決めたのは秀信なんだけど・・・
17日本@名無史さん:2005/09/13(火) 08:36:13
>>16

ソース出せって言われて資料出したら史料を出せ
史科を出したら何巻何頁?まるで子供の喧嘩だな。
何時何分何曜日に言った?とかってアレw
呆れて放置されたのを言い返させなくなって
捏造とかもう見てらんないw
18日本@名無史さん:2005/09/13(火) 08:40:15
>>16
入江右近でぐぐってヒットするのはその3だけで、下二つは同じもの。実質二つだけ。
上のほうには「木造具政・百々綱家 対 入江右近・伊達平左衛門の意見対立」としかなく、
下のほうのには「結局秀信は寵臣入江右近らの言を容れて西軍方加担と決し」としかかかれていない。
つまりぐぐっても密談の話など出て来ない。
19日本@名無史さん:2005/09/13(火) 08:48:53
 
20日本@名無史さん:2005/09/13(火) 10:03:39
過去ログ読んだが、誰と話したんだ?って聞かれたから
その三人の名前出したんじゃない?確かにその三人っぽいけど。
21日本@名無史さん:2005/09/13(火) 11:12:24
てか歴史の話しのソースってそんなすぐに出せるか?
有名な話しで知ってる人が多い物でも、何の資料に載ってるかなんて
すぐ解らないよw
22日本@名無史さん:2005/09/13(火) 11:54:33
もうソース厨はスルーしようよ。
言ってる意味わかんないし、人の話も聞かないし、自分の意見を押し付けるだけ。
あんな馬鹿相手してらんないよ(w
23日本@名無史さん:2005/09/13(火) 11:55:18
( ´∀`)ソッスネ
24日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:05:47
ソース出せでもいいんだけど、自分のソースを出してから
少なくともソースを要求してほしい

自分のは出さないで人にだけ要求するのはおかしいだろ
25日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:11:24
前スレ835が自演したと言うソースはまだ?
26日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:16:28
ソース厨はなんのソースも出してないな。
そのくせ、長々と自分の主観を書き連ねスレ荒らし。

岐阜県史と高野山禄が史料でなく資料って話も、一方的に断定されただけで何のソースも出してない。
あの人は一次馬鹿なんですか?
27日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:21:55
ソース厨が史料として認める書物などを聞かれてもスルーで答えない。

だが他人が史料或は資料として提示したものにはケチ付ける。

もうね、馬かと鹿かと(w
28日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:28:46
ソース求められたら

つ影武者徳川家康
29日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:30:58
>>28

もうソースは風雲児達でもいいよw
30日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:35:17
隆慶一郎は電波だろw
司馬遼太郎も読まずに日本史を語るとは笑止www
31日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:36:47
仮想戦記でもいいですか?
32日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:43:45
でも隆慶一郎って小説の元ネタになって軍記とかのソースを提示してたでしょ
小説時代は電波でも何のソースも示さない厨房よりはましだろw
33日本@名無史さん:2005/09/13(火) 13:05:48
>>30
いや小説を読んで、歴史を話すあんたの方が笑いが止まらないけど
34日本@名無史さん:2005/09/13(火) 13:14:21
隆慶とか司馬遼とかどう見てもネタなのに何マジに突っ込んでるんですか
35日本@名無史さん:2005/09/13(火) 13:42:20
>>32
書いてたけど、あれは隆の勘違いだと思うw
林羅山だっけ?確かあいつの日記に家康が幼少時代の頃の話しをした時に
織田に売られた話しをした時に羅山曰く、その頃は確か・・・(俺もよく覚えてないがw)
で、家康がバツが悪そうな態度をとったのを不審に思ったってあるのをソースにしてたけど
確かに家康は今川に人質として行く途中で野党か何かに捕まって織田に売られた過去が
あるのを羅山が知らなかったんだよ。その時に信長に会ってる。その話しを隆も
知らなかったんじゃないか?
36日本@名無史さん:2005/09/13(火) 13:45:43
家康に影武者が居たのも事実っぽい
野田じゃなくて・・・野々村?だか何だかってのね。
だからと言って家康が武田との時に死んでて影武者がずっと
家康やってたってのは電波だw
37日本@名無史さん:2005/09/13(火) 13:47:34
信玄なんかは影武者5人くらい居たらしいしw
38日本@名無史さん:2005/09/13(火) 13:57:07
平将門には七人の影武者がいたらしいな
将門の後ろに背後霊みたいに影武者たちが連なってる図を見て笑ってしまったw
39日本@名無史さん:2005/09/13(火) 18:41:44
>>22
なんか分かりやす過ぎてワロタ
もうちょっと工夫できんものか?
40日本@名無史さん:2005/09/13(火) 18:47:33
>>39
ソース厨は氏んで下さい
41日本@名無史さん:2005/09/13(火) 18:58:40
自演・捏造乙

・「関原軍記大成の177貢に書かれてる」
177ページは、関原軍記大成 巻之二十五、筑前中納言反忠附奥平貞治戦死
・・・は、食録五千石なり。田中亡びて後、駿河大納言忠長卿、松野を駿河へ召出され・・・

・「関ヶ原町歴史民俗資料館発行の活字化された関ヶ原軍記大全」
電話確認の結果での、資料館の人の回答
「当資料館では、関ヶ原軍記大全の展示は行っておりますが、発刊は行っておりません。
 また今後もそのような予定はありません。」

・「関ヶ原軍記大全=関原合戦図志」
説明するまでもないが、全くの別物
42さて晒しコピペしとくか:2005/09/13(火) 19:02:01
833 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 19:47:14
>>832
岐阜の重要性から考えて、徳川に付いても恩賞は充分与えられるだろう。
それよりも、近臣との密談で秀吉には良くして貰った、豊臣の恩に報いるためにも
西軍に付くべきだってはっきり言ってるしね。

木造とかに徳川に付けって何度言われても西軍につくって
頑なだったのでもわかる。

835 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:07:42
>>834
まさかソースを求められるとは思わなかった。
有名だし沢山のソースがあるが、岐阜県史や高野山禄にも載ってる。

838 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:13:41
>>836
徳川天下取りのソースはある?

850 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:32:31
>>836
お前馬鹿じゃないのw
信憑性が高く真実であると断言出来る史料だけで日本史を紡ぐ事が出来るのか?
現存する史料だけで日本史を語り尽くす事が出来るなら最早日本史に研究の余地は無いだろw
低次元な妄想厨も痛いが過剰なソース厨も痛杉る事に気付けよ
43論点すり替え中:2005/09/13(火) 19:07:44
853 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:37:49
>>852
>>850に対する答えになってないよ低能ソース厨w

855 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:38:52
調べればすぐ解る事を教えてクンして逆ギレ厨カコワルイ

856 名前: 850 [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:39:27
俺は>>835と別人なんで混同しないようにw

862 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:42:45
>>857
能書きはイイからさw
現存する史料だけで日本史を全て語る事は可能なのか否か?答えてみろよ

864 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:47:47
>>863
歴史の真実をひもとくには様々な史料や資料をもとに、解明されていない事実について考察する事が肝要ではないか?
様々な角度から考察を巡らせる事無くして、どうやって真実に辿り着くんだ?
44論点すり替え中:2005/09/13(火) 19:09:42
867 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:52:38
>>866
だから俺は>>835と別人だって言ったろよw
>>835は岐阜県史とやらから思案して書いたんだろよ
俺はよく知らないがな

で?>>864に対する答えは?

869 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 21:02:46
>>866
ではお前に聞く。
最近このスレで話題になったが、家康は天下獲りを念頭に置いて上杉討伐〜関ヶ原の戦をしたのか?
これに参加した東軍諸将は徳川の天下獲りに同意の上だったのか?
現存する史料だけでこの疑問に対する明確な答えが出せるのかね?史料厨君

870 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 21:12:12
てか県史って史科じゃないの?(;・∀・)
いろんな資料から研鑽されて作られたのが県史とかじゃないのか?
それ以上の物を出せとなると、本人直筆の手紙とかじゃないと確実な証拠なんて
何も無くね?

874 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 21:24:35
>>871
論点が全然噛み合ってないなあw
もう一度俺の言った事をよく読んでもらえないかねえ?
>>835に対する突っ込みは先に君がしたのだから改めて俺が書く必要もないだろ?w
45日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:19:08
>・「関ヶ原町歴史民俗資料館発行の活字化された関ヶ原軍記大全」
>電話確認の結果での、資料館の人の回答
「当資料館では、関ヶ原軍記大全の展示は行っておりますが、発刊は行っておりません。
>また今後もそのような予定はありません。」

確かめたってソースは?電話受け付けた人の名前と役職くらい書くのが筋だな
46日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:19:26
877 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 21:38:53
>>875
まったく短気な奴だなw
史料の重要性も思慮の重要性も解っているなら俺の言ってる事と同義じゃないかw
ソース厨よばわりしたのは悪かったなすまん
だが>>835に対する君の物の言い様もソース厨臭くて良くないと思ったんでね
まあそんなにカリカリ怒るなよw

880 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 21:48:02
>>877
そうか?>>835が岐阜県史云々と答えてるのを頭ごなしに否定したのは君だろ?

883 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 22:00:08
>>882
君の言っている事はよくわかる
だがしかし、
【岐阜県史は資料であり史料で無い件】について明確な説明をしないで、出し抜けに他の史料を示せと言うのは如何かな?
>>835はまったくの妄想を書いてる厨房じゃないんだから、其なりの物の言い様があるでしょう?

887 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 22:31:56
>これって誰が漏らしたの?秀信?近臣?
>っていうか近臣って誰?
入江右近、伊達平左右衛門、高橋一徳斉

889 名前: 887 [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 22:36:45
この三人の名前ぐぐるだけでも>835の言ってる事が与太じゃないのは
知ってる人にはちゃんと解ってる。
47日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:23:49
ttp://www.ginet.or.jp/sekigahara/profile/shi_1.htm
関ヶ原町歴史民俗資料館

●お問い合わせ先●
TEL(0584)43−2665

引き篭もって常駐してるのだから、電話ぐらい出来るだろw

こんな資料館です、大全の写真も載ってるねw
ttp://inoues.net/museum/sekigahara_museum.html
48日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:26:12
895 名前: 887 [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 22:58:12
>>894
じゃあ君が知ってる関ヶ原の史料を言ってみてくれw

896 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 22:59:50
つかもう史科厨相手にすんな 出されたソースを味見もしないで
不味いと決めつけてる馬鹿にすぎん

901 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:08:43
つ関原合戦図志

902 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:10:02
出された資料がソースになってないって言われたら返す言葉もないんだがなw

903 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:11:18
>>900
おまいが納得するソースって具体的にどんな物なの?
史科名あげてみてよ

904 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:11:48
岐阜県史がソースになってないソース出せよ

906 名前: 887 [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:14:02
関原軍記大成」(宮川尚古著 国史研究会)
これで満足しますか?
49日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:27:49
911 名前: 887 [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:21:50
>>907
書いてありますよ。読んで感想を聞かせて下さいね。
835じゃないから沢山とは書いてませんけど一つじゃ足りないですか?
手元にあるのを見てみると
「関ヶ原軍記大全」(写本・関ヶ原町歴史民俗資料館蔵)
等がありますな。

913 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:27:52
>>910
何処見てるんだ?177頁 [岐阜・合渡]
上記三名と相談の上、石田使者 河瀬左馬助へ
秀信直筆の書き付けも書いたと載っているだろう。

915 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:30:51
>>912
>関ヶ原軍記大全は活字化されてません
>どうやって軍記大全に書いてあると確認したのでしょうか?
おい大丈夫か?
関ヶ原町歴史民俗資料館発行のがあるぞ?

917 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:33:41
>>915
キリがないから相手にするな

919 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:34:15
>>914下郎見苦しいぞ!!
50日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:29:45
920 名前: 887 [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:35:52
明日も仕事あるから寝ますね。付き合ってあげられなくてゴメンなさいw

922 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:38:23
>関ヶ原町歴史民俗資料館は写本展示してあるのだけど?
ワロタ 当たり前じゃんw じゃなきゃどうやって大学とかの資料を
勉強するんだよw

927 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:48:23
頁と項を読み違って吠えてる人がいるようですね

928 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:48:47
じゃもう来ないでイイよ(#゚Д゚),ペッ

930 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:54:06
関ヶ原前に家康が天下を狙っていたというソースキボンヌ
1次史料でね

934 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/13(火) 00:03:55
>>918
>すごい、活字化したんだね!!!!
>早速電話して聞いてみるよw
関原合戦図志 神谷道一 著
ちゃんと単行本で出てますよw
51日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:31:44
971 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/13(火) 01:54:13
>>970
天下狙いのソースはあるのか?
思考・思想であれば、どのような見解でもいいのか?
ある人物がこう考えていた、とするのはいいのか?

974 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/13(火) 02:50:17
>>973
それは>>972の事ですね

975 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/13(火) 03:16:58
>>970>>972
何の論拠も示さないで>>935の説を否定しといて筋違いな演説打つな基地害

977 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/13(火) 03:20:49
>>835だった
能書き垂れる前に貴様が>>835に対する正当な論を述べろ
別に貴様の糞持論など興味ないが貴様が他人の持論に難癖付けるならその論点を示せ

985 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/13(火) 04:35:25
>>984
岐阜県史と高野山録はスルーですか?

991 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/13(火) 12:00:28
>>972
別に質問だけしちゃいけないということはないだろ
もし質問だけだめということならば、その論拠とソースを示せ
じゃあ言うがおまえのように能書きたれるならば、多少の説明が必要だろ
人の非難するのであれば、それなりにまともなことを書くのが当然
自分の言ったことに責任があるなら、まともに答えてくれ
52日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:34:20
833 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 19:47:14
>>832
岐阜の重要性から考えて、徳川に付いても恩賞は充分与えられるだろう。
それよりも、近臣との密談で秀吉には良くして貰った、豊臣の恩に報いるためにも
西軍に付くべきだってはっきり言ってるしね。

木造とかに徳川に付けって何度言われても西軍につくって
頑なだったのでもわかる。

835 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 20:07:42
>>834
まさかソースを求められるとは思わなかった。
有名だし沢山のソースがあるが、岐阜県史や高野山禄にも載ってる。

岐阜県史のどこにあるんでしょうかね?
ttp://www.library.pref.gifu.jp/library/mokuji/mokuji_top.htm
53991に対するレス:2005/09/13(火) 19:36:58
>991
能書き垂れたのは>>835
質問する意図を明らかにせず、人の問いを尽くはぐらかしてるお前には
なぜ放置されてるかさえわからないのだろうが

俺が批難したのは、ソースを提示しなかった事が主因ではない
>>850のような論点ずらし、数々の捏造、そして自演の繰り返し
ソース問われるのは当たり前、問われた答えが岐阜県史と高野山録

岐阜県史とは↓に解説ある
ttp://www.library.pref.gifu.jp/library/mokuji/mokuji_top.htm
通史には勿論書いてない、ならば史料編にあるとしか考えられないのだが
だとすると、秀信の発言が書状で明確に残ってるという事だ
しかし、それらしき書状はない、聞いた事もない
そして、「【岐阜県史は資料であり史料で無い件】について明確な説明」と、見た事ある人間、
見た事無くとも、普通に史学に興味ある人間なら、郷土史たる県史には必ず目を通す資料に対し
資料でない説明をしなければならないとは、聞いて呆れると同時に、内容を知らないので語ってるとなる

>>989のように「織田秀信が岐阜城で東軍と戦ったと言う事実」を、
「織田秀信が、秀頼と豊臣家のために命を賭けて戦ったという事実」と変換するのは、まぁしょうがない
しかし、あからさまな捏造し、それを正当化する為の詭弁と自演とさらなる捏造を繰り返す
こんなのが常駐する限り、史板での議論が成り立たなくなる
以前なら提示された史料を信用し、相手もこちらのレスを信用する相互理解によっての議論が成り立っていた
こういう輩は、それを悪用し、単に資料でも何でも名前書けばバレないと思い平気で捏造する

西軍厨全てがそうだとは言わんが、西軍厨の中に、この常駐捏造がいるのは確かだよ
5405001017972504_vb:2005/09/13(火) 19:40:22
前スレ850ですが
お前何やってんの?これじゃただの荒らしじゃねーかよw
もう少し話の解る奴かと思ったけど俺の勘違いだったみたいだな
55日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:47:29
捏造乙
56日本@名無史さん:2005/09/13(火) 20:24:06
秀吉死後直後の豊臣家の蔵入地:222万3641石

運上金・銀
諸役運上金1002枚
諸役運上銀1万3950枚
金山収入3397枚
銀山収入7万9415枚

金子1枚は10両に相当
57日本@名無史さん:2005/09/13(火) 20:52:37
妄想君が突っ込まれて思わずソースを捏造。
それがバレるとぶち切れて開き直り、あらしまくる。
いや、怖いね。
58日本@名無史さん:2005/09/13(火) 21:11:01
専用ブラウザを使ってるんで、ソース厨がコテハン使ってくれると
ありがたいのだが。
59日本@名無史さん:2005/09/13(火) 21:15:48
捏造君がコテハン使ってくれるとアボン設定出来るのでありがたいのだが。
60日本@名無史さん:2005/09/13(火) 21:32:38
関ヶ原で負け組だった島津だけ、どうして許されたんでつか?
61日本@名無史さん:2005/09/13(火) 21:45:13
>>60
国内情勢が不安定、強引な島津討伐より国内統制・脱豊臣政権を優先させたと考えられる
しかし参戦した義弘を無罪放免にする訳にはいかず

両度使者祝著に候
しからば、薩摩大隈諸県之儀、この間相抱えられ候分、相違あるまじく候
少将事、其の跡相譲らる事に候間、別儀あるべからず候
兵庫頭之儀、龍伯に等閑なく候間、異儀あるまじく候

と書状で義久に島津領を安堵し、家久への家督相続を認めてる
義弘は形式上は薩摩没収という形をとった訳ね
62日本@名無史さん:2005/09/13(火) 21:49:33
>>61
でも毛利や上杉や長曾我部とちがうじゃん。
63大和天狗:2005/09/13(火) 21:56:34
フッフッフッフッフッ

危なかったな
おまえら

ハッハッハッハッハッ
64日本@名無史さん:2005/09/13(火) 22:02:11
島津を攻める場合のメリットとデメリットを量りにかけたんでしょ。
確かにデメリットのが多いと思われ。

島津は家柄が現存する大名では最古参になるんじゃないかな。
普通は古いからって何の力にもならないけど、それだけ家訓が長いって事になる。
そして島津の家訓として、主が討たれる事を最も恥じとせよ。
兵達も士気を失うを通りこして基地外じみた反抗するかも。
とか思ったんじゃないかな?

その場合、島津の強さから考えると
負けはしないが、得るのが辺境の60万石程度で失うのは歳食った家康にとって
最も大事な時間だしさ。
65日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:12:00
やっぱ敵中突破が利いたよな
66日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:27:21
突破?逃亡の間違いだろ?
67日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:31:18
突破しなければ逃亡もできないだろ

それとも裏面から逃亡したのか
68日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:11:51
誰の隊を突破したの?
69日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:51:22
>>62
そりゃあ立地条件が違うからね。
毛利は京・大坂の比較的近くに大領土を持ちその勢力が温存されると、その後何かとヤバイ。
上杉は家康の本拠地関東の隣にやはり大きな領土を持ち、
これもそのまま力を持ち続けるとあまりよろしくない。
長宗我部はやはり大坂に近いし、逆にさほど大きな勢力ではないから潰し易い。
それに比べて島津はかなりの勢力で潰すには手間がかかるし、
その割に地理的にどうしても潰さなければならないというほどの必要性がない。

むしろ、島津よりも優先してどうにかしなければならない、
毛利・上杉等の存在があったからこそ島津は助かったといえる。
70金吾秀秋:2005/09/14(水) 03:13:10
実は、漏れ様の存在も、あったんだぜ(´・ω・`)
71日本@名無史さん:2005/09/14(水) 03:19:33
ソース屋に聞きたいのだが、勝手に決めつけて、まとめて同じ人物として
扱うことに対してどう思っているのか
72日本@名無史さん:2005/09/14(水) 04:58:28
>>71

基地害はスルー汁

73日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:28:51
>>68
隊を蹴散らして突破したんじゃなくて
布陣を突破したんだろう。
74日本@名無史さん:2005/09/14(水) 11:08:10
>>73
わからないな。島津が敗走した頃は、東軍諸将は西軍の首狩りに忙しくって
まったり布陣していたのなど限られていたと思うのだが、
誰の夫人をどう突破したんだい?
75日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:08:10
>>74
東軍の布陣を突っ切って逃げたって事だろ?
正確な布陣なんて崩れてるからその場に居た連中しか解らんだろ。


   家康本陣
←←←←←←島津
東軍諸将布陣


こんな風に突っ切って逃げたって意味だろ
76日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:14:27
戦場の布陣なんてあってないようなもの
とは言い過ぎか

島津の他に前から逃げた椰子いる?

他の合戦でもいいけど

それから追撃が猛烈だった
もし誰もいないのなら誰も追撃してこないはずだが
77日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:29:47
それにしても西軍の死者の数は凄まじいな。
3万くらい死んでるようだ・・・対する東軍は3千程度みたいだし。

宇喜多・石田・小西・大谷殆ど全滅だな。合戦でこれほど
全滅ってのも珍しいんじゃないか?それだけ西軍はギリギリまで踏みとどまって
戦ったって事か。

小早川が寝返るまでは押してたみたいだから、同数の3千が死んでるとして
壊滅した後の掃討戦で2万7千?すげーな(;´д`)
78日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:43:04
ああ、なるほど。
やっぱり突破したんじゃなくって東軍の合間を脱兎の如く駆け抜けただけなんだね。
いや、まあその勇気は買うよ。でもそれは突破じゃない。逃亡だ。
おそらく東軍諸将もその逃げっぷりに呆気にとられてすり抜けられちゃったんだと思われ。
79日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:50:29
低脳な煽りだな
80日本@名無史さん:2005/09/14(水) 13:20:31
まじめに考察した結果ですが。なにか?
81日本@名無史さん:2005/09/14(水) 16:45:39
>>78
『ステガマリ』を脱兎の如くと言えるのか…
82日本@名無史さん:2005/09/14(水) 17:06:44
座って待ち伏せして銃撃つんだよな。
変わった戦法だけど、それで榊原だったっけ?
肘に当たった銃創が完治しないで死んだの。
83日本@名無史さん:2005/09/14(水) 17:21:22
井伊だろ
84日本@名無史さん:2005/09/14(水) 17:21:52
>>82
井伊直政だね。
85日本@名無史さん:2005/09/14(水) 17:27:04
井伊直弼か
86日本@名無史さん:2005/09/14(水) 18:39:27
>>81
惟新入道は脱兎の如く逃げただろ。
家来を捨てながら。
87日本@名無史さん:2005/09/14(水) 19:23:16
さてと。。。
そろそろ真田昌幸について語るか。

秀忠軍三万余が真田軍二千に軽くあしらわれた件について。

88日本@名無史さん:2005/09/14(水) 19:55:49
何人死んだの?
89日本@名無史さん:2005/09/14(水) 23:47:04
徳川厨は真田の話になると黙るんだなw
90日本@名無史さん:2005/09/15(木) 00:21:26
ん?語りたいなら語ればいいじゃん?いちいちピクピク反応して欲しいの?
91日本@名無史さん:2005/09/15(木) 00:22:10
徳川厨だが真田なんか眼中に無い
92日本@名無史さん:2005/09/15(木) 00:28:18
>>90-91
低能な煽り連カキ必死だなw
93日本@名無史さん:2005/09/15(木) 00:34:27
94日本@名無史さん:2005/09/15(木) 02:51:30

上田城での戦に二回惨敗、大坂の陣では真田丸で苦戦を強いられ、家康本陣を襲撃された。
徳川には不倶戴天の天敵が真田昌幸信繁親子。
関ケ原後に信幸を松代に移封し、松平某を上田藩主にし、上田城を解体したのは遺恨の憂さ晴らしか。w
徳川贔屓の諸兄が、真田の名前に嫌悪感を示すのも無理はない。
95日本@名無史さん:2005/09/15(木) 03:14:47
突破できなければ逃げれないんだが

突破しないで逃げる方法はない

東軍は逃がす気がなかったんだから、突破を防げなかった
情けなし
96日本@名無史さん:2005/09/15(木) 03:40:57
信濃の土豪のとこに家来を派遣してみたら
なんかボロボロになって逃げ帰ってきた。まいっか。

大切な戦をしようってのに馬鹿息子が田舎ものと遊んでいて遅参した。
困った馬鹿息子だ。ま、勝ったからいっか。
え?あの田舎もの?まあ小物だから殺さんでもいいだろ。
山にでも押し込めとけ。

さあ、でぶの小倅をいたぶるぞ。大砲で蜂の巣にしてやるわい。
なに?越前と前田が遁走した?相手は誰でおじゃるか?
あの田舎もの小倅じゃと?知らんな。
そんな輩にに負けるとは近頃の若いもんは・・・。

さあ、にっくき豊臣を滅ぼすでおじゃる。これで天下は麿のものでおじゃる。
なに?また田舎ものの小倅?そんなんさっさと蹴散らすでおじゃる。
狙うはでぶの首一つでおじゃる。
・・・え?あれ?あれあれ???
ぎゃあ〜!!命だけは勘弁でおじゃる〜〜!!!
信濃でもなんでも差し上げるゆえ助けて欲しいでおじゃる〜〜〜!!


>>95
東軍のどこを破ったのかな?
家来を捨てながら間をすり抜けて敗走した、って言うのが正しいのでは?
家来のほとんどを失って惨めな敗走だったらしいね。
97日本@名無史さん:2005/09/15(木) 04:54:37
家康本陣に向け突撃し始めた島津軍を福島正則軍、黒田長政軍、後藤又兵衛軍は最初被害を恐れて傍観してたらしいね。
撤退戦で主君を逃がす為に部下が犠牲になるのは当然。金ヶ崎や三方ヶ原でもそうでしょう?
もっとも維新斎がウンコを漏らしたとは聞いてませんが。
98日本@名無史さん:2005/09/15(木) 05:03:00

99日本@名無史さん:2005/09/15(木) 05:03:32

100日本@名無史さん:2005/09/15(木) 05:04:07

101日本@名無史さん:2005/09/15(木) 05:29:05
あれ?島津って家康や黒田と交戦したっけ?
102日本@名無史さん:2005/09/15(木) 10:03:42
・息子殺し
・三方ヶ原
・脱糞
・上田城
・真田
・秀忠遅参
・国家安康
・外濠
・六文銭
・主家筋殺し

以上の言葉は徳川厨には禁句となっております。
禁句を発しますと、発狂した徳川厨が>>98-100のような荒しを行う事がありますので、ご注意下さい。
103日本@名無史さん:2005/09/15(木) 10:25:50
>>102
・三方ヶ原
・脱糞
・上田城
・真田
・秀忠遅参
・国家安康
・外濠
・六文銭
・福島正則
・息子殺し
・主家筋殺し
・後家殺し
104日本@名無史さん:2005/09/15(木) 11:11:39
東軍は逃がす気はなかったのに、にげられたから突破した

いくら部隊がいても弱兵で阻止さえできなかたんだろ
105日本@名無史さん:2005/09/15(木) 11:14:48
職務放棄敵前逃亡
主家乗っ取り
小牧長久手
母妹人質
朝鮮内外遺恨
好色
関白皆殺し
106日本@名無史さん:2005/09/15(木) 11:15:42
>>101
したかも
107日本@名無史さん:2005/09/15(木) 11:16:06
1500いた島津勢が堺に着いた頃には80になってたって凄まじいな…
108日本@名無史さん:2005/09/15(木) 11:25:43
>>107
島津の正確な数は解ってない。
800って話しもあれば1600くらいってのもある。

国が動員してなくて、みんな個人で着てるから
1000人未満だと俺は思ってる。
それにしても国元に帰りついた人数考えると凄いけどさw
109日本@名無史さん:2005/09/15(木) 12:23:59
関ヶ原の死者数は両軍併せて二千程度だよ。
昔の合戦はそんなに人は死ななかった。
110日本@名無史さん:2005/09/15(木) 12:27:48
>>104
基本的には島津は敵を粉砕しながら進んだわけではなく、
敵のいない所を走って突破しました。
それを追撃され80になったのです。
どうして前に走ったのかというと後方は
撤退する西軍将兵で渋滞してたのと、
義弘の足腰が弱ってて山道が酷だったからです。

あと1500もいなかったという意見は私も賛成です。
111:2005/09/15(木) 12:58:10
>>108 甥の豊久が分国.日向左土原の兵500ほど率いてきてたから.1500はいた
でしょう。
112日本@名無史さん:2005/09/15(木) 13:10:03
東軍が島津を追撃するメリットがあったのでしょうか?
113日本@名無史さん:2005/09/15(木) 13:14:32
義弘個人の所領って8万石だか10万石だか、それなりにあったような気がするが、
何でそんなに兵力少なかったん?しかも助っ人が来ているのに。
114日本@名無史さん:2005/09/15(木) 14:17:02
>>110
いないところを抜けてきたんですか?
80になる程の追撃を受けて無抵抗で隙間を突き抜けたってことですか?無抵抗ならなおさら取り囲みやすい気が…ステガマリってので抵抗してたんなら東軍にもかなり被害出てたんじゃないですかね…
しかも井伊直政ってこの時負傷したんですよね?一軍の将が無抵抗の相手を追撃していたら銃弾で負傷って、どういう状況だったんだろ…
義弘は確かに老いていたかもしれないけど馬か何かに乗ってたんじゃないんですか?それとも輿か何か?それでも山道は億劫だから敵陣抜けて行くんですか?ある意味そっちの方が肝座ってんな…
1500いなかったかもしれないけど、まさかそれよりずーっと少なかったってことは無いでしょう?少なければ少ないほど追撃覚悟で敵陣抜けて来た島津部隊の度胸に引く…
115日本@名無史さん:2005/09/15(木) 14:53:23
個人的な意見だからね?島津の実数は800程度だったと思ってる。
だって国が動員してないのに徒歩でトボトボ来る連中が集まっただけだよ?
1500人いるとは思えない。

>>110
>>114も書いてるが、一手の大将が銃撃で負傷するような状況だと
かなりの乱戦だろう。しかも島津は西軍の中で自分の意志で最後まで
残ってた訳だから、わざわざ居ない所を選ぶくらいなら最初から逃走してると思う。
ってゆーか居ない所って何処よ?敵の少ない所を狙って走っても塞がれるでしょ。
それが本多や井伊だったんじゃないの?
116日本@名無史さん:2005/09/15(木) 14:59:37

黒丸島津
白丸東軍

         ●
   ○○○ ↓○○○
   ○○○ ↓○○○
   ○○○ ○○○
  ○○○ ○○○



      ゴール
117日本@名無史さん:2005/09/15(木) 15:09:26
>>115
え?井伊とか忠吉とかって逃げる義弘を追っかける途中に捨てガマリに引っかかったということになってないか?
井伊忠吉が負傷したのって烏頭坂の辺りか、そのもっと南ではなかったか。
118日本@名無史さん:2005/09/15(木) 15:32:02
烏頭坂は豊久が戦死したところだからもっと南だろう。
119日本@名無史さん:2005/09/15(木) 15:33:41
牧田河だけど、それがなにか?
120日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:30:30
>>110
敵を粉砕したとは言っていないが?

渋滞していても普通に考えれば、そっちから逃げた方が楽
何故石田らは突破して逃げなかったのか?

義弘は輿か馬に乗っていたはずだが?
121日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:32:52
>>120
普通に考えて馬だろうな。戦場で輿に乗ってた武将って
立花道雪、大谷善継、今川義元くらいしか知らない
122日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:35:40
てか石田は島津と同じくらい全滅
石田家家中で逃げたのは、島津に使い番で行って追い返された奴くらいで
後は雑兵も蒲生家出身は全滅してる。

家康が、石田隊の死傷者を首実検で調べた時に
蒲生系が殆ど戦死してるのを見て、家風とは恐ろしい・・・と発言してるくらいだからな。
123日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:38:39
>>122
全滅はないんじゃないか

6000いたとすると、戦死6000か?

足軽レベルは結局逃げたと思うが
124日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:39:10
俺は別に秀吉は好きって訳じゃないが(家康は嫌いだけどw)
西軍、ことに石田・宇喜多・大谷はよく戦ったと思う。
三成をただの文官だと思うのは間違い、石田家中の者は西軍でも
凄まじい奮戦を見せてる。

もし三成がただの文官なら家臣も徳川255万石相手と解ったら
逃げ出してるw あの上杉でさえ、徳川に寝返った奴が居たくらいだからね。
125日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:40:51
>>123
いやまぁ・・・6千で6千戦死とは言わないよ。。。
俺もはっきり実数は解らんけど、4千くらい死んでる模様。
126日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:40:54
三成は文官だ

根性はあった
127日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:45:27
>>125
4000くらいの論拠は?

死亡率約67%か

そこまで死兵だったかどうか

死傷率に直すと、死傷率約100%換算だな
128日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:52:46
詳しいことは忘れたけど、
確か近代になって外国の偉い軍事学者に関ヶ原の東軍西軍の布陣を見せて、どっちが勝つと思うか質問したら迷わず西軍が勝つって答えたらしいね。とにかく文官の三成にしては完璧な布陣だったらしい。




金吾の二股膏薬さえなきゃあねぇ…
(´・ω・`)
129日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:53:09
>>127
関ヶ原後に他家に士官した数を一応参考に。
関ヶ原後に石田の奮戦を身をもって体験した東軍諸将は
石田家の浪人を争って迎えようとした。
が、殆ど戦死してろくに残ってなかったそうな。

石田家の兵は大きく分けて、羽柴秀長系と蒲生系に分かれる。
その中で、蒲生系は掛け値なしに全滅してるようだ。
そりゃ消息不明な十数人くらいは生き残ったかもしれないけどね。
130日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:57:42
>>129
十数人しかいきのこっていないのなら、蒲生系死亡率100%と言ってもいいと思うが

ちなみに、そんな例は他にないと思う

真田でも100%ではないだろ
131日本@名無史さん:2005/09/15(木) 17:59:27
>>128
ちなみにあの布陣は三成の案ではない

南宮山と松尾山は既に布陣

その他は三成の考えかも
132日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:00:19
>>130
だから全滅って言葉を使ったのだ。
秀長系は割と?生き残ってて黒田・福島・細川なんかが
召し抱えたようだけど。

大阪の陣の真田?あれは真田の兵じゃなくて
殆どが浪人の混成部隊でしょ?
133日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:04:57
>>132
真田は浪人兵だがそれにしては強い

結局のところ、人間が戦うという意味では同じ

蒲生系と言っても、中身は石田領内の兵だろ
それが全滅したのなら前代未聞だね
134日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:19:19
>>121
おいおいあんたら島津厨なのにそんな事も知らないのか?
関ヶ原の島津義弘は輿だよ。
ちなみに義弘の輿を担いでいたある武士の逸話は有名。
逃亡途中の義弘が腹を空かして、やっと部下が一個のおむすびをを入手して渡そうとしたら、
その武士が横から手を出して食べてしまう。
呆気に取られた一同に「俺が食べて殿を守る。戦闘になったら腹を切るだけの殿に飯はいらない」
と言ったとか。この無礼行為に義弘は怒らなかったという。

>>115
「わざわざいない所を撰ぶくらいなら逃げている」って・・・・・
凄い歴史ロマン馬鹿なに意見だね。
前進退却にしろ、なるべく兵のいない所を狙って走るのは当然だろう。
なんでわざわざ敵軍に突入して突き抜けなくてはいけないんだ?

>>石田隊の損害について
戦闘で追い詰められたわけでもない軍勢がそこまで死傷率が高いとは考えがたい。
歴オタな意見はやめてくれ。
135日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:24:52
>>112
敵部隊が無傷で自分たちの前を通って退却するのは武士の名折れですからね。

>>121
九州の武将は結構、輿に乗ってるね。
東国ほど馬は重視してなかったみたいだ。
あと別に輿に乗るのが武士の端とかいう事はないよ。
信長も偉くなると輿に乗る事が多くなったし。
秀吉も輿が多い。
家康は老いてからも馬を好んだが。
136日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:30:14
>>134
Σ(゚д゚)オイオイ 逸話を間違えてる間違えてる!w
逃亡中に腹を空かせて食ったのは、おむすびじゃなくて馬だ!
食う物がなくて、軍馬を殺して食ったんだよ。
その時に、>「俺が食べて殿を守る。戦闘になったら腹を切るだけの殿に飯はいらない」
こんな事を言ったんだよ。
137日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:34:48
全滅とか被害数は何を根拠にしてるのか謎
138日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:39:39
>>137
つーか、当時の合戦の「全滅」というのは
その部隊に属していた兵士全員が死亡したとかいう意味ではないだろ。
大多数を占める末端の半士半農の雑兵・足軽なんかが逃げ去って部隊が四散消滅した状態も服務わけだ。
彼らの忠誠心は低かった。
139日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:40:45
>>136
知っているが、一般向きの説話では「おむすび」とか言われてるんだよ。
140日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:42:47
たぶん、島津兵の中にもちゃっかり逃げ出した奴もいたんじゃないかなあ・・・・
島津厨は「そんな事はありえん!!」と反論するだろうが、
少なくともそうではないという証拠はないぞ。
141日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:43:57
石田隊はB29の空襲にでもあったのか?核爆か?サリンか?
出来の悪い鉄砲や刀槍でどうすりゃそんなに殺せるんだ?
142日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:45:37
勿論、石田隊も名のある武士は別として
末端の足軽・雑兵は随分、逃げてるだろうね。
143日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:55:55
逃げる途中に島津兵が逃げ出したのか、弱すぎて壊滅したのか、
どのみち、伝説的な強さはなかったと思われ。
144日本@名無史さん:2005/09/15(木) 18:55:58
>>140
それはあると思うよ?生死不明はいるでしょ〜
あ、でも島津っつーか九州人は言葉が独特だから
生きてどっかに居ればバレるんじゃね?
145日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:07:46
>>144
聾唖者のフリでもするか、
必死で言葉を身につけるか
何とか人間生きていけるだろ。

ていうか島津って別に義弘と共に帰ってきた80人以外の
兵が帰ってきても処罰したなんて話しはないんだが。

詰問されたとしても、
「私は途中で乱戦に巻き込まれ必死に戦いましたが、いつのまにか気を失って草むらに倒れておりました。
それから何とか自力で国元に帰ってきたのです」とか適当に言い繕えば良いと思うけど。
146日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:21:58
つーか関ヶ原に行った島津兵自体が
島津義久の命令に背いた軍規違反者なんだが。
あと島津以外の関ヶ原に出陣した西軍は全て戦後に家が潰れたから、
逃亡とかは罰される状況ではなかったと思われ。
147日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:52:33
>>146
当主は義弘だから軍紀違反じゃないだろう。
むしろ義弘が兵を送れって何度も手紙書いたのに
無視した義久の方が軍紀違反だろ
148日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:27:41
当主が義弘?
なにそれ?
149日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:33:46
>>139
一般的に「馬」を「おむすび」にしなければならないのはなぜ?
150日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:43:18
>>149

その方がほのぼのしてるからだろ。
151日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:52:44
義弘が当主かどうかは是非の分かれる所ではある

豊臣政権側からは、義弘を代表と見ていたのは確かで
朝鮮出兵の折の検地で、義久に大隈、義弘は薩摩を宛がってる
島津家中からは義久を当主としている(義弘も)ようで
薩摩を宛がわれた義弘は、鹿児島へ入っていない

義弘の義久への増援要請は、命令ではなく懇願と言えるものでどちらが軍規違反と言えるものではない
そして薩摩一国は義弘に宛がわれてるので、義弘は独自の兵を出せるはずであったのに
義久に懇願している事から、義弘は島津家の当主を義久と認識していたと考えられる
義久も態度は明確にせず、義弘の西軍加担に対して、何ら批難もしていない事から
中央での活動は義弘に一任しているものの、島津家は内乱に関与しない方針と
朝鮮役での疲弊もあり、兵を送らなかったのではと考える
152日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:57:44
>>150
何故歴史を漫画日本昔話風にしないといけないんだ?
てか一般って何を指して言ってるんだ?
153日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:07:07
>>134
島津中ではないが?

歩いて逃げたと思っている野師がいるが?

おむすび?
154日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:08:01
>>138
いや、誰だか知らないが、100%死亡と言っているが?
155日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:09:00
>>152
一般というのは、椰子の読んだ童話のことだよw
きっと
156日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:19:27
まとめてレスしろボケ
157日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:32:20
福島隊でもしばしば敗走しているが、もともと死ぬまで戦うというのは少数派
普通は負けと判った時点で敗走・逃亡だがね
158日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:32:35
>>154
そんな事は野戦では考えられない。

>>136
それ自体、実はすでに随分脚色されてる物語だったりする。
実際は島津軍の間で兵糧が底をついてきたので、
義弘だったかが馬を殺して食べるかという話しをしたら、
その武士が「楽をしている殿様が何言ってるか?」と怒ったという。
ただ、それだけの話。
159名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/15(木) 22:03:29
>>154
君、ソースでもあるのか?
この前の「そのとき歴史は動いた」なんて言うなよ
160日本@名無史さん:2005/09/15(木) 22:18:47
('A`)また始まったよウゼー。。。
161日本@名無史さん:2005/09/15(木) 22:54:20
日本史板なんだから根拠提示は当たり前

ウゼーのは偽造・捏造当たり前、三戦板と勘違いしてる厨
162日本@名無史さん:2005/09/15(木) 22:59:53
>>138
>つーか、当時の合戦の「全滅」というのは
>その部隊に属していた兵士全員が死亡したとかいう意味ではないだろ。
軍記でさえ、全滅という言葉は使用されてないが
当時の合戦の全滅の使用例を挙げてくれ

敗走ならわかるけどね

興味あるのは
>>129
>石田家の兵は大きく分けて、羽柴秀長系と蒲生系に分かれる。
>その中で、蒲生系は掛け値なしに全滅してるようだ。
>そりゃ消息不明な十数人くらいは生き残ったかもしれないけどね。
このレスだな

どんな史料読んで全滅、死んだとしてるのだろう?
163日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:06:06
関ヶ原の戦いって9月15日じゃなかったっけか?
164日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:09:05
慶長5年9月15日は、太陽暦に直すと10月21日だよ
丁度、土曜日だし関ヶ原見学にはいいかも
165日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:35:05
('A`)基地害をスルー出来ない奴も基地害
そして俺も基地害w
166日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:55:40
>>159
だからオレじゃないんだが

ちゃんと前後関係を読めよ
167日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:56:45
>>159
家康が天下を狙っていたソースは?

9/15
405周年おめっでとう
168日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:00:09
>>159

 ま た お 前 か !

169日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:05:53
また厨が暴れだしたか。

・「関原軍記大成の177貢に書かれてる」
177ページは、関原軍記大成 巻之二十五、筑前中納言反忠附奥平貞治戦死
・・・は、食録五千石なり。田中亡びて後、駿河大納言忠長卿、松野を駿河へ召出され・・・

・「関ヶ原町歴史民俗資料館発行の活字化された関ヶ原軍記大全」
電話確認の結果での、資料館の人の回答
「当資料館では、関ヶ原軍記大全の展示は行っておりますが、発刊は行っておりません。
 また今後もそのような予定はありません。」

・「関ヶ原軍記大全=関原合戦図志」
説明するまでもないが、全くの別物
170日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:10:23
初心者スレに成り下がったな・・・
171日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:10:30
>>169
家康が天下を狙っていたソースは?
172日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:15:25
しょうがない

・3万死んだ
・当時の合戦の「全滅」というのは大多数を占める末端の半士半農の雑兵・足軽なんかが
 逃げ去って部隊が四散消滅した状態も服務わけだ。
・石田家の兵は大きく分けて、羽柴秀長系と蒲生系に分かれる。 その中で、蒲生系は掛け値なしに全滅してるようだ。
・石田家の浪人を争って迎えようとした。 が、殆ど戦死してろくに残ってなかったそうな。
・家康が、石田隊の死傷者を首実検で調べた時に蒲生系が殆ど戦死してるのを見て、家風とは恐ろしい・・・と発言してるくらいだからな。

珍説続出
173日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:18:49
石田軍の生き残りは数える程しかいない、とか
島津軍は前進退却で千人死んだ、とか

常識的に考えて有り得ないカキコにソース提示を求めるダボハゼ>>159
174日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:20:23
159は別人だから叩かれても痛くもかゆくもない
捏造厨は必死なようだがw
175日本@名無史さん:2005/09/16(金) 03:11:30
当初から義弘と行動を共にしていた大坂部隊が200人
豊久が佐土原から連れて来た兵が500人
各自の判断に任された大隈から500〜600人
義弘の身を案じて独断で上京した薩摩兵が100〜200人
合計1500人くらいにはなっているんじゃないか?
山陽道を奔って駆けつける島津兵の逸話が残ってるくらいだしさ

石田隊の奮闘は確かに凄いし南宮山や笹尾山の配置を考慮に入れた布陣も含め
左近ら名将が命を預けれるだけの理想や清廉さを三成が持っていたということか
惜しいのは裏切りの可能性のあった小早川や不信な行動を取った毛利を最後まで
信じた点だな
開戦の火蓋をそのどちらかにきらせる方法を見つけたいところだった
176日本@名無史さん:2005/09/16(金) 04:43:54
何人死んだかって議論は意味あんの?
177日本@名無史さん:2005/09/16(金) 07:05:01
島津隊が元が300人だったか1500人だったかはわからないが、
それが国元に帰る時は80人になったのは事実。
ただし、それは全員戦死したとは限らず「脱落した」とでも評するべきだろう。
178日本@名無史さん:2005/09/16(金) 08:02:00
途中で逃亡した連中が京都の近衛屋敷で保護されてるね。
かれらは「はぐれた」と弁解しているが。
179日本@名無史さん:2005/09/16(金) 10:57:45
>>178
聞いた事あるような・・・実際どれくらいの兵が保護されてたんだろ?
180日本@名無史さん:2005/09/16(金) 11:48:39
>>177
80人の根拠は?
181大和天狗:2005/09/16(金) 12:33:55
170に同意する
貴様ら一体何を言い合っているのだ
結局あげ足取りに収束していくとは何事だ
それなら俺様と弟子の戦いの方がマシだ
どうやら出番が近い様だな

弟子よ
覚悟は出来ているだろうな

言っておくが西軍厨の援軍は入らん
俺は東西どっちでも無いからな
182日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:36:57
>>181
何でも井伊から速くやってくれ
183日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:46:51

徳川厨、西軍厨、妄想厨、ソース厨、三戦厨は書き込みご遠慮下さい

184日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:50:13
>>183
すると福島正則厨の俺は書き込んでも良いのだな?
185日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:51:33
>>183
すると真田厨、島津厨、石田厨、本多厨、井伊厨(ry
186日本@名無史さん:2005/09/16(金) 13:05:39
>>184
福島正則厨、小早川秀秋厨、吉川広家厨はOK
187日本@名無史さん:2005/09/16(金) 13:58:48
城壁厨だけど荒らしてOK?
188日本@名無史さん:2005/09/16(金) 14:11:07
仕切厨だけど荒らしてOK?
189日本@名無史さん:2005/09/16(金) 14:26:30
内府の狸爺さんは嫌いだけど治部少もペテン師臭いからマターリ日和見
決めこんだ秀頼厨ですが書き込みして良いでつか?
190日本@名無史さん:2005/09/16(金) 15:02:00
無双厨ですが、三成が一人で東軍を相手にしたことでいいですか?
191日本@名無史さん:2005/09/16(金) 15:21:03
妄想厨ですが、秀忠は真田十一融資の切取りに追われて遅参したことでいいですか?
192日本@名無史さん:2005/09/16(金) 18:51:47
>>181-191
こういう夏厨の残党が三戦板との使い分けも出来ずに電波とバスから始末に終えん。
193日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:13:57
>>192
このスレって元々人は多くないし、スレの最初の方にコピペ張りまくってた
粘着の匂いがプンプンするからソイツでしょ。スルーしよ。
194日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:17:07
間違いなく>>193が捏造してた夏厨なのはわかった。
195日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:43:10
捏造厨は常駐なんで、自演、捏造当たり前だから>>194
前スレでも人多くないのに、平日の日中から次から次へと擁護レスが…

こいつは常駐粘着だから昨日の>>159に対する攻撃も勘違いしての攻撃
書かれてる内容で叩いてたんじゃないしなw
>>174以降、攻撃がピタリと止んだのがワロタ
196日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:48:51
>>195
おまいさんもいい加減にしてやれ。
粘着常駐とわかってるなら放置が一番なのも理解できるだろ。
おまいさんが忍耐力をもって放置すれば、いずれ消える。




以降、何事もなかったように日本史板にあった関ヶ原の話
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
197日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:58:51
>>196
すまんかった

んじゃ関ヶ原と朝廷の関与で話すか
関ヶ原で西軍に秀頼が積極的に関与していないというのが主流なんだが
時慶卿記では、朝廷から大坂の秀頼宛に講和を勧める使者(勅使じゃないところがミソ)が送られてる
これは、朝廷が秀頼が西軍の総大将と見ていたのか、それとも秀頼の、豊臣の名前を使い
東西両軍に講和させるように要請したのか、2通りの観方が出来るね
198日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:05:18
>>197
おそらく「家来の喧嘩を止めさせろ。みんな迷惑してるから」だと
思うぞ。紛争当事者に使者を送るなら、両方に送らないといけない
から。
199日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:11:49
うわ、コイツ本当にいやがったw
200日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:16:19

201日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:30:00
キター
202日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:36:20
秀吉もあと10年生きてれば朝鮮征伐に成功して
今の世でも神として崇められてただろうなぁ
203日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:41:19
信長もあと20年生きてれば中国征伐に成功して
今の世でも神として崇められてただろうなぁ
204日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:42:05
>>203
信長って中国出兵する気だったのか?
205日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:43:26
喧嘩を止めて
両軍を止めて
私のために争わないで
もうこれ以上
206日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:53:29
>>204
ソースはないが、世界進出を考えていたような希ガス
207日本@名無史さん:2005/09/16(金) 21:04:14
>>206
あー 進出って意味ならありそうだな。
戦争じゃなくて。
208日本@名無史さん:2005/09/16(金) 21:06:22
>>207
いや進出には戦争も含む

硬軟両方

というか信長だから、気に入らなければ開戦だがや
209日本@名無史さん:2005/09/16(金) 21:08:06
というふうに
俺の読んだ小説には書いてありあした
210日本@名無史さん:2005/09/16(金) 21:10:18
おしまい

(夢を見ているAA)
211日本@名無史さん:2005/09/17(土) 03:32:09
家来どうしのケンカだと、おまいらアホか。
秀頼の奉行が連名で、「秀頼様のために」謀反人家康を追討するという文書を全国に発送しているんだぞ。
西軍総大将の毛利輝元も大坂城に入って、ここを軍事拠点としている。
この時点で、毛利・石田軍が豊臣体制の正規軍となり、逆賊家康を討伐するという態勢は明確になっている。
秀頼や淀君の承認のうえでのことだ。かれらの承認なくして、このような行動や態勢をとることは不可能だからだ。

戦後は、ではどうなったかだが。これはお決まりの、石田三成たちによって無理矢理、家康糾弾・開戦に追いやられたという逃げの一手。
家康の方も、深追いすると同盟の豊臣武将たちの離反を生じる危険があるから、そこは見て見ぬふりの狸芸。

和睦の会見でも、淀君と秀頼が上座で、家康は下座。家康は淀君の飲んだ盃をうやうやしく受け取って、ありがたき幸せだってさw
まぁ、現実はこんなところだわな
212日本@名無史さん:2005/09/17(土) 06:43:33
>>211
もういいよ。あきた。
213日本@名無史さん:2005/09/17(土) 07:37:32
フロイスの日本史にある>信長の世界進出
明に殴りこんでルソンなんかの東南アジアにまで行くって話
214日本@名無史さん:2005/09/17(土) 08:30:02
>>212
家康厨もようやく事態を理解できたようだなw
215金吾秀秋:2005/09/17(土) 08:39:47
実は、漏れ様の飲んだ盃も、うやうやしく受け取ったんだぜ(´・ω・`)
216日本@名無史さん:2005/09/17(土) 08:54:52
東軍厨、家康厨は別にいない
いるのは西軍厨・三成厨に対するアンチだけ
西軍自体は別に好きでも嫌いでもないが
史実で負けたからといって仮想戦記のおとぎ話ばかり語りたがる西軍厨は嫌いということだよ
217日本@名無史さん:2005/09/17(土) 09:51:13
>>211
家康は少なくとも関ヶ原直後はまだ明らかな秀頼の家臣なのだから、
下座は当然だろう。
もし戦後逃げの一手を打つしかなくとは情けない限りだと思わないのかい?
218日本@名無史さん:2005/09/17(土) 09:58:14
というか、関ヶ原で東軍が勝ったということは紛れもない事実で、
このことを覆すことは出来ない。
であるなら、豊臣家が西軍についたと解釈すると少し拙いことにならないか。
つまり、それでも東軍が勝ってしまったということは、
その時点で徳川家が豊臣家に勝利してしまったことになる。
もちろん実際にはそうではない、その後も豊臣に忠義立てする者は結構いたし、
最終的に豊臣を滅ぼすにはなお15年の歳月を要したことからも明らかだ。
だとするなら、関ヶ原の時点でこの戦いを徳川対豊臣の戦いと思った者はあまりいなかった。
つまり豊臣が西軍についたとは多くの者からは判断されなかったということになる。
219日本@名無史さん:2005/09/17(土) 10:11:45
福島正則や加藤清正も東軍側で活躍したからな。彼らにとって、豊臣本家が西軍に荷担していたということは絶対にあってはならないことだ。
淀君も、そう解釈してもらったほうが好都合だから、その解釈にのっかって無事円満に解決、メデタシメデタシといったとこだろう。
それが結果オーライの世論というもの
220日本@名無史さん:2005/09/17(土) 10:48:48
>>214
>>211は今までの西軍厨の主張をまとめただけ。
目新しい意見はなにひとつとしてない。
反論する必要なし。
221日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:12:55
>>219
本当に豊臣が西軍に加担したら、福島や大野や浅野が東軍に付くわけは
無いだろう。
222日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:17:25
>>221
まあ要するにそういうことだね。
223日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:24:45
>>221
大阪の陣で大阪城に攻め込んだのを見ても
そう言える根拠はなに?
224日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:36:56
>>223
大野が何時大坂城へ攻め込んだ?
225日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:49:23
>>204
信長は、事実行われたように都に赴くことを決め、
同所から堺に前進し、毛利を平定し、
日本六十六カ国の絶対君主となった暁には、
一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、
諸国を自らの子息達に分ち与える考えであった。
(史料:ルイス・フロイス「日本史」第55章)

信長と関係の深かった宣教師フロイスが断定しているので、全くの無根拠ではない。
この記述を根拠に、信長は「中華皇帝」を目指していたという説を唱える学者もいる。

・・・自分で書いておいて何だが、スレ違いだな。
226日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:51:28
>>225
いや、有意義な書き込みだ。
一つ賢くなった気分w
227日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:01:11
どうだ
仮想戦記批判厨
228日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:02:19
なるほど、
豊臣、豊臣恩顧武将、徳川、その他の武将に至るまで
事実はどうあれ「豊臣が西軍に荷担していた」という事になってはまずいわけね。
それで「豊臣は荷担していない三成の独断だ」という事にしたのね。
まあこの時点では豊臣は徳川配下の一大名として生き残るチャンスはあったと思う。
229日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:04:09
>>211
家臣同士の喧嘩ではなく、西軍が反乱軍

輝元は二股だった

秀頼や淀君の承認を得たと言うことだが、どうやって得たのか

家康らの承認は不要なのか
230日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:07:34
>>223
浅野親子は既に死んでおり、福島正則は江戸に軟禁状態。
福島の息子は大坂まで兵を率いてきたが、戦闘不参加。
福島の従兄弟や甥や弟達、福島長門、福島武蔵守、福島伊予守達は
大坂方として戦闘参加。
誰も大坂城に攻め込んだ事実は無いと思うが。
231日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:09:20
>>230
福島正則は最後まで豊臣を守るつもりだったんだな
ちょっと感動

長政も軟禁されたんだっけ?
232日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:17:19
豊臣 徳川排除のために加担した戦に敗北したという事になっては困る。
徳川 少なくても名目的には主家たる豊臣家に逆らって弓を引いたという事になっては困る。
親徳川・その他の武将 上に同じ。
親豊臣武将 自分たちが近く恩義を受けた豊臣家・秀頼様に逆らって弓を引いたという事になっては困る。
島津・毛利・上杉 戦後に実権を握る徳川と事をあらだてたくなく三成のせいにするのがベスト。
特に毛利は無難に西軍総大将の地位を放棄し大阪城をでなくてはならない。

なんだ、全ての生き残った武将・人物にとっては
「石田が独断で謀反を企てた豊臣は関係ない」という事にするのに利益があったわけだ。
そうすれば皆まるくおさまる。
なんか談合みたいでいかにも日本的発想だ。
233日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:21:21
>>232
従って豊臣は西軍に承認を与えない方がいいわけだが
234日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:24:07
>>231
いやちょっと違うと思う。
福島正則は江戸城に押し込めにはあったが、彼が自由の身だからといって大阪方についたとも思われない。
嫡子に東軍参加を命じる手紙を書いたわけだし嫡子の軍が大攻撃に参加しなかったのは
むしろ万全を期した徳川に止められただけらしい。
ちなみに福島の嫡子は徳川ゆかりの女を妻とし、徳川への忠誠は厚い。
あと福島の親族が大阪方についたというのも所詮は彼らの独断でしかない。

それと「長政」っただれ?
あっ黒田長政か
彼は冬の陣で押し込められたが夏の陣では参加している。
235日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:37:40
>>234
正則が大坂につかないという理由がわからないが
米を渡したのではないか

大坂につく気はないのなら、徳川の軟禁は意味がなかったということか

嫡子にそのような手紙を書いたとすれば、家の存続は考えたのかも知れない

親族が独断で大坂につくのは忠義が厚い現れではないか

長政は、冬ではだめで、夏はOKか
謎だな
236日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:47:58
スレの流れとは関係ない質問ですまんが
美濃の石高ってどれくらいか知ってる人教えて
237日本@名無史さん:2005/09/17(土) 12:57:09
>>235
関ヶ原で東軍として奮闘した黒田長政については軟禁の必要もなかったと思うけど用心のためね。
冬の陣で軟禁した時に「出陣させてくれ」という要望が強く認められたのだと思われ。
福島が今更、大阪方に一人でつく事はありえないと思うが。あったとしても可能性の問題だ。
米については借用を請われるまま最後の手切れ金として渡しただけ。

>>236
45万石。
238日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:04:05
>>237
レスthx てか45万石なの?すくなっ!
50万は超えてると思ったんだけどなぁ。そんなもんなのか。
239日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:04:37
>>237
可能性ないと見たのなら、参戦させても良いと思うが

他に手切れ金を渡したのがいない中で渡しのであれば
十分な支援

しかも相当な量だろ

関ヶ原で家康が秀頼にもらったのも2万石程度じゃないか
240日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:16:23
>>223
大坂の陣の段階では情勢が全く違うだろうよ。
というか、関ヶ原の段階で大坂に攻め込んでも、
豊臣恩顧がそれに従うような状況だったなら、
その時点で豊臣滅ぼしているって。
241日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:19:04
>239
そうだな。どう考えても福島はともかく黒田長政は可能性ないだろうけど、
その辺は家康の石橋叩きだろ。

福島に関しては以前から大阪に備蓄米5万石を置いて、
豊臣にいざとなればその米を使うように言い含めていたので、
以前からしてた約束を守っただけと言えるな。
しかし福島は豊臣からの援軍要請の使者に「今は徳川と講和せよ」と助言したものの、
援軍の要請は断り、その書状を幕府に提出して「異心なき事」を申し出た。

他に一説、押し込めにあった福島が「私に秀頼母子の説得をさせてくだされ。
必ず二人を説き伏せて講和させてみせます」と申し出たという話しもあるが、
兵を率いて大阪方として闘おうという気はなかったと思われ。
理由は100%負けるからだな。

ちなみに福島は「大阪の陣は三年早すぎ三年遅すぎた」とも言っている。
三年間早ければ加藤清正が生きてた。
三年間遅ければ家康は死んでた。
という事。大阪の陣の時点では豊臣に勝ちがないのは見切ってた。
242日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:24:54
>>238
いや国として45万石って多い方だぞ。
信濃や越後よりも多いし。
243日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:43:20
>>241
>という事。大阪の陣の時点では豊臣に勝ちがないのは見切ってた。
家康の判断が100%正しいとは思わないが、だいたい妥当な判断をしている
従って謀反の意志ありと見てもそうおかしくはない
兵糧供給という敵対行動を取っている

勝ちがないというのは正しい判断だと思うが、正則がいれば負けはなかった可能性も高い

正則であれば、総大将として全軍をまとめて戦場に押し出していけるだろうし
和睦を拒否すればどうなったかわからない
淀君も信任したのではないか

勝ちを見切ったのは正常な軍事判断だが、結果を見るにギャンブルしても面白かった
244日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:47:26
福島正則は長くいきすぎましtね。
大坂の陣前に死んでたら勇猛な豊臣大名として
名を残せたのに。
大坂の陣で彼さえ生きてれば家康の好きには
ならなかったという彼の死を惜しむ声が後世まで
語りつがれたでしょうに。
245日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:52:15
>>244
軟禁されていたので、正則としてはどうしようもなかった

大坂の陣の前に死んでいたら、米は渡らなかったんじゃないか

その意味ではやはり忠臣と評価すべきかと

また取り潰されているのも、徳川に反する勢力と判断されたためであろう
246日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:54:18
>>242
それは解ってるけど、美濃って平地が多い米所だし
石高も50〜60万石くらいあるのかと思ってた。
やっぱ一国じゃそんなもんか。
247日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:56:49
あれ?って事は信長って尾張・美濃を手にした時点じゃ
100万石に届いてなかったんだ?三万人動員出来たみたいだから
あったのかと思ってたよ。
248日本@名無史さん:2005/09/17(土) 15:12:34
いまだに100石につき3人役という豊臣政権の軍役=動員できる数だと思ってるのがいる
249日本@名無史さん:2005/09/17(土) 15:36:41
>>243
彼を過剰評価しすぎ。

>>245
やはり改易は伊奈事件で彼を憎んでいた家康の遺命かと。
250日本@名無史さん:2005/09/17(土) 15:48:09
福島正則改易の正式な理由

台風で広島城被害大
   ↓
修復許可を本多正純に願うも、正純取次ぎをせず
   ↓
許可待たず、勝手に広島城修復
   ↓
幕府に咎められる
   ↓
修築箇所のの破却命じられる
   ↓
命じられた修築箇所の破却せず、軍事的に重要だった本丸の石垣・櫓・城門全て破却し、敵対意思のない事を示す
   ↓
命令違反で改易
251日本@名無史さん:2005/09/17(土) 16:15:25
豊臣が西軍に加担していたと思われる物証は存在はあるんだよね
西軍厨は史実探求もしないで仮想戦記に浸ってドーパミン垂れ流して満足してるから
こんなのも知らないのだが
252日本@名無史さん:2005/09/17(土) 16:21:27
美濃は五十四万石

家康の旗本の青山家長は大坂方に密かに兵糧を差し入れて処刑されている。
青山家長は嘗て福島正則の家臣であり、関ヶ原合戦時、西軍の関ヶ原
への移動を探知して第一報を入れた優秀な情報士官だった。
関ヶ原合戦後、家康が正則に頼んで旗本に貰ったわけだが、その家康
直参の旗本が、豊臣に内通したのは、やはり旧主である福島正則の心情
を汲んでのことではないか?
253日本@名無史さん:2005/09/17(土) 16:52:50
>>251
わかった。お前は正しいよ。
だから一人で悦に浸ってくれればいいから
スレに来ないでくれ、お願いします。
254日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:01:12
嫌なら>>253がスレ読まなければ済む話。
夏厨は勘違いしてるのが多い。
255日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:03:32
誰が一番嫌われてるかは一目瞭然なんだがなw
256日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:06:14
嫌われるのは

タラレバ君
教えて君
嘘つき君

これ、2ちゃんの常識。
257日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:08:01
さっさとメンヘル板に(・∀・)カエレ!!
258日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:20:53
歴史読本程度のネタしか出来ない西軍厨は放置放置
論拠ないので議論にもならんから

西軍の兵站を担っていた長束正家があまり話題にならないな
合戦に参加しないと注目されないな

それと東軍が、家康が西軍の首謀者と見ていたのは
島津義弘・宇喜多秀家・石田三成の3名じゃないかと、最近思うようになった
9月17日の田中吉政の手配書で、この3名だけは絶対に捕らえる様にとあるから
小西や安国寺がまだ捕まっておらず、関ヶ原直後では家康は首謀者をこの3名と見ていたのではないか?
259日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:24:15
島津義弘は、ゴルゴ13みたいな危険人物の位置付けじゃないかと
260日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:25:02
>>258
島津は目の前を通過されたから、その腹いせじゃ無いか。
宇喜多は言うまでも無いだろう。西軍の大老で唯一関ヶ原に居たの
だから、関ヶ原の戦場での指揮官は紛れもなく宇喜多だから。
261日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:30:43
案外、敵中突破(色々、異論もあるから言及したくないが…福島隊と交戦し、
鳥頭坂付近で井伊隊と交戦してるので、突破がどうかはともかく
熾烈な撤退戦をしたのは事実なんだろう)されたのが、かなり精神的に堪えたとか?

それとも朝鮮から撤退した後に加増させた恩を仇で返したと逆恨みしたとか?

しかし、そこまで家康陰険か?・・・と思ったが陰険なイメージあるよなぁ
262日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:31:05
論拠がないのは勝った側によって都合のよい資料だけ残されたから。
世の常だな
263日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:32:57
勝った側の都合の悪い史料が存在する以上、「勝った側によって都合のよい資料だけ残された」という妄言は通じない
264日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:33:37
あと乱の首謀者が石田と大谷であることは、最初の長束と増田の密告
で判っていたので、戦死した大谷を除く、石田じゃねえの?
265日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:38:15
>>264
密告の内容はっきりしてるの?

しかし増田長盛は、浅野長政の家康暗殺の件といい、前田利長謀反の件といい
必ず家康に密告してるな
266日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:47:38
>>263
西軍から届いた書状を家康に見せたくらい東軍の可能性大な大名まで書状を
届けているのだから、態度が明確でなかった大名には当然届けている
結果東軍へついていた大名でも西軍とも書状のやり取りをしていた大名が
かなりいたことは想像に難くない
「勝った側によって都合のよい文章だけ残された」は当たらずとも遠からず

267日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:50:13
>>265
その後の浅野の待遇を見れば家康暗殺事件は出来レース
268日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:51:43
勝った側の都合の悪い史料が存在する以上、「勝った側によって都合のよい“資料だけ”残された」という妄言は通じない
                                                ^^^^^^^^

なのに、「勝った側によって都合のよい“文章だけ”残された」は当たらずとも遠からず
                        ^^^^^^^^^

さらに悪化してる・・・
269日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:55:34
>>267
出来レースかはわからんが、その後の待遇は幸長の行動、反三成だからじゃね?
長政が甲斐蟄居後にどんな活動してた?
それでも幸長は、秀頼と家康の伏見会見では秀頼の側に居たようだが
270日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:57:23
増田も二股

謀反の噂もあったぐらいだから、東軍よりの言動も多かったと思われ

家康には相手にされなかったがorz
271日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:00:19
いつまで正規軍だとかいや違うとかやってんだい?

正規軍として行動を取ろうとした西軍とそれを正規軍と認めていない
大名達を旨く家康が利用した東軍という色分けでFA
家康でさえ西軍は徳川家に対して兵を挙げたと捉えている
272日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:02:00
輝元の大坂出馬を断った理由の増田長盛謀反の噂

本当に噂があったのか?
輝元が大坂から出たくない為、作ったのでは?
それとも噂はあったが、輝元が口実に使っただけ?

どちらにしろ、増田長盛は信用できるような人物ではないと判断できる
信頼される人間ならば、このような噂を作れない
作ったとしても一笑される

しかし、そんな増田長盛に内情を愚痴る三成の心情や如何に?
273日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:02:06
>>263のような人が勝った側の肩を持ってくれる様、多少の都合の悪い資料を残したのも家康の遠謀
274日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:03:16
陰謀史観乙
275日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:07:16
>>273
全て家康の陰謀だ!
276日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:09:28
>>272
いい見方をすれば、愚痴っておいて、できるだけ引き込もうと考えた

あるいは三成は見通しが甘く、そこまで増田が悪だとは考えなかったが
予想を越えた信用の無さであった
277日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:25:08
>>269
浅野幸長秀頼忠臣説は正しくないな。
豊臣領の隣の紀伊に所領を持ち豊臣とも親交のあった彼は
あくまで家康の意向で伏見城の会見に出るよう秀頼母子を説得しただけ。

秀頼のそばを離れなかったのも、命をかけて秀頼を守る覚悟の清正とは違い、
ポーズのようなものだったと思われ。
278日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:26:46
>>250
勿論それはあくまで口実なのであり、
改易理由は他にあるのだが。
279日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:34:46
あっ伏見城じゃない二条城の会見だった。
280日本@名無史さん:2005/09/17(土) 18:58:41
>>277
幸長が忠臣かどうかは、とりあえず置いておく

自分が言いたいのは、幸長の行動・態度、関ヶ原で家康に味方し、秀頼との二条城会見を実現させる役目を果し
豊臣連枝としての立場を明確にしながら、徳川家への権力移譲を容認し支持したという事からでは?という事

伏見城と勘違いしたのは漏れのせい…orz
281日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:12:36
秀頼って二条城へ行ったときが人生で唯一の外出?
282日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:14:16
>>281
実はそーなんです
283日本@名無史さん:2005/09/17(土) 21:28:40
超マザコンのボンボンかもな

責任はママにあり
284日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:35:50
>>280
>豊臣連枝の立場を明確?

おいおい勝手に決めつけるな。
幸長は家康の意向で秀頼母子を説得しただけ。
秀頼警護したのも家康了承済みの
アリバイ作りみたいなもの。
家康も当初は当初は豊臣対策は穏便にと考えてたようだから、
二乗城会見は半分は家康の思惑によるものだよ。

千歩譲って、幸長が独断で二条城会見を進めてたとしても、
それは「豊臣連枝の立場を明確」とまで何故言える?
豊臣と徳川が穏便に収まればそれでいい程度の考えだろう。
そもそも豊臣・徳川の関係が穏便になるのは、紀伊に所領を持つ浅野家にとっても利益になるぞ。
285日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:41:55
今テレビでやってるけど
まぢで裏切りがなければ余裕で勝てたんだ・・・
286日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:45:18
そもそも外様の伊達政宗ですら、
「秀頼公は2、3ヶ国もらっておとなしくしていのるがいい。そうでないと
不届き者が秀頼公を担いで反乱を起こし結局は秀頼効も滅ぶ事になるから」
と発言してる。

豊臣家や秀頼にやや同情し、徳川政権の中で無難に収まってくれれば良いなと考えた大名は多かったようだ。
というか徳川家中にも多かったし、
家康自身も当初は太閣の遺言を守ろうと努力していた。

その穏便な対豊臣政策も淀君らが強硬姿勢でおじゃんにしてしまったわけだが。
287日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:00:37
>>285
俺も見たよ。
やっぱり島津は部隊間をすり抜けるのは不可能だったんじゃない?
突き抜けたっていう方が妥当なような…
288日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:23:40
東軍の多くが石田と宇喜多の陣に殺到したために一時的に島津勢の前が手薄になったともいう
289日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:24:34
家康も嫌いじゃないんだけど、秀吉びいきの自分はあの手の番組をみるとどうしても切なくなるよ。三成は頑張ったなぁ。
小早川って呪い殺されたって話なかったっけ?
290日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:48:25
>>288
そういう事。東軍は腫れ物に触るように島津無視。
島津も一塊になって、鉄砲構えて威嚇してただけ。

島津が恐かったのか、
特に積極的に攻撃してくる様子もなかったので放置してたのか
そんなとこだ。
最後に前進してきた時も「触らぬ神に・・・」の状態。
291日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:52:03
島津隊は鉄砲を全員、完全武装し
ハリネズミ状態だった。
292日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:54:31
>>289
大谷の怨霊に呪い殺されたとも
農民を試し斬りにしようとした時に
その農民に股間を蹴られて金玉を潰されて死んだとも
言われてる。

つまり評判は最悪。
293日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:56:01
てっ言うか石田と宇喜多という上等の獲物が前線に出てきているのに、
わざわざ島津を相手にする奴はそんなにいないだろう。
294日本@名無史さん:2005/09/18(日) 00:27:30
豊臣恩顧は島津と親しいので同情的だった
295日本@名無史さん:2005/09/18(日) 00:31:00
当時の常識からして、まさか前に出てくるとは思わず
逆をつかれたという面もあった
296日本@名無史さん:2005/09/18(日) 02:17:21
島津は旗を巻いて逃げた。その為、東軍の部隊であると誤認した者も
多かった。幸い島津は兵数も少ないので、あまり目立たない。
297日本@名無史さん:2005/09/18(日) 02:34:45
前半部分は大いに同意だけど、後半の「家康自身も当初は太閣の遺言を守ろうと努力していた」
とか「淀君らが強硬姿勢でおじゃんにしてしまった」とかは山岡史観でしょ
秀吉の死から大坂夏の陣までの家康の行動を鑑みるとそういった意見は出ないと思うけど
298日本@名無史さん:2005/09/18(日) 04:12:44
家康が何が何でも絶対に豊臣を滅ぼすつもりだったという説こそ、
古くさいと思うよ。
豊臣は助かろうと思えば助かった。
徳川配下の一大名としておさまれば。
299日本@名無史さん:2005/09/18(日) 04:34:47
>>251
豊臣家が西軍に荷担して、西軍を正規軍と認定したという物証は、家康の討伐を全国の諸大名に呼びかけた「内府ちがいの条々」と、これに添えた豊臣三奉行(前田玄以・増田長盛・長束正家)連名になる家康糾弾状。
豊臣奉行の連名状は「奉書」といって豊臣秀吉や秀頼の命令を公式に伝達する文書。
これらは秀頼や淀君の承認なくして発布することはできないのだから、豊臣奉行連名による家康糾弾・討伐の文書が全国の大名に向けて発布された以上、豊臣家が公式に家康追討の意思を表明したということになる。

家康も豊臣家大老なんだから、かれが単独で発布する文書であっても通常ならば、豊臣家の意向にそった命令文書として有効なのだけれど、「内府ちがいの条々」が大坂から発布された時点で、家康発布の文書は豊臣体制の公式文書としてのユ有効性が剥奪されてしまうということ。
300日本@名無史さん:2005/09/18(日) 06:34:10
>>299
淀君の承認の法文上の有効性はどこに書いてある?

豊臣の敵になることを知って、家康についたのだな?

豊臣は決戦に敗れたのだな?

破れた後は徳川の天下だな?
301日本@名無史さん:2005/09/18(日) 06:57:04
豊臣が西軍に荷担してようが荷担してのいが、
そんなものは戦後にうやむやにされてしまったんだから論じる意味はさしてない。
そもそも徳川自体がうやむやにするのに協力的だったんだよ。
大阪の陣だって別に豊臣が関ヶ原で西軍に荷担した罪状で攻撃を受けたわけではないのだ。
302金吾秀秋:2005/09/18(日) 09:00:46
先週から急に涼しくなったね(´・ω・`)
303日本@名無史さん:2005/09/18(日) 09:08:03
もしもインパール作戦の牟田口将軍が関が原に参戦していたら??
304日本@名無史さん:2005/09/18(日) 09:42:03
地形が読めないのでダメ
305日本@名無史さん:2005/09/18(日) 12:52:20
>>304
人間に牛や馬を乗せて参戦したかもしれん。
306日本@名無史さん:2005/09/18(日) 13:19:06
>>300
ここのスレの住人には「奉書」というものを知ってる人間があまりいないようだが、前近代の歴史を正確に理解しようと思ったら、古文書学の基礎知識ぐらいは知っておかなければダメ。
「奉書」の伝統は古くさかのぼって、武家政治の前からあるのだけれど、鎌倉幕府でも室町幕府でも、戦国大名でも、それからあとの江戸幕府でも、この「奉書」という形式が政権の公式的命令文書として多様されている。もちろん豊臣政権についても同様。
「奉書」は執権とか奉行人とか老中とか、主君(天皇・将軍・関白・大名)の家臣が、主君の意向を奉じて発布する文書の形式。
この文書には、主君の署名とか捺印・花押とかはいっさい記されない(鎌倉幕府の頼朝が一時、花押を記したケースはあるが)。
これでこの「奉書」は有効として伝統的に承認されてきている。
つまり、この「奉書」の存在を主君が否定しない限り、この文書は効力のある公式文書として通用するというわけだ。
307日本@名無史さん:2005/09/18(日) 16:51:49
>>305
畠山重忠
308日本@名無史さん:2005/09/18(日) 17:10:27
豊臣秀頼は下手に臣従するより大坂城で戦って死んで良かったかもしれん。
309日本@名無史さん:2005/09/18(日) 19:36:40
>>308
秀頼は戦っていないように思える
310大和天狗:2005/09/18(日) 23:59:37
例えばの話だがね、

東軍がだね、秀忠の部隊を1万5千〜2万位で先鋒部隊に次いで
      東海道から派遣するとかね、
      或いは押さえを残し予定通り東山道を上っていたとか、
西軍がだね、早い段階で清洲城を奪うとか、

両軍のヘマを削っていくのも面白い
311日本@名無史さん:2005/09/19(月) 00:11:51
>>306
だから、仮にそうだとすると
豊臣が徳川に負けたことになるのだが?

武将も豊臣に弓を引いたことになるのだが?

そういうことなんだな?

奉書の根拠はどこに明記されているのか?
豊臣の法体系の中で
312日本@名無史さん:2005/09/19(月) 01:06:09
>>299
>>306
横レスだが、「内府ちかひの条々」は公文書であるが奉書ではない。
この文書には上意の伝達であることを示す文言(例えば「所被仰・・・如件」など)が全くない。

そもそも、この「内府ちかひの条々」は、西軍首脳(秀家・輝元など)が諸大名に対して
西軍への参加を要請する書状(これも奉書ではない)に別紙として添えられたもの。
なぜこのような形式をとったかというと、豊臣氏の制度では「五奉行」が法度の番人だったから、
家康の法度違反を指摘する「内府ちかひの条々」は「五奉行」の名前で出されるべきものだからだ。

もちろん私的な弾劾状などではなく、公文書であることは間違いないが、
秀頼の決裁などは全く必要ない。
ついでに言えば、秀吉死後の軍事指揮権は「五大老」が握っていたから、
軍事行動にかかる指令についても秀頼の決裁は不要。

つまり、上杉征伐や関ヶ原合戦のどの局面においても、
豊臣秀頼(及びその側近)が関与する余地はほとんどなかったし、
それゆえに、東西両軍とも豊家擁護を大義名分に掲げるという奇妙な構図がまかり通ることになったと言える。
313日本@名無史さん:2005/09/19(月) 01:33:32
>>312
当時の豊臣奉行については、浅野長政と石田三成の両人は失脚して奉行の資格を失っている。
したがって、残された前田・増田・長束の三奉行の連署で豊臣政権の公式的意思を表現することになる。
314金吾秀秋:2005/09/19(月) 06:49:38
「内府ちかひの条々」に金吾が署名していたら、
受け取った家康は、金吾に弾劾されたことにより、プライドがズタズタに
なって、ショックで寝込んでしまう。
効果覿面なわけだがw
315日本@名無史さん:2005/09/19(月) 07:49:20
だからー、奉書だかなんだか知らないけど、
当時の武将たちですら戦後うやむやにしたような事を

現代人がしゃしゃり出て公文書だなんだと白黒つけたって意味がないだろう。
316日本@名無史さん:2005/09/19(月) 08:00:41
そのとおりでごさる ちっこいちっこい
317日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:00:03
>>316
おまえ、ここに来るな
318日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:09:04
奉行などというものは、上位者の意を受けて動くただの道具にすぎない。
奉書に必要なのはあくまで正統な上位者の意思。
筆頭大老たる家康の留守中に、誰の命で発給されたのかもわからん奉書が届いた。
しかも家康を糾弾する内容である。
心ある人々はこれに当然クウデタアの臭いを嗅ぎ取り、
謀反に加担した奉行衆の志の低さに眉を顰めたであろう。

奉書は便所の紙にでも再利用されたのではないか。
319日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:12:32
実務代行者が不在なのだから無効だろ
東軍は豊臣の名で行動中の豊臣軍

従って西軍は反乱軍
320日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:20:15
っていうか、>>312が奉書じゃないって教えてくれてるじゃん。
321日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:30:51
西軍の首謀者は謹慎中のもの
どう考えてもおかしいだろ
322日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:36:17
関ヶ原後も朝廷は依然、秀頼を関白にするつもりであった。
323日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:50:31
それ本当?
普通に考えれば、摂関家が豊臣家に関白の座を譲り続ける理由がないんだが。
324日本@名無史さん:2005/09/19(月) 11:32:06
譲り続ける必要はないが
秀吉の後継者で摂家豊臣家の後継ぎであることは
厳然たる事実だった。
325日本@名無史さん:2005/09/19(月) 11:37:44
今月号の吉田論文ね
326日本@名無史さん:2005/09/19(月) 11:48:09
程度の低いスレだな…
327日本@名無史さん:2005/09/19(月) 12:06:42
でしょー
328日本@名無史さん:2005/09/19(月) 16:03:48
家康厨・東軍厨は、豊臣奉行の発した家康弾劾状や内府ちかいの条々を豊臣政権の公式命令書であることを否定したいようだが、それは無駄なアガキ
家康がこれにどれだけビビッたか、ちっともわかっていないなw

329日本@名無史さん:2005/09/19(月) 18:18:39
>>328
既に公式でないことが証明されているが?

それとも関ヶ原で豊臣が滅んだことにしたいのか?

びびったとしても、公式かどうかは関係ないが
330日本@名無史さん:2005/09/19(月) 18:27:39
西軍が豊臣方であれば、関ヶ原の戦いで豊臣は徳川に敵対し、
軍門に降ったわけだ。大坂の陣は、謀反を起こした豊臣を成敗した
戦いとして、徳川に大義名分が付く。
331日本@名無史さん:2005/09/19(月) 18:47:32
>>231
君のような福島正則厨に言わせてもらうが
福島正則が良い人だったのは武士(特に自分の配下の武士)や豊臣秀頼だけだぞ。

自分とこの領地ではえらい酷政を行ったので評判が悪い。
清洲に居た時も酷税を行ったが安芸・備後に移ってからはさらにひどい事をした。
滅茶苦茶な搾取で本来は豊かな安芸の農民を餓死させたり、
農民を人夫として使役しろくに飯も与えずに働かせたり、
城に直訴に来た農民を「お前ら百姓風情が我ら、命をかけた戦う武士になにを言うか」と全員斬り捨てたりした。
しかも福島自身は相当ぜいたくをしたという。

こういう話しを聞くと
大阪の陣以前に豊臣家に大量の米を持ち出させたり、
八丈島の宇喜多秀家に家臣が酒を恵んだ時に家臣を誉めたという話しの見方も変わってくるな。
武士に対しては涙もろく、友情的・人情的に接するが、
農民は人間以下の存在とでも思ってたようだ。
332日本@名無史さん:2005/09/19(月) 18:49:20
福島が安芸を追われるさいは
農民はこおどりして喜んだだろうね。
物事はちがう方向から見るとすごく印象が変わるもんだ。
333日本@名無史さん:2005/09/19(月) 18:59:50
>>330
は??
謀反を起こそうとしている徳川を先手を打って討とうとしたが
結果は東軍の勝利に終わってしまっただけだろ
東軍にも豊臣に心を寄せる将はいるため間接的な方法で豊臣を弱体させた
豊臣領を勝手に恩賞として取り上げているしな
334日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:15:07
福島正則が本気で豊臣家のため云々考えてたのなら、アホの極致じゃねえか。
335金吾秀秋:2005/09/19(月) 19:19:58
まったっくアホの極致とはこのことだな(´・ω・`)
336日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:30:24
福島正則は検地後、役人に一軒一軒農家を廻らせて状況を説明させ
村毎に検地帳を配布させている。
また直訴に来た農民を斬り殺した際も、国元から江戸へはるばる
出てきた農民に食事を与えて歓待中の出来事だった。
感情の起伏は激しいが、一概に暴君であったとは言えない。
また清洲を離れる際も、子供の頃に世話になった尼の面倒を尾張に
残る家臣に依頼してもいる。
贅沢はしていないだろう。奥方は新しい着物を買った事が無く、正則
のお古の着物をほどいて繕い直して、自分の着物を造っていたくらい
だから。
その奥方は夜中に酒を飲んでいる正則に、怒って斬りつけた程だから、
尻に敷かれていたのだろう。
337日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:33:08
>>334
俺もそう思う。
てか俺の脳内では福島正則って本当は領地が欲しかっただけ
なんじゃないかと思ってる。西軍についたら仲の悪い三成や奉行が
論功もする訳だし、そうなると自分の出番が少ないから東軍に居続けたんじゃ
ないかと思ってる。
338日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:47:04
>>337
あの頃の武将が、手柄を立てて領地を増やそうと思うのは普通だぞ。
戦う限り誰でもそう思う。戦ったら家臣に褒美を与えないといけな
いから。
339日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:47:12
>>329

306の意見に反対している312ですら、豊臣三奉行の文書が公式文書であることは認めているようだが
340日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:47:43
>>336
何でも食事を与えて歓待させ、油断している所を斬り殺したのだという。ようするに騙しうちだ。
それで家臣が福島に言った言葉が「殿も豪気ですなあ」という現代人には不可解なものだ。
341日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:48:22
>>338
いやだから、西軍についたら大した恩賞貰えないから
東軍に味方したんじゃないかと思ってるって言ってるだけだが
342日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:55:56
桶屋の息子だった福島は15の時に
殺人を犯して秀吉に預けられたそうだ。
時代が違うとはいえ感心できる人物じやないね。
343日本@名無史さん:2005/09/19(月) 20:02:19
>>342
十二才だぞ。足軽に絡まれたとか。
小学生の年の子供が武器を持った大人に絡まれたのだ。
普通に正当防衛だろ。
344日本@名無史さん:2005/09/19(月) 22:20:01
>>331
そうだとすれば酷いな

しかし今も昔もダブルスタンダードな人間は多い

戦国時代であれば特に異常な話でもない

「たかが選手風情が」というのが権力者の実感だよ
345日本@名無史さん:2005/09/19(月) 22:22:25
>>337
領地が欲しいだけではないが(欲しくない椰子はいないが)
三成憎しはその通り

そのために家康は弱体化した後、放置したんだし
346日本@名無史さん:2005/09/19(月) 22:24:38
>>339
312がどうかしらんが、公式ではないだろ

公式なら、関ヶ原の時点で豊臣は終わったと言うことになるが?
347日本@名無史さん:2005/09/19(月) 22:27:00
>>340
そうか?

豪気じゃないかw
348日本@名無史さん:2005/09/19(月) 22:47:58
関ヶ原に真田丸を作ってしまえば西軍が勝てた。
349日本@名無史さん:2005/09/19(月) 23:13:33
>>346
そうじゃない。
「五大老・五奉行制」は、豊臣秀頼が政策決定に関与しないシステムだから、
東が勝とうと西が勝とうと秀頼の政治責任は追及されない仕組みになっている。
関ヶ原合戦は豊臣政権の内部分裂であり、豊臣系諸将の派閥抗争がこれに絡んでいる。
東軍の勝利に対して徳川に味方した豊臣系諸将の貢献は絶大であり、
そのために戦後処理において、「五大老・五奉行制」は完全に解体されたが、
それに代わるシステムとして徳川・豊臣の「二重公儀体制」に移行した。

東西どちらが豊臣家公認の正規軍かなどという議論は全くナンセンスでしかない。
350日本@名無史さん:2005/09/19(月) 23:17:39
>>349
公式に承認されていないものは正規軍ではないが?

反乱軍を正規軍と呼べというのは狂った論理だが
351日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:02:36
秀頼は決定に関与はしないが、所領宛行城にしろ、必ず秀頼の名で出されてる
勿論、大老が添状つけてるが

内府ちかひの条々は、奉行としての正式な文書であって
豊臣政権としての公式文書、奉書でもない
奉行に罷免権の存在はないのだから

官僚が国会で総理大臣に対する不信任を力説し提出ってトコだね
その行為には意味があるが、それが法的、豊臣政権体制で有効かといえば無効だということだね
352大和天狗:2005/09/20(火) 00:07:34
またはじまった。あのね、

上杉討伐は、善し悪しはともかく一応の手順を経て決定されたもので、
政権が認めた正規な派遣軍。
一方、三成は大義名分として奉行衆連判による内府違いの云々で、
云わば決起軍。
それでだね、つまりこのパターンは最初から勝てば官軍の争いな訳だ。
東軍から見れば西軍は反乱軍。
西軍から見れば家康は東夷で成敗する。

349の最後の一行は全くその通りだ。
秀頼からすれば(わからなかったと思うが)、よきに計らえ。
だろ?
だって、どっちも全員自分の部下なんだよ。

353大和天狗:2005/09/20(火) 00:10:36
それを止める力が無かったんだよ豊臣秀頼は。
その母親もね。心情的に淀は西軍よりとされるが、
結局勝った方に、苦労であった、となるわけだ。
354日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:13:45
勝てば官軍なのはその通り

しかし反乱軍を正規軍と言うことはないよ
355大和天狗:2005/09/20(火) 00:14:54
西軍厠や豊臣びいきについて言えば、
あのまま上杉攻めが敢行されていた方が良かったかも知れない。
歪な鎌倉幕府型様な政権になったかも知れないが、
滅亡の憂き目に遭わずとも済んだ可能性もあるわけだ。
家康にしろ、後味の悪い大坂攻めをせずに済んだことだしな。
うんまあ、しかしそれも難しいところか。
356日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:15:35
>>346
謀反を起こそうとしている徳川を先手を打って討とうとしたが
結果は東軍の勝利に終わってしまっただけだろ
東軍にも豊臣に心を寄せる将はいるため間接的な方法で豊臣を弱体させた
豊臣領を勝手に恩賞として取り上げているしな
357大和天狗:2005/09/20(火) 00:18:13
354判っているよ。

358日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:24:17
蔵入地が全国バラバラなのが痛いな
秀長生存時なら上方だけでも相当な(準)直轄地があったのに
359日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:24:20
淀が豊臣家に口出せたのは関ヶ原以降だ
大坂陣のイメージだけで、この時期に淀君持ち出すな

むしろ戦前後の北政所の行動、木下家定の行動から
彼らの影響の方が圧倒的に強く関与していたと言うべきだろ
360大和天狗:2005/09/20(火) 00:26:54
西軍は、自分達に正当性があるから自分達こそ正規軍だ、というスタンス。
だから、どっちが正規軍とかを突っ込んで議論する意味も無いと思うから、
いい加減にしろと再々言ったんだよ。
これは理解してくれるだろ?
無論、西軍が正規軍で東軍が賊軍だという一方的な見解があれば否定する。
361大和天狗:2005/09/20(火) 00:28:42
あっ被ったな。
359その淀については俺様に言っているのか?
362日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:38:13
>>360
議論する意味がないとする理由がわからないが?
363大和天狗:2005/09/20(火) 00:46:24
弟子を真似るのも一興だなフフフ

≫淀が豊臣家に口出せたのは関ヶ原以降だ
@まず、これの傍証を伺おうではないか

≫大坂陣のイメージだけで、
A誰がその様なイメージを抱いているのだろう?
 誰かがその様なイメージを抱いている傍証は?
 どの話の脈略から大坂の陣イメージが出てくるんだ?
 基地害かな?

≫この時期に淀君持ち出すな
B何か不都合でもあるのか?
 彼女に戦を止める力は無いと言っただけだぞ。

≫むしろ戦前後の北政所の行動、木下家定の行動から
 彼らの影響の方が圧倒的に強く関与していたと言うべきだろ
Cたまたま淀に言及したからと言って、
 すかさずおネネや家定がどうのって話が飛躍し過ぎてはいないか?
 話の脈略からして、彼らの影響を主張したからと言って、
 正規軍の話に何の関係があるのだ?
 因みに、俺様は別に両者の影響関与を否定する立場ではないぞ。

どうも司馬史観者が多過ぎ。
364大和天狗:2005/09/20(火) 00:50:25
362さん
どうも話が見えないね。
どっちかが正規軍だと結論付けて何か意味があるのか?
と言う立場。
西軍が勝てば彼らが正規軍。
東軍は勝手当然正規軍。もともと東軍は正規な派遣軍。
西軍も派遣を足止めされた部隊の集まり。
だから、ここでどっちが正規軍と議論してもあまり意味をなさない。
勝った方が官軍だから。
365大和天狗:2005/09/20(火) 00:53:15
ほらな。
何時までもどうでもいい事グズグズネチネチやっているから、
(中には多少マシな議論も散見したが)
俺様が蔓延ってしまうのだ。
366日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:56:25
>>364
関ヶ原をどう捉えるかという観点から非常に重要度が高い

特にここでしばしば論争になっているように
西軍が正規軍であると考えている者も多い

正規軍であれば、議論のベースとして様々な疑問や議論が生じる

一方反乱軍であるとすれば、自ずから消去される事項がある

これは東軍も同じ

もし東軍は豊臣の敵であるなら、当然それに伴う諸議論の方向性が変わってくる
367日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:57:30
>>363
家康が天下を狙っていたとする根拠は?
368日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:57:38
>>363
1.淀君が関与したと窺わせる物証の存在がない

2.物証の存在がないのに、淀君の名前を出す時点で大坂陣もイメージで語ってる
 そうでないなら、物証を出す事

3.止める力も何も、名前を持ち出すこと自体が、知識の浅さを滲ませてる

4.女房衆の話出したなら、北政所を出すのが適当であり、正規軍か否かの話にも
 関わってくるからである
 ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knsh/shirakawa.htm

バカコテに徹していれば叩かれずにすむものを
369日本@名無史さん:2005/09/20(火) 01:00:03
とりあえず機種依存文字使うのは厨の証拠ではある。
370大和天狗:2005/09/20(火) 01:00:55
@〜Cの解答はいらないヨ
俺様は優しいからな

まあ幾ら2チャでも、
相手の言葉尻を捕らえて不毛な議論に終始するのは誰も本意ではあるまい。
(よく言うよ俺、でもそれをネタに挑まれれば買うまでダ)
我が弟子の至らぬところは師である俺様の責任だ。
弟子もこれからは気を付けるであろう。
皆衆どうか許してやってくれ。
371日本@名無史さん:2005/09/20(火) 01:03:06
逃げたw
372日本@名無史さん:2005/09/20(火) 01:15:36
秀吉死後から関ヶ原終了までの間、豊臣家で淀君がどのような行動を取ったのか
それを伺い知る物証は存在しない

あれだけ徳川家からは悪女扱いされているにも関わらず、この当時では名前さえ出てこない
当然と言えば当然だ、北政所の影響力が豊臣家に強く残っており、官位もない生母の淀君は
何かしらの発言権すらもっていないのだから

だから関ヶ原の時に淀君の名を持ち出す事自体がナンセンスである
しかし、誰も淀君が口出したとも主張していないのに、その名前を持ち出したのは、
大坂陣の淀君のイメージを、そのまま関ヶ原当時に持ち込んでるバカコテだけなのである
373日本@名無史さん:2005/09/20(火) 01:27:49
大坂城にいる豊臣奉行たちが出した家康に対する弾劾状の意味は重いと思うよ。
これは石田三成や大谷刑部が決起を呼びかけるのとは全く性質が違うから。
実際に秀頼や淀君が関与したかどうかは分からないけれども、世間では二人の意向を受けて奉行たちが弾劾状を発したと感じるのではないだろうか。
西軍が急速に10万以上の軍勢を集められたのも、そのためじゃないの。
374大和天狗:2005/09/20(火) 01:48:11
あッまた被ったな、どうやら弟子の様だ ・・・お前・・・
それテストの解答なら零点だよ。不肖の弟子よ、師に涙させるな、お前本当に何を習ってんの?
@まず、物証の存在が無いことを、直接の傍証に出来ないんだよ・・・
 大学で習わなかったか?本当に判っているのか?俺がお前の事を馬鹿にするのは、この事なんだ。
 一度でも歴史を専門に習えば常識なんだよ。
 ◎傍証があるから、関が原以降は口を出せた
 ×傍証が無いから、関が原以前は口を出せない
 お前が言っていることは×を○にしちゃっているの。
A傍証を求めいるのは俺であってお前じゃない。チャント答えなさい。
 淀の名前を出す=大坂陣イメージは、お前が勝って決め付けた相手の印象でしょう?マジで中学生か?
 まあこれの傍証を示せと言った俺が意地悪なのは認めるが、
 そんなものお前に出せるわけ無いから答えなくていいよと言ったの。
 親の心子知らず訳だ。しかも逃げたと笑う浅はかさたるや。だから涙したんだよ。
 それともう一度読み直せよ。お前本当に基地害か?自分の言っていること恥ずかしくないか?
 関が原と言う戦いが史実としてあるのに、その物証を俺に出せって言うの?
 お前もしかして古文読みすぎて現代語の判らなくなったか?
 ≫それを止める力が無かったんだよ豊臣秀頼は。
 ≫その母親もね。心情的に淀は西軍よりとされるが、
 ≫結局勝った方に、苦労であった、となるわけだ。
B・・・淀を持ち出す=知識の浅さ
 答えになってないだろ。無論答えられないと思っていたよ。
 まあ後出しジャンケンが得意みたいだけど、それでも勝てないねお前は。
C俺が先に淀云々して、さも徳オタで司馬史観派らしい言い分だ。
 只ね、彼女らのことは否定してないって言ってるよ俺は。よく読めよ。
 それと淀やネネらを女房衆と言うのはセンスが無さ過ぎ、
 やめて置いた方がいいよ。オネネの話を持ち出して、
 どうでもいいどっちが正規軍の説明は要りませんから〜〜〜。
情けは人のタメならずだったわな。さてこの際、どっちの言い分がまともかを
皆衆に決めて貰おうではないか。
375大和天狗:2005/09/20(火) 01:56:05
高らかに372で物証云々を宣言し、
自らの恥を晒すお前に期待するのは止めた。

≫大坂陣の淀君のイメージを

一応聞いておく。どんなイメージなのだ。
俺も知りたい。
なんせお前が言い出したんだからな司馬史観君。

376大和天狗:2005/09/20(火) 01:57:08
皆衆!
判定をよろしく♪
377大和天狗:2005/09/20(火) 02:01:05
内府違いの弾劾状自体は実に的を得たものだ。
378大和天狗:2005/09/20(火) 02:04:17
発言力と官位ねえ
センスないや
一つ聞くが尼将軍政子はどんな官位がありきや?
それと日野富子は?
つまり、
書くなら官位云々はいらないんじゃないの?
379大和天狗:2005/09/20(火) 02:07:35
≫何かしらの発言権すらもっていないのだから
 ↓
≫だから関ヶ原の時に淀君の名を持ち出す事自体がナンセンスである

『だから』
このだからの使い方に無理を感じているのは俺様だけだろうか?
説得力がこれ程ない『だから』も珍しい
380大和天狗:2005/09/20(火) 02:11:40
誰もそんな強弁していないのに、

≫大坂陣の淀君のイメージを、そのまま関ヶ原当時に持ち込んでる

と相手に勝手なレッテルを貼って、それを強弁している。
チョット笑ってしまった。カワイイかも。
要はまともにヤリ合って勝てないからゲリラ戦か。
まあそれなら戦術としてありか。
でも俺様には無理筋だね。
381大和天狗:2005/09/20(火) 02:14:08
普段の努力多少評価してやるけど、その成果がないよ君には。
『だから』誰も説得出来ないんだね。
382大和天狗:2005/09/20(火) 02:15:45
皆衆は気が付いていると思うが、
我が弟子はタイプで言うと「三成」だ。
皮肉にも明かに「家康」ではない。
どうだ?
383大和天狗:2005/09/20(火) 02:19:09
で、結局本筋と関係無い方無い方へと向かうが戻そう。
仕方無いんだよ、
資料オタ君は知ってることを全部言いたいからね。
1600年に内戦があったとさ。
384大和天狗:2005/09/20(火) 02:20:20
その内戦はどっちも正当性を主張していたよ。
385大和天狗:2005/09/20(火) 02:34:22
上杉攻めが敢行され、
景勝討死とか降伏後に切腹等とかの場合、
その後はどうなったんだろう?
386大和天狗:2005/09/20(火) 02:35:07
戦の推移も気になるね。
越年する場合もあるし。
387東西どちらでも無い真田厨ですが、何か?:2005/09/20(火) 02:36:15
物的証拠が無ければ事実そのものも無いのか?
否、断じて否!

一つの仮説を考えてみた。可能性は0では無いであろう。

太閤秀吉没後、秀吉の遺言を反古にし、豊臣政権内にて確固たる地位を得んとする内府家康。
是を豊家に対する「謀反」と捉えたのは、秀吉が生前最も信頼した治部少輔三成。
三成は盟友直江山城守(上杉)と謀議の上、家康討伐を企てる。
しかし、三成はこの計画を豊臣の名に於て行なう事を是としなかった、なぜか?
相手は名実共に豊家に次ぐ大大名であり、街道一の弓取りと言われた家康。勝算は五分以下か?
豊家の名に於て挙兵し、万が一にも負け戦の憂き目を見よう物なら、事は豊家の存続に関わる。
其処で、三成は秀頼(淀君、片桐市正且元等)に家康討伐計画を打ち明けた上で、豊家とは無関係の立場を取る。
そして、家康には豊家の名に因る上杉討伐を命じ、豊家に巣食う反乱分子を家康の下に集めさせる。
其の上で、故太閤恩顧の中納言秀家、盟友刑部吉継等と挙兵、是を壊滅すれば、豊家の安泰を謀れると読んだのではないか。
武運拙く負けようとも、私軍であれば豊家に類が及ぶ事も無し。
事の計画は全て大坂城内に於て密談し、戦後の万が一を考慮し、証書の類は是を一切残さぬようにした。
しかし、三成の豊家に対する忠心を潔しとした秀頼は、無関係の立場を取りながらも、関ケ原に黄母衣衆を送り出しのであるまいか。

全ては大坂城内の奥深く似て行なわれた密議であれば、是を知る者も限られ、又、物証も是無き。
388日本@名無史さん:2005/09/20(火) 02:42:17
立花宗茂なんか家康に対して特に憾みはないだろうに、大坂奉行衆の呼びかけに応えて馳せ参じたのなんか、「内府ちかいの条々」の効果覿面というやつだろう。
なにせ立花の場合、軍役規定人数は3千人でいいのに、倍の6千人ほどを引き連れての参陣だというからな。
389大和天狗:2005/09/20(火) 02:45:28
387氏よ、弟子のことはほっといてやってくれ。
そもそも弟子は物証の扱い方を知らんのだ。
貴君の言うところの可能性はある。

それより一緒に上杉攻めはどうであろう?
それとも清洲攻めなどは。
或いは秀忠を東海道から西上させるとか?
390大和天狗:2005/09/20(火) 03:09:34
弟子の名誉のために言っておきますが、

≫物的証拠が無ければ事実そのものも無いのか?

そうは言ってはいないのでありますが、
結果としてそう言っているに等しいところが、
不肖なのであります。
師として非常に辛いのですが、どうか多めに見てください。

今更ながら弟子を庇う義理もないのでありますが、
彼には私には無い将来があるのです。
司馬史観を打破し新たな史観を築ける人材なのです。
本人は全く気が付いておらず、
どっぷりと現在の歪んだ史観のなかで惰眠を貪っり、
自らの立場に絶対的な価値を置いておりますが、
その様な者こそ日本史の新たな開拓者にふさわしく、
その様な者が取り組むところに価値があろうかと存じます。

私が諦めないのはその一点なのです。
弟子に柔らかさを与えるのが私の使命なのです。
歴史の真実を明かにする。
残念ながら私には時間がありませんが、弟子にはあります。
そこに一筋の光明を見出したのです。
彼なりに努力はしているのです。
それはどうか正当に評価してやってください。

391大和天狗:2005/09/20(火) 03:14:19
さあ出でよ鞍馬天狗よ
師とともに新たな史観を築くのだ
それが貴様の運命だ

かように歴史とは繰り返す要素も多分にありますが、
ターニングポイントは必ず存在します。

目覚めよ鞍馬天狗よ
自らを否定するのだ
さすればそなたはスタート地点に立つことが出来よう
もう直ぐだ
フウ
392金吾秀秋:2005/09/20(火) 03:22:07
大和天狗ちゃんもカルピス飲む(´・ω・`)?
393日本@名無史さん:2005/09/20(火) 03:22:43
元々家康よりだった三奉行が、何故弾劾状をだすようになったのだろう。
三成に脅迫されたのかな。
394日本@名無史さん:2005/09/20(火) 03:47:36
秀頼と淀君が三成に荷担していたのか、それとも軟禁かなんかされていたのか、そんなことは物証もないことだから何とも言えない。
でも、大坂の豊臣三奉行による家康糾弾状が出ていることは、れっきとした物証。
問題は、この豊臣三奉行の家康糾弾状を、全国の大名・武将たちがどういう形で受け止めるか、どういう効果を発揮したかが問題
395日本@名無史さん:2005/09/20(火) 06:24:49
三奉行は豊臣家の奉行としての職務を放棄し、
謀反に加担して己の肩書きを不正に用いた弾劾状を書いた。
現代で言うところに内乱罪、公文書偽造罪であろう。
乱の平定後、長束はさらし首となったが、
謀反人達の内部情報を送っていたことが認められ、増田、前田の二名は助命された。
奉行たちは三成らに加担を強要されていたのかもしれない。
396日本@名無史さん:2005/09/20(火) 06:30:34
>>395
最初に石田、大谷の謀反を家康へ注進した時は三奉行も職務に忠実
だったのだがな。その謀反に意外な大物が(宇喜多)付いていて、
大軍を率いて大坂に接近中だった毛利の動向が定かでなく(安国寺の
挙動が不審)心ならずも謀反を支持したのだろう。
安国寺や三成の策略が巧くいったのだな。
397日本@名無史さん:2005/09/20(火) 07:55:06
あの三奉行の家康弾劾状は本気印だな。迫力ある。
脅迫されて、いやいや書いたものとはとても思えない
398日本@名無史さん:2005/09/20(火) 08:28:07
昨日早朝…東海道線、関ケ原駅付近通ったら関ケ原古戦場の看板がありました。 ここで徳川家康が…
399日本@名無史さん:2005/09/20(火) 10:22:00
いずれにせよ、外交的には勝ったと同じだったよ。
関が原で家康より、兵力が勝っていた点においては。

関が原における石田三成の戦略は、なかなかの大才を思わせる。三成の最終目的である大会戦において、一気に反乱分子を撃滅するという思想は正しい。その後の掃討戦がかなり楽になるから。

あのあたりの地形も西軍は大垣城、山とかあって、なかなか守りやすく、総崩れはしない地形。
逆に東軍は一度崩れると、持ちこたえにくい地形である。補給の問題も西軍有利。

最終決戦の陣形も、図上では西軍の必勝形である。

徳川家康は一介の文官に、こういう互角の勝負をされたことに舌を巻いたに違いない。

ただ、どんな名将でも石田三成の立場だったら負けただろう。
家康の背後をつける西軍総大将の毛利軍が全く動かず、、、、
松尾山の豊臣秀吉の養子から裏切られる、、、とあっては、、、。

関が原では石田三成は勝っていた。
本当に負けたのは西軍総大将の毛利輝元なのである、、、

実際、関が原以降は、全国の大名の間で毛利は、、、、、、

400日本@名無史さん:2005/09/20(火) 10:36:18
???
敵を誘い出して一戦で勝負を決める、ってのはまさに家康の狙ったことだろ。
大坂城に篭られたりしたら厄介極まりないんだから。
家康の狙い通り誘い出されて惨敗。どう考えても三成の負けだが。
軍事的にも政略的にも三成の完敗。
三成ごときでは家康の相手をするには荷が重すぎた。
401大和天狗:2005/09/20(火) 10:45:02
おお秀秋卿ォォ
頂きまする
何とお優しい方じゃ
402大和天狗:2005/09/20(火) 10:48:34
内府違いの弾劾状自体は実に的を得ていない
403大和天狗:2005/09/20(火) 10:51:18
家康が天下を狙っていたという根拠は?
404日本@名無史さん:2005/09/20(火) 10:51:32
当(とう)を得る
的(まと)を射る
405日本@名無史さん:2005/09/20(火) 10:53:44
>>393
それいいテーマだね

脅迫はないと思うが、このままでは奉行の権力がなくなると思ったんじゃないか

でも増田は二股w
406大和天狗:2005/09/20(火) 10:57:20
>>404
的を得るが誤っているという根拠は?

(以後、日本語の変遷についての講釈が延々と続き
意味不明の弟子批判・擁護を行う)
407大和天狗:2005/09/20(火) 10:58:50
コラッ
402と403!
偽者になる位なら他の天狗を名乗るが良いぞ
408大和天狗:2005/09/20(火) 10:59:42
406!やめよタワケが
409大和天狗:2005/09/20(火) 11:03:44
408!
佞言ばかり繰り返すな
控えろ、弟子よ
410大和天狗:2005/09/20(火) 11:06:26
わしこそ大和天狗じゃ
控えろ弟子よ
これでもいいところがあるのじゃ
わしには時間がない
411日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:06:15
>>331
今更だが当時の価値観では百姓から効率良く年貢を取り、少しでも多くの士卒を抱えるのが主君への忠誠の証とされた。
福島は非常に多くの武士と可児をはじめとした天下に名をなす豪傑たちを召し抱えていたからね。
それと、福島は広島城をはじめとした城の改築・整備にも相当、金をかけてた。

皮肉にも福島の統治は三成に似ていた。
有事に備え名城と多くの家臣・豪傑・士卒を召し抱えていたという点で。
ただし三成は領内の百姓の負担軽減にも努力したので感謝されたが、
福島はそういう努力をしなかった(というか技量がなかった?)ので領内での評判は最悪だった。
412日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:06:20
どう見ても、おびき出されたのは家康なんだが、、、

なんだかんだ言っても、最終的には、
キーは、やっぱり家康軍背後に位置していた南宮山の毛利秀元軍の動向。

石田三成があげた狼煙に全く反応しなかったことで、西軍が、総大将の軍がどうしたことと動揺。

逆に、東軍は安心。

もし、山を降りるような姿勢を見せていたら、小早川秀秋も裏切れなかっただろうし、、、
やったことを仔細に検討すれば、するほど、石田三成はやはりかなりの戦略家。
413日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:13:43
福島はいざという時は秀頼を守るために、そんなに軍事に金をかけてたのかもな。
そういや加藤清正にも熊本城の整備など同じような話しがあるが、
加藤の場合は「セイショコさん」と言われて熊本の領民に今でも慕われてるが、
広島での福島統治は最悪の評判しか聞かない。
414日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:36:09
桶屋の倅に統治を期待する方が無理だろw
415日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:46:13
>>411
人権思想とか民主主義の時代ではない

富国強兵しか考えていない

百姓の幸せ何か知らない

まあ今も似たようなものだ
416日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:47:31
>>414
茶坊主にも期待できないw
417日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:50:13
>>416
茶坊主はまだ学があるぞ?桶屋じゃ文字も読めないだろw
てか石田領の統治は当時全国屈指だったようだぞ。
加藤清正も上手かったようだ。
418日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:55:06
>>417
学があればいいというものでもない

清正は茶坊主だったのか?
字は読めたのか?

秀吉は学がなかったw
419日本@名無史さん:2005/09/20(火) 13:10:22
秀吉は信長の野望では政治力100で全武将最高値にされてるが、
内政を見ると強行な検地をして収奪率を大きくあげるなど民に負担をかける施策ばかりで、
民政家だったとはおせじにも言えない。

その点、家康は北条家の統治を真似た民政的なもので遥かに良かった。
「百姓は生かさず殺さず」はよく誤解されるが、実際は民にあまの負担をかけるなというような意味で使ってたらしい。
つくづく豊臣が滅んで徳川が政権握って良かったと思う。
420日本@名無史さん:2005/09/20(火) 13:20:09
天領の百姓は天国だったみたいだしね。
飢饉になれば蔵を開いて救ってくれるし。
421日本@名無史さん:2005/09/20(火) 13:30:20
福島の場合、石田、加藤のように有事に備えて軍備を整えていたというよりは
軍事マニア、築城マニア、豪傑コレクション家といった感じがする。
そのために民に多大な負担を要求してたんだからムカつくよな。
422日本@名無史さん:2005/09/20(火) 13:37:55
>>412
南宮山の毛利(吉川)も松尾山の小早川も内応済み。
だからこそ本来は袋の鼠となるはずの関ヶ原に東軍は侵入した。
仔細に検討すればするほど石田三成はただの道化に見える。

まんまとはめられたと知った三成は一体どのような顔をしたのだろうか。
423日本@名無史さん:2005/09/20(火) 13:44:54
ここにいる石田派と同様に、完璧な布陣だが
言うことを利かない奴らのせいで作戦がおじゃんになったとしか
思っていなかったんじゃないか

愚策であってもシロートには見抜けないもの
424日本@名無史さん:2005/09/20(火) 13:53:19
所詮は素人
425日本@名無史さん:2005/09/20(火) 15:25:45
尾張木曽川の防波堤工事を「材工込み一式請負」で無理矢理薩摩藩に押しつけた徳川幕府。
莫大な費用と人員の犠牲を強いられた薩摩は、国の財政が逼迫し多大な苦難を強いられた。

蝦夷地の守備隊を無理矢理南部藩に押しつけた徳川幕府。
守備隊の人員確保の為に本来十万石の南部を名目だけ二十万石に加増させ、南部は人員と増税の苦難を強いられた。

天領では反乱を恐れ民に甘い政を行い、負担は全て外様大名に押しつけ見殺しにする。
こんな残忍な徳川幕府を「民の為の政を行った」等と賛美するのは、木を見て森を見ない近視眼の低能厨房だけだろう。
426日本@名無史さん:2005/09/20(火) 16:11:40
信長の野望がどうのこうの言ってる奴なんて無視すればいいのに
427419:2005/09/20(火) 17:31:36
>>426
おいおい、もしかして俺の事、バカにしてんのか?
文章を読めばわかる通り、俺はむしろ信長の野望のような能力数値価を馬鹿にするために
引き合いに出したんだけどさ。
428日本@名無史さん:2005/09/20(火) 17:32:48
たぶん、文の冒頭に「信長の野望」という文字があっただけで、

ハナから馬鹿にしてまともに文章を読まなかったのかもしれんが。
429大和天狗:2005/09/20(火) 17:39:32
全く弟子なら弟子らしく
鞍馬天狗として登場すればよいものを
402・403・406・409・410は偽者じゃ
430大和天狗:2005/09/20(火) 18:30:29
いやいや429が偽物じゃ

下がれ下郎
431大和天狗:2005/09/20(火) 18:34:36
コラッ!
弟子よ!
脱糞して脱げ去りおったか!

で、偽者のお前誰?
まっいいか♪
432大和天狗:2005/09/20(火) 18:37:02
やはり俺様がくると
太刀打ちできんようじゃな

秀秋卿は今
何を飲んでいるのだろう
433大和天狗:2005/09/20(火) 18:37:32
431は偽物じゃ
弟子はどこに言ったのかのう
434大和天狗:2005/09/20(火) 18:56:32
↑フフフ
435大和天狗:2005/09/20(火) 19:22:11
何だつまらん
上杉攻めを敢行するのも
ついて来れんようじゃな

結局どの話にもついて来れんのか?
と言うことは、
結果でしか物を言えん
後出しジャンケン君なのか?
辞書で『考察』を調べてごらんよ

弟子よ
君にこの言葉を送ろう
脱糞
436大和天狗:2005/09/20(火) 19:32:01
関が原
よく見りゃ女陰に
陰茎が
我をも忘れ
ついぞ果て南無

丁度秀秋卿に発射されたんだね
437日本@名無史さん:2005/09/20(火) 19:34:02
>>399
外交的に石田三成は勝っていただとか、
どんな名将でも石田三成の立場だったら負けただろうとか、
まったく無意味な主張だな。負け惜しみに過ぎん。

(家康の外交面での成功例)
・小早川の東軍化に成功した
・吉川広家を調略し、毛利の大軍を無力化させた。
・豊家首脳部(片桐且元ら)に働きかけ、豊臣家を西軍に味方させなかった。

とりあえずこれに匹敵するだけの成果が、石田三成にあるかい?
「布陣では西軍が圧倒的有利だったのに……」なんて、ナンセンスもいいとこ。
石田三成は碁や将棋をやらせたら強いかもしれんが、
実際の将兵は碁石でも駒でもない。それぞれ感情を持って動く人間なわけでな。
三成に一番欠けていたのは、そのへんの認識が全く足りなかったところだろうな。
ちなみに、兵糧物資は東軍の方が充実してたよ。

>>412
>やったことを仔細に検討すれば、するほど、石田三成はやはりかなりの戦略家。

たとえ話で答えてみよう。
君の言うように、三成は素晴らしいシナリオライターである。
だけどいくら良いシナリオがあったって、俳優が好き勝手に演技をしたんではよい映画は撮れない。
脚本家としては優れているかもしれないけれど、監督としてはどうかな。
作戦立案能力には長けていても、それを実行する能力が三成には欠けていたんだな。
438大和天狗:2005/09/20(火) 19:34:28
つまり白川口でお預けを喰らったポチが
関が原で交尾できたと言う御伽噺・・・
かな?
439大和天狗:2005/09/20(火) 19:40:24
ああ成る程な
朝靄などで丁度湿っていたんだ
フーーーン
440日本@名無史さん:2005/09/20(火) 20:05:02
理想的な机上の空論
441日本@名無史さん:2005/09/20(火) 21:07:39
石田三成こそ、漢だろう?
勝敗はともかく家康は、意外な奮戦に驚いているし
腹をくくってた。
士気が低かったら、もっと早く戦闘は終結してるよ。

島津の捨てがまりは・・有名な話。
示現流の強さも。
今の世、漢は・・・いない自分も含めて。
442日本@名無史さん:2005/09/20(火) 21:45:24
家康も西軍の数が10万って聞いた時に
顔が真っ青になったそうだからなw
443日本@名無史さん:2005/09/20(火) 21:56:29
つーても、西軍は実質三万だからな。
石田、宇喜多、大谷、小西。
他は仕方なく西軍に付いただけ。
444大和天狗:2005/09/20(火) 22:27:32
不破の関
貞操守った
例無し
445日本@名無史さん:2005/09/20(火) 23:35:20
三成も豊臣家のことは二の次で
結局自分の権力を回復させるための行動に過ぎないんじゃないの?
446日本@名無史さん:2005/09/20(火) 23:38:01
>>399
とりあえず、兵力に関してだけど、
西軍8万4千、東軍7万5千とか言われるが、
この数字、西軍の側には南宮山に布陣した毛利軍が含まれているが、
東軍の側にはその南宮山の抑えとして配置された兵力1万4千が含まれていない。
これを含めて考えると、東軍は8万9千で兵力的には東軍のほうが勝っていた。
細かいことだが、一応。
447日本@名無史さん:2005/09/20(火) 23:52:21
>>446
そうすると通説の東西15万の大軍というのは誤りだな・・・
448日本@名無史さん:2005/09/21(水) 00:10:59
・第一次上田攻防戦(神川合戦)

徳川軍七千 対 真田軍千五百

☆真田軍勝利

・第二次上田攻防戦(関ケ原合戦)

徳川軍三万 対 真田軍二千

☆真田軍勝利

兵数など問題では無い

449日本@名無史さん:2005/09/21(水) 04:15:39
>>448
第二次上田城決戦というのが存在疑われてるしな。
本格的戦闘が行われた形跡なし。せいぜい小競り合い程度。
秀忠の部隊が遅参した本当の理由は、使者の遅れ&悪天候。
450日本@名無史さん:2005/09/21(水) 04:36:43
何か都合悪い話はたいがい
「存在疑われてる」
とかで済まされてるような…
451日本@名無史さん:2005/09/21(水) 04:44:56
>449
戦とは何も両軍が叩き合うだけではないだろよw
じゃ秀吉の高松城攻めや小田原城攻めは戦じゃないのか?
争った形跡が無いから戦の事実は無いと言うのか?
徳川厨房見苦しいぞw
452日本@名無史さん:2005/09/21(水) 04:51:29

>>449は駆け引きを駆使した頭脳戦と云うものを知らない低能なんだな
453金吾秀秋:2005/09/21(水) 06:13:42
まったく、駆け引きを駆使した頭脳戦と云うものを知らない低能なやつだぜ(´・ω・`)
454日本@名無史さん:2005/09/21(水) 07:53:24
史書らしい史書らは全て悪天候説や準備不足説を支持しているのだが、
真田厨が自分はまともなソースも示さないくせに
「徳川方の史料はすべて徳川に都合のいいように書かれてる」
とか言って、講談にも等しい「秀忠軍は真田の郡略で遅参した」というカビくさい説を信じこんでいるだけ。
455日本@名無史さん:2005/09/21(水) 09:42:04
450 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/21(水) 04:36:43
何か都合悪い話はたいがい
「存在疑われてる」
とかで済まされてるような…
451 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/21(水) 04:44:56
>449
戦とは何も両軍が叩き合うだけではないだろよw
じゃ秀吉の高松城攻めや小田原城攻めは戦じゃないのか?
争った形跡が無いから戦の事実は無いと言うのか?
徳川厨房見苦しいぞw
452 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/21(水) 04:51:29

>>449は駆け引きを駆使した頭脳戦と云うものを知らない低能なんだな
456日本@名無史さん:2005/09/21(水) 10:14:14
>454
秀忠遅参の原因の話などしていない
秀忠軍三万が真田軍二千に負けた話をしているんだが?

上田攻防戦のソースは上田市立博物館ですw
457日本@名無史さん:2005/09/21(水) 10:25:13
岩淵夜話、藩幹記、慶長年中卜斎記に悪天候説は出ている。
上田城など関係ない。
458日本@名無史さん:2005/09/21(水) 10:32:08
>>437
家康の軍略といっても、味方してよ、恩賞多いよと手紙を送りまくっただけでは?

で、小早川は完全な日和見。直前まで、どうでも良い態度。

吉川広家も日和見。もし東軍が崩れたら、すぐ山を降りて家康の首を取れる位置。
東軍が勝てば動かなかったというだけで、褒賞と二股賭けしていた、だけ。

豊臣主家が動かなかったのは、全ては自分が責任を取るという三成の意見と、トラブル嫌った淀君と側近のおろかさが原因では?。

そもそも二百五十五万石と、十九万石大名の手紙では、どちらが重いと思われるか。
それを互角、それ以上に戦ったんだから、やはり三成はかなりの大才だね。もう少し研究されても良い人物と思う。

兵数は東軍全軍で七万四千、西軍八万四千が通説だが、、、何の資料にそんなことが?
459日本@名無史さん:2005/09/21(水) 11:12:28
>>457
秀忠が関ケ原に遅参した理由など聞いてないんだがな
上田攻防戦など無かったと言うソースは?
460日本@名無史さん:2005/09/21(水) 11:18:46
特に毛利なんかは大坂の陣でも内藤元盛(毛利家重臣)を大坂に入城させたり、
毛利家の本体は徳川方で参戦しておきながら動かなかったりの日和見両天秤…。
461日本@名無史さん:2005/09/21(水) 12:00:31
>>458
>家康の軍略といっても、味方してよ、恩賞多いよと手紙を送りまくっただけでは?

三成も同じことをしたわな。だけど、結局そっぽ向かれたわな。
西軍の総勢は10万を超えるが、本気だったのは石田・宇喜田・大谷・小西くらい。3万程度。
これで互角以上だなんて、とてもじゃないけど言えんぞ。
この結果から「三成は外交的に勝利していた」などという結論がどうすれば出てくるのか。
さっぱりわからん。

小早川については、当初から東軍よりの行動をしている。
松尾山にいた西軍の守備隊を無理やり追い出し、勝手に占拠したことからも明らか。
開戦後思いのほか西軍ががんばるので迷ったのだが、完全に日和見というのは誤り。

吉川も完全に日和見とは言えない。
開戦後、三成が狼煙を上げた時点で毛利が東軍の背後を突いていれば
西軍の圧勝だったが、吉川はそれをしなかった。
わずかの労力で西軍に勝利をもたらすことができたのに、それをしなかったということは、
吉川が(どちらかと言うと)東軍よりの行動をとったと言えるわけだ。

豊臣家の問題については、秀頼が幼少なために決定権がないということに付け込み、
家中の事を取り仕切っていた片桐且元らを取り込んだ家康の成功である。

石田三成がきわめて優秀な人物であることに異論はないが、
それはテクノクラートとしての優秀さであって、政治家としての優秀さではない。
462日本@名無史さん:2005/09/21(水) 12:10:25

上田城は中仙道の要所を押える小県郡に在り、是を通らず関ケ原へ向う等不可能であろう。

秀忠は反旗を翻した真田昌幸を黙殺して小県郡を素通りしたのであろうか?

親子手切れをし旗色を鮮明にした昌幸は、秀忠軍が小県郡を行軍するのを黙殺したのであろうか?

第二次上田攻防戦が無かったとする説は、俄かに考えにくいのだが、如何かね徳川贔屓君。
463日本@名無史さん:2005/09/21(水) 12:18:27
>>462
秀忠は上田城を落としてはいない。そかし関ヶ原へは向かった。
464日本@名無史さん:2005/09/21(水) 12:55:05
>>458
手紙だけではないぞ

三成は20万石にしては相当研究されている
465日本@名無史さん:2005/09/21(水) 12:57:43
>>461
吉川が動いても、微妙

長宗我部は?

むしろ負ける

政治家としても有能

野戦指揮官としては劣悪

人間そんなに何でもかんでも有能というものでもない
466日本@名無史さん:2005/09/21(水) 12:59:17
>>462
通らないでいけるよ
467日本@名無史さん:2005/09/21(水) 15:02:46
>>462
不可能も何も
現に秀忠軍は上田城にほんのわずかの抑えの部隊だけ残して、
関ヶ原に向かったんだが。
468日本@名無史さん:2005/09/21(水) 15:11:23
最大限に評価しても昌幸の陽動に秀忠か引っかかり、ほんの数日、無駄に時間をすごしたのが
たまたま致命的結果になっただけ。
秀忠がもう少し賢い人物であれば、
あるいは秀忠軍にちゃんと時間的余裕があれば
きっちりと関ヶ原についてたわけだし。

ましてや第二次上田城の闘い(と称するもの)で第一次上田城の闘いのような
激しい戦闘が行われたなんてのは講談の産物。
実際は本格的な戦闘らしい戦闘はまったくなかった。
せいぜい上田城の支城の伊勢崎砦を真田軍が信幸との争いを恐れ、無血開城したのを秀忠軍が占領した程度。
469日本@名無史さん:2005/09/21(水) 16:32:20
上田攻防戦が無かったと言うソースは?

戦闘の規模は問わず両軍が上田で対峙して戦があったのは事実だろよw
ソース出せないからって論点ずらすなよ厨房w
470日本@名無史さん:2005/09/21(水) 17:37:43
石田の謀反に加担した大名が少なからずいたのは、

大坂近辺にいたために石田蜂起軍に加担を強要され、抵抗できなかった
領地が西国のために内府と連絡をとることができず、先行き不安のあまり謀反に加担してしまった
ただの戦好き。雑魚よりも、相手が強い方が燃える

といった連中が石田に合流したから。
積極的に加担したのは

果て無き権力欲、石田三成
やはり血は争えぬ、梟雄の息子宇喜多秀家
石田に篭絡され、忠義を捨てた男大谷吉継
忠義よりも戦、立花宗茂
その他若干の小物
471日本@名無史さん:2005/09/21(水) 17:43:32
話しを反らすなよw
472日本@名無史さん:2005/09/21(水) 18:20:38
お医者さんゴッコが趣味のデブキモヲタのファンなんて信じられない
ウンコして寝ろよ
473日本@名無史さん:2005/09/21(水) 19:12:33
豚狸は大坂の陣の前後に大蔵局やお初と談合した時に話反らして曖昧にしたらしいな
豚狸ヲタは論点ずらす手口がよく似てるよw

史料らしい史料とか曖昧な言い方してないで上田攻防戦が無かったと言うソース出せや
三万の大軍でたった二千の小大名を潰せなかったからって歴史を捏造するなよなw
474日本@名無史さん:2005/09/21(水) 19:23:48
秀忠が3万も率いていたかは別問題
475日本@名無史さん:2005/09/21(水) 19:24:52
秀忠軍って三万八千だろ?
476日本@名無史さん:2005/09/21(水) 19:27:49
関ヶ原での軍勢の数字は陸軍の推定ですから
小早川は8000とあるけど、1万5千でしょう?
477日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:21:58
>>476
そのですからの意味がわからないが

陸軍だから正しいと言うことか?
478日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:43:11
>>469
>>457のような史書ね。
479日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:48:50
第二次上田城の闘いで戦闘らしい戦闘なんかなかったよ。
せいぜい秀忠軍が城を囲んだだけ。
480日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:56:43
城なんてのは小勢で大軍相手に何ヶ月も戦うのは当たり前。
元々そのようにできているんだよ。
例えば長篠城は奥平が五百の兵で一万五千の武田相手に二ヶ月戦いついに落ちなかったし、
岩屋城は高橋招運が八百の兵で島津4万の大群に四ヶ月粘って陥落し、島津の九州制覇を防いだ。

>>448に書かれているような
真田昌幸が数千の兵で徳川の大軍に数日〜1週間程度粘ったなんて事は
それなりに立派な事だが、
世間で言われている程には神がかり的な事ではない。
481日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:03:16
史実を曲げてまで庇うほど、徳川を愛してるんだな。
それはそれで、よい。


けど、三戦板に逝けよ。
482日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:07:11
堅城を使って小兵で大兵力相手に粘るなんて事は戦史城よくある事。
真田二千が野戦で徳川三万八千を破ったのなら文句はないが、
城に篭って貝のように守ってだけいたのだから、単に良くある事でしかない。
483日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:09:56
西軍厨が史実を語って下さるそうです!
隠された歴史の真実が今明らかになる!

さあどうぞ
484日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:10:02
「戦史上」な。
485日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:11:23
岩屋城って何月何日から何月何日まで粘ったの?
486日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:19:34
岩屋城は落城まで二週間だろ。それでも50倍の兵力の相手に粘り続けたんだからたいしたものだが。
しかも島津の損害は数千。
487日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:20:07
少なくとも四ヶ月は粘っていなかったと思うが。
488日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:24:50
しかし>>448はイタイ。
「兵数など問題ではない」とか言ってるが、
野戦ならともかく攻城戦の話しだからな。
489488:2005/09/21(水) 21:26:59
「兵数など問題ではないのなら」
何で上田城から討って出て、
秀忠勢を壊滅させなかった?
秀忠の首を取らなかった?
490日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:35:20
屁理屈はいいから上田攻防戦が無かったと言うソースを早く出せよ
小競り合い程度しか無い城攻めは戦じゃねーのかよ?
徳川厨の屁理屈で言うと秀吉の高松城攻めも存在が疑われるなw
清水宗治は秀吉にいぢめられて自殺したのか?そうなんだな?
上田攻防戦が無かったと言うソースを早く出せ!話はそれからだ
491日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:45:25
>>490
そんなにむきにならなくとも良いでしょう。
ちょっとした出来心って奴だろうし、
笑って許してあげましょうよ。
492日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:52:28
>>490
>>449の「第二次上田城決戦というのが存在疑われてるしな。」
というのはどうかと思うが、秀忠遅参の原因が上田城に手こずったからでないことは確かだよ。
本多正信のポカと悪天候が主な要因。
まあ、上田城は戦略的要地でもないし、兵力だってほんのわずかだし、
本来ならば放っておいて通るべきだったんだがな。
秀忠がムキになっちゃって失敗したんだな。

それから、上田城攻防戦が全くなかったと書いてる人なんて>>449以外いないじゃん。
なにもそんなにムキになることではないと思うが。
小競り合い程度であろうとなかろうと、戦は戦。君の言うとおり。
小競り合いで秀忠が負けたのも事実。
さあ、これで気が済んだかい。やれやれ。
493日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:56:29
>>492
本多のポカって言うか
使者の到着が遅れたんだから、
どうしようもないと思う。
494日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:11:30
>>493
金を持ってくるのを忘れたのだろ。
忘れ物を取りに帰っていた。暇つぶしに秀忠が上田城にちょっかいをだした。
495日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:16:33
>>492
お前イイ奴だな…お前に免じて捏造厨>>449は許すとするよ
つーか最近ソースも論拠もなしに歴史を捏造する妄想馬鹿大杉!まじウゼー!
496日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:19:16
伏見城・岐阜城ですら落ちるのに小城の上田を落とせないとは
徳川ってよっぽど城攻め下手なんだな
497日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:21:56
上田城攻めで徳川って相当痛い目にあったんじゃなかったっけ?
何に書いてあったか忘れたけど、「ほうほうたるていにて」とかって惨敗だったと
あったが。
498日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:27:03
>>496
岐阜みたいに一日かからずに落ちた城と、伏見のように二週間かかった
城を同じに論じるべきではない。
499日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:34:59
小規模な戦闘で「ほうほうたるていにて」敗れた。
徳川家の主要な武将に戦死者が全くおらんのだし、
真田が徳川をメッタメタにやっつけたような合戦ではない。

「信州上田城の構造」
ttp://yamajiro.hp.infoseek.co.jp/ueda-jou/page001.html
実際に行ってみれば、小さいながらも山と川に挟まれた天然の要害だったことがわかるよ。
堅固な要塞に優れた指揮官が籠れば、少数でも持ちこたえることができるいい例。
徳川を落とすより、素直に真田を褒めるべきだ。
500日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:35:09
>>495
歴史群像の徳川四天王の188-191Pに
上田城の戦いはなかった説が書いてあったよる
それとログインというPC雑誌にも書いてあった。
501日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:38:00
>>496
岐阜城は織田秀信みたいな合戦経験もない
お坊ちゃんが守ってたからね。
502日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:43:59
>>500
いや、歴史群像ではソースにならんから。
ログインなんて、鼻で笑われておしまいだから。
せめてそれらの冊子上では、なんという書物をソースにしてたかを書いてくれ。



岐阜城はだまって城に籠っていればよかったものを、
ぼんぼんが出てきたもんだから、わずか一日で落ちた。
城が堅固でも城主がバカだと何にもならないという、典型的な例。
503日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:46:18
>>501
それは関係ないだろう。
実際に采配を揮う老臣は実戦経験豊富なのだから。
504日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:46:20
>>494
これどういう状況なんだろうね
よりによって本多正信ともあろう人物が(他の誰もだが)金忘れたって変でしょ
おじいちゃんが自分の財布忘れたのとは訳が違うんだから
505日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:49:41
>>504
充分に爺さんだと思う。
大坂の陣の時は、埋める約束した堀を間違えているくらいだから、
そうとう呆けている。
506日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:49:52
>>504
俺も不思議でしょうがない、てか歴史の謎の一つって言ってもいいんじゃないか?
家康は上杉討伐にかこつけて三成が軍を起こすのを予想して反転してこれを
討つつもりでいたっていうのは定説だし、そうだとすれば途中で金がなくなったって
話しを一体どう説明すればいいんだろう?
507日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:51:32
そう言われれば確かにおかしいな

誰か、金を忘れたソースを出せる?
508日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:52:44
もしこれで秀忠軍3万8千が着てたら関ヶ原は起こらなかったかもなぁ。
西軍も徳川勢だけで6万8千だったら、輝元が居ない状況で野戦はしないだろうから。
509日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:54:33
じゃ家康はわざと秀忠を遅刻させて、西軍を油断させ戦いに引きずり込んだのか?
510日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:54:54
>>507
岩淵夜話とかに書いてあるね。
有名な話しだし、他にも載ってそうだけど。
511日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:55:11
>>504
「忘れた」というよりも、「足りなくなった」から調達しに戻った
っていう感じなんじゃないかな。
「忘れたから取りに戻った」だとしたら、お話にならないくらいバカなミスなわけで
大事な合戦を前にしてそんなミスをしたら、普通ならもうその時点で失脚してもおかしくない。
だけど、正信はその後も政権の中枢にいつづけるわけで、
そのへんがどうも、謎だなあ。
512日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:56:47
>>509
それもおかしい。家康は関ヶ原の最中に秀忠早く来いって念仏のように唱えてたって
話しもあるし、関ヶ原後にも遅れた秀忠を怒って、最初会わなかったらしいから。
作戦じゃないのは確実だと思うが・・・なんだろうな?
513日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:03:48
>>512
結論。
福島正則を押さえきれなかった。
514日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:04:18
>>510
岩淵夜話

いかにも、史料性が低そうなのだが?

信用できるのか?
515日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:04:28
>>593
秀信が変に頑張って指揮しようとしたんじゃない?
若者にはよくあること。
あと秀信おつきの家臣というのもたいしたことなかったのに対して、
東軍は脂の乗り切った名将揃いだし。
516日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:08:01
とにかく、あの岐阜城、元の稲葉山城を
まともな将が守ってて半日で落ちるなんて事はありえない。
517日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:09:19
禿道
518日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:11:20
>>515
実際に戦闘に参加したのは、福島と池田のみ。
あとは攻めかかることも出来なかったので、赤坂に直行。
519日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:13:39
>>515
木造は、後に福島が筆頭家老と同等の待遇で迎えた程の名将。
520日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:13:50
これが予測してなかった事態ならわかるけどね>金
会津へ出陣したときから別行動とってて、
江戸へよらずに補給がなかったとかなら
秀吉の大返しのとき姫路で金数えたらあまり残ってなかったみたいな話もあるし

二代将軍様の失態を隠すために作った話じゃないかと思うんだが
521日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:16:48
わかった!
行軍中に秀忠が、どこかで財布を落としてしまったのだな。
522べジータ ◆0YnVm29jpc :2005/09/21(水) 23:19:41
ギャリック砲!!
523日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:20:14
わかった!
正信がぱくって裏金にしてしまった
今の役人と同じだよ
524日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:30:25
>>514
俺は徳川信者じゃないから、そこまでは詳しくない・・・
割と信用出来る書物だと思うけどなぁ。

ちなみに、岩淵夜話には続けてこうある。
秀忠が遅参した事を怒った家康に対して本多正純が弁護するんだが
遅参した理由は父の不手際(お金持って来なかった)せいだから
どうか父をお渡し下さい。父を成敗した後に自分も切腹します。

これを聞いた秀忠は大いに喜んだと言う、後に秀忠の時代になって
正純が宇都宮15万石になったのもそうゆう経緯があるからだ。
だそうな。。。
525日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:36:45
>>524
真実かもしれない

しかし、本多親子が秀忠に取り入るためと考えると辻褄があうのだが・・・・
526日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:53:29
事実、夜話どおりに、本多父子は言った

ただし真実は、秀忠の失敗隠しだった

これでスッキリ?
527日本@名無史さん:2005/09/22(木) 01:59:03
>>437
>(家康の外交面での成功例)
>・小早川の東軍化に成功した

  「せがれ(秀秋)めに計られた!」と言って、関ヶ原で指をかんでいたのはどちらさんのことでしたかねw




528日本@名無史さん:2005/09/22(木) 02:13:03
せがれ(秀秋)めに計られて、生首さらされたのはどちらさんのことでしたかねw
529日本@名無史さん:2005/09/22(木) 02:59:16
>>528
こうゆう人として言っちゃいけないような事も解らないヲタって
何処にでもいるんだな
530日本@名無史さん:2005/09/22(木) 03:03:45
>524-526

結論。
秀忠が無謀にも真田に一戦挑んだが、真田得意の謀略にはまり上田城を落とす事も出来ず、無駄に日数を浪費。

家康からの使者が来着し急ぎ関ケ原に向うが、悪天候に阻まれ行軍は捗らず。

関ケ原遅参の醜態を晒し、本多親子が秀忠に代わり責任を被る旨家康に申し立てる。
531日本@名無史さん:2005/09/22(木) 03:11:05
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1127325419/
新人議員杉村大蔵がネ申発言
「水爆持てば拉致被害者も帰ってきますよww」
532日本@名無史さん:2005/09/22(木) 03:21:44
そう言えば、上田を捨て関ケ原へ向う際に、隊を二手に分けて一隊は和田峠から、一隊は
大門峠を行軍したと読んだ覚えがあるんだが。(ソース失念ですが)
だとすると、岡谷で合流し隊列を整えるのに、余計な時間を要すると考えられる。
一体何故隊を二手に分けたのか?
真田の追手を陽動する為か?狭い峠を一列で進むより二手に分けた方が早いと考えたか?
真意がまったく謎なんだが。誰か詳しく事情がわかるソース持ってる?
533日本@名無史さん:2005/09/22(木) 05:25:06
>>528
ひとつ間違えば生首さらしたのが家康だったという状況も理解できないようなオツム?w
534日本@名無史さん:2005/09/22(木) 05:28:22
詳しい事情が分かるソースは存在しないと思われ
行軍理由など書いてるものなんて、ほとんどないから
そこは秀忠なりの書状でも探して推測するしかないかと
535日本@名無史さん:2005/09/22(木) 05:36:54
かなり間違ってたから西軍が負けたのだよ
527と528は放置汁
536日本@名無史さん:2005/09/22(木) 06:06:36
>>533
治部は最初っから勘違いしてたので当然の如く生首になったってのに気づかないオツム?w
537日本@名無史さん:2005/09/22(木) 10:26:52
>>536
結果オーライ、ワンパターンノーテンキおつむの東軍厨?w
538日本@名無史さん:2005/09/22(木) 10:36:29
>>461
小早川秀秋が徳川家から日和見と見られたらしき証拠、

備前、美作、五十一万石になるもすぐに病死?
そりゃ生きていられたら家康に大恩ある秀吉の養子、家康も頭が上がらない、下に置けない、なんてことになりかねない。あんなどちらつかずを、、、

吉川広家が日和見と見られた証拠らしきもの。

恩賞として三十七万国の褒賞、でも本家毛利は改易する。そんな、じゃあ君の三十七万石、あげたら?
で、毛利は百二十万五千石から、三十六万九千石に。吉川広家は一生、毛利家中からヒヨリミヤロウと疎まれた。


片桐勝元は、家康が勝っても負けても豊臣は無関係との言葉に騙されただけの忠臣きどり。
石田三成も全ては自分が責任取るといってたし、、、、

というか、家康、三成、どちらも手紙を送りまくり、恩賞などぶらさげまくって誘ってるよね。
ものを言ったのは、、、やはり双方の領地か?
539日本@名無史さん:2005/09/22(木) 10:41:49
>>537
過程ダメ、結果てんでダメの生首マニアな西軍厨w?
540日本@名無史さん:2005/09/22(木) 10:50:13
>>538
一言でいって人望の差でしょう
541日本@名無史さん:2005/09/22(木) 10:55:47
当時の豊臣一族の成人男子といえば、福島正則くらい。
やはり福島正則の意向=豊臣の意向という感じで、世間は見たのだろう。
小山会談が勝敗の分かれ目。
542日本@名無史さん:2005/09/22(木) 11:13:01
全ては家康の手の平の上
三成も実は家康が置いた詰め将棋の敵方の駒の一つに過ぎない
543日本@名無史さん:2005/09/22(木) 13:36:32
>>541
小早川は?
544日本@名無史さん:2005/09/22(木) 13:52:35
本来、直江と家康の戦いだったはずが
関ケ原の戦いになってしまった
三成が兵を挙げるのが早過ぎた感がある
545日本@名無史さん:2005/09/22(木) 13:59:25
>>544
遅くしたらどうなったか知っているのか?
546日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:11:17
>>545
俺がイラつく
547日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:16:47
上杉滅亡
大谷その他東軍

三成の自滅に巻き込まれて取り潰される大名が減る。
548日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:17:56
>>545
西軍が地盤を固める時間ができる。
549日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:35:54
上杉はそんな簡単に潰れんよ
正面から喧嘩出来るのは直江だけやろ
家康が苦戦してる間に佐竹が動き
西軍が大軍で清洲を落とし東へ
そうなると先鋒立花軍で東軍は袋の鼠
550日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:38:56
>>549
そこまで上手く行くとは思えんが
上杉・佐竹を巻き込んでの大会戦になったら
関ヶ原よりは面白い結果になったかもな。
551日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:43:36
>>545
どうなってたのかのう?
552日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:52:47
どっちにしろ淀と秀頼が雨後かなけりゃダメだと思う。
多少は長期化して粘るんだろうが。
553日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:56:41
てかやっぱり三成自身の力不足だよ。
せめて50万石くらいないと押さえが効かない。
554日本@名無史さん:2005/09/22(木) 14:57:42
>>549
 最上に大敗している上杉は弱いよ。買いかぶりすぎだな。
555日本@名無史さん:2005/09/22(木) 15:03:45
伊達と最上に思ったより苦戦したな。
上杉もっと強いかと思ったが、やっぱり謙信が居ないと
並なんだなーと思った。
556日本@名無史さん:2005/09/22(木) 15:10:39
謙信存命中の豪の家臣もいないし、だいたい神懸かり的なカリスマ性が無いからな。
死ぬのが怖くないっていう集団催眠が解けた状態ならば並みの軍勢でしょ。
557日本@名無史さん:2005/09/22(木) 15:43:49
福島城に本庄繁長がいますが?
558日本@名無史さん:2005/09/22(木) 16:03:47
本庄だの、車丹波だの一旗武者の武勇伝ばかり伝わる上杉家って軍団的な怖さは
ないな。福島城の本庄が健闘したというが、ここを突破されれば上杉家総瓦解に
陥るわけだから、必死になったのも無理もない。最上戦をみると、おやっと思う
くらい弱いから、やはり謙信あっての上杉とはいえるな。

559日本@名無史さん:2005/09/22(木) 16:20:25
>>558
だな。てか車丹波は元々佐竹家臣だしw
上杉軍団が強かったのはひとえに謙信って名将がいたからで
直江みたいな文官に毛が生えた程度のじゃ駄目って事ね。

武田だって信玄居なくなったら織田、徳川連合軍に呆気なく
負けてる訳だし。
560日本@名無史さん:2005/09/22(木) 16:25:14
上杉って越後30万石程度から120万石に増えたから家臣も急増が多いし
少数精鋭だったのが弱体化しちゃったんでしょ。
561日本@名無史さん:2005/09/22(木) 17:24:41
>>560
徳川も関八州移封後は三河侍の精強さはあまり聞かなくなったっていうし
越後の虎の精鋭も希薄化しちゃったんだろうね。
それと徳川でも言えるけど地元を離れたってのも大きいだろうね。
上から下まで郷党で組織されてる場合と侍は越後人、足軽は会津じゃあ
まとまりに欠けたかも。
562日本@名無史さん:2005/09/22(木) 17:26:50
>>539
首狩り族なみレベルの家康厨?w
大坂の陣のあと2万ほどの生首を伏見街道に晒してくれた家康だからなwww
563日本@名無史さん:2005/09/22(木) 17:30:17
>>543
小早川は外戚だし、子供だし。
564日本@名無史さん:2005/09/22(木) 18:17:15
山形の最上義光歴史館行くと、長谷堂の合戦のことだけ鬼の首取ったかのように展示してあるなw
565日本@名無史さん:2005/09/22(木) 18:37:38
高校野球の県大会でノーヒットノーランを達成したピッチャーみたい
566日本@名無史さん:2005/09/22(木) 18:40:25
>>564
ワロス
567日本@名無史さん:2005/09/22(木) 18:44:30
>>549
>西軍が大軍で清洲を落とし東へ
>そうなると先鋒立花軍で東軍は袋の鼠

史実で西軍に味方した大名というのは、もともと上杉征伐に向けて移動していたのを
上方で足止めされて、なんとなく西軍に組み込まれてしまったのがほとんど。
三成の蜂起が遅れれば、東軍は膨れ上がる一方。当然立花も大谷も。
568日本@名無史さん:2005/09/22(木) 18:47:05
>>567
全員東へやってしまってから謀反を起こせば、却って誰もいない上方
を簡単に制圧できるのでは?
569日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:04:29
>>541
清正もそうだが。
570日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:07:17
豊臣家に分別のある者がいて
さっさと大阪城を出て大和あたりに移っていれば
豊臣家は大名として存続しただろうね。
571日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:13:09
>>568
その場合、西軍の総勢2〜3万未満だろうから、
制圧するのにも苦労するだろうし、
15万以上に膨れ上がった東軍に木っ端微塵にされるよ。
572日本@名無史さん:2005/09/22(木) 22:31:27
伏見城を落すだけでさえ史実より手間取り、
田辺や伊勢方面にも手が回らず、
いともたやすく鎮圧されてしまう可能性が極めて高い。
決起を遅れさせるのは愚の骨頂。
573日本@名無史さん:2005/09/22(木) 23:34:11
>>563
もう大人だよ

福島も外戚では
574日本@名無史さん:2005/09/22(木) 23:35:48
>>568
全員たって、城に守備隊は残るぞ

伏見城だって守備隊がいる
575日本@名無史さん:2005/09/23(金) 01:04:39
>>562
首狩り族なみレベルの三成厨?w
家康の生首が欲しくてわざわざ謀反をおこした三成だからなwww
576日本@名無史さん:2005/09/23(金) 02:17:47
>>571
西軍蜂起を遅らせて上杉討伐へ向かった軍勢が膨れ上がった場合も
その軍勢が皆東軍へ回ると思い込んでるだけだろ?
小山会議後真田が引き上げたように同様の行動を取る大名が続いた場合
逆に史実では残っていた大名まで雪崩の如く引き上げるということも考えられる
上杉征伐に賛成の諸大名ばかりだったとはとてもじゃないが思えない
立花は豊臣に独立大名にして貰った恩義があるしそもそも義理堅い
大谷も三成寄りだし父子で東西に分かれるなどの家も勿論出るだろう
しかもその時が上杉と開戦直前のにらみ合い状態とかだと、家康も簡単には
江戸へ引き上げられないぞ

決起を遅らせた場合に諸将を上杉征伐へ向かわせず大坂へ引き止める理由は他にも
作れるだろう
577日本@名無史さん:2005/09/23(金) 02:25:43
>>576
どんな理由で引き留める?誰が?
578東軍小城連合奮戦す:2005/09/23(金) 02:31:17
大津城に篭る京極侍従、安濃津城に篭る富田信高、分部光嘉の奮戦についてもたれか書け
579日本@名無史さん:2005/09/23(金) 02:37:04
京極高次はなに考えてんだろうか
あんな要地で東軍についたら間違いなく攻められるじゃん
鳥居元忠のように使命で玉砕覚悟で立てこもってるならともかく、
西軍の攻撃をしのぎきるような戦略的自信があったとは思えん
580日本@名無史さん:2005/09/23(金) 02:53:44
本当に立花が義理堅かったら、秀忠の家来になんかなってなかっただろう。

つーか、家康は豊臣政権の大老として出陣してたんだがな。
581日本@名無史さん:2005/09/23(金) 04:29:10
>>573
福島は外戚ではない
582日本@名無史さん:2005/09/23(金) 05:38:47
>575
必至こいて切り返しを考えても、この程度しかひねり出せない家康厨の知能レベルw
家康の生首2万の残虐正体をさらけ出すハメになった墓穴堀りwww


583日本@名無史さん:2005/09/23(金) 07:39:26
>>576
史実では成り行きで西軍についてしまった者が、
その場合にまでわざわざ西軍に身を投じる可能性があるとでも?
584日本@名無史さん:2005/09/23(金) 07:39:30
>>576
>上杉征伐に賛成の諸大名ばかりだったとはとてもじゃないが思えない

その通り。だが、賛成であろうとなかろうと、豊臣家の名前で命令が出されている以上、
参加しないわけにはいかないのだよ。
多くの大名が朝鮮に心ならずも出陣したのと同じように。

>小山会議後真田が引き上げたように同様の行動を取る大名が続いた場合
>逆に史実では残っていた大名まで雪崩の如く引き上げるということも考えられる

その可能性も否定できない。
だが、ほとんどの大名は数が多く優勢な方に味方するだろうね。
わずかばかりの兵力で決起した石田三成と、15万以上の大軍を擁する徳川家康。
どっちが優勢かは誰の目にも明らか。
しかも、石田三成に味方するには、徳川領を通って帰らなければならんわけでな。
史実で家中で東西に分かれる大名が多く出たのは、どっちが勝つか分からなかったから。
一方が圧倒的であれば、そんなことを考えるはずがない。
結果として、三成は「西軍」を形成することさえできない可能性のほうが高いと思う。

戦国大名は義理や恩義だけで動くわけじゃないから。
彼らにとっての最大の行動原理は「御家存続」。
そんな中で義理に厚い武将が出てくるから、それが美談になるわけ。大谷吉継とかね。
「武士は主君に忠義を尽くすもの」という観念は、江戸時代に儒教の影響を受けてできたものだ。
585日本@名無史さん:2005/09/23(金) 07:49:35
584で色々書いたけど、石田三成が決起を遅らせた場合、
天下分け目の関ヶ原の合戦そのもののカタチが大きく変わることになると思う。

・東軍・西軍という色分けがなされなくなる。
東軍・西軍という色分けは両軍の兵力が拮抗していたためになされたのであって、
石田三成が多くの兵を集めることができなければ、それは「西軍」たりえない。
教科書にも「関が原の合戦」じゃなくて「石田三成の乱」という用語が載るかも。
・戦後の家康の権力が、史実と比べて弱くなる。
「石田三成の乱」の場合、戦後改易できるのは石田、上杉とあと少々。
結果として毛利など外様の大大名が残ることになり、相対的に家康の発言力は弱くなる。
家康が幕府を開くまでには、もう何段かのステップが必要となるだろう。
586日本@名無史さん:2005/09/23(金) 08:22:02
>>579
自信があったから籠城したんだろ
587日本@名無史さん:2005/09/23(金) 08:23:15
>>581
直系なのか?
588日本@名無史さん:2005/09/23(金) 08:39:38
>>582
必死こいて切り返しを考えても、この程度しかひねり出せない三成厨の知能レベルw
必死すぎて漢字の使い方も忘れた三成厨www
589日本@名無史さん:2005/09/23(金) 09:45:29
豊臣政権で大老は奉行を補佐する立場
590日本@名無史さん:2005/09/23(金) 10:18:07
豊臣直臣の5奉行>>>>外様大老
であることが理解できてない奴多すぎ。
このことが理解できない奴は三成を叩きたがる傾向がある。
591日本@名無史さん:2005/09/23(金) 11:14:09
まず司馬史観(単なる小説上の演出)を捨て去ることから
真の歴史の学習が始まる
592日本@名無史さん:2005/09/23(金) 11:16:42
>>590
そうだねw
大老>>奉行ではなく奉行>>大老なんだよね
その大老の中でも、家康は秀吉に臣下の礼を取るのを散々渋った、豊富家から見れば最も信頼出来ない大老な訳だ
尾張以来の付き合いの利家、親族の秀家、越水会で合意した影勝等とは毛色が違う
秀吉対大老各位の信頼関係を考えた上で、関ヶ原当時の状況を考察すると、
また違う見方が出来るのではないかと思います。
593日本@名無史さん:2005/09/23(金) 11:44:21
>588
しょせん揚げ足取りとワンパターン切り返しぐらいしか書けない東軍厨。
家康の生首2万個の切り返しが出せておらんぞwww
594日本@名無史さん:2005/09/23(金) 11:58:54
佐竹義重は徳川家康と仲がよかったって本当ですか?
595日本@名無史さん:2005/09/23(金) 12:00:42
>>593
オマイらは二人でメールでもしてろよ
ジャマだから消えてくれ
596日本@名無史さん:2005/09/23(金) 12:19:46
よし、最後に書き込んだ方が勝ちな
いまのとこ>>593の勝ちだ
>>588頑張れ
597日本@名無史さん:2005/09/23(金) 12:39:09
>>594
義重とは仲は悪くは良くもなかった。
彼の長男の義宣は検地の時に便宜を計ってもらった恩義から大の三成シンパ。
次男の義久は家康の大のお気に入りで、佐竹家の常陸から秋田への国換えは義久が死ぬまで待つ約束だったが、
義久が急きょ病死してしまい、速攻で国替えとなった。
598日本@名無史さん:2005/09/23(金) 12:47:20
細かいことだけど義久は佐竹本家とは別の分家の出じゃなかったっけ?
599日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:01:58
>>593
プププ
犯罪者の首を打ち、見せしめとして晒すのは世の習いw
三成を筆頭としてああも犯罪者が多いとは・・・ww
家康公も大変だったことだろうよwww
600日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:05:45
世の倣い、な
日本史以前に日本語も満足に読み書き出来ない馬鹿は消えてくれ!
601日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:14:22
>>599
プププ
東軍厨は日本語ができないw「世の習い」だってさw
もう傑作w
602日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:16:29
>>599
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
603日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:17:01
そういえば漫画「雪の峠」(だっけ?)で、
もし佐竹が東軍に属していたら
→いやでも加増しなきゃいけないから、加増して思いっきり遠国へ移封、そのうちに因縁つけて取り潰し

だから西軍についてよかったね(結果:常陸一国他で54万石→秋田20万石)みたいなこと描いてあったね。なるほどなと思った。
604日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:18:54
すっげぇw東軍厨が自爆してるw
久しぶりに腹を抱えて笑ったよw
605日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:36:47
>>600-604
よのならい ―ならひ 【世の習い】


(連語)
世間ではありがちなこと。世の常。世の例(ためし)。
「弱肉強食は―」



三省堂提供「大辞林 第二版」より



知ったかぶるとかえって大恥かく事になるぞ。
606日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:45:30
お…おいおい>>605
俺(>>603)もかよ!
(´・ω・`)
607日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:52:23
「習」…1.ならう・学ぶ 2.慣れる・慣れ親しむ 3.ならす 4.ならわし・習慣
      5.重ねる 「習俗」…世間のならわし 「習慣」…ならわし
「倣」…1.ならう・学ぶ.真似る 3.拠る・準拠する 「模倣」…まねをする。ならう
(以上、小学館「新選漢和辞典」より)

「世の習い」…世間のならわし。世間の習慣。
(以上、小学館「新選国語辞典」より)


アマゾンで検索してみた。
「世の習い」……1冊Hit(笹山隆 岩波文庫)
「世の倣い」……0冊Hit
608日本@名無史さん:2005/09/23(金) 14:01:49
>>606
変な時間に書き込んだ自業自得だな
609日本@名無史さん:2005/09/23(金) 15:08:27
>>590
江戸幕府ならそうだったんだけどね。
秀吉の組織作りの失敗が痛い。
610日本@名無史さん:2005/09/23(金) 16:08:04
5大老なんて秀吉が死にかけて慌てて作っただけだしな。
611日本@名無史さん:2005/09/23(金) 18:50:51
ここは国語・漢字のスレじゃないんだぞ
日本史スレだということを忘れるな
家康の生首2万個の話はどうなったんだ
家康は生首2万個さらして悦にいっていたのか
ほとんど殺人狂鬼の世界じゃないか
612日本@名無史さん:2005/09/23(金) 18:52:37
世の習いだよね
613日本@名無史さん:2005/09/23(金) 18:58:08
>>611
>日本史以前に日本語も満足に読み書き出来ない馬鹿は消えてくれ!

こんなこと言っている人もいますがね。

つーかマジレスすると、
生首になぜそんなにこだわる。
614日本@名無史さん:2005/09/23(金) 18:58:18
おぞましい限り。
家康の正体も暴露された感がある・・・
615日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:00:43
>>613
生首2万個さらしとなると世界史的にもかなり記録になりそう。
こだわるのはとうぜんではないの。
616日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:22:41
お医者さんゴッコが趣味だからな
617日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:31:51
生首さらしのギネスってかw
618日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:42:47
家康も関ヶ原で天晴れ奮戦討ち死にを遂げていたなら、主殺し、生首殺人狂なんて汚名を着ずに済んだものを・・・
諸行無常だな
619日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:45:41
そうなったら豊臣史観の学者がスカトロネタを1000倍くらい誇張して広めただろうな
620日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:47:16
家康の生首2万個の衝撃の前に、家康厨・東軍厨呆然撃沈のありさまw
621日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:53:11
恥ずかしさをごまかしたいのはわかるが、
ちょっと哀れ過ぎるね。
622日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:58:35
さらしage
623日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:01:24
>>621
家康厨、断末魔のウメキ?w
624日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:06:31
世界記録生首2万個さらしとなると、切り返しも骨だな
家康厨のお手並み拝見といくかw

625日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:08:02
豊臣氏の墓を掘り起こしたのは家光?
626日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:20:53
>>624
妄想乙というだけのことだろう。
627日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:39:52
西軍厨がスレ荒らし始めたな。
628日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:43:35
さらし首の世界記録って・・
他にはどんな凄いのがあるの?
629日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:46:46
スレ読んでミロ
生首を持ち出したのは東軍厨のアホ
返り討ちにあってるだけのことw
630大和天狗:2005/09/23(金) 21:04:21
そろそろ俺様の出番か?
631日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:12:06
スレ読んだら西軍厨が事実書かれたら煽り始めて、三成が晒し首になったのを、生首マニアと煽り立てて、日本語が出来てないのが理解できた。
632大和天狗:2005/09/23(金) 21:38:23
鞍馬天狗登場♪
633大和天狗:2005/09/23(金) 21:41:16
何して喧嘩する?
ワクワク
たまには負けてやるから
何でもいいぞ
でも
漬けあがるから
勝たせるなと言われそう
634大和天狗:2005/09/23(金) 21:42:09
弟子よお前は漬物じゃない
635日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:42:33
378 名前: 大和天狗 投稿日: 2005/09/20(火) 02:04:17
発言力と官位ねえ
センスないや
一つ聞くが尼将軍政子はどんな官位がありきや?
それと日野富子は?
つまり、
書くなら官位云々はいらないんじゃないの?


関ヶ原当時の淀君の対場を
北条政子と日野富子と同列に例えたバカコテ乙
636日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:44:32
豊臣ばんざーーーーーーーーい
637日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:46:27
だれかいますか?
638大和天狗:2005/09/23(金) 21:47:42
オオオオオ
全部読み直して準備しておったか
三日間出張で遊んでやる暇無かったが
チャント復讐いや復習してたんだヨシヨシ
で、そのネタでやるのか
例によって質問に答えていないところが
最近カワイく思うよ
三成君
いやいや鞍馬天狗よ〜〜〜
639日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:48:53
@まず、物証の存在が無いことを、直接の傍証に出来ないんだよ・・・
出来ます
北政所には、関与した傍証が存在する↓
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knsh/shirakawa.htm

しかし、淀君には関ヶ原で関与した傍証が存在しない=関与出来なかった
口出しできる立場でなかったと判断できる

≫それを止める力が無かったんだよ豊臣秀頼は。
≫その母親もね。心情的に淀は西軍よりとされるが、
≫結局勝った方に、苦労であった、となるわけだ。
力がなかった秀頼が、伏見城攻略の軍忠状発給してるが
さて、これはどー扱うのだろうw

関ヶ原に際して、母親だから云々と淀君の名前を持ち出したのはバカコテ
司馬史観認定するなら、北政所は東軍認定しなきゃならんw
知ったか乙w
640日本@名無史さん:2005/09/23(金) 22:01:27
今日はもう2ちゃんやんねーから
バカコテはレスを纏めて簡潔に書くように

前みたいに感情むき出しの無意味なレス垂れ流しはヤメトケよ
641日本@名無史さん:2005/09/23(金) 22:06:49
関ヶ原では、ねっがえった武将tがたくさんいましたね
642大和天狗:2005/09/23(金) 22:07:28
あのね学会の一般論なの、歴史学のイロハの一つ
それとネネが関与している指摘をわざわざアド付きで出すのは
カワイイよ
それがどうかしたのか?とはi今は言うまいw
 
≫しかし、淀君には関ヶ原で関与した傍証が存在しない=関与出来なかった
≫口出しできる立場でなかったと判断できる

これは無理
傍証がないから、何故その様な判断が出来るのか不明。
つまり史学的常識の範疇で言えば、
傍証がない事を、その様な判断の材料に出来ない。
それはつまり、日頃そなたが批判的に書いてる
推論妄想想像仮定と同じ事を自ら言っている証左。

【もっと言えば、お前がそう思いたいだけ。】

証拠も何もなく、また、傍証の扱い方を著しく逸脱した行為。
更に言えば、俺様は茶々が口出ししたとは実は一言も言っていない。
いつもそうだが、人が言っていない事をさも

≫力がなかった秀頼が、伏見城攻略の軍忠状発給してるが
≫さて、これはどー扱うのだろうw
そんな事わかってて書いていると思わないのw
で書いていることに間違いがあるのか?

ここらのネタじゃ、また負けるよ
643大和天狗:2005/09/23(金) 22:12:00
640わかってるってばー
チョット面白いからさ
程々にしておこう
644大和天狗:2005/09/23(金) 22:14:02
640指摘の反省と
弟子への愛情を込めて
今回は鞍馬天狗の勝ち
と為す
俺様は取り敢えず脱糞してくる
明日が楽しみだヘヘヘッ
645大和天狗:2005/09/23(金) 22:15:05
つまり
ウンコしたいんで
逃げます
俺様が家康か〜〜〜アッハッハ
646太政大臣:2005/09/23(金) 22:22:29
大和天狗さん意味わかんねー
647日本@名無史さん:2005/09/23(金) 22:43:52
東軍が叩かれ出すと天狗が現れる
648大和天狗:2005/09/24(土) 00:36:45
647鞍馬のことかw

まあそれはいいとして、
弟子が大分ヤラれているから、
本当はたまに助けようと思ったのだ。
が、全く師匠の愛がワカンねー奴だ。

646ベルボトムじゃなくて、俺もわかんねーw

649日本@名無史さん:2005/09/24(土) 01:54:49
結局のところ家康の生首さらし2万個のことはどうなったんよ
天狗とやらもこの問題はお手上げと見えた
650日本@名無史さん:2005/09/24(土) 03:11:37
さらし首攻勢の前に家康厨・東軍厨完沈w
651日本@名無史さん:2005/09/24(土) 03:25:09
さらしage
652日本@名無史さん:2005/09/24(土) 04:30:34
599 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/23(金) 13:01:58
>>593
プププ
犯罪者の首を打ち、見せしめとして晒すのは世の習いw
三成を筆頭としてああも犯罪者が多いとは・・・ww
家康公も大変だったことだろうよwww
600 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/23(金) 13:05:45
世の倣い、な
日本史以前に日本語も満足に読み書き出来ない馬鹿は消えてくれ!
601 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/23(金) 13:14:22
>>599
プププ
東軍厨は日本語ができないw「世の習い」だってさw
もう傑作w
604 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/23(金) 13:18:54
すっげぇw東軍厨が自爆してるw
久しぶりに腹を抱えて笑ったよw
605 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/23(金) 13:36:47
>>600-604
よのならい ―ならひ 【世の習い】
(連語)
世間ではありがちなこと。世の常。世の例(ためし)。
「弱肉強食は―」
三省堂提供「大辞林 第二版」より

知ったかぶるとかえって大恥かく事になるぞ。
653日本@名無史さん:2005/09/24(土) 05:45:04
しょせん揚げ足取りのワンパターン、重箱隅つつきぐらいしかできない東軍厨の知能レベル
家康のギネス級生首さらしの切り返しでも考えとくんだなw
654日本@名無史さん:2005/09/24(土) 08:02:37
>>639
>力がなかった秀頼が、伏見城攻略の軍忠状発給してるが

これ本当?
慶長10年以前の秀頼発給文書は確認されていないはずなのだが。
ちなみにどこの所蔵文書?
655金吾秀秋:2005/09/24(土) 08:13:33
あのね、昨日、栗が入ってるアイスキャンデー食べたよ(´・ω・`)
656日本@名無史さん:2005/09/24(土) 08:56:04
>>653
揚げ足取り?重箱の隅?2回連続で日本語を間違え(必至、世の倣い)、しかも鬼の首を取ったかのごとく
池沼なレスをつけまくる(「世の習い」を知らない人間がそんなにいるとは思えないからおそらく自演であろう)。
こんなのは揚げ足取りでも重箱の隅つつきでもなんでもない。
単に西軍厨がアフォなのだよ。

つーか「世の習い」にばかり目がいってその前に切り返されてるのに気づかない?w

599 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/23(金) 13:01:58
>>593
プププ
犯罪者の首を打ち、見せしめとして晒すのは世の習いw
三成を筆頭としてああも犯罪者が多いとは・・・ww
家康公も大変だったことだろうよwww
657日本@名無史さん:2005/09/24(土) 09:20:19
>>656
東軍厨的思考と知能はこのあたりのレベルの堂々めぐりが関の山w
お似合いってやつだな
658日本@名無史さん:2005/09/24(土) 09:44:07
堂々巡りさせてんのは知能の足りない西軍厨だろ。
659日本@名無史さん:2005/09/24(土) 09:49:04
このようにワンパターン切り返ししかできないのが東軍厨的知能の特徴

西軍側は、大坂陣後における家康の生首さらし首ギネス級残虐性という歴史的問題をきちんと提起しておる。
さぁ家康厨は、この世界記録的暴挙をどう評価する
660日本@名無史さん:2005/09/24(土) 09:55:10
599 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/23(金) 13:01:58
>>593
プププ
犯罪者の首を打ち、見せしめとして晒すのは世の習いw
三成を筆頭としてああも犯罪者が多いとは・・・ww
家康公も大変だったことだろうよwww
661日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:03:48
 別に東軍支持なわけじゃないが一言・・
仮に西軍が勝ってたとして、似たようなことを三成や西軍がしないとういう
保障も無いわけで・・

 なによりも、あの当時の状況から考えうるにいまだ無傷の毛利や上杉とか
豊臣も健在だし、福島ら豊臣恩顧の去就もわからない状況で
家康が西軍謀反の実を明らかにし、その謀反に対する過大なまでの処罰を
天下に喧伝することで西軍決起的な武装蜂起を牽制する汁一罰百戒的な効果
はあったと思うのだが・・。
なにより伏見という場所から考えうるに、豊臣家や朝廷の反徳川的な力への
暗な恫喝の意味合いもあったでしょうし、
662日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:22:08
生首も2万人分ということになるとねぇ
ちょっとというか、かなりというか、相当というか・・・
狂っているとしか思えない
異常でしょう
663日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:56:22
そんだけ敵が一杯いたんだろ
つーか、そんなことで粘着してるお前の方が以上
664日本@名無史さん:2005/09/24(土) 11:15:15
なんにせよ、関が原のあと、「書状一枚」で百二十万石をとりあげられ、三十七万石にされた毛利、長州藩は
その二百六十年後、幕末に、「書状一枚」で徳川慶喜から五百五十万石をとりあげ、廃藩置県で0にしてしまった訳ですね。
歴史は繰り返す、、、


665日本@名無史さん:2005/09/24(土) 11:39:32
>>664
毛利のバカとのは「世は何時将軍になるのじゃ」などと血迷った発言
をしたらしいが、廃藩置県で全て取り上げ。
666日本@名無史さん:2005/09/24(土) 11:49:35
毛利家当主って明治時代以後、
島津家や鍋島家ほど目立ってない気が
皇族の嫁に娘を入れたとかないのだろうか
667日本@名無史さん:2005/09/24(土) 12:00:14
>>649
ソースなしのただのほら話。
読めばわかるでしょう。
668日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:41:56
>>665
その逸話って事実なのかね
自分は島津久光の同じような逸話を聞いたことがあるけど
創作の可能性が高いと思う
669日本@名無史さん:2005/09/24(土) 14:50:22
島づの殿は歴史に出てくるが、毛利はそうでもない

元就はすごかった

毛利は元就の遺訓をひたすら守ったのか
それにしては天下をひっくり返してしまったが
670日本@名無史さん:2005/09/24(土) 15:07:21
上杉が30万石 武田が100万石
それを考えたら毛利元就って半端じゃねーな
671日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:44:18
>>665
それは島津久光の話(史実)。
彼は本気で自分がセイイ大将軍なれると思いこんでた。
それで廃藩置連の達しの時には「大久保・西郷どもにやられた」と激怒した。
672日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:48:20
>>664
毛利。島津も廃藩置県ですべて取りあげられたし、
不平士族が西南戦争や萩の乱、神風連の欄をおこすなど
あまり恵まれなかった。

一応、徳川、島津、毛利は公爵になったが、
序列は徳川公爵家>>>島津公爵家>>>>毛利公爵家
ぐらいだったと思う。
673日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:57:54
>>663
伏見から京都までの街道ぞいに、さらし首を並べたんだってさ。
しかも三列にまでなったそうな。家康はそれを眺めて悦に入ってたんだろう。
おぞましい限りの光景・・・
それが家康という人間の本性さ。
あの残酷な信長ですらそこまではやらなかった。世界史を見ても超異常の部類に属するだろう。

これを異常ではないと言う人間のほうが、よぽど異常ではないの。
674日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:00:32
出典は?
675日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:00:54
毛利家、島津家の話しはおいとくとして、

維新以降の日本は薩摩藩、長州藩の元老たちによって
富国強兵、軍拡路線を突き進み、挙げ句はアメリカに無謀な戦争を仕掛け完膚なき敗北。
日本はアメリカに占領され、政策、外交はアメリカの言いなり、
軍事基地を大量に置かれその維持費も日本政府持ち。
など事実上、アメリカの属国状態。
日本の最終勝利者・支配者はアメリカでした。

そうなってしまった原動力は薩長です・・・・
676日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:05:22
>>673
663 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/24(土) 10:56:22
そんだけ敵が一杯いたんだろ
つーか、そんなことで粘着してるお前の方が以上
677日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:11:58
2万という前代未聞のさらし首なのに多聞院日記や時慶卿記に記録がないなんて珍しい。
678日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:31:28
え?西軍厨の捏造だったの?
679日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:58:42
関ヶ原の合戦で無闇な落ち武者狩りが行われたなんて史実はない。
たぶん、大阪の陣で執ような落ち武者狩りとさらし首が行われた件と混同しているのだろう。
680日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:13:28
>679
いちおう話は大坂の陣のあとのことなのだけれど
681日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:17:23
さらしage
682日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:30:07
いつまでくだらねぇ煽り合いやってんだよ。
683日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:34:10
>>675
石田の系列が力を持っていれば、兵站はだいぶマシになったろう

薩摩なんか、だいたい根性論で兵站計画なんかないんじゃないか
684日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:44:04
島津義弘が兵がなかったのは、義久の方針というのもあるだろうが
貧乏なためという点もある
685日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:44:45
もし小早川秀秋が西軍で戦ってたら今頃、大阪が首都になってたんだろうか。
686日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:48:15
もし宇喜多が東軍で戦ってたら今頃、八丈島が首都になってたんだろうか。
687日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:00:48
島嶼部という言い方は除外して、
東京都を首都とすれば、八丈島は東京都だから首都に含まれる。
688日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:34:12
>>687
馬鹿?首都は東京だ。東京「都」が首都なわけないだろ。
689日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:46:52
>682
さらし首2万個を、つまらぬ話題ときめつけるのが家康厨の家康厨たるゆえん
それより、さらし首2万個のソースギボン
690金吾秀秋:2005/09/24(土) 23:02:55
>>687
馬鹿(´・ω・`)?
691日本@名無史さん:2005/09/25(日) 02:02:37
徳川幕府は島原の乱のときにも原城の籠城軍を皆殺しにして、さらし首にしてるな。
原城の門外に1万数千のさらし首をかけたそうな
家康と家光か、殺人鬼の家系だな。
祖父と孫で、さらし首の世界記録を争っている・・・
692日本@名無史さん:2005/09/25(日) 06:09:57
晒し首コワス
693日本@名無史さん:2005/09/25(日) 07:06:26
西軍厨はさらし首がネタが大好きだね。
石田がさらし首になったのがそんなに悔しいのかね?
石田がさらし首になったのは石田自身の責任ではないかね?
694日本@名無史さん:2005/09/25(日) 07:45:12
家康と徳川の残虐な本性を天下に明らかにすることは歴史の大義

(言っとくけど家康厨・東軍厨の恥知らずなワンパターン切り返しはもういいからね)
695日本@名無史さん:2005/09/25(日) 08:13:33
家康公は、石田をはじめとする謀反人を誅殺し、
その首を晒すことで、順逆を明らかにし、大義を天下に示した。

嗚呼、至誠なる哉、家 康 公 !!

犯罪者を庇いだてし、さらには逆恨みまでする西軍厨には呆れ果てたよ。
696日本@名無史さん:2005/09/25(日) 08:18:58
はいはいわろすわろす
697日本@名無史さん:2005/09/25(日) 08:21:58
胴衣。すっげえ笑える。
698日本@名無史さん:2005/09/25(日) 08:31:52
>695
家康厨・東軍厨の恥知らずワンパターン切り返し体質は不変w


699大和大納言:2005/09/25(日) 09:36:04
羽柴秀長さえいきておれば 三成卿も こんな 苦労はしなかつた 七本槍衆も家康に加担していない嗚呼秀長
700日本@名無史さん:2005/09/25(日) 09:36:17
>>698
三成厨・西軍厨の恥知らずワンパターン切り返し体質は不変w
701日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:19:53
>700
あれだけ言われても、まだやってるよ

702日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:25:32
家康厨・東軍厨というのは思考も無ければ文章を書く能力もなし。
コピペによる切り返ししかできない低能集団。
700はその典型例。
(この文章をどう切り返す)
703日本@名無史さん:2005/09/25(日) 11:44:24
>>702
とっくの昔に切り返されてるのに同じことを延々とカキコし続ける・・・。
西軍厨ってリアル池沼だろ。
コピペしてもらえるだけでありがたいと思わなきゃ。
感謝の心は大切だよ。
(ほぉら、切り返してあげたよ〜w)
704日本@名無史さん:2005/09/25(日) 12:17:22
お前らよそでやれよ
一人で両方やってるのかも知れんが
705日本@名無史さん:2005/09/25(日) 12:45:33
ここは小田原か?
706ひでただ:2005/09/25(日) 13:41:37
なぜ 淀は もつと 三成 に肩入れ しなかつたのた゜ろう おお野はるながさえ いればよいのか 
707日本@名無史さん:2005/09/25(日) 13:46:50
>>703
東軍厨は自分とこが切り返しカキコでしかないってことを認めてるよ
708日本@名無史さん:2005/09/25(日) 14:02:53
なぜこの板は強制IDにならんのだろね。
両方ともウザすぎるのだが。
709日本@名無史さん:2005/09/25(日) 14:08:06
>>708
そりゃ家康の生首2万晒しとなれば由々しい問題だからだろうよ
710大和天狗:2005/09/25(日) 14:57:22
久し振りに
ハーゲンダッツのストロベリー
食べたよ
711日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:05:18
>>707
なに頓珍漢なこと言ってるんだ?
今まで散々切り返されてたことにようやく気づいて焦ってんのかw?
712日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:28:54
ところで生首2万個のソースってあるの?
713日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:30:26
>>711
いよいよ東軍厨は自分とこが切り返しカキコしか無いってことを認めてるよ。
714日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:34:33
自他ともに認める東軍厨のワンパターン切り返しカキコ
715日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:42:22
ワンパターン頓珍漢カキコ好きの西軍厨が焦ってますw
716日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:47:57
おまえらウザイ 消えろ
717日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:48:31
>>716
書いてる奴は一人だからスルー汁
718日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:50:46
っていうか、希望どおり切り返してもらってんのに西軍厨はなに難癖つけてるの?
719大和天狗:2005/09/25(日) 15:58:37
そなたらそんなに俺様に登場して欲しいのか従四位のか正四位のか強引だ
カワイイやつらだぜ全く(秀秋卿風)

一応の戦後処理から1603年2月(あれ1月だったか?)
将軍任官までの約2年半と言う期間は、
早いのか遅いのか?

720日本@名無史さん:2005/09/25(日) 16:11:45
>>719
百済んこといってないでハーゲンダッツのアイスはほかのアイスと比べてどううまいのか解説しろ。
721大和天狗:2005/09/25(日) 16:20:12
コクと香り♪
だけど他のアイスも美味しいヨ
例えばスーパーカップ
そう言いつつ俺様はAカップも許容するがムフフ
722ひでただ:2005/09/25(日) 16:53:14
天狗 お前 ひょっとして 電車か 久しぶり
723日本@名無史さん:2005/09/25(日) 16:58:47
エルメスは どこよ?
724日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:22:48
>>712
ない。
普通ならそれだけで終了しているはずなのにこの粘着ぶり、
明らかに異常。
725日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:36:42
>>724
無いのか、俺も何かの本で読んだ事ある気がするから
気になってたんだけどな。
726日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:29:22
生首は3万と書いてるのがあったけどな。
落ち武者狩りは10年ほど執拗にやっていたから、累計するとそれぐらい行くかも
727日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:51:21
>>724
寝た子を起こすバカ    ウザイから、とっとと消えてくれ
728日本@名無史さん:2005/09/25(日) 23:25:29
このスレの最初の方のコピペ荒らしを思い出した
729日本@名無史さん:2005/09/26(月) 00:10:20
三成が家康みたいに諸侯の求心力を得るためにはどうしたら良かったのか考えてみないか?みかたがはらがよかったのか?
730日本@名無史さん:2005/09/26(月) 00:22:46
三成は人望が無いと言われるけれども、小西、宇喜多、安国寺、佐竹義宣、真田昌幸らとは深く結びついていた。
三成が豊臣七将の襲撃を受けそうになった時も、三成を助けたのは彼らだ。
三成が人望がむ無いというのは、徳川史観の産物だろう。
徳川だって、本多正信・正純父子と、大久保党ら武功派との暗闘はすさまじいものだった。
主君側近の行政官は、いつも軍人派の攻撃を受ける運命にあるということ。
731日本@名無史さん:2005/09/26(月) 00:29:49
>>729
性格的なものもあるし
カリスマとか

三成が5大老筆頭で250万石で政務代行者であれば
家康並みの影響力があったかもよ

オレは全く求心力がないが、オレが首相なら(ry
732日本@名無史さん:2005/09/26(月) 00:46:43
>>729
三方ヶ原ではなくて長久手だ。家康が軍事カリスマとしての権威を不動にしたのは、秀吉との対決であった小牧・長久手の戦いで、長久手の合戦に完勝したことだな。
これがために、秀吉ですら家康に対して頭があがらなくなってしまった。
それ以外には、家康の戦歴というのはたいしたことはないのだけれども、この一戦が家康の軍事的権威を決定的なものにしてしまった。
733日本@名無史さん:2005/09/26(月) 01:14:30
5大老筆頭で250万石で政務代行者
かつ
秀吉との対決であった小牧・長久手の戦いで、長久手の合戦に完勝に匹敵するだけの軍事的功績

むりぽ
734日本@名無史さん:2005/09/26(月) 03:45:35
>>730
それは人望というか
対等な友人関係とでも言おうか・・・

家康への重厚な扱いとは違う、
735日本@名無史さん:2005/09/26(月) 04:16:38
つまり三成は何かあるとすぐ先生にチクるくそ真面目な学級委員タイプ?
やだなぁ…
『全ては豊家の為に』って気持ちはわからなくもないんだけどね…
武断派もみんな息詰まりそうだったんじゃない?
736日本@名無史さん:2005/09/26(月) 06:48:14
官公庁の態度の悪い役人といった感じなのかな。
737日本@名無史さん:2005/09/26(月) 08:23:33
豊臣を滅ぼした責任はは福島や加藤にあるな。
あいつらがもっと徳川にくっついて尻尾を振っていれば、徳川も豊臣
に対して大きな警戒心を持つことは無かった。
それに豊臣も驕慢にならず、立場をわきまえておとなしくしていただろう。
福島や加藤がいつまでも豊臣に忠誠を尽くしていたから、現実を理解できなかったのだ。
738日本@名無史さん:2005/09/26(月) 08:25:31
だから言ってるのだけれど、徳川だって同じ事。
本多正信・正純父子と、大久保党ら武功派との暗闘はすさまじいものだった。讒言の内容も三成の比ではない。
家康・秀忠に対する謀反だの、小田原城の中で二人を謀殺するだのといったことだった。
正純の失脚も、秀忠に対する謀反嫌疑だった。
主君側近の行政官は、いつも軍人派の攻撃を受ける運命にあるということだ。

739日本@名無史さん:2005/09/26(月) 08:27:48
>>738
宦官とかか。
740日本@名無史さん:2005/09/26(月) 10:33:14
独裁者の家臣ってのは、だいたい主君に気に入ってもらいたくて争うんだよ。

独裁者の好き嫌いが、自分の出世、あるいは命に係わるから。

また主君の利益のためによかれとおもったなどといい、争うというのが忠義に見えるんだな。

関が原を見てると、人物がどうよりも、
やっぱり確実に約束している「恩賞」がもらえるかどうか?で多くの人が動いているような、、、
741日本@名無史さん:2005/09/26(月) 11:40:54
つか、人間は自分の利益で動いて、みんなのためという

官庁だって、会社だって同じだ
742日本@名無史さん:2005/09/26(月) 11:41:58
>>740
つか、恩賞は勝つ方しか得られない

だからどっちが勝ちそうなのかということが決定的判断材料
743日本@名無史さん:2005/09/26(月) 19:08:26
>>738
そうだね。結局のところトップにゃ文句言えないから、自分たちとは毛並みの
違うブレーンスタッフに矛先向いちゃうんだよな。会社でもおんなじだよね。
744大和天狗:2005/09/26(月) 19:59:37
ほおぉーーー
急に大人びた会話だ
電車って花電車かw
745大和天狗:2005/09/26(月) 20:20:06
ほおぉーーー
急に馬鹿げた会話だ
電車って電車男かw
746大和天狗:2005/09/26(月) 21:58:01
オッオーオーオー
そうかそんなに俺様を西軍に追いやりたいか
東軍じゃないけど俺様が東軍につくのがそんなに嫌か
アッハッハッハッハー

当時の関が原は百鬼夜行の真っ最中だったのさ
魑魅魍魎
747大和天狗:2005/09/26(月) 22:15:51
あのね家康がさー
ウンコ臭いんだって
でも金吾がいい奴だって言ってたよ
748大和天狗:2005/09/26(月) 22:19:47
三成はモテないから
イカ臭いらしいけど
大刑少がいい奴だって言ってたらしい
749大和天狗:2005/09/26(月) 22:24:33
東軍=ウンコ臭い > イカ臭い=西軍

これは究極の選択か?俺はどっちも嫌!

750日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:43:28
キムチ臭いのよりもマシ
751日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:00:19
家康が本当はいい奴だと思ったのは、
大勢の人を殺したというので
晩年に日課念仏をやっていたことかな
しゅんとしちゃうね
752日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:26:59
>>751
殺した妻子が毎夜夢枕に立って怨みつらみを言うから念仏唱え始めたらしいよ
753日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:34:51
漏れは、ごくごく普通に家を真っ当に保ちたいなら、黒田みたく
きっちり旗幟を鮮明にしろと福島・加藤に言いたい。

豊臣家の忠臣?冗談でしょ?真っ当な戦国武将にそれは失礼だよ。

・・・と最近デフォで思ってる(ちょっと鬱)。
754日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:59:58
>>753
そんな貴方にまじオススメな戦国武将

つ【真田昌幸】

755日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:05:43
福島・加藤は何をしたかったのがよくわからんが
豊臣の忠臣だって説は胡散臭いな。
利益を考えて家康についたとしか思えん。

三成が憎いってのも家康につく口実に使ったんだろう。
だって清正はともかく、正則は三成をそこまで恨む理由なんてないじゃん。
756日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:25:54
??????????????????????
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757大和天狗:2005/09/27(火) 00:59:28
エーーーキムチ臭いも超嫌だーーーー
左衛門太夫は小便臭いんじゃないの?
758日本@名無史さん:2005/09/27(火) 01:15:41
>>755
清正も主に小西を介して利害の衝突があった位だっけ。
黒田や細川は利害の衝突はあるんだが・・・。
でも、まあ清正はともかく福島の立場ならその場のノリ
とか成り行き上着いてもおかしくないと思うけどなあ。
759日本@名無史さん:2005/09/27(火) 09:16:32
三成を襲撃した豊臣七将の名前が本によってバラバラだけどな、蜂須賀家政をわすれるんじゃないぞ。
本当にまったく蜂須賀家政がいたことを知らないか、無視している。
まったく分かってないな
760日本@名無史さん:2005/09/27(火) 10:01:51
>>759
関ヶ原に来なかったからな。
761日本@名無史さん:2005/09/27(火) 11:54:02
ちなみに真田昌幸はいつも「家康に勝つ方法などはいくらもある」と豪語し
関が原の戦いの仕方を見たとき、呆れたというが、、、
彼なら、どう戦っただろうか、、、、
誰か、何かの資料で知ってる人います?
762日本@名無史さん:2005/09/27(火) 13:33:12
>>755
客観的に見れば三成は豊臣政権の保持、家康への反発となるけど、
当時は三成の企てとされたのが理由だと思うよ。
家康は秀頼以外ならば豊臣政権No.2、七本槍だろうが権力には逆らえない。
藤堂みたいな確信犯もいるけど、当時は三成征伐だったんじゃないか。
もともと西軍は毛利中心だったし。
763日本@名無史さん:2005/09/27(火) 15:13:06
>>759
どうでもいい
枝葉末節もいいとこ
764日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:08:21 0
>>751
年取ったヤクザが悪いことしまくったから地獄に堕ちるの怖くて
宗教入るのが良くあるが、それと似てるな。
765日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:53:31
質問です
上杉討伐〜関ヶ原の戦が豊家の名によって行われたのに
戦後の論功行賞?を家康が行っているのはなぜですか?
領地は主人が臣下に授けるものなのではないですか?
家康は豊臣家の臣下だったはずではないですか?
766日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:23:29
>>765
家康が秀頼にかわって、
そういうことを代行する立場にいたから。
767日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:40:42
上杉を討伐すると決めた人=豊臣家の政務代行者の徳川家康
上杉討伐(その後関ヶ原の戦い)での総大将=五大老筆頭の徳川家康
一連の戦役で最大の戦功をあげた人=総大将の徳川家康
最大の恩賞を貰う人=最大の戦功をあげた徳川家康
そして実際に豊臣家の領地から各人に褒美を与える人=豊臣家の政務代行者徳川家康

ということだわな。
つまり、自分で戦争を決めて、自分で出陣して、
自分で功績を立てて、自分で自分に褒美を与えることを決める。
それも建前だけは豊臣家の名前で、豊臣家の領土から、自分に褒美を与えると。
768日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:11:19
>>766-767
ありがとうございます。
では論功行賞も豊家の名で豊家の承認を受けて行われたのですか
では豊家は自ら摂津河内和泉65万石の並の大名に成り下がったのですね?
関八州を治める家康と主従関係が逆転する事に疑問の声はなかったのですか?
769日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:16:05
>>761
家康に勝つ方法というかギャフンと黙らせる方法ならあったと思うぞ
家康が前田や上杉征伐を言い出した際に、豊臣家の意思として豊臣家臣の征伐
を企むことは、例え徳川家であっても処罰に値することを奉行や他大老の連著
などで表明すればよかった
そういう厳しい態度に豊臣家として出ていれば家康が反撃に出ることはまずない
いくらなんでも当時の豊臣家を敵に回すほど愚かではないだろ
770日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:24:40
>>755
秀次一族惨殺など目の当たりにし、秀吉に対して
幻滅感を抱いてたのかも知れん。
ただ加藤清正は大坂の陣のときに生きていれば大坂城に入城した可能性は
高い。
彼が豊臣方の総大将として戦っていたなら、どういった展開になっていただろうか、
興味深い。
771日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:25:25
家康としては他の大名と婚姻を結んだりして、秀吉の遺命にそむくようなことを
やってみた時期があった
それでも他の大名がついてくることがわかったので、強引なやり方をしたということかな
772日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:29:00
>>768
備中にも五万八千石ある
773日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:41:20
>>768
そこはオレも大いに疑問だ

家康の勢いに誰も逆らえなかったのかもしれない
774日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:42:28
>>770
江戸で拘束されたものと思われ
775日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:45:11
清正が大阪城入城?ありえねーよ。
福島にしろ江戸に軟禁されたのはむしろ嬉しかっただろうさ。
秀頼を攻めなくて済んだし、自分が攻めない事で一応面目保てたしなw
776日本@名無史さん:2005/09/28(水) 01:05:24
>>775
家康ってとても親切な人なんだな。そんな親切な人を無実の罪を
でっち上げて殺そうとした石田三成は、まれに見る極悪人だな。
石田三成が滅亡したのは、まさに自業自得というものだな。
777日本@名無史さん:2005/09/28(水) 01:27:28
>>768
主従は逆転していない

秀吉の時代から石高は家康が上では
778金吾秀秋:2005/09/28(水) 02:09:25
まったく、三成の自業自得ぶりには、あきれたもんだぜ(´・ω・`)
779日本@名無史さん:2005/09/28(水) 06:24:36
関ヶ原関連でお勧めの小説教えて下さい。自分は大学生なので、これから生きていく上でためになるものだと嬉しいです。
780日本@名無史さん:2005/09/28(水) 07:04:31
>>779
山岡宗八著 徳川家康
781日本@名無史さん:2005/09/28(水) 08:45:48
>>779
学生なら小説など読むのはやめて、最低でも原文の古文書を読破してくれ。
782日本@名無史さん:2005/09/28(水) 09:37:38
>>770
すくなくとも大野治長や後藤又兵衛の策は一蹴しているだろう。
乾坤一擲で家康の首を取る。これしかない。
783日本@名無史さん:2005/09/28(水) 11:28:54
いや、上杉とか前田の騒ぎは三成の「家康をなんとか大阪城から出す」という策謀の一環では?
小説とか読むと、家康のひとにらみで、皆が黙ったらしい。

関が原の時点では、三成はこれは最終決戦ではなく、家康の力をそぐ中盤戦とおもっていた節があるよね。
ここで負けても、最終決戦は大阪城攻防戦で、と思っていたらしい。
しかし、おもった以上の総崩れで、、、あとがなかった、、、らしい。
784日本@名無史さん:2005/09/28(水) 11:48:04
というか福島と加藤は駄目だろ
福島なんて見事に家康に捨てられてるし、加藤も中途半端に東軍に付いて
なにがしたかったんだ?家康は豊臣政権に重きを置くだろう、なんて希望的観測を
持っていたのだろうか。戦にしか知恵が働かないから大阪の陣で攻められて焦り出して。
どう考えていても、福島も加藤も家康を読めなさ過ぎる。
三成はいち早く家康の脅威に気が付いてたのに、あいつらが足引っ張って馬鹿見た。

でも、歴史的に見れば三成には悪いが徳川が天下とって日本の近代化に多いに貢献したと思うけど。
それは置いて置いて、加藤と福島の武将としての質が疑われる。
785日本@名無史さん:2005/09/28(水) 15:06:59
徳川が日本の近代化に貢献?これ笑うとこ?
786日本@名無史さん:2005/09/28(水) 15:16:19
ま、近現代日本人のアイデンティティ形成のもととなったとは思うけどね。
近代化って言われると…。
加藤・福島は確信犯かもしれんけどね。太閤逝去・加賀大納言逝去後の
傍若無人ぶりみてりゃ、いよいよって思うんじゃないの?だけどわが身も
可愛いし「律義者の内府殿」って本人以上に声高に叫んで担ぎ上げた
ような気がせんでもない。
787日本@名無史さん:2005/09/28(水) 15:31:38
豊臣政権が良かったとは思わないが
徳川幕府が良かったとも思えないし
明治政府が良かったとは思えないが
現状の自民独裁政治が良いとも思わない
788日本@名無史さん:2005/09/28(水) 15:36:17
今の時代日本の政治には失望したよ中国が解放して中国共産党が政治をみるべきでしょうね。
789日本@名無史さん:2005/09/28(水) 15:38:56
>>788
どうしたの?なにか良くないもの食べた?
790日本@名無史さん:2005/09/28(水) 15:43:31
>>785
別に近代化=先進国化というわけじゃないよ
でも、徳川が造った土台が今も色濃く残ってる。
豊臣や三成が以後そんなことできたかは未知だけど、徳川がいわゆる
太平の世を作ったのは多いに評価すべきところだと思うけど。
791日本@名無史さん:2005/09/28(水) 15:58:24
現代日本社会の骨格は江戸時代に形成されたといって良いんでは。
会社=大名家みたいな構造は他国にはあまりない。家=企業に全身全霊
尽くす例もねw
将来において世界大戦敗北という大きな曲折あったにも関わらず発展を遂げた
日本及び日本人のアイデンティティのもとになったという意味では貢献は
したっていっても良いかも。
792日本@名無史さん:2005/09/28(水) 17:43:27
過労死というのは世界的に稀

転職=悪というのも、封建制の意識だろ
793日本@名無史さん:2005/09/28(水) 18:20:16
最近定期的に江戸時代マンセー厨が沸くな
スレ違いだって事もわからん馬鹿なのか?
関ヶ原は豊臣と徳川の政策の違いによる政治戦だったと言うソースでもあるのか?
794日本@名無史さん:2005/09/28(水) 18:33:38
>>793
別に江戸時代マンセー厨って訳やないけどな。スレの流れがたまたまこうなった
だけで馬鹿呼ばわり…そんなに目くじら立てなくてもいいんちゃうか。
それに誰一人としてイデオロギー戦争なんて書いてへんで。よう見書いとけや。
795日本@名無史さん:2005/09/28(水) 19:29:03
>>794
アホの戯言だから気にしなくていいよ。
796日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:36:53
似非関西弁って恥ずかしいな。
797日本@名無史さん:2005/09/28(水) 21:12:16
>>794
それどこの方言?
798日本@名無史さん:2005/09/28(水) 21:22:46
>>797
見ればわかるやろ

自分こそ、どこの出身や

答えてみいや
799日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:47:34
>798
俺は北摂だけど、あんたみたいな汚い訛りは見たことないわw
阪神の星野さん風にも見えるけど岡山とちがう?
800日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:56:42
グリコ犯人の言葉みたくw
801日本@名無史さん:2005/09/29(木) 01:53:28
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに1回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと一年無駄になります.

私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです
802日本@名無史さん:2005/09/29(木) 02:28:55
>>799
別に798は汚くないやろ。ちなみに岡山弁ってぜんぜん違うで。
あんた関西人やないやろ。オッチャンひっこんどれや。
803日本@名無史さん:2005/09/29(木) 04:08:49
おまいらスレ違いやめれ








尾張の秀吉や三河の家康はやっぱり「海老ふりゃぁうみゃぁー」とか言ってたのかなw
804日本@名無史さん:2005/09/29(木) 11:07:40
ぼくは石田三成最大の誤算は、
東海道に秀吉が苦心して配した対徳川用の城、大名たちがこどごとく裏切って、
家康軍の岐阜進出が速かったことだと思うんだが、、、
805日本@名無史さん:2005/09/29(木) 11:18:34
>>804
おそらく輝元がやる気なくしたのもそれだ。三成あたりが巧くたぶら
かして、「会津を攻めに行ったヤツらも味方に付くから楽勝です」なんて
言っていて、蓋を開けたら全員敵になっていた。
806日本@名無史さん:2005/09/29(木) 11:29:34
>>804
もしあの城(武将ごと)が全部西軍だったら、さすがの徳川軍でも簡単に
抜けはしない
807日本@名無史さん:2005/09/29(木) 11:43:49
>>804
三成が九州の大名でも引きうけて領地持ってれば
「関ヶ原終わったら、領地あげるから」とか言えば毛利とかほいほいついてきそう。
まぁ最大の誤算は朝鮮出兵でしょ。三成にしたら仕方ないけど、内心どうだったやら。
あとは利家がすぐ死んだこと。120くらいまで生きてくれればなぁ。
808日本@名無史さん:2005/09/29(木) 15:33:35
三成は秀次かばったんだろ。三成が黒幕とか妄想しすぎ。江戸庶民じゃないんだから。
809日本@名無史さん:2005/09/29(木) 15:35:35
>>804
高台院縁故の者が、のきなみ東軍に付いた事は誤算というより
失策。
これが原因で毛利・島津は模様眺めになった。
前田・浅野・加藤・福島が西軍に回ると形成が大きく変わるので、
池田・黒田・藤堂も西軍に回る可能性がでてくる。(あらゆる縁故
を頼って西軍に付こうとする動きもありえる)
当然宇喜田も裏切らないw
そうなると、野心家伊達が上杉と組んで結城を攻める事もありえたし、
関東がやばい事になるから、秀忠軍は関東にこもらざるを得ない
ので離反も多々発生する可能性がある。
徳川譜代の家臣団も一枚岩で無いだけに、本多忠勝あたりは
娘婿(家康に養女に出した上での婿)真田信之との縁で西方に付
く可能性もあるw
家名の存続が掛かるだけに、東西のバランスが大きく崩れれば徳
川譜代であっても離反はありえる。
譜代であろうが、徳川と縁戚関係があろうが、一人二人の人質の
命より家名が大事。

西軍有利とするには、土下座してでも高台院に西軍支持を明確に
してもらうべきだったが、東軍への好意的中立となったため、縁故
のものは軒並み東軍に付くか途中で裏切った。

高台院縁故の者がどっちに付くかが鍵だったが、実質東軍に付い
た事で勝敗が決まってしまったようなものになった。

ただ豊臣政権が長く続く可能性が低いだけに、これでよかったのか
もしれないがねw
810日本@名無史さん:2005/09/29(木) 15:45:41
小早川じゃなければ・・・・
811日本@名無史さん:2005/09/29(木) 18:19:44
>>809
徳川譜代が決して一枚岩でないことは確かにその通りだが、
さすがに本多忠勝の離反はありえないな。
父も祖父も松平家当主を守って討ち死にした家柄だし、
忠勝自身も幼少の頃から家康のそばで仕え上げてきた人物だよ。
井伊や奥平ならまだしも、本多大久保はガッチガチだよ。
812日本@名無史さん:2005/09/29(木) 18:33:40
>>811
でも大阪の役がもう10年後だったら…。
武断派の本多(忠勝子孫)・井伊・酒井・榊原・大久保らと本多(正信・正純系)
との間で確執起こってオモロイ事になったかもね。
813日本@名無史さん:2005/09/29(木) 19:30:03
家康の悲願である徳川家の天下が成立するまでは
武断派と文治派の対立は表面化しないと思うけどね。
徳川家臣団には天下統一という共通目的があるから、
そのためにはお互い意見の相違はあってもいざというときには団結すると思う。

スポーツだってそうじゃん。
チーム内のみんながみんな仲良しじゃなくても、
勝利という目標のためには嫌いな奴とだって協力するわけで。
拙い例えで申し訳ないが・・・。
814日本@名無史さん:2005/09/29(木) 19:39:14
輝元が死んでりゃもっとやる気のある奴が関ヶ原でやつてくれたろうに
815日本@名無史さん:2005/09/29(木) 19:58:31
>>814
秀元?
東軍に付いてしまうぞ。
816日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:05:12
秀元って家康寄りなの?
817日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:24:38
秀元は大阪城籠城を主張した主戦派だよ。
818日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:48:11
>>816
 そして毛利輝元は家康と兄弟の間柄でいこうという誓詞を交わした他
>>815の言うとおり秀元問題で豊臣秀吉と毛利輝元が隠微な対立した間で
宙ぶらりんの格好だった秀元を救っている。

秀吉は
@小早川隆景に伊予を与えて独立扱いする際、吉川にも筑前35万石
与えて独立させる予定だった。
A毛利輝元を熊本に転封するつもりだった。とりあえず安芸と長戸周防以外は
取りあげて石見、出雲、伯耆、備後、備中は取り上げ筑前、豊後、筑後、肥後
を代替として与えるというもの。
B秀秋を輝元の養子にしようとしていた話。
C秀次事件に連座していて窮地に立たされた。
そしてDが秀元問題
 秀吉が輝元に息子誕生と聞いてから輝元に
安芸、長戸、周防、石見、出雲(隠岐)、伯耆、備後、備中のうち
長戸、周防、石見と安芸半国を秀元に与える裁定を降してる。
輝元は毛利の身代の半分を譲るというこの裁定に対し、
無視するという消極的抵抗をしていたが、
 毛利のお家騒動につけこんで家康が強制的に長門を秀元領にしている。

 こうしてみると毛利は結構豊臣家に含むところが多いんで
あえて積極的に豊臣を救う義理は無いってとこでしょ。
819日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:58:33
 確か秀元関が原での西軍決起の話を聞いて輝元の大阪入りを諌止してねじこんでいる
が、このとき輝元側近は秀元を家康から知行を受けた香具師だと
讒言して、彼の言うことは聞き入れられず、
 戦争が始まると、大阪で抵抗のそぶりを見せ交渉を有利にしなければ本領安堵なんぞ
信用できないと吉川や輝元に主張している。
 がじつのところ秀元の見識や判断は輝元や吉川広家と比較したら
優れた判断だと思えるのだが・・彼は虫ケラの子だっあからなー

なんせは秀元は、嘘かほんとかは知らないが
毛利の三大天下取のチャンス
@秀吉の大返し
A関が原
とならんで天下取のもうひとつのチャンス
秀吉救出劇で太閤の命を握ったことのある男だし
吉川広家なんぞよりは見識はあったんだろうね。

820日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:05:06
黒田や細川から内府は輝元には責任は無いから咎めるつもりはないと
話しているって聞いた輝元は大喜びで大阪城を明け渡そうとしたが
秀元はそんな話し信じられないから籠城すべきだ。

もし内府と和睦するなら直接内府と不戦の約定を取り付けてからだ!
って主張を輝元はシカトして大阪城を明け渡したら、まんま秀元の言う通りに
なっちまったからな。脳天気な輝元や広家なんぞよりは冷静だっただろう。
821日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:29:21
>>820
ただし、その場合リアル取り潰しになる可能性も
822日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:40:30
>>821
ならないよ。だってその場合家康はあれほど圧倒的な天下取りはできなくなる。
毛利と徳川の手打ちになった場合西軍のある程度の勢力は生き残る可能性が高い
三成処分は仕方ないとしても宇喜多は減封くらいですまされようし
 なにより西軍が史実ほどの取り潰しを受けないだろうから東軍への恩賞も
元からの領地+αか近いところに移す程度で終わらざるを得ず
家康が改めてあたえた領土という印象は薄くなる。

 家康が豊臣政権の枠組みを超えるチャンスを逃したどころか
家康に代表される徳川家はしいて言えば
足利幕府(豊臣政権)の管領細川の域を出なくなる。
となると豊臣の権威をうまく握れば徳川の専横は抑えられるし
少なくとも征夷大将軍にはなれずじまいだったんじゃないか?
823日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:43:13
>>822
なんでならないのか

宇喜多は取り潰しだろ

東軍はもっと領土が増える可能性もあり

毛利攻めをしなければいけないが
824日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:46:53
>>822
毛利も倒せば、もっと豊臣領を削れる
825日本@名無史さん:2005/09/30(金) 00:33:41
毛利は完全改易、8ヶ国没収。
防長2ヶ国は、吉川広家が裏切りの恩賞としてもらったもの。
広家はさすがに気がとがめて、この2ヶ国は毛利本家に下されたいと申し出たことによるもの。
吉川広家もなにやってんだかね。
826日本@名無史さん:2005/09/30(金) 00:38:58
毛利が参戦してたってどうせ結果は同じだし
少なくとも輝元が斬首されずにすんだんだから
命の恩人だよ広家は
827日本@名無史さん:2005/09/30(金) 00:40:54
輝元さえいなければ、秀元、吉川、福原たちが頑張って安国寺を排除。
毛利は東軍に付いて御家安泰。
828日本@名無史さん:2005/09/30(金) 00:47:37
>>823俺も>>822の考えに賛成だ。
毛利が大阪城に篭もったままでいたら、宇喜多、小西、長宗我部といった
連中を簡単には取りつぶせない。そうゆう作業は終戦しないと出来ないっしょ?
西軍諸将は国元へ帰ってまた兵を集める事が可能。てか毛利が徹底抗戦してれば
大阪城で敗残兵をまとめて再びその場で挙兵も可能だ。

そうなると、史実の関ヶ原以降の徳川天下取りみたいに順調には
行かなくなる。あの時点では東軍諸将も家康を天下人と認めてるのは
黒田、藤堂くらいだから大阪城を力攻めすることも出来ない。
829日本@名無史さん:2005/09/30(金) 00:54:40
>>828
長曾我部は東軍に寝返るし、小西は捉えられているので処刑され、
本国は加藤に制圧される。島津義久も毛利攻めに参陣することを
申し入れて、それを条件に許しを請うだろうし、毛利が貧乏籤を
引くだけで、大勢に影響は出ないのでは?
830日本@名無史さん:2005/09/30(金) 01:22:08
>>828
毛利が徹底抗戦する理由がない
特に本領安堵なら

徹底抗戦も選択肢だが全滅する可能性が出てくる

毛利の国元では毛利に反旗を翻すものが出てくる
国主と主力が留守の状態で有力な敵に攻められるのだから

宇喜多はやろうと思えば国元で挙兵できたのでは?
831日本@名無史さん:2005/09/30(金) 01:37:57
>>829
長宗我部は東軍に寝返る理由はないよ?
小早川みたいに人質送ったり、吉川みたいに寝返りの手紙すら出してない。
小西は大阪城が開城してなければ東軍にも捕まえる余裕は無かったと思う。
三成も逃げ切れた可能性はある。島津は毛利に大阪城籠城を強く主張した一人だよ。

>>830
だから、本領安堵が嘘っぱちだと見抜いていたらって前提なんだが・・・
832日本@名無史さん:2005/09/30(金) 01:44:51
>>831
長宗我部は西軍につく理由がないが?

本領安堵を信じない場合は、全滅する覚悟があるのかどうか
833日本@名無史さん:2005/09/30(金) 02:36:33
>>831
石田は佐和山が落ちて滅亡しているし、その近辺で三成も捕縛されている。
籠城を主張した島津は義弘。義久とは別人。
834金吾秀秋:2005/09/30(金) 03:35:47
9月もおわりだね(´・ω・`)
835日本@名無史さん:2005/09/30(金) 06:49:43
>>833
石田って三成が死んで滅亡したの?
子供が何人かいなかったっけ
836日本@名無史さん:2005/09/30(金) 07:05:48
>>835
津軽藩に落ち延びてるね。
837日本@名無史さん:2005/09/30(金) 07:56:37
>>828
確かに戦乱は続くだろうが、
その間に圧倒的に有利になった家康になびく者が続出する。
毛利が抵抗してくれるならもっけの幸い、
さっさと家康によしみを通じて、積極的に毛利を攻撃すれば、
その働き如何によっては取り潰される可能性を減らすことが出来る。
もともと東軍につくつもりだった長宗我部、
史実で似たようなことに成功した鍋島あたりは当然として、
お家存続を願うならそうするのが普通。
結果家康にとっては戦後取り潰せる相手が減って、うまみが少なくなるかもしれないが、
毛利家は正に悲惨の一言に尽きる状況になるだろう。
838日本@名無史さん:2005/09/30(金) 08:29:41
元就の呪縛があるから毛利両川が無謀に西軍に付く事はないだろう。
輝元が途中で怖気づいたみたいに見えて惜しい感じがするけど、
そもそも輝元が三成に靡かなければ小早川もいなかったし、付いた時点で間違い。
毛利家が後ろ盾に総大将にならなかったら関ヶ原自体も無いかもしれん。
839日本@名無史さん:2005/09/30(金) 10:22:21
そもそも大坂城は毛利の城じゃないんだから、
勝手に居座ることはできないよ。
関ヶ原で西軍が総崩れになり、流れが東軍に行っている以上、
豊臣家が積極的に毛利に肩入れしてやる理由はないし、
むしろ豊臣家から出て行けと言われる可能性のほうが高いのでは?
840日本@名無史さん:2005/09/30(金) 10:53:38
>>838
西の丸に居座った状態で、三万の野戦軍を抱える、本丸の豊臣と
やり合ったら、毛利もただでは済むまい。西の丸からは本丸内を射撃
出来ないし、逆に本丸から西の丸は絶好の的。
841日本@名無史さん:2005/09/30(金) 10:59:22
輝元にとって想定外だったのは、黒田が率先して家康側で動いた事。
豊臣恩顧のなかで秀吉(高台院)を命の恩人とするものの筆頭格なの
が黒田。
その黒田が東軍側とわかった時点で、高台院縁戚の小早川の動向に
不信が募った。
高台院は秀吉が織田家から離脱する形で天下人になった経緯を踏ま
えて、「実力者が国を治めるべき」と考えたのだろう。
秀頼と血縁でも無いし豊家に未練がなかった。(信長直系の秀信同様
一大名として存続すればよい程度の発想)
輝元は、そこまで考えていなかったから、豊臣恩顧は大阪に付く(私怨
に関係なく石田に組する)と踏んでいたのだろう。

上杉征伐の途上の出来事だったから、根回し的な確認が取れずに居て
失敗してしまった。
輝元にしてみれば、「秀頼様の出陣はなく豊臣家と無関係な形の総大将?、
高台院の縁者は徳川方?何でこんな事になってるんだ?三成め肝心な
部分を何も押さえていないじゃないか!?」そんな感じだっただろうw
842日本@名無史さん:2005/09/30(金) 11:45:38
もともと豊臣は、東軍討つべしと言っていないから、東軍からも豊臣からも逆賊扱い
西軍のためと思っていたら、挟撃で馬鹿らしくなってくるだろ

大坂の陣と違って、大坂城は毛利の本城じゃないから
あそこで全員討死にしようと覚悟するかどうか
むしろ形勢不利と見れば逃げるし、下手すると内乱になる
843日本@名無史さん:2005/09/30(金) 13:38:19
てるもっちゃんが天下狙う気なら関ヶ原で全力を尽くすべきだったけどな
844日本@名無史さん:2005/09/30(金) 15:56:40
>>841
秀頼は孫だから血縁でしょ?
845日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:47:00
>>838
輝元が西軍についた判断もタイミングもベストだと思うのですが?
あのまま上杉征伐を許せば、次の次は毛利征伐は妥当な考えですから
>>841
高台院縁戚は西軍にも多いんですが・・・それにお忘れですか宇喜多秀家と石田三成自体
高台院の親戚になるんですよ一応
高台院が東西どちらかに肩入れしたとは考えにくいんですが
>>837−842
大阪篭城した場合、困るのは輝元だけじゃなく家康もなんですが・・
粘れば家康の方が足元に火がつくでしょう。関東からの長期不在
は上杉や伊達にとって絶好の条件だし
一応秀康は西軍支持の可能性も憂慮したような男だから・・
、それに豊臣に対しては
「東西両軍の和睦を朝廷と高台院に推挙したい・・そのための条件闘争です。
卑しくも豊臣のために決起した西軍を見殺しにする気か?」とでも
強面で詰め寄ってしまえば、簡単に追い出すと肺炎のでは?
846日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:57:26
上杉伊達最上佐竹が全員で徒党でも組まない限り、
関東がそう危険な状況になるとは。

せめて関ヶ原前後に小牧長久手のような限定的な戦闘でいいので
家康の威信を明確に傷付ける勝利が西軍側にあればよかったんだがねえ。
847日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:59:26
>>845
豊臣にとっては、自分に被害を及ぶのは避けたい

もし自分が西軍という意識であれば、西軍の領地没収を阻止したはず

というか判断すらもできない状態
848日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:18:10
>>845
上杉や伊達って伊達が関ヶ原で決着がついた後に西軍側に寝返るとでも?
上杉ですら関ヶ原の敗報が届くや即座に撤退しているのに、
政宗が発狂でもしない限りそんな事は起こらない。
849日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:28:24
平日朝の8時台のラジオで武田鉄矢が関ヶ原の事で何か言ってたね、
850日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:45:47
>>845
上杉が全滅すれば伊達は南下するかもね

簡単に全滅するとでも?
851日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:04:40
>>845
豊臣家が毛利に肩入れするわけがない。
この頃の豊臣家は、とにかく御家に被害が及ぶ事態だけは避けたいというのが本音。
大坂城に居座られるなんて冗談じゃない、とにかく迷惑な話だろう。

東北方面だって、関ヶ原での東軍圧勝という結果を受けたあとに
関東に侵攻するなんてことを考える奴がいたとしたら、そいつはほんまモンのアホだ。
上杉は最上を片付け、伊達を何とかしない限り南下はありえない。
佐竹は上杉が南下しない限り動けない。単独で動けば結城秀康に撃破されるのがオチ。
関東にはまだ2〜3万の守備隊がおります。
852日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:59:53
みんな”豊臣家は”とか”豊臣家が”っていうけど
その関ヶ原の時点の豊臣家の意思決定の主体が具体的に誰を指すのかがさっぱり解らない
幼少の秀頼のわけはないし、
大野とか片桐とかの家臣達だったらそれぞれの考え方がが一つに統一されてたのかどうかもわからないし
それとも豊臣家の意思=淀殿の意思とみなしていいの?
853日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:09:52
淀君にそれだけの力はない

あえて言えば家康になってしまう・・・・
854日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:09:53
>>852
具体的にいえば、片桐且元あたりでしょうね。
無論彼だけってこともないだろうけど、
正式な政務代行者である家康がいない以上、
そういった側近連中が考えるしかないと思いますよ。
淀殿には当時それほどの影響力があったとは思えないし。
855日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:13:04
徳川の守備隊&関ヶ原での圧勝を考えると、わざわざ関ヶ原後に上杉と組んで関東に攻め込むより
伊達は上杉を攻めて家康に切り取った領土を認めさせるのが普通に考えると最適手のように思える。
大阪城に毛利が篭城した場合も毛利を攻めることによって自分の罪を減じようと考える西軍大名が必ず出てくる。
毛利の領国に残ってる守備隊にしても輝元をはじめ主力は大阪にいる状況で守りきれるかどうかはかなり疑問。
家康がそれなりの条件を出せば降伏するのではないかと思う。
豊臣家にしても、わざわざ負けてるほうに味方はしない。ここらへんは天皇家のやり方を見てるとわかる。
なので大阪城篭城はかなり難しいのではないかと。
856日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:25:38
>>852
豊臣家の意思=片桐且元ら側近の意思と考えていいでしょう。
確かに側近は大勢いて意見の相違はあるが、関ヶ原での東軍圧勝という結果を受ければ、
親家康派である片桐且元が台頭するのはおそらく間違いないところ。

857日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:35:22
側近には法的根拠がないんじゃないか

強弁することはできるだろうが、三奉行が豊臣の意志とは言えないのと同様
正当性はないだろう
858日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:46:12
まあ、東軍大勝利の後で、あえて家康と戦うという奴が誰もいない以上
全員合意で「豊臣」としては家康受け入れだね
859日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:57:03
>>857
いやだから、この時期は側近の意思=豊臣家の意思なんだって。
法的根拠もクソもないの。片桐且元が、
「ここは豊臣家の城だから、毛利よ出てってくれんか? これは豊臣家の総意である」
というのに何の法的根拠が必要か。
毛利が大坂城に居座ることの方が法的根拠がないよ。
860日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:04:17
>>859
いや、片桐が言えば、豊臣の総意ということにはならないだろ

ただ、根拠はなしに、言うことはできる

誰もそれを反対しようとは思わないだろ
861日本@名無史さん:2005/10/01(土) 03:15:37
>860
文盲か?
当時太閤世継の秀頼は八歳で、政治的な事を処理する能力は無い。
そして、太閤が秀頼の後見人に指名したのが片桐且元。
豊臣家内部での、秀頼に代わる政務代行者の筆頭が片桐且元である。
862日本@名無史さん:2005/10/01(土) 03:31:34
秀吉が秀頼の後見人に指名したのは前田利家。
利家死後は利長。
関ヶ原以後に片桐且元。

関ヶ原当時における豊臣家の家宰は、三中老の生駒親正、中村一氏、堀尾吉晴。
豊臣政権と豊臣家とは別に切り離して考えませう。
863日本@名無史さん:2005/10/01(土) 08:29:32
>>857
法的根拠があるのは家康ですが。
864日本@名無史さん:2005/10/01(土) 08:34:18
>>862
>豊臣政権と豊臣家とは別に切り離して考えませう。

その通りだね。

まあいずれにせよ、この時期の豊臣家の意思決定は秀頼が幼少だったこともあり、
家臣の合議によって決められていたと、そういうわけだ。
865日本@名無史さん:2005/10/01(土) 08:37:27
>>862
三中老は三人とも東軍ですね。
利長も東軍だし、且元も親家康派。
866日本@名無史さん:2005/10/01(土) 08:41:28
というか、決定的に「豊臣家の意志」を決定できるような人物が、
当時の大坂にはいなかったから、結果的に中立になる、
即ち何も決断できないという感じになったのではないかね。

まあ、いずれにしろ、「豊臣家」が西軍よりに行動するという可能性は、
関ヶ原の時点ではありえない。
ましてその決着がついた後ではなおさらだと。
867日本@名無史さん:2005/10/01(土) 09:56:03
>>866
天下分け目なので、幼少であるに関わらず加わるべきだった。
実際、加わらなかったことで戦わずして徳川臣下の一大名に成り下がったw
大阪の陣でも起きるが、前線に出ないで中途半端な位置に居る事が、当時
としては大問題なわけで、西軍の統制が取れなかった最大要因でもある。

東軍側に付いた豊臣ゆかりの諸将にとっては、秀頼が出陣しないことで「豊臣
恩顧の逆臣」ではなくなり戦い易くなった。
しかも結果として徳川の世になり、豊臣家が実質的な徳川臣下に成り下がった
結果、豊臣恩顧の諸将が大阪の陣で大阪方に組する理由すらなくなった。
徳川臣下では、豊臣恩顧の諸大名と豊臣家が同列になり、豊臣家の臣下でな
くなっている。
それゆえ、片桐且元でさえ大阪を離れる事になる。

幼少の秀頼が自分で決められないのは当然だが、幼少の当主を立てて出陣
する事は当時として珍しい事ではない。
大義名分が重要な上に、勝ち残ったものが政治の実権を握る事が明白な戦い
に豊臣家を加わらせなかったことが敗北と没落の最大要因といえる。

加わる事で滅亡が早まる事も考えられるが、政権をかけた戦に加わらなかった
ことは武家として恥ずべき事。(オヤジが百姓の出だからといったらお終いだ)
868日本@名無史さん:2005/10/01(土) 11:10:11
>>867
幼少の当主立てて戦うのは、その家の戦いの場合だろ。家臣が勝手に
起こした家臣同士の争いには、積極的に介入しないと思われる。
869日本@名無史さん:2005/10/01(土) 11:20:15
>>867
関が原の合戦は東軍対西軍であって、徳川対豊臣ではない。
家臣同士の争いに秀頼が出馬しなければならない理由などない。
この時点では秀頼は東西両軍どちらかに肩入れしているわけではないのだから。
結果として豊臣家の権威は地に落ちたのだから秀頼は出馬すべきだったと言うが、
それはあくまで結果を知っている我々だからこそ言える結果論にすぎない。
870日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:38:16
>>861
文盲?

政務代行者の筆頭が片桐且元というソースは?
871日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:41:46
>>867
出陣するのも選択肢だが、一発で豊臣がなくなる可能性がある
もちろん勝つ可能性も出てくるが

それから首謀者らは死刑

誰も死にたくない

増田は二股だし

片桐だって親家康でギャンブルする気はない
872日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:46:33
>>870
今さらそんなとこに突っ込んでどうするよ
873日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:49:55
>>872
ソースがあるんなら、新設だろ
874日本@名無史さん:2005/10/01(土) 13:12:03
>>861
そうすると家康はなんだったのか?

単なる5大老か?

政治的には力なしか?
875日本@名無史さん:2005/10/01(土) 13:22:13
いや、そんなムキになるなって……。
>>861の誤りなんて、瑣末な問題だろうよ。
どうも最近は休日になるとムキになる奴が出てきて困るな。
876日本@名無史さん:2005/10/01(土) 13:26:50
つか、太閤没後の片桐って秀頼の後見人などではなくって、小出秀政らと同輩の
ただの豊臣家の家財管理人で、役目は大坂城の修理その他ではなかったか?
「家老」になったのは関ヶ原後で、家康に任命されたのではなかったか?
877日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:02:49
>>875
秀頼の後見人が誰か、ってことが瑣末なのか?
すごいセンスしてるな・・・。
878日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:08:38
>>877
そういう論点ではないと思うが
879日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:21:54
>>790
徳川が日本に平和をもたらし近代化に一役かったと思ってるの?w
太平の世を作ったのは信長,秀吉の2人
信長,秀吉がもたらした平和を自らの野望のために戦を起こし、日本の近代化
を大きく妨げるお家大事の政策を取ったにも関わらずこの発言
徳川厨恐るべしw
880日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:25:49
>>878
では何が論点なの?
881日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:30:12
>>871
おまえの主観で語るなよw
882日本@名無史さん:2005/10/01(土) 17:55:01
>>879
藻舞のいうことは分かるが、万一、豊臣の天下が続いていても
豊臣のお家大事を優先して日本の近代化を阻害した可能性はあるだろうし
織田の天下になっても長続きしたという保障も無い。
 徳川の天下が近代化を阻害したというのなら・・
どうすれば日本の発展は促されていたというの?漏れからすれば徳川でだめなら
誰の天下になっても近代化は阻害されていたろうという結論にしかならん。
883日本@名無史さん:2005/10/01(土) 18:08:58
>>882
豊臣や織田なら鎖国はしないだろうさ。
884日本@名無史さん:2005/10/01(土) 18:09:10
あんたら、江戸幕府と近代化については下記のスレでやってください。
ほんとによぉ、何度ループしてると思ってんだ。

「江戸時代はなんて素晴らしいんだ!」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1046695850/
「【死屍】江戸時代は暗黒時代 其の4【弾圧】」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1075706186/
885日本@名無史さん:2005/10/01(土) 18:29:26
>>881
主観なしのソース出せ
886日本@名無史さん:2005/10/01(土) 18:51:48
豊臣政権、大名としての豊臣、武家の一族としての豊臣と、三つに分けて
考えるべきだろう。政権では徳川家康。大名家の豊臣としては浅野長政
そして豊臣の一族としては福島正則。この三人が当時の代表的な人物
だろう。
887日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:01:50
関ヶ原の戦いで秀吉を裏切った人って誰だった?
888日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:06:34
石田三成
889日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:07:08
家康
890日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:29:05
>>887
亀井静香
891日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:36:08
藤田信吉の野郎、斬っておけばよかった。

三成ではなく左近が主なら…
景勝ではなく兼続が主なら…
北の御台所が出て行かなきゃ…
前田が上杉と結んで狸親父を討ってたら…

イフを考えるのは楽しくてロマンだけど、その考えが負け組発想なのよね。
勿論、漏れも負け組。
892日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:51:17
>>867
5歳児にそんな判断できるわけないだろう。
893日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:34:48
 @西軍が守ろうとしたのは【豊臣政権】という権力システムで
 A大阪城に拠る豊臣家の内輪は【豊臣家】という家を守ろうとし
 B東軍に加担した豊臣恩顧は【豊臣大名】という自家保存を第一に考えた。
この辺のバランスが関が原と豊臣の天下の瓦解を招いたわけで・・

西軍が破綻したのは@でいう【豊臣政権】の代表が徳川家康だということで
Aの信用を得られず、Bの離反を招いた。

 やっぱりこの観点から考えうるに、史実での西軍勝利は難しい・・
というか西軍が完勝したところで秀頼が順当に天下人できたとは思えん。
東軍が秀頼見限ってたのは事実だが
西軍も単純な忠臣なわけではないのだし・・
@でいうところの【豊臣政権】は東の徳川に代わって西の毛利が
前田に代わって上杉が・・という東西二大巨頭が居座り
Aで言うところの【豊臣家】は秀秋や秀家が居座り
Bは三成が壟断して好き勝手に差配し
秀頼の居場所は西軍が勝っても長期的にはなく生涯お飾りか
それに甘んじられなかった場合、源実朝のように暗殺し

実際西軍政権が成立してなんとかやっていけた場合でも、秀頼
いなくとも豊臣に復した秀秋もいるし、
それまでに秀頼が国松を生んでれば無問題だし、
実際のところ史実で言う八条宮
(太閤秀吉の猶子)この皇族を関白として神輿にするという手段も
ありえただろうし・・。
894日本@名無史さん
>>893
ふーむ。なるほど、これは面白い考察だ。当時の状況と結果を論理的に紐解いて
る感じする。
俺個人としては893氏はGJ!