932 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 10:24:42
信長と家康の個人で見るより、家康を慕っている家臣はたいへんな数だったことを含めて考えると、
例えば信長が有力家臣をぞんざいに扱い続けたら、相当数が家康に流れていったんじゃなかろうか。
ということで、やはり家康のもとに天下は転がってきたと思うのですが。
家臣をぞんざいに扱ってたらあそこまで人材が集まらないだろう
きれやすい=ぞんざいに扱うは違うと思うが
信長は神経質で部下に対する配慮も行き届いてたけど
同時にきれやすく部下に恐れらたって感じかな
家康だって酷いときは結構酷いしな
>>922 家族を平気で放置プレイしたり、阿斗(劉禅)を地面に投げ捨てた劉備モナー
しかし晩年に生まれた子たちには打って変って優しいように見える
後に御三家になった徳川 義直達3人に対してはそう言えるかもね。
940 :
日本@名無史さん:2008/08/18(月) 12:55:45
>>933 >信長は神経質で部下に対する配慮も行き届いてたけど
刀の先に饅頭突き刺して、そのまま荒木村重に食わせた。
秀吉がゴマスリだから、木の上から小便かけた。
信濃守護だった小笠原家の肩書きを利用したけど、分け前は与えなかった。
朝倉攻める時は、浅井に報告するように約束したけど無視した。
家康の前で、「この老人が・・・」と松永久秀の悪口言い放題。
明智光秀の発言が気に入らないと、衆人の前で暴行。
そんな事を信じてどうするね
フロイスによると足蹴にした事があるらしいから
全て嘘とはいえんだろう
問題は、フロイスの記述がどこまで信用できるかだがな。
そんな大事件が、当時畿内にもいなかった(つまり知りえたとしたら伝聞情報)
人物の後日の報告書にしか出てこないという時点でかなりアレだが。
つか>940って講談ばっかじゃないか。
至極まともな人格者だったら講談とはいえここまでポンポンと生まれん気もするが
>>944 まぁそういうことだね。記事が事実かどうかは大したことじゃない。
「当時」そういう噂が「あった」ことが立証できれば、暴行する人じゃなかったという説は棄却してもいい。
当時は側近への暴行なんて珍しくもないしね、はあ左様かで終わる話。
>>945 >当時は側近への暴行なんて珍しくもないしね
んなわけあるか。まだ江戸時代のほうが可能性はあるにしても。
それにしても噂があれば事実認定って無茶苦茶だな。
947 :
日本@名無史さん:2008/11/12(水) 13:37:13
お前ら深読みしすぎ。
至って良好な、仲のいい関係だったと思う。
948 :
日本@名無史さん:2008/11/12(水) 13:41:15
良好な仲なら織田家の江戸期の石高はなんだありゃ
949 :
日本@名無史さん:2008/11/12(水) 14:01:56
>>946 同意。
噂を鵜呑みにしたり、多数の意見だからと宣言し確証もなしに公言する。
日本史の話だからまだ実害がないが
皆が犯人だと言っているから犯人に違いない、なんていうのが陪審員になったら怖いな。
950 :
日本@名無史さん:2008/11/12(水) 16:41:58
>>946 単に信長と家康の仲がよかったってことでは?
951 :
949:2008/11/14(金) 10:55:27
949は、944-945の結論付けに呆れただけ。
信長と家康に関しては、
仲が良いという言葉が適当かどうかは知らないが
少なくとも嫌いあってはいなかっただろうし
信頼関係が成り立っていなかったとは思えない。
952 :
日本@名無史さん:2008/11/14(金) 15:26:31
だな。
2人ともお互いにお互いの要求を過不足なく呑んでるし、
友好的なやり取りこそあれ、ネガティブな関係を思わせる記録もないしな。
>>948 直系の三法師が西軍側にいなかったらね〜
954 :
日本@名無史さん:2008/11/14(金) 18:56:56
関ヶ原だと秀信だけじゃなくて信雄やその他の信長の子も西軍だからな。
東軍についたのは有楽だけ。
大阪冬の陣ではその有楽も豊臣方にいたし。
信長と家康は同志的な信頼関係にあったのではないかな。
その家族でも同じような関係を築けるような相手でないのなら仕方がないね。
信雄には小牧・長久手でお付き合いまでして充分義理は果たしたんだし。
その結果がアレだし。
956 :
日本@名無史さん:2008/11/15(土) 16:27:19
3万石の木下家より
下の席次に転落した
織田藩カワウソ
築山殿事件で信康を死なせたので、
信長に対する感じが内心変わったという資料もある。
ない!
ないな。
960 :
日本@名無史さん:2008/11/29(土) 07:29:38
てか、最近は築山殿や信康の殺害は
家康の命令という説が強くなりつつある
実際、同盟者が嫡子と正室を命じたというのは
いかにも不自然だわな
961 :
日本@名無史さん:2008/11/29(土) 07:30:32
言葉が抜けた
↓
「実際、同盟者が嫡子と正室を殺せと命じたというのは
いかにも不自然だわな」
>>914 今更だが幕末はもはや戦国時代の島津家とか毛利家とは違う。
幕府が負けたのは島津や毛利ではなく薩摩藩と長州藩だろう。
毛利家は長州では「そうせい公」だったしな。
>>957 築山との事件が信長の命令だと信じてる輩がまだいたのか。
あれは徳川家の内輪もめだ。
964 :
日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:44:44
酒井や大久保らが
将来こんなドキュソに
仕えるのはイヤだと考え
五徳を焚き付け
右府様の威光をもって
ヤンキー小倅を始末した
965 :
日本@名無史さん:2008/11/30(日) 07:39:01
築山と信康が残ってたら将来今川が幕府の外戚としてしゃしゃって来ただろうから、始末したのは賢明な判断だった
966 :
日本@名無史さん:2008/12/04(木) 01:00:59
>914
井伊直政が幕末に彦根が官軍に味方して江戸城に攻め込む姿を見たら井伊直政は悲しむだろうな…
967 :
日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:30:12
井伊家は元々は徳川家の家臣ではないし。
968 :
日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:58:57
築山事件は信玄が嫡男を殺したのと同じ構図だな。
岡崎派を家康がコントロール出来なくなっていたし、
武田信虎が息子に追放されたように、自分も追放されるかもしれないわけなので。
息子の舅なので、信長の許可を貰いに行ったのが酒井だが、
信長は、実際に娘を通じて家康を追放させようと画策していたのかもしれない。
969 :
日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:53:48
こいつ今に高転びに転ぶぜ それまでの辛抱じゃ by家康
970 :
ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :2008/12/11(木) 21:11:16
972 :
日本@名無史さん:2009/03/16(月) 19:08:28
973 :
日本@名無史さん:2009/03/19(木) 16:37:42
晩年、信玄のことはよく語っていたらしいが、信長のこ
とは殆ど語らなかったらしい。冷ややかな目で見ていた
のは間違いないね。
974 :
日本@名無史さん:2009/03/19(木) 17:41:11
秀吉曰く、信長は「勇将だが良将ではなかった」らしい。
信長が長生きしてたら、封建制なんか採用するもんか。
大名などという存在など許さんだろ。
信長は皇帝になって、家康やその他の大名連中などは貴族に祀り上げて領地は召し上げ。
日本全土を信長の直轄にする。
絶対君主制にまで突っ走る。
信長の生涯においてずっと封建制で
配下を大名にしまくってるのに
なぜこんな事が思えるのか意味不明だ。
>>976 信長のことが全然わかってないね。
信長は土地(所領)にへばりついてた部下たちを、転勤族に変えてることくらい気付けよ。
978 :
日本@名無史さん:2009/03/24(火) 22:21:45
>>973 信康の事もあるし思い出したくなかったんだろうな
>>977 そんなの武田も上杉も北条もやってる事に気づけよ。
信長以外のこと全然わかってないね。
980 :
日本@名無史さん:2009/03/24(火) 23:07:41
上条も能登・加賀担当になると喜んでたら
加熱具の讒言で信濃担当にされた
信長が生きてたら家康は成り行きでそのまま3〜5国ぐらいを支配する配下大名に収まってたんじゃないかね
関東へ転封されるかは分からん。既に本城は清洲から安土に移ってた訳だし
それぐらいなら家康もそこそこ満足なのではないかな。大大名な訳だし