【天才】大久保利通・伊藤博文【政治家】

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1薩長同盟
大久保は鹿児島では不人気だがリアリストであり政治家としては
天才的である。マキャベリストでもある。
伊藤は外交的な戦略に優れ、派閥なんかにこだわらず日本の
国益のために頑張ってきた政治家。
この2人について語ろう
2長谷部タイ子:2005/08/23(火) 01:31:08
導尿カテーテル2げと
3日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:32:12
明治維新後は2人とも藩閥にはこだわらなかった。
山県は死ぬまで長州閥にこだわった
4日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:35:29
俺も個人的に大久保利通は日本で一番好きな政治家だ。
国益を優先し、士族であることもこだわらなかった。
たしか小沢一郎が尊敬しているみたいだな。
5日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:44:47
たしか伊藤は朝鮮半島併合にも反対していたね!
理由は朝鮮は文明が発展していなくて財政的に莫大が金がかかるので
あまり併合してもメリットがないと。
そして当時の朝鮮は治安も最悪、衛生も感染病が蔓延して最悪だった
らしい。
しかしロシアが南下してきて軍事基地を作られては困るので併合に
しかたなしに賛成したらしい。
6日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:47:31
日清戦争の時の講和条約の時の伊藤博文は神
下関条約ね。
7日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:12:39
当時、薩摩閥は芋蔓と揶揄されたけど、大久保卿は
仕事の出来る人間を優先して登用したよね。旧幕府の
エリート達も登用してたし。
8日本@名無史さん:2005/08/23(火) 06:54:12
大久保は薩摩人の事を、軍人には最適だが文官には向かないとぼやいていた。
9日本@名無史さん:2005/08/23(火) 16:38:04
弁論の鋭さで後に「カミソリ」と云われた
陸奥が西南戦争の少し前に明治政府の要人への
凶行を計画していた。結局未遂に終わり、大久保、伊藤、大隈、、、
と書かれた要人名簿を押収されたが、それを保管してたのが
大久保だった。自分の名が上がっているにも関わらず陸奥達を
禁固刑の寛大な処置をしたのも良い人材として期待していたから
だろうか。伊藤は陸奥を外務大臣として起用してるけど。

10日本@名無史さん:2005/08/23(火) 17:17:17
女体盛りや処女を犯すのが趣味だったんだよね<伊藤博文
11日本@名無史さん:2005/08/23(火) 17:27:04
あつ痛
12日本@名無史さん:2005/08/23(火) 17:38:54
大久保と比べたら伊藤は俗物に見える。
大人物を生み出せないチョン州の宿命だな
13日本@名無史さん:2005/08/23(火) 18:19:08
大久保さん最高^^v
14日本@名無史さん:2005/08/24(水) 06:29:28
大久保利通は凄いと思う。

伊藤博文は農民から這い上がったたたき上げ
だから士族とかにこだわらなかったのだろう。
伊藤は女好きだったんだよね!
上司の高杉にいつも銭をもらっては吉原に行っていたみたいだ。

長州の大物は明治維新前で死んだ人が多いだろ?>>12
吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎

高杉が生きていたら面白かっただろうな
15日本@名無史さん:2005/08/24(水) 13:20:38
伊藤博文は一応下級武士の出じゃ?
16日本@名無史さん:2005/08/24(水) 14:01:53
>>15
伊藤は百姓の子で、若年の頃、長州藩の名士
来原良蔵の若党になり、来原の死後に
来原の親戚だった桂小五郎の若党になった。
桂はその時「形の上では主従関係になるが
君と僕は同志だから気にしなくていい。」
と伊藤に言ったそうです。
17民主党政権=2ちゃんねる閉鎖:2005/08/24(水) 14:42:15

ジョン・レノンとジョンが作った『イマジン』と『イマジン』が生み出した『国境のない世界』という思想。

この3つを徹底的に批判、侮辱しまくれば左翼のアイデンティティを深く傷つけられる。

左翼の皇族に対する批判、侮辱や日本史に対する捏造工作によって、

アイデンティティを傷つけられたことのある右派の人は是非《ジョン・レノン》、《イマジン》、《国境のない世界》の

3つを左翼の多いホームページで批判、侮辱しまくって下さい。

そうすれば、そう遠くない未来 ネット上から左翼が消滅するでしょう。

確かに在日や三国人留学生も少なからずいるが、それ以上にジョン・レノン信者は多くいる。

彼らは自分がジョン・レノン信者であることを巧みに隠す。そこが問題だ。

『国境のない世界』を批判しましょう!
というか誹謗中傷しましょう!

左翼だって天皇陛下や安倍さんに対して侮辱的な書き込みしているでしょう?

やられっ放しでボーっとしてるのはもうやめませんか?
これじゃいつまでたっても左翼は『国境のない世界』なんて馬鹿な妄想を引きずり続けてしまいます。

本来、天皇陛下に対する書き込みはタブーであるべきにもかかわらず、今のネット左翼はどうです?
ネット左翼は当然のごとくタブーを亡きものとし、天皇陛下や皇族に対する侮蔑を平然と行っています。

これに対してもちろん左翼にもタブーに領域があるのです。
それが『国境のない世界』なのです。

18日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:54:06
>>16
詳しいですね。
勉強になった。
乙です
19日本@名無史さん:2005/08/24(水) 20:05:30
大久保利通って当時としては巨人の部類に入るね。
20日本@名無史さん:2005/08/24(水) 23:01:09
大男と言われた西郷や竜馬よりもさらに10cm近く長身の大久保。
21日本@名無史さん:2005/08/24(水) 23:19:46
西郷、大久保、龍馬の身長は諸説あるが大体180センチ前後で同じくらいだとされている。
当時の日本人の平均が150センチくらいだから彼等が巨人族である事は確かだ。

因みに山本権兵衛が190センチで前記の3人より更に巨人だった。
22日本@名無史さん:2005/08/25(木) 09:22:25
西郷と竜馬が約176cmで大久保は185cmじゃなかったか?
23日本@名無史さん:2005/08/25(木) 09:47:12
当時の平均身長と30cm以上違ったのか
今で言うと2mの巨人を見る感覚か
24日本@名無史さん:2005/08/25(木) 11:06:45
>>14
大村は維新後だろ。

あと女好きってなんか問題か?
仕事できれば、なんの問題もないと思うのだが、下の欲で問題起こしたわけでもなく、
むしろ起こさないように、女を紹介されても、醜女を選んでいたそうだから、そうとう気を使っていたようだが。
25日本@名無史さん:2005/08/25(木) 12:58:53
坂本竜馬 175cm
西郷隆盛 178cm
大隈重信 180cm
大久保利通 185cm
山本権兵衛 190cm
26日本@名無史さん:2005/08/25(木) 13:01:03
大久保の人間臭いエピソードは何か無いの?
西郷や竜馬は勿論のこと、エロジジイのイメージがある伊藤に比べても
大久保は無機質なイメージが強い希ガス
27日本@名無史さん:2005/08/25(木) 15:34:43
嫌ってた江藤新平の首だけの写真いつも持ち歩いてたとか
28日本@名無史さん:2005/08/25(木) 16:49:35
大久保は男前だね!若い頃の写真を見てそう思った。
薩摩人らしくない顔立ち。
伊藤博文は歳をとってから貫禄のあるいい顔になった。
昔の1000円札のイメージだが。

なんで明治の元勲、政治家は髭をはやすのだろうか?
流行していたのか?
明治天皇も髭をはやしているね。
大久保も長いアゴヒゲ生やしているよね!

現代も髭はやす人増えたけど。
営業職じゃ髭はやすのはダメなのが辛い。
肌が弱い俺は毎日の髭剃りはツライ、ヒリヒリする
29日本@名無史さん:2005/08/25(木) 16:54:45
大久保さんは剣術の腕前はどうなんだろう?

身長も高いし喧嘩は強いと思うが
30日本@名無史さん:2005/08/25(木) 17:15:44
大久保も薩摩藩士の習いで6歳頃からほぼ毎朝示現流の稽古を積んでいた。
だから人並み以上には強い。

但し幼少時から病弱だったので薩摩人の中では弱い方だった。
31日本@名無史さん:2005/08/25(木) 17:36:18
>>29 うーん、どうなんだろうね。そっちの方の逸話は
聞いた事ないですね。大久保を知る人達は皆、その威厳と存在感を
語ることが多いようです。あの桐野でさえ、大久保の前では大人し
かったとか。
32日本@名無史さん:2005/08/25(木) 17:58:12
桐野は百姓出身でありながら、通常の薩摩藩士に倍する稽古量を自らに課して剣の修業に励んだ。
その結果、薩摩最強の剣士として認められるようになり、
異例の出世を果たして陸軍少将になった。

病気勝ちで稽古量が乏しかった大久保が、剣で桐野に勝つとは考えられない。
33日本@名無史さん:2005/08/26(金) 06:53:30
大久保の威厳前では大人しくしていたというレスの次に大久保より桐野の方が強ぇよってレスはどうなんだ。
34日本@名無史さん:2005/08/26(金) 10:41:56
文脈を理解できないアホだということです。
アスペルガー症候群のネット版かも。
35日本@名無史さん:2005/08/26(金) 14:20:00
>>33,34
ちとまて。客観的に見て、「強さ」の議論を持ち出した>>29は、喧嘩とか物理的な
強さについて語ってるよな。
>>32>>31に直接レスしてるならまだしも、29,30の流れをくんで議論に加わってきたと
思われる>>32が、物理的な強さは桐野のが上と発言したのに何か問題あるのか?
文脈的に言うなら、むしろ物理的強さについての議論に威厳を含める方が変なことないか。
(別に31を責めるつもりは無い。たぶん31は物理的強さとは別の話題として、威厳の話を出しただけだろ)
29,30を読まずに、大久保が弱いと言われた悔しさで脊髄反射レスしたかのような、君らの方がちょと痛いよ。
29,30読んでその発言だったら、文脈を理解できてないのは、君らのほうだと。
36日本@名無史さん:2005/08/26(金) 14:58:18
哀れ
37日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:13:56
>>21
山岡鉄舟はさらにでかく、200cmあったらすぃ
38日本@名無史さん:2005/08/29(月) 05:10:52
山岡鐵舟 200cm
山本權兵衞 190cm
西郷隆盛 183cm
明治大帝 181cm
大隈重信 180cm
大久保利通 178cm
坂本龍馬 174cm

>>32
ォィォィ、桐野は士族だぞ。
身分は郷士だが。
39日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:18:58
山本は190センチもあったんだ。
プロレスの蝶野と同じぐらいだ。
こんなんとタイマンしたら大抵の人はビビッちゃうよな!
40日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:31:31
ところで今思ったけど、小泉総理って今大久保って気がしますがどうですか?
彼はやりてだし、日本史上最高の政治家大久保利通の生まれ変わりだと思うのですが、
みなさんの意見はどうですか?
41日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:47:38
>>40
生まれ変わりかどうかは別として,今の政治家で大久保を理想としている人は結構いるはず。
ただ,それを口にするとマスコミから独裁者を目指していると言われかねないから言わないだけ
42日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:13:00
>>40
実は自分もこっそり思ってた。
生まれ変わりかどうかはともかくとして、マスコミ等が騒いでいる織田信長よりは、大久保っぽいような。
>>41
心から、大久保を理想としている政治家が結構いるなら、ここまでアレな日本になってないかと。
ほとんどの政治家が、利権漁りや派閥の圧力に囚われてるから、郵政民営化ですら成立しないんかと。

小泉、実際、独裁者とか言われてるし。明治時代と違って、言論の自由もあるし、民間人が意見を持つのも、
表明するのも自由な時代。さらに最後の決断を国民に委ねた小泉に対して、何が独裁か、と思うがね。
とりあえず、現在少しでも大久保の影が見られるのは小泉っぽいので頑張って欲しい。
43日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:52:54
>>42
確かに小泉は大久保に似ていると思う。
政治の駆け引きは大久保並に天才かと。
民主や社民の相手ではない様な気配がある。
自民党は嫌いだが、そういう意味では日本の総理大臣は小泉以外にいないかな・・
マスコミも小泉の事を現代の大久保利通として紹介すれば面白いと思う。
44日本@名無史さん:2005/08/30(火) 01:10:47
小泉の祖先は薩摩人と聞いたことあるがホントなの?

小沢一郎が公言しているね!
大久保を尊敬していると。
45日本@名無史さん:2005/08/30(火) 03:00:49
>>44
本当。
父親で防衛庁長官を務めた小泉純也は加世田市出身。旧姓鮫島。
刺青大臣の異名を取った小泉又次郎の女婿に。
46日本@名無史さん:2005/08/31(水) 05:00:17
>>45
だから安倍さんと小泉さんは平成の薩長同盟だね!と雑誌で雑談していた。

たしかに大久保利通に似てるね
47日本@名無史さん:2005/08/31(水) 08:58:09
伊藤と大久保は陰謀で明治維新を成し遂げた。
48日本@名無史さん:2005/08/31(水) 13:04:31
小泉は歴代総理の中でもトップクラスの天才かな。
49日本@名無史さん:2005/08/31(水) 16:09:40
まさにマキャベリストだね。
小泉も総理にしてくれた盟友を自分の政策に反対する議員には容赦なく
制裁を加えた。
大久保利通は国益のために西郷を裏切った。

大久保利通→岸信介→小泉純一郎

亀井静香は敗北したね
50日本@名無史さん:2005/09/02(金) 20:49:22
大久保は偉大な政治家だ。
好きです♪
靖国に銅像立てるべき。
大久保の銅像とか、詳しい資料館ある?
偉い人教えて?
51日本@名無史さん:2005/09/02(金) 21:08:41
大久保利通は米英の傀儡政権であり、血縁一族は閨閥(けいばつ)と呼ばれている。新潮社の『軍隊なき占領』にくわしく書かれているし、家系図の一部も出ている。
大久保利通の子供が牧野伸顕(宮内相)、牧野の女婿が吉田茂だ。吉田茂の女婿が麻生太賀吉(麻生産業)で麻生太郎氏の父。

主だった閨閥のメンバーは、毛利元徳(旧萩藩主)、西園寺公望(首相)、住友吉衛門、鮎川義介(日産コンツェルン)、久原房之助(日産コンツェルン)、松岡洋右、安西浩(東京ガス)、安西正夫(昭和電工)、
三木武夫(首相)、森暁(日本冶金)、大隈重信、浜口雄幸(首相)、佐藤栄作(首相)、正田英三郎(日清製粉)、三井守之助(三井物産)、美智子皇后、岩佐凱実(富士銀行)、大橋武夫(閣僚)、岸信介。
52日本@名無史さん:2005/09/03(土) 06:02:39
>大久保利通が米英の傀儡政権

初めて聞く見解だな。また血縁に関しても
大久保が他界して後の事だろうに。日本の屋台骨を
つくらねばならず、非征韓論の巨魁として或いは太政官の
代表として旧薩摩士族(主に私学校生徒)から憎まれ、旧主の
久光からも「西郷と大久保は不忠である。」と生涯言われ続け
木戸からも鹿児島県の在り方について執拗に詰られた彼が個人の
閨閥など考える時間や精神的余裕があったのだろうか?
53日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:35:13
>>52
>血縁に関しても大久保が他界して後の事だろうに。
そりゃそうだ。英米が脚本を書くのであって、大久保利通が書いたんじゃないんだよ。閨閥を日本の支配者層に決めたのはあくまでも英米であって、大久保じゃない。
一般的な注意事項として指摘しておきたいのは、人物を崇拝するのは共産主義的なんだよね。毛沢東万歳と大久保万歳はまったく同じだってことに気付かなければなァ〜。

>彼が個人の閨閥など考える時間や精神的余裕があったのだろうか?
ない。大久保が個人で決められるような脚本じゃない。あくまでも脚本は英米が書くんだよ。

このようにして英米の対日間接統治の道筋を振り返ると、脚本を容易に振り返ることが出来る。さきがけや日本新党や細川政権や、そして現在進行中の解散と総選挙だ。
歴史は善と悪のせめぎあい。日本の最近の改革は過去何回か失敗しているが、その原因は反ユダヤ主義勢力が強かったからだろう。反ユダヤ勢力には、共産主義やカトリックや反米テロ組織も含まれる。
今回の改革が成功するか失敗するかは、これらの反ユダヤ主義勢力がまだ力があるかどうかにかかっているとも言える。
裏から見れば、今回の改革が成功すれば反ユダヤ主義勢力の力がかなり衰えてきていることの証明になる。
54日本@名無史さん:2005/09/03(土) 22:21:33
この陰謀家二人が日本を壊滅に導いた。
55日本@名無史さん:2005/09/03(土) 22:35:49
陰謀論にハマっている内は青二才
56日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:43:19
>>47 脚本はあくまでも英米が書いている。日本人は脚本に従って演技をする俳優に過ぎなかった。親英米の日本人がスカウトされたってこと。日本人を買いかぶると歴史が見えてこないよ。
57日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:49:35
>>56
キムチ臭がプンプン臭うでござるよ
58日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:17:14
>>53 >>56
電波全開ということがよくわかった
59日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:18:21
まあ、朝鮮人がこの手の陰謀論に引っ掛かって思考の袋小路からいつまで経っても出て来れないようなら、
その期間は日本を出し抜く事など不可能だから問題無い。
60日本@名無史さん:2005/09/04(日) 02:25:09
日本史板にも在日がいるのか?
ハングル板に行けよ!
ホント電波丸だしだなw

巣へお帰りなさい

せっかくの良スレなのに、支離滅裂な書きこみだね
61日本@名無史さん:2005/09/04(日) 02:32:23
朝鮮人はかなり紛れ混んでるよ
さっきはどこかで薩摩藩主が細川だと書いてあるレスを見掛けて爆笑した。
まともな教育をうけてる日本人ならこんな間違いは有り得ないでしょ。
62日本@名無史さん:2005/09/04(日) 02:37:00
>>61
まぁ、そもそもまともな教育を受けてる日本人そのものが、絶滅危惧種ですから。
63日本@名無史さん:2005/09/04(日) 02:43:00
朝鮮人でもないと薩摩藩主の苗字を間違える程の馬鹿は希少だから心配無用だ。
64日本@名無史さん:2005/09/04(日) 15:02:41
伊藤博文は英語がペラペラだった。英米が彼を首相に据えた一因はこの当たりにもありそうだ。
65日本@名無史さん:2005/09/04(日) 16:12:15
大久保の不精髭気に入らん
66日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:58:12
いや俺は威厳があって好きだな
67日本@名無史さん:2005/09/07(水) 01:55:03
司馬が政治家を4人挙げろと言われたら
信長、家康、秀吉、大久保この四人なんだそうな。
68日本@名無史さん:2005/09/07(水) 02:31:59
内務省と工部省を作ったのは行政官としてお見事というしかないが、
警視を司法省から内務省の管轄に移して政治警察にしちゃったのがどうも好きじゃないんだ。

川路が長生きしてたら面白かったかもね。
大久保系としてはナンバー2だったんだよね?
黒田のつぎの薩摩閥総理になってた可能性が高いな。
69日本@名無史さん:2005/09/07(水) 13:25:28
なぜ大久保は人気の点で西郷に劣るのか
70日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:08:42
>>69
自分は完全、大久保支持ですが。
やっぱりどっか冷たいイメージが駄目なのかな?大久保は。
71日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:13:23
>>67
時代的バランス悪すぎ
72日本@名無史さん:2005/09/07(水) 18:46:29
大久保が徹底的な武力討伐を主張したせいで東北が火の海に。
どうも西日本の人間は野蛮で好きになれない。
73日本@名無史さん:2005/09/07(水) 18:53:43
薩長土肥の西日本政権のせいでその80年後、日本が火の海になった。
西日本人はカス!
74日本@名無史さん:2005/09/07(水) 19:00:10
この二人が日本をダメにした。
75日本@名無史さん:2005/09/07(水) 21:06:03
>>69-70
頼朝が人気の点で義経に劣るのと全く同じかと。
76日本@名無史さん:2005/09/07(水) 21:18:23
1863年1月31日、御殿山の英国公使館が放火されたが、犯人は伊藤博文と井上馨他一名だった。
77日本@名無史さん:2005/09/07(水) 21:44:34
ホテル・ニューオータニの真ん前の公園の、大久保遭難の石碑見たことある?
あんなデカい石碑、ほかでは見たことない。
なんか明治政府 必 死 だ な ってかんじがした。
78日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:19:29
伊藤博文は教科書にも出てくるチョー有名な人だが、なぜか人気がない。
たとえば、出身地である山口県萩市においても、松陰先生とか晋作、木戸あたりは尊敬されてるが
伊藤博文はそれほどもないたいしたことない郷土の出身者なのである。山縣有朋もしかり。

でも彼の生い立ちとかを本で読むと、小さいときから随分苦労して勉強して、実力と持ち前の要領の
よさで豊臣秀吉みたいな立身出世をしたえらい人物である。でも、なにかが足りないんだろうな。
萩市の人が言っていた。「維新で本当に偉大な人はみんな死んでしまった。彼はもぎ残りの夏みかん」
なんだって。意味わかる?
79日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:25:36
>>69 明治時代の海軍大臣 山本権兵衛(薩摩出身)の談
「仲間と西郷翁のところへゆくと翁はいつも喜んで、
相手になってくれた。"話をして賜はんか"と頼むと
翁は"おいは、噺家じゃなかで、何を聞かせっあげてよかか
わからんで。おはんたちの方で何か聞きやはらんか"という風で
接していてあたかも春風に触れるような長閑な気持ちになる。
辞して門を出る時は胸中名状しがたい愉快が湧いてくる。
しかるに大久保さんはこれとは反対で、いかにも怖い顔を
しておられた。言葉少なく、ただ我々はその威厳にうたれて
こちらから言いたい事も言われず、小さくなって帰るのが常であった。
自然、人気は西郷さんの方に集まった。我が輩も大久保さんよりも
西郷好きであった。ただ大久保さんという人を理解するには当時
自分の歳が若すぎたという事があるかもしれない」


80日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:44:24
いつのまにかスレ伸びたね!

織田信長→豊臣秀吉
高杉新作→伊藤博文

なんか似てるね!百姓上がりのサクセスストーリ

たしかに山口では人気ないね!
日清戦争の時の講和条約の仕事ぶりは評価されているが

伊藤は政治家として有名になりだしてから故郷に帰りたがらなかった
みたいだね。
81日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:12:29
政治家タイプは人気無いんじゃないの?
武ばったイメージが無いと。
82日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:38:59
間違ってたらごめんだけど、誰かの本で読んだことがある。
伊藤博文や山縣有朋は公爵や元帥にまでのぼりつめた人物だったけど、出世してからは
自分たちの出身や生い立ち功績を粉飾してさも由緒あるように語ろうとしたらしい。
要するに農民や軽率からの成り上がりの自分たちの過去に引け目を感じていたことは想像
できる。コンプレックスがあったということだ。堂々と胸を張れぬ何かがあった。
ほかにも何かうしろめたいものが、うさんくさいものが伊藤も山縣もにおってくるのだが、
ここらへんが後世の人々に英雄視というか尊敬されないとこか。
83日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:48:21
高杉新作じゃないよ。晋作が正当だよ。

故安倍晋太郎の「晋」は晋作の「晋」。高杉晋作を尊敬してたようだ。
その息子の安倍晋三はどうなのかは分からない。
でも安倍晋三も月刊『松下村塾』という雑誌をみると吉田松陰を尊敬
しているようだよ。
8480:2005/09/08(木) 00:29:06
>>83
訂正どうも
そうですね!晋作でした。
月間「松下村塾」ってどこに売っているの?
読んでみたい。

>>82
俺は司馬遼太郎関連の本で読んだよ。
82の内容とほとんど同じだった。

山口では意外に前原一誠が人気がある。
萩の乱起こした人


85日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:03:38
伊藤は束荷村(現光市束荷)の出身なんだが…。
86日本@名無史さん:2005/09/08(木) 09:36:13
>伊藤博文や山縣有朋は公爵や元帥にまでのぼりつめた人物だったけど、出世してからは
>自分たちの出身や生い立ち功績を粉飾してさも由緒あるように語ろうとしたらしい。
>要するに農民や軽率からの成り上がりの自分たちの過去に引け目を感じていたことは想像
>できる。コンプレックスがあったということだ。

秀吉もそういう所あったみたいだね。
天皇の落とし子みたいに思わせたり・・・
87日本@名無史さん:2005/09/08(木) 10:04:57
秀吉ってコンプレックスの塊のような気がする
それは仕事に邁進して成功する原動力の反面、一転してマイナス面に向くとろくでもない事件を起こしてしまう
88日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:03:55
歴史において大きな事を成し遂げたりする人物って単純じゃないんだよね。
いろんな角度からみても相当な矛盾をかかえながら、そして努力前進して目的を達成している。
平凡な人物ではたいしたことは出来ないし、とくに維新転換期のような非常な時には非常事態に
適した人間がベストな能力を発揮する。
矛盾という訳のわからん部分が多いほどゴムの伸張かミミズの歩きみたいに反発作業量(実績)は
大きいんじゃないかと思うが。
89日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:25:17
>84
あぁ、司馬遼太郎だったのか。いろんな人の対談とか本読んでたんで忘れてた。ありがとう!
月刊「松下村塾」どこの本屋でも置いてると思うよ。
去年の10月から毎月発刊されてこの9月27日に最終の12巻目が発売されておしまいとなるよ。
吉田松陰を中心として写真や資料も豊富に分かりやすく作られたいい本だ。(雑誌というべきか)

前原一誠も特集されてたけど、人間的な魅力を感じるね。
小倉でも、越後でも、敗戦処理に任にあたったとき、前代未聞の「年貢半減令」出して、現地に窮乏する
貧困の農民たちを救おうとしてるんだよね。
農民出身の伊藤たちにもこんな発想はできなかったかもしれないし、一誠が萩の乱にかつぎあげられて
しまったのも何となく理解できる。西郷隆盛にも似るとこがある。
90日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:13:53
明治維新って何?東北を徹底的に攻めまくって天下を取った?
91日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:41:45
この間、古銭屋で伊藤の千円札が1200円、岩倉の五百円札が800円
で販売してましたがなにか。
92日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:48:24
そういえば大久保利通はなぜお札になれなかったの?
戦前はなってた?そうだったらなぜ伊藤や岩倉より早く消えたのか。
93日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:53:46
戦前は紙幣に使用する人物は
日本武尊・聖徳太子・菅原道真・和気清麻呂・藤原鎌足。
藤原鎌足は薩摩の松方正義、和気清麻呂は長州の木戸孝允をモデルにしたらしい。
94日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:58:59
>>93
楠公も
95日本@名無史さん:2005/09/08(木) 16:27:35
板垣退助もお札になっているのに。
96日本@名無史さん:2005/09/08(木) 16:36:58
>>89
少々スレ違いになるが、前原って本当に至誠の人か?何か、作られすぎてるとおも。松陰でも人物評価を間違える、の例かと。
山口での人気は、日本人の判官ビイキ、鹿児島では西郷が人気で、大久保が嫌われたの縮図だと思うね。
結局、時代についていけない人物が周りに担ぎ上げられ、担ぎ上げられるなら西郷の如く「政府に尋問のぎこれあり」
みたいにしときゃあいいもんを個人攻撃に走り(しかも誹謗中傷の類)、迷走して最後は兵隊を萩に置き去りで数人で舟で脱出
ってな行動を取っているわけで。これは至誠というんだろうか? 
もちろん至誠といえる部分も確かにあったにはあったのだろう。
が、総合して見ると、初志貫徹する力も意思も無く、言うほどの至誠の人物でも無かったと思う。
彼が、決起の趣意書などで広めた木戸、伊藤などの人物にたいする誹謗は根強く山口に残ったようで。
昔の歴史読本の特集で、萩の乱に参加した人物のインタビューが載っていたが、完全に趣意書を信じきっており、
木戸、伊藤などを嫌っていた。そういう人間が、かなり残っていて悪口広めまわってたら、そりゃあ人気も無くなる。
前原はそういう意味で、伊藤などの人気の無い原因の一端ではあると思う。
それを考えると、前原を素直に至誠の人とは言いたくないな。
97日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:52:50
>96は前原について詳しいなあ。
おれは思うんだけど、松下村塾の塾生でも前原一誠とか吉田稔麿、久坂玄瑞なんかは松陰の考えに近かった人物と思われる。
松陰の人生や運の良し悪しをみれば失敗と挫折の繰り返しであって、どじでとんまで要領の悪いとこが目立つ。けれども、
考え方や思想、生き様はラジカルで汚れのないものがあるんだよな。
前原一誠の人生も師の松陰と共通していて、馬から落ちて生涯の持病もちになったり、闘病したり、重大な伏見要駕策を漏らして
裏切り者になったり…、失敗、後悔、もがきの連続で何事もうまくいかなかったんだよな。明治維新後は新政府の大隈や伊藤たちと
考え方が異なって(たとえば困窮している農民への年貢半減策を反対されたり)新政府とも対立し肌があわなかった。

「至誠にして動かざるもの未だこれあらざるなり」松陰の座右の銘をとって八十郎から一誠に変えて、彼は松陰亡きあと師松陰の志を
継ぐべく汚名挽回するべく残りの人生を一生懸命生きたようだ。
萩の乱を起こして兵隊を置き去りというのはあれは「天皇に会っていまの政治状況を訴えよう」として船で上京してたが萩の戦闘状況の
悪さをきいて一誠は一度萩にもどり、壊滅状態となった自軍を目にしてそして再び東京に向かう途中、捕縛されたのである。
なんとなくだが…前原一誠の気持ちがおれには分かるような気がする。伊藤のように立身出世とかおのれの地位とか権力とか金とか女とか
油ぎったものとは違う次元の、政治家に必要な人間の大事な良識みたいなもんを持ってたんじゃないかなぁ。

いまの選挙騒ぎをみてもそうじゃないの。新政府で成り上がりの連中たちやかつての同志達と考え方やマニフェストが全然異なってて
体制側に入れなかったんだろうと思う。古いアナログタイプの人間だったんだろうな。
98日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:36:56
さらに前原が不器用だったから新政府についていけなかったというのは同意するが、それだけではぬぐえない背信を行っている。
萩の乱の際の趣意書の件を詳しくいうとで、「木戸孝允ら…先君(毛利敬親)の業掠めて己の功となし、…祖州の土地を挙げてもって献ず(廃藩置県のこと)」
などと訴え、木戸孝允を名指しで完全に悪者扱いして兵隊を募っている。が、これはほとんど言いがかりである。
木戸が郷里の士族授産会社の設立に協力したり、毛利家の信頼も深く良い関係にあったのは前原も知っていたはず。
さらに前原自身の進退についてもその希望通り(奈良県の県令)になれるように木戸自身の進退もはっきりしていない
状況(大阪会議前)から、政府(伊藤)に働きかけていたのも知っているはず。
そんな相手を、いくら兵を挙げる大義名分が必要だからと言ってこき下ろす神経は、とても至誠の人とは思えない。
そのこき下ろした結果を相手がまともにかぶっているからさらに笑えない。
そんな前原の主張ときたら、「海外との交流は使節だけの往来に留めて貿易は必要最小限に、台湾朝鮮を根拠地
にシナを奪って欧州諸国に対抗」である。ただでさえ予算不足でてんてこ舞いの政府がこんなことしたら、民衆に多大な
負担がかかることも分からなかったのか。年貢半分にしたって収まるような騒ぎではない。
松陰は情報収集には非常に重きを置いた人であった、その教えを守っているとは到底思えないし、
必要な行動とも思えない。
兵置き去り事件についても、自分の知ってる資料と随分違うが、スレ違いなんでこの辺で。
現在クローズアップされる資料が、日本人の判官びいきからか前原の悲劇性ばかり強調されて、
そりゃ潰されて当然かもよってところが省かれてるのはどうかと思う。
実際に前原が政治家になって、その理想を実現してたら偉いことになっていた。
99日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:52:55
スマンコ、無知蒙昧な俺に教えてくれ!
何故前原は奈良県令を希望したのか?
100日本@名無史さん:2005/09/09(金) 04:26:01
>>96>>97は文体や改行のパターンからして同一人物による書き込みだろうけど
どうして97には>96は前原について詳しいなあ。とか書いてるの?
もしかしてこれが噂に聞いた自作自演の一人芝居ですか?
101日本@名無史さん:2005/09/09(金) 07:38:51
チョン州人はみんな自演が大好きなのさ
102日本@名無史さん:2005/09/09(金) 07:42:10
陰謀がなぜ札になるのか不思議。
103日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:54:17
>96 >98 同一人物と思われるがほんとに詳しいな。

>100のスレに意義あり。
97はおれが反論書いたんだけど、どうして96と同じにみえるの?一人芝居とは心外だなぁ(笑)
104日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:52:54
>>100
何で、同一人物と思うのか。主張しとる内容を理解できてるか?
>>99
ちなみに、前原が奈良県令を希望したのは、一言でいうと実家に近いから。
前原は、征台論に反対して山口に戻った木戸から、このまま萩にいては、不平分子に担ぎあげられるから、
とにかく中央にもどるなり、山口から離れるように説得を受けていた。
前原自身、それに納得していたらしく、木戸→伊藤への手紙に、「同人(前原)も大に奈良県を望み申し候。
たしか奈良県はこの節、県令之無きかと相考え申し候」との文がある。
同じ手紙によると、前原には、年老いた両親がいて老い先短いだろうから、あまり離れたくない。との理由が書かれている。
恐らく、木戸との話し合いで、中央政府は嫌で、かつ山口に近い所ないかと候補を探しているなかで、奈良辺りが適当という
判断になったのだろう。もし、前原が奈良県令になっていたら、萩の乱は無かったかもしれない。
この時は、木戸を招いて一緒に投網漁、魚釣りなどして遊んだようで、お互い腹に一物あったのかもしれないが、
日記によると木戸は結構楽しんだようなんだがな。最後まで仲良くはいかなかったのか。
スレ違い長文スマソ。
10599:2005/09/10(土) 02:54:36
>>104
有難う。
もう一つ教えてホスィ。
何故県令になれなかったの?
106日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:58:49
前原一誠についてホントに詳しい人が多いね!
勉強になった。
けっこうマイナーな人だと思ったのだが
たまに東北を荒らしたなどや自作自演とか書いている会津房がいるが
みんな華麗にスルーしているのが偉い
会津房は薩摩、長州、山口県のスレがたくさんあるのでそっちに思う存分
書けよw
107日本@名無史さん:2005/09/10(土) 07:05:08
このスレ徴収の陰謀です。
108日本@名無史さん:2005/09/10(土) 07:29:21
と、大久保マンセーくんが不満を漏らしています
109名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 20:54:38
前原みたいな小者の話は別スレでやれよ。
スレ違いも甚だしい。

110313:2005/09/10(土) 21:22:21
悪いな。
まあ、ちょっと話題に上がったし。
伊藤の不人気とも関係してるから見逃してくれよ。
>>105
何で県令になれなかったかまでは知らんなー。
111名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:59:29
チョン囚人の自演はやたらにキムチ臭いな
112名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:14:07
前原一誠についてはスレちがいだったけど、おかげですごくいい勉強になったよ。感謝!
113名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:42:24
大久保利通に関する詳しい良書があったら教えて?

伊藤博文は吉田松陰からは評価はあまりよくないみたいだね。
だた政治、情報収集の才能はあると誉めていた。
114名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:19:00
大久保は独裁。だから暗殺された♪
115日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:33:10
小泉は大久保利通を意識している。
側近には語っているみたいだ
祖父が大久保のこと好きだったみたい
織田信長はそれを悟られないためみたいだ
もちろん小泉は信長も好きだけど
116日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:34:45
伊藤博文の子孫はどんな人なのかな?
政治家にはなっていないみたいだね
117日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:41:51
伊藤は明治維新最大の陰謀。
118日本@名無史さん:2005/09/20(火) 21:13:59
伊藤は日本歴代総理大臣の中でも国際的なバランス感覚を持った天才政治家
大久保は国益優先の優れた政治家
117は会津の負け犬
会津って優秀な政治家っているの?
119日本@名無史さん:2005/09/23(金) 23:25:38
>>113
確か、ここでいろいろ紹介されてたはず。
それともpart2だったかな?

大久保利通は神!!!!
http://academy2.2ch.net/history/kako/1002/10025/1002505133.html
120日本@名無史さん:2005/09/23(金) 23:37:38
>>51
大久保利通の系図は、>>119のスレの405-411にあるよ。
121日本@名無史さん:2005/09/23(金) 23:39:06
>>116
伊藤博文も、大久保利通の閨閥の一人
122日本@名無史さん:2005/09/24(土) 00:35:32
会津は朝敵にされて政界から追放。
123日本@名無史さん:2005/09/24(土) 02:50:02
>>119
レスありがとう
124日本@名無史さん:2005/09/24(土) 03:16:10
大久保さんは偉大です!
125日本@名無史さん:2005/09/24(土) 03:22:37
>>116

民主党の政調会長
126日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:10:13
>>113
研究書だったら「明治六年政変」、小説だったら「翔ぶが如く」、「きつね馬」ぐらいかな
127日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:48:42
>>115
もとの仲間にも冷酷非情なところは、まさに大久保か。
128日本@名無史さん:2005/09/24(土) 11:10:46
大久保は、冷酷非情なわけではなく、私情を挟まなかっただけ。
129日本@名無史さん:2005/09/24(土) 23:28:17
>>126
「翔ぶが如く」って、結構フィクションきつすぎてアレだよな。

同じ、大久保賞賛系でも、徳富ソホウの近世日本国民史77〜100あたりが、
史実史料としても重宝できてお勧めか。
130日本@名無史さん:2005/09/24(土) 23:48:56
>>129
小説としてみた場合、フィクションきついか?
131日本@名無史さん:2005/09/24(土) 23:49:36
>>129
>フィクションきつすぎて

どこが?
132日本@名無史さん:2005/09/25(日) 00:55:01
みんな詳しいね♪
関心するよ。勉強になる。
133日本@名無史さん:2005/09/25(日) 01:43:35
本史板での荒らし方を観察してると、どうやら長州人は自分達が嫌われてる原因が司馬作品に起因すると決めつけたいみたいだよ。
134日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:01:10
言われてみればそうかもね。
長州人は、大村など一部を除いてあんまり好意的に書かれてないし。
薩摩はべた褒めのことが割と多い。
感情が入りすぎとも言えるけど、おおむね事実だったりするからなぁ
135日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:20:01
史実でも長州閥は嫌われ者だったんだがな。
戊辰戦争では世羅修蔵らが薩摩の温情主義とは対照的な暴虐三昧。
新政府でも汚職三昧。
これでは好意を抱けなんて無理。
136日本@名無史さん:2005/09/25(日) 10:36:38
で、>>129って、長州びいきの人なの?
137日本@名無史さん:2005/09/25(日) 11:19:11
長州は天子の住まいである御所を発砲する悪質極まりない。 孝明天皇を毒殺しては明治天皇を担ぎ天下をとる。
138日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:03:30
薩摩が戊辰戦争で温情主義とは笑えるネタだな。
139日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:31:33
勝って官軍だが、テロ集団だな。
140日本@名無史さん:2005/09/25(日) 23:19:45
え、あれでフィクションきつくないのか?
時間軸的に死んでたはずの山内よう堂が生きてたり、史実と相反することが
しれっと書かれてるじゃないか。
小説としちゃありかもしれんが、自分はあまり好きではない。
てことで、同じくらい面白く史実史料満載の徳富をお勧めしただけなんだが。
141日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:38:22
大久保甲東先生と木戸松菊先生は特に面白い。
前者と後者で本のボリュームが激しく違うところが蘇峰の立場、見方をハッキリ示しているのも面白い。
西郷南洲先生っていう本があるのかは知らん。
142日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:06:15
>>141
あるある。確か、あったはず。
143日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:41:34 ID:0
俺が小学生の頃、(30年くらい前)ロッキード事件っていう疑獄事件があって、そん時に
大久保利通の孫とかいう、じいちゃんが捕まってた。、、、そのイメージがあって、
大久保利通にいい印象をもってなかった。(その頃は歴史に興味もなく、知識として
名前を知ってる程度)。だが、歳をとっていろいろ、日本近代史を知っていくうちに
大久保利通ってすごい人物なんだなーと再評価した次第である。

144日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:25:11
>>143
ああ、自分、現役じゃなかったが、「記憶にございません」だったっけ?
何か、大久保も似たような言い逃れ(大久保の場合は、汚職のいい訳じゃないが)
してて、さすが血縁、みたいなことを誰かが書いてたような気がする。
145日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:51:40
>、「記憶にございません」
そう、それそれ、思い出した。なんか、流行語大賞じゃないけど、けっこうその言葉が
はやったなあー。(博覧強記で知られた)今東光和尚の本をたまたま読んでたら、明治維新の
人物評が書いてあって、大久保を絶賛していたので興味をもった。(西郷はボロクソだった)
西郷なんかに比べたら大久保の方がよっぽど先を見る目がある、、て書いてあったのが印象的だったなあ。




146日本@名無史さん:2005/09/28(水) 01:05:31
>>113>>119
大久保利通関係の書籍は、
http://2ch.pop.tc/log/05/09/24/1005/1053262034.html の254以下を参照してください。

ついでに、
part3もhtml化してもらいました。
http://2ch.pop.tc/log/05/09/23/2327/1074219375.html
147日本@名無史さん:2005/09/28(水) 01:09:42
>>140
レス番号ぐらい書いて欲しいが、「翔ぶが如く」のこといってんの?
で、山内容堂のくだりって、どんなこと書いてるの?
148日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:15:58
>>147
んなこと言ったって、130-136まで関係ないのを除いて、アンカー付けるの面倒だったんだよ。
文脈で分かるかと思ったんだが…。

ちなみに、山内の時間軸云々は、木戸が岩倉使節団からの帰国後、山内を訪ねて海外旅行の
感想を陰鬱に述べた、みたいな下りだよ。
いかにもなかんじの女官のセリフまで入れて、自分も事実を知るまでは、完全に史実史料を基にした
ものだと思ってた。
が、実のところ山内は木戸が欧米滞在中に既に死亡。こんな逸話が残るはずは無い。
他にもしれっと、事実とは反対のことを史実らしく書いてたりしてる。
これが司馬先生の真骨頂だというのは既知の事実ではあるが、知らずに史実と思って話したりすると
ちょっと恥をかくので注意。
149147:2005/09/29(木) 11:22:41
>>148
>文脈で分かるかと思ったんだが…。
時間も経ってるし、普通分からないよ。

>ちなみに、山内の時間軸云々は、木戸が岩倉使節団からの帰国後、山内を訪ねて海外旅行の
>感想を陰鬱に述べた、みたいな下りだよ。
あそこか。
確かにあの下りはフィクションっぽくない書き方なんで、だまされたと思うやつは多いかもな。
歴史小説に対する考えは人によって違うので、微妙なラインだとは思う。
話の本筋からすれば、どうでもよさそうなとこなんで、俺は気にしないけど。
裏付けのある事実をしりたきゃ、研究書の方を読むし。

>知らずに史実と思って話したりするとちょっと恥をかくので注意。
それぐらいは自己責任だとは思うけど。
フィクションっぽくない書き方をしているとはいえ、小説なんだし、細かい逸話を真に受けすぎるのはちょっとね。
150日本@名無史さん:2005/09/29(木) 12:17:06
薩摩隼人の一部にユダヤの血がながれているっちゅう話を聞いた事があるか?
島津の家紋が十字なのもそれが理由だとか・・・。写真映りもあるかもしれん
がこの大久保の写真なんてどう見ても日本人よりもユダヤ人や!
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/32.html?c=0
まま、そんな事はいいとして、大久保も伊藤も倒幕侍の生き残りっちゅうのが
すごい!(伊藤は足軽の養子→士分やが)ついでに有朋も(彼は昭和まで生きとった)
伊藤なんて倒幕侍時代は長州藩重臣・「長井雅楽」襲撃に始まり、
イギリス公使館焼討ち、国学者・塙次郎斬殺などまさに大暴れ!!
http://www.kvision.ne.jp/~momorx/nen-p.htm
やるかやられるかの斬り合いもしているらしい。そんな侍が後の初代内閣総理大臣なんて
かっこよすぎる!
151日本@名無史さん:2005/09/29(木) 12:51:53
明治維新の元勲と呼ばれる人物は陰謀のイメージが強くて…………………………………………………………………………………………………………………………………………
152日本@名無史さん:2005/09/29(木) 12:56:50
>151
お前の尊敬する政治家って誰?
信長信玄秀吉家康も陰謀塗れの政治家だが?
153日本@名無史さん:2005/09/29(木) 15:13:18
尊敬する政治家?いない。
154日本@名無史さん:2005/09/29(木) 19:23:27
>>138
日本史の常識を学んでおきたければ
「庄内 西郷神社」
で検索してから出直して来いよ。
155日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:54:46
長州人(山口県人)は大久保利通がなぜか好きな人が多い。
156日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:57:35
薩摩は裏切り人。長州は捏造人。
157日本@名無史さん:2005/09/29(木) 23:33:24
>>149
小説だから…と割り切るには、司馬小説の影響力、史実誤認性、主人公を持ち上げる方法などは、
これからある歴史人物を知りたくて、本を読もうとする人に何の注意もなしに進められるものでは無い。
主人公を褒めまくるだけなら、別にエピソードの捏造程度は、目くじらをたてる程でもないだろう。
しかし、司馬小説では、主人公を持ち上げるために、往々にして、主人公と対照的にさりげなく貶める
人物を作ったり、しれっと史実らしく他人の功績を主人公に付与したりするところが多く目に付く。
しかも、それらを史実らしく見える嘘エピソードで語ることが非常に上手い。微妙に史実エピソードと
絡めたりもするため、余計に判別が難しくなる。
さりげなく、しれっと、というのも曲者で、司馬の小説全体を読むうちに、歴史人物像などが自然と
出来上がったりするのだが、これが、結構虚構にまみれたものである場合が多い。
褒める場合はそれでもいいのだが、さりげなく貶められた方は、たまったものではないだろう。
良くも悪くも、最初に読んだ小説というのには非常に影響を受けるものだ。
どうせなら、同じくらい面白い上に、史実も読める、徳富先生の方を先にお勧めしたいね。
158日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:28:25
>>157
で、あんた148なの?
159日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:44:57
>>157
要は長州びいきなわけね
160日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:32:19
>>158
そう。

>>159
徳富蘇峰好きは長州びいきだったのか!!
知らなかたよ!
というより、司馬先生マンセーできない奴は長州びいきとか思ってそうだなw
161日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:54:05
>>157
肝心の大久保に関する記述はどうなの?
大久保利通に対して、洞察力が優れているかどうかが一番大事なポイントじゃないの?
このスレ的に大事なのは、結局そこのとこで、長州人の描写なんて極端なこといやどうでもいいんだが。
162日本@名無史さん:2005/10/02(日) 00:00:36
徳富蘇峰に極端な「ひいき」はないのでは?
会津に関する記述なんかも、あの頃の人にしては冷静。
163日本@名無史さん:2005/10/02(日) 00:52:19
>>161
ああ、そうなんだ。
自分は結構史実重視派だし、極端なひいきは好かんので。司馬小説は面白くても苦手なんだよ。
例えば脇役のことであっても、史実風に書いてる限り、不当な扱いうけてたら気になるんだな。
理由は、>>157の最後の三行。
>>162
だな。著者本人が極力、第三者的になるよう、気をつけてると思う。
かつ、面白い。
あと、司馬先生は、徳富蘇峰の近世日本国民史に影響を受けていると思う。(別にそれに文句つける
つもりは無いから、噛み付いてくれるなよ)
人物描写が似すぎ。徳富蘇峰のを、より偏った立場から贔屓を含めて書きなおしたような感じがする。
164日本@名無史さん:2005/10/02(日) 19:49:48
でも徳富蘇峰も、例えば田沼意次なんかについてはものすごく悪く言ってるよ。
165日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:22:19
だから、肝心の大久保に関する記述はどうなんだ?
166日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:37:08
君たちの明治維新のおかげで今、日本は混乱してる。
167日本@名無史さん:2005/10/02(日) 23:51:58
>>164
田沼の場合は仕方ないんじゃないかと。田沼って何かいいところあったっけ?
というか、自分は、織田〜幕末以前はまだ未読。持ってはいるが、読む気が失せるほどぼろい。
だが、読んだ部分では、かなり客観的に書いてるかと思う。
>>165
司馬先生とよく似た人物描写で書かれてると思う。男性的、実際的政治家。
多分一番好きな政治家なんだろう。かなり大物らしく書かれている。
かといって、司馬先生と違って、他者の描写も認めるべき所はきっちり認めてる
ので安心して読める。
大久保甲東先生、近世日本国民史(幕末明治期)あたりには出まくり。。
168日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:55:06
今時松平定信史観とは日本史オタとして恥ずべき不勉強ぶりだな。
169日本@名無史さん:2005/10/03(月) 22:17:49
>>167
165は、司馬の書き方に嘘はないかと言っているのではないかと
170日本@名無史さん:2005/10/14(金) 10:20:57
日本史の授業で日露戦争後やってるんだけど、伊藤博文かっこいい
先生は伊藤博文のこと好きじゃないみたいだけど
171日本@名無史さん:2005/10/14(金) 17:30:00
>>170
近衛はどう?
172日本@名無史さん:2005/10/16(日) 11:54:58
>>40
いや、大久保は丸投げはしないぞ。
173日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:10:16
「最後の元老」と言われた西園寺公望は、大久保卿ただ一人が欠けていただけで維新は必ず失敗に終わっていたと断言しているね。
例えば西郷や岩倉といった連中の場合は、実を言うと居ても居なくても大差が無いんだとさ。
何故なら彼等の代わりが務まる奴はいくらでも居たから。
だけど大久保の代わりが務まる人間はどこにも居ないんだと。
174日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:13:21
なんだよここも糞スレかよ・・
175日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:14:46
糞スレには来ない方が良いですよ
ではごきげんよう
176日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:33:40
私が死んでも代わりは居るもの…
177日本@名無史さん:2005/11/03(木) 03:01:45
wikipediaの”大久保利通”の項の最後に、

きもっ

て書いてあるけど、なんだありゃ?
小学生の落書きかよ(w
178日本@名無史さん:2005/11/04(金) 03:58:12
誰か知らんけど修正早いな。
GJ!
179日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:59:17
岩倉がいないと、多分、長州と薩摩の間を取り持つ奴がいないから、
必要ではあった。
180日本@名無史さん:2005/11/11(金) 00:17:11
維新後は岩倉らの公家飾りモノ。主導権は薩長に。よく考えて維新起こしたもんだよ
181日本@名無史さん:2005/11/11(金) 00:51:00
その点、大久保や伊藤は薩長閥から独立した存在だったからね。
特に大久保は部下の出身藩にはこだわらなかっただろうし。
確か全権大使として北京へ行った時、随行員は旧幕府出身者が
多くいたんじゃなかったかな?
182日本@名無史さん:2005/11/11(金) 01:37:13
>岩倉がいないと、多分、長州と薩摩の間を取り持つ奴がいないから、
必要ではあった。

西園寺の話では、長州の代わりはどうにでもなるらしいから。
183日本@名無史さん:2005/11/11(金) 01:51:17
伊藤以外の長州人はむしろ居ない方が良かった。
伊藤は日常的に大久保を見習うんだと述懐していたらしいから、
長州閥に目立つ露骨な職権濫用や汚職に走らなかったんだな。
184日本@名無史さん:2005/11/11(金) 04:00:17
>>181
大久保は出身閥にはあまり拘らなかったが、
自分の言うことを聞かなさそうなやつは一切採用しなかった。
>>183
馬鹿じゃない?長州閥擁護派としていわせてもらうが、
長州で二流と言われた伊藤だが(ケシテ2流ではないが)、その実績は、大久保を遥かに凌駕している。
いっておくが、明治の政治を動かしたのは長州であって、大久保の死後、人材の少なくなった薩摩ではない。
確かに司馬のいうような長州閥による弊害というものもあるが、
御前のように、長州閥全否定は軍隊で苛められた事とチハタンに乗らされて、
こんな陸軍に誰がしたんだと、長州をうらんだ司馬遼太郎並のチンカスな考え。
御前等が持ちあげる大久保の上げた実績など、伊藤の前では霞む程度のもの。
大久保の実績とは、殺されたことにもよるが、維新後は、沖縄と西郷殺したことだけ。
他になにがあるのさ?大体、西郷がウダウダいってるのも薩摩の内紛。
それの責任を大久保が取るのは自然。さらには視察(刺殺)団疑惑もあるしな。
すると沖縄だけだ。廃藩置県などは、長州側の功績で、薩摩自体の遅れた地域性と農奴制度の為、
真の改革たる廃藩置県には薩摩閥は賛成してこなかった。
比して、
伊藤は、大久保の復帰から始まって、大久保のやりたかったことを、
大久保以上(?)かどうかわからんが、まぁ大久保にそん色ない程度では成し遂げている。
そして何より、大久保よりも進歩的な部分の多かった伊藤は憲法まで自分達で作った。
大久保に憲法つくれただろうか?彼は保守的であり、専制政治をこのんだ。
大久保個人が、清廉な態度と威厳で、政治能力政策能力まで高評価になってるが、
(江藤を晒し首にして悦に入ってた小さい器でもあるが)
女好きなことからくる伊藤の軽薄なイメージで、伊藤を評価しない剥きもおおいが、
イメージだけに騙されてるアホであると言い切れる。


185日本@名無史さん:2005/11/11(金) 08:26:00
>>180
三条は飾り物だけど、岩倉などは大久保の死後、伊藤と大隈とかと政府をきりもり
していましたけどね。
186日本@名無史さん:2005/11/11(金) 15:24:29
>>184
あなたこそ馬鹿じゃない?
そもそも伊藤が、腕をふるえたのは大久保や岩倉などが死んで
年功序列的なものである。
それに大久保が伊藤を引き立てたのも忘れたはいないか?
大久保が内務省を作るなど官僚制の基礎を作ったのも知らないのか?
廃藩置県に関しては、下手をすれば反乱などが起こる可能性もあり、
慎重になったのも別に非難することではない。
あと、専制政治を好んだという風になっているが、西郷達が去ってしまった
後では、大久保が腕をふるわなければやっていけない状態でもある。
187日本@名無史さん:2005/11/11(金) 23:03:03
そりゃあまあそうだな
188日本@名無史さん:2005/11/12(土) 00:01:47
>>183
ちょ、おまw 本気でいってんのか?
普通に考えて長州人がごそっといなかったら、新政府は瓦解しとるよ。
だいたい、その伊藤以外の長州人である木戸を政府に引き止めるために四苦八苦してたのはどなただよw
まあ、大久保が偉大な政治家であるのは確かだが、神聖視しすぎだろ。
大久保がいなければ政府が立ち行かなかったのは事実だが、大久保だけいれば政府は安泰だったかというと全然違う。
>>184
気持ちはわからんでもないが、バカとかアホとか言わない方が…。
あと、大久保を過小評価しすぎに思う。
個人的には大久保>伊藤だと思ってる。なんとなく。やっぱ女好きすぎってのはマイナスか。
>>186
簡単に噛み付かないほうが…。
じゃあ、大久保が引き立てまくった木戸も評価してやれば。奴もクリーンさなら大久保に勝るとも
劣らないぞ。
あと廃藩置県について、大久保に優しすぎw
廃藩置県自体に賛成した後も、県知事は、殿様の家系で…とか言ってたんだからな。
後の大久保の政策進行のごり押し具合を考えると、反乱に気を使って慎重になったというよりは、
やる気なかったというか、久光怖かったというか、
廃藩置県については、ともすれば大久保が反改革だったことは間違いない。

さらに、専制政治を好んだのも歴然とした事実。証拠がありすぎて否定するほど辛くなる。
まあ、権力持ってるほうがいろいろ断行しやすいからってことで権力を欲したわけで、私欲ではないところは凄い。
だからこそ日本の近代化も急速に進んだのだろう。
だが、その大久保が気づいた専制の土壌が、太平洋戦争につらなる天皇の権限を利用した
独裁体制の温床となったのもまた事実。
急激にやりすぎた弊害ともいえる。大久保が長生きしてたらこれも解決していたかもしれんが
死んだので予測不可能。
つーことで、大久保がやったことは全て正しい、と言い切れるかというとそうでないと思うね。

ま、不世出の政治家だとは思うが、マンセーしすぎてるとちょと痛い。
189日本@名無史さん:2005/11/12(土) 00:08:06
ついでに、薩長系で、大久保と伊藤だけが閥にこだわらなかったとか思ってそうなのも痛いところ。
むしろ大久保自身、薩長閥の維持を望んでいたのは事実で。
この辺は、岩倉とかにあててる手紙とかをみれば一目瞭然だし、初期の藩閥政治というのは必要悪であった部分
もあるので、一概には責められない。
そういう意味じゃなくとも、岩倉使節団員選考、江華島事件での使節派遣、薩摩に対する露骨なまでの贔屓(まあ、
これは反乱抑制のためある程度はしかたないかも)、酒乱黒田の妻殺人についてのもみ消し。
など、閥を意識したことも一杯やっている。
さらに、外交の場合、経験値の問題もあり、幕臣が多く登用されるのは珍しいことでも不思議なことでもない。
閥にこだわらない登用というのであれば、別に大久保だけじゃなく、同じ三傑の木戸もやってることだ。
(西郷ははっきりせんが、幕臣渋沢を引き立てたりしたのは西郷だったかと、つまり大物はやってるってことだ)

ということで、大久保が偉大なのは認めるが、神聖視しすぎな意見は、公平性に欠けすぎだ。
司馬とか報知新聞とかだけを情報源にしてると、大久保評価はかなりかたよるぞ。
190日本@名無史さん:2005/11/12(土) 08:41:58
伊藤の場合、知力や先見性などは大久保と比べても劣っていないと思うが、
存在感や指導力などをやはり見劣るよね。大久保には維新の功労者という
アドバンテージがあるけれども。
191日本@名無史さん:2005/11/12(土) 18:18:00
大久保の場合は外見で得してる。
伊藤はあんまり威厳が感じられない見た目だから、
必死に動き回ってなんぼみたいなところがある。

倒幕に関しては薩摩の功績が、新政府の体制整備には長州の功績がそれぞれ大きいと思う。
人によって適正が違うし全部を一人でやらなくちゃならんわけでもないので、
大久保も伊藤も岩倉もちょっと多めに見て三条さんも大きな存在なわけだ。
192日本@名無史さん:2005/11/12(土) 19:52:41
図書館に行って大久保と伊藤、それぞれの事績の本を探してみたら
大久保のはあったけど伊藤のはなぜか、安重根に殺されても仕方ない悪人
だったみたいな内容の、恨(ハン)に満ちた、韓国人が書いたのしか無かった。
南京大虐殺肯定の本や毛沢東賛美の本は置いてあるのに。
193日本@名無史さん:2005/11/12(土) 21:47:16
三条さんはただの御輿だろう。岩倉でもかわりがきく
194日本@名無史さん:2005/11/12(土) 21:52:06
有害無益な長州閥が必死だな。
195日本@名無史さん:2005/11/12(土) 21:54:42
大久保以外なら代わりの人材がいくらでも居るから必要ないという発言は、西園寺が言った事だぞ。
司馬遼太郎はまったく関係ない。
196日本@名無史さん:2005/11/12(土) 21:59:47


この二人が暗黒日本に導いた。が…80年後に半崩壊…
197日本@名無史さん:2005/11/12(土) 22:24:06
伊藤博文の性策目標は、次の各号に掲げる者に対し、対償を供与し、又はその供与の約束をして、
当該児童に対し、性交等を行うことであった。
性交等とは、性交若しくは性交類似行為をし、又は自己の性的好奇心を満たす目的で、
児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう。以下同じ。)を触り、
若しくは児童に自己の性器等を触らせることをいう。以下同じ。
性交類似行為には女体盛り及び幼女の膣分泌物を飲食する行為も含まれる。

一  児童
二  児童に対する性交等の周旋をした者
三  児童の保護者(親権を行う者、後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。
四  児童をその支配下に置いている者
198日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:08:15
司馬は史料を徹底的に吟味するから、結局は諸悪の根源が長州である事実に辿り着く。
199日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:15:10
>>198
それはどうだろう。徹底的に吟味してあんだけ偏った嘘を書くとしたら、
司馬はよけいにヤバス。
つーか、司馬の記述を全部史実と思ってるなら大きく道を踏み外してるな。
200日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:17:28
別に全部史実とは思ってないが、諸悪の根源が長州である事は疑問の余地が無い。
201日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:26:42
>>200
ふーん。

>>191
同意だ。一つの存在のみで歴史の大勢が作られると思えるのが不思議だな。
三条についても、実力的にはいくらでも代わりはいただろうが、存在的には
代わりはいなかったかと。
202日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:31:03
本人達を直接見てきた西園寺が言うには、代わりなら居るらしいな。
203日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:49:29
>>202
なんで、西園寺の意見だけがそこまで信用できるとw
直接本人達を見てきて逆のこと言ってる人物だって大勢いる。
まあ、そんだけ三条認めたくないなら、他の人物の意見には耳を貸さない
というのはいい選択だ。

歴史認識的にはどうかと思うがな。
204日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:07:31
別に三条を認めたくない訳ではない。
代わりなら居るという知人の証言を疑う理由が無いだけだ。
205日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:11:01
>>182
長州閥がいなくなると、明治維新は成り立たない。
官僚の多くは、長州閥とその傘下だし、とくに有力省庁の上層部にほぼ長州が占めている。
つか基本的には明治維新とは、長州の思想と統治形態を、日本全土で行ったものに過ぎないしね。
206日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:16:54
長州閥である必要が無いのだが。
汚職しまくり、職権濫用しまくりで迷惑なだけだし。
207日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:18:08
長州閥なら、もっとマシな代わりがいくらでもいるでおじゃる。(by西園寺
208日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:21:00
>>184
大久保は優秀だぞ。確かに木戸と長州閥のつかいっぱしりだが、
木戸が構想した明治維新を、伊藤、大隈などの優秀な部下に支えられて、
実現に移したのは彼だ。
木戸がいなければ、明治維新はありえないが、
大久保がいなければ、維新の達成は10年は遅くなっていたのではなかろうか、
確かに大久保が倒れても、他の人間で変わりはいるし、実際なんとでもなったわけだが、
伊藤らの苦労が増えたのは、間違いない。
209日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:23:10
具体的になんの汚職をしたのかいってみ?

そして仕事さえできれば、少々の汚職など問題ないんだよ。
210日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:24:20
官僚には学がある佐賀閥などの方が適任だったろうな。
江藤新平が大久保と喧嘩したりしなければ、長州閥みたいな粗悪品を使う必要も無かった。
211日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:24:41
ロッキード事件→大久保利春。数年前に、なんかの雑誌に奥さんの手記が
掲載されてたよ。 大久保利春の人間像に興味あり。詳しい人教えてください。
212日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:26:56
ロッキード事件なんて、アメリカの言いなりになる事を拒否した田中角栄を潰す為の謀略だろ。
どこまでがデッチ上げかなんてアメリカが滅亡でもしなけりゃ闇の中だ。
213日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:31:33
長州閥が有能だなんて言っているのは長州閥だけ。
自分の能力を過信した上に、能力を口実に不道徳な言動を臆面もなく垂れ流すのは朝鮮の血だな。
長州閥は無能で汚い。
214日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:32:53
>>208
でも、木戸と大久保を入れ替えたとして、木戸が政策実現力において大久保に劣るのも
歴然とした事実なわけで、大久保がいなければ(政策実現力の突出した)政府が立ち行かない
という論は決して間違いではない。

ただし、その先見性や条理の通った一貫性ある意見をもつ、という点では木戸に一歩を
譲っており、
大久保が木戸を執拗に内閣に留めたのも、自分に不足して木戸が持っているその部分を
補うためだろう。

結論としては、木戸の先見性と条理に基づいた一貫性、大久保のスピーディーな政策実現力、
双方が必要だったわけで、
大久保も木戸も明治時代には絶対必要だったと思う。

>>204
ふーん、じゃあ、自分はその逆を言ってる証言を疑う理由もないなw
つーか、長州嫌いなんだなー。
だが、188、189にもあるが、その長州閥との連携を強烈に主張していたのは
大久保自身なんだがな。
その辺の矛盾は、>>206の中でどう収まっているのか。興味深い。
215日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:34:58
えっ?木戸が構想した明治維新って?大久保がぱしりって?
216日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:35:42
別に長州が嫌いなのではなく、
長州の代わりならいくらでもいるという事実を覆す証拠が特に無いので、
西園寺の証言を疑う必要が無いだけ。
217日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:38:18
大久保は問題のある人材を使いこなすのが上手いんだよ。
自分に協力する気が無い邪魔者はどうしようもないから潰すけど。
218日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:43:08
>>214
それはちがうんでね?
大久保がおらずとも、明治政府の方向性はかわらないわけで、
時間がかかるし、大久保ほど上手くできるという保障はないけど、
歩む道はかわらん。
実際伊藤、大隈など、大久保の後日本を導いた人材もいるわけだし。

だけど、木戸がいなければ、方向そのものが変わってくる。
木戸と同じ思想をもつ、急進派の改革派も、多く政府にはいるわけだが、
トップが大久保では、そこまで踏みこまない。
大久保は政府の安定こそ、第1に考え、
その為の方法として、最終的に木戸の方針を受け入れたわけだが、、
木戸は、日本の改革を第1に考え、その実現のために、政府の安定を重視しただけ。
結果的に同じでも、目的と目指しているものが厳密には違う。

勿論西郷はおよびではない。
西郷など、「今」の郵政反対派くらいの発言力しかないからな。
219日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:44:08
三条の代わりは居ないという証言なんてあるのか?
誰が言ったのか興味があるな。
220日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:47:56
政府の安定を考えれば、長州閥は自ら身を引いて田舎に帰った方が良かったけどな。
利権に執着しない薩摩閥の方がさっさと野に下っていくから、居汚い連中ばかりが中央にのさばる結果を招いた。
221日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:48:36
>>215
明治維新とはそういうもの。
木戸の手足に過ぎないんだな。
ただ、手足がなければ、なにもできないわけでもある。
222日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:51:53
>>220
真面目に言っているのか?
海軍は薩摩の派閥で、ここに手を出したものは、
残らず追い出されている、前原しかり、幕臣のあれや、これやね。
陸軍には、薩摩や佐賀、土佐など多くの閥が存在していたが、
海軍には、薩閥しかいなかったのは、こういう事情。
223日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:52:24
木戸なんて薩摩の使い走り程度の人だよ。
政府が出来れば用済みになってお払い箱。
政府どころか、長州閥にさえ発言力がない。
木戸に抜擢された伊藤が恩人を見限って大久保に弟子入りしたのが動かぬ証拠。
224日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:54:49
陸軍で薩摩以外の派閥が入り込んだのは、薩摩閥が続々と下野した結果の現象だよ。
薩摩人が利権に執着する気質なら、陸海軍はおろか政府は全部薩摩閥で占められていてもおかしくない。
225日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:57:11
>>215
まあ、208は言いすぎだし、自分も全面的には賛成できないが、
そういう意見を述べてる論文もあるんだよ。

つまり、大久保というのは、目先にある問題をズバズバと切り倒して解決
していく政治家だったわけだな。もう、この実現力と問題解決能力は凄い。誰にも真似できないと思う。

が、木戸の場合は、かなりの先見性と長いスパンでの視野を持ち政策を主張していたわけだ。
(これについては大久保の大シンパである司馬も認めるところ)
あと、長く日本の大政の指針となった五箇条のご誓文を、日本の国是としようと主張し、実現したのは木戸だった。
封建制を完全に壊す、版籍奉還:廃藩置県を提唱、実現までこぎつけたのも木戸だった。(ただし、ここでは西郷の有無
をいわさぬカリスマが大いに貢献した。)
憲法の提唱を最も早くに行ったのも木戸だった。
などなど、国是制定、封建打破、憲法制定、という明治維新後の屋台骨を構築(提唱するというのも
含めて)したのは確かに木戸の方だったわけで。
=明治維新を構築したのは木戸と言っていえなくもない。
ただし、大久保の実現力がなければ、多分、これらの政策が実現する前に、
明治維新自体成功もしてなけりゃ、政府もつぶれたことだろう。

てことで、やはり適材適所、両雄の働きは大きいものだったということだ。
無理に片方だけ否定しようとすると、矛盾は消えない。
226日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:00:18
>>224
陸軍は最初から、長州の領域だからそれはない。
そもそも薩摩の人間に、官僚がつとまるわけがなかろう。
大久保自らも、使っている部下の多くが、薩摩じゃないのをみても明らか。
本質的に向いてないんだよ。
227日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:00:23
木戸は一流の人物だと思うが>>221の意見には
賛同できないな。明治維新は一人の人物だけを
持ち上げて全体が見える程、単純な物ではないしな。
228日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:00:28
どうでもいいところだけ司馬の妄説を採用するなよ。
229日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:03:37
陸軍が最初から長州の領域という意味が分からん。
陸軍大将は西郷だし、西郷の下野に伴って多くの薩摩人が抜けたから長州が間隙に入り込んで陸軍にのさばるようになっただけ。
230日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:08:09
薩摩の人間に官僚が勤まる訳が無いというのも意味不明だな。
薩摩人の官吏はいくらでも居たし、利権に目がくらんだ長州人とは異なり他県の人材を採る度量もある。
長州人のように職権濫用のチャンスを狙っている奴に権限を与えるよりは全然マシ。
231214:2005/11/13(日) 01:08:32
>>218
うん、概ね賛成なんだが。
が、大久保ほどどっしりと構えて、目先の問題を解決できた奴はいないと思うんだよ。
特に、明治10年までは、反乱もあったし、まさに国内での問題山積だったわけで。
この場合、バックで一本筋の通った視点を持っているもの(木戸)も必要だが、
目先の障害物を壊していくもの(大久保)も必要だったと思う。
で、目先の問題解決における能力では大久保を超えるものはいなかったと思うんだよな。

ちょっと違うかもしれんが、大きい歴史の視線からみた場合に、
戦略(+実施:五箇条、版籍、廃藩置県)担当木戸。
戦術+実施担当大久保。
カリスマ担当西郷。
て感じ。
232日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:13:45
>>228
悪い悪い。お前さんが読んでそうで、かつ大久保シンパで、そういう意見を
述べていたのが、自分の知る限りでは司馬だったんだよ。

なんだったら、論文執筆者から、歴史人物、歴史書著者まで、木戸の先見性をずば抜けた
ものと言ってた奴の名前を挙げてもいいが。
233日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:18:40
>>229
当時の日本においては、陸軍の大将は実権をもってない、
おかざりで皇族と同じ、
実務は最初大村、その後山縣って流れ、
西郷の思惑や方針は全て潰され、山縣の政策は全て認められているのをみてもわかる。
>>230
いないんだなこれが。
長州や佐賀、他にも岡山など、優秀な官僚を輩出したところは、
江戸時代から、寺子屋やら、藩校などをたてて、教育レベルをあげ、
実務能力に優れた人間を登用していたという、下地がある。
幕府の官僚も、先祖代々役職につくってことで、子供の養育に力をいれていた。
で、薩摩はどうなのかというと、薩摩の藩校は、よくも悪くも、
そういう官僚的な人間を生み出すところじゃなかった。
在野に個人的に優れた人間はいただろうが、教育するシステムがなかったわけ。
とくに官僚の仕事は天才より、秀才を求めるから、どうしても薩摩の人間は使えないんだよね。
234日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:34:13
>>231
そのカリスマがすげー胡散臭い。
ただ、木戸と大久保が改革派だったから、
自分達に近く、擁護してくれる、西郷に共感を憶えただけだろ。
西郷に人望があれば、薩閥の大半を大久保が率いることはなかった。
西郷と共に、野に下った人間などたかが知れている。
235日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:36:59
政府に居た薩摩人が全部天才だったとでも言う気か?
随分偏った見解だな。
例えば維新直後から外交官として働き始め、後に外務大臣にまでなった西徳二郎なんてどこが天才だったのかサッパリ分からんぞ。
本人なりに勉強熱心だったのではあろうが、単に黒田清隆のコネで登用されただけみたいなもんだ。
236日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:42:33
実際には戦略は岩倉、戦術は大久保って所じゃないか?
木戸は民主主義にかぶれて場違いな口出ししていただけって感じ。
237日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:52:47
>>236
納得
238日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:55:07
誰もそんなこといってねーよ。>235
松方などは、薩摩の官僚としても、名を馳せたものの一人だろうしな。
ただ、システムが構築されていないから、総量としては差がどうしても出てしまうわけ。

そして新政府の人間は、旧幕府系と長州系に分類されるくらいで、
新政府の官僚としては、質、量ともに違うわけ。
実際薩摩出身の官僚は、長州の官僚の七割もいないんだな。
また数が少ないのに、警察や海軍に集中しているから、行政分野にはさっぱりなわけ。
そして時代が下っても、長州系はなかなか下がらないが、薩摩は急落していく。
239日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:58:44
>>236
木戸の口出しどおりに、政府が動いているんだが。
240日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:59:52
廃藩置県も山縣のせいで後に多大な禍根を残して士族反乱の頻発に繋がった観がある。
急進的なら良しとする評価はいただけない。
改革には必ず既得権益の破壊が伴い、抵抗が生じる。
発生する抵抗が生み出す損害を上回る利益を見込めれば改革に踏み切る価値がある訳だが、
可能な限り抵抗を減らして発生する損害を最小に押さえる事も重要なのだ。
既得権益を手当たり次第に破壊するだけなら、共産主義者でもできる。
そういう粗雑な手法を極力避けるのが教養というものだ。
241日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:01:15
別に木戸の口出しどおりなんて動いてねーよ
242日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:05:15
>>240
山縣にとって士族の反乱と、民兵による鎮圧は規定路線。
士族を士族で潰しても意味がないしな。
243日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:05:35
薩摩閥は派閥の利権にこだわらないから、中央集権化に伴って数が減るのは当然だ。
薩摩の牙城とされる海軍でも、薩摩閥は自ら余計な人員を削減する公正さを発揮している。
利権に寄生する事しか念頭に無い長州閥がいつまでも老醜を晒していたのとは好対照だ。
244日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:10:34
>>241
むしろ、木戸が実際に動かしていると言うべきかな。
口だけじゃないからな。
>>243
あの権兵衛の人事刷新で、リストラや閉職に負いこまれた対象の多くが、
何故か薩閥以外だったりするのは偶然ですか?
何故かその後薩摩のお殿様の子孫が、海軍に入っていたりするのも偶然ですか?
245日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:13:36
士族の反乱が不可避となる山縣の急進的な改革案に固執する理由が不明だ。
西郷のようにソフトランディングを志向していれば無駄な人死にを防げたかも知れん。
明治維新とは武士が自ら既得権益を返上して体制を変えようという改革なんだから、
やたらに武士を窮地に追い込むような真似をすれば反発が大きくなるだけだ。
山縣は無意味に維新を危機に晒し、その収拾の為に命を落とす事になった西郷や大久保の屍の上に自分の権勢を築いた。
やり方が外道すぎる。
246日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:19:03
海軍は実力主義だからな。
無能な人材は淘汰される。
能力があれば島村や秋山みたいに藩閥の外でも適切なポストを与えられる。
陸軍では乃木みたいなのが要職にしがみついていたツケが部下にとっては命取りになった。
247日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:21:33
>>245
だから、反乱させるのは規定路線でしょ。
大久保だって、それを容認して、挑発しているし、

徴兵によりつくられた軍隊が、士族を討伐することで、
徴兵制の有効性の証明と、士族と庶民の階級をなくすのが目的なんだからさ。
士族の軍隊じゃ、封建制とかわらん。

つか、士族を秩禄処分などで追いやり、また大物を政府から放逐することで、
反乱を意図的に起こさせたのは、大久保なんだが。。。
木戸はどちらも、反乱が起るからと止めていたと思うけど。。。。
248日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:27:53
>>246
さて、大山の縁故ってことで、乃木の参謀として、
事実上軍を指揮していたのは、だれだったろうか。

そして海軍が実力主義ねえ。
そのお殿様は、海軍学校の成績はそうでもないのに、普通に出世して、
だけど危険な真似はさせなくて、安全な後方において、保護されていたようですが。

陸軍から、華族だろうと、士官学校の席次で出世は決まるし、
入隊してからも、華族ということで特別扱いは一切ないんですが。
ただ皇族は別ですけどね。
249日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:35:36
将官の役目というのを理解してないようだ。
将官は自ら銃を執って弾丸を放つのが仕事ではない。
将官の仕事というのは指揮を執る事だ。
そして参謀は戦闘部隊の指揮を執らず、指揮官に策を提案するのが仕事。
部下の参謀に実質的な指揮を取らせていたのは無能な将官である証なんだよ。
250日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:50:11
そうか、全軍の指揮を児玉に任せていた、大山は無能だったんだな。

つか、日本の軍隊における、仕事がわかってないとみえる。
指揮官ってのは、飾りと、部隊をまとめるのがお仕事、
指揮能力より、調整能力や、兵士からの信望があつければOK.
というか、調整能力や人望がなければ、どんなに指揮能力があっても駄目。

そして実質参謀が、提案と言う名の、指揮をとって軍隊を動かすわけ。
これは戊辰戦争から同じ、皇族が司令官になっていたりするのは、
なんだと思っているんです?
251日本@名無史さん:2005/11/13(日) 03:12:05
日本の軍隊の弊習を本来の役目と混同していると見える。
長州閥を正当化しようと無理してばかりだからそういう倒錯に陥るのだ。

参謀は指揮系統から離れて作戦の立案に専念するのが本当の仕事なんだよ。
そして指揮官は単なる飾りではなく、参謀の意見を参考にして決断し、
下位の将兵に命令を下すのが本来の仕事。
皇族が指揮官になるからには、その皇族が責任をもって指揮を執らなくてはならない。

そんなのは日本だからだとか日本じゃないとかは関係ない。
252日本@名無史さん:2005/11/13(日) 13:25:16
>>236
戦略というのは、目的立てから大まかなプランまでを立てることを指すとすると、
五箇条のご誓文、版籍奉還、廃藩置県、憲法擁立
の全てを最初に提唱し、実際に実現するための大まかなプランを立てて動いた木戸が
明治という大きなスパンで見た場合に戦略担当じゃないか?
民主主義に被れてとかいうが、板垣のようにひたすら民主を叫ぶだけでなく、地に足の着いた
実現プランを木戸は示していた。

岩倉が<戦略>担当というのは、一つの大目標ー複数の小目標とあったとして、
その小目標をスパンとした場合には、そうともいえるが、
明治全体に筋をとおした長期スパンで見た場合、戦略というよりは大久保同様<戦術>担当かと。
253日本@名無史さん:2005/11/13(日) 13:48:26
戦略というのは目標を実現する為の道のりを明確にする事だよ。
漠然と廃藩置県なんてぶち上げるだけなら小学生でもできる事。
その段階では何の制約も無い単なる夢想だから。

政治指導者がその程度の言動に終始してるだけでは意味が無い。
例えば廃藩置県なら何がその実現を妨げる障害となり、その障害をどのように排除するのかを具体的に定めるのが戦略。
その戦略を実行する為に行使する現場での策が戦術。

つまり木戸は良く言っても実権を握る岩倉・大久保にインスピレーションを与えるシンクタンク。
もしくはブレインストーミングの員数合わせ。自称ご意見番・・・
程度の役割。
254日本@名無史さん:2005/11/13(日) 13:54:16
乃木はドコ出身?
255日本@名無史さん:2005/11/13(日) 15:01:52
>>254
長州藩の支藩長府藩。
256日本@名無史さん:2005/11/13(日) 15:19:02
>>253
木戸の論というのは、漠然ともしてなけりゃ、言動に始終したのみでもないんだけどなw
廃藩置県において木戸がやったことを小学生でも出来ること、の一言で片付けようとしてる
お前さんの意見は説得力に欠けることこの上ない。
で、廃藩置県の実現を妨げる障害を排除したのは、大久保と岩倉と思ってるみたいな書き方も間違い。
もっと歴史書(誰かの伝記ではなく、明治という時代を書いたもの)を読んだ方がいいかと。

さらに、一貫した戦略がなければ、的確な戦術も生まれないという事も当然分かってるよな。
大久保が、何故、終始一貫して多大な労力をかけて木戸を引き止めたのか考えてみよう。
257日本@名無史さん:2005/11/13(日) 16:37:27
>>253
まあ、戦略と戦術という使い方は悪かったか。一応、自分的定義を書いたから通じるかと思ったが、通じてないようで。
じゃあ、家を建てると考えよう。
大久保:大工の棟梁+大工の憧れ
木戸:家の設計士(ただし、建築工程にも口出しする)
西郷:・・・カリスマ
と言えるかと。もちろん、この間で役柄の分担があったり、時には交代したりもして簡単に割り切れるもの
ではないが、基本形はこう。
当然、棟梁がいなければ実際に家は立たないが、設計士がいなければ立てる家の形がない。
両方必要なわけだ。
その辺を後世の信者とは違い、非常によく理解していた大久保は、ともすれば意見の対立する木戸を常に
引っ張り込もうとしていたわけで。
>木戸は良く言っても実権を握る岩倉・大久保にインスピレーションを与えるシンクタンク。
>もしくはブレインストーミングの員数合わせ。自称ご意見番・・・

というのは、設計図なしに家ってたつよね、というのと同程度の意見だ。
立つには立つが大掛かりな家ほど不可能。

と考えると、建築途中で、設計士も棟梁も死んでしまったのは日本にとって、
本当に痛いことだったと思う。
まあ、8割がた完成してたから死んでよし、て意見もあるようだが、自分は違う。
258日本@名無史さん:2005/11/13(日) 17:05:22
そういや、>>247の指摘したごもっともな事実と、自分の意見の矛盾点について、>>245はどういう折合いを
付けているのか。
ついで自分からも付け加えると、その武士から避難轟々だった山県の案(兵制改革:即時徴兵)に対して、
ソフトランディングにせよ、という建白(具体案付)をしたのは長州の山田であって、西郷でも大久保でもない。
つーか、汚職事件を起こしたにも関わらず、その山県を陸軍卿に昇進させたのは、西郷自身だ。
もし、ここで、山県ではなく、山田の建白が通っていたら、ソフトランディングになったんだがな。
政府内でその山田の建白を明白に指示したのは、大久保ではなく木戸の方。
あと、誰がソフトランディングだって?
西郷の意見というのは、徐々に士族を解体するソフトランディングではなく、完全に武士階級の維持を望んで
いたかと。(ただし、人民に優しく高潔な模範的武士ってやつ)事実、私学校でそのような教育が行われている。

ちなみに、大久保が山田の案を指示しなかったのは、これまた大久保らしく実際的な理由で。
もし徴兵を即時実施しなければ、実際に鎮台の兵隊数が心もとないから…というものだったらしい。
さすが実行の雄。ごもっともである。故に、結局木戸も押し切られて、山田建白は闇に消えたわけだ。
だが、ここで「兵は凶器、使い方を間違うな」を明言した建白が消えてしまったのは、後の太平洋戦争などを
考えると惜しいことだったと思う。
大久保がソフトランディングだったのは、薩摩に対してのみじゃいか。
大久保も何だかんだいって武士出身なわけで、公然と久光などと対立するのは非常に辛かったようだ。(彼の書簡などを見ればよくわかる) 
これが、機関車の如く爆進した大久保が、薩摩に対してだけはソフトにならざるを得なかった大きな理由らしい。
259日本@名無史さん:2005/11/13(日) 18:10:47
西郷とか木戸とかは政府を下野することもあったから、相対的にずっと政府の中枢に
いた大久保・岩倉などの方が責任感ということではあったと思います。長州、
薩摩閥についてはまったくいなくても大丈夫というのはいいすぎだよ。それぞれ
の派閥でも活躍した人材はいるわけだからさ。
260日本@名無史さん:2005/11/13(日) 23:30:37
>>259
では、その前に、ひたすら長州閥はいらない。無能の汚職政治家ばかりといいきる奴にも、
いいすぎ、と言ってやってれ。

それと、責任感、についていうと大久保はともかく、岩倉入れるのはどうよ。
岩倉がずっと政府にとどまってたって、何の情報?
岩倉は、征韓論のときに一度大久保を裏切り、三条を一人針のむしろに残した状態でバイバイしてるし、
大阪会議後も、自分の嫌いな元征韓論派が戻ってきたことを怒ってか身体療養とかで身を引いたりしてる。
さらに言うなら、大久保と方針が同一だったため、別に辞職する必要自体がほとんどなかったわけだが。
大久保とセットで見られるから、大久保なみの責任感があるようなイメージが付いてるんだろうが、実際は違う。
大物暗躍系優秀政治家であったことは事実だろうけどな。
責任感でいくと大久保>木戸なのは認めるが、岩倉>木戸とは思わんな。
君の情報元が何かは知らんが、もし、司馬小説だとしたら、司馬が言うほど木戸は責任回避のみしていたわけでは
ない。
でも、大久保の責任感に比べたら足元にも及ばんわけだが、それは大久保が責任感日本1の人だからだと思う。
261日本@名無史さん:2005/11/14(月) 01:12:13
大物暗躍系?
初めて目にするカテゴリーだな。
それはそれとして本人達を身近に見比べていた西園寺に言わせると、
長州閥は要らないし。
司馬なんて関係ない。
つーか司馬も史料を精査した結論として「長州イラネ」と思っただけだな。
262日本@名無史さん:2005/11/14(月) 03:08:18
正しくはこうだな。
大久保:設計事務所の経営者
岩倉:設計士
西郷:大工の棟梁
木戸:棟梁や設計事務所に頻繁に意見する日雇いバイト(良く逃げ出す)
263日本@名無史さん:2005/11/14(月) 08:16:30
西園寺が長州閥をいらないといったのは、長州の親玉の山県にいいように使いまわされた
経験からじゃないのか? それに、長州閥がいないと、薩摩閥が突出することになるから、
それはそれで問題がでてくるのではないでしょうか?
264日本@名無史さん:2005/11/14(月) 09:12:16
木戸ももう少し長生きできれば、評価も変わっていたかもね。
265日本@名無史さん:2005/11/14(月) 09:34:33
>>262
木戸:社長、のちに一線からは引退したが大株主の会長として残る、発言力強し
大久保:いくつかの営業部を統括する本部長、のちに社長
岩倉:相談役
西郷:色々と会社の経営に異をとなえる役員、のちに引退に負いこまれる
伊藤や山縣、大隈:部長
266日本@名無史さん:2005/11/14(月) 09:42:23
>>263
そもそも西園寺は元々長州閥の傀儡として重用、いや徴用された人間だからね。

また薩摩閥は有力な後継者がおらず、明治の中頃から衰退しつつあったから、
明治末期期ならそんなに問題にはならないかと、そんなに影響力ないし。
そして長州閥も、大正期には、長州閥の分裂抗争や、山縣の死、
人材の枯渇により、昭和の初期にはほぼ壊滅した。
267日本@名無史さん:2005/11/14(月) 09:57:46
明治政府は派閥争い。天皇を利用しやりたい放題。
268日本@名無史さん:2005/11/14(月) 11:22:35
>>267
派閥争いが自由民権運動や権力分立につながった面もあるから、
一概に悪いとも言えないのでは?
269日本@名無史さん:2005/11/14(月) 12:06:12
>>261
だから何で西園寺オンリーワンなんだw 彼らを直接見てたのが西園寺だけだと思ってんのか?
お前の意見は、うちわを真横から見ただけで、「これは細い棒だ!」と言ってるようなもの。もっと多角的に見るべし。
あと、いつ、どこで、司馬が「長州閥イラネ」と主張したのか、聞いてみたい。

さらに、薩摩人汚職シナイキタナクナイ!派は、
北海道開拓使払い下げ事件や、官員名簿か何かに薩摩人の名前ばっかりズラー事件、
とかはどう考えているんだ。
270日本@名無史さん:2005/11/14(月) 12:13:48
>>262
それでいくと、経営者自らがやめたがりなアルバイトを会社に引き止めるために、
辞職されては頭をさげ、故郷に帰られては故郷まで迎えに行く、という、業務効率
から考えれば経営者失格のトンデモ行動を取ったことになる。

また、関連企業でトラブルがおこった時(佐賀の乱)に、設計士は本社経営状況が不安
なので経営者を佐賀まで出張させるなら、アルバイトが経営者としてやってくれるなきゃだめ、
と答えたことになる(やはり、岩倉は設計士より、相談役て感じだな >>265にほぼ賛成)。
経営者も経営者で、アルバイトに経営者としての権限と業務を預けて、あとはお願いします。
と言った事になる。
どんなすっげーアルバイトだよ。

さらに木戸に(良く逃げだす)が付くなら、
大久保:(ワンマン経営者。優秀だが独断が多く、恨みを抱かれ志半ばで殺される)
西郷:(実情を理解せず、無理な海外進出を唱えて、それが通らないと社員引き連れて故郷に逃げた後、自爆)
が付くな。>>262の木戸記述に合わせて、意図的に意地悪に書くとこうなるな。

あと、岩倉が明治を通した設計プランを持ってたって説はマジで初耳。なにを根拠に言ってんの?
271日本@名無史さん:2005/11/14(月) 13:51:19
てか、西園寺自体が何様よ?
こいつが軍部の暴走を止めれなかった気概のない政治家じゃないか?
公家の中ではちょいまともだっただけで。


272日本@名無史さん:2005/11/14(月) 14:00:25
西園寺といえば、本人達をよく知る元老さ。

273日本@名無史さん:2005/11/14(月) 14:02:51
木戸は所詮、頻繁にサボる日雇いバイト程度。
野次馬根性で取締役会議に乗り込むも実力者達からは一蹴されるお笑い担当。
274日本@名無史さん:2005/11/14(月) 14:13:43
木戸が慰留されたりしたのは、会社の備品を盗んだりしてやたら手癖の悪いバイト連中みたいな長州出身者の親玉だったから。
人手不足のあまり大久保は木戸を使って長州閥みたいなダメ人間たちを曲がりなりにもバイトとして使いこなそうと四苦八苦していたが、
それが災いして長州閥は薩摩閥に取って代わろうと画策して汚職疑惑を捏造し、
薩摩に冤罪を着せるような事もあった。
東郷平八郎曰く、朝鮮人に武器と権限を持たせてはいけない。との事。
さすがに東郷提督は問題の本質を的確に捉えている。
275日本@名無史さん:2005/11/14(月) 14:21:54
明治天皇を過労死させたの伊藤?
276日本@名無史さん:2005/11/14(月) 19:17:08
長州閥の集まりは、有害だったろうけど、長州人の活躍は認めざるをえないだろう。


277日本@名無史さん:2005/11/14(月) 20:33:50
なんか反論に低レベルが多いな。
反論が低レベルなのか、反論してるやつが低レベルなの、はたまたその両方なのか。


木戸は大物だし、大久保より先が見えてた。

大久保は実行者である。現場監督。
しかし設計者のいうことを聞かず、自分で勝手に図面書き変え、ごまかしもやる現場監督。
その下での、三役が伊藤、大隈、井上(はどうだろう?)かな。

建物の設計者は木戸や勝や福沢、お手本は遠くにある建物(西洋)
木戸は勝や福沢よりもより現場監督にちかい設計者だったけど。
逆にいうと現場監督がしんどいから、逃げてた口でもある。

西郷?西郷は、工事を諦めて逆に工事を妨害しようとした人だよ。
しかし、木戸も死んで、現場総監督の大久保も落石事故で死んだ。
その後をついだのが伊藤と大隈、そして黒田。
278日本@名無史さん:2005/11/14(月) 20:38:36
例えば、大久保は死んだからこそ大久保の評価があるわけで、
殺されずにいたら山縣を上回る政界の法皇になってたかもしれぬ。
汚職をするような人間とは思えないが、
どこまでも有司専制をつづけ、死ぬまで恐れられたかもしれない。
明治30年ころ、憲法だとかいってたがな。
彼には、民を育てるという思想があったかどうか・・・・
官僚を育てる思想はあっただろうがね。
とくに独裁者に近く、進歩派には理解を示さない性質だったしね。


まぁいい時期に死んでよかった。大久保。
あと10年だけなら生きていてもよかったが。
279日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:21:59
明治以降の木戸は政治家というより評論家だな。木戸自身
優れた国家設計をもってはいたが、政治の表舞台に立つ気など
ほとんど無かったからな(欧州視察からの帰国以降)
伊藤が「木戸さんにはこまることが多かった」といったのも
気質的難物の木戸より大久保のほうが国家建設のリーダーとして
適任だと思ってただろうし、伊藤自身も仕事がやり易かったのだろう。
280日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:23:45
低レベルは長州人♪
281日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:20:24
>>277
確かにw
具体例も事実も挙げられない。都合の悪いことは脳内捻じ曲げ。
>>274
おまえ、長州は無能、不要とかいってたよな。
つまり、経営者(大久保)は、人手不足というだけで、
<手癖の悪い連中>の代わりになる人材発掘も行わずに、無能で不要で手癖の悪い連中
を使い続けてたことになる。それってダメ経営者じゃん。
さらに、お前の論でいくと大久保が手こずった手癖の悪い連中も、何とか木戸のおかげで
抑えられてたことになる。(>>274は木戸は抑えられなかったから、汚職がおこった云々の
反論をしてきそうだが、 それならそれで、抑えられもせず口出ししかしない無能なアルバイトを
大久保は引きとめ、あまつさえ自分の仕事丸投げで出張に行ったことになる。ダメ経営者じゃん。)
常のお前の論とはかなり違うようだな。
さらに、佐賀の乱時での出張の際、木戸に、自分の代わりを任せたのは何故かの説明は全くついていない。
もし、長州抑えのためだけに、口出ししかしない日雇いアルバイトをそんな地位につけるとしたら、
大久保、ダメ経営者じゃん。

ということで、お前の論を採用すると、大久保はまるきりダメ経営者になってしまう。
ひょっとして、>>274は隠れ大久保アンチか。
282日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:58:30
大久保は、大阪会議で将来の議会制民主主義については約束していたみたいだから、
別に議会政治は必要だとは思っていたはず、それに、地方自治にも理解を示して
いた。
283日本@名無史さん:2005/11/15(火) 00:22:44
>>282
そうだな。だから、大久保にしてみれば、もうちょっと待てば、木戸と全く同路線で
トラブル無く進める、て所まで来てたんだ。
が、大久保も木戸もその前に死んでしまったわけだが。

大久保にしてみれば、木戸が漸進民主を主張するのを、ちょっとまて、とりあえず近代化
富国強兵が先!と実際的政治家であり、かつ政策実現能力の高い大久保は主張し、

木戸にしてみれば、それまで自分の身体が持つか甚だ不安だっただろうし、人生50年時代
の人間だから、大久保自身の身体の保障だってない。
その状態で大久保のように、独裁を許すシステムを作ってしまっていたら、大久保時代は大丈夫
だろうが、それ以降の人間がそのシステムを悪用する可能性だってあるわけで。
別に板垣のごとく、急激に民主に移行しろと言ってるんじゃないんだから、ちょっとずつはやっと
くべき、少なくとも有司専制はやめろ!
と、視野スパンの長い木戸はいわざるを得なかったんだろう。
実際、そうなってしまったわけだしな。

との観点から、二人の意見は分かれたんだろうと思うが、基本理念は似てるよ。
284日本@名無史さん:2005/11/15(火) 00:29:13
また民主主義を信奉する寝言をほざき出したか。
285日本@名無史さん:2005/11/15(火) 00:50:54
>>283
木戸も大久保も富国強兵、近代化は規定路線かと。
そう日本を大国に育て上げ、外国に負けない国にしたかっただけ。
ただそれを導くのは、誰か、ここが違った。

木戸は民主化により、国民が動かすべきだと判断していた。
だからこそ、国民の平等と対等な義務、そして教育を重視していた。そして議会の早期開催もね。
それにより、国民一人一人の判断力養い、国を背負う権利と義務を身につけてもらおうと思っていた。

大久保は逆に、国民を期待せず、優秀な一部の人間に任せるべきだと判断していた。
その為に、権力を一部の省庁に集中させ、国家が迅速に正しく動かせるために、
国の為に動く、優秀な人間だけに国を任せようとしていた。

大久保にしても、そのシステムに問題があるのはわかっていたはず、
実際木戸が危険性を指摘して反対していたしね。
だけど、当時の日本の実状は、木戸の案を丸のみにしては駄目だとも思っていたはず。
識字層は、人口の三割もいない、教育の行き届いた一部の雄藩や、
武士階層や、都市部の町民のみ。女性になると、1割程度だろう。
このような状況では、そんなのは夢物語と判断しても仕方ない。
また、国民とは、かなり状況に流されやすいし、感情のままに動いてしまうものだ、
その結果国を、迷走、暴走させてしまう可能性もある、というか歴史上結構多いよね。

一部の官僚が、民衆の権利を拒絶し、支配してしまったり、
逆に民衆の支持を受けた、一部の政党が暴走してしまうこともある。
どっちがいいかは、まだわからんよ、どっちにも問題があることだけはわかっているがね。
286日本@名無史さん:2005/11/15(火) 02:59:35
>>285
そうだな。

木戸=福沢による進歩的なラインによる国家像、
出来る限りの国民すべてを、教育し、賢くして、全員に責任を負わせていこうというライン。
木戸も自由民権運動程、過激ではなかったから、ある程度しか、国民に理解をしめしてなかっただろうけどね。
また、進歩的であると同時に、木戸は、独裁者のような、一人が権力を握るシステム自体を毛嫌いしてた。。

大久保=勝による漸進的民主主義ライン
先に国が方針を決めて、民がある程度賢くなったら、その後で民主主義を。
それまでは、国の方針、大久保の方針には逆らえないようにしておくライン。
とはいえ、ずいぶん後、
憲法の発布を絹布の法被だと誤解した民が多かったという事実からみても、
急激な進歩主義は結局妄想であったのだろうし。

このへん後継の伊藤はなかなか上手かったな。

伊藤は、木戸の薫陶もあり、進歩派に理解を持ってた、
けれども、大久保のような実行力も持ってた。
287日本@名無史さん:2005/11/15(火) 08:06:23
大久保の独裁っていっても、木戸も西郷もいない岩倉は薩摩よりということでは、
大久保に権力が集まるのは必然ともいえる。大久保に対等に口をきけるやつが
いないんだからな。
288日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:18:03
>>285
>>286
おおむね賛成だが、自分としては、ちょっと違うな。
まず、木戸は決して急進民主主義ではない。木戸=進歩主義 大久保=漸進民主としているが、実際には
木戸=漸進民主だった。
木戸の主張は、板垣の如く、いきなり議会を開け、民衆に権利を、というのではなく、
まずは、民衆がそれを主張できるレベルまで地道に導いていくことにあった。(この辺は、>>285>>286ともに
知ってるとは思うが)
ようするに、>>285の指摘する国民全体の教養レベルの低さは、木戸自身十分承知しており、この状況を
改善することから始めようとしていたわけだ。
それが、木戸の主張する「民力休養」という考え方である。
実際、木戸自身が、イギリス議会政治を主張する、板垣に対して、「あれは自然と出来上がってきたもので、
それをそのまま日本にもってきて立ち行くわけが無い。」ということを諭しているのである。
木戸は何も、権利を受け入れる下地すらできていない国民に、いきなり実権を与えようとはしていない。
むしろ、実権を与えられた国民が国を暴走させたりしないために、国民に対して、早急に高い判断力などを
つけたかったというべきだ。
それまでは、天皇を中心に一つにまとまった政府が、民を導いていくべき、という考え方で、>>286のいう
大久保=勝ラインと、木戸=福沢ライン(自分は、勝と福沢は詳しくないが)は、目標とする状態については
多大な距離のあるものではない。
>国民とは、かなり状況に流されやすいし、感情のままに動いてしまうものだ
ということが分かっているからこそ、少しでもその害を減らすためには、国民の教育にもっと力を入れるべき
だと木戸は主張するのである。
さて、以上を元に大久保と木戸の違いを考察する。
289日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:20:36
大久保と木戸の最もたる相違は、
大久保はまずは富国強兵と決めたら、極端に言えば、富国強兵のみで近代化を実現しようとしていた。
木戸は、富国強兵、と決めたにしても、富国強兵+人民の教育、を同時に進めていくべきだ。と考えていた。
もちろん大久保自身も、人民の教育を顧みなかったわけではないだろうが(自分この辺は詳しくない)、木戸
よりは人民の教育に対する重心が甚だ低かった。
なぜ、木戸がここまで人民の教育に執着したかというと、米欧回覧の体験を通じて、
「文明を取り入れる際に、良い所だけ取り入れるというのは非常に難しい。ともすれば手に入れた文明を驕って
より国に害悪をもたらす可能性がある」
ということを、実際に近代文明に触れてきた留学生などの態度を見て実感したのだった。(森有礼などが、こと
さら日本の文化や、文明慣れしていない使節などを馬鹿にし、外国文化にいたずらに傾倒し、それを外国人に
吹聴するような態度をとっていた)
もともと教養あるはずの武士階級ですら、そうなのだから、これを只の国民に当てはめた場合に、日本全体で、
教育を置き去りにした近代化のみを推し進めたとすると、近代化のメリットのみならず害悪ももろにかぶることになる。
ゆえに、なるべく近代化による害悪はこうむらず、近代化の良い部分のみを吸収するには、近代化を推し進める
過程において、同時に人民の教養レベル思想レベルもしっかりさせて置く必要があると考えた。

対して、大久保は欧米回覧において、木戸ほど文明開化についての害悪は意識しなかったようで、富国強兵近代化
のメリットに対して大いに着目し、そのシステムに注目して帰国した。

この二人の欧米回覧の感想の違いを、司馬あたりは、木戸は悲観的、と一言で終わらせているが、実際の後世の
日本の辿る道をみると、悲観的、というより見えすぎていたというべきか。
この二人の感受性の違いが、二人の方針に差異を投げかけたのだろう。
だが、目指す方向それ自体は同じだったために、佐賀の乱、板垣の引っ掻き回し、岩倉の三条弾劾、西南戦争などの
要所において、手を結ぶことになったのだと思われる。
290日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:25:39
まとめると、木戸の民主主義というのは、決して現実を見てないものではない。
むしろ、現実を見ればこそ、早急に人民のレベルを挙げる必要を感じていた。
開国した今、無理に押しとどめようとしたところで、外国文明はどんどんと入ってくる。それが影響を及ぼすのは、
何も知識階級だけではない。そして、その影響は良いものだけでもない。
それならば、入ってきた外国文明の取捨選択を、人民自身が行えるだけの知識と教養を人民に与えなければいけない。
とすると、
>先に国が方針を決めて、民がある程度賢くなったら、その後で民主主義を。
木戸にしてみれば、この方針の<その後で>が大問題だったわけだ。先に近代化だけ推し進めれば、民は賢くなる前
に近代化の悪影響を受けるだろう、ということと思う。
実際、>>286は、下記のように書いているが、このような事態が起きたことこそが、近代化、富国強兵を重視するあまり
人民自体のレベルアップ政策が、外面の近代化と比較して疎かであったことを示してはいないだろうか。
>憲法の発布を絹布の法被だと誤解した民が多かったという事実からみても、
>急激な進歩主義は結局妄想であったのだろうし。

国民の現状を顧みない急激な進歩主義は確かに妄想である。
しかし、木戸の場合は、国民の現状を見てこその『民力休養』派だった。
この辺は、大久保と対立していた、というイメージから混同されがちであるが、きっちりと区別しておくべきだろう。
291日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:22:15
木戸の理念を実現するには国民の負担は大きかったんじゃない?

民主主義的要素もある程度国民の初等〜中等教育が浸透していないと、
一部の知識人の演説会で終わってしまうわけで。
初等・中等の教育機関が充実するのは明治30年代以降で、
しかもその中心は寺子屋から変遷した機関で政府の計画通りにはいっていない。
おまけに一次産業中心の産業構造で西欧列強並の軍事力を整備し、
(数は最低限としても装備の近代化だけを推し進めるにしても)
徴兵制を実施したり軍需産業の振興にも金・技術・組織が必要でそれを一息にやるのも無理。

明治初年の政策は明治初年の国や国民の実状に制約された中でしか実行できん。
でも理念としてはもっとやりたいこと、やるべきことがある。
そういうジレンマに耐えられないのが木戸なんじゃないかと思う。

大久保、伊藤、大隈は理念として木戸ほど崇高っていうか透明感はないけど
現実を受け入れその中で何ができるかしぶとくやろうとしていた感じがする。
292日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:06:50
大久保利通と伊藤博文をを語るスレだろ。木戸を深く取り下げてどうすんの?
293日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:08:51
スレの終わりはまだまだ長いんだから、ええがな。
294日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:15:59
>>291
それも尤もだとは思うんだが、ただ、一つ、征台論あるかぎり、単純に予算をかけるか
かけないかという最も分かりやすい指標において、当時の明治政府が、その事情に見合った、
やれるだけの教育政策を行ったとはいえないと思う。

大久保という粘り強さの権化のような政治家がいたこと、周囲の国家情勢が有利に
働いたことから、結果的にはドサクサに沖縄を日本領と認めさせたこともあって、
成功に数えてもいいものではあるとは思う。
が、これについては、大久保自身成算があってやった事ではないのは、その当時の情勢や
彼自身の書簡などを見ても分かる。
これが、薩摩不平士族を慰撫するための策だったのは明らかだ。その慰撫の目的自体は果せなかったわけで。

この成算無き企てに、政府は、その際、当初予算では50万、最終的には300万(だったと思う)の金を出した
ということだ。当初予算では50万だったので、それだけの外征に当てる費用はあったと考える。
(というか、大隈がそれくらいなら工面できると言ったらしい)
ここで、わずか数年前に、外征に当てるような予算は無い、と言っておきながら、
また、木戸が文部省の予算として、10万〜20万を要求した時には、そんな金は出ない、と言っておきながらである。

これを見れば、どんなに言い訳しようとも、何とか工面すれば出る金を、政府が出さなかったということは明らかで。
当時の明治政府が、内治を謳い征韓論を潰しておきながら、外征>>教育だったことが分かる。

これは木戸からしてみれば、自分が教育のために要求した10万〜20万は出ないのに、
外征では50万(結果的には300万)もの金を出す余裕が政府にあるではないか。
と突っ込んでも全くおかしくなく、その点において、明治政府の民力休養に対する姿勢が不十分
であると不満を抱くのも全く無理の無い話しだと思うが。
295日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:19:08
>>292
自分もそうは思ったんだが、大久保を語るに、伊藤より木戸と比較してしまうのは
無理からぬことだ。
というか、そもそも大久保と伊藤を同列にならべて語ろうというスレタイの方に無理
あったりしないかw
もちろん伊藤も凄い政治家だとは認めているが、どうも大久保と並べるのは何か違う気がする。
296日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:47:19
大久保を語るなら江藤とも比較すべきだろう。
297日本@名無史さん:2005/11/16(水) 01:55:13
>>294
たしか賠償金を50万ほどせしめていたから、250万の赤字かと。
ただ沖縄があるから、かなり採算ラインは微妙だけどね。
>>295
伊藤は決して大久保に劣る政治家とは自分は思わないな。
ただ歳もあるし、その人のピークもあるだろから、
その当時の二人の地位や、権力では差があり。比べるべきではないと思う。
岸と田中は比べてもいいが、この二人と明治期の元老や、ましてや戦国大名を比べたら、
違和感を憶えるみたいな感じか。
>>296
木戸や大久保と比べると、どうしても貫目が落ちるんだよね。
マンセーしまくっている、史家は結構多いんだけどさ。
298日本@名無史さん:2005/11/16(水) 02:23:42
大久保の遺骨は平成になるまで鹿児島におかれなかった。西郷人気が伺える。
299日本@名無史さん:2005/11/16(水) 03:47:45
西郷さんなぁ。自分は西郷さんってのはよくわからんのよ。

ま、大隈みたいに”アホだ!”と言ってしまうのはどうかと思うが、
ある種、宗教的な存在だったわけでしょ?みんなが心酔してるというか。

なんてか、信長の野望でいうところの
政治力 武力 知力 とかの数値で現せない人だったわけでしょ?
魅力100じゃ西郷さんを現せてるとは思えないしな。

300日本@名無史さん:2005/11/16(水) 08:09:52
伊藤は大久保の後継者ということで、関連付けられなくもないけどな。ただ、伊藤
を比較するなら、同年代の大隈や山県と比較する方がしっくりくるかな? 
西郷さんは人間としては魅力はあるけど、政治家としては?だからな
301日本@名無史さん:2005/11/16(水) 08:57:46
木戸も優れた政治家だったとは思うが、自分が政府で孤立していたときに、誰も
長州で助け舟を出さなかったし、人望はあまりなかったような気もする。もし、
高杉や久坂といった人間が維新後も生きていたとしたら、木戸は名目上は
トップだとしても、隅に追いやられていたと思う。
302日本@名無史さん:2005/11/16(水) 15:20:44
高杉に政治ができたのかっていうと疑問だな。
なんてか、それこそ、司馬の言い分じゃないけど、
革命の為だけの人間、っていうのがしっくりくる、
権力保持とか興味なさそうだもん。
軍事には才能があっただろう。それこそ天才的な。

そして一番可能性が高いのが、政府に反乱を起してる気がする。
やってられねぇ!!!とかいって奇兵隊あつめて反乱!って感じ。


久坂はな、長州で生き残ってたら面白かった人材だろうな。
若かったし。でも頭固かったっぽいところはある。
聡明だっただろうから、洋行してればかわった可能性はある。
しかし洋行しなかったら、頑迷な攘夷派だっただろうな。
303日本@名無史さん:2005/11/16(水) 17:15:27
>>301
同意だな。まあ、自分としては高杉よりも久坂の方が融通利かないイメージがあるから
反乱起こしそうな。
久坂と高杉は革命時には指導者として必要とされても、建国時における政治家が務まるとは思えんが。(少なくとも彼らが死ぬまでの行動を見れば)

実際、大久保と西郷を見ても分かるように、幕末時代に派手に活躍した西郷が、藩内の人望は大久保に
勝っていても、政府内で働きとおせたかというと、そうでない。
もはや、幕末と明治政府内において、求められる人物像は違っている。そこに柔軟に対応できた大久保や
木戸は、明治においても政治家として国の運営に携わった。
が、久坂は、あの西郷が気に入ったところを見ても、リトル松陰だった観があるのをみても、結局長州の暴
発を促すほうにまわってしまった(禁門の変のことじゃないよ)ことを見ても、下野して反乱、がオチだと思う。政治家にはなれんとみた。
高杉は自分自身で、国をまとめるような政治家は向かん、としてクーデター後政権には座らず、桂を探し回ったのは有名な話。こんな男が明治政府内に留まるとは思えん。
304303:2005/11/16(水) 17:53:04
あ、違う。>>302に同意な。
後世の歴史小説が書くよりも、木戸が幕末明治通して影響力(人望)があったのは、実際に
幕末明治時代を見てきた当時の人間の評を見ればわかること。
なにより、当時、大久保にまともに口出しできたのは、木戸だけだったということで。
そんな木戸に対して、どんな助け舟がだせるというのか。
実際、有効でなかった助け舟(励ましお手紙、お見舞い、反乱のお誘い、洋行斡旋などなど)
なら、長州の後輩、知識階級人(福沢諭吉など)、土佐閥(陸奥ふくむ)などから、木戸は一杯もらってるよ。
ただ、木戸と並んで、大久保に対抗するだけの人物がいなかったということ。
ここは、人望が無かったというよりは、人物がなかったというべきところか。
この辺、大村益次郎が生きてたらだいぶ変わってただろう、とは言われているが。
もう一つ、木戸自身が、自分にとっての助け舟は助け舟でも、政府を転覆させるほどのものは跳ね除けたってのもある。
305日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:47:56
「憚らずに申せば、君の先代の木戸公はこころのひろいほうでなく
むしろ狭いほうで、人を容れることができなかったため大した仕事も
成し遂げられなかった。自分は先代木戸公には容易ならぬ知遇を
受けたが、しかしその間、先代の狭量にはこまったことも多かった。」

伊藤が木戸の養子孝正にそう言ったらしいが。
306日本@名無史さん:2005/11/16(水) 22:48:21
大した仕事も成し遂げられなかった。
307日本@名無史さん:2005/11/16(水) 23:33:41
>>305
そうそう、その辺が伊藤のよくわからん所。
他の人間には、木戸公は人のいうことをよく容れるお人であった。
とか、言ったりもしている。
さらに、4賢堂の話は有名だろう。

ここで何故、敢えて木戸の養子にそのようなことを言ったかと言うと、
自分があれだけ恩ある木戸から離れて、大久保についたことに対する言い訳くさいと思う。
なんせ、伊藤は、欧米回覧中に自分が「日本の国教をキリスト教にしてはどうか」
と木戸に言い、それを他の留学生の面前で、痛罵されて木戸と不仲になったことについては
言及せずに、
欧米中木戸と不仲になったのは、木戸が帰国命令に不満だったから、とか、他の人間が
何か吹き込んだ、とか言っている。
このように、自分に不利なエピソードは恩人に少々ミソつけてでも、捻じ曲げる伊藤だから、
その言を丸呑みにはできないな。
308日本@名無史さん:2005/11/16(水) 23:42:49
木戸は至って懇意なり。練熟家にして、威望といい、徳望といい、勤皇の志厚きことも
衆人の知るところなり。帝王を補助し奉り、内閣の参議を統御して、衆人の異論なから
しむるは、大久保といえども及びがたし。木戸の功は、大久保の如く顕然せざれど、か
えって、大久保に超過する功多し。いわゆる天下の棟梁というべし。by松平春嶽

ま、色々な見方があるということだ。大久保の下についた伊藤や、その他官僚の言葉のみ
では見えないこともあるよ。

一ついえることは、やはり、木戸は設計士で、大久保は大工の棟梁ってことだと思う。
大工として働く人間達(伊藤とか)にとってみれば、
長い目でみて、あれこれ注文つけてくる木戸(設計士)よりも、
現場で一緒に困難を戦っていく大久保(棟梁)の方がよく見えるだろう。

逆に、松平のような、政府から一歩離れた客観的立場の、さらにかつて国家
を動かしてきた知識人から見た場合には、より遠くを見ていた木戸がよく映る
ということだろう。
309日本@名無史さん:2005/11/17(木) 00:05:05
木戸は人望がないというより、扱いにくい人物といったほうがいいんじゃないの。
木戸の性格を陰とすると、伊藤は陽だからな。だから、伊藤としたら尊敬は
していても、付き合いにくいとは思っていただろう。

個人的には、維新の時に功労者には恩賞がもらえたが、山県や桂といったものも
恩賞をもらったが、伊藤、井上にはなんの恩賞ももらえなかった。その事で、
心の中では、伊藤は木戸に不信感を抱いていたと思う。
310日本@名無史さん:2005/11/17(木) 00:20:32
>>297
>>300
そうそう、伊藤が大久保より劣ってるとかそういうことでなく、比べること自体に何か違和感がある。
それに比べたら、
独裁系ライン 大久保ー山県の方が比較しやすそうだし、それにしたって、西郷や木戸に比べると比較しにくい。
伊藤については、
大久保の懐刀コンビ後政敵 伊藤ー大隈とかのがしっくりくるかと。
311日本@名無史さん:2005/11/17(木) 02:45:35
設計士気取りで工事現場の中に入り込んでウロウロしていた近所の精神病者程度じゃないか?
312日本@名無史さん:2005/11/17(木) 08:20:23
木戸と大久保はそれぞれの派閥のボス、伊藤と大久保は最高指導者として比較
できるだろう。
313日本@名無史さん:2005/11/17(木) 11:31:47
といっても、大久保と伊藤ではタイプが違う。
大久保はブルドーザーのごとく、障害を押しのけて邁進するタイプだが、
伊藤は反対の意見を聞いて、それと自らの意見を足して二で割って、中庸的な政策を選ぶタイプ。

木戸と大久保は手段と目的地が少々違うものの、目的に向って邁進するタイプだから、
同系統で比べやすいのは事実なんだがね。
314日本@名無史さん:2005/11/17(木) 13:00:23
>>312
伊藤って、最高指導者か?
何か、イメージが違うな。自分も>>313の言うようなイメージがある分、指導者というか、
調停者、周旋家の最高峰という感じ。

あと、木戸と大久保は2大派閥のボスというのもあるが、主義主張や特性も対比的で、比較すると面白い。
正反対ともいえる特性を持つ大物二人が、歴史の流れのなかで、周囲の状況もあいまって目的のために
提携したり、離反したりを繰り返す様は中々興味深い。

それでいくと、やはり、自分は伊藤と比較するなら、大隈、山県あたりに興味があるな。
315日本@名無史さん:2005/11/17(木) 13:25:59
伊藤は大久保の死の直後ではまだまだ貫禄不足だけど、
明治初期より遥かにでかく、強くなった(日露戦争後でも)
軍部に対しても伊藤ひとりで対抗できたりして、なかなか貫禄があったよ。

例えばオレが伊藤をすごく評価してるエピソードのひとつで、伊藤が、日露戦争後、満州について児玉源太郎に
(この時期、日本は満州から撤退すべき条約をロシアと結んだが、
第二の対露戦に備えようという軍部の意見が強く、そのまま居座ってしまおうという腹が児玉ほかの軍部にあった)

『児玉君は何か勘違いしてないか?満州経営満州経営というが、満州は純然たる清国の領土であって
ケシテ、君の言うような日本の属領ではない。』

日露戦争後、陸軍の大功労者たる児玉にたいしてだ、ここまで言う、軍部にガツンと言えて、
更に、欧米列強の中国への野心をわかってるという点がもの凄く評価できる。
戦争に勝ったら、全部俺等のもんじゃなくて、機会均等(この時期の言葉じゃないと思うけど)
にしないと他の国から嫉妬されるぞと。

この一つのエピソードだけでも伊藤はもっと評価されてもいい。
316日本@名無史さん:2005/11/17(木) 14:01:02
伊藤が失敗したのは唯一、統帥権の干犯、こんな憲法をつくったことだな。

ま、伊藤本人は軍部の増長というか、そういうものに対抗できたからあんま気にしてなかったんだろう。
しかし初期の元老の死後、政治家は軍部に対抗できなくなる。

木戸の先見の明はここにもあらわれている。
文民統制を行わないと、軍部を掌握するものが、政治を壟断するというのを見抜いてた点はかなり評価できる。
木戸は奇兵隊など、長州内の諸隊に対する政治の最高責任者としてその壟断を許さない、政治優先の態度を維持してきた。
軍人がその職を兼ねたまま政治家になる事で、これが崩れると見抜いてたのはかなり凄い。

比して、山縣の作った軍部大臣現役武官制なんては、山縣にはあまり先見の明がなかったことを現してる。
折角山本権兵衛が廃止したのに、これを広田弘毅が復活させた。そうせざるを得ないほど、軍部が拡張していたのだろう。
この事が原因で(?)、広田はA級戦犯として、文官唯一の死刑となった。
山縣や長州閥が、軍部大臣現役武官制に拘ったのは、やはりそれをもって長州閥の維持と陸軍の発言力維持を狙ったので
あろうが、この辺り、自分達のみしか見てなくて、伊藤や木戸の感覚とは、相当ずれている。
山本の失敗などもあり、軍部どころか、参謀本部の独走を許すようになり、遂に石原莞爾の満州事変へと・・・・


http://members.jcom.home.ne.jp/hkino/file4-4.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/hkino/file4-5.htm
ここ凄く面白い。興味があれば、よんでみて。木越と山本権兵衛
317日本@名無史さん:2005/11/17(木) 14:57:15
>>312
伊藤は大久保の後を引き継いだわけだから、関連づけられなくはないけどね。
伊藤は最高指導者といえるけど、井上や大隈、山県からみれば同輩の中の
一人だからな。第一人者といったほうがいいかも知れん。
318日本@名無史さん:2005/11/17(木) 15:50:41
木戸ってほんとは、元治元年の池田屋にいたのでは・・・。
戦わずして2階の屋根ツタイに逃げたのでは・・・。
319日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:46:30
逃げの小五郎と言われていたが、無駄死にするよりはまし
320日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:34:45
>>318
それは、のみおりえの勘違い。
池田屋と対州藩邸は、間に岩国の藩邸を挟んで路地も二つあり、物理的に考えても人間が跳躍できる距離じゃなかった。
防長回天史においても、最初この説を書き、補足で訂正している。
おそらく、対州藩邸に木戸がいると連絡を受けたおりえが、勝手に推測で語ったものが定説化してしまったものだと思われる。
まあ、もし脱出可能なルートがあったとして、木戸だけがそれを使ったってのも不自然極まりないんだがな。

実際は、そのとき木戸は、対馬藩のお家騒動にも原因人物として巻き込まれてて、そっちも要件だったため池田屋に誰も集まって
いなかったので、先に対州藩邸に行った。
対馬藩士大島と外が騒がしくなったので人を見にやって初めて事態を知った。
そこで、剣を取りとにかく駆けつけようとしたら、大島が立ちはだかって止めた。
藩邸に帰ったのが一日あいた次の日だった。

まあ、池田屋は作られすぎて、史実は隠れがちだが、有名な話はほとんど嘘と思っていい。
北添が最初に近藤に斬られたとか、吉田トシマロは一端藩邸まで帰ってから引き返して沖田に斬られた。
とか、全部作り話である。(子母澤の小説内容が事実とされてしまったが、本人がアレは作り話と語っている)

てことだな。
それにしても、そのネタフリは、大久保伊藤スレにはまじでカケラも関係ないから、木戸スレでしたらどうか。
321日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:43:44
>>314
一応最高指導者という意味では最高指導者じゃね?
大久保が亡くなり、大隈がさった後では、一応彼が主席だと思う。
ただそんなに強い基盤をもってないし、そもそも自分が1歩引いてでも、
全体の意見を「調停」「融和」を目指すタイプだから、どうしてもそういう印象を受けるけどね。
大久保とはタイプが違う者の、最高クラスの宰相だとは思うよ。
戦後の日本の首相は、格が少々劣るけど、ほとんどはこのタイプだしさ。

あと、伊藤閥、山縣閥が、のちの明治政府の2代派閥だから、派閥のボスという意味ではボスかと。
事実上、この二人が一致すれば、他のものも反対できない、たとえ天皇ですら。
>>315
そのとき山縣も、児玉の暴走を叱り飛ばしているのを忘れないで下さい。
>>316
統帥権干犯は伊藤どころか、当時の憲法学者の誰もが思っていなかった、曲解であって、
それをもって、伊藤を非難すべきではないと思うが、
つか統帥権干犯で問題だと言い出したのは、当時野党だったた政友会、
軍部じゃないんだよね。政友会を作ったのは伊藤とも言えるから、そういう意味では罪だといえるが。
322日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:53:00
>>315>>316
お前のレスだけでも随分興味深い。結構、木戸の精神も受け継いでたんだな、伊藤は。
その統帥権の干犯さえなければな…。実務的にはやりやすいから(自分なら対抗できたから)
とかで、作ったのかもしれんが。この辺が木戸との違いか。木戸なら多分、そのような憲法には
おおいに反対しただろうな。

木戸の凄いところというのは、皆がいけいけ押せ押せなムードでも冷静に先を見通して、
水を差せる所だと思う。
さらに、後世から見ればこそ分かることだが、その先の見通しが結構当たってる。
だが、その見通しが先すぎて、いけいけ押せ押せの連中に水を差しても、それに共感を
覚える者は少なかっただろう。この辺が、木戸と実務官僚のそりが合わん部分だろうな。

そういや、伊藤は、韓国からは初代総督府のトップとして、鬼のように嫌われてるが、
実際は、武力的な韓国併合は反対してたんだっけ?
323日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:56:41
>>316
>比して、山縣の作った軍部大臣現役武官制なんては、山縣にはあまり先見の明がなかったことを現してる。

それはどうだろうか、実はあまり知られてないが、最初に作られたときは、山縣自らが、
この現役に限るという一文を削って、軍部大臣現役武官制を自ら葬っていた。
だが、その後最初の政党内閣ができたときに、山縣はこいつらには任せられねーと思い、
正式に軍部大臣現役武官制がつくられたという経緯がある。
国防だけは政府から分離させたかったわけ。
これは昭和期の軍部の暴走を考えると、確かに失敗のようだが、
政党政府が、軍部よりも暴走しないという保証はないんだよね。
実際山縣存命の間は、タカ派で対中強硬論なのは政党で、軍部とくに山縣は日中友好論者でハト派だったりするわけ。
対華二十一ヶ条の要求を押しつけたのは、大隈内閣で、それに反対していたのは山縣だったしね。

シビリアンコントロールを否定しているわけではないが、
ヒトラーが軍部の反対押し切って、あっちこっち戦争ふっかけたり、
ブッシュがアラブで火遊びしているみたいに、政党が無茶なことをしていることもあるのよね。
324314:2005/11/18(金) 00:03:18
>>321
なるほど。
そういや、何か、歴代の総理に点数つける本で、98点付けられてたよ。
(最近の総理の点の付け方が気に食わなかったんで買わんかったが)
山縣な、なんでだろう、山縣はかなり悪人なイメージがある。
三浦ごろうの回顧録の、前原との喧嘩エピソードとか読んだら、結構ものの
分かったいいタイプにも見えるんだが。それ以外がな。

あと、伊藤は女好きでだいぶん点数引かれてる気がするな。
なんか、鹿鳴館で婦人に迫ったとか何とか、新聞に書かれた事があるらしいが。
女好きでも優秀ならいいとは思うがね。今の政治家にとっては、結構致命傷か。
325日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:22:21
>>323
316ではないが、それでも、軍部が直接暴走するよりはよっぽどいいと思うんだよ。
長い歴史を見るに、人間の性質的なものを見るにな。
ひとつには、シビリアンコントロールであれば、その方向性が間違う可能性はあるにせよ、少なくとも
国益やら周辺諸国との微妙なパワーバランスやら、大義名分やらを考えたりしながら、
行動を決めることになる。
この、国益やら周辺諸国やらを考えるというのまで軍部にさせるべき仕事だろうか、というのが問題だ。
もし、軍部にまでこれを求めるなら、軍人というのは高度に政治的な思考やらが要求されることになる。
もちろん、それが出来る者もいるだろうが、それができるものでなければ軍人に(軍人のTOP)になれない
制度が作れるかと言うと難しいだろう。
実際、山縣自身は戦争好きじゃなかったとしても、その山縣が作った権力というのは、後の重大な禍根になってる
のも事実で。
それ以外にも、軍人に余計な資質が求められることで、純粋な軍としての力も弱くなりそうな気もする。

また、民主主義下のシビリアンコントロールであれば、その方向性に少なからず国民の意見は投影される(国会議員を投票で決める以上)が、
軍人を国民が選ぶわけにはいかないから、国民の意思が完全に無視される可能性もあるわけで。
(国民の意思が絶対正しいとは言わんが)

やはり、シビリアンコントロールは必須だと思うな。
326日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:58:13
>>325
俺も理念としては、シビリアンコントロールを支持しているよ。
それが民主主義ならさらにいい。

ただし歴史をみる限りでは、政府の暴走も、軍部の暴走も、
同程度に危険だと認識しているだけ。

山縣を弁護させてもらうと、というか山縣の視点で歴史をみてみると、
山縣の言っていることは結構納得できるのよ。

そして権力ってのは、その時代時代の運用にあって、
制度を作った、前例を作ったものを、必ずしも責めるべきではないと思うのよね。
このあたりは、伊藤弁護にもなるんだが。
軍部が暴走したのは、戦争で負けたのは、(政府も一丸となっているので、ここには少し異論があるが)
憲法に欠陥あったからというのは、その当時の人達の責任転換にしかみえないんだな。

江戸幕府が滅びたのは、家康や家光の責任とか言っているようなもんだし。
327日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:29:43
例えば、今は、みんなシビリアンコントロールを支持してるでしょ?
それには異存はないと思うのよ。この山縣のことやらを考えるときに、現在におきかえてみたらどう?

今、日本の自衛隊が自衛軍、防衛庁が防衛軍になろうとしてる。
防衛”庁”ってのは省より格下なんで、予算請求とかでかなり悪い扱いを受けてる。
アメリカでは、大統領 国務大臣 国防長官、の順くらいで、かなり重要ポジだ。

中国が、泥棒の如く、堂々と日本の油田を盗み、さらに尖閣、最後は沖縄まで奪おうとしてる。
韓国如きに竹島を奪われて、文句も言わない。現政府には不満はある。特にロシアの傲慢さに。

そんな中、アメリカの戦略も、最大の目標を、自国のみの防衛というものに切り替えた。
911の影響でだ。米の民主ならもっと内向きになる。アメリカは世界の警察から、まずは自分を守ることに戦略転換したのだ。
小泉は、アメに捨てられないように、日米同盟強化の為、集団的自衛権を使えるようにしようとしたりしてる。
アメリカは自分を守る気がない奴等や、アメリカにとって同盟する意味がない奴等を防衛する義務をなくそうとしている。
韓国が今見捨てられかかってるし、ドイツもそうだ。だからコイズミは必死なのでだ。
米軍再編も、陸軍司令部が来たことに米軍との一体化がますます進むと批難する向きもあるが、
実質的戦力はグアムへ撤退をしており、海兵隊も減り、空軍司令部は日本の哀願で残ることになった。

この防衛省への防衛庁からの格上げは確実に軍というものの占める割合が増す結果になる。
現在、日本の防衛予算は5兆だ。国家予算80兆からみれば極端にすくなく、
中国は10兆といわれており(公称2兆)、アメリカは軍事予算は年間40兆だ。

しかし、軍の発言権が増すことは、長く先を見越せば、シビリアンコントロールから逸脱する切っ掛けになるかもしれない。
今、私は自衛隊から軍への昇格を支持するし、防衛省への格上げも支持するが、この事が、
後の世から見れば、非常に愚かなことだと糾弾される時代が来るかもしれない。
後世から神の視座で見れば、山縣を批難できるかもしれないが、それと同じことをしてるかもしれないという自覚はあるだろうか?
そして忘れてはならないのは、日英同盟を廃止した歴史的大失敗である。
328日本@名無史さん:2005/11/18(金) 08:36:43
山県に関しては、参謀本部を作ったり軍部独走の下地を作ったことには、
間違いないけどな。まだ、維新の元老達が生きていたころはシビリアンコン
トロールができていたから問題にならなかったが。
329日本@名無史さん:2005/11/18(金) 09:17:51
>>327
>私は自衛隊から軍への昇格を支持するし、防衛省への格上げも支持するが、この事が、
後の世から見れば、非常に愚かなことだと糾弾される時代が来るかもしれない。
 そのことと、山縣を比較するのはおかしいだろう。今の時代は、最高司令官は
首相だし、防衛庁の長官も文官である。国防軍になったから、軍が政治に口を
出せるわけでもないだろう。


330日本@名無史さん:2005/11/18(金) 10:49:58
小泉はアメリカの糞食い便壷男だから
アジアで好き勝手できるんだろうねwwwww
ちょwwwwwwwwwwwwwwうはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww













wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
331日本@名無史さん:2005/11/18(金) 16:13:27
>>329
あくまできっかけとしてだよ。

山縣らだって自分達の時代に駄目にしたわけじゃない。
在命中は山縣ひとりでも十分押さえが効いた。でも、きっかけは山縣だし、その事で今でも批判する人は多い。

しかし、結局は、山縣らの責任というよりは、その後の政治家の責任であるということ。
木戸幸一とかも、やっぱ軍人のテロ暗殺段にビビッてたらしいし。そういう軍部を野放しにしたその前の時代の政治家、国民、
そしてビビッて何も言わなくなった木戸ら、昭和の政治家の責任であるし、それはマスコミもそうだし、国民もそう。

防衛庁の昇格で、極端な軍国主義化が進むとすれば、その程度の民衆と政治家しかもちえなかった国民の責任だ。
国民の成熟度が足りなかったんであろう。
それは国民全部の責任であるし、我々は、そのような極端な軍国主義に走らないという自信もあるし、良識もあると思う。

しかし、現状の防衛政策が間違ってることは明白で、報復用戦略核とはいわないけど、
相手の基地を叩き潰すトマホーク巡航ミサイル等を配備し、不穏な動きを見せる北朝鮮等に対して、
専守防衛としての先制攻撃を行える普通の軍隊にするのは当たり前。
現在配備中の空自のF-4EJなど、社会党の馬鹿のせいで、給油機構を、余分な金を支払って取り外し、日本に配備されたのだ。
イワク、空中給油を受けることは侵略の証でアジア各国が疑念を持つ!と。もうね。アホかと・・・・

すべての物事は、バランスこそが大事であり、過ぎたるは及ばざるが如しである。
そのバランスこそ一番大事な政治家の資質ではないかな?
そして今のところ、コイズミも安倍も麻生も普通に戻そうとしてるだけで、バランスは取れているな。
332日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:49:53
山県の面白さはは物凄い官僚組織と軍を握っていながら、
現実から乖離した政策は全く行わないところにあるな。
「タイミング」だけ待てばいつでもできるという立場にあった。

大正末年から政治勢力化した軍の将校たちは、
外務・大蔵・内務などのエリートからは野蛮人扱いされ
国民からもちょっと馬鹿にされたところがある。
本人たち以外には分からない圧迫感を感じていたんじゃないかな。
そういうのが鬱屈して昭和初年にテロ・クーデターという形で噴出。
政府・軍首脳部の対応のまずさが彼らを増長させ、
アジア主義だの八紘一宇だのという妄想をドンドン大きくさせていった。
やることが現実からドンドン乖離していく。

イジメられっ子が「俺はこんな事だってできるんだっ!」と叫びながら
ダイナマイトを投げまわっているような感じだ。
カスだ。
333日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:44:47
';::::::::,、、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;::::::-‐-ッ::
           ';::::;' ,-'´ > 、::::::::::::::::::::;;;、−' ´ヾ、  /::::
.           ,,-" ,,‐"   ヽ、;:-1''´      ヽ /::::::
         ,,-" i ,,"       l    ,      `、ゝ、::::
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.      ,,-   ヽ''__  ::ヽ    l,/          '、
      ,."     ,,゙ヽ, ミ、、:::}    l     _,,----ミ  '、
     ,.'     ,'  i ヽミ'.、、   /.l  _,,,、-;=;;==‐,z   '、
    ,′    ,'  l  ヽ`='ゞ、ヽー'イ''~ヽー`='--イ    '
.    '      l!   l   //    l! ヽ、         .'
   ,′     l!   ',    /    ゙i   ヽ、       '
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.   ;      .l!     '、 /       ゙i        /::: l
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    ',      ',     く __ _      ゙i     i:::.  i゙
    '、     ',      ヽ        ゙i     i::: /
.          ',      '、 ヽ-‐‐‐‐---一
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334日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:11:32
防衛庁が省に格上げされたぐらいで、どうにかなんのか?
335日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:20:17
>>332
官僚と軍、さらに貴族院を掌握することで、
政府の暴走を防いでいたんだよね。
そして官僚、軍、貴族院の暴走も防いでいる、
軍が命令を聞かない時には、説得にいっているし、
貴族院が予算に反発したときには、説得にまわっている。
官僚にしても同じ、好き勝手しないように終始目を光らせていた。

独裁者は国を正しい方向に導くこともあるが、
独裁というシステムの問題点が後年でてきたというべきか。
いや独裁というより、統制がきかないシステムというべきか。
軍部ですら独裁できなかったのは、戦前の日本。
336日本@名無史さん:2005/11/20(日) 06:00:06
駄目だな、明治後期にの話題にはいると食付きが悪くなった。

恐らく、明治初期はそこそこ知ってるやつが多いんだろう(飛ぶがごとくよんでるからな)
しかし、明治も日露の後となると急にみんな知識が薄くなる。
ましてや大正とか、昭和初期となると・・・・・・・・

まぁ誰でもしってる大久保に話題を戻すか。
大久保の息子が牧野なんだけど、誰か牧野の偉大さを教えてくれ。
337日本@名無史さん:2005/11/20(日) 08:57:56
伊藤博文の子供は政治家なんかにはならんかったのか?
338日本@名無史さん:2005/11/20(日) 09:47:52
養子も孫も一応、貴族院議員ですけど。
339日本@名無史さん:2005/11/20(日) 10:00:38
思いつく限りで「権力」を世襲したのは一人も居ないな。
340日本@名無史さん:2005/11/20(日) 10:46:11
明治の元勲の2世は何もしなくても自動的に貴族院議員になれるが、
たいていは宮内省に入って、政界からは距離を置いてる。

伊藤や井上の養子は式部長官。伊藤の孫は掌典、山県の孫は侍従。
井上の孫は軍人で曾孫は歴史学者。大久保の直系の孫も歴史学者。
341日本@名無史さん:2005/11/20(日) 10:54:53
近いので寺内正毅・寿一親子か。
342日本@名無史さん:2005/11/20(日) 11:09:08
西郷隆盛→寅太郎(陸軍大佐)→吉之助(法務大臣)
大久保利通→利武(大阪府知事)→利謙(大学教授)

木戸孝允→孝正(東宮侍従長)→幸一(内大臣、A級戦犯)
山県有朋→伊三郎(逓信大臣)→有道(侍従)
伊藤博文→博邦(式部長官)→博精(掌典)
井上 馨→勝之助(式部長官)→三郎(陸軍少将)→光貞(大学教授)
343日本@名無史さん:2005/11/20(日) 11:35:04
>>339
北チョンの現豚将軍
344日本@名無史さん:2005/11/20(日) 12:10:43
キミはきっと朝鮮脳、間違いなく朝鮮脳。
明治の元勲中にきまってるだろー
345日本@名無史さん:2005/11/20(日) 17:18:19
おもろいね
346日本@名無史さん:2005/11/24(木) 05:15:57
大久保age
347日本@名無史さん:2005/11/24(木) 08:11:03
大久保は、鹿児島では不人気だが、評論家には人気があるね。
348日本@名無史さん:2005/12/01(木) 03:10:19
良スレあげ

みんなよく知ってるなぁ
関心するわ
349日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:50:21
350日本@名無史さん:2005/12/03(土) 23:53:37
351ミハエル・ヴァスコヴィッチ・キム:2005/12/05(月) 17:01:45
アンジュングンは、
伊藤博文こと林利助なる百姓の小せがれによって殺された、
無数の幕臣、公卿、長州藩士を含む他藩の藩士、英米外交官、
東学党員、清国兵、義和団、ロシア帝国兵、愛国義兵らの仇を討った、
世界平和の守護者にして、神の指先である
352日本@名無史さん:2006/01/01(日) 18:58:48
>>129
>同じ、大久保賞賛系でも、徳富ソホウの近世日本国民史77〜100あたりが、史実史料としても重宝できてお勧めか。

77〜100ってページ?
つーか、どの本のことかよく分からないんだけど。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-6939586-1144343
353352:2006/01/01(日) 19:00:44
354日本@名無史さん:2006/01/01(日) 21:00:10
>>353
77〜100ってのは、巻数のこと。ちょうど明治初期(〜10年)までの歴史を書いている。
リンク先のは復刊版だから、対応はどうなってるか分からん。

徳富自身の見解も多く入っているので、全部そのまま鵜呑みで史実とは言えんが、
一級史料である日記や、歴史人物に直接話を聞いた逸話などが数多く引用されているのでお得。
355日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:24:20
薦めてもらったのはいいけど、入手しづらい本が多くて。
結構高値がついてしまってるのも多いし。
これじゃ、自由に図書館を利用できる学生か、よっぽど熱心な人じゃないと読めなさそう。

もっと入手しやすい本はないんでしょうか?
356日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:43:10
竜馬て作られた英雄ていうか過大評価されてるじゃん。それ自体は別にどうでもいいんだけどドラマや小説だと竜馬を英雄視するあまり大久保を悪者小物にしていることがホント多いよなぁ。
357日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:50:07
実際には大したことしてない竜馬を過剰に持ち上げるために大久保という真に偉大な大功労者が悪者扱いされてるのは悲しいことだよ
358日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:51:48
なぜ竜馬・・?
いまだに私もわからない

なぜ、そんなに竜馬がすごいのだろう・・・・

もっといっぱい功労者は居るのに
359日本@名無史さん:2006/01/03(火) 17:13:42
大久保に関しては、西郷を殺した負のイメージと、結果的に独裁政治を
おこなったということで評論家以外には、印象がわるいんだろうがな。
竜馬は話になりやすいだろう。

360【 ´,_ゝ`】プ:2006/01/03(火) 17:14:25
361日本@名無史さん:2006/01/03(火) 19:02:22
>>358
自由人ぽくて、痛快なストーリーの主人公にもってこいなんだろう。

ちょっと違うけど、チェ・ゲバラって西郷隆盛と坂本龍馬の要素両方持ってて人気があるように思える。
西郷に比べると、大分小粒だけど。
362日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:13:06
ゲバラは医者。教養のある知識階級出身だよ。
西郷や坂本のような下賎なチンピラと一緒にするなボケ。
363歴史大得意:2006/01/03(火) 20:34:08
〉〉359さんは確かにそう言えてますね。明治政府は弾薬を運び、反乱の時に
つかえなくしようとしました。しかし士族達はそれにムカーーーー〈♯`A´〉ーーーーッ!!
となって弾薬を奪っていき、それが原因で西南戦争(1877年)が起きました。
これは士族達が悪そうですが、反乱の時に使えなくしようとしたのは政府、つまり
大久保利通です。これではまるで士族に悪行をなすりつけてると同じ!!
士族にもいい生活を送らせろ!
364日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:21:03
大久保を詳しく知っている人は、この人のことは悪くはいわない人が多い
365日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:35:34
なぜ大久保はホモだちの西郷を抹殺したか?
366日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:54:37
坂本龍馬は小説家が作った英雄じゃないよ
松平春嶽の『逸事史補』にも龍馬から懇切な忠言を受けたと書いてある
367日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:00:37
坂本龍馬はグラバーのパシリ
368日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:12:42
マルクス、レーニン、ゲバラ…
世界的にみても一流の革命家はみな体制側の富裕層から出てる。
彼らは体制側の知識を総合的に受け継いだからこそ、
社会を根底から変革する思想を身に付けることができた。
幕末の日本において「革命家」と呼べる人物がいるとするならば、
それは小栗上野介くらいだろう。
薩摩や土佐のような文明から隔絶された非抑圧エリアからは、
テロリストが育つことはあっても「革命家」は産まれない。
369368:2006/01/03(火) 23:17:00
訂正:非抑圧エリア→被抑圧エリア
370歴史大得意:2006/01/04(水) 21:54:40
なんか話がズレてんじゃないですか?
少し本題に戻しましょう。1878年、大久保利通は士族達に殺されてしまいました
(紀尾井坂の変)。
士族の方もそんなに大久保を恨まなくていいのに・・(⊃;A`)。
371日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:38:39
>>366
でも、そのシュンガクさんが明治維新の父母と語ったのは、大久保と木戸だった罠。
どんなに弁護しようとも、竜馬がゆく、が坂本龍馬の代表的小説であるかぎり、過大評価
ということは否定できない。
まあ、それいやあ、大久保も翔ぶがごとくで大プッシュしてもらえたのにな。
竜馬より爽やかさに欠けたのがいかんかったのか。

>>370
それは仕方ないかもな。
実際に、それが国のためとはいえ、維新のために命をかけた士族を痛めつける政策を行い続けてたのは事実。
だいたい、西郷も木戸も死んだせいで大久保にまともにものが言える人間が一人もいなくなった状態だったので、
西郷の恨みがなかったとしても、遅かれ早かれ「出る杭は打たれる」の法則で殺されてたかも。
372日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:31:25
 士族の方は、家禄を没収されたり、徴兵令、帯刀禁止などで不満がたまったている
から明治政府の頂点にいる大久保に不満をもつのは、当然の成り行きだな。
 
 
373日本@名無史さん:2006/01/08(日) 17:26:42
>>368
まあマルクス、レーニンの現在の評価の低さを見れば、西郷のうなぎ登り人気は羨ましいのも分かるけどね
374日本@名無史さん:2006/01/08(日) 17:34:12
明治維新ももう少し緩やかにやれば良かったのにね。
開明派の藩主達を使えば、農民にも士族にもここまで被害が出るやり方にならずにすみそうなのに
まあ、IFだから別の問題が出ただろうけどねw

>>370 他の同僚である政治家達がしこたまお金を溜めて、士族を省みなかったからねぇ
その親分だと思われてるんだからwそれに、征韓論とか士族の見せ場を矢面に立って否定したのも恨みの原因かも。
板垣とかならそれくらいのこと他の士族達に話しそうだし
375日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:05:32
西郷南洲遺訓の文明うんぬんの下りは何度読んでも泣ける。
小林よしのりもえらく感銘を受けたようで何度も繰り返し引用してたな。
376日本@名無史さん:2006/01/09(月) 22:54:44
ココはじめて見つけた・・・。
そして、オーベルシュタインの原型は大久保卿だったのかと今更気づいた・・・。

大久保卿は偉大すぎる
刀持ったチンピラやくざを解体して、警察と陸軍海軍の原型を氏族農民に捕らわれず作り上げた
武士って聞こえはいいけど、実際は外人を礼儀知らずだと切り殺したり、金目当てに暗殺したりするマフィアの側面もあると思う
かっこいい面を強調するのじゃなくて負の面が及ぼす影響をみきって士族解体を断行した大久保卿は素晴らしい

嫌われても知ったことかという常人離れした感性も超人的
紀尾井坂で暗殺した馬鹿=テロリストはマジで国賊!
377日本@名無史さん:2006/01/10(火) 13:11:14
ここは良いなぁ^^さすが大久保閣下の話題だと腐臭が全然しなくて良好だ。新撰組関係の腐ばっかのクソスレ見た後だと心が洗われるな。
378日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:04:48
>>374
>明治維新ももう少し緩やかにやれば良かったのにね。
まあ、開明派藩主なんて、全国のうちごく少数しかいないんだから、利用するってのも非現実的か。
緩やかに…という部分で、大筋の目的は同じだった大久保vs木戸の構図が出来てしまった訳で。
この二人がもう少し意見の擦り合わせをしてれば、ベストだったように思う。
>他の同僚である政治家達がしこたまお金を溜めて
他の同僚全員がそうしてたわけではない。維新三傑全員、金について奇麗だったのは有名な話だ。
ただ、大久保の場合は同じ薩摩の西郷と比べられたため、必要以上に贅沢してるように見られたんだろう。
実際は国の借金を自分名義でするほどの人物だったのにな。
379日本@名無史さん:2006/01/11(水) 20:11:25
大久保と木戸は人間の性質が違いすぎるからな。
木戸は理念がない政策と思えば全く協力してくれんし、
大久保は効果がないと思った政策や法律には一瞥もむけん。
もめますわ、
380日本@名無史さん:2006/01/14(土) 21:47:49
だけど、協力する必要があるときは、私情をこえてやっていたから
たいしたもん
381日本@名無史さん:2006/01/20(金) 00:07:48
木戸と大久保って性格優しくね?資料とか見てそう思った。
逆に西郷、板垣あたりが冷酷そう。
岩倉、伊藤は微妙というかワカラン。
資料見た自分の感想と、小説の描写が全然違う・・・
382日本@名無史さん:2006/01/24(火) 03:55:01
物凄い良スレ。

大久保の事を良く知ってる香具師が多いな。

龍馬の過大評価(実際、凄いが)が、本当に忌々しく思う今日この頃。
383日本@名無史さん:2006/01/24(火) 12:36:21
ドラマ・小説・漫画でしか歴史を知らん人多いからな。
芸能人の「歴史好き」のほとんどは「今、司馬遼太郎の小説読んでます」みたいなのがほとんどみたいだし。

経済・経営・国際関係論の基本も知らん奴らが単品で小説読んで「歴史を知っています」
「歴史好きです」みたいなことを言っているのをみると勃起してしまうわ。
384日本@名無史さん:2006/01/24(火) 22:32:45
このスレ読んでたら勉強になります。
腐女子や厨房がいないから、安心して読めるし。
385日本@名無史さん:2006/01/25(水) 21:09:29
>>381
「友人」を大切にするのが木戸
「部下」を大切にするのが大久保
「舎弟」を大切にするのが西郷

当時の人の日記とかを見ているとこういう感じがするな
386日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:08:14
伊藤は変態ロリコンだったんだろ
387日本@名無史さん:2006/01/26(木) 00:26:40
強姦魔だし。
388日本@名無史さん:2006/01/26(木) 15:37:01
伊藤が岩倉の次女を強姦しようとしたというのはガセビアです。
389日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:59:19
伊藤は、代役が効くが、

大久保に代わり得る人物は見当たらない。
390日本@名無史さん:2006/01/26(木) 17:11:22
西園寺公望なんて「他の連中は居ても居なくても代わがナンボでも居たからどーでもええねん。
せやけど大久保ひとりが欠けていたら維新は必ず失敗に終わったと断言しとくで。」
とまで言ってる。
391日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:45:28
大久保が行きテルなら、伊藤はいらないな
392日本@名無史さん:2006/01/27(金) 08:42:06
大村と大久保って接点あったのかな〜
人間としての種類が似ているようなきがして・・・
393日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:13:55
>>390
その意見にはおおいに異論がある。>>173以降、議論されてるからそっちを見ればいいだろう。
そんな簡単に代わりがきくような奴ばっかりだったら誰も苦労しない。
ちょっと考えただけども、西郷、木戸、(岩倉も多分)このうち一人が欠けたって維新は成立してないと思われ。
代役ったって具体的に誰がいる?
西園寺一人の発言のみを、事実のごとく取り上げるのもどうだろう。
(しかもごく一部。西園寺は老年に、「今にして思へば、木戸(孝允)、大久保、伊藤、或いは加藤高明、
やや落ちるが、原敬など、いづれもひとかどの人物だつた」というような発言を残している。この発言を
見れば、西園寺は大久保と同列に、木戸(孝允)、伊藤らを評価しているようにとれる)
>>391
生きてるような人物だったら、あそこまで絶大な存在感は無かっただろうな。
人情的にも非道と思えるほどの改革を冷厳に実行し続けたからこその存在感であり、
それによって暗殺という憂き目をみた。
もし、暗殺にあわないような生き方の大久保だったら、「大久保が生きてれば伊藤はいらない」
というほどの人物ではなかったと思う。
394日本@名無史さん:2006/01/30(月) 03:26:48
395日本@名無史さん:2006/01/30(月) 03:27:34
396日本@名無史さん:2006/01/30(月) 03:28:44
397日本@名無史さん:2006/01/30(月) 03:30:18
398日本@名無史さん:2006/01/30(月) 03:30:54
399日本@名無史さん:2006/01/30(月) 11:48:27
西南戦争の時、維新のために奔走してきた同志の西郷を
討伐する決断を下した時の心中は、察するにあまりあるものがある
400日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:34:28
みんな、伊藤を馬鹿にし過ぎ!
貧農→足軽→村塾→人斬り→士分→英密留学→藩内クーデター→倒幕→・・・
→初代内閣総理大臣!
こんな苦労人、努力家はなかなかおらん!(曾曾爺さんが朝敵、
備中松山藩士のをれが言うとるんや!)みんな、エロエロ言うとるが
エロエロじゃない男なんて逆に性的不能者じゃないか!
もっと、伊藤について学べ!なまはんかな知識で伊藤を語るな!
401日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:41:19
伊藤嫌いの司馬の影響だろうな。実は伊藤がいちばん凄いのにさ。
小説板ならまだしも、日本史板でこの評価はちょっと信じられない。
402日本@名無史さん:2006/02/12(日) 03:44:46
大久保は三沢から八戸迄15分で歩いた、と過去スレに有ったが
三沢八戸間って何キロ?そもそも大久保がこの区間を歩いた事あんのか?
403日本@名無史さん:2006/02/13(月) 04:06:20
直線距離にして何と約20`(現在の両市役所区間)!アリエナス
本当なのか!?
404日本@名無史さん:2006/02/13(月) 08:29:37
20`ならマラソン選手でも1時間くらいはかかるっつーの
45分とかなら「さすがは薩摩隼人」とか言えるけど徒歩で15分はありえないね。
ただ、大久保は全国をくまなく視察していたからこの地を訪ねていたのは当然。
余談ながら視察の主な目的は、無職の士族を入植させる農地に適した土地を探す為。
405日本@名無史さん:2006/02/13(月) 16:16:39
下肢全体の筋肉の断面面積が現代人の約7倍だったらすぃから20`30分位かな?
406日本@名無史さん:2006/02/13(月) 16:55:30
失業者救済の為に全国を猛スピードで走り回る心優しき筋肉独裁者萌え
407日本@名無史さん:2006/02/13(月) 17:06:05
20`を15分で走破だってよ。
大久保厨らしいアホな捏造だな。
408日本@名無史さん:2006/02/13(月) 22:30:02
単なる聞き違いかなんかだろうとは思うがな。
実態が醜悪な長州人じゃあるまいし、大久保ほどの人物を嘘で塗り固める必要は無い。
409日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:04:54
済世遺言を読むと「士族は最も憐れむべきであり、格別の庇護が必要」みたいな発言が記されてる。
冷酷非情なイメージは全くの誤解で、実は弱者を非常に慮ってる。

大久保はどこまでもバランス感覚の人なんだよ。

長州閥の連中が見境なく破壊した旧体制の後始末に奔走し、
その挙げ句に故郷を討伐し、親友を死においやり、
長州閥の汚職の巻き添えで誤解を受けて殺された。
410日本@名無史さん:2006/02/14(火) 00:09:13
じゃあ一体何分だったのかと
411日本@名無史さん:2006/02/14(火) 00:36:03
>下肢全体の筋肉の断面面積が現代人の約7倍だったらすぃから20`30分位かな?

大笑いさせてくれるな、大久保厨w
412405:2006/02/14(火) 01:05:18
>>411
過去スレに書かれてたんだよ。
413日本@名無史さん:2006/02/14(火) 01:28:08
長州人じゃあるまいし、こんな所で無意味な嘘を垂れ流す訳ないじゃん
414日本@名無史さん:2006/02/14(火) 17:00:15
>>409
一方的過ぎ。過去レス読め。
大久保がどこまでもバランス感覚の人だったら、暗殺はない。
大久保の元からの専制に加えて、西郷、木戸が死に、許されるバランスを超えて、
大久保に権力が集中した。世間からも、大久保にまともにものを言える人間がい
なくなったと思われた(それは事実でもあった)。
西郷殺しの私怨を除くなら、暗殺の理由はその辺だろう。

さらに冷酷なイメージが「全くの誤解」というなら、江藤斬首はどうなるんだ。
やはり、冷酷な部分はあったと思うが。
そして、その冷酷さも大久保の持ち味の一つだろう。

>長州閥の連中が見境なく破壊した旧体制
旧体制とは何をいってるんだ?漠然としすぎて意味不明。具体的に挙げてくれ。
長州が単独で破壊したような旧体制があったかね。

さらに言うなら、長州閥の汚職の巻きぞえで死んだなんて、どこの学説だよ。
既に突っ込まれてるが、薩摩にも汚職に近い事実はいくらでもあった。
大久保とて、官員名簿に薩摩藩士の数が多すぎることを突っ込まれたこともあれば、
黒田の妻殺害疑惑をもみ消したりもした。
それを加味しても大久保が清潔で偉大なる政治家だったことには間違いないが、
>>409の言い方だと、大久保は、長州に翻弄されて泣く泣く行動し、結局殺された。
というようにえらく脆弱に見える。
良くも悪くも大久保は意志の人だ。>>409のいうように、翻弄された挙句殺される
ようなことは無かったと思うが。
415日本@名無史さん:2006/02/14(火) 17:21:38
>>414
いや大久保の幼少から小納戸役になるまでのこと知ってたら十分時代に翻弄されているのが分かるはずだが…
416日本@名無史さん:2006/02/14(火) 21:28:00
維新後の事だろ?
417日本@名無史さん:2006/02/14(火) 21:29:49
チョン囚人必死だな
418日本@名無史さん:2006/02/14(火) 21:31:54
長州が余計な真似をしてなきゃ江藤も西郷も大久保もあんな死に方はしない
419日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:03:26
長州閥の貪官汚官吏のせいで清廉潔白な偉人たちが殺し合い。
政治腐敗だけが残った。
420日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:05:01
それをいうなら貪官汚吏ね
421日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:14:47
大久保も独立国状態だった鹿児島に手を出しあぐねていたのを、
木戸が「どうして鹿児島を征伐しないんだ」と難詰して西南戦争が始まった。
徴税もままならない状態は武力に訴えてでも是正しなきゃならないのは分かるけどさ、
大久保が事を荒立てずに事態を改善しようとしていたのを邪魔して余計な波風を立てて回ったのが木戸たちだよな。

どうも木戸にはそういう風に長州閥の利権の為なら酷薄な所が鼻につく。

前沢が反乱を起こす事も気付かずに伊藤と2人で参議に推挙しようとしてメンツ丸ツブレになるのを大久保の気遣いで救われた事もあるのに、
その返礼が大久保に西郷との殺し合いを急かす事なんだからその人でなしぶりには感心するよ。
422日本@名無史さん:2006/02/15(水) 01:56:41
>>421
前沢って誰だ?
423日本@名無史さん:2006/02/15(水) 02:19:25
>>421
なぜそれが長州閥の利権なんだ、
それは日本のためだろうが。
国家に服属せず、独自で動く組織が日本の中にあったらまずい、
それは大久保とて十分に理解していた。
ただ藩主や旧友との関係上、強くでれなかっただけ。

また木戸は藩閥政治嫌っている代表人物でもあるんだがな。
確かに部下には甘いが、他の諸藩からも積極的に人材を登用しているし。
地元の長州にも区別せず、かなり厳格な態度を貫いた。
地租改正は、長州で福島とともに日本で最も早く行われており、
薩摩が最も最後に回されたのを考えると、まず自分から正す人物だったのは確か。
前原の反乱も木戸自ら鎮圧しているしな。

ついでに前原を押したのは、政府に前原を参加させることで、
不平士族どもが祭り上げる御輿をとりあげ、反乱そのものを起こさせない為。
案の定大久保が反対して、参議入りが失敗したため、
前原は担がれて反乱してしまった。これは大久保の失敗例の一つ。
西郷や江藤を下野させて、反乱させてしまったのもこれと同じ失敗。
どれも事を荒立てずに、事態を改善しようとする意思がなかったのを示している。

自らが帰属していた藩への甘さ、そして事を荒立てて、起こさなくてもいい乱を起こしてしまう軽挙さ、
この二つは大久保の数少ない欠点だよ。
424日本@名無史さん:2006/02/15(水) 05:01:19
所で、田中河内介親子を殺ったのは結局どうなんだ?
マジ?ガセ?
425日本@名無史さん:2006/02/15(水) 10:57:54
まったくチョン囚人のウリナラ史観は度し難い
あのタイミングで大久保をせっつけば武力衝突は不可避である事を木戸が想定していない筈がない。
大久保はあくまで穏便に解決する道を模索していたのに、
木戸が故意に大久保の足を引っぱって事態を悪化させたとしか解釈しようがない。

最悪の事態を回避する為に思案していた大久保に詰め寄って身内贔屓との難癖をつけた木戸はクズだよ。
426日本@名無史さん:2006/02/15(水) 12:39:30
>>425
>大久保はあくまで穏便に解決する道を模索していたのに
江藤やら他の反乱にはむしろ徹底的な武力制圧で望んだ大久保なのに…。
やっぱり故郷は大事ってことかな。

征台論にしても、征韓論に反対して江藤を斬首しておきながら、鹿児島士族
を宥めるためにやったっていうし…。

江藤の斬首とか、反政府に対する徹底弾圧をしてても政府を守るべきだからそうやったと思ってたけど…。
西南戦争も、涙を呑んで政府のためにやったと思ってたけど…。

木戸にせっつかれてやっただけなんだ。

大久保って思ってたよりも、潔白な人間でも、意志力の人間でもなかったのかなぁ。
427日本@名無史さん:2006/02/15(水) 15:13:07
>>425
>大久保はあくまで穏便に解決する道を模索していたのに、
大久保だって穏便に解決する事が不可能なことくらい分かってただろう。
反乱はどうやったって回避できないのは認識していたし覚悟も決めていた。
大久保にとって予定外だったのは、西郷が担がれて想定以上に反乱の規模がでかくなってしまった事じゃないのか?
>>423
>自らが帰属していた藩への甘さ、そして事を荒立てて、起こさなくてもいい乱を起こしてしまう軽挙さ、
この二つは大久保の数少ない欠点だよ。
だが、起こさなくてもいい乱を起こしてまで不満分子をできる限りつぶしていったことで、伊藤たちはやりやすくなった。結果的には良かったと思う。
大久保は確かに薩摩には甘いところがあるが、自分はそういう欠点も人間味あって好きだがな。
428日本@名無史さん:2006/02/15(水) 15:21:19
故郷の知己と殺し合いをやりたがる訳ないだろ。

それでも木戸が弄する口実を正論と認めるしかなければ、私情を捨てて鹿児島を討つ。
これほどの清廉潔白さは無い。

そして木戸は大久保が公正無私ゆえに西郷と殺し合うのを百も承知で大久保をせっついた。
見下げ果てた人非人だ。
429日本@名無史さん:2006/02/15(水) 16:14:41
>>428
うわー;
やっぱり大久保は木戸のいいなりになって西南戦争始めたってこと?
何か、大久保のイメージガタ崩れ。

いくらよくできた論でも自分で納得できないことは頑としてしない。
だからこそ、論述の申し子江藤とかでもあっさり斬首しちゃったんだと思ってたんだけど…。

逃げられないような正論だったらともかく、「木戸が弄する口実」とか言えちゃうような程度
の論だったら論破してくれよーと思う;
だいたい、論破しなくても、あの時期、木戸には実質的権力ってなかったんだし。
口実程度の論なら無視すればよかったんじゃ…。

それともやっぱり木戸の論っていうのは、逃げられないような正論だったってこと?

どっちにしたって、木戸のいいなりってことになるじゃん;
だったらまだ、木戸の論が逃げられないくらい正論だったと思いたい…けど、>>428
人の書き込み見るとそんな感じじゃないし。
でも他の人のはそうでもないかな…。

どっちにしても、自分、大久保に夢見すぎてたようで…。
過去レスもっと読み込んで勉強してこよう。
430日本@名無史さん:2006/02/15(水) 18:48:11
基本的に大久保は、政策を独断で決めるのを避けていた。
自分がとある意見に賛同する際にも、「それは御評定にかけましょう」としか言わない事でも示された有名な特徴だ。
木戸がどんな邪心を持っていたにせよ、正論を楯にとられてしまえば無視する訳にもいかなかった。
この一件は薩摩人の誠実さとチョン囚人の汚さを端的に表している。
431日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:07:06
木戸の邪心・・・

なんか、木戸には、気弱なインテリのイメージがあるんだけど。
432日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:27:18
>>430
まじで?
じゃあ、なんで、江藤の時だけ、三条さんとかの意見無視して斬首にしたんだろう…。
そんだけ、江藤に個人的恨みがあったとか?
うー;大久保が個人的恨みで動くような人とは思いたくないけど…。
でも、>>430の人の言うとおりだとすると、正論だったとしたら、裏に邪心があっても
それに縛られるような大久保(それって情けなくて嫌なんだけど…)が、法的にも人道
的にも正論でない江藤の斬首でさらし首とかを独断でやっちゃうんだから、よっぽど
個人的恨みがあったのかなぁ。

なんか、今日一日で自分の中の大久保のイメージが壊滅的ダメージを受けました;
裏に邪心がある正論なんて、論破なり無視なりしてくれる人だと思ってたのに。

それのいいなりになって親友を殺す決断までするなんてさ…
それって誠実っていうより無能なんじゃ…;

政治家としてたいしたことないじゃん!大久保って凄腕政治家じゃなかったの?
邪心ある正論なんて、突き崩し様があるんじゃないのかなぁ。木戸が大久保の絶対的上司とかならともかくさー;
単なる同僚じゃん。突き崩せなくったって、駆け引きとかできそうなもんだけど。
そのまま乗っちゃうなんて、思うツボに自ら飛び込んでいくようなもんじゃないか;
ちょっと大久保さーん、もっと根性みせてよ;;
433日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:37:37
だから、田中河内介・左馬介親子の殺害はマジなの?デマなの?
434日本@名無史さん:2006/02/16(木) 02:10:48
>>431
気弱なインテリが動乱の京を闊歩できるわけないだろうが。
官僚の広沢じゃあるまいし、って広沢もかなり激しい気性だったっけ。
435日本@名無史さん:2006/02/16(木) 08:40:24
>>431
気は弱くないけど打たれ弱い感じだな。
サンドバックになってから持ちこたえる力も相当凄いが。
436日本@名無史さん:2006/02/17(金) 17:08:16
>>436
>サンドバックになってから持ちこたえる力も相当凄いが。
確かに。うまい言い方だw
大阪会議以降、木戸の漸進民主の立場のため、急進民主派と保守派の双方から
バッシングされてた時の耐えっぷりは凄いものがある。
福沢諭吉に心配されてたのもこの時期だったかな。
437日本@名無史さん:2006/02/17(金) 19:15:15
>>434
でも、異名は「逃げの小五郎」でしょ。
438日本@名無史さん:2006/02/18(土) 01:41:24
>>437
それは桂が何度も際どいところで、死地から逃れたことから言われだしたものだな。
そういや、この異名は何が起源なんだろう。
だが、>>434も言っているように、長州人が見つかれば即殺される状態の京都で、
五卿やら仲間やらが逃げたあとも、後始末のため潜伏していたのは事実だ。
異名が「逃げ」であったとしても、気弱いということにはならないだろう。
死地をうまく逃れるだけで気弱いとされるなら、古今東西の英雄で気弱い人間
大量発生だ。

だいたい、「足音がしただけで静まり返った」「一睨みでその場を凍らせた」「その
威厳に圧倒されて目の前では言いたいことも言えなくなる」などと評された威厳の塊
大久保に対して、
臆することなく言いたいこと言いまくってたんだから、気弱いというのはありえないな。

そういや、大久保も、佐賀の乱では弾丸のとびかう所を平気で歩いた…というような
逸話を聞いたことがある。
ついでに、そこで水溜りに足をとられて尻餅をついたという逸話も聞いたことがあるような。

やはり、武士あがりの人間というのは多かれ少なかれ豪胆なんだと思うよ。
439日本@名無史さん:2006/02/18(土) 04:31:09
>>438
転んだのは、薩英戦争で敵艦隊偵察の為降頻る雨の中民家の屋根に上った時じゃなかった?
それを同僚に目撃されてて、一蔵はいつも好き勝手言ってるくせに英国艦隊を見たら腰を抜かしやがった。
みたいな事を言われて大久保は困ったそうな。



で、田中河内介・左馬介親子の殺害はマジなの?デマなの?
440日本@名無史さん:2006/02/19(日) 07:53:49
2月22日、竹島の日
『嫌韓流2』ついに発売!

45万部のベストセラー『嫌韓流』をまだ読んでないやつは、今のうちに買って読んでおこう
441日本@名無史さん:2006/02/19(日) 08:26:10
大久保が藩閥にこだわらなかったのは、維新後は、薩摩藩から浮き気味だったためで、l
薩摩人をあんまり使えなかったのも一因があるんじゃないだろうか?
442日本@名無史さん:2006/02/19(日) 09:09:30
で、田中河内介・左馬介親子の殺害はマジなの?デマなの?
443日本@名無史さん:2006/02/19(日) 10:24:44
正論を尊重して親友を討つほど公正な大久保が私怨で江藤を殺したと考えるのは無理がある。
大久保の命を狙って投獄されていた陸奥宗光を見れば分かるが、
大久保は自分を殺そうとした人間でさえ生かしておくべき人材と判断すれば軽い処分にとどめる。
江藤が無残な死を与えられたのであれば、その必要があったと解釈する方が合理的だ。

「権勢を振るった元司法卿であれ反乱を起こせば梟首」
という見せしめ効果を狙ったという所だろう。

名誉を重んじる武士に対しては切腹を許さない死刑という事も重大だしな。
444日本@名無史さん:2006/02/19(日) 17:16:15
で、田中河内介・左馬介親子の殺害はマジなの?デマなの?
445日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:27:32
殺す必要があれば、親友でも殺す。
殺す必要がなければ、自分の暗殺を企てる輩でも生かしておく。

それが大久保閣下だ
446日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:41:35
>>444
www必死だなwwwwww



で、田中河内介・左馬介親子の殺害はマジなの?デマなの?
447日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:50:03
荒らし?
448日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:26:47
護送船内部で槍でメッタ刺。
449日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:22:18
誰が?
450日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:23:20
>>439
ああ、そっちだったかも。

田中河内介・左馬介親子については、全然知らんからスルーしてたんだが。
大久保が暗殺指示したとかいう説があるのか?
451日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:59:01
大久保に消された田中親子なる人たちが居たという伝説があるのかも。どこの馬の骨だか分からんが
452薩人:2006/02/20(月) 03:14:29
>>450-451
取敢えずググれよ。
http://www13.plala.or.jp/shisekihoumon/shodoshima.htm

>>448に有るように、大久保自身が槍で突き殺して海に投棄てたという説があるんだよ。
下手人が違っても、又寺田屋事件の事も御側役の大久保が知らない筈が無いだろう。
別に大久保がブッ殺したって全然構わんが、事実は明かにする必要があるだろう。
453日本@名無史さん:2006/02/22(水) 10:57:39
次スレは大久保と伊藤を分けるべきだろ。
454日本@名無史さん:2006/02/22(水) 23:56:08
>>236
そう、結局のところ、欧米の武器商人が日本を動かしていた。
いまだにその構図は変わらない。
455日本@名無史さん:2006/02/25(土) 21:08:51
下らん陰謀説だな。
456日本@名無史さん:2006/03/08(水) 05:11:03
最近全然レスが付かんな。
457日本@名無史さん:2006/03/13(月) 10:06:47
大久保を伊藤などと比較するのは問題外。
大久保は近代以降最高の政治リーダーであり、彼を越える人間は現代まで
現れていない。

大久保の存在に比べれば、伊藤どころか西郷や竜馬も全然小さい。
まあこの二人の場合はキャラの濃い人気先行型といえるだろう。
もっとも西郷は維新以降の政治にはほとんど関わっていないし、
竜馬にしてもあくまで立場は裏方だったし、本当に大政奉還を考案
したのか・船中八策が新政府に本当に採用されたのかも怪しい。
458日本@名無史さん:2006/03/13(月) 17:33:49
>>457
竜馬の大政奉還「考案」というのであれば、完全な嘘だな。
大政奉還については幕臣から同様の提案が出ている。ただ、あのタイミングで実行しようとした
記録が残ってるのが竜馬なのかもしれん。
しかも、竜馬の実行しようとしていた大政奉還は、幕臣の提案だけあって徳川贔屓の案であり、
単純な無血革命案ではない。一般の竜馬マンセーメディアはこの辺をひた隠しにしようとして
いるように思えて仕方がない。

さらに、船中八策についても、これが新政府に採用されたという史料は残ってないはず。
ならば、なぜ船中八策が新政府に取り入れられたという説が出てきたかというと、
国是ともいえる五箇条のご誓文と、船中八策が似ている…とかいうものだが。
船中八策とは関係なしに似てて当然。
実は、船中八策は、ほとんど横井小楠と大久保一翁の意見書の焼き直しにすぎない。
そして、五箇条のご誓文の原文の起草者は由利公正。彼は、出身地の関係で横井の直弟子だった。
つまり師匠の意見を形にしたら、後世では何故か竜馬の意見ということになってたという罠。
さらに、由利自身の回顧においても、原文の起草において竜馬の影響を受けたという記述は全くない。
(横井のことも書かれていないが、これは師匠の教えを自分のものにしていたということだろう)
ちなみに、由利は他の政策(政府紙幣発行だったか)においては竜馬と話し合ったなど正直に書いている
ので、これのみ嘘を書いたとは考えづらい。

ということで、船中八策が新政府に採用されたというのは、怪しいというか無いんでは
ないかと考える。

459日本@名無史さん:2006/03/13(月) 18:03:14
竜馬の場合、世間で認知されている実績やキャラクターの半分以上が
司馬氏等による拡大解釈なんだよな。
460日本@名無史さん:2006/03/25(土) 14:28:08
司馬小説恐るべし。
ラジオ○西の「幕末フ○ン倶楽部」の龍馬マンセーのMCの話は
聞いてて痛い。
スレ違いすまん
461日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:15:50
ここは一蔵、俊輔のスレなるぞ!
462日本@名無史さん:2006/04/12(水) 01:12:49
458
完全とは言い切れないと思うが
確かに竜馬には司馬さんのイメージが付加されている感じも否めないな
463日本@名無史さん:2006/04/12(水) 03:05:04
大久保は早いうちに暗殺されちゃってあんのりって気がする
ついでに日本がアメリカと戦争したのはコイツが遠因だね

まあ近代の政治家ではわりとマシな方かも知れんが
464日本@名無史さん:2006/04/12(水) 19:24:17
偉人たる条件で最も重要なものは、
暗殺や事故・病気などで志なかばにして死ぬことだな。
死ぬのは早ければ早いほど良いし、
功績を挙げた時と死んだ時の間が空いてなければなお良い。
465日本@名無史さん:2006/04/12(水) 19:47:09
「伊藤公はよく人を馬鹿にするようなものの言い方をする人で」(幣原喜重郎著「外交五十年」より)

幣原に言われてたらシマイだな。。。
466日本@名無史さん:2006/04/16(日) 02:39:33
>1大久保と比べたら、伊藤なんてチンカス。なぜ紙幣になったのか。
467日本@名無史さん:2006/04/21(金) 11:31:59
大久保の死後60年以上経過した時点で始まった対米戦争の遠因とは何?
468日本@名無史さん:2006/04/28(金) 00:30:35
やれやれ。
60年も後の責任問われるとは。
60年も路線を変更できなかったほうが、まずいんじゃ?
469日本@名無史さん:2006/04/30(日) 01:50:41
>>466
処女千人切を達成したから。
470日本@名無史さん:2006/04/30(日) 06:37:07
竜馬は大久保より全然凄いよ

ただ武市先生に比べれば竜馬も大久保も西郷も木戸もすべて小物
471日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:15:44
武市先生って何やった人?
暗殺とか暗殺とか暗殺を配下にやらして、切り捨てた人?
472日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:24:27
新撰組(特に土方さんv)の萌えの素晴らしさに比べたら武市も坂本も大久保も桂も西郷も榎本もみんな塵芥も同然。
473日本@名無史さん:2006/04/30(日) 11:44:32
目的もようわからんけど、戦争し続けた単なる戦争マニアでは?<土方
474日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:49:17
武市先生には竜馬や中岡土佐郷士何百人も従ったほどの人望・勢力の持ち主

木戸や大久保や竜馬の個人的勢力はみみっちいもの
475日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:17:12
精忠組メンバーに比べれば土佐なんて皆クソ。
476日本@名無史さん:2006/04/30(日) 18:54:19
武市先生の凄さは、人望、勢力によると。
じゃぁ、池田大作以下だな。
477日本@名無史さん:2006/05/01(月) 12:44:39
>474毛利家や島津家以上に下士の扱いが酷かったから、強固に団結しただけだべ。実際に主君を動かせてないし、最期は切腹だしな。
まぁエセ名君の治下に生まれたのは不運だが。

てか山内家に名君などいないがなw
478日本@名無史さん:2006/05/04(木) 21:24:31
長宗我部サムライ、皆殺しだぁ
479日本@名無史さん:2006/05/17(水) 14:43:17
倒幕の志士を思う度に、人間の運、不運を感じる。
江戸時代、池田屋で新撰組相手に闘死した吉田としまろ!かたや
生き残って初代内閣総理大臣となった幼なじみの伊藤博文!
 志士たちがどんどん斬り殺されていく中で生き残った、木戸孝允、大久保利通、
井上馨、大隈重信、渋沢栄一、板垣退助、山県有朋、陸奥宗光、田中光顕・・・。
あげればきりがない。
 渋沢栄一なんて、もろ近代人やし、田中光顕なんて昭和14年まで生きとった。
ほんま人間の運、不運を感じる。ちなみに彼らと同世代の小林やと(日本人女性最高長寿者)は
昭和38年まで生きとった。世の中運や!
480日本@名無史さん:2006/05/18(木) 07:20:41
伊藤博文が好運だったとも思えんけどね。
責任の重さゆえに胃に穴のあくような思いを何度もすることになったし、
最期は頭のおかしいチョン公に暗殺された。
481日本@名無史さん:2006/05/18(木) 07:21:23
>479
おいおい、澁澤栄一を倒幕の志士に入れたらいかんだろ。
本人が聞いたら怒るぞw
482日本@名無史さん:2006/05/19(金) 21:36:37
>>481
一ツ橋の家来になる前は尊皇の志士で反幕だったけどな
483日本@名無史さん:2006/05/20(土) 10:33:54
明治維新を教科書や御用学者の著書で理解しても本当のことはわかるまい。
一度リセットしてもう一度調べてみたら以外な事実を発見するかもよ?
これではいつまでも間抜けなジャップから脱皮できないね!
今の日本も小利口な伊藤のような者ばかりですね。亡国も近いか?
484日本@名無史さん:2006/05/21(日) 03:08:09
>482
そのとうり。
高崎城攻略を目指すも、兄にとがめられ中止した事もある!
おそらく実行しとれば、江戸時代にちょんまげしたまま、
朽ち果てて、無名のままおわっとるやろ。
485日本@名無史さん:2006/05/21(日) 16:48:44
伊藤は恐露家で
日英同盟に反対してた点で減点
486日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:22:04
いつも考える。伊藤が志士時代、あの日の池田屋にいたら
逃げずに戦っただろうか・・・。
 俺は最後まで新撰組相手に抵抗したと思う。(幕府国学者
塙次郎、加藤甲次郎を自らの日本刀で葬ったくらいやし・・・。
その他にもイギリス行使館焼打ち、長州藩重臣、暗殺未遂など
あげればきりがない。)
487日本@名無史さん:2006/06/08(木) 15:43:30
大久保と伊藤
どちらが偉大かといえばそれは大久保に決まっている
内戦状態の近代日本誕生期を乗り越えたからな
あと人間の品が違う
度量がちがうんだよ

だが伊藤もいいところがある
大久保を見習ったところだ
長人特有の金への執着が少なかったことだ
そしてよく勉強していたことだ(この点は大久保より上かも)
しかしやはり非常なとき(日露戦争、ポーツマス条約時の責任回避など)
にまずかったのだ

結果、両人とも偉大であることにかわりはない
488日本@名無史さん:2006/06/08(木) 18:58:15
大久保って過大評価されてね?西郷は薩摩人に担がれて、大政治家として成り立ってたから生涯薩摩から離れられなかった。
大久保は薩摩を基盤にできないし、政府の高官であって始めて政治家として成り立ってたってだけで。
489日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:35:07
>>488
薩摩閥から離れて「政府」を基盤とした事が凄い、とは思わないの?
薩摩閥の上に乗っかった西郷には、地方蜂起をする程度の力しかなかったわけだし。
490日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:35:40
薩摩藩の小役人の頃から、名門中の名門に生まれた一橋慶喜と中央政局を左右する政治力で名を轟かせていたのが大久保だった訳だが。
491日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:42:03
西郷さんは大好きな人だ
おそらく自分が触れ合う機会があったら(何の情報もなく)
西郷さんを尊敬していただろう

しかし今評価するにその大西郷よりさらに大きかったのが大久保だろう
薩摩をときに否定し、現実だけを直視し続けた非情な決断の非情に多い
人だったけれども日本の近代国家が大久保を中心に造られたということは
実はものすごく日本人が誇ることなんだよ

外国人はよく「なぜ日本では大久保より西郷が人気があるのか」と疑問に
思われることが多いらしい
西郷を愛することは日本人の美質でいいことだが現実はやはり大久保の方
がはるかに信念、精神力、行動力といった点で西郷のしのぐのだろう

これが最近では常識的な考え方だと思うのだが
492日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:26:24
福沢諭吉と大久保利通について知るところを述べよう(記憶があいまいだが・・・)
まず福沢が民権家と単純に思われていることに誤りがある
かれはあくまでも政権と民権を分けて考えていた

大久保は福沢に一度か二度会ったことがある
その時大久保は福沢に流行の民権論は大いに結構ですよ、だが人民が団結して
政府に権利を争えばそれ相当の義務が人民に生じますよ、今の人民がそれだけ
の能力があるでしょうか、このような見解を福沢に述べたらしい

福沢はそれに対し大久保にこういった
自分は民権家のレッテルを世間に張られているが、人民が反政府となり大騒ぎ
になったときはこの私があなたに最も忠実な人物であるということがわかるはず
です、このように言っているのである

つまり福沢は人民の政治参加にはかなり慎重な意見をもっていたんだよ
福沢は大久保に、あなたは政権をより強化してください、私はその根底
にある人権の確立に力を注ぎます、と言った

大久保は福沢の印象について後に日記にこう記している
さすがに有名に恥じず実に面白き人物である、と

大久保は福沢の政治への登用を考えていたらしい
しかし、その前に死んでしまった

大久保と勝、これに対峙する木戸と福沢という単純思考はできないと思う
まあこういう考え方してる人がほとんどと思うけれど・・・
493日本@名無史さん:2006/06/09(金) 17:07:51
大久保って結局何したの?廃藩置県は西郷の力大きいし

軍事は大村、財政は井上や大隈、法律は江藤、なんか西郷追い出しただけじゃね?
清との交渉も西南戦争も元は大久保の責任だし
494日本@名無史さん:2006/06/09(金) 17:42:35
廃藩置県における西郷はただの抵抗勢力。
木戸はおろか、大久保の一割の功績すらないよ、
彼がいなければ、もっと速くスムーズにいっていた。
495日本@名無史さん:2006/06/09(金) 17:45:09
>>493
政府のためにした個人的な借金が死後発覚したこと。
幕末・維新にハマるような馬鹿に
税制とか財政とか経済とか法制とかわかりゃしねーんだから、
単純にこういう浪花節的な逸話のある政治家がウケる。
496日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:08:14
大久保は独裁者だよ
497日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:25:48
>>496
理解浅すぎ・・・・・・
もう少しお勉強しましょうね
498日本@名無史さん :2006/06/28(水) 19:33:45
>>496
私利私欲無き独裁者の何が悪い?
499日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:29:13
独裁者という捉え方は短絡的だお
500日本@名無史さん:2006/06/30(金) 19:12:52
で結局大久保の功績はなんなのかね?
西郷追い出して独裁者になっただけだろ
501日本@名無史さん:2006/07/01(土) 11:01:01
>>500
三冊くらい本(二回)読んで出直してきたら
教えてあげるよ
502日本@名無史さん:2006/07/01(土) 11:05:46
会津厨が紛れているな(w
とりあえず、☆や小説家の論考を鵜呑みにするなら
小説板に逝った方がいいぞ。
503日本@名無史さん:2006/07/03(月) 03:19:41
大久保は天才と言う印象は湧かない。非常に努力型で有り、秀才と言うべき。
504日本@名無史さん:2006/07/16(日) 02:52:07
大久保なおひこ
505日本@名無史さん:2006/07/17(月) 13:23:21
ものすごい人物だと思う。そういう時代背景だっとのもあるけど彼自身努力もしたと思う。天才とは思わないけど彼に匹敵する政治家はなかなかいないと思える。
506日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:23:57
大久保が紀尾井坂で暗殺された後、日本は暴走を始める。
あの石川藩士が大久保を暗殺していなかったら、日本は違う歴史を歩んでいただろう。
507日本@名無史さん:2006/07/20(木) 01:13:33
大久保は単に権力闘争に強いだけでしょ
508日本@名無史さん:2006/07/21(金) 01:15:08
大久保を暗殺した石川藩士は自分が日本の将来にどれほどの痛手を与えたか理解せずに死んだのだろう。
509日本@名無史さん:2006/07/22(土) 00:40:27
その石川藩士は何も考えずに大久保利通を殺したのではないか?
後世に評価される人物は、生きている時は評価が悪い。
510日本@名無史さん:2006/07/22(土) 08:11:03
大久保がやったことは謀略で政敵陥れて権力とっただけ
511日本@名無史さん:2006/07/22(土) 15:33:16
たとえば?
512日本@名無史さん:2006/07/23(日) 07:49:30
自分より権力のある斉彬・久光・小松・西郷に取り入りことごとく裏切ってる。
とくに独立した勢力のある西郷や、自分より知識がある江藤を恨み嫉妬し追い落としてる。
長州の木戸の勢力も切り崩したり、自分の思いどうりにならないと卑劣な手で追い落とす。
513:2006/07/29(土) 03:25:36
電波氏ね
514日本@名無史さん:2006/08/03(木) 18:19:27
明治時代の大久保に功績なし

伊藤博文>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>大久保利通
515日本@名無史さん:2006/08/04(金) 06:19:04
中央集権体制の礎を築いたのが大久保で、

それをもとに、帝国憲法。帝国議会。と、近代国家の体制を整えたのが伊藤。
516日本@名無史さん:2006/08/04(金) 07:10:17
二人とも日本をだめにした人間の屑
517日本@名無史さん:2006/08/05(土) 18:51:17
>>516
筑紫乙
518日本@名無史さん
日本の癌、それは東北人。