【石田三成】 関ヶ原の戦い 七 【福島正則】

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1日本@名無史さん
2日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:46:33


3日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:47:11

4日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:47:43

5日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:48:17
囲碁
6大和天狗:2005/08/20(土) 12:30:47
弟子よ
鞍馬天狗よ
西軍の作戦を考えることで
お前の徳川オタクが完成するのだ
そしてそこから卒業でき
お前は新たな一歩を踏み出すのだ
7日本@名無史さん:2005/08/20(土) 15:21:04
前スレの最後のほうの徳川軍の構成に関する話はなかなか面白かった
8日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:19:40
>>7
うーん。
そこまで弱体ではあるまい関ヶ原の徳川本隊は。

あれは西軍厨が西軍に勝算ありの理論をつくるのに
徳川隊が強かったら困るという理屈で編み出されたものとしか思えん。
9日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:18:00
まあ、使い勝手が悪かったのは事実だと思うけどね。
少なくとも後方での予備戦力としては全く申し分ない、
予備戦力が全く存在しなかった(あえて言えば島津の3千ほどのみ)
の西軍とは比べようもないのも間違いないだろう。
10日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:03:01
島津と徳川は烏合の衆。第一線では使えない。
最後まで使わないにこしたことのない戦力。
どうにもならなくなった最期のみに使う戦力。
11日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:16:57
島津は3千もいないだろう、
千5百くらいではなかったか?
12日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:27:09
>>11
島津は実数不明
13日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:23:25
島津どころか、東西両軍とも実数は不明だって
14日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:31:31
>>8
イマイチそっちの立場の根拠がわからないんだがなあ
前スレでも「家康は名将だから問題ない」とか「指揮官厨ウザイ」とか
わけわからん反論しか挙がってなかったし
15日本@名無史さん:2005/08/21(日) 02:28:07
家康の3万が精鋭なら、小早川の寝返りなど無くても勝てるはず
しかし
家康の3万が烏合の衆に過ぎないならば、小早川が動かないと勝てないだろう
16日本@名無史さん:2005/08/21(日) 04:14:26
家康本陣に3万もいたのか?
秀忠が3万8千,秀康他の宇都宮に1万5千〜2万,井伊と松平忠吉で6千
これだけで6万なんだが…
ちなみに関ヶ原前の徳川の石高は255万石

>>15
昼過ぎに小早川と4将が裏切るまではそんな悠長な戦況ではなかったが?
当初は毛利を警戒し押さえとして残していた有馬や山内を前線へ投入
までしている
手元の駒は全て使い果たし、後は自信が本陣を前線方向へ移動する以外
になかった
西軍はというと毛利や小早川という最大の駒が残っていたとも言える
毛利はともかく小早川と脇坂4将が西軍として動いたとして、東軍が
支えきれる理由が見つからないだろ
17日本@名無史さん:2005/08/21(日) 05:40:03
>>16
万石あたり300人で計算すると7万6千くらいまでいけますので。
秀忠軍も全軍が徳川譜代ではないし、
結城秀康は徳川とは別の大名として計算するので、
関東における徳川軍の数はもっと少なかったと思われるので、
大体そのくらいの範囲におさまるでしょう。
18日本@名無史さん:2005/08/21(日) 08:29:33
>>16
秀忠の率いた徳川軍を三万一千として、関東東海の守備に六千、
関ヶ原の別働隊に七千、赤坂守備に三千ほどとすると、家康の
兵力は三万弱となる。関ヶ原合戦記では家康の兵力を三万二千
としているらしいが、時期的に松平忠吉や赤坂の守備兵力を含
んでいる可能性があるので、二万五千くらいだろうか。
19日本@名無史さん:2005/08/21(日) 09:13:41
>>14
は? わけわからん奴だなあ。
なにがあろうが「3万の大軍」は「3万の大軍」で
その戦闘力がたいした事ないなんてありえないって言ってるんだよ。

「わけわからん反論」がどうこう以前に
あんたの主張自体が「わけわからん主張」なんだから、しょうがないだろうが。
勝手に一人よがりのソースに乏しい非論理的な主張しておいて
反論してきたら「わけわからん反論」とか返すのは意味がないぞ。

そもそも「関ヶ原の徳川軍の編成に問題があった」という主張自体が未だにソースなしなんだしさ。
まず、その主張のソースをURL付きで出してみろ。
20参考までに:2005/08/21(日) 09:57:20
第二次大戦での話しだが、
バルジ大作戦の時の米軍は通信が寸断され、ぐちゃくぢゃになった中で小部隊が各自の判断で戦い奮戦したし。
ドイツやソビエトや日本も各部隊の連携や通信がぐちゃくぢゃになった状態でも、良く戦ったというケースが多いぞ。

ちなみにドイツ軍の強さは下士官の優秀さにあると言われ、下士官が他国の士官なみに優秀だったと言われる。
第一次大戦で敗れたドイツは陸軍の定数に上限が授けられたため、
陸軍の兵員全員を下士官にする教育を行い。さらに最低でも小隊の士気を取れるように徹底養成したという。
ドイツはそのため第二次大戦が始まると優秀な下士官が各自の判断力を生かし優勢に戦えたという。
つまり係長や主任が優秀なら、そんなには中間管理職はいらない。

三河兵は歴戦の勇士で家康への忠誠が強く、戦意も旺盛だった。
小部隊の集まりでも他軍に遅れはとらないだろう。
家康は寄親程度の小身の武士の処遇や交流にも気を配ったというしね。
実際、徳川軍は一向一揆、姉川、対北条戦、対秀吉戦と倍する敵軍を撃破し続けた闘いが多い。
ちなみに三方が原でも損害は武田の方が多かったという説がある。
21日本@名無史さん:2005/08/21(日) 10:05:32
長々、書いたが
別に中間管理職の有無がそんなに組織の優秀さには影響しないという事だ。
実際、社長・重役の下はすぐに係長クラスといった、合理的編成の会社も最近、出てきていると聞いた。

例え小部隊であろうと、それぞれが忠誠心高く旺盛な戦意と優秀な指揮能力のある武士が率いていれば問題なし。
歴戦の徳川軍には見事にそれが当てはまる。

結論
関ヶ原の徳川本隊は大身の武士が少なく小身の部隊の集まった超精鋭部隊であった。
少なくとも小大名でしかない真田一つ排除できないような秀忠隊3万8千よりも格段に強かったと思われ。
22日本@名無史さん:2005/08/21(日) 10:20:10
>>21
家康の部下の問題ではない。家康の問題なのだ。
23日本@名無史さん:2005/08/21(日) 13:47:11
>>1 テキトーに立てんな、なんだこのスレタイは
福島正則ってなんだ?

過去スレ
http://academy.2ch.net/history/kako/1029/10297/1029702262.html  (消失)
【石田】 関ヶ原の戦い 弐 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1043182426/
【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1056815897/
【石田】 関ヶ原の戦い W 【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1084261407/
【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1102935074/l50
【石田】関ヶ原の戦い 六【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1115166136/
24日本@名無史さん:2005/08/21(日) 15:27:34
秀忠が関が原に到着していたら、どこに布陣していたのだ?
25日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:20:52
>>24
「家康本隊、意外に弱い」説の本家、笠谷和比古氏の説によれば、井伊直政・松平忠吉がいた辺りがそうあ
るべき位置だということです。氏によると井伊・松平隊は秀忠の連れている部隊の代理というか当て馬という
か、そんな存在なんだそうです。
秀忠が予定通りの場所に布陣した場合、「旗本備」である家康の直率部隊が小身ばかりでも軍制上矛盾は
ないというか、本来あるべき「徳川家主力軍」となるという大意であります。
出典:『関ヶ原合戦』(講談社選書メチエ 1994年刊)146ページ等
26日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:26:38
>秀忠が予定通りの場所に布陣
これの根拠を知りたい

秀忠が予定通りというのも、根拠がわからないし
予定通りの場所に布陣というのも根拠不明
27日本@名無史さん:2005/08/21(日) 19:47:24
>>26
著者に直接聞いておくれ。
28日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:10:27
「真説 関ヶ原合戦」のP126〜142はどうですかね。
29金吾秀秋:2005/08/22(月) 03:09:01
【金吾】関ヶ原の戦い 七【秀秋】にしたかったがな(´・ω・`)
30日本@名無史さん:2005/08/22(月) 03:13:09
>>27
秀忠隊が徳川本隊というのは、昭和58年の大河ドラマ徳川家康でも
やっていたので、そうとう昔からある説では。
31日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:06:34
>>9
西軍の予備戦力は、裏切りますた。
32日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:09:12
>>31
裏崩れ
33日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:06:35
>>30
そんなに昔からある妄想なのか・・・。
34日本@名無史さん:2005/08/23(火) 18:35:37
>>33
世に馬鹿の種は尽きまじ、ってことさ。
35日本@名無史さん:2005/08/24(水) 16:19:27
3 名前:ο丁児 ◆71izTCnSlI [sage] 投稿日:2005/08/24(水) 14:52:28
関ケ原に三成を家康がおびき出した。と言われてるが、布陣図を見るかぎり、どうみてもおびき出されたのは東軍だねぇ。
あといつも思うのは「野戦決着」について

家康はなんとしても野戦で短期決着をつける必要があった。
だって大坂城と秀頼が西軍の手に渡っている以上、長期戦になれば離反者もでるだろうし、へたすれば賊軍とみなされる恐れもある。豊家が朝廷を動かし、朝敵とすることも考えられ、
とにかく家康にとって長期戦はもっとも怖れていたことでしょうねぇ。
しかし一方、三成のほうはどうか?
たしかに西軍も烏合の衆にすぎないが、なんといっても「秀頼」という統合出来る存在がある。
しかも西軍はほとんど西国大名の集まりなので、自分の領土が東軍領を囲まれるという心配もなく、長期戦の場合、兵站輸送も自在である。(逆に東軍の細川家などは最悪。
自領は包囲され開城。大坂屋敷は妻とともに灰になった。このような情報を耳にして東軍諸将は長期戦に耐えられるだろうか?)
とにかく三成は城に拠って、守りを固くし守ればよかったのだ。さすれば東軍は自然と瓦解する。
よく籠城は援兵あってこそ意味があるというが、まさにこの場合は大坂の陣の時と違い、援兵だらけ。守りを固くするだけで、まず勝利は間違いなかったのだ。
36日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:01:33
家康が先に笹尾山に布陣することはできなかったのか?
37金吾秀秋:2005/08/25(木) 03:03:57
漏れ様の靴を舐めれば、松尾山に布陣させてやってもいいよ(´・ω・`)
38日本@名無史さん:2005/08/25(木) 03:13:39
靴なんてはいてたのか?
ハイカラな奴だな。
39日本@名無史さん:2005/08/25(木) 10:52:30
>>35
西軍厨、乙。
40日本@名無史さん:2005/08/25(木) 19:39:16
>>37
そりゃあいち早く三成が布陣しちゃったからね。
東軍が西軍を誘き出したというのが事実なら、
東軍はあえて動きを鈍くしたのかもしれないが、
その結果敵陣を攻めあぐねてしまうようではちょっと締まらない話だ。

いずれにしろ、少なくともこの時点では三成は東軍から一本取ったと言っていいように思う。
41日本@名無史さん:2005/08/25(木) 21:09:31
家康が先に笹尾山に布陣していたら、どうなったであろうか?
42日本@名無史さん:2005/08/26(金) 07:22:44
>>40>>36宛ね。
43日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:29:48
来週の「その時歴史は動いた」は石田三成特集らしいですね。
三成の名誉回復番組とか。

44日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:55:24
>>35
西軍は関ヶ原で敗れても、大坂城に逃れて体勢を立て直すことが
できたはず。だが、そうした形跡はない。
別に東軍が妨害したわけでもない。島津義弘なんかは大坂城に
辿り着き、入城を打診したが無視されている。
淀・秀頼が本当に三成方だったのか? もしそうなら、
豊臣系武将が家康に味方しただろうか?
淀が家康と内通していたという説がある。淀が毛利輝元を大坂城に
足止めしたとも言われる。

後年大坂の陣で徳川方の主力として活躍した者の多くは、かつて「親三成派」の
武将たちであった。三成の仇という感情が少なからずあったのではないか。

45日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:56:39
立花宗茂が関が原に間に合っても、大勢に影響はなかったの?

大津城は囲むだけで良かったのに、勿体ないな。
46日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:56:47
>>41
大勢に影響が無いとのでは?
47日本@名無史さん:2005/08/27(土) 02:05:42
>>45

立花宗茂が本気で戦えば、そりゃ西軍にとってはさぞ頼もしいだろう。
小早川隆景曰く、立花隊の3千は1万に匹敵するって言われた程の強さだしね。
しかし着陣しても本気で戦ったとは思えないな。

関ヶ原の合戦で西軍が勝利する条件としては、毛利勢が戦う事が必須だったと
思われる。小早川やその他の裏切りや長曾可部の日和見の原因も
毛利の戦意の無さの現れだろう。吉川が動かなかったためとは言え、結局弁当食ってた
だけだからな・・・
48日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:49:26
>>47
いや実を言うと立花はやる気のない西軍の中で
かなりやる気のあった武将で、
西軍についたのも確固たる信念からくるものであって、
関ヶ原に連れてくれば奮闘したと考えられてるよ。
49日本@名無史さん:2005/08/27(土) 10:33:01
>>47
広島に帰ろうとする輝元に「大阪城に籠城して戦え」と強硬に主張したのでは?

かなり本気(強硬派)ですよ。
50日本@名無史さん:2005/08/27(土) 10:42:04
秀元はそんな主張してません
そう主張したのは島津義弘

しかし、毛利側からの返答が無かった為、さっさと薩摩へ帰国しましたとさ
51日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:43:30
>>45
立花宗茂は規定の軍役人数(3千人)の倍ぐらいの人数を率いて参陣していたというから、やる気はじゅうぶんだろう。
立花宗茂が間に合っていたら、関ヶ原合戦はどうころんだかか不明と思われ
52日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:59:50
不明ではない。
毛利が西軍に付いたからみんな参加したのさ。
それなのに毛利(輝元)がやる気ないのでどう転ぼうと負けだね。
ちなみに吉川が東軍を攻めていれば勝てたよ。
53日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:51:47
小早川が西軍を攻めていても、吉川が東軍を攻めていれば、西軍は勝てたか?
54日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:52:50
IF厨ウザイ。
55日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:00:27
>>38
みんな靴くらい履いていただろ。
草履や草鞋や裸足は、下っ端の人間だけ。
56日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:07:25
1600年にみんな靴くらい履いてたのか・・・
57日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:29:56
戦争は、もののはずみでどっちへでも転んでいくもんだからね。
現実は、無数にある選択肢の中のたった一つにしかすぎない。
その意味では、残された選択肢の可能性を検討するのは無意味ではないでしょう。
58日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:38:19
もののはずみで吉川が東軍を攻撃するらしい。
IF厨の正当化はバカ過ぎるな。
59日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:41:27
もののはずみで宇喜多が東軍に寝返った
もののはずみで毛利が西軍に攻撃始めた
もののはずみで三成が挙兵しなかった
もののはずみで前田が南下してきた
60日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:44:40
もののはずみと言えば、何でもあり

もののはずみで三成がガトリング砲あったら
61日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:46:15
もののはずみで大坂城が浮遊要塞。
62日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:51:49
もののはずみで大谷吉継が人造人間に
もののはずみで千葉真一率いる陸自かと疑問に思わせる戦国自衛隊が現れたら
63日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:59:21
もののはずみで石田三成が東軍に寝返ったら。
もののはずみで徳川家康が西軍に寝返ったら。
もののはずみで豊臣秀吉が蘇生したら。
64日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:34:46
もののはずみで長島巨人軍が西軍に参加
もののはずみでジーコジャパンが西軍に参加
65日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:36:47
>58
家康ドキュンとなったらやるやる
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
66日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:38:13
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w
裏切りするヤツは、裏切りの裏切りなんて朝飯前w

吉川広家は最初から東軍
67日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:43:02
もののはずみで家康ドキュン。
68日本@名無史さん:2005/08/27(土) 21:03:14
もののはずみで靴履いた
69日本@名無史さん:2005/08/27(土) 22:56:49
>>67
隆慶一郎だわなw
70日本@名無史さん:2005/08/27(土) 23:39:01
三成は負けた時に大阪へ逃げずに佐和山へむかおうとしたのでしょうね、
本人の供述がないので謎でしょうけれど
71日本@名無史さん:2005/08/28(日) 00:13:06
72日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:03:30
もしかして>>71は靴履いてるだろと言いたいのですか?
73日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:52:20
やっぱり毛利(吉川広家)が戦わなければ勝てなかったでFAだな。
74日本@名無史さん:2005/08/28(日) 02:12:36
>>53
勝てただろう。吉川が戦う=毛利勢2万+長宗我部6000だからね。
長宗我部の兵は島津と並んで関ヶ原で戦った中では格段に強いし。
合戦好きで通ってた長宗我部がよく毛利に付き合って日和見決めこんだのが
不思議でしょうがない。

ただ、関ヶ原で家康の首が取れなければ・・・やっぱり家康の天下になってただろうね。
後積めの秀忠軍3万8千も残ってるしね。
75日本@名無史さん:2005/08/28(日) 02:15:08
宇喜田秀家カワイソス(´・ω・`)
76日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:18:16
>>74
小早川が西軍を攻めてもって条件ならそりゃあ無理。
前面の敵と戦いながら側面からも攻められることになる西軍に比べて、
東軍には毛利の押えのために温存されていた1万余と、
家康本隊3万の予備軍という戦闘未参加の兵力がある。
小早川も吉川も東軍を攻めたらという条件ならともかく、
小早川は西軍を攻めるという条件では、西軍より先に東軍を崩すのは全く不可能。
というか、崩すこと自体がほぼ不可能。
77日本@名無史さん:2005/08/28(日) 09:53:54
徳川本隊が戦闘未参加という前提は間違いだろ。
南宮山への抑えとして配置していた諸将まで投入しているのだから、
徳川3万(本当に3万もいたとは思えないが)からも、かなりな数を
投入していたと考えるのが妥当と思う。

それと、小早川隊が大谷本隊・平塚隊・戸田隊に押し返されていた
(これは地形からみて充分に有り得る)し、藤堂隊・京極隊も大谷
吉勝隊・木下隊を相手に「諸隊は大谷先鋒と戦えども、利を失いて
退いていく」状態だった。

小早川の寝返りだけでは戦況は変わらず、脇坂以下の突入まで
待たねばならなかったのだと思う。

数で考えるのは100%間違いという訳ではないが、実際の戦闘を
考える時に、あまり重要な意味を持たないよ。
3万の兵力があっても、直接戦うのは数百人の部隊同士なんだから。
78日本@名無史さん:2005/08/28(日) 11:10:58
押し返した、大谷が奮戦したなどとは軍記しか書かれてない。
他に信憑性の高い資料で、それらしい記述ある?

奮戦したなら、書状とかでも書かれてる事あるからさ。

つか毛利が動いたらという仮定自体が間違いなんだけどね。
毛利が動かなかったからこそ、あの配置が出来た。
動くと家康が思うなら、南宮山の前を素通りできない。
79日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:04:10
>>78
毛利が動く可能性はあったんだよ。
そうでないと、池田や浅野のような有力部隊を
あんな後方に置いたことが理解できない。
毛利が動かないと確信していたなら、
石田や宇喜多にぶつければいいじゃないか。
80日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:15:55
家康本隊が前進したあと、吉川と毛利が桃配山を占拠したら
西軍が東軍を一網打尽にする形が完成していたはず・・・
81日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:19:29
>>78
>毛利が動く可能性はあったんだよ。
ぜひ証明してくれ。
毛利側の書状や、残されてるものからは
毛利は全くと言っていいほど、参加する気なかったようだけど。
秀元が戦意あったように言われてるけど、合戦後に福原と相談して家康に挨拶に行こうかと聞いたぐらい。

>池田や浅野のような有力部隊をあんな後方に置いたことが理解できない。
毛利だけじゃなくて、長宗我部もいたしね。
それにある程度の確信は持てても、万が一に備えるのは普通。
関ヶ原に負けた場合の退路確保の為でもあるし。

>石田や宇喜多にぶつければいいじゃないか。
でも実際に、後方に配置されていた山内や有馬は投入されてるよ。
予備兵力として、使われてるが。
82日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:20:13
>>81>>79の間違いです。
83日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:49:33
81は自分のことを利口だと思ってるんだろうな。
84日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:53:03
利口じゃない、79が無知なだけ。
普通に知ってて、普通に考えれば79みたいなレスはしない。
85日本@名無史さん:2005/08/28(日) 13:13:29
荒れる元なので、スルー汁

でも簡単にIF語って欲しくはないよな
家康も三成も、東西両軍に参加した諸将も、それぞれに思惑と人間関係を抱えての行動だし
それを簡単に裏切ったらって言われてもな
86日本@名無史さん:2005/08/28(日) 13:33:00
>>79が無知かどうかは知らないが
書状があるからといって、毛利が動く可能性が無いとは確信できないわけで
万が一に備えて後方を警戒するのは当然で、だから池田や浅野を配置したわけで
毛利が動く可能性が僅かながらあるとは警戒しながらも、あのような配置をしたのだから
家康は大博打を打ったともいえるわけである
87日本@名無史さん:2005/08/28(日) 13:54:49
>>77
南宮山への抑えから動かしたのは有馬豊氏ら一部だけで、
対南宮山部隊の主力も家康本隊も動かしていません。

それから、わずか三千あまりで倍近い敵と渡り合っていた大谷隊が、
さらに5倍の敵に横から攻められても持ちこたえるとは、あまりにも都合よく考えすぎ。
万が一それらの記述を真に受けて、一時押し返したのが事実だとしても、結局時間の問題。
さらに言えば、小早川が裏切っても脇坂らが裏切らない道理がない。
いずれにしろ、わざわざ対毛利のために配置していた1万数千が壊滅するまで、
持ちこたえられるとするのは非現実的極まりない。
88日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:04:37
毛利が吉川の前方に布陣していたら、毛利だけでも動けたのに・・・
89日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:28:33
>>87
5倍の敵が横から攻めかかってなんんか来られない。
あの地形のどこをどうやったら、横から5倍が来るんだ?

あんた、思い込みが激しすぎるよ。
(ゲーム厨はみんなそんな感じなのか?)
9089:2005/08/28(日) 14:30:16
付け足しておくと、小早川勢を押し返したのは、無傷の大谷本隊600だよ。
(あ、押し返していないんでしたね、そうですか)
91日本@名無史さん:2005/08/28(日) 17:04:18
「押し返した」に別に異論はないけど、
そんなもん一時的なものであって、大軍に波状攻撃をかけられたら
すぐに打ち破られるさ、そんな小勢。
戦況を左右するほどの事柄ではないね。
92日本@名無史さん:2005/08/28(日) 17:38:49
>>89
あのね、一部を押し返したって次々と新手がするのよ。
その総数が全部で約5倍の1万5千。
6百でどこまで頑張るつもりですか?って話。
93日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:37:40
>>88
吉川の軍勢は毛利の一部、安国寺も
そんな間抜けな布陣はありえないから
94日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:45:42
>>92
正論だな。まあ>>89の言ってる事も解るんだが
1000足らずの兵力じゃ幾ら押しても史実の通りに全滅するわな。
桶狭間みたいな奇襲で敵の大将首上げるとかなら話は別だが。
95日本@名無史さん:2005/08/28(日) 19:10:01
>>94
あの大将の首に、それ程の価値は無いと思うが。
96日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:01:47
>>86
博打を打ったと言うのは同意。
家康が毛利が動く可能性はないと確信してないのも同意。

でも家康が確信持てないのと、毛利が動く可能性があったとするのとは別だよ。
あったとするなら、それを匂わせる物証を出すべきかと。
97日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:08:33
>>79は毛利が動く可能性が高かったと主張しているけど、私は毛利が動く可能性は低かったと主張しているのだよ
ただ、毛利が動く可能性が無かったとは断言できないということだよ
98日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:13:07
可能性の存在を窺わせる資料どうぞ。
99日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:14:54
>>87
>さらに言えば、小早川が裏切っても脇坂らが裏切らない道理がない。

ちょっと意味不明な文だが、小早川が裏切れば脇坂らは必ず裏切るってこと?
もしそんな道理があるなら、脇坂らの寝返りを全く予想していなかった大谷は、
とてつもなく間抜けだったということになるが?
あまりにも結果論でものを言っていないか?

>>91
死ぬ直前の今川義元や龍造寺隆信もそう思っていただろうねえ。

>>94
最近の説では桶狭間の信長は正面攻撃であって、
奇襲攻撃で義元一人を狙っていたわけじゃなさそうなんだがな。
100日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:18:34
家康が備えを置いてたから、確信を持っていたとは言わない。
しかし、それは家康の認識であって毛利が動く可能性の話ではない。

毛利が動く可能性あったとするなら、毛利側に動くと思わせる史料が存在するだろう。
でなければ可能性があったとは言わない。
101日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:36:30
>>99
なんだ。大谷が強くないと気が済まない大谷オタか。

前面に藤堂勢・京極勢が約5千。側背に小早川勢が1万数千。
一方の大谷勢は約2千。
防衛のための土塁や堀があるわけでなし、
どうすればこの状況で守り通せると考えられるのか。不思議でならんな。
102日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:40:44
>>100
その理屈は変。
広家の内通は秀元に内密に行われていた。
(秀元が事前に承知していたとする史料はない)
つまり、関ヶ原での秀元は広家に任せっきりで決断ができなかっただけにすぎない。
もし秀元が勇断して攻撃命令を下せば広家だって従わざるを得ない。
「毛利が動く可能性がある」というのは、つまりはそういうこと。
103日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:43:54
>>101
野戦陣地はあっただろ。
104日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:44:53
>>99
>小早川が裏切っても脇坂らが裏切らない道理がない。
これおかしいね。
脇坂らの事前交渉などが謎なんで、どうとは言えないが確かに結果論過ぎる。
しかし謀反の噂が出ていた秀秋と東軍の間に、なぜ彼らは布陣したのだろう?
考えた事もなかったが、このあたりを考えると、また違ってくるかもね。

>死ぬ直前の今川義元や龍造寺隆信もそう思っていただろうねえ。
例えの状況が違いすぎて、例えになってないかと。

>>101
大谷勢は、秀秋のいる松尾山城に向けて土塁と空堀(本格的なものではない)を作ってるよ。
これは証明されてる。
それでも守り通せなかったから、ああいう結果になったのだけれども。
105日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:46:22
>>99
?いや、道理も何も裏切りを密約していたから裏切ったというだけの単純な話だが?
それを予想、あるいは察知できていなかったのは確かに大谷の不手際としか言いようがないが、
それをとてつもなく間抜けなど言ってしまってはちょっと酷だろう。

というか、今川や竜造寺の例、或いは厳島や河越城の戦い等は、
戦国時代でも稀有な例だから有名なわけだが、大谷隊の情勢はそれらに比べても格段に悪い。
まず、兵力差、
主力が正面の敵に拘束されて対小早川に差し向けられるのは僅かに600、
それで15,000をどうにかするなんて全く無茶苦茶。
加えてより重要なのはイニシアティブ、
少数で多勢を打ち破った戦いは、多くの場合少数側が主導的に動いて、
勝てる状況を創出させたわけだが、大谷隊にはその余裕はない。
攻められて対応しただけで、一時的にどうにかなったとしても先がない。

実際問題、この状況を桶狭間あたりと比べようとするとは全く問題外もいいところ。
106日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:46:56
家康は毛利が動かないと、ほぼ確信してたと思われる。
ほぼだぞ。確実ではない。そんなのは後世の歴史を知ってる俺ら以外解る訳がない。
吉川は人質を出して、毛利を動かさないと確約してるんだから、家康がほぼ確信するのも
当然だろう。

輝元・秀元は何も知らなかったのも間違いないね。
しかし、知らなかったとはいえ、たかだか2000にも満たない秀元が動かないと
何も出来ない秀元も不思議な人物と言わざるおえないな。


107日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:47:44
↑吉川が動かないとの間違い
108日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:01:37
>>102
あります。
「吉川広家書案益田家証文略文」で、安国寺と広家との問答(輝元や福原、堅田が同席)で
宰相殿(秀元の事)と宍戸が知らないので、申し伝えると書かれてるよ。
これは、安国寺が輝元が西の丸に入る事を勧めてたのを、広家が反対し
輝元がどちらにも肩入れせずに、西の丸に入るが、家康には敵対しないのを話し合っての事。

秀元が勇断することもありえない、秀元が独断で決めれるほどの権限はない。
輝元の名代であったからと言って、輝元と同じ権限があったわけではない。
109日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:07:14
>>105
>裏切りを密約していたから裏切ったというだけの単純な話だが?

密約していたは脇坂だけだろ。
脇坂以外の連中は事前に内通していなかったため、戦後に処分されている。
(小川・赤座は所領没収、朽木は所領減)
こんな先の見えない連中の行動パターンを大谷が見抜けないとしても仕方がないが、
彼らの裏切りが大谷に致命傷を与えたことは確かだ。
東軍の勝利は運という要素も多分にあったんじゃないか。
110日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:13:14
後、家康は秀秋が裏切って西軍と挟撃できるからから桃配山まで出て来たと、吉川家文書にあるらすぃ。
これは見たことないから、嘘かも知れん。
誰か詳細知ってる人いるかな?

本当だったら、かなり綿密に吉川とのやり取りをしてて、しかもこんな情報流してるからには
ますます毛利勢は動く訳がないね。
111日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:18:14
>>108
それって広家が西軍に味方するのを反対したという話であって、
広家が東軍に内通した件じゃないだろ。

>秀元が勇断することもありえない、秀元が独断で決めれるほどの権限はない。

それはあなたの思い込みにすぎないのでは?
112日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:22:38
>>109
せいぜい大谷隊の壊滅が多少遅れるくらいの影響しかないだろうよ。
113日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:24:44
>>111
東軍に内通というのが、そもそもおかしい。
輝元も内府に恨みなしとして、広家に家康との取次ぎを許してるけど?

>それはあなたの思い込みにすぎないのでは?
はい?毛利家は奉行による合議制をとってる。
先に挙げた談判も、奉行衆でやってるが?
だから毛利勢には福原や吉川、天野などの奉行衆が多く付いており
秀元も奉行衆と相談しつつ、合議しながら行動してますが。

>もし秀元が勇断して攻撃命令を下せば広家だって従わざるを得ない。
これが思い込みでない事を証明してください。
114日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:34:01
ソース厨が集うスレはここでつか?
115日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:36:57
言うに事欠いて>>114
116日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:39:55
三戦板なら、ここでソースを求める方がアホだ、
とかいう開き直りもあるいは通用するかもしれないが・・・・
板間違えてないか?
117日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:51:13
西軍が勝った時点で、毛利方は都合の悪い文書は処分しただろう。
特に秀元の周辺。
118日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:52:34
>>117
落ち着け!西軍は負けたんだ!脳内で(ry
119日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:58:51
都合の悪い文書、山ほどありますが>毛利
上杉に屁理屈難癖をつけて、太閤の名前使って景勝退治に出て行ったとか
内府に騙されたなど。

思い込みって凄いね。
120日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:12:54
ところで聞きたいんだが、島左近ばかり有名だけど
三成の家臣で蒲生郷家って居るじゃん?あれって蒲生家の横山喜内って書いてある
小説と、いや別人だって書いてあるのがあるけど、どっちなんだ?
121日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:15:59
蒲生郷舎が横山喜内と同一かは諸説分かれる所で
どちらが正しいとは、まだ言えない。

どちらかというと別人説の方が多いと思うけど。
122日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:19:14
>>121
thx 別人説の方が強いのか・・・関ヶ原じゃ左近に匹敵するくらいの
采配を見せたと思ってる。後は宇喜田の明石全登とか。
123日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:27:01
島左近は、関ヶ原以後は行方不明か戦死となってるけど
関ヶ原軍記大成では家康に仕えたと書いてあるのよね。

関ヶ原合戦での島左近の評価は、自分としては微妙だけど
明石全登は特筆すべきだね。
124日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:38:19
明石全登と島左近じゃ率いた兵力が違うせいもあるしね。
125日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:01:41
とりあえず、小早川を一万五千というのはやめようよ。
小早川勢は石田から真田への手紙では、八千人ということだから。
一万五千という数字は、参謀本部が小早川の石高を五十二万石として
計算し、それに三人役を掛けた物だから。この計算だと関ヶ原後の
小早川は、岡山五十一万石に減俸処分されたことになってしまうから。
126日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:29:26
>>113
慶長5年9月17日付、毛利輝元あて吉川広家書状(吉川家文書12913号)に、
「此の御和談の事は先の両人斗(吉川・福原)存じ候」とある。
広家本人が「内応は自分と福原広俊の両名のみが関与していた」と言っているのだから、
輝元や秀元が知らなかったのは間違いないだろう。

>東軍に内通というのが、そもそもおかしい。

おいおい、広家の行動が内通じゃなければ何だというんだ?

>輝元も内府に恨みなしとして、広家に家康との取次ぎを許してるけど?

それは関ヶ原戦後の話だろ。
127日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:36:40
で、このスレに書き込みしている香具師で、実際に関が原に行った事のある人いるの?

128日本@名無史さん:2005/08/29(月) 02:29:54
>>127
あるよ。意外と狭いと思ったね。
20万近い軍勢がひしめき合ってた場所とは思えなかったな。
当時と違うのか・・・
129日本@名無史さん:2005/08/29(月) 05:14:41
>>127
俺は有楽隊で足軽やってたけど、何か?
130日本@名無史さん:2005/08/29(月) 07:52:09
>>129
俺なんか有楽のチョンマゲだったぜ
131日本@名無史さん:2005/08/29(月) 11:18:14
>>126
その書状の詳しい内容覚えてないが、それは
徳川との和談の内容は、まだ自分と福原しか知らないという内容であって
徳川との関係を輝元が知らないという意味ではないはずだけど。

もう少し確認してみるけどね。

>おいおい、広家の行動が内通じゃなければ何だというんだ?
>それは関ヶ原戦後の話だろ。
>>108の談判は、7月ですが。


関ヶ原行ったら、田んぼと山と新幹線の高架しかなかった。
車で行くより、単車の方が良かったな。
132日本@名無史さん:2005/08/29(月) 11:45:08
自転車の方が良い
133プニャ ◆Pu/81197/2 :2005/08/29(月) 15:10:59

こんにちは。
ちょっと質問があるんですけど、いいですか?
関ヶ原の戦いって秋に起こったんだよね ( ・ω・)
地方の人の移動時間とかも合わせたら、稲刈りの忙しい時期が
まるまる戦でつぶれちゃう計算になると思うんだけど、
この年のお百姓さんは、収穫だいじょうぶだったの (´・ω・`)?
おうちのことが気になって戦どころじゃなかった人も
いたんじゃないかなぁ?・・・と思うんだけど。
134日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:04:35
>>133
もう稲刈りは終わってる。
旧暦だぞ。
135日本@名無史さん:2005/08/29(月) 21:02:04
>>134
ヒント:移動時間
136日本@名無史さん:2005/08/29(月) 21:04:10
まあ、戦役は7月から始まっているから、稲刈の時期は確実に重なったと思うけどね。
もっとも、戦国時代は農繁期でも平気で戦争しているのであんまり関係ないがね。
137日本@名無史さん:2005/08/29(月) 21:07:12
実際重なってる。三成が増田長盛に宛てた手紙で兵糧が少ないから送って欲しいんだが
美濃じゃ稲が刈り取りの時期だから自給すればいいのに、徳川にビビって誰も
刈り取ろうとしないって書いてある。
138日本@名無史さん:2005/08/29(月) 21:14:53
むしろ秋は収穫物を略奪できるので戦に適した季節とも言える。
実際武田信玄あたりの月別出陣率をみると、秋口が一番多くなっている。
戦に人手を取られるのは痛いがそのせいで農作業が出来なくなるというほど、
極端に動員されたわけではないということだろう。

>>133
つまり気にするほどの影響はない。むしろ良くあること。
まあ、合戦に直接巻き込まれた村々はたまったものではなかっただろうけど。
139日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:18:32
長束正家の行動がさっぱり判らん?

なぜ、あんな所に布陣したの?
戦意が無かった?

で、傍観しておけば助命されるとでも思ったのか?不思議な武将だ。
140日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:23:37
戦国時代だと、口減らしのために遠征、なんてのも真実だったらしい。越後など。
141大和天狗:2005/08/29(月) 23:34:55
フフウウ
確か1600年当事で
備前中納言金吾秀秋毛利宰相の3人は20代前半だっだはずだ
んな事ぁ些末、そこから何を連想するかは勝手だろ

鞍馬天狗よ
いずこじゃ我が弟子は
つまらない事で
つまらない言い合いしていないで
西軍の清洲攻めをまとめてみろ
この不肖の弟子が
142大和天狗:2005/08/29(月) 23:39:14
本当に出来ないなら
出来ません教えてください
位の事はいえるだろコノ
まさかお前の師が
もう現れないなどど思っていたわけではあるまいな
もしそうなら
それがお前のア・マ・イところじゃハハハ
疾くせよ
143日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:47:30
↑たぶん、基地外。
144大和天狗:2005/08/29(月) 23:50:44
どうせなら
天災
と言え
145金吾秀秋:2005/08/29(月) 23:52:58
>>139
まったく、行動はさっぱりわからない正家には困ったもんだぜ(´・ω・`)

>>141
19才(´・ω・`)
146日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:54:53
>>144
池沼
147日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:12:33
あぼーんが続いてる…
148日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:16:03
西軍厨がファビョったんだよ>>147
149日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:26:09
あぼーんが続いてる…
150日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:44:22
宇喜多って1600年当時29歳ではなかったか?
151日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:53:33
1572年生誕が通説でつ
152日本@名無史さん:2005/08/30(火) 05:17:26
長束は完全文官で、所領も小さく近江水口8万石と連れて行けた兵力も小さい。
しかも家康には散々ビビらされてて戦意の欠けらもなかったからな。
153日本@名無史さん:2005/08/30(火) 05:20:19
ちなみに、三成みたいに合戦上手な家臣に迎えるなんて真似もしてないから
合戦に関してはロクな侍大将も居なかっただろう。増田長盛は渡辺官兵衛がいたが。
154日本@名無史さん:2005/08/30(火) 07:14:03
>>152
南宮山勢で唯一戦闘に参加したのは長束だということは
有名な話だと思うが。
155プニャ ◆Pu/81197/2 :2005/08/30(火) 10:51:29

こんにちは。
>>133 の質問に答えてくれた人、ありがとね。
プニャ よく分かったよ。

「選挙のせいで秋のお祭がどんどん中止になってる」 ってニュースが
あったんだけど、その記事に 「選挙のあとは農繁期に入るから、イベントの
延期もできないよ」 って書いてあったんだよね ( ・ω・)
それで プニャ は、「昔の人も農繁期に戦があったら困ったんじゃないかな」
って思ったの。
ここの人はみんな親切だね。 またなんかあったらよろしくね (・ω・)ノ


   【参考リンク】 デーリー東北新聞
   http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2005/08/29/new05082902.htm
 
156日本@名無史さん:2005/08/30(火) 11:10:06
本来なら秋の祭りは収穫祭であって農繁期の刈入れの後に行われるのだけどね
157大和天狗:2005/08/30(火) 20:57:12
弟子よ
鞍馬天狗よ!
お前情けなくないか?
師の挑発で尻込みするとは何事だ!
お前には歴史の真実を明らかにし、
お前を含めた日本人の歪んだ歴史観を矯正するという、
崇高な使命があるのだ。
徳川オタクをやめよ。
資料屋はやめよ。
安易な傍証などという僭称はやめよ。
目覚めよ我弟子よ。
お前のセンスに今こそ研きをかけて、
路傍の石ころから至高のダイヤモンドになるのだ。
お前をブリリアンカットするのが我が使命なのだ。
158日本@名無史さん:2005/09/02(金) 01:56:55
見事なスレストだな
159日本@名無史さん:2005/09/03(土) 04:37:53
増田が一貫して西軍と心中する覚悟を持っていたらまた違った結果だったかもな
渡辺官兵衛の指揮する6000の部隊が入れば心強いし、輝元の出馬も有り得た
160日本@名無史さん:2005/09/03(土) 07:24:20
西軍と心中する覚悟があったのは、石田・宇喜田・小西・大谷くらいだろうな。
実際奮戦したのはこの4隊だし。これにせめて長宗我部と島津が戦ってれば・・・
つーか、鍋島・立花隊を待ってればなぁ。

歴史で知ってるだけの俺らが口惜しいんだから、三成はさぞ悔しかったろうな・・・
161日本@名無史さん:2005/09/03(土) 08:30:42
このサイト、物凄く詳しく載っているよ。
これを調べた人を凄い人だな。尊敬してしまう。
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/index.html
162日本@名無史さん:2005/09/03(土) 09:29:47
落城後の大津に詰めたのは立花じゃないの?
163日本@名無史さん:2005/09/03(土) 10:12:26
立花だよ
164日本@名無史さん:2005/09/03(土) 12:27:46
毛利輝元は直接戦闘に参加さえしなければ
なんのお咎めもなく済むと思ってたんですか?
大阪城に入城しておきながらすごすご帰るなんて
いったいどういう気持ちだったんですかね

結局所領を大幅に削られて幕末まで冷や飯喰わされて
あまりにもアホというか・・・

このあたりの実際の動きはどうだったんでしょうか?
このような行動を取らざるをえない理由があったのでしょうか?
165日本@名無史さん:2005/09/03(土) 14:44:20
>>164
つ[徳川家康直率30000の精兵]
166日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:31:12
毛利は裏切るくらいなら最初から西軍に付かなければよかった
167日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:37:47
>>164
毛利というより吉川はそう信じてしまったのでしょうね。
家康は秀吉死後は露骨に権力を狙い独断専横をするようになったが、
それ以前は誠実で義理に厚い律義者って思われていたから、
約束すれば守ってくれると信じてしまったのでしょう。
後世からみれば愚かなことでも、当事者は先のことは分からないからね。
168日本@名無史さん:2005/09/03(土) 16:16:12
>>164
俺も毛利が家康を信じたのが信じられない(日本語変だがw)
輝元がどうしようもないお人好しの馬鹿だとしても、家臣も気付かなかったのか?

毛利を潰さなければ関ヶ原で自分に味方した連中に恩賞として与える土地が
足りないって事にね・・・
169日本@名無史さん:2005/09/03(土) 16:33:32
恩賞のための領土なら上杉と宇喜多と石田その他潰しただけでも、200万石くらいにはなるし、
必ず何万石以上与えなければならないなんて最低基準があるわけでもなし。
足りなくなるなんて発想はないだろうよ。
170日本@名無史さん:2005/09/03(土) 17:02:06
自分の分だけでも数百万石要るだろう。

>必ず何万石以上与えなければならないなんて最低基準があるわけでもなし。

恩賞の高一つで家臣に不満が出るか忠臣となるかが分かれると言っても
過言じゃないくらい重要なものだ。特に殆どが豊臣恩顧の連中なんだしな。
恩賞で不満が溜まればどうなるか徳川もさぞ苦心しただろうよ。
171日本@名無史さん:2005/09/03(土) 17:08:38
>>167
でもそんな程度の低い政治能力だったのかなあ
実際の政治、戦闘はもっと複雑だと思うんだけど
やっぱり毛利ってアホだなあってことなのだろうか・・

毛利全軍率いて参戦すれば勝機は十分以上にあったのに
それさえ計算できなかったのか?
172日本@名無史さん:2005/09/03(土) 19:27:34
>>170
徳川の立場ならそうかも知れないが、
毛利の立場でそんな事まで考えるわけあるまいよ。
173日本@名無史さん:2005/09/03(土) 19:42:39
>>171
家康の手腕が俺らが想像するよりずっと凄かったってことでしょうよ。
その後の歴史を知っている者からすれば、家康の権力簒奪の意思は明白で、
関ヶ原以前の段階からそのことを示すような行動をしているように見えるが、
当時の大名たちの中にはそこまで気がつかないものも多数いた。
気がついた者も当然少なからずいただろうが、全部が全部というわけではない。
吉川は見事に騙されたわけだが何も彼だけが騙されたわけじゃあない、
彼一人が突出してアホだったわけではなく、
家康に比べるとあまりにも役者が違いすぎたというだけのこと。
174日本@名無史さん:2005/09/03(土) 20:09:43
ならばなぜ家康討伐を掲げて集結した西軍の総大将に就任したのかが理解できない
家康を律儀者だと思っていたのなら三成側につく必要も大義名分もないのでは?

参戦するだけならまだしも一方の総大将を努めてしまったら
負ければ状況が非常に不利になることは分かったのではないか?
状況を変えるためには家康に勝利するか機を見て和議を結ぶかしかなかったのに
戦わずして大阪城を去るというのは理解できないなあ

ではなぜ毛利は三成らの呼びかけに応じたのか
家康と戦わずにどういう終結を描いていたのか
そもそも毛利にとって関ヶ原とはなんだったのか
175日本@名無史さん:2005/09/03(土) 20:32:18
>>174
まず、西軍総大将に就任してしまったのは輝元の意思。
そして、参戦しなければ領土安堵してもらえるというのは吉川広家の考え。
で、戦後輝元は広家の説得によって大坂を辞去したのであって、
つまり広家の考えに従ったということ。
考えたり、判断したり、決断したりしているのが違う人間なので、
行動がちぐはぐになってもおかしくない。

で、輝元の考えだが、もし家康の野心に気がついてそれを掣肘する為に立ったなら、
ご説の通り簡単に引き下がるとは思えないので、
あわゆくば家康に取って代わって自分が最高権力者に、という野心からではあるまいか?
ところが、いざ大坂に乗り込んでみると広家ら反対派の意見を聞いたり、
首謀者格のはずなのに、露骨に態度が怪しい増田とか、
伏見城攻めの後いきなり命令に従わなくなってしまった小早川とかを見て、
すっかりやる気をなくし積極的な行動をしなくなってしまったのではないかと思う。
まあ、推測に過ぎないが。
176日本@名無史さん:2005/09/03(土) 20:44:25
戦後の情勢を読み間違えたというのもあるのではないかと思う。
史実では関ヶ原の一戦でほとんど勝負が決まってしまい、
全国の西軍派はほとんどいっせいに家康の軍門に降ってしまった訳だが、
戦役前の段階でそこまで予測できたとは限らない。
もしも、各地で西軍の残党が騒ぐなら家康はそれらを全て潰さなければならず、
その場合毛利が黙って従ってくれるなら、本領安堵してでも手を打たざるを得ず、
約束を守るはず、というか守るしかないという情勢にすることも可能。

ところが、実際は家康の圧倒的有利な情勢になってしまい、
約束を反故にされても逆らえないほど圧倒的に不利な状況になってしまったと。
そうなった理由が、単に運が良かっただけのか、家康の能力によるのかは分からないがね。
177日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:24:18
西軍がいっせいに軍門に降ったって・・・、
上杉等東北の情勢に始末がつくのは関ヶ原の翌年だし、
島津に至っちゃあ2年後まで持ち越してやっと決着がつくわけだが?
まあ、そういう戦後のゴタゴタがもっと激しく、
徳川が毛利の始末に全力を挙げられなくなっていたとしたら、
確かに毛利は本領安堵となっていただろうし、
そうなるだろうと思って毛利や吉川が行動したなら、
戦後の情勢を読み間違えて失敗したとは言えるかも知れない。
178日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:40:36
明日の午後十時から「関ヶ原」がTBSちゃんねるで放送されるので、
早速加入しました
楽しみだな
179日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:59:48
決着がついた後、秀元は関ヶ原からトラブルなしで退却できたの?
180日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:57:49
完全制覇関が原大合戦という書で5名の
キーマンとして家康・福島正則・三成・小早川秀秋・毛利輝元
に対しこう書評があった。

徳川家康
  家康が狙って三成の決起を促すべく会津征伐を言い出したということ自体
東照神君史観に毒されすぎ。
家康の慎重な性格と「吾妻鑑」を愛読している点からして彼は、あくまで豊臣を
摂政関白の虚名にいただいて執権として政治権力を握る予定であって
上杉を降して豊臣家における北条執権の立場につく予定であっただけだろう。
  不満分子の決起はある程度懸念していたが、あれほどの大事になるとまでは
考えてなかった。
関が原は結果からくるラッキーに過ぎず、家康が最初から天下取の一戦を意識
していたというのは家康を過大評価しすぎ。


福島正則
  家康と逆で過小評価しすぎ。小山評定で黒田長政に煽られたイノシシ武者のような
イメージがあるが【豊臣恩顧のリーダー】として自ら(そして周囲も)意識していたと
推測できる。
だから家康に対し独自性の主張も忘れておらず
会議での清洲城の備蓄米の豊臣恩顧諸侯への提供申し出や伊奈切腹など
豊臣諸侯の自立性を確保していきたい意向。
  彼の政治姿勢は家康を「豊臣政権における執権」に留めたかった。

181日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:59:38
石田三成
  自ら天下を動かそうという野心家ともいえず、豊臣家の忠臣と評価するのも・・
彼の立場は豊臣への忠節というより、政権への忠節・・
現代風に言えば長年勤めた会社への忠義と仕事への愛着であったのではないか?
  逆にいえば、そんなだから秀秋を関白にするだのといった発想もでたのではないか?
淀にしたら自分の息子じゃなくても、だれか皇族(確か秀吉の猶子がいたよね)とかに
豊臣氏長者に降下して貰って政権が続けばよいという発想の香具師に
息子預けて大事な一戦したくないと思われたのが、齟齬をきたした一因かもね

小早川秀秋
  秀秋は気弱な馬鹿殿にしたほうが家康に都合よく、その辺で考えてみるべきかも・・
彼が東軍に味方した一因は、家康に恩義があったのと
逆に三成とかには、関白秀次事件の暗いイメージがあって明日はわが身?
と信用無さ杉。
  若年過ぎ名参謀がつけば名君にもなりえ、さもなくば暴君にもなりえる
未知数の・・いわゆるファジーな香具師
182日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:05:14
毛利輝元
  毛利の家中をまとめきれず分裂させたというのに疑惑あり。
毛利の西軍参加は「上杉が屈服したら次は毛利が標的」という至極妥当な
情勢分析なのだから、毛利の総意であって不思議は無い。
  勝って豊臣の中枢に居座ってしまう予定だが、負けて全責任を取らされるのは
嫌だから吉川広家が家康サイドとの秘密交渉にあたり、負けたらエケイが責任を
とって毛利の家は残す。
というのが路線で、広家は立場上家康サイドに元から近いので【万が一の保険として
家康と密約した】
多分、エケイもそれを承知であったろう。という見方が出来る。

  輝元最大の誤算は長期戦を前提にしていたのが思わぬ短期決戦で
西軍壊滅したせいだと思われ。
  秀秋裏切りの時点で「西軍首脳が佐和山への早期撤退を行っていれば」
軍勢の大半は失ってもまだ戦えた。
論に秀秋裏切りから一時間大谷は奮戦していたのだから・・
大谷が壊滅するというか裏切り時点での撤退なら戦力はj結構温存でき劣勢は
挽回できた。

  佐和山への西軍撤退あとに毛利が参加する。
その後、劣勢を挽回(この時点で西軍の大半が残ってれば結構西軍の勝率はあった)
しても三成や秀家の面子は潰れてる、輝元はこの時点で妥当なところで家康と和睦
すればよいくらいの戦略だったんだろう。

  関が原での敗戦は計算に入っていたが、西軍の負けっぷりは異常ともいえ
家康自身も予想もしてないほどの大勝利だったのが誤算
あの大勝利の勢いを前に大阪篭城しても無意味と悟ったのかも。
たとえ大阪篭城しても東軍の武力を背景に朝廷が討伐の綸旨でも出せば終わりなのだし。

183日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:06:38
 逆にいえば三成や秀家は、このまま早期撤退したら勝っても毛利の風下になるのは
目に見えていたんで、ふんぎりがつかなかったと思われる。面子の問題でもあったし。



というのが5名への評価だった。
  なかなか面白い見方だとは思ったよ。
後西軍が、こうすりゃ勝てたというのに東軍が大垣城を水攻めしてたら・・とか
意外なイフもあったし・・・
184日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:07:33
しかし毛利はアホだよどう考えても
毛利本体が出張って本気で戦えば家康は完全に終わってた
気を逃さずに天下を望めば穏便な形で豊臣政権の最高執政者になれたのにね

結局それほど戦いたかったわけじゃないんだろうな
家康を積極的に憎む理由がないもんな
185日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:17:20
>>182
> 勝って豊臣の中枢に居座ってしまう予定だが、負けて全責任を取らされるのは
> 嫌だから吉川広家が家康サイドとの秘密交渉にあたり、負けたらエケイが責任を
> とって毛利の家は残す。

ここはどうだろうか
勝つといっても毛利が参戦しなければ勝てるはずがないわけで
これでは最初から関ヶ原の敗北を自ら決定してしまっていることにならないだろうか?

関ヶ原の様子はどの程度のタイムラグで大阪城に届いてたんでしょうね?
186日本@名無史さん:2005/09/04(日) 04:42:49
>>172
相手の立場になって考えられないから凡将なんだろw
187日本@名無史さん:2005/09/04(日) 12:15:05
>>186
簡単に言うがそれをするのは難しいことだぞ。
特に家康の真意が分かっていないのだから。
その後の歴史を知っていてさえ、
家康に簒奪の意思はなかったと言い出す者までいるのだから。
当事者がそこまで理解できなくてもそう責められるようなことじゃあない。
188日本@名無史さん:2005/09/04(日) 12:20:27
>>184
そう思えるのは秀忠遅参というアクシデントがあったから。
秀忠が間に合えば、毛利本隊が参加しても兵力は拮抗、
寄せ集めで内応者もいる分やはり西軍不利。

まあ、だからって積極的に動かなくなってしまうのでは、
やはりアホと言われても仕方がないかもしれないが、
本気でやれば勝てたのにやらなかったというわけじゃあない。
189日本@名無史さん:2005/09/04(日) 14:13:13
>>188
家康公の直率三万の精鋭に恐れをなしたんだと思われ。
190日本@名無史さん:2005/09/04(日) 14:45:03
毛利、関ヶ原で本気で戦ってれば天下取れたなw
191大和天狗:2005/09/04(日) 18:06:26
おおぉ
192日本@名無史さん:2005/09/04(日) 18:11:24
家康自身の血判状貰えなかった時点で毛利の負けは確定。
193日本@名無史さん:2005/09/04(日) 18:25:31
毛利としては小山会談での福島の行動を読み違えたのだろう。
その段階で戦意喪失。
194日本@名無史さん:2005/09/04(日) 18:30:41
松尾山から小早川が、南宮山からは毛利が駆け下り
東軍を壊滅させ西軍大勝利も、主だった武将を取り逃がす。

この先を誰か想像してみて
195日本@名無史さん:2005/09/04(日) 18:43:19
東軍総大将福島説
196日本@名無史さん:2005/09/04(日) 18:52:14
>>194
敗走した東軍と中山道から遅れて来た秀忠軍が合流して
再度合戦。
197日本@名無史さん:2005/09/04(日) 19:22:39
>>196
秀忠軍3万8千じゃ差があり過ぎない?
198日本@名無史さん:2005/09/04(日) 19:35:30
>>194
その仮定は難しいな。毛利と小早川が挟撃したら
ほぼ間違いなく徳川は全滅するしな。仮に家康が生き残ったら。
佐竹をはじめ関東周辺から切り取り始めて、結局徳川の天下になるだろうな。
199日本@名無史さん:2005/09/04(日) 19:39:36
>>197
合流したら西軍じゃあ立ち打ち出来なくなるね。
200大和天狗:2005/09/04(日) 20:37:39
フフフ
201日本@名無史さん:2005/09/04(日) 21:27:31
万単位の兵士の殲滅戦など、大阪の役以外に例がない。
夢想歴史小説の読みすぎか、ゲームのやり過ぎだな。

あの時代の合戦は、敵を全滅させることが目的ではないよ。
202日本@名無史さん:2005/09/04(日) 23:30:59
もし関ヶ原で東軍が負けていれば、その後秀忠と合流出来ても勝算は少ない
勝ったから東軍には裏切りが出ていないが、負けていれば裏切りもあるだろ
佐竹なんてここぞとばかりに関東で暴れそうだ

西軍が纏まれなかった理由として
@大坂での増田の言動
A小山会議での予想外の団結
B岐阜落城
この辺じゃないかな
203日本@名無史さん:2005/09/04(日) 23:40:17
謀反の正当性を得られなかったのが一番だな。
家康は秀頼の命を受けての会津征伐。

西軍は所詮クーデター。
204日本@名無史さん:2005/09/05(月) 00:04:19
殲滅戦は長島あたりぐらいじゃないか

大坂でも全滅はしてないと思う
205大和天狗:2005/09/05(月) 00:18:20
Gooooooood,gooooooood.
it is your distney.
206日本@名無史さん:2005/09/05(月) 01:18:42
>>203
小山会議の時点でそのように諸将に思い込ませた家康の作戦勝ちだな
207日本@名無史さん:2005/09/05(月) 01:33:43
>>206
思いこませたというのもあるが、事実としてそういう形だったが?

結局、三成には名目的大義はなく、武断派を威服はできなかった
208日本@名無史さん:2005/09/05(月) 02:24:44
小山の評定については、『関ヶ原合戦と近世の国制』という学術論文集で新しい説が出されているよ。
今までの事実認識に誤りがあるらしい。

209日本@名無史さん:2005/09/05(月) 02:48:54
>>203
はあ?上杉討伐が秀頼の命だと?
それなら大名間の婚姻を許可無く進めた徳川討伐も秀頼の命だろ?
210金吾秀秋:2005/09/05(月) 04:31:17
名目的大儀が無いのに、まったくしょうがないやつだな(´・ω・`)
211日本@名無史さん:2005/09/05(月) 05:31:15
>>209
相手するな。語るに足りない子供なんだよ。
212日本@名無史さん:2005/09/05(月) 06:51:24
上杉討伐は形の上では秀頼の命令だよ。

それに現に上杉は五大老の一人なのに上洛もせず、国元で浪人を雇い城を整備し軍備を増強を続けるなど、
ちゃんと討伐するだけの口実があった。
あながち、家康のゴリ押しとは言えない。ゴリ押しだったら諸大名もあんまり言う事聞かないだろう。
213日本@名無史さん:2005/09/05(月) 07:00:32
あと上杉家って周囲の大名すべてに恨みを買ってて味方が少ない。

越後の堀家 国替えの時に植えすぎ家に半年分の年貢を持ち去られて経済的に困窮した。
しかも優秀な農民は取れていかれ、領内には上杉家の武士を残された。
最上家 昔から上杉家と抗争が多くいじめられ続けていた。
伊達家 親豊臣の上杉とは仲が良くなく悶着が多かった。
蒲生家 上に同じだが、蒲生は徳川と縁が深かったのでなおさら。

あと前田家にも「上杉、生意気」みたいな逸話が伝わってるし、
上杉家って名門の誇りが強すぎて周囲にけむたがられてたのかね。
味方になる人物はそれこそ石田三成くらいしかいなかったわけだが・・・
214日本@名無史さん:2005/09/05(月) 07:04:51
>>152 >>153
伏見城の戦いで最も奮闘したのが
長束の部隊だったりする。
彼が鳥居元忠討ち取りの原動力だった。
というわけで、もう後戻りはできなかったのだが。
215日本@名無史さん:2005/09/05(月) 07:07:20
>>152 >>153
伏見城の戦いで最も奮闘し、
鳥居元忠討ち取りの原動力になったのが
長束なのだが。
216日本@名無史さん:2005/09/05(月) 07:07:41
>>209
いいや、家康追討は秀頼の命ということに出来なかったんだよ。
家康の上杉攻めは豊臣家から命じられそこから金や兵糧を与えられての行動だが、
西軍の行動はそのような裏打ちがない。

散々言われていることだが、豊臣家を味方につけられなかったのは、
西軍の大きな敗因の一つ。
217214 215:2005/09/05(月) 07:08:36
悪い
書き込みが反映されなかったので。
218日本@名無史さん:2005/09/05(月) 07:59:47
そういや天保・天明の飢饉で東北諸藩が大量の餓死者を出した時にも
米沢藩だけは上杉鷹山の善政で一人の餓死者も出さなかったという。
上杉家は東北でも特別な存在らしい。
219日本@名無史さん:2005/09/05(月) 08:48:31
>>212>>213
同じ人が書いたっぽいから連レスするが
上杉討伐は確かに形の上だけは秀頼の命令にしたが、あくまで形だけだ
秀頼をないがしろにして天下様を気取ってたのは自他共に認める行為をしたj。
諸大名との婚姻・勝手に領地を与える等キリがない。

上杉の周囲の大名は確かに敵は多いが、周辺大名との折り合いの悪さは
別に上杉に限った事じゃない。例を挙げれば加藤清正と小西行長だな。

>あと前田家にも「上杉、生意気」みたいな逸話が伝わってるし

これは前田と上杉の殿中での道をどちらが譲るかで始まった事を言ってるのか?
だとしたら知識が足りないぞ。利家の晩年に既に仲直りしている。
徳川の横暴に対して他の四大老が連署で問罪使を送った時に徳川が反発したため
あわや合戦騒ぎになったが、その時にも前田邸に大老は全員助勢として
詰めている。勿論、上杉景勝もだ。

>>215
おいおい、伏見で一番活躍したのは吉川だよ。
主人の裏切りの噂に反発するかのように突撃して
沢山の家臣が死んだ。
220日本@名無史さん:2005/09/05(月) 10:53:01
>>219
長束が最大の功労者だろう、彼の謀略が大きかった。
それに槍働きでもかなり活躍した。
文官=弱いとは限らないという事。

それと上杉の場合は周り中全部敵だからね。
最上と蒲生が後に改易されたのはざまあみろだね。
221日本@名無史さん:2005/09/05(月) 11:04:24
>>220
219だが、奮戦って言うから言葉通り、槍働きの事かと思ったよ。
確かに、甲賀衆を寝返らせる等の謀略はよくやったと思うけど
鳥居が篭もってた兵力から考えると、特に誰が奮戦しなくても
軽々と落とせるはずだったけどね。
最初ビビって銃撃戦しかしなかったせいで遅れたけどw
222日本@名無史さん:2005/09/05(月) 11:53:03
>>208
パンピーなんだけど、入手する方法はある?

図書館で見るとか?
223日本@名無史さん:2005/09/05(月) 12:05:40
>>219
ごり押ししたり横暴だったのは事実

それと同じ流れで、形だけ秀頼の命にした

形だけだが正当化される

形だけにせよ、東軍は豊臣軍
224日本@名無史さん:2005/09/05(月) 12:05:45
225日本@名無史さん:2005/09/05(月) 13:30:51
家康は秀頼様より政権を預けられし五大老筆頭だぞ。
そんな彼が形の上は逆賊となるヘマを犯すわきゃない。

それに比べて三成の挙兵は個人の考えでしかなかったし。
226225:2005/09/05(月) 13:33:05
個人の考えでしかない三成の挙兵を
いかにもまともなみのに見せかけたさん成の手腕も流石かもしれない。
多くの大名が騙されたのだからな。
227日本@名無史さん:2005/09/05(月) 13:43:00
結果的には負けたが、20万石で250万石に喧嘩を売って
謹慎中なのに西軍を形成して天下分け目にまで持ち込んだ手腕は恐るべし
228日本@名無史さん:2005/09/05(月) 13:55:07
>>209=211
>それなら大名間の婚姻を許可無く進めた徳川討伐も秀頼の命だろ?
秀頼の命令?
会津征伐は、形式的にしろ秀頼から命を受けて行われてる
私婚がいつ、日でよりから命令受けてるのだ?
それならとか、意味不明な繋げ方するな

>>219
>秀頼をないがしろにして天下様を気取ってたのは自他共に認める行為をしたj。
自他共に認める行為とは?
会津征伐までに、どんな行為して、「秀頼を蔑ろ」にして「天下様を気取った」と当時に認識されたのか?
229日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:05:58
>>228
「秀頼を蔑ろ」にしたとまでは言えないが、「天下様を気取った」ぐらいはあっただろ?
230日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:07:42
>>229
具体的に
231日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:10:12
>>230
大坂城に天守をつくったというのはどうだ?
232日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:18:50
>>231
西の丸の天守建築がどうして天下様気取りなのか?
天守建築するのは、家康襲撃の話の後
233日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:20:29
>>232
じゃあ何で天守をつくる必要があるのか?

江戸城に天守が2つあるのか?
他にそんな城があるのか?

襲撃されたら何でもやっていいのか?
234日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:24:11
>>233
天守作る理由付けになってる
問題は「天守作ったら天下様気取り」と当時の誰が認識していたのか?
自他ともに見てもてたのだろ?

233の主観や感想聞いてないんだよ
235日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:26:42
>>234
何で理由付けになっているのか?

襲撃されたら何でもありなのか?

その論理自体がおかしいことに気がつかないのか?

234の主観ではなしに
236日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:28:37
>>234
1つの城に2つ天守というのは異常とは思わないのか?>主観でOK

当時のやつは普通と考えていたのか?>客観で
237日本@名無史さん:2005/09/05(月) 14:36:01
>>235-236
問題は「天守作ったら天下様気取り」と当時の誰が認識していたのか?
自他ともに認めてたのだろ?

>>235-236の個人的見解や主観は聞いてない
238日本@名無史さん:2005/09/05(月) 15:22:56
>>228
>秀頼をないがしろにして天下様を気取ってたのは自他共に認める行為をしたj。
>自他共に認める行為とは?

1:秀吉の遺命で加増・減封は秀頼が成人するまでしてはならない
と遺したにも関わらず、勝手に諸大名に領地を与えた(豊臣蔵入り地から)

2:大名同士の婚姻も同様に禁止されてたが勝手にやった。
詰問に対して家康は[忘れてた]とのこと

3:家康が詰めていた西の丸に天守閣を造らせた。
勿論、奉行・中老・他大老の反発があったが強引に決行。
天守閣とは言うまでもないが、城の主が居る場所であり
秀頼を蔑ろにした行為の最たるもの。

4:秀吉の死後、自分の家臣達に豊臣の財政から
兵糧を勝手に使った。諸大名は全て自費と決められていたにも
関わらず。

他にもまだあるけどまだ知りたい?
239日本@名無史さん:2005/09/05(月) 15:29:53
>>225
>家康は秀頼様より政権を預けられし五大老筆頭だぞ。

次席大老の前田に難癖付けて取りつぶそうとしたけどねw
240日本@名無史さん:2005/09/05(月) 15:52:00
家康の自作自演?
241日本@名無史さん:2005/09/05(月) 15:56:15
>>240
なにが?
242日本@名無史さん:2005/09/05(月) 16:25:05
>>241
馬鹿っぽい徳川擁護が
243日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:04:07
家康にすれば、毛利輝元の扱いなど「児戯」にも等しかっただろう。
上杉なども、情けない限りだ。
家康が翌年早々上杉に侵攻するなどと情報を流されるとあわてふた
めき、まっ青になってしまった。

12月下旬には徳川に頭を下げに出かけている。
244日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:32:25
>>237
だから論理的反論もできないのだからそういうことでいいだろ

それともお前は江戸城に天守が2つあるとでも思うのか?
自他共に認めているのか?
245日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:33:31
>>238
他にもまだあるけどまだ知りたい?

please
246日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:34:42
>>243
従って、石田−上杉密約があったと思うがどうよ?
247日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:07:30
家康が天下様を気取ったとか、そんなもんどうでもいい話。

家康の会津征伐は秀頼の正式な命令を受けてのものであり、
東軍こそが豊臣正規軍である。
一方、三成は豊家首脳に家康征伐命令を出してもらうよう依頼しただろうが、
断られた。ゆえに西軍は私の軍。
西軍=豊家の軍勢と勘違いしてる人もいるようだが、以上の事実がすべて。
豊家を味方につけられなかった時点で、三成の計画は大きく崩れたといっていい。
248日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:17:46
天下様の代理を気取っただけ
実際に代理だし
249日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:26:25
っていうか、大坂城に天守が二つって?
家康がつくったのはただのでかい櫓じゃねーの?
天守以外にでかい櫓がたってる城はめずらしくないが。
250日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:49:48
>>233
鎌刃城
岐阜城
251日本@名無史さん:2005/09/05(月) 20:12:30
五大老制というが
実際は
徳川家康(天下政務差配)の伏見=前田利家(豊臣家後見)の大阪
の二元老による連立政権で、相互牽制しあい
他の3大老はその補助的なもんだという説があるんだが・・
 つまり5大老でも徳川&前田と他の大老は序列というか格が
政権内でも違っていたというのが
どうでしょう?
 たしかに家康・利家と他の3名は核が違いすぎる気がする。
この5名が同列にあつかえるとは思えんし。
252日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:25:07
>>247
家康を糾弾した宣戦布告状である「内府ちがいの条々」は豊臣奉行衆連名をもって発布されているけれど何か?
関ヶ原の西軍に豊臣家の旗本直臣衆が加わっていることもお忘れ無いように。

253日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:50:32
>>252
その「内府ちがいの条々」には秀頼のサインはあるんかい?
それがなければ、豊臣家公式の文書と認めることはできんわな。
現代でも、企業間の重要なことを取り決めた契約書には社判と社長印が絶対に必要である。
先月衆議院が解散したが、解散を宣言する書類にはちゃんと玉璽が捺されている。
トップのサインなり捺印がなければ、それは公式な文書とは見なされないの。

乱暴な例をひとつ。
関ヶ原に至る以前に、本多忠勝や井伊直政が西軍の大名に書状を送りまくっている。
まあ、たいていが「東軍に味方したらこれこれの恩賞を与える」というようなもの。
だけど、戦後に家康に「そんなの知らないよ。家臣が勝手に送った書状でしょ」
と言われてしまえば、その書状に家康の花押がない以上文句は言えないのさ。
まあ道義的には大いに問題あるだろうが、法的には全く問題ない。
社会ってのはそうなってんの。
254日本@名無史さん:2005/09/06(火) 00:03:08
西軍に豊臣の旗本衆が参加していたことについて。

早い話がさ、豊臣家の首脳部(片桐あたりか?)は二股かけたんじゃないかな。
東軍が勝ったら、よくぞ三成によるクーデターを沈めてくれたと家康を賞賛。
西軍に対しては、公式の文書は発行できないけど、一応形だけ軍勢を派遣しておく。
そして西軍が勝ったら三成を賞賛しまくる。
豊臣家の首脳部もどっちに転んでもいいように手を打っていたんだよ。

ちなみに西軍に軍勢を派遣していたことについては、確か家康は糾弾してないはずだ。
さすがの家康もそこまでは言えなかったんだろうな。
255日本@名無史さん:2005/09/06(火) 00:27:52
大老→豊臣家直属の超大身
奉行→豊臣家直属の大身
七手→豊臣家直属の中小身

みんな等しく豊臣直属の下僕です。
256日本@名無史さん:2005/09/06(火) 00:48:20
>>254
秀頼(その周り)はそうだよ
あの状況では天皇のような者で勝った方を承認するしかない
また自己の安全第一だから責任を追及されるようなことはしない
出陣なんかするわけない
257日本@名無史さん:2005/09/06(火) 01:04:55
増田なんかは二股だった

三成が勝てば、奉行派の勝利として自分も勝利

家康が勝つのに備えて情報を流し自分は味方だとアピール
看破されたようで意味がなかったが
258日本@名無史さん:2005/09/06(火) 01:48:39
徳川が豊臣の正規軍?何言ってんだよ。
戦後に天下を乗っ取っただろうがw
259日本@名無史さん:2005/09/06(火) 01:57:47
家康は豊臣の正規の軍隊ですが?
関ヶ原後も天下獲ってないし、豊臣政権の絶対的な第一人者という立場。
天下獲ったと思われたのは秀忠に将軍職譲ってから。
それまで年始の挨拶は、皆、秀頼を先にしてます。
260日本@名無史さん:2005/09/06(火) 02:01:36
>>258
形式的には正規軍

正規軍がクーデターで政権を取るなんて、よくあるけど?w
261日本@名無史さん:2005/09/06(火) 02:12:38
どうやら基地外が一人いるようですね。
262日本@名無史さん:2005/09/06(火) 05:30:37
徳川、前田の両大老に福島や浅野、大野など、豊臣の中心人物と
いってよい人物が、ほとんど東軍にいるのだから、東軍が豊臣軍
として認定されていたことは確実。
西軍は毛利、上杉、島津、長曾我部、宇喜多など、戦国大名中心
で、織豊政権の主立った武将の大半が、東軍に付いている。
263日本@名無史さん:2005/09/06(火) 06:13:11
>253
古文書の無知をさらけだしとるな。豊臣五奉行の奉書というのも知らないと見える。
五奉行連名の奉書には、秀吉のサインも印判も無いということを勉強しときなよ。
これは江戸幕府の公文書についても同じ。中世の奉書や御教書でも同じだわな。
264日本@名無史さん:2005/09/06(火) 10:24:17
狸が豊臣の正規軍?馬鹿ジャネーノw
当時8歳の秀頼が事の是非を理解して狸に上杉討伐を命令したのかよw
妄想乙w狸ヲタ必死過ぎてキモイよwww

実際は正規軍もへったくれも無いんだよ。
狸の軍門に降った豊臣恩顧の武将達は、ただ己の保身の為に実力第一人者の狸に付いただけだろ。
福島や黒田あたりは三成憎しの感情だけで狸側に付いただけの話だし。
狸側には大老の前田も居るとか言ってんけど、秀吉が大老に指名したのは前田利家な。利家の愚息なんざ誰からも相手にされてないのw
それから宇喜多秀家は秀吉が目を掛けた縁者の一人。なんか勘違いしてない?

結局のところ狸側も狐側も正規軍で無いと言えば無いし、有ると言えば有るって事だろよ。
狸ヲタはちょっと擁護し過ぎだろw狸マンセーは三河のド田舎だけでやってくれよwww
265日本@名無史さん:2005/09/06(火) 11:10:27
>狸マンセーは三河のド田舎だけでやってくれよwww
全く同感!
徳川のクソは関東土着の大名も片っ端から追放しやがったよそ者。
266日本@名無史さん:2005/09/06(火) 11:40:14
>>262
前田は利家が死んでるから大老じゃないよw
西は宇喜田、上杉、毛利の三大老に石田、増田、長束の
三奉行もいるじゃん。君は徳川を正規軍にしたいみたいだが
それでどうするの?
267日本@名無史さん:2005/09/06(火) 11:43:24
付け加えると、前田が徳川についたのは利家死後に
徳川から暗殺の難癖付けられて取りつぶされようとしたからだぞw
人質に実母まで送った利長ショボイが、あくまで威圧外交の結果。
直江状にも書いてあるだろ
268日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:09:49
幼児が判断できないことは同意だが、東軍が正規軍であることは間違いない
それとも東軍は大坂を無視して行動したとでも思っているのか

西軍は大坂の承認を得ていない
それとも秀頼の周りが西軍を正規軍と認めて東軍の攻撃を認めたのか
269日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:11:10
学問板で後世の偽書とされる直江状を根拠にするのは逆効果だと思うが
それともネタで言ってるの?
270日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:40:50
>>266
前田は利長が大老だろ

利長はクビになったのか?

徳川が正規軍で何か不都合でもあるのか

石田は謹慎中だから数えられないのでは
271日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:42:33
一番凄いのはハンセン病でモーホーな大谷良継。
272日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:21:13
>>268
仮に東軍=狸軍が上杉討伐の正規軍だったとしても、対西軍との戦は別問題だろよw
おまいの言う大阪って誰のことよ?秀頼?淀?もしかして大阪に居た毛利か?w
273日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:35:38
気のふれた方がいらっしゃいます
274日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:20:51
上杉討伐は豊臣秀頼の名に於て軍令条が出てるの?
徳川討伐は毛利輝元の名に於て軍令条が出てるの?
1600年当時の豊臣政権は死亡した前田と謹慎中の石田を除く4大老4奉行の合議製?
上杉討伐って誰が決めたの?何かおかしくない?
徳川討伐って誰が決めたの?何かおかしくない?
275日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:02:09
>>270

前田利長は大老じゃない、利家だっつーてるだろうが。
誰が大老かすら知らないでゴチャゴチャ言いすぎ。
276日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:19:58
良スレだったのに徳川キティーな方のおかげで腐っちゃったな。

一つ良いエピソードを話してやる。
徳川の上杉討伐は確かに形の上では豊臣の命って事になってる。
そうしなきゃ軍を動かせないからな。しかし上でも書かれてる通り
幼児にそんな判断は出来ないから徳川が勝手にやったと考えるのが普通だ。
西軍の徳川討伐も同様に、ちゃんと秀頼の名でやっている。

ちなみに、幼児とは言え自分に好意的な人物かどうかくらいは解るようだ。
家康が上杉討伐で秀頼に拝謁した時には終始不機嫌で声もかけなかったそうだが
毛利輝元が大阪入場の折りに拝謁した時は幼児ながら[予を頼むぞ]と声をかけ
それを聞いた輝元は感激して涙して100万石の涙と殿中の話題になったそうな
この時、毛利も豊臣の命で徳川討伐の許可を得ている。
277日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:24:54
なので、正規軍はどちらか?豊臣の命にこだわるならば
両方許可を取ってるから、どちらもそうだとも違うとも言える。
というより正規軍云々に拘る理由が解らないし、どうでもよい問題だろう。

徳川はその後豊臣の天下を簒奪したし、関ヶ原前後の行動も
みな天下を狙ったものだと云うのは疑いもない事実だ。
何よりやり口が汚く暗い。大阪の陣では豊臣が送った年賀状を
徳川を呪詛(呪い)しているとイチャモン付けての会戦なんて
呆れるばかりだ。
278日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:33:20
>>277
大阪の陣のスレ立てる?
『国家安康』の一文を呪いだと難癖付けたり、講和後に大阪城の掘りを勝手に埋めたり…
一門の武人にあるまじき見苦しく薄汚い手口を、徳川厨がどう正当化するか見物だ罠。
279日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:51:22
だからね、どっちも正規軍でいいわけだよ。
それをさも東軍が賊軍であるかのように言うのが問題なわけ。
(西軍がクーデター軍と言うのも無茶がある)

それから、徳川が豊臣の天下を簒奪したが、それがなんだというのか。
秀吉は織田家を簒奪しなかったか。
力あるものが権力を握るのは戦国のならい。
豊臣とて実力でもって天下をとったくせに、徳川がそれをやるのはおかしいというのは、
道理が合わないとは思いませんか。
豊臣家が滅ぼされたのは、天下の実権が徳川に移った後も
盲目的に天下様を気取り、徳川からの譲歩案(大和郡山移封他)を
拒否し続けた豊臣家にも大いに原因があるのではないか。
方広寺の鐘の話なんぞは、キッカケにすぎん。
もっと大事な部分に目を向けるべきだな
280日本@名無史さん:2005/09/06(火) 18:47:49
正規軍の話は、もういいよ。

で、加藤清正の死因って判っているの?毒殺?病死?
281日本@名無史さん:2005/09/06(火) 18:59:31
そもそも信長も室町幕府を滅ぼしたし、
それ以前に主君筋の尾張守護代織田信友を討ってるし(これは信秀の代からないがしろにしてたのだが)、
織田信友も尾張守護のシバ氏を討ってるし、

だれが正当とか言うことはないね。
282日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:00:34
>>280
毒殺だろうな。豊臣恩顧の大名が不自然に死にすぎてる。
283280:2005/09/06(火) 19:03:43
>>282
誰が殺したの?
284日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:07:31
>>280
加藤は病死だよ。
それ以前に病に犯されてたし、
本人も早く死にたいとか言ってたから、
不自然なとこは一つもない。
他の豊臣恩顧(といわれている大名)も当時としては平均寿命程度だし、
若死にと言えるのは浅野幸長と池田輝政くらいなうえ、
池田輝政はガチガチの親徳川で殺す理由なし、
浅野幸長も二乗城の会見は単に家康の命令で秀頼母子を説得しただけで親徳川。
そもそも何で福島、加藤義あきが殺されないんだか。
285日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:09:04
>>283
そりゃ徳川しか居ないでしょ。
286日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:12:00
前田利長が太閣恩顧にされてるくらいだからな。
あと浅野長政とかどうでも良い奴だし。
287日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:12:30
>>284
加藤嘉明は死んだじゃないかw
清正は確かに梅毒持ちだったけど、死に方は不自然だよ。
血を吐いたりした時に、家臣が毒を盛られてるのでは?と進言したら
滅多な事を言うもんじゃないと窘めたようだが、どうも清正自身も気付いてた
節があるな。悲しい男だ・・・
288日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:13:24
西軍はクーデターじゃん。
「内府ちかひの条々」を奉書とかヌかす馬鹿いるが、あれは奉書じゃない、私的な弾劾状。

これを豊臣政権の公式文書というのが成り立つなら、家康が発給した文書も景勝が発給した文書も
豊臣政権の役職にある人間が発給した文書は、全て豊臣政権の公式文書となる。

西軍は挙兵に関して、秀頼から何ら得てない。
会津征伐という秀頼の命を受けつつ行った軍事行動中に、弾劾状が出され
クーデターの軍が結集した、それだけ。

>>276
>西軍の徳川討伐も同様に、ちゃんと秀頼の名でやっている。
ソースplz
関ヶ原で秀頼が関与してると思われるのがあるが、「西軍の徳川討伐」に「秀頼の名」、秀頼の裁可を得て
行ってるのは見たことがない。
289日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:13:43
>>283
そりゃ勿論たぬkうあなにをするやめ(ry
290日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:14:36
>>272
大坂は豊臣政権の代表

結局豊臣として承認できるのは家康だけか
291日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:15:00
>>288]
お前はもうこのスレあぽーんして消えていいよ。
292日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:16:49
>>275
じゃあ5大老制じゃなくなったのか
4大老制か?
293日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:16:55
>>291
はいはい捏造君はとっとと消えろ。
294日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:17:20
>>287
あっ、そうだったか悪い。
しかし少し譲歩しても不自然なのは清正だけね
その清正も病持ちだし自然死の可能性の方が高そう。
295日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:18:11
>>288
話にならんw
おまいはもう三河にカエレ!
296日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:18:59
>>288
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
297日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:19:37
徳川を征伐するというのであれば、あの戦いは徳川対豊臣ということだったのだな

であれば当然豊臣にも責任があることになるが

また福島らは逆臣ということだな

おまえ、大丈夫か?
298日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:19:49
常山紀談がソースになるのか!?
笑わせるな、馬鹿w
299日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:22:25
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
300日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:23:53
>>297
馬鹿はおまい一人だろw
関ヶ原の戦は豊臣家の家臣の内乱って位置付けが最も正しい解釈だろよ。
低能狸ヲタは三河へ消えろまじで!
301日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:24:19
直江状とか常山紀談とか、明らかにわざとやってる奴がこのスレにいるだろw
302日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:24:21
一方が正式に承認されていて、他方が無許可で集まってしかも豊臣の大老を倒すというのだから
反乱軍だろ
それとも秀頼を倒そうが反乱軍ではないのか

反乱軍が悪いという話ではない
303日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:25:12
>>300
豚は地獄へ堕ちろ

大阪湾へ沈んでろw
304日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:26:10
>>301
つか、この荒れようであれば、直江状ぐらい大したことではないだろw
305日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:28:44
会津征伐の軍勢は秀頼の裁可を得て行ってます。
西軍は秀頼の裁可を得てません。
東軍は西軍のクーデターを鎮圧するのが目的です。
306日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:30:20
>>284
福島政則は殺されこそしなかったけど
城の普請を咎められて福島家は取り潰しになったな。
307日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:33:45
どうしても徳川が官軍で石田が賊軍じゃないと気が済まない馬鹿がいるな
308日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:35:16
>>307のような理解しか出来ないから西軍厨は嫌われるんだね
309日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:36:26
結局、徳川専制に近い状態だったから、豊臣秀頼の名で何かできるのは
あのときは家康しかいなかったんじゃないか
もちろん西軍はそれを引き出そうとしたり、騙ったりすることはあったかもな

それから秀頼サイドとしては争いに巻き込まれたくなかったんだろ
西軍を承認すれば責任問題になってくるからな

西軍が勝てば、西軍を事後承認
東軍が勝てば、東軍を承認

どちらにしても安泰
310日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:37:54
>>308
徳川官軍説はお前一人だろうがw
311日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:38:32
せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。 せ
めて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。 せめ
て常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。 せめて
常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。 せめて常
山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。 せめて常山
紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。 せめて常山紀
談くらい読んでから出直した方がいいよ。 せめて常山紀談
くらい読んでから出直した方がいいよ。 せめて常山紀談く
らい読んでから出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くら
い読んでから出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい
読んでから出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読
んでから出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読ん
でから出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んで
から出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでか
ら出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから
出直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出
直した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直
した方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直し
た方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直した
方がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直した方
がいいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直した方が
いいよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がい
いよ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいい
よ。 せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ
。 せめて常山紀談くらい読んでから出直した方がいいよ。
312日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:40:12
>>310みたいな事実確認も出来ないのは放置

>>309のような見解でいいと思う
313日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:40:37
フシアナを使って徳川官軍説を支持する奴、挙手させたらはっきりするなw
314日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:40:51
秀頼の命による東軍対上杉石田毛利の反乱による西軍、と言う位置付けとなると…
仮に西軍が関ヶ原に勝利した場合の目的はなんなの?挙兵の動機は?
西軍が反乱軍と決めつけるのは用意だが、何の為の反乱なんだ?
狸ヲタ君の説明キボンw
315日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:41:23
>>310
戦国時代に官軍を名乗った椰子はいないだろw
316日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:43:45
>>314
徳川の天下取りを邪魔した反乱w
317日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:45:51
秀頼の命を受けての会津征伐。
その最中に弾劾状を使って、豊臣政権を私物化したとして、徳川家康の排除を大儀名分とし、クーデターを敢行。

官軍という言葉使ってるのは、>>307=310=313のみw
318日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:49:13
>>317
自分で言ってておかしいと思わない?クーデターって言葉の意味わかってる?
319日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:52:14
秀吉の遺言に背いた狸を排除する為の挙兵なら『クーデター』と言う言葉は当てはまらんだろw
320日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:54:11
>>318
狸ヲタって元祖狸によく似て滅茶苦茶な横車が得意なんだねw
321日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:00:35
現行法で、悪人を私刑で殺したら正当化されると思うか?
322日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:01:23
おっと間違った

現行法で、悪人を私刑で殺したら法的に正当化されると思うか?
323日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:03:25
>>321
ぷっwwwww1600年と2005年を同軸で語る馬鹿ハケーンwwwww
324日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:04:10
クーデター [(フランス) coup d'tat]


既存の政治体制を構成する一部の勢力が、権力の全面的掌握または権力の拡大のために、
非合法的に武力を行使すること。国家権力が一つの階級から他の階級に移行する革命とは区別される。

325日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:04:29
まあ待て、落ち着いて>317の言い分を分析しようぜ。

>秀頼の命を受けての会津征伐。

ここから既におかしい。秀頼の命じゃなくて家康が私的に討ちたかったんだ。
秀頼の命って事にしなければ軍を動かせないから、秀頼に形式上の許可を取っただけ。
幼児に命を下すなんて事が出来ないのはわかるな?

>その最中に弾劾状を使って、豊臣政権を私物化したとして、徳川家康の排除を大儀名分とし

そもそも何故、家康を討とうと西軍が集まったんだろうな?その理由としては
>>238に書いてあるね。加えて、前田を脅迫して人質を取ったり、同じ大老の上杉を
討とうとしたしたからだ。おかしな点はあるか?

>クーデターを敢行。

クーデターってのは政権転覆を指すから、秀頼を討とうとした挙兵じゃないから
クーデターじゃないぞ?

よし、徳川贔屓の君の意見を聞こうじゃないか。
326日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:07:11
>>325
私的に上杉を掣肘しようとしたのは同意。
でもな、形式上でも裁可を得たのは事実なんだよ。

理由が正しいが正しくなかろうが、秀頼の裁可を得ていないからクーデターと言ったまで。
反乱軍とは違うから。

>クーデターじゃないぞ?
>>324

特に徳川ひいきじゃないが
よし、西軍贔屓の君の意見を聞こうじゃないか。
327日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:09:15
>>318-320が哀れ過ぎる件についてw
328日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:10:50
>>326
お前は一体何を言いたいんだ?徳川の関ヶ原における
西軍がただの反逆行為で徳川はただまっとうな政治的・軍事的行動だと?
329日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:12:13
>>328
お前は何が言いたいんだ?

>徳川の関ヶ原における西軍がただの反逆行為で徳川はただまっとうな政治的・軍事的行動だと?
日本語になってないぞ?落ち着いて書き直せw
330日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:13:06
>>328
形式上、秀頼の命を受けた形にしたから何だと言いたいの?
331日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:16:48
秀吉ファンでアンチ家康の自分だけど、関ヶ原までの家康は、
「豊臣家の一家臣として」政敵を排除しただけで特に問題なくないか?
そりゃ秀吉の死後専横が目立ってたのは確かだけど、そんなの関ヶ原以後の家康に比べたら可愛いもんだ
大坂の陣スレ立ててそっちで主君殺しの狸を弾劾しようぜ
332日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:16:56
西軍厨遁走
333日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:19:24
>>328
やっぱりおかしいよ?もう一度落ち着いて考えてみ?

形式上、秀頼の許可を得たと言いたいのは解るが
その秀頼を徳川は滅ぼしたんだぞ?いかに形式が意味ないかが解るだろう。
西軍は徳川が豊臣を滅ぼすのを危惧して起こしたんだから、何も間違っちゃいないだろう。
てか当たったじゃん。
334日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:20:34
>>331
特に問題がないとは言えないと思うけど、「内府ちかひの条々」にある弾劾内容を厳密に言えば
奉行衆も大老も問われる内容あるし、他の大名にも問われるんだよね。
だから、どちらが正しいとか間違いとか意味ないんだよ。

政権内の権力闘争という見地から語ればいいんだけど、どうも一部の西軍厨は事実認識すら捏造するからね。
335日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:21:42
ファビョった西軍厨はアンカーを間違ってる
336日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:23:02
>>335
ああ、すまん。>>326だな。答えてね。
337日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:23:26
歴史問題20問お願いします
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126005439/

本当に困ってます、宜しくお願いします。
338日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:24:14
336はどのレス書いたかさえ謎なんですが。
ID表示しないかなぁ。
339日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:24:37
>>333
関ヶ原の段階では豊臣は滅ぼされていないぞ。
340日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:24:39
だから関ヶ原は豊臣家の内乱だって最初から言ってるのに狸ヲタ共はw
こりゃ大阪の陣スレが必要かもわからんねw
341日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:25:59
333は西軍厨ですよw
342日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:26:10
ああ、たびたびすまん。ここIDないからな。
>>333についてね。
343日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:29:42
>>339
>333は大阪の陣で滅ぼしたのを、西軍はそれを予測しての軍事行動だって言ってるのは
一目瞭然なんだが・・・ホントの馬鹿なの?
344日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:31:13
>>333
滅ぼしたのは元和元年、15年後。
関ヶ原は、家康の独裁色を一層強めることになったのは確か。

家康が結果的に豊臣を滅ぼしたからという理由で、当時の西軍決起を正当化出来るならば
結果として、家康の天下簒奪を推し進めるようになった関ヶ原を起こした事に矛盾する。

というか、何かずれてる。
345日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:34:02
>>344
じゃあ関ヶ原が無ければ徳川は豊臣の一大名で終わったと思いますか?
346日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:37:02
>>345
タラレバ語るのは好きではないが、一大名とは言わなくとも
江戸幕府みたいな強力な政治体制は構築するのは不可能だったと考えるよ。
347日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:43:03
だ・か・ら!
西軍挙兵の理由が狸の野心による政権転覆を危惧しての事で無いなら西軍が立つ理由がわからない。
348日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:44:42
>>347
クーデター [(フランス) coup d'tat]
既存の政治体制を構成する一部の勢力が、権力の全面的掌握または権力の拡大のために、
非合法的に武力を行使すること。国家権力が一つの階級から他の階級に移行する革命とは区別される。

西軍を美化するな。
349日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:50:44
>>348
西軍を美化してる訳じゃないだろよw
西軍挙兵がクーデターって事は、西軍の筆頭石田が豊臣政権転覆を狙ったって事か?
秀吉に犬の忠誠を誓った石田がねえw
秀吉の信任厚く若輩の身で大老に選ばれた宇喜多がねえw
で?19万石ごときの石田がどうやって政権を運営するんだ?
西軍がクーデターと言うからには、政権奪取後の展望も石田にはあったんだろな。
よく説明してくれよ、狸ヲタ君w
350日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:56:28
>>347
西軍はそういう目的で立ったが、
肝心の豊臣家から認めてもらえなかったので、豊臣家の軍という形式が取れなかった。
東軍は実質的には、家康が己の野心を成就させる為に起こしたものだといえる面が多分にあるが、
豊臣家から認められたということにすることが出来たので、
少なくとも形式的には豊臣家の軍となった。それだけのこと。

実質と形式が常に一致するとは限らないってことよ。
三成以下本気で豊臣のために立ったつもりだった面子にとっては、
なんとも哀れなことだけどね。
351日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:58:59
>>349
西軍筆頭は輝元ですが何か?
現政権転覆は事実ですが何か?

>秀吉に犬の忠誠を誓った石田がねえw
ん?犬の忠誠って何?

>秀吉の信任厚く若輩の身で大老に選ばれた宇喜多がねえw
それで?

>で?19万石ごときの石田がどうやって政権を運営するんだ?
石田三成しかおらんの?政権運営出来るとでも?

>西軍がクーデターと言うからには、政権奪取後の展望も石田にはあったんだろな。
クーデター [(フランス) coup d'tat]
既存の政治体制を構成する一部の勢力が、権力の全面的掌握または権力の拡大のために、
非合法的に武力を行使すること。国家権力が一つの階級から他の階級に移行する革命とは区別される。→>>319
政権奪取後も何も、当面は既存体制の持続だろ?じゃないと弾劾状の意味がなくなるから。

しかし秀吉の遺言を絶対視するなら、東軍加担の大名を裁くことは出来ないのだがね
西軍は、家康排除の為に秀吉の定めた規約を持ち出したが、それを名分として行使すれば
万が一、関ヶ原に勝利した後の運営に矛盾と支障をきたすのだがね。
352日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:01:33
>>351
こいつガチだから放置でよろ
353日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:03:15
>>351
・・・・・おまい安国寺って知ってるか?頭大丈夫か?
354日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:03:58
東軍
実質的には家康が己の権力を強化する為に起こした軍。
しかし、形式的には豊臣家に認められた公の軍。

西軍
実質的には豊臣家をないがしろにする家康を排除する為に起こされた軍。
しかし、形式的には豊臣家に認めてもらえなかったので、ただの私軍。

ということ、
もちろん、東軍にも本当に豊臣家のための行動だと思って参加したものもいただろうし、
西軍にだって自身の野心のために参加したものもいたと思うが、
大まかなところはね。
355日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:06:54
>>354
それが狸ヲタにはわからんのですよ
356日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:07:30
>>353
安国寺は毛利家の陪臣ですが何か?

>>354
豊臣家をないがしろにする家康を排除するのを理由としてね

西軍厨はどうしても三成を精錬潔癖の人というイメージのみで語り、西軍は正義の軍談みたいに語りたがるからね。
357日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:08:30
クーデターの言葉すら知らない>>355じゃあ理解できないのはしょうがない
358日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:12:39
議論が全然噛み合ってないのな。

まず、家康の会津征伐が秀頼の裁可を得たものであることは事実。
それが秀頼の意志であろうがなかろうが、裁可を出した事実は事実として厳然と存在する。
だから東軍は豊臣家の正規軍といえる。
そして東軍のスローガンは「逆心三成を討つ」。これで団結したわけ。
東軍から見れば、西軍は正規軍である東軍に歯向かう反乱軍。

一方西軍は奉行衆による弾劾状を発し、挙兵した。
残念ながら秀頼の裁可は得られなかったが、豊臣家の旗本衆の一部を
派遣してもらうことにより追加公認を得られたような形となっている。
ゆえに西軍も豊臣家の正規軍と言うことができる。
そして西軍のスローガンは「奸賊家康を討つ」。これで団結したわけ。
西軍から見れば、東軍は豊臣家を転覆させようと企むクーデター軍。

そして豊臣家はどっちに転んでもいいように、二股をかけていた。
あえて手出しはせず、西軍による秀頼出陣依頼も断った。
どちらが勝とうと、勝ったほうに味方する。そういう方針。

こういうことだろ。何を不毛な議論をしてるのやら。
359日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:13:42
西軍筆頭を毛利だと思ってる狸ヲタじゃ理解できないのはしょうがないw
360日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:15:09
>>358
>豊臣家の旗本衆の一部を派遣してもらうことにより追加公認を得られたような形となっている。
七手組を「豊臣家が派遣した」のか?だとしたら凄い事実だぞ

361日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:17:08
西軍総大将は毛利輝元。
これを筆頭ではないとするなら、関ヶ原時点で豊臣政権とは言わずに徳川政権となるのか。

さすが西軍厨だな。
362日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:17:48
>>358
それも狸ヲタにはわからんのですよ…
363日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:19:25
>>358
>豊臣家の旗本衆の一部を派遣してもらうことにより追加公認を得られたような形となっている。
>ゆえに西軍も豊臣家の正規軍と言うことができる
これ、重要だからマジでソース提示願うよ。
364日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:21:01
>>354

まずそんなところだな。
だけど西軍びいきの人の中には、西軍が正義の軍じゃないと
気が済まないって思ってる人が結構な数いるんだよなあ。
(後に)徳川が豊臣を滅ぼしたのは、けしからん。気にくわん。悔しい。
ここから論を組み立てるから、ちょっと感情的な論説になってしまうんだよね。
365日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:22:45
>>361
関ヶ原後に毛利輝元ではなく安国寺が死罪になったのはなんでよ?
366日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:23:29
>>362
それがわかってないのは、むしろ西軍厨だと思われ…
367日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:24:32
>>365
毛利家と取次役と豊臣政権との関係調べれば?
西軍厨はそんな事も知らんのか?
368日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:33:30
369日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:37:50
西軍厨でレス抽出すると、こいつがいかにキティーだか解るな
370日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:39:00
議論で反論出来なくなると人格攻撃のみに頼るのも西軍厨のデフォです。
371日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:39:45
こいつがいかにキティーだか解るな
       ↑
相手は一人だとしたいのね・・・(憐
372日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:41:15
狸ヲタ馬鹿杉www

・西軍筆頭毛利輝元厳封
・宇喜多秀家島流
・石田三成、小西行長、安国寺えけい(変換できんw)死罪

西軍の筆頭が厳封でコッパ大名が死罪か
変な話だな、狸ヲタ君w
373日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:42:00
厳封ってナンデスカ?
374大和天狗:2005/09/06(火) 21:43:19
アーーーッハッハッハ

弟子よ
そなたおるのか?
何故鞍馬天狗と名乗らぬのだ?
その可愛げの無さが・・・所詮厨房だな・・・
全く困った奴だ
シャレッ気も無きゃ
おなごにもてんぞ
375日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:44:21
死罪になったら筆頭なんでつか?
376日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:45:18
ほらほら、西軍厨が暴れだしたから何か変な生物に変化しちゃったでしょ
377日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:48:09
>>375
輝元:広家の家名存続嘆願
秀家:島津家・前田家の助命嘆願

三成:誰も嘆願せず
行長:同上
恵瓊:毛利家の責任被る

厨はうわ言に惑わされてはいけない。
378日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:49:43
普通に関ヶ原を語っていたスレが東軍正規軍とか言い出す
基地外が現れてから荒れまくり。元の静かなスレを返せよ。
379日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:52:24
>>378
友達増やせよ
380日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:53:51
尽く論破されてる西軍厨。
人格攻撃しか出来ない西軍厨。

お帰りはhttp://hobby8.2ch.net/warhis/
381日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:59:09
>>380
そっちも人格攻撃のみに(ry
そいつは只の馬鹿だから放置。

そんなことより
>豊臣家の旗本衆の一部を派遣してもらうことにより追加公認を得られたような形となっている。
>ゆえに西軍も豊臣家の正規軍と言うことができる
七手組を「豊臣家が派遣した」ソースまだ?

西軍も豊臣政権の正規の軍勢。
2・26事件でも正規の陸軍ではないとは言わないのと同義。
しかしクーデターなのは事実、東軍をクーデターといわないのはまがりなりにも秀頼の命を受けてるから。
根本的に違うのだよ。
382日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:00:37
>>378
いや、その単純な事実を認められない者が現れたからだろ?
実質的にはともかく形式の上では正規軍以外の何物でもないし。
383日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:02:26
>>381
とりあえず、2・26は正規の陸軍ではないぞ。
384日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:05:48
物分かりの悪い馬鹿だな…
関ヶ原は豊臣家の内乱だって何回言わせんだよw
どっちが正規軍とかは関係無いんだってのw
385日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:06:19
あれ?歩兵第三連隊第六中隊って陸軍じゃないんだっけ?
386日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:07:17
>>380
何処ら変が論破されてんだよw
お前の脳内どうなってんだ?
クーデターって言葉の意味を間違えて使い出したのも
お前じゃないかw
387日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:10:06
>>386>>318-320
クーデター [(フランス) coup d'tat]

既存の政治体制を構成する一部の勢力が、権力の全面的掌握または権力の拡大のために、
非合法的に武力を行使すること。国家権力が一つの階級から他の階級に移行する革命とは区別される。

西軍が非合法に武力を行使し、家康を排除し権力の全面的掌握を図ってた
バーカバーカ
388日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:10:50
使い分けが出来なくなった>>384>>386
389日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:11:10
>>384
そうそう。正規軍とか(゚Д゚)ハァ?なのにわかってないんだよな。。。
大事なのは、両陣営がなんのために軍を起こしたかだ。

東軍:家康が上杉討伐にかこつけて反対勢力の一掃を図ろうとして
勿論、天下取りのため。

西軍:家康の横暴に対して、上杉を囮にして挙兵。
特に私心があったように見られる人物はいない。

こんなとこだろる
390日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:12:43
さてフシアナでもするかな、狸ヲタ君w
391日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:12:44
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
特に私心があったように見られる人物はいない。
392日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:12:57
>>387
徳川は政権取ってたんじゃないんだからクーデターの意味が違うってわからんの?
秀頼に対して軍を起こしたらクーデターだよ。
393日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:14:15
>>385
正規の命令系統から外れれば最早正規軍ではないよ。
394日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:15:18
>>391
別におかしくないと思うが?徳川は天下取り
西軍は豊臣政権の維持
395日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:16:39
>>389
実態がそうでも、
東軍は形式的に豊臣家に認められた、
西軍はそれが出来なかった。
という点は押えておかなければならないけどね。
396日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:17:03
>>392
政権?

既存の政治体制を構成する一部の勢力が、権力の全面的掌握または権力の拡大のために、
非合法的に武力を行使すること

権力の独占図りつつあった家康を排除し、西軍に参加した大名の権力の掌握・拡大の為、非合法に武力を行使した

政権取ってた?秀頼に対して?何、lクーデターという言葉を俺流解釈して語ってるんだ?
広辞苑でも引け。
397日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:17:06
>>377
すこし違うぞ。
輝元:帰国
秀家:薩摩に逃亡

三成:戦場近辺で捕縛
行長:同上
以下略
398日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:18:50
>>394
西軍は豊臣政権の維持≠特に私心があったように見られる人物はいない。
399日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:18:59
>>392
家康は秀吉から政権首班を委託されていた。
400日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:19:01
七手組を派遣したって書いた人じゃないけど。
>>381

手元には資料が何もないのではっきりとは言えんが、
豊臣家黄母衣衆約2000名が、三成の陣の右後方に布陣している図を見たことがあるな。
401日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:19:50

402日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:20:38
現体制の維持を目指すと、特に私心があったように見られる人物はいない、となるなら
現代の官僚や政治家が、既存体制の維持に拘るのは、私心がないからか?

既存権益を守る為に現体制維持を図る人間がいないと仰る
403日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:21:29
>>395
だからそんなもんはどーでもいい問題だって皆が何度言って(ry
404日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:22:16
>>400
そんなの知ってるよ。
重要なのは、七手組を「豊臣家が派遣した」かどうかなんで。
参加してるのを派遣したとするには無理有りすぎるからね。
405日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:23:19
弁護士の出来損ないみたいのがいるなw
406日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:24:47
クーデターという言葉の意味すらわかってない西軍厨クドいね
権威と権力を混同してるし
407日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:25:43
旗本も直臣だし、大野や浅野も直臣。
禄高の大小の違いにすぎない。
東側にいた豊臣直臣は東軍に、西側にいた豊臣直臣は西軍に参加した。
それだけのことだと思う。
408日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:26:53
黄母衣衆が石田隊付近に着陣してる図なら俺も見たな。
黄母衣衆って秀頼親衛隊って位置付けでおk?
409日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:28:27
>>403
いや、だとしても事実は事実だし。
410日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:29:10
>>404
なるほど。その通りだ。

だけど、
>重要なのは、七手組を「豊臣家が派遣した」かどうかなんで。
が重要であるのならば、
三成による弾劾状を「豊臣家が公認した」かどうかも重要になるのではないか?

411日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:29:48
狸正規軍厨うるせーよw
412日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:30:17
黄母衣衆の兼松正吉は東軍にいますがw
413日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:30:50
>>408

当然おk
414日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:32:23
>>410
豊臣家は表面上では公認してはいない。
裏では知らない、記録に残ってないのだから。

その辺りは難しいところでしょう。
でも「内府ちかひの条々」は当然だけど三成の名前ないよ。
415日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:34:01
>>413
て事は黄母衣衆は秀頼(実体は片桐あたりか?)の許可によって参戦してると考えるべきか?
416日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:34:02
西軍が豊臣家に公認されていたなら、
福島ら豊臣恩顧の大名の去就も分からなくなるし、
秀頼に出馬してもらえばという荒唐無稽な案も、
多少の現実味は出てくる、本当に多少だけだが。

まんざら意味がないということもあるまい。
417日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:34:32
例え公認していたとしても、関ヶ原の東軍勝利で文書とかは破棄されるべ
418日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:34:36
>>414
まあ、裏では西軍を公認していたのかもしれないね。
西軍が負けてからあわてて証拠隠滅したのかも。
家康も西軍が公認されていたのを知ってたかもしれないが、
さすがにこの時期に豊臣家にメスは入れられんわな。
419日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:37:27
>>417
公認されれば西軍はそれを大々的に広めただろうし、
すべて消去しきるのは不可能でしょ。
420日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:42:58
>>419
つーか、西軍の軍資金って豊臣の財政から出てる訳だが。
織田信雄に送った白金2000枚とか。
421日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:44:28
>>415
申し訳ないが、俺は不勉強で黄母衣衆がどのような経緯で西軍に参加したのかまでは知らない。
義勇軍みたいな形で西軍に参加したのか、
豊臣家の首脳部の命令を「暗に」受けて参加したのか、
豊臣家の首脳部の正式な命令により参加したのか(この可能性は少ないかもしれない)。

いずれにせよ、仮に西軍が勝てば豊臣家旗本が参加したことにより、
「明らかに我々は君たち(西軍)に味方しましたよ」とアピールできる。
東軍が勝ったら、「家臣が勝手に参加したんだよ」って言い逃れができる。
そんでもってその家臣に腹を切らせれば済む話。
まあ、家康はそのことを豊臣家に糾弾はしなかったし、できなかっただろう。
422日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:44:40
公認候補対公認候補
423日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:48:51
北政所派対淀派の争いってことで決着汁!
424日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:50:09
>>420
三成は軍資金不足でずい分苦労したようだが、
渡すなら彼の方に渡してあげればよかったのでは?
425日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:51:45
俺も今、西軍の正式な(つーても古い記録だからはっきりしてないだろうが)見てるが
豊臣麾下の士一千人としか書いてないな。でもこれも大した問題じゃないだろう。
家康だって連れて行こうとすれば、豊臣七手組も連れて行けたろうしな。
426日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:54:14
>>424
当然、三成も持ってたのが島津の国元から着た兵に兵糧・鉄砲・弾薬など
分配したりで大垣城で既に足りなかったみたいよ。督促の使者は出したが
徳川に捕まったのは有名な話しだろう。
427日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:02:13
ここ200スレくらい、正規軍論争が続いてるけど、
これはけっこう面白いと思う。

今までは「豊臣家内部の家臣同士の争い」で片付けられていたけど、
今回はどっちが公認されていたかを論じ合っている。
こういう議論には「不義を抱えて戦う者はいない」「勝てば官軍」的な要素が決着をつけることが多いのだけれど、
こういった問題を論じることによって、
関が原の合戦における豊臣家の態度を推し量ることができるでしょ。
これって、かなり重要な事項だと思うんだよね。
428日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:05:13
秀頼成人まで、と条件付きだが、一応豊臣政権のトップは家康なのだが。
429427:2005/09/06(火) 23:06:48
200スレじゃなくて、200レスだね。あっはっは。
430日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:10:05
七将襲撃事件と関ヶ原の戦いは似ている。
三成を政権中枢から遠ざけたのが七将襲撃事件で、
家康を政権トップから引きずり降ろそうとしたのが関ヶ原の戦い。
前者は成功したが、後者は失敗した。
431日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:16:53
要するにどっちもクーデターだな
おっとこの言葉はこのスレじゃ禁句か
432日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:31:58
>>431

まあ、君の言ってることは間違いじゃないな。
どちらも「我こそは正義」を主張してるんだから、
相手が不義になるのは当たり前。
433日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:37:53
同盟者を裏切り、親兄弟でさえ殺す時代に何を言ってるんだか。。。
正規も正義もあったもんじゃなかろうに。
434日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:39:57
子供を殺して嫁を殺して主君まで殺す家康はまさしく戦国時代の申し子
435日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:52:19
その戦国時代的な手法で豊臣の天下を奪ったことを
けしからんことだと非難するのが西軍びいきの人々。
436日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:03:40
ホスト規制でスレ立て出来ませんでした‥‥OTL
どなたか大阪の陣スレ立ててくれませんか?
437日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:08:07
そういえば大谷吉継が小早川勢を何回撃退したかという
日本史板屈指の不毛な論争はもう決着がついたのかw
438日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:12:21
スレタイ案
【日光なのに猿軍団?】大阪の陣
でどうよ?
439日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:19:59
【国家】大坂の陣 【安康】がいいな
440大和天狗:2005/09/07(水) 00:21:57
A 384が明快。
B もっと言うと、
C 豊臣家と言うより国家の内乱。

※弟子へのやさしい注意事項
Aについて もとより384氏はお前の師ではない、わかってるいるだろうな。
Bについて 少しはこういう言い方を覚えろ。相手を気遣うんだよ。
Cについて こういう事とかに対し、反論はいいが相手の言ってる意味をよーく斟酌してから書け。
      事象に対して単純すぎるのだ。だから子供扱いされるのだ。

で結局、徳オタか何か知らんがお前を判別し易くするのと、
わが弟子で以上、お前は鞍馬天狗として登場しろ。
そんなことも出来んのか!
現状のお前は、書き込みからプロファイルすると、ただの小心者ではないか!
情けなや・・・師としてそれは見過ごせないぞ。
お前をブリリアントカットする以前に、これじゃ研くことすら出来んわ。
441日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:48:25
家康が会津討伐に出陣した段階では、家康は豊臣秀頼の代理者としての資格で行動しているわけだから、家康の率いる軍勢は豊臣体制の公式の正規軍。
でも、豊臣奉行たちの連名で家康に対する弾劾状と、「内府ちがいの条々」が発布された段階で、家康は豊臣家に対する謀反人という位置づけになったということ。当然、秀頼の代理者という資格も豊臣正規軍という資格も剥奪されたことになる。

家康がそれを認めるか否かは別問題だけれど、当時の政治情勢としてはそういう形になっていったということは否定できないだろう。
442日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:56:21
>>435
戦国は終わってたにも関わらず、仕えた主家を滅ぼしてまで
天下を取って、しかもやり口が暗すぎだからだろう。
443日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:58:56
>>442
信長は沢山の人を殺したし、秀吉だってその織田の天下を簒奪したのに
それを現代で手ひどく責めるのは日本人では少ないのがいい証拠だろうね。
444日本@名無史さん:2005/09/07(水) 01:02:48
徳川マンセーはチョソだけw 
支配された恨みで500年も愚痴愚痴とまぁ恥ずかしげもなく言うわw
445日本@名無史さん:2005/09/07(水) 02:54:45
性器軍とか氾濫軍とかで語って不毛なら
正義と悪で語ろうぜ
446日本@名無史さん:2005/09/07(水) 02:56:45
どう見ても西軍が正義
正義が常に勝つとは限らんっちゅこっちゃな
447日本@名無史さん:2005/09/07(水) 03:25:50
性器軍と淫乱軍(*´д`)ハァハァ
448山原衆議院議員団長:2005/09/07(水) 03:49:51
小早川が15800じゃなく8000だったという新説が賑わっているようですが、
そのソースをご教授願いたい。
449日本@名無史さん:2005/09/07(水) 04:08:47
おい馬鹿共!徳川が正規軍とかどうでも良いんだよ!
関ヶ原の勝敗を決したのは、金吾中納言様の意志一つだってことを忘れるなよ!
450日本@名無史さん:2005/09/07(水) 04:48:20
徳川=正規軍説がもちこたえられない流れとなってくると、すぐに話をそらそうとするやつが出てくるなW

451日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:04:37
奉行が何か書いたら、それが豊臣の公式文書になるかというとそうじゃないだろ
家康が何か書けば豊臣の文書なのか
豊臣が承認していないから西軍は正規軍ではない
東軍は正規軍の地位を剥奪されていないから正規軍
それだけのことだが
452日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:52:47
関ヶ原時点

西軍:2大老と3奉行が、東軍:2大老、1奉行を弾劾

1奉行謹慎中だが参加
1大老遠国にて弾劾には不参加

西軍は2奉行分多いが、東軍には筆頭大老にして政務代行者がいる

多数決で多い方が勝ちということではないだろ
453日本@名無史さん:2005/09/07(水) 15:25:41
とは言え、、、
西軍総大将毛利輝元が大坂に入城してるのに、西軍と秀頼側が無関係と断言するのは如何なものか?
秀頼側が西軍を《豊家に対する反乱軍》と見なしているなら、何故毛利は大坂入城出来たのか?
454日本@名無史さん:2005/09/07(水) 15:38:13
結局のところ、、、
秀頼側は東西両軍に懐柔して、日和見を決めこんでいた、と考えるのが妥当なのではないか。
秀頼側の態度が曖昧な以上、東西どちらが豊家正規軍かといった議論は、意味を成さないのではないか。
455日本@名無史さん:2005/09/07(水) 15:42:32
秀頼側っていうけど
誰がその方針の決定者なんだよ
8歳の本人か?
456日本@名無史さん:2005/09/07(水) 16:10:30
>>455
秀頼に豊家の意志決定権は無いでしょう。だから私は《秀頼側》と表記しているのです。
秀吉没後、秀頼側近にあり《淀派》と言われた
石田三成
片桐且元
大野治長
あたりが豊家の意志決定に深く関与していた、と考えられるのではないか。
457日本@名無史さん:2005/09/07(水) 16:46:05
>>456
大坂城留守居役増田長盛モナー
458日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:12:19
片桐・大野は関ヶ原の段階では家康についているし、
増田も東軍に内通していたな。
459日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:55:09
>>458
大野治長は、家康暗殺未遂で岩槻に流されてただけじゃない?
つーか治長は所詮淀の腰巾着で、武道も知らんよーな奴だから淀の信頼はあっても、影響力は弱いと思われ。

秀吉から秀頼の傅役に指名されて、元々が浅井家臣の生まれで武功もあった片桐且元が秀頼の代行的存在では?
且元は関ヶ原前後から大阪の陣に到るまで、一貫して穏便に事を済ませよーとしてたと思われ。

三成は『豊臣政権存続』が狙いだったよーに思えるが、且元は『豊臣家存続』が狙いだったんでは?
徳川の縁者になって繋りを深くすれば、政権はさておき豊臣家だけは守れると、考えたんではないかと。
460日本@名無史さん:2005/09/07(水) 18:35:36
>>423だけじゃないけど・・
東軍総大将徳川家康&秀忠父子は淀派に近いし
西軍の代表格宇喜多秀家と石田三成はどちらも北政所派に近い
のだが・・
家康と淀殿は縁故関係深くなにげに家康に協力しとるし
三成と北政所に縁故関係あるのと秀家が娘婿なのは周知の事実だし

それでも
東軍=北政所派、西軍=淀派で
色分けするの?
461日本@名無史さん:2005/09/07(水) 18:45:23
>>453
毛利輝元は家康の依頼に基づいて大坂城へ入った。
輝元は自分が西軍の大将であることを知らなかった。
462日本@名無史さん:2005/09/07(水) 18:47:18
>>459
大野治長は福島正則に付いている。
463日本@名無史さん:2005/09/07(水) 18:59:37
・近江衆
淀、石田、長束、増田、片桐

・尾張衆
お禰、浅野、福島、加藤清、加藤嘉
464日本@名無史さん:2005/09/07(水) 19:02:29
>>463
田中吉政、藤堂高虎も近江

長束と増田は尾張
465日本@名無史さん:2005/09/07(水) 19:06:13

関ヶ原の戦いは豊臣家内部の権力抗争。

東西どちらも豊臣の家臣として争った。

これにて正規軍論争終了。

466日本@名無史さん:2005/09/07(水) 19:18:17
>>461
なんだそれ?
467日本@名無史さん:2005/09/07(水) 19:27:54
>>466
>>461は歴史的大発見でもしたんでしょう。
今頃は学界へ新説を発表する準備に忙しいはずなので、そっとしといてやって下さい。w
468大和天狗:2005/09/07(水) 20:02:44
輝元が大坂に入りたるは、大老職として案件を決済し、奉行衆に執行させるため。
居なくても代決されるが、だからと言って決裁者不在は当然宜しく無いので、
組織上大坂か伏見に大老の一人が常駐するは当然といえよう。

その様な申し合わせが有るや否やの傍証有無については、
よくよく我が弟子鞍馬天狗から説明があろう。

家康、景勝はもとより、秀家も動員されているので、
大坂にて留守居役も兼ね政務を執る義務が輝元に必然的に発生している。
具体的に言うと、
毛利家としての上杉討伐の動員は、宰相秀元を当主名代として派遣を決めている。

【毛利輝元は家康の依頼に基づいて大坂城へ入った。】
表現としてはいかがかな。
自分は出征するので(決まりどおり或いは大老職として)留守居を頼むと言ったところ。
さて、これもマニアの弟子に任すか。

ここら辺りの含みというモノを察せられる様になれば我弟子もまだ見込みあるぞ。

弟子よ
鞍馬天狗よ
三成の決起のタイミングがずれていたらどうなっていたのだ?
469日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:11:47
>>467通説も何も実際に毛利輝元は関が原の西軍決起と関係無しに
家康の会津征伐での不在の間の大阪留守居としての役目はあったんだが・・

それにしても>>461
それは輝元が大阪に到着してから西軍総大将就任を要請され
そのエケイの企てを吉川が察知したときには既に
輝元は大阪行きの船の中
でやむなく独断で徳川に内通したとか言う
例のお話のことでしょうか?
470日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:17:34
秀吉がもっとも信用した武将の一人
秀家の57万石の大身で大阪から近い
57万石の大きさが物語ってる
かなり期待されてたのに残念
ちなみに宇喜多家は明治維新後に離島を許された
利家が死んだのも痛いが
隆景さえ生きていれば毛利本隊が動いてただろうな
471日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:19:22
サル吉は宇喜多のような無能な男に何を期待したんだい?
472日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:24:28
大谷隊が小早川隊を押し返した件

小早川隊が怒涛のように松尾山を駆け降りて大谷隊に殺到…なんて見聞きするけど
山の法面は雑木林な訳で、大谷隊を押し包むように横に隊列を広げるのは困難だろ
山道や木々の少ない所を縦列に降りて来るなら、少数で押し返す事は容易
幕末の函館攻防戦での土方歳三の例もあるしね
って言っても松尾山から大谷隊着陣地まで結構距離あるんだよなw
山を降りたら大谷隊陣地までは平坦で広いから隊列を広げる事が可能
だから大谷隊が小早川隊を押し返すには、山の麓で迎撃する事が必須
大谷隊は本隊と別に、対小早川部隊を松尾山に向けてた、って説もあるからな
だとしたら十倍の兵数の小早川隊を押し返したのも信憑性高いね

なんて事を西首塚で思ったんだけど、実際関ヶ原に行った事ある人どう思う?
473日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:30:10
>>471
損得なしの忠誠

それにはちゃんと応えた
474日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:02:45
>>470
期待ではなく親の遺領
475日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:04:41
>>472

どっかの小説家のお陰で前面の京極、藤堂を「捨てて」小早川を蹴散らした
っていうのが今の所世間一般の認識だよね?
でも実際、そんなフットワークがあるわけないから、伏兵を用意していたという
のが妥当じゃね?木下、吉勝は京極、藤堂相手に優位だったわけだから、
前面の敵を捨てたのは戸田、平塚両名。
これなら木下、吉勝が落ち延びたワケも納得がいく。
476日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:14:01
>>475
それだ!
477日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:38:29
>>472
小早川勢が松尾山のどの斜面を下ったと思いますか?
見た感じでは、南宮山とは正反対の斜面じゃないかと思いました。

藤古川のあたりに鉄砲隊600を伏せて、吉継の旗本衆が迎撃して
いる間に、返して来た戸田・平塚隊が横槍を入れれば小早川の
先鋒を崩すことも無理がないと考えています。
478日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:06:24
>>470-471
別に秀家本人の能力に期待してたわけではないでしょ
子供のうちから見てたのと養女豪姫の婿だからであって
要は身寄りの無い秀吉が加藤福島を取り立てたのと同じ理由
479日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:15:01
戸田と平塚は思いっきり戦闘中で兵力的に横槍入れてる余力なさそうなんだけど。
480日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:29:01
激戦中なの?
藤堂、京極はもうナントカ川の向こうに追いやられてたんじゃないの?
481日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:37:24
>>480
え?そんな話あった?
482日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:03:39
>>478
そうかもしれないけど
27歳で五大老の一人に抜擢
豊臣恩顧の大名で前田に次ぐ所領
秀吉は信義に熱い前田と三成、秀家の三人を信用してたと思うなぁ
483日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:13:23
>>482
宇喜多は最初に秀吉に従った戦国大名。その次が毛利で(吉川は反秀吉
だったが、小早川が秀吉贔屓)その次が徳川、上杉の順。
長曽我部や島津などの征服された戦国大名とは違う。
484日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:14:32
秀家は豊臣一門扱いだろ!!!
485日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:28:46
関ヶ原最大の戦功者は真田昌幸と黒田如水
家康如きは二人の敵に非ず
486金吾秀秋:2005/09/08(木) 03:44:54
家康好きだぜ(´・ω・`)
487日本@名無史さん:2005/09/08(木) 04:27:25
秀吉子飼の武将達の分裂内乱が関ヶ原の元凶でしょ

秀家・秀秋・三成・正則・且元

こいつらが「お家大事」と団結してれば家康も手を出せないでしょ

結局は秀吉に求心力(或は指導力)が無かったって事だろう

家康が出馬しないでも豊家は自滅しただろう

488日本@名無史さん:2005/09/08(木) 04:35:19
織田家も最期は内乱で潰れたしな

光秀の謀反・秀吉と勝家の跡目争い・信雄と信忠の兄弟喧嘩

家康は武士の風上に置けない屑だが徳川家が一枚岩だったのが勝因だろうな

489日本@名無史さん:2005/09/08(木) 06:11:17
>>484
養子ということであれば、秀秋も秀康も同じ。
490日本@名無史さん:2005/09/08(木) 06:19:39
>>479
戸田と平塚は、寝返った小早川に当たるため前線を離脱している。
藤堂・京極勢(他にもいたかもしれんが)は、吉勝・頼継だけで対処し、
脇坂以下が寝返るまでは圧倒していた模様。
491日本@名無史さん:2005/09/08(木) 09:02:26
>>489
ただ本人の意気込みが全然違うが

同じ養子でも一方は西軍の支柱で一方は東軍へ
492日本@名無史さん:2005/09/08(木) 09:27:09
一方は筆頭大老の下知のもと豊家に忠誠を尽くし、
もう一方は軽薄にも犯罪者の甘言にのり主家を滅ぼし家も潰した。
かかる愚人は極刑に処して後世への戒めとすべきであるのに、
天下人になったつもりの家康は、尊大にかまえて罪一等を減じ、助命してしまった。
493日本@名無史さん:2005/09/08(木) 09:52:43
関ヶ原を起こさなければ、家康お得意の難癖付けられて
毛利・宇喜田も潰されそうになっただろうよ。
494日本@名無史さん:2005/09/08(木) 11:04:25
>>490
>脇坂以下が寝返るまでは圧倒していた模様。
圧倒してた?どこが?利あらず引いたぐらいしかないけど
つか、軍記大成の脚色されて書かれてる内容を史実認定するなら、関ヶ原スレなんていらんだろ
495日本@名無史さん:2005/09/08(木) 11:55:31
>>471
宇喜田秀家は無能じゃないぞ?家政を見るのは下手だったようだが
戦は若いのに、かなりのやり手だったようだ。関ヶ原前夜に関ヶ原へ出るよりも
このまま家康本陣に奇襲かけるぞ!って作戦もあの島津に良い作戦だって
褒められてたしね。実行はされなかったが・・・それに、それまで実績の無かった
明石全登を先鋒大将に任命するなど、人を見る目もあったように思われる。
496日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:12:58
>>495

それ提案者と同調者が逆転してないか?
明石が実績が無かったかは良く知らんけど、直家時代からの
譜代だよね?
497472:2005/09/08(木) 12:31:11
>>477
小早川隊は松尾山山頂から真っ直ぐ北へ降りた…
ような気がしないでもないが、真北は勾配がきついような…w
妥当なのは北西か北東から降りたってとこでしょうかねえ
俺は旧中山道や西首塚から松尾山方面を見ただけで、松尾山には登ってないんですよ
なので、実際問題あの山を一気に駆け降りるのがどの程度現実味があるのか…
憶測ではあるのですが…
まあ中には大谷隊めがけて最短距離の真北を駆けた猪武者もいるかわかりませんがw
実際は勾配が緩く雑木林の少ない所を縦列に降りたんじゃないかな
だとすれば大谷隊が温存してた対小早川部隊が先鋒を務めてる間に平塚などが松尾山麓に急行する時間はあり

で、小早川隊先鋒を大谷隊が押し返してるうちに小早川の足軽隊が山道を切り拓いて小早川の大群が一気に殺到
と言った感じでしょうかね

関ヶ原周辺の景色を見ると、今も山々には樹齢の長い巨木が立ち並んでますね
当時は今よりも自然が豊富だったでしょうし、山を登るのも降りるのも我々が頭で考えるより難儀だったでしょう
498日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:37:59
宇喜多が徳川を憎んでいたのは、家康が坂崎出羽守を庇護したから
ではないだろうか。それを根に持って家康を悪く言うようになった
が、体面上私怨というのを避けて、家康は豊臣の為にならない、と
言う表現を使った。それと豪姫の実家の前田のように、難癖付けら
れるのを恐れたからとか。
499日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:50:52
>>496
いやいや、島津が献策したのが有名なんだけど
その前に宇喜田が発案してたんだよ。秘策だからって他には漏らさなかったけど。
更に島津が夜襲をかけようって言って断られた方が有名だね。

明石は直家時代からの譜代だけど、内政面でもさせてたようで、あまり
武功は無い、それを関ヶ原で大抜擢だね。花房とかが抜けた穴だろうけど・・・
500日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:54:08
>>498
>宇喜多が徳川を憎んでいたのは、家康が坂崎出羽守を庇護したから
>ではないだろうか。

それはあると思う、でも最終的な調停を徳川に頼んで訳だから
戦するほど憎む理由にはならないと思う。

>豪姫の実家の前田のように、難癖付けら
>れるのを恐れたからとか。

これもあるだろうね。でも秀家は秀吉が生きてる時から
徳川を除かなければ豊臣に未来は無いって公言してたから
元々、徳川を胡散臭いと怪しんでたのは間違いないと思う。
501日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:57:30
結局、豊臣が滅んだのは秀吉自身が家康を除かなかったせいだよね。
朝鮮出兵なんてしてないで、もっと地盤を固めれば良かったのに、仕事をやり残した
まま逝っちゃったんだよ。

しかも255万石じゃ毛利と上杉を足したより多い。これじゃ諸大名がビビって徳川に
なびいても責められないよw
502日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:59:20
あと、蒲生氏郷が死んだのも秀吉の計算違いだったな。
有名な家康嫌いで当代の合戦上手の蒲生氏郷が生きてたら
また違った展開もあったと思われ。
503日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:02:16
夜襲ネタは、実効性、信憑性ともに乏しい軍記ネタ。

明石の抜擢は、大坂留守居と国家老との確執による宇喜多家上層部の大量出奔にともなう人事による。
坂崎出羽守も要因はそれ。
504日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:07:59
>>501
禿同
秀吉は豊臣家を強固なものにして秀頼に世襲するべきだった
でも晩年の秀吉がやったことは全く裏目w
秀次虐殺や朝鮮出兵などで子飼家臣団の亀裂を深めただけw
前にも書いたけど関ヶ原の元凶は秀吉
秀吉自ら争いの種をまいて豊臣家を自滅においやった
505日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:18:32
秀次が関白のままで天下人になってたらどうなったんだろう?
506日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:56:23
歴史にタラレバなどない、あるのはただ実際に通ってきた一本道だけだ
しかも歴史を検証するためのIFならまだしも
あたかもストーリーが気にいらない小説やシナリオに対して、こう書けば良かったのに・・・というような議論は
現実の積み重ねとしての歴史を冒涜している
507日本@名無史さん:2005/09/08(木) 16:08:46
>>506
2chで何マジになってるの?
508日本@名無史さん:2005/09/08(木) 17:15:36
>>506
同意。三戦板もあるし。
509日本@名無史さん:2005/09/08(木) 17:40:50
歴史を冒涜とまでは言わないにしても、三戦版の方がベターだろ

秀次が関白というのは関ヶ原とは関係ないし
510日本@名無史さん:2005/09/08(木) 17:50:17
>>497
いいや、当時の松尾山は松尾山城という城が築かれていた。
当然木々は切り払われていたし、出入り口もあった。
511472:2005/09/08(木) 18:36:38
>>510
松尾山城に関して詳しくお願いできますか?
織田信長と浅井長政の戦の際に長政が砦として使ったのが最後と聞いたのですが…
松尾山城は関ヶ原当時存在していたのでしょうか?
512日本@名無史さん:2005/09/08(木) 18:46:00
たしか大垣城主の伊藤氏が修復にあたっていたはず
そこに小早川がやって来て伊藤を追い払ったといわれる
513日本@名無史さん:2005/09/08(木) 19:50:23
>>512
西軍の伊藤から城を奪取した段階で小早川は東軍認定。
しかし伊藤は可哀相だな。
半ば脅迫的に西軍に所属させられ、三成に城を奪われて松尾山に行か
され、城を修復して籠もると小早川に奪われる。
おまけに兵糧不足の西軍に、領内の米を刈り取られ。
514日本@名無史さん:2005/09/08(木) 19:56:54
「寛政重修諸家譜」の「稲葉家譜」には
「9月14日、正成、諸士と相議し、兵を率いて美濃国におもむき松尾山の新城にいり、その城主伊藤長門守を追払う」とある。
515日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:06:47
考えてみれば小早川も可哀相なヤツだな。
西軍決起の異変に、家康から伏見城留守居に任命されていた兄貴の身を
案じて加勢に駆けつけたところ、西軍決起に驚いた兄貴は既に逃亡して
おり、取り残されてパニックになっていた鳥居から西軍と勘違いされて
伏見城に入れて貰えず、敵の大軍のまっただ中に取り残されてしまった。
保身のため止む終えず西軍面したが、端から東軍のつもりだった。
そして東軍として関ヶ原戦で参戦したのに、裏切り者の名を受けて
しまった。
516日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:09:32
秀秋が入城拒否されたのは眉唾。
伏見城攻めの総大将なんだけど。>秀秋
517日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:41:02
黒田長政が止めるのも聞かず、捕らわれの身になった三成の様子を見に行って
三成に罵倒され慌てて引き返す・・・・・

↑ドラマや映画ではちょくちょく見かけるシーンだが、事実なの?
 秀秋を小心者に演出する為のフィクション?
518日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:41:49
>>499

秀家が極秘の奇襲作戦を立ててたとか聞いた事無いんだがw
花房の穴ってあいつ一騎駆けじゃないの?
取りあえず秀家の件のソースが知りたいんだが?
519日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:26:32
>>517
事実だね。関ヶ原始末記にも書いてあるし。
520日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:32:33
>>518
石田軍記じゃないか?宇喜田秀家が三成に夜襲を献策したが
同意を得られなくて( ´・ω・)ショボーンってのは読んだ事ある。
花房は一騎駆けの武者じゃないよ。
宇喜田の侍大将の中でも歴戦の武将だよ。
521日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:02:08
>>516
無理矢理総大将にされたとか?
522日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:11:33
本当に総大将なのかどうかわからないが
手としてあるのは、やる気のない奴を責任者にする

あと中納言だから、宇喜多がいなければ、自動的に総大将とかね
523日本@名無史さん:2005/09/09(金) 00:33:34
小早川秀秋は、最初から東軍だったという説もあるよ
524 :2005/09/09(金) 00:53:46
かの本城惣右衛門覚書では、伏見城は蛻のからだったとありますよ。
525大和天狗:2005/09/09(金) 01:05:57
ででで弟子よ
・・・時は満ちた
そうだそなたに全てを譲る時が来たのだ
ウウウ
ガクッ
526日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:06:45
そのとき歴史が動いたよかった。みんな見た?
527日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:30:22
>>511
もともと長亭軒城といい、堀秀村(浅井家臣)の家老樋口直房が守備していたが、
堀・樋口は織田側に寝返り、その後、不破光治(織田家臣)の居城となった。
不破が越前に転封されるとこの城は廃城となったが、
関ヶ原合戦では大規模な拡張工事が行われ、西美濃最大の山城に生まれ変わった。

現在は東北と南に伸びる登山道があるが、
東北(関ヶ原方面)の道は後世つくられたものらしい。
主郭の南側には枡形虎口があり、合戦当時はここが唯一の出入口であった。
つまり、松尾山城は基本的に南を向いており、
この城の本来の役割が国境の監視であったことを示している。
従ってこの城から大軍を進退させる場合、
いったん南側から山を下りて今須川沿いに西に向かって中山道に出るか、
東に向かって牧田道に出るか、かなりコースが限定されるものと想定される。

山頂から関ヶ原方面への眺望は(樹木が邪魔しなければ)素晴らしいが、
逆に関ヶ原方面の山裾からは山頂が見えにくい構造になっている。
東軍が裏切り催促の鉄砲を山頂めがけて撃ったとされているが、
山頂は東軍陣地から直線で1.3kmほど奥まったところにあり、
銃隊が接近して山裾で撃ったとしても、山頂まで音は聞こえたかどうかは疑問である。

・・・こんなところかな?
528日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:50:34
見たよ、2回目。本当に石田三成こそ忠臣だと思う。これまで戦国物ドラマでは、悪者とか小心者に
描かれることが多かったが、名誉を回復してやって欲しい。俺は、加藤清正や福島正則は嫌いだから。
529日本@名無史さん:2005/09/09(金) 02:09:03
東軍・西軍の正規軍論争が続いているけれど、いずれが正規軍であるかを決定するのは秀頼。
そして秀頼は幼少で政務責任能力が無いから、その権限を代行する後見人が必要となる。
秀頼の後見人として秀吉から指名されたのは前田利家。
しかしその前田利家も亡くなってしまった以上、制度的に明確な後見人は不在となる。

この状態で、秀頼の意思を代行できるような実際上の権威を発揮できる人物は、秀頼の親である淀殿しかいない。
淀殿の意向が絶対となる。家康とて淀殿の意向にさからうことはできない。

家康を弾劾した「内府ちがいの条々」は淀殿の承認のもとに発布されたと考えるのは当然。豊臣奉行が淀殿の承認なしに、この種の重大文書を発布することは不可能だから。
さらに西軍総大将である毛利輝元を大坂城に入れたことも、西軍側を正規軍と認定したことの明白な裏付けとなる。

家康軍は会津討伐に出陣した段階では豊臣正規軍であったが、「内府ちがいの条々」が発布された時点で、正規軍としての資格が消滅し、討伐対象勢力という位置づけになったと解するほかはないだろう。
530日本@名無史さん:2005/09/09(金) 02:23:17
>>526
ありきたりなつくりでつまらなかったな。
何故三成は加藤福島の武闘派諸侯に嫌われるのか
何故豊臣恩顧の諸侯が徳川に走るのか
そういう背景の説明が皆無だし。
一部のマイナス面をも覆い隠した構成には辟易気味だよ
531日本@名無史さん:2005/09/09(金) 02:29:09
>>529
弾劾状には秀頼の名前があったのか
名前が書いてあるなら、真贋もあるが、一応は正式の豊臣の文書ということになるだろう
そうでなければ、私文書

戦後淀はどのような処分を受けたのか?
532日本@名無史さん:2005/09/09(金) 02:30:41
>>530
NHKの番組の作りとして、あるテーマに沿ってそれ以外は除去するというのがあるようだ

今回は三成の名誉回復がテーマだから
533日本@名無史さん:2005/09/09(金) 02:59:34
>>531
この種の文書を奉行の奉書というが、奉書には主君の署名は入らない。主君の承認に基づいて発布する。
奉行個々人が勝手に、無承認の奉書を出すことがないように、奉行全員の連名署判を必要とする。
534日本@名無史さん:2005/09/09(金) 03:08:53
>>533
じゃあ浅野の署名も入っているのか?

大老の署名は入っていないのか?
535日本@名無史さん:2005/09/09(金) 03:11:19
>>533
謹慎中の奉行の署名入りは無効ではないか

主君の承認ということだが淀が承認したのか

その証拠はあるのか
536日本@名無史さん:2005/09/09(金) 03:22:09
厳密に言うとあのころ石田、浅野は奉行ではない。
537日本@名無史さん:2005/09/09(金) 03:24:56
>>536
追加。
既に二人とも隠居の身で、それぞれ息子が家督を相続して大名になっ
ている。関ヶ原合戦に参加した大名の中に石田三成が入っているのは
間違い。
538日本@名無史さん:2005/09/09(金) 03:32:20
当時の正式の豊臣奉行は、前田(玄以)・増田・長束の三名のみ。
奉行人の連名奉書には、大老は加わらないし、また必要もない。
この三名の連名署判で、正式の豊臣政権の公式文書として効力を発揮する。
539日本@名無史さん:2005/09/09(金) 06:35:24
え?奉行たちの独断で好き勝手に事が起こせるの?
では何のための大老かね?
540日本@名無史さん:2005/09/09(金) 09:51:25
>>539
五大老制は秀吉が死ぬ直前に作られた制度で、その前は五奉行衆が
行政的に豊臣を動かしてたと見ていい。ぶっちゃけ、大老は奉行連中が居なければ
豊臣の動かし方は全然解らないだろう。

五大老制になってからは、何かの決定権は秀吉〜大老衆の合議によって
決める事になった訳だが、別に大老が居なくても奉行は行政上の行動は
なんら困らないし、どうにでも動かせると言えなくもない。
541日本@名無史さん:2005/09/09(金) 11:16:17
奉行っつ-のは上が決定の枠内で動く機関に過ぎないから、
その行動の正当性は皆無だけどな。
542日本@名無史さん:2005/09/09(金) 11:28:34
>>529
秀頼の傅役って前田利家と小出秀政と片桐且元ジャマイカ?
543日本@名無史さん:2005/09/09(金) 11:50:06
>>541
正当性とかって言ってるんじゃなくて、動かし方は熟知してるってだけ。
大老は元々外様の集まりだからな。正当性なんて誰もねーだろw
544日本@名無史さん:2005/09/09(金) 12:26:28
当時の日本には中国の秘密結社みたいなのはなかったの?
545日本@名無史さん:2005/09/09(金) 13:56:38
>>541
元々五奉行が先に組織化され豊臣政権の政務にあたっていて、五大老が選任されたのは五奉行の後なんだが?
五奉行が組織化されたのは一説には1589〜90年頃、五大老は1596〜97年頃
546日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:04:16
しかし奉行が決定で大老が実行機関では
それとも大老は名誉職だった?

それからなし崩し的に決めれるのであれば、あの時点では家康専制で
家康を無視して豊臣の公式文書ではないだろ
547日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:14:38
もし豊臣の公式文書なら、戦後大坂豊臣の誰か、淀か、の首が飛ぶはず

なぜ責任追及されないのか
548日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:30:12
>>547
戦後、秀忠が伏見城攻撃の際、首実検が行われたとしてその責任者は誰か?
って淀と秀頼に聞いてるよね?
「毛利だ」って言わせて大阪城を出た毛利軍を追尾してる。
そのせいで毛利は領国を削られても文句が言えなくなったんじゃなかったっけ?
549日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:34:01
>>547
君は時勢と言うものを知らないな

家康が秀頼(或は淀)を処罰したら豊臣恩顧の諸将達はどうするかね?

東軍=徳川軍では無いのだよ

家康が秀頼の喉元に刃を突き付ける様な真似をして正則や清正が黙っていると思うかね?

550日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:35:33
>>548
豊臣の公式文書、つまり秀頼の承認があったかどうか

秀頼は無理とすれば、豊臣の誰か

毛利が承認したとすれば、公式文書ではないか
少なくとも豊臣の承認はないことになるが
551日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:38:08
>>549
時勢を知らないのはおまえでは

秀頼は幼児だから判断能力がないということでいいだろ

淀ぐらいなら問題ないのでは

それに東軍征伐を豊臣が命じたのであれば、既に東軍は反豊臣で
豊臣は敵同士だが?
552日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:44:45
>>551
淀ぐらいならw

君は当時の淀の権勢が如何程の物だったか考えた事あるのかね?

東軍が反豊臣の旗色を鮮明にしたら豊臣恩顧の諸将はどうするかね?

553日本@名無史さん:2005/09/09(金) 15:04:54
>>521
>>552の言う通りだぞw お前は淀が百姓娘か何かと勘違いしてないか?
秀頼(名義上は天下人)の実母であり、後押しにはならんが織田の血も引く人物だぞ?
それを牛の首でも刎ねるようにいくかよw 
554日本@名無史さん:2005/09/09(金) 15:10:37
>>551
付け加えて言うなら、西軍は徳川を討つための軍であって
上杉征伐に加わった他の武将は敵と見なしてはいなかった。
家康も小山軍議で言ってるだろ?帰りたい奴は帰って良いって(本音じゃないがw)

そこで東軍は初めて三成他、西軍に対抗する軍隊として結束した訳だ。
家康はどーか知らんが、福島その他の武将は豊臣を敵とは見てない。
あくまで敵は三成や西軍であって秀頼に対しては変わらぬ忠誠心を持っている。
黒田・藤堂は家康を天下人にしようとしていたがね。
555日本@名無史さん:2005/09/09(金) 16:37:27
淀も秀頼も署名しても全く効力はないのでは。
当然淀は何の役職にも就いていないのだし。
秀頼の政権への関与も、秀吉の遺言で成人まで家康に預けてある。
だからこそ、豊臣は秀忠の将軍就任に激怒したのだろ。
徳川は秀頼へ政権を返すつもりがないと。
ま、しかし秀忠は秀頼の岳父だし、まだ秀忠の後継で政権を継承できる
可能性はあったかも。秀康が将軍になるよりは。最も秀康も義理の兄
だが。
556日本@名無史さん:2005/09/09(金) 17:46:47
淀君が権力あったみたいな書き方してるが、関ヶ原当時の淀君は豊臣政権に対して
何ら発言権も権威も権力もないよ

淀君が発言権を得たのは、関ヶ原により豊臣家の権威が落ちて、
一大名になり、豊臣家・政権を運営する奉行等がいなくなったからで
大坂の役の頃と同じ考えで、豊臣家や当時の親豊臣派の諸大名が
家康に対して反発していたとか、危機感持ってたような印象だけで語る愚は止めた方がいい

豊臣政権で淀君が、何ら発言権がなかったのは
豊臣政権は官位による序列で運営されていたからであり、
無位無官の淀君には、政権に対する影響力・発言権はない
だから北政所には政権に対して発言権もあった

「生母だから」というのは理由にならない
当時は生母より、正室であるかの方が重要だったのだから

「内府ちかひの条々」は3奉行による弾劾状で、奉行としての私的弾劾状であって
法的に言えば、奉行衆に大老に関する罷免権などないのだから効力などあるわけがない
しかし直訴であるから、意味はあるわけ
だが、これを「豊臣政権の公式文書」とするのかと言えば、罷免権もない奉行の告発状に過ぎず
公式文書ではない、武力蜂起の正当性を表明した弾劾状と言える
557日本@名無史さん:2005/09/09(金) 17:58:56
上杉景勝や伊達政宗が西軍として関が原の参戦していれば、どうなったであろうか?
558日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:00:11
↑ここ、日本史板だから。
559日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:01:48
>>556
淀に発言権とか権力があったなんて誰も言ってない。
ただ、天下人の母親を殺せるか?って話しだ。だから答えは否って
皆言ってるんだろう。

>「内府ちかひの条々」は3奉行による弾劾状で、奉行としての私的弾劾状であって
法的に言えば、奉行衆に大老に関する罷免権などないのだから効力などあるわけがない

これも違う、内府違いの件は内府を除く四大老と奉行の連署だ。
つまり徳川本人を除く豊臣の総意と言っていい。私的弾劾の域を超えてる。
私的と言い出せば、徳川は前次席大老の地位にあった前田家を取り潰そうとしたくらい
だから、法的根拠よりも力が物を言う。

しかし、以上の問題もじゃあ秀頼もそう思ってたのか?となると違う。
関ヶ原前後から秀頼自身も徳川を敵と見ていただろう(そう淀やお付きの連中に
吹き込まれていた)だが、いざ事を起こすか?となると八歳の子供に何が出来る?
そういった理由から、実質西軍を応援していたが、負けた時の事も含め
幼君に何が出来る訳もない、全ては三成や西軍の勝手な行動だったと
言い訳も立つってもんだ。

付け加えるなら、あの当時はまだ家康がいかに専横していたとは言え
秀頼を咎めるなんて事は出来やしない。そうなれば福島や加藤その他
豊臣恩顧の大名も黙っちゃいないだろう。それを家康も心得てたから
秀頼を咎めるような真似はしなかった。

豊臣を叩くまでにはまだ15年の月日が必要だった訳だね。
560日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:11:07
>>559
>内府違いの件は内府を除く四大老と奉行の連署だ。
「内府ちかひの条々」は、増田長盛、長束正家、前田玄以の三奉行の連署ですが?
四大老って、上杉も前田も含むことになるのだが・・・すごいね君

効力ないし、法的根拠も無いのに弾劾状を出したのは
武力蜂起の正当化にあると書いてるのだけど

秀頼咎めるなど誰も書いてない
それ以前に、淀君殺すも何も、当時は発言権も影響力ない人物に何の責任を追及すると?
561日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:31:45
豊臣政権って官位による序列なの?
んじゃ治部少なんて雑魚じゃんw
豊臣政権内で金吾中納言は民部や刑部よりエロかったんだ?
へぇ〜へぇ〜へぇ〜w
562金吾秀秋:2005/09/09(金) 18:34:58
漏れ様も、署名してやろうか(´・ω・`)?
563日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:42:05
>>545
そりゃ、秀吉が元気なころは大老など置いとく必要はないからね。
奉行の方が古い罠。
564日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:44:57
>>559
つーか、四大老が坊主を使者に出して家康を糾弾してんじゃねーかw
565日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:59:25
坊主まるぼうず
566日本@名無史さん:2005/09/09(金) 20:17:50
>>559
>しかし、以上の問題もじゃあ秀頼もそう思ってたのか?となると違う。
>関ヶ原前後から秀頼自身も徳川を敵と見ていただろう(そう淀やお付きの連中に
>吹き込まれていた)

これ、証拠あるの?
淀殿が秀頼に、家康は敵だと教えた文書が残ってるの?

それから内府ちがひの条々は7月13日だから、前田利長や上杉景勝が
署名するのは不可能だな。
そもそも、なぜ東軍の前田が署名するのか。
567日本@名無史さん:2005/09/09(金) 20:56:34
おいおい八歳の子供が家康を敵と思ってたとか
なんかイタすぎるぞ。
568日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:17:40
家康の上杉討伐の時には声もかけず横を向いて顔すら見なかったのが
輝元の時は「世を頼むぞ」と声をかけてるから、家康に良からぬ思いを
持ってたのは間違いないだろう。

と言っても、こういった事は事前にそうするようにって女中とかに言われている
訳だから、元は淀の方の命だと考えて間違いないんじゃね?
569日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:22:19
で、それはなんていう書物に書かれてあるの?
読んでみたい。
570日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:29:34
>>569
司馬遼太郎 『関ヶ原』

このスレの住人なら当然抑えておくべき基本史料なんだが・・・。
571日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:50:43
>>559
天下人の母親だから何をしても許されるかというとそうじゃない

もし淀が家康を刺殺しようとしたら、処分されただろう
それとも、淀ならばどんなことをしようと無罪放免なのか
(もし何をしてもいいのなら大坂城で斬りかかるべきだったな)

一般に戦国時代は母親の価値なんてあまりないだろ

淀は特殊だがそれでも大坂の陣あたりから力を持ったんじゃないか

それも淀個人の力と言うよりも(それもあるだろうが)秀頼の権威をバックにした力だろ
572日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:52:37
8歳なら
それくらいの判断力は十分ある
573日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:03:51
>>570
史料か…?
574日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:13:44
>>570>>568じゃないでしょ。
いくらなんでも司馬遼を史料なんていう奴、日本史板にいるはずがない。
な?
575日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:18:02
司馬遼の関ヶ原は三戦板だけじゃなく日本史板でも
名誉一級史料ですよ
史実を完璧なまでに正確無比に捉えたあの小説だけは別格です
576一級史料:2005/09/09(金) 22:22:29
つ『隆慶一郎「影武者徳川家康」』
577日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:25:33
>>569
備前軍記じゃないか
578日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:26:38
>>570
ワロタ
579日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:29:34
悪い、俺↑の備前軍記って書いた568ね。
あれだと思ったが、何分読み漁ったんでうろ覚え。
>570は俺じゃないが素でワロタ
580日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:32:06
司馬遼太郎の関ヶ原は名作中の名作だと思うけど
蒲生郷舎が横山喜内になってたり、細部で間違ってたりするんだよな。
581一級史料:2005/09/09(金) 22:32:40
つ『原哲夫「左近」』
582日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:36:21
隆慶一郎影武者徳川家康ってネタ要素の強い小説ではあったが
漫画とかなり違うぞ・・・漫画にしちゃって良かったのかあれ?w
583日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:36:22
みなもと太郎の風雲児たちは?
584日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:50:22

関ヶ原のキーマン 福島正則
上記諸作に伝わる彼の言動の真贋は??

・利家葬儀の際の三成暗殺未遂事件
・小山評定での家康支持発言
・昭綱の首要求事件


一級史料に詳しいエロい人の解説キボンヌ
585日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:18:12
とりあえず、三奉行連署の文書を見ても、
福島らはそれを豊臣家が出したものとは思わなかったのは確かだわな。
だからこそ、家康の側に居続けたのだろうし。
586日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:34:32
テロ国家日本
587日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:12:07
これってほんまなのかな???

http://ameblo.jp/m/flyid.do?url=happy-3&go=%95%5c%8e%a6
588日本@名無史さん:2005/09/10(土) 03:42:33
豊臣三奉行連署の文書は、当時の文書についての常識からすれば、問題なく豊臣政権の正式文書であり、豊臣政権の公式命令として有効。
それの実質的な作成者が石田三成であることがミエミエであってもだ。
それは豊臣政権が、公式に石田三成の家康討伐行動を支持しているということの表明になる。

もちろん、それに服従するか、武力的に反撃して押しつぶしてしまうかは、それぞれの勝手なのだが。

要するに、正義はいつも勝利をおさめるかどうかについては保障の限りではないということ。
589日本@名無史さん:2005/09/10(土) 03:43:25
>>585
そもそも三成謀反を家康と正則に報告したのが.・・・・
590日本@名無史さん:2005/09/10(土) 08:53:28
>>557
上杉景勝や伊達政宗・・どちらも東軍とも西軍ともいえないぞ。
当時の状況からしたらどっちがどう動いてもおかしくない。
まあ上杉は東軍に付くことはありえんかもしらんが、純然たる西軍ではないし
政宗なんぞ・・・・
なんせ東軍負けたら徳川秀康は西軍として動いた可能性も高そうだし

(へたしたら豊臣に近く三成らとも親しかった秀康を関東においといたのは
 上杉防備とか秀康の戦功だとかじゃあなく・・万一東軍が敗れて
 関東に敗走した際、秀康を前面に出して和睦交渉か家督を譲って
 徳川の家名存続だけは図るつもりだったとか・・ともとれる気がする。)
591日本@名無史さん:2005/09/10(土) 09:22:27
豊臣三奉行連署の文書は、当時の文書についての常識からすれば、間違いなく非正式文書

あのような文書を政権代行者の承認なしに、豊臣が承認しない

したとすれば誰がしたのか

また豊臣が正式に徳川と戦争に入ったのであれば、豊臣が戦後処分されるが

というか既に豊臣は消滅したことになる

常識的に奉行の捏造
592日本@名無史さん:2005/09/10(土) 09:29:54
公式文書として有効であるならば、戦後取り消しされなければ
徳川も福島も反逆者になる
豊臣では以後東軍を敵として扱ったのか
593日本@名無史さん:2005/09/10(土) 10:48:55
あれが公式文書であるならば、関ヶ原というのは
豊臣家である西軍 対 反乱軍である東軍という構図になる。
しかし、戦後豊臣家に対してなんらの責任追及が行われておらず、
さらに家康は豊臣家の名で論功行賞を行っている。
家康が反乱軍の頭目であるならば、どうして豊臣家から戦勝の恩賞をもらい、
論功行賞を行うことができたのか。

ゆえに、>>588の論は成立し得ない。
西軍は正義の軍でもなんでもない。
関ヶ原は豊臣家内部の主導権争い。
594日本@名無史さん:2005/09/10(土) 11:28:12
>>593
西軍は豊家非正規軍だとしても

>西軍は正義の軍でもなんでもない。

これは君の主観ではないかねw
西軍は豊家に対する謀反なのか?非正義と断定する論拠は?

>関ヶ原は豊臣家内部の主導権争い。

同意。つまり、東軍も西軍も豊家の臣として挙兵したのだろう
であるなら、豊家に対する反乱ではなく内乱だろう

東西分裂に及んで豊家が旗色を鮮明にしていない以上、東西どちらが正義、と言う物でもあるまい。
595日本@名無史さん:2005/09/10(土) 11:31:17
>>593
そりゃそうだけど家康ってものすごく汚い男だよな
596日本@名無史さん:2005/09/10(土) 11:54:04
>>595
脱糞野郎だからなw
597日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:09:02
豊臣の主権争いってのは違うと思うぞ?
徳川の専横が目に余ったから仕方なく挙兵したんだろう。
それとも徳川は仕方なく前田を脅し、上杉討伐の軍を起こし
最終的に天下を取ったのか?

違うだろ?元々天下取りのための行動だったんだよ。
西軍が正義とは言わない、絶対悪・絶対正義なんてものは世の中には
無いからな。けど、西軍は少なくとも利己的で集まった集団じゃない事は
確実だろ。利益優先なら強大な徳川の靴でもさっさと舐めた方が得だからだ。
598日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:35:34
>>594
>>西軍は正義の軍でもなんでもない。
>これは君の主観ではないかねw
>西軍は豊家に対する謀反なのか?非正義と断定する論拠は?

>>588の西軍が正義だという、己の願望丸出しの意見を否定しただけ。
それ以上の意味はない。
俺は家康ファンだが、家康が正義だなどと、これっぽっちも思っていない。
戦国武将として、当たり前のことをした。それだけ。

>>597
君の言う通り、家康自身は天下取りのために合戦を起こした。
しかし、形式的には豊臣家の内乱という形をとった、ということ。
天下取りの野望を胸に抱きながら、それを隠して内部抗争という形を構築したことにより、
多くの豊臣恩顧の武将を味方につけたわけでしょ。
福島正則や加藤嘉明らなどはまさにそのつもりで家康に味方した。
藤堂高虎や黒田長政は違うだろうがな。

>西軍は少なくとも利己的で集まった集団じゃない事は確実だろ。

この一文に果たして何の意味があるのか。だから何なの。
599日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:42:02
>>597
太閤崩御〜関ヶ原開戦の間で、どれだけの人が後の家康の行動を予測し得たか?
三成や利家は家康の行動を見て、家康に謀反の疑いを感じ取った節があるが
秀頼周辺や豊家諸将はそこまで考えていたか?
家康の行動はあくまでも豊家の臣としての物、と甘く見てなかったか?

>>597には概ね同意だが、当時の世論はまた別だったのでは?
600日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:43:11
>西軍は少なくとも利己的で集まった集団じゃない事は確実だろ。
>この一文に果たして何の意味があるのか。だから何なの。


人の心を打つ
601日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:46:33
>>599
城まで家康に差し出すんだから、実質、家来待遇になりますよ?の
アピールをしたんでしょ。東軍諸将は単なる内紛以上のものを感じ取ってたはず。
602日本@名無史さん:2005/09/10(土) 13:12:16
>戦国武将として、当たり前のことをした。それだけ。

秀吉に臣従した時点で戦国は終わってたんですよ?
家康は空気読めないただの逆臣
603日本@名無史さん:2005/09/10(土) 13:23:07
>>599
三成の暴走が、家康のその後の行動を変えたのでは。
604日本@名無史さん:2005/09/10(土) 14:02:11
>>603
あれで挙兵しなかったら、上杉を潰した後は毛利に難癖付けて
天下の実力者を次々の消して行っただろうさ。
605日本@名無史さん:2005/09/10(土) 14:08:17
>>604
しかし家康も老齢だし、その場合時間がかかるので豊臣滅亡はなかった
のでは。それに大老としての立場上、前田に対しても絶対的な存在に
なれないから、関ヶ原戦さえなければ、家康があれほど大きな権力を
得ることはできなかったと思うぞ。
606日本@名無史さん:2005/09/10(土) 14:16:56
>>601
長政や高虎あたりは豊家を見限り家康に追随していた感もあるのは確に
しかし正則や清正や嘉昭あたりはどうであろう?
家康が天下奪りを見据えている事を承知で家康に与したであろうか?
東軍諸将が家康の天下奪りを支持した上で行動したとは、少々うがった考えではないかね?
607大和天狗:2005/09/10(土) 15:01:44
蘇生
608日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:09:50
>>602
下が上に剋ち、力なきものが力あるものにつくのが戦国の世の習い。
秀吉はその習いに従い、天下を取った。
すなわち、武力を背景に、織田家を追い落とし、徳川・毛利・島津などの大名を
服従させて天下を取ったわけだ。
戦国時代的手法で天下を取ったくせに、同じ手法で天下を奪われたことを
非難してどうする。

しかも秀吉の天下統一から死去までわずか8年。
その間、政権を磐石にする政策は失敗し(関白秀次事件・外様大名の再構築等)、
外征によって貴重な子飼の大名家を大いに疲弊させてしまった。
結局秀吉は戦国時代に終止符を打つことに失敗したんだよ。
609日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:14:01
>>601
関ヶ原の合戦の直後に、徳川家と福島家の家臣との間に揉め事が起こり、
福島正則は家康に談判して徳川家の家臣を切腹させている。
これから家来になると考えている者がそういう行動をとると思うか?
610日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:23:49
まあ、東軍諸将のスタンスはこんな感じだろう。

1.次の天下人は家康。協力して恩を売っておこう。
 藤堂高虎、黒田長政など

2.にっくき石田三成を討つために協力するが、天下はあくまでも豊臣家のものだ。
 福島正則など。

3.次の天下人は家康かもしれないが、豊臣家の存続のために力を尽くそう。

2と3の間が微妙。誰々がどちらに分類されるか、
今となっては断定するのは不可能に近い。 
611日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:43:23
>>608
織田家は天下人じゃないし、毛利・上杉・長宗我部・北条・伊達などの
諸大名がまだ屈していない。それを屈させて天下を安泰にしたのは秀吉の功績。
主家を簒奪した罪はあるが、秀頼を殺した家康と違って織田一族を滅ぼしたり
してないし、秀信には岐阜城を与え、官位も中納言を与える等の厚遇している。
同じ手法とはとても言い難いな。

>結局秀吉は戦国時代に終止符を打つことに失敗したんだよ。

これには同意する。結局天下取られたんだからねw
612日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:47:40
>>609
福島正則がどう考えていたのか?どうして西軍に味方したのか?
これは永遠の謎の一つだから何とも言えない。俺は個人的に、こうゆう事だったんだろう・・・
って考えはあるけど、それはここで話すとまた揉めそうだから止めとく。

ただ、家康の家臣(伊奈図書だったか?)を切腹させたのは措置がそうなった
だけであって、もし家康が本気で拒んだら正則はどうしたと思う?
兵でも挙げるか?仮に主筋になるだろう相手でも、我を通す所が正則にはあった
だけのこと。
613日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:15:34
>>611
秀吉は自ら望んで織田家に臣従し、その主家を追い落とした。
家康は秀吉に無理矢理臣従させられ、その主家を追い落とした。
なるほど。同じ手法とは言いがたいね。

それからもうひとつ。
家康も豊臣家存続のためにいろいろな条件を提示しているよ。
天下の趨勢が徳川に移っているのに、勘違いしてのぼせ上がった豊臣が拒否しただけ。
ちなみに、秀頼が右大臣に任命されたのは家康の意向ですが。
中納言と右大臣とどっちが偉いかは知ってるよね?
614日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:16:49
>>605
結果論だけど史実では家康はその後15年間生きるがね。
それから、少なくとも前田家には関ヶ原がなくとも絶対的な立場を取れる、
というか、今度そうなっていく公算は高い。
何せ江戸に人質を送った大名第一号なんだから。
615日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:20:17
>>611
福島正則は豊臣恩顧の武将のリーダー的存在だった。
正則自身それを自負していただろうし、周囲もそれを認めていた。

正則があそこで突っ張ったのは、豊臣家臣団のリーダーとして、
家康に「あんまり調子に乗んなよ」というスタンスを表明した示威行動であるとも取れる。
616日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:22:08
つうか、主家を簒奪した家康は悪という主張にはもう飽き飽き。
それを言うことは、同じく主家を簒奪した豊臣家のアイデンティティを
否定することになるのだということが、なぜわからんのか。
617日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:24:21
>>612
なるほど。さすが豊臣に呪われちゃってるとか言い出す電波な親父の
ファンだけの事はありますねw
618日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:24:52
>>616
手口が暗いからだろ
619日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:26:18
付け加えるなら、その手口の暗さを示すように徳川の末路も悲惨なものだったな。
藤堂が寝返り旗本ですら内通する始末。
620日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:31:47
>>618
手口が暗いのはその通り。
だけど、豊臣贔屓の人の多くが、そこから感情論に走っちゃうのは問題。
豊臣かわいそう。徳川気に食わない。
歴史を語るときにこういうスタンスはいかがなものかと……。
621日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:32:02
>>613
大和へ移れとか飲めない条件わざと出しただけだろ。
ちょっと堀を埋めると言って全部埋めちゃうような男を
信用しろって方が無理
622日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:40:16
>>619
あのなあ、大坂冬の陣でもっとも積極的に城を攻めた大名の一人は、前田家だぞ。
夏の陣には加藤嘉明らも参戦してるぞ。片桐且元も参戦してるぞ。
斜陽になったらそんなもんだ。
623日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:45:44
>>621
徳川は征夷大将軍、武士の棟梁だよ。
豊臣家が武家としてやっていこうとするならば、
将軍が提示した条件に従うほか選択肢はない。断ればそれは反抗を意味する。
それから大坂城の堀を埋めたのは冬の陣の後だ。時系列を整理しなさいね。
624名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 16:58:44
>>621
>大和へ移れとか飲めない条件わざと出しただけだろ。

徳川家康は秀吉による関東移封命令に従った。
織田信雄は秀吉による家康旧領への移封命令を拒否し、改易された。
こういうこと。
625名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:17:48
>それから大坂城の堀を埋めたのは冬の陣の後だ。時系列を整理しなさいね。

それくらい信用出来ない人間として見られてたって意味だよ
家康の約定違反は秀吉の死後、徳川のお家芸だからな。

>>624
関東移封は120万石程度から255万石だから
100万石以上の大加増だぞ?全然意味が違うだろ。
626名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:49:51
徳川も秀吉が織田の遺児を生かしておいたように
しておけば後世ここまで叩かれなかったろうけど
殺しちゃったからなぁ。
627名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:20:34
>>625
家康の約定違反の例を挙げるなら、それ以前の例を挙げなさいっていう意味だよ。
大坂の役以前の人々に、大坂城の堀を埋めたことを認識できるはずがないだろ。
そういう論理のおかしさを指摘したわけだよ。
もう少し当時の状況に即して、ものを言うようにした方がいいと思う。

家康の移封も信雄の移封も、時の天下人による命令である。
そのとき徳川家内部では、根拠地である三河を捨てるか関東に移るかで議論が紛糾した。
信雄は根拠地である尾張・伊勢にこだわって拒絶した。
天下人の提示した条件を飲むか否かで家の行く末が別れたいい例だよ。
628名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:28:31
>>626
気持はわからぬでもないが、秀頼を死なせてしまった原因が
少なからず豊臣家にもあったこともお忘れなく。

全部豊臣家に原因があったとは決して言わない。
だが豊臣家自体が、滅亡に向けて盲目的に突き進んでいったのは事実だ。
徳川の条件を拒絶し、浪人の入城を許したことなどね。
629名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:32:19
不毛だと思うよ。徳川が天下を取ったのは当然の行為だって言う人と
不義だやり方が汚いって言う人じゃ噛み合わないのも当然さ。
630名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:36:39
>>629
( ´∀`)ソッスネ
631名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:47:50
豊臣家を摂家か清華家クラスの公卿として残す道はなかったのだろうか?
石高は5000石くらいで。
632名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:13:42
アホくさ
そもそも実子じゃない秀頼じゃ秀吉の血が受け継がれていくわけでもなかろうに
633名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:15:35
>秀吉が戦国を終わらせられなかった

はあ?そんな詭弁で納得するとでも思ってるの?
秀吉は全国を既に統一していたんですよ。
その統一されている日本で個人的な欲望で大乱を起こさせて
どうするんだよ。
関が原、大坂の陣で犠牲になった人間のことは考えつかないのか?
彼が豊臣の忠実な家臣であれば犠牲にならなくてもよかったんだぜ。
いくら時代が違うとはいえ
秀頼どころか自分のひ孫まで殺しちゃってさ、今ごろ地獄に
おちているんじゃないかな。



634名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:17:09
国松とかどうでもいいから
私生児の餓鬼なんて語るにも値しない
635名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:32:56
>>634
お前の気持ちはよくわかるが、家康びいきの人間には
馬の耳に念仏なんだ。もうこの話題は止めようぜ。
636名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:34:35
秀頼と千姫の間に子供(男子)がいれば事態は変わったかも知れんな
637名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:36:30
>>636
更に必死になって豊臣を潰しにかかってただろうよw
638名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:48:39
豊臣三奉行連署の文書は、当時の文書についての常識からすれば、問題なく豊臣政権の正式文書であり、豊臣政権の公式命令として有効(これはこの当時、出されている同様の形式の文書が豊臣政権の正式文書として有効に通用しているという事実によって裏付けられる)。
それの実質的な作成者が石田三成であることがミエミエであってもだ。
それは豊臣政権が、公式に石田三成の家康討伐行動を支持しているということの表明になる。

もちろん、それに服従するか、武力的に反撃して押しつぶしてしまうかは、それぞれの勝手なのだが。

要するに、正義はいつも勝利をおさめるかどうかについては保障の限りではないということ。

639名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:58:41
>>638
空気嫁
640名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 20:20:39
豊臣三奉行連署の文書は、当時の文書についての常識からすれば、問題なく豊臣政権の正式文書であり、豊臣政権の公式命令として有効
(これはこの当時、出されている同様の形式の文書が豊臣政権の正式文書として有効に通用しているという事実によって裏付けられる)。
641名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 20:21:37
秀吉はたしかに織田信雄を追放したけれども、織田家の正統である秀信は尊重して、信長が築いた岐阜城と中納言という官位も与えている。
だから秀信も豊臣家に恩義を感じて、秀頼君の御為にという豊臣奉行の呼びかけに呼応して西軍として立ち上がり、岐阜合戦では東軍とまともに激突して落城するまで頑張ったんだろう。
642名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 20:25:17
信雄は100万石貰ったにも関わらず徳川と謀って秀吉に弓引いたんだもんなぁ。
殺されても文句言えないところが、生かされただけでありがたいと思わなくちゃな。
643名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 21:36:30
588 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/10(土) 03:42:33
豊臣三奉行連署の文書は、当時の文書についての常識からすれば、問題なく豊臣政権の正式文書であり、豊臣政権の公式命令として有効。
それの実質的な作成者が石田三成であることがミエミエであってもだ。
それは豊臣政権が、公式に石田三成の家康討伐行動を支持しているということの表明になる。

もちろん、それに服従するか、武力的に反撃して押しつぶしてしまうかは、それぞれの勝手なのだが。

要するに、正義はいつも勝利をおさめるかどうかについては保障の限りではないということ。

640 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日: 2005/09/10(土) 20:20:39
豊臣三奉行連署の文書は、当時の文書についての常識からすれば、問題なく豊臣政権の正式文書であり、豊臣政権の公式命令として有効
(これはこの当時、出されている同様の形式の文書が豊臣政権の正式文書として有効に通用しているという事実によって裏付けられる)。
644名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 21:46:02
天子様に任命された征夷大将軍に武家でありながら逆らった秀頼は大逆を犯した
大坂の陣において
豊臣家には少なくとも小理はあるかもしれないが大義は無い
全く無い
645名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:10:39
信雄(秀信)に対する秀吉と
秀頼に対する家康
比べるのもおかしいような

前者はなにしろ信長に巨大な恩を蒙った身
信長に取り立てられなけりゃ世に出られなかった男
秀吉政権樹立後も世間の人々にとってはその記憶も生々しい
後者と違いがあるのも当然では
646名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:34:16
自分の骨が長野や山形にある正則や清正は、如何思っているのかな?

比べて京都にある三成は、死後は完全な勝者。
647名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:03:20

とうとう我慢できずに
話をぶったぎろうとする646氏に幸あれ。
648名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:58:14
関ヶ原の前に、家康が天下を取ろうとしていたとする史料はあるか?

家康の本人がそう言っていたとする史料だ

オレは天下取りの意志ありと考えるが史料的裏付けはない
649名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:01:16
奉行の書類が豊臣の公式文書なら、豊臣は家臣の徳川に喧嘩売って潰れたということだろ
家康がつぶしたんじゃなくて、自分で潰れただけ
大坂の陣は主家の言うことを聞かない家臣を潰しただけ
戦国等でそういうことはあっただろ
謀反の疑いだ
650名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 03:49:42
>>643
この人くどいけど、きちんと反論しないと勘違いしてるから。

奉行衆と呼ばれる彼らの役割を調べると
秀吉死後の奉行衆の役目は、蔵入地の管理・知行目録の発給

588は豊臣政権の正式文書というが、弾劾状にあるような奉行のみの連判状は上記に記した事だけ
罷免や所領宛行状は、大老が行っている
大老が、家康が擁していた権限とは所領給与権、すなわち主従制的支配権である
勿論、秀頼の名で宛がわれるのだが、そこに大老の署名もある
これが人事に関する正式文書

豊臣政権の奉行(奉行とは「奉り行なう」、すなわち執政官の下での業務遂行者にすぎない)に、
家康を罷免する権限はなく、あるのは豊臣秀頼のみであり、秀頼の名で出されていない時点で
豊臣政権の正式文書ではないのである

>(これはこの当時、出されている同様の形式の文書が豊臣政権の正式文書として
>有効に通用しているという事実によって裏付けられる)。
奉行の連署のみで、人事権に言及しているのが存在するなら、是非提示願う
特に上位者に対してね

奉行衆は権限もないのに、なぜ弾劾状を発してのかは言うまでもなく
挙兵の正当化であり、>>588がいうような、「豊臣政権が支持した」などというものではない
豊臣政権とは大老・奉行を含めての話であり、奉行の弾劾状でもって支持得てるとはならない
逆説的に言えば、「豊臣家・政権の支持」を得られなかったからこそ、多くの大名からの賛同を得られてなかった
651名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 05:47:27
結局どの男達の生き方に共鳴出来るかということだろ?
西軍には義理堅く友情にも厚い男の生き様として高く評価出来る武将がいる
東軍武将は保身一筋で生き様としては評価し難い
どちらにも属さない武将ももちろんいる

もちろん当時武士道精神なんてものはなかったが、現代から見てどちらが
男の生き様として魅力的かということだ

秀吉と家康だと
農民から成り上がり信長死後瞬く間に天下を統一させた奇跡の男「秀吉」と
信長の威光を借りて着実に歩を進め実力者存命中は野心を隠し、実力者
不在と見るや天下を簒奪した男「家康」
簒奪後の天下の治め方もどこか陰湿で日本の近代化を100年は遅らせている
こんな感じw
652名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 05:50:25
信長の威光を借りて着実に歩を進め実力者存命中は野心を隠し、実力者
不在と見るや天下を簒奪した男「秀吉」

違和感ないな
653名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 05:57:51
家庭を守るため苦渋に堪えながらも必至に仕事に生き来た団塊の世代と
物事をクールに判断し「義理堅く人情に厚くて何になんの?ばっかじゃね?」
と思う現代の若者と2通りの家康ファンがいる
654名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 06:02:52
>>652
秀吉は実力者と真っ向からやり合ってるから違和感あるだろ
655名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 06:05:37
柴田勝家と争う際は三法師の名前借りて、真っ向からやりあった小牧長久手では土下座外交。

どこが違和感あるの?
656名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 07:15:26
小牧・長久手の後実際に土下座したのは家康でしょ
臣従した後は秀吉死後まで豊臣の忠犬
657名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 07:47:58
>>651
西軍の武将の方が男の生き様として魅力的なのは認めるよ。
だがそういう風に感情論や精神論で突き進んだ結果失敗したのが、大日本帝国だよ。
曲解された武士道が蔓延し、軍部の作戦は精神論が先行して具体性に欠け、
結果として数々の玉砕を生み、国民に多大な犠牲を強いることとなった。

歴史にロマンを求めるのは結構だが、それを語るのは自分の中だけにしとけ。
ロマンで歴史を動かそうとすると、ロクなことがないのは歴史が証明している。
我々が歴史を学ぶのは、美しい物語を求めるためではなく、
史実を客観的に分析して将来に応用するためだ。
658名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 07:49:58
猿関白はもとは尾張中村の水のみ百姓。
人並みはずれた猥談の技術によって信長に認められ、一城の主にまで出世した。
大恩ある主君信長が京・本能寺において誅殺されるとにわかにその本性を現し、
主家の領地を奪い、徒党を組んで己の意に添わぬ主筋、老臣らはもちろん、
女子供に至るまで虐殺するなど非道の限りを尽くして天下を略奪した。
征服欲、金銭欲のみならず、性欲も人並みはずれて旺盛で、
主筋の人々に対して異常なまでの劣情を抱き、その欲望を己の望むままに満たした。
命に従おうとしない織田信雄の領地を奪い頭も剃らせてついには夜伽衆にし、夜な夜な楽しみに耽った事は有名である。
659名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 08:33:15
>>658
信長の仇を討ったのは秀吉だぞ?
秀吉が織田を簒奪したと言うが、織田は信長だけじゃなくて世継ぎの
信忠まで死んじまったんだ。織田の天下取りはここで断念したと考えるべきだろう。

何故なら、上の方でも誰か書いてるけど毛利・上杉・北条・奥羽諸大名・九州全土
を平らげて天下を安泰にしたのは織田家の誰かじゃなくて秀吉自身だからだ。

信雄の領地とかもうお話にならないよ。それも過去に書かれてるけど
100万石貰ったにも拘わらず攻めてくる相手なんだから、安心して近場に
置けないでしょ?しょうがない措置だよ。
660名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:05:59
>>659
あまりに寒いレスで衝撃を受けた。
織田の後継ぎなど一杯残ってたのに、簒奪して
織田の天下取りを頓挫させたのは、他ならぬ秀吉じゃん。

っていうか、あんた日本語というか、論理の流れが無茶苦茶。
661名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:09:16
>>651
武将レベルなら、忠勝・直政ら、高く評価できる人間がいるが
662名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:11:01
関ヶ原の前に、家康が天下を取ろうとしていたとする史料はあるか?

家康の本人がそう言っていたとする史料だ

オレは天下取りの意志ありと考えるが史料的裏付けはない
663名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:14:51
>>659
仇を討ったのは自分のためだろ

秀吉が秀頼が幼い内に死んだことで、豊臣政権は連続性を失った

奸臣に戦を仕掛けられてそれを排除して再び天下を統一したの家康の功績

三法師に300万石やったらどうか
664名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:17:47
>>663
その三法師を高野山流罪にしたのが家康だろうw
665名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:20:23
>>664
つか、刃向かってきたからだろw

自分をないがしろにした奴の味方をするDQNだからしょうがない
666名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:21:16
>>660
おい大丈夫か?織田の天下を頓挫させたって、じゃあ秀吉が天下取らなければ
そのまま織田の馬鹿息子連中に天下を取れたとでも?織田の嫡子で比較的まとも
だった世継ぎの信忠が死んじまったんだからしょうがないだろう。

それとも秀吉が自分の力量で取った天下を馬鹿息子のうちの誰かに
くれてやれとでも?おめでたいなw
667名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:22:28
>>665
刃向かってきた信雄を秀吉は許してるじゃないか
668名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:23:12
>大恩ある主君信長が京・本能寺において誅殺されるとにわかにその本性を現し
>織田の後継ぎなど一杯残ってたのに、簒奪
>仇を討ったのは自分のためだろ

禿同
669名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:24:47
>>666
禿同
670名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:26:55
家康なんて自分の盟友が殺されてお家騒動の最中に
せっせと領地拡大に励んでた狸だぞ。
671名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:31:35
>>663
>仇を討ったのは自分のためだろ

根拠は?
672名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:32:09
お猿の仇討ちがめっぽう早くて狸は後手に
領地広げとかないとお猿に対抗できなくなるもんね
673名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:54:36
しかも織田が破った武田の領地をかすめ取る( ´,_ゝ`)プ
674名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:54:41
>>666
錯乱したか?秀吉は天下をとる手始めにあるじである織田一族を打倒、家臣化したんだぞ。
っていうか、織田家は天下を取るためだけに存在し、もし天下をとる目がなくなったら
織田家は無価値、家来は切り取り放題、反逆し放題だと主張しているのか?
675名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:59:23
>>674

豊臣に臣従していたにも拘わらず、好き放題やって、あげく天下を取った家康は許せない!
あげく殺すなんて!

こう言いたい訳だな。その通りだ。
676名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:08:18
要するに、秀吉も家康と同じようなことをやっている。

家康の場合はいけなくて、秀吉はかまわないという
秀吉派の根拠は何?
677名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:09:56
>>675
織田に臣従していたにも拘わらず、好き放題やって、あげく天下を取った秀吉は許せない!
あげく殺すなんて!

こう言いたい訳だ。同意が得られて何より。
678名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:21:54
>>677
殺してねーだろw
679名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:27:10
やり(好きな漢字をあててくれw)まくったね。
680名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:41:19
もしかしたら・・・本能寺の変の裏で糸を引いてたのは秀吉?中国大返しももともと計算されてたのかも。
681名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:46:06
>>680
まぁそうゆう説もあるね。
他にも堺衆(千宗易。この時既に利休か?)の仕業とか…
682名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 11:05:21
糸を引くとまではいかなくても、明智の動向をつかんでいた可能性はかなりあると思う
683名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 11:24:05
話しが飛びすぎだぞw 裏で糸を引くにしては遠すぎるだろう
一番近かったのは徳川だし、武力で言えば柴田勝家だったしな。
684名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 11:24:13
685名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 12:30:43
家康と秀吉の天下の取り方と立場は全然違うじゃん。

秀吉が仕えてた織田は当主が死んで天下取り所じゃない。
群雄割拠の時代だ。徳川の時は秀吉が天下を統一して
天下が治まってたにも拘わらず、自分が天下人になりたいために
無用の乱を起こしたのが関ヶ原の成り行きだろう。
西軍が起こしたんじゃないぞ?家康が起こすようにし向けたんだ。
686名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:01:20
武断派と文治派の対立は残っていたな
家康はそれをうまく利用した

というか、現実に関が原が起こったということは
完全には治まっていなかったということだ
687;:2005/09/11(日) 13:36:00
>>686 利家がもう少し長生きしていれば.違った展開に。
688名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:39:13
>>685
清洲会議での秀吉も野望丸出しで失笑しちゃうよ。
なんで秀吉は三法師→秀信を最後まで奉戴しつづけなかったんだろうね。
織田家の家臣ならば、そうするのが筋というものではないか?
それを棚に上げて家康の簒奪を非難するとは、片腹痛いことこの上ない。
しかも、秀吉は自ら進んで織田家の家臣になったのだ。
武力で屈服させられた徳川が行った簒奪行為と、どちらが道義的におかしいと思うかね。

秀吉の天下統一事業は失敗したんだよ。>>686に同意。
不安定要素を何一つとして解決することなく、
やったことと言えば無意味な朝鮮出兵。
秀吉のおかげで400年後に生きる我々までとばっちりが及ぶ始末だ。
689名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:44:23
>>685
秀吉は無用な戦を起こして主家を滅ぼした。

家康は何の義理も無いにもかかわらず豊臣家を支えてやった。
が、豊臣家の家人は愚かにも大黒柱たる家康を除こうと乱を起こした。
690名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:47:28
秀吉の織田家への恩の深さと、
家康の豊臣家への恩の深さの差を考えてみろ。

信長に百姓から大名にまで取り立ててもらった秀吉。
秀吉に好きでもないのに頭を下げさせられた家康。
691名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:54:51
秀吉は家康に土下座して味方になってもらった。つまり家康は豊臣家の大恩人だよ。
692名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:12:21
信雄はアフォ、秀信は年齢的に問題にならず、
秀吉にとって自身の覇権にそう邪魔にならんから生かしておいただけだろ

信長が方面軍司令官に任命したほど、少なくとも軍事的才能に恵まれた信孝はさっさと殺した
才能のある遺児はさっさと殺しておかんとうまく天下を我が物にできないもんな
しかも信孝の母親である信長の側室は磔の処刑だ

そりゃ秀吉には天下人の器があって、そのとおりに歴史は動いた
が、その死後の家康の行動を道義的に非難できるような立場では全くなかろうよ
693名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:23:36
そうだった、秀吉は信長の生き残った子で一番マシなの殺してたね

「むかしより主をうつみのうらなれば むくいを待てやはしばちくぜん」

因果応報、、、きっちり羽柴が滅びて良かったな、信孝よ
694名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:31:27
これほど家康信者が多いとは思わなかったな。
朝鮮出兵の戦後処理を三成と共に粛々と執り行ったり
彼の功績はありますね。
天下が定まったといえども豊臣恩顧、子飼いの大名間の
いざこざは絶えないし秀頼はまだ幼いし地方有力大名も
場合によれば中央に弓を構えるおそれがないとはいえない位
地方の力は強かった。
朝鮮出兵の不満も高まっていたかもしれない。

でもそれらは豊臣の屋台骨をゆるがすほどの大問題じゃないですよね。
むしろ秀吉さえ一目おいていた家康なら諸問題を解決できたでしょう。
その場合三成は彼に従っていたに違いない。
千姫は秀頼と結婚することになっていたし徳川と豊臣はほぼ
一心同体に近いはずなんだからあえて大乱をおこしてまで
徳川の世にする大義がそこにあるとは思えないですね。

695名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:33:13
明や朝鮮相手の戦争が続いてる最中に
その戦争起こした張本人が収拾つけないまま無責任にも死んでゆこうとしてるのに
ひたすら「秀頼を頼む、秀頼を頼む」って・・・
いや、どう見てもそれどころじゃないでしょうに

天下人として下した自分のトチ狂った命令に従って異国で戦い続けてる者が大勢いるというのに
頭をよぎるのはその責任ではなく、たった一人の幼児のことですか?
これが天下を治める器を持った人間なのでしょうか?
696名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:34:43
家康にそこまで豊臣に尽くす義理はない。そんだけ。
697名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:37:55
あー自分は別に家康信者じゃないな
狸好きじゃない

が、それ以上に、秀吉が天下を制したのは道義的になんら問題なく、
家康の天下制覇には道義的問題があるかのように読めるレスを見てるうちに
書き込みたくなっただけ

猿も狸も、誰のためでもなく、己の野心のために天下人になったなじゃねーのか、と
698名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:02:39
???
主君であり天下人一歩手前の信長が死んだんだから
誰かがその事業を引き継ぐのは当然の流れでしょ
戦国の世を終わらせて秩序をもたらすにはそれしか道はないわけで
秀吉が自らの欲のために直接信長を殺したのなら罪もあろうが
事実はそうではないわけでね

家康は豊臣政権の筆頭として平安な世を存続させることもできたのに
自らが天下人になりたくて無用の乱をおこし結果天下を手に入れたんだから
明らかに家康には非がある

関ヶ原が仮に一日で終わらず膠着状態に陥っていたら
応仁の乱とはいわないが再び世は乱れまくっただろうね
利己的で非常に危険な賭をしたわけだよ家康は
699名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:06:37
家康擁護ってチョソだろ?何言っても無駄だよw
700名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:15:21
>>698
家康に非がないとは言わん。同様に、秀吉に非がないとも言えん。

>主君であり天下人一歩手前の信長が死んだんだから
>誰かがその事業を引き継ぐのは当然の流れでしょ
この誰かというのは、筋道からすれば織田家次期当主でなくてはならない。
秀吉は織田家家臣として、全面的にサポートしなくてはならなかったはずだ。

>家康は豊臣政権の筆頭として平安な世を存続させることもできたのに
>自らが天下人になりたくて無用の乱をおこし結果天下を手に入れたんだから
>明らかに家康には非がある
秀吉は織田政権の筆頭として天下統一のために尽力することもできたのに、
自らが天下人になりたくて主家を簒奪し、結果天下を手に入れたんだから、
明らかに秀吉には非がある。

あのさあ、自分の主張に矛盾がないかどうかもう少し確認してから書き込んだら?
いい加減気付けよ、ほんと。
701名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:26:45
>>698
大義とかいうなら、
信長の後を継ぐのは彼の子供であるべきでしょう?
702名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:28:52
家康信者が多いのではなくて、歴史を客観視できる椰子が多い

DQNも多いが、まともなのもいるな
703名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:29:09
>>700
> あのさあ、自分の主張に矛盾がないかどうかもう少し確認してから書き込んだら?
> いい加減気付けよ、ほんと。


おまえ真性のアホやろw
どっちがより非道なのかって話なのに
秀吉にだけ思いっきり高いハードル設けて貶めてるだけじゃん

秀吉に織田政権存続の義務を負わせるのはいいだろう
その場合家康の行動はどう擁護するんだよ
「非があるのは認める」なんて軽い言い方じゃ棲まないよ
「秀吉も悪だが家康はそれに輪をかけて圧倒的に極悪だ」と言い直せ

つか他人の文章を引用してオウム返しなんて手はチョソのすることだぞ
704名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:30:56
関ヶ原の前に、家康が天下を取ろうとしていたとする史料はあるか?

家康本人がそう言っていたとする史料だ
例えば、家康の他人宛の書状で天下取りに協力してくれと書いてあったり
井伊か誰かの記録で家康は天下を目指すと言っていたとか

オレは天下取りの意志ありと考えるが史料的裏付けはない
705名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:32:01
>>703
どこが圧倒的極悪なのか?
706名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:32:04
>>689
>関ヶ原が仮に一日で終わらず膠着状態に陥っていたら
>応仁の乱とはいわないが再び世は乱れまくっただろうね
>利己的で非常に危険な賭をしたわけだよ家康は

賤ヶ岳の戦いが仮に秀吉の勝利で終わらず膠着状態に陥っていたら
応仁の乱とはいわないが再び世は乱れまくっただろうね
利己的で非常に危険な賭をしたわけだよ秀吉は
707名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:33:01
>>703
どっちも同じじゃないか。
708名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:36:44
>>703
チョンチョンチョンチョンしつこいよ。
同じ日本人だと思うと悲しくなるわ。
709名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:39:32
703は感情的になって、客観的な論理を全く構築できないアホだからスルーよろ。


……オレモナー
710名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:47:39
おれは大儀なんて言ってないんだがなあ

信長でさえ厳しい道のりだった天下統一の大事業を引き継げるのは
”引き継げる能力を有した者である”としか言えないわけだよ
あの状況で天下をまとめ上げるには実力とカリスマ性が必要であって
織田の遺児が織田家中だけの力で全国を統率していけるものじゃない

信長が死んだ段階で世の中は再び分裂し群雄割拠してもおかしくはなかった
秀吉が織田家家臣として忠節に励んだところで家中は必ず分裂し
それこそ家康を筆頭に天下を争乱に巻き込む天下取りが始まっただろう
残された織田の遺児に全国の大名を治める力などあろうはずもない

それともうひとつ、信長は天下統一し終わっていたわけじゃない
盤石な政権を禅譲されたのならその維持に励むことも出来ただろうが
秀吉はそこから全国をまとめあげて関白を任じ政権を打ち立てたのであって
豊臣政権という仕組みを壊してまで天下を簒奪した家康とは立場が違うよ

711名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:53:32
>>706
賤ヶ岳の戦いを起こさないとしたらどんな選択肢があったの?
あの時点で天下の趨勢を制していた既存の勢力は瓦解してるんだよ?
世はまだ戦国真っ直中だ。
712名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:56:33
>>705
日本語が理解できないのw
天下人が誰もいない&政権も存在しない状況で秀吉は天下を取ったわけ
家康は豊臣政権があるにもかかわらずその維持に努めず天下を強奪した

全然違うじゃん
713名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:58:16
信長、秀吉でさえ厳しい道のりだった天下統一の大事業を引き継げるのは
”引き継げる能力を有した者である”としか言えないわけだよ
あの状況で天下をまとめ上げるには実力とカリスマ性が必要であって
秀吉の遺児が豊臣家中だけの力で全国を統率していけるものじゃない

秀吉が死んだ段階で世の中は再び分裂し群雄割拠してもおかしくはなかった
家康が豊臣家家臣として忠節に励んだところで家中は必ず分裂し
それこそ三成を筆頭に天下を争乱に巻き込む天下取りが始まっただろう
残された秀吉の遺児に全国の大名を治める力などあろうはずもない


盤石な政権を禅譲されたのならその維持に励むことも出来ただろうが
家康はそこから全国をまとめあげて将軍を任じ政権を打ち立てたのであって
織田政権という仕組みを壊してまで天下を簒奪した秀吉とは立場が違うよ
714名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:58:19
儒教的な観念で言えば秀吉も家康もどちらも簒奪者
けど家康のみが後世になって非難されるのは家康が嫌われ者だから
それだけのこと
715名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:01:33
まあ信長が死んじまったんだからしかたないわな
秀吉がやらなきゃ明智でも柴田でも家康でも誰かが天下を取りにいっただろう
そういう時代だよ

家康は家康以外に豊臣を乗っ取ろうなんて誰も考えてなかった時代にそれをやった
しなくてもいいのにやったんだから非難はされてしかるべきだと思うが
716名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:02:30
>>712
日本語が理解できないのw

政権は織田政権があったんじゃないのか

事実上なかたっということなら、事実上徳川政権になっていたが?

秀吉は信長の子がいるのにも関わらずそれを無視して天下を簒奪した

家康は最有力同盟者だったが、秀吉は百姓から取り立ててもらったんだぞ

全然違うじゃないか
717名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:04:53
>>713
ちょっと無理がありすぎかと・・・
718名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:06:17
>>710
>信長でさえ厳しい道のりだった天下統一の大事業を引き継げるのは
>”引き継げる能力を有した者である”としか言えないわけだよ
>あの状況で天下をまとめ上げるには実力とカリスマ性が必要であって
>織田の遺児が織田家中だけの力で全国を統率していけるものじゃない

>残された織田の遺児に全国の大名を治める力などあろうはずもない

これ、君の主観でしょ。結局君が言ってることは主観ばかり。
ここは君の願望を書き綴る場所ではないわけで。
君がどれだけ秀吉に肩入れしてるか知らんが、秀吉が主家を簒奪した
事実は事実として残っているわけでね。
君はその事実から目をそらし、秀吉の主家簒奪を正当化しようと
必死になっているんだよ。

客観的事実から導き出される結論というのは、
「秀吉は主家を簒奪した。家康も簒奪した」
これ以外の何ものでもないでしょ。
719名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:07:07
>>715
というか政権があったら誰も取ってはいけないということはないが?

小泉政権を永遠に維持しなければいけないということか?

乗っ取りが悪いなら、秀吉も天下統一後、秀信に禅譲すればいいだろ
720名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:09:42
>>715
>家康は家康以外に豊臣を乗っ取ろうなんて誰も考えてなかった時代にそれをやった
>しなくてもいいのにやったんだから非難はされてしかるべきだと思うが

これ、本当にそう? 証明できる?
721名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:10:24
>>716
織田政権なんて存在してないでしょ
最強の戦国武将という位置にあった段階だよ
関白や征夷大将軍といった組織的な政権はまだない
722名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:10:36
信長後
→秀吉の肩書き「信長4男羽柴秀勝の養父・信長姪淀殿の夫・信長娘三の丸殿の夫・信長姪姫路殿の夫・信長の孫お小姫の養父・信長一族智勝院の養父」など

秀吉後
→家康の肩書き「秀吉妹旭姫の夫・羽柴秀康の実父・豊臣秀頼の義祖父・秀吉の義兄弟秀忠の父・秀吉義姪振姫の父・秀吉義甥の婿義直の父・秀吉一族加藤清正の婿頼宣の父・秀吉義姪初姫の祖父」など

似たりよったりかな?
723名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:12:55
>>720
客観的な事実に沿うなら家康が天下を簒奪したんだからそれが証明だろ
そうじゃないという悪魔の証明でもしてくれるのか?
724名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:14:18
>>719
(封建主義的)専制政治を維持していくためには、
支配者が絶対的権力を持っていなければならない。
でなければ、諸侯に君臨する資格はない。

諸侯につけ込まれる時点で、その支配者は支配者失格であるわけなんだよね。
725名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:16:00
>>718
> 「秀吉は主家を簒奪した。家康も簒奪した」

そこは誰も反論してないわけだが

延々続いてる話って「どっちがより非があると思うか」という主観論でしょ
前提となる事実はみんな分かってると思うけどな
726名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:17:09
「どっちがより非があると思うか」というなら秀吉より家康のやり方のほうがえげつない
それもみんな分かってると思う
727名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:19:05
>>723
「家康の他に豊臣をのっとろうと考えている者はいなかった」
ということを証明しろと言っているのだ。

豊臣に別段恩義があるわけでもない大名は数多くいた。
それら全員が、ことごとく「あわよくば」を考えていなかったことを証明してみろ。
728名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:19:41
>>718
残された織田の遺児に全国の大名を治める力があるというなら
軍を組織して秀吉を押さえ込めば良かったじゃん
でも客観的事実としては出来なかったワケだよね?
729名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:22:29
家康、腹黒いとか汚いとかには同意

そうじゃなくて、秀吉は正義だが、家康のみが簒奪者という味方には同意できない

秀吉も家康も簒奪者

でも、どっちがより悪いかというと秀吉かもね

秀吉:誰も相手にしないような足軽→軍団長
家康:最強最大の外様→そのまま

つまり家康は秀吉に現在の位置にまでしてもらっていない
戦争までにしてるしね
ある意味恩義と言うよりは、合意による契約

一方秀吉の位置は織田のおかげなのに簒奪
明白な裏切り
730名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:22:41
>>728
残された豊臣の遺児に全国の大名を治める力があるというなら
軍を組織して家康を押さえ込めば良かったじゃん
でも客観的事実として出来なかったワケだよね?
731名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:26:11
>>727
あわよくば豊臣をのっとろうと考えている者がいたという証明は出来てるの?
家中の誰かに語ったりどこかに送った書簡のなかに
「おれはあわよくば豊臣ぶっつぶすからさ、そんときには手伝ってくれよ」
と言っている証明物があるのかっつってんの

それを証明しなさい
732名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:27:12
政権があったら、いじっちゃいけないのなら
明治維新はNGなのか?

不義不忠の極み?
733名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:29:31
関ヶ原の前に、家康が天下を取ろうとしていたとする史料はあるか?

家康本人がそう言っていたとする史料だ
例えば、家康の他人宛の書状で天下取りに協力してくれと書いてあったり
井伊か誰かの公式記録で家康は天下を目指すと言っていたとか

オレは天下取りの意志ありと考えるが史料的裏付けはない
734名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:34:03
ここまでの流れを整理すると、

・秀吉派
織田家を簒奪することは簒奪した。
だが天下はまだ定まっておらず、力ある秀吉が天下を治めるのは当然のことである。
家康は秀吉によって定められた天下を覆した悪人である。

・家康派
豊臣家を簒奪した。これを悪だと言われても、言い逃れは出来ない。
だが家康は戦国の世の習いにより下剋上を行ったのであり、戦国武将として当然の行為であるとも言える。
秀吉は大恩ある織田家を踏み潰して天下を取った。一方の家康は豊臣家に恩もクソもない。

どちらが悪いかを決めるとすると、対立点としては、
・秀吉の手により、本当に戦国時代は終結したのか。
・秀吉と家康の主家に対する恩義はどちらが重いのか。
この二点が上げられているわけだ。
この辺を重点的に論じ合ったらどうだろうか。
735名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:36:18
清洲会議始まる時点で、速攻、裏で手を打った秀吉が、
信雄・信孝の兄弟間の分裂と対立をいっそう深まるように仕向け、
主家簒奪しやすい土壌をせっせと作ったしねぇ。
それに対抗しうる力や才は勝家や信孝にはなく、結局敗北したと。

>「秀吉は主家を簒奪した。家康も簒奪した」
>「どっちがより非があると思うか」という主観論でしょ

全くそうだわな。そんで自分にとってはどっちもどっちかな。
秀吉晩年の失政で、豊臣政権に愛想つかしてた連中も多いだろ。
海のものとも山のものともわからん秀頼を奉戴して豊臣政権を永続させるのが当然、
というほどには、世の中まだ平和に熟してはいなかっただろうと思うが。

天下鳥の意思の有無をしっかりと史料的に裏づけとりたい人がいるみたいだが、
信長のように明言、つーのは、秀吉にしても家康にしても、両者とも、
ようは事実上の簒奪である以上、無理なのでは?
736名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:38:08
>>731
あわよくば豊臣をのっとろうと考えている者がいたという証明は出来てるの?

こんな証明できるはずがないだろ。
同様にそう考えている者がいないという証明もできるはずがない。
証明できない以上、「家康以外に野心家はいなかった」というお前の主張は誤りだ。
自分の思い込みや願望で書き込みするのはよせと言っているのだ。
737名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:43:00
>>711
勝家君は団結して織田家以外の勢力と戦っていこうと提案していますがね。
738名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:55:13
戦乱の時代に信長が死んでアホな子供だけが残った。
そのアホな子供を担いで天下を制御出来るか?織田は畿内に500万石程度の
領地があったと言うだけで、天下人でもなければ織田政権なんてのもない。

秀吉を正義だとは言わん。が、既に落ち着いてた豊臣の世から秀頼を殺して
政権を奪ったやり口は秀吉とは比べものにならないくらいエグイ

ところで、ここは秀吉について述べるスレじゃなくて
西軍・東軍について語るスレだろう?三成や宇喜多の義挙は
天下を狙う実力者家康に追従しない立派なもんだと素直に思わないか?
739名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:56:29
>>737
先に攻めてきたのはその勝家だろ。
秀吉は迎え撃ったんじゃないか。
740名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:58:26
秀吉が三法師を奉じたから、秀吉は正しかったということにはならない

以後の行動から明らかなように、幼児を出汁に使っただけ

もし幼児がいなければ単なる反逆者だから、その汚名を被らないように
幼児を立てる振りをした
実際は自分が簒奪するつもり

光秀討ちも敵討ちだという大義名分をかかげてやったが、実際は自分の力を強くしたかっただけ

このあたりの立ち回り、狸親父も真っ青
741名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:01:19
>>738
既に落ち着いたとは言えないだろ

それから政権があったら、絶対に覆せないのか?

>西軍・東軍について語るスレだろう?三成や宇喜多の義挙は
天下を狙う実力者家康に追従しない立派なもんだと素直に思わないか?

落ち着いていたのなら、戦乱は起こらないはずだが?

落ち着かせないで、なぜ戦乱を起こしたのか?
戦乱を起こすのはまずいのだろ?
742名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:03:40
>>738
御説ごもっともだが、主家の簒奪行為を非難して相手を攻撃するのは
たいてい西軍びいきの人の方が先なんだよね。
それに対して東軍びいきの人たちが「秀吉だって主家簒奪したろ」と
反論するのが日本史板でも三戦板でも常なんだよね。

それから、
>戦乱の時代に信長が死んでアホな子供だけが残った。
>そのアホな子供を担いで天下を制御出来るか?
三法師じゃなくて、信孝を次期当主にすればよかったじゃん。
それをせずに三法師を担いだのは、明らかに織田家を踏み潰す意図があったからだ。
743名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:04:38
>天下人でもなければ織田政権なんてのもない

まぁ信長自身、信忠に対して「天下与譲」とか言ったりしてる以上、
完全制覇はまだしも、既にその射程距離内に居ることは、
信長だけでなく秀吉も勝家も織田家家臣は十分意識していたはずだと思うがね

しかし狸も狸だが、猿の信孝とその母親の殺し方も随分とエグイよな
744名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:05:28
>>736
だからそんな証明は意味がないって最初から言ってるのに
おまえが証明証明うるせえんだろ

あったかなかったかは誰にも分からない
しかし事実だけを追えば家康以外に乗っ取ろうと『行動』したやつはいない
これはこれで立派な証明だろ
745名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:05:42
>戦乱の時代に信長が死んでアホな子供だけが残った。
>そのアホな子供を担いで天下を制御出来るか?織田は畿内に500万石程度の
>領地があったと言うだけで、天下人でもなければ織田政権なんてのもない。

朝鮮出兵を中途にした時に、秀吉が死んでガキが残っただけ
そのアホともわからん子供を担いで天下を制御出来るか?
織田は畿内500万石近い所領があり、織田家臣や公家などは信長を天下人と認識し
織田政権なるものは存在した
島津や大友との文書のやりとりでも、すでに織田を天下人と見てるようだが

秀吉の死後、朝鮮出兵の事後処理をこなし、利家死後、武断派と文治派の対立が激化
全然落ち着いてない

三成や宇喜多が義挙というのは、そう思いたいだけ
普通に捉えれば、政権での独裁を図る家康に対して、権限を奪われつつあった宇喜多などの大老
佐和山蟄居で政権から外された三成
単なる権力争いだな、家康の独裁を批難するのは挙兵する上で、当然大義名分にするしな

要は既存権益に固執する官僚なんだよ>三成
746名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:06:55
>>738
豊臣家の力が圧倒的なものであったのなら、
戦乱は起こらなかったよ。
仮に起こったとしても鎮圧できたよ。
戦乱が起き、政権をひっくり返されたということは、統治者として失格だったということ。
747名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:07:11
>>744
西軍も「豊臣政権の独占、乗っ取り」の為に行動してるんですが
748名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:07:32
>>737
だったら対立せずに秀吉の軍門に下ればいいだろ
口ではなんとでもいえる
織田家が最重要なら私心を捨てて一体化できたはず
749名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:10:07
>>740
そうしなければ天下が治まらないじゃないか
あんたは戦闘が続いて民が干し上がるのがいいのか?

家康はやらなくていいのにやったんだよ
750名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:11:26
山崎合戦の総大将は秀吉じゃなく、信孝だよ
戦後の戦勝報告の奉書ではっきりしてる

そんな信孝の一族もろとも殺したのが秀吉

秀吉が秀信殺さなかったのは、幼少から手元に置いて育てて反抗しなかったから
家康も同様に秀頼を手元に置こうとしたが無理だったようだけどね
伊達政宗の書状で、秀頼を伏見に置いて家康が育てれば、無用な戦乱は起きないのにと書いてる
751名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:11:29
>>744
お前が「家康以外の野心家は一切いなかった」というようなことを言ったから、
「その主張に裏付けはあるのか? なければお前の主観にすぎないんだぞ」
と言ったんだよ。自分が言ったことに責任持てよな。
>>744では証明にならん。出直しておいで。
752名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:12:33
>だったら対立せずに秀吉の軍門に下ればいいだろ

737ではないが意味わからんな
軍門に下って一体化して簒奪しろということか?
清洲会議で、丹羽や池田をこっそり事前交渉で丸め込んでた時点で、
勝家や信孝には、秀吉の野心が透け透けに見えてたってことだろうさ
753名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:16:27
>>749
じゃあ勝家と戦わずに降伏すればいいだろ

秀吉は民が干しあがるのが良かったのか?


その論理なら、家康は民が干しあがらないように盤石にしたんだろ
現に250年も平和だが?

秀吉はすぐに転覆されたが?
754名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:19:36
秀吉が私利私欲のためでなかったのなら、天下統一後、禅譲すればいいだろ

それをしないのは、私利私欲で行動したからだ
755金吾秀秋:2005/09/11(日) 17:26:50
まったく、私利私欲で行動するなんて、あきれたもんだぜ(´・ω・`)
756名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:28:31
>>756
おまいがゆうなww
757名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:29:12
>>733
秀吉が許可していない伏見城に入り込んで支配下においた。
さらに大坂城の西丸に入り込んで、天守閣を建てた。
天下獲りの意図は明々白々。

758名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:31:35
>>753
勝家が挑んできたんだろ、それに結局は勝家が滅んで戦闘は短期で終わった
結果はなかなか良かったじゃないか

家康が盤石だったのは最後の大物実戦派戦国大名だったからだろ
あとには誰もいなくなっちゃたんだからさ

家康は己の戦国大名としての生き方に忠実に行動したと言えるけど
自分の欲は抑えて秀吉を最後の戦国大名にすることだってできた
そうせずに関ヶ原から大阪の陣まで大規模な戦争を引き起こしたのは
単に家康の欲をかいた行いだ
759名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:35:08
>>757
伏見城での政務は秀吉の遺言です
西の丸は北政所から譲られたものです、天守は勝手に建てられません
豊臣家の人間いずれかが許可したと考えるのは当然です

西軍厨は、まず家康嫌い西軍大好き
この観点でしか語れないから痛い
760名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:37:04
三成は己の豊臣家の官僚としての生き方に忠実に行動したと言えるけど
自分の欲は抑えて豊臣を残すことだってできた
そうせずに関ヶ原という大規模な戦争を引き起こしたのは
単に三成の欲をかいた行いだ
761名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:38:54
>そうしなければ天下が治まらないじゃないか
>あんたは戦闘が続いて民が干し上がるのがいいのか?

っていうか、なんで天下を無理に統一する必要があるの?
自分の領地守ってマッタリしているのはダメなの?
天下は信長、秀吉にしか統一不可能なものだったの?
他の戦国大名たちは世を乱し無駄に民草を苦しめたクズどもだったの?

なんかこういう人見てると、偉人よりもアテルイとか安重根を
教科書にのせたがる人たちとダブって見える。
762名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:41:00
>>757
>さらに大坂城の西丸に入り込んで、天守閣を建てた。

あれが天守閣だったというそーすきぼん。
単にでかい櫓だっただけなのかもしれないじゃん。
763名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:41:02
例え関ヶ原が起こらずとも
家康はいずれ秀頼を除いていたでしょう
764名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:41:14
>>760
全然違うだろw
765名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:41:38
関ヶ原は、三成らが挑んできた。
大坂の陣は、勧告を受け入れない秀頼が挑んできた。
戦闘は短期に終わった、結果は250年の長期政権。
766名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:42:26
>>758
勝家が挑んだ?
織田のために戦ったんじゃないか

三成が挑んできて、結果は比較的速く終わったよ
良かったねw

秀吉は織田を立てる振りをして結果は己の私利私欲に忠実だっただけだ
他人の女を取ったりして、強欲だった

朝鮮攻めるなとは言わないが、結果的に国力を疲弊して、内外ともに遺恨を残した

強欲な上に馬鹿だった
767名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:43:42
>>761
> 自分の領地守ってマッタリしているのはダメなの?


そうだったらいいんだけどね
そういう世界になればいいね
768名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:44:45
島津はまったりしていたが?

上杉もまったりして降伏したが?
769名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:46:45
秀秋に連鎖して裏切った大名はそれぞれ誰と戦ったの?
770名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:46:46
>>758
勝家が秀吉に挑んだのは、秀吉が織田家を踏み潰そうとしたから。
秀吉の主家簒奪の意図は、清洲会議で見え見えだった。

>家康が盤石だったのは最後の大物実戦派戦国大名だったからだろ
>あとには誰もいなくなっちゃたんだからさ
何をバカなことを。負け惜しみに過ぎん。
秀吉が自分の政権を磐石に出来なかっただけ。戦国武将なんだから、徳川潰せばよかったじゃん。

>家康は己の戦国大名としての生き方に忠実に行動したと言えるけど
>自分の欲は抑えて秀吉を最後の戦国大名にすることだってできた
そんな義理、家康にはありません。理由は過去ログ読め。
771名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:47:12
>大阪の陣は、勧告を受け入れない秀頼が挑んできた。

何の勧告をしたの?『国家安康〜』の鐘の件でどう考えてもこじつけとしか思えない言いがかりをつけたんじゃないの?
772名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:47:15
秀吉が筆頭重臣を立てて織田を盛り立てると言えば織田はまとまるだろ

それなら家康も協力したかも

そうすれば丸く収まったかもしれないが、なぜそうしないのか
773名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:48:26
>>771
勧告は、領地替え、淀君提出、とあと何かあったかな
774名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:50:06
>>757
外観上は証拠があるんだが、本人がそう言っかどうかという証拠があるのかどうか

ここで言う証拠とは、本人が断言したという史料だ

なんでこんなことを言うかというと、史料がなければ、認められないのかどうかということが疑問だからだ

史料主義に基づけばそうなるんだろうが、それでいいのかどうか
775名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:50:26
なんかレスのレベルが下がってきたなあ…w
776名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:50:41
家康は秀頼を立てる振りをして結果は己の私利私欲に忠実だっただけだ
女房息子の首を取ったりして、臆病だった

脱糞するなとは言わないが、結果的に馬上で脱糞して、内外ともに悪臭を残した

脱糞野郎な上にデブだった
777名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:53:44
信長の死後、その子達を盛り立てて織田に尽力するべきだってのは無理があるだろう。
仮に一子だったらそれも可能だが、子供は沢山いたんだぞ?下手すりゃ子供同士で
お家騒動だよ。戦乱の時代にそんな事になったら、他国に付けいられて領地切り取られるだけだ。
778名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:54:10
選挙に行ってきたが延々と続いてるなあww

信長・秀吉は天才タイプだが、家康は経験から学んでいくタイプだった
信長・秀吉のやり方を見ていたら、主家だろうが何だろうが潰してしまえと思うって
779名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:54:12
>>773
そうなのか…
でも当時、豊臣家と家康の関係てどんなだったんだろ?
まがりなりにも豊臣家に臣従してたんじゃないの?
780名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:54:34
>>775
西軍厨が必死に、家康が天下簒奪の意図を明らかにしたのを食い止とめる為、三成ら西軍が義挙したのだ

といいたい為のアホ理論を展開中だからです
総バッシングだけどw
781名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:55:17
>>770
> 戦国武将なんだから、徳川潰せばよかったじゃん。

秀吉は人情家でしたからね痴呆になる前までは

> そんな義理、家康にはありません。

つまり家康は義理も人情もない男
782名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:56:37
西軍厨って単語がこのスレではよく使われるが
その西軍厨は東軍厨って言葉を使わないのは大人だな。
783名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:57:16
>>773
それ勧告とはいえハルノートみたいなもんじゃん
784名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:57:21
ちょっと待て>>779
君はどの程度まで、当時の豊臣と徳川の関係を知ってるの?

相手の知識によって説明する内容が随分変わるのだけど
それ以前に、大坂の陣スレでやるべき内容だと思われ
785名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:57:58
>>782
狸ヲタという言葉を使ってますが何か?
786名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:58:28
信長は義昭を立てる振りをして結果は己の私利私欲に忠実だっただけだ
近隣親族を皆殺しにしたりして、非情だった

粛正するなとは言わないが、結果的に宿老を追放して、内外ともに疑心暗鬼にした

短気な野郎な上に眉間にしわが寄っていた
787名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:59:59
>>780
なにこのレフェリーもどきw
788名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:00:48
>>776
秀吉は織田を立てる振りをして結果は己の私利私欲に忠実だっただけだ
母親と妹を人質に出してまで和睦しようとした

実子が可愛いから、因縁をつけて関白らを大量虐殺した

猿な上に、異常な性欲、侵略欲で、内外ともに遺恨を残した

猿を取り立ててくれた恩を忘れて、子供を次々と殺した
789名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:01:06
>>777
他国に切り取られるのも、家来に切り取られるのも、大してかわらんと思うが・・・。
790名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:01:46
>>784
いや、詳しくはしらないけど『秀頼に勧告』て話が出てきたからさ、俺は今まで家康は豊臣に臣従してたと思ってたから、家康とんでもないことしてたんだなと思ってさ。

スレ違いだね。ごめん
791名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:03:03
秀頼よりも韓国に勧告しろよ。
792名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:03:19


こんな三戦板レベルの議論を続ける位なら
ハンセン氏と利長がグルだったか語る方がはるかに有意義だぜ。
793名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:04:34
>>781
>>戦国武将なんだから、徳川潰せばよかったじゃん。
>秀吉は人情家でしたからね痴呆になる前までは
潰さなかった・潰せなかっただけ。
磐石な支配構造を構築できなかった時点で、支配者失格。

>>そんな義理、家康にはありません。
>つまり家康は義理も人情もない男
「義理」「人情」「恩義」この三つの言葉を辞書で引いてから出直せ。
家康は秀吉に「恩義」を受けていないのだから、
豊臣家に尽くす「義理」などないのだ。
794名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:04:43
>>790
家康は秀吉の死後、豊臣に臣従していたとは言い難いです
795名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:05:38
>>777
え?子供がたくさんいる大名家の家臣は主家を乗っ取ってもいいのか?
すごい理屈だなw
796名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:09:24
>>792

長連龍隊が犠牲をだしている。
797名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:09:49
>>794
なるほど。つまり
『家康は豊臣家に臣従してた』んじゃなくて
『家康は秀吉に臣従してた』ってことか
798名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:10:02
>>790
1603年に家康が征夷大将軍に任ぜられたときから、
形式的にも実質的にも一応は徳川家が主家だよ。
なぜなら、豊臣も徳川も武家であり、征夷大将軍は武家の棟梁だから。

そして、1611年に秀頼は徳川の城である二条城にいる家康のもとへ
挨拶に出向いている。
この時点で、完全に主従逆転が完成したといっていいだろうね。
799名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:10:04
>>792
そう思うなら板にふさわしいレベルのレスでこの事態を何とか収拾してくれよ
疲れた
800名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:12:51
家康が征夷大将軍になった後でも、徳川家は秀頼に対して臣下の礼は取ってた
立場逆転したのは、秀忠に将軍職譲った後かと
801名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:12:57
>>799

よし、君も長連龍軍の三十名の戦死者は無駄死にだったかどうか
考えるのだ。

たくパカパカageるなよ
802名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:14:27
豊臣に臣従していたかもしれないが、もうそういう段階ではなかった
でも淀らは納得しなかった

臣従してようがいまいが、実力で言うことを聞かすのが戦国の習い
803名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:17:08

いやあのさ……。
秀吉がどういう性格だったか、とか
家康がどういう性格だったか、とか
は江戸時代で一度、明治時代で一度、計二回改竄されているわけよ。

804名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:17:23
慶長10年以降の豊臣家と徳川家の直接交渉、朝廷との関係、諸大名の対応
これを確認すればいいんじゃないの?
805名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:20:14
朝廷?

あらゆる面でノータッチ。
シンガーの危機に何故か立ち上がったww
806名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:29:04
>>805
細川幽斉の事かw
あれは笑えるよな〜 これから数千人が死ぬって時に
歌が消えるから止めろって・・・公家ってなんておめでたい人種なんだろうw
807金吾秀秋:2005/09/12(月) 00:58:49
まったく、おめでたい人種だぜ(´・ω・`)
808大和天狗:2005/09/12(月) 01:41:04
↑俺と弟子も
809日本@名無史さん:2005/09/12(月) 02:23:13
>>734
いちばん肝心なことが抜け落ちとる。
秀吉は、織田信長を謀反で殺した明智光秀を討ち取って、主君の敵討ちをした大功労者だということを。
しかも秀吉は、織田家の正嫡秀信をもりたてて、岐阜中納言としてしかるべく処遇している。

秀頼を殺して、豊臣家を根絶やしに滅亡させた家康とは比較にならない。

810日本@名無史さん:2005/09/12(月) 02:57:58
功労者だからなんなの?主家を食い物にしてもいいの?
秀信を盛り立てたって・・・13万石の捨扶持のこと?

秀吉は足軽から抜擢された織田の家来。家康は秀吉が実母を人質にし、
妹を離縁させてまで婚姻を結んで服属したもらった独立の大名。出自が全然違う。
811日本@名無史さん:2005/09/12(月) 03:07:14
デブは温厚篤実なイメージ以外に取柄がないから、家康擁護に回らざる
を得ないのはわかる
チョンが秀吉嫌いなのもわかる
それが結果的に東軍厨としての立場となってしまっているのだろう
しかし、義理人情に厚かった西軍主力の生き様に「だから何?」はいかんぞ!
812日本@名無史さん:2005/09/12(月) 03:13:09
>>810
出自が出自だからこその信長,秀吉人気なんじゃないか?
813日本@名無史さん:2005/09/12(月) 03:17:23
信長時点で領国として押さえていたのは機内近国と越前・武田領ぐらいなもんだろう。
全国統一は秀吉の手柄であって、織田のものを獲ったというのとは違う。
814日本@名無史さん:2005/09/12(月) 03:39:26
西軍厨が義理人情に厚い武将としてあげる代表例、大谷屏風とは?

大老徳川家康公に従って逆賊上杉を討伐するために出陣(忠臣?)

悪友石田字部に謀反を誘われる(えええ!?)

もちろん断る。謀反を思いとどまるよう説得。(やはり忠臣!)

突如変心!!石田の走狗となる。もちろん討伐するはずだった上杉も仲間。(卑劣な裏切り)

積極的に謀反に加担。豊臣方の前田に嫌がらせ。(あちゃ〜)

豊臣方に包囲、殲滅される。(当然の末路)



裏切り者は辛いね。
815日本@名無史さん:2005/09/12(月) 04:15:42
>>814

逆賊上杉を討伐するために出陣?

謀反??

816日本@名無史さん:2005/09/12(月) 04:35:35
>814
家康厨の家康悪逆隠しの悪あがきw
817日本@名無史さん:2005/09/12(月) 06:40:29
悪逆は秀吉だろ。
秀吉は信長が夢枕に立って詰ったのでションベンチビって命乞いをした。
818日本@名無史さん:2005/09/12(月) 08:33:23
大谷が西軍に付いたのは宇喜多騒動の調停の失敗で家康との関係が悪化したからだともいうし
814を援護するつもりはないが美化しすぎ
819日本@名無史さん:2005/09/12(月) 09:47:35
大谷は元々、朝鮮役で石田らと共に
武断派を追求する立場だったからね。

はじめから西軍につかざるやおえなかったんだよ。
820日本@名無史さん:2005/09/12(月) 10:43:14
てっいうか関ヶ原と大阪の陣は不可分ではないぞ。
この時点ではまだ家康は豊家存続の方針だったが、
淀君らがあまりにも時勢をわかってない対応をしたから、
滅ぼさざるやおえなかっただけ。
821日本@名無史さん:2005/09/12(月) 12:19:37
いや大谷は親家康で家康を擁護する動きを見せている

もともと東軍だったが西軍に寝返ったというべきだ

毛利は豊臣なんかどうでもいい、本音では

自分もやばそうなんでちょっと西軍に荷担
822日本@名無史さん:2005/09/12(月) 12:21:53
恩知らずなのは秀吉

家康はNo2として入閣しNo1が倒れた後実力で政権

秀吉は足軽から取り立てられたのを忘れた

秀信を取り立てる振りをして騙し討ち
823日本@名無史さん:2005/09/12(月) 12:33:59
秀吉が天下統一をしたのは事実だが、あの時点で候補者の一人であったし
事実上織田軍団を呑み込んだ
信長の功績の上にたった 天下統一

秀吉が足軽だったら、天下統一はできないだろ
824日本@名無史さん:2005/09/12(月) 12:42:54
お前ら論点ズレ杉w

薩長は徳川幕府を討った逆賊
徳川は豊臣政権を討った逆賊
豊臣は織田政権を討った逆賊
織田は足利政権を討った逆賊
足利は(ry

お前らイイ加減に汁!
825日本@名無史さん:2005/09/12(月) 12:46:22
源氏は平氏(ry
826日本@名無史さん:2005/09/12(月) 15:47:11
豊臣は織田を討ってないよ。
秀吉は、信長を殺した謀反人明智光秀を討って、主君の敵討ちをなしとげた織田家の大恩人。
しかも、信長の嫡孫秀信をもりたてて岐阜中納言として尊重している。豊臣体制が続いておれば、秀信はそのうち右大臣あたりまで昇進していったことだろうよ。
秀吉が、織田信雄や秀信を臣下のようにしているように見えるのは、関白太政大臣と右大臣・中納言という朝廷官位上の序列によるものであって、主家を乗っ取ったり滅ぼしたりすることによってではないということ。
827日本@名無史さん:2005/09/12(月) 16:43:44
その話秋田
828日本@名無史さん:2005/09/12(月) 17:02:36
>>814
↑なにこの東軍廚。
吉継は重家を連れて行って仲裁をするつもりだったのだが。
829日本@名無史さん:2005/09/12(月) 17:23:51
>>826
>秀吉が、織田信雄や秀信を臣下のようにしているように見えるのは、関白太政大臣と右大臣・中納言という朝廷官位上の序列によるものであって、主家を乗っ取ったり滅ぼしたりすることによってではないということ。

斬新な見解でびっくりした。秀吉は本当は織田家臣であり続けたのかね?
家臣でありながら、官位の上下を理由として信雄を改易にし、秀信を岐阜十三万石に押し込めたのかね?
830日本@名無史さん:2005/09/12(月) 17:40:19
>>826
君が秀吉を好きなのはよくわかった!







妄言はチラシの裏にでも書いてろよage厨
831日本@名無史さん:2005/09/12(月) 17:49:23
>>829
そういえば、秀信は大阪に居なかったな・・・
働いてなかったのか?w しかしまぁ、織田家ゆかりの岐阜城を与えられて
13万石の殆ど捨て扶持と中納言なら悪い処遇じゃないな。
だから秀信も西軍についた訳だし。
832日本@名無史さん:2005/09/12(月) 18:49:37
>>831
美濃一国の恩賞に釣られたのでは?
833日本@名無史さん:2005/09/12(月) 19:47:14
>>832
岐阜の重要性から考えて、徳川に付いても恩賞は充分与えられるだろう。
それよりも、近臣との密談で秀吉には良くして貰った、豊臣の恩に報いるためにも
西軍に付くべきだってはっきり言ってるしね。

木造とかに徳川に付けって何度言われても西軍につくって
頑なだったのでもわかる。
834日本@名無史さん:2005/09/12(月) 19:51:31
>>833
>近臣との密談で秀吉には良くして貰った、豊臣の恩に報いるためにも
>西軍に付くべきだってはっきり言ってるしね。
ソースplz
835日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:07:42
>>834
まさかソースを求められるとは思わなかった。
有名だし沢山のソースがあるが、岐阜県史や高野山禄にも載ってる。
836日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:11:14
>>835
有名でも結構
たくさんあるなら、岐阜県史という資料ではなく史料名を、高野山禄ではなく、史料として認められてるのを頼む
信憑性の問題だよ
837日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:12:39
家康も秀頼に大和かどこかの捨て扶持でどうかと聞いたけど
拒否したので成敗

秀吉も秀信に尾張1国くらいやるべきだろ
838日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:13:41
>>836
徳川天下取りのソースはある?
839日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:18:59
>>838
ないよ
徳川が天下を取ったのは全て後世の創作
江戸時代も無かった
明治政府のでっちあげ
840日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:21:52
>>839
明治維新も太平洋戦争もでっちあげでは?
841日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:22:14
>>837
家康は房総を提示したが、豊臣側が四国を要求して決裂。
その後家康が大和一国に変更して纏まりかけたが、大坂方の強硬派が
暴走して大坂夏の陣が勃発。大坂夏の陣後、豊臣は大和一国を要求。
家康は信濃一国を提示したが、交渉が纏まる前に秀頼が自殺。
842日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:23:21
>>838
意味ワカンネ
843日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:25:33
>>841は徳川寄りすぎやしまいか?

>大坂夏の陣後、豊臣は大和一国を要求。
>家康は信濃一国を提示したが、交渉が纏まる前に秀頼が自殺。
特にこの辺りは軍談臭い
844日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:26:53
家康は国ごとやろうとしてるのに、秀吉は13万石しかやらなかった

ドケチの極みだろ
尾張1国ぐらいくれてやれば、家康と同等になったのに・・・

それから関ヶ原直後に秀頼を家康のもとで養育させるとともに
淀は大坂城から退去して徳川に明け渡せ
そうすれば大和1国で存続したかもな
845日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:27:12
>>843
その秀頼の自殺の原因に、井伊の威嚇射撃があるけどね。
846日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:28:33
>>844
大和一国といっても、武家政権が実質支配できるのは二十万石程度
しか無いけどね。
847日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:29:51
>>845
徳川の威嚇射撃は効果絶大だなw
848日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:31:05
>>846
あとは寺とか公家のもの?
849日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:31:20
>>833
沢山のソースあるようだけど、まだか?
850日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:32:31
>>836
お前馬鹿じゃないのw
信憑性が高く真実であると断言出来る史料だけで日本史を紡ぐ事が出来るのか?
現存する史料だけで日本史を語り尽くす事が出来るなら最早日本史に研究の余地は無いだろw
低次元な妄想厨も痛いが過剰なソース厨も痛杉る事に気付けよ
851日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:32:44
>>848
十津川郷士とかの自治組織集団も
852日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:35:41
>>850
あのな、ソースの提示を求めてんのに岐阜県史や高野山禄と答えるのはお前だけ
こりゃ史料じゃなくて資料

違いぐらい知っとけ
853日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:37:49
>>852
>>850に対する答えになってないよ低能ソース厨w
854日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:38:11
直ぐに火病起こすのは…
855日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:38:52
調べればすぐ解る事を教えてクンして逆ギレ厨カコワルイ
856850:2005/09/12(月) 20:39:27
俺は>>835と別人なんで混同しないようにw
857日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:40:17
>>853
お前、日本史板に合ってないな
史料名問われただけで提示も出来ずに、日本史を紡ぐとか筋違いな詭弁弄し始める
話にならんよ
858日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:41:27
転封後の豊臣氏のその後について考えてみよう。
大和だと居城は郡山。信濃だと松本。四国だと松山かな。
房総だと新規に築城かな。江戸の近くか、逆に最も遠い館山くらい。
859日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:41:38
ほう、調べて直ぐに分かるねぇw
860日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:42:19
>>858
単に大阪城から出したかっただけだろうw
本気にして移転したら、その先でも難癖付けられて
結局取り潰しだろうさ。
861日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:42:35
チラシの裏のIFは三戦板でやれ。
つか大坂の陣スレあるだろ。
862日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:42:45
>>857
能書きはイイからさw

現存する史料だけで日本史を全て語る事は可能なのか否か?答えてみろよ
863日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:44:41
>>862
現存する史料で語るのは不可能だがそれが?
しかし、それを理由にそれを窺い知ることも出来ない事を仮定することも不可能だが

そんな詭弁は聞いてないがな
史料名聞いてるだけだが
864日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:47:47
>>863
歴史の真実をひもとくには様々な史料や資料をもとに、解明されていない事実について考察する事が肝要ではないか?
様々な角度から考察を巡らせる事無くして、どうやって真実に辿り着くんだ?
865日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:48:54
馬鹿=シカ
866日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:49:38
>>864
それがどうやって

>>833
>近臣との密談で秀吉には良くして貰った、豊臣の恩に報いるためにも
>西軍に付くべきだってはっきり言ってるしね。
の質問にたどり着くのか答えてくれ
それとも様々な角度から考察して真実にたどり着いた結果が、秀信がはっきり言ったという結論という事か?
867日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:52:38
>>866
だから俺は>>835と別人だって言ったろよw
>>835は岐阜県史とやらから思案して書いたんだろよ
俺はよく知らないがな

で?>>864に対する答えは?
868日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:59:19
>>866
君は県史、郷土史を見た事がないのか?
つか、知らん癖によくもまぁ必死に弁護出来るな

解明されてない真実を考察するとお前が思うのは勝手だが
何をもって解明されてないとし、真実とするかは人それぞれだし
様々な角度と言えば聞こえがいいが、史料検証も無視してる輩が言える台詞でもない
真実にたどり着いたと本人は思うかもしれんがな

ソース厨と批難するのに、ソース・論拠の何たるかは問わないとはね
869日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:02:46
>>866
ではお前に聞く。

最近このスレで話題になったが、家康は天下獲りを念頭に置いて上杉討伐〜関ヶ原の戦をしたのか?
これに参加した東軍諸将は徳川の天下獲りに同意の上だったのか?

現存する史料だけでこの疑問に対する明確な答えが出せるのかね?史料厨君
870日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:12:12
てか県史って史科じゃないの?(;・∀・)
いろんな資料から研鑽されて作られたのが県史とかじゃないのか?
それ以上の物を出せとなると、本人直筆の手紙とかじゃないと確実な証拠なんて
何も無くね?
871日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:14:20
>>869
お前頭悪いな
最近話題になったって、言い続けてるのはお前だけだろw
放置されてるのに、繰り返しコピペしてるだけだしな

天下獲りを念頭に置いて行動したのか?それは868にも書いたが人それぞれの捉え方で違う
しかし捉え方、観点、論を構築するにも何事にも論拠となる史料は必要なんだよ
さらに東軍諸将は複数人いる、ならばそれぞれがどう考え、どう捉えていたかなどは
尚更それぞれの史料を基に推測する

お前みたいな厨は、結論ありきの固定観念で語り、その好みの事象がある史料だけを利用し
否定されるような事象がある史料・見解が出ると史料厨となる

そもそも多方面からの見解を必要とするというならば、
>>835の「はっきりと言ってるしね。」という見解に対して問うべきなのに
ソースを促したこっちに、それを問い>>835は不問に付す
このダブルスタンダードな時点で、お前の主張は問題外
872日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:20:20
>>870
確実な証拠あるから「はっきり言ってるしね。」と断言できるのだが?

岐阜県史だすなら、岐阜県史(と言っても岐阜県史のどの辺りかね?)が参考元とした史料名で
答えるのが当然だがな
ソースは沢山あるのだからw
873日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:22:45
>>870
県史は資料
874日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:24:35
>>871
論点が全然噛み合ってないなあw
もう一度俺の言った事をよく読んでもらえないかねえ?

>>835に対する突っ込みは先に君がしたのだから改めて俺が書く必要もないだろ?w
875日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:28:39
>>874
噛み合ってないのはお前
ソース聞いた相手にする質問じゃない

>>869に関する論議したいなら、>>869に対して、まずお前から論拠を提示しながらの見解を出せば良いだけ
問題提起しながら、自論は示さず他人の見解だけ聞きたいなどと図々しいにも程がある
876日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:38:23
>それよりも、近臣との密談で秀吉には良くして貰った、豊臣の恩に報いるためにも
>西軍に付くべきだってはっきり言ってるしね。

これって誰が漏らしたの?秀信?近臣?
っていうか近臣って誰?
877日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:38:53
>>875
まったく短気な奴だなw
史料の重要性も思慮の重要性も解っているなら俺の言ってる事と同義じゃないかw
ソース厨よばわりしたのは悪かったなすまん
だが>>835に対する君の物の言い様もソース厨臭くて良くないと思ったんでね
まあそんなにカリカリ怒るなよw
878日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:43:25
>>877
意味ワカラン
お前の主張はダブルスタンダード
>>869の問題提起の意味もない

>>836が「ソース厨臭くて良くないと思った」の後が>>850
お前、やっぱ日本史板にあってない、つか2ちゃんに来ない方がいいな
879日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:46:41
結局ソースなしなわけね。あきれたな。
もう逝っていいよ。
880日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:48:02
>>877
そうか?>>835が岐阜県史云々と答えてるのを頭ごなしに否定したのは君だろ?
881日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:48:36
882日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:54:14
>>880
岐阜県史は史料ではない

ソース求められて、論説を求めるなら論文などを提示してもいいだろう
だが、史料でなく資料名で答えるのはナンセンスも甚だしい
特に歴史の事象で事実と断定してるのだから、史料名で
信憑性の高いもので答えるのが当然だがな

それとも、君はソース求められて群書類従にある、大日本古文書に記載あると答えるか?
883日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:00:08
>>882
君の言っている事はよくわかる
だがしかし、
【岐阜県史は資料であり史料で無い件】について明確な説明をしないで、出し抜けに他の史料を示せと言うのは如何かな?
>>835はまったくの妄想を書いてる厨房じゃないんだから、其なりの物の言い様があるでしょう?
884日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:17:07
>>876
近藤正臣を知らんのか
885日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:22:01

しらん。
886日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:26:09
馬鹿バッカ
887日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:31:56
>これって誰が漏らしたの?秀信?近臣?
>っていうか近臣って誰?

入江右近、伊達平左右衛門、高橋一徳斉
888日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:32:23
>>1-886
もうおまいら来ないでイイよ(#゚Д゚),ペッ
889887:2005/09/12(月) 22:36:45
この三人の名前ぐぐるだけでも>835の言ってる事が与太じゃないのは
知ってる人にはちゃんと解ってる。
890887:2005/09/12(月) 22:40:21
伊達平右衛門、高橋一徳斎


字が間違ってたorz
891日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:42:20
秀信は中納言でも十分恩を感じたのに
秀頼は右大臣でも不満だったのか
とんでもない恩知らずだな
892887:2005/09/12(月) 22:43:28
>>891
不満は言ってないだろ?その後に一方的に色々難癖付けられただけじゃん
893日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:54:58
>>883
>【岐阜県史は資料であり史料で無い件】について明確な説明
>>835が提示してきたのだから、知ってるのを前提にして話すのは当然だが

>其なりの物の言い様があるでしょう?
>>836は其れなりの言い様だが?
>>835本人なら兎も角、なぜ>>883>>850のようなレスをして来るかの方が不思議だがw
894日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:55:50
>>887
だったら、ソースぐらい出して欲しいね。
895887:2005/09/12(月) 22:58:12
>>894
じゃあ君が知ってる関ヶ原の史料を言ってみてくれw
896日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:59:50
つかもう史科厨相手にすんな 出されたソースを味見もしないで
不味いと決めつけてる馬鹿にすぎん
897日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:01:25
>>895
ソース求めたら、答えもせず質問し返す?
俺に関ヶ原の史料を提示を求めるのは何故か?

話がある史料名答えるだけなんだけど、何故だろうねぇ?
898日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:04:08
>>887
>>889-890

そういうあんたはググって見たのかね?
それらしき話など見当たらんが・・・。
899日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:05:35
日本人は醤油だろ!
900日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:05:59
出されたソースの味見
ソース提示になっておりません

何故頑なに提示拒否するのか不思議
別にそんな与太話信じてるのw m9(^Д^)プギャーってする訳でもなかろうに

変に格好つけて岐阜県史と答えただけなのか?
901日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:08:43
つ関原合戦図志
902日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:10:02
出された資料がソースになってないって言われたら返す言葉もないんだがなw
903日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:11:18
>>900
おまいが納得するソースって具体的にどんな物なの?
史科名あげてみてよ
904日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:11:48
岐阜県史がソースになってないソース出せよ
905日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:13:43
906887:2005/09/12(月) 23:14:02
関原軍記大成」(宮川尚古著 国史研究会)

これで満足しますか?
907日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:15:14
>>900
もう一度確認するが、関原合戦図志に書いてあるんだね?

>>902-903
史料検証は問題視してない、史料名で答えてくれと書いてるが?
沢山あると言う割りに、関原合戦図志しか挙がってないけどな

しかし何度も必死に擁護する連中(笑)でて来るな


908日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:16:33
>>906
関原軍記大成は残念ながらコピーで手元にある
そんな話はない
909日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:16:42
節穴w
910日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:18:46
>>906
もしかしたら見落としかもしれないから
何巻の何という題目の項に書いてあるのかね?
911887:2005/09/12(月) 23:21:50
>>907
書いてありますよ。読んで感想を聞かせて下さいね。
835じゃないから沢山とは書いてませんけど一つじゃ足りないですか?
手元にあるのを見てみると

「関ヶ原軍記大全」(写本・関ヶ原町歴史民俗資料館蔵)
等がありますな。

912日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:23:05
>>911
関ヶ原軍記大全は活字化されてません
どうやって軍記大全に書いてあると確認したのでしょうか?
913日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:27:52
>>910
何処見てるんだ?177頁 [岐阜・合渡]
上記三名と相談の上、石田使者 河瀬左馬助へ
秀信直筆の書き付けも書いたと載っているだろう。
914日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:30:18
>>913
177項って何?
関原軍記大成の何巻か?
どの題目にあるのか?

というか、君の関原軍記大成とは何処の出版?
177項という表記の関原軍記大成を見たことがないから
915日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:30:51
>>912
>関ヶ原軍記大全は活字化されてません
>どうやって軍記大全に書いてあると確認したのでしょうか?


おい大丈夫か?
関ヶ原町歴史民俗資料館発行のがあるぞ?
916日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:32:00
というか>>906見る限り国史叢書のとしか考えられないが…177項とは何ぞや?
917日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:33:41
>>915
キリがないから相手にするな
918日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:34:08
>>915
関ヶ原町歴史民俗資料館は写本展示してあるのだけど?

すごい、活字化したんだね!!!!
早速電話して聞いてみるよw
919日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:34:15
>>914下郎見苦しいぞ!!
920887:2005/09/12(月) 23:35:52
明日も仕事あるから寝ますね。付き合ってあげられなくてゴメンなさいw
921日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:36:14
1000でなかった事にする気満々のようだが、
専用プラだから、過去ログ見れるから

新スレでも続けるけどねw
922日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:38:23
>関ヶ原町歴史民俗資料館は写本展示してあるのだけど?

ワロタ 当たり前じゃんw じゃなきゃどうやって大学とかの資料を
勉強するんだよw
923日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:38:54
次スレはスレタイしっかりしてね、福島正則ってなんだよw
【石田】 関ヶ原の戦い 【三成】
924日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:38:59
知らない忘れた俺は言ってない
by徳川家康
925日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:41:08
>>922
意味わかるか?
原本の写しの本が展示されてるだけだよ?
読む為に閲覧されてるのではないんだが?
926日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:43:46
国史叢書の関原軍記大成

  関原軍記大成 巻之○○(数字) ページ数

  |
  |
  |      内容
  |
  |

ここに内容の説明がある

関原軍記大成の177項とは何ぞや?

関ヶ原町歴史民俗資料館発行の活字化された関ヶ原軍記大全の存在

さすが2ちゃんだ

927日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:48:23
頁と項を読み違って吠えてる人がいるようですね
928日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:48:47
じゃもう来ないでイイよ(#゚Д゚),ペッ
929日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:52:34
177頁(ページ)と言いたいのか

国史叢書の関原軍記大成の177ページの出だし
「・・・は、食録五千石なり。田中亡びて後、駿河大納言忠長卿・・・」
ワロタw
930日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:54:06
関ヶ原前に家康が天下を狙っていたというソースキボンヌ

1次史料でね
931日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:00:30
913 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 23:27:52
>>910
何処見てるんだ?177頁 [岐阜・合渡]
上記三名と相談の上、石田使者 河瀬左馬助へ
秀信直筆の書き付けも書いたと載っているだろう。
         ↓
国史叢書の関原軍記大成の177ページの出だし
「・・・は、食録五千石なり。田中亡びて後、駿河大納言忠長卿・・・」
内容は関ヶ原合戦真っ只中、奥平貞治の話ですたw
932日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:01:43

一次史料に書いてある内容だけが歴史ならこんなスレいらないじゃんw
933日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:03:34
嘘・大袈裟・紛らわしい
自演好きな西軍厨はJAROに訴えないといかんな
934日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:03:55
>>918
>すごい、活字化したんだね!!!!
>早速電話して聞いてみるよw


関原合戦図志 神谷道一 著





ちゃんと単行本で出てますよw

935日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:08:14
>>911 「関ヶ原軍記大全」(写本・関ヶ原町歴史民俗資料館蔵)等がありますな。
>>912 関ヶ原軍記大全は活字化されてません
>>915 関ヶ原町歴史民俗資料館発行のがあるぞ?
>>918 すごい、活字化したんだね!!!! 早速電話して聞いてみるよw
>>922 ワロタ 当たり前じゃんw じゃなきゃどうやって大学とかの資料を勉強するんだよw
>>925 原本の写しの本が展示されてるだけだよ?


>>934
関原合戦図志 神谷道一 著
ちゃんと単行本で出てますよw

関ヶ原軍記大全=関原合戦図志らしい
それは知らなかった(爆笑
936日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:10:58
>>831
本論とは関係ないが、10万石以上を「捨て扶持」とは言えないんじゃないのか?
つーか、当時の美濃国では最大の領地を持っていなかったか?
その国の中で最大の領地を持っていて捨て扶持というのも随分な気もするが。(w
937日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:19:28
>>936
天下人に比べれば、捨て扶持では?

それで有り難がってくれるなら、まあ安いよと
938日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:20:35
>>936
ソースは?
>>937
ソースは?
939日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:22:44
>>938
関ヶ原前に家康が天下を狙っていたというソースは?
940日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:26:30
>>939
関ヶ原前に家康が天下を狙ってないというソースは?
941日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:29:20
>913
確かに書いてあるが177頁じゃないな。
942日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:30:38
>>940
ない

関ヶ原前に家康が天下を狙っていたというソースは?
943日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:33:17
>>939
ない
944日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:34:49
('A`)こいつらうぜーよ
945日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:36:49
>>943
関ヶ原前に家康が天下を狙っていなかったということか?
946日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:37:29
次スレ
【石田】 関ヶ原の戦い 八 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=1126539399
947日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:38:34
ソースがない≠事実がない
わかったら消えろ馬鹿共!
948日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:39:35
>>946
949日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:40:42
>>947
氏ね
950日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:42:09
>>949
(´∀`)オマエガナー(w
951日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:42:44
>>946
乙、やっぱこのスレタイじゃないとね
952日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:44:54
>>950
オマエモナーw
953日本@名無史さん:2005/09/13(火) 00:55:55
入江右近、伊達平左右衛門、高橋一徳斉
889 名前: 887 [sage] 投稿日: 2005/09/12(月) 22:36:45
この三人の名前ぐぐるだけでも>835の言ってる事が与太じゃないのは
知ってる人にはちゃんと解ってる。

ぐぐっても出てこんぞ。やはり与太話か?
954日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:06:48
>>953
知ってる人は知ってる、知らない人は知らない話

関ヶ原前に家康が天下を狙っていたのを本多正純は知ってる
関ヶ原前に家康が天下を狙ってないのを我々現代人は知らない話

ぐぐってもわからない(w
955日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:10:19
厭離穢土欣求浄土の旗を使い出した段階で、天下取りを狙っていたと
考えるべきだろう。
956日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:12:35
関ヶ原前に家康が天下を狙っていたのを本多正純は知ってる

ソースは?

>955

ソースは?
957日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:14:35
>>955
そんな訳ねーだろ
>>956
ソース、ソースうるせーな
スルーしろよ
958日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:19:33
>>956
天下強奪は国家機密なので証拠は隠滅された

しかし本多親子、忠勝達の重鎮は知っていた

可能性はある(w
959日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:25:29
>>958
同感

可能性があるというより当然

しかしソースがw
960日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:30:56
>>959
徳川に都合の悪いソースは250年の長い太平の世の間に抹殺された

そして徳川に都合の良いソースが多数捏造された

可能性はある(w
961日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:34:06

962日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:34:28
>>960
つか、それは徳川に悪いソースが残っていることで
論破されるはずだが?
963日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:34:37

964日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:35:08

965日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:35:38

966日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:37:53
薩長、明治政府による抹殺と捏造

可能性はある(w
967日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:39:54
空白は埋めてんの?
968日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:40:57
>>967
空白は埋めずにそのままで
969日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:42:09
空白は徳川派による事実の隠蔽工作
970日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:43:10
捏造ばらされ火病起してスレ潰し、何度も見た光景だな

家康が天下狙ってたか?これは人物の思考・思想に属するもので
明確な表現がなされてなくとも、事象や行動によって推測出来る
もちろん、見解は多種多様になろうが

しかし、言ったなどというのは、人物の行動であり、これは事実とするなら
具体的な史料名、どう表現ているか?これを明記するのは当然である


日本史板で、まともならば
「何々という史料に、云々と書かれてるから、俺は○○と考える」と書く
例え、史料名を書かなくとも、聞かれたら資料ではなく史料名を答える

また知識が浅い人でも常識あれば、二次資料で××と書かれてるから△△と思う、と応答する

一番厄介なのは、上で暴れてる連中のように
自分を正しく見せる為に、嘘などを平気でつき、自分好みの結論を出したいが為、何でもするという輩
詭弁を用い、指摘されても筋違いなレスとコピペを繰り返すのみ
971日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:54:13
>>970
天下狙いのソースはあるのか?

思考・思想であれば、どのような見解でもいいのか?

ある人物がこう考えていた、とするのはいいのか?
972日本@名無史さん:2005/09/13(火) 02:01:40
>>971
天下を狙ってましたと、明言してるようなものがあれば、そうだろ

思考・思想を窺い知るには、複数の史料検証による行動・意図の分析が必要
史料検証による解釈は、人によって違うものであり、どれが正しいと言えるものはない
何事も史料による論拠が必要

人物が考えていた事を窺い知るには史料からしかない訳だから
そしてその史料の信憑性など考慮し、論拠にして論説にするのが当然

というか、お前は自分の見解一切言わんな、コピペしとくか
>>971に関する論議したいなら、>>971に対して、まずお前から論拠を提示しながらの見解を出せば良いだけ
問題提起しながら、自論は示さず他人の見解だけ聞きたいなどと図々しいにも程がある
973日本@名無史さん:2005/09/13(火) 02:23:46
誰が荒らしてたか一目で分かるな。
974日本@名無史さん:2005/09/13(火) 02:50:17
>>973
それは>>972の事ですね
975日本@名無史さん:2005/09/13(火) 03:16:58
>>970>>972
何の論拠も示さないで>>935の説を否定しといて筋違いな演説打つな基地害
976日本@名無史さん:2005/09/13(火) 03:20:08
秀吉は、家康が伏見城に入ることを許可していなかったが、家康は三成を佐和山に隠退させた直後に、伏見城に入って支配下に置いている。
次いで、大坂城西丸に乗り込んで天守閣を建てて、自分の存在を誇示している。
五奉行は二人を片づけ、
五大老は、すでに前田を屈服させ、次に上杉を討伐するという。
残りの奉行、大老たちも順次屈服・討伐して、
最終的に豊臣家を乗っ取り、滅亡させるのは、もはや時間の問題。

三成の挙兵はその意味で当然不可避。
惜しむらくは少し時間が遅れた。家康が前田を恫喝して北陸攻めを準備している時にやるべきだったな。


977日本@名無史さん:2005/09/13(火) 03:20:49
>>835だった

能書き垂れる前に貴様が>>835に対する正当な論を述べろ
別に貴様の糞持論など興味ないが貴様が他人の持論に難癖付けるならその論点を示せ
978日本@名無史さん:2005/09/13(火) 03:22:19
>>976
?????
979金吾秀秋:2005/09/13(火) 03:39:31
難癖付けるならその論点を示せ(´・ω・`)
980大谷刑部:2005/09/13(火) 03:47:17
裏切り者(`・ω・´)
981大谷刑部:2005/09/13(火) 03:48:29
人面獸心(`・ω・´)
982大谷刑部:2005/09/13(火) 03:49:00
三年の内に祟りをなさん(`・ω・´)
983日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:16:09
井伊直政があっけなく死んでしまったのは佐和山城に憑依した三成の怨霊のせい。
それで井伊家では祟りを恐れて佐和山を放棄し、彦根に移城したのだ。
984日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:28:04
>>975=>>977>>835
>>835に対する正当な論?

>>835は根拠提示もないのを説と言わない
挙句に捏造までするしな

お前の荒らしと捏造は、次スレでも晒しあげるから
985日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:35:25
>>984
岐阜県史と高野山録はスルーですか?
986日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:41:18
>>984
彼は、どっかの小説で拾ってきた知識を披露してみたら突っ込まれたんで、
あせってついついソースを捏造しちゃったんだよ。
引っ込みがつかなくなって必死に荒らしてスレが終わるのを待ってるんだよ。
君にもそういう経験あるだろ。温かい目で見守ってあげなよ。
987日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:42:28
>>985
捏造する輩の何を信用しろと?
岐阜県史には、何の史料を基に、抜粋してるのかさえ書いてないのになw

ここまで信用落としてる現状で信用して欲しければ、史料名とどう書かれてるかぐらいしかないな
最初にソース聞かれたときに、見栄張らずに知らんなら知らんと答えてればいいものを・・・

>【岐阜県史は資料であり史料で無い件】について明確な説明
まぁ自演して必死に擁護する為、こんな事ぐらいだから、内容読んでなくてググって適当書いたのバレバレなんだけどな
挙句に「関原軍記大成の177貢に書かれてる」「関ヶ原町歴史民俗資料館発行の活字化された関ヶ原軍記大全」
「関ヶ原軍記大全=関原合戦図志」

捏造オンパレード乙
988日本@名無史さん:2005/09/13(火) 04:47:53
>>986
ソース勘違いしてた、間違えてた
というので散々突っ込まれてコテンパンになった事は多々あるが
さすがに捏造や荒らしまではないなぁ
989日本@名無史さん:2005/09/13(火) 05:52:28
織田秀信が西軍の最前線に立って、押し寄せる東軍を一手に引き受け、落城するまで西軍として頑張ったという事実こそ最有力の根拠でないの。
織田秀信が、秀頼と豊臣家のために命を賭けて戦ったという事実は、どうあがいても否定することはできないということ。
990次スレ:2005/09/13(火) 06:17:08
【石田】 関ヶ原の戦い 八 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=1126539399
991日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:00:28
>>972
別に質問だけしちゃいけないということはないだろ

もし質問だけだめということならば、その論拠とソースを示せ

じゃあ言うがおまえのように能書きたれるならば、多少の説明が必要だろ

人の非難するのであれば、それなりにまともなことを書くのが当然

自分の言ったことに責任があるなら、まともに答えてくれ
992日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:03:35
>>987
>>835が自演したと言うソースは?
993大和天狗:2005/09/13(火) 12:49:14
金吾の言うとおりだ

貴様等いい加減にしろ

さもないと俺様が居座るぞ
994日本@名無史さん:2005/09/13(火) 18:48:33
>>991
能書き垂れたのは>>835
質問する意図を明らかにせず、人の問いを尽くはぐらかしてるお前には
なぜ放置されてるかさえわからないのだろうが

俺が批難したのは、ソースを提示しなかった事が主因ではない
>>850のような論点ずらし、数々の捏造、そして自演の繰り返し
ソース問われるのは当たり前、問われた答えが岐阜県史と高野山録

岐阜県史とは↓に解説ある
ttp://www.library.pref.gifu.jp/library/mokuji/mokuji_top.htm
通史には勿論書いてない、ならば史料編にあるとしか考えられないのだが
だとすると、秀信の発言が書状で明確に残ってるという事だ
しかし、それらしき書状はない、聞いた事もない
そして、「【岐阜県史は資料であり史料で無い件】について明確な説明」と、見た事ある人間、
見た事無くとも、普通に史学に興味ある人間なら、郷土史たる県史には必ず目を通す資料に対し
資料でない説明をしなければならないとは、聞いて呆れると同時に、内容を知らないので語ってるとなる

>>989のように「織田秀信が岐阜城で東軍と戦ったと言う事実」を、
「織田秀信が、秀頼と豊臣家のために命を賭けて戦ったという事実」と変換するのは、まぁしょうがない
しかし、あからさまな捏造し、それを正当化する為の詭弁と自演とさらなる捏造を繰り返す
こんなのが常駐する限り、史板での議論が成り立たなくなる
以前なら提示された史料を信用し、相手もこちらのレスを信用する相互理解によっての議論が成り立っていた
こういう輩は、それを悪用し、単に資料でも何でも名前書けばバレないと思い平気で捏造する

西軍厨全てがそうだとは言わんが、西軍厨の中に、この常駐捏造がいるのは確かだよ
995日本@名無史さん:2005/09/13(火) 18:50:37
>>835が自演したソースは?
996日本@名無史さん:2005/09/13(火) 18:59:57
>>995
推測、自演でないなら節穴できるはずだけどね
新スレでも、擁護レスいっぱいだったねw
みんな別人だといいねぇ
997日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:01:14
ソース、ソースと騒ぐくせに憶測で物申すとは之如何にw
998日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:02:36
推測と憶測とは違うよ

捏造君w
999日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:05:56
ソース厨君に1000の贈り物ドゾーw
1000日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:14:41
敵に塩を贈る>>999に感動しつつ>>1000強奪御免!!
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