強制連行のウソ
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今日本国内にいるほとんどの朝鮮人が、徴用とは全く
関係の無い、単に職を求めて合法●非合法に来日した人達、
その子孫ばかりであるという事が分かります。ちなみに徴用は
当時の日本国民(朝鮮人含む)にとって当然参加すべき義務でした。
韓国は“なぜ”反日か?
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html
【特集】 基礎からわかる中韓歴史教科書問題 (読売新聞 2005年5月26日キャプファイル)
http://www1.axfc.net/uploader/9/so/No_1986.png.html http://www1.axfc.net/uploader/9/so/No_1987.png.html ↑上記特集記事より。
★ 日本と特定アジア(中・韓)との間でくすぶり続ける
歴史問題の諸悪の根源は、『 中華思想と正史史観 』にある! ★
【 現政権の正統性守るため 】
歴史教科書の編纂は国民統合を目的の一つとするため、どの国でも「誇り高き民族」
作りの意図が込められる。このため、教科書の記述は「自国中心主義」になりがちだ。
ただ、中国と韓国の場合、もう一つ別のメカニズムが作用している。
中華思想に基づく「正史」作りの伝統がそれだ。
中国、朝鮮では新たに王朝が生まれると、前の王朝の正史を編纂した。
前王朝の記録をもとに次王朝の正当性強化に役立つ部分を選び出し、
都合の悪い事実は排除していく。そうして正史が完成すると、記録は燃やされてしまった。
なぜ、この伝統が生まれたのか。中華思想では、王朝は天の命を受けて生まれ、
天命にそぐわなくなると、革命によって次の王朝が生まれる。だから新王朝は、
天命を受けた正当性ある政権である事を示すため、都合の良い歴史を作り出したのである。
< 中略 >
中韓の側が中華思想と正史史観を捨てない限り、教科書問題は繰り返される。
我々はそう覚悟すべきだ。
中越戦争記述で修正要求 江中国主席、越訪問で
【ハノイ17日共同】中国の江沢民・共産党総書記(国家主席)が2月末にベトナムを
訪問、ノン・ドク・マイン共産党書記長ら指導部と会談した際、1979年の
中越戦争などについて、ベトナムの高校歴史教科書や党史の書物への
「友好的な記述」を求めていたことが分かった。ハノイの外交筋が17日までに
明らかにした。 共産党一党支配体制を堅持しつつ市場経済化を進める両国が、
グローバル化が進む世界の中で、歴史的経緯から引きずっている「わだかまり」に
区切りをつけ、両国民の意識の面でも連携強化を図る中国側の狙いがあるとみられる。
しかし、中越戦争に関しては「加害者としての負い目」もあるためか、日本の
対中戦争について「歴史を鑑(かがみ)」とするよう再三求める強硬姿勢とは好対照を
見せている。ベトナム外相が江沢民に「中越戦争の謝罪」を要請したが、
「もっと未来志向にならなくてはならない」と謝罪を拒否した。
共同通信 2002年03月17日
ベトナム外相が江沢民に「中越戦争の謝罪」を要請したが、「もっと未来志向
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にならなくてはならない」と謝罪を拒否した。 共同通信 2002年03月17日
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(私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです)画像つき
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先の大戦について肯定的に語ることがタブーのような空気に包まれている日本に於いては
日本人自身のそういった発言はすぐに色眼鏡で見られ、レッテル張りされてしまいます。
そこで外国人の意見を集めてみました。
H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の
礎石をおいた。」
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た
国々のために偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命
な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の
意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、
過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明ら
かに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)
英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを
巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら
1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の
支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は
無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は
1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)
八月十五日終戦祈念日FLASH「かく戦えり●近代日本」
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kokueki/swf/kakutatakaeri.swf
太平洋戦争の途中、米国の陸海空軍は
ホワイトハウスへ何度も天皇を残して講和を求めるよう泣きついた。
とくに硫黄島の死闘で手痛い反撃を受け、トルーマン大統領も日本軍の士気にびびった。
神風特攻隊の存在に米国海軍は精神病になる水兵が続出した。
ソ連も上陸作戦にことごとく失敗し日本軍の鉄壁の守り、士気に怖気づいて
北海道が奪えなかった(米国が落とした原爆の威嚇効果もあるが)。
そして戦後、ソ連は北海道上陸作戦をやめてアフガニスタン侵攻に方向転換した。
平成の世に天皇が残ったのも北海道が残ったのも英霊のおかげ。
また八紘一宇で欧米の植民地から有色人種を開放するという
偉大な政治目的も達成できた。
最終特攻特攻兵器 桜花 (戦史に桜花による米空母撃沈の記録は無い)
http://nanda●korea.sakura.ne.jp/media/ouka.wmv 10.0 MB 3:53
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負ける戦でも立派に戦えば、子孫に国を再建させる魂が残ると。
「政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことで
あったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。すなわち戦わざれば亡国必至、
戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も
民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも
祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって
目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるような
ことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である」
(角田順『太平洋戦争への道』)
http://www1.toptower.ne.jp/users/katumata/sub462.html
イギリス人にとって、有色人種は「人間」ではなく、「家畜」と同類である。
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その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。
一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。
ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知ると
そのまま何事もなかったかのようにまた髪をくしけずりはじめた。
部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら「ライフ」か何かを
読んでいる。なんの変化も起こらない。私はそのまま部屋を掃除し、
床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台
に横になってタバコを吸いはじめた。
入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ
大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、
彼女らはまったくその存在を無視していたのである。
もちろん、相手がビルマ人やインド人であったとしてもおなじことだろう。
そのくせイギリス兵には、はにかんだりニコニコしたりでむやみと愛嬌がよい。
彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。
それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような
感覚を持つ必要はないのだ。
はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうと
おどろいた。なぜこのようにむりに威張らねばならないのかと思ったのだが、
それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。
東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、
努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、
タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な、
ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである。
「アーロン収容所」会田雄次
http://www31.tok2.com/home2/jydjk/noigel/kakutatakaeri.html
自爆キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!
盧溝橋事件がきっかけで日本と中国は全面戦争になった。
盧溝橋事件は日本側が仕掛けた悪事だと宣伝されている。
ところが、この盧溝橋事件を仕掛けた真犯人は中国共産党員だと自分自身で白状した。
それは、中国共産党員エージェントが日本軍をあおって
盧溝橋事件を引き起こしたという内容だ。
戦禍が拡大すれば、中国社会が混乱する。事実、そうなった。
その混乱に乗じて中国共産党が弱った中国を乗っ取り、共産主義国を建国した。
そして、中国共産党は粛清を開始し大陸全土を人権のない地獄の世界に変えた。
すべては共産主義者のシナリオどおりに20世紀は終わったと。
やっぱり左翼はずる賢い。国家転覆を常に狙っている。
北京TV「盧溝橋事件は支那共産党地下党員がまんまと引き起こした」と報道
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、
北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた共産党地下党員
『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。
http://usam.blogtribe.org/entry-ab5da5fe2dc41716359b819172eefbab.html ハル・ノート:日本が対米開戦を決断させた大変意地悪な米国側の要求
そもそもハルノートはソ連スパイのヘンリー・モーゲンソー財務長官、
ハリー・ホワイト財務省特別補佐官が原案を作成した。
ソ連は日米を戦争状態にさせて漁夫の利を得るつもりだったのかもしれない。
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/a-f2.htm#03 歴史の裏に左翼、共産主義者がいるのかもしれない。
前中国国家安全局警官:日本にもスパイを多数派遣
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/07/html/d46536.html 日本にはスパイ防止法がないので中国共産党の工作員が政府内部に潜入している。
「日本人はとても素敵だった」
第五章 戦後、中国人がやって来た
楊 素秋著書
[弁償という名のゆすりに屈する日本人]
今でも兄とよく話すのですが、もし、大東亜戦争がなかったらどうなって
いただろうか、と。恐らく今の東洋の発展はなかったのではないかと思います。
西洋の文化に侵略されて東洋の文化は失われていたでしょう。このように、
大東亜戦争は白人の侵略を防ぐことが出来たという素晴らしい功績を
残したことも、また事実なのです。それなのに、日本は四十年も五十年も
お前だけが悪いと言われ続けています。
そして、負けた側(日本)がある程度経済的に豊かになると、今度は、
「弁償」という言葉のもとにゆすろうとする。これはやくざのやり方です。
中国や朝鮮・韓国は、それをずっとやり続けています。
テレビを見る度に日本の悪口を言ってる朝鮮の人などを見ると、
私は憤りに似たものを感じます。不公平だと。してもらった良いことに
対して、なぜありがとうと言わないのか、と。
http://www.sakuranohana.jp/book_suteki_d21.html
第二次世界大戦に対する日本の戦略
「日本は(侵略戦争ではなく)自衛(security)のために戦争へ飛び込んでいった。」
1951年5月3日
アメリカ上院軍事外交合同委員会
マッカーサーの発言
日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの
島の中にひしめいているのだということを理解していただか
なくてなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が
工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する
労働力は量的にも、質的にも、私がこれまでに接した
いづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点に
おいてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、
働き、生産している時の方が幸福なのだということ、
つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見して
いたのです。これほど巨大にな労働能力を持っている
ということは、彼らには何か働くための材料が必要だ
ということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を
有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることが
できませんでした。日本は絹産業以外には、固有の産物は
ほとんど何も無いのです。彼らは綿がない、羊毛が無い、
石油の産出が無い、スズがない、ゴムが無い。その他実に
多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものが
アジアの海域には存在していたのです。もしこれらの
原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の
失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。
マッカーサーは東京裁判を当初、「文明の断固たる闘争」と称していたが、
後年、連邦議会上院の委員会において、「日本が戦争を始めたのは自衛の
ためであった。東京裁判は間違いであった」と証言し、また、原爆投下
及び東京大空襲等による民間人の大虐殺行為(約30万人)を
正当化するために必要であった「南京虐殺30万人説」の法廷外宣伝に
ついても、その行き過ぎを後悔する談話が残っている。
東京裁判のわずか2年後に朝鮮戦争が勃発した。
その途端にマッカーサーは、戦前の日本が心から怖れた
「北からの脅威」の本当の意味がわかったのである。
共産軍の侵攻を放置すれば朝鮮半島が取られる。
朝鮮半島が取られれば日本が危ない。
そこで彼は全力を挙げて、朝鮮半島を守ろうと決意して戦った。
結局、アメリカ側は太平洋戦争にも匹敵するほどの死者を出すことになった。
戦いはじめてマッカーサーがすぐ気づいたのは、
ソ連や中国がバックに控えた北朝鮮軍と戦う場合、
朝鮮半島だけを考えては勝てないということであった。
その弾薬や武器は中国やソ連から湯水のように補給されているのだから、
その補給線を絶たないかぎり、相手はけっして降伏しない。
勝つためには補給基地となっている満州を空襲しなければならない。
また、東シナ海に面した中国の港を海上封鎖しなければ
ならないということは明白であった。そこでマッカーサーは戦争中、
その考えをトルーマン大統領に進言したが、これを拒否されてしまった。
トルーマンが、ソ連と原爆戦争に突入することを恐れたからであった。
そのため、マッカーサーは朝鮮半島を守りきることができず、
アメリカは北緯三八度線から北を敵に渡して、休戦協定を結ばざるをえなかった。
この体験を通じてマッカーサーは、戦前の日本軍がなぜ、
あれほどまでに満州に執着を見せたのか、
また北の脅威とはどんなものなのかを明瞭に理解したのである。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4559/koreawar1950.html http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4559/koreawar1951ver2.html