沖縄戦について教えてください↓

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919読谷人 vs. 座間味人:2006/02/06(月) 17:26:18
>>835-836

ど っ ち も 欲 深 す ぎ ! !
920日本@名無史さん:2006/02/06(月) 17:59:52
921日本@名無史さん:2006/02/06(月) 18:06:34
922日本@名無史さん:2006/02/06(月) 18:14:09
>>921
> 皇民化

今で言う「情報化」「郵政民営化」みたいな便利な魔法の言葉かな。カネ
に目がくらんだ貧乏県民が予算が欲しい時、これを絶叫するとカネの落ち
る確率が高まるという・・・。

だが、そんな欲にまみれた人生は、絶対に送りたくない物だ。
923日本@名無史さん:2006/02/06(月) 18:17:45
>>24←一度読んでみ。
924日本@名無史さん:2006/02/06(月) 18:29:58
925日本@名無史さん:2006/02/06(月) 23:38:37
もうお前らの腐った性根は、
直せないんだろうな。
このスレもそろそろ終わるが、
お前らはただずっと、同じ言葉吐いてただけ・・・

なあ、
俺達の島であったあの地獄みたいな戦争は、
お前らみたいなのを守るための闘いだったのか・・・?




少し疲れたよ。
926日本@名無史さん:2006/02/06(月) 23:58:47
878 :日本@名無史さん :2006/02/06(月) 07:15:17
>>870-877は、
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/okinawadegenbakukyarabankaisi.htm
からの引用。

これが沖縄での「普通」です。
927日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:04:02
欲にまみれた・・・か。

気付いているか?
それは前らの鏡像なんだよ。
お前らの浅ましさが
「欲深い沖縄県民」
というイメージを勝手に捏造してしまってるんだよ。

・・・まあ、お前らはこの文章、見てみぬふりだろうな。
無意識で分かってることを言われただけなんだから・・・
928日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:12:22
一番問題なのは27万人もいる原爆手帳所有者
科学的にはほとんど影響がないとわかっている。
929日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:27:40
「わたしたちは道を歩くたびに、
ああ、あそこで足があぜ道にちぎれていた、
あそこで人が死んでいたと思い出し、
いまでもうめき声が聞こえてくる。
それなのに本土から観光気分で
五・一五平和行進などに来てわいわい騒いで
“ひめゆりの塔に行った”
とか話されるのを聞くと
“そんなものが平和運動か!”
“真の苦労も知らないでなにか!”
とほんとうにむしずが走る思いをしてきた」
と語った。
930日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:28:13
「市民系、革新系、
いろいろ動いているけれど背後に各市の予算などいつも金が動く。
だから体験者は語らなくなってきた。
わたしは米軍がくれた物質の幸せはいらない。
ほんとうの心の幸せがほしい。
米軍基地を撤去して、
農漁業をやって自給自足をしたらいい。
そして沖縄戦のほんとうのことを若い世代に伝えたい」
と強調した。
931日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:32:22
「おばあちゃんは壕の中で米軍の戦車で壕ごとつぶされ、
お父さんは日本兵に撃ち殺されて複雑な思いだけれど、
パネルを見ていると涙が出て言葉にならない」
と語り出した六〇代の婦人は、
「名護の給油所の近くには戦後直後、
米軍の戦車にひき殺された娘とお母さんの無縁仏がある。
沖縄にはこんな無縁仏がたくさんある。
地元の人はみんな知っている。
県や国など政府はこんな問題をみなお金で解決しようとするが、
それが許せない」
と語った。
932日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:35:15
>>480
日本@名無史さん :2005/11/26(土) 15:15:50
ご参考まで。
−極めて素朴にして純真。極めて勤勉にして健康状態良好、軍に対する信頼感は絶対的にして協力的なり。(1944.7末・沖縄住民に対する日本軍の評価)
933日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:37:06
発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官

 左の電文を次官に御通報方取り計らいを得たし

 沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、
本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。

 沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど顧みるに暇(いとま)なかりき。

 然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、
相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅(わず)かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、
砲爆撃下□□□風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。

 しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦烹炊(ほうすい)婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。
 所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。
 看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。
 さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、
輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

 これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)

ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□

 一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。

http://www.chukai.ne.jp/~masago/okinawa.html
934日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:55:20
>>928

「わたしたちは糸満の方のひめゆりの塔のある辺りで逃げ場所をなくしたとき、
いったんすれ違った米兵に突然銃を乱射され母はうしろから背中を撃たれ大けがをして死んだ。
叔母も従姉妹も即死。
祖母は“わたしは重傷で歩けないから捨てていってくれ”と頼んだが、
わたしが泣いたのでみんなで背負っていき助かったと聞いた。
わたしは左足の関節を撃たれた。
曲がらないし、ひどい傷になり、
娘のころはいつも長いスカートをはいてかくしていた。
復帰まえはミニスカートが流行っていたが、はけなかった。
いつも寝巻きみたいに長いスカートをはいていた」と話す。
 ついで、
「でも父の弟の奥さんは、
壕のなかでなにかの破片が顔にあたり、
鼻がとれて穴があいているだけの、
無惨な顔にされてしまった。
“あんたは足だけだから、かくせるからよい。
叔母さんのことを思いなさい”
とおばあちゃんからいわれて育った。
いくら補償してもらっても、
この苦しみはお金にはかえられない。
原爆でも戦争でも、やられた人でないと苦しみはわからない。
心があるなら、あんなことはしない」と語った。
935日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:56:54
俺までコピペ厨になっちまってるな・・・OTZ
先番と交代して入ったら、壕の奥には死体が毛布で覆われたまま放置され、悪臭を放っていたんですよ。
その死体片づけが大変でした。死んで何日も放置された死体は、膨れ上がって大きいのです。それを担架に乗せ艦砲の合間を縫って艦砲穴に一,二,三の掛け声で投げ込み、全身が隠れるくらいまで土をかけて埋めていました。
私達は栄養不足で痩せ細っていますし二人でフラフラ落っことしそうになりながら足を踏ん張り作業を続けました。雨は降るし艦砲は来るし生きた心地もしません。
翌日また埋葬に行って見ますと埋めた死者の足が飛び出している始末です。連日の雨で土の沈殿が激しく、またそこに砲弾も落ちるからです。
「便器下さい、尿器下さい」
「水をくれ」
とあっちからもこっちからも呼ぶんですよ。患者の手当てや尿便の処理だけでも手不足なのに看護が行き届かないと怒鳴りつける人もいるありさまで「包帯を替えてくれ、治療してくれ」と言われても衛生材料は全く足りないのです。
手の施しようがありません。非常に困りました。
壕は二段式寝台になっていましたが「上の奴が尿を漏らした」と始終大声で怒鳴るし死者の埋葬は毎日ですしキリキリ舞いの忙しさで大変な勤務だったんですよ。
艦砲の落ちた穴には池のように水が溜まります。それを飲み水に使うのですが、そこで洗濯もするし虱の湧いた髪も洗います。壕内の糞尿処理は悪い上キビ殻の甘酸っぱい匂いに蝿が群がり甚だしく不衛生で傷口は必ず蛆が発生しました。
生きた人間に蛆が湧くんです。膿でジタジタになった包帯の中でムクムク動いてギシギシと肉を食べる音まで聞こえるのです。ピンセットでつまみ出しても包帯の中に引っ込んでしまったりです。
薬も包帯もないので治療も出来ず蛆取りだけが私達の仕事でした。蛆が膿を吸い尽くすから却って治りがいいと言っていました。
破傷風患者は口が開けませんから「水をくれ、水をくれ」と苦し紛れに手真似で祈る格好で訴えるんです。かわいそうでしたが固く閉ざした口の隙間からガーゼの水で潤してあげるだけしか出来ません。
毒が脳に回った脳症患者は絶えず訳の分からないことをしゃべり続けていました。時々私達の脚を掴まえたりしますので転びそうになったりします。
それにうっかり尿でも傍においておこうものならそれも飲んでしまう有様です。
元気な患者は夜勝手に外に出ていって飼い主のいなくなった馬や山羊を捕まえてきて解体し食べていましたよ。
兵器廠の壕は上官や責任者が一体誰なのかも分かりません。無規律な状態になっていたと思います。
938 大見祥子(当時19歳)(その1):2006/02/07(火) 01:38:34
ここの壕の勤務者は第一外科から配置された私と美里キヨさん二人と看護婦二人衛生兵の計五人でした。
壕は三本あり一つは百米位の貫通した壕、他の二つは15メートル位で行き止まりでした。坑木で支えた二段ベッドが両側にありましたが惨憺たる光景でした。
血まみれの軍服の上から三角巾で手を縛られたり胸や頭を包帯でグルグル巻きにされたりした戦場から運ばれたばかりの重症患者がいっぱい散らかったキビ殻の上に担架のまま寝かされていて脚の踏み場もありません。
このキビ殻はどうしたのですかと聞きますと「四,五日もほったらかしだよ。ひもじいからキビをしゃぶっているんだ。医者はおろか衛生兵も看護婦も来ない。治療もせずに俺達を殺す気つもりか」と凄い剣幕なんです。
食事も運んでもらえず、畑からキビを取ってきて食べていたのです。
壕内一面三十センチも積もったキビ殻の掃き出しが私達の最初の仕事でした。夕方から翌日昼までかかりヘトヘトに疲れました。
患者は殆ど重傷で脳症患者も破傷風患者も沢山いるんですよ。顔を全部やられて目も鼻も分からない患者がいましたが口のところをフーッとするんです。
顔中に蛆が湧いているからです。包帯を外しますと蛆はポロポロポロ膿もいっぱい出てあまりの悪臭に何度も失神しそうになりました。軍医も気の毒がって何時もその人を先に治療していましたが治療を終えた後は気持ちよさそうに寝ていました。
ある昼前壕の中が急に煙で充満し急いで行ったら顔の潰れたその患者が手榴弾で自決していたのです。側で京都出身の兵隊が物凄く怒って怒鳴っていました。
「病院に来て自決とはどういうことだ」
「信管を抜く音が聞こえたから寝台から急いで転げ落ちたのに間に合わなかった。こいつのおかげで無傷の足にまで破片を食らってしまった」
衛生兵が患者の持ち込んだ手榴弾を集めていました。
940宮良ルリ(当時18歳)(その1):2006/02/07(火) 01:39:56
南風原の第三外科壕は南風原国民学校の道を隔てた向かいにあり、勤務者の壕が一本、患者壕が6本でした。勤務者は鶴田軍医と長田軍医、看護婦は三十名前後だったと思います。それに私達生徒一五名が玉代勢先生に引率されて配置されました。
患者壕は奥行き約二十メートル、一本の壕に六十名から八十名の患者がぎっちり収容されていましたが勤務者の壕から患者の壕まではかなりの距離があり非常に危険だったので勤務の交代は敵の砲撃が止む夕食時間をみはからってしていたんです。
五月の十五日でした。弾が非常に厳しく水も弾痕に溜まったのを沈殿させて飲む位だったのです。勤務壕から患者壕への移動は玉代勢先生の引率でしたがその日はなかなか弾の切れ間がなく長田軍医が「今出るのは危険だよ。もう少し待ったら」と言っていましたが
先生は「患者壕の生徒達は徹夜の看護で疲れているはずだ」と意を決して生徒五名を連れて向かったのです。
941日本@名無史さん:2006/02/07(火) 02:32:04
>>836
読谷に飛行場ができたのも、米軍が上陸してきたのも
地形の問題。
読谷山は天然の飛行場ともいえる台地。
残波〜渡久地は、薩摩侵攻のときにも使われた浅瀬。

942日本@名無史さん:2006/02/07(火) 07:21:46
 「島唄」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
 91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、
沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。
そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で
大勢の住民が犠牲になったことを知った。
 捕虜になることを恐れた肉親同士がお互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは、
そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
 資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の中にいるような造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
 だが、その資料館から一歩外に出ると、
ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
 歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。
「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」
という下りだ。
「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、
この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから。
 (みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)
943日本@名無史さん:2006/02/07(火) 07:25:17
本当は歌詞を載せたいけど、宮沢さんに敬意を表して(?)、我慢><
944日本@名無史さん:2006/02/07(火) 07:31:09
今度聞くとき、色々と確認してみてください。
(後、島唄は元々奄美の用語だとか、無粋な突っ込みはやめてほしい。
それを差っ引いても、それでもこの世界的に愛されている唄は、名曲だと思うから。)
945日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:12:43
>>24←一度読んでみ。
946日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:20:05
>>945>>826

828 :日本@名無史さん :2006/02/05(日) 18:04:04
>>826
ふむ。よく分かった。

お前がネットしてる引きこもりで童貞の、
沖縄叩きが大好きなニートだってことが。

いや、ありきたりで済まないが、多分間違いないと思う。

違うなら言ってくれ。
947日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:25:36
676 :日本@名無史さん :2005/06/29(水) 20:30:49
>>23
メッセージ復帰30年(下)・告白
宮城晴美『母の遺したもの』高文研

 「いずれ機会をみて発表してほしい」と、一冊のノート(手記)を私(宮
城)に託し、半年後(一九九〇年)、六十九歳の生涯を終える。字数にして
四百字詰め原稿用紙約百枚。自らの(沖縄戦での)戦争体験の日々を具体的
につづっていた。しかも、手記は過去の記述を、根底から覆す内容を含んで
いた。
 ・・・同著の要旨を追うことにする。当時の(日本軍の)座間味島駐留軍
の最高指揮官、梅澤部隊長からもたらされたという「住民は男女を問わず軍
の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」が、事実と
違う記述であった。以後、「座間味島の“集団自決”は梅澤裕部隊長の命
令」が根拠とされてきた。

 事実は、部隊長の命令は下されず、村役場の伝令が飛び交い、次々と集団
自決へ走った。手記発表後、(著者宮城の)母は、自分の“証言”で梅澤
(旧日本軍部隊長)を社会的に葬ってしまったと悩んでいた。事実を公表す
れば、島の人々に迷惑が及ぶ(偽証で国から軍属年金をだまし盗っている島
民仲間が、罰せられる)。板ばさみの心痛を一人で背負っていた。
 一九八〇年、那覇市内で梅澤と再会。そして母初枝が告白した。「命令を
下したのは梅澤さんではありません」。この一言に、梅澤は涙声で「ありが
とう」を言い続け、嗚咽(おえつ)した。だが、告白をきっかけに事態は急
変。さらに波紋を広げていく・・・。
<沖縄タイムス2002年9月21日朝刊6面より>
948日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:27:39
読谷人 vs. 座間味人
>>835
>>836

ど っ ち も 欲 深 す ぎ ! !



949日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:32:20
>>905 
また偽証。
正しい日本軍軍人は,そんな志など汲んでないそうだ。裁判になってるよw→>>17
950日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:38:49
>>936-940,>>941さん、
どなたかは存じませんが、ありがとうございますm(_)m
自分は、やはり体験者の話が一番真実に近いと思っています。
まあ最近は、「それでは困る」ネット右翼達が、
悪意と偏見で捏造した「事実(笑)」に変えようとしているようですが・・・
例>>>851>>343
自分からすれば、右も左も同じことやってるようにしか見えません。
どっちも真実を歪めて、自分たちの都合のいいように変えやがる・・・
沖縄からすれば、ハッキリ言ってどっちもいい迷惑です。
>>167>>929-930
951日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:40:15
>>947-949>>826

828 :日本@名無史さん :2006/02/05(日) 18:04:04
>>826
ふむ。よく分かった。

お前がネットしてる引きこもりで童貞の、
沖縄叩きが大好きなニートだってことが。

いや、ありきたりで済まないが、多分間違いないと思う。

違うなら言ってくれ。
952日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:47:37
>>920
そーなのかあの闘いは 恥ずかしい戦争だったんだw
>>925
つーことは座間味&読谷村民は 国内で唯一
間違った戦争に夢中になった 恥ずかしい村民
地獄へ落ちて 当然ってことになるかも
953日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:51:21
>>941

>>948
少しは頭使え。
じゃないと、このまま一生現実社会と関われないぞ?お前・・・
954日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:52:02
>>920

腐った売国コピペ貼るのは、止めなさい。
島民の方々に、あまりに失礼だろう。
955日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:53:08
>>952>>826

828 :日本@名無史さん :2006/02/05(日) 18:04:04
>>826
ふむ。よく分かった。

お前がネットしてる引きこもりで童貞の、
沖縄叩きが大好きなニートだってことが。

いや、ありきたりで済まないが、多分間違いないと思う。

違うなら言ってくれ。


コレ、ヨメマスカー?
956日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:55:45
スレ違いだけど公共工事体質について一言

欲ボケの西海岸 O村民は、遺伝子組替え系バイオ大学院大学の公共工事に喰い付いたよね。
きっと将来は、水俣病や四日市ゼンソク、読谷上陸激戦地などと同じ結果になると思うけ
ど、バイオ大学なんてある意味で公害企業だからね。あいつらは自分の子供や孫がかわい
そうだという発想は無いのだろうか。
無いのだろうな。無いから公共工事にしがみつくわけで。
957日本@名無史さん:2006/02/07(火) 08:56:52
627 :日本@名無史さん :2006/01/21(土) 19:59:27
私の祖母は、
米兵より日本兵が怖かったと言う。
「方言喋るとスパイ容疑で処刑する!」
といわれた。
洞窟へ避難したら、
子供(母)が、爆音に驚いて泣いた時、
日本兵に
「静かにしないと米兵に捕まる!子供を殺すか!洞窟を出ろ!
と言われた。
洞窟を出て暫くして米兵に捕まり捕虜となった。

陸地の日本兵は、野蛮だったと…。
でも、神風特攻隊の皆さんが、
来たときはアメリカの攻撃が、
特攻隊に向けられるので、
その隙に逃げる事ができたと。
特攻隊のみなさんへの感謝は、
今も忘れてはいない。
958日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:00:36
読谷人 vs. 座間味人
>>835
>>836

ど っ ち も 欲 深 す ぎ ! !


959日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:03:08

>>957だけど、なぜこれをコピペしたかというと、
うちの父方の祖父がその特攻隊にいたから。
おじいちゃんの順番が回ってくる前に戦争が終わったので、
父が生まれ、自分が生まれたことになる。
960日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:04:01
>>941

ど、どうしてそんなノロわれた最悪の土地に住んでるんだよ?!
いや、どこに住もうと本人の自由だが、そのかわりどんなにひど
い目に合っても、すべて自己責任DEおながいします。


961日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:09:11
>>957
神風特攻隊は、大部分が鹿児島で訓練した本土兵だが
陸地の日本兵は、半数前後が土着の沖縄兵な訳でして
962日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:10:54
十年以上前だが、父が、
その配属されていた基地のあった県に旅行に行った。
おじいちゃんから、何通か手紙を預かっていたが、内容は分からない。
生き残った人達の間にあるものに、
自分は少し恐くて意図的に避けていたのかもしれないと、
今ちょっと思った。
おじいちゃんの島に帰ってきてからの数年は、
(詳しくは聞いてはいないが・・・)本当に「荒れていた」らしい。
あの優しいおばあちゃんと結婚しなければ、
どうなっていたのだろうか?
963日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:12:27
>>957

だって当然だろう。
沖縄上野村出身の兵隊にとって
那覇市民のしゃべる言葉なんて
まるで外国語みたいなんだから。
964日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:15:13
>>961よ、>>13-16の「日本兵」に、沖縄の人間がいたと思うか?
悪いが、大部分の地元の人間が恐れていた(本当に恐れていた!!)
のは、地元から徴収された人間ではなく、「日本兵」なんだよ・・・
悲しいことだが、事実なんだ。
965日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:15:52
は〜? 島民同志で何やってんだか
966日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:20:49
なるほど。
ではその「大部分」ではない、残りの「ごく少数の地元の人
間が恐れていたのは」、どこの兵隊ですか。やっぱり沖縄兵?
967日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:24:14
この板読んでると思うんだが、沖縄人って、朝鮮人と似てるの?
日本軍は残虐、日本統治時代は酷かったと他人事のように言うけれど、肝心
のその「日本」軍のなかで、いちばん残虐で酷い虐殺をやったのは、とうの
その朝鮮人沖縄人本人達が含まれているというね。

朝鮮兵について
日本軍内の朝鮮兵
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/tyousenhei.html
ナカーマの朝鮮女性を拷問する「日本」軍の、朝鮮人憲兵(まだバレてない)
韓国独立記念館『ロウ人形展示』より
http://nandakorea.sakura.ne.jp/img/dokuritugomon3.jpg
「日本」人の名前を使い中国人を虐殺する、朝鮮人(バレてた)
中国画『日本の手先となり朝鮮人が中国人を殺しにきた』より
http://nandakorea.sakura.ne.jp/img/spiral.jpg
968日本@名無史さん
言っとくが「戦争」ってのは、
お前らが思っているような、
そんな単純なものじゃないんだよ。

私も身内や知人からリアルな戦争の話を聞いています。
米軍の虐殺行為
・友軍の残虐行為
・地元民の早まった行動
・死に物狂いで地元民を守った友軍
・人道的な行動を取った米軍、
それら全てを含んだのが沖縄戦です。

これは、別の場所での、沖縄の人との会話の中で出てきたものだ。
俺達はそういう話を一杯聞かされてきたんだ。
肉親や周囲の人間が「体験した」話をだ。