>>59 >頼朝の朝廷への帰順はあまりにも遅すぎる。
それは上総介広常の例の台詞で説明できるのではないかと。
61 :
日本@名無史さん:2005/09/18(日) 00:44:43
>>60 上総介広常の例の台詞は頼朝の後白河院へのリップサービスに過ぎない。
62 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 08:32:36
で、話を保元の乱に戻すが
「保元物語」では為朝は「大男」となっているが
「愚管抄」では「(為義がつれてきた息子達は)ちいさなるおとこふたり」
となっている。
つれてきた男子が二人というのは疑問符なのだが
為朝は実は「小男」だったのではないだろうか
甥の頼朝、義経が「背が低い」記載もあるし
河内源氏は「小柄な血筋」という可能性もあるのだが。
63 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 11:46:12
チビ一族の中では大男だったんじゃない(W
『保元物語』は、でかくしちゃったんだろう。
主人公の剛の者がちびっ子じゃカッコワルイと。
65 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:03:48
「ワヅカニ小男二人候」だろ。
主だった郎党は皆義朝について、子供2人しか連れてこられなかった、といっているんであって、体格の大小ではないと思う。
66 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 00:50:19
ところで元木氏の複合権門とかいう用語が何回かでてきてるけど、摂関家はどの程度の求心力があったの。
ベットの中まで一緒だった源氏はともかく、強訴を繰り返す興福寺とかはどの程度掌握されてたのかな?
僧兵は結局戦闘には参加してないみたいだし。誰か教えて。
67 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 14:27:37
興福寺は摂関家の氏寺だからある程度はコントロールできたんじゃない?
68 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:26:57
69 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:53:56
ある程度ってどの程度だい?
保元の乱後は、摂関家はボロボロだから無理でしょう。
70 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:35:28
>>66 摂関家家長忠実と興福寺の実権を握る悪僧信実の提携が成立してからは「摂関家が興福寺を掌握していた」と言えるのではないだろうか。
保元の乱のときには、興福寺から援軍を送る動きがあった(頼長が戦闘に際し先制攻撃を避けたのも僧兵の到着を待ったためと推測されている)し、忠実・頼長父子は敗戦後興福寺に逃げ込んでいる。
乱後は当然摂関家の興福寺掌握は崩壊した。
71 :
66:2005/09/26(月) 00:07:50
ありがとう。
70氏の言われるような元木説は理解できるんだけどね。
奈良県史は興福寺に戦闘の意思は無かったとか書いてたし、掌握してる割には強訴・騒乱は多いから複合権門とか言うほど固い絆で結ばれてたのかなと思って。
元木さんのいう複合権門てのは、忠実が大殿として摂関家に君臨した保元の乱の
直前のごく一時期にのみ見られた現象でしょ。
しかし、「複合権門」て言葉はどうなのかねぇ。
『武士の成立』などのときもそうだったが、
新しい言葉や概念を作りたくってしょうがない、
って気がする。
>>73 いやさ、むしろ逆でね。
「権門」てのはいわゆる「権門体制」の「権門」だしょ。
あっこで三つに分けたのを、またくっつけて「複合」ってのはどうなのー?とw
公・仏・武が摂関家の下に結集されたってのは権門体制とはまるで異なるわけですが。
変に黒田俊雄の尻尾を引き摺るより、いっそ新しい言葉をつけてくれた方が
スッキリしね?って話。
75 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:14:36
権門体制てのはもっぱら鎌倉幕府成立以後の話だろ。
元木氏は忠実・頼長期の摂関家だけでなく白河・鳥羽院政下の天皇家も複合権門だと言っている。
権門体制成立以前の、機能未分化の段階を複合権門という言葉で説明したのではないの?
76 :
66:2005/09/28(水) 00:14:56
院は未分化で説明付くけど、摂関家は未分化じゃないだろ。
武と佛を取り込んだんだから。
つーか、そもそも「権門体制」自体が妄(ry
78 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:11:37
歴史はぜんぜんわからんが、
元木氏ね
80 :
日本@名無史さん:2005/10/17(月) 13:23:54
そういえば、最近出された「コバルト文庫」の本で
河内氏著書を大いに参考にしたと思われるものが出ていた。
コバルト恐るべし。
>>80 「ゆめのゆるぎ」か?
買ったけど途中で読むの止めた。
ファンタジーじゃなくて本格小説書いてくれたらええのに。なんでコバルトなんだろう・・・
>>81 そうだよね。
書こうと思えば本格小説になるよね。
着眼点はいいのだが「ザポタージュ」だの
「ノブちゃん(信頼)、よっちゃん(義朝)、ヨリ(頼盛)」だもんね。
当時でも、玉葉だったがで、北条時政を「北条丸」なんて呼び捨てしてたんだから、
「ノブちゃん、よっちゃん」はコバルトレベルなら許容範囲とは思う。
しかし、欧米系言語由来の外来語はちょっとねぇ。
>>82 別の人が書いた源平もののコバルトでは政子が頼朝を
「トモ〜♪」と読んでいた・・・・
そういやー元木氏だって本の中で「逆ギレ」って書いてたな。
85 :
日本@名無史さん:2005/10/19(水) 20:08:47
ごきげんよう、御台さま。
>>85 平治の乱の時期で、頼朝ならむしろ、
「ごきげんよう、女院さま」だろうな。
まちがっても「門院さま」などといわないように。
87 :
日本@名無史さん:2005/10/19(水) 21:07:18
八条院さま(ロサ・ギガンティア)
上西門院さま(ロサ・フェティダ)
建春門院さま(ロサ・キネンシス)
美福門院さまや皇嘉門院さまは?
89 :
日本@名無史さん:2005/10/19(水) 21:15:29
先代
つぼみは?
めずらしくスレが回ってると思えば
おもくそ明後日ってーか、一昨日の方角に爆走してますですな
NHKの歴史番組で保元・平治の乱は取上げられたことないの?
結構面白いと思うんだけどマニアックかな?
頼朝義経ネタはもう飽きたw
93 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 22:53:30
後白河法皇の生涯をドラマにしたらなかなか面白いと思うんだけど。
でも今上天皇のご先祖様はタブー?悪くもよくも描けないかな・・・
94 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 23:30:13
井上靖の原作があるから大河ドラマ「後白河院」でいけそうな気もする
>>94 読んだよ最近。薄い文庫本だったけど中身が詰まってるんで読むの苦労したな(笑)
朝廷側の話も追い詰められる緊迫感があって面白いな。
いつもにやけてる今上天皇よりも
人間的なDQN後白河がいい。
にやけてる と にこやかにしてる は違いますから。
99 :
99:2005/11/08(火) 01:47:38
100 :
100:2005/11/09(水) 21:16:01
イノシシ泰雄age
101 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 21:35:55
元木大介は引退したよ。
102 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 21:55:15
大河ドラマ「義経」の後白河法皇サイコー
週末に河内ショウスケ聞きに行く人いる?
104 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 16:02:08
イノシシ先生の日曜日age
なぜにイノシシ? 風貌??w
106 :
98:2005/12/01(木) 02:16:59
さあ?神戸(関西)といえばイノシシてな軽いのりだったんだけど。
∧___∧
| ノ ヽ
/ ●__● | イノシシ──!!
ミ ∧(○ ○)∧ミ
ミ (ノ |∪| ノミ
彡、 ヽノ 、`\
/ __ /´> )
(___) / (_/
| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
108 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 23:07:34
むにゃ
109 :
日本@名無史さん:
age