53 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 23:26:19
「祟」ることなかれ、ただひたすら、「崇」めなされ
ヤマトタケルでいいんじゃね?
雄略もワカタケに非ず、ワカタケルだった訳だ
55 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 12:55:40
πολυμητιs 'Οδυσσευs(ポリュメーティス オデュッセウス)
知謀に富んだオデュッセウス(呉茂一)
resourceful Odysseus(A.T.Murray)
Odysseus of many wiles(Samuel Butler)
resourceful = 1.臨機応変の、機略縦横の、機知に富む;やりくり上手の
2.資源に富む、物質に恵まれた、資力のある
wile = 1.策略、謀略、わな 2.pl.たぶらかす行為、詐欺手段、手練手管
3.ごまかし、ぺてん、狡猾
オデュッセウスの epithet が示すように、狡猾さ(cunning)は、
英雄の本質のような希ガス。
童女髪、童女姿のヤマトヲグナは、ズルかわいい。
ヤマト茸
57 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:56:25
なつかしいなー
よくゲームをダウンロードしに通ったよ
58 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:44:35
獲加多支鹵(ワカタケル)大王は、倭健命命(イノチ)だった可能性
がある。
というのは、大王が盞にケヤキの落葉が浮かんでいるの
に腹をたて、三重の婇をどつき倒し斬り殺そうとしたと
き、彼女がミコトを連想させる「日代の宮」の歌をうた
うや、大王は「貴女の気持ちワカタケルよ」と、即座に
その罪をお赦しになったからだ。
ワカタケルは「分かってあげる」を訛(ヨコナマ)れるなり。
ワカッタケ?
稚内
60 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 23:17:34
日本書紀上(日本古典文学大系)補注 1− 九六
クサナギ(一二二頁注一四)
沖縄では青大将をオーナギ・オーナガ(奄美)・オーナギリ(加計呂島)
などという。つまり、ナギは蛇を意味する。また、秋田県では、虹
をノギというが、虹と蛇とは、しばしば同じ語でいわれるものであり、
ノギはナギの転と見られる。従って、本州の北部にも、ナギ(蛇)とい
う例があったものと思われる。してみると、ナギは古くは蛇の意で
あったと認められる。クサは臭シの語幹。糞(クソ)と同根。猛烈で
手のつけられない性質をいう。悪源太義平の悪のように、獰猛・勇
猛の意が古義であろう。してみると、クサナギノツルギとは、獰猛な
蛇から出た剣の意が、最初の意味で、クサナギが草薙に連想される
ところから、後に草薙をして火から身を守るという伝説と結びついた
のではなかろうか(佐竹昭広説)。
61 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 16:16:59
>>50 ・← 黒鳥(くろとり)めーっけ!
白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ 牧水
*白鳥は、くれぐれも、白丁とだけは読んでくださるな、
「しらとり」とよんでくだされ。ワカッタケ?
62 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 22:33:55
佐伯とは日本語がうまくしゃべれず、まるで口が「障へ」ら
れているようだというところから来ているのではなか廊下?
つまり日本武尊が陸奥国から捕虜として連れてきた蝦夷が、
伊勢神宮や大神神社で訳の分からぬ言葉で騒ぐので、都から
地方へ追放し軍事的部民として組織したものを掌った氏族が、
佐伯氏だったというわけだ。‡← 電柱でごさる。松の廊下。
鴃舌(げきぜつ)《孟子にある。モズがさえずる意》
意味の通じない外国人の言語を卑しめていう語。
外部から都へ侵入する敵を「さえぎ」る
64 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:29:42
尾張の美夜受比売、倭健命の接待中に上衣の裾に月出るも、
命を如才なく説得して結婚にいたる。[記歌謡二十七、二十八]
三重の采女、雄略天皇をなだめる。[記歌謡一〇〇]
安積香山の采女、葛城王(橘諸兄)をなだめる。[万三八〇七]
筑紫の遊行女婦(ウカレメ)児島、大伴旅人を慰める。[万九六五〜九六八]
越中の遊行女婦、左夫流児、小役人を惑わす。[万四一〇六〜四一〇九]
秋葉原のメイド、A系を萌えさせる。
世界はそれを哀と呼ぶんだぜ。べつに、いいじゃん。
65 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 23:46:14
命(イノチ)の 全(マタ)けむ人は 畳薦(タタミコモ) 平群(ヘグリ)の山の
熊白檮(クマカシ)が葉を 髻華(ウズ)に挿せ その子
白檮を分解すると白壽木、さらにこれに白=百-一の公式
を適用すると
白檮=九十九壽木
がみちびかれる。
これこそまさに、壽命を全うしたいの楢葉、熊白檮の葉
の髪飾りをつけなさいと、命が歌われた理由なのだ。
樫の木についてこれほど深い知識を有しておられたから
には、命はドルイド僧(druid)であったにちがいない。
なぜなら、druid は、語源的には *dru-wid-=oak-wise
を濫觴とし、それは「樫の木知り」を意味するからだ。
命は、樫こかった。おじいさんは、柴を刈らずに
臭かった。
ドルイド僧といえば、聖なるオーク(カシ・ナラの類)に
人間の犠牲すら捧げていたことで有名。
デンマークやドイツの湿原の泥炭の中から、これまでに
600体以上の bog mummy が発見されているが、
ほとんどB級ホラー映画に出てきそうな話ジャマイカ。
*全け・む 「む」を意志の助動詞と解釈したことに
対するツッコミはやめてほすぃ。
66 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 00:28:57
>61
白鳥を“しろとり”と読む神社もあるね。
その神社の由来も日本武尊を祭神に祀った神社で、
白鳥となった日本武尊が飛来してきたそうですが。
>>62 空海も佐伯性だけど、その氏族と関係あるのかな?
空海は讃岐の佐伯直
68 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 23:08:06
>>61 「空」の青 「海」のあをにも ← 空海めーっけ!
「むかし敵毛を征し、班土を被れり」(『御遺告』)
その先祖は、健日命(タテヒノミコト)といい、日本武尊の東征の
折に、大伴氏とならんで武功を樹て、讃岐の国に配置さ
れ、国造(直)に任じられたという話もあるらすぃ
倭王倭武のことでしょう
70 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 23:17:57
漢文体の原『竹取物語』の著者にも擬せられている
空海。その先祖の健日命(タテヒノミコト)が、倭建命の祖父の
垂仁天皇の妃の迦具夜比売命に萌えたという話は、
誰も知らんだろう。漏れも知らん。
因みに、彼女の父親の名前は、大筒木垂根だ(ワラッ竹?
>空海。その先祖の健日命
違う。佐伯直は讃岐国造家。
稲背入彦皇子の裔である。
讃岐でねぐて播磨だづ
73 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 09:30:06
なるほど。
74 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 11:24:55
胆吹山(イブキヤマ)の神が氷雨(ヒサメ)を降らし、日本武尊を失意の
状態に陥らせたわけは、
ミコトが、
(1) 草薙剣をもたずに手ぶらで山神退治に出かけるという軽率
で無分別な行動をとり、
(2) 道に横たわる大蛇を山神の使者と思い込み、あろうことか
そのことの高言(コトアゲ)までもしてしまった
からジャマイカ?というのもホメロスの叙事詩にあっても、こ
うした言動こそが英雄たちを
ατη(アテー)=ατα=αFατα(アワタ)=慌て?=人間の犯す
軽率への罰として神々によって送りつけられる惑乱、周章狼狽、
愚昧
の虜にし破滅に追いやったからだ、
などと尤もらしいことを言ってみるテスト。
失意(ココロマドヒ、オロゲ)=心あわてて働かなくなる
こと。
75 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 23:14:34
いふき山の神に打ち惑わされた倭建命も麓の居さめの
清泉(シミヅ)で休憩をとると、徐々に正気を取り戻され
た。命は泉の水をまるで速開都比(ハヤアキツヒメ)のよう
に可可呑みされた。少量飲むとかえって酔いを深める
ことをご存知だったからだ。
そう、オリュンポス山の麓のピエリアの泉(the Pierian
Spring)の水も少量飲むだけだと、浅学菲才にもかかわ
らずそれに酔ってしまうのだ。日本男児たるもの素股
(smatter=浅薄な知識、なまかじり)に甘んじているよ
うではあまりに情けないの邪魔烏賊臭い?
さて命はガブノミ後、案の定、御心(ミムネ)に詩魂の奔出
を覚え、記歌謡30〜34番という古今の絶唱をもの
したもうたのであった。
Pierian Spring《theを冠して》1【ギリシア神話】
ピエリアの泉、詩の泉:Pieria にあるミューズの
女神たちにささげられた泉で、この水を飲む者には
霊感または学識が与えられるとされた。
2(一般に)霊感の源。[小学館ランダムハウス]
78 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:58:48
★古代カラ半島国家の歴史★
【志良岐】
国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の
南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。
シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、
「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。
この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、
『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、
また、新羅と表記するのが一般的ある。
神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった
志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に
あった国である。
その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官
が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、
志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を
奪われることになった。
奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。
そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。
金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。
金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に
移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。
韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、
もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。
コピペ協力よろしく!
バラまいてね!
79 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 21:10:49
当時のヤマトの周辺地域平定の伝承を
1人の皇子に集約した話とは聞くが
一応実在はしたっぽい?
80 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 21:21:59
重要なことは
応神が
ヤマトタケル(畿内人)の末裔で
畿内に凱旋してるということだ。
81 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 20:32:46
★古代カラ半島国家の歴史 2★
【任那】
地名の読みは、ミマナである。
日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を
記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。
志良岐の西側にあった日本国領土である。
任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。
神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や
久多良とともに、任那は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。
崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が
置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。
これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍など
の武器の製造にも利用された。
そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域で
あった。任那にはヤマトから派遣された軍が常駐していた。任那の軍は、任那の独立を守る
ための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持っていた。
また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。
朝鮮人国家の金氏新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい
土地であった。
これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
82 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 20:38:48
スサノオスレはどこなんだよ
83 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 04:48:30
志の辰韓では
大鳥の羽を以って死を送る、その意、死者をして飛揚せしめんと欲す。
とある。
ヤマトタケルが戦死し八幡の香月に白鳥になり戻ってきたという
これはまさに辰韓を通じ(あるいは他(大和?)を経由し)この地に
トーテムとして鳥が入ったことを示してる。
伊都国では見られない風習であるという、
しかし弥生の遺跡の一部にはこの鳥の模型のような
ものが出るらしい、死者を送るためのものなのだろう。
秦の位置にあったイ族系の人たちが弥生人であった可能性が大きいと思う。
彼らは満州、半島を通過し列島に入った、しかし時代により、集団により
満州、半島の文化の影響を集団別に受けながら列島各地に渡来したのであろう。
そして列島や百済などの土着文化
赤、熊信仰、入れ墨などの風習が各々
吾人、倭人、イ人、奴人が混じり倭吾イ奴人を形成したのかもしれない。
日本は万の神というけれどアジア各地のいろんな風習が入ってる、
これは渡来人でもたらされたものもあれば単なる文化移入のものも
あったり複雑なのだろう。
ただ、ルーツが権力者によって隠されていて、
>>277のように判りにくいケースが多い。
84 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 17:59:33
★古代カラ半島国家の歴史 3★
【久多良】
国号の読みはクダラ。正しくはクタラ。
6世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)南部にあった国である。日本国・志良岐・任那と
同じく、日本語を公用語とする倭人(日本民族)の国である。
久多良(クタラ)の語源は、降つ(クタツ)である。降つは、降る(クタル)ともいう。
クタツ=クタルは日本語古語であり、「日が傾く」「日が沈む」という意味の大和言葉である。
古代日本領であった志良岐や任那から見て、西側に位置していたことから、「日が沈む方角にある国」
「西の国」という意味でクタラと呼ばれていた。それがそのまま国号となったのである。
久多良(クタラ)の地には、紀元前から倭人が居住していた。もちろん、日本列島の倭人とは日常的
に交流があり、経済面だけでなく、政治面、軍事面でもヤマトと一体であった。
久多良は、古代日本の一部であり、久多良文化は日本文化である。久多良人(クタラビト)も
大和人(ヤマトビト)も、同じ古代日本語を話し、日本文化を共有していたため、両者は強い同族意識
で結ばれていた。大和と久多良が、対高句麗戦争で常に一体となって戦っていたのは同族だったから
である。
久多良の統治は、大和の天皇(スメラミコト=清めら御子人)が任命する国吉士(クニキシ)が
担った。クニキシはコニキシとも呼ばれ、カラ半島南部の国を統治する役人の最高位である。
3世紀の半ばに、志良岐が、朝鮮人の国吉士・金奈勿に乗っ取られ、『金氏新羅』という朝鮮人国家
に変質した。この金氏新羅が、6世紀に久多良を侵略して滅ぼしたが、久多良が滅びた時、多くの
久多良人(倭人)が大和(日本国)に亡命し移住した。
なぜ、大和朝廷は、久多良人(クタラビト)の日本への移住を許可したのか。それは、久多良人が
我々と同じ日本民族だったからである。
現在、久多良という国はない。しかし、久多良人の血は、今も日本民族に受け継がれ、
我々の体の中で生き続けているのだ。
これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
85 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 00:04:53
醒ヶ井
86 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 00:56:10
87 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:43:22
ぎんざんだいら
88 :
和田義盛:2006/05/19(金) 21:56:54
オウスがオオウスをヌっコロスエピソードはこの2人が農耕神としての性格を持っていたことを示している。
オオウスは農耕儀礼の生け贄(オオゲツヒメやクシナダヒメと同じ)
焼津の草を刈るエピソードも収穫神としての神威の表れ。
草を刈るように人の命を奪う軍神というのも農耕民族における収穫神の側面の一つ。
西洋の死神が鎌を持っているのは元々は収穫神にして軍神だったことの名残。
ソロモンの72柱のうちフルカスもそういう神格だったらしい。
89 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 17:10:21
まあ、日本武の戦歴が複数の軍司令官の事績の集合体であること自体は
前世紀からの定説なわけだけど
こないだ新刊で出てた歴史の謎系の文庫本で
「行動に整合性が見られないヤマトタケルは多重人格か?」なんて書いてるものを見つけて噴いた。
90 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 16:38:50
本来は、倭健命(ヤマトタケルノミコト)が正しい。
バリバリの倭人だな。
91 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:07:43
和人だよ
92 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 04:24:31
輪島
93 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:19:14
ヤマトタケルが兄貴を殺す話は、父親と二人の息子の話では無く、
本当は三人兄弟の話。
会社の近くの神社に大碓が祭られてます。
弟に殺されたエピソードは社伝にはなかったような。
95 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:03:25
たしか、古市に倭武の白鳥神社というのがあったな。
96 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:44:58
河内の白鳥陵は津堂城山古墳で決まり。
>>97 然様です。
大碓祭ってる神社って珍しい?
大きい神社では珍しい。
>>99 そうなんですか。ありがとう。自分でも調べてみます。
101 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 03:20:16
ほそおとうげ
102 :
日本@名無史さん:
延喜式内社であって、かつ現在は神社本庁の別表神社である神社、
つまり由緒も古く現代まで衰微しなかった神社で、日本武尊を筆頭主祭神とする神社は、
近江国一の宮の「建部大社」と、和泉国一の宮の「大鳥大社」だけなのかな。