1 :
日本@名無史さん:
年寄りから聞いた旅順の話
2 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:11:09
何歳だよ。
3 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:12:23
悲惨だったらしい。
4 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:21:14
小学校で教師をいてた私の曽祖父は
出征前に黒板の左端に
美しい国 日本
美しい国 ロシア
と書いて・・・
石川県 古賀てるひこ(52)
漏れの曽祖父は国では無く國と書いたし
ロシアでは無く露西亜と書いた気がする・・・
すまん。たしかに国はおっしゃるトウリ。
ロシアはカタカナ
名古屋の捕虜、ハメをハズし過ぎ問題に〔明治38年5月23日〕時事
名古屋捕虜の跋扈 愛知県名古屋市の各収容所に収容中の露国捕虜は
過般自由散歩を許されて以来、身の分際も打ち忘れて市中を闊歩し、
さらでも人もなげなる日ごろの振る舞いは放埓の度を高めて料理店さては
妓楼に押し登り、なかには芸妓を落籍なさんなどの取り沙汰さえあり。
俺の故じいちゃんの話だと、じいちゃんの父ちゃん(生きてりゃぁ約124才)
四国だから旅順行って来た。
昔四国には旅順帰りの片手の方や片足の方いっぱいいたらしい。
日本勝った勝った
ロシア負けた
ホントに石投げたらしい
NHKでCG使って再現してなかった?
NHKアフォな俺にはわかりやすかった。
あそこに旧式軍刀もって白兵突撃したと思うと
左手にリボルバー
右手にサーベル
小隊長クラスいぱい戦死
だれかまとめサイトプリーズ
15 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:53:49
子供ん時(30年位前)いなかの村祭りみたいなので、ロウ人形館があって
そこに203高地攻めのロウ人形があった。
どっちかが軍刀で刺してどっちかが首絞めてた・・・
幼いわたしには非常に恐怖だった・・・
16 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:32:36
東映の「二百三高地」ってかなり「坂の上の雲」?
17 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:33:16
18 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:40:39
少し
一月〜〜〜に〜〜〜〜@
日露戦争が始まったA
早速逃げるがロシアの兵B〜
・・・みたいな数え歌をばあちゃんが歌ってたが
正式な歌詞知らない?〜の部分はあやふやだけど
たのむからこういう馬鹿は来るな
22 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:21:18
二百三高地はなぜ陥ちたか。
日本側の事情から語られることが多い。児玉が重砲を配置転換
したとか。
しかしロシヤ側から見るとずいぶん印象が異なる。
「剣と恋・レンガート少尉の手記」というロシヤ側の資料がある。
これを読むと二百三高地が陥ちたのは反撃する兵力がなくなった
からだと思われる。
日本軍が高地を占領する都度、ロシヤ軍は損害をかえりみず
反撃部隊を送って奪還した。その兵士は主に艦隊の水兵だった。
最後はいろいろな雑役の人員まで掻き集めて送った。
そして最後に反撃兵力が尽きたときに二百三高地は落ちたのだ。
永久堡塁が無く、塹壕戦・野戦に近かった二百三高地が主戦場
になったことによってロシヤ軍は消耗戦を強いられた。
そしてそれに敗れたことが全体のターニングポイントになった。
二百三高地はロシヤ軍にとってのガダルカナルだった。
23 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:25:13
もうひとつ、我々は二百三高地戦の段階でもロシヤ軍の砲火は
圧倒的だったと思っている。しかしこれもレンガート手記によると
異なる。彼は二百三高地の西側の急造の野砲陣地を受け持っていた。
二百三高地の裏側へ回り込んで工事をはじめた日本軍工兵を射撃
するのに、彼は次のように思った。
「近隣の砲台が沈黙しているのに我砲台のみが日本軍に対して発射
するのは気持ちが悪かった。なぜなれば直ちに日本砲弾が飛んできて
返報をするからである。」
また次のように書いている。
「開城近くになった頃は大いに砲弾の経済に努めねばならなかったし、
また日本軍が我が軍を射撃するように無闇に敵を射撃することが
できなかった。」
攻囲戦の終盤では砲力、弾量においてもまた力関係は逆転していた。
24 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 14:46:20
じゃ、伊地知の第3軍正面攻撃はただしかったわけだ。
力攻めでロシア側に消耗がおきたわけだ
25 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 16:40:20
しかし、海軍の進言通りに初期段階から比較的防備の弱かった203を攻撃目標に置いていれば、あれほどの死傷者は出なかったと思うな。東鶏冠山や二竜山など正面保塁に固執して、三度の総攻撃失敗を犯した、伊地知の作戦は、理解不能だ。
26 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:15:44
人事だったのだよ、兵士の命など。伊時知には。
イギリスのソンム戦、ガリポリ攻略戦、日本のインパール作戦など、似た事例はいっぱい。
伊地知は、牟田口と並ぶカス。
でも、伊地知姓や牟田口姓って結構いるよな。いつも子孫か?とおもってしまう。
27 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:41:06
仕事柄お年寄りとゆっくり話す事が多い。日露戦争好きの私はやんわりと乃木大将の
話とかふってみると、さすが年寄り色んな話聞ける。この前は93歳のおばあさんが
「わたしの父は203高地に3回旗をたてて、乃木将軍に抱きついて感謝された・・
皇太后に感謝の歌を・・」とゆう話をしてくれた。
しかし「このおばあさんのお父さん」って誰なんだろう?
将校なんだろうけど誰なんだろう?
いいとこのおばあさんだけど・・・
28 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 22:43:42
>>24 いや、そうではない。
203高地が永久堡塁でなく、急造の塹壕陣地だったからロシヤ軍の損害も大きかった。
正面攻撃ばかりやっていれば日本軍の方が先に力尽きただろう。
>>19 わしもきいた事あるど・・・
忘れたけどのう。
誰か全歌詞お願いします。。。。
私の曽祖父は金沢で豆腐を売っていました。
激戦の旅順では「血染めのご飯」を「五目飯」と思い生き延び
意外と大活躍・・・
石川県 木下けんじ(36)
■■■旅順大虐殺事件■■■
日清戦争で、日本軍に虐殺された市民や兵士が眠っている。
1894年11月、 旅順を占領した日本軍は、一般市民、婦女子に対する虐殺事件を
ひきおこした。
事件は現場にいた外国人記者によって世界中へ報道され、当時大きな国際問題となった。
犠牲者の数は「ニューヨークワールド誌」によれば、約6万人といわれる。
旅順口の白玉山の東麓にある。
32 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 14:47:07
ワタシノヒイオジイサンハ、リョジュンデ、ヤポンスキ―ノショウコウトハクヘイセンノスエ、イシデナグラレメヲツブサレクビヲオラレセンシシマシ…
ロシア イワン・ヨンセイ(34)
33 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 00:54:19
ヒイじいちゃんの日露戦争の勲章があるんだけど、多分一番下っ端の招集兵だったんだけど。
勲章って、戦争行った人全員もらえるんですか?
詳細求む。
>33
全員ではないみたい。うちの祖父は曽祖父のもらってきた勲章(金鵄勲章とかっての)を
かなり誇らしげに語ってたよ。だから33さんの曽祖父も、それなりの活躍をしてきたと思われ
うちの曾祖母の自慢話なんだが、曾祖母の兄はボロ船沈める作戦立てて総指揮官だか隊長をして金鵄勲章を貰ったときいた。
それなりにやったんかな?
36 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:16:14
>>35 大活躍だと思う。
小説「坂の上の雲」で旅順口封鎖は読んだよ。いぱい船沈めたみたいね。
生きて帰れてよかったね。
37 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:24:52
>>35 旅順口閉塞作戦だね。この作戦って多少効果はあったのかな?
いや、第3次?までやって極東艦隊閉塞に失敗したからの
第3軍による旅順要塞攻略では?
39 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:32:36
「す・杉野〜〜〜
どこだ〜〜〜」
広瀬中尉?の話も年寄りはヨクするよね。
40 :
35:2005/08/01(月) 21:38:34
レスd
その小説読んでみるよ。つか失敗したのか…。
ばあちゃんのお兄さんは中佐だったんだけどさ、生きて帰って海軍大将→明治神宮の宮司になったそーだからたくましいよ。
旧式軍刀(サ―ベル型)ってカッコイイ!
一見、洋式サ―ベルにみえるけど、良くみると様々な和彫り!
なによりも、中身は日本刀!!
西洋文化?をとりいれながら実は中身は日本刀を仕込んでいるなんて泣けるよ…
陸軍タイプ(鉄鞘)のレプリカ買おうとおもったけど、無いんだよね。海軍タイプはあったけど…海軍のもカッコイイけどね…
43 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:30:22
>>34 >>41 ありがとうございました。
父の話しだと「行けばもらえるんだろ?」
「おもちゃにして遊んでた」等
まあそんないい家柄じゃないし、期待はしてなかったけど、まあ大事にしときます。
44 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 14:19:15
南山坡山を奪った時点で、日本の勝ち。
28センチ榴弾砲を使用しての山越え砲撃が可能になったから。
ただし、旅順艦隊が全滅しているかどうかは観測点を前進させないと
ハッキリ確認できなかったため、
多大な犠牲を覚悟しての203高地総攻撃となった。
ので、「203高地攻撃は無駄だった」という議論は、当時の指揮官の
おかれた状況を考慮しない「結果論」。
「みっ!見えまつ!見えまつ!丸見えでありまつ!」
46 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 18:11:23
乃木<児玉は、死馬の妄想。
だまされるな。
47 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:32:31
>46
どのへんが?
飛行機飛ばせばよかったのにな。
ライト兄弟がとっくの昔に、飛行機発明してるだろ。
おれだったら、熱気球とバスね
49 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:24:38
西南戦争のとき、熊本城救援に使ってなかったっけ?
>48
気球、実際微妙につかったんじゃなかたっけ?
51 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:41:28
52 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:31:00
司馬信者は軍事板に行って詳しく聞いてみたほうがいいと思う。
東京、金沢、善通寺、旭川…ここら辺の人すごいな。大変だったみたいだけど。
まじすごいと思う。
54 :
士会:2005/08/03(水) 23:09:35
>気球
バルチック艦隊は気球母艦を随伴していた。
これって空母の前身だな。
55 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:34:21
むか〜しむかし、本当に映画203高地みたく、みんな死体の下に隠れたり 穴掘ったりして弾をよけたらしい。
ひいじいさんが、昔こればっかりゆうとったそうじゃ
父親の話じゃったそうな
56 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:47:26
うちのひいじいさんも旅順に行って、ミイラみたいな格好になって帰って来たらしい。
その話を聞いて以来、旅順はちょっとしたトラウマ。
57 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:10:01
まずはひいおじい様に敬礼!
ミイラって事は機関銃で蜂の巣だったんかな。
でも明治の男ってガッツあるよな。
漏れの曽祖父は日露戦争の203高地で怪我をした将校を、前線から背負って
本隊まで送り、感謝として金一等金鵄勲章と百円札を後々もらったそうな。
35さんの話しを見ると金鵄勲章って、もしかして凄い??
「気球母艦」って・・
なんかかっちょえー!
60 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:48:01
>>58 凄いと思います。
だけどそうゆう貴重なお話を大事に語り続けてゆくことが、
おまいの「勲章」さ・・・
100年前だもんねー
ひ孫の代になってるよね。
でも「かまとお婆ちゃん」っていたじゃん?
1??歳のお婆さん
よくテレビでてた長寿記録の人。
あのお婆さん、「日露戦争で出征する兵隊さん見送った」「かわいそうだった」とかいってたよ。すごくない?
アジア歴史資料センターのHPはじめて見たけど、いいね。
63 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:45:28
ぐぐってみまつ
>>63 右下の『日露戦争特別展』ってとこが良かったよ。
65 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:05:34
>>64 ありがと。
今携帯で見れんが、家帰っての楽しみに。
わしも今度、凄いのあったら…
また情報お願いします。
乃木将軍の動画が泣けるわけで
>1
TVドラマ「二百三高地」は見られましたか?
68 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:44:12
>67
見てました。
映画版より好きでした。
その時やってたのを見た限りです。どっかで再放送してるらしいけど。DVDとかないのかなぁ?
うちも曾祖父がいった話を、祖父に聞きながら一緒に見た思いでがあります。
69 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 13:50:07
>>44 >南山坡山を奪った時点で、日本の勝ち。
>28センチ榴弾砲を使用しての山越え砲撃が可能になったから。
28センチ榴弾砲の陣地の一つは南山坡山(なまこ山)より北の高崎山の北麓に
あった。南山坡山は二百三高地/赤坂山攻撃の支援陣地の意味しか持たない。
70 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 14:01:24
>>69 28センチ榴弾砲の陣地は高崎山北麓にあるとして、だから何だというのか。
「陣地」ではなくて、山越え射撃するための「観測点」が必要なのだろうに。
南山坡山を確保したことで、港内のかなりの部分を見渡すことができた。
この結果港内の残存艦艇は、船体自体は死角に隠すことができたがマストなど
は隠すことが出来ず、それらを目標にして死角内に射撃が加えられた。
南山坡山確保以前にも数カ所に観測所は作られていたが、南山坡山の観測所
設置によって山越え射撃の精度は非常に上がったと言える。
全体として44に同意する。
乃木だって、そりゃあ大変だったと思うよ。
誰か「白襷隊」情報お願いします。
72 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 17:26:55
>>70 実際に現地に行ってごらん。
私は4年前に南山坡山の頂上に登ったが、203高地、赤坂山などが邪魔になって港の方向は
なにも見えない。
73 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:34:18
>>72 頂上でしょ。南山坡山の観測所の場所から眺めたわけではないのでしょ。
74 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:53:50
>>72 当時の本を読んでごらん。
私は4年前に公刊日露戦史の付図を見たが、港内が完全に見渡せるわけではないものの、大部分は見通せたことを図示している。
9月25日の「南山坡山より観察」図より以前の図とは、情報量は雲泥の差だ。
10月7日の「南山坡山海軍観測所の報告」図では、死角の位置に逃げ込んだ敵艦艇もマストや煙突が望見され、完全に隠れることは出来ていないことを示している。
75 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:37:25
>>73 南山坡山の形を知らないな。海鼠山の名のとおり、細長い尾根なのだ。
その尾根をほとんど縦断して南端まで行った。どこからも見えなかったよ。
尾根以外のところに観測所があったのかな。
それならなお見えないと思うけど。
>>74 大部分が見えたなら203高地はいらないではないか。
実際は当初だけ一部の艦が見えて観測射撃したが、死角に移動したあとは
事実上の散布射撃だった。
76 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:47:21
当時の人は見えたという記録を残し、現代の人が見えなかったと実体験を語る。
見えた見えないって水掛け論みたいになりそうだけど、見えたという根拠は
戦史の付図という確かなものがある。見えないという根拠は、今のところ、
君の体験談しかないわけだな。さてどうしたもんか。
私は当時の人の記録を信じるけど、君は君の目玉を信じたらいい。
>>75 >南山坡山の形を知らないな。
あのね75さん、「頂上」という言葉を最初に使ったのは、君だよ。
>>72 >私は4年前に南山坡山の頂上に登ったが
それを受けて「頂上」という言葉を使ったまで。
なのに、南山坡山の形を知らないな、との言い掛かりは噴飯物だ。
78 :
クソ陸へ:2005/08/07(日) 00:05:18
おまいら素直に天才のワシの言う事を聞いとけば良かっただろ!
何ならウチの兵隊、貸したのにな。
真之より
語りつぐのじゃ!
旅順を!
2年くらいまえ、民家の玄関先で爆発事故があったのじゃ。
なんと驚き!
そこの爺Bが日露戦争からもって帰った砲弾が爆発?したのじゃ!
どう思う?
そんな昔じゃないんだぞ!
たかが100年前じゃ!
忘れてはいかん!
つたえるのじゃ!
81 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:36:54
というか、
「白襷隊」の子孫!
いらっしゃいませんか?
82 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 10:35:43
>>76 >見えた見えないって水掛け論みたいになりそうだけど、見えたという根拠は
>戦史の付図という確かなものがある。
いいか、「見えた」というのは山の切れ目の所に狭い視野が開けた、という意味だ。
赤坂山や203高地の山越しに見えた、という意味ではない。
たしかに南山ひ山の尾根の南端から見れば山の切れ目がある。
しかし、赤坂山や203高地は南山ひ山より高くて、しかも南に数百メートル離れている。
隣家の塀じゃあるまいし、どのように線を引っ張ればマストや煙突が見えるというのか。
見えるか見えないかは幾何学の問題に過ぎない。
>>77 「頂上」という言葉の問題ではない。
君は私が南山ひ山の頂上から見えなかった、と言ったのに対して、観測所は
頂上以外にあったのではないか、という意味のことを言ったのだ。
それは君が、南山ひ山がほぼ等高の尾根を持つ「ミニ山脈」であることを知らないから
出た言葉だ。
説明して置けば最も視界が開けるのはミニ山脈の尾根の南端だ。南に行くほど
赤坂山からはずれるからだ。そして記念碑はこの南端にある。恐らくこれが
観測所の位置だろう。そして私が観察したのもこの記念碑からだ。
「第三軍第三回総攻撃中止後、標高二〇三メートル高地奪取に関し、連合艦隊参謀
海軍中佐秋山真之より第三軍随従の海軍中佐岩村団次郎に送りたる書翰」
第三軍の第三回総攻撃が失敗した明治37年11月26日の翌日である27日に始まり、
乃木軍が二〇三高地に対して本格的な攻撃を反復してついに同高地を奪取した
12月6日までの10日間に一日も欠かさず毎日書き送ったものである。
来月15日頃までに旅順艦隊の内戦艦3隻を形付けることが出来ざれば由々敷大事なり
この際思切って二〇三高地に向ひ全力をここに専注せらるること至極必要と存候)
(11月27日付)
実に二〇三高地の占領如何は大局より打算して帝国の存亡に関係し候へばぜひ
決行を望む、旅順の攻略に四、五万の勇士を損するも左程大なる犠牲にあらず。
彼我とも国家の存亡の関する所なればなり(11月30日)
先々便にて申上候ごとく二〇三高地は旅順の天王山と云ふよりは日露戦争の
天王山なれば、敵が死力を尽くして回復を計ることは当然にて、旅順も二〇三の
ために陥落し、露国も二〇三のために敗滅せんこと、小生予言することを
憚らざるところに御座候(12月2日付)
若し今日より延引すれば敵は又々防御工事を増加し、更に数万の勇士を失はざれば
攻略到底見込無之、この数日間に攻略出来ざれば取りも直さず永久に出来ざること
と可相成。旅順陥落せず旅順艦隊残存せば最早大局の勝算相成不申、何卒第三軍の
内情を精密に観察せられ、現下当艦隊にて為し得べきことは断然決行可致に付、
忌憚なく御申越被下度(12月3日付)
海軍の見地より言へば、旅順の敵艦隊だに片付けば要塞は陥落せざるも来年
五、六月迄現状維持のままにて左程苦痛を感ぜず 蓋し旅順の残艦隊滅亡する
ときは独り旅順の価値を無くするのみならず、バ艦隊も旅順艦隊の合同を得るに
あらざれば我に対し十分の優勢位置に立つ能はず、従て攻勢を取るの余力無く
海上を制圧するの望もなし。況や我は十分の自信ありて、バ艦隊だけならば見事に
撃滅せんとの勝算あるに於いておや
(12月4日付)
本日午前中より捷報続々到着、一日欣喜雀躍仕り、長官閣下にも久し振りにて
我々に笑顔を見せられ候(12月6日付)
85 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 11:30:22
>>82 訂正。
82で南山ひ山について「南に行くほど」「南端」という言葉を使ったが、
南山ひ山はほぼ東西に走っているので「東に行くほど」「東端」と訂正する。
なんかお前キモいね
87 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:15:08
>>82 >いいか、「見えた」というのは山の切れ目の所に狭い視野が開けた、
>という意味だ。
>赤坂山や203高地の山越しに見えた、という意味ではない。
「山越しに見えた」なんて、そんな「見え方」についてなど誰も言ってない。
南山坡山から港内が見えた、と言っているんだよ。
人の発言を勝手に増やして、勝手に意味を変えて、勝手に興奮してるだけ。
それにしても「いいか、」なんて、まるで朝生で興奮しちゃってしゃべる
田原総一郎みたいな口ぶりだね。ちと笑えた。
書簡を披露していただいてご苦労様だが、それらを冷静に読んで欲しい。
爾霊山占領を切望している心情を吐露している内容に過ぎない。
どこにも南山坡山から港内が見えないとは書いていない。
今、論点となっているのは、南山坡山から港内が見えたか否か?ということ。
長々披露しているそれら書簡は、その議論の内容とは関係ない。
君の興奮具合を見ると、どうにも当時南山坡山観測所から見た付図を残した
軍人の記録の方に分があるように思えてならない。
こないだの朝生でてた爺さん。
すっげ―カッコイイ爺さんいたよな。
あんな爺さんにならなってもいいな。
おっとっとすまん…
>>82 >それは君が、南山ひ山がほぼ等高の尾根を持つ「ミニ山脈」であることを
>知らないから出た言葉だ。
ここでも、勝手に想像して、勝手に批判しているね。
戦史の付図を見ていると言っているのに、南山坡山の形を知らないわけなかろ。
なんというか、疲れるよ、君。
南山ひ山 ワロタ
92 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:30:35
南山ひ山って、なんでこんな間違いしてるんだろう。この人。
しかも現地行って自分の目で見たって言ってるんでしょ?
行った場所の名前を知らない(間違って覚えている)なんて、なんて不思議な人だろう。
たぶん本場のよみかた?
正式名称
95 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:43:00
でも、あのひと
「南山ひ山」てかなり自信まんまん。
たぶんそうなんじゃない?
なんかすごい事おこるぜ。
南山坡山
なまこやま、又は、なんざんはざん、と記した資料もある。
だいたい、南山ひ山って、どう読むんだよこれ。書いた奴答えろ。
なんざんひざん?なんざんひやま?
南山ひ山。
それは彼が、南山坡山が なまこやま 又は なんざんはざん と読む事を
知らないから出た言葉だ。
でも旅行はできたらしいよ。
俺だって馬鹿だけどいろいろ読んでるよ。
「なんざんはざん」通称「なまこやま」て思うとったわい。でもあの人頭よさげだし、自信まんまんだし…
こりゃ なんかトリックがあるぞ
まっとるど!
すごい結末がな…
元々は山の標高からとってナントカ高地と言っていた筈。二○三高地と同じ。
その後、形が海鼠(なまこ)に似ているってんでナマコヤマと呼んでいた。
南山坡山ってのは、その読みに当て字した名前。
の筈だが。
とったの東京だっけ?
ナントカ高地→なまこ山→南山坡山→南山ひ山。
教科書でてたよ。
なんの教科書だよ。
うそニダ〜
あんたらノリが良いなー 面白すぎる。
南山ひ山か。「坡」が読めなかったんだろうが、もちっと知恵が無かったのか。
いや、しつこいけど…
な・に・か・あ・る
事件のにおいプンプン
109 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:45:00
>>87 >「山越しに見えた」なんて、そんな「見え方」についてなど誰も言ってない。
君は
>>74で次のように言っている。
>10月7日の「南山坡山海軍観測所の報告」図では、死角の位置に逃げ込んだ敵艦艇も
>マストや煙突が望見され、完全に隠れることは出来ていないことを示している。
死角の位置、つまり山の陰に逃げ込んだ軍艦のマストや煙突が見えたというのは、
山越しにそれらが突き出ている以外に、どんな見え方なのか、とくと説明して
もらいたい。
>>88 >今、論点となっているのは、南山坡山から港内が見えたか否か?ということ。
>長々披露しているそれら書簡は、その議論の内容とは関係ない。
書簡を披露したのは私ではない。目的は知らない。
>君の興奮具合を見ると、どうにも当時南山坡山観測所から見た付図を残した
>軍人の記録の方に分があるように思えてならない。
君は文献批判ということを知らないようだ。記録にあるが本当だろうかと、
現地に行って自分の目で確かめるのが普通の歴史研究者だと思うがね。
なお「坡」の読み方はたしかに私が間違えていた。 間違えていたのになんで
現地に行けたかというと、ガイド以下グループ全員が間違えていたからさ。
110 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:54:43
>>109 失礼な発言すみませんでした。
でも大好きです。
なんかあなたにかなり影響されそうだったのですが…踏みとどまりましたww
でもファンです。
がんばれ!
111 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:57:28
> 間違えていたのになんで現地に行けたかというと、
>ガイド以下グループ全員が間違えていたからさ
ワラタ。君才能あるよ。
>どんな見え方なのか、とくと説明してもらいたい。
見え方を示した図が何なのかは、既に述べた。自分自身の目で確認せよ。
文献批判なんて大仰な事を仰っておられるが、まずは見よ。
批判など、その後にするべきこと。
>間違えていたのになんで
>現地に行けたかというと、ガイド以下グループ全員が間違えていたからさ。
そうかやっぱり間違っていたか。
ちなみに、どんなふうに間違って呼んでいたのか教えてちょうだい。
その間違った読み方をグループ全員が呼び合いながらの旅行風景──悪夢だな。
114 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:05:52
203高地を落とした人って乃木希典で良いのかな?
最終的に第3軍指揮したのは児玉源太郎だけどさ・・・
東北正面の永久要塞から203高地に攻略目標変更したのは乃木だし
何度か奪い返されたにせよ乃木も何度か203高地奪ってんだよね
実際203高地落としたのは乃木が率いる第3軍だし・・・みんなの意見を聞きたい
すごく勉強になります。
しかしすごく読みにくいので、
みなさん
名前書いていただけませんか?
どうかお願いします。
>>114 児玉大将の職は参謀であって軍司令官ではない。
117 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:18:47
でも大砲の配置変えたりして第3軍指揮してたんでしょ?
結局203高地って誰が落としたの?
>普通の歴史研究者
普通の歴史研究者さんと、そのグループと、研究者さんらを率いたガイドさん
ご一行が揃いも揃ってみんな間違えていたという読み方を教えて下さい。
119 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:19:36
わし
>>117 総司令部から派遣された参謀として、助言したのは容易に想像できるが、
指揮ってのはどうだろう。
121 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:22:03
名前
テストで100点とっても名前書いてないと
122 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:23:08
124 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:31:33
>>120 小玉は乃木の威信が失墜しないように、なんとか乃木からの提案で
第3軍の指揮を任せてもらおうと思ってたはず
直接任せてくれと言ったら乃木は生きていないだろうと思ったから
それに実際乃木が指揮してた時は取ったり取られたりだったのに
小玉が重砲の配置変えた途端普通に203高地落ちたし
俺みたいな素直な子が「坂の↑の雲」読むと……
>>124 >思ってたはず
はあそうですか、としか。 それとも何か、君はイタコか?
死馬イタ子
第三軍参謀の誰だったかの証言によれば、爾霊山攻撃の時の児玉の関与だって
巷間言われるようなものだったかどうか、はなはだ疑問だ。
児玉は爾霊山の山頂から港内が覗けるということを知らなかったらしい。
旅順に着いてしばらくしてから、某参謀に、「おい、二○三高地の山頂から
港内が見えるというが本当か」と聞いてきたとか。
また坂の上の雲で伝えられる名シーン、「同士打ちを厭わず」の発言も、
本当にあったのかどうか怪しいものなのだ。
第七師団長から「同士打ちになっているので砲撃を止めて欲しい」と要請
された児玉は、砲撃指揮官にこの要請についての意見を求め、砲撃指揮官
の「同士打ちになるのを承知でやっております」との返答に同意も反対も
しなかったという。
129 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 01:04:51
旭川カッケ―!
さすが。
おいしいとこだけってイメ〜ジ
131 :
憂国:2005/08/08(月) 02:42:04
日露戦争勝利百周年を祝う青年の集い参加者募集
平成の若人へ明治の志を伝える集会です。
18歳から39歳までの方なら自由に参加できます。
日時 9月3日(土)13時から3時30分
場所 赤坂プリンスホテル クリスタルパレス
詳細については、
http://www.nichiro100.jp/
132 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 05:50:18
>>44 >南山坡山を奪った時点で、日本の勝ち。
>28センチ榴弾砲を使用しての山越え砲撃が可能になったから。
ウソつきだな。史実はそこから第2回、第3回の総攻撃が続いて
更にセバストポリ等は修復されるほどの施設は健在だった。
133 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 06:45:43
南山ひ山って連呼していた、自称「普通の歴史研究家」はどこいった?
はやく、どう呼んでいたのか書いてくれよ。
なんざんひやまか?大笑いだな。
>>132 修理するそばから壊されてどうしようもないだろう。
修復って、どの程度? 気休めでも、水漏れを直した程度でも修復と言える。
135 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 09:15:15
>>112 >見え方を示した図が何なのかは、既に述べた。自分自身の目で確認せよ。
>文献批判なんて大仰な事を仰っておられるが、まずは見よ。
見なくても大体想像はできる。山の稜線が斜めである以上、
A)船の全部が見える領域
B)船体は見えないがマストのみが見える領域
C)なにも見えない領域
が生じるのは理の当然。問題はA+Bが港全体の何割を占めるかだ。
君は
>>74で次のように言っている。
>私は4年前に公刊日露戦史の付図を見たが、港内が完全に見渡せるわけではない
>ものの、大部分は見通せたことを図示している。
また
>>70では次のように言っている。
>この結果港内の残存艦艇は、船体自体は死角に隠すことができたがマストなど
>は隠すことが出来ず、それらを目標にして死角内に射撃が加えられた。
これらを見ると港内の艦艇は南山坡山観測所に対して一般にマストなどを隠すこと
ができず、同観測所から見える範囲は港の大部分であった、という印象を受ける。
現に「大部分」という言葉を使っている。
しかしそれは君がその付図を見て勝手に考えたことではないのか?
その報告書は「港内の大部分が見える」とか、「港内の残存艦艇はマストなどは
隠すことが出来ない」とか言っているのか?
曾祖父(日露戦争従軍)でも会ったことない。
祖父(ww2招集)WW2の話は良く聞いた。
父(会社員)司馬ファン。「乃木が〜だった」とかよく話す。
ひいじいちゃんに会いたかったな…話し聞きたかった。
>117
ヨシ!カマトバアチャンニキイテミヨフ
「日露戦争物語」江川達也 にやっとこさ出てきた 大山 巌 が
ナンカすごく不細工な件
139 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 14:32:21
>>135 自称普通の歴史研究者さんですか?
「南山ひ山」って、間違って何て呼んでたんですか?「なんざんひやま」?
>139様
わしがかわりに切腹するから「なんざんひざん」は忘れていただけないものか?
141 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 15:41:33
>>139 「坡」は常用漢字ではないから混ぜ書きするのはある意味では正しい。
「ひ」か「は」かは別としてね。
混ぜ書きしたら次の漢字は訓読みになるというルールでもあるの?
君は「花こう岩」を「かこういわ」と読むの?
142 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:07:07
>>141 正しいかどうか、またルールがあるのかどうかなんて誰が聞いた又は問題に
しているのだろう?
自称歴史研究者さん参加のツアーでどう呼んでいたのか?と聞いているだけ。
俺は「花こう岩」は「かこうがん」と読むよ。
例のツアーでは、何と呼んでいたのか早く答えて欲しいもんだ。
「なんざんひやま」?「なんざんひざん」?どっちにしろ爆笑もんだ。
>>141 >混ぜ書きする
書き方が正しいかどうかなんてどうでもいいんだけど。
なにか? そのツアーでは、いちいち筆記で意志疎通してたとでも?
144 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:22:23
日露戦争の時に観測所が置かれていた南山坡山からは、港内は見えたんだよ。
そして四年前のツアーで登った南山ひ山からは、港内は見えなかったんだよ。
つまり、南山ひ山は、観測所が置かれた南山坡山とは別の山だったんだよ!
これにて一件落着。
>144
そっ、そうだったんだ!
146 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:37:25
>これらを見ると港内の艦艇は南山坡山観測所に対して一般にマストなどを隠すこと
>ができず、同観測所から見える範囲は港の大部分であった、という印象を受ける。
>現に「大部分」という言葉を使っている。
>しかしそれは君がその付図を見て勝手に考えたことではないのか?
実際に見ろっての。
実際の眺望を示したイラストが書いてあるから。
冒頭に >見なくても大体想像はできる。 なんて大見得切ってるけどさ、
結局見なければ、その程度なのよ。全然話が噛み合わない。
実物を見なさい。
それと、「南山ひ山」をなんて呼び合っていたのか早く教えて。
149 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:32:15
自分でも気に入ったからハンドルにした。よろしく。読み方は「なんざんひざん」。
>>146 >実際に見ろっての。
>実際の眺望を示したイラストが書いてあるから。
だから、南山坡山観測所から見たイラストがあるわけだろう?
それは両側をそれぞれ山の稜線で区切られ、中央に水面があり、ぜんぶ見える船があり、
船体は見えないが稜線にマストを突き出した船があるわけだ。
飛行機から見たのではあるまいし、それ以外の見え方はない。
(それとも気球から見たのかな?それなら話は別)
この部分的な視角から、イラストに見えている部分がどのようにして「港内の大部分」だと
わかったのか、それを聞きたいのだ。
説明できないのなら「大部分」説は撤回したとみなす。
150 :
南山ひ山:2005/08/08(月) 23:39:58
>>149はハンドルが落ちてしまった。
言い忘れた。その報告書に「南山坡山観測所から港内の大部分が見える」
「港内の残存艦船はマストなどを隠せない」とかいう文句があるのかないのか。
それは答えられるだろう?
答えられないのならそんな文句は報告書になかったのであり、君が独自に判断したのだと
見なす。
質問。ツアーでは皆で「なんざんひざん」って呼び合ってたの?
152 :
ナマコ山:2005/08/09(火) 00:04:14
では、私はナマコ山と名乗ろう。
>それは両側をそれぞれ山の稜線で区切られ、中央に水面があり、ぜんぶ見える船があり、船体は見えないが稜線にマストを突き出した船があるわけだ。
実物を見てから意見を言ってくれませんかね、頼むよ。
想像で言っているのだろうけど、ちなみに君は「両側をそれぞれ山の稜線で区切られ」
と言っているが、両側それぞれの山というのは、どの山とどの山だろうと想像して
いるのですか?
>>106 ありがとう。
勝手にメロディ付けて歌っときます。
でもそうゆう記憶って、いつか世の中から消えていくんかな?
なんかさみしいけどね・・。
154 :
ナマコ山:2005/08/09(火) 00:12:55
>>149 >この部分的な視角から、イラストに見えている部分がどのようにして
>「港内の大部分」だとわかったのか、それを聞きたいのだ。
答えてもいいが、そちらも答えてくれ。
君が参加したツアー一行は南山坡山をなんと呼び合っていたのか?
それと南山坡山から見えなかったということを示す客観的な証拠は
あるのか、またそれは提示できるのか。
これらに答えると約束するなら、質問に答えよう。
155 :
務本:2005/08/09(火) 00:14:37
ところで、白兵戦の件はどうなった。
今まさに白兵戦が展開中じゃないか。
157 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:24:54
>156
うまい!
年寄り相手の仕事で、よく日露戦争の話しをふってみるんだけど、
「うちの父は棍棒でロシア人ぶん殴った」
とかそんな話よくきくよ。
また書きます。
でもやっぱりお年寄りには昔話だね!コミュニケーションばっちり!でも昭和の戦争は暗い話しが多い・・・
まあ自分の体験だから大変だったろうね。
159 :
髭さん:2005/08/09(火) 01:03:40
昔、歴史の先生が言っていた。
当時日本兵は白兵戦が上手くなかったんだって。
対してロシア兵は白兵戦がむちゃくちゃ得意だったそうな。
ロシアを世界一の陸軍というのは欧州で白兵戦が随一というところから。
士族階級から徴兵で集まった日本兵は農民(平民)が主だったから
剣とか槍の心得もなかったんだろうね。
これには陸軍首脳部もだいぶ焦ったようで開戦してから猛特訓したようだ。
上原の工兵の訓練と同じみたい。
ようやく日露戦争の後半から五分に渡り合えるようになったとか。
思い出した、ベルサイユ条約かなんかの授業で教科書に
各国の兵隊の整列写真があったときの余談じゃったよ。
体格差もあったんだろうけどね。
旅順じゃないけど、
陸の軍神-橘 周太って「刀で切って、切って、切りまくって戦死」
じゃなかったっけ?
詳細キボン
161 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 10:33:08
と
つ
げ
き
|
|
!
162 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 14:33:03
第三軍の司令部に師団長以下ついていけない
もうやけっぱちだったみたい。
でも軍隊組織じゃあ命令は絶対だからね。
みんな第三軍には配属されたくなかった。
>>162 日露戦後には、第三軍関係者のなんというか同窓会じゃないけど、
そういう集まりは、とても末永く行われて参加者も多かったとさ。
今は、なぜかこういうエピソードはすっかり覆い隠されていて、
162のようなネガティブな話ばかりが幅を利かせているが。
164 :
南山ひ山:2005/08/09(火) 15:01:05
>>152 >想像で言っているのだろうけど、ちなみに君は「両側をそれぞれ山の稜線で
>区切られ」 と言っているが、両側それぞれの山というのは、どの山とどの山だろ
>うと想像しているのですか?
右側の山が赤坂山(老虎溝山)であることは間違いない。
左側で障碍になる山は恐らく椅子山だろう。
水面はこの両側の山の稜線の中腹のどこかまでの間で見えているわけだ。
重要なのは「中腹」ということだ。山の山頂に達してまで水面が見えるわけが
ない。ということはこれらの山でかくされる領域が必ずあるということだ。
>それと南山坡山から見えなかったということを示す客観的な証拠は
>あるのか、またそれは提示できるのか。
見えないというのは誇張で、「港内の一部が見え、大部分が見えない」のだ。
客観的というなら地図の上で、南山坡山の東端部から赤坂山の中腹と椅子山の
中腹をそれぞれ通る線を引っ張って見ればよい。「中腹」をどのように選んでも
港内の「大部分」にはならない。
それが見える範囲であり、それ以外が死角であり、その中間にいくらかの
「マストが見える領域」があるということだ。
>君が参加したツアー一行は南山坡山をなんと呼び合っていたのか?
私のハンドルネームと同じだ。もう答えたぞ。
君はイラストとは関係のない問題にまだ答えていないね。繰り返せば、
その報告書に「南山坡山観測所から港内の大部分が見える」
「港内の残存艦艇はマストなどを隠せない」とかいう文句があるのかないのか?
イエスかノーで答えられるだろう。
165 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:44:06
白兵戦は見た目は派手だが、結局、不期遭遇戦だから最低の最低。お互い、偵察不十分ということ。
でも、ありうることだから、パニックにならないように最低限の準備は必要。
日本軍は、散兵戦の小銃狙撃で敵を圧倒する戦法。ロシアは横隊密集突撃で、敵をパニックに陥れる戦法。どちらも、白兵戦になる前に、敵を追っ払うことに変わりはない。
小銃の性能向上と機関銃の出現で日本軍の戦術が勝ることが実証されたが、旅順は不期遭遇戦の連続だったから、両方とも参ったろう。やりたくもない白兵戦に巻き込まれるのだから。
日本兵が白兵戦で逃げ惑ったって全然不思議じゃないし。状況が変われば、ロシア兵も逃げ惑ったろう。
「我々の白兵突撃の前に平然としていられる敵はいない。」これは、どの国も言うらしいが、実際、白兵突撃をかけられて平然としていられる国は無いらしい。
たいがいは、逃げるというより、もっと重大な任務を思い出して、まともには、かかわらないとのことだ。
166 :
ナマコ山:2005/08/09(火) 21:00:17
>>164 >右側の山が赤坂山(老虎溝山)であることは間違いない。
>左側で障碍になる山は恐らく椅子山だろう。
いいえ、違います。
しょせん、現物を見なければどうにも分からないことというのは、あるのです。
頼むから、現物を確認してから来てくれませんか。
>見えないというのは誇張で、「港内の一部が見え、大部分が見えない」のだ。
意見が変わってきましたね。
ますます、あなたは付図のイラストを見るべきです。
見たあとは、おそらく「大部分が見え、一部が見えない」と変わるでしょう。
>その報告書に「南山坡山観測所から港内の大部分が見える」
>「港内の残存艦艇はマストなどを隠せない」とかいう文句があるのかないのか?
ありません。
付図のイラストを見れば、私が表現したそのとおりの見え方というのは分かると
思います。
現物見ろ、と何回も言ったでしょう。
現物を見てから意見をどうぞ。
以前、見えるか見えないかは幾何学の問題に過ぎない、と言っていたね。
君が164で言っている例えの通り、地図上の吟味で事足りるわけだ。
しかし考えてみると、それで事足りる問題であれば、当初君が言っていた
「実際に行って自分の目で見た」ということを「港内は見えない」という
主張の根拠にしていた妥当性が薄れてくると思うが、どうか。
>この部分的な視角から、イラストに見えている部分がどのようにして
>「港内の大部分」だとわかったのか、それを聞きたいのだ。
これへの答えがまだだったね。南山坡山観測所に関する図は、数種類ある。
まず、港内全体を上から見た図がある。
そして、南山坡山観測所から見える範囲を、その図に書き込んだ図もある。
そして、実際の見え方をそのままに書いたようなイラストもある。
これらから、南山坡山観測所から見えている範囲を「港内の大部分」とした。
その後の爾霊山観測所から見た敵艦潜伏図を見ると、南山坡山観測所からの
観測を避けて、実に狭い場所に大艦数隻が密集していたことが分かる。
碁盤の目をひいて行った撒布射撃ではあったろうが、ただでさえ狭い範囲に
いわば標的が密集している状況なのだから、南山坡山に観測所を得たことは
実に大きな成果だったことが分かると思う。
蛇足だが、これにはちょっと頭にきたね。
> 見えないというのは誇張で
君は
>>109で
>君は文献批判ということを知らないようだ。記録にあるが本当だろうかと、
>現地に行って自分の目で確かめるのが普通の歴史研究者だと思うがね。
と実にご立派なことを言っていたが、君自身は、他人が確認できない事柄を
「誇張」して主張していたというのかね。
あきれたよ。
170 :
白玉山:2005/08/09(火) 21:42:53
だっ!誰か明日 なまこ山行って来て!
公刊日露戦史高いからな〜。
松樹山(しょうじゅざん)を「まつきやま」と思い込んでいた昔の俺。
明治の頃の本って、けっこうルビをしつこいほどに打ったのが多いので、
いつだったか間違いに気づくことができたが、この間違えたまんま旅順
に行くことになっていたら恥ずかしい目にあっただろうな。
偶然、ツアー客全員旅行ガイドも間違えていたなんて、一生分のラッキー
使い果たしたんじゃないのこの人。
173 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:38:16
南山坡山(ナンシャンヒ-シャン)…中国語読み
うっそで〜〜〜す!
ナマコ山=嶽原
>>168 お前のウソはどうでもいいからさ、
旅順港内艦船の位置 という資料を見る限り、南山からの観測で十分でことはない。
大部分が観測ってことはないな。
南山からの観測での 不明界は1/3以上ある。
はっきり言って、見えない狭い場所と言っても修正ができないんだったら意味がない。
つか、砲撃の何たるかを知ってたら、こんなこと述べないだろ。
176 :
務本:2005/08/09(火) 23:05:47
ところで、白兵戦の件はどうなった。
なんざんひざん=なんざんはざん
爾霊山 と書いて、ジレイサンと呼ばないのと一緒。
ニともジとも呼べるがね。
皮という字はヒとも呼べる。
まぁ皮相な知識で物事を判断する人は貶すばかりだけどな。
178 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:21:18
やべっ!
またナンカ凄いの登場!
助けて下さい師団長!
>>169 ナマコ山は
>君自身は、他人が確認できない事柄を「誇張」して主張していたというのかね。
誇張して主張していたというのが自分って事が判明したわけだ。
大体、この位UPする事くらい簡単だろうに。
こういう人物がここにいるんだよな。
180 :
南山ひ山:2005/08/09(火) 23:54:58
>>175 資料ありがとう。
>ナマコ山君
資料1がいわゆる南山坡山から見たイラストかな。とすれば、これは肉眼で見たもの
ではなく全くの概念図だな。
なぜなら南山坡山のはるか後方(東北)にあるはずの松樹山や二竜山が見えているから。
他の図も南山坡山からの観察をもとに作成したものではなく、密偵や捕虜の供述をもとに
して作成した艦艇位置推定図だと言うことが、よく見るとわかる。
すると逆に、「不明界」というのも市内の密偵の位置から見えなかった領域かもしれない。
181 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:05:15
もう、いいよ
次いってくれよ。たのむよ。
182 :
尚敏:2005/08/10(水) 00:05:50
白兵戦は?
183 :
ナマコ山:2005/08/10(水) 00:35:17
>>180 >資料1がいわゆる南山坡山から見たイラストかな。とすれば、
こちらはそのダウンロードが出来ないのでなんとも言えないが、おそらく君の
言う資料1というのは、「南山坡山から見たイラスト」ではない。
「南山坡山から見たイラスト」には、松樹山や二龍山などという名称は書いて
いないので。
それにしても疑問なのだが、
>他の図も南山坡山からの観察をもとに作成したものではなく、密偵や捕虜の
>供述をもとにして作成した艦艇位置推定図だと言うことが、よく見るとわかる。
これは、いったい何を根拠に言っているのか?
もちろん、それらの中の一つに「参謀の観察及び俘虜の口述による図」と明記
しているものはある。
しかし明記がないものは、「観測所からの報告」にすぎないだろう。
「南山坡山海軍観測所の報告」とあるものは、「南山坡山からの観察をもとに
作成したもの」としか判断できないのだが。
君が >よく見るとわかる と判断した根拠は何か。
>皮という字はヒとも呼べる。
そうだな。
ところで、坡という字はヒとは呼べるのか?
「坡」音読:ハ 訓読:つつみ
しかし南山ひ山さん並びにツアーご一行、コンダクターさえも「ひ」と間違え
たという。
ありえないでしょ。
>皮という字はヒとも呼べる。
だからナンナンダとしか。「坡」はヒとは呼べない。
186 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:21:54
もう、さんざん笑ったから「なんざんひざん」の件は忘れましょうよ。
>>186 「南山ひ山」さんが出てくるたびに思い出してしまって忘れられない。
どうしたらいい?
177の乗った船は泥船だった・・・
>187
まあね・・・
俺は馬鹿だから人の失敗は責められんからのう・・・
でもみんなここの人頭良さそうだからな・・・
190 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:38:23
観測地をゲットするだけの作戦にこれだけ死人が出たらなら失敗だろう
事前に艦隊は壊滅している情報があるにも
>>189 人の失敗は責められないが、しかしありえんことを言い訳にしてはいかん。
>>190 御前会議を頂点とする圧力ゆえですな。軍司令部といえども組織の一部。
192 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:59:28
それは理解している、だかこの作戦に意味があるのどうか現場レベルで検討したかどかだな
結局上の顔お立たただけで・・・・指令官は心に大きな傷を残した
あの時自分が強く進言していればこの作戦は回避できた・・・・・。とね
スターリングラードの撤退とかね、戦いを考える人間は過去の歴史に精通しておかなければ
何度も失敗は繰り返される
193 :
下駄さん:2005/08/10(水) 03:38:46
そうだよ。
歴史に何を学ぶかだな。
しょうがない とか しょうがなかった では
児玉や山本権兵衛は存在しないのよね。
194 :
南山ひ山:2005/08/10(水) 05:26:36
>>183 「其の一」は8月に気球から見たもの、と書いてあった。
するとそれ以外にイラストがあるわけだ。
方向から言って「東港」が見えた可能性は否定しない。
私は西港もあわせたものを「港内」と考えているので。
しかしこれほど艦艇が東港に集中していたとは思っていなかった。
その意味では私も考えを改めた。
>「其の一」は8月に気球から見たもの、と書いてあった。
>するとそれ以外にイラストがあるわけだ。
こちらが言っているイラストとは、「南山坡山海軍観測所の報告」
という題名になっている。「其の五」に相当する。
そちらが見たアップロード画面には乗っていなかったのだろうか。
> 西港もあわせたものを「港内」と考えている
たしかに西港の水域は広いが、これらの大部分は喫水の深い大型艦は
入ることができなかったらしい。
例えば、西港のかなり奥地に魚雷営、また劉家溝という地名があるが、
その辺りの西港水域が見えた見えないというのは全く無意味であると
思う。
あくまで「砲撃の目標である大型艦が行動できる範囲の水域」について
話をしていると思っているが、どうだろうか。
196 :
師団長:2005/08/10(水) 10:20:05
>>178 無視せよ。記名者同士のやりとりの中では名無しのなんと儚げなことよ。
197 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 11:09:49
やっぱり有坂銃の威力も凄かったんでしょうねぇ。
198 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/10(水) 11:13:55
乃木将軍はなぜ要塞のほうに固執してあげく
最後は結局203高地を強引に攻めたのでしょうか・・?
有能な将軍だったとは思えません。
>なぜ要塞の方に固執してあげく
そりゃ「要塞を陥落させよ」と命令されたら、当然です。
逆に聞くが、こう命令されて、他にどうしろっていうの?
>最後は結局203高地を強引に攻めた
海軍の都合を強制されたから。というか、内地に残っていた大本営がだらしない。
まあ、真の大本営ともいえる面々はそっくりそのまま満軍総司令部になって
いたからね。仕方ないのかな。
こんなドタバタの中で、要塞戦を統率し最後には陥落させたのだから、
有能な将軍ですよ。乃木でなければ落とせなかったというのも頷ける。
>196
(おいおい!いたよ!)
やぱりいたのですね師団長!
>198
おまいがほんとに16歳なら
大人になれば わ・か・る・よ
大人はいろいろとつらいんだ。
中華人民共口国の旅頁という軍港には、南山皮山ってのがあった気がする。
たぶん、南山ひ山さんはそこに行っt
映画とか、古写真に写ってる「金属製の盾」
あれ全員もてば、突撃しても機関銃の餌食にならなかったんだよ。
204 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:08:01
>>193 下駄さん。その件熱く語っていただけませんか
205 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 02:35:04
>>176182 白兵戦は、勝負付けになるので軽視出来ず、その後の戦闘にも影響する。
日清、北清(義和団事件)、日露に参戦した曽祖父の話を祖父から
聞いた話では、白兵戦においてロシア人等白人より、やはり清国等
東洋人の方が、まだ強かったそうじゃ。
日本軍の中でも実戦慣れしておらん部隊は、ロシア軍の白兵戦に及び腰に
なることもあったろうが。
>海軍の都合を強制されたから
え?乃木は強制されたら意思を変えるんだ。
へたれだな。
>そりゃ「要塞を陥落させよ」と命令されたら、当然です。
>こう命令されて、他にどうしろっていうの?
要塞の状況を把握して、当時のセオリー通り包囲をし、
そこから弱点を強襲する。
旅順要塞での弱点は203高地であった。
208 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 08:04:34
>>206 軍司令官が最頂点だとでも思ってるのかな。
組織には上司ってのがあってだね。 まあ大人になればわかること。
>>207 203高地は旅順要塞の弱点ではない。
これは満州軍総司令部の総司令官並びに参謀総長の意見でも一致していた事。
子供っぽい意見がでるたびに修正してあげるのが大人の役目とはいえ疲れる。
旅順要塞の弱点はどこかと言うなら、東北面の主防御線の屈折点。
乃木第三軍も、そこを中心に攻めている。
旅順要塞を陥落させるには、主防御線を突破しなければならなかった。
現に、防御線より外側にある二○三高地を落としても要塞は陥落しなかった。
要塞司令官が降伏を決意したのは、松樹山・二龍山・東鶏巻山などが落ち、
望台が攻略される事態に及んでのこと。
第三軍の攻撃方針は正しかった。
210 :
下駄さん:2005/08/11(木) 13:36:49
熱く語れとのことで熱くかたります。まず直近の↑208も大人の方に
軍司令部の上には満州軍総司令部や大本営があり、その上に天皇がいらしゃる。
大山・児玉が現地に赴かなければ、こんな混乱もなかったのだけれど
南山の戦いで現場状況が把握できなかったことから、こりゃ此度の戦は
ただ事じゃあないぞと児玉が決意したわけですから御英断です。
乃木三軍は大本営と総司令部の間で独立性をおびたやした。
統帥権の問題ですからね。天皇は本国にあって
実質的な運営責任者が国外に出先機関の位置付けです。
山県は山県で夢を再びと実権を握ろうとするし、
鴨緑軍設立なんかもこの辺りが絡んでします。
203高地は弱点かどうか、弱点でしょう。
少なくとも第三軍の攻撃目標東北部に比べたら、海軍は旅順そのものを
陥落してくれとは御願いしてないんだから
第三軍が舞い上がって三日で旅順陥落をスローガンに掲げたことが
すべての始まりで、べつに総司令部が強要したわけでもないし、
最初にしっかり203高地を攻略していれば最弱点でしたよ。
とりそこなったから弱点ではなくなっただけです。
戦争ですから敵も必死ですからね。
さて、大人の人、煮るなり、焼くなり、役目を行使してくれ
大人だったら疲れるとか能書きをたれるなよ。
211 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:41:48
最初から203高地を狙っていれば取れた
212 :
下駄さん:2005/08/11(木) 13:51:55
そりゃあどうか分からんねぇ。
なんたっ要塞造り世界一のロシアだし、名将コンドラチェンコが存命中。
一番いいのは203高地攻略、残存太平洋艦隊殲滅、第一任務完了、
第三軍南山金州城撤退!南山防衛軍設立(1〜2個師団後備でいいよ)
竹矢来設置、それ以外の第三軍は南満州の本隊と合流
でよかったんじゃないの
大迫第七師団もすみやかに本隊に合流、後々の戦いも楽だったと
思うよ。
さあ、煮るなり、焼くなり、好きにしてくれ!
213 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:59:45
見物人、あんまり詳しくないけど飛び入り参加
なんか議論がすれ違い気味だね。旅順要塞の話をするなら、まず「坂の上の雲」
の呪縛を断ち切らなきゃならない。この小説では、功績を児玉に、失敗を乃木
と伊地知に押し付けて、ヒーローと愚者との対比を際立たせてる。だから、史
実とは異なる虚構の部分が多い。さらに「元グリーンベレー」氏なんかが、そ
の俗説を元に、日露戦争本を書いたりするもんだから、虚構を史実と思い込ん
でしまう人があとを断たない。
代表的な思い違いを挙げると
・乃木は旅順要塞攻略に固執していた→史実は、軍中央の命令
・乃木は歩兵突撃を繰り返し、被害を増大させた→史実は、砲兵、工兵、歩兵の
連携による正攻法。塹壕を掘りつつ進み、突撃前には、準備砲撃が行われてい
る。
・乃木は無謀だった→史実は、攻撃を督促する中央に対し、大砲の弾がないから
と攻撃を中止した。無謀だったのは軍中央で、むしろ乃木は慎重派。
・伊地知は、日本から大砲を送るという申し出を拒否した→史実では「間に合わ
ないかも」とは言ってるが、「要らない」とは言ってない。
・乃木は203高地という弱点を見落としていた。→203高地攻略は、旅順要塞攻略
という作戦目標からは外れていた。見落としていたというなら、みんなそう。
・203高地へと攻撃目標を転換したのは児玉→史実では、乃木自身。
・乃木の無能によって、旅順攻略に不必要な犠牲を強いられた→第一次大戦次の
要塞攻略戦の犠牲者は、旅順どころではない。むしろ乃木は少ない兵力・火力
で、よくがんばった。
などなど(不足なら足していってね)
思い違いを基に議論をするから、史実を基に議論している人と話がすれ違って
しまう。
たとえば、ここでの乃木批判の多くに対しても、「命令されてんだから、乃木
は軍人として従うしかないでしょ」というしかないような気がする。
214 :
下駄さん:2005/08/11(木) 17:53:53
「坂の上」は置いといて、児島さんの「日露戦争」とか読むといいのかな
●乃木は旅順要塞攻略に固執していた→史実は、軍中央の命令)
旅順攻略は第三軍主体で進められたから軍中央の命令とか強要はないよ。
●乃木は歩兵突撃を繰り返し、被害を増大させた→史実は、砲兵、工兵、歩兵の
連携による正攻法。塹壕を掘りつつ進み、突撃前には、準備砲撃が行われてい
る。)正攻法
これは第一回総攻撃と第二回総攻撃の間の前進堡塁攻撃のときにやった。
あくまでも中央突破が第三軍参謀部の基本姿勢だったから徹底性を欠いていた。
日本の工兵技術は遅れていた。その点は上原も痛感していた。
弾薬が足りないのは日本陸軍全軍の問題。見積もりを誤った。(by陸軍省)
一日60発でこと足りると、それで三日で旅順は堕ちると考えた。
突然砲弾が消えたのではない。
次の弾が届くと正攻法は取り止めて、突撃ー!一戸も怒った。
本文が長すぎるとのことなのでここで一回切るね。
215 :
下駄さん:2005/08/11(木) 17:55:18
●乃木は無謀だった
乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。
軍中央(総司令部も大本営も遠慮していた)
総司令部に旅順報告を楽観的に報告していた第三軍軍司令部(参謀部)
それを総司令部が鵜呑みにしてしまった。
慎重派が参謀部の反対を押し切って白襷隊を許可するだろうか。
●伊地知は、日本から大砲を送るという申し出を拒否した→史実では「間に合わ
ないかも」とは言ってるが、「要らない」とは言ってない。
なぜ、間に合はないと思ったかというと、第二回総攻撃まで(弾がたまるまで)
に間に合わないと考えた。まだ楽観視していて、第二回総攻撃で陥落できると考えた。
思考が直線的で二重三重の戦略戦術に乏しい所以。
216 :
スリッパさん:2005/08/11(木) 17:57:01
●乃木は203高地という弱点を見落としていた。
見落としたんじゃない。拒絶した。
海軍の秋山真之、総司令部井口などのや大本営から203高地および西方方面から
を提案されたが、伊地知第三軍参謀部が最後まで拒絶した。
同じ第三軍第一師団参謀長からも提案があったが却下もしくは余力があれば
と後に消極的に行われた。
・203高地へと攻撃目標を転換したのは児玉→史実では、乃木自身。
違う、第三軍の参謀部のなかでその作戦変更の気持ちは前々からあった。
第二回総攻撃も失敗して、白襷隊もダメ、こりゃこの第三回攻撃もダメかな
というときに白井参謀から総司令部から派遣された軍目付福島副参謀長に
作戦変更の懇願がなされ、処罰覚悟で福島が同意、参謀たちと乃木を説得。
児玉が到着する以前の話だが、それでも203高地は容易に堕ちる代物ではなくなって
いた。乃木が考えでしたのではない。乃木は作戦を考える教育は受けていない。
それ以前に東北部か203高地かの歴然として燻っていた方法論、
ここでの乃木の英断は福島の説得を受け入れたこと。
217 :
再度下駄さん:2005/08/11(木) 17:58:03
●乃木の無能によって、旅順攻略に不必要な犠牲を強いられた→第一次大戦次の
要塞攻略戦の犠牲者は、旅順どころではない。むしろ乃木は少ない兵力・火力
で、よくがんばった。)
そりゃあ乃木はよく頑張りました。ただ、第一次大戦と比べてどうする。
第二次戦争とも比べるのか。陸軍の戦略に旅順は最初から入っていなかった。
そのために南山を攻略して、南満州の戦いに邪魔されないようにした。
旅順は立ち枯れににするつもりだった。
海軍の要望で旅順攻めが開始したが、なにも海軍は旅順そのもを攻めてくれとは
いっていない。兵力不足に悩む日本軍本隊としては早く加勢にきてくれよ。
が本音だった。はあー疲れた。
兵力火力が少ないのは乃木第三軍だけじゃあないよ。
その史実とやらはどこの史実なの?
さあ、煮てくれ。
218 :
ポン:2005/08/11(木) 20:21:28
あれじゃねーの。
何が最大の目的なのか。その目標が上から下まで、共通認識を
持っていたか。そこの所じゃないの。203耕地を落とせば
めでたしめでたしは後年の作文じゃなかったか。
219 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 21:28:26
いちばん重要な命令の話に焦点を絞るよ。
陸軍が、旅順要塞攻略が決定したのが、1904.3。
>「陸上より旅順要塞を攻略して敵艦隊の根拠を奪」い「大連港を我が手中に
>掌握する」ため「三月十四日、一攻城軍を以て旅順の攻圍に任するに決しそ
>の準備に着手せり。」
で、5月に旅順要塞攻略のために第三軍を編成。6月、満州軍総司令部が設置。
同6月、第三軍に旅順要塞攻略の訓令。7月、陸海軍高級幕僚会議で旅順要塞の
早期攻略決定、「旅順艦隊の撃滅」が主目的に。
(元ネタ)
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/ryojyun-2.htm ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/ryojyun-3.htm つまり、旅順要塞攻略は最初から設定されていた目標。そのためにこそ第三軍
が編成されていた。「旅順艦隊の撃滅」という目的も、艦隊撃滅のために要塞
を攻略せよ、と命令されていたのであって、旅順攻略と艦隊撃滅が対等な目的
として並んでいたのではない。だから、乃木が独断で要塞封鎖でよし、とする
わけにはいかないし、艦隊撃滅を優先させ、旅順要塞攻略とは直接関係のない
203高地で兵力を損耗させるわけにはいかなかった。それらをミスと呼ぶなら、
乃木だけではなく、要塞攻略を命じた大本営や、正面攻撃を支持した満州軍の
責任でもある。
まあ結局、大本営も満州軍も第三軍も、みんな旅順要塞を鎧袖一触で落とせる、
とナメてかかってた。日露戦争や第一次大戦の戦史から、"近代要塞を攻略す
るのに、いかに大きな犠牲を強いられるか"、を知っている私たちから見れば、
あくまで要塞攻略にこだわってた当時の陸軍は、愚かとしか言いようが無いが、
それは現代の私たちからの視点。
後の問題については、正直、議論するだけの十分な知識が無いから、元ネタを
そのまま晒すよ。
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/nogi.htm
220 :
下駄さん:2005/08/11(木) 22:22:07
いや、確かにおっしゃるとおりだ。
すべての日本軍、海軍も陸軍も含めて、まさかこんなはずじゃあ
だったんだろう。 203高地云々も後から秋山真之がはじき出したもので
すでに戦いは始まっていた。その秋山からして何万人死んでも
この戦争の勝敗の行方と日本の行く末を考えれば なんて だったりする。
日清戦争で旅順は一日で陥落してるかならね。その時は最弱点といわれた
案山子山だったっけちょっとうる憶えだけど、まあ一番弱いところから
攻略して成功している。それをあなた一番最短距離じゃからちゅうて
二龍山とか東鶏冠山とかモノ凄い所からいくわけでしょう。
まあ、それはいいやあ、児玉、山本の話からだったけど。要は
最初に方向方法論が決まったとしても途中で軌道修正はできないのか
創意工夫はないのかを言いたいのよね。後知恵云々ではなく。
大本営も海軍も頼んでいるんだし、被害も大きかったのだから
第一回総攻撃の失敗後の第三軍会議でそれが出来た可能性は高かった思うよ。
歴史のイフとかじゃあなくてよ。
*「坂の上の雲」ではわからない 旅順攻防戦
著 別宮暖朗
↑
誰かこれの感想文誰書いて!!
>>208 上司から、第3回総攻撃は二百三高地攻撃も含めろと述べたが、
拒否してますが?結局東北正面は白襷隊ですら進展しなかったので、
二百三高地に切り替えました。
さらに、203高地がもっともロシア側に消耗を仕掛けられる場所=弱点
という説は名将乃木希典からのネタなのですが?
二百三高地を攻めるのも、望台を攻めるのも同じと考えたら、そりゃ望台を責めますわ。
そもそも、現地での情報不足(偵察不行き届き)の指摘がある以上、弱点を探すことも
なかったのでしょ。
情報不足の報告を上層部に上申したらそれは間違った意見になるのは当然。
223 :
ナマコ山:2005/08/11(木) 22:37:11
> それをあなた一番最短距離じゃからちゅうて
理由は「一番短距離だから」なんですか?違うでしょ。
要塞攻撃には攻城砲の展開が必須。それには広い地域や道路・線路が必要。
それら攻城砲展開に適しているのが東北面の正面。
よって二龍山や東鶏巻山が攻撃対象となった。
ここは一番短距離だった。
結果としてのことでしょう。
>>223 攻城に際して、敵の一番防御力の高い所を攻めるのは下作となっています。
基本的に包囲して弱点を突き、其の後、強襲、正攻、奇襲、砲撃その他というのが
当時のセオリーなのです。
急いでるからといって、思い込みで仕事をしてはいけません。
>第三軍が舞い上がって三日で旅順陥落をスローガンに掲げたことが
>すべての始まりで、べつに総司令部が強要したわけでもないし、
>最初にしっかり203高地を攻略していれば最弱点でしたよ。
総司令部が早期陥落を強要したのだが。
「第三軍は、既に歩兵三十六大隊火砲二百七十四門を有するをもって〜略
刻下の情況、第三軍に少なしく無理押しを望むは実に止むを得ざるべし」
下駄さんのいう「三日陥落スローガン」って、なんですか?
226 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 22:46:41
以前、NHKの「その時歴史が・・」で日露戦争のことやってたよ。
それみたら分かりやすかったけどなー
見た方います? あれは面白かったと思うんだけど。あれについてはどうですかー?
>三日陥落スローガン
第1回総攻撃前の第3軍が立てた計画でしょ。
確かに三日で開城だもんな。
>>220下駄さん
>最初に方向方法論が決まったとしても途中で軌道修正はできないのか
>創意工夫はないのかを言いたいのよね。
旅順要塞って、結局は、最初に決まっていた方向方法論によってではなく、
途中で軌道修正した「正攻法」によって陥落したんですが。
そして「正攻法」を選択したのは、第三軍司令部なんですが、どうですか。
>>228 俺、記名している下駄さんに聞いてんだけど? 君、下駄さん?
> 基本的に包囲して弱点を突き、其の後、強襲、正攻、奇襲、砲撃その他というのが当時のセオリーなのです。
じゃあ第三軍のやり方でなんの問題もないじゃん。
包囲した。目的に合致した方向で弱点を突いた。
攻撃方法は目的を考慮して強襲法。その後、正攻並びに奇襲も採用。
砲撃に及んでは当時空前の規模を実施。
なにか問題でも?
師〜団〜長殿〜〜〜!!!
助けてくださ〜〜い!!
233 :
下駄さん:2005/08/11(木) 22:59:56
いやいや、最短距離っていったのは言葉のあやだよ
気に障ったら許してちょんまげ!とにかく第三軍は正攻法(これもバーボン法とかの要塞攻略法じゃないよ)
に正面から華々しく戦果を挙げたかったじゃろう。三日で入城計画で。
まあ、それはいい。しかし、第一回総攻撃の失敗で「ありゃ?相手が悪いかな」
と思うわけだ普通。だから第三軍の各師団の参謀たちも動揺を隠せない。
まあ、それはいい。で、一戸旅団があれは第一回だったかな、あと一歩で
ごめんどこの堡塁だったか今打ち込めないのだけど、攻め落とせる場面があったよ。
第一回総攻撃中止の場面で、一戸はあと二個連隊の援軍があれば
旅順はあのとき陥落できていたと、戦後よくこぼしたと伝えている。
死んだ子の歳を数えてもしかたはないが、攻撃の集中性を欠き、
だだっ広い旅順を攻囲してりゃあいくら兵隊がいても足りんがな
児玉はそれを「やめろ」「攻撃目標に火力を集中しろ」と命令した。
城攻めは三倍の兵力を必要とするが、弾薬不足を歩兵の突撃で補おうなんて
とんでもない話だと思うよ。それでなくてもロシア軍の方が兵力優っているんだから
第1回総攻撃 東北正面 強襲→損害大 目的達成せず。
第2回総攻撃前半 西北正面 正攻(強襲)→損害少 目的一部達成。
第2回総攻撃後半 東北正面 正攻(強襲)→損害少 目的達成せず。
第3回総攻撃前半 東北正面 正攻(強襲、奇襲)→損害大 目的達成せず。
第3回総攻撃後半 西北正面 正攻(強襲)→損害大 目的達成。
12月攻撃 東北正面 正攻→損害少 目的達成。
第3回総攻撃まで東北正面に固執して軌道修正ができてません。
>包囲した。
第1回総攻撃時の日本軍の状況では包囲していません。
包囲が完了するのは二百三高地が落ちて以降の12月中旬頃からです。
>>233 >弾薬不足を歩兵の突撃で補おうなんて
第1回総攻撃時、準備砲撃に弾薬を使いすぎて、強襲突撃時に支援砲撃する予定が、
2日目には底をついた。
計画では3日かかると予想してたのに無計画にも程がある。
>>231 >目的に合致した方向で弱点を突いた。
弱点と思ってたのが一番強固な点だったんだわ。
思い込みって怖いね。
>>233 >最短距離っていったのは言葉のあやだよ
>気に障ったら許してちょんまげ!
いやいや、こっちが指摘したのは、その言葉のあやとかそういう話じゃない
んだ。
「最短距離だから選んだ」というように、それが理由であるかのように考え
ているとしたら、それは間違っているのではないか、という事だよ。
「最短距離の攻撃路」となったのは、それは攻城砲展開という必要な作業を
行わざるを得なかったことによる結果であろう、と。
その点は了解してくれたかな。
>>235 攻囲網完成は七月の下旬から八月の上旬の頃。公刊日露戦史とか、多くの本
でそう書いてある。
>包囲が完了するのは二百三高地が落ちて以降の12月中旬頃からです。
これは誰の説だ?
見直したぞ ナマコ山!!
>>239 攻囲と包囲は違います。
遼東半島の端からちょぼちょぼと補給線が繋がってる状態です。
当時の日本軍は攻囲が完了したと思ってたようですが。
大体、遼東半島の大連以西は要塞地帯なのだから、陣地の強度の差はあれど、
本防御線がどれかなんて、判断するのは大変であろうと感じている。
西北部までの距離がある以上、短期間という制限では第一師団方面の攻囲が
完了せずとも、強襲するのは致し方あるまい。
>>233 >第一回総攻撃中止の場面で、一戸はあと二個連隊の援軍があれば
>旅順はあのとき陥落できていたと、戦後よくこぼしたと伝えている。
これが意味するものは要するに、あのとき旅順を陥落させることは誰にも
出来なかったということに他ならない。
その時二個連隊の援軍なんて、居なかったんだから。
でも旅団長の立場ではそんなことは分からないので、愚痴をこぼしたのだ。
後に第三軍参謀長という立場になった時に初めて、その時の中止命令を納得
したのではなかったっけ。
>弾薬不足を歩兵の突撃で補おうなんてとんでもない話だと思うよ。
それはそうだが、それは第三軍の責ではないと思うが。
戦後の座談会で、こんな話が出たそうだ。
「(砲弾が少ないので)旅順の方はどうか肉弾でやってくれと、そういう訳です」
誰が言ったか忘れたが、当時の満軍総司令部か大本営の誰かだったかと思う。
弾薬不足を将兵の命で補う? あたりまえのことじゃん。
「弾薬量」も「将兵の数」も、同じ「戦力を計る単位」にすぎん。
平時の感覚持ち込むなよ?
>>241 旅順要塞本体を囲み、陸路は完全封鎖している。
海路はまだ開いているが、こっちの封鎖は連合艦隊の持ち場だろう?
それともなにか、海路の封鎖まで陸軍が担当しなきゃならんのか?
245 :
下駄さん:2005/08/11(木) 23:24:39
飯食ったり風呂入ったりして途中をすっ飛ばししまったかも
229さんすまんね。224さんは俺じゃなよ。下駄かスリッパで記名しとる。
さて、「三日陥落スローガン」って、なんですか? でいいのかな
旅順第一回総攻撃の朝に第三軍の国内外の記者団に旅順攻略スケジュールを
発表している。これじゃあダメなのか?
それと旅順は正攻法で堕ちたというけれど、203高地陥落後の話でしょう。
そりゃああんたステッセルとかフォークとかの盆暗司令官じゃもん
名将コンドラチェンコが戦死してしまえばベトンの厚さ俺の給料袋と同じだ。
それに、陥落できないから困っていたんだろう。
そこに児玉きて集中的にやれ!一度とったものは二度と手放すなって
指導してようやく203高地取ったんじゃないか。それをあんた
旅順は正攻法で取ったんですよって言われても確かにそうですよ。
でも論点がおかしいんじゃないか。おれはただ第三軍はまずい攻め方をした
と言っているだけだよ。さあ焼け、煮ろ、でも今日は俺はもう寝る〜ん。
「下駄さん」。__ふっ・ふっ・ふっ!!!
さすが俺が目をつけた男じゃ。
なかなかやってくれるわい。
>>245 >さて、「三日陥落スローガン」って、なんですか? でいいのかな
>旅順第一回総攻撃の朝に第三軍の国内外の記者団に旅順攻略スケジュールを
>発表している。これじゃあダメなのか?
始まりと結果が、いつの間にか逆になってますが。
>第三軍が舞い上がって三日で旅順陥落をスローガンに掲げたことが
>すべての始まりで、べつに総司令部が強要したわけでもないし、
>最初にしっかり203高地を攻略していれば最弱点でしたよ。
第三軍がスローガンを掲げたことがすべての始まり、ではないという事だね。
大本営が「第三軍に無理押しを望んだ」のがすべての始まりで、その要求に応
えるべく第三軍が三日陥落スケジュールを練り上げた、というべきなのです。
ここから考えを修正して下さい。
そうすれば、その後に続く意見もきっと変わると思いますよ。
>>226 NHK見ましたよ。
俺には小説とかじゃあイマイチ理解できなかった要塞とか
すごく分かりやすかった(ここの頭いいひとには笑われるけど・・・)
ちゃっかり映画利用してましたね。
でも日露戦争の本当のことはやはりいまだ馬鹿な俺には分からん。
>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
>それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。
乃木はいろいろと口出しをするので、若手参謀に「そういちいち言われると
業務に支障を来します」とか言われたそうだ。
これは、それを聞きとがめた参謀長にこってり絞られた若手参謀本人が書き
残しているので、まず間違いない。
また、「正攻法転換」は乃木軍司令官の鶴の一声によって決定されている。
>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
あんた、釣り師じゃなかろうな?
>一番いいのは203高地攻略、残存太平洋艦隊殲滅、第一任務完了、
>第三軍南山金州城撤退!南山防衛軍設立(1〜2個師団後備でいいよ)
>竹矢来設置、それ以外の第三軍は南満州の本隊と合流
>でよかったんじゃないの
ゲームの日露戦争でもやってろと。
今週の日露戦争物語
いしわらかんず(5歳)の時の逸話の件
師団長殿〜〜
稗飯を下さい おかわりを下さい もう一杯下さい
連隊長殿〜〜!!
にっ、二等兵どの、あっしはどうしたら!
>>255 馬鹿モン!きさまは馬のうんこ拾ったあと、飯あげにでもいっておれ!
そしてその名前でここの無記名者および頭のいい連中にオモロイつっこみをいれろ!
わしももう寝る!!
う、馬って、あっしはトロッコで達磨みたいな榴弾砲のオバケを運んでた
んですが、皆とはぐれてしまったんです。
ここは南山ひ山だぁナマコ山だぁ下駄サンだぁ、嶮しい山ばっかだもんで。
あっ、あっ、寝ねえでくだせえ、あっしはいったいどうしたら?
>>257 またキサマか!
マジでキサマのせいで寝るの寸止めじゃ!
さっき言った事を忠実にまもるのじゃ!
260 :
213:2005/08/12(金) 06:33:45
213と219は、私ね。本格的な論戦に参加するほど詳しくないから、コテには
しないけど。
203高地って基本的に旅順要塞攻略には、"直接"関係無いのよ。203高地奪取
の意義は、そこに観測点を作り、旅順港を砲撃することによって、敵艦隊を
撃滅できるかも、ってところにあった。ちょっと前の、旅順港が「見える/
見えない」の議論も、そこから来てるわけで。だから、第三軍に旅順攻略と
同等の目標として、「敵艦隊の撃滅」という命令が与えられていれば、犠牲
を払っても203高地を奪取して、砲撃を行うっていう発想もできたはず。
でも、命令はあくまで"旅順要塞攻略"だったから、それに関して言えば、203
高地奪取の意義は、あまりなかった。ひどい俗説だと、203高地の上に巨砲を
引き上げて、旅順要塞にドッカンドッカンと砲弾を打ち込んだ、なんて話も
あるけど、そんなことはない。
203高地を攻撃したことにより、そこを守ろうとしたロシア軍を消耗戦に引き
ずり込むことができ、ロシア軍に損耗を強いた。このことが"結果的に"、旅順
要塞陥落に大きな役割を果たした。
>>260 203高地というのはね、旅順要塞を俯瞰できる数少ない地点なのですよ。
それによって敵の対応が手にとるように分かる地点なの。
航空機云云がなかったから〜とか、言う奴に限って二百三高地という高地から
敵を俯瞰するという視点が欠落している。
262 :
下駄さん:2005/08/12(金) 09:10:39
盆休みですっかり寝坊してしまった。
274ナマコ)俺が頭が悪いのかさっぱりわからない。なんだ?っていうから
第一回攻撃前に発表した計画だよ。って書いたんだけど、なにが逆だった。
「大本営は無理押し」何時何分地球が何周したときにした。
早期に解決すべしという文言が命令書にはあったどろうが
そんなことは当たり前で、はなっから急がば回れなんて訓示しないよ。
みんな旅順の全貌と実力を把握してなかったのだから。で、どう修正するの。
そうするとどう意見が変わるのかこのお馬鹿さに教えてくれ。
263 :
下駄さん:2005/08/12(金) 09:24:46
243 )
弾薬不足を将兵の命で補う? あたりまえのことじゃん。
「弾薬量」も「将兵の数」も、同じ「戦力を計る単位」にすぎん。
なんで、当たり前なんだよ。戦力を計ってどうする。
そんなのは開戦前の話で、いまさら分析してどうする。
戦力差 は格段にあったのは分かっていたんだから、だから大切にしろと。
ロシア本隊との戦いが満州であるし、やっているのに
なんで、消耗戦に突入するのか。旅順の戦略的意義はなにか。
優先順位をつけて、考えてみよう。
249 )へーっ。乃木はそんなにお喋りだったの。
そこまで、口を出して参謀に相手にされない司令官ってなんだ。
組織にあってそのトップが組織の行動を決定できないことこそ問題だ。
俺が知ってるのは津野田と白井だったっけ論争になって、乃木が間に入った
とき、あんたが入ると話がややこしくなります。」と言って別室に追われたぐらいかなあ。
乃木の指導力を問題にしたのだが、口出しは結構したとこられちゃうと
こっちも困るねぇ。ちょっと論法が変じゃないか。
>263
旅順攻略の必要性がなぜあったのかを考えてくださいな。
陸軍の都合だけで言えば、攻勢作戦に出る戦力のない旅順の戦略的価値はほぼゼロ同然。
近くの拠点にそこそこの兵おいて警戒と防衛にあたらせれば済む場所です。
265 :
下駄さん:2005/08/12(金) 09:57:02
おう、だから俺もそう言っているじゃない。その通り!
170)ぐらいから読んでみてくれたまえ。
やっぱりね、軍隊だから戦争というのは絶好の業績アピールの場なんだろうね。
その意味でも海軍の意向云々よりも確固たる戦果を欲した。
ところがこれが大変なことになってしまって、引くに引けなくなってしまった。
で、それを言うと「ゲームの日露戦争でもやってろと。」と言う。
この「と。」ってなんだ。それからどうした250)番
こいつ植民地スレのチロリアンじゃないのか。
文章の雰囲気がそっくり。
267 :
下駄さん:2005/08/12(金) 11:08:20
「こいつ」って私のことかしらん。
「チロリアン」って知らないワよーん。レスとかに書き込むのも初めてに
ちかいかもん。だから「植民地レス」なんて、シ・ラ・ナ・イ・♪
こんな雰囲気ならいいのか。希望があれば出来る範囲で務めるぞ。
「子供っぽい意見を大人が修正」とあったのがカッチンときて
大人げなく参加してしまった。お馬鹿さんが俺だよ。
その前後に(別の人の発言)「坂の上の雲」の呪縛ってあったんだけど。
呪縛ってなんだ。少なくとも俺は面白く読んだし、感動もしたよ。
おかげで、その他の関連書籍を読む切っ掛けともなった。
別に呪縛なんてないんじゃない。昨今の乃木名将論復活路線は俺にとっては
いささか無理があるとは思っている次第で、これが呪縛か?
「坂の上の雲」は小説じゃないか。生出寿だって、豊田穣だって、あるじゃない。
気が向いたらなんでも読むよ。で、この間、乃木神社に参拝にいって買ってきました。
「名将乃木希典」。これ定価500円ぐらいだったかな、結構安くて吃驚したよ。
それでヘソで茶を湧かしわけだ。なんで、PHPあたりの「日露本」でこれを
取り上げて、注文はつけるにせよ、一応の評価をするんだろう。
まあ、いいや、俺は「下駄だ、チロリアンでもチロルチョコレートでもないよ」
268 :
下駄さん:2005/08/12(金) 14:03:39
さて、女房の実家にいって墓参りです。
頭のよい大人たちよ。
週末によく煮て焼いておいてねぇ〜。
それではまた来週。
203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
松樹山など東北面の主要塞を側背から砲撃できる地点であるというのが理由。
他にもあるが、精神的な話になるので省略。
で、近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ、と。
旅順を数年に渡って領有し要塞を築きつつあったロシア軍が、203高地の
重要性に気づかなかったわけがなく、相応の守備がなされていた。
獲れば多大の利点はあるが、多大の損害が必須。
早期の要塞攻略を命令されていれば、スルーは当然と思うが。
下駄さん大暴れ。駄々っ子のお守りは誰のお仕事?
271 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 14:16:47
> レスとかに書き込むのも初めてにちかいかもん
その今までの姿勢の方が正解だったんじゃない?もう半年くらいromってろ。
グダグダじゃんかあんたの書き込み。見難い、読みにくい、誤字脱字多すぎ。
推敲って言葉知ってるか?
>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
>それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。
これが否定されると
>へーっ。乃木はそんなにお喋りだったの。
>そこまで、口を出して参謀に相手にされない司令官ってなんだ。
意思表示を一切しなかった、という自らの口から出任せについては一切顧みず、
反駁の一例を示されれば今度はそんなにおしゃべりだったのか、と来る。
なんなんですかその両極端な思考回路。しかもどっちも悪印象というのが
面白い。どっちに転んでも乃木はダメという結論ありき。やれやれです。
津野田参謀の「斜陽と鉄血」から。
「(将軍は)多くは幕僚の所在特に情報の輻輳する我々の居室に臨まれ、
大机を前にして相対する白井少佐と余の一側に陣取り、なにくれとなく
指導せられた。
然るに命令、報告等の起草に従事する白井少佐と余とは何事にも議論を
闘わしたのであるが、時として将軍も論争の渦中に投じ、平等の立場に
於いて其の意見を吐露せられたこと少なくなかった。
然るに之がため時として却って事務の進捗に故障を感得したから、此の
日失礼にも率直に意見を述べ、爾後は細務に干与せられざらん事を懇願
したのである」
>乃木は司令官としての意思表示を一切しなかった。
>それが仁者として、軍最高指揮官の在り方とした。
これは全く否定される。
「一切しなかった」というネタを仕入れた元は何だ?変な小説でも読んだのか?
>へーっ。乃木はそんなにお喋りだったの。
>そこまで、口を出して参謀に相手にされない司令官ってなんだ。
上のように参謀の詰め所で議論をするのが「お喋り」ですか、はあそうですか。
「参謀に相手にされない」ってのもなんだかな。読めば分かるように、そう
いう時も「時として」あった、という程度の事をあげつらって何を言って
いるのやら。
あんた釣り師だろやっぱり。
>>268 下駄さんは初めてにしてはよく頑張ったと思う。
熱いものを感じます。
なかなかいいキャラだし。
しかし、読みにくい。
その情熱とキャラはそのままに 読みやすくしてほしいな・・・。来週お待ちしてます。
>>269 >松樹山など東北面の主要塞を側背から砲撃できる地点であるというのが理由。
その理由であれば、海軍からの要請なんて関係ないわな。
だったら、最初から二百三高地も含めた攻撃計画を立てられなかった乃木はへたれ。
つか269はウソばっかりだからな。
>>244 8月中旬の時点で旅順要塞本体を囲んでもないし、
陸路の完全封鎖は第3軍が上陸した時点で封鎖している。
よって 君が言ってるのはおかしい。
>>247 >三日陥落スケジュールを練り上げた
無理押しとかいう意見があるけど、それ以前に計画不行き届きだろ。
実際、準備砲撃で弾薬を使いすぎて2日目には不足しているのだから。
いい加減な計画だったって事がこの例でもわかるが、白襷隊といい、
アバウトすぎる計画を誤魔化そうとするのはよくない。
278 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 12:17:20
下駄がんがれ!
>>275 >その理由であれば、海軍からの要請なんて関係ないわな。
そう、関係ないんだよ。
八月以前の大本営長岡参謀次長や満州総軍井口参謀などが提唱していた
鳩湾・双島湾方面からの西方攻撃案とごっちゃになっている気がする。
>だったら、最初から二百三高地も含めた攻撃計画を立てられなかった乃木はへたれ。
この二○三高地攻撃理由は、第一回総攻撃が失敗した後に出てきたものなんで
すが。最初からって?意味不明。
>つか269はウソばっかりだからな。
どこがウソ?具体的にどうぞ?
> 8月中旬の時点で旅順要塞本体を囲んでもない
囲んでるじゃん。
西方面を囲んでいない、とでも言いたいんだろうけど、それを言い出したら際限がない。
どこまで囲んだらヨシとする気なの? 鳩湾?双島湾?それとも老鉄山?
言い方次第では、陥落寸前まで完全包囲は出来ていないとも言える。
でも、それは馬鹿馬鹿しい言葉の遊びだ。
>包囲が完了するのは二百三高地が落ちて以降の12月中旬頃からです。
そもそも、これは誰の説なのか?
281 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:05:56
海軍が、二○三高地を攻略してくれと言い出したのはいつから?
映画「二百三高地」。
日露両軍の死体には、アルバイト女子高生が混じっている。
>>269 >>279-280 >203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
8月末の第3軍の会議で旅順港内のロシヤ艦隊を瞰制する用地を攻略すべき
という事で二百三高地の攻撃が決定した。
>近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ
南山坡山から港内の観測ができることは8月末の会議でも指摘されています。
〜みたら、という風に無計画ではありません。
>相応の守備がなされていた。
されてません。陣地は臨時築城であり、ベトンなどの永久堡塁は建設されていません。
攻略当初はいわゆる前進陣地として日露共に認識していました。
また限られた労力の為、築城のほとんどは敵の攻撃方向たる東北正面に集中しており、
西方、西北は東北正面に比べ防御線は軽くせざるを得なかった。
もし 相応の守備と言い切るならば、7月の前進陣地攻略戦も相応の守備があったと
言い切れるでしょうし、言葉を巧みに誤魔化して誘導しようとしているのがバレバレです。
>>280 >囲んでるじゃん。
老鉄山方面は日本軍の砲部隊の影響力はない。よってこの方面からの本国からの連絡線は
完全に遮断されていません。
>陥落寸前まで完全包囲は出来ていないとも言える。
その通り。ロシア軍の降伏は日本軍が西方地域を支配された為でもある。
更に東北主要陣地も陥落し、降伏した。
つか、269でウソ吐きまくりだから説得力はないがな。
285 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:19:53
>>284 >老鉄山方面は日本軍の砲部隊の影響力はない。
影響力とは、何を意味しているのか。
>ロシア軍の降伏は日本軍が西方地域を支配された為でもある。
こんな珍説、初めて聞いた。ぜひ出典を。
>>285 は269さんですか?
283の意見はどう思いますか?
287 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:27:11
>>283 >陣地は臨時築城であり、ベトンなどの永久堡塁は建設されていません。
>攻略当初はいわゆる前進陣地として日露共に認識していました。
旅順要塞陥落後のフォーク少将が語った内容から、南山陥落後、時期と
しては五月頃から、二○三高地には半永久的防備工事がなされている。
十月に第三軍が攻撃を加えたころには、既に15センチ砲でなければ破壊
出来ない程度であった。
永久堡塁でなければどうだというのか。ベトンの有無に、どれほどの意味が
あるのか。
15センチ砲と言えば、当時第三軍が用意していた攻城砲の最大クラスだ。
これでなければ破壊しえない程の陣地となっていたのである。
>>287 あのな。東北正面と比較してどうかという事。
防備陣地といえば、7月初旬の前進陣地戦における陣地も防備陣地である。
相対的に論じているのに、絶対的に切り替わる貴方の論はいい加減なものですね。
>>287 フォークがなんと言おうと、前進陣地たる璽霊山の設備未だ十分ならず〜というのが
日露戦争後の日本の見解。
290 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:24:37
>>288 比較の問題ではない。15センチ砲でなければ通じない程度の防御力を備えた
陣地を、どうとらえるかという問題。
永久堡塁ではなかった、ベトンを使用していなかった、というそちらの言い分
に何の意味があるのか。
>>289 日露戦争後の日本の見解がどうであろうと、二○三高地の防備は強力だったと
いうのが事実。
以下、根拠。
建築を指揮したフォークが戦後に語っている。
事実、10月の攻撃の時、既に15センチ砲でなければ効果は与えられなかった。
291 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:26:03
>>289 半永久と書いているだろう。十分ならずでも簡単には落とせないと言う事だ。
292 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:28:22
>>289 第三軍に与えられた主任務は203高地に観測所を作る事ではなかった。
旅順そのものを落とす事が主任務だ。
293 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:42:46
>>283 >8月末の第3軍の会議で旅順港内のロシヤ艦隊を瞰制する用地を攻略すべき
>という事で二百三高地の攻撃が決定した
このソースの提示を求める。
>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
>松樹山など東北面の主要塞を側背から砲撃できる地点であるというのが理由。
>他にもあるが、精神的な話になるので省略。
>で、近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ、と。
このソースは「旅順攻囲秘話」292頁および317頁。
「この方面から見ると、松樹山二龍山の背後を側面から縦射し得る
というので(略)その方面の偵察を行った。(略)爾霊山を攻略して
局面打開を図るというのは、一には今後長時間に亘り、活気のない
歩工兵の攻撃作業にのみ没頭して、しかも絶えず日々少なからざる
死傷を出すに於いては、士気の阻喪が極点に達するであろうから、
士気を鼓舞するためにも、この際も我が右翼方面に活躍するのが得策
だと言うのであった。
斯くは爾霊山攻略策は、いよいよ実現を見る様に運んだ。」
「南山坡山が我有に帰してから、同高地から偵察してみると、西港の
一部を展望し得た。」
ソースを読んで確認したうえで記憶違いを訂正させてもらえるならば、
269の「港内もよく見える」は「港内の一部が見えた」と訂正したい。
>>283は、「二○三高地攻撃の目的」について疑義を挟んできたわけだから、
この点についてはひきつづき283のソース提示を求める。
>>290 >二百三高地の防備は強力であった
それでいけば、大頂子山の防備は二百三高地のそれより遥かに強力な武装と防備だな。
東北部と西北部を比較して強弱の話をしているのに、絶対的な評価を都合よくするのね。
フォークって5月から6月は南山から前進陣地にいたはずだが?
そのフォークが5月から二百三高地の防備工事の建築を指揮したのですか?
>>294 記憶違い?
>南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ。
つまり「南山坡山が我有に帰してから、同高地から偵察してみると、西港の
一部を展望し得た。」
が↑の記述に変化するわけでしょ?あなたの読解能力はそういう能力なんでしょうね。
都合よく変化するんだなぁ。おもしろいなー
>ソース
児島本の文庫版 4巻P103 に掲載している。
君の言う 「旅順攻囲秘話」をソースにしてもほんとにそう書いているかどうかな。
略のところが是非知りたいものだ。
>>72-77 それ以降の議論の中心は
>>70 の「南山坡山を確保したことで、港内のかなりの部分を見渡すことができた。」
だったはずだ。
>>290-294の人はこの議論の中にもいた筈だし、269までその意見だった。
南山から港内がよく見えるという意見が大多数だとしたら 旅順攻囲秘話以外に
どんなソースがあるのだろうか?
少なくとも294=269が訂正したけど、彼は南山から港内がよく見えるという事で
南山ひ山を叩いてたはずだな。
記憶違いとはいえ、最低な奴だと思う。
299 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:22:56
>>297 あなたは小説をソースにしているんですね。分かりました。
300 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:38:15
>>295 >東北部と西北部を比較して強弱の話をしているのに
君が比較の話をしたがっているのはよく分かったけども、
それをただ相手に押しつけているだけじゃないか。
相手の主張をよく読みなさい。
>南山陥落後、時期としては五月頃から、二○三高地には半永久的防備工事が
>なされている。
>十月に第三軍が攻撃を加えたころには、既に15センチ砲でなければ破壊
>出来ない程度であった。
君はこれにレスをしながら、この内容には全然触れずに、ただただ自分の
言いたい「東北部と西北部を比較して強弱の話」をしたがっているだけです。
301 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:42:23
南山ひ山さん、消えちゃったね。
皮はヒとも読める、というのが最後の言い訳だったのかな?
それとも、あれは誰か別人のフォロー?
でも坡はヒとは読まない、という事実にあえなく撃沈。
面白かったね。真夏の夜にはほどよい娯楽でした。
>>300 >>287 >旅順要塞陥落後のフォーク少将が語った内容から、南山陥落後、時期と
>しては五月頃から、二○三高地には半永久的防備工事がなされている。
>>295 >建築を指揮したフォークが戦後に語っている。
フォークって5月から6月は南山から前進陣地にいたはずだが?
そのフォークが5月から二百三高地の防備工事の建築を指揮したのですか?
>>301 撃沈といえば
>>269=279-280の人もかな?
それとも必死に弁護している本人かな?
8/30の会議の内容を確かめもせず、小説と一言しかいえないのは悲しいね。
というか
>>299-301も必死に弁護している時点で痛いなー・・。他人の振りしなくても
いいのにね。
304 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:53:06
>>297 >児島本の文庫版 4巻P103 に掲載している。
書いてないけど?
>>304 P105で確認したよ。多分P103は間違い。
それよりも
>>300さんですか?フォークって5月から6月に防備工事の建築の指揮を
してたというのが287の持論らしいですが、疑問に思いませんか?
306 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:01:17
>>305 しょせんは小説をネタにしてどこに書いてある、ないというのも変な話だが、
P103には書いてなかったのか。P105にはなんとある?
多分って、君はP103にあるぞクンとは別人なのか。
多分、本人から修正があるんだよな?そうだよな?
307 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:04:17
>>305 フォークって5月から6月は南山から前進陣地にいたはずだが?
ソースなしに、はず、と書くだけでは根拠にならない。
君はフォーク将軍の動静に詳しいようだが、何かに書いてあることなのか?
>>306-307 きみは300とは別人か?
フォーク少将は南山の戦いに参加して6月は双台溝近辺 前進陣地にいる。
7/29頃は鳳凰山附近で日本軍の攻撃に備えている。 (公刊戦史より抜粋)
それで 南山に参加し、その後も前進陣地で戦っていたフォークが203高地の
防備工事を指揮してたというのは極めて疑問です。
指示はしたがおざなりだったというのが真相だろうな。
児島本読んだけど、「送ルニ及バズ」電報を紹介しているのは地雷を踏んでるな。
こういう俗説追随が黙認されていた時代の遺物だ。
あと、130ページのこの問答。
児玉「二○三高地に重砲をあげれば、どこまで撃てるか」
伊地知「二○三高地から東港の端まで七千メートルもありません。多少の
死角以外に逃れるすべもありますまい」
あ〜あ、って感じ。
>>307 >ソースなしに、はず、と書くだけでは根拠にならない。
>>287 >>290どちらもソースは書いていないが・・・・。
片一方の意見に極めて甘いギャラリーがいるね。つか本人だろうけど
>>308 P103と書いた人の修正を待とうよ。
この程度のことが出来ない人なら、無視されても仕方ない。
>>310 反論できなくなったら 批判した本や著者を貶めるコピペをするのは
過去に嶽原という人物がいたが、また現れたのか?
やれやれだね。
>>311 ソースなしに、はず、と書いてるのは、一方だけ。
そんなことも分からないのは、本人だろうね。
>>309 あぁそうかもね。それなら納得。
>>312 それ以前にフォークの語りを出してきた人は?
269=294も反論できなくなって逃げたんだろ。
298に書かれた通りの奴だったな。
>>290-294の人はこの議論の中にもいた筈だし、269までその意見だった。
南山から港内がよく見えるという意見が大多数だとしたら 旅順攻囲秘話以外に
どんなソースがあるのだろうか?
少なくとも294=269が訂正したけど、彼は南山から港内がよく見えるという事で
南山ひ山を叩いてたはずだな。
記憶違いとはいえ、最低な奴だと思う。
316 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:19:41
>>315の中に、思い込みのキーワード「はず」がいくつあるか数えてみよう。
>>314 おいおい、そんなに自分を主張するなw
フォークの語りを出した人間はソースを出してないぞ?
フォーク本人とインタビューでもしたのか?
まったく そんな所弁護する問題じゃないぞ。
訂正まだ〜?
>>310 なにがあ〜あ?
まさか9/28の総司令官への電報とか読んでないかな・・。
>>318 あはは 反論できなくなって小説の都合の悪い所を出したつもりが、
さらに墓穴を掘ったのに気付いてないらしい。
満州軍総司令部の総参謀長ともあろう人が、なんて質問を・・・ヨヨヨ。
第三軍が苦戦したのもうなずける。そういう話なのだろう。
いままでの流れ
>>269 >203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
>>283 8月末の会議で敵艦砲撃の為に攻撃をしたという指摘を受けて、小説だからと一蹴した
つもりが、一蹴できてない。旅順攻囲秘話をソースにして反論したが、一部分だけの
都合のいいソースを出してきているのみ。
南山坡山から港内もよく見えるぞという意見は
>>294で訂正したつもりだが、
>>298 での指摘とおり、過去によく見えるという意見を貫いてきた粘着質の人はどこにいったのか。
>>321 そうだなそういう質問をして、砲撃できると答えた伊地知は無視か。
つか二百三高地に重砲を上げるのがそんなに不思議か?
324 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:31:44
児島著「日露戦争」、傑作ではあるが、しょせんは小説としか言いようがない。
つか、引用元も書いていない小説をソースとして出せる神経がうらやましいよ。
これに書いてあることが事実かどうか、調べようがないじゃんか。
>>323 >そうだなそういう質問をして、砲撃できると答えた伊地知は無視か。
ちがうだろ、こういう問答の存在自体が疑わしいって話だろ。
児島もあんたも、児玉大将を馬鹿にしすぎてないか?
>>325 なぜ疑わしいの? 9/28の電報の内容は見てから話しをしてね。
>>322 そうか?
>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。
これはソース提示あり。「旅順攻囲秘話」。
これの反論が来た。
ソース提示が児島襄の小説「日露戦争」。しかもソース提示者はページを
間違えていて、いまだに訂正なし。
こういうところでしょ。
>>327 大体、9月の総攻撃の計画を調べるに当たって、8/30の会議を調べるのが
普通だが?旅順攻囲秘話は会議の内容を伝えているわけではないから、
児島の本の指摘(8/30の会議)とは矛盾してない。
いかにも、この中に答えがある、これを読めば分かる、
とでも思わせる事を書くが、その内容にはまったく触れない。
>>326が何を言いたいのかは、結局誰にもわからない。
しかし本人はご満悦。お幸せに。
つか 必死に言い訳しているっぽいけど、前々的を得てないよね。
203高地攻撃の方針については8月末の会議の内容を調べるのが一番。
公刊戦史には書いてないな・・・。児島本では書いてあった。
二百三高地が東北正面の後背を観測できるのは分かるけどね。
大体 9/28の電報は無視かな・・。
>>269で ちょっと いい加減な意見を述べると他の意見を改竄しなくちゃならないから
大変だね。もっと楽しませてくれ。
>>328 >普通
ここでそのキーワードはまずかろう。
南山ひ山さんの「普通」の歴史研究者ってのを思い出してしまってワロス。
>>330 >公刊戦史には書いてないな・・・。児島本では書いてあった。
それで鵜呑みにできるハッピーな人なら無問題。
>>329 おいおい 9/28は総参謀長は総司令官に旅順方面の戦況の報告をしているのだが?
こんなのは旅順攻囲秘話 や レガート〜の話しを出してくる位の奴にとっちゃ普通だろ。
「敵の形勢を察するに璽霊山は我が攻囲線の接近したる今日において、急に重きを置くに
至れるものの如し。これ比較的近距離にて旅順の内部を砲撃し且つ観測し得るは、この
地に優るものなく・・」
こういう基本的な事を読まず、批判本しか読んでないから間違った結論に達するのかな?
>>332 そういう君はフォークの語りを鵜呑みにしているのかな?
一方に極めて甘いギャラリーだなw
>>334 だって児島小説をソースに出してくる側には近づきたくないもん。
>>335 学研の日露戦争に同じような事が書いてあるのにね。
当面する目的は旅順要塞の奪取ではなく、港内にあるロシア艦隊の撃滅こそ
優先される課題であるとし、それには旅順市外の背面にある二百三高地は
市外と港が望める唯一の高地で砲撃の観測地点としては最適地であるというのが
その主張の骨子であった。
とある。 小説でごまかしたいんだろうけど、旅順攻囲秘話を出してきてる人は
>>294のようにうがった見方をする人だから信用できないよ。
337 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:57:03
司馬の「坂の上の雲」に書いてある、といってこれをソースに出す奴はもう居ないだろ?
児島の「日露戦争」に書いてある、というのは、上の司馬かぶれの戯言とどう違うんだ?
よく考えてみろ。
>>337 其の前に色々な本を当たってから批判しような。
お前にはそれが前々ない。
どんどん二百三高地無用論は崩壊していってるね。
310はどこにいったの?
なにがあ〜あなの?自分がそんなに恥ずかしい?
>>338 色々な本をあたって、それで出したのが結局は児島の「日露戦争」か。
そりゃ君の努力にごくろうさん、としか言いようがないな。
>>269の
>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。 →ウソ
>近くの南山坡山を占領してみたら、なんだ港内もよく見えるぞ →ウソ
>203高地の重要性に気づかなかったわけがなく、
>相応の守備がなされていた。 フォークの語り →史実と矛盾している
矛盾してウソばっかりだったわけだ。逃げればいいんだが、言い訳ばかり
しているギャラリー?がいるけどね。
ソースのページ訂正も出来ないヘタレに用はない。退場!
>>343 書き込んで以降、着てない奴に何を言ってるのか・・。
どうもわからないが、フォーク少将が前線に居たとしてそれが旅順要塞の
防備工事を指揮したとすることの否定になるのだろうか。
フォーク隷下の部隊が二○三高地の防御工事を施していたとは考えないのか。
>>345 考えたら?フォーク支隊が旅順に残っていれば其の通りだろ。
ちゃんとソースを示してからそういう考えを述べてくれ。
ちなみにフォーク支隊は5月以降、最前線で日本軍と対峙している。
>>344 >着てない奴
そいつが来てないと分かっているのは、本人だけという罠。 はいお疲れ。
>>347 269が必死なのはわかるんだがな。
しかしなんであんなウソばかり着くんだろう・・。フォークの語りのソースも示してないしさ・・。
一方的な上げるギャラリーも必死にかばっているし・・。
その最前線に出ていたフォーク支隊が、フォーク少将が命令できる部隊の全てというのなら、君の言い分もわかるのだが。
そのあたりどうか。
>>344が必死な件は無視する348。 はい面白いですね。
ヒッシヒッシとしがみつくなよきもい。
351 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:40:11
もしかしたら、フォーク少将の当時の肩書きも関係することのようにも思える。
フォーク支隊は最前線にあったということと、フォークの指揮により二○三高地
の防御工事がなされたということは、矛盾するものではないと思う。
>>333 > 旅順攻囲秘話 や レガート〜の話しを出してくる位の奴
旅順攻囲秘話はわかるが、レガートってなんだ?幻視か?
>>342 >>203高地を攻めることになった理由は、敵艦砲撃のため、ではない。 →ウソ
ソース付きの主張をウソという君の方がおかしい。
353 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 09:12:50
フォークはその後に旅順の防備の指揮に加わっている。
6月は既に南山は落ちていなかったか?
354 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 09:18:13
>>308 フォークが何もかも指揮したと書いてはいないのではないのか?
防備工事の前任者からの引継ぎと言うのもあるだろう。
「・・・日露戦争に従軍した将校に聞いたことがある。戦で最もうれしいのは、
はげしい接戦の後、敵が戦意を喪失して敗走するのを追撃する時であるという。
こういう敵にたいする追撃には、こちらに危険がない。狩猟のようなものだ。
相手が鳥獣でなく人間であるだけに、残酷非道の感がないわけに行かないが、
つい今し方まで自分が殺されるかわからないはげしい戦いをつづけて来た身には、
そう反省する余裕はなく、ひたすらにうれしく、ひたすらに愉快なのであろう。・・・」
(海音寺 潮五郎著−「天と地と」より)
>282
>映画「二百三高地」。
日露両軍の死体には、アルバイト女子高生が混じっている。
↑
映画関係者の方でつか?
357 :
下駄さん:2005/08/15(月) 00:05:21
今晩はーっ!道路はよくコンドルが飛んでいく。
で、途中抜けておいて遺憾ではありますが、話もだいぶ
煮詰まっているようなので、順番に
271番。「稚拙」は知ってるが「推敲」って知らん。
読めん。キノコの一種かな?
しかし、文章はもっと丁寧に書かないとダメだね。
反省するよ。ただし、グダグダはトコトン言うぞ。
272番。乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。
お前さんの言っているのは参謀の議論や論争に
参加したということじゃないか。
司令官の意思表示とは命令である。最終決断をするのがその職分ではないか。
支障をきたすと懇願される司令官、高級軍人とはなんだ。
273番。ところで「釣り師」って、何?
分かりづらいから匿名でいいので名称いれろよ。
ナマコを見習え。あれ?ナマコは何処?
271番「推敲」 273番「時として」
274番「職業斡旋鑑定士8級」
九月は検定試験だ。今度は頑張れよ。
358 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:46:42
新手の釣り師?
天然?
日露戦争に限らず、戦争行った人ってなんで行ったんだろう?
しょうがないから?強制だから?義務だったの?恩給いっぱいもらえんの?非国民ってよばれるから?何で男だけ?
「お国のため」ってよく聞くけど、
お国って天皇陛下のこと?
それとも戦争負けて他の国に占領されて、自分の姉妹や恋人が凌辱されたりするの?
他国人に奴隷みたいな扱い受けるようになるのからなの?
何で行ったのかな?
正露丸(征露丸)
効能
下痢、食あたり、歯痛…
えっ歯痛?
そういえば
日露戦争をモデルにした映画だったか、小説だったかで 、歯が痛い日本軍の大将がいたような気がする。
いままで「なんで正露丸が歯痛に…」って思ってたが。
そうかそれつながりか…。陰であいつがからんでたか…。
361 :
下駄さん:2005/08/15(月) 07:49:52
尊皇、勤皇から倒幕に成功した新生国家日本。
その行動の中心だった薩長などの政府関係者を別とせれば、
明治37年の段階で政府が日本国民に対してどこまで
天皇崇拝を浸透させていたのかはかわからない。
司馬遼太郎も不思議がっていたよね。
その頃と昭和の狂信的な国家体制とは異質なものだろう。
>しょうがないから?強制だから?義務だったの?
まあ、しょうがないっていうのが大方の本音ではないですかね。
>恩給いっぱいもらえんの?
そんな発想なんてあったのかな。一般的に貧しかったのは事実。
日本は借金で戦争していたのだから
恩給はいっぱいは貰えなかったんじゃないだろうか。
当時のアジア情勢(列強の植民地政策)と
日清戦争後の三国干渉とロシアの南下政策から危機感があったのも確かだろう。
世論的に盛り上がっていたようだが、
その実情を一般の国民がどこまで把握していのかは分からない。
日本人が素直で従順な民族であることと、国家というものが
その本質とは別に身近な環境にあったのだろうか。
>何で行ったのかな?
どんな気持ちでいったのかね。
今より個人の生命の価値観ていうものが軽かったのかもしれない。
362 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 09:18:07
白兵戦の原因は弾不足や旅順港の艦隊を早く壊滅させて欲しいと言う海軍からの
要請だろう。
だから東郷は乃木に御礼を言わなければなかった。
海軍が陸軍に何をしていると焦った気持ちは存在したが、小馬鹿にする思いまではなかったように思える。
海軍がせかさなければ28サンチ砲が届くまで陸軍は正攻法で進めばよかったので
被害者はそこまで出る事はなかったと思う。
363 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 09:34:30
政治家が売国をするのは仕方が無い!
民主党なら中国に日本を売る。 自民党ならアメリカに日本を売る。
共産党ならロシアに日本を売る。 社民党なら北朝鮮に日本を売る。
公明党なら韓国に日本を売る。
同じ日本を高く売るなら、これから世界の覇者に成る中国に日本を売る方が
高値で売れるだろう。 だがら私は民主党を支持するのだ。
今回の選挙の論点は、何処の国に日本を売るかの選択選挙なのである。
364 :
下駄さん:2005/08/15(月) 10:05:08
同じ高くなるならって、中国には買う金なんてないよ。
商談なんて成立しない。
仕舞いには沖縄は昔から我が中国に朝貢していた国
よって日本固有の領土ではないと言ってくるんじゃあないか。
そういう論点なら
今回に限っては民主党には絶対、投票はしないな。
たぶん違うと思うけれども。
>363
やっぱり明治の政治家でもそれは同じなんですか?
売国したんですか?
レベルの低い質問ですみません。」
あの頃はあの頃だよw
どうせこんな国になるのは運命だったのよw
>乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。
正攻法転換の決定は誰がしたと思ってるのかと。
どうせこれについてもゴチャゴチャ言ってくるんだろうが。
まったく意思表示しなかったとか、へーそんなにおしゃべりなのかとか、
両極端すぎだよあんた。
368 :
下駄さん:2005/08/15(月) 22:17:08
376よ、それは違うぞ。
正攻法転換を乃木が決定したということはいうが
しただろう。乃木の人間であれば飯も食ったし、屁もこいた。
ましてや第三軍の司令官であればその行動について
許可することは当然ではないか。どこの世界になにも行動を
起こさない人間が存在しえるのか。そんなことを論点にしてるのでは
ないじゃないか。予想通りごちゃごちゃやってやる。
正攻法転換も白襷隊も乃木がやった。他にも沢山やっただろう。
で、どうした。何を確認したい。
>>368 未来へレスする不思議な人へ。レスは過去へとするものだ。覚えておきなさい。
>乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。
結局これは一体なんのことなのかと。正攻法転換は乃木の決断で行われたし、
白襷隊もそうだ。こういうことを知っていて、なおも「意思表示をしなかった」
と宣うなら、勝手にしなさい。君は倫理的思考ができないということだ。
370 :
下駄さん:2005/08/15(月) 22:40:03
369)
はははそうだね。367だったね。ごめんごめん。
誤字もあったな。まあ許せよ。
どうも会話が噛み合わないし、この論法で続くなら
ちょっと慎重に書き込むようにするよ。ちょっと待っておれ。
時間つぶしに「おしゃべり」発言もきに要らないようだが、
前、書いただろう。屁にもならない発言は「司令官」としての
意思表示などではないと。
それで「鶴の一声」で決定したなんて、無理があるだろう。
紛らわしいからなんか名前つけろよ。
371 :
下駄さん:2005/08/15(月) 22:59:18
376よ、まだ名はないのか。
いや、あれから色々考えるのだが、旨い表現ができないよ。
乃木の人間であれば飯も食ったし、屁もこいた。
では納得できないのか。
乃木が第三軍の司令官として、司令官としてだよ。
意思表示する「場」とは参謀の詰め所では
たんなるお喋り、雑談であって、もし、それが
根回しというのならば、なぜに行動に反映されないのか。
それを業務にさしさわるといって相手にされない司令官とは
なにか。
それでも意思表示を「一切しなかった」にこだわるのか。
元々の論争の発端は乃木第三軍が大本営と総司令部に
強要されて旅順強行攻略を強いられたというものではなかったか。
別に話を変えているわけではないからな。
君達ロシア軍人に忠告しておこう!
満州、朝鮮はアジアだ!!
君達白人が支配するのは間違っている!!!
われわれ日本人はどんなに血を流しても
必ず君達ロシア軍人をこの満州から駆逐する!!!!
命を惜しむなら早々にロシアに帰りたまえーっ!!!!!!!
373 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:37:41
美 美
し し
い い
國 國
ロ 日
シ 本
ア
374 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:38:34
ず。ずれた・・・・・・
203高地の白兵戦、マッカーサーがビールとポップコーン片手に観戦してた
ってマジですか?
>375
本当だ
その前にハンバーガー2個も食っとる
377 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:09:53
マッカーサーってマザコンだってね。
378 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:39:27
ず。ずれていく・・・・・・
379 :
雪駄:2005/08/16(火) 08:44:17
>>370 >屁にもならない発言は「司令官」としての意思表示などではないと。
>それで「鶴の一声」で決定したなんて、無理があるだろう。
だんだん分かってきたが、下駄さん、その鶴の一声が出た場所とか情況とか
わかってないだろう。
第一回総攻撃が失敗に終わったあと、軍司令部参謀が起草した正攻法案を
採用するかどうかを議題として、軍参謀、各師団参謀長、砲兵部隊長、各
工兵大隊長などなどが総出の会議で、各師団の参謀長が軒並み正攻法案に
反対、ただ工兵大隊の長が一人賛同、議論六時間に及ぶも軍参謀長が決を
採りかねている情況での結論の言葉だ。
11月に二百三高地攻撃転換する直前、東北正面を軍司令官自ら第9師団の一部を
率いて落とそうと意思表示もしている。
その司令官の意思表示に軍上層部は反対したけどね。
つか、旅団程度を軍司令官自らが率いるなんてとんでもない話し。
>>380 ただのハッパかけ。
前線指揮官に躊躇あれば軍司令官自らいく、というのが意味するのは、
命令を実行せよという厳命。
むしろそういうのを額面どおり受け取るのがとんでもない話なんで。
奉天の時、総司令部から児玉大将が電話で督戦してきた時の話。
児玉「お前は誰か。軍司令官を呼べ」
これでハイハイと軍司令官を呼ぶ参謀は失格。
当然、代理として参謀長が電話に出た。
380ならハイハイと軍司令官を呼ぶのだろうか。
382 :
380:2005/08/16(火) 12:04:57
>>381 あぁごめんごめん 11月の第9師団の一部を率いる話しは
二百三高地攻撃開始後だ。間違ってごめんね!
第一師団方面の前線指揮官は全然関係ないよ。どこにハッパかけるの?
戦線に参加していない第9師団の方?
額面通りって、増援部隊を軍司令官自らが率いようとしたんだがね。
こんな司令官だから意思表示がなかったなんて事はない。
誤った指摘がある場合は突っ込んでくれないとw
383 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:12:19
正攻法でいかねば死者はもっと出ただろう。
問題なのは無駄な白兵戦をしたということ。
28サンチ砲の到着を待って総攻撃をしていたならば死傷者は激変しただろう。
>>382 なんかよくわかんないんだけど、だいぶ混乱しているんだね君。
上の者がハッパかけのために非常識とも思えることを言うというのは、よくあること。
これも奉天の時だけど、満軍司令部は第三軍に限らずあちこちの軍司令部に、「よその
軍はもうどこそこまで進んだぞ、お前のところは何をしている」とハッパをかけまくっ
たそうだ。実際にはまったくそんなことはなかったというのに。
軍司令官って、別にあれこれ指示する必要はないと思うんだよ。
命令は厳命する。軍司令官の役割は、そういうものではないだろうか。
「敵は大勢、援軍はない。軍司令官は寝るしかないではないか」とか
言ったのは誰だったかな。
>>383>問題なのは無駄な白兵戦をしたということ。
第三軍に渡された初期装備ではどうしようもない。
第一回総攻撃は、二十八糎榴弾砲が必要であると決断されるために必要だったとも言える。
387 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:47:15
>>386 それは正しい。いずれにせよ、どうしようもなかったって事かな?
388 :
380:2005/08/16(火) 18:52:04
>>384 >、「よその軍はもうどこそこまで進んだぞ、お前のところは何をしている」とハッパ
そういうハッパなら納得するけどさ、他の師団から抽出してそれを「軍司令官」自ら
率いて攻撃するなんてハッパなんて異常な事はないよ。
>>385 >軍司令官って、別にあれこれ指示する必要はないと思うんだよ。
>命令は厳命する。軍司令官の役割は、そういうものではないだろうか。
へー命令が厳命でなかったら、当時の日本軍は命令は守らなくていい体質だったのか?
想像で話しをするにしても一回調べてから来た方がいいんでないか?
390 :
下駄さん:2005/08/16(火) 19:01:32
おっ!来てるな。雪駄としたか。
朝、出がけにチェックしたときにかなかったんで失礼した。
よし、>乃木は「司令官」として意思表示をしなかっただろう。
は、間違いだったと認めよう。これでいいかな。
下駄は「乃木司令官は意思表示をした」と認めた。
他に俺が宣った点で訂正することがあれば言ってくれ、
第三軍は総司令部、大本営に強要されて旅順攻略をやった点
とか
雪駄のスタンスも、よければ聞かせてくれ。
「マンガさん」で来るかと思ったが、履き物できたか。
恐るべし!雪駄。
>>389 >へー命令が厳命でなかったら、当時の日本軍は命令は守らなくていい体質だったのか?
>想像で話しをするにしても一回調べてから来た方がいいんでないか?
どこで誰が、「命令が厳命でなかったら、当時の日本軍は命令は守らなくていい体質だった」と主張しているのか?
他人の主張をあんたの勝手な想像で膨らませる前に、頭冷やしてから来た方がいいんでないか?
まとめると、もともと陸軍には旅順を落とす予定はなかった。
だが、海軍の要請で急遽旅順攻略が決まった。
これは、海軍が黄海会戦において旅順艦隊の無力化に失敗したからだ。
はじまりは、海軍の作戦ミスの尻拭いをさせられたためであった。
旅順要塞についてはもともと落とす予定になかったため過去のデータしかない。
しかも、必要な弾丸も足りない。この情報不足、弾丸不足というなか、
三度に渡る総攻撃が行われ、半年の月日をかけて旅順要塞を陥落させた。
まあ、日清戦争時代の要塞ですら半年かかるといわれたくらいだから、
まして、ロシアのそれを半年で落としたのだから御の字だと思うよ。
ただ、犠牲者の数は多すぎると思う。それに、旅順陥落でどんな
効果があったのか疑問。
>>392 黄海海戦が行われた時はすでに8/末までに陥落させる計画を第3軍は
立ててたのでその意見はあまり意味がない。
>>392 たしかに、海軍のミスが痛かった。
開戦当初の奇襲が失敗。次いでの閉塞作戦も失敗。
直接封鎖に切り替えたら虎の子の戦艦二隻を一気に喪失。
このあたりで陸軍にお願いしてきたんだっけか。
しかしなんと言っても一番のチョンボは、黄海海戦での取り逃がしだ。
せっかく陸軍が追い出しに成功したのに、正に千載一遇の好機を逸した。
まして旅順港内に再び入らせるなど、一体何をやっていたのだろうか。
しかし、もしも旅順艦隊が海軍の働きで壊滅または遁走していたとしても、
大連を窺える位置に旅順要塞守備隊が健在というのも気持ち悪いものだろう
し、結局攻略戦は開始された可能性は高いのではないだろうか?と思うが、
これは別の話になるのか。
戦死者数は、この程度は必要だったのでは。元々死者一万程度と見積もって
いたというし。実際には約一万五千ほど戦死している。五割り増しをどう評
価するかだが、あれだけ不利な状況でよくこの程度に収まったと思う。
旅順陥落の効果は、いろいろな方面にあったと思う。要塞陥落というのは、
やはりショッキングなことなのだろう。
395 :
下駄さん:2005/08/16(火) 21:19:28
393 >
海軍が旅順港に潜むロシア艦隊に夜襲をかけて、要塞砲の洗礼を受けたのが
2月8日。
そこから苦肉の第一回旅順口閉塞作戦を決行するのが5月1日。
第三軍編成が5月31日。黄海海戦は8月10日。
海軍は早い段階で陸軍に要請しているんじゃないかな。
392)の意見は無意味じゃないよ。
329>旅順陥落でどんな効果があったのか疑問。
その被害の甚大さに世界が注目してて、是清の外債応募にも影響した。
米国の講和にも影響した。ってところだろうか。
夏目雅子きれいだなww
>395
>その被害の甚大さに世界が注目してて、是清の外債応募にも影響した。
米国の講和にも影響した。
それが最初っからのねらいだったのかな?
そうだったらすごいな。計算ずくだったんだな
それともたまたま結果的にそうなったのかな?
398 :
下駄さん:2005/08/17(水) 13:41:05
残念ながら結果的でした。
ついでに、旅順が堕ちても講和の期待だけが先行していて
結果には結びつきませんでした。
ロシアは猿に負けるなんて夢にも思ってなかったんだね。
>398 ありがとうございます!
おれは明治マンセーなので
「さすが明治の人間だ・・・戦争上手いんだな」
と期待してしまったが・・
400 :
下駄さん:2005/08/17(水) 14:07:23
いや、礼にはおよびません。
「明治マンセー」か、うん、いい目をしている。
今の日本人に一番欠けているのが明治の心意気だよね。
確かにとんでもない奴もいたのだが、
みんな愚直で純粋で一生懸命な清さがある。
ロシアはこれに負けたのかもしれんよな。
401 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:17:54
敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレ共浪高シ。
かっこよすぎ!!
403 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:57:45
つまらんのう。
御盆休みはまだ終わらんのか
雪駄よ。
404 :
日本人:2005/08/17(水) 21:10:33
>>360
正露丸。正しくは征露丸。日露戦争時軍医部長だった森鴎外がドイツのクレオソート
と日本のオウバク、ゲンノショウコ末を混ぜ合わせ軍用の携帯薬品とした。
第二次大戦に敗戦した時、大幸薬品の社長が「征露丸ではまずい、正露丸にしよう」
ということになり現在に至る。この社長自分を高く買っていて、征露丸を名乗って
いたので俺も戦犯か?と戦後悩んでいたそうな。バカ。
>>404 社長おもろいので、A級戦犯にしてあげるべきで
>>405 まあ、「比島決戦の歌」の作詞者西條八十もしばらくは逃げ回っていたと言う噂だしな。
地獄に逆落としにするはずの相手が占領軍総司令官で来てしまったんだから。(w
407 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 15:23:57
うちのじいさんなんて、ただの一般市民のくせに
「男は金玉ぬかれる」とゆう噂にかなりびびってたらしい。
408 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:44:01
備蓄弾薬が空になるまで撃ちまくったのに白兵戦に拘泥して大損害とは片腹痛い。
409 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:48:18
>旅順陥落でどんな効果があったのか疑問。
旅順を陥落させないと第三軍が奉天会戦に参加できない。
打ち捨てていけば側背を突かれるし旅順港の海軍も健在。
410 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:31:02
>旅順を陥落させないと第三軍が奉天会戦に参加できない。
>打ち捨てていけば側背を突かれるし旅順港の海軍も健在。
あれだけ、海軍の要請を突っぱねておいて
これを旅順攻略の効果の疑問にするとちょっと苦しくなってこないかい。
412 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 22:06:21
>>410 大東亜戦争に比べれば陸軍と海軍はよく協力しているように見える。
だから苦戦しながらも勝利したと思う。
413 :
下駄さん:2005/08/19(金) 06:06:54
>「男は金玉ぬかれる」
なるほど
JHQは確実に金玉をぬいたんだろうな。
>>413 JHQって(ジェフ)ウイリアムス・橋本・藤川(球児)の中継ぎ陣のこと?
415 :
下駄さん:2005/08/19(金) 15:23:49
Japanese Hurt Quality
(日本人の品質を肉体的精神的に傷つける)計画じゃ。
もっと早くツッコミいれんかい。
焦って辞典調べたと思われるじゃろうが!
初心者の俺の質問 1
明治時代 一番強い(といわれた師団)は
やっぱり東京師団?
417 :
下駄さん:2005/08/19(金) 16:54:29
井上光が指揮した九州の第十二師団が一般的強いとされた。
ここには木越という旅団長がいて、困ったときにはどこからでも
駆けつけてくれるシブイ親爺さんがいた。その後、(第五)師団長に昇進してしまった。
ワシ的には、同じ第一軍の西第二師団が強いと思う。
岡崎旅団と松永旅団で構成されている夜襲のプロ集団。そそるのー。
418 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 19:30:35
第三軍に属する東京第一師団は早くから203高地を攻めている。
第三軍にまわされた師団って
なんか気の毒な気がする。
420 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:31:04
9月5日から東京第一師団は203高地を攻撃し始めている。
しかしそんなに簡単には落とせない。
あとは死傷者数がその現状を表している。
421 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 02:00:44
>>417 仙台二師団が「鈍い」という定評があったことは、多門二郎氏の
「日露戦争日記」41ページにもあったが、それが夜襲のプロとは如何
なるものか?その夜襲における訓練内容とはどがいなもんか?周辺視や
暗調応の訓練は充分やったんか、どうか?しかも、その後の日華事変でも、
冬季作戦で、李宗仁軍に敗れた仙台十三師団、中でも周辺警備隊が、敵の
夜襲に首を切られ、兵隊が拉致された例もある。長沙作戦でも、敵の
夜襲に苦戦し、救援したんは、広島第三十九師団。
黒溝台の夜襲や奉天の激闘で武勲を立てた頃の広島第五師団は、
木越師団長じゃったのう。そもそも第一軍は、正面での激闘をしたんか?
東北地方の鈍重師団にそそるのーとは、おめでたいのう。
遼陽で激闘した名古屋第三師団や奉天一番乗りの大阪第四師団に比べても
どうかのう。
>>421 貴殿は
地理・お国自慢板
「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史」
の「205」さんではないですか?
いつもROMらせていただいてます。
たしかに広島第五師団はすごいとおもいますよ・・・
けど他を「鈍重師団」って・・・
広島賛美のために他をぼろくそに言うのはどうかと思いますが・・・
東映「二百三高地」のテーマ曲「防人の詩」を作詞作曲して歌まで歌ったあの人
貞馬刺は、同じミュージシャン仲間から総スカンをくらった。戦争映画の歌を歌ったからだ。
しかし貞馬刺はこの映画で味をしめ、その後自分で映画を作るが大失敗そして多額の
424 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 08:32:47
>421 奉天一番乗りは熊本六師じゃないの?まあ、無人の街に乗り込んだだけだから
あまり意味はないが。
425 :
下駄さん:2005/08/20(土) 08:47:42
421>よ、俺にからんどるのか。
言っておくが、今日は昼から大江戸博物館に行くから時間制限があるぞ。
で、なんで日露戦争の話に日華事変が出てくるんだ。
ワシはよ、どこの師団が強いかと聞きなさる人がおったから
一般的に久留米(九州)の第十二師団が「強い」言われた。
ワシ的には弓張嶺の「夜襲」や「饅頭山」の攻防戦での岡崎旅団そして
西師団がしびれるいうたんじゃが。
なんで、>第一軍が正面で激闘せにゃらならんの?
よう。わからん事をいうのう。
「鈍重師団」ってなんじゃ?
>>421 鈍重だと!? ふざけるな。弱小の間違いだろ?
427 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 10:51:20
>>422 そうです。205です。東北地方兵団を「鈍重師団」とゆうたんは、
わしが子供の頃、戦争体験者、親類や地元の方々からよく聞いた話です。
日露戦争に行った曽祖父の時代から東北兵はニブイ・ノロイと定評が
あったそうで、それが多門二郎氏の「日露戦争日記」のP41に
書かれてあったので、広島だけでいわれた事でないと確認出来たのです。
まあ広島は、宇品港から全国の多くの兵が出兵した土地柄ですから、
当時、さまざまな地域の兵の質を評価しておったそうです。
しかし、他スレでもそうですが、近畿地方の兵団について、多くの人達が
ぼろくそにけなしても、許されるようですが、東北地方兵団は許さんと
言うことになるんですかねえ。
>>424 熊本第六師団が一番乗りとは、司馬氏が「坂の上の雲」に書いたことで、
ありゃあ小説ですよ。
>>425 からんどる、いよんなら、そう解釈すりゃあええわいのう。
>>427 まあ、善意に解釈すると「鈍い」「のろい」だけに倦まず弛まず取り組むと言うことで容易に敗走しない
という評価ができないこともない。
戦国時代の尾張兵に対する三河・甲斐・越後の兵隊の強みと一緒だな。
故に「一撃必殺、攻めに回ると強力だが受けると脆い九州兵」「攻めは鈍いが守りに回ると粘り強く飽
きずに戦う東北兵」という評価がされていたわけだ。
もっとも、かつて存在した某ゲーム雑誌は第25軍を「(広島・筑豊の)最強893者タッグと虚弱ボンボン
で編成された3個師団」と表現しておったなあ。半ば冗句なんだろうけど。
時に、同じ中国地方でも第五師団と第十師団では評価が違うんだろか?
第五師管が広島・山口・島根で第十師管が岡山・鳥取だっけか。
429 :
427:2005/08/20(土) 12:39:42
>>428 戦地で補充兵の戦闘訓練の教育をした方が曰く、北陸、東北、北海道の
兵は部下として従順であったそうです。しかし臨機応変さには欠ける。
帝国陸軍が求めた「忠誠心」という意味では、最高の兵士じゃったが、
世評と違い実際には、東北兵が守備、防御に強かった訳では無く、
仙台13Dの長沙作戦における防御戦でも、陥落寸前になったが、
夜間攻撃を受けた兵士が不安にかられ発射し、それが口火となり、敵影を
確認せず夜通し乱射となったように集団主義的です。
防御戦では、個人の戦闘能力、数名に孤立することもあり、命令を待たず
行動出来る自己判断能力が必要となる。最も防御戦闘に「実績」を残した
のは、広島の部隊です。今村均将軍がいわれた「広島の兵は気がきいて
いてズルくさい」という要素が重要でしょう。
近衛も実戦なれしてないが、弱くは無く、広島師団兵の勝気な性格は
姫路師団(兵庫、鳥取、岡山、島根東部・日露戦では岡山東部、島根全域)
では薄くなるでしょうが、世評は別としてなななか健闘しておる師団です。
430 :
下駄さん:2005/08/20(土) 12:41:50
ほう、250と言ううんか。
味気ない名前じゃのう。もっと、いい名前を付けてやろう。
250よ。お前は今日から「ミイ」じゃ。樋上君。
「紙屋町」でもいいぞ。好きな方を選べ。
それで、なんで第一軍が正面激突しなかきゃならんのよ。
木越ももともとは第軍の旅団長だろう。
その採点評価スタンスを是非披露してくれよ。
431 :
下駄さん:2005/08/20(土) 12:47:48
木越ももともとは第(一)軍の旅団長だろう。
抜けた。いちいち突っ込まんといてね。
432 :
427:2005/08/20(土) 15:17:37
>>430 わしゃあ250じゃのうて、205じゃ。
下駄さんよ、あんた、なんじゃあ、樋上氏をミイじゃ、打越氏を
紙屋町じゃ、まあ場所は紙屋町ゆうより中の棚じゃろう。
あんたあ、なんよう、美能氏の手記を元にした「仁義なき戦い」を
読んでゆうとろう。任侠の世界の評価は別じゃろう。ほいで、樋上、打越
両氏が一般庶民の堅気の人に悪うした、ゆう悪評は、聞いとらんど。
嬉しげに、故人となられた両氏の名を使いんさんなや。失礼じゃろう。
正面で激闘しとらんのなら、しとらんゆやー、ええことじゃし、
何がおもしろうて、わしに突っ込むんかいの。わしゃあ、広島5Dが
2Aや4Aで困難な激闘したんに比べ、1Aはそれほどじゃあない、
ゆうとる。木越氏は、広島5D長のなかでも、名将として評価は高い。
しばらく見ない間に、なんかまたすごい人登場
434 :
427:2005/08/20(土) 15:41:56
>429島根全域は間違えて書いた。
日露戦争時の姫路師団は(兵庫、鳥取、岡山東部)で、日華事変の時は
(兵庫、鳥取、岡山、島根東部)
広島師団は日露戦(広島、山口、島根、岡山西部)で、日華事変の時は
広島、山口、島根斐伊川以西)です。
要するに、全部の師団が広島人だったら日露戦争はハルビンまで行けたし太平洋戦争はワシントンま
で行けたのだ。広島人最強! 広島師団最強!
それを東北人や九州人が足を引っ張ったばかりに日露戦争では奉天まで行くのがやっとだったし太平
洋戦争なぞは無様にも負けてしまった。
連合軍がどれだけ広島師団を恐れていたか、という証拠の一つが当時二発しかなかった原爆の第1号
を広島に落としたことだ。
日本人たるもの、最強の兵の集う街広島を讃えることを一日一時たりとも忘れてはいかん。
>>427(205)さん はじめまして。
郷土の〜も読ませていただきました。ご親戚、地元の話なども含めて205さん
の知識に驚きました。
そこで質問させていただきたいのですが。
私の親戚が「父が日露戦争で旅順に行った」と言うのです。
しかし親戚はみな広島県福山市なのです。普通に考えれば旅順には行ってないはず。
別に将校とかでもありません。戦争当時は18,9歳です
私はその人の勘違いだと思ってるんですが。しかしその爺さんは自身満々です。
勲章?記念品?も見せてもらいました。
それとも福山→善通寺とかの越境入隊があったのでしょうか?
お暇でしたらレスください。
437 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:54:08
438 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 18:49:55
越境はないと思われ。
しかし兵隊ではなく雑役とかではあったかも。
日露戦争に行った=旅順に行った と表現したくなるくらい
旅順は激戦地だった。
439 :
下駄さん:2005/08/20(土) 19:31:17
馬鹿がひょっとこ面しょって
何を言うとるんなら、そりゃ木越はええよ、木越もワシ好きじゃあ。
もう変な広島弁に合わしていると顔の電気がつくな。
こういう場合は標準語で言ったほうがいいなだろう。
>何がおもしろうて、わしに突っ込むんかいの。
こんな面白いことがあるかい。ヘソが午後の紅茶を沸かしたぞ。
自前で絡んできて、なんだこれ?ミイ世間が見えないか。
それともなにか「県民別」とかの雑学ネタ本で読んだ勢いか?
そういう「お国自慢友の会」編集本はもとネタの積み重ねだから
・・・どうしたもんかね。面倒臭くなってきた。
まあ。何しろ登場の仕方が品がなっかっただけだ。ツッコンだのが
不服なら以後気をつけろよ。もうからまないから。
せっかくの師団の話がお前のせいで広島がストップ安じゃ。
だあれも第五師団の悪口はまだ言ってなかっただろうに、のう。
それでも突っ張るなら、いつまでも、トコトンいくよ。
暇だし。
440 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:27:50
>>429 大阪の師団はどうだったの?
一般的には弱いと言われているけど、第二次大戦時のような
上層部が無能揃いの状況では、その本領を発揮したと何かの本で
読んだけど。
(上層部からの命令にあえて従わず、状況に応じて臨機応変に
対応したらしい。)
441 :
427:2005/08/20(土) 22:10:44
>>436 当方こそ、はじめまして。広島5Dは旅順、大連港から帰還したので、
旅順をなつかしく思われたのでしょう。他の方の言う旅順が、
激戦地云々はこの事とは関係がないでしょう。しかも、広島5Dは
奉天で最も前面で激闘し、感状を貰っておりますし、個人プレイが
健闘に結びついたので、個人感状も多く勲章を貰われたのでしょう。
>>440 大阪師団は、日露戦争でも、南山の激闘もあり、
満洲軍作戦参謀松川大佐の兵団評価でも大阪師団は「能く働く」と
あります。もちろん比島や中国戦線でも武勲があります。ただ日本軍が
負けると予測出来た戦闘には古参兵の入院と言う合理的出動拒否もあった
ので、評価を落とした部分がありました。そのような事で、大阪師団を
「おとぼけ師団」と愚弄したのは、元仙台13D、関幸輔氏の現代史研究
「日本一弱かった師団」です。じゃあ、仙台はさほど強かったかどうか?
と突っ込みたくなりますね。
442 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:28:29
> 広島5Dは旅順、大連港から帰還した
旅順大連は、それぞれ遼東半島の東端と南端に位置する港だ。
なぜわざわざ旅順港なんて辺鄙な場所から帰還する必要がある?
素直に大連港から帰ったとしか考えられないが。
443 :
427:2005/08/20(土) 23:35:13
>>439 ほいじゃあ、わしもぞんざいな古きよき広島弁を使わせていただく。
あれほど、故人を馬鹿にする、くそ外道みたいなマネはやめい、ゆう
とるんで。両氏じゃのうても、わし自身の知人や親類の幼馴染、友人や
色々とあるが、そりゃあ書けんし、板違いじゃ。こんな、タコの糞が頭に
張り付いとるんか。おどれは、わしの広島弁が変じゃ?わりゃ、広島弁を
知っとるんか。われの広島弁は、なっとらんのう。広島弁でも品性ゆう
もんがあるんど。牛の糞にも段々ありじゃ。(物の値打ちの違いの事)
ほいでわしの事をお前じゃ?何が悲しゅうて、わしゃ、われにお前
あつかいされにゃあいけんのんか。おどりゃ、人をおちょくっとるんか
思うど。「県民別」やら、「お国自慢友の会」たあ、なんなら。よう
解るようゆうてつかい。
わしら、広島の先輩らは、日清から先の大戦迄えっと(多く)血を
流しとるけんのう。じゃけえ、わしも、かばち(文句、言い分)たれ
させてもらうわい。文章は、ささらもさらに(支離滅裂)なって
しもうたが、下駄さんに対するサービスじゃ。日清〜戦前の広島、呉の
話ならよいが、じゃが前半の文に書いたクソ外道みたいなマネはすな。
忠告しとく。
444 :
427:2005/08/20(土) 23:48:34
>>442 旅順港じゃないが同地域の遼東半島で、距離を考えよ。
それと明治44年に広島5Dは、旅順〜天津の警備にもついております。
445 :
442:2005/08/20(土) 23:54:40
>>444 距離を考えたから、「旅順、大連港から帰還」なんて言うのはおかしいと
言ったんだがね。
明治44年に旅順〜天津を警備?
>「父が日露戦争で旅順に行った」
という事について話をしているのに、明治44年の事案がどう関係するのか。
ちなみに私は方言にはさっぱりついて行けませんので、どうぞご容赦。
>>427(205)
後で言うのも恥ずかしいのですが、私の考えの中に「旅順港から上陸、もしくは
旅順港から帰還した」→そのことを旅順に行ったと言ってた。
というのも考えていたので、まさに427(205)さんの意見にすごく納得
しました。
「広島5Dは旅順、大連港から帰還した」という事実は初めて知ったし、まさに
それだと納得しました。実際叔父は「父親は旅順港(口)?行った」と言ってたし。
このことはまたその叔父(80歳)と話してみようとおもいます。叔父も喜ぶと思います。
ところで私(15歳まで福山、以後東京)も福山時代は色々戦争の話を聞いたり
しましたが、福山もすごく戦争でいろいろあった所みたいですね。空襲あったし。
広島で被爆されたかたもたくさんいたし(親類、学校の先生・・・)
戦地での悲惨な話(いろんなもの食べたとか)
子供の時いろんな話を聞きました。
そんな話を思い出すと、「広島の師団ってよほど困難な戦地に行ったんだな」
とつくずく思います。軍のお膝元?だったから仕方なかったのかもしれませんが。
まあ広島と福山では違いがあるんでしょうけど・・
長年の疑問がとけました。本当にありがとうございました。
447 :
442:2005/08/21(日) 00:46:05
>>446>「広島5Dは旅順、大連港から帰還した」という事実
あら事実認定ですか。自分としては、どうだかな〜?と思ってる。
旅順−大連の間って結構距離があるので。直線で50キロくらい?
曲がりくねった線路や道路などでは70キロくらいはあるのだろうか。
「大連港から凱旋」というのなら事実だろうが、これで「旅順から凱旋」
とはちょっと言い方が違いませんか、ってとこだろう。
ところで、その旅順に行ったという人は、どの程度の年齢だろうか。
旅順攻略戦が終了したあとと思うが、後方兵站を担った遼東兵站部
の歩兵部隊の一つとして、後備歩兵第四十一連隊がある。
後備兵として行ったというのならば、この部隊の可能性はあるかと。
>>447 事実認定っていうか。205さんよく知ってるし。
でも442さんも色々考えてくれてありがたいです。
叔父(私の母の姉の旦那です)は80歳で
その人は40歳のときの子供です。だから当時たぶん18,9歳では
449 :
442:2005/08/21(日) 01:38:13
>>448 では後備ってことはないですね。
与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」の弟が、実は旅順に居なかったとか
なんとかという話に似通ったものを感じたのでちょっと拘ってみました。
ざっと見ただけだけど、旅順港は凱旋には使われていなかったようです。
攻城砲兵部隊関連かなあ、などと思い半ばに、さすがにもう寝ますわ。
>>449 後備だともっと歳とってるてことなんでしょうね。
まあ でも、まじでありがたいですよ。
そんな他人のことで色々考えていただいて。
427さんも442さんもほんとありがとうございました。
俺、実は少し涙ぐんでしまったよ。
叔父とは福山帰ったらいつも話すから、なんとなく伝えとくよ。
ちなみにその叔父さんの父親なんだけど
最後は80歳だかで「もう十分生きたから」って絶食して死んだそうです。
すごい最後ですよね。
これからも、ここ読んでますね!では!
あと私は日露戦争は興味あるけど、そんなに詳しくないので
まあ色々な本読んだりしてますが。
もっと私がーーーと思うのですが。
ご迷惑おかけしてすみませんでした・・・・・・
452 :
427:2005/08/21(日) 02:18:15
>>442 揚げ足とりですか。遼東の「東端」は丹東で朝鮮との境であろう。
滞在日数と距離から、旅順、大連と言う表現が、さほどおかしいですか。
>>446 福山第41連隊の日露戦争時の資料が無いので、絶対に旅順に
行かれたとは断言出来ませんが、広島第11連隊のものにも、
10月21日、汽車輸送で大連に向かい、同地にしばらく滞在。
師走(12月)の28日に大連港〜明治39年元旦宇品港とあります。
広島師団ほど、よく使われた師団(戦歴)は他に比類をみないと
今村均将軍や伊藤正徳氏はいわれましたが、更に福山連隊は、広島師団
から離され悲惨な戦闘を経験しました。わしの親類も、広島連隊入隊と
福山連隊入隊の方もおりました。福山に住まれておった親類の方は
某大学卒業後将校となり、部下への責任感から(一兵卒なら違ったと、
うかがいましたが)某戦地にて散華(戦死)です。そして苦闘も軍都の
お膝元故でしょう。
>>447 後備41iが、旅順へ行ったと言う資料は持っておりませんので、
可能性については解りません。
453 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 03:48:58
>>441 440です。レスありがとうございます。
色々と勉強になりました。
わしもromってて少しウルウル気味になったアゲ
455 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 04:10:43
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456 :
下駄さん:2005/08/21(日) 07:11:57
427よ。
>明治時代 一番強い(といわれた師団)は ?
という質問が発端だったんだろう。
そこになんで日華事変の話や大東亜戦争の話が出てくるのか
と問うておる。それを含めて「鈍い」という定評を持ち出して
いるのは「全国県人別雑学なんとか本」の類ではないか。と
指摘しただけだぞ。それでいくと広島県民は根気がなくてダメとか。
岡山県民は小狡くてダメとか。山口県民は大言を吐くばかりでダメとか。
鳥取県民は出不精でダメかと。島根県民は米よりパンを好むからダメかと
なるではないか。お前がいくら郷土愛に燃えようが、そのために他地域の
ことを性質で批判すれば贔屓のひき倒しになることがわからんのか。
↑上の書き込みを見てみろ。洒落なのかどうかはわからんが大分の選挙権
がある人間には悪影響だと思わないか。
さらに問う。なぜ、「ミイ」とか「紙屋町」と揶揄されて、わざわざ
出典もとをベラベラ書き込む。この掲示板で知らない人はまったく
知らないネタで、お前が広島だというから特別に贈ってやったんだぞ。
お前が己の知識をひけらかした欲望は理解できたとしても
すべてが逆効果だということが解らないのか。
>故人となられた両氏の名を使いんさんなや。失礼じゃろう。
なんだ、これは? 日露戦争に従軍した兵士はみんな故人だぞ。
お前が言うとおりように堅気の衆に悪さしなかった人だったら
別に怒らなくても胸を張って「ワシはミイじゃ。紙屋町じゃ」
といえばいいだろう。都合のいいときだけ故人を持ち出すな。
お前の話は尻滅裂で俺にはちっとも忠告にならないな。
サービスしてくれて有難う。誤字を指摘してはいけないぞ。
昨夜は遅くまで張り付いていたのか?早く起きろ。
457 :
442:2005/08/21(日) 10:06:35
>>452(427)
>揚げ足とりですか。遼東の「東端」は丹東で朝鮮との境であろう。
遼東半島の東端、というのは思い違いだった。
大連湾と金州湾に挟まれて狭くくびれた地峡から先の突端部の東端と西端、
という意味で書いたが、たしかに遼東半島、という呼び方は相応しくなかった。
>滞在日数と距離から、旅順、大連と言う表現が、さほどおかしいですか。
おかしいですよ。「旅順、大連港から帰還」ってのは。
こちらが大連湾金州湾の地峡以西の地域を遼東半島と呼んだ程におかしい。
大連港のある辺りを指して旅順など、絶対言わないでしょ?
直線距離にして50、道程としてなら70キロは離れているんだから。
公刊日露戦史によれば、凱旋帰国のために使用されたのは大連と柳樹屯とあるので、「旅順、大連港から帰国」というのが、「旅順港」という意味なら、
それは間違っている。そして凱旋帰国の最中に大連・柳樹屯辺りに滞在した
ことを「旅順に行った・居た」というのならば、それは言い方が違ってませ
んか、ってものだ。
元福知山さんを置いての話になってしまっているのは申し訳ない。
458 :
427:2005/08/21(日) 13:44:56
>>456 「鈍い」日露戦争日記のP41じゃゆうて書いとろう。
わしゃは、県人別の類の本は読まんし、巷でゆう県民性は信用せん。
広島県民は根気がない?根気がのうて持久防御戦に実績を残せるんか。
今村均将軍も「今更ながら広島人の粘り強さと闘志に感じ入った。」
と述べておられる。戦場でこそ真の郷土性が出る。
わしゃは知識が足りん。故に調べようとするんじゃ。
日露戦争で散華された方々と都合云々?何の関係があるんか。
>胸をはって。そがいな事出来る訳なかろう。故人の名を騙り、
しかもあだ名を使うんは非礼なことじゃ。
>サービス有難う。始めて下駄さんから礼儀正しい言葉をいただいた。
どういたしまして。
>>457 近い地域という意味で使いましたが、確かに誤解を招くし、正確では
なかった。「大連港から帰還」と訂正します。
442さんを誤解し、わし自身が揚げ足取りをしてしまった。442さん
自らの文に誤りを認めておられるのに、わし自身はつまらんことをした。
これも我が未熟な人間性ゆえ、反省しております。
迫撃砲って日本軍が考えたの?
460 :
459:2005/08/21(日) 17:14:14
おっとスレ違いのようでしつれいしやした
461 :
下駄さん:2005/08/21(日) 17:24:00
分かった分かった。427よ。
お前さんが広島に誇りを持っていることは十分わかった。
で、ちょっと質問があるんだが、いいかな。
迫撃砲って日本軍が考えたか?
南山坡山 ( )読み方がわかるか?
そこから旅順港は見渡せたか?
お好み焼き、焼きそば、たこ焼きのソースは使い分けているのか?
それは特定のブランドなのか? 野球は断然!広島カープなのか?
牛の糞にも段々があるというが、自分としては何段目か?
未熟な人間性を反省することが日に何回ぐらいあるのか?
今度の選挙では広島6区の亀井静香を応援するのか?
「祭」と聞くと「血」が騒ぎ特攻服で出かけてしまうのか?
地場産業として広島に本社のある会社の株を持っているか?
帰省したときに友人・親類以外の大人に言葉使いを注意されたことはあるか?
妹に「サラのカラーテレビ買うちゃるけん」といったことがあるか?
推敲( )読み方がわかるか?
以上、制限時間130分。
462 :
459:2005/08/21(日) 17:42:37
1・知らんから聞いた。2.なんざんはざん?3.いったことないので
4.もちろんだ。99ショップのソースだ。野球は巨人だ。
5.最上階だ6.いつもだ。しかしここで未熟な人間の質問にも答え
てくれる下駄はすごいと思う。最近は漫画で日露戦争に興味を持つ
奴多いからな。ここが一番親切。他でこんな質問しても馬鹿にされるか
怒られるだけだ。
7.ほりえもんだ。が、おりはまだ権利なしだ。
8.チャリでな!9.無い10.ある11.テレビは普通カラーだ。
12.(とかげ)だ
以上だ
463 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:45:28
>459
イイ子してなさい。
464 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:54:41
つうか迫撃砲
距離短い大砲だよね
軍事スレみたいなとこのほうが
466 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:01:26
>>458 要するに、
435 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/08/20(土) 16:05:48
要するに、全部の師団が広島人だったら日露戦争はハルビンまで行けたし太平洋戦争はワシントンま
で行けたのだ。広島人最強! 広島師団最強!
それを東北人や九州人が足を引っ張ったばかりに日露戦争では奉天まで行くのがやっとだったし太平
洋戦争なぞは無様にも負けてしまった。
連合軍がどれだけ広島師団を恐れていたか、という証拠の一つが当時二発しかなかった原爆の第1号
を広島に落としたことだ。
日本人たるもの、最強の兵の集う街広島を讃えることを一日一時たりとも忘れてはいかん。
ってことだろ?
広島人だけ出征させてれば良かったな。本当に日本陸軍はバカだよな。(w
467 :
下駄さん:2005/08/21(日) 22:29:25
だめだよ459。せっかく427に質問したのに横取りしちゃあ。
俺も期待してたもんだから途中まで427が答えてくれたものだと勘違いした。
427負けるな!美味しいところを459に持っていかれてしまってるぞ。
栄光の広島師団はもう少しだ。制限時間なんて気にしなくていい。
問題がむずかしかったら新しく作りな直すぞ。
ちょっとウルルンが途中なんで、また、あとで、な。
468 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:55:14
>>417
>井上光が指揮した九州の第十二師団が一般的強いとされた。
あと仙台の第二師団が強いとかはよく聞くけど、
それは、小説とかの中だけの話なんだろうか?
それとも伝説だけが一人歩き?
なんで金沢の第九師団や広島の五師団が強かったとかはあまり聞かないの?
旭川何勝、仙台何勝、東京何勝、広島何勝、久留米何勝 みたいに
はっきり結果でてるから仙台の第二師団や久留米の第十二師団が強いとされてるの?
469 :
427:2005/08/22(月) 01:26:33
>>461467 わしも、イルカを見よった。南山坡山から旅順が見渡せたんじゃろうが、
気象条件はわからん。追撃砲、Mortが英語で何の略かも知らん。
榴弾砲やカノン砲、臼砲も車輪接地点より架尾までの距離や、
そこからどの程度の道幅が必要かも解らん。逆に質問するが追撃砲は
砲弾の装薬を外し、雷管だけで撃つとどうなるんか?
使い分けん。ブランドも店で食うんと自宅じゃ違う。白肉を食いよった
んで、今日はソースに縁がない。鯉兵団とは、どの師団か。
糞の話は、まんくそ(縁起)悪うなったら困る。「まんくそ」は関東地方
じゃあ誤解を招く。わしも失態した。反省する回数迄数えん。
わしゃ、経済人を嫌うとる。義理は別とし、株の趣味も無い。
戦争体験者の古老もいわれたが、戦後日本人が経済人化し、精神が
堕落したと思うとる。偉そうなこたあいえんがのう。祭りじゃ、特攻服で
出るんは最近のことで、わしゃは、関心が無い。言葉使いは無いが、いや、
わし自身無神経なんじゃろう。じゃが、テレビで見るタレントらを見て
つかいや。帽子とらんと視聴者の前に出て、他国の食文化を気持ち悪いと
ぬかしあがる。おどれらは、何様かいの。まあ保守、革新の文化人を含め
外道のペテン師らものう。今日は午後5時に知人を敲門した。かばちたれて
しもうた。じゃが質問が多すぎる。
470 :
427:2005/08/22(月) 02:47:52
>>468 一般の世評と441で書いた松川大佐のち少将の兵団評価のように
実際とは違います。世評では同じ九州でも久留米師団より、熊本師団の
方が勇猛振りで有名でしょう。
広島師団は黒溝台、奉天と感状を貰い特に奉天では最前線で激闘した。
後の昭和期も師団としては無敗です。マレー作戦でも広島師団は25軍の
最エース師団で中核、近衛師団と久留米師団は準エース級師団です。
名古屋師団も三河、遠江の豊橋連隊も武勲の部隊ですが、それ以上の
武勲は、駿河、伊豆の静岡連隊でしょう。荒々しさには欠けるかも
しれませんが、素質は良い。日露戦争では遼陽の激闘、日華事変でも
富士山のマークは中国人も敬意を持ち強い部隊との認識もありました。
「大東亜戦争 研究室」で検索すれば、各師団が明治以来どのような
戦歴を持っていたか参考となります。さほど、詳しくは無いのですが。
まあ何勝何敗とか言ったら
五師団なんて日清も義和団の乱でも中心で行ってるわけでしょ?
それで427さんの言うように昭和期も師団としては無敗ならば
勝率10割?(こんなこと書いたらまた広島師団が皮肉られるけど)
それならなんで第二師団や第六師団ばかり有名なの?
海軍の小笠原長生みたいな宣伝屋がいたの?
それとも県民性?仙台の方は派手好きな伊達男なの?
九州男児は防人の血をひいてるからそのイメージ?
まったく分かりません。
まあ俺なんて戦争の表ッ面しか(も)知らないから
偉そうにいえないけどww ただやっぱり地元東京師団ファンかなww
「大東亜戦争 研究室」検索しますね。
レス当分出来ないかもしれないけどまたお話しましょう。
472 :
468:2005/08/22(月) 03:55:34
ごめん471=468です
473 :
下駄さん:2005/08/22(月) 04:58:42
ウルルン観た後、眠気がおそって寝てしまった。
427よ。少し見直した。また、洒落に絡めて底意地悪い質問をして悪かった。
イヤな思いをさせたなら許してくれ。俺も反省はよくする。
広島の軍団が弱いとかは俺は思っていない。
また、俺が好きな木越安綱が途中で師団長になったんで、注目もしている。
日露の将官クラスとか高級参謀で気にくわない者はいるが、旅団、師団、軍団に
そんな感覚をもてない。深い考察があればまた違うのだろうが、その意義を解せないでいる。
一般論として第十二師団が強いと謂われたのは「九州」というこのなんじゃないだろうか。
俺は特別の思い入れはないな。大阪師団云々ではないが貧しいさが強兵を生むのかな。
都会的でもないしね。すべての選択肢が少ないんじゃないか。悲しいな。
私事だが、司馬が何かの余談に「熊本鎮台」の弱さを書いたものがあったが、
この「熊本鎮台」出身の祖父が幼い頃よく歌ってくれたのが
「熊本鎮台♪糞鎮台♪鉄砲持って♪何処行っとが♪」だった。
踊りが下手で音痴なブラザーがいるように、下戸の九州男児もいる。
出身師団の特徴はあるだろうが、強弱はちょっとわからんねぇ。
>>470 > 後の昭和期も師団としては無敗です。
そりゃ、戦争中期以降の装備優秀、戦意満々の英米軍とは戦ってないからのう。無敵じゃな。(w
第一師団はレイテで米軍に負けた。
第二師団は蘭印で勝ったがガ島で米海兵隊、ビルマで英軍に負けた。
第六師団はブーゲンビルで米軍に負けた。
第七師団は一木支隊がガ島で壊滅した。
第八師団はルソン島で米軍に負けた。
第十師団もルソン島で米軍に負けた。
第十四師団もパラオで苦戦した。
第十五師団はビルマで英軍に負けた。
第十六師団は比島で辛勝したがレイテで全滅した。
・・・・・ってやっておったら無敗の師団なんぞ探す方が難しい。
ずっと中国軍相手に勝ち続けた三や十三、緒戦の勝ち戦の時しか戦ってない近衛二や四・五、結局
実戦に参加しなかった九みたいなのしか残らない。
475 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:32:13
「九みたいなの」ってトホホな言われ方だなw第九師団は旅順で頑張っただろ。
476 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:30:46
トピずれだけど、まず真珠湾攻撃の時に陸軍をハワイに揚陸させるべきだった。
それからハワイを占領して、アメリカとの本土決戦を狙えば
少しはいい戦いができたと思う。
なぜ?陸軍は戦線を広げてしまったのか?と思う。
ハワイを軍事基地にすれば海軍もアメリカ本土への攻撃のための燃料を節約できる。
陸軍と海軍が別々に戦争をしていけば、ボロ負けは必至。
クマクマ
478 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:54:49
>なぜ?陸軍は戦線を広げてしまったのか?と思う。
例えばそうだな、今、君がやっていることを考えてみよう。
トピズレだけど、と殊勝に断ってはいるが、なんのかんの言っても
やってることは論点の無駄な拡散に過ぎない。
なぜ?476は論点を広げてしまったのか?と思って考えてみてくれ。
479 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:59:42
まあまあー ^v^
480 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:14:05
481 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:23:18
軍国主義はやめましょう。
>>475 ああ、一応勝ちも負けも昭和16年以降に絞ってみた。
最終的に勝った戦争では、どの師団もそれなりに働いたと言われればそれまでだから。
483 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:16:48
476は、自身が批判しようとしている昔の陸軍そのまんまってこった。
戦線拡大に批判的な事を言った同じ口でハワイ上陸って、お前の頭はオカラで出来てんのか。
>>482 裏返せば、最終的に負けた戦争ではどの師団もボロクソに言えるんだが、
その点はどう考えたのか。
485 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:19:59
486 :
427:2005/08/22(月) 22:55:03
>>471 日清や北清事変(義和団の乱)にも主力として参戦しました。昭和期も
無敗ですが、紙一重の激戦でした。まあ広島師団は、スッポンみたいに、
しぶとい部分があります。世評とは、人気投票みたいなもんです。
九州兵団の特徴は、特に熊本師団の様に、幕末以来の伝統か、それ以前か
知れませんが、立ち射ちをして、「戦死者のほとんどが眉間を射抜かれて
いた」とあるように、「潔く闘い、潔く死ぬ」という美意識があったので
しょう。逆にそれが欠点となった部分もあり、兵站の不安はよくいわれる
事ですが、シンガポール戦でも、広島5Dとの対抗意識で久留米18Dは、
ろくに付近を掃蕩せず急進し、軍司令部が危うい場面もありました。
東北兵は、命令に忠実なので、餓死してもその場を離れず、東北兵団の
指揮官が守る事は、「命令を出したら解除を忘れぬこと」日露戦における
仙台師団の弓張嶺、師団単位の夜襲は、その集団主義的長所が出たが、
昭和期には、戦闘形態も、小隊単位から分隊単位、横隊から縦隊と戦闘も
複雑に変化し、東北兵団の長所も生かし難い形態となった面もあります。
487 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:22:13
>>483 お前のような馬鹿亜科には第二次世界大戦中に日本がどこと戦っていたのかは
理解できんだろうな。
戦線拡大の本当の意味合いが理解できていない。
488 :
427:2005/08/22(月) 23:22:33
>>473 いや、さほど不快には、思うとらん。木越氏は、名将であると思うとる。
黒溝台で、広島5Dに感状を授与した立見氏よりも。
わしゃ、高級指揮官、参謀は、少数の立派な方は別として、異なげな
(変な)人も多かったと思うが、明治期は、昭和期よりは良かったと
思うとる。大阪師団については、日露戦でも、よう奮闘したのうと思う。
> それからハワイを占領して、アメリカとの本土決戦を狙えば
まさか伝説のガッチリハワイにこんなところでお目にかかるとは。腹イテエ
>>487 お前もか! 軍事板逝ってその話してみ。人気者になれるぞ。
>>489 いや、広島人だけでやれば案外取れるのではないか?何しろ日本最強の精兵だから。
で、海軍も呉鎮守府所属艦だけ使えば制海権取れるし。
492 :
427:2005/08/23(火) 00:54:12
>>474 マレー戦で英国が戦意満々でなかったのであれば、シンガポールで、
久留米18D大村55iが壊滅状態になったのは、弱かったんか?
仙台2師団は、蘭印戦で静岡230連隊のバンドン要塞占領に、むくれ
正式入城は我師団にと軍司令部を動かし、ガ島でも、救援の静岡230
連隊の対応に冷たかった。伊藤正徳氏は「このような師団(仙台2師団)
に、ガ島の堅陣が抜けるか。」と書いておられる。
今村均将軍も、静岡230iの東海支隊に感状を授与されたが、その蘭印戦
も今村氏は、広島5Dが激闘した「南寧のような激戦とならずにけりが
ついた。」と語られた。仙台2Dは、勝敗以前の問題であろう。
最後の中国軍相手に勝ち続けた名古屋3D、仙台13と書かれておるが、
名古屋3D、仙台13Dが冬季作戦で李宗仁軍に撃破され、広島39Dが
救援した事は、他板のスレでも書いた。
広島5Dが特設師団も創設出来ん(他に名古屋3D、善通寺11Dも
上海戦の激闘で死傷者が多く特設師団も出来ず)ほど前線で死傷者を
出した激戦続きであった事も書いたはずじゃ。
わしに対しストーカーをしとるが、もう少し書物を読んで調べておいで。
493 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:02:43
>>480 お前にお前呼ばわりされる筋合いはねぇ。反論があるなら具体的な物を
書けよ、お前が馬鹿でなければな。
494 :
493:2005/08/23(火) 01:09:03
>>490 の間違いな。
つうかよ。馬鹿の490よ、軍事板にハワイ占領の意見は既にあるじゃねーか。
お前はそこでレスでもつけて遊んでいろ。どうせ、馬鹿なんだから。
495 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:12:48
>>489 お前のような馬鹿がいたから日本は負けた。
つうかお前のような馬鹿が勝手にアメリカと戦争して負けたんだがな。
>まず真珠湾攻撃の時に陸軍をハワイに揚陸させるべきだった。
>それからハワイを占領して、アメリカとの本土決戦を狙えば
こっそりハワイに忍び足で近づいて一撃離脱が関の山だったのに、
陸軍を揚陸させるだと?
寝言は寝て言え。
当時にお前のような馬鹿がいなくて良かったよ。
498 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:41:19
>>497 だから、お前は馬鹿なんだよ。
そんな逃げ腰根性のお前のような馬鹿が指揮を取ったから
日本は負けたのがまだわかんねーのか?
無理ねーよな。腰抜けなんだから。
499 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:43:03
>>497 で、お前の意見はそれで終わりか?
もういいぞ、書かなくて意味ねーからな。馬鹿に意見を聞くのが無意味だった。
500 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:46:28
>>497 それに馬鹿のお前は日本は宣戦布告してアメリカとは戦争したのも知らんのだろう。
外務省が宣戦布告を通達するのが遅れただけだ。
それに忍び足だってよ。
お前がいつもしているこそ泥行為と日本海軍の宣戦布告の上の行為が
同一化されてはたまらんわな。
501 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:51:35
>>499 >お前の意見はそれで終わりか?
>もういいぞ、書かなくて意味ねーからな。
それって、涙目で「今日はこの辺にしといたるわ」って言ってるのと同じ。
反論しなくちゃダメダメよ。
当時の戦力で、どうやってハワイに陸軍占領部隊を持っていくんだ?
さあ反論を書け。さあさあ。
502 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:53:16
>>501 お前まじで素人で実は単なる馬鹿だろう。
503 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:55:36
>>497 日本の宣戦布告も知らないなんて実は在日なんじゃないのか?
今週の日露戦争物語
大山巌の絵はあれでいいのか?
山県有朋の絵はすでに人じゃなくなった。
505 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:00:31
ハワイ揚陸は確かに危険だが、戦争の全体状況を見通した場合
その程度の危険冒すことは覚悟する必要があった。
506 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:01:49
夏休みだから501のような厨房が出てくる。
507 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:05:08
>馬鹿のお前は日本は宣戦布告してアメリカとは戦争したのも知らんのだろう。
> 日本の宣戦布告も知らないなんて実は在日なんじゃないのか?
宣戦布告を知らないんだろう?という勝手な想像が、いつしか思い込みに。
多分次には、在日なんじゃ?という勝手な想像が、いつの間にか思い込みに
なるんだろう。
なんて便利なあたまをしているんだろうか。
508 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:07:14
>>505 >その程度の危険冒すことは覚悟する必要があった。
覚悟しても出来ないものは出来ないの。残念でした。
それとも、出来るとホンキで思ってるのかお前は。
509 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:11:40
皇軍に不可能はない。
510 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:12:48
>>508 馬鹿か、お前は。
できないのではなくやらなかっただけだ。
お前のような馬鹿のおかげで負けたんだと言う事をいい加減に自覚しろ。
>できないのではなくやらなかっただけだ。
おいおい。 暴れるのもいいかげんにしろ。ご近所迷惑だ。
師団論争に嫌気がさしてる側がスレ流しをしている可能性について
513 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:16:15
もし508のような馬鹿が存在せずに強行に揚陸していれば
その後の戦力はがらりと変化する可能性が大きかったのは
508のような馬鹿以外なら誰にでもわかる事だ。
514 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:17:36
>>511 確かに話を元に戻す。すまない。話が馬鹿のためにそれて。
515 :
下駄さん:2005/08/23(火) 02:20:07
もう、その辺にしよう。「日露(旅順)の白兵戦」だろう。
因みに陸軍は太平洋へ戦線は拡大したくなかったのが本音。
これも海軍の意向が強く働いていたとも聞く。
最近「日露戦争物語」はどの辺まですすんでいるんじゃろう?
山県が人ではない? そりゃいいやあ。でも巌はこまったなあ。
明日立ち読みでもしてみょう。
516 :
511:2005/08/23(火) 02:22:06
いっとくが、俺はハワイ占領なんてオバカな事をいう側がウザイと思ってる。
そこんとこよろしく。
では話を元に戻せ。
下駄さん・・・アンタ・・・
秒読み、戻せ。
519 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:26:27
>>515 下駄さんさえよろしければ
スレ違いだけど、この流れにのっていただいてもいいのでは
そしてまたじっくりと明治を語りましょう。
520 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:32:05
連載、話が飛びすぎ。 先週号で石原が出たのはなんだったんだ?
このスレ自体がなんなんだ?だよ
522 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:39:22
>520
江川も盆休みと思われ
奴はこんな手をよく使う
まあ、だいぶ前に「日露戦争を書くために漫画家に・・・・」
みたいなこと書いてたから
奴には期待してる。
523 :
下駄さん:2005/08/23(火) 02:40:49
ああ、そうなんだ。
ちょっと空気が読めなかったんかな。また、反省じゃ。
しばらく旅ば打ってきますけん。
明治になったら会いましょう。
さあ、決着つけろ。
524 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:45:12
>>522 先々週?乃木がちょびっと出たんだよね。桂の絡みだったかな。
これもそれっきりだし、これがこの作者の手法なのか。
連載ならいいけど、単行本になるとき困るんじゃないのかな。いいけど。
525 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:54:20
>524
乃木の絵は
映画「二百三高地」の仲代達矢の乃木に負けてない?
まあ奴もなんかアシスタントいなくて一人で
描いてるみたいだからな。
でもやっぱ主人公はかっこよく・・・・・・・・
526 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 03:10:05
いっとくが、俺はハワイ占領なんてオバカな事をいう側がウザイと思ってる。
そこんとこよろしく。
では話を元に戻せ。
>526
いいよわかったよ ^v^
528 :
日本人:2005/08/23(火) 08:33:44
>>526
越中褌つけた日本の兵隊がビーチをウロウロするなんて考えられないよな。
ジャングルがピッタリ。
529 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:20:22
530 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:36:51
ちなみに海軍はハワイ占領を考えて陸軍に打診をしていたが断られていた。
28サンチ榴弾砲あるじゃん
もしあれがまともに要塞に当たったとしても
要塞は破壊できたの?
できたとしても中のロシア兵追い出すには
白兵突撃するしかなかったんだろ。
だからしかたなかったんだよ。
だから、広島師団と呉鎮守府所属艦だけで日露戦争やってればよかったんだよ。
多分、史実では気息奄奄で奉天戦やってたころにはペテルブルグでニコライが降伏文書にサインして
いたんじゃないかな。
それを、鈍重な東北人や単純ヴァカの九州人や逃げ足の速い関西人や理屈倒れの関東人が足を引っ
張ったからあんな中途半端な勝ち方しかできなかったんだ。
むしろ、こいつらをロシアの援軍に送った方がよかったんじゃないか?(w
533 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 19:15:46
>>532 もうそれ飽きたよ。次の面白いこと考えてくれ。
>>533 いやだ。
日本人が全て広島師団が最強であると認め、リスペクトするようになるまでは止めないぞ。
リスと言えば、児玉源太郎
536 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 14:00:23
>535
うまい!!!!
顔がリスみたいだから?ついたあだな?
でもあのひとかわいい顔してるよね。
537 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 15:10:10
>>536 機敏さからの新聞評。
いろいろ兼務することから「児玉の要(かなめ)」とも評された。
>>537 コダマネズミ=どっかの地方でのヤマネ(リスみたいな動物)の呼び名。
だからと思ってた。
旅順要塞はお化け屋敷じゃ・・・
誰も生きては帰れんぞぃ・・・
540 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:42:41
軍司令部の参謀・津野田は謂う
「お互い今度も馬鹿死にしなくてすんだな」
おい、口に出していいことと悪いことの
分別はないのか。津野田大尉。
旅順要塞攻めの第三軍はお化け長屋の住人だ。
541 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:50:57
そんなことだから少将止まり
542 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 18:06:28
津野田は軍人向いてなかったんじゃない?
543 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:57:13
キャラクターとしては面白くてもね。
たとえば寅さんがスクリーンでやってるぶんには笑えるが
身内とか身近に存在するとそれはそれで頭が痛いあれだ。
軍人に向いていないというよりも
よくいえば天才肌で、天然が入った明治の人だったのかな。
乃木は非常に可愛がったようだが。
544 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 00:06:55
2回全滅した41連隊は無視ですか(レイテの方は捕虜を含めて帰還0)
>>543 て・天然が、め・明治日本を・・・((( ;゜Д゜)))ガクガクプルプル
546 :
427:2005/08/27(土) 01:37:03
>>544 >452でも書いておるが、その2回全滅とは、ニューギニアの
2千余名の死没も含んでのこと?
福山第41連隊のニューギニアでの戦闘は、6ヶ月の長期にわたる食糧の
不足と悪疫により、退却した将兵であったが、生存者の誰一人「敵は強い」
とも「戦闘で負けた」とも言ったものはなかった。
レイテ島は、広島5Dから離され、平壌30Dの編成下で、補充員も多く、
郷土部隊とはいいがたいが。レイテの方は、7月15日玉砕とある。
(しかし昭和21年3月までの投降人員は15名、一方ミンダナオ島の
第3大隊は、9月7日に武装解除をした。899名中生存者491名。
またガヤンに残置していた、132名は、任務を継続していたが、
昭和20年1月9日ダバラにおいて投降した。生存者89名。旧連隊員の
調製記録)。
もし乃木ではなく、他の指揮官だったらもっと早く、被害も少なく旅順を落とせたのですか?
誰がやっても同じだったのでは。
「い、生きちょるゾ〜。こ、このスレ生きとるもんがおるぞ〜!」 将校A(双眼鏡見ながら・・・)
「うむ。このスレ続行!」 乃木(双眼鏡見ながら・・・)
*書いてて虚しくなったwwwすまん・・・
549 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:45:01
>もし乃木ではなく、他の指揮官だったらもっと早く、被害も少なく旅順を落とせたのですか?誰がやっても同じだったのでは。
誰がやっても同じだった
なんてことは有り得ないんじゃあないですか。
どんなに旅順要塞が難攻不落であったとしても
>>549 それはやっぱり乃木は駄目ってことですか?
素人考えで、ああいう組織のなかでは指揮官一人が別人だとしても
たいしてかわらなかったのかなと思ってしまいまして。
失礼しました。
551 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:34:11
乃木は駄目です。
要塞築城世界一のロシアが作った旅順要塞の威力は想像を絶するものでした。
そのことを危惧していた者は皆無に近かったでしょうね。
(田中義一、秋山好古など少数はいたにはいたようですが)
確かにこの旅順要塞を陥落させたのは乃木第三軍です。
その死傷者数と期間を計っての論議であると予測の範疇を越えません。
ある人はこれだけですんだから優秀であるといってきます。
また、永久要塞を、ロシア側は三年もたせる腹づもりだったのを
6カ月で落とすなんて超スピーディーではないかと訴えるでしょう。
攻城は消耗戦であり被害は当然だともいう。
しかし、その結論として、だから乃木は名将なんだ。のオチが付きます。
乃木は名将などではありません。
実際は現実不可能な架空の設定ですが
黒木=藤井の第一軍 奧=落合の第二軍
野津=上原の第四軍のいづれが攻略にあたっても
経過と過程と結果は異なったはずです。
ああ、指揮官ひとりがという前提でしたね。
私の考えは乃木=伊地知の組み合わせに比重がかかっていますが
うーん。やっぱり違っていたでしょうね。
>ロシア側は三年もたせる
これはウソ。
ウソを積み重ねないと 名将という結論はでない。
553 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:02:51
とまあ、そんなところで、色々な関連書籍を引っぱり出してきては
乃木は名将だ名将だと連呼する。
戦死者1万人と見積もったが1.5倍ですんだから名将だという。
戦死者じゃなくて死傷者1万人にいつのまにかすり替わってしまう。
なんで、乃木をそこまでして名将に仕立て上げなければならないのか
さっぱり理解できない。洒落でやっているのかな。
今井均が言ったとか誰それが言ったとかいうけれど
「名将乃木希典」論には無理があると思うよ。
なんだかんだで、やり遂げて成功を納めたのだから、評価されるべき。
愚将論者の言うことを聞いてると、まるで旅順を陥落させられなかった
みたいじゃないか。
名将論の方に分があり、愚将論の方に無理があると思う。
555 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:59:09
>>551 ああすれば、誰がやっていれば、なんて、いつまでも結論の出ない繰り言を
言ってるだけですよ。
「結論のでない問題に悩みつづける私って、ああ・・・」という自己陶酔に
かかっていませんか?(H×Hのシャウナントカのセリフにこんなのあったよ)
556 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:23:44
標高が203メートルだから、203高地と呼ばれた。
アラビアのロレンスがペルシャ湾に面した要塞を攻略した時の戦法と、旅順攻撃の戦法はウリふたつ。
日本海海戦の高速小型船を用いた戦法と、スペイン無敵艦隊を破った時の英国海軍の戦法もウリふたつ。
愚将だったとしたら、後の軍神?扱いはどうしてだろう。
そういう軍神?を意図的につくったのかもしれないけど。
それだったら愚将の乃木があんな扱いにならないのでは。
アホな国民はだまされてたのかな。
ちなみにウチの田舎の本家にはいまだに
天皇陛下の写真と乃木将軍の写真がある。
558 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:43:52
意図的に陸軍が作り上げました。
当時の乃木の評判はさほどのものではありませんでした。
殉死の際も批判的な意見が多かったようです。
悲しいかな国民はアホです。
それはそれで乃木は不器用な愛すべき人間だったと思います。
問題はかれが長州出身で
軍の最高指揮官という職務を執ったこと。
その存在をその後の軍部が利用活用したことにありますが、
もっと問題なのは今頃になって再び乃木を名将に復活させようという動きです。
これは靖国問題同様にその賛否の中に様々の意志があるようです。
司馬を批判して乃木を擁護することが知的なトレンドのようになっていますが
司馬と「坂の上の雲」は横に置いて、客観的に乃木が名将かどうか考えてみましょう。
愚将とはいわないでも、凡将という位置づけでよいのではないですか。
名将とはそう沢山存在するものではないと思います。
旅順が陥落したから乃木は名将というわけにはいかないのです。
559 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:57:45
>>558様
>もっと問題なのは今頃になって再び乃木を名将に復活させようという動きです。
これは靖国問題同様にその賛否の中に様々の意志があるようです。
これはひょっとして小泉政権とかの陰謀なのですか?
我々国民はもしかして操作されているのですか?
そうですデムパが飛んでるのです
561 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:08:47
対象が歪んだ歴史オタクだから
残念ながら陰謀にならない。
小泉は選挙で忙しくてそれどころではない。
今年は靖国にもいけなかった。
だから心配しなくていいよ。
(´・ω・`) <ほっ!!
563 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 23:44:08
乃木大将を名将にしようという動きがあるのは初耳だ。
564 :
427:2005/08/28(日) 00:47:14
今村均将軍の『乃木将軍は無能ではない』から、
『(中略)当時の陸軍首脳部の多くは旅順をもって堅固な要塞とはみず、
野戦同様に戦えるものとみており、現に「強襲をもって一挙に旅順を
ほふれ」と肉弾攻撃を要求しており、伊地知参謀長がこれを諒として
作戦を立てている以上、たとえ将軍が途中でその非に気付いたとしても
容易に訂正はしにくかったであろう、とのことは軍司令官として戦って
きた私の経験からいっても、そう了解される。かつての陸軍のよくない
伝統であったが(中略)終りに当って、前述の上原元帥が私に対して
語られた言葉を引用して小文を結びたい。
「旅順攻略のことで、乃木大将と児玉大将とを比較するのは間違いだ。
児玉大将と伊地知少将との比較はされるが、あんなに多くの死傷者を
生ぜしめながら衆心一致最後まで戦いを通させたのは、やはり乃木将軍の
武徳のいたしたところだよ」
戦略、戦術に長ずることは勿論軍司令官に必須の条件ではある。が、
この部下の衆心一致を得る点も、軍司令官の能力を評価する場合欠か
してはならぬことと私は理解しているのである。』
(昭和四十二年七月十四日 読売新聞掲載)
565 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 00:59:30
ぜんぶ司馬が悪いんだよ
566 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:51:20
悪いのは「谷寿夫」です。
567 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 04:35:16
日露戦争に勝利した日本と
ソビエト・ポーランド戦争に勝利したポーランド
どっちが凄い?
前者は有色人種が列強の一角に乾坤一擲の初勝利。
後者は20世紀を震撼させた超大国ソ連の初黒星。
568 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 05:27:35
ソ-波戦争で大活躍したビウスツキ将軍の兄は
20世紀初頭にサハリンに流刑されて現地のアイヌ女性と結婚した。
少数民族の研究に熱心で数々の足跡を残したそうな。
祖国より遠く離れた地で怨敵が敗れるニュースを聞いた時は嬉しかったろうなー
日露戦争の方が世界に与えた影響は大きい
・・・・と信じたいな。
570 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 07:30:49
乃木は名将以外のなにものでもない!
児玉なんかがシャシャリ出てくるからいけないんだ。
ほおっておいてくれれば旅順は陥落寸前だった。
乃木の統率力があってこそ旅順は攻略できた。
571 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:16:45
>570
天下のNH○で203高地やった時も、児玉なんてふれなかった。
この世の中になんと児玉狂が多いことか。
>>571 再放送で、字幕を改変してわずかに触れた。
抗議かなんか来たんかな?
574 :
つづき:2005/08/28(日) 08:28:26
たすかに児玉いなくても大丈夫でした
575 :
571(574):2005/08/28(日) 08:37:01
>573
そうなんですか?
世の中の柴漬けの抗議でしょ?
ひょっとしてご子息に「源太郎」って名付けた柴漬けの某政治家さまじゃない
んですか?
まあ児玉は物語を書く上では必要なキャラなんでしょ。
ファンのひとごめんなさい。
576 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:45:02
>天下のNH○で203高地やった時も、児玉なんてふれなかった。
>この世の中になんと児玉狂が多いことか。
公営放送として、世の乃木狂の方々に配慮してのことです。
色々と抗議が殺到して業務に支障がでるんですよ。
577 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:19:56
歴史が動いたでは最初は、児玉の関与は放送する程の事ではないと判断して
いたんだろうな。
それが再放送では字幕スーパーの改変がなされ、児玉の名を差し込んだ。
業務に支障が出るような、色々な抗議が殺到したんだろうか?困ったものだな。
>>576へ。こんな児玉狂のために字幕改変が行われた可能性があるんだが、
こんな困ったチャンはどうしたらいいと思う?
578 :
困ったチャン:2005/08/28(日) 14:34:57
ほんと児玉馬鹿には困っちゃう。
名将乃木希典。乃木は人徳の名将です。
郵便局は絶対民営化しません。
579 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:44:36
NH○に抗議の電話した(笑)
「源太郎」とつけた政治家って誰?
知らなかった。教えて!
580 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 15:10:49
「源太郎」(みなもとたろう)
漫画家です。by秋田書店
581 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 17:15:16
機密日本史のおかげで第二次世界大戦では乃木のように塹壕を掘らすに
アメリカと対戦したために陸戦で敗北を帰したとあるが本当か?
>>550 指揮官は正直誰でもいい。
ただ、攻める側に第五師団がいなかったのが攻略を遅らせる原因になった。
583 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 10:11:44
582>>
またかよ。それにしても<550>なんて、、、引っ張りだしてきたね。
第五師団万歳! だ。
師団長は名将木越ということで、一応、賛成しておく。
>>581 日露戦争の旅順戦を精神主義のみで勝ったから、その後は
装備・技術を軽視するようになったのぢゃーーーーーー!
日露戦争・旅順攻防戦がその原罪ぢゃーーーーーーーー!
その犯人が乃木希典名乃ぢゃーーーーーーーーーーーー!
ですよねぇーーーーーーーーー谷せんせぇーーーーーー!
大阪府 芝 漁汰朗
585 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 13:20:23
児玉源太郎は天才なのぢゃーーーーー!
芝 両多労
芝さん、日露戦争の英雄達が昭和軍部を育てたんですよ!
>>583 第三軍は、第五師団と軍直轄部隊だけで落とせた。
東京人や金沢人や道産子や四国人等に任せたから何個も師団を投入しなければならなくなった。
こんなヘタレ師団を何個もらってもはかがいかず、乃木さんがかわいそうだ。
第五師団を第三軍に編入しなかったのは、満洲軍総司令部が意地悪だったからだ。
588 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 18:42:43
>>586 そんなん嘘や「昭和にはいって急に魔法にかかったんや!」
谷先生もそうゆうてはったわ。
志波量田牢
日露戦争の真の名将は黒木為驕B
鴨緑河渡河作戦を皮切りに様々な進撃を展開したが、
なかでも弓張嶺大夜襲作戦と太子河秘密渡河作戦は、
世界に誇れる名作戦で、各国の観戦武官を驚嘆させ、
黒木軍の動向はクロパトキン大将に最後まで脅威を与え、
戦局に多大なる影響を及ぼした…
…みたいな事が私読んだ本には書いてありました。
ちなみに乃木さんは愚将扱いです。
乃木と黒木と、どっちのが怖かったのだろう。クロパトキンは。
黒木って、小説とか読むと猛将みたいなイメージです。実物は知らんのだが。
あと、参謀との相性が良かったのかな。
猛将黒木を藤井がなだめる」みたいな・・・俺のかってな妄想だけど
でも黒木だけ元帥になれなかったんじゃあなかったけ?
>591
黒木大将が元帥府に漏れ枢密顧問官止まりだったのは、
不公平人事の最たるもの、だそうです。
「軍閥興亡史(1)日露戦争に勝つまで」ってのが私の読んだ本です。
「坂の上の雲」は、まだ読んでません。
>>590 村西とおる氏曰く、
「 黒 木 香 で ご ざ い ま す 」
594 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:50:32
>>592 なんか黒木って頑固そうだからな。
だれか敵がいたんじゃない?だから元帥なれなかったのでは。
でも最近の流行からすると
司馬とか読む気なくなるよね・・・
面白いけどね。
某国民放送で「坂の上の雲」やるとかいってるけど楽しみにしてるし。
595 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:56:29
>>588 お前に偉大な司馬先生の何がわかるっていうねん。
今週の日露戦争物語
今週の大山巌は少しかっこいい。
先週までのは故 坂本九だ。
たぶん今日清戦争だから日露戦争の
場面では俺の知ってる
巌になるのだろう。
597 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 03:06:55
おっ黒木がまともに扱われている。
第五師団の呪縛がようやくとけたか。
日露戦争の時ってもう確かカーキ色の軍服になってたんですよね、写真とか見ると半々くらい
なのかな、黒とカーキ。
俺は最初、「カーキは夏服」「黒は冬服」って思ってた。行き渡ってなかったのかな?
(誰か教えて!)でもなんか日露戦争って「黒の軍服」って感じしませんか。(俺だけ?)
詳しくないから偉そうにいえないんだけど。映画とか錦絵の影響かなw
でもこれからの江川の漫画や国営テレビの「坂の上の雲」ではきちんと史実どうりに作って
ほしいと思うにわか日露戦争マニアでした。 失礼しました
>>598 日露戦役のときのカーキ色の軍服は、
三十八式といって、日露戦役の真っ只中に採用されました。
採用理由には、「大陸の野戦では黒がとても良く目立ち、敵の的になりやすかった」ということが挙げられます。
昭和五式などと違って、上衣の袖と袴の側面にラインが入っています。
また、それまでの黒い肋骨も使われてます。
これは、三十八式の生産が追い付かなかったことと、肋骨が勿体なかったという事情がありました。
なので、奉天にて撮影された二元帥と六将軍の写真は、人によって軍服がまちまちです。
中には、上衣→カーキ、袴→黒という方もいます。
>>594 坂の上の雲はストックしてあるんですよ。
ただ、今は千葉周作を読んでるもんでw
もともと幕末・戊辰戦争関連の小説を読み漁ってるから、
司馬作品は結構読みましたが、個人的には読み易くて嫌いじゃないっす。
日露戦争に興味を持ったのは、闘将伝・立見鑑三郎を読んだからなんだけど、
いきなり全8巻の「坂の上…」は読む気になれませんでした。
長編小説は「会津士魂」で懲りたw
>>597 「軍閥…」から入ると黒木ファンになると思いまする。
601 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:22:26
>>599 レスありがとう m(_ _)m
マニアの方のご意見で勉強になりました。当方まだ勉強不足で申し訳ありません。
昭和のとも違うんですね。でも写真では乃木は黒が好きみたいですね。
最近日露戦争関係の書籍をよく読むのでまた今までと違う見方で楽しめそうです。
でもやっぱり日露戦争でカ―キの軍服はピンとこない俺ですが。
602 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:37:54
>>600 立見は美化されすぎだと思う。
桑名藩時代はいざしらず、奉天会戦のミスは一生ものだと思う。
なんでこの人が軍神なんだろ?
美化されるのは、書き手の思い入れによるでしょう。
戊辰戦争で勇名を馳せたけど、やはり黒溝台が決めてですかね。
ただ日清戦争での立見の指揮能力も評価高いんですよね。
まぁ旧幕軍唯一、明治陸軍大将まで昇りつめた人ですから。
604 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 00:20:44
黒は夜襲のときに便利だと思う。
暗闇に乗じて奇襲がかけやすい。
だけど日本陸軍って夜襲が基本のような気がする。
605 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 00:32:56
白襷決死隊の集合写真にやけに白襷が太い方が…。(左下)
このかた大丈夫だったのだろうか?
606 :
427:2005/08/31(水) 01:30:46
「そもそも指揮官の能力とは、智謀よりも人格的識見にある。
戦闘は下級指揮官と兵士の手仕事であり、末端の上等兵でも、
軍の参謀よりは数段優れた作戦指導が出来よう。それを部下の意見も
聞かず、無謀である余計な作戦を立て、下級指揮官の邪魔をし、
犠牲者を増やす。上級指揮官に人徳さえあれば、部下のゆう通りにして
くれれば、いくらでも神輿に担げるんじゃが。自惚れしたんか、頭に血が
上がったんか、敵を識っている者には出来ん芸当である。いったい上の
人達は何を考えとるんか。と前線の兵士は思う。」
このようなことは、昭和期程ではないとしても、明治期でもあったのでは
ないか。一部の立派な方を除いて、上級指揮官は概ね愚者であろう。
607 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 01:39:28
>>606 誰でもいいんだが、一応聞いておきたい。 誰の言葉だそれは?
>末端の上等兵でも、軍の参謀よりは数段優れた作戦指導が出来よう
ここまで読んだ。あとは読む気が失せた。
608 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 02:01:13
>>606 まあ普通の会社とかとかわらないんですかね。
>一部の立派な方
そうゆうのがカリスマってやつなんですかね。よく分からないけど。
609 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 02:29:44
辻〜んや牟田口の出現を予言してたのか…
610 :
427:2005/08/31(水) 02:29:52
立見尚文氏は、広島第5師団へ感状を授与されたが、文面に柳條口占領と
村山支隊の活躍は書いてあるが、摺沢支隊の活躍について記してない。
『摺沢支隊は二十八日蘇麻堡西北端を占領これを固守していたが、
弘前第八師団苦戦の報を受けて午後五時第五師団長(木越安綱広島5D長)
から救援の命を受けた広島第十一連隊は第一大隊(第四中隊欠)と
第五中隊をして第八師団の左翼に延伸し、攻撃して敵前五百米に進んだが、
隣接隊との関係で、一時蘇麻堡まで還り、翌二十九日連隊は、第四連隊と
ともに黒溝台を占領したうえ渾河を渡って烟台子をも占領した。』
立見氏は、黒溝台の占領だけは苦闘した自分の師団の手柄にしたかった
のか?また日露戦争を体験した郷土兵士は、第八師団は、こんな敵を
よう撃退出来んのかと広島の部隊は、歯がゆい思いをしたそうな。
こう書くと、また広島厨といわれるが、余計な事じゃが書いておいた。
611 :
427:2005/08/31(水) 02:47:18
>>607 戦闘体験者の戦記に、記してあったもんじゃ。
>>608 特別に個人崇拝をしておりません。
しかし、日本史板には、歴史上の人物を個人崇拝する人達が多いと思う。
歴史に名を残す人物も、一部を除き概ね愚者であろう。
階級が上層へいくほど。
age下駄さんどこいったage
>>末端の上等兵でも、軍の参謀よりは数段優れた作戦指導が出来よう
思い込み 思い込み 思い込み 思い込み 思い込み
残念、記念品は受け取れません。
614 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 09:21:51
>>596 たしかに今週はだいぶ人物は真面目に描いてる気がする。
まあ日清戦争時の顔だからな。しかし背景ほとんど“真っ白”だぞ。あれはああゆう手法なのか?それともまじで人手不足なのか。
615 :
下駄さん:2005/08/31(水) 10:30:35
>>612 心配しなくても下駄はちゃんとお前を見守っているぞ。
>>427 誰かと思ってさかのぼってみたら、あの427か
なかなかいい書き込みだった。読み返しぞ。
読む気のない者に記念品など貰ってもしょうがない。気にするな。
まあ、気にもしないだろうがな。俺も木越ファンの一人として
黒溝台に駆けつける木越第五師団には興奮した。いい師団だ。
ただ、あんまりやると贔屓のひき倒しになるからそのへんが課題だな。
616 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 13:31:04
下駄さん、末端の上等兵がどうやって作戦指導するんだっての。
ダメだろこれ。
まあ前線で命がけの兵隊の繰り言としては納得できるよ。
俺らがこんな悲惨な戦場にいるのは上の奴のせいだ、って事で。
でもそれ止まりだ。
部下のゆう通りにしてくれれば、のくだりに至ってはお前ホントに軍人かと。
個人崇拝はしていないが師団崇拝はしているということで。(w
619 :
下駄さん:2005/08/31(水) 17:21:58
なに?ダメか?
>>427 は戦闘体験者の戦記だけだろう。そう一々反応しなさんな。
組織は軍隊でも普通の会社でも同じだ。師団長は師団長の旅団長は旅団長の
連隊長、大隊長、中隊長・・・上等兵の役割がある。(なぜか軍司令官をいれてない)
それはみんな知っているし、カリスマなんぞというものはそうそうおらんし、
カリスマだと言われた者も暫く経つとインチキ詐欺師だったというオチが
多いではないか。ましてや職業軍人でもない徴兵されてきた者に
>お前ホントに軍人かと。といっても。
ワシは岡山の百姓じゃ と言われるだけだよ。
個人崇拝も師団崇拝も関係ない。一番上等なのは勝って生きて帰れる上官に
乗れることなんだろう。みんな勝ち組に乗りたいんだ。
そこらあたりは昔も今も変わっていないんだと、先の文面で感じたよ。
620 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 19:49:06
つながるのかな?
徴兵されていたとしても、国民の義務で徴兵されて一定の期間、軍人をやってるんでしょ。結局、軍人であることは間違いないわけで。
なんとも酷い言い振りだよ。日本軍の兵士は優秀というのはよく聞くが、
中にはこんな酷い出来の人もいたのだな。
622 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 21:33:23
>>616 >末端の上等兵がどうやって作戦指導するんだっての
そもそも上等兵とかにそんな権限はあったのですか?
俺の妄想では上から命令がでて下は、それに従うのみみたいなイメージ。
例えば「そこに待機」と命令がでれば死ぬまでずっとそこで待機するし、
AとBというルートがあって、どう考えてもAが正しくても
命令で「Bを行け」と言われれば死ぬとわかっててもBを行くみたいな。
命令は絶対で下っ端にはそんな権限なんてなかったのでは。
623 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 21:56:54
日露戦争について真実が書かれているのは、『日露戦争を演出した男モリソン』ウッドハウス映子著、新潮社。
日本人の書いた日露戦争はウソ八百だから読む価値まったくなし。
ステッセルの降伏が日露戦争の勝因になっている。そして多分、英米の工作員がステッセルを買収し、降伏をうながしたのだ。
ステッセルの降伏が無ければ、奉天の大戦に旅順攻撃隊を送り込むことができず、この大戦は負けていたかもしれない。
>日本人の書いた日露戦争はウソ八百だから読む価値まったくなし。
とりあえず、貴方の読んだ「日本人の書いた日露戦争書籍」を
聞いておきましょうか。
626 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 22:08:30
627 :
427:2005/09/01(木) 22:13:56
>>616 上等兵を馬鹿にしとるが、昭和期、戦闘形態が小隊から分隊単位へと変化
し、もし分隊長が死傷すると歴戦の古参上等兵が指揮をとることになり、
古参兵の英知で勝敗がきまる。そがんことが、解って書いとるんか?
これは、お国自慢板『郷土の英雄。帝国師団の歴史』スレにも書いたが、
「戦争は参謀たちの作戦計画の通りには突発するものではない。
考えも及ばない時間と場所で突然、バタバタと始まる。最前線の下級
指揮官と兵士の英知と英断、度胸、機敏さが戦局を制し勝敗を決める。
従がって戦争の真実は、第一線の戦闘参加者でなければ解らない。」
「いきなり戦場の主のような、兵を指揮しようとしても、そう簡単に問屋
が卸さん。戦闘の経験も、味噌汁の数も部下兵の方が数段上である」
と戦記にある。まあ広島人は、人の風下に立つのを嫌う部分もあり、
上の命令に忠実じゃった美風?を持つ東北人とは違う。じゃが、生命を
賭けて最前線で闘うた戦闘体験者の記録をよう馬鹿に出来るのう。
天保銭(陸軍本科出身者の徴章)をつけたつもりか?こんなあ、上級
将校の多くが、戦闘に拙劣、卑怯であり、敗戦後の混乱期、戦友を敵に
売り、部下兵を食い物にしたことはざらにあったことをどう考えるんか?
>ステッセルの降伏が日露戦争の勝因になっている。
>そして多分、英米の工作員がステッセルを買収し、降伏をうながしたのだ。
↑
多分てなんだよ?多分て…
真実が書いてあるんだったら、憶測で騙るなよw
629 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 22:21:05
623は日露戦争に日本が勝ったのは、ウリ達のおかげニダ!
って言いたいんじゃねww?
630 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 22:25:52
>>627 おちつけ。
軍の組織としてみれば、上等兵は「末端の上等兵」としか言いようがない。
まして話題が「作戦指導」なんだぞ。
これを馬鹿にしていると受け取る方がおかしい。
おちつけなかったら回線切れ。うっとうしい。
632 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 22:35:35
203高地頂上付近で
「将校殿〜〜〜将校殿はおらぬか〜〜〜御指示を〜〜!!!」
ってどうしていいかわからない指示待ちの兵隊がいっぱい死んでった?
っていう某少尉の手記をどっかのサイトで見たよ!
それを見て俺は「命令がないとなにも出来ないんだな」と思った。
どうも、軍全体から見ての上等兵の立場と、命令系統に支障が出るような
戦闘下での上等兵の重要性とがごっちゃになっているような。
634 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 22:50:41
>633
失礼しました。
仕切ってください。お願いします。
> 日本人の書いた日露戦争はウソ八百だから読む価値まったくなし
このフレーズ、ヤフー掲示板の中で見た覚えがあるな。
>>634 あいや、こっちこそ傍からいきなり失礼。どうぞどうぞ。
636 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 23:08:35
> 日本人の書いた日露戦争はウソ八百だから読む価値まったくなし
んじゃあ素直でよい子のおいらは外人が書いた日露戦争読めばいいのか?
637 :
427:2005/09/01(木) 23:22:36
>>619 職業軍人将校よりゃあ在郷軍人将校の方が、はるかに有能じゃった。
部下からも信頼されとった。郷土の地縁もあるしのう。下手げなことは
出来んよ。
>>630 もしかして、名?参謀である辻政信氏のファンか?
また戦記から「安全な後方の作戦室で、専ら机上の作戦遊戯を弄ぶ
だけで、前線も実戦も経験なく、敵と闘ったことのない、敵も味方も
わからない雲の上の参謀に、作戦の責任指導をさせていた。これが
日本陸軍のエリート主義の愚かな実態であった。エリートコースを
たどった秀才がいかに愚者で小人物であるかということは、軍人だけでは
なく、現在の政財界を観ても一目瞭然である。」
638 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 23:39:41
下駄さんがまた行方不明な件
639 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 00:04:19
>エリートコースをたどった秀才がいかに愚者で小人物であるかということ
>は、軍人だけではなく、現在の政財界を観ても一目瞭然である。
書いた人の底が知れる。
多いよな、こういう書き方。
例も挙げずに、こう書いてわからん奴はダメだ、といわんばかりの。
例えば「この服は馬鹿には見えないんです」と言う詐欺師の手口だ。
戦記戦記って、その連呼になんの意味があるんだか。
なんの特定もできんぞ。よもや(仮想)がつくんじゃあるまいが。
まあ427はいいスレの肥やしになっとるよ。せいぜい気張れ。
戦争経験者いないもんな。
なにに頼ればいいのか。
642 :
427:2005/09/02(金) 00:49:37
>>639 >多いよな、こういう書き方。
まず、こういう書き方という抽象的なもんじゃわからんので、
われが、例を出せえや。例を挙げんのは、おどれじゃ。誰がゆうたんか?
ほいじゃが、文章全体が抽象的すぎる。何が云いたいんか?
最前線で闘うてこられた方を罵倒するんもあきれたわい。
>>640 どこが、仮想なら。戦記の記述は『華中第一線』からのもんじゃ。
はいはいクマクマ
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください
答えてください
この世のありとあらゆるものの
すべての生命に約束があるのなら
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去る様に 冬が来る様に
みんな逝くのですか
わずかな生命の
きらめきを信じていいですか
言葉で見えない望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で
と
つ
げ
き
|
|
|
|
!!!
646 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 04:04:18
9月3日の赤坂である日露戦争100周年祝う会に
行く人いる?
行きたかったがな。
さすがにためらったよ。
648 :
下駄さん:2005/09/02(金) 08:17:47
>>638 心配しなくても下駄はちゃんとお前を見守っているぞ。
しかし、屁のたしにもならん議論だな。上等兵がどうのって
どうでもいいじゃないか。427もそういう意図でのしたんじゃないだろ。
軍司令官の在り方にいこうよ。
軍司令官とは
実質的な軍事行動の現場責任者として
(1)戦闘経験豊富な戦(術)上手。
(2)参謀に総てを託し最終決断をするのみ、むしろ人格が重要。
以前の小川の不評はガミガミいうから駄目だったという者がいたが
それは(2)でないと軍司令官は務まらんということか。
小川の不評????? (?_?)
勉強
>>630 よく読め。参謀を貶して上等兵を褒めてるんじゃなくて、東北人を貶して広島人を褒めているだけだ。
それ以上でもそれ以下でもない書き込みだ。
652 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 22:01:09
>>637 指揮官が安全な場所で作戦を練るのは当たり前のことじゃないか。
将棋だって王将を歩よりも先に突っ込ませるような真似はしないだろ?
653 :
:2005/09/02(金) 22:04:59
自爆キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!
盧溝橋事件がきっかけで日本と中国は全面戦争になった。
盧溝橋事件は日本側が仕掛けた悪事だと宣伝されている。
ところが、この盧溝橋事件を仕掛けた真犯人は中国共産党員だと
自分自身で白状した。
それは、中国共産党員エージェントが日本軍をあおって
盧溝橋事件を引き起こしたという内容だ。
戦禍が拡大すれば、中国社会が混乱する。事実、そうなった。
その混乱に乗じて中国共産党が不安定な中国を乗っ取り、
共産主義国を建国した。
そして、中国共産党は粛清を開始した。大陸全土を人権のない
地獄の世界に変えた。
すべては共産主義者のシナリオどおりに20世紀は終わったと。
やっぱり左翼はずる賢い。国家転覆を常に狙っている。
北京TV「盧溝橋事件は支那共産党地下党員がまんまと引き起こした」と報道
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組
「社会透視」内で、支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の
盧溝橋事件は、北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた
共産党地下党員『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。
http://usam.blogtribe.org/entry-ab5da5fe2dc41716359b819172eefbab.html
654 :
427:2005/09/02(金) 23:33:51
>>648 わしは、(3)戦闘経験豊富な下級将校、下士官、古参兵と人徳をもつ
上級将校じゃ。
大器は茫洋模糊として掴みどころが無いようでも、此処一発というときの
断を誤らない。これに反し小器は不断は口うるさく威張っておるが、
肝心な此処一発、百尺竿頭後一歩というところで采配が揮えず、頭も
回転せずと云うことじゃろう。まあ学校秀才のエリートは、狭量で単に
記憶力に優れておるだけで、創造力、判断力、思考力に欠如し、自ら秀才
と信じ、自分の考えが一番正しいと妄想し、他人の言葉に耳を籍さん
偏見が身についておるんで始末が悪い。
>>651 東北人を全て貶めとらん。わしが名将と尊敬する今村均将軍も東北人
じゃろう。
>>652 指揮官でも、小隊長は先頭におりゃにゃあいけん。ようは、辻政信氏の
様な作戦を練る参謀をどう評価しとるんか聞きたい。天才か?奇才か?
655 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 00:04:37
> 自分の考えが一番正しいと妄想し、他人の言葉に耳を籍さん偏見が身についておる
427のことか。
少なくとも国際的な評価では日本軍の下士官などの前線指揮官の評価は非常に高いけど
参謀クラスの評価は大部分の人物が無能扱いされてますね。
657 :
下駄さん:2005/09/03(土) 08:02:35
>>427
>(3)戦闘経験豊富な下級将校、下士官、古参兵と人徳をもつ上級将校
お主が言う、(3)は理想だ。そうあることにこしたことはない。
ここのスレではなかったが小川又次は(1)は満たしたがガミガミ屋で
(2)が欠けているので駄目なんだそうだ。
で、結論として軍司令官には向かないとあった。
で、よ。当時の軍司令官は作戦は参謀が取り仕切るのであれば、
御輿のようなもので、最終選択と決断その責任をとる存在なる。
階級がひとつ違うだけで師団長と軍司令官の在り方のギャップは大きいようだ。
乃木の名将愚将論にも必ずこのファクターが登場する。
軍司令官としての在り方と責任について考えしまった。
軍司令官=(1)<(2)ということか・・・
総司令官の大山では納得できて、第一軍の黒木では間尺に合わない。
それに人格者という条件がどうも曖昧すぎてすっきりしないな。
>>657 そんな要素は関係ない。広島第五師団が加わっているかいないかが強弱の差だ。
659 :
下駄さん:2005/09/03(土) 18:55:20
ほう、お前は427か?
せこい煽りなんぞしくさって、
ほっかむりしないで言いたいことがあれば
もっとシャキッと言えよ。他人の威をかりて言葉遊びなんてするな。
馬鹿な奴なのは確かなようだな。それもホームラン級だ。
黒木は性格的にだめだったのかな。
661 :
427:2005/09/03(土) 23:40:47
>>657 今村均将軍は、「アレキサンダーにしても、ナポレオンにしても、項羽に
しても、軍隊と苦難を共にしていた間こそ、常勝将軍だったのだ。下と
離れて豪華な生活をやりだし、酒と女に身と心を傾けだしたときに、皆
いけなくなってしまったと私は考える。やはり将師の(将に将たる)
人徳は、欠いてはならず、この徳は、部下の部隊長をとおしてでは
あっても、全軍の衆心一致に役立つものと思う。」
名将の条件は、敵の戦闘員以外の者には(降伏した者にも)慈悲心を
持つこと、温情、部下に対して愛情を持ち、自らが規範を示し、階級が
上がれば、星の数が増えるほど自らの戒めとする。ということじゃと思う。
662 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:47:17
勝ったんだからみんな優秀。やはり明治の軍人は違う。
663 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:50:52
おかしいのは、俺以外の投稿者が虚栄心と自己愛のオンパレードってこと。一種の狂信。日本は英国の後ろ盾が無ければとても日露戦争には勝てなかった。ステッセルの降伏がそのいい例。
664 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:52:59
ここの投稿者って、坂の上の雲を読んでジーンとした連中ばかりだろ。NHKの大河ドラマがお流れになって残念だったね〜。
665 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 01:25:27
「坂の上の雲」べつにジーンとはしないよ。いい本なんだろうけど。
なんかで「管理職の人が選ぶ、部下に読ませたい本ナンバー1だとかいってたけど、
どうなんですかね。
あれ読んで世の中の人みんな自分の会社と軍隊をだぶらせてんですかね。
真之とかになったつもりになるんですかね。
大河ドラマがお流れは知らなかった。
結構楽しみにしてたからちょっと残念だ。
>664
そうかなー
ここってかなり「坂の上の雲」には批判的なのばかりじゃない?
>>427 アレキサンダーの最後は勝利の宴会中に死んだのじゃなかったか?
最後まで前線でがんばってたけどな。
あと、大小スキピオとか豪華な生活をしててもハンニバルには勝っているし、
一概には言い切れない。
組織の中での人材活用という点において、其の程度の当たり前の事しか
述べいていない今村均も二流。というかガダルカナル、東部ニューギニア戦の
餓死させた日本兵の責任は取ってないからな、この人。
ガ島で前線が飢えている時にこの人はどこにいて何を食っていたか知りたいものだ。
でもそれは権限があれば仕方のないこと。それをわかってるのかわかってないのか、
後半のナポレオンを引用している時点でDQNだな。
ガ島やニューギニアで負けているのになぜ不敗の名将なのかわからん。
668 :
下駄さん:2005/09/04(日) 08:37:43
>>667 >ガ島やニューギニアで負けているのになぜ不敗の名将なのかわからん。
今村均が「人格者」だったからだ。それ以外のなにもでもない。
俺も今村均はビジネス物から知ったが、確か組織がテーマだったと記憶する。
しかし、軍隊が組織である以上、それはそれで重要な事だと思う。
二流云々は別として、人格者の今村氏であれば「当たり前」の事しかいわないだろう。
それが限界であるとすればそれまでだろうが、案外「当たり前」の事に
真理はあるようだ。これは今村均を擁護するものではないよ。
名将とは時として無力な存在なのかもしれない。
669 :
427:2005/09/04(日) 17:43:51
>>667 アレキサンダーは、インド遠征には失敗しておる。
インド軍は、地形を利用して出没し、遊撃戦で戦い、不意討ちが出来る。
密林に隠れてイポウという毒矢をつけて弓で射る。こういうゲリラ戦に
やられ、消耗し、泥沼にじりじり沈むような敗北感、結局厭戦感が軍団を
覆う。兵士達はアレキサンダーに反抗し帰国を迫った。そして進軍を
断念し、引き返すことになった。
第二次ポエニ戦争でイタリアの耕地がハンニバル軍により荒らされた
ことも合わせて考えよ。
ガ島や東部ニューギニア戦の責任がどうして今村氏にあるんか。
戦場の現場におられたわけでもあるまい。第八方面軍司令官として
ラバウルに着くまでは、ジャワ軍政でも成功しており、ガ島撤退にも
尽力しておられる。今村将軍は、不敗の名将である。
>>669 アレキサンダーが不敗の名将だとは主張しとらん。
前線にいただろうーって述べてる。
第2次ポエニ戦争のハンニバル軍により荒らされた事があるというのはどうでもよくて、
大小スキピオがどこにいたが、最終的には勝った話しをしている。
第8方面軍はガ島戦の責任がないと言い切る貴方に何を言っても無駄かな。
671 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 19:23:58
アレキサンダーからスキピオとは
ついでにジンギスカンとナポレオンもよろしく
672 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 17:38:43
ここ最近の日露本
1. 真説日露戦争 加来耕三 2005/09
2. 「驕る日本」と闘った男日露講和条約の舞台裏と朝河貫一 清水美和 2005/09
3. 栄光の日露戦争 円道祥之 2005/09
4. 日露戦争明治人物烈伝 明治「時代と人物」研究会 2005/08
真説って?驕るって?栄光って?誰って?
673 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:24:31
名将の失敗をさけんで愚将とするのは、名将を神格化するよりも有害だ。
674 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:26:03
野村監督にも星野監督にも失敗はある。
675 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:34:50
中央の参謀が「無能な現地の三軍」にあれこれ言って、旅順を陥落させた。
・・これが「坂の上の雲」の旅順の全体ぞうね。
野村監督や星野監督が失敗しても、選手が死ぬ事は無い。
>>673-675 >名将の失敗をさけんで愚将とするのは
ある人の失敗をさけんで愚将とするのは・・の間違いだろうけど、
意図的にそう書いたんだろうね。
信じている人には何を言っても無駄だけど。
>>676 そういう意味じゃないと思うが。
一般的に名将と評価されている人物も、失敗はするという意味だろう。
その分野が球技か軍事かという事を言っているのではなく。
名将というのは、常勝という意味では決してない。
>>672 その4、今日立ち読みしてきたよ。ひどい本だった。
「坂の上の雲」の世界から一歩も出ていないじゃないか、なんだこれ、と
思って表紙の副題を読んで納得した。これ、「坂の上の雲」のファン本なのな。
近年まれに見る駄本だった。ブクオフ直行。
680 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 03:28:29
>679
初心者なのですが、
日露戦争物でおすすめ本はあったら教えてもらえませんか?
乃木を野村監督や星野監督と比較するのが間違い。
乃木の比較として適当なのは長島監督。
実力無くても名声でOK
682 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 07:09:38
>>678 確かに乃木はコテンパンだったね。
でも最後に「乃木以外に誰が旅順を陥落できたのか」を
上原ではなく児玉に言わせたのは大きいんじゃない。
司馬「坂の上の雲」ファンは乃木に対して憎悪すらもっている。
対して児玉はスーパーマンだから
そんな連中には考えるヒントになるのでは。
683 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 07:49:59
確に児玉源太郎はすごい人だったのだろうけど、もし小説「坂の上の雲」がなかったら、ここまで有名になれただろうか?
684 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 08:10:04
>680
司馬遼太郎の誤りを正す
「名将 乃木希典」桑原嶽
685 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 08:22:04
確に坂本竜馬はすごい人だったのだろうけど、もし小説「竜馬がゆく」がなかったら、ここまで有名になれただろうか?
686 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 08:45:58
児玉源太郎は司馬が書かなくても…………
と釣られたフリをしてみる。
687 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 09:11:28
自演 乙と自分にツッコンでみる。
>>678 旅順攻略作戦の第一回総攻撃で、15,000人以上の死傷者を出して
失敗したのにも拘わらず、同じ攻撃方法(正面砲撃&突撃)を繰り返し、
30,000人以上の兵士を死傷損耗させてますよね?
常勝云々より、名将なら同じ攻撃方法を繰り返さず、
別の攻撃法を考えませんか?
ワンパターンの攻撃方法で失敗しまくっといて名将とは、これいかに…
689 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 11:02:54
>>688 無理、無理、彼らに何をいっても時間と労力の無駄だよ。
方法論以前に命令だったから「しょうがない」でいつもけつまくる。
結果的に旅順は乃木が陥落させた。だから名将なんだよ。
これが歴史的事実のようだ。
乃木は長島なの。星野や野村ではありません。
しかし、乃木が長島っつうのもいやだなあ。
乃木は堀内です。結果は出していませんが。
690 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 11:10:45
なんかあなたがたすごくイイ。
691 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 12:00:31
旅順攻略の後、総司令部では乃木への批判が高まっていた。そのとき、児玉源太郎は叫ぶ。
「それでは問う、あの難攻不落の要塞をおとす極限の苦戦を、乃木以外に勝てる男はいたか!」と。
日露戦争とは、旅順とは、そういう戦いであり、明治人はこのように戦った。
「日露戦争明治人物列伝」271頁
692 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 12:49:12
糞本からのコピペか。
693 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 12:54:51
>>691 そのセリフは、なにがしかの根拠があるものだろうか。
つかこの本、誰が書いたのかぜんぜんわからんのだな。
分かるのは出版したのが徳間書店、執筆が明治「時代と人物」研究会という事だけか?
匿名掲示板のノリで書いたのかなもしかして。
694 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:07:55
それでは、旅順第一回総攻撃について語りましょう。
695 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:14:42
…と自分では語れないので他の人にふってみた。
696 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:23:51
いやあ、あれは失敗でしたな。
なはなはなはなは
by 伊地知幸介
697 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:32:20
まあ、一回目ですからね。どんなもんか試しにやってみないとね。
698 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:45:17
それでは、旅順第二回総攻撃について語りましょう。
699 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:50:39
いやあ、また失敗でしたな。
ほへほへほへへへへ
by 伊地知幸介
700 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:53:29
早っ!もう第二回?ダメだよ。
いい?
これから俺が無い知恵しぼって第一回総攻撃について語るから、おまいらはそれを叩き台にして話しを膨らませるんだ。そして真実の第一回総攻撃を…
701 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:56:16
それでは、旅順第三回総攻撃について語りましょう。
702 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:58:06
こらぁ〜
703 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 13:59:20
わしは神経痛でわしの責任ではない。
準備不足、砲弾不足のせいだ!
いてててて by 伊地知幸介
704 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:03:17
>703
おりには分かるゾ
本当はおまい、第一回総攻撃について語りたくてウズウズしてるだろ?
じゃ後はまかせたからな。
705 :
696、698、699、701、703:2005/09/06(火) 14:10:50
>>700 すみません。勢いで、その、ウケを狙って、つい。
許しください。もう御邪魔はしません。
反省しています。ぐっすん。
だから僕にまかせないでカラッキシなんです。
706 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:20:44
僕もで〜す。
でもあれだよ。
一回目なんてやってみない事にはしょうがないんだよ。
でも二回目で同じ事繰り返したのが乃木がせめられた理由だよ。
707 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:34:50
第三軍が日本を出発するときの命令書があるから
しょうがなかったんだろう。
それを実直に遂行することが軍人の使命なんだ。
708 :
688:2005/09/06(火) 14:50:15
ぶっちゃけ俺も日露戦争は、詳しくないんですが…
と、前置きしつつ
旅順第1回総攻撃は、日清戦争時の旅順攻略戦と同じなんだよ。
ある程度砲撃を加えた後、勇敢な歩兵達による決死の吶喊突撃で、
敵堡塁砲台に突撃し、たった一日で旅順要塞を陥落占領した。
ちなみに、それを敢行したのが、第一師団の乃木さんと西寛二郎。
日露戦争での旅順第1回総攻撃では、10年前と同じ方法での、
勇猛果敢な歩兵の吶喊突撃は通用せず、いたずらに将兵を消耗させて
しまったんだなぁ、これが。
ようするに、日本軍より兵器が劣り、さらに203高地の重要性をまったく考えなかった
清軍に通用したが、ロシア軍には通用しなかったってこってすな。
709 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:56:12
>>707 その頃はもう海軍は「203高地とってくれ」ていってたの?
それと、あの攻撃の仕方もその命令書にかかれてたものなんですか?乃木は実行しただけで責任はないの?
偉そうにスマン。
ロシア軍も消耗してるんだからいいじゃないか。
要塞攻略では攻め手側が大損害を食うのは当たり前のこと。
711 :
688:2005/09/06(火) 15:18:20
712 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:26:40
>>709 まさか釣りじゃないよね。藁も詳しくないんですが…
なんかこんな前置きしなきゃならないのがつらいネ。
この命令書っていうのが他のスレでも話題にのぼるが
具体的にどう書かれてあったかは藁もすらんのんじゃ。
708が言っているように日清戦争で1日で堕ちたから
「すみやかに陥落させろ」って書いてあったんだろう。
それで三日で陥落させる計画を立てて、失敗した。が第一回攻撃の顛末。
「203高地とってくれ」は早い時期あったと思うが、それが第二回の前か後ろか
はたまた第一回の前だったのかは藁はしらん。発案者は海軍の秋山真之だった
とされている。ここから荒れるのか、ああ、気が重い。
713 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:27:12
まあまあ、楽しくいきましょうや。
714 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:32:08
>>712 そんな釣りだなんて…。
ここは大人の社交場だぜ
715 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:36:26
>>710 >ロシア軍も消耗してるんだからいいじゃないか。
>要塞攻略では攻め手側が大損害を食うのは当たり前のこと。
で、おきまりで大体こうくるパターンなんだよね。
いいわけないんだよ。相手に如何に被害を拡大させて
味方の損傷を少なくさせるかが腕の見せ所だろう。
その工夫はないのかと言っても
「ない」っていった日には力が抜けますよ。
716 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:41:37
712はイイ度胸してると思うぜ。
712のためにもはっきりさせようぜ。
台風だし。
717 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:50:02
ギャー!
やっぱり、大人の釣り堀、入れ喰い、キャッチスレ、
>>709 騙したな!
718 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 15:54:27
騙すなんてそんな。
719 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:00:56
じゃあ第一回総攻撃は乃木=愚将ということでいい?
720 :
688:2005/09/06(火) 16:01:11
>>715 もう私は疲れました…
はっきり言ってロシア軍の消耗度合いは、
日本軍のそれに比べたら微々たるもんなんですよね。
しかもロシア軍の精鋭は温存されてるし、さらにヨーロッパ方面からも
精鋭が集結してきてる訳だし。
バルチック艦隊が全滅しようが、ロシア国民の世論がなんと言おうが、
ロシア皇帝が「ハルビンで全軍を立て直し、日本軍に総攻撃を仕掛けよ!」
なんて命令を出したら…消耗戦じゃ勝ち目無いと思われるんだけどね。
そうだね。
腰をすえて掛かられたら1945年と同じことになるね。
722 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:02:50
意義有り!
ここで乃木を愚将にするのは問題あり。
(乃木を名将と認めない有志の会)
723 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:08:08
第一回の失敗は誰のせいだ?
殺し過ぎだ!
第一回でもっとひっぱろうぜ。
はっきりさせようぜ。
724 :
乃木名将非公認会:2005/09/06(火) 16:09:12
ああ、びっくりした。間に合ったよ。
ここまでは乃木の責任として愚将軍とするのは酷じゃないかな。
我々は「乃木名将推進派」と違って紳士的で品性がありまともじゃなくちゃあ。
第一回総攻撃の失敗は日本陸軍全体にあっていいんじゃないか。
勿論、乃木以下第三軍首脳部にはその責任はあるとしても
名将でないことは確かだから「凡将」ぐらいでどうでしょうかね。
725 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:15:07
今回の673からの流れは読んでて面白いね。
十分笑える。自演なの?
716は脅しはよくないよ。可哀相じゃないか。
乃木が凡将なら日本陸軍の将軍は全員ダメポ
そいつらに負けたロシア軍はもっとダメポ
727 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:21:07
>>726 ほら、でたよ。これも定番だ。
乃木が凡将でも日本陸軍は人材豊富だから全員ダメポにはならないな。
ロシア軍がダメポなのは頷けるけど、クロパトキンとか貴族階級の官僚指揮官の
資質がダメポさんだったんじゃない。ダメポの726さん。
728 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:31:39
人材豊富と言ってもな、薩長の優秀な人材は西南戦争や日清戦争後に
数多く死んでいるわけだよ。
長州で残っているのはやはり乃木大将しかあの当時はいない。
その他の人間を立てるのは桂太郎や山縣や児玉が許さないだろう。
729 :
688:2005/09/06(火) 16:36:26
ってゆうか、山縣さんの鶴の一声で、
乃木さんが3軍の司令官になった訳だが…
730 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:38:56
それはもうやめろ。以前にさんざんやった。ほかのスレだったけ。
726 が>乃木が凡将なら日本陸軍の将軍は全員ダメポ
っていうから全員ダメポじゃないよっていったの。
藩閥人事を語ると拡がって収拾がつかない。今は第一回総攻撃の話
俺は「乃木凡将」に一票。
じゃあ乃木以外の将軍では誰が旅順攻略に適任なんだ。
そもそも藩閥人事でワリ食った名将って誰。
732 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:53:23
だから乃木でいいの。
おまえら意図的にまた話をはぐらかそうとしているな。
旅順攻略の第三軍司令官は乃木希典です。
郵便局は民営化しません。
さて、第一回総攻撃の評価はいかに?誰か指揮って
733 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 16:57:38
結果発表
第一回旅順総攻撃 責任者 第三軍司令官 乃木希典陸軍大将
( 名 将 ! )
734 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:06:36
なんだこりゃあ!もっと真面目にやれよ。
第一回の結果確認して出たかったのに!
本日これにて都合により退出。む、無念。
735 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:10:36
>725
自演じゃないです。
脅しでもないです。
ごめんなさい。
ただ俺は真実の第一回総攻撃が…
はっきりさせようぜ。
乃木さんのためにも。
736 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:21:37
最初からトンネル掘っとけば良かったんだよ。
737 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:27:33
墓泥棒じゃああるまいし。
738 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:28:37
「旅順の大地は貪欲に血の生け贄を欲した。その司祭が伊地知であれば、豊島は儀杖官である。弾かれ薙ぎ倒されていく巡礼者を清める賛美歌のように砲撃はなされた。
二十万樽のセメントで固められた厚い要塞の壁にその祝福の声は届かない。陸地に向けて埋め込まれた四百八十八門の大砲と機関銃の群が容赦なく巡礼者たちを英霊に仕立てていく。」
日露戦争明治人物烈伝「豊島陽蔵の段」より
なんだか詩的だね。
740 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 18:22:24
ああ、詩的だ。
素敵だ。
でもこれはたぶん、つっこみいれてくれってサインじゃない?
741 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:13:46
なんかね、あの本、全体に渡ってこんな感じだよ。>詩的
自己陶酔入っちゃってんだろうね、笑いが取れるほど。
一見の価値あり。二見の価値はなし。
742 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:21:15
>>712 203高地の重要性は第一師団(東京)はそんな事くらい初めからわかりきっていた。
第一師団は君が思うような馬鹿ではないよ。
その第一師団の元師団長は乃木で結構早い時期から203高地攻撃を許可している。
> ここは大人の社交場
なんだ、やっぱり釣り堀か。
744 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:20:52
>三日で陥落させる計画を立て、失敗した
乃木をせかした奴がいた。なのでいっぱい殺してしまった。
よって
乃木は無罪。
745 :
712:2005/09/06(火) 22:55:57
ああ、気が重い。夜になるとゴキブリみたいに乃木神社が、ガサゴソだ。
だいたいが書き込みに品性がなくて、これじゃあ乃木もうかばれな。
>>742 まったく主旨が解らない文面ありがとう。とでも言っておこうか。
なんで、乃木が第一師団の元師団長なんだ。そんなことやったら
経歴詐称で軍法会議だぞ。これ以上乃木の名誉を傷つけるのはやめようじゃないか。
乃木希典は第十一師団善通寺だ。旅団長とごっちゃにするなよ。
そういう突っ込みが君たち乃木信者のオハコだったじゃないか。
でもね、良識派の僕たちはそんなことで鬼の首とったような振る舞いはしないんだ。
1878(明治11)年1月26日 東京鎮台第一聯隊長
1887(明治20)年1月 川上操六少将とともにベルリンに到着 熊本第11旅団長
1889(明治22)年3月 近衞第二旅団長 名古屋第五旅団長
1892(明治25)年12月 東京歩兵第一旅団長に復職
日清戦争に従軍旅順要塞を占領
1898(明治31)年 陸軍第11師団(善通寺)初代師団長
大将に昇進
日露戦争に従軍(第三軍司令官)
746 :
712:2005/09/06(火) 23:15:55
>>742 >乃木で結構早い時期から203高地攻撃を許可している。
君のこのグッドな発言は有り難く使用させてもらおう。しかし、第二回総攻撃の
ネタなんだね。いまはまだ、第一回総攻撃の決着がついていないようだ。
>>744 乃木は無罪。
誰も乃木を戦争犯罪人にしたてようなんてこれっぽちも思っていないよ。
ははあ、乃木神社いや信者の面々は根底にそれがあるからエキセントリックに
なるんだね。それは誤解だよ。必要以上に「名将」を連呼するから
こちらも気が重くなっているだけだよ。
747 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:29:18
と、いうことで
第一回旅順総攻撃 責任者 第三軍司令官 乃木希典陸軍大将
( 並 将 ! ) に決定します。
第二回総攻撃にいってみよう。
相手を信者だなんだとレッテル貼りに懸命に努力している人がおいたわしい。
749 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 08:37:21
いいのかな。それでは敢えて火中の栗を拾うように。
第一回総攻撃が失敗した翌日、乃木は大山から一旅団の増兵
海軍からは衛生兵と海軍砲(12センチ)四門の支援提供を提案された。
乃木は前者を辞退して後者は受け入れた。(なぜ?)
誤解のないように出典参照は児島襄「日露戦争」4-p91より
司馬「坂の上」ではありません。クレームは文春かプレジデント社か児島氏に。
第一回攻撃の中止は砲弾を使いきったことにあり、次の支給で貯まるまで
第二回総攻撃はできません。第一回の失敗から第二回総攻撃にあたって
第三軍では作戦の確認、見直し、方法論が各師団の参謀も交えて行われました。
ここで次の弾薬が貯まるまでの期間どうするかというので「正攻法」が論じられ
例の「乃木の鶴の一声」で「正攻法」が採用されます。
また、203高地への攻撃が新たに(はじめて)試みられるのもこの時です。
28サンチ砲の提供の話が持ち上がるのもこの頃です。
これから弾薬が貯まるまで「前進堡塁攻撃」がなされます。
第一回では、第二回では、とか妙な短期間に区切ってるのは、
なんか意味があるのかね。
名将といえども常勝ならず、だろ。
蓋を覆った後を通して見れば、名将の名に相応しい将軍である。
751 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 08:44:51
>>749 一旅団の増援を辞退したことをどう評価するか?ということか?
北方の主戦場の事も考えなきゃならないと思うが。
攻撃方針の変換を行い、しばらくは築城作業が主体となる。
よってしばらく総攻撃はない。
歩兵は北方戦線に使ってくれ、というのはおかしな判断とは思えないが。
推敲していたら途中で送信してしまった。しかも上げてしまった。
泣けてくる・
下を751追加。
追加どころか、旅順攻撃軍から北方戦線に歩兵部隊が引き抜かれる
事態になった時もあったはず。
753 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 09:18:51
>>750 そのような流れ、ルール付けが既に出来上がっていましたので
その流れに沿いました。御不満もありましょうが、ここはそれに
則って検証してみてはいかがでしょうか。
>>751 そうですね。一旅団が追加されたからといってあの旅順要塞が一朝一夕で
陥落できるものではないのでしょう。児島氏も文中でそう記述しています。
751さんの意見も大枠で理解できます。しかし、命令は速やかな解決ですよね。
乃木の人格者という点がよく議論に登場します。だから名将なんだと。
名将は人格者でなければならないと以前ありましたね。私はその点には些か
異論を持つ者ですが、ここでは気になるのは乃木の遠慮です。
乃木は多分清廉で気持ちの素直な優しい資質の持ち主だった思うのです。
だから児玉や福島など多くの友人からも大切にされた。桂などの例外はありますが。
「与えられた条件で与えられた任務を遂行するのみ」という姿勢がこれからうかがえませんか
奉天会戦でも囮だとか期待してないだとか散々な扱いにもじっと堪えていた乃木を想像します。
結果的に乃木三軍は不備な戦力でその一番厳しい任務を遂行しなければなりませんでした。
乃木の「遠慮」というとまた物議を呼ぶでしょうが、人格者と会わせて一度テーマにしてみたいと
思った次第です。
754 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:18:32
>>753 712ですか?別人ですか?
ゴキブリはがさごそと、音はすれども身は見えず、だ。
>>745
755 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:22:05
>出典参照は児島襄「日露戦争」4-p91より
>司馬「坂の上」ではありません。クレームは文春かプレジデント社か児島氏に。
それを紹介した責任を取る気がないなら引っ込んでろよ。
756 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:25:36
>>754 なんでそんなことが気になるの?
さあ、乃木を擁護するならいまのうちだぞ。
757 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:31:59
>>755 これだよ。いつものバカのひとつ憶えの遠吠え、いや、ゴキブリの鳴き声
ゴキブリって本当に鳴くんだよ。知ってた?
まあ、毎度そんなツッコミ入れてるから品性がないって言われるンだよ。
相手が真面目に語っているんだから少しは礼儀正しくしたら。
結局、そういう態度が乃木のイメージをいっそう悪くしていることの
気がつかないの?話をそらすな!
758 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:35:06
ははあ、引っ込ませたいんだな。ケッ
>>757 お前の文に品性がないんだが、その件についてどう思うか。
757の文章に品性があるとでも言うのなら勝手に暴れていればよいが。
753は712で間違いなかろう。
相手をゴキブリ呼ばわりする人間が品性云々とは恐れ入る。
それで真面目に語っているんだからとか言う神経が信じられない。
乃木を批判する側って、こんなのばっかりなの?
761 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:46:33
相手の口振りは気になって罵倒するが、自分の口振りは気にならない、と。
袈裟の下から衣が見えるというか、まあ最初からバレバレだったが、
余りにもあっけなく化けの皮が落っこちたんでは笑いもとれないぞ。
762 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:47:32
>>759 困ったね。今度は文章談義かい。
残念ながら僕はそんな議論に参加はしたくないんだ。
せっかく、真面目に旅順を語りましょう。という主旨じゃないか。
それとも語ったらなんか不味いことでもあるのかい。
第三者が読めば君たちの言いざまはゴロツキの因縁とかわらいぞ。
最初にアクションを起こしたのは君たちが先じゃないか。それともなにかい
声を大きくすれば相手は黙ると思っているのかい。そうだ、思い出した
前々から注意したいと思っていたんだが、よく「初心者の方」から
「素朴な質問です」と来るときに知識をひけらかしてバカにするのはやめろよ。
そんな知識なんてなんの意味もなさない。ここは大人の社交場なんだろう。
で、僕の存在が支障をきたすようなので、僕は日常業務にもどります。
最初にいったように敢えて火中の栗を拾っただけだよ。そう言っただろう。
そしたら、それにゴキブリがたかったわけさ。ああ、気が重い。
じゃあね。他の人頑張って、ときどきのぞいているよ。
763 :
観客:2005/09/07(水) 10:49:47
>>753 >名将は人格者でなければという点には異論を持つ〜
>乃木の「遠慮」と〜一度テ―マにしてみたいと〜
753さんのお考えはとても興味深いです。
これからどんなご意見が聞けるかとても楽しみにしてるギャラリ―です。頑張ってください。
764 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 11:39:55
文章談義ってさ、何のカキコかしらんがゴキブリに例えたのは745=712が先なんよ。
言い出した方はまるきり批判せずに、相手にした方を批判してオサラバとは分かりやすい人だこと。
なんにせよ、ゴキブリ云々と言いながら品性云々というハタメタな感性をお持ちの方に退場していただけたのは、スレにとって喜ばしいことですな。
さて、俺は別に乃木擁護派というわけではない。
しかしながら、762によれば「君たち」とかまるで一派の一員と見なされているようだ。
なんの思い込みに捕らわれているのかしらんが、おいたわしいことだ。
さて、しかしだからといって乃木批判派でもないんだなこれが。
ただ単に、相手をゴキブリよばわりしながら品性がなんだとのたまう757には
それはお前の言うことがおかしいだろうと言っているだけだ。
間違うなよ757=762。
765 :
仲良くしようぜ:2005/09/07(水) 11:41:06
みなさんゴキブリ発言はもう忘れましょうよ。気を悪くしたら許してくださいよ。762さんも悪気はないんだろうし。
762さんはすごい大人な意見いってるし…
(ゴキブリはマズイけど)せっかくみんな「旅順」て共通の話題で盛り上がってんだから…
ちゃんと語りましょうよ。俺なんて「旅順」の話なんて日常生活では聞けないし話せないもの…誰と旅順の話するんだよ…
>>762さんへ
怒らないで出てきてくださいよ。
俺は全体的にあなたに同意だし、あなたの話しせっかく楽しみにしてたのに…今日中にまた顔出してくださいよ。
766 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 11:48:14
767 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 11:49:46
それでは
再開しましょうか。
袈裟の下は全裸なのか。 鎧だろ、よ・ろ・い。
769 :
768:2005/09/07(水) 11:51:46
770 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 11:56:25
>769
いえいえこちらこそ。
771 :
反面虚子:2005/09/07(水) 12:29:34
いい名称をもらった。ちょっとアレンジさせてね。
ほら、みんな僕が気が重いっていたわけがわかるだろ。大体こうなるんだ。
下駄さんなんかも苦労していたよね。ちょっと覗いただけだよ。
仕事を優先するから時々お留守にはなるけれど、たいして進んでないみたいだから
また、火中の栗でも拾うかな、あちっちちち。
乃木三軍は本当に三日で攻略できると考えていたんだ。それで、総ての砲弾を
使い果たししまっての攻撃中止となった。一日60発の配分だね。
でも次の攻撃を仕掛けたくても本国から砲弾が届かないことには何にもできない。
第二回総攻撃開始はそれが貯まったので行われるわけだ。でも、その間、
なにもしないわけにはいかない。そこで第一回攻撃の失敗をふまえて会議が行われた。
ここで雪駄さんのいう乃木の鶴の一声で「正攻法」が期間限定で採用される。
203高地への攻撃もここで採用されているんだね。第一師団が担当だ。
この期間とは第二回総攻撃の前だね。伊地知が28サンチ砲に興味をしめさなかったのは
(この表現は難しい。「送るにおよばず」は色々違うようだ。)
この時期にとうてい間に合わないとの判断からとされている。
逆にいえば、第三軍として第二回総攻撃で解決するという確信があったんだろうね。
では、なぜ、正攻法案が第三軍首脳部の意見を二分させたかだ。
ひとつは工兵の技術不足、もうひとつは敵目標地点の50メートルぐらいしか
掘りすすめられない。問題はここから50メートルの突撃に損害があるんだ。
と、現場の指揮官達は難色をしめした。みんな闇雲に突撃で解決するとは
第一回総攻撃の失敗で十分認識していたといえるね。長くなったね。ちょっとここまでかな。
772 :
反面虚子:2005/09/07(水) 12:40:22
ちがった、最後のところ
みんな闇雲に突撃で解決するとは思っていなかった。
それは、第一回総攻撃の失敗で十分認識していた。の意味ね。
他の人も参加してね。助太刀はいくらでもするよ。
それと今後は表現には十分気をつけるようにするよ。話の腰をおらないようにね。
>また、火中の栗でも拾うかな、あちっちちち。
なんか、「さあ焼け、煮ろ」ってのと似てるね、芸風が。
たけしのTVタックルで、田島女史が「さあ叩け」とか言っていて見事
叩かれまくっていたのを思い出したよ。
こういう人って、誰でもいいから相手してよ、って感じで痛ましい。
774 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 13:16:46
だから話の揚げ足をとらないで本題をかたれよ!
呆け。おまえの寝言なんて聞きたくない。ケッ
775 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 13:23:29
>反面虚子さん
発言の流れを整理しときたいんだが、
712が753で762で今のハンドルが反面虚子、これでいいのかな?
田嶋女史、火だるまだったね。
すぐに降参したあたり、キャラが変わったのかと思った。あのズボンとか。
>>772 >正攻法案が第三軍首脳部の意見を二分させたか
第三軍首脳部の意見は一致していた筈なのだが。
778 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 13:46:13
>>777 いいとこ取ったね。確変だ。
いや、相当論議されたようだね。
第三軍首脳部というのが参謀部をさすなら、その意見が一致していたという
意味なのかな。それだと各師団部が正攻法に反対したんだろうか。
結局、なかなか結論がでないので
司令官乃木希典大将の「鶴の一声」になったんだろう。
この鶴の一声というのもなんか抵抗はあるが、誰かがそう言っていたじゃないか。
>>778 軍司令部内では正攻法で意見は統一されていたはず。
司令部内で意見が対立していたというのは聞いたことがない。
各師団の参謀長などが反対していた。反対の理由は様々。掩護の砲弾無いだろ、
とかも言ってた気が。
軍参謀長も決を採りかねた決断を行った事が、旅順要塞の陥落に直結している。
28榴弾砲も大きな陥落要因になっているとは思うが、まず第一の要因はこの正攻法選択だろう。
収拾のつかない状況を決した一言、というのを表現するには、外れてはいない
と思うが。「鶴の一声」。他に言い方があるかもしれないが、そんなに抵抗感
を感じるところでもないのでは。
780 :
778:2005/09/07(水) 14:13:24
>>779 同意。
参謀本部では意見統一がなされていた。
対して、各師団の参謀たちは反対していた。
それを決したのが乃木司令官の「鶴の一声」だった。
ここまではこれでいいね。
参謀本部・・・
鶴の一声って、なんかの本で見たことがあるんで、しばらく捜していたけど
分からなかった。
782 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:32:09
まあいいじゃないか。
第三軍参謀本部と現場の各師団参謀の間で意見の相違があった。
それを乃木司令官が最後に「正攻法」採用でした。
文献なんて探さなくてもその状況から
鶴の一声で決したと解釈したのでいいよ。
783 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:32:39
乃木はミスマッチ
784 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:39:10
いまんとこ分かりやすいです。
785 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:49:42
この正攻法は期限付きなんだよね。先に説明されているように
第二回総攻撃がはじまるまでの間なんだ。
この正攻法に反対した現場師団参謀の主旨は
1>各師団が対面する敵の堡塁・砲台の数が多い。
2>第一回総攻撃で各師団の損傷が大きく、各師団が総力をあげて攻撃路を掘って総攻撃体勢をとることが不可能。
3>仮に敵前50メートルまで前進基地を作っても、そこから先に突破が困難なのは前回攻撃で立証されている。
4>一堡塁対象の正攻法は兵力分散をまねき、旅順強略を遅らせる。
>以上の理由から補給戦力の回復を待って、重点を定めた総攻撃が効果的ではなかろうか
というのが師団部の意見だった。
これに対して正攻法を決断したのが乃木の「鶴の一声」だった。
786 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:59:06
うん、うまくやっている。とにかくはぐらかされないように
必死という姿勢が窺える。これまでの学習効果だろうか。
787 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 15:20:49
この会議でもうひとつ採用されたのが「203高地攻略」だった。
第三軍は海軍の要請もあって旅順口への砲撃が可能なこの拠点を作戦目標にいれた。
それを担当したのはその方面の管轄だった東京の第一師団だった。
第一師団は広範囲な戦略目標を負わされるわけだね。そのせいか
水師営、南山ひ山はなんとか成功するのだけけれど203高地は失敗してしまう。
ここの担当が後備旅団だったせいだろうか、後によく言われる
「消極的」とか「不徹底な」とかの指摘がなされている。第一師団は辛かったと思うよ。
水師営から203高地までも距離は半端じゃない。
あの大山からの一旅団の提供がここでぐっと胸にくる。あ、ごめん、ここは私事でした。
788 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 15:39:40
ここで、乃木の海軍や大本営の遠慮がでたんだね。伊地知もそうだったのかと思う。
でもね、そのことと「急かされた」というのは違うんだ。
仕事を持っている人だったらわかるよよね。
もともとこの仕事は「急ぎ」だったんだよ。はやく、解決して満州軍本隊に合流しなければ
ならないんだから。でも、みんな旅順要塞を日清戦争と同レベルと考えていた。
職業軍人としてその存在をアピールする場は有事でもある。平和は彼らを厄介者にする。
もともと旅順攻めは海軍の要望から発したんだ。旅順口を見渡せる高台から中の残存艦隊を
攻撃するかいぶりだしてくれと。でも、それじゃあ華々しくない。どうせなら
旅順征伐っていきたいじゃないか。わかるよ。でも第一回総攻撃でとんでもない
代物だってわかった。ここからだよ。問題は。
>>684 遅レスすみません。
「名将 乃木希典」読んでみますね。
790 :
684:2005/09/07(水) 16:42:47
>>789 ごめんあれは洒落だから「坂の上の雲」読んでからにして。
読む価値は有り、だけど、初体験で「名将 乃木希典」じゃあ
その後なにかと性・社会生活に支障をきたすと思うよ。
おもむろに股間に顔をうずめさせるようで、なんか不味いよ。
そんな楽しみ方もあるぐらいにとどめてね。
あと、正常位だけでも飽きられるしね。
特に此処は正常位は言語道断の掟があるようだから
なんだよ。
俺だまされたの?
まあ、いろいろこれから読んでみるよ。
でも、こうゆうトコのほうが、勉強になるかも。本いっぱいありすぎて、わかんないや。
792 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:15:23
前から(778)の続き。
ここで問題になるのが、203高地を攻略しようとしたんだから
大本営の長岡や総司令部の井口、はたまた海軍の懇願を含めて、203高地を
徹底的に優先順位を引き上げて攻略してやればいいじゃないか。となる。
後講釈といってしまえばそれまでだが、その後の経過を知る者とすれば当然だよね。
しかし、そんなこと出来ない!という。なぜ?
命令書があるんだ、と。それには203高地攻略ではなく旅順要塞攻略という命令が
書き込まれている。だから203高地なんてかまっていられないんだという。
793 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:41:32
しかし、命令書というものは人間がこしらえたものだ。
それを人間の手で変更若しくは手順をかえることは不可能なのかと
考えてみないだろうか。その裏付けは第一回総攻撃の結果をふまえれば十分ではないか。
それを、満州軍総司令部が拒絶しただろうか?
すくなくとも大本営は支持するだろう。その選択肢は第三軍にある。
結果は別として満州軍総司令部に伊地知本人が具申することは不可能ではない。
しかし、伊地知以下第三軍参謀部は次回の第二回総攻撃で解決すると判断した。
だからその必要を認めなかったわけだ。これを判断ミスといわずなんとしましょう。
28サンチ砲不要論もここにある。届く頃には第二回総攻撃はとうの昔に終わっている。
そんなバカな。世の中に確実に計画通りなんてないし、そりゃあ希望的観測じゃあ、あっ、また主観が。
軍隊という組織はそんなものではない。というかもしれない。だったら、
南山や首山堡の第二軍落合参謀長の姿勢はどうだ。彼は左遷の憂き目にあっても
無謀な進撃はできないと対立したじゃないか。と思ったり普通しない?
794 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:44:24
その第三軍の責任者が司令官乃木希典大将だと。
795 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:57:36
なんか793に納得しそうなおいらです
796 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:59:08
しかし、なんだね。仕事に置き換えれば
最初の取り組み前は意外と楽勝だなっと思った案件が
蓋を開けたらとんでもなく厄介な代物だった。
最初はその手前の別件でもよかったんだけど、一応本体をその総てを解決することに
なっていたし、で、色々やってみたがどうにもはかどらない。
別件の解決でやいのやいの騒がれだしたんで、両方手を出したら両方ともこんがらがって
パニックを起こしてしまう。新人の頃よくやったな。
やはり伊地知さんはダメなのか・・・
とつぶやいてみる
798 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 18:10:09
それでも、乃木はよくやったと思うよ。
でも、立派であろうとし過ぎたんだろうかね。
「ちょっといい加減にしろ!話が違うじゃないか」って
黒木や野津だったら総司令部に自分で電話したんじゃないかな
「弥介!なんじゃこりゃあ!」
乃木も伊地知も可哀相っていやあ可哀相なんだけどさ。
もっと可哀相なのは第三軍の師団の兵員だよね。それが戦争さ、って
斜に構える者いる。当然の想定被害だと知識者の体をとるものもいる。
でも、そんなんじゃあなんにもならないよ。そんな常識やら知識なんて
俺はいらない。さようなら。
坂の上の雲をソースにする奴が多いのは何故だろう?
軍司令本部を前線の遥か後方に置き、
司令部からは誰一人として前線の状況視察に赴かず、
コンクリートでめっさ補強された旅順要塞の頑強さを知らず、
ただやみくもに前線の指揮官に突撃命令を出す総司令官は誰?
只今、その件を検証中なのです。
802 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:00:18
>>799 君は「坂の上の雲」を読みましたか?
これまでお話は流れは「坂の上の雲」を敢えて外していることに気がつきませんか。
「坂の上の雲」を否定することが、もう免罪符にはなりません。
もうそのような徒労を繰り替えなさい学習能力を相手かたは身につけているようです。
だから、そんなツッコミは御願い入れないで。
日本軍の砲撃中は地下塹壕に身を潜め、
砲撃が止んで歩兵が突撃してきたら、
砲火と機銃掃射で突撃隊を薙ぎ倒すロシアの戦法。
鉄条網が敷かれているため勇敢な日本兵達も思うように突進できず、
銃砲火の雨の中に全身を晒しながら…
>>803 勇敢な日本兵を支援すべき日本砲兵の弾薬は、2日間に亘る
準備砲撃で枯渇。
もっと計画性を持たないとね。
>>792-793 >203高地攻略ではなく旅順要塞攻略という命令が
旅順要塞本陣しか攻撃してはいけないなんてどこにも書いてないですし、
前進陣地たる二百三高地を攻略してはいけないとも書いてない。
前進陣地を攻略してはいけないのだったら、本陣は攻撃できない。
よって 当初、二百三高地を攻めなかった言い訳にはまったくなりません。
806 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:21:28
>>793 やるっていった以上引っ込みがつかなくなったんだ。
でも砲弾もない。
最大15センチのいや12センチだっただろうか、これが第三軍の所有する大砲の最大口径だ。
そんなもんで1.3メートルから最大2メートルの要塞ベトンはビクともしない。
あの28サンチ砲でも同じ場所に二度当たらなければ粉砕できなっかたというではないか。
日本軍はとんでもないものを相手にしなければならなかった。
ここで以前に下駄さんが言っていた軍司令官の在り方、資質だ。
軍司令官は自ら作戦立案はやらない。従って、その名将たる所以は
軍を束ねる人格者であらねばならないのか、
その方向性を導く決断者つまり、戦術眼を有す能力者か
それを両面兼ね備えていればベストだろう。
さて、乃木希典を名将とするならば、その両方を兼ね備えていたか。
連戦連勝の常勝将軍をいっているのではない。司令官の資質を問うものだ。
結果として旅順は攻略された。なぜ旅順は堕ちたのだろ。
それを柿が熟すの如くと表現する者もいる。自然に落ちるものに6万人近い死傷者はいらない。
結果として堕ちたのだから乃木は名将だとする者もいる。自然に堕ちるものに結果としても
それは名将の裏付けにはならないのではないだろうか。乃木は頑張った。第三軍は頑張った。
それは認める。しかし、それと名将とは話は違うんだと思うけど、どうだろう。
その、最大の問いは第三回総攻撃の白襷隊の結構に参謀部の誰が賛成して
誰が許可したかに繋げたいのだが、残念ながらいまだ第二回総攻撃前でした。
>解決して満州軍本隊に合流しなければ
そもそも遼陽会戦の予定は8月末であり、旅順要塞攻略も8月末であった。
このスケジュールで予定通り陥落しても、9月-10月の作戦可能時期に間に合うものではない。
どうしても 11月の冬季以降になり作戦行動は2月頃からとなる。
はやく解決しても年内に満州軍本隊に合流し参戦するというのは無理な話しだ。
あれは作り話しじゃないか?
808 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:30:30
>>805 そうなんだよ。それでいいんだ。
普通はそう思うよね。ところが違うみたいなんだ。
例しにもう少し前のこのスレの旅順論争を見てみてごらん。
下駄さんが火達磨代奮戦のあたりだよ。
809 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:46:27
>>807 >あれは作り話しじゃないか?
なんで作り話なの?一日でも早く駆けつけて欲しいのがわからない?
遼陽でも沙河でも黒溝台でもいっつも数に優るロシア軍と戦っているんだ。
砲弾不足は陸軍全体の問題でもあったはず。想像してみたことはないかい。
旅順には三個師団と一個師団規模を廻している。後に第七師団が追加されて
全部で5個師団が割り当てられているんだ。
現実はその旅順の状況をみながらの作戦行動だったんじゃないか。
そのスケジュールを後からたどって「無理」とか「作り話」じゃあつらいね。
少なくと黒溝台の戦いの戦況は違っていたとは思わないかい。あれ、相当に
やばかったと思うよ。あそこでお仕舞いだったかもしれないじゃないか。
>>785 >この正攻法は期限付きなんだよね。先に説明されているように
>第二回総攻撃がはじまるまでの間なんだ。
総攻撃を効果的に行うための作業なのだから、第二回総攻撃開始までの事に決まってますが。
当然のことを言っているだけのようなんですが、何か意味があるんですか。
>>787 >南山ひ山
ええと、ネタですかマジですか? もしや南山ひ山ツアーに行った人ですか?
第一師団・第十一師団の正面が広かったのは、主攻方面が第九師団の担当する
東北面に据えられていたことが影響しているのだろう。
助攻方面の攻撃部隊の密度が薄くなるのはやむを得ない。そうしなければ、
主攻方面に兵力を集中させることができない。
出来ることならば主攻方面に集中させたいものとは思うが、助攻方面だって
敵兵力を引きつけるためにはそれなりの兵力が必要だ。難しいところだ。
現実的に旅順要塞に三個師団を配置させるとなると、どうかと考えてみると、
龍河以西は一個師団に担当させざるを得ないと思うのだが。
>>788 >それじゃあ華々しくない。どうせなら旅順征伐っていきたいじゃないか。
俺はそう思っている、というレベルの話ならわかるのだが。
この流れの中でこういう発言をするのなら、それなりに根拠を示して欲しいね。
根拠無しならそれはそれでいいんだが。
>>793 >しかし、命令書というものは人間がこしらえたものだ。
>それを人間の手で変更若しくは手順をかえることは不可能なのかと
>考えてみないだろうか。
なんか、だんだん怪しくなって来たような気がするのだが。
君は「人間」「人間」と連呼しているが、「命令する側の人間」と「命令を
受ける側の人間」をごっちゃにしていないか?
同じ「人間」だが、まるっきり「立場が違う人間」が、「命令の変更もしく
は手順を変える」???ダメでしょう、そんなことしたら。
仕事をもっている人なら、とか前に言ってたけど、これこそ仕事をしている
人としては、なんておかしなことを言っているのか、と思うよ。
>>806 >なぜ旅順は堕ちたのだろ。それを柿が熟すの如くと表現する者もいる。
>自然に落ちるものに6万人近い死傷者はいらない。
熟柿の如く自然に落ちる、というフレーズが用いられるのは、旅順要塞では
なく、二○三高地についてだろう。
「児玉が来たから二○三高地が落ちた」というのに反論する形で、「いや、
二○三高地は熟柿のように自然に落ちる段階だった」というように。
また、>自然に落ちるものに6万人近い死傷者はいらない との物言いからは
どうも「そうなるまでの努力」を無視しているように感じられる。
「児玉来順時には自然に落ちる段階」という状況には、自然になったのではない。
それまでの猛攻によって、そうなったのだ。
>>805 まるっきり言葉の遊び。 頓知合戦をやっているのではない。
>>804 旅順要塞の強度は、攻撃前はわからなかった。砲撃中も、わからなかった。
そして、充分な砲撃を行ったと判断して歩兵の突撃を開始。
その歩兵が突撃して激しい反撃を受けて、ようやくに判明したこと。
さてここで砲弾が残っていたら、それはそれで問題なのでは。
砲弾が射耗していたらしたで、余っていたら余っていたで、結局は批判のタネ。
817 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:59:14
>>810 そこだね。この第二回総攻撃前準備の正攻法は現場師団参謀の反対を乃木の鶴の一声で決した。
そのときの乃木の発言は「敵の兵員並みに銃器弾薬には補充なく、一人一発を失うと共に遂次其の
寿命を縮むるに反し、我軍はたとえ弾薬少きもこれが補充の道を有す。故に正攻法の確実なるにしかず」と宣った。つまり、この正攻法は第二回総攻撃の前準備として期限限定の条件付きなのだが、
その期限と条件には消耗戦の示唆がある。敵に一発使わせれば、敵を一人倒せば、敵は補充が
きかないのだが、こちらは兵員も砲弾もやがて本国から補充される。という主旨だ。
現場では正攻法は多大な損害を危惧したのに対して乃木が「消耗戦」を説いたわけだ。
これ興味ないかな。それとも当然と思う。僕は今まで正攻法バーボン法かな、これは要塞攻略には
もの凄く効果的で肉弾突撃に比べて安全性の高いニュアンスで受け取っていた。
でも、現実は穴を掘った先の50メートルが問題で屍の山のようだ。
もう一度現場指揮官の意見のところを読んでみてね。で、いつまでそれをやるのかと現場は問うんだ。
僕が期限付きとしたのはその意味だ。御存知のように第二回総攻撃も失敗となる。
で、次の正攻法はいつ再開されるんだっけ?
>>817 兵力や砲弾備蓄の回復が終わるまで総攻撃はできない。その間何をする?
結局は正攻法の作業しかない。
また、>正攻法は多大な損害を危惧した というのはおかしくないか。
正攻法「でも」損害は出るだろう。当然だ。
しかし、正攻作業を行わない上での強襲法を再度繰り返すことと比べれば
ずっと良い。これは各総攻撃における死傷者数の激減を見ればわかるだろう。
で、次の正攻法はいつ再開されるんですか?
819 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:13:10
>>811 ネタです。
漢字を検索するのが面倒になった。
そっから下はそうだよね。
>>812 そのレベルだが、根拠を示せっていわれてもね。
向こうからいい女が歩いてきて、思わず勃起してしまった。
残念ながらこの現状を君に見せてあげられない。てなところかな
あっ!また下品になってしまった。御免、これで許してね。
もう寝るから。
>>787 >第三軍は海軍の要請もあって旅順口への砲撃が可能なこの拠点を作戦目標にいれた。
これは海軍の要請によるものなのか?
821 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:25:50
>>813 君はおかしいと思うかい。僕はちっとも思わない。
「命令する側の人間」と「命令を受ける側の人間」は違うのは当たり前のことじゃないか。
そのどちらも結果としての成果が重要なんだ。
君がもし社会人だったら方法論として試したことはないかい。
僕は前者の立場にあるがクライアントにはその姿勢で通しているよ。
また、後者の立場だったときもそれで通したつもりだ。
プレゼンの仕方と結果なんじゃないかな。軍隊だろうが組織であれば同じだ。
むしろ能力と資質の問題なんじゃないか。
>>819 自虐ネタで煙に巻こうというのだろうか。シモネタは前にも使ったね、君。
その技は連続使用すると、笑いも取れずに逆効果にしかならない。
もはや俺の頬には一片の緩みも生じない。
その例えでは、自分のスケベ心をネタにしているわけで、まあ自分自身を貶め
ているわけで、それはそれで御勝手に。
しかし
>>788では、他人の功名心(華々しくない。どうせなら旅順征伐ってい
きたい)を根拠なしに推測して、それが無用の損害に通じたように書いている。
こんな憶測を、自虐のお下品ネタで納得させられると本気で思ってるのか?
>>821 軍隊だろうが組織として同じ、そうだろうか?
そう言い切る根拠は?
824 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:41:41
>>818 君の言うとおりだ。と僕も思うよ。
それを現場は反対したんだ。結果的に本筋から離れて今後の行動に支障をきたすと。
その、支障というのが兵員の損傷だあり、それが「正攻法」にあった。という点が
僕は興味深く感じたんだ。別に正攻法に損害が出ることはわかっているつもりだ。
だけど、今後の行動に支障をきたすほどの損害って君も知っていたかい。
僕は君のいうところはわかる。でも乃木が言ったのは消耗戦なんだ。
そこに乃木の高級軍人としての感覚を疑う。それも何もしないわけにはいかない
から消耗戦って変じゃないかい。いや、繰り返すけど正攻法の効果は認めるんだよ。
で、次の正攻法はいつ再開されるの?こっちが先に聞いてるの。
明日があるからお休み。
825 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:44:19
>>806 >なぜ旅順は堕ちたのだろ
その答えはウッドハウス映子著の「日露戦争を演出した男モリソン」(1988年、東洋経済新報社)に書かれている。モリソンはロンドンタイムスの極東特派員だった。
本文では、伊藤博文の対ステッセル買収工作が成功したとのうわさもあった、といったような意味のことが書かれていたが、俺が思うに、英米の対ステッセル買収工作が成功したのだろう。
ウッドハウス映子氏は生粋の日本人であるが、この本の原稿は臨終の床にあったオーストラリア人大学教授によって監修されている。
したがって、本文の中に頻繁に出てくる政治的歴史的な内容は、西側諸国の極東戦略の歴史そのものと言えよう。
素人が書いた本と馬鹿にすべきではない、目からうろこ、日露戦争を描写した本の中では最もすぐれた中の一冊。超推薦、図書館にある。
>>824 >今後の行動に支障をきたすほどの損害って君も知っていたかい。
いや、知らない。
具体的にどの程度の損害なのか、君の知っていることを書いてくれ。
>消耗戦
正攻作業の掩護には、砲弾は必要だし兵力も消耗する。しかしそれを承知で
やろう、という話ではないか?
消耗戦といえば消耗戦だが、今後の行動に支障をきたすほどの損害が生じたのか?
827 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:54:53
>>825 寝るっていっておいてなんなんだけど、確認したら目に入った。
その本、僕も興味があるんだ。ただ、確か違うスレで取り上げられたが
「がせネタ」って指摘していた。それを問う人がいたが結果的に答えは
返ってこなかったように記憶します。
「伊藤博文の対ステッセル買収工作」なんてドキドキしたんだけどね。
とにかく探して読んでみますよ。おやすみ。
>>825 >>なぜ旅順は堕ちたのだろ
>その答えはウッドハウス映子著の「日露戦争を演出した男モリソン」
>に書かれている。
>本文では、伊藤博文の対ステッセル買収工作が成功したとのうわさも
>あった、といったような意味のことが書かれていたが、
>俺が思うに、英米の対ステッセル買収工作が成功したのだろう。
けっきょく、旅順が堕ちた理由はその本に書いてあるのか?
それとも書いてなくて、825が思うのが本当の理由なのか、どっちなのか?
829 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:37:11
寝るっていっておいてなんなんだけど、確認したら目に入った。
でまた入った以上なんかあれで
>>826 知ってるっていってもそんあ知らないよつーんで調べてみたんだが
これがその答えになるのかどうか。一応誠意は示しているんだから
揚げ足はなしよ。
前進砲塁攻撃全体で戦死が929名で負傷が3952名
の内203高地担当の戦死200名、負傷1605名
>しかしそれを承知でやろう、という話ではないか?
まあ、そうなんだろうが、現場が強く反対したというのが、どうもひっかかる。
いや、意図的に現場と参謀部の確執はこの頃からともっていきたいんじゃない。
因みに現場で賛成したのは工兵部長(大佐)だけだという。
あとは全員反対なんだ。現場が意見が二分したというならわかるが、なんだろう。
この会議は8月30日に行われた。ちょっと時間をください。本当に寝るよ。絶対
>>829 いや、どうも。すみませんね寝入りを邪魔しまくって。
実はNHKスクープドキュメント「旅順を売った男」を見つけてしまった
ものだから、俺はもちっと起きてます。
ところで、
>しかしそれを承知でやろう、という話ではないか?
というのは「正攻法攻撃」ではなくて「正攻法作業」つまり準備作業の話なのだが。
831 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 02:53:37
乃木は立派。とにかく勝ったんだから。負けた太平洋戦争とは大違い。
「旅順を売った男」見終わった。「日露戦争を演出した男モリソン」とは違う
が、ウッドハウス瑛子とか出てきたので、まあ重なる所は多いと思う。
言ってみれば「旅順」の部分をクローズアップしたものなんだろう。
旅順陥落のための工作を行う見返りに金を払うという内容の山県の署名入りの
契約書を持つツィレンスキーなる人物が、日本政府から金を貰いに日本へ行く
ので、融資して欲しいという話をヨーロッパで振りまいた。
無名の日本がロシアに勝ったという事に疑問を感じていた西欧人としては、疑
うよりむしろ有り得る話と受け取る。実業家を代理人にしたツィレンスキー氏
は豪遊三昧。
ところが結局、日本側は契約書は本物ではないとして支払いをしない。
ツィレンスキー氏は詐欺容疑で逮捕。実業家も破産に追い込まれた。
詐欺事件の裁判では、第一次大戦前後の国際情勢において、日本という印象
の薄い国を利用した詐欺事件であるという結論を出し、ツィレンスキー氏は
有罪となる。当人は行方をくらまして判決の場に出なかったという。
日露のみならず、日英同盟の破棄、また米国の思惑も関連して、まさに全世界
に及んだ「山県事件」。
前後編と長い番組だったが、これは見応えのあるものだった。
検索すると、著作権問題のある微妙な番組のようだが、まあそれは別の話か。
833 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 03:54:03
気のせいか正攻法と正面攻撃を混同している人間がいるような気がする。
それに記憶に間違いがなければ第二回総攻撃前に第一師団(東京)は
もう203高地を攻撃していた。
それに正攻法を利用していなければ旅順がこれほど早く落ちる事はなかったはずだ。
なんせ28サンチ砲でさえびくともしない陣地があったのだから。
>>833 旅順が落ちた時に残っていた糧食はほんのわずか1ヶ月分
>>809 >砲弾不足は陸軍全体の問題でもあったはず。想像してみたことはないかい。
>>816 >砲弾が射耗していたらしたで、余っていたら余っていたで、結局は批判のタネ。
余ったら批判のタネ?多分同じ人が書いてるんだろうけど、矛盾している事書いているし、
全く信用できませんね。
>814-816
>熟柿の如く自然に落ちる〜旅順要塞ではなく、二○三高地についてだろう。
203高地は”旅順要塞”の一部だが。其の程度の認識だから間違ってるんだよね。
旅順要塞が落ちた原因として、糧食が1月分を切って、肉類はほんの僅かがある。
これの方が大きい。
>まるっきり言葉の遊び。 頓知合戦をやっているのではない。
そうそう。東北正面から攻めろとかそういう事は全く書いてない。それで
命令だからと固執するのは言葉あそびに過ぎない。よく認めてくれた。
>旅順要塞の強度は、攻撃前はわからなかった。砲撃中も、わからなかった。
>そして、充分な砲撃を行ったと判断して
前進陣地攻略時の捕虜から、砲撃による怪我を判断できるのだが、そういう判断は
していませんね。また、ベトン20万樽の強度や、実際ベトンであった金州城を参考
できるけど、してなかったのでしょうね。 つまり現場部隊の認識不足としか言い様がない。
>余っていたら余っていたで、結局は批判のタネ。
日本軍が砲弾が余っていて批判された例が多々あるからそういう事を書くんでしょうね。
例を出してご覧w。砲弾が余っていたら批判されるなんて珍説初めてきいた。
>>809 当時の日本軍は冬季にロシア軍が攻撃作戦行動を行える訳がないと思ってたの。
後からの結論で話しているんだろうけど、それは当時の状況をあまりにも認識できてない。
後知恵論ですね。
838 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 08:18:03
>>836>>837 いいねぇ。昨夜の揚げ足乱入組とは月とすっぽんだ。
これからも応援しているよん。
さて、旅順も佳境に近い様相です。というのもこのスレの残りが少なくなって
リミットあと163メッセージ。できれば、なんとか、ここで綺麗にまとめてみたいよね。
言葉遊びの挑発にのっては駄目よ。荒して収拾つかなくさせるのがいつもの手なんだから。
そろそろ第二回総攻撃の結果だしてもいいのでは?
第三回はきっと難航すると思うよ。楽しみだね。
>>830>「正攻法攻撃」ではなくて「正攻法作業」
「作業」と「攻撃」を分けて検証するんだとは考えておよばなかった。
攻撃のための作業なんだからすべて「正攻法」じゃないかと思うんだけどね。
でもそれはいいよ。うん、君の意見には最初からさほど抵抗はないんだ。指摘は認めます。
で、昨夜の疑問なんだけれど、現場はこの作業自体にも「反対」しているね。
攻撃目標が拡大してしまう。というのが戦術的最大の理由のようだ。
現場としては東北部の最強部だろうが、西方(203高地側)だろうが、兵力分散でなく
集中攻撃をしたいという意志があったんだね。これは面白いと思わない。
一戸が分散拡散突撃よりも集団密集突撃のほうが被害が少ないことを知る苦肉の
エピソードと共に「旅順」を考えさせられる。
で、余談なんだけれど「作業」でいえば第一回総攻撃で疲れ果てたところに「黒鍬者」の
下で穴掘りをやらされるのも嫌だったのかなとも想像もしてみた。
工兵部長一人が賛成したのは事前に打ち合わせ(打診)があっての経緯だろう。
本日は都合があって参加できないけれど意義在る書き込みに期待しています。
>>833 第一回総攻撃は8月末、第二回総攻撃は10月末に行われている。
二○三高地への初攻撃は9月末。
9月末の攻撃は、前身陣地への攻撃に留まっているので、総攻撃としない見方と
これも総攻撃の一部と見る見方がある。
841 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 08:46:14
>>830 第三軍の参謀部と現場指揮官(師団)がこのあと不協和音を醸すんだけど。
旅順は203高地の問題も大きいけれども、この兵力分散に不満があったんじゃない。
その点はこれまでも指摘されてはきたことだけれど、203高地のイメージが大きくて
ついつい「解ってる」つもりいた。これは乃木と伊地知以下参謀部の「遠慮」からきている。
第一回攻撃で成功していれば問題なかったが、失敗して大見得をきった手前、なんかやらなければいけないと。
だからこの時期急遽203高地が目標に追加されたんだね。
その意味で満州軍総司令部の「目標を拡散させるな!」的な姿勢がようやく納得できてこないか。
これから問題になる児玉の快刀乱麻の活躍も絞れば203高地への火力の集中じゃないか。
対極にある東北部と西部(203)戦術は根底に集中と分散の方法論にあるんだ。
それを現場は訴えている。これじゃあ現場は泣くよ。
それでも消耗戦を説く、はは、乃木は・・・。
>>836 二○三高地は要塞の一部だよ、それが何か?
二○三高地が熟柿のように落ちたと評されたのは分かるが、それを要塞全体に
当てはめた例など、見たこともない。
認識不足と言っても、当時判明され得る以上の事なのだから仕方ないだろう。
やっているのはスーパーマンじゃないんだ。無い物ねだり。
余っていたら、事前砲撃が不足していたのでは、と言われるだろう。
>>841 >その意味で満州軍総司令部の「目標を拡散させるな!」的な姿勢がよ
>うやく納得できてこないか
その後に総司令部の児玉が旅順に来て、攻撃配置などには何の修正も
加えていないのは、どういうことか?
これも児玉の配慮と見るのもいいが、素直に考えれば第三軍の攻撃配置
にはさほどの問題はなかったということでは。
844 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:55:19
ここに書き込んでいる一部の人間は旅順を落としたのに正攻法が
28サンチ砲と同様に多大なる貢献をした事に気がついていない気がするな。
おまいら ありがとう!
まじ読んでて楽しい。
次どの本買おうかとか、わくわくだ。
頑張ってくださいな。
846 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:59:38
>>839 確かにその通り。203高地は初めから第三軍の攻撃目標の一つであり
これを全く攻撃しなかったと勘違いしている人間が多いように感じる。
第一師団(東京)の人間はそこまで馬鹿ではない。
と言うのは第一師団の人間の中には以前に203耕地から旅順を見下ろしていたのも
多数いたからだ。第一師団が旅順攻撃に加えられたのも意味があってのことだった。
可哀相だけどね。
サッカー見てると日本人って
日露戦争の頃と全く変わってないのがおもしろい
・敏捷性>パワー
・焦ってしまい小銃が下手:ゴール前で焦ってしまいFWが下手
・大砲の距離測定、命中率は高い:MFは優
こんなこと思ってるのは俺だけか?
まあみんなご先祖様の血をひいてるって事だ。ご先祖様に感謝!
849 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 19:10:53
さて、どうだい。一部第三回総攻撃の話も入って煮詰まってきてるようだから
このあたりで、前進堡塁攻撃および第二回総攻撃の乃木司令官のジャッジでシメようか。
評価の基準を整理すると
1)第二回総攻撃の準備期間に正攻法を決断実行した。(最終的にこの方法論は効果的であった)
2)現場指揮官はその方法論に反対だった。(軍司令部と現場との不協和音の因)
3)同時に「消耗戦」を宣言した。(実際にその方法論で今後進行する)
4)203高地を攻撃目標に追加した。(結果は失敗)
1.名将 ○ 2.並将サラダ付き ○ 3.並将 ○
4.凡将 ○ 5.愚将 ○ 6.魔将 ○
基本的に一人一票。でも確認ができないね。良心に委ねるしかないだろう。
そうだ、投票するときはその主旨のコメントを書き込む。あきらかにコピペとみなされる場合は
無効! で、思い入れ努力賞として複数投票も規制できない以上黙認しましょう。
期限は明朝8時ジャストね。
因みに僕は
1.名将 ○ 2.並将サラダ付き ○ 3.並将 ●
4.凡将 ○ 5.愚将 ○ 6.魔将 ○
850 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 19:32:16
1.名将 ● 2.並将サラダ付き ○ 3.並将 ○
4.凡将 ○ 5.愚将 ○ 6.魔将 ○
正攻法を採用したんだからどう考えても名将以外の何者でもない。
しかも現場バカの反対を押し切ってだ。
先見の明があったってこと。戦術眼ってとこじゃないか。
乃木 → 迷将 ●
伊地知 → 池沼 ●
2.並将サラダ付き ●
名将だと思うが殺し過ぎ。なんとかならなかったものか。
853 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 19:52:15
名将と並将の中間に入れたいんだが
この「サラダ付き」という名称はなんとかならないの
せめて、・・・自分でもうまい言葉が見あたらない。
またあとで送ります。
1.名将 ●
このタイミングで正攻法に転換できなかったらどうなっていたか。
ところで、
「敵の兵員並みに銃器弾薬には補充なく、一人一発を失うと共に遂次其の寿命
を縮むるに反し、我軍はたとえ弾薬少きもこれが補充の道を有す。故に正攻法
の確実なるにしかず」
つまり
「増援補給の当てのない敵に比べて我が方はそれがある。
ここは正攻法がよろしい。」
これがどうして「消耗戦の宣言」になるのか腑に落ちない。
この方法で行こう、と宣言しているだけではないか。
よく読んでみたら、「消耗戦の示唆」(817)がいつの間にか「宣言」に
すり替わっているしね。なんだかな。
それと、確かに二○三高地は攻略できなかったが、その時同時に目標とした
他の高地や堡塁群は全て攻略していることを無視しているあたりがどうもね。
良将という選択肢を考え及ばない時点で、ああこの人はこう考えてるんだな、と。
意図が透けて見えるのは選ぶ側を不愉快にさせるよ。芸の修行が足りない。
1.名将 ●
正攻法に転換したあたりに乃木の人間性が100年の歳月を越えてみえてくる。なんてね。名将!
857 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:20:46
>>854 ごめん。別に意味はなかったんだ。因みに(817)と同一人物だから
許してください。気を悪くしないでね。
203高地攻略だけしかいれなかったのはp砲台とか色々入れなければならなっかこと。
203高地が攻撃目標に新たに入ったことを強調させたかったんだ。
そして、それが唯一失敗したこと結果を入れたかった。
整理したほうが解りやすかなと思ったけど、片手落ちだったね。
でも、みんなこの書き込みは読むだろうし、知っていることってことで
どうでしょう。
>>854 >二○三高地は攻略できなかったが、
203高地を目指しているのに、攻略できなかったら何の意味もない。
後付けで言い訳作っても、旅順攻略にはほとんど影響がなかった。
>>829 >意図的に現場と参謀部の確執はこの頃からともっていきたいんじゃない。
軍司令部と現場の師団との確執は、遼東半島を西進中から既に始まっていた。
よくいわれる「伊地知のような老朽不変の人材が軍参謀長の職にあるべきでない」
という某旅団長(一戸ではないよ)の文面は、この頃の慎重策を以て当たろう
とする軍参謀長への、現場の不満の言葉。
要するに、もっと早くやりたい、と言っているわけで。
現場の師団側はこう考えているんだから、当然、正攻法には反対するよ。
>>843 >総司令部の児玉が旅順に来て、攻撃配置などには何の修正も
>加えていないのは、どういうことか?
修正を加えるなんてできないから。そんな指揮権なんてないし。
そんなのは当たり前。
第3回総攻撃時にバンバン修正を加えているんだが、其の時は
一筆があったからね。
>>859 >要するに、もっと早くやりたい、と言っているわけで。
こんな珍説はじめて聞いたよ。 どんなソースですか?
862 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:30:34
>>855 わかった、わかった、すみません。その言葉が思いつかなかったよ。
1.名将 2.良将 3.並将サラダ付き 4.並将
5.凡将 6.愚将 7.迷将 8.魔将
僕は明日の集計があるからここで失礼するよ。
もし、なんか不具合があったら他の人だれか可能な限り修正はしてね。
ただし、話が頓挫するようなことはペケ。もうかなり投票した人がいるんだから。
>>858 二○三高地「を」目指して、ですか? 日本語は正確に。
二○三高地「も」目指していたんだけどね、他にも目標があったんだよ。
第一師団は二〇三高地および水師営堡塁
第九師団は竜眼北方堡塁
第十一師団は前面の敵を牽制する
水師営周辺の堡塁群、龍眼北方堡塁、ここらって結構強力だったはず。
目標とした多くの要地は占領できたが、二○三高地は占領できなかった。
この中で二○三高地を最重要目標と特別視していたわけでもあるまいに。
>二○三高地を最重要目標と特別視していたわけでもあるまいに。
そうかw 特別視してないのかw
後半 日本では二百三高地カットなるものまで流行り、二百三高地は
落ちないのかと焦らす地点を特別視してないのはどうもね。
さらに、望台のほかに俯瞰できる地点が二百三高地以外にあるのか?
>>865 後半って・・・先読みできる現代人でなくては言えない台詞が出てきたね。
その9月攻撃の時の人物の立場になってごらんよ。
9月の攻撃時に、他の目標にくらべ二○三高地は特別視されていたかい?
>>866 二百三高地は東方正面前進堡塁中の鎖鑰地という事情によって攻撃決定。
869 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:47:14
>>863 いい指摘だ。そこでちょいと質問なんだが、純粋な質問だ。
第一師団は203高地の他に●水師営●南山坡山があったた。
この他のふたつは203高地に付随しての攻略なんだろうか
それとも三つとも単独のものなのだろうか
はたまたこのふたつが当初の目標であって、203高地がそれに追加されたものか
863以外でも結構だからその辺を講釈してくらないだろうか。
それを参照したうえで投票してみたい。
第九師団の龍眼北方堡塁は、二龍山や松樹山を攻撃する時に邪魔なんでなんと
してでも落としたかった堡塁というのは覚えているんだが。あと水源地だったし。
水師営の堡塁群を目標とした理由って何だろう?旅順街道沿いの確保かな?
いずれにしろ、ここは二○三高地や南山坡山から距離があるし、全く別の目標
と思う。
>>860 佐藤氏の記述によれば、児玉は二百三高地の掩蔽壕を破壊できるだけの大砲を
持って来ればいいだろと批判しているね。其の後、あの攻撃もいい加減であったと
佐藤自身も批判しているね。
第1回総攻撃も突撃を支援するための砲弾も枯渇したし、
第2回の攻撃もいい加減で、やる気のないものだったし、
どうしようもないですね。
>>871 >破壊できるだけの大砲
それが攻撃前に判明してれば、「それ持ってくればいいだろ」の批判も意味が
あるんだけど。
873 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:57:27
この時点の203高地攻撃には「海軍の強い要請」にあります。
本論とは別に各論として「海軍もああ言ってるし」ということで
これが乃木と伊地知の「遠慮」です。
第一回総攻撃の失敗が原因しているといってもいいでしょう。
また、これは後の203高地攻略(第三回総攻撃の戦術転換)とは
まったく異質なものです。
>>872 東北正面よりも西北正面にシフトしているのに軍直下の砲兵は
西北には指向してませんでしたが?
何をいいたのかさっぱり。
児玉は、前もって分かっていたと思って批判したのだろう。
児玉に説明した佐藤氏の説明不足だね。
>>873 結局、鎖鑰地だから目標となったのか、(867)
それとも、海軍の要請により二○三高地が目標となった(868)のか、
どっち?両方?
876 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:12:32
乃木愚将派だったんだが
糞本「日露戦争明治人物烈伝」読んだら泣けたぞバカ野郎。
かといって良将には抵抗がある。
3.サラダ付き並将●に三段階アップだ!
なんか悔しい。
>>874 じゃんけんでチョキを出して負けた人に、「パーを出してりゃいいだろ」と
いうようなもんだと。
>>875 だれも佐藤氏が説明したなんて書いてないけど、本を読んでるのかな?
佐藤氏の記述より、
実は総参謀長のいわれた通り、二兎を逐ったようなことになったのである〜(略
もしこの際軍司令部にーとくに軍司令官とは言わないー前に述べた司令官の
決心として戦史に載せてあるアヤフヤの決心でなく 何処までも奪取しなければ
止まないという固い決心があったならば、増援隊を送るにせよ、攻城砲を増すに
せよなんとか工夫があったであろう。
と述べているが、
どこが説明不足?児玉総参謀長と意見を同一にしてるのだが?
4.並将 ●
なんか優しさというか優柔不断さがにじみ出てる。結果的に落としたからいいけど、この時点では・・・
もし落とせなかったらどうなってたんだろう。
880 :
868:2005/09/08(木) 22:18:40
海軍の要請が原因です。
これが原因だとしても双方の意見に影響を与えることはないよね。
>>877 じゃんけんと一緒にするなって。
最初の勝負を三回勝負にするとか、そういう工夫がないことを批判しているのだがw
882 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:24:09
>>881 大丈夫か?
最初の勝負を三回勝負にすれば、相手の出すテが分かるとでもいうのか?
そういうこと言ってんじゃないの。
事前に分からなかったことを批判するのはおかしいってことを言ってるの。
883 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:26:20
優柔不断だね。
軍人にとってその優しさも致命的
ということで
6.愚将 だな。
正攻法だって当時の常識だったわけだろう。
で、当たり前のことをやってなんでそんなに評価されるんだ。
なんか障害児が逆上がりができた。偉いんだ。みたいな発想だぞ。
乃木だって一人前の将軍なんだろう。乃木に失礼だ。
>>882 勝負を続ければ出す手が分かるよ。相手がカニかもしれないしな。
大体、軍直属の砲兵部隊を配属せずにつまり、パーという手段を封じておいて、
チョキで負けた事を批判しているんだよ。
そういう批判があったんだよ。君はそれとも修正がまったくなかったような口ぶりの
>>843の意見の人?
>>878 そちらは何かの孫引きを参考にしているのだろうか。
佐藤氏が児玉に説明していて、それを聞いて児玉が批判しているんだよ。
封じてたっていっても、15センチ砲ってそうそう移動出来るものなの?
東北面が主攻面というのは変わっていない状況下で移せるものか?
9月の攻撃の目的は、あくまで「前進陣地の攻略」なんだし。
>>883 >なんか障害児が逆上がりができた。偉いんだ。みたいな発想だぞ。
ありゃ〜、やっちゃった・・・隠しても滲み出るってのはこういうのか。
888 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:36:03
いいかげんにジャンケンはいいよ。
児玉はまだ登場してないんだからさあ。
ここは「おあいこ」ってことで次で決着つければ
三回勝負なんでしょう。
>>886 できるなー。ロシア軍は15センチ砲を移動しているしなー。
そんな質問形式で誤魔化そうとしても意味はないなー
890 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:37:24
>当たり前のことをやってなんでそんなに評価されるんだ。
決断の場とか状況とかね。
でも、障害児が逆上がり、とか言ってる人には・・・通じない話かな。
>>887 ビッコで片目が失明していると、今の日本では障害者認定を受けられ、
障害保険が支給されます。障害者を障害者と呼ぶのは良くないが、事実そうだったしな。
893 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:40:51
>>893 事実を述べているのだが?ちなみ俺は883じゃないよ。
やっちゃった なんてキーワードで引っかかるような人には言われたくないが。
>>885 >佐藤氏が児玉に説明していて、それを聞いて児玉が批判しているんだよ。
さらに佐藤氏は児玉の批判に同意しているのだが、あえてその部分を抜かすのは
なぜですか?
896 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:47:49
というか正攻法は当時の攻城法として常識的なものだったんだろう。
で、結果として第二回総攻撃は失敗したわけじゃない。
特別な意味があった203高地攻略も失敗した。他は成功したけれど、
どの文献でも「失敗した」で共通しているよね。
5.凡将
で宜しくお願いします。
こういう人が乃木を批判しているのですね。やれやれ。
>>884 >相手がカニかもしれないしな。
有り得ない仮定を持ち出す、とかってのが詭弁の法則にあったような。
899 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:54:08
>>893 894は俺じゃないよ。
品がないのは生まれつき、仕方がないのよ生まれつき、
おい、俺の生まれつきを差別するのか、俺だって品のある比喩が使いたい。
俺だって詩的に語ってみたいんだ。
900 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:57:02
ちょっと!やめなさいよ。
カウント900越えたわよ。これじゃ、1000までに到底結論でないじゃない。
それともそれを狙ってるの!
明日の八時までなら、100もあればもつだろう。
俺が責任をもつ。
もなたかったら、モニターに写っているこのカキコの所を思いきり蹴飛ばせ。
902 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:10:45
おい!お前の言うようにしたら
うちのパソコン壊れてしまったぞ!
どうしてくれるんだ!
で
並将に一票
でもさあ、これじゃあ第二回総攻撃で終わってしまうよ。
なんかもったいなくないか。
【日露戦争】旅順攻略における白兵戦 2【203高地】
くどいけど次立てるぞ ゴルァ〜!
寝るな ゴルァ〜!
テ―マソングは、さだまさしだゴルァ〜。
旅順終ったら、日露戦争全体いくぞゴルァ〜 よろしくゴルァ〜
904 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:29:37
いやあ有り難いね。本当だよ。
因みに中間報告です。
1.名将 3票 2.良将 0票 3.サラダ付き並将 2票
4.並将 3票 5.凡将 1票 6.愚将 2票
7.迷将 1票 8.魔人 0票 (6-7は6とジャッジしました。)
コメント付きなら同じ人が何回入れても黙認。
ただし、第二回総攻撃にしぼってね。
です。
905 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:48:11
二兎を追ってしまった。
優柔不断だった。(ここで凡将)
部下に恵まれなかった。(当時の司令官の在り方をふまえて同情)
優しかった。(これが裏目にでる)
最後まで立派で在ろうとした。軍人として。(同情)
3.サラダ付き並将
それ以上でもないし、それ以下にもできない。
ナマコ山さん、南山ひ山さん、下駄さんとか427さんの投票を記名付きでみたかったが。
907 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:02:29
このスレいいね。
まったく個人的なことなんだが乃木観が少し変わってきた。
下駄さんはもう現れないと思うよ。
なんとなくそんな気がする。
>>879 もし落とせなかったら、軍司令官自ら部隊を率いて突撃アボーンです。
それは白襷隊の冒頭からも、二百三高地攻略中でも言えること。
909 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 05:45:06
5.凡将 ●
なんか、あれもこれも全部中途半端。
910 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 06:44:31
第三軍の問題点はこんなものか
1.有蓋堡塁及び永久堡塁の攻略戦術の不備
銃剣突撃では落とせない
2.はなはだ情緒的な作戦指導
既に8月19日には戦術の限界が露呈されたのに変更されず
「いっしょに死んでくれ」と言った、はなはだ情緒的な
思想で、続行された。
白襷隊については言うまでもないが、11月26日以降も
続けられ、日中戦争の赤襷隊につながって行く。
3.総攻撃作戦への固執と予備兵力の不備
戦力を薄く広く分散した結果、砲兵力の分散と予備兵力、
備蓄砲弾の不足を招く
また、一方面の壊滅は全軍の危機を招くこととなるため
作戦続行が極めて困難で、初期の成果が維持されない
4.艦隊と要塞への二正面作戦
例えば
第四次総攻撃の直前、第一師団は松樹山と二龍山との間
で稜線上に到達、白玉山の隙間から湾内の艦船の一部を
視認した。これにより、重砲隊による観測所を設けて砲
撃を試みた結果、準備砲撃に欠陥をきたし、多大な犠牲
を生じる原因の一つとなった。
203高地は結果論だし、海軍と参謀本部の自己弁護も加わるから
何とも言えないが、多くは日本軍の構造的な欠陥とも言え、
乃木だからダメとは言えない。
911 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 07:53:19
うーん。勉強になるというか、ためになる。
が、採点に苦しむ。
>>910 4つのまとめで愚将、凡将の類だなと再確認したが
最後の付け足しで躊躇してしまう自分が情け無い。
これって、乃木に感情移入したってことか
それとも旅順攻略が具体的に自分の中で認識できたってことなのか
●並将
いまさらながもっと違ったネーミングがほしかった。
それともこれでよかったのかなあ
912 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 08:00:06
はい、締め切り!
913 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 08:09:59
それでは投票結果を発表します。
◎第二回旅順総攻撃(前進堡塁攻撃も含む)の乃木司令官の評価
1.名将 3票 2.良将 0票 3.サラダ付き並将 3票
4.並将 4票 5.凡将 2票 6.愚将 2票
7.迷将 1票 8.魔人 0票 (6-7は6とジャッジしました。)
なお、この結果をもとにした乃木司令官の評価は今暫く御時間をください。
主宰 旅順攻略における白兵戦の住人
協賛 日露戦争をまじめに考察する意欲と情熱を持ち得る者たち
協力 ひと味ちがた歴史版スレを構築してみたかった者
914 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 08:37:03
名将の風格を持った将軍であった。
彼の使命は過酷であり、その道のりは険しい。
それ以上に不運な将軍であった。
従って、彼は名将ではない。
名将はその能力以前に運が強くなければならない。
「悲運の名将」など有り得ない。
「並将」乃木希典第三軍司令官は第二回旅順総攻撃を
このようにして戦ったのである。
これより、第三回旅順総攻撃に突入します。
ポイントは当然203高地攻略です。
その作戦大転換、第七師団の運用、児玉の再度の旅順ゆき、
白襷隊についてなど。また、
現場指揮官たちや総司令部、大本営の上層部の姿勢
などなどを考慮して検証してみてください。
「検証!司令官乃木希典」実行委員会
915 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 10:47:38
本題に入る前として今なら邪魔にならないと判断しての書き込みです。
ここで日本の指導者とかリーダーについて
以前ここで、誰かが「みんな結局勝ち組に乗りたい」という意見を述べた。
そのみんなとは「日露戦争の兵士」を指して、その相手は指揮官〜司令官までを
指すのだと思います。現代にあてはめれば、成る程納得のいく話かもね。
ところが、日本人が求めるリーダー像は必ずしも「勝つ」側のものではなく
むしろ、その対極にある「負ける」側に大きく心を動かされるというのです。
昨日の雑談から仕込んできた話です。みんな気持ちよく「死にたい」んだと。
日本の戦国武将で日本人に一番愛されている武将はといえば、大谷吉継だといわれます。
彼のスレもどこかにあったと思います。石田三成との友情から、はからずも西軍についた武将です。
「契りあれば六つの衢に待てしばし 遅れ先だつことはありとも」
これは関ヶ原の戦いで死地に赴く我が兵士に捧げた歌。病魔に冒された盲目の主人の前を
兵士達は我が名を叫んで突撃していきます。
>>910 の問題点の中にある
>「いっしょに死んでくれ」と言った、はなはだ情緒的な
の指摘は十分納得できるのですが、死んでいく者達が納得できるのであれば
それはそれで名将であり、乃木を名将とする根底にはこれがあるのはないでしょうか。
結果とか事実とか以前の話です。日本人(現場の兵士)が求めたものとしてのお話です。
初書き込み失礼します
なんか好きなんですよ乃木将軍。
あの出征前に息子二人の写真もって写ってる写真とか。
なんだか優しそうだし旅順で大勢の兵隊失ってかなり心を痛めたのでは。
917 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 11:28:15
いや、そのへんは案外大丈夫だったのかもしれない。
生死感が違うっていうか、劇的を好むからか。
その悲劇の中に自己の陶酔があって、ラリッテいたんじゃないか。
>917
レスありがとう。
なるほど自己陶酔してたんだろうね。
またそれが魅力なんですよ。
たまらんわ。
919 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 11:59:06
この頃になると進展をみせない状況に
乃木の精神も悲鳴をあげてくる。
不眠に悩まされ、立ちつくす乃木希典。
920 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 13:42:19
ここませ読ませてもらいましたが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が
捏造、デッチ上げ、という風には見えなかったが
問題は二〇三高地攻略にあるのかな?
>それ以上に不運な将軍であった。
>従って、彼は名将ではない。
>「悲運の名将」など有り得ない
そうかねえ、運が良くなければ名将ならず、というのは何か違うと思うね。
それにしても、投票数15か。意外と多くの人が・・まあ複数投票もあった
のかも知れないけど、それでも二桁は行っただろう。驚いた。
もうひとつ驚いたのは、愚将とする側の不見識ぶり。
どうにかならんかと思ったが、もしかしたらワザとなのかとも深読みしたり。
922 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:18:18
そうかなあ、愚将とする意見はきっぱりした感をうけたよ。
別に不見識とまでいうほどでもない。
むしろ、愚将論だった人たちが並将に譲歩したんじゃないかな。
その意味で彼らのほうが見識は高いと思うよ。
名将派はテコでも名将だね。原理主義者のようだ。
そこまでして乃木を名将にしなくてもいいような気もするが・・・。
因みに私は最初から並将。まったくぶれなかった。
捏造などない真実の日露戦争を後世に伝えてほしいと願う俺。
しかし詳しくない。
勉強だな。
924 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:25:38
山岡荘八の「徳川家康」に普通、噛みつかない。
池波正太郎の「真田太平記」にだって。
やっぱり明治だと時代が近いせいで物議を呼ぶのか?
ほかになにか乃木が名将でなければならない事情があるのだろうか?
925 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:32:38
>運が良くなければ名将ならず、というのは何か違うと思うね。
そう思いたい気持ちはわかるが、残念ながらこれが現実だ。
ただし、悲運の名将はないが、悲劇の名将はあるのかもしれない。
言葉遊びの枠を越えていないようだけれど、案外このへんの線引きに
歴史考察の意義と楽しみがあるのかもしれない。
ああ、「楽しみ」と書くと誤解を招くかもしれないが
ここでは敢えてそうしておこう。
>>914 いよいよ「203高地」、個人的に好きな「第七師団」、「白襷隊」などの話しが聞けるかも。
勝手にわくわくしてますよ。(議論に参加できる知識ないので)
そして「児玉大将 派」の意見も。楽しみです。
ああ…暫らく見なかったら投票とかしてたんですね…。乗り遅れたorz
乃木も児玉も好きです。皆さんの議論、いつも楽しくロムってます。
928 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 17:36:48
なんだ始まってないのか。ははあ
さては誰がどこから口火をきるかの探り合いだな。
第二回旅順総攻撃は失敗に終わったと多くの文献の記述にはある。とは既に述べた。
しかし、第三軍はその成果に満足していた。死傷者は第一回の三分の一で(内52%が203高地による被害)
二〇三高地の攻略にこそ失敗したが、残りの3つは占領したのだ。
もともと二〇三高地は海軍の要請によるもの。彼が本務とする旅順攻略には
攻囲線内から突出した龍眼北方堡塁と水師営堡塁群を占領できた意義は大きい。
なあに、港内砲撃なら南山坡山からでも十分見渡せる。
乃木は二〇三高地攻撃失敗を知ると、即座に宣言した。
「其の攻略は、必ずしも敵の死命を制するに足るものに非ず」
そして、二〇三高地は引き続き第一師団(松村務本)にまかせ。
今後は東北正面に重点を移し「望台」正面を突破口にして旅順になだれ込む
作戦に「復帰」した。
どうだ、臨場感でてきただろう。
929 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 17:49:38
彼が本務とするは「彼らが本務」の間違いだったね。
もちろん第三軍のことだよ。
「なあに」は勝手にいれてしまった。余計だったらゆるせ。
因みに伊地知になってそこは打った。
余談だが(司馬気取り、今は司馬が降臨している)
松村務本は「むほん」と読む。第三軍の「本務」が東北正面「望台」にあるとすれば
その番外の戦いは「本務」と逆さの「務本」に任せた。まさか、そんなわけないよね。
因みにこの作戦に児玉源太郎の考えとも共通していると付け加えよう。
ただひとり、大本営の長岡外史はそのサンマの炭火焼きのような髭を机にのせて
「東北正面は絶対駄目だっちゅうに・・・」とひとり泣く。
930 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:20:57
第三回総攻撃にむけて正攻法のトンネル工事だ。
敵もさるものひっかくもの向こうもトンネルを掘ってこちらを爆破させようとする。
児島襄はこれを「地中の激闘」と表現した。
今回の作戦目標はp砲台以外はみんな2メートルの厚さの壁をもつ永久砲台だ。
すべての部隊の作業(突撃のための工事)が完了したわけではない。
しかし、第三軍司令部は突撃による攻略は可能だと判断した。
「多少の損害はあっても砲撃成果は良好だし、まあ、明日いっぱいやればほとんどいけるだろう」
全部隊の足並みが揃うのを待ってると攻撃が延期されちゃうもんね。
折角「貴重な砲弾の消費」で地ならししたんだ。よーっし、強襲作戦かましちゃうよーん。
で、失敗したんですけど、どうしましょう。
おーい、早くツッコンでくれー。わしは腹がすいた。
いつまも打ち込んでるわけにもいかんのだよー。
ここで、中座する。金曜日の夜だというのに、まっすぐ家帰ろ。
帰ってから何にも進展してなかったらきっと凹むよ。
931 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:33:40
つっこみいれたくても、知識がない。
なので、楽しく読んでます。
932 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:47:03
知識なんてなんて関係ない。
日露戦争とか乃木とか児玉とか旅順とか興味あるんだろう。
疑問とか不思議とかわかんないこと質問形式で参加すればいいんだよ。
絶対!邪険にはしないと思うよ。ここの住人は他とは違って素敵な奴らさ。
万が一不心得者がいても誰かが助っ人してくれると思うよ。
>932
どうして日露戦争が起こったのですか?
どんな書籍を読むと「乃木将軍は名将」と思えるようになるのですか?
>933
さすがにその質問は…
頑張って自分でしらべるんだ!!!。
936 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 20:54:49
933おい!・・・・
おまえ・・・・・・
昔中国に美男美女がいた、
美男「マーチャン豆腐すき?」
美女「ボーチャン豆腐大すき!」
こうして生まれたのが桃やの麻婆豆腐の素のもとの話。
それを日本が奪いました。満州の豆腐は美味しいのです。親戚の方に聞いたことあるでしょう、
それをロシアがフランスとドイツを誘って美男と美女に返すように諭します。いや、脅します。
哀れ日本は今夜のおかずにめったに炊かない銀シャリを!「今夜は麻婆丼」だったのに
さて、これが日露戦争の起こった素の素のお話、終。
>>934 やっぱり桑原君の「名将乃木希典」に始まり、終わるんだよ。
乃木神社にいってごらんワンコインで買える。今なら消費税も無しだ。
ついでに中の博物館も見学しよう。今なら無料だ。
丁度この頃、第三回総攻撃あたりのパーティーの写真がカラーである。
ワインや巻き寿司と戦場にしてはかなりの御馳走だ。中央で乃木が笑っているよ。
「坂の上の雲」以外でも児玉源太郎は天才なんですか?
俺は「坂の上の雲」読むまでは児玉大将しらなかった。どうだ とほほだろう!笑え!
939 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:10:47
930
>第三軍司令部は突撃による攻略は可能だと判断した。
準備完了ではなかったんだね。でも、見切り発車した。
準備万端だったら成功したとはいえないが、この点を後に批判されているようだ。
焦っていたんだね。でも、それって禁物っていうよね。
940 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:11:57
ムホン説には笑いました。ムーに乗りそうな気配。
で、マジレスは以下に。
>>930 NHKの「その時」では、第三回総攻撃の時には外壕を潜るまでの地下壕が
既に掘られており、外壕の内側の壁を爆破して要塞内に進入する計画だった
ように紹介していた。
爆破予定場所が予想以上に堅固だったので、侵入できるだけの爆破口が開け
られずに失敗したとも。
放送にはなかったが、どこかの堡塁(東鶏巻山北?)では、カポニエール内
にも侵入していたように記憶している。
ここまで正攻法によって肉迫していたという事は第三回総攻撃について批評
する際には、欠かせない事だと思うのだが、これらについて全く触れないの
はいかがなものか。
もちろん砲弾の件も勘案したとは思うが、このように外壕を突破する目算が
ついた(実際には前述の通り失敗したが)というのも、総攻撃決行について
重要な要因となっていたのでは、と思うので。
942 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:02:05
>桑原君の「名将乃木希典」
この本は、実は乃木擁護論としては新しい部類のもの。
古くは坂の上の雲や殉死が出たすぐ後に、福田恒存が擁護論を展開している。
また、戦略日露戦争に見られるように、旅順での乃木軍司令官を愚将と見るのは誤りであるとする書物は度々出ていた。
943 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:11:33
>>941 >正攻法によって肉迫していた
>これらについて全く触れないのはいかがなものか。
如何なもんかっていわれても、そっちがなかなか帰ってこないから
前説やっていたんじゃないか。それなのにいかがなものって如何なものか
有難うのひとことがあってもいかがなもか
それにしても「秘太刀馬の骨」面白いね。
最後の変な絵とトランペットの親爺は如何なものか
944 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:21:15
>>941 それで第三回総攻撃は正攻法でやったんだけれど
まあ、準備万端ではなく見切り発車だったのはおいて
結局失敗したのは敵要塞の実力ってことなの?
>それにしても「秘太刀馬の骨」面白いね。
面白いね。NHKの時代劇は好きだ。
道場での立ち会いの筈が、間合いがとんでもなく広くなったり、よくわからん
シーンが多いのも如何なものか。
いや、第三回総攻撃の決行しよう、というのは、いろいろな要因があったの
だとは思うんだ。そちらがいう砲弾もその一つだろう。
それと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、正攻法による要塞近接がどの
程度進んでいたか、というのも重要だと思うものでね。
それはそうと、そろそろ次スレの季節と思うのだが如何なものか。
946 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:50:19
二度あることは三度あるじゃないけれど
貴重な砲弾を使った砲撃、まったく効果なかったんじゃない。
この段階でも自分達の火力(量もふくめて)で効果があると思っていたのかね。
最初の第一回目じゃないんだよ。いい、三回目。
俺だったらその前に総司令部に電話入れるな。
「おい、弥介、やばいぞ」
か、次の増援物資(砲弾)が貯まるまで一回休み。兵士たちの鋭気を養う。
なんか自分が名将になった気分になってきた。
忘れてました。 有難う。
東京お住まいか。乃木神社の博物館ってあの半地下みたいな小部屋?
いつか行った時は書や拓本ばかりが飾ってあってなんだかな、と思った。
写真はなかったと思うのだが、展示品を変えているのだろうか。
948 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:54:39
>>946 榴霰弾を支給されてたって話はよく目にするが、第三回の頃もそうだったのだろうか。
949 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:03:31
>>945 うん。特に今回の「馬の骨」はユニークだよね。藤沢の後期物なのかな?まあいいや。
でさあ、気を悪くするかもしれないが、まあいいや。その正攻法っていうのも
それほどの特効薬じゃなかったんじゃないかと思うんだけど、如何なものか。
まあ、それしか方法論はないんだけど。俺はもしかするととんでもないことを
口にしようとしてるのかもしれないが、いや、203高地なんてもうどうでもいいから
第一師団を東北正面にもってきて、ああ、どうかしてる。
基本的な疑問だけど旅順を攻囲する必要があったのかね。
四個師団が一弾となって錐のようにというか、集中攻撃を言っているんだが
また、ひんしゅくをかいそうだ。ああ、気が重い。
950 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:10:06
>>949 児玉が言ったのだっけ、二龍山一点集中攻撃しろって。
しかし攻撃軍の配置は要塞側から丸見えなので、一箇所に集まろうものなら、
その意図は見え見え。要塞側も一箇所に集まって来るだろうかな、と。
攻撃軍側としては、他方面での陽動牽制は必要だろう。
それに突撃可能な場所って少ないのだし、ある一定数以上の兵員が
一箇所に集まってもしょうがないような気が。
>>922 あの障害者云々ってのは、どうなんだろうね。
個人的には不見識極まりない発言と受け取った。
そちらの言い方を借りれば、なんだこの人、愚将論原理主義者か?とね。
アンチ巨人も巨人ファン、という言葉があるが、意外とこれもそうかも。
952 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:29:29
おいおい、赤いシグナルが点灯したよ。
大丈夫かね。903ちゃんとやってくれるのかね。
自慢じゃないけどそっちの方はからっきし奥手なんだ。お手数をかけますがひとつ宜しくお願いします。
>>950 結局、第三軍に却下されたあれな。素人考えでは児玉言うんだし、効果あるんだろうなあ。
と思うんだが、そうか、そりゃそうだね。丸見えじゃあ具合も悪かろう。
問題の東北正面に対岸の西方にある大砲の弾はとどくのかな?と、角度的に標準に
入れられるの?固定してなければいいの話なのかな?
>一箇所に集まってもしょうがないような気が。
いや、案外気のせいかもしれないぞ。常識で考えられない敵の裏をかく。
一戸がほら分散突撃よりも集中(密集)突撃が効果があると苦肉の発見をしたじゃないか。
なんとかならないものかね。あの機動隊がもっている盾みたいなのが使われたと
いっていたが、あれはどうなった?
>>948 天才有坂が急遽開発した「銑製流弾」はもうこの頃には使用されていたんじゃないか。
いくらなんでもまだ榴霰弾じゃあ、現場が泣くよ。
953 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:49:37
いや、再度問う。
要塞全体を包囲する必要は?
954 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:59:47
止まってるのかな
本日は私ここまで
955 :
1です:2005/09/10(土) 00:00:11
いろいろ話し聞けて感謝してます。楽しかったです。
新スレ
【日露戦争】旅順攻略における白兵戦 2【203高地】
頑張って立てようとしてるのですが…
立たないぜゴルァ〜
もう少し頑張ってみますね。
>1
頑張ってね!
>>952 銑製榴弾も現場泣かせだった件について。
958 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:56:32
>>955 こちらもトライしてみたけどダメだった。
誰かよろしく。
959 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:57:39
>>957 その話聞きたいね。でも、大丈夫かな此処、送信も調子悪いよ。
台風で停電して、蝋燭の下で好きな女の子を告白しているようだ。しかも相手は母親に。
きゃー!なにそれ。ついでに蝋燭もあとわずか・・・。
もし、もし、だよ。このまま1さんが頑張ってもらっているけど、駄目だった場合、
俺は偉いなあ、ちゃんと次のケースも考えている。伊地知見習え!
駄目だったら、「長州の切り札、児玉源太郎について」という名前負けしたスレが
あるから一時そっちでやろう。大丈夫だよここんとこずーっと枯れているから。
それに不自然なテーマじゃないよ。これから児玉登場するんだし。
それが駄目だというのならば、そんときはみんなで二重橋で腹を斬ればよか
西郷従道、好きなんだ。でも1はきっとやってくれると思うよ。
スレ 立たないや・・・すまん役たたずで。
誰かできたら頼む!
俺もがんばるが・・・
961 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:04:15
962 :
1です:2005/09/10(土) 01:04:16
963 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:09:19
多分いま調子が悪いんだと思うよ。あと39しか残ってないから
ここはいったんお開きにして、明日、明後日と時間をずらしてためしてみたら
どうだろう。ぜったい駄目ってことはないと思うよ。システムがいま不調なんだ。
残りは状況案内に使ったら、俺はそういう知識がないんで役に立てなくてすみません。
今日はもう送信しません。明日以降にしようよ。
964 :
000:2005/09/10(土) 01:25:09
966 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:39:32
967 :
1です:2005/09/10(土) 07:35:07
>>965 スレ立てお疲れ様です。
ちなみにくだらない東映「二百三高地」ネタを書いてたのが私です。他の事では参加できないので…
個人的には、「元福山人さん」のあたりで感動しました。
「勲章の話し」ではあまり聞けない話しで 感動でした。
楽しかったですよ。
ありがとうございました。
968 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 07:44:05
パ―ト2へ
969 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 07:50:16
2へいそげ
970 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 07:58:02
いそげ
971 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 08:10:33
2が立ったぞ
972 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 08:19:33
パ―ト2
立ちました!
973 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:21:09
まだ30ある。なんかネタないか?
日露戦争で活躍した人の子孫で有名、著名人で誰かいたら俺に報告する。
>974
黒鳩琴 北千住在住
古賀てるひこ 金沢市在住
(美しい國日本、美しい國ロシアって書いた小尉)の子孫
977 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:53:19
児玉が祈り
黒木が攻め
権兵衛が作り
従道が呑み
東郷が決断した
そして、乃木は独り旅順で哭いた
カヤマユウゾウ
愛子ちゃん
980 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:58:02
黒木第1軍最強!
第3軍は…
誰かのこり19で「もしも、黒木、奥、野津の誰かが旅順を攻めたら」って妄想ぶちかましてくれません?