1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:30:11
2げと
3 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:30:46
2
4 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:31:29
222222
5 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 16:49:53
奈良時代の服は現代人の中にある「天女」のイメージだよね。平安時代の「日本的」な服もいいけど、個人的には奈良時代の服が神秘的で好き。
6 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:01:14
狩衣はなかなか良い
7 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 20:29:24
8 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 12:21:28
日本の文化の多くは韓半島が根ですからね。当然衣服も影響を受けていたと見るのが妥当でしょう。
9 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 01:14:50
誰か増田美子著の「日本喪服史」という本持ってないですか!?;
レポート書くのに必要なので、『喪服の色・形の変化と日本人の死に対する意識』という所を教えてください!
10 :
:2005/07/27(水) 21:46:28
呉服の呉は三国志の呉だから、中国から入ってきたのでしょう。
11 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:41:18
12 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 12:12:32
>>11 では高句麗と同年代の日本の衣装が似ている理由を説明して下さいw
13 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 18:30:06
おうおう。ファビョってるな。高句麗と同年代の日本の衣裳がにてる!?どこが?
しかも高句麗なんて長いんだから、同年代の日本っていつの同年代だよ。日本史わかんないのかよ?
14 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:10:50
15 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:42:59
意匠?
16 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 18:33:46
17 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:00:53
着物は安土桃山ぐらいのゆったりとしたやつがいいな。
現代のはきっちりしすぎできれいじぁない。
18 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:17:48
19 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 09:43:14
>>18 16ではないが、まぁ高句麗の衣服が飛鳥時代の衣服(着物の原型)に影響を
与えた事は確かですね。それとも高句麗と日本がどちらも大陸の影響を
受けていたという事でしょうか?
隋代の衣服を見て見ないことには分かりませんが・・・
誰かUP出来ますか?
20 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/07/31(日) 18:02:34
高句麗って何年から何年だ?
21 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 19:27:21
高句麗はツングース
22 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:15:51
>>20 史実的には前37年〜668年
百済王家も高句麗王家の分家だそうです。
24 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 05:13:33
結局飛鳥時代の服装は高句麗の衣服のpakuriですね。ok?
高句麗の男子は鳥の羽のついた冠をかぶってるんだろ。
倭国人じゃ見ねえなぁ。
26 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/08/03(水) 13:27:15
着物は?
27 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:28:21
宮廷に仕える役人の朝服の変遷を見ると
飛鳥時代:朝鮮半島の影響を受けた服装
奈良時代:唐の影響を受けた服装
平安時代:国風文化による日本独特の服装
という感じだな。
>>26 着物は着る物の意味でしかない、和服も新しい言葉。
呉服でしゅ。
三国史記 新羅紀 第二十八代真徳王(在位647〜654)
二年(648)春秋はまた〔新羅の〕礼服を改めて、中華の制度に従いたいと申し出た。
そこで珍しい服を宮内から取り出して、春秋およびその従者達に賜った。
三年(649)春正月、はじめて中国の衣冠を着ることになった。
四年(650)六月、この歳、はじめて中国の年号である永徽の年号を用いた。
三国史記編者金富軾曰く
辺境にある小国でも、天子に臣下として、仕えるものは勝手に年号を称しては
ならない。もし新羅が二心なく中国につかえるならば・・・このとき以後、
唐の年号を奉ずるようになった。そもそも過ちをよく改めたというべきであろう。
日本書紀 孝徳天皇 白雉二年
是歳、新羅の貢調史知萬沙サン等、唐の国の服を着て、筑紫に泊まれり
朝廷、恣に俗移せることを悪みて、訶責めて追ひ還したまふ。
30 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 05:42:28
飛鳥時代の衣装は韓半島の模範だと言うことで決着しましたね。
31 :
:2005/08/11(木) 19:45:50
32 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 00:22:38
age
33 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 01:15:34
平安時代の貴婦人て夏でも十二単着てたの?
暑くなかったの?
安い釣りレスばっか。それとも自作自演で痛いチョンでも演出してるのか?
35 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 02:47:45
そういえば、昔の絵巻なんか見ると半袖着てる人なんていないな。
なぜだろ?
ていうか、半袖が普及し始めたは昭和初期ぐらいか?
明治の錦絵なんかも長袖ばかりだし。
>>33 実際に十二枚着ていたとは限りませんでしたし、生地にもよります。
>35
>昔の絵巻なんか見ると
出て来ますよ。たくし上げている場合が多いですが、『扇面法華経』ほかには、
夏に労働する者が、半袖というか袖無しでいる姿が描かれています。
これでも幸福な方でしょうが。『おあむ物語』などによれば、寛文頃までは一
つの衣を数年間着るといった事も珍しくなかった様で、袖無し(夏用)がある
というだけでも、いい方だろうと思います。
もっとも、パリでも16世紀までは着たきり雀だったそうですが。
なお、袖無し(髪も短く切られている場合があった)を着ているものよりも、
もう少し社会的地位が高い人物になると、袖が長く、上着も着ていましたが、
「髪きこむ」といって、上着の中に結んだ髪を入れていました。
髪を結んでいるか、着込んでいるかで、おおよその身分が分ります。
座っている場所もそうですが、上人の所を訪れている複数の女性の姿を見た
だけでも、こうした違いがありますね。
38 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 23:22:29
学問板で不謹慎な疑問なんですが、制服フェチってなんで日本特有なんでしょうか?
しかも、年下願望と結び付いて女子学生服フェチが多いし。
40 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 13:44:12
古代男性の服装に関して言えば奈良時代の服装が一番華やかで格好よく見えるな。
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140 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 09:15:29
嵐は出て行け。
141 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 22:51:08
昔は衣服を着た切り雀にしていたのは、そもそも布地というものが高価だったからですよね。
だからこそ「追いはぎ」という衣服を狙う強盗がいたわけですし。
そういえば、そもそも日本に産した繊維は麻と絹で、綿は大陸から渡ってきたもの。
それも質の良い綿糸を得ることが出来なかったと聞いたことがあります。
和服が絹ばかりなのも、ある程度容易に得られる布が絹しかなかったからで、
吉宗公が綿の着物を着用したのも国内綿糸産業を興すのが目的だったとか。
142 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:29:04
5〜6世紀の古墳時代の埴輪も
色は分からないが飛鳥時代と大体同じような服装だね、女性の衣服は。
143 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 15:54:49
現代にも残る女性の「着物」の原点は、江戸中期の元禄小袖。
元禄小袖で、始めて女性の「着物」はワンピースになり、
豪華でごつい帯が登場し、結び目が後ろになった。
それまでは女性も袴をはいていたから、
帯はただの紐で、前で簡単に結んでいた。
だから、戦国時代や江戸初期を舞台にした時代劇で、
ワンピース&豪華な帯の「着物」を着た女性が登場するのは、
時代考証が無茶苦茶。
そういえば、室町ごろの女性の旅装束は袴穿いているよねえ。
袴が無くなったのは江戸の都市化完成と関係が有りそうだ。