石原莞爾

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130日本@名無史さん
>>126統師権な。統制派…支那打倒後対ソ防衛。皇道派…支那に手を出さず満州強化対ソ防衛。22.6事件で皇道派は完全に壊滅、統制派は陸軍中央を完全に制圧した。石原は皇道派ではないが、支那、ソ連に対する認識は完全に一致してる。
131日本@名無史さん:2005/08/14(日) 16:50:25
>>130
俺はそんな事言ってるんじゃないの。
1作戦課長が仕掛けたテロに乗っかる軍部や政府が何処に有るかって事を言っている。

また引き金を引いた石原も自分のやった干犯行為でその後の国家的2重構造化を阻止できると思ってたのか?
前線不拡大を前提に軍部は自分で抑えられると思ってたのかよ?
天皇に嫌われ無ければとかそんな次元の話じゃない。
そこら辺の見通しがヒジョーに甘い。大甘ちゃんだよ。

132日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:17:58
>>131あなた昭和陸軍に疎いね。統制派…支那事変推進。皇道派…支那事変絶対反対。この認識は当時の陸軍軍人と陸軍担当記者共通の認識だよ。226後統制派が陸軍中央を完全に掌握その後支那事変勃発って事実があるじゃないか。両派の対支那方針も知らんとは…w
133日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:28:26
>>131武藤章…統制派。統師権云々や陸軍の下克上体質のみで当時の陸軍を全て語り尽そうとしてるんだから…w
134日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:54:27
統制派・・・永田鉄山、東條英機、今村均、武藤章、冨永恭次、下山琢磨、影佐禎昭、
池田純久、四方諒二

池田は事変拡大に反対した。
影佐は支那通の中では出色の人物で、石原からも期待されてたが、やや一撃論に
傾いてた。
今村は冨永や田中隆吉を連れて上京し、河辺弟に怒られた。
武藤は一撃論者だったが、暫くしてその誤りに気付いてたようだ。後に対米戦回避に努力した。

南京攻略は、渋る参謀次長多田中将に、部下と現地が圧力をかけまくって実現したもので
あるが、このとき召集され第十軍司令官を務めていた、皇道派の雄柳川中将が、
南京進撃阻止に積極的に動いたという話を俺は知らない。

支那事変とは、永田が敷いたレールを東條たちが走ったとかいう皇道派シンパがいるが、
それは穿ちすぎな考えだろう。統制派だからどうなった、皇道派だからどうなった
などという単純な色分けは全く無意味。
135日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:01:25
皇道派と仲がよかった近衛が後の手記で
最初の組閣を固辞した事について
二・二六の結果「対米自重派、対支自重派」の皇道派が連座された為
その後の軍部の動向は見るに耐えなかった。としているがどうかねぇ…。
さらに近衛は戦中に親ソ反米で抗戦を主張する統制派にはアカがいる為、
皇道派を起用して終戦へと導こう、ともしているがこれもどうか…。
136日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:08:18
>>132-133
だから結局統制派が実権握って大暴走したんだろ?
その原因は何んだよ?

石原が統制派に属していながら支那侵攻に反対してたんなら
満州事変を起こす前に統制派の暴走は予見出来たはずだろ?
で、226で皇道派が暴発したのも元々皇道派がその程度の集団だったからだよ。
自滅に等しい暴発で潰れた。鎮圧したのは石原だ。

俺は陸軍内の派閥争いで悪い方が主流に成ったからとかそんな視点で歴史は見てない。

石原は統制派の暴走を予見出来ていながらなんで満州事変なんか起こした?
それを政府はなんで追認した?内地に居る陸軍本部は何故石原を国家反逆罪で銃殺にしなかったんだ?

板垣と石原のやった事は明らかにテロだ。しかも陸軍本部はまったく認知しない内に事態が進行した
軍を天皇の了解無しに勝手に動かしたこれは明かに国家反逆罪だろ?
そこの議論から逃げるなよ。
137日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:10:54
>>134武藤は後に誤りに気づいたんじゃなくて、支那までOK対米戦絶対反対。支那が対米戦の呼び水になると言う認識にかけていた。統制派、皇道派の方針対立の共通認識は派閥に関わらずの共通認識。永田の対支那感情は皇道派統制派に関わらず有名だ。
138日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:18:14
>>136石原が統制派?笑わせるなwたまに統制派と分類してる不完全な資料があるがな…石原が統制派とはねワロタ(^^)
139日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:22:43
>>134>>135>>137
そんな視点の議論で物事の根本には辿り付かない。

組織内部の事では無く組織その物の成り立ちや変遷と拡大
また統帥権に関わる解釈の変化。
それによる文民統制の欠如。
それがこの戦争をダメにした原因だよ。
140日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:24:37
皇道派という概念はある程度わかるけど、統制派ってのは
それ以外の全部って意味でしかないね。
こんないい加減な言葉誰が作ったんだ?
141日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:28:55
>>135両派に属してない軍人にその見方をしてる人もいるよ。特に満州事変後の省部会議での小畑(対支那戦絶対反対)と永田(支那戦推進)対立と言う事実は超党派的な定説。小畑は支那事変は世界戦争になるから反対と言う意見は今では超党派的に卓見とされている。
142日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:29:19
支那事変の拡大について統制派、皇道派のくくりで語るのは無意味だよ。
143日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:38:57
>>140
皇道派の統制派感というのはまさにそれだね。
当事者の池田は、総動員体制をつくるために研究努力する人々を指して統制派と呼んでる。


近衛の軍人感は、後世から見ればお笑い以外の何物でもないな。
144日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:39:57
文民統制万能論?ドイツ軍の敗北と米軍のベトナム敗北も文民統制の弊害ちなみに政府が参謀本部を抑え支那事変を拡大した局面もあったじゃないか。多田参謀次長が政府の人間より事変解決を訴えたじゃないか。ちなみに多田中将も支那事変不拡大派だ。
145日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:42:28
>>138
統制派も永田鉄山が生きてたらって話だろ。
そんな事はどうでも良い話。
板垣征四郎はどっちだ?統制派じゃなかったけどあとで鞍替えしたか?それとも元々統制派か?(笑)
出世欲の権化で陸軍権益伸ばす為だけに前線拡大を強硬に主張して無かったっけ?
じゃあ板垣の下で満州事変起こした石原は統制派だよなぁ(笑)
アフォらしいだろ?

つまりそんな色分けでこの戦争語るのが間違ってるんだよ。

146日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:45:09
永田が対支戦を主張したというソースは?
北鉄買収で小畑と永田が対立した話は知ってるが。
147日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:50:28
>>142無知の開き直りだwあなた別の時代には詳しいんだろうが…昭和の陸海軍については資料読む気にならんてクチ?あるいは偏見に満ちた事情に疎い学者の書いた資料は見たのかな?
148日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:01:11
>>147
いやだから池田が事変拡大に反対したのは何故?
柳川が南京進撃に反対しなかったのは何故?
149日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:01:46
>>147
本当に統制派という派閥の実体があるというなら、メンバ表でも
 出してみてよ。いくらでも反論できると思うよ。
150日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:04:15
>>140そうです。皇道派以外統制派ではありません。阿南大将などは両派閥に属していません。石原などはひどい資料は統制派に属していたり満州派?とか書いてるのもあります。
151日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:07:33
>>149いくらでも反論出来ないと思うよw
152日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:13:14
>>151
メンバーはどうでもいいから146と148に答えてよ
詳しいんでしょ
153日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:16:26
>>146ソースね 支那事変勃発と陸軍中央部の動き 陸軍大佐今岡豊 かつて荒木さんが陸軍大臣のときに満州事変が収まった時に省部の首脳を集めて会議を行なった。すると永田鉄山少将は支那をまずたたいて国力を充実してから対ソをやるべきだと述べた。
15446氏へ続き:2005/08/14(日) 19:24:04
これに対し小畑さんは(支那ともし戦争になったら世界戦争になる支那には絶対手を出しては行けない)といっている。中略 日本にもこの様な卓見の士がいたのである。
15546氏へ:2005/08/14(日) 19:29:36
なお今岡豊大佐は皇道派ではありません。同大佐は後にインパールで補給の困難による作戦の中止を進言。著作に石原莞爾の悲劇 芙蓉書房 があります。
156日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:29:46
>>144
石原の満州事変が美味く行き過ぎたからね。
あと支那事変が政府主導っていうのも違うな。
軍の中に一撃論や華北分離論が有ってそれを近衛に具申した奴が居てアフォの近衛が取り上げたと言う訳だ。
また天皇も乗り気だった。

つまり軍主導は変わらない。問題だったのは事の中心に居なければ成らん石原が蚊帳の外だった事。
その後周到に石原は軍の中枢から外される。これも予定調和の中の話で
つまり支那事変は多分軍内部で満州事変直後から検討されていたって事だよ。
大体親玉の板垣が陸軍大臣に成った後何してるんだよ?それ考えれば話の辻褄が全部合うだろ。
157日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:33:51
>>145板垣征四郎が統制派?板垣大将も資料によってちがうよ。大陸派やら満州派やら、無派閥やら。
158日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:38:01
>>155
ありがとう。
「石原莞爾の悲劇」はなら私も持ってます。あれはいい本だ。今調べたら、
あなたが引用した発言は「作戦の鬼小畑敏四郎」にも、荒木貞夫の言葉として載ってました。
荒木の言葉だけで断定するのはちょっとどうかな?

ちなみに今岡は論争当時陸大生です。
159日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:42:31
>>157
だからドッチでも良いんだよ。
問題は板垣が陸軍権益伸ばしたいが為に中国戦線の拡大を強硬に主張した事。
160日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:57:20
>>158作戦の鬼小畑敏四郎を読まれましたか。荒木云々はそうかも知れませんね。私は作戦の鬼でこの事実を知り今岡大佐のレポートで、この事実が書かれてるのを知り正直驚きました。丸の別冊なんですがね。
161日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:02:02
>>158昭和陸軍を語る上で芙蓉書房の本は好資料ですよね。
162日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:17:27
芙蓉書房の本は殆ど持ってます。
「作戦の鬼」の永田評はやや偏りがあるように思います。
一方「秘録永田鉄山」の永田評は持ち上げすぎのきらいが。
人物評というのは、評者の立場によって大きく変わります。
後世の人間としては、色々読むしかないでしょう。
163日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:39:10
>>162なかなか読み込んでますね〜同好の士に出会えて実に嬉しい。あなたは相当な昭和陸軍通だ。秘録石原莞爾もよかった。しかし今岡大佐の著作の方が詳細でさらに正確ですかね。
164日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:01:03
石原関連なら横山本、青江本あたりが基本でしょう。
第一部長時代に特化した今岡本も良い。
石原莞爾資料も良い。最近の本は個人的にはつまらんです。

軍内派閥というのは当然は恥で、自分で、自分は○○派ですなんて云う人は殆どいない。
自分は統制派だと書いた池田純久なんかは例外的。
黒崎貞明も、自分は皇道派の端くれで、みたいなことをしきりに書いてるが、
一方同じ青年将校でも、末松太平なんかは、皇道派のエリート将校たちと
自分たちは別物、みたいな意識が強い。
165日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:08:16
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/kanpo/13-4/13-4-2.html
また「統制派」という用語自体も、陳述で使用しているのは、私が確認した範囲では
実業家の石原広一郎にとどまる。「統制派」と皇道派の対立という図式自体、秦郁彦
氏が『軍ファシズム運動史』で、回想などに基づき「便宜的」と断って記述したもの
だったという(林美和「派閥対立史観の形成とその虚構」〔『鶴山論叢』第4号 2004
年3月刊行予定 参照〕)。自明とされてきた「統制派」・皇道派の対立も、史料的に
きちんと裏づけられた概念では必ずしもないのである。
166日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:26:16
http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/gunji/226_gunbatu/rikugun_habatu.htm
永田によれば陸軍には荒木・真崎を頭首とする「皇道派」があるのみで「統制派」たる派閥は
存在しないという。皇道派が全盛の時代、つまり荒木陸相時代(犬養内閣時)だが、皇道派に
反する者に対して露骨な派閥人事を行い、左遷されたり疎外された者らは反皇道派として団結
するようになり、同じく皇道派に敵対する永田が、自らの意志と関わりなく、周囲の人間から
勝手に皇道派に対する統制派なる派閥の頭領にさせられていたのである。
永田自身には派閥そのものに否定的見解を持っていたのだ。
167日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:32:07
>>165ひぇ〜!!!お見逸れしました!! m(__)m昭和陸軍どころか、戦史の鬼ですな!!!いきなり(作戦の鬼小畑敏四郎)の名が出た時にギクッとしましたが…いやはや。
168167ですが:2005/08/14(日) 21:42:51
訂正165氏…でなく>>164さんに対してでした。>>164さんは戦史全般に強いですね。最近本(特にメジャーな出版社)のは戦史に対して虚心坦懐じゃないので幻滅します。
169日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:49:12
須崎教授の「二・二六事件」は良いね。

しかし西安事変に関する磯谷発言は、石原を持ち上げる目的でよく持ち出されるけど、
磯谷中将にちょっと気の毒だなあと思うね。
西安事変の重要性を見抜いた石原の慧眼は認めるが、磯谷は磯谷で、
満洲事変に反対だったらしいし。どっちが先見性があるのかは・・・
170日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:56:11
「統制派」なる概念が自明であるかのように語る方々のおつむのレベルが
知れますな。これは自分を「皇道派」側に置くため起きる現象なのでしょうか。