太平洋戦争は共産主義者の陰謀

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199日本@名無史さん
『異国の丘』とソ連・日本共産党(1) シベリア抑留問題から見た「逆説の戦後日本共産党史」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia.htm

1、ミュージカル『異国の丘』
 2002年3月、劇団四季のミュージカル『異国の丘』を観ました。
 ストーリーは、1930年代当時の近衛文麿首相の長男近衛文隆を主人公とし、彼のアメリカ
留学、上海における日中和平秘密工作の破綻を経て、シベリア抑留となり、1956年、
死ぬまでです。彼は、ソ連戦犯として25年の刑を受けます。ソ連政府は、彼を「大物スパイ」に
しようと、様々な拷問・勧誘をしますが、彼は一貫してそれを拒否します。その中で、シベリア
抑留における強制労働、飢餓、仲間の死が、吉田正作曲『異国の丘』合唱を含めて、多くの
ミュージカル・ナンバーが歌われる構成になっています。舞台は、彼がスパイになることを拒絶
し続けたために、抑留最長11年の帰国当日に、ソ連当局による薬物注射で殺されるシーンで
幕を閉じます。
 私は、この舞台を観たことによって、日本左翼陣営および日本共産党にとって
“一種のタブー”となっているシベリア抑留問題に興味をもち、いろいろ調べました。
 ここでは、その根底にあるソ連共産党の目的・方針とそれに関連した日本共産党の問題と
いうテーマに限定します。
 ソ連共産党と、当時もコミンテルン日本支部以来の“対ソ連共産党従属状態”下にあった
日本共産党との関係を分析します。
200日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:54:46
>>199
4、民主運動とソ連共産党
1、ソ連共産党が抱いた2つの政治的狙い
 第二、東アジア対策の一環として、日本革命の中核となる日本共産党を支援・強化するため
に、約60万人もの軍事捕虜を「日本共産党支援者、または帰国後の入党者」にすることで
した。『日本共産党がもち上げられ、捕虜の考え方や行動の全体的なイデオロギー化が始
まった』(ヴィクトル・カルポフ『スターリンの捕虜たち』P.128)。
3、宣伝・扇動・組織活動と異論者排除の全面的実践
 (1)、宣伝・扇動・組織活動の中心は、『日本新聞』でした。その「第1号」は、ソ連軍の満州
占領終結の6日後でした。このことは、ソ連共産党の上記第2目的の存在を証明しています。
ソ連共産党は、これを1949年11月27日の「第650号」まで継続して発行し、数人に一部の
割合で配布しました。新聞の基本方針は、『ソ同盟の宣伝』とともに、『日本共産党の綱領の
宣伝』『日本共産党を援助するための人員の養成』でした。

5、舞鶴「ダモイ(帰国)」とソ連による日本共産党支援方針の強化
 第1、ソ連共産党による「ダモイ」時の日本共産党支援方針の強化と
「日本共産党入党運動」の組織
 カルポフが『スターリンの捕虜』において、機密資料による、以下の詳細な実態を暴露
しました。1947年2月から8月、ソ連共産党は、アクチブの地方大会、全国大会を
ハバロフスクで開かせ、『スターリンへの感謝決議』運動を組織しました。1948年10月
25日、ソ連陸海軍総政治局は、『祖国に帰還したら日本共産党に入党する必要があることを
意識させるべく捕虜をじかに導く』とする「指令No.432/sh」を発しました(P.229)。
201日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:57:00
『異国の丘』とソ連・日本共産党(2) シベリア抑留問題から見た「逆説の戦後日本共産党史」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia2.htm

2、代々木、他での集団入党と多額の共産党カンパ問題
2)、共産党カンパ運動とカンパ額の推計、時価約21億7千万円
 ナホトカでの“「ダモイ」民主主義”運動、舞鶴での行動を通じて、65203人全員が、
“表向きの日本共産党支持者”になっていました。厚生省援護局は、舞鶴港で、帰還者
全員に「応急支援金」として一人一律1000円を支給しました(『援護五十年史』P.56)。
 33隻のアクチブ・専従者は、全員に「日本共産党入党」を呼びかけるだけでなく、
「共産党へのカンパ」を“半ば強要”しました。
 抑留者たちからの21億円のカンパとは、膨大な額です。しかも、この21億円の性格を
はっきりさせておく必要があります。それは、ソ連共産党による拉致犯罪被害者としての
抑留者たちから、半ば強制的に収奪し、ソ連共産党“従属下”の「入党者・カンパ受益者」
日本共産党に持ちこまれた、一種の「ソ連共産党が“合法的に”行なった日本共産党への
資金援助」でした。

3、徳田球一「要請(期待)」=“帰国妨害”問題と管季治の証言・自殺問題
2)、「徳田要請事件」=「日本共産党の在外同胞引揚妨害問題」
 1950年3月4日、高砂丸で、1587人の「日の丸梯団」が舞鶴に帰還しました。彼らのうち、
373人は、国会に『徳田球一日本共産党書記長がわれわれの帰国を妨害した』と、訴え、
国会はそれを正式に取り上げました。
 (1)、抑留者の国会証言内容(管季治遺書HPの解説)、「前年の9月15日、カラカンダ捕虜
収容所第9所にて政治部将校エルマーラフ上級中尉は抑留者にこう語ったという。『いつ諸君
が帰れるかは、諸君自身が真正の民主主義者となった時に、諸君は帰れるのである。
日本共産党書記長トクダは、諸君がよい民主主義者となった後に帰国するように要請して
いる』『反動は一切帰国させないで、ソ連強化の為に使ってくれ』と要請した」」。
202日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:57:47
>>201
5、野坂参三「NKVD工作員」事実と「シベリア抑留事後承認疑惑」問題
3)、シベリア抑留に関する野坂疑惑・日本共産党疑惑
(1)日本国民約60万人のシベリア拉致・抑留にたいする日本共産党としての事後承認を
した、さらに、(2)抑留者の民主化運動だけでなく、日本共産党入党運動の要請をしたの
ではないのか?」という疑惑です。

6、抑留期間中、ソ連共産党から日本共産党への108億円以上の資金援助問題
日本共産党に与えた35万ドルは、独自目的として、約60万人のシベリア拉致・抑留犯罪=
強制労働・飢え・極寒にたいする日本国民の怒り・早期帰国要求を緩和・欺瞞・抑圧する工作
への“犯罪協力・共犯依頼金”という性格も帯びました。

3)、3回108億円とも「党本部受領」という状況証拠
1954年春(『年表』では、夏)、ソ連共産党スースロフらは、モスクワに、中国共産党代表ととも
に、“組織統一ずみの”日本共産党中央委員会北京局代表野坂ら5人を呼び、“ソ連側主導”
で「六全協」決議原案を作成しました。
(5)、中国共産党が、日本共産党に次の方針を押付けた“中国共産党従属”会議でもあった。
 4)、「北京機関」の「党学校」は、「六全協」後も解散しない。ソ連共産党がシベリア抑留者に
たいして行なったように、日本共産党員2000人にたいして「毛沢東思想」方式の教育と
中国支持幹部の養成を「六全協」後も続行する。

7、シベリア抑留により「具体的恩恵」を受けた“唯一の革新政党”
(1)「赤旗梯団」33隻の1万数千人の集団入党・約21億円の共産党カンパ問題、
(2)徳田球一「要請(期待)」問題、(3)宮本顕治の「抑留記批判発言」問題、(4)野坂参三の
「NKVDスパイ事実とシベリア抑留事後承認疑惑」問題、(5)抑留期間中の「3回108億円
ものソ連共産党が支払った日本共産党への資金援助」問題