>>674 米国に石油/屑鉄が止められても、国民が飢え死にする訳でもなく、大陸での陸軍の行動が多少影響を受け、海軍が機能しなくなるだけだった。まして本土の民間人は誰も戦火/戦災に晒される事はなかった。
その米国が投げてよこしたハルノートという救命浮輪を、ロクに内容を検討する事もなく最後通牒と誤解して受け取ってしまっている。
だが“ハルノートは最後通牒である”と、政府/軍部の全員が盲信してしまった経緯には、どうやら昭和天皇が絡んでいるようだ。
東郷外相はハルノートが日米交渉再起動のための覚書として米国が提示して来た文書である事を“正確に”理解していたため、覚書であると断った上で 昭和天皇に直接上奏している。
しかし、昭和天皇はここでハルノートの内容についての概要を聞いた時点で、致命的な判断ミスを犯してしまう。
昭和天皇は自らが拡大方針へとドライブして結果としての日中戦争の成果に満足していたが、ハルノートの内容は“中国からの撤兵”を明記しており、昭和天皇の治世における“成果”を全面否定するものだった。
これを、自分および天皇家権威への“四民平等の国”からの“2度目の挑戦”と見た昭和天皇は、ハルノートを米国の最後通牒と見なしてしまった。
東条&東郷にしても昭和天皇が最後通牒と受け取ってしまったハルノートを省みる事は明治憲法下では出来ず、海軍の主張していた備蓄石油枯渇前の早期対米決戦/蘭印石油資源奪取論にGoを出してしまった。
既に海軍はハルノートとは無関係に11/22から機動艦隊を単冠湾に集結させており、ハルノートを最後通牒と受け取った昭和天皇の統帥の下 11/26に真珠湾へ向けて出撃してしまった。