もしも、明治維新が起こらなかったら?

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1
 もしも、明治維新が起こらなかったら、現在の
日本はどうなっていたでしょうか?

 徳川家が大政奉還した後、戦争が起こらなかったら、
有能な人材が死ぬ必要が事は無かった筈なのに。

2日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:50:01
しししし知らんがな(´・ω・`)
3日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:50:30
日本がチョソだらけになることはなかった
4日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:52:22
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1114173490/l50
ペリーが日本を素通りして、清に圧力をかけていたらどうなったか。
5日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:53:05
日本が潰れていたか、辺境の小国
6日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:46:02
明治維新ってのは薩長の下級武士によるクーデターつまり幕府の乗っ取りにすぎない。
維新後の近代化や開化政策は、もともとは幕府が進めていた規定路線で、
薩長の横槍がなくとも日本は近代化プロセスを歩んでいた。

薩長が独自に日本史にもたらしたものといえば、
天皇神格化による宗教的国家体制の構築と、
朝鮮人を異常に優遇する同化政策くらい。
7日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:50:47
おいらはニートではなく侍の禄を食んでたはずだ・・・Orz
8日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:00:06
>>7
小普請組ならあんまりかわらんような気がする。
9日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:33:15
アメリカ合衆国委任統治領日本
10日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:45:16
まぁ、恐らくアメリカかどっかの植民地かなんかだろ。
11日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:48:45
北海道 → ロシア領
本州東部 → アメリカ領
本州西部 → イギリス領
四国 → フランス領
九州 → オランダ領
12日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:49:55
アメリカの一州
みんな英語ペラペラ
サッカーよりアメフト
13日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:00:34
>>6
だから、幕府による近代化策は机上の空論だってば。
たしかに、一部の幕臣が大統領制と全国統一統治を検討していた事は事実だが、
検討した幕臣には、幕政に関する決定権はない。
政策として決定権を持っていたのは老中などの譜代大名達。
譜代大名達が、お家断絶にも等しい行為、自分の領地を徳川家に返上する事が出来ると思うか。
幕臣の文明開化策は、幕政のトップにいる老中達に蹴飛ばされるだけ。
つまり単なる机上の空論でしかない。
14日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:21:59
>>13
民主党が提案する行政改革みたいなもんかw
15日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:35:03
老中のように露骨な既得権益者がその権益をあっさり捨てて、
郡県制への移行はできんだろうな。
民主党は既得権益者じゃない(野党という意味で)ので
この場合比較対象として持ち出すのは不適切。
持ち出すとすれば「郵政族が郵政民営化マンセーする」とか
「年金受給者が年金なんて要りませんよ、若い人が大変だモンね」あたり。
16日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:51:14
>>11>>九州 → オランダ領
オランダ人じゃ薩摩隼人に皆殺しにされるのが落ちではないか・・・
17日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:42:27
>>13
現実に大政奉還をやっているのに、それこそ机上の空論だよ。
18日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:47:33
大政奉還て・・・
大政奉還した時、どんな状況だったよ?
19日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:55:04
>>17
同じだ同じw
大政奉還したというなら、幕府政治体制は崩壊している。
戦争が起こらず、坂本龍馬案の議会制になったとしよう。
坂本龍馬案に従えば、上院議員は全員大名だよ。
外様も含めた大名達が、自分の領地進んで返上する訳ないだろ。
それこそ、郡県制への移行や統一国家なんぞ夢のまた夢。
20日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:58:38
アンチ天皇から江戸徳川賛美してるやつらは
徳川家の子孫にあったら土下座するんだろな
21日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:02:42
橋本派の人間に既得権益捨てろとか、民主党に労組と縁切れとか。
公明党に創価学会の方針を無視しろとか、いうようなもんだろ。
幕府により改革。
なので幕府が自主的に近代化する可能性などまずありえない。
22日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:16:18
>>17
幕府中心で近代化するには、幕府は長州征伐に勝利して
自立化する西国雄藩を殲滅し、中央集権化を達成しなければならない。
大政奉還は、その殲滅せねばならない雄藩に対する妥協であって
幕府中心の近代化政策とは真逆の行為。
23日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:17:36
慶喜が参勤交代復活を目論むような譜代大名をどこまで粛清できるかが鍵。
24日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:41:07
徳川家がドイツ帝国の中のプロイセン家みたいになれば近代化できる
だろう。無理に薩長を滅ぼす必要はない。薩長の上級武士の多くは倒幕
など考えていないのだ。
25日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:22:43
>>24
旧幕府や上級武士の権威が残っている限り近代化は進まない。
24の考え方は、「旧来の権威を温存すれば近代化できる」という
奇妙奇天烈なものだ。
26日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:25:36
無理だって。
将軍といえど独裁者ではない。
将軍家茂は老中の言いなりだし、
慶喜の相談役だって老中の板倉だぞ。
27日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:34:39
慶喜の側用人の原市之進は譜代・旗本の廃止論者で、
旗本解雇を推進していたが。
28日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:46:11
>>25
ヨーロッパでは第一次大戦まで貴族支配が続いている。民主化
さえてから近代化がはじまったのではない。貴族制の伝統を維持
したイギリスのほうがスムーズに民主化され、旧支配者
を追放したフランスのほうはいつまでも混乱がつづいている
のだから25は知識不足。
29日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:53:27
>>28
クロムウェルの時代を意図的にスルーするのは良くないと思います。
イギリスの貴族制は名誉革命などを経て作られたものです。
28は知識不足ですね。
30日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:54:19
>>1
揚げ足をとるようでスマンが、大政奉還された時点で明治維新成立では?
この時点で徳川慶喜は単なる一大名になったわけで。
むしろ大政奉還がなく徳川幕府がつづいたらどうだったかのほうが興味深い。
31日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:06:42
大政奉還後した有能な人材って具体的に誰のこと?
32日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:18:16
>>28
イギリスとフランスを比べれば、イギリスのほうが流血の事態を避けたとは言える。
(フランス革命は阿鼻叫喚だったから)
しかし、イギリスでも清教徒革命では多くの内戦を体験し、
チャールズ一世は首を切られている。
イギリスの革命と日本の戊辰戦争を比べた場合、
むしろ日本のほうが短期間に犠牲を伴わない形で革命が達成されたと思う。
28は知識不足だ。

ちなみに、28と全く同じ論理の文を見たことがある。中村彰彦の佐幕礼賛文だった。
後になって、中村彰彦がこの文に関して「清教徒革命は流血でしたけど?」と
質問をされて、回答に窮していたのも見た。笑っちゃったよ。
奴の文章を引用しても所詮このようなことになる。
33日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:23:41
会津で官軍が輪姦しまくたって本当ですか?
34日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:26:42
むしろ会津兵にされたんじゃね?
官軍がきたら、みんな住民が官軍のとこ帰順したと言われている。
35日本@名無史さん:2005/06/20(月) 00:50:23
>>32
清教徒革命ではイギリスの政治は改善されなかった。中村氏の念頭には無血の名誉革命があったのではないかと思われる。イギリスでもフランスのような流血騒ぎがあったからと言って、日本も内戦が必要という理屈にはならないでしょう。
36日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:51:31
江戸開城後の戦争は薩長が私怨を晴らすための不必要な戦争だからな。
37日本@名無史さん:2005/06/20(月) 08:33:47
私怨ならば長州土佐が官軍最強。
しかし新政府に恭順しないようならば、武力で討伐する以外無いだろう
38日本@名無史さん:2005/06/20(月) 10:29:17
まぁ、蝦夷を独立国にしようとしたと言えばそう言うことにもなるんだろう。
外国の脅威が叫ばれてる時代に、何で国を2つに割るんだと・・・
39日本@名無史さん:2005/06/20(月) 12:04:26
本当に独立しようなんてさすがに思ってなかったろ。
佐幕側(非政府といった方が正確かな)の降伏後の処遇に関して
より有利な条件を獲得しようという狙い。
結局列強も局外中立の立場を取ったから永続的政権の樹立の可能性は低い。
40日本@名無史さん:2005/06/20(月) 12:32:32
幕府はしっかり恭順の意を示している。それを断固討伐とわめいていた
のが西郷で、それを「人道にもとる」と叱りつけたのがパークス。
スムーズな政権移行の最大の功労者はパークスだな。
41日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:11:40
討伐の対象は、
江戸での薩摩の狼藉を取り締まった庄内と、
京都での長州の狼藉を取り締まった会津の二藩だけだからな。
薩長の私怨以外の何物でもないな。
42日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:16:13
公武合体が成就していたらどうなっただろうか?
43日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:55:42
>>41
いつ庄内が討伐の対象になったの?
当時の史書のどこにも「庄内を討つ」なんて書いてないよ。
41は私怨で歴史を歪曲して語る傾向があるようだね。
44日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:08:32
大政奉還が公武合体の成立だよ。
45日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:09:23
それが会津クオリティ
46日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:16:01
かつて幕府が捕虜にした尊攘派を片端から処刑していたことを反面教師にしたのか
新政府側は旧幕軍捕虜を大量処刑することはしなかった。

47日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:18:41
戦争動機を私怨に求めるのはナンセンスだよ。
戦費も戦争に伴う犠牲も出るんだから。
怨みの感情だけで危険極まりない戦争など起こしません。
戦争論ぐらい読んでくれ。

>>42
どういう形で、公武合体できたかが問題。
48日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:53:21
人間は感情の動物、それと戦争論は外国との戦争が前提で内戦
である戊申戦争とは区別するべきだとおもうぞ。
49日本@名無史さん:2005/06/20(月) 21:25:08
>>48
おいおい。
だから感情だけで戦争は出来ないっての。
長州の大村は薩長の力と幕府の力を比べて「勝てない」と断言し、
桂小五郎は非戦論を言い出しているよ。
それと当時は藩=国という認識だよ。他藩=他国だってば。
50日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:23:40
>>42
公武合体といっても、雄藩連合志向か、幕府独裁志向かで全く違う。
この対立に決着がつかないと、公武合体は成就しないわけで。
参豫会議で対立して以来ずーっともめまくっていて、
慶喜が前者に傾くと薩摩が反発し、後者に傾くと会津が反発し
というのを繰り返してきた。大政奉還も、そのひとコマ。
当然、会津は不満だから、問題は解決していない。
51日本@名無史さん:2005/06/21(火) 07:15:21
>>50
大政奉還で不満なのは会津より薩摩ではないのか?
52日本@名無史さん:2005/06/21(火) 13:26:22
孝明天皇が長生きしてたら、多少、歴史が変わったかもね。
53日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:33:09
>>52殺されたんだろ?基本的に旧体制側での改革はむりぽ
54日本@名無史さん:2005/06/21(火) 15:48:33
>>52
孝明天皇はなんだかんだ言って結局は「攘夷」の主張を引っ込めちゃったからね。
「攘夷」にしたって「消極的『攘夷』」だし。
徳川幕府はともかく、自己の代行と言うべき「一会桑」にべったりだしね。
しかも徳川幕府の十五代将軍は「一会桑」の筆頭の徳川(一橋)慶喜・・・

「大君制」が実現していた可能性は大きいね
55日本@名無史さん:2005/06/21(火) 16:52:57
孝明天皇は殺されたなんて、未だにそんな電波飛ばす奴にお目にかかれるとはwww
56日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:15:34
兵庫開港を断行しようとした老中の官位を剥奪しているが。
幕権派との対立が表面化する前に逝ったことで一部作家は
「孝明天皇は佐幕派だった」などと決めつけている。
57日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:54:35
孝明天皇は「神国日本守ってくれる人キボン」ぐらい
抽象的な考えしかもってなかった江戸期に多かった観念的ヌルッポ右翼。

具体的事象に関して関白・伝奏を通じて幕府に申し入れている内容みたら
世の中を知らない(無理ないけど)坊やに過ぎん。
そんな坊やが生きていたらとどうこうなったかというとそうでもない。
ハッキリ言って仮定そのものに意味がない。
58日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:01:59
>>54
島津久光と朝廷のごり押しで、復権を遂げた慶喜だけに幕府内に敵多すぎ。
一会桑への幕府の嫌がらせを見れば良く解る。
惜しむらくは、慶喜の手足となる有能な人材が欠乏していた事だな。
いや、原などいたけど暗殺されてしまったし。しかも下手人は実家の水戸系志士。
ちと、大君制は無理じゃね?。
59日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:05:05
>>58
旗本出身の平岡を殺ったのはは水戸藩士、水戸藩出身の原を殺ったのは旗本。
60日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:25:34
今まで殺し捲くっていた幕府側が殺される側に置かれると
「無意味な殺人は止めろ」というのは虫が良すぎる。
最も新政府はその辺を心得ており幕府がしたような大量処刑はしなかったが。
61日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:47:38
>>59
おっと、平岡と原を取り違えていたか。間違い指摘サンクス。
それにしてもどーしよーもねーなw。かくして慶喜の手足無かりけり。
62日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:04:21
>>55
孝明天皇死亡時の症状は急性毒物中毒で病死では説明できない。
つまり孝明天皇は岩倉や薩長による毒殺だね。
毒殺を全否定する態度こそデムパなんだよ。

「幾年か後に、私は裏面の消息に精通する日本人から、帝はたしかに毒殺されたのだと教えられた・・・
やがて幕府が没落すれば、やむなく朝廷が西洋諸国と直接に関係交渉しなければならなくなると予見した人々の手にかかった・・・」
アーネスト・サトウ/A Diplomat in Japan
63日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:24:10
証明のない偏見に基づく断定、それが会津クオリティ。
実際は孝明帝の死亡に至る経過は天然痘の一般的な経過と合致する。
異論を唱えているのは病気に無知な自称研究者だけ。
64日本@名無史さん:2005/06/22(水) 01:13:35
孫引きだが、
「しかし数年後、その間の内幕によく通じている一日本人が、
わたくしに確言したところによると、毒殺されたのだという。
この帝は所信をもって、外国人に対するいかなる譲歩にも真向から反対してきた。
そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が
西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した
一部の人々に殺されたというのだ。
この保守的な帝をもってしては、戦争をもたらす紛議以外のなにものも、
おそらく期待できなかったであろう。
重要な人物の死因を毒殺にもとめるのは、東洋諸国ではごくありふれたことである。
前将軍(家茂)の死去の場合も、一橋のために毒殺されたという説が流れた。
しかし当時は、帝についてそんなうわさのあることをなにも聞かなかった。
帝が、ようやく十五、六歳になったばかりの少年を後継者に残して、
政治の舞台から姿を消したということが、こういううわさの発生に
きわめて役立つことは否定しえないだろう。」
(日本の歴史 19 開国と攘夷 中公文庫439P)
このサトウの記録によると、攘夷論者の孝明天皇がいると、朝廷が外国と関係を持つようになると
邪魔だから毒殺したわけだ。
しかしだ、確かに孝明天皇は、攘夷論者ではあるが、条約勅許をおこなってる訳だ。
65日本@名無史さん:2005/06/22(水) 05:53:59
条約勅許はいずれは鎖国状態に戻すという条件付き。
さらに兵庫開港を断行しようとした老中の官位を剥奪。
幕府側と孝明天皇の矛盾が表面化するのは時間の問題だったが、
偶然にもその前に逝ってくれた。
66日本@名無史さん:2005/06/22(水) 07:06:38
孝明天皇は長州を嫌い抜いていたからね。
言いなりになる天皇が必要で暗殺の動機は十分。
67日本@名無史さん:2005/06/22(水) 10:16:49

孝明天皇の死については、タイミングを見れば、
幕府側が外交的窮地から救われた形なんだよね。
小栗なんか一番喜んだんじゃないかな。

そのあとの幕府優勢の反動として、武力討幕派が形成されたわけだから
孝明天皇の死を討幕のための陰謀とするのは
本末転倒なんだよね。


って、スレ違いスマソ
68日本@名無史さん:2005/06/22(水) 12:34:14
孝明天皇の死は慶喜が兵庫開講の勅許を得た後だから幕府は窮地にあったわけではないぞ。
69日本@名無史さん:2005/06/22(水) 15:57:58
あの頃になれば条約勅許の問題は、あまり重要じゃないだろう
孝明帝の佐幕派で長州嫌いが大きいような
70日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:34:31
 もしも、薩長が崇高な理念を持って戦争を起こしたのなら
何故、戦争に敗れた会津藩の人を青森県の辺境に強制退去さ
せたのですか?
71日本@名無史さん:2005/06/22(水) 17:24:24
>>70
猪苗代の二者択一をとらせた結果ですが何か?
72日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:04:01
>>68
兵庫開港の勅許は、慶応三年の五月だろ。
どうやって孝明天皇が、勅許出すんだよ。
73日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:07:08
>>69
孝明天皇が佐幕派で長州嫌いって事はないぞw。
あの天皇は、単に黒船が来る前の平和な時代にかえりたかっただけで。
孝明天皇が、慶喜会津に肩入れしたので佐幕派に見えるかもしれないが、
あの時、慶喜も会津も攘夷を主張した為だ。幕府の開国要求を退ける手だてに過ぎない。
もっとも慶喜は対薩摩戦略で攘夷主張したに過ぎないけど。

>>70
せめて斗南藩史ぐらい読もうよ。無知は恥ずかしいぞ。
74日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:27:26
>>62
容保自らが否定しているんだが、
毒殺という説もあるが、日参している私からみれば、病死だったとね。
彼は病状が急変したとすらみていない。
つーかまともな人で、毒殺説など唱えている人などいません。

また、毒殺する動機があるという意味では、むしろ幕府ではなかろうか。
彼は佐幕派とも言われているが、それ以上に筋金入りの攘夷主義者。
フランスとの貿易を拡大し、利権を得て、またもっと開港しろという圧力に従わざるをえなかった、
幕府としては、いいなりにならない天皇は邪魔だったのも事実。
そして当時京を抑えていたのは幕府、この状況では薩長に利する可能性など皆無だよ。
むしろ幼帝をつかって、国政を思うが侭にしたかったとも見れる。
結果的に新政府軍が勝ったから、そういわれているだけで、
幕府が勝っていれば、逆に陰謀論が出ただろうね。鎖国を唱える天皇が邪魔だからやったと。
>>70
関ヶ原で西軍がどうなったと思っている、
大名は打ち首遠島、領土は召し上げ、さらに豊臣恩顧の大名は、
10年いないにその殆どが、つまらん理由で潰されている。
それに比べれば、泣いて感謝してもいいくらいだよ。
そもそも最初から新政府は、藩主の首と引き換えに、罪を許すとしていたのにさ。
75日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:38:08
幕府は見境無く投降してきた攘夷派を虐待し殺し捲くっていたが
新政府は投降してきた旧幕派を優遇したわけではないが、殺し捲くることもしなかった。
76日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:54:17
>>68
兵庫開港勅許は孝明天皇が死んだから取れたようなもの。
しかも孝明天皇の死は、慶喜の将軍就任から20日後。
当時列強は幕府に対し、新将軍による通商条約履行の確約を迫っていた。
つまり慶喜は、列強公使団に対して、翌年の兵庫開港を
何が何でも絶対に行う、と宣言しなければならなかった。

ところが天皇崩御によって、公使団との接見式が延期され
翌年には、慶喜が親幕府派の摂政から開港勅許をゲットしている。
ここで公武合体政策と開国政策との矛盾が完全消滅してしまった。
討幕派が登場するのは、このあと。



7768:2005/06/23(木) 04:04:03
>>73
ああ、現実に言えば急激な変化を嫌った保守派だな
長州嫌いにしても暴発したのが原因だと思うし
78日本@名無史さん:2005/06/23(木) 04:05:16
○現実
×厳密
79日本@名無史さん:2005/06/23(木) 05:31:30
兵庫開港を幕府の独断で断行しようとした老中の官位を剥奪するなど、
長州嫌いと同時に幕権派を嫌っていた。
80日本@名無史さん:2005/06/23(木) 13:31:04
>>74
 江戸時代の終わりに250年前以上の事件を持ち出されてもね。
大体、関が原と維新の戦争では時代背景も違うし。
81日本@名無史さん:2005/06/23(木) 14:27:58
何かしらんが、崇高な理念だろうがなんだろうが、
一応会津藩は敵だったんだろ?

負けて強制的に退去させられるくらい当たり前だと思うが・・・
関が原とか、そんな事は関係無しに。
82日本@名無史さん:2005/06/23(木) 17:56:52
テロが横行すれば取り締まらなければいけないわけで、会津藩は
貧乏くじを引かされたんだよ。
83日本@名無史さん:2005/06/23(木) 20:36:23
国許の帰国要請を頑強に跳ね除けたのが松平容保。
貧乏くじというよりは、藩主自身による権力への欲望で破綻したのが会津。
84日本@名無史さん:2005/06/23(木) 21:35:09
役料としての五万石加増は会津藩としても捨てがたい魅力があった。
京都詰め藩士にも相応の俸禄が出ており、役目を果たさんと意気軒昂であった。
85日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:09:30
>>80
パータレ。征長を主張した幕府首脳部は「関ヶ原の再現」をやろうとしたんだよ。
コレ幕府の作戦方針。将軍家茂が江戸城に留まったままなのも、
外様を先に戦わせてから出陣するという関ヶ原の故事にならったもの。
86日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:42:21
関ヶ原の頃と意識が同じなら政権放棄などありえないわけで、やはり
武士の倫理観が向上していたと思われる。
87日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:56:26
>>80
第二次長州征伐の時の、幕府の事前の占領案によると、
まず厳封して飛ばし、藩主と幹部クラスを切腹させ、幕府から養子を入れるというものだが?
88日本@名無史さん:2005/06/24(金) 06:00:23
幕府は降伏すれば公正に処遇すると言ったが、
長州は甘いこと言って後でばっさり殺るつもりだろうと
幕府の言い分を信用しなかった。
89日本@名無史さん:2005/06/24(金) 18:24:27
他人は自分の鏡
90日本@名無史さん:2005/06/24(金) 22:20:45
>>83
権力への欲望ねェ・・・。
その説は会津に限らず、あらゆるケースに当て嵌まるな。
91日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:40:14
諸大名は武装解除させられていただろう
92日本@名無史さん:2005/06/25(土) 06:54:12
どーやって???
93日本@名無史さん:2005/06/25(土) 07:19:42
>>1
そうとう日本は出遅れてただろうな
94日本@名無史さん:2005/06/25(土) 12:21:13
>>85
それにしては、芸州口の先鋒は井伊の赤備えだったが。

ここの佐幕連中は不可能な仮定を持ち出したりするのでダメだと思う。
最初「イギリスのように無血で革命を起こせなかったから明治維新はダメ」と言い、
イギリスでも清教徒革命では戦争と処刑があったことを晒されると、
「一人でも死者が出たから反省すべきだ」と書いたりする。
それでは最初の「薩長はイギリスを見習え」という発言の趣旨はどこに行ったのだ?
95日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:45:06
イギリスの議会政治を見習えということではないかな。
開国策をとく長井雅楽を殺したり、慶喜を新政府から
閉め出してこれはおかしいと主張する山内容堂を脅したり
とろくなことをしてないからな。
96日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:54:52
>95
こちら側はイギリスが無血とも一人でも死者がとも言ってない。勝手に不可能な仮定にしているのはそちら側。
イギリス革命は王統派と議会派の争いにすぎず、元の王政に戻ってしまった。支配層に変化はなく、革命は無かったと言うものもいるくらいだ。
97日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:41:14
ヨーロッパの近代国家の始まりは、国王が商業資本と結びつき常備軍と
官僚制で封建諸侯を征したことによる。幕末徳川がやろうとしたのはこ
れで、近代化と王朝交替革命は何の関係もない。実質的な日本の王であ
る徳川幕府を強化するほうが近代化の王道だったのだ。なぜ失敗したの
かと言うと、幕府の管理貿易を嫌ったイギリスが都合の良い政権をもと
めて薩長を支援したからで、パークスの意向しだいで結果は違って
いた可能性もあるのだ。

薩長の革命でなければ改革に成功しなかったと思う人が多いのは、
ヨーロッパが絶対王政による近代化と市民革命という2つのできごと
を経過後に日本は明治維新を迎えたことにより、革命がなければ近代化
できないという誤解が生じたのだ。
98日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:58:36
参勤交代を復活させようと目論んでいた幕閣に「近代化」が出来たはずだなどと信じるのも勝手だが。
99日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:31:50
愚かな暗殺や英公使館焼き討ちをやっていた連中が近代化を成功
させたんだから幕府でもできそうだぞ。
100日本@名無史さん:2005/06/27(月) 05:20:30
越後に官軍がくると即行で逃げ出す長岡藩主などが老中を務めていた幕閣連中に
近代化を達成させる根性や行動力は期待できない。
101日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:01:55
殿様自身が改革する必要はないんだけどね。優秀な家臣を
引き上げればいい。幕府老中の板倉勝静は山田方谷を、
長岡の牧野忠恭は河合継之助を抜擢して藩政改革に成功
している。
102日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:26:16
無能な殿様に優秀な過信を引き上げる事が出来るのかって話になる。
それが出来る殿様は優秀だろ。
103日本@名無史さん:2005/06/30(木) 15:13:44
久しぶりに日本史板着たけどなんかクオリティ低下したな・・・・
104日本@名無史さん:2005/06/30(木) 20:26:49
vipに帰ればいいじゃない
105日本@名無史さん:2005/07/01(金) 05:42:33
>>29
身分制議会に関してならピューリタン革命以前から
あるものに市民が便乗した形だな。クロムウェルは議会
を無視した軍事独裁政権と言っていいから、特段貴族政治の成立過程とは関係ない。
寧ろ恐怖政治化した共和政治に否定的な考えをもたらした時代。
以後国教徒しか官職には着けなくなる。ピューリタンやカトリックを排除したわけだよ。
かえって王政と貴族政治の必要性を再認識させた時代だろ。
>>32
流血の程度はあまり意味はない。フランスでも王政復古はあり身分制三部会を
継承したのが現フランス議会。「創られた階級」と言われている連中がやはり支配
している。改革なり革命なりが上手く行きそれなりの政治的結果が出るのは、大抵は
急進化を避け或いは緩和し、表面上はともかく、継続的な政策を打てるかどうかだ。

106日本@名無史さん:2005/07/01(金) 05:42:54
どちらも君主制だが、さて明治政府は共和制的かそれとも貴族制的か?

多分前者だろ。だから結局は公家化していた天皇の形式的な制御では軍部の支配は困難になった。
結果維新政府は短命で終わる。天皇への直接的な忠義と言う国家神道の発想は寧ろ
ピューリタン時代のクロムウェルに似ている。新興宗教による支配と言う考えはよく似ている。
軍事力の多用とクーデターの利用と言う点も酷似している。
貴族的な議会政治と王権による政府の均衡と言うバランスが英国政治を形成したと言えるが、
維新政府はあまり議会を重視はしていない。
身分制の時代からの継承と言う伝統的歴史的背景が欠落していたからだろうな。

では日本の伝統的議会とは何だったのか?
朝廷と言うことになるだろうな。そこで公家がまたまた活躍するわけだ。
しかし公家と武家にニ分化した日本ではこれが妥当だったのか?
漏れは無理な公武合体が結局は政権破綻の原因だと思うよ。
朝廷を議会、政府を幕府と仮定すると均衡どころか離反するしかあるまいな。
鎌倉-江戸時代で天皇家を始め公家は明らかに衰退した。
もともと政府、特に軍部を抑える力なんぞなかった。
関東軍の暴走が明治政府敗戦破綻の原因とするならば議会や公武の公を
過信したことが日本の失敗の始まりかな。
公と言う概念をよく見かけるが、天子や朝廷と言う意味がある。
衰退或いは形式化してしまった権威でなぜ統治が可能と考えたのだろうか?

107日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:46:24
老中だった時参勤交代復活を目論んでいた思考の持ち主だった牧野は近代化とは反対側の人間に属する。
108日本@名無史さん:2005/07/01(金) 12:19:41
幕末も当初のころは攘夷を唱えるものが多かったけど、時代
が下るにつれて日本がおかれた状況を理解するようになり
開国やむなしとなっていったんだから、牧野も意見をかえる
かもしれないし、変えなければ失脚することになると思う。
長州も愚かな攘夷を捨てて開国に転じたのだ。
109日本@名無史さん:2005/07/04(月) 07:25:01
薩長を支持している奴は要するに暴力主義者なのか。政争は殺し合い
ではなく話し合いで解決されるようにイギリスでは変化していった
のに、日本では長井雅楽・徳川慶喜・板垣退助といった言論派を
後ろ暗いやりかたで陥れていった連中を支持している。彼らは
ファシストか「英雄豪傑が大活躍して日本は良くなりました」という
子供じみた歴史観の持ち主なのだ。
110日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:05:38
そんな感情論は、他所でやれ
111日本@名無史さん:2005/07/07(木) 13:46:26
 そもそも、大政奉還をした時点で、倒幕側の掲げた
「明治維新」は、終わっている訳で何の為に無駄な血
を流してまで戦争を起こしたのでしょうか?
112日本@名無史さん:2005/07/07(木) 14:28:25
戊辰戦争は戦国時代感覚で見るべし!
113日本@名無史さん:2005/07/07(木) 15:55:01
>>111
長州一藩も潰せないへタレ幕府という大所帯が邪魔なんですよ。
日本の近代化の為にはこの”根”を除かなきゃなんないんです。
114日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:43:48
>>111
「徳川家が平和に一部の領地を返上したら慶喜を新政府に加える」という岩倉との約束を破り、
旧幕府軍が京都へ進軍して起こったのが戊辰戦争ですが。なにか?。
115日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:50:22
>>108
すると井伊大老の先見の明が明らかになるわけで
116明治維新:2005/07/07(木) 20:56:22
御箇条のご誓文の草稿がオークションに出されるみたいです。最低価格二千万。価値ある国家文書がオークションに出されるとは…
117日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:58:48
日本人とは保守的で現状維持したい人が多い人種ですから。
変わることに抵抗を感じた人が多かったのでしょう。
118日本@名無史さん:2005/07/10(日) 15:03:35
>114
何故慶喜のみが条件付きで新政府に参加する権利をえなければ
ならないのですか?
119日本@名無史さん:2005/07/10(日) 15:09:00
倒幕派が御箇条のご誓文で言ってることは、昨日まで幕府が主張してたこと。
さんざん開国の邪魔をしたDQNが、そしらぬ顔で開明派気取りなんだから笑える。
120日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:02:50
明治維新が起きなかったら今も刀とちょん髷です。
121日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:48:12
アレ?
幕府って諸藩に対しても開国許してたっけ?

あくまでも幕府と外国に関してだけの開国だった記憶が・・・
122日本@名無史さん:2005/07/11(月) 12:29:47
諸藩が独自に貿易を行って、上がった利益で軍備を
増強し殺し合ったらインドの二の舞ですよ。
123日本@名無史さん:2005/07/11(月) 16:38:38
でも結局殺し合った形のような・・・<明治維新
124日本@名無史さん:2005/07/11(月) 18:51:36
>>115 不平等条約の何処が先見なの?
物価高騰に対する政策すら皆無なのに・・・
125日本@名無史さん:2005/07/11(月) 18:53:06
井伊に先見の明があったってのは流石に苦しいな。
126日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:03:19
中国の植民地になってるアールよ
127日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:12:37
外国相手に無謀な戦いをして惨めに惨敗したあげく全てを幕府になすりつけたアホ長州にくらべたら井伊には先見の明があったな。
128日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:17:33
話をまとめると、
薩摩が一番先見の明があったという事でよろしいですね。
129日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:39:12
明治維新起こらない→半島に進出しない→関わらない

漏れとしてはこれでお腹いっぱい
130日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:40:37
ペリーがちょっかい出すからだよ。
131日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:25:36
>>1
徳川慶喜はじめ幕府方の有能な人材は
最初から幕府は潰すべきだと考えていたし、
そうでなくても戊辰で命運を悟って上手く立ち回りました。

戦争に動員されたり戦場になった地の平民は
選択の余地がなかったからともかくとして、
幕府側勢力のそれなりの地位にあって死んだのは、
それこそ虚ろな目で精神論をふりかざすしか能のない
愚鈍な能無しどもばっかなので何の問題もありません。
132日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:32:48
つまり、>>131は慶喜が有能だと思っているわけやねw
133日本@名無史さん:2005/07/12(火) 11:57:30
>>132
違うのか?

精神論をふりかざし目先の戦いに勝つことしか頭になく
それ以外のことにはまったく考えの及ばない会津人には、
早々に新政府軍に白旗を上げた慶喜は無能に見えるのかもしれないが。
134日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:37:11
 京都を荒らしまわったのは、果たして何処だろうか?
新撰組は何の為に組織されたのだろうか?
135日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:43:44
96 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:19:55
徳川慶喜は将軍に就任して以来、列強諸国から「日本の皇帝」(エンペラー Emperor)として承認されていました。
その彼が、12月9日の「王政復古」の政変による幕府廃止に伴い、
将軍職を辞任(と言うよりも更迭)させられた一週間後の12月16日、大坂城(大阪城)に各国公使を引見した際、
慶喜は引き続き「自分自身が日本の主権者である」旨を宣言しており、公使達もそれを支持していたと言う事実です。
更に重要な事は、「大政奉還」にしろ「王政復古」にしろ、朝廷=新政府(薩長主体の)には、発足当初、日本を統治する何らの実力も無かったと言う事です。
「大政奉還」を受理した朝廷は、国家の重要案件や外交問題の処理については「衆議を尽くす」事、
その他の案件については「召しの諸侯上京の上、御決定これあるべく」として、諸大名に対して朝廷から上京命令が発せられたのですが、
譜代大名(徳川家の直接の家臣)の多くがこの命令を辞退(無視)し、朝廷より賜った官位を返上しようとした事実です。
つまり、彼ら譜代大名にとっては、徳川家こそが自分達の主権者であり、
外様(とざま)である薩長が主体の新政権=朝廷に指図を受ける筋合いは無い、と考えた訳です。だからこそ、
上京命令無視・官位返上と言う挙に出ようとした訳です。これが意味するものは、
例え将軍職(列強諸国が言う所の「エンペラー」)を辞したとしても、慶喜が「日本の主権者」である事に何ら変わりがなかったと言う事です。
そして、その慶喜が最終的に目指したもの、それは将軍に代わる新たな地位 ── すわなち「日本国大統領」の座だったのです。

「日本国大統領」。慶喜は、自らの政治顧問である西周(にし-あまね)に『議題腹稿』を起草させています。
これは言うなれば「憲法草案」と言えるものでした。(以下、概要)
136日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:44:06
97 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:20:39
この中に謳(うた)われている「大君」こそ、慶喜が将軍職に代わって新たに狙っていた地位なのです。
確かにその名称は「将軍」の対外的呼称であった「大君」(タイクーン:Tycoon)と同じです。
しかし、『議題腹稿』に定義されている新たな「大君」職は、行政府の長であり、立法府の長であり、尚かつ、軍最高司令官をも兼任する強大な権限を有しており、
それはさながら、古代ローマ皇帝(元首:Princeps プリンケプス)か、アメリカ合衆国大統領(President プレジデント)と言った所でしょうか。
そして、それを可能にする素地が実際にあったからこそ、慶喜は「大政奉還」の挙に打って出、将軍職を辞任しても何ら臆する事が無かったのではないでしょうか?

「列藩会議」。慶喜は、徳川宗家の持つ強大な軍事力、
「前将軍」と言う知名度、そして、列強諸国から依然として「日本の主権者」として認知されている事実を最大の武器に、
朝廷が諸大名を招集して開催するであろうこの会議において政治の主導権を掌握し、
『議題腹稿』に則って「大君」 ── 事実上の「日本国大統領」に推戴される事を狙っていたのでしょう。
しかし、歴史の歯車が狂い、戊辰戦争において「朝敵」の汚名を受け、遂に日本国初代大統領の座を掌中にする夢は潰(つい)え去ったのです。
その後、日本は薩長土肥主体の明治新政府が成立、時をおいて内閣、そして議会が開設されていくのですが、
私は、慶喜の思惑通り事が進み、例え『議題腹稿』に沿った新国家が成立していたとしても、
我々の知る「歴史」とそれ程違った体制になったとは到底思えないのです。発足当初こそ大名主体だったとしても、
時が経てば当然の事ながら民主化されたでしょうし、天皇も現在の地位である「日本国民統合の象徴」として定着した事でしょう。
要は、「明治維新」と言うある種の「革命」があったかなかったか、改革が急進的だったか漸進的だったかの違いでしか無かったのでは無いでしょうか? 
もし、歴史に「if」が許されるのであるならば・・・そう考える時、
慶喜が目指した新国家の「その後」の歴史が、実際どの様に推移していっただろうか?と、知りたくもあります。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/keiki.html
137日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:44:32
98 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:25:55
慶喜のめざしていた「大君」はアメリカ的な大統領とはちがうだろ。
むしろ、君主国連邦であるドイツ帝国の皇帝みたいな地位だ。

あと、天皇は政府から切り離して山城国に放置プレイなんだから、
せいぜいローマ教皇的な国家外の存在であって、象徴天皇にはならない。
138日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:45:21
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の近代日本史。

1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
     近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜1868) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
     建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 薩摩藩・長州藩の起こした薩英戦争・馬関戦争により、関税率が下がる。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
     軍制改革がすすむ。
1868 徳川慶喜氏が大君(=大棟梁=大統領)に就任する。小栗らと連携し
     反乱鎮圧と近代化に尽力。
     政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
     政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
     解消される。
     廃藩置県が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。すでに日本は世界屈指の
     平和国家にして民主主義国家・経済大国に。
139日本@名無史さん:2005/07/12(火) 16:44:22
>>131幕府が幕府を潰すなど考えとらんよw
幕府は諸藩を廃止し、幕府中心の独裁国家を企ててたんだろうが
>>133 慶喜は勝ち負け云々よりも逆賊の汚名を恐れたんだろ
水戸出身ゆえにね
140日本@名無史さん:2005/07/12(火) 16:46:20
>>134 答えは幕府。
朝廷には攘夷。外国には開国。
この矛盾した行動が全ての混乱の理由
141日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:01:05
矛盾してるのは薩長だよねぇ。
142日本@名無史さん:2005/08/03(水) 13:32:15
 戊辰戦争で、薩長が色々理屈をつけているが
要は、怨みと天下が欲しいだけなのではなかろうか?

 その証拠に、薩長出身の人間は直ぐに派閥を造って
周りを固めたがるし。(現在でも)
143日本@名無史さん:2005/08/03(水) 14:10:30
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
144日本@名無史さん:2005/08/03(水) 14:30:27
孝明天皇を毒殺した薩長&岩倉は右も左も分からない16歳の幼い明治天皇を手中に入れ徳川幕府を潰した。
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。
145日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:46:33
まあ謀略・クーデターは政権交代の表層的な要素に過ぎんのだけどね。
技術革新、流通変化、外交などの変化による社会そのものの変化が起きていた。
146日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:21:15
>>145
 政府が大政奉還して、事実上幕府が崩壊したんだから
当時の世界状況を考えても内紛は意味が有るとは言えない
のでは?
147日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:35:37
幕府が崩壊しても、その残党が武力をもって新政府に対抗する一大勢力を形成しつつあったからね。
世界の状況をかんがみてこそ、国内を一つにまとめる必要があったといえる
148日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:52:04
>>147
>世界の状況をかんがみてこそ、国内を一つにまとめる必要があったといえる
 国内を一つにまとめる為に、何故戦争が必要なのですか?日本人は
何事も腕力でしか解決できないほど愚かな民族なのですか?
149日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:56:40
戦争を仕掛けたのは薩長の官軍と呼ばれた明治政府。
150日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:56:50
幕府の方が上手いことやってたのは確か。
血の気の多いのは駄目なんだよ。
151日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:26:46
>>148
戦後教育に毒されたモノの見方ですねw
152日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:33:18
もしも、明治維新が起こらなかったら?
俺は今ごろ上級武士
気にいらねーレスするヤツは身元割り出して
片っ端からぶった斬ってやる
153日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:38:35
>>152
マジレスすれば、お前は生まれてないよ。
154日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:35:52
>152
マジレスするとキモヲタは家を嗣げない
155日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:46:44
>>152
ここにカキコする時点で旗本奴と決定。
156日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:19:18
>>155
武士であっても意味なく人斬ったら罰せられますが。なにか?
157日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:24:48
1878 徳川慶喜、旧旗本によって斬殺 享年43
158日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:27:46
いきなり何の話しだ!?
159日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:56:18
>>145>>151
馬鹿ほど変化変化とよく言いたがるな。
160日本@名無史さん:2005/08/04(木) 07:24:52
幕府のままだったら今の奥さんとは結婚できなかったな。300石くらいいただく家だそうだから。
161日本@名無史さん:2005/08/04(木) 08:20:37
>>159
馬鹿って言うな。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン  
162日本@名無史さん:2005/08/04(木) 09:40:04
>>148
ネタですか?
163日本@名無史さん:2005/08/04(木) 10:05:12
俺が坂本龍馬だったろな。ニートだし。
164日本@名無史さん :2005/08/04(木) 10:17:28
幕府もイギリスにアームストロング包30門注文してたんだろ。
届いた後に戊辰戦争が始まっていたら確実に薩長軍は負けていた。
でも、近代化の流れは変わらなかっただろ。
というか、不平等とはいえ、開国の必要性を最初に感じていたのは幕府じゃん。



165日本@名無史さん:2005/08/04(木) 10:33:51
>>164
それを使いこなせる人材育成も必要なわけだ。
しかし、幕府は最新にして最強の装備を持つ歩兵伝習隊でもあの様だしなぁ
166tya:2005/08/04(木) 13:21:37
近代においてわれわれ日本人は変革を意識し実行しようとするとき明治維新に立ち
もどってその意義を見出し、自らの行動の正当性や目標としてきたが、それはなぜ
だと思いますか?
167日本@名無史さん:2005/08/04(木) 20:22:55
ハイ!。市民革命だと血みどろ皆殺しで痛杉だからです!。
維新なら改革ほど甘くなく、革命ほど痛くない。
168日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:21:44
太平洋戦争も無かった。
中国や朝鮮とこじれることも無かった。

薩長の所業はクソ
169日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:31:49
>>168
中国や朝鮮は日本相手以外にトラブルを頻発させこじれさせていますが何か?
170日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:42:00
>>166
近世から近代への架け橋として明治維新というものが
時代的には近いことが大きな理由だろうな。

敗戦からの復興の方が明治維新より近いのにあまり取り上げられないのは、
現在の体制(戦後民主主義や社会主義的要素を存分に取り入れた再分配方式、自民党の55年体制等)で
起きた歪を正そうとかそういう視点から考える事が多いから。
171日本@名無史さん:2005/08/10(水) 18:38:01
 「革命に血がつき物」

 頭が悪い人間が良く使う台詞だが、薩長の偉い人間は戦争が終わった後
血を流した、ケジメを取ったのであろうか?
172日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:14:09
>>171
明治維新は革命じゃない。
武士階級内の権力闘争によるクーデタだよ。
173日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:25:04
>>171
維新の英傑でまともな死に方をした者の方が返って稀だが。

174日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:13:41
>>172
 武士階級内の権力闘争なら、何故日本国中を
巻き込む必要が有ったの?
 これなら、単なる薩長の私怨じゃないですか。

226のクーデターより、はるかに意味が無い戦争ですね。
175日本@名無史さん:2005/08/11(木) 21:47:25
幕閣が己の権勢の為に有為な人材を殺人しなければ、
討幕は不可能だった。
176日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:24:13
>>174
ん?維新政府に恭順しなかった、若しくは政府の意向に従わなかったから
戦争に及んだだけだろ?
そりゃ国内が分裂していちゃ諸外国に統一国家としての面子が立たないよ
177日本@名無史さん:2005/08/17(水) 11:41:14
>>175
有為な人材=テロリスト
178日本@名無史さん:2005/08/17(水) 15:39:43
>>174
世界にはクーデターから泥沼の内戦に至ったものもありますが、それが何か?

226は、あくまでも小規模のクーデター未遂事件だろ?
179日本@名無史さん:2005/08/18(木) 03:25:54
涼スレageだなあ
180日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:53:48
夏休みの宿題でもしも歴史がryってのがあります。誰かまとめを作ってください
181日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:33:17
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
182日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:01:39
自虐で自己完結するなよ。
183日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:35:28
幕府が続いても明治政府と同じく大陸に進出するだろう。しなければ食われてしまうからな。
184日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:45:23
そんなことない
185日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:48:30
樺太や千島を巡ってロシアと深刻な対立をきたし、水戸藩士あたりが
ニコライ皇太子を斬殺とかいった事件を起こす。
186日本@名無史さん:2005/09/09(金) 14:30:28
>>183
 同じ状況になれば、進出したかもしれない。
但し、朝鮮を併合するなんて事は絶対しなかっただろう。
187日本@名無史さん:2005/09/09(金) 15:01:21
>>13-14
ワラタw週末の選挙に期待汁!
188日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:42:50
>>181
明治維新は世界とりわけアジアに多大な影響を及ぼした。中国、台湾、朝鮮の近代化や欧米露の
帝国主義にストップをかけた。日本がアジアにもたらしたものはマイナス面よりはるかにプラス
面の方が大きいことは否定できない。もし明治維新が成功しなかったら日本だけでなくアジアの
国々が欧米露の支配に置かれてる可能性は高いと思う。
189日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:55:44
>186
その根拠は?
190日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:08:35
>>181
自分的には、三傑が早く死にすぎたためかと。西郷は、ある意味天命だったかもしれないが。
大久保と木戸にはもっと長く生きて、政府の基礎固めを完全にしておいてもらいたかった。
軍国主義でいうなら、木戸が「軍人は、政治に口出しをすべきでない」として、ずっと山県
の参議就任などに反対していたのは有名な話。
また、大久保も、基礎さえ固まれば、民主主義に移行するつもりだったようで、そうなれば
木戸との共闘もあっただろう。
この二人が志半ばで死んだ意味は結構でかいと思う。

まあ、どっちにしたって、幕府よりはマシだろうがね。
191日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:08:16
家は焼け畑はコルホーズ君はシベリア送りだろう
192日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:56:12
日露戦争までは正解だっただろ。
あそこからおかしくなった。
193ホッシュジエンの国内ニュース解説:2005/09/10(土) 06:24:30
今から150年以上前の江戸時代に、当時の最新技術で作られた和時計が復元されました。
「万年時計」は今から150年以上前の江戸時代後期、技術者の田中久重によって作られた
機械式の和時計です。機械や時計、伝統工芸の専門家が1年かけて「万年時計」の復元に
取り組んだということで、ゼンマイを動力に時間や月齢を表示した6つの文字盤が同時に動く
など、当時の最新技術が駆使されています。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    東芝の創業者でもある田中久重は明治期の最後の
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  / からくり師で、有名な弓射り童子も彼の作品だね。
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~ 
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| からくりが機械工業として発達する萌芽期といえますね。
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l 今日は学研 大人の科学みたいですね。(・∀・ ) マ、タマニハ ネ。

05.9.10 TBS「江戸時代の『万年時計』を復元」
http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline3113348.html
194日本@名無史さん:2005/09/10(土) 07:26:25
>>192
陸軍閥が薩長閥を駆逐したからね。
その後は軍閥の昭和史になる。
195日本@名無史さん:2005/09/10(土) 10:40:45
>>1
急激に近代化した明治と違って、緩やかに近代化していったと思う。
196日本@名無史さん:2005/09/10(土) 11:02:42
維新がなかったら・・・

西日本はフランス、東日本はイギリス、九州はアメリカ、北海道は
ロシアの委任統治領でしょうね。
今ごとまだ、独立運動とかしてるんじゃないかな?
197日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:02:26
日本全体がフランスの経済植民地。ひょっとしたら西日本の一部はイギリスの経済植民地かも。
で、その場合西と東は対立。北海道はロシア領。朝鮮もロシア領。
ロシアでは革命が起こらずロマノフ王朝が続き、共産主義が世界の半分を席巻するような事はなかったかも。
だが、白人>>>>>>>>有色人種の神話は史実より長く続くと思う。
そのうち中国までもインド化して英米中vs仏露日とか・・・
ちょっと面白いな。
198日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:31:09
>1
簡単なことだろ。
時代遅れの戦いぶりで
そっこー降伏か、無条件降伏で
欧米列強の植民地だよ
199日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:32:16
日本人は今の上海人のように、みな英語・フランス語の2ケ国外
国語ペラペラは当たり前だろうな。
200日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:42:16
    f`::'ー 、,-、-、_ _,....-- 、_  _,....-=―ヽ―-、-、_        、ミ川川川彡
   ,.r'‐'゙´ヽ,r'  ヽ \ー、_:::::::::/,´:::::::::::,:::::::,::::::::ヽ::\`ー、     ミ       彡
 ,〃ィ  ,rヽ'-ヽ i 、 、 ヾ,、 `'y',ィ´/::::::::/|::::::ハ_::::::::ト、::::\ \  三  ギ  そ  三
r'/〃//    | i! |, \、_`ー!rf.,イ-,ィ/u ノ::::/ |::::`::::|iヽ::::::ヽ  ヽ. 三   ャ れ  三
iヾ!l i /,.=ヽ  i,ケ ハ,i', Y't=ラ゙,〉'|::::r'|! 彡´ ,!--、 |i!|::|::i::::::',   ', 三  グ  は  三
  {ヾllッ-,   〃ノ'-'、||ii i|i| |-/! /^ヽ    ´   ヾ|从ノ::i::::|   ||三  で     三
  >|゙! 。ヽ ノ' ´ 。 レノWノi |,.、!/ ●     ●  ',' レ|,イ::::i,,_ | !三  言  ひ  三
  ',i ヽ- ,      _, "  |i| | |             ´ '´ハ',Y  .!三  っ  ょ 三
  /l   `        !| | i `´ r     'ー‐' u   (-, ' |   !三  て  っ  三
  /久        U  |! i|'´'、u              z_,ノ/ .i |三  る  と  三
 /イ |ヽ '==..‐_、      |!,'|Y´,ヽ  ___        ハ_ ,/i | |三  の  し 三
 |ト|、',::::\     _,.-‐イ//-'´::::!\'ー‐--ニュ     / ト_、 _| _!,=,|三  か て 三
  〉:ヾ_'、::::`ー‐r<   //イ|::::::_、:::`7i\ __,..-‐'´  .| |`゙"::"::|-"三  !?    三
 'ー‐'´¨`'ー、/,rケ  /,'1ノ人'-‐'`y'/::::, i| ,!,      |`iiイ:::::::::|  彡     三
    ,〃7,‐/ {   ´_,-'´ ,,‐!、=,/.〃::::i i|kハ    / ,ヾ、::::::|.|!  彡川川川ミ
   ,ッ'、_〃'f /゙-<´  r〃 〃 /イ::::,!ッ'/  ',  / /   |ト、:|:リ
  rir' 〃,y'、久_,.rヽ/〃  川/iケir'〃/ ,-'水´  /    〃  \
  f::}'ー'〃_i| /::::f|::::',  .〃 r/if |||ir' f| レ' r'o | .〃-、 〃     "i
  ,);'ーッ゙-. レ:::::/_|::::::',_,〃=_、!!|| !i/ ||:,ri   !o ∨/_)_〃        |
201日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:50:09
>>198みたいな薩長史観の洗脳がぬけ切らない奴がまだいるのかよ・・・。
202日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:07:10
>>1 明治維新が起こらなかったら清朝や李氏朝鮮と同じ運命だったと考える
のが合理的だろう。

 長崎、横浜、神戸が香港のようになり、北海道はロシア領、沖縄は米国か
イギリス領で日本は幕府と雄藩が英仏の代理戦争を続けて内戦状態が続く。

 中国の共産革命が波及してきて今頃は共産国として中国並みの生活を
していたのではないか?

 そして欧米列強から見ればアジアは遅れた人種だけが集まった植民地市場
としか扱われなかっただろう。

 勿論、東南アジアも植民地のままでプランテーション経済が続いていた
だろう。

203日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:15:43
>>1 明治維新が起こらなかったら、朝鮮は李氏朝鮮のまま清朝の属国として
存在し続けて中国と運命を共にし、今頃はチベット、ウイグル、内モンゴル
と並ぶ中華帝国の一部だっただろう。

 それでなければロシア領か、中国とロシアに分割されていて朝鮮全体が
現在の北鮮状態だったはずだ。


204日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:23:09
明治維新が起こらなかったら西欧列強の植民地になっていたという説を
唱える奴って、その説を補強するデータやソースを示さないのな。
チョソが日本は絶対悪だと唱えるのと似ていて、プロパガンダの結果、
そう思い込まされているような気がしてならないんだよな。
205日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:32:12
>>204
んじゃ、植民地にならないという説のソースやデータを示してくれw
206日本@名無史さん:2005/09/10(土) 16:37:31
まともに考えれば植民地化の流れだろうな。
207名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:35:55
>>294 日本は明治維新を起こしても欧米に不平等条約を押し付けられており、この
不平等条約が日清、日露戦争後に改正されるまでは実質的には半植民地だった。

 条約改正を勝ち取るまでの努力は並大抵のことではなく独立運動のようなもの
だったのだそうだ。この頃まではアジアの小国に過ぎなかったのだ。


208名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:43:03
日本が欧米に独立国として認められたのは、やはり日露戦争の勝利が大きい
だろう。アジアの小国が白人国で世界一の陸軍国に勝ったということで認め
られたのだと思う。

 日清戦争はアジア人同士の戦いだったので世界に衝撃を与えることは
無かったようだ。
209名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:37:09
>204
夢を見たいのはわかるが、
日本だけで考えるんじゃなくて
世界大戦へと刻一刻と向かう
当時の世界の流れをよく踏まえてみて。
大方の人は、おのずとどうなるか同じ推測に行き着くと思うよ
210名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:42:22
どっちみち失敗に終わったわけだが
211名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:15:13
>>210 日米戦争は失敗したが、明治維新を起こせなかった場合と比較すれば、
雲泥の差があるだろう。起こさなかった場合の日本はアジアの端にある小国で
世界的に大した価値のない忘れられたような存在に過ぎなかっただろうが、維新後の
日本は世界の大国として登場した。現在もG7に入る唯一のアジア国家として世界に
影響を及ぼしている。

 今後も中国とは異質のアジアの大国として存在して行くだろう。

212名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 11:28:08
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
213名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 11:42:22
212>>
そのクーデターが起きなければ、新撰組や会津が跋扈して死に体の幕府が
続き、欧米列強の傀儡となり下がり、日本は各国列強の殖民地として永く
経済的、軍事的に支配されただろう。
214名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 12:50:29
それらは勝者が捏造した薩長史観です。
真実は敗者の維新史の中にあります。
明治維新などなくても日本は近代化できると多くの人が信じています。
どうか薩長の作った歴史に縛られないで目を大きく見開いてください。
215日本@名無史さん:2005/09/11(日) 13:17:18
>>214
それも見方を変えるなら佐幕史観の詭弁だな。
黒船来航から10数年間何も出来ないことこそ幕府が組織として既に死に体であった証だと思う。
216名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:09:13
佐幕史観が薩長の捏造した怪しげな皇国史観などより、
真実を語っているのは明白な事実です。
詭弁などと決め付けず、どうか目を大きく見開いてください。
217名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:47:13
日露戦争の勝利、北清事変などでの日本の行動によって初めて有色人種が白人に
認められたことは大きすぎる意味を持つ。他の有色人種国家で認められる国はあるか?
欧米に対抗できるくにはあったか?日本はかなり低かった有色人種の地位を上げた。
もしそうならなかったら、世界は確実に白人社会になっていたのでは?
218名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:50:42
佐幕史観なんて何の現実味も無いお笑いモノだろ。
219名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:04:33
 幕藩体制が続いていても近代化できたという説は李氏朝鮮が日韓併合がなくても
自力で近代化できたという韓国の説とパラレルなのだろう。

 明治維新は単なるクーデタではなく薩長の藩閥政治から自由民権運動を経て、
藩閥政治も覆した革命と言える。ただ、日本はその後、フランス革命と同様に
国民軍が権力を増大した軍事国家になっていったが、それは国際情勢に対応しなけ
ればならないという受身の側面が強かっただろう(ロシアの南下、中国革命への
対応)。

220名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:13:43
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
221名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:18:24
 明治維新は幕藩体制の下で統一されていなかった日本を中央集権国家に
統一する運動で、単なる倒幕運動ではない。佐幕史観などというのは、
フランス革命で言えば王朝政治を擁護する王党派のような反動派史観に過ぎ
ないだろう。

 近代化よりも古き良き時代(王党派にとって)を懐古する懐古趣味がある
だけだ。それは現代の北鮮に受け継がれているものだ。

222名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:23:00
権力が欲しかっただ〜け。いいもん食っていい女とやりたかっただ〜け、下級武士が。
223名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:23:32
明治維新の本質は律令制への復古。
要するにおそろしくカルトな新興宗教で、
革命でもないし近代化とも無関係。

明治政府が最初にやろうとしたことは、
神祇官による政祭一致体制の構築で、大教宣布の詔に基づき、
宣教使による国民洗脳運動を大々的に展開した。
なんだかよく分からないけど、キモチ悪いね。

明治政府は廃仏毀釈などで伝統的な日本文化を徹底的に破壊するんだけど、
これはポルポトやタリバーンなどの基地害の凶行と同じ。
明治政府の伝統破壊を「文化革命」と賛美してるヤツは北朝鮮に帰れと言いたい。
224名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:27:20
明治維新は不十分だった。
もっと民衆を巻き込んで、百姓一揆が各地で大規模に発生し、
民衆革命までもって行きたかった。
そこに明治維新後の不完全さがある。
225名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:28:21
>>220 明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、
さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを
正当化したのである。

・・・・・そりゃ、徳川幕府樹立の当たって徳川家も同じようなことを
やっているだろうし、織田信長、豊臣秀吉やその他の大名も同じだ。

 ロシア革命や中国革命でもより酷いことが歴史の闇に隠されただろう。

226名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:28:36
フランス革命は市民が中心で起こした革命。維新は武士階級だけで、自由民権運動のおかげで農民はやっと自由になった。政府は民権運動を潰そうとした。
227名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:30:34
佐幕信者のもし〜だったら、なんていうのは
今の世代には絶対に受け入れてもらえないって。
そんな言い分は負け犬そのもの。
228名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:32:10
>>221
日本は上からの近代化だからフランスを例えに出しても無意味。
あえて言うなら明治維新は王党派内の権力争いなんだよ。

それに薩長は開国・近代化に抵抗した悪質な反動派なんだから、
明治維新を美化する薩長史観こそ「反動派史観」に該当する。
229名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:36:12
>>228
禿同。そもそも一般の民衆は倒幕まで望んでいない。
尊皇や維新なんて薩長の方便であり、実際は権力が欲しかっただけ。
汚職まみれの明治政府を見ればわかる事。
徳川幕府は諸外国も認めた日本政府であり、薩長は単なるテロリストに過ぎない。
230名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:36:34
>>223 明治政府が最初にやろうとしたことは、
神祇官による政祭一致体制の構築で、大教宣布の詔に基づき、
宣教使による国民洗脳運動を大々的に展開した。
なんだかよく分からないけど、キモチ悪いね。

・・・・・フランス革命史を読めばフランス革命時にも同じような古代回帰
趣味が流行したようだ。そして無政府主義や共産主義というカルトが発生
したのもフランス革命に萌芽があったようだ。フランス革命には恐怖政治や
貴族をギロチン台に送るポルポトのようなことが実行されたが、日本では
それほどの狂気は発生しなかった。


231名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:37:56
さすがはおフランス。短小包茎の日本男子とは大違い。
誰か本当の革命おこせや。
232日本@名無史さん:2005/09/11(日) 17:37:57
>>226
改革期に議会民主制を導入してみろ。
議会が紛糾していちゃ改革案も施行できんだろ。
政府が力で自由民権を潰しにかかったのは正解だよ。
変革期こそ独裁制が必要だよ。
233名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:38:02
 結  論 ! !

明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
234名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:41:22
薩長が独裁者となった事自体が悲劇の幕開けだった。
所詮徳川が薩長に取って変わっただけで、何も変わらなかった。
235名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:42:21
明治維新で高貴な天皇は価値の無い下級武士にこき使われた。
明治新政府は明治天皇を大元帥にまつりあげ軍国の道を歩みはじめた。近代の天皇の悲劇は明治維新から始まった。
236名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:42:59
トホホ伊藤博文
237名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:43:24
>>230
薩長は権力基盤がひ弱だったため恐怖政治を行いたくともできなかった。
そこで、天皇を神格化しそれを隠れ蓑にして権力を牛耳るという、姑息で陰湿な体制を築いた。

ちなみに、日本の文化遺産のほとんどは明治期に破壊されている。
その被害規模の大きさはポルポト以上でしょ。
238名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:44:09
すべて薩長のせいなのだ。徳川の世であれば
今ごろは世界でもっとも豊かな国だった。
239名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:45:27
徳川は天皇と上手くやっていた。天皇が政治をやるならと王政復古で慶喜は身を退いた。
240名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:45:28
動乱の幕末
会津藩主、松平容保が京都守護職を命ぜられたのはこのような時代だった。
容保に対する孝明天皇の信頼は実に厚く、天皇から賜った御宸翰がそれを証明している。
しかし、孝明天皇の急死により歴史の歯車が大きく狂いだしたのである。
特に天皇の死については毒殺説もあり、その他にもかなり謎めいた事件がこの時代には起こってる。
戊辰戦争で勝利を収めたのは薩長を主体とする官軍であったが、会津における戦いでは会津藩、官軍双方に多くの使者を出した。
しかし
勝てば官軍…
と言う言葉とおり官軍の使者は早やかに埋葬されたのにたいし、会津藩は賊軍とみなされたため、その遺体は埋葬を許されず、手付かずのまま冬を越したと言う。
明治は倒幕の実現によって誕生したが、それは維新と呼べるものではない。



241名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:47:00
痛いスレだな
242名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:47:33
>>228 革命時代にはくるくると権力の所在が移動するもので、薩長の欠点
だけ批判していてもしょうがないだろう。幕府が存続していたとしても
公武合体制に移行したり、幕府による日本再編成が必要になっていたのは
間違い無い。

 また薩長藩閥政治は国会開設で相当、弱められていったことも考慮すべき
で、維新時点だけ見ていても大した意味は無いだろう。
243名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:48:47
>>233
冨国強兵や殖産興業は「軍国主義」の直接的な原因ではない。
薩長政権が政策的に排外主義を煽ったのは国内統治の破綻が主な原因。
244名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:56:21
薩長史観に洗脳された人間に何を言っても無駄か、
みんなで常識的に離しているのに、常識を理解出来ないのだから。
245名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:57:15
>>231 おフランスの革命は明治維新と違い、正に下克上、テロが横行し、ギロチン
が活躍し、結末はナポレオン独裁、ヨーロッパ征服と続く血沸き肉踊り骨が笑う、
一大活劇だったようだ。

246名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:04:04
日清戦争が明治政府の天佑だった
247名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:22:04
日清に勝って喜んで日露に勝って喜んだ明治政府!
昭和に入ってから東北人に軍部を握られて第二次大戦は東北人のおかげで日本が壊滅したとほざいてる野郎がいるけど帝国陸軍を創立した野郎は誰???
248名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:00:00
もちろん薩長土肥。東北人に新しい物を作れるはずがない。劣化させるぐらいが関の山。
249名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:00:06
>>247
その論理で考えるなら、そもそも幕府が無ければ薩長は明治維新を起こせなかったはず。
徳川幕府を作ったバカ野郎は誰???。という理屈も成り立つw。
250名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:08:46
日本を壊滅させたのは長州人の松岡ですがなにか?
251名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:16:59
フランスやイギリスやアメリカから、権力に迎合するカソリックと
異なり階級闘争を好むプロテスタントが普及して、日本でも本当の
市民革命が起きて、公家や武家、皇族が皆、斬首にされたかも知れ
ない。
列強の武力で江戸・大阪は艦砲射撃で壊滅し、西洋的民主主義の新
しい新傀儡政府が生まれていた事だろう。
252名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:23:51
>>165
伝習隊は江戸の博徒、やくざ、馬丁、火消しなどで構成。
幕臣はもはや兵士として役に立たなかった。
プライドばかりの無駄飯食い。
253名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:26:15
薩長は16歳の幼い明治天皇を擁立させ偽錦旗で徳川幕府を潰した。
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。
近代の天皇の悲劇はここから始まった。
254名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:45:37
外様として蔑まれてきた薩長が幕府に対してもってた憎悪は階級的憎悪に近い。
それゆえ薩長は共通の憎悪に基づき奇兵隊や赤報隊といった卑民部隊を手繰った。
しかし薩長のもとに権力が転がり込んでくると、卑民部隊は邪魔者に転化し、
凄惨な粛清により抹殺される。
255名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:54:13
>>254
狡兎死して走狗煮らる。利に敏い輩を歴史の歯車の中で回した薩長の
機転であり、幕府も新撰組という弾圧セクトの歯車を使っていた。
歯車はしょせん歯車だったと知るべきだ。
256名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:23:46
>>251 ギロチンを使って旧貴族階級、日本で言えば大名や高禄を食む家臣団
を下克上で抹殺するのが本当の市民革命なのだろうか?

 そういう考えを発展させたのが共産革命だと思う。

 しかし、市民革命とはブルジョワ革命のことで封建貴族から資本家が
権力を奪取することだろう。

 こういう定義から見ると本当の市民革命などというものは英仏だけの
歴史上の事件に過ぎないことになる。

 明治維新、ロシア革命、中国革命などは資本家などがまだ台頭していない
段階の革命で近代化革命とでも呼ぶべきものだろう。
257名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:25:41
天皇なんて大昔から利用される存在だったじゃないか。源頼朝や徳川家康が本気で天皇を崇拝してたとでも?
258右翼:2005/09/11(日) 21:39:38
天皇陛下万歳
259名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:04:17
>>252
プライドだけ高い頭でっかちが
国を滅ぼすいい例だね
260名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:06:40
明治維新は地方の下級武士や豪農まで
参加した国民革命
261名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:11:42
明治維新は天皇崇拝の下級武士や豪農が
参加した宗教革命
262名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:25:46
徳川がどのように天下を取ったとか戦国時代を良く知らなければ、江戸時代〜幕末までも語れないと思うよ。
天皇にしては元々武家は迷惑な存在だったけどね。

263名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:47:03
天皇陛下万歳
264名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:54:41
楠木正成公は公達からは頼もしい存在とされていたようだが。
>>264
飼い犬としての武家は頼もしい。
しかし自分達を利用する武家は鬱陶しい。
266名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 23:23:00
天皇は好きじゃないけど少しは敬う気持ちは持ってるよ。
267名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 23:48:25
天皇陛下万歳!!天皇を利用せしめた薩長閥は許せない
268日本@名無史さん:2005/09/11(日) 23:54:48
バンザーイ!バンザーイ!今日は選挙で翼菊!
269日本@名無史さん:2005/09/11(日) 23:56:37
天皇陛下による軍隊が復活するのだろうか
270日本@名無史さん:2005/09/12(月) 00:22:23
売春を禁止し慰安婦を持たなかった人民の軍隊こそ正義
271日本@名無史さん:2005/09/12(月) 00:37:02
明治維新は日本革命の第一段階の倒幕を中心とする運動だったが、倒幕後成立した
藩閥政治に対して自由民権運動が起こり、憲法制定、国会開設を要求した。

 この自由民権運動が革命の第二段階だったと言え、この段階では旧武士階級だけ
でなく広汎な国民運動になっていた。

 その後、日清、日露、日中、日米戦争に突入して行ったのはフランスがナポレオン
戦争(ヨーロッパ征服戦争)に突入して行ったのと経過が良く似ている。

 ナポレオン戦争がヨーロッパ諸国のフランス包囲網のためにフランスの敗戦で
終わったように日本の戦争時代も連合国の勝利で終わった。
272日本@名無史さん:2005/09/12(月) 19:44:15
大東亜戦争に破れた日本は米国の占領を経て国体の大変革を余儀なくされた結果、
明治維新、自由民権運動に次ぐ第3革命を達成した。

 天皇が象徴となった現在は日本の第一共和政時代にあると言える。
273日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:44:40
    f`::'ー 、,-、-、_ _,....-- 、_  _,....-=―ヽ―-、-、_        、ミ川川川彡
   ,.r'‐'゙´ヽ,r'  ヽ \ー、_:::::::::/,´:::::::::::,:::::::,::::::::ヽ::\`ー、     ミ       彡
 ,〃ィ  ,rヽ'-ヽ i 、 、 ヾ,、 `'y',ィ´/::::::::/|::::::ハ_::::::::ト、::::\ \  三  マ  そ  三
r'/〃//    | i! |, \、_`ー!rf.,イ-,ィ/u ノ::::/ |::::`::::|iヽ::::::ヽ  ヽ. 三   ジ れ  三
iヾ!l i /,.=ヽ  i,ケ ハ,i', Y't=ラ゙,〉'|::::r'|! 彡´ ,!--、 |i!|::|::i::::::',   ', 三     は  三
  {ヾllッ-,   〃ノ'-'、||ii i|i| |-/! /^ヽ    ´   ヾ|从ノ::i::::|   ||三  で     三
  >|゙! 。ヽ ノ' ´ 。 レノWノi |,.、!/ ●     ●  ',' レ|,イ::::i,,_ | !三  言  ひ  三
  ',i ヽ- ,      _, "  |i| | |             ´ '´ハ',Y  .!三  っ  ょ 三
  /l   `        !| | i `´ r     'ー‐' u   (-, ' |   !三  て  っ  三
  /久        U  |! i|'´'、u              z_,ノ/ .i |三  る  と  三
 /イ |ヽ '==..‐_、      |!,'|Y´,ヽ  ___        ハ_ ,/i | |三  の  し 三
 |ト|、',::::\     _,.-‐イ//-'´::::!\'ー‐--ニュ     / ト_、 _| _!,=,|三  か て 三
  〉:ヾ_'、::::`ー‐r<   //イ|::::::_、:::`7i\ __,..-‐'´  .| |`゙"::"::|-"三  !?    三
 'ー‐'´¨`'ー、/,rケ  /,'1ノ人'-‐'`y'/::::, i| ,!,      |`iiイ:::::::::|  彡     三
    ,〃7,‐/ {   ´_,-'´ ,,‐!、=,/.〃::::i i|kハ    / ,ヾ、::::::|.|!  彡川川川ミ
   ,ッ'、_〃'f /゙-<´  r〃 〃 /イ::::,!ッ'/  ',  / /   |ト、:|:リ
  rir' 〃,y'、久_,.rヽ/〃  川/iケir'〃/ ,-'水´  /    〃  \
  f::}'ー'〃_i| /::::f|::::',  .〃 r/if |||ir' f| レ' r'o | .〃-、 〃     "i
  ,);'ーッ゙-. レ:::::/_|::::::',_,〃=_、!!|| !i/ ||:,ri   !o ∨/_)_〃        |
274日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:11:41
>>273 現行憲法によれば日本は主権在民と明記され、明治憲法の天皇主権とは根本
的に異なる。主権が移転しているのだ。(憲法上の革命)

 現行天皇は国旗、国歌と同じ日本の象徴に過ぎない。

 故に日本は立憲君主制でなく、憲法上は共和政と分類できる。

 西欧の王室をもつ国家も同じ。イギリスも形式的には立憲君主制だが、実質は
共和政だろう。日本も同じ共和政体になっている。

275名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/12(月) 23:49:49
>現行憲法によれば日本は主権在民と明記され、明治憲法の天皇主権とは根本
>的に異なる。主権が移転しているのだ。(憲法上の革命)

タテマエが変わっただけじゃん
276日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:50:30
>>275 戦後の日本人は不敬罪で逮捕されることはなく、天皇制反対の言論の自由も
ある。建前だけではないだろう。

 言論の自由がありすぎて反日政党が複数存在するくらいだ。

277日本@名無史さん:2005/09/13(火) 14:46:36
 薩長が外様だから、階級闘争での私怨でのクーデター。
ならば、同じ外様の東北方面は何故クーデターを起こさなかったのか?
278日本@名無史さん:2005/09/13(火) 15:05:33
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の近代日本史。

1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
     近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜1868) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
     建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 薩摩藩・長州藩の起こした薩英戦争・馬関戦争により、関税率が下がる。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
     軍制改革がすすむ。
1868 徳川慶喜氏が大君(=大棟梁=大統領)に就任する。小栗らと連携し
     反乱鎮圧と近代化に尽力。
     政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
     政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
     解消される。
     廃藩置県が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。

1945 すでに日本は世界屈指の平和国家・民主主義国家・経済大国に。
279日本@名無史さん:2005/09/13(火) 15:24:09
天皇が象徴となった現在は日本の第一共和政時代にあると言える。
まあ、今後は確かに小泉首相は事実上の大統領になるだろうな。
もはや党内に彼にまともに逆らう人間なんていやしないのだからな。
280日本@名無史さん:2005/09/13(火) 15:28:04
内閣総理大臣の権限は
執政官からインペラトールに向かいつつあるが(時代の要請で)
新首相に使いこなせるかな?

ハドリアヌスやトライアヌスならいいが
生半可な奴が就任したら実害は大きいぞ
281日本@名無史さん:2005/09/13(火) 15:29:54
明治維新が起きなかったら今の皇室危機もなかった。いい加減な皇室典範のおかげで今、天皇家は危機を迎えてる。
282名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/13(火) 15:38:40
>278
長州一藩すら倒せない軍事力で国内の反乱を鎮圧しきれるのか?
つーか何の拍子も無くDQNが勉学に目覚めることを期待するようなもんだな
283日本@名無史さん:2005/09/13(火) 15:42:05
>>279
大統領だなんてチンケな存在と一緒にするなよ。
終身身分の「総統」とお呼びするのが正しかろう。
284日本@名無史さん:2005/09/13(火) 18:53:32
>>277
それは薩長が朝鮮人だからです。
日本人ならば徳川や天皇にあそこまで非道な行いは出来るわけありません。
285日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:04:38
>284
だから、棚ボタの国がいくつか存在するだろw
286日本@名無史さん:2005/09/13(火) 22:22:32
薩長は、元は薩摩(島津家)、長州(毛利家)。関が原で徳川の辛酸を嘗めた西軍
である。薩摩は藩訓にも、打倒徳川があったほどだから、因果応報というべき。
徳川に対する積年の恨みがこういう形でいずれ仇なす事を、家康は多分知って
いたから、彼は亡骸を駿府で立ったまま西向きに葬らせたのだ。
287日本@名無史さん:2005/09/14(水) 06:51:59
>>286 薩長は宿願の徳川打倒を果たして数十年間、藩閥政治を続け、自由民権運動
で議会政治に移行し、藩閥政治は終わった。以後、大正デモクラシーなどを経て
軍閥政治に移行する。

 軍閥政治にはもはや薩長の影響力は薄れていただろう。
288日本@名無史さん:2005/09/14(水) 08:00:53
軍閥政治はアイヌDNAのトンポク人が牛耳って
日本を破滅させましたが何か。
289日本@名無史さん:2005/09/14(水) 08:38:02
薩長って口ばかり達者♪
290名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/14(水) 11:46:09
>>287
超然内閣が終わってから日本の迷走が始まったな。
あの体たらくになるくらいならまだ藩閥政治に国政を委ねた方がよかったかもしれん。
身勝手な世論の声に耐えられるならば。
291日本@名無史さん:2005/09/14(水) 15:14:35
>>287
 そもそも、派閥を作りたがるのは薩長の特徴。軍閥を作った
山県有朋は山口県出身。

 軍閥政治を東北人が牛耳った事を否定するのなら、軍閥政治
自体を否定しないのは、何故ですか?
292日本@名無史さん:2005/09/14(水) 15:18:48
>そもそも、派閥を作りたがるのは薩長の特徴
まずこれが客観性を欠いている。
293日本@名無史さん:2005/09/14(水) 16:19:59
薩長は絶対に真実は述べない。全ては闇の中に葬り去る。これは明治維新からの伝統。
294日本@名無史さん:2005/09/14(水) 16:49:50
朝鮮政治だから
295日本@名無史さん:2005/09/14(水) 20:26:21
>>289
会津は知恵が足りないだけだと思うが?
296日本@名無史さん:2005/09/14(水) 21:55:14
会津脳では三菱ふそうの不祥事は三菱創始者岩崎弥太郎の責任になる
297日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:13:06
長州は口ばかり達者♪♪♪♪ 自らの貢献も語れないダニ。
298日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:22:30
ああ、このスレも日本の地域対立感情を高めようと日夜、奮励努力する人々の思惑
が支配する場所ですか。

 今時、薩長対会津、東北などという図式は流行らないだろう。

299日本@名無史さん :2005/09/15(木) 00:54:29
いまごろは 城で暮らしてたなぁ〜
300日本@名無史さん:2005/09/15(木) 06:50:12
<送信者><事業者>民営社
今後配信不要の場合は、下記より登録解除をお願い致します。
http://st.doublearm.com/regist/unregist?magid=33300

=====【大増税】マニフェスト道理の消費税UP ======
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
歴史的大勝利をかざった日本フェラチオ新党は、早速公約どうりの
大増税計画実現に向けて動き出した。
主な内容は下記のとうり。
・男子は必ず一人でするべからず。女子にブッカケるべし!
・成人女子は1日1回以上「フェラ♪フェラ♪」と拝むべし!
・成人男性から「フェラしてカード」を渡されたら、
 いかなる状態であっても即上着を脱いで答えるべし!
・フェラ最中は、誠心誠意大事にしゃぶってあげること。
http://www.new-riverside.com/gyu/?b8ac218610039348b24773253475448a7cd9775e
こんな事が許されて良い物でしょうか?
しかしもう遅い、大勝利させてしまったのは日本フェラチオ新党に
投票した2/3の国民なのですから。

301日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:29:25
祝!会薩厨同盟!!
チョン囚人を2ちゃんから排除するのだ!!
302日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:07:23
大正四年まで生きた、永倉新八改め杉村義衛翁の晩年の述懐

「なあに、明治維新なんてえものはね、つまり薩長と徳川の争いさ。
いまのような文明開化はどっちにしろやって来たんだ。
時勢というものだから、薩長だろうが徳川だろうが同じだね」
303日本@名無史さん:2005/09/16(金) 09:26:34
というのが旧幕臣の言い分というわけだな。
304日本@名無史さん:2005/09/16(金) 13:20:41
>>292
>まずこれが客観性を欠いている。
 >>291で「山県有朋は山口県出身」と書いてありますが・・・・。
山口県は長州ではないの?
 それに、俗に「九州の芋づる」と言われる意味を知っていますか?

305日本@名無史さん:2005/09/17(土) 13:19:59
>>302
つまり幕府が勝っていても、武士階級は消滅し
新撰組のような守旧派はゴミのように捨てられて、明治初期の
士族反乱のような形で皆殺しにされていただろう、ということだね。
306日本@名無史さん:2005/09/23(金) 03:51:39
>>1
幕府側の構想だと、公武合体のため
大坂が日本の首都になっていた筈。
307日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:57:40
 そう言えば、元老も一人を除いて総て薩長でしたね。
308日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:19:23
>>305
だから幕府が勝ったとして、どうやって武士階級を潰せるのかw。
まず武家の統領たる幕府には無理な話しだね。
諸外国の植民地になって、外国人の手によって武士階級は消滅させられるのがオチ。
309日本@名無史さん:2005/09/23(金) 20:57:18
>>305 >>308
武士がそのまま役人にスライドするだけだから、武士階級が公務員階級
になるということだろ。
明治維新後は地域の旧名主や豪農層が地方自治体の役人になることが
多かった。
でも徳川の世が続いていたら、旧武士が地方自治体の役人をしただろう。
元新撰組隊士でも維新後、公務員になった人間はいるのだから、
明治維新によって、江戸時代は全て否定され断絶したと考えるのは
おかしい。
むしろ、徳川の治世から維新を経て近代へと繋がっていく部分を
もう少し考慮すべきだな。
310日本@名無史さん:2005/09/23(金) 22:41:11
江戸時代の幕臣や藩士は役人以外の何者でもないわけだが
311日本@名無史さん:2005/09/24(土) 00:27:10
武士全員を国家公務員なんかにしたら日本は破産するわ!。
312日本@名無史さん:2005/09/24(土) 00:51:07
>>309
>でも徳川の世が続いていたら、旧武士が地方自治体の役人をしただろう。

「旧武士」と言っているんだから、武士階級自体は解体するんだろ?
それなら明治政府の実行したケースと同じ話だ。
313日本@名無史さん:2005/09/24(土) 00:55:20
>>312
>それなら明治政府の実行したケースと同じ話だ。

結局、>>302と同じ結論じゃねーかw
314日本@名無史さん:2005/09/24(土) 00:58:18
>>311
国家公務員じゃなくて>>309が地方自治体の役人と言っている件について
315日本@名無史さん:2005/09/24(土) 01:30:59

1868 戊辰戦争で徳川方が勝ち全国統一
裏切り者の徹底処分、藤堂家、井伊家など断絶
     井伊直弼は歴史から抹殺される
     彦根藩士ら暴発し政府軍に瞬殺され数百人斬首
1869 大阪に遷都する。関東、東北地方は急速に衰退
     旗本リストラ、俸禄削減および欧化政策への反発強まり
     永井尚志、大鳥圭介、榎本武揚ら政府要人の斬殺相次ぐ
1870 新撰組ら諸隊の反乱。近藤勇、土方歳三ら斬首     
1871 廃藩置県
1873 徴兵令 地租改正
1874 小栗忠順、閣議で大統領制への移行を主張するも
    一蹴され下野。帰郷して旧旗本系不平士族に担がれ、
    上州の乱を起こして敗走、捕縛され斬首
1875 讒謗律 新聞紙条例制定
1876 旧譜代、佐幕派系諸藩の士族反乱相次ぐ
1877 会津士族が暴発し、東北戦争が勃発する
     警視庁の薩摩士族が大活躍、会津人(賊軍)を皆殺し
     西郷頼母ら飯盛山で自刃
1878 徳川慶喜、不平士族(旧旗本)により斬殺

316日本@名無史さん:2005/09/24(土) 03:40:31
公務員が世襲制か。ろくな世の中じゃないだろうな
317日本@名無史さん:2005/09/24(土) 07:01:06
>>315
おい、どの勢力がヘゲモニーを握ってるんだよ
そして政府軍の中核は?
まさか大坂の町人?
318日本@名無史さん:2005/09/24(土) 07:17:35
このスレの最初に出てきた>>13のお題

13 :日本@名無史さん :2005/06/19(日) 17:00:34
>>6
だから、幕府による近代化策は机上の空論だってば。
たしかに、一部の幕臣が大統領制と全国統一統治を検討していた事は事実だが、
検討した幕臣には、幕政に関する決定権はない。
政策として決定権を持っていたのは老中などの譜代大名達。
譜代大名達が、お家断絶にも等しい行為、自分の領地を徳川家に返上する事が出来ると思うか。
幕臣の文明開化策は、幕政のトップにいる老中達に蹴飛ばされるだけ。
つまり単なる机上の空論でしかない。

これを解決できなければ先へは進まない。
まさに「スタートに戻る」だねw。
319日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:19:02
すくなくとも、黄海海戦は負けて、清国軍が本土上陸してただろう。
320日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:56:13
明治維新がなかったら、黄海海戦を行うだけの国力はないと思うな。
倒幕の結果、明治政府は10年程度で武士階級を解体できたが、
幕府主導だと何年掛かるかな?。
321日本@名無史さん:2005/09/24(土) 11:10:40
明治維新がなかったら、日本はここまで発展しなかっただろう。
ただ、仇討ちを廃してしまったのが残念。
殺人の被害者遺族には犯人に復讐する権利を与えるという、仇討ち制度復活キボン
322日本@名無史さん:2005/09/24(土) 11:44:29
>>318

>>13の「譜代大名達が、お家断絶にも等しい行為、自分の領地を
徳川家に返上する事が出来ると思うか。」という思い込み自体が変。
維新で活躍した勢力にしても、積極的武力討幕派である西郷・大久保
率いる薩摩勢と朝廷・公家の一部勢力以外は、封建的領主制である
藩制の解体(廃藩置県)まで含めた「御一新」を望んでいたわけではない。
倒幕(討幕ではない)とは徳川家を絶対的かつ独占的権力を有する
政治の頂点から引き摺り降ろし、親藩・譜代以外の勢力の国政参加に
よる挙国一致体制の政体を創出することが目的であって、徳川家が
一藩主になるのなら、藩制自体を早急に潰す必要はないという考えで
あった。大政奉還はこの路線で導き出されたもの。
早急に武士階級を潰すことに拘ったのは、大久保・岩倉や下級長州藩士ら
などで、大久保・岩倉らの主導による明治維新がなかった場合、
慶喜と容堂や春嶽および彼等のブレーン達主導による新政体下で
近代化が進められただろう。
323日本@名無史さん:2005/09/24(土) 12:06:33
明治維新は皇室危機をもたらした。
324日本@名無史さん:2005/09/24(土) 16:55:09
>>322
で、それで明治政府の様に10年で武士階級解体できるのか?
日清日露の戦いが起こる明治三十年頃までに、
清やロシアと互角に戦える体制が整うとするならば、
そのプロセスを説明してくれ。
325日本@名無史さん:2005/09/24(土) 17:41:24
別に清やロシアと戦う必要はあるまい。好戦的なヤツめw
326日本@名無史さん:2005/09/24(土) 17:54:13
>>324
フルベッキら幕末時の西洋人には、「清に海外派兵は無理」という認識があったようだよ。
日清戦争も日本サイドの要因が強いし、日清戦争がなければ日露戦争も
なかったんじゃ?
327日本@名無史さん:2005/09/24(土) 17:56:19
>>323
それは今の女帝論のこと?
328日本@名無史さん:2005/09/24(土) 17:56:46
>>324
そもそもロシアに勝てたのは幕府の横須賀造船所のおかげ。
急速な近代化の社会的経済的基礎はすべて幕府が準備したものだ。
329日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:34:23
>>325
話しにならんな。幕末しか知らない奴だったかw。
なぜ日清日露が起こってしまったのかぐらい知っておけ。
330日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:35:43
日本が何もしなかったらロシアの南下政策も起きないと思っている馬鹿w
331日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:39:29
明治政府は、幕府が守り抜いた樺太を、
あっさり露西亜に進呈してるヘタレだからどうしようもない。
332日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:58:42
1807年(文化四年)、択捉島に来寇したロシア館2隻に、紗那(シャナ)の
会所はコテンパンにやられた。
幕府の役人と南部藩兵200人が大砲まで備えて警備していたのに、
交戦状態に入って手も足も出ずに逃げ散り、南部藩の砲術師などは
捕虜になってしまった。

これだけはっきりと軍備が時代遅れであることを見せ付けられたのに、
幕府は実効ある国防策を何にも取っていない。
幕末から遡るが、この何もしていない点において、幕府の国政の
責任能力に疑問符をつけざるを得ない。
333日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:31:43
>>330
ロシアの南下政策自体は日本とは直接関係ないだろw
不凍港を得ることはロシアの長年の宿願。
ロシアの目的は地続きの中国北東部や朝鮮半島の不凍港を得ることで、
地続きじゃない日本を何が何でも得たいと思っていたわけじゃないわな。
明治期になって、日本は中国北東部や朝鮮半島に絡み始めたわけだし。
334國學院OB:2005/09/24(土) 20:00:00
楽観的的アンチ明治政府論者は
トルコからシナまでアジア諸国の危機的状況を
まったく理解してないな
335:2005/09/24(土) 20:07:32
当時の状況で一体誰が
満州、朝鮮を得たロシアが次に日本を
狙わないと言いえたであろうか?
336333:2005/09/24(土) 20:12:21
>>334
何か勘違いしているようだけど、別にアンチ明治政府じゃないぞ。
明治維新原理主義者じゃないだけだよw
だいたい明治政府には旧佐幕藩士や旧幕臣もいたんだし。

337日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:13:28
なんでもロシアを悪役にすればいいと思ってるな。
338333:2005/09/24(土) 20:14:53
>>335
満州、朝鮮を得たならねw
でも、得た場合の話をしているわけじゃないから。
339日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:23:09
をいをい当時ロシアは既に事実上、満州を得ていたろ
340日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:27:55
シベリア鉄道が完成したらやばかったろうね
341日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:31:30
幕末にロシアは対馬を不法占拠してるね
342:2005/09/24(土) 20:38:34
明治四年、ロシア、清国イリ地方を占領。
明治六年、ロシア鎮守府をウラジオストックに
移し、海軍根拠地とする

明治16年、フランスは清国と戦い安南を保護国化、
つづいてカンボジアを併合。
343日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:42:40
>>336
ごまかすんじゃねえよ。
明治政府を悪玉にしたて官僚組織の腐敗で弱体化した幕府を賛美してるのは
おめーだろ。
344日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:44:26
忘れちゃいけない樺太もロシアの南下でロシアの実行支配を受けた。
結局、樺太の広大な大地を捨て、小さな島々が連なる千島列島を得る交渉が精一杯。
樺太とった彼らはさらに南へと行くつもりでしたが?。
345日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:44:31
言っておくが明治時代は
江戸時代の思想、文化を継承してできている。
明治の否定は江戸の否定でもある。
346日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:46:55
日英同盟は英国がロシアの南下に歯止めをかける意図があった。
当時の時点で、日本にそれだけの力がなければ英国も日本の味方をしてくれなかった。
347日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:47:31
>>339
もう1900年の話をしているのか。
348日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:49:12
日英同盟といえば聞こえはいいが、
実態は日本が英国のパシリになって対ロシアの捨て駒になってただけ。
349日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:51:20
>>343
はあ?
俺がいつ明治政府を悪玉にして、幕府を賛美したって?
「悪玉」とか、そういう視点で物事を捉えている時点で、なんかねw
350日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:51:40
だからガキみたいな佐幕ヲタは
徳川家の子孫のところへ
丁髷と着物着て
土下座しに行けよ。

電気も使うな。
351日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:53:26
>>348
は?
捨て駒じゃなくてロシアに勝利し、
幕府が結んだ不平等条約改正も成功しました。
352日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:55:20
>>349
なんだ違うのかよ。
じゃ、ともに近代化を成し遂げ
今日の我々の繁栄の基礎を築いた
偉大なる明治天皇と明治の先人達に対して
感謝しようぜ!
353日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:56:04
戊辰の時に逃げ出した幕臣旗本たちが、ロシアと戦って勝てるとは思えない。
354日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:57:19
俺の実家には明治天皇の写真が飾ってあるが
それは明治の先人達に対する感謝と敬意からである。
355333349:2005/09/24(土) 20:58:26
>>352
別に幕府を賛美する気もなけりゃ、明治天皇と明治の先人達を賛美する気もないからw
356日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:59:46
>>353
激同。
かつて戦国末期諸大名を
恐れさせた徳川家直参部隊の
面影はすでにない。
ただの能なし公務員。
357333349:2005/09/24(土) 21:00:45
つーか、このスレも何かの信者がお互いを罵倒し合う厨スレなの?
358日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:00:50
>>355
なんだよ。ただの冷やかしかよ!ふざけるな
359日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:01:25
じゃあ、ちゃんと議論しようぜ!

「明治維新が起こらず、江戸幕藩体制のままロシアや清と戦うことができるかどうか?」

各々方、さぁ語られよ。
360日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:03:16
別に無理に戦う必要はない。
361333349:2005/09/24(土) 21:04:32
>>358
冷やかしじゃないって。
軸足を一極に置いて、物事を「善玉・悪玉」のような見方で語るのは
好きじゃないだけ。

362日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:05:20
>>360
日本に戦う気が無いのにロシアがやってきたらどうする?
363333349:2005/09/24(土) 21:06:10
>>359
その条件で議論しようとは思わないやw
364日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:08:19
諸外国が日本を絶対に侵略しないという不思議な結界でもあれば、そりゃ幕藩体制のままでも良かったろうね。
もっとも、そうならペリー艦隊も日本に来ず、尊皇攘夷も無かった訳だがw
365日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:08:38
>>361
当時の人達が置かれた状況や心理を
理解しようとせずに
歴史を現代的価値観のみで断定しようと
する君の態度もいかがなものかな?
366日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:10:33
>>363
あのなぁ。明治元年の頃に良ければ、その後はどうでもいいという考えなら、
それこそ「幕府体制のまま近代化できた」なんて議論は意味が無いだろ。
367日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:11:24
>>359
えーと、まずフネがいるわな
雄藩に、軍艦製造を命ずる

薩長など(金持ち)・・・言われんでも作るです、しかも自分の好きに使うとです
その他大勢(貧乏)・・・先立つものをよこせんかいワレ
368日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:25:23
自らの体制維持のために大型船の建造を禁じた幕府が、薩摩や長州に軍艦作らせるかなぁ?
むしろ「幕府だけで軍艦作るからお前ら金よこせ」って言いそうだ。
まあ、金持ちで危機意識の強い藩は禁止されても勝手に作るだろうけど。
369333349:2005/09/24(土) 21:34:32
>>366
「幕府体制のまま近代化できた」なんて俺は語ってないから、その議論に意味があるか
ないかは、「幕府体制のまま近代化できた」と言ってる香具師に聞いてくれ。
370日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:36:44
369はただの冷やかしだから
相手にするなって、
371333349:2005/09/24(土) 21:41:02
明治天皇と明治の先人達を賛美する気がないと冷やかし認定か?
372333349:2005/09/24(土) 21:46:28
やっぱ厨スレだわ。
373日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:49:04
主張も何もないやつが
おもしろ半分に人の意見を否定すれのは
冷やかしとしか言いようがないな
374日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:49:59
…倒幕の時点では、幕府が改革派(開国・近代化)、薩長が旧守派(攘夷・復古)だった。

…そして坂本は旧守派と英国人武器商人のパシリだった。
375333349:2005/09/24(土) 22:43:54
>>373
おもしろ半分だと何故言い切れるのかい?
そういう「言いがかり」を平気で書くのが厨スレの特徴。

甲申事変みたいなことをしておきながら、日清戦争が完全な自衛戦争であるような
言い分にはついてゆけないから、日清戦争がなければ日露戦争はなかったと言ったまで。
376日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:54:32
浦賀の幕府軍や、長州と4ケ国連合軍との戦いでの様子をみるに
当時の武士・幕府の弱腰は、既に顕著に現れている。
身分制度にしがみついた古い体質では、坂本や佐久間や高杉のよ
うな実力才能のある下級武士の声さえ、聞かなかったろう。

身分制のボンボン共には、列強の怒涛の進出のあの時代を乗り切
る事は難しかったろう。
377日本@名無史さん:2005/09/24(土) 23:10:40
>>376
長州が幕府に勝てたのはグラバーが供給した武器のおかげ。
馬関戦争に敗北して以降の長州は欧米に対して完全な「弱腰」。
高杉などはイギリスに泣きついて幕府からの庇護を求めてる。
378日本@名無史さん:2005/09/25(日) 07:38:19
>>377
長州が幕府に勝てたのは桂の藩政改革や大村の藩軍改革のおかげ。
四境戦争の敗北とは関係なく、幕府は最初から欧米に対して完全な「弱腰」。
江戸の幕府閣僚そして小栗などはフランスに泣きついて長州攻撃しようとし、
春嶽や勝からバカ扱いされている。
379日本@名無史さん:2005/09/25(日) 09:45:27
>>375は日清戦争がなければロシアが南下が止まると思っている無知君。
相手にする価値の無い厨房。
380日本@名無史さん:2005/09/25(日) 12:47:30
日本に支配されるぐらいならロシアの膨張による支配に甘んじたかった。
381日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:08:58
>>380じゃ日本から出てけ
382日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:21:05
反露厨、うぜええええ
383日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:21:52
>>379
日本がロシアの南下政策の標的にされていたという根拠を示せ。
憶測や想像は不可。
384日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:22:34
いや、その意見はその意見でいいじゃないか。(あまり賢い選択とも思えんが)
385日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:23:08
>>380は朝鮮人?満州人?
386日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:30:05
マジレスすると、朝鮮の人は日本の支配よりはロシアの支配を望んだろうね。
現に王様とか政府の高官も親露派だったし。

アジア人の通例として、同じアジア人の支配には反発しても白人には従順だし。
387日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:36:35
おまえロシアなんかに支配されたら
シベリア連行だぞ
388日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:39:11
北朝鮮自体、シベリアとたいして変わらない。
389日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:43:51
>>386
うる覚えだけど、実際にロシア公邸に朝鮮の政権があった時があったような・・・。

朝鮮は儒教国だから、儒教思想的に自分達より位下だと認識していた日本に
支配されるくらいなら、中華思想の序列から外れているロシアに支配される
ほうがマシだと思っていたかもしれないね。
390日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:54:30
ただなんで属国になることから話がはじまるのかが問題だろ。最初から独立の話を進めていけばよかったのに。
391日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:14:02
>>390
もともと朝鮮は長く清の属国だったから、自分達が自主独立でやっていけるとは
思えなかったのかもしれない。
392日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:42:40
>>1 明治維新が起こらなかったら、日本は清朝、李氏朝鮮と仲良く一緒に
欧米ロシアの植民地になっていたことだろう。

 日清、日露戦争も起こらず、WW1、WW2にも参戦せず、アジアの被支配
民族として歴史の主役になることもなく平和に?暮らしていたかというと
それも期待できず、アメリカの黒人と同じようにアジアのクーリーとして
過ごしていたのではなかろうか。

393日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:48:14
>>1 明治維新が起こらなかった場合のケーススタディとしては李氏朝鮮が
どうなったか、が最良の見本になるのだろう。

 日韓併合でなく米日併合になり、日本は米国式に近代化されることになる
代りに米国の世界征服に付き合わされて、米国の傭兵のようになった。

 現在、韓国がそれに近いが日本もそうなるのではなかろうか。
394日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:49:26
当時の世界は白人中心で動いていた。
ロシア人は白人であり、黄色人種のアジア人は支配される側となっていた。
しかし日本は白人社会の欧米から遠く、日本の隣国として存在した白人国家は、
シベリアを支配し樺太を手に入れているロシア一国であった。
395日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:51:02
かねがね思っていたのだが、日本が英米やロシアと互角に張り合う必要ないだろ。
つーか、明治維新当時、弱小国だった日本が半世紀で五大強国とか国連の常任理事国って
飛躍しすぎだろw
ヨーロッパでもデンマークとかスイスとかスウェーデンとか中小国がいろいろあるわけで、
別にアメリカやイギリスと張り合わなくても、身の丈に合った生き方でよかったんでは?
396日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:54:12
だから世界史勉強してくれってば。
基礎知識がなけりゃ話しにならんよ。
397日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:55:14
ある意味、明治以降の日本は極端すぎるんだよ。
弱小国→帝国主義列強→敗戦で貧乏国→世界有数の経済大国・・・

北欧くらいの先進国として、地味にやっていけないのか?
398日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:55:27
ヨーロッパでもデンマークとかスイスとかスウェーデンとか中小国は白人国家
399日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:57:42
>>394
ロシアが樺太を手に入れたのは明治8年。
つまり>>394が言う「当時」とは明治8年ってことか?
400日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:58:13
ま、資源もカネもないくせに海軍力で英米とタメになろうってあたりが狂ってる。
その上、勘違いして満州の利権を独占なんぞするし。

その他大勢で地味に大人しくやっていけばいいのに、目立ちすぎなんだよ。
401日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:00:16
近代以降の日本って変に気負いすぎなんだよな。肩の力抜けよ。
402日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:07:17
>>396
世界史の知識がある君!
>>383に答えてみ。
403日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:08:13
>>400 資源も無い小国なので列強に対抗せず大人しく地道に肩の力を抜いてやって
行こうとした李氏朝鮮の悲惨な結末を見れば、日本のやり方は合理的だったとも
思われる。

 もし肩の力を抜いて手抜きをやっていたら今頃は東西南北に分割支配されていた
かも知れないのだ。手抜きをしなかったドイツでさえ分割されたのだから。

404日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:16:22
ドイツはいつもアングロサクソンに喧嘩売って自滅してるだけ。
手抜きしなかったのではなく、自分から破滅に突進していった大馬鹿者。

日本は勝ち組である英米につけばいいのに、負け組ドイツと組んだ阿呆。
405日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:19:20
まあ、日本も日露戦争後、アメリカを敵に回すようなことをしたから、
自ら墓穴を掘った大馬鹿者だな。
過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言ったものだ。

いまではアメリカの属国同然なんだから、はじめから大人しくしとけば
あそこまで叩かれずにすんだものを・・・
406日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:25:45
>>393は日本人と朝鮮人は同レベルと言いたいらしい。
407日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:17:20
>>406
イギリス人やロシア人から見れば日本人と朝鮮人は同レベルだろ
408日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:22:25
>>402
先にロシアが日本に来ないという根拠を示してくれw。
第一、江戸幕府がロシアと戦って勝てるならロシアが来ようが来まいが関係ない話しになるんだよ。
明治政府は戦って勝った。幕府体制ではそれが出来ないという事なのか?。
409日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:29:11
>>406 393だが日本が明治維新に失敗して近代化に踏み切れなければ、朝鮮と同様に
列強の餌食になっていただろうというのは常識の範囲内だろう。

 徳川幕府が続いていても植民地や半植民地にはならなかったと言うのか?


 
410日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:47:38
>>406 いや、日本は明治維新を起こしても列強から平等な国家扱いを受けず
不平等条約を押し付けられていて日清、日露戦争の勝利でようやく条約改正に
こぎつけたので、それまでは経済的には半植民地状態だったらしい。

 徳川幕府が続いていたらこの期間はいつまで続いたか分からない。
411日本@名無史さん:2005/09/25(日) 23:05:12
>>410
自分の書き込みが齟齬していることにも気付かないアホか?
経済的に半植民地状態は明治維新からだ。
なんで「徳川幕府が続いていたらこの期間はいつまで続いたか分からない。」
になるんだ?もう支離滅裂だなあ…。
412日本@名無史さん:2005/09/25(日) 23:36:23
>>408
江戸幕府はロシアと樺太の領有権争いをしていたのにも関わらず
ロシアと戦争に至る事はなかったのだから、>>408のように
ロシアとの戦争が不可避であるという前提に立つ場合、なぜに
それが不可避なのか、また、江戸年間では不可避であるはずの
ロシアとの戦争をなぜに回避出来たのかということの説明が
なされなければ、質問に意味がないのでは?
413日本@名無史さん:2005/09/25(日) 23:53:56
>>324
明治維新そのものの主目的は武士階級の解体ではない。
王政復古のクーデターの時点でも、来るべき新政体は列藩の諸侯による
公議制であって、武士階級解体を目標とするものではなかった。
また、王政復古のクーデターの時点で、来るべき日清・日露戦争を
考慮していたわけでもない。

また明治維新によって旧来の侍というものはなくなったが、幕末時に
すでに侍に替わる軍人というものが誕生していた。
また維新後、武士階級が解体されと言っても、解体されたのは世襲による
身分制であって、家業というものが否定されたわけではない。
江戸時代に武士(藩士・幕臣およびその子弟)であった者で軍属になった
者も多い。
414日本@名無史さん:2005/09/26(月) 01:11:14
抽選制廃止以前は元新撰組隊士だなんて言うと即採用だったらしいからな。
本物の元隊士は絶対そんなことは言わなかったらしいがw
415日本@名無史さん:2005/09/26(月) 02:14:09
>>413
明治維新は理念の上では武士階級どころか天皇以外全部の社会階層を解体することが
最初の時点で宣言されているよ。
「自今、摂関、幕府等を廃絶」
「諸事、神武創業の始に原づき、晋紳、武弁、堂上、地下の別なく」
が王政復古の大号令の理念の根幹部分(玉松操)だ。
「神武創業」まで遡ろうという理念がミソ。
幕府は改革の際「慶長・元和」までの復古による一新を意図し、
勤皇派には「建武」「大化の改新」まで遡ることを唱える者もいたが、
実際に採用されたのは当時の歴史知識でこれ以上遡ることが不可能な「神武」だった。
一番ラディカルな案が採用されたわけだ。
もちろん「神武創業」時には武士も諸侯も位階も一切が無い。あるのは神武王権だけだ。
新しく「まず仮に」置かれた「総裁、議定、三職」は、
これまでのいかなる政治的組織・階層とも無縁なものというのが建前になる。
無論、現実には「雄藩の諸侯が最高官、維新の立役者が実務権力者」に就くわけだが
建前上は王政復古の号令で「全部廃絶」した上で、
一切の連続性無く新しく創り出した組織と地位ということになる。
416日本@名無史さん:2005/09/26(月) 04:25:01
カルトだな…
417日本@名無史さん:2005/09/26(月) 07:04:44
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
418日本@名無史さん:2005/09/26(月) 17:44:58
>>413 日本の身分制度近代化を明治維新だけに限定すると武士階級の根絶を目的に
したものではないということになるだろうが、明治期に入ってからも不平士族の
反乱、藩閥政治打破のための自由民権運動、憲法制定、国会開設という一連の改革
を見れば徳川時代の身分制度が崩壊して行った過程をたどることができるだろう。

 武士公家階級は華族として日米戦争の敗戦まで続いていたと見ることもできる。
貴族院というものが存在していたのは公武合体と平民の衆議院が並存していた半封建
時代?と見ることもできると思う。フランス革命でも王党派の反革命が度々噴出した
ように、一挙に進行して行くものではないだろう。


419日本@名無史さん:2005/09/26(月) 17:49:41
>>411 何が齟齬しているというのだ?明治維新が起こらず、近代化が遅れて
いたら、不平等条約改正はいつのことになったか分からない、というのは
何がおかしいのか?
420日本@名無史さん:2005/09/26(月) 19:55:46
>>417 薩長主体の藩閥政治は国会開設で一応形式的には終わっている。

 その後は東北出身の星亨や原敬内閣などが出来ているので薩長の主導権は薄れた
だろう。


 近代日本の悲劇は米英やロシアの列強のアジア進出と周辺国が中華思想に毒され
た中国、朝鮮しかなかったことに原因があるだろう。

 こういう国際情勢を抜きにして日本だけを批判するのは隠された意図があるのだろう。
421日本@名無史さん:2005/09/26(月) 20:41:42
>>415
「王政復古」と宣言するからには、「神武創業」になるのはある意味
よくわかる。実際に天皇が政(まつりごと)を行い、日本という国が
輝いていた時代であったと、幕末の志士達の愛読書であった頼山陽の本に
書かれていたし、また当時の国学もそのような認識であったからだ。
つまり、「王政復古」とは神話時代の「国威」と「皇威」を復活させたい
という願望から生み出されたということは、今更ここに書くまでもないか。

特に重要なのは「皇威」の部分であって、天皇を担ぐ側としてはこれに
拘るのは当然であり、天皇が日本における唯一無二の絶対的存在である事を
内外にアピールするためには、それこそ現代人からみればカルトと思える程
徹底させなければ、天皇の絶対性というものを広く日本の庶民隅々にまで
認識させることは不可能だっだだろう。

しかし、問題は王政復古の理念が掛け声だけで終わった感があることだな。
神武天皇のように天皇親政がなされることもなく、天皇を「玉」と言って
はばからない者が討幕した側から出てきたことは、逆に討幕の名分とは
何だったのかという疑問を在野に与えることとなり、このあたりを岩倉は
気に掛けていたようだ。
422日本@名無史さん:2005/09/26(月) 20:51:36
武士解体が目的ではなく、専業武士を解体して徴兵制を導入し
兵力の増大を計ったんじゃね。武士階級だけでは国防兵力としては足りん。
423日本@名無史さん:2005/09/26(月) 20:58:02
>>412
そもそも「もしも明治維新が起きなかったら」という「もしも」の
世界の話しをしているんだよ。だから「もしもロシアが来たらどうする」という話しをしている。
もしもの話しが出来ないなら、最初からこのスレに来るべきではない。
424日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:01:38
>>411
半植民地状態なのは徳川幕府が不平等条約を結んだ時からで明治維新からではありませんが。なにか?。
425日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:08:53
>>418
「不平士族の反乱」と名付けられてしまったので、旧武士達の
時代遅れで自分勝手な思考に起因する内乱と受け取られがちだが、
実際には、政治が天皇の親政どころか一部の人間(この場合は大久保
や岩倉など)に握られていることを強く危惧していた。
つまり、ここでも討幕の名分とは何だったのか?という突き上げが
別の形で表れて来たわけだ。征韓論とは別種の維新政府に対する要求が
あったわけなのだ。
つまりこれは、討幕した側の方が、過度に討幕の意味・名分を気に
しなければならない時期があり、討幕という行為が必ずしも広く全ての
人々から「至極当然かつ、まっとうな事」と見なされていたわけでは
ないということを物語っている。
「討幕」で一致したメンバーも所詮は同床異夢であり、「討幕」が
なされた途端、ほころびが出てきたのだった。
426日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:21:51
>>425 北鮮が金日成の政権掌握後に南朝鮮労働党派や延安派、ソ連派などを次々と
粛清して独裁権力を確立していったような経過が明治維新にもあったということです
ね。

 革命の主導権を握って独裁を始めるのは、どの国にも見られる普遍的な現象だ。
典型的なのがクロムウェル独裁、ナポレオン独裁、レーニン、スターリン
独裁、毛沢東独裁、金日成独裁など。明治維新にはこれらに匹敵するほどの
独裁者は出なかった(大久保利通が日本のスターリンと言われていますが)。


427日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:23:37
>「グラバーが後ろ盾にならない限り、龍馬は資金も武器も調達できるはずがない。
>龍馬が仲介して成立した薩長同盟の背後にもグラバーの影がある。
>グラバーがいかに深く維新の志士らとかかわっていたかを示すものに、志士の密航の手助けが挙げられます。
>長州の伊藤博文、井上馨などの5人を密かに欧州に渡航させたのは、このグラバーです(1863年)。
>また、その翌々年には薩摩の五代友厚、寺島宗則ら17人を密航させている。
>その後、実は龍馬も秘密裏に渡欧していた可能性がある。
>薩長同盟は龍馬の成果ということになっていますが、
>グラバーはその前に薩長の若者を揃えて密航させており、両藩に大きな影響力を持っていたんです。
>そのグラバーが龍馬を使って新政府設立のシナリオを描いた・・・」
428日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:30:54
妄想し過ぎw
429日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:38:02
>>424
幕府は外国商人を居留地に封じ込めていたから「半植民地」ではない。
明治以降、鹿鳴館で欧米人に植民地奴隷としてご奉仕するようになってから、
日本の「半植民地」時代が始まる。
430日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:15:29
>>429

>>410は「経済的には半植民地状態」と書いているのに、
>>424が「半植民地状態」と定義を勝手に変えちゃったから
話が混乱してるのw
431日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:37:50
は?
だから不平等条約を結んだから経済的に半植民地状態になったんだろ。
混乱しているのはお前だけだよ。
432日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:39:39
>>429に至ってはただのバカなので相手にする価値もないw。
433日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:44:32
薩長は英国との戦争に負けて藩そのものが半植民地状態になっていた。
434日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:54:31
神戸事件や堺事件の顛末を見れば、
薩長が植民地奴隷であったことがよく分かる。

ttp://www.ebookjapan.jp/shop/book.asp?sku=60008203
435日本@名無史さん:2005/09/27(火) 13:54:37
 薩長が戦争を起こさなくても、時代の必然性から「文明開化」
なるものは起こっていたと思うけど?
436日本@名無史さん:2005/09/27(火) 14:42:57
副島が主張する維新の属国日本説って在日が激しく好みそうなネタだよな。
437日本@名無史さん:2005/09/27(火) 14:47:26
>>435
ちょっとしたインフラ程度の文明開化は必然から起こるだろう。
しかし長州征伐での腑抜けっぷりを露呈した幕府で果たして維新政府がなしえた改革を実行できたかが問題。
438日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:35:18
>>435 清朝、李氏朝鮮では「時代の必然性」を理解せず、近代化派、近代化思想、
近代化運動などを弾圧していたが。

 徳川幕府なら近代化を進めただろうという根拠はどこにある?

439日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:43:08
>>435 ついでに言えば現在も中共、北鮮は共産主義の崩壊という歴史の
必然性を理解せず、欧米国際法を無視し続けている。

 「歴史の必然性」の方向に動く勢力と、それを阻止しようとする反動派が
せめぎあうのが歴史の実態だろう。歴史は自然の物理法則ではない。

440日本@名無史さん:2005/09/27(火) 20:39:06 0
そもそも「なぜ近代化しなければならないのか?」から考えなければいけない。
漏れは「他国からの侵略を防ぐ為」「不平等条約の様な屈辱的な扱いを今後されないようにする為」
と考えている。だからこそ近代化を急ぎ軍備を増強したのだろう。
441日本@名無史さん:2005/09/27(火) 20:52:32 0
>>440 日本は欧米ロシア列強に対抗して独立を維持するためには相手のルールに従い、
相手の土俵に登らなければ認められないことを理解して、近代化を始めたが、清朝、
李氏朝鮮は自国のルール、中華思想、中華秩序に固執していた。

 これは現在も6カ国協議で続いている日米欧vs中国朝鮮の文化の衝突だろう。

 朝鮮が実力不相応に中国以上に中華思想を振り回すのも100年前と何も変わって
いない。



442日本@名無史さん:2005/09/27(火) 20:55:32 0
別に無理矢理現代とつなげて離さなくてもイイよw。
漏れはもしもの話しがしたいだけだから。
443日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:14:07 0
明治維新が起こらなかったら、死なないですんだ人が
大勢いたでしょうが、ここに来る人は、だれもこの世
にうまれていないでしょう。
444日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:18:29 0
>>442 そうですか。もしもの話なら日本もロシア革命の影響を受けて、中共
北鮮、韓国、ベトナムとともに最後のアジア共産圏にでもなっていたのでは?

 しかしロシア革命そのものが日露戦争の敗戦を一因にしているので、ifの
話は過去に遡って際限がないような気もします。
445日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:28:28 ID:0
幕府が続いていたら殺さなくて良い人をどんどん殺していたでしょうが、
誰かは生まれていたでしょう。
446日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:45:25 ID:0
幕府が続いていたら、外様大名が植民地になったり、独立したりして、日本
国が統一されず、分裂状態に陥っていただろう。

 それは当然、内戦、内乱を誘発するものであり、清末の中国と同じような
状態になる。統一するには結局、独裁者が現れて幕府をぶっ壊す統一戦争を
始めただろう。ドイツのビスマルク、イタリアのガリバルディと並行する
歴史をたどる。まあ、明治維新が遅れて起こるだけの結果だっただろう。

447日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:37:58
薩長は陰謀謀略野望で日本の伝統を崩壊させた。
448日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:51:28
>>426
そのような独裁者が出なかったのは大久保利通が暗殺されたからだろう。
大久保は何故に暗殺されたのか?暗殺した側の言い分に従えば、専制政治や
政府関係者の目に余る私利私欲など、つまり、政(まつりごと)を私している
ということだ。実際に、大久保や明治政府関係者がその様であったかどう
かは置いておいて、暗殺者達の目にはそう映っていたということが重要
なのだ。

ここで思い出すべきなのは、徳川(一橋)慶喜や会津・桑名両藩は何故
西郷・大久保・岩倉らから「打倒対象」とされたのか?ということだ。
西郷・大久保のような薩摩藩士から見れば、雄藩による参与会議を潰した
慶喜は「国政に雄藩を参加させようとする意志がない者=専制政治家」と
映ったであろう。また貧乏下級公家の岩倉からすれば、中川宮や二条関白
などと懇意になり孝明天皇と密着した松平容保は「朝廷を私する者」と
思えたであろう。

つまり一部少数の人間に過度に権力が集中すると、実際はどうあれ傍目
には、「好ましくないもの」と日本の社会では認識されるということだな。
大久保が暗殺されたことによって長州勢がイニシアチブを執ることになるが、
長州閥には他を圧倒するような存在感を持つ突出した人間がいなかったので、
流れとして絶対的独裁者というのは生まれなかったのだろう。
449日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:55:09
>>448
だから幕府は、会津を教徒守護職から解任しようとした。
孝明天皇の反対でそれはできなかったが。
450日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:55:32
伝統的な神社仏閣の多くが破壊され、
貴重な文化財や美術品の多くが焼失…
日本の伝統を見失い、増えたのは朝鮮人ばかり。
明治維新は糞だね。
451日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:57:40
>>450
厨房のいつもの煽りはスルーよろ
452日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:00:41
国宝級の建造物を破壊したのは明治政府である。これは事実である。
453日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:01:54
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454日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:05:57
>>449
孝明天皇は松平容保以外の人間は、基本的にあまり信用していな
かったようだな。孝明天皇の信用度では慶喜より容保の方が高かった。
これは、おそらく、慶喜の傍目には解かり辛い性格も原因かもしれない。

江戸の幕閣と京都の禁裏守衛総督・守護職・所司代グループとは
色々な点で考え方や方向性に食い違いがあったということもあるだろう
が、江戸側の京都グループに対する無理解の根本は、江戸側の朝廷
及び西国に関する認識の甘さというものであったと思われる。
この「認識の甘さ」が長州征伐などで現れ、結果的に幕府の運命を
決定付けのかもしれない。

455日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:11:36
中川宮、朝香宮などは容保以上に相談相手として重用されていたようだが。
456日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:11:40
明治維新はいいけど天皇制が大失敗の元
チョンを崇めるとロクな事が無い

457日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:15:55
>>455
言葉が足りなかった。>>454は、とりまきの者を除き松平容保以外は…
ということ。
458日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:26:04
孝明天皇は基本的に武家との関係は限られた人物としか持てなかった。
459日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:10:17
幕府を崩壊させた長州。今度は天皇家を崩壊させようとしてる。
460日本@名無史さん:2005/09/28(水) 13:23:19
 肝心なことは、長州征伐で敗れたとはいえ、戊辰戦争がはじまる
前に幕府側が大政奉還をした事だ。

461日本@名無史さん:2005/09/28(水) 14:54:36
朝香宮って幕末の時からあったの??

462日本@名無史さん:2005/09/28(水) 16:32:40
>>461
朝香宮は中川宮の息子。生まれたのは維新後だから、ない。
>>455は間違って朝香宮と書いちゃったのかも?
中川宮を孝明帝が頼りにしていたのは本当の話。
463日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:42:04
スレ違いな話題。
厨房の煽りはスルーでよろ。
464日本@名無史さん:2005/09/28(水) 21:18:30
徳川幕府が負けて、島津藩が大宰府に幕府を開き、攘夷大将軍と
して江戸時代から九州時代がはじまっただろう。
当然、共通語は夷荻の外国人に知られないよう、薩摩弁である。
国の山は桜島、国民酒は芋焼酎になり、示現流がご公儀剣術指南
に決定する・・・
465日本@名無史さん:2005/09/29(木) 15:17:53
>>464 そう言えば、薩摩は明治維新後、西南戦争まで半独立国だったそうですね。

司馬遼太郎によると西郷隆盛は明治維新後は新しい幕府を開設するような古い考え
を持っていたそうで武士階級の否定などという新政府の方針には付いていけず、
反乱の指導者に祭り挙げられたそうで。


466日本@名無史さん:2005/09/29(木) 15:38:51
>>465
>司馬遼太郎によると西郷隆盛は明治維新後は新しい幕府を開設するような古い考え
を持っていたそうで武士階級の否定などという新政府の方針には付いていけず、

おい。そりゃ司馬の何の本に書いてあったんだ?
廃刀令以外は西郷が参議時代に発布されたもんだが
467日本@名無史さん:2005/09/29(木) 17:25:51
幕末財政難の為リストラに遭った使えない藩士が、都に行けば食えるかな
って京都に行くもくいぶちは無く、押し込み強盗やら恐喝やるようになる。
なんか理由ずけせないかんな〜と天誅といいながら犯罪を繰り返す。
その集団を利用してテロを起こして体制を揺さぶろうとする藩が現れる。
あげくの果てには京に火を放ち、天皇の殺害を目論む。
のちに天皇殺害は成功し傀儡の天皇をまつりあげ、内戦に勝利する。
 
歴史なんてみかたを変えればどうとでも解釈できる。
特に歴史小説は作家の空想に過ぎない。
歴史小説や大河ドラマを観て歴史を語るのは勘違いばかりで痛々しい。
小説スレやドラマスレで語ろう。
468日本@名無史さん:2005/09/29(木) 19:23:39
>>466 書名は忘れましたが、幕末維新関係のものでした。

 あの時代は混乱期だったので誰がどういう思想をもってどう行動したのか、
小説家によっても人物像が異なり、何が事実なのか分かりませんが。
469日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:47:57
>>467の妄想は余りにもばかばかしく、コイツこそ小説スレやドラマスレに逝くべきだと実感した。
470日本@名無史さん:2005/09/29(木) 21:03:26
薩長に政権取られたのが悪夢の始まり。
471日本@名無史さん:2005/09/29(木) 21:18:34
少なくとも俺が31歳で真性童貞なんて惨事は起こりようが無い
武家の本家の長男…
472日本@名無史さん:2005/09/29(木) 21:44:38
明治維新以来、日本人の精神は腐ってるって細木先生も言っていたな
473日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:10:46
>>468=>>465
司馬を根拠に語るのがそもそも間違い。
474日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:45:47
>>473 まあ、司馬遼太郎ブームの時に色々読んだのですが、かなりロマンチック
な小説家で色々読んでいると飽きてきて、漫画を読んでいるような気分になって来ます。

 「その時歴史は動いた」などという番組も見ておりますが、歴史は科学ではなく
解釈論なのだろうと思います。政治学や法律と同じイデオロギーによって解釈が
異なるという面白い学問ですね。社会科学という分野はすべてそうですが。


475日本@名無史さん:2005/09/29(木) 23:02:46
>>474
司馬遼太郎を語りたい香具師は一般書籍板へ行ってくれ。
司馬遼太郎は小説家・エッセイストであって、歴史家ではない。
ここは学術板なのだから、西郷の話をしたいのなら、圭室諦成、
田中惣五郎、遠山茂樹、毛利敏彦あたりを前提に語ってくれ。
476日本@名無史さん:2005/09/29(木) 23:12:28
ついでに愚痴と煽りしか書かない佐幕厨もどっか逝ってくれ。
はっきり言ってウザイ。
薩長への愚痴なら薩摩板や長州板があるからそっちに逝け。
477日本@名無史さん:2005/09/29(木) 23:14:30
このスレは「もしも明治維新が起こらなかったら」というネタを語る所で、明治政府への愚痴を語る所じゃない。
478日本@名無史さん:2005/09/30(金) 13:32:15
 幕府が、独力で近代化できなかったと思っている人は、
幕府が、近代化するために自らの手で大政奉還をした事を
どう思っているのだろうか?
479日本@名無史さん:2005/09/30(金) 14:47:54
明治維新はクーデターで成り立った。陰謀は全て闇に葬りさった。
480日本@名無史さん:2005/09/30(金) 14:49:21
やあ (´・ω・`)
ようこそ、呪いのスレへ。
このスレをみてしまうと一生童貞になるんだ。

うん、「一生童貞」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

だけど一つだけ呪いを解く方法があるんだ、それは・・・

http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/muscle/1125849637/l50#tag868
このスレに行って
>>867
自己紹介乙!

って書き込むんだ。
健闘を祈るよ。
481日本@名無史さん:2005/09/30(金) 16:25:52
>>478 大政奉還は幕府が日本を近代化することを主眼にするものでなくて
目的は薩長の武力倒幕論に対して先手を打って阻止し、幕府を存続して幕府
主導の日本再編を目論んでいたことだろう。

 薩長は幕府が存続しては徹底的な改革、近代化は不可能と判断して倒幕、
武力革命にこだわったのだろう。

 幕府主導の旧体制を維持しながら近代化を推進する、ということは現在の
日本を政権交代なしに自民党主導で改革するというような不徹底なものに
なっただろう。


482日本@名無史さん:2005/09/30(金) 18:45:16
明治維新が起きなければ伝統ある建造物が破壊されなかった。
伝統ある公家も廃止されなかった。
483日本@名無史さん:2005/09/30(金) 18:55:19
>>482 伝統ある建造物や公家の存続と日本の近代化、植民地化阻止とどっちが
大事だったかの価値判断の問題になりますね。

 伝統ある建造物や公家が存続したまま植民地になっていた方がよかったか?

484日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:26:27
その方がよかったな。
公用語が英語かフランス語になってたら、日本人は語学で苦しむことはなかっただろう。
その上、伝統ある建造物がたくさん残ってれば、世界遺産も今以上に多かったはず。
本物の現役の公家にいたっては天然記念物として観光資源にもなるしね。
485日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:28:07
ハワイがアメリカ領として、それなりに栄えているんだから植民地も悪くない。
486日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:55:30
維新で変な宗教国家になった為、終戦まで国民は苦しむはめになった
オ○ム真理教のように信仰の為に命を捨てるのがよいこととなり
殺害も道徳感なくおこなってしまう日本人の心がすさんだ
維新の英雄とされたひとは自分の利益のみにはしり
国民は江戸期よりもひどい状況になった
民主主義国家は維新の成果を排除したときできた
487日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:12:20
>>484
外国の植民地になったら維新以上に伝統的建造物が破壊されたと思うんだがな
488日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:24:00
>>484 朝鮮は植民地になったが伝統ある両班階級は存続せず、潰れたのでは
なかったか。伝統ある白丁階級も廃止されたようだが。

 米国の植民地なら武家も公家も廃止されただろう。植民地化=革命という
面も有る。
489日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:30:01
>米国の植民地なら武家も公家も廃止されただろう。植民地化=革命という
>面も有る。

それこそがGHQの占領統治。堂上華族も武家華族も伏見宮系の皇族もみんなあぼんw

490日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:04:08
植民地より第二次大戦での被害のがデカイんじゃ?
491日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:24:13
>>490 まあ、同じ被害なら植民地になるより抵抗した結果、武力で負けた
方が諦めがつくだろう。

 朝鮮は日本に武力抵抗しなかったことで後遺症に悩んでいる。

 台湾は併合された時に国家というものがなかったので悩まないのだろう。



492日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:00:37
日本は自業自得だがな。
493日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:11:42
外国のほうが伝統的建造物を大事にしてるよ。
何百年も前に建てられたアパートメントに人が住んでるんだから。
494日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:22:40
古い建物ことを考えるならずーと江戸時代だったほうがよかったんだろう。
495日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:32:41
歴史的、伝統的建築物を大事にするのは万国共通。
それがわからなかったのは明治政府だ〜け。
歴史的希にみるアホ
496日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:04:13
廃仏毀釈での寺社の被害も甚大だけど、
お城のほとんどが明治政府の猿どもによって取り壊されてしまったのが痛い。
497日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:15:05
寺社の数と城の数では圧倒的に寺社の方が多いが、武士賛美する佐幕ヲタは城の方が問題らしい。
498日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:20:45
>>495
南米大陸にアステカ文明があったが、現在は見る影もない。
その理由はスペイン植民地となり、アステカ文明の建物はすべて破壊され、
キリスト教やヨーロッパ風の建物が建てられ、すべての文化宗教生活を破壊したからにほかならない。
499日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:39:19
ほとんどの城は明治政府に壊されたと。一部の城は民間が買い上げて崩壊を免れた。
大阪、名古屋城等…超国宝級が戦災で失われた。
500日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:43:03
江戸時代の日本文化の象徴であった数々の名城が明治維新並びに維新後80年後に崩壊した。悲しい。
501日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:48:12
そこの血迷った城ヲタ。城の愚痴を書くなら城スレに逝け。
502日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:56:48
>>481
>大政奉還は幕府が日本を近代化することを主眼にするものでなくて

上記に異論はないが、

>幕府を存続して幕府主導の

↑は変だ。大政奉還で幕府廃止が決定したのだから、幕府主導というのは
おかしい。むしろ、幕府は潰してもよいが、徳川慶喜個人は政治家として
中央政局に残存するという思い切った策に打って出たと見た方が良い。
西周助の草案をもとに慶喜が幕権回復を大政奉還時においても狙っていた
という説は1980年代後半以降は否定されている。

>薩長は幕府が存続しては徹底的な改革、近代化は不可能と判断して倒幕、
>武力革命にこだわったのだろう。

近代化を真に目指すのなら、古代返りのような「王政復古」のスローガンは
むしろ時代に逆行していると言える。
鳥羽伏見の戦を経て、慶喜追討となったのは慶喜が外国人に与えた書が
王政復古の趣旨に反するという理由であり、一種の不敬罪に問われたので
あって、近代化を阻む者として討伐対象とされたわけではない。
大久保利通は鳥羽伏見戦の直前にも旧幕府側の朝廷への恭順を問うことを
岩倉具視あてに意見しており、大久保が書簡等で使う「変革」という単語
に関しても、近代化への変革と言うより、徳川体制から天皇を政治機構の
頂点とする政治体制へと変革する意味合いと取るべきだろう。
公議興論などという言葉は幕府が広めたものであり、公議制自体は幕末時
において幕府・倒幕勢力ともに広く認識されていた。
むしろ、武威が再び興隆する悪夢にさいなまれていた岩倉らにとって、
近代化は「封建制否定=武門の否定」であり、ようやく実現した新政権を
磐石にするための唯一無二の方策であった。
つまり、倒幕〜明治維新にあたって、プライオリティとして一番であった
のは王政復古(=皇威回復)であったということだ。
503日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:04:37
価値ある建造物をブッ壊したのは明治政府。価値のない明治政府がブッ壊れればよかった。
504日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:13:00
武力討幕ということについて。
薩長同盟が成立した時点で、この同盟の真の打倒目標は会津だった。
何故か?という理由は>>448に書いた通り、孝明天皇およびその
「叡慮扶助」を拝命していた中川宮との抜き差しならない関係である。
つまり、一貫して「天皇をいかにして自陣営に引き込むか?引き込んだら
どうするのか?」ということが、重要だったということだ。
505日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:16:33
>>503
明治政府は「武門の否定」の上に成り立っていた政体なので、
武門の象徴には容赦なかった側面がある。
506日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:21:16
>>498
それは外国の侵略ででしょ。
日本国内の日本人が自分たちの由緒ある建造物を壊すとは
薩長明治政府が半島人だった以外考えられない。
507日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:25:48
城も今では歴史的建造物かもしれないけど
当時は純粋に軍事施設だろ
若松城や熊本城や五稜郭は実戦で使用された筈だが
508日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:30:56
>>506
明治政府の批判をしたいんだろうが、
徳川幕府の方針によって戦国時代からあった多くの城が破壊されてている。
明治政府の壊した城より徳川幕府が壊した城の方が遙かに多い。
509日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:31:48
明治の軍隊って侵略&野望軍隊?
510日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:31:54
お城はね
511日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:34:05
つか、いい加減スレ違いなネタはやめてくれ。
明治政府批判は他に逝け他に。
どーせ幕府では近代化できない事を悟った佐幕厨の煽りなんだろうけど。
荒らすのもいい加減にしないと通報するぞ。
512日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:42:09
明治維新が起きなかったら?の議論のスレだろ?明治政府が出てくると都合悪い??
513日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:58:30
寺の存在って昔と今と随分違うんじゃないの?
建武新政の崩壊も寺社勢力対武士勢力の戦いだし
信長だって狂ったように寺社と敵対してる。
体制が変わるときに寺社は常に旧体制側で大きな力を占めてたんじゃないの。
今でも税制優遇受けてる特権階級だけどさ。
「寺から里へ」とか「坊主丸儲け」などという成語があるように
社会変革時にはその権力や思想が許されない存在と見られる事があるんじゃないかな。
514日本@名無史さん:2005/10/01(土) 06:35:58
>>512
お前がいつ「明治維新が起きなかったら?」というネタを書いたよ。
明治政府が出てくると都合が悪いと漏れがいつ言った?。
所詮バカはバカか?。
お前らがやっている事は、明治維新が起きなかったらというネタではなく、
明治維新が起こった後に作られた明治政府への愚痴じゃねぇか。
明らかにスレ違いだよ。日本語を読む能力すら足りないようじゃ話しにならん。
515日本@名無史さん:2005/10/01(土) 07:22:03
514はごじゃっぺ。でれすけ。
516日本@名無史さん:2005/10/01(土) 09:52:14
>>514
会津厨は捏造と煽りしかできない。
相手にせずスルーしたほうがイイ。
負け犬がきゃんきゃん吠えているだけだから。
517日本@名無史さん:2005/10/01(土) 11:39:19
くだらんスレに夢中になってる西日本の人間。
518日本@名無史さん:2005/10/01(土) 11:42:10
>>514
明治政府の異常な基地外ぶりを確認することなしに、
「明治維新が起きなかったら」というネタを展開することはできない。
そんなこともわからないのはヴァカ。
519日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:00:59
514はどうしょうもないバ♪カ♪ もうすぐ人間辞めるみたいだから許そうぜ〜
520日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:05:18
煽りとかではないんですが、このスレに居る方達は明治の軍国主義及び国家神道は
よい選択だったと思ってるのでしょうか?
アメリカなどへ留学者もいたので共和制や民主主義の選択もあったかと思うんですが
又、明治維新は国民の為?国防の為?立身出世の為?
結果論ですが、その後日本は焼け野原になり連合国に占領されました。
その理由により明治維新は失敗じゃないのかな?とおもうんですが
521日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:30:54
>>520
ピューリタン革命・プロセインのドイツ統一・ロシア革命の後を見てみろ。
それとフランス革命後の国内の混乱を見てみれ。
革命後の混乱期に独裁政権は必要なのがわからんか?

それに20世紀以降は民主政治はしっかり機能しているが?
522日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:33:10
>>521
520です。ありがとう。調べてみます。
523日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:35:29
明治維新は薩長を中心に明治天皇を大元帥にまつりあげて軍国の道を歩み始めた。
明治政府が築いた大日本帝国陸海軍が第二次大戦で崩壊したから薩長の明治政府に責任があると言いたいのだが…
第二次大戦の軍隊は東北人が占めてたから第二次大戦の責任は東北人だと反論する薩長の子孫たち…
524日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:35:30
>明治の軍国主義及び国家神道はよい選択
当時の弱肉強食の国際事情を見てみろ。軍国主義以外に日本の残れる道は無い。
525日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:42:10
静かに御所で暮らしてた明治天皇を拉致し江戸城に監禁した明治政府。
価値の無い下級武士にこき使われた明治天皇。
近代の天皇の悲劇は明治維新から始まった。 病弱の大正天皇…裕仁の名で始まった第二次大戦。平和を祈り続ける今上天皇。
526日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:47:14
520です
時間の都合で落ちます
>>523さん >>524さんありがとうございました
もっと勉強します
527日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:52:03
>>523
それじゃ徳川幕府の崩壊の責任は初代家康にあるんだな。
528日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:08:28
朝廷を敬う慶喜は錦旗で降参。
錦旗偽造して明治天皇を担いだ薩長のクーデターは見事としか言い様がない。
問題はその後の明治政府の政策。 苦労して創案した大日本帝国憲法もGHQにより一新された。
529日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:11:53
近代になったのはよかったが130年が過ぎても長州&薩摩&会津で言い争いが続いてる………
530日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:33:17
 幕府が独力で大政奉還したと言う事は、薩長が戦争を起こす
必要も無く、幕府の力で近代化できたと言う事を証明している
のではないのか?
531日本@名無史さん:2005/10/01(土) 17:08:13
大政奉還は行為であって、近代化できたという結果ではないよ。
532日本@名無史さん:2005/10/01(土) 17:31:17
>>530
>幕府の力で近代化できたと言う事を証明している
>のではないのか?

しつこくなるが、大政奉還によって幕府廃止が決まったのだから、
大政奉還後に「幕府の力で近代化」というのは無理。
政治に関する権限を朝廷が有した以上、全て朝廷と共同でなければ
何も決められない。
仮に戊辰戦争がなかった場合、徳川慶喜は中央政局に残った可能性が高い。
しかし、それも長く続くわけではなく、何らかのうまい理由を付けて名誉の
引退を余儀なくされたのではないかと推測する。
というのも、幕府の第二次長州征伐の中止決定や大政奉還、あるいは雄藩に
よる参与会議潰しなど、慶喜は自分の独断で決定することが多い。
多くの人間に根回しをしたり、話をすり合わせたり、人々を説得し諸事に
関して説明を相手が理解するまで行うといったような事はしない。これは、
要するに「お殿様気質」であって、「皆は余の決定に従えば良いのだ」と
いうような封建的思考の現れであり、こういう人間が議会で活躍できるとは
思えない。むしろ大久保利通のような論理的で説明上手なタイプの人間が
どのみちイニシアチブを取ることになるだろう。
つまり、幕府亡きあと新しく出来た政府の中に、慶喜とかつての倒幕派の
者達が一緒に居る状態は起きたかもしれないが、それは長くは続かず、
結局は明治政府のようになっていただろうというのが私論。
明治維新以降の日本の近代化を薩長のおかげとするのも、軍国主義によって
結果的に第二次世界大戦を招いたのは薩長のせいだと言うのも、どちらも
極端な発想だと思える。明治政府は旧幕臣や非薩長土肥の人間も登用した。
近代日本は一部の勢力によって築かれたわけでもなく、一部の勢力が道を
あやまったわけでもなく、むしろ日本人全体によって近代化し、その結果
敗戦に至ったとみるべきだ。
官軍側、旧幕府側、どちらの人間であっても、時代に適合出来ない人間は
退場を余儀なくされた。それが歴史の法則というものではなかろうか。
533日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:36:26
禿同。それが真理だろう。
534日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:57:35
>>502 大政奉還は徳川家が日本の代表権を放棄して天皇家に代表権を返還すると
いうことだろう。返還しなければ武力倒幕論が盛り上る情勢だったために一応、
返還するが、その後は幕府は公武合体派として主導権を握るつもりだったのだろう。
これはプロシアがドイツ統一の主導権を握ったように天皇を象徴として祭り上げるが
幕府主導の日本統一を目論んでいたものと言える。

 王政復古は古代の天皇専制復活と形式的には似ているが公家だけで政治をする
実力はなく、薩長の軍事力を背景とする日本の中央集権化が本質だろう。天皇や
公家は始めから薩長の傀儡だったはずだ。

 ということで大政奉還の時点では、幕府と薩長の主導権争いが続いていて、
どちらが天皇の錦の御旗を取るか、まだ分からなかった情勢だったと思う。

 薩長は大政奉還(幕府の政権放棄)にもかかわらず、幕府を消滅させなければ
幕府主導の政府が復活することをおそれていたために、あくまでも武力倒幕に
こだわったのだろう。

 これはソ連崩壊後も民主化勢力が共産党を消滅させるまで叩き潰しておかなければ
また復活するおそれがあると考えて武力制圧するのと同じことだ。

535坂本竜馬:2005/10/01(土) 22:12:54
わしが書いた船中八策の通りに動いてくれたぜよ。

ニポーンの夜明けぜよ。
536日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:33:34
明治維新を引き継いだ次世代からおかしくなった。
537日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:58:02
そう思うのはお前の頭がおかしいからだ
538日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:48:52
>>534
>大政奉還は徳川家が日本の代表権を放棄して天皇家に代表権を返還するということだろう。

徳川家は朝廷より「大政」を委任されているから「幕府」を開設運営し、
政(まつりごと)を行っているのだという認識が徳川勢力側にあった。(松平定信など)
「大政」とはストレートに政権と受け取って問題ないと思われる。

>返還しなければ武力倒幕論が盛り上る情勢だったために一応、返還するが、
>その後は幕府は公武合体派として主導権を握るつもりだったのだろう。

上段には同意するが、下段についてはどうだろう?
一旦、大政奉還してしまった以上、再度、朝廷より大政委任を徳川家単体で
受ける事は不可能だろう。仮に再び大政委任されるとしたら、それは徳川家と
してではなく、慶喜個人に対して下されるかもしれないが、それはあくまで
一度、大政奉還(=徳川家専制政治体制の否定)をしたことにより公議新政体を
樹立することに同意する者として再委任されるということになる。 実際、
慶喜はその線を狙っていたと思われる。逆に慶喜が幕府再開を狙っていたの
なら、そのことは薩長や倒幕派公家に絶好の口実を与えることとなり、一気に
挙兵、戦争へと雪崩れ込んで行ったのではないか?
しかし実際には、慶喜の大政奉還後、倒幕派は挙兵どころか模様眺めとなり、
慶喜を評価する動きが高まってしまっている。慶応四年正月に中根雪江と会っ
た岩倉具視は、「自分はもともと討幕論者だったが、大政奉還した慶喜を見直
した。新体制に不可欠の人物なのではないか」という趣旨のことを語っている。
あの岩倉をしてそう言わしめたのは、岩倉らが慶喜を「公議制に同意し、徳川
専制体制を復活させようとは目論んでいない」と認知したからではないか?
つまり、慶喜は幕府という政体には既にこだわっておらず、幕府権力再興を考
えていたとは断定出来ない。主導権を握ろうと目論んでいたのだとしたら、
それはあくまで慶喜個人として主導権を握ろうとしていたのであり、幕府と
いう形で主導権を握ろうと考えていたわけではないだろう。
将軍徳川家茂の死を経て、孝明天皇の死により、幕府側の公武合体政策は
すでに綻んでいた。
539日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:49:45
>>534
>天皇や公家は始めから薩長の傀儡だったはずだ。

明治天皇は幼帝だったので論外だが、倒幕の実現に公家が果たした役割は大きい。
薩長だけでは明治維新に至るのは無理だっただろう。禁門の変や王政復古のクー
デターや、有栖川宮の東征大総督就任など、朝廷・公家の力なくして倒幕・討幕は
成らなかった。岩倉具視、三条実美らも決して、担がれていたというタイプではない。
維新期以降も旧公家から西園寺公望や近衛文麿など、発言力のある政治家が出ている。

中央集権化については、中央集権化自体は徳川幕府体制下でも出来ただろう。
仮に孝明天皇が長命だったならば、有りえたかもしれない。
どちらにしろ、天皇が自陣営側にいなければやりたい事があっても出来ない。
天皇がいて、初めてその陣営に権威が生まれ、民衆が従うようになるのである。
そういう意味では、天皇の威力こそが薩長に何かを成す機会を与えたとみるべきだ。
それは単なる傀儡とは言えないだろう。少なくとも、朝廷はある時点で徳川を捨て
薩長を主体的に選んだのである。

>ということで大政奉還の時点では、幕府と薩長の主導権争いが続いていて、
>どちらが天皇の錦の御旗を取るか、まだ分からなかった情勢だったと思う。

大政奉還直前はそうであったと思う。ただ、この時期、一番暗躍していたのは
後藤象二郎らではなかったか?幕府と薩長、両者が後藤に言い含められていた時期
であって、その後、後藤の構想を受け、慶喜によって大政奉還がなされた。
大政奉還後の主導権は公家に移ったとみる。この時点では、公家イニシアチブの
もと、山内容堂や松平春嶽たちと西郷・大久保派が対立していた。
つまり、主導権争いと言うか、対立は公議政体論の有力大名一派と、薩摩藩の
指導部の間で起こっていたのであり、慶喜は様子見を装っていた。
しかし一方で、対薩長強硬派の会津藩が幕権回復を求めていたのは動かしようが
ない事実であり、その軍事力を背景に思い切った行動に出る可能性がないとは
言い切れない状態であったと思う。
そういう意味では、この時点でどの勢力が官軍になるか決定していなかったという
認識は間違ってはいないだろう。
540日本@名無史さん:2005/10/02(日) 00:04:40
長州は過激派公家を買収し明治維新を成し遂げた。目的を果たした長州は明治維新後、公家を廃止しコキ捨てた。
541日本@名無史さん:2005/10/02(日) 09:17:47
今の皇室危機、靖国問題、第二次大戦…全ては明治維新から始まったような……
542日本@名無史さん:2005/10/02(日) 10:04:12
そりゃそうだろう。戦国時代だって室町時代の産物であって前政権の鎌倉幕府の産物にはならんわな。
543日本@名無史さん:2005/10/02(日) 10:04:58
幕府は朝廷には現実に政治を行う力はないから
大政を奉還すれば必ず幕府に泣き付いてくるという
甘い認識でした。
544日本@名無史さん:2005/10/02(日) 10:07:18
>>541
違います。皇室危機は昭和から
靖国問題は戦後からです
545日本@名無史さん:2005/10/02(日) 10:11:04
>>544
すべて原因は明治維新
546日本@名無史さん:2005/10/02(日) 10:45:07
靖国は明治天皇が創立した?皇室危機は旧皇室典範の影響?男子のみと決めたから?
全て明治政府が生み出した?
547日本@名無史さん:2005/10/02(日) 10:50:10
靖国神社 1869(明治2)年、戊辰(ぼしん)戦争の戦死者慰霊のため、「東京招魂社」として創建、1879年に靖国神社と改称された。
第二次世界大戦の戦没者ら約246万6500柱を祭神とし、戦後はGHQ(連合国軍総司令部)の指令で宗教法人になった。1959年から、B、C級戦犯の合祀(ごうし)が始まり、78年には、東条英機元首相らA級戦犯14人が合祀された。所在地は東京都千代田区。
548日本@名無史さん:2005/10/02(日) 16:14:38
とんでもないあほがいるんでどうにか言ってやって下さい。

もう少し中国寄りがいい
http://blogs.yahoo.co.jp/tlabyo/11917186.html#12299099
549日本@名無史さん:2005/10/02(日) 16:59:21
長州閥は日本を崩壊させようとしてるのか?今の日本って長州閥のツケだらけのような気がする。
550日本@名無史さん:2005/10/02(日) 17:35:53


         

            全ては明治維新を疑え



551日本@名無史さん:2005/10/02(日) 17:37:34
そもそも戊辰戦争からのツケです
552日本@名無史さん:2005/10/02(日) 18:14:01
このスレも会津厨のアラシが続いているなぁ
553日本@名無史さん:2005/10/02(日) 18:18:34
東北は恭順示したのに戊辰引き起こしたの誰?
554日本@名無史さん:2005/10/02(日) 20:34:12
>>548
「大した量の期待できない海底資源の独占を夢見るより、あらゆる地球資源の
共同管理、公平な分配を主張する位の構想力を何故持てないのだろうか?」

・・・これは中共に対して言うべきことで、日本人が日本に対して言っていると
するとニュースを読んでいないのだろう。

 春暁ガス田の埋蔵量が大した量でないなら中共が開発に乗り出す訳がない。

555日本@名無史さん:2005/10/03(月) 14:35:34
間違った西洋文化の流入を先導したのは、憂国の士とされ、
司馬遼太郎によって、極大に美化された明治維新の志士たちだ。
また志士でも無ければ、維新などという馬鹿げた美化されたイメージから解き放たれ、
幕末のクーデター政権を冷静に分析し、問題点が多かったことを理解することから、
はじめないと日本は再び過ちを繰り返すことになるだろう。
ttp://www.geocities.jp/ku_da_ra/nitijou.htm
556日本@名無史さん:2005/10/03(月) 15:00:19

もう少しまともな日本語を書こうな。
557日本@名無史さん:2005/10/03(月) 16:48:53
日本は明治維新の混乱をいまだに引きずったままのように思える。
558日本@名無史さん:2005/10/03(月) 16:53:38
明治新政府の行いは明らかに失敗。
559日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:32:15
>>555
間違った共産主義文化の流入を先導したのは、憂国の士とされ、
左翼思想家によって、極大に美化された共産革命の志士たちだ。
また志士でも無ければ、革命などという馬鹿げた美化されたイメージから解き放たれ、
共産党のクーデター政権を冷静に分析し、問題点が多かったことを理解することから、
はじめないと中共、北鮮は再び過ちを繰り返すことになるだろう。
560日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:35:37
>>557
中共、北鮮は共産革命の混乱をいまだに引きずったままのように思える。

561日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:44:31
>>558
中共、北鮮の共産主義新政府の行いは明らかに失敗。

562日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:46:39
明治政府はファシズムだから共産主義とは違うよ
国民をいじめてた事ぐらいしか共通してないんじゃないか
明治政府は台湾、朝鮮、清、と征服したときもっと思想教育すべきだったね
563日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:51:15
>>557
アメリカは奴隷制の混乱をいまだに引きずったままのように思える。
564日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:57:23
>>562 日本がファシズムと形容される時代になったのは昭和に入ってから
であり、明治時代ではない。

 明治初期の藩閥政府は自由民権運動により議会主義に変化して行き、大正
時代には政党政治が行なわれていた(大正デモクラシー)。
565日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:59:24
共産主義もファシズムも一般の日本人は嫌いだからドーデモいい
民主主義者からみたら目糞鼻糞
共産主義国も明治政府も目糞鼻糞
566日本@名無史さん:2005/10/03(月) 23:04:40
>>563
南北戦争でつか?
たしかに奴隷解放はまだ早かったのかもね。
567日本@名無史さん:2005/10/03(月) 23:48:12
ハッキリ言って明治維新は失敗。無能な明治政府。閥争いで陰謀まみれ。明治天皇もこき使われた。
568日本@名無史さん:2005/10/04(火) 00:43:46
なんかここまでくると、
会津新撰組ファンの匂いがプンプンするんだよな〜
新撰組のドラマや小説から幕末以降の歴史に興味をもった連中は
異常に薩長を敵視する傾向があるのに最近気付いた。。
赤穂浪士、新撰組、坂本竜馬
この三大キーワードは、後世に誤解を生むほど脚色され過ぎたな〜
569日本@名無史さん:2005/10/04(火) 00:58:22
会津新選組ファンってどうせ斉藤×土方派の同人女だろw
570日本@名無史さん:2005/10/04(火) 02:00:00
>>568
えっ?新撰組ファンには山田顕義ファンとか多いんじゃ?
それに、新撰組ファンはあんまりイデオロギー的なものに
興味ない気がする
571日本@名無史さん:2005/10/04(火) 08:16:01
会津・薩摩・山口県・ドンゴリ系厨スレにもほとんど新選ヲタは見当たらない。
新選ヲタは沖田総司の尿や木戸孝允のウンコには興奮しても他には執着しないみたいだw
572日本@名無史さん:2005/10/04(火) 08:58:55
>>1
大正維新が起こってた
573日本@名無史さん:2005/10/04(火) 09:09:38
昭和ファシズムは明治にその端を発し、長い時間をかけて醸成されたということは疑いない。
天皇に逆らうものは全て悪、従うものは善という思想は全体主義の種子である。
現代日本の復活のためには徹底した明治批判、薩長批判をしなければならない。
日本再興のために薩長批判の国民運動を興そう!

574日本@名無史さん:2005/10/04(火) 09:10:59
>>1
自衛隊員は皆、陣羽織。
警察官は十手が標準装備。
かつらメーカーのトップは本社が太秦。
575日本@名無史さん:2005/10/04(火) 09:43:43
明治維新で日本をどうしょうと?
576日本@名無史さん:2005/10/04(火) 19:49:52
俺は会津も薩長も好きでもなければ嫌いでもない。だが明治政府は嫌いだ。
一人の人間を神のごとくあがめ、国民に自由はなく、ひたすら軍国に進む。
教育もマインドコントロールを国が行ない、国家神道の名のもと宗教国家を造った
現代人の我々が戦前の映像をみて気味が悪いと思う気持ち。
北朝鮮を嫌悪する人なら分かるんじゃないか
577日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:24:34
>>576
    f`::'ー 、,-、-、_ _,....-- 、_  _,....-=―ヽ―-、-、_        、ミ川川川彡
   ,.r'‐'゙´ヽ,r'  ヽ \ー、_:::::::::/,´:::::::::::,:::::::,::::::::ヽ::\`ー、     ミ       彡
 ,〃ィ  ,rヽ'-ヽ i 、 、 ヾ,、 `'y',ィ´/::::::::/|::::::ハ_::::::::ト、::::\ \  三  マ  そ  三
r'/〃//    | i! |, \、_`ー!rf.,イ-,ィ/u ノ::::/ |::::`::::|iヽ::::::ヽ  ヽ. 三   ジ れ  三
iヾ!l i /,.=ヽ  i,ケ ハ,i', Y't=ラ゙,〉'|::::r'|! 彡´ ,!--、 |i!|::|::i::::::',   ', 三     は  三
  {ヾllッ-,   〃ノ'-'、||ii i|i| |-/! /^ヽ    ´   ヾ|从ノ::i::::|   ||三  で     三
  >|゙! 。ヽ ノ' ´ 。 レノWノi |,.、!/ ●     ●  ',' レ|,イ::::i,,_ | !三  言  ひ  三
  ',i ヽ- ,      _, "  |i| | |             ´ '´ハ',Y  .!三  っ  ょ 三
  /l   `        !| | i `´ r     'ー‐' u   (-, ' |   !三  て  っ  三
  /久        U  |! i|'´'、u              z_,ノ/ .i |三  る  と  三
 /イ |ヽ '==..‐_、      |!,'|Y´,ヽ  ___        ハ_ ,/i | |三  の  し 三
 |ト|、',::::\     _,.-‐イ//-'´::::!\'ー‐--ニュ     / ト_、 _| _!,=,|三  か て 三
  〉:ヾ_'、::::`ー‐r<   //イ|::::::_、:::`7i\ __,..-‐'´  .| |`゙"::"::|-"三  !?    三
 'ー‐'´¨`'ー、/,rケ  /,'1ノ人'-‐'`y'/::::, i| ,!,      |`iiイ:::::::::|  彡     三
    ,〃7,‐/ {   ´_,-'´ ,,‐!、=,/.〃::::i i|kハ    / ,ヾ、::::::|.|!  彡川川川ミ
   ,ッ'、_〃'f /゙-<´  r〃 〃 /イ::::,!ッ'/  ',  / /   |ト、:|:リ
  rir' 〃,y'、久_,.rヽ/〃  川/iケir'〃/ ,-'水´  /    〃  \
  f::}'ー'〃_i| /::::f|::::',  .〃 r/if |||ir' f| レ' r'o | .〃-、 〃     "i
  ,);'ーッ゙-. レ:::::/_|::::::',_,〃=_、!!|| !i/ ||:,ri   !o ∨/_)_〃        |
578日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:27:33
国家総動員法が施行された映像見たけど胸が痛む。これが軍国日本かと。
579日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:31:04
会津白虎隊が死ぬドラマ映像見たけど胸が痛む。会津藩はなぜ少年を戦場に行かせたのかと。
580日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:44:47
>579
年少者が戦場に出るのはさほど珍しい事ではない
(というか17才なら立派な大人)
むしろ城が焼けたくらいで全員切腹するような
歪んだエリート教育が生んだ惨劇
581日本@名無史さん:2005/10/04(火) 22:03:58
籠城戦が始まれば、敵の弾よけになりそうな城下の建造物は焼き払うのが古来からの常道。
それすら教えなかった会津武士エリート教育とはなんだったのだろうか?。
582日本@名無史さん:2005/10/04(火) 22:20:24
会津は恭順示してるのに会津を潰したい薩摩&長州&土佐のカスのせいで悲劇が起きた。 江戸城無血開城したのに会津なんか攻めなきゃよかった
583日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:00:37
恭順と言えば聞こえはイイが、実際は武備恭順。
長州も武備恭順した事があったが、この時は会津が恭順を認めず、
幕府と共に四境戦争を起こした(会津は体よく逃げて戦場に行かなかった)。
長州の武備恭順を蹴った会津が戊辰で武備恭順と叫んでも、薩長が受け入れる訳がない。
584日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:22:52
一番のカスは世良。奥羽皆敵?
585日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:26:36
会津なんて問題にするような存在じゃないだろ。
会津厨はこんなところまでのこのこ出てくるなよ、巣に帰れって。
586日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:28:41
会津がカスならいちいち取り上げるなタコ
587日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:32:03
せっかく良スレだったのに、厨が乱入してきてこのスレも終わったな
588日本@名無史さん:2005/10/05(水) 00:10:58
長州よりお知らせがあります〜 www.surprise-video.com





589日本@名無史さん:2005/10/05(水) 17:36:39
>>573 薩長批判なら既に明治初期に自由民権運動が起きて藩閥政治を批判していた。

 いまさら何の寝言を言っている?
590日本@名無史さん:2005/10/05(水) 17:41:00
会津も明治政府も国民を戦争にまきこむな
国のことなんか本当はどーでもいいのはみんな分かってる
明治維新の後、国民を苦しめて自分らは華族かよ
信条の自由を奪い、個人を抹殺するのが維新の志士の理想かよ
国民のために行動するのが国民の英雄なんだよ
591日本@名無史さん:2005/10/05(水) 17:45:46
国民を戦争にかりだすために明治政府はがんばりました。
維新の英雄達は前線で血まみれになるのは国民にまかせました。
592日本@名無史さん:2005/10/05(水) 17:57:52
明治維新ヤッタゼ〜と思ったら、北朝鮮みたいな国になってしっまた。
外国に占領されてチクショウ〜となったら民主主義になった。
593日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:01:55
>>590
極東の日本を欧米列強と同等の先進国とすることは国民のためですが。
あと信条の制限って天皇を崇め奉ることの責務を言っているのか?
その行為以外は仏教・神道・キリスト教・・・どんな宗教でも信仰して良かったんだがな。
>>591
ビスマルク・チャーチル・スターリン・ルーズベルト
世界の英雄達も皆前線で国民を血塗れにしながら国政を運営しましたが何か?
594日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:06:40
国民を血まみれにしていいわけがない
他国がやってるから構わんじゃないかって犯罪者の思想だよ
 

君は放置自転車を増やすタイプだね^^
595日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:11:09
先生〜 廃仏毀釈についておしえてください
596日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:12:07
国民には生活の安寧とともに時には義務を強いる。それは血塗れにすることを強いることも例外ではない。
それが国政よ
>>594
それが嫌なら人目につかない山中に篭って自給自足の生活をしていないさい。
597日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:34:38
国のために死ぬぐらいなら山に篭ってるよ
598日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:36:14
死ぬことを国民に義務としてあたえる国があなたの理想の国?
599日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:39:05
国民に生活の苦しさとともにときには死ぬ義務を強いる。
それが明治政府よ
600日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:40:32
そういえば先の大戦で特攻玉砕を美化して実施せしめたのは、
白虎隊狂いの東北軍閥だったな。
601日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:46:14
明治維新が完璧だなんてだれも思っちゃいないでしょ
人間がやることなんだから不完全で当然じゃん
欠点を指摘されて 「イヤ、間違ってない」ってムキーッになるの?
批判は一切許さない人ってちっちゃくみえるよ
どっかの国の指導者様じゃないんだから
602日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:49:56
特攻を美化するのって自爆テロを「信じるものの為命を投げ出す英雄」
ってのと同じ
603日本@名無史さん:2005/10/05(水) 20:13:58
権利があれば義務があるのは当然だよな。
まぁ国民皆兵が当たり前だった当時の国際状況を福祉重視の今の価値観で善悪の判断をするのは無意味だな。
604日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:44:52
昭和ファシズムは明治にその端を発し、長い時間をかけて醸成されたということは疑いない。
天皇に逆らうものは全て悪、従うものは善という思想は全体主義の種子である。
現代日本の復活のためには徹底した明治批判、薩長批判をしなければならない。
日本再興のために薩長批判の国民運動を興そう!
605日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:49:14
孝明天皇を毒殺した薩長&岩倉は16歳の幼い明治天皇を擁立させ徳川幕府を潰した。
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。
近代の天皇の悲劇はここから始まった。明治天皇は価値の無い下級武士にこき使われた。


606日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:50:36

明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
607日本@名無史さん:2005/10/05(水) 22:56:53
>>593
>極東の日本を欧米列強と同等の先進国とすることは国民のためですが。

当時は民主主義国家とは言えない状態なので、国民の意思を問うことが
出来ないのに、「国民のため」と言うのは先走り過ぎではないか?
当時、本当に欧米列強と同等の先進国に成りたいと本気で願っていた
国民が果たしてどれ位いただろうか?

いや、別に当時の国家運営を政治家・官僚達を責めているわけではない。
しかし、政治家や官僚が抱く理想は必ずしも国民が抱くそれとは一致
しているとは限らないだろう。親が「子供のため」と言っても、子供は
それを望んではいない事があるのと同じだ。
「欧米列強と同等」を望んだ云々より、ストレートに「不平等条約改正
のため」とした方が、政治家の責務遂行への熱意が伝わってくると思うが。
608日本@名無史さん:2005/10/05(水) 23:27:42
明治維新は薩摩と長州の派閥争い。明治天皇を大元帥にまつりあげ軍国の道を歩みはじめた。
609日本@名無史さん:2005/10/05(水) 23:33:50
攘夷、攘夷とさけんでいたが 政権取ったら うえるかむ
幕府は留学生を出したり造船技術や西洋の文明を取り入れていたのを
どこかの藩が外国船に砲撃くわえたり侵略の口実になりかねない外国人襲撃までやった
国をあげて外国の侵略から日本を守ろうとしてたのに
その混乱のさなかにテロ→クーデター
それも国のためではなく私利私欲のため
国民ほったらかしで自分は華族
国のために死ぬ義務を国民にあたえ自分らは搾取でお金持ち
610日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:58:16
おまえらは薩摩がいつごろから攘夷から倒幕へと
方向性を変えたかを知るべきだな
島津久光は佐幕派だったわけだ。西郷も一時は島流しにまでなっている
そんな西郷が何故薩摩の実検を握るに至ったのはどうして?
611日本@名無史さん:2005/10/06(木) 06:31:50
>609
所詮は政府の事情をよく知らない無知無能な市井の愚民の声だな。
612日本@名無史さん:2005/10/06(木) 13:23:20
>>532
 結局は明治政府になるのなら、何の為に戊辰戦争を起こしたのか
分からないのですが。
 戊辰戦争が起こらなければ、無駄な血を流す必要も無かったし、
有能な人材が明治政府に入ったかもしれないのに。
613日本@名無史さん:2005/10/06(木) 14:25:25
明治天皇は価値のない下級武士にこき使われた。日露戦争の心労で死期を早めたと言われてる。
薩長閥は真実は全て闇に葬り去った。
614日本@名無史さん:2005/10/06(木) 16:11:05
>>611
当時の政府の事情を説明してください
615日本@名無史さん:2005/10/06(木) 16:15:27
口ばかりで説明できないです。
616日本@名無史さん:2005/10/06(木) 18:07:56
天皇も明治政府の御輿にされたため軍国主義の象徴にされてしまった。
外国からも天皇は敵の親玉、侵略の象徴として憎まれる存在にされた。
ヤリタイ放題の明治政府は批判の対象が自分達にならぬよう天皇を盾にした。
617日本@名無史さん:2005/10/06(木) 18:31:42
尊王  天皇を拉致 殺害計画 暗殺
攘夷  政権取ったら うえるかむ
618日本@名無史さん:2005/10/06(木) 18:53:24
陰謀は全て闇に葬り去り正当化した薩長閥。
戦争が好きな薩長閥。
619日本@名無史さん:2005/10/06(木) 18:57:28
自由の無い軍事国家は批判の的になるのはしょうがない
北朝鮮の政治体制に憧れ、擁護なんてしないだろう
明治政府が叩かれるのも同じこと
もう2度とあんな政治体制にして欲しくないから
それでも褒め称えるヤツは構わない 誰がどんな考えを持とうとこの国は自由だから
620日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:06:12
>>619
しかし泥沼の大戦に陥っていったのは国民の民主的意向なんだがな。
621日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:18:38
教育がどうこうは置いといて
国民の民主的意向なら戦争はOKですか?
将軍様には聞かれたくない理屈ですね〜
622日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:22:12
>国民の民主的意向なら戦争はOKですか?

それが民主主義。
623日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:40:54
天子を暗殺して幼帝を擁立して錦旗偽造して戊辰戦争で徹底的に賊軍を潰し明治維新を成し遂げた。
624日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:43:05
栃木の那須塩原に山縣有朋の別荘がある。館内には侵略&陰謀で手に入れた勲章等が展示されている。
625日本@名無史さん:2005/10/06(木) 20:22:29
 明治維新を軍国主義を勃興する結果になっただけと批判しているようだが、それ
以前の幕藩体制も幕府や藩そのものが武士階級の支配する軍国主義だっただろう。

 いや、当時は欧米列強もその他の弱小国といえども国家である限りは軍国主義だ
っただろう。例外は李氏朝鮮くらいではないか?

 軍国主義を確立できない弱小国は植民地として他国の奴隷になるしかなかった
のだ。

 奴隷になるか、独立を死守して戦死するか、どちらが幸福だったかという選択に
なる。日本人は独立を選択し、朝鮮人は奴隷を選択したということだ。




626日本@名無史さん:2005/10/06(木) 20:47:47
明治政府の創立した帝国陸海軍が昭和に入って暴発した。平和な軍隊だったらどうなってたか………
627日本@名無史さん:2005/10/06(木) 21:07:41
36 :日本@名無史さん :2005/10/01(土) 23:25:43
日本を滅ぼしたのは東北人。

長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。

WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。

戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。

東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。

東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
628日本@名無史さん:2005/10/06(木) 21:09:20
平和な軍隊がこの世に存在するのか?
629日本@名無史さん:2005/10/06(木) 21:10:29
平和なら軍隊いらね
630日本@名無史さん:2005/10/06(木) 21:11:15
とりあえず、バチカン衛兵やトンガ国軍
631日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:14:58
>>612
>何の為に戊辰戦争を起こしたのか分からないのですが。

君はちゃんと過去レスを読んでいるか?
俺は>>502で「武威が再び興隆する悪夢にさいなまれていた岩倉ら」と
書いたが、戊辰戦争を考える上で重要なのは倒幕派公家の存在である。
戊辰戦争が薩長だけの思惑で起こったものだと考えてはいけない。
この内戦は倒幕派公家達の参加があって、初めて薩長側に正当性がもたら
されたと見るべき。
本質的に、薩摩藩指導部と倒幕派公家達はそれぞれ見ている夢そのものは
違っていた。薩摩サイド(含む長州)は徳川至上主義体制の壊滅を狙って
おり、公家達は権力が武家から朝廷に戻ることを望んでいた。
つまり、両者は同床異夢であったが、「徳川至上主義=武家政治」という
共通解釈を持つことにより、これを滅ぼすことこそ両者の願望を実現する
ことになるという認識を共有するようになったのだ。
重要なのは、今まで徳川至上主義あるいは徳川中心主義によって辛酸を
なめてきた両者は、徳川勢を徹底的に叩かなければ、再び復活するのでは
ないか?という悪夢まで見ていたことである。この悪夢が戊辰戦争という
形に繋がったたわけである。
会津藩は>>539で書いた通り、徳川勢の中で最も徳川至上主義にこだわった
藩であり、それが結果的に薩長から「最大の打倒目標」とされてしまった
のである。
なお、薩長勢にも、単に国政に参加したいから打倒徳川という考えを持って
いたタイプと、日本は天皇によって統治されるべきという天皇至上主義の
実現のために打倒徳川であったタイプと、開国・不平等条約締結をした徳川
は許せん!というタイプの3種がいた。(重複している場合もあり)

他に、自分が書いたレスではないが、>>481>>534のような意見もある。
632日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:32:04
明治維新がなかったら、日本列島は複数国家が立つ地方になっていたかもな。
ベルギーだとかシンガポールのようなタイプの小国家も含め、
近代化した藩が国民国家を形成し、あるいは自治都市が国家となり、
琉球からアイヌモシリまで30以上の国家が併存したかもしれん。
京は天皇家の自治国家か。

もしかするとイギリスあたりに植民地化されたかもしれんが、
現在ではそれぞれ独立しているだろう。
言語は薩摩語、京語、琉球語、アイヌ語などで「日本語」という概念もなくなっていたりして。
633日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:48:36
孝明天皇を毒殺した薩長&岩倉は16歳の幼い明治天皇を擁立させ徳川幕府を潰した。
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。
近代の天皇の悲劇はここから始まった。明治天皇は価値の無い下級武士にこき使われた。


634日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:51:20
過激派公家は長州が買収した。錦旗偽造で明治天皇を擁立して戊辰戦争で徹底的に賊軍を潰し明治維新を成し遂げた。
635日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:52:58
禁門の変で長州は天子の住まいである御所を発砲した。
言語道断。
636日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:55:14
明治政府は薩摩と長州の派閥争い。
私欲&侵略&野望の明治政府。陰謀は全て闇に葬り去り正当化した。
637日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:56:52
天皇を大元帥にまつりあげた軍国も80年で崩壊。
638日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:58:59
何度も同じことをカキコしなくても、
会津人が薩長を恨んでるのはもう分かったから。
どうしてもカキコしたいなら、会津スレに帰ってやってくれ。
639日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:59:17
無能な明治政府のおかげで天皇家は危機を迎えてる。旧皇室典範定めたの誰?
皇位継承を男子のみと定めた為に今、天皇家は危機を迎えてる。
640日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:22:10
結論をいえば、関西国と関東国に琉球やアイヌモシリを加え、複数の近代国家が併存した、
というのが考えられる歴史かな。
641日本@名無史さん:2005/10/07(金) 14:23:18
>>640 日本は奈良時代から一体だったので複数国家はあり得ないだろう。
連邦制国家になっていたという想定なら可能かも知れないが、そもそも幕藩体制が
連邦国家で、明治維新は日本連邦を中央集権国家に再編成することを目的にした
革命だったのだ。
642日本@名無史さん:2005/10/07(金) 14:51:39
薩摩と長州が派閥争いしたのは事実?
643日本@名無史さん:2005/10/07(金) 16:54:34
明治政府の政策がひどすぎたのはその後無数の一般市民を死においやり、
日本中を火の海とした歴史が証明している。
なおかつ、無条件降伏により列強に結局は占領された。
フランスやアメリカなどの国々は革命や独立戦争の内乱で
共和制などの新しい国をつくった。
しかし日本では内乱の後、その当事者だけが受益する体制であり、
国民は江戸期よりも自由をうばわれた。
644日本@名無史さん:2005/10/07(金) 16:55:54
↑???
645日本@名無史さん:2005/10/07(金) 16:56:46
んだんだ
646日本@名無史さん:2005/10/07(金) 17:01:03
下級武士は己の価値を高めようと華族制度を作り自ら高い地位についた。 だが約80年で崩壊。
647日本@名無史さん:2005/10/07(金) 17:50:13
>>643
フランス革命の後本当にフランスは安定した国を作れたか?
同胞同士の血で血を洗う内部紛争が起きるわ、ナポレオンが独裁制を敷くわ
多くの貧困問題も解決できないままに安定した民主制までに数十年間激しく紆余曲折を経てるぞ。

アメリカを見てみれ。奴隷制の解放により黒人達が白人の治安を脅かす存在にもなっている。
648日本@名無史さん:2005/10/07(金) 19:49:21
明治維新は市民革命じゃない。
フランス革命を例に持ってくるのはおかしいだろ。
649日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:04:07
日本人は自己保身欲の塊だよ。
リスクを顧みず抵抗してまで社会を変えるよりは現状に甘んじたい。
法的に戦えば勝てるのにサービス残業すら無くす事ができないんだから市民革命なんて無理無理。
650日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:06:34
明治政府は欧州かぶれ? 金モールにサーベル……
651日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:11:36
だが、いまの政治家や官僚よりカッコいい。
敗戦で大礼服がなくなったのは、つくづく惜しいと思う。

いまでもフランスの外交官やアカデミー会員には明治風の大礼服がある。
652日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:14:17
建築家の丹下健三やオリエント史の三笠宮崇仁も仏アカデミー会員で、
金モールの大礼服を着てた。やっぱりカッコよかった。
653日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:21:07
有栖川宮威仁親王は決まってたようで…
654日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:25:17
明治の元勲はそこそこ様になってる。
だが、昭和戦前の政党内閣や挙国内閣の閣僚たちの集合写真を見ると、
お世辞にも似合ってるとはいえない。
そこいらのオヤジが金モール着てるって感じで・・・

さすがに近衛首相はバッチリ似合ってるが。
655日本@名無史さん:2005/10/07(金) 22:27:28
急死した民間研究者のメモを一部紹介します。彼は思想的には右翼の
ようです、ご心配なく。
*孝明天皇毒殺説が定説。南條範夫母方の祖父・土肥十一郎(号 春耕で閑院宮家の侍医)の実見談では、
「慶応2年十二月五日夜半、御所で白羽二重の寝衣を敷き布団の上に横たえられた貴人の死体を検死。
脇腹を鋭く尖った刃物で深く刺されていた。恐らく凶器は槍・・。斜め下から上に向かって突き上げられた
格好。その四○歳位の貴人を「お上」と断言。従って槍による刺殺説。
*陸仁暗殺の伝承 大室寅之祐(南朝末裔で長州力士隊と入れ替え長州藩の忍者部隊)、指示者は伊藤(三
ケ月不明の時期あり)。木戸も忍者。岩倉、三条、中山忠能、西郷、大久保も同意。
*暗殺の時期 大室寅之祐上京は、慶応三年六月二七日松平閑そう(鍋島斉正)京に入る。明治四年の条に
「四月大阪行在所にあり、同十七日天皇東本願寺に幸す。木戸(桂小五郎)天顔に」。
 『防長回天史』。鍋島(情報係は江藤新平だけでなく宮中にもホットライン)により教導され仕上がる。
翌七月に暗殺とすり替えが推察さる。
*大室につて 柳井市郊外麻郷が生家。柳井市の大室近祐氏(平成八年田布施町麻郷で永眠)は次のように
語った。「祖父は明治天皇によく似ていた。わしの家は南朝の末裔で、明治維新の時、七郷がしばらく滞在
していた。祖父の兄寅之祐は、後京都に行って明治天皇になった」。
 私自身はあまり関心がありませんが、議論の材料として紹介します。『野史研究 5号』より抜粋引用。
656日本@名無史さん:2005/10/07(金) 22:30:14
ようするに明治天皇はすり替えられたと間違いないと?
657日本@名無史さん:2005/10/07(金) 22:59:19
>>1
現代にもまだ、さかやき、ちょんまげの習慣があったかも。
658日本@名無史さん:2005/10/08(土) 00:19:27
なんで共和制にしなかったんだろ
近代的思想の持ち主だったんじゃないのかい
659日本@名無史さん:2005/10/08(土) 00:22:09
>>658に問題
明治維新の時期に、先進国と呼ばれる国々の内共和制の国名をあげよ。
660日本@名無史さん:2005/10/08(土) 00:28:17
>>658
そもそも明治維新は近代化のために行われたものではない。
661日本@名無史さん:2005/10/08(土) 00:35:12
そうそう 下賎な薩長の連中が己の卑しい欲望を満たすために行われたのだ。
662日本@名無史さん:2005/10/08(土) 00:47:31
↑会津バカw
663日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:13:46
>>660 明治初期の文明開化というのは近代化のことだろう。

 ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする。
664日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:17:53
>>643 フランス革命のギロチンによる恐怖政治は明治維新より素晴らしい市民革命
なのか?
665日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:28:28
フランス革命のスローガンは「自由・平等・博愛」
明治維新のスローガンは「王政復古」

明治維新は時代錯誤で反動的な反革命なんだよ。
666日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:36:19
>>663
文明開化は文字通り「文明」+「開化」。
「文明」が意味するのは西洋文明の導入。
「開化」が近代化。
だが明治維新は文明開化のために行われたものではない。
667日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:40:36
>>660 近代化=欧化、欧米化で欧米文明、文化を採用する方針だったことは
間違い無い(鹿鳴館時代)。

 薩長が幕府に代って権力者になりたいというような矮小な動機ではなく
幕府崩壊後の混乱期に薩長が新政権を固めるために藩閥政治を取ったのは
当然のことだ。その後、自由民権運動の展開で藩閥政治は終わった。

668日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:42:51
>>667
幕末〜維新期と、鹿鳴館時代を混同している人間に力説されても・・・。
669日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:46:25
>>665 明治維新が時代錯誤の反革命?

 それなら時代を先取りした革命勢力というものが倒幕派以外に居たのか?
 居たとするとそれは自由民権運動指導者だろう。
670日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:47:51
というか、「薩長が幕府に代って権力者になりたい」ということが
「矮小」と一蹴している時点で説得力がないな。
当時、盛んに使われた「回天」という言葉の意味を御存知ないか?
権力を行使する側に回らなければ成し得ないことがあると判断した
からこそ、権力を欲したという風には思わないのか?
671日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:51:55
>>668 明治維新を倒幕運動だけに限定する理由は何か?

 維新後の新政府が何をしたのかが明治維新の意味を決めるのだろう。

 明治政府がどういう時代錯誤の反動的な政策を採用したのかご教示乞う。
672日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:53:43
>>669
>それなら時代を先取りした革命勢力というものが倒幕派以外に居たのか?
幕府だよ。
当時近代国家の青写真を描き、
日本の近代化に向けての改革に着手してたのは、
ほかならぬ徳川幕府。

討幕派は近代化の邪魔者でしかなかった。
明治維新は青写真なき改革…
薩長は権力欲だけは人一倍だけど、
日本の将来を展望できる人材は一人もいなかった。
673日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:55:14
暴力で時の正統政府を破壊して権力を奪おうなんてオウム真理教といっしょなんだよ。
674日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:58:08
>>671
では、こう言い直そう。
倒幕は近代化のために行われたものではない、と。
さらに言えば、近代化は明治維新から始まったわけでもないと。

「時代錯誤で反動的」うんぬんは>>665に聞いてくれ。
675日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:02:06
>>672 幕府による近代化政策がどういうものか知らないが、それこそ上から
の改革で革命の名に値しないものだっただろう。

 薩長の藩閥政治と同様に自由民権運動が起こって早晩、崩壊する程度の
近代化?弥縫政策だっただろうと思う。
676日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:03:28
明治維新の本質は律令制への復古。
要するにおそろしくカルトな新興宗教で、
革命でもないし近代化とも無関係。

明治政府が最初にやろうとしたことは、
神祇官による政祭一致体制の構築で、大教宣布の詔に基づき、
宣教使による国民洗脳運動を大々的に展開した。
なんだかよく分からないけど、キモチ悪いね。

明治政府は廃仏毀釈などで伝統的な日本文化を徹底的に破壊するんだけど、
これはポルポトやタリバーンなどの基地害集団の凶行と同じ。
明治政府の伝統破壊を「文化革命」と賛美してるヤツは北朝鮮に帰れと言いたい。
677日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:05:50
自由民権運動はアンチ薩長的な地域で盛り上がったからなあ・・・。
678日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:08:23
>>676
神社合祀令による地方の地域神道を徹底的に破壊したことも付け加えるべし。
廃仏毀釈と神社合祀令を合わせて日本版文化大革命と解釈した方がいい。
679日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:10:11
>>673 それならフランス革命もアメリカ独立戦争もロシア革命も中国革命も
オーム真理教と同じということになるな。

 革命が内戦を伴うのはよくある当り前のことだ。旧政権が権力にしがみ
ついている場合には武力革命になるのはしようがないだろう。

680日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:13:14
>>672
>日本の近代化に向けての改革に着手してたのは、
長州一藩も潰せずにろくに改革の施行すら出せないへタレが改革に着手していたって?
>討幕派は近代化の邪魔者でしかなかった。
邪魔者を除けない政府はその程度に脆弱ってこったな。
681日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:14:46
>旧政権が権力にしがみついている場合には武力革命になるのはしようがないだろう。

この認識はおかしい。
何故なら、徳川慶喜は大政奉還を行い、征夷大将軍も辞しているから。

682日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:15:32
>>679
>それならフランス革命もアメリカ独立戦争もロシア革命も中国革命も
>オーム真理教と同じということになるな。

もちろんその通りだが何か?
683日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:16:28
ピューリタン・フランス・ロシア革命以上に良心的な革命だな。明治維新は
684日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:17:03
翌・明治元(慶応4 1868)年正月、戊辰戦争始まり、維新政府軍(俗に言う「官軍」)と旧幕府軍は全面戦争に突入
4月、「会津藩征討」を要求する維新政府を承認しない東北諸藩が「奥羽同盟」を結成、中央政府から独立。
翌5月、北越6藩をも加え、北陸以北の諸藩による「奥羽越列藩同盟」を樹立。
奥羽越列藩同盟(以下、単に「同盟」と略)、この北陸以北の諸藩による軍事同盟は、
孝明天皇の御舎弟・輪王寺宮法親王(りんおうじのみや-ほっしんのう)を「東武皇帝」として擁立、
「公儀所」(政府)を白石に、「軍事局」(大本営)を福島に設置し、列強諸外国に対し独立宣言。
(これは、「明治天皇」を擁す薩長の維新政府に対する、北陸以北諸藩による事実上の「北日本連邦」の成立を意味する)

もし明治政府が本州全土を支配していなければ、現在でも東西二国が並立していただろう。
東武皇帝を軸にした、奥羽越列藩同盟+会庄同盟+江戸+蝦夷地=関東国として。
685日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:17:48
>>675
明治政府による近代化も上からの近代化だよ。
それに自由民権運動が盛り上がったのは、
幕府系の知識人の啓蒙活動のおかげ。
幕末から明治初期は、幕府のほうがラディカルで、
討幕派のほうが保守的だった。
686日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:20:16
>>676 古代への復帰、古代には王朝による人民支配というもののない地上の
楽園だったという幻想はフランス革命にもあり、理性の祭典とかいう狂気
じみたお祭りが実行されたらしい。

 イギリスのピューリタン革命でもピューリタンというキリスト教原理主義
のような革命集団が一時政権を握ったが、すぐに王政復古になった。

 明治維新の王政復古の古代回帰も徳川300年が終わったという一時的な
熱狂の産物に過ぎなかったものだ。
687日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:24:03
>>685
自由民権運動が激しかったのは関東だからなw

煽っていた(?)東京日日新聞なんかを読むと面白い。
旧幕府びいき、旧幕臣びいきが露骨すぎてw
688日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:24:40
薩長などの外様藩は幕府が進める改革で藩の既得権を脅かされることに怯えてた。
追い詰められた旧守派の一か八かのクーデターが明治維新の出発点。
でしょ?
689日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:27:03
>>684 日本は奈良時代以後ずっと統一していたので複数国家が成立する
事態は一時的なことで早晩統一しただろう(沖縄を除く)。


690日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:27:33
>>688
でも幕府は長州征伐で負けてるしな。
691日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:29:30
>>686
王政復古思想は別に幕末期に突如として現れたわけではない。
水戸学の流れを無視しては駄目。
そして、王権思想は太平洋戦争の終りまで一貫して日本の政治指導者や
軍部に存在していた。
692日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:36:27
>>691 そりゃ、幕府にしても征夷大将軍という地位は形式的には天皇から
授与されていることくらい周知の事実だっただろう。

 天皇が日本のローマ法皇のような形式的権威であることは現在も変わらない。
693日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:39:54
正直な話、近代史をやってる研究者でも、近代の出発点をどこにするか?
ということに関しては、それぞれ意見が違う。
「明治維新を日本の近代化の出発点」というのは、中・高生の教科書
レベルの話で、幕末を近代化の出発点と見ている研究者もいる。
694日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:42:58
>>692
明治期に天皇親政運動というのがあったのだよ。
695日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:46:55
>>684 東北諸藩が幕府を擁立せず、別の朝廷を立てようとしたことは
最早、幕府の時代ではなくなっていたことを象徴しているだろう。

696日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:49:46
幕府は征夷大将軍がいないと開けない
697日本@名無史さん:2005/10/08(土) 03:55:33
>>694 明治憲法制定の結果は立憲君主制で天皇は内閣の輔弼によって国政を
担当するという制限付きになり天皇親政(独裁)は実現しなかった。

698日本@名無史さん:2005/10/08(土) 04:05:11
>696 それで天皇の御舎弟を皇帝としたのですか。天皇を無視するということは
形式的には日本からの独立を意味することで、なかなかの勇断というか背に腹は
代えられない切羽つまった感じの臨時政府ですね。

699日本@名無史さん:2005/10/08(土) 04:19:54
>>698
孝明天皇と睦人親王は討幕派に暗殺されてしまったのだから、
輪王寺宮が正統な皇帝です。
700日本@名無史さん:2005/10/08(土) 07:24:13
鳥羽伏見の戦いの偽錦で流れは変わった。
701日本@名無史さん:2005/10/08(土) 07:29:19
ここまで来ると会津人は基地外にしか見えないな
702日本@名無史さん:2005/10/08(土) 07:38:17
尊王攘夷!吃驚  しかし白虎隊は泣ける。
703日本@名無史さん:2005/10/08(土) 08:16:54
尊王は水戸から始まって長州に流れていった?
704日本@名無史さん:2005/10/08(土) 09:34:07
明治天皇は苦労したのかな?
705日本@名無史さん:2005/10/08(土) 10:22:51
>>701 明治維新を否定しているのは会津人でなく反日朝鮮人だろう?


706日本@名無史さん:2005/10/08(土) 10:34:03
>>705
会津人=反日朝鮮人
707日本@名無史さん:2005/10/08(土) 10:46:13
会津会津うぜぇよ 会津に文句があるなら会津のスレに行けや
708日本@名無史さん:2005/10/08(土) 10:47:58
>>706 まあ、先祖が戊辰戦争で薩長に殺されたという会津藩士なら否定する
こともあるだろうが、会津の百姓は藩が滅びようがあまり関心がなかった
そうな。
709日本@名無史さん:2005/10/08(土) 11:11:39
何でもすぐ「会津」とか言い出すのウザッ
そんな二元論で物事を語るのは、
早乙女貢や星亮一と同じレベルですよ!
710日本@名無史さん:2005/10/08(土) 11:54:28
>>709 いやこれは日本の地域対立感情をあおるつもりで反日朝鮮人がやって
いることだろう。

 韓国や北鮮にある地域対立感情と同じようなものが日本にもあると勘違い
しているのだろう。

711日本@名無史さん:2005/10/08(土) 11:55:48
>>705
反日朝鮮人が日本国内で大量にのさばることができるのは明治維新のおかげ。
朝鮮人に日本国籍を与え朝鮮開発に巨額の金をばら撒いたんだから、まさに狂気の沙汰だ。
明治政府の支援がなければ、韓国なんて現在でもラオス以下の劣等国のままだっただろう。
712日本@名無史さん:2005/10/08(土) 12:22:38
>>711 日韓併合はロシアの南下を阻止するための日本の国防上の都合に
よるものだったが、敗戦の結果、朝鮮が日本に寝返って敵国になるとは
予想外のことだった。

 日韓併合しなければ朝鮮はロシアの支配下で日本の敵国になっていたこと
は確かだが、併合しても敵国になったのは、朝鮮はどうしても日本の敵国で
あるしかない、という新羅以来の歴史的因縁があるのだろう。



713日本@名無史さん:2005/10/08(土) 12:31:33
>709
このスレのレベルを考えろよバカ
714日本@名無史さん:2005/10/08(土) 12:35:44
伊藤はなんで暗殺された?
715日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:01:45
会津ヲタが来た途端、単なる罵倒スレにされてしまった。
頼むから会津は会津スレに帰って、そっちで勝手に暴れて欲しい。
716日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:06:41
会津人って馬鹿なくせに出てくるんだよな。
717日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:11:25
薩長批判にしろ明治政府批判にしろこのスレでは板違い。
バカには判らないのかもしれないが。
718日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:24:31
せめてスレタイにそったネタで煽ればイイんだよな。
幕府のままで近代化する為のプロセスとか
奥羽越列藩同盟が勝利したと仮定して、その上で近代化する為のプロセスとか。
「もしも」スレなんだから。
719日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:26:25
会津人がバカなら長州人と薩摩人はお利口?
720日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:29:29
>>719
少なくとも、そんな事を言っているお前はバカ
721日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:30:17
明治維新は長州のおかげ!今の日本があるのも長州のおかげ!感謝しろよ!
722日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:31:55
と書いて、長州叩きしてもらおうと画策中の会津人ってかw
723日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:32:43
くだらねーな、おい。
724日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:33:26
そうだな。まったくくだらないなw
725日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:44:13
明治維新起きなかったら日本は植民地決定で?
726日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:49:39
マジレスするが日本は植民地にする価値も無かっただろう。
明治維新と欧米列強の脅威を関連させる奴は素人

727では:2005/10/08(土) 13:55:41
なぜ明治維新を起こしたのか詳しく知りたい。
徳川幕府が腐ってたから新しい日本を作ろうと?
728日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:22:14
薩長は英国との戦争に負けて藩そのものが半植民地状態になっていた。
腐ってたのは薩長
729日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:27:34
お前らレベル低すぎ
勉強してから書け
730日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:28:18
>>727
倒幕過程についてはこのスレの過去ログを読めば大雑把だけど、だいたいわかるぞ
ただし明治二年以降の動きは他スレに行かないとわからない
731日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:32:07
>>718
そういうことだな

>>1も戊辰戦争が起きなかったらと仮定しているんだから、そういう方向で
大政奉還後の日本をシュミレーションしてみるのがいいんじゃないか?
732日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:36:46
これから流行る日本史界のキーワード



   
          明治維新を疑え




733日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:37:56
郡県制、大統領制、横須賀製鉄所、横須賀造船所、火薬・大砲製作所、
洋式陸海軍、鉱山開発、天然資源保護計画、近代的会計制度、
株式会社、国益会所、商工会議所、外国語専門学校の設立、
郵便制度の建議、電信事業の建議、鉄道(江戸−横浜)建設の建議、
新聞発行計画…

明治政府がやったことのほとんどは、
すでに小栗が着手していたプロジェクトの二番煎じにすぎない。
734日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:40:14
>>733
二番煎じだからといってやらなかったら、
そっちのほうがダメだろ。
良いモノは行い、悪いモノは排除する姿勢は正しい。
735日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:43:28
>>732
いや、もうとっくに疑われていると思うけど…?
少なくとも、アカデミズムの世界では疑われてるな
736日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:44:07
近代化は別に薩長がやらんでも良かった。
むしろ薩長が絡んでたから日本はマズイ方向に・・・w
737日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:47:31
維新の元勲は寿命短かったようだけど〜
738日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:52:09
>>733
構想するなら誰でも出来る。
難点はそれを本当に実行出来るかだよ
739日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:52:58
明治政府批判はそれはそれで別スレを立ててやった方がいいかも?
ただし論理的なスレにしないと、厨系スレッド(大 罪、県、ドンゴリetc.)と
大差なくなるけどw
740日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:54:25
>>737
田中光顕みたいなのもいるぞ
741日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:56:35
幕府が近代化を進めた場合は、
幕府自体が日本を統合する権威だからさほど天皇に依存する必要がなかったはず。
天皇は現在のように一種のシンボルとして脇に置かれ、
議会制民主主義への移行も比較的スムーズだったと思う。

しかし薩長の場合は、得体の知れない成り上がりにすぎず、求心力が全く無いため、
天皇を異常なまでに祭り上げ、その影に隠れて権力を牛耳る体制が必要だった。
また、汚い手段でクーデタをおこした後ろめたさから、
権力はずっと手中に握り続けていなければならなかった。
それゆえ、薩長藩閥が形成され、それが自由民権や議会政治の対立物と化し、
日本をマズイ方向に引きずり込んで逝く・・・
742日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:02:38
>>741
1864年の時点で一橋慶喜は新政体について家臣に協議させてるよ
だから幕府を幕府自身の手で終わらせて、徳川主体の新政府を作る構想は
慶喜が将軍になる前からずっとあったのかもな
743日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:11:53
カッペが政権なんか1億年早かったんだろうな。
744日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:12:15
協議はしていても現実は・・・みたいなこと多いよな。
初段階として邪魔者となる内憂すら除けない幕府に改革が本当に出来るとは思えないな。
なんか民主党が掲げる改革案みたい。
745日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:19:30
>>744
は?邪魔者って具体的に誰?
746日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:35:31
>>744
外憂に対処するため公武一和を実現する。
同時に、経済や社会の根底的な改革も推進する。
幕末期の幕府の政策は基本的に正しいと思う。

しかし国内の不和はなるべく穏便に収めようとしていたため、
外国から最新兵器を大量に買いつけ、それを日本人に向けて発砲する、
というような発想には踏み切れなかった。

一方長州は、攘夷に狂ったあげく迷走を繰り返し、
藩の存亡のため、なりふり構わずイギリスに泣きつきいて、
中央政府(幕府)に刃向かった。

ちなみに長州のようなDQNに断固たる処置をとれなかったのは、
江戸と京都(慶喜)とに幕府権力が分裂し意思の疎通に欠けてたことが原因。
747日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:48:44
>>746
一橋慶喜や松平容保達の京都組は何度も将軍の上洛を願い出ていたし、
この時に徳川家茂がずっと滞京するようなことが出来ていたら、
幕府のその後も違ったかもなあ〜
748日本@名無史さん:2005/10/08(土) 16:59:52
当初は公武合体派の雄藩連合による合議体制を幕権独裁に拘って潰したのは幕府だったが、
慶応に入って幕府の旗色が悪くなるとかつて幕府自ら潰した合議体制を苦し紛れなのか受け入れたものの
もはやかつての公武合体派諸藩は幕府に見切をつけていた。
749日本@名無史さん:2005/10/08(土) 17:16:43
>>748
>公武合体派諸藩は幕府に見切をつけていた。

その頃はすでに大政奉還後で幕府は無くなっていた。
それに公武合体派というか公議政体派大名達は別に慶喜を見限ってはいない。
維新関係の文書類を読んでみた方がいいぞ。
750日本@名無史さん:2005/10/08(土) 17:18:17
というか、>>538-539を読んでくれ。
751日本@名無史さん:2005/10/08(土) 17:26:57
春嶽も容堂も合議体制における幕府との協力にかつて程の熱意は無く、
賢候会議の時のような公武合体の為に奔走したような行動は見られなかった。
752日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:35:03
>>746
その考えは変w。
幕府もフランスなどから大量に武器を買い付け、第一次長州征伐で同じ日本人に向けて発砲している。
それどころか、四カ国連合艦隊の長州砲撃と連合して長州攻めを行おうとしていたよ。
諸外国の軍事介入を招くと諸藩から猛反発を受けたので取りやめたけど。
753日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:36:09
訂正。第一次じゃなくて第二次長州征伐ね。
754日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:47:47
薩長が錦旗を建てたのは官軍である事を証明する為?
755日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:48:40
血に飢えた薩長は会津を始めとする列藩同盟の恭順を認めず容赦無く攻撃した。
756日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:57:46
文久の京都は天誅で荒れてたの?
757日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:59:38
世良じゃない温和な奴が恭順の手紙受け取ってたらその後の戊辰戦争はどうなってたのだろう?
758日本@名無史さん:2005/10/08(土) 19:04:59
>>755 列藩同盟は天皇とは別の皇帝を推し立てて抵抗したのではなかった
のか?
759日本@名無史さん:2005/10/08(土) 19:07:17
孝明天皇の不自然な死から明治維新がスタートした!
760日本@名無史さん:2005/10/08(土) 19:07:51
幕末に幕府の役人が蒸気船の蒸気機関を見せられて
「あぁ、機関車の蒸気機関と一緒やんか」みたいなことを言ったとか
聞いたんですが、
黒船来航前に幕府や知識人は西洋についてすでにどれだけの知識を
持っていたかについて書かれた本ないですか?
761幕末:2005/10/08(土) 19:33:23
微妙ですね。生き残った人があんまりいなかったらしいから。。。
話を戻すけど、新選組、幕軍が薩長に勝ってたら、近藤先生とか、かなり偉い人になってたんじゃないかなぁ・・・と考えると、おもしろくないですか?
762日本@名無史さん:2005/10/08(土) 19:43:06
近藤勇を偉くさせるにはワンステップ必要だね。
会津も幕府も新撰組をニワカ武士の警備員程度にしか見ていない。
身分を越えるというステップが必要と思われ。
763日本@名無史さん:2005/10/08(土) 19:48:57
>>761
幕府軍が勝利していたら、学の無い新撰組等の下請け組織は即効リストラだろうな。
そして明治維新の不平士族と同様、幕府軍に反旗を翻して「多摩の乱」を勃発。
近藤・土方以下新撰組幹部は自刃若しくは捕縛の末斬首かな。
764日本@名無史さん:2005/10/08(土) 19:53:17
ん〜でも、リストラされて多摩に帰り、八王子千人同心という下級武士として招かれ、細々と暮らすのが妥当じゃね。
もしくは幕府の近代化政策に反乱する連中を取り締まる下級役人かな。偉くはなれんが。
765日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:12:13
本人は大名になる積もりだったから、暴れるだろうね
766日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:21:39
>>761
近藤勇については、近年になってやっと宮地正人あたりが研究した程度だから、
たいしてわからないのに>>762みたいに知ったかなのは論外
767日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:24:02
そもそも宮地正人や松浦玲の本を読んでいれば、>>762-765みたいな
意見が出てくるはずがない
768日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:57:37
なんだコイツは?
悪いが宮地も松浦の本も読んでいるよ。
じゃあ君に聞き返すが、明治維新が起こらなかったら近藤勇はどうなっている?。
答えられないなら、単なる煽り厨房と認定する。
769日本@名無史さん:2005/10/08(土) 21:06:16
>>768
おそらく陸軍に居続けただろう。
770日本@名無史さん:2005/10/08(土) 21:08:22
ところで>>768は>>762->>765のどれなんだ?
771日本@名無史さん:2005/10/08(土) 21:24:17
>>769
新撰組の本質はあくまで警察組織であって軍事集団ではないからな。
土方が刷新をはかる以前の采配の稚拙さは鳥羽伏見・流山の敗北で露呈している。
772日本@名無史さん:2005/10/08(土) 21:28:06
>>771
近藤勇の話をしてるんでないの?
773日本@名無史さん:2005/10/08(土) 21:35:12
>>765は小説が史実だと思ってる香具師w
774日本@名無史さん:2005/10/08(土) 22:03:25
もしもスレなんだからマジになる事はない。
架空過ぎるのも困るが、史実にこだわる事もない。
だからシラケるだけの煽りはやめた方がイイよ。
775日本@名無史さん:2005/10/08(土) 22:06:51
>>769
近藤勇が陸軍に残る可能性は有るだろうね。
幕府歩兵隊は下級武士扱いだから。
その中で出世できるかどうかは本人次第だろう。
776日本@名無史さん:2005/10/08(土) 22:17:08
>>775
陸軍でもおそらく教育・養成部門か特殊任務部門あたりの長になって、
新撰組で幹部だった連中を部下として使ったんじゃないかな

もうひとつ考えられるのは、京都にそのまま残って京都市長みたいな立場に
なった後、結局第○代江戸府知事をして勇退というコースかな
おそらく初代江戸府知事は勝海舟だろうから
777日本@名無史さん:2005/10/08(土) 22:23:25
明治以来、日本人は「分際をわきまえる」という大切な心をわすれてしまった。
薩長の下賎な卑しい、成り上がった、思い上がった田舎者が台頭したためだ。
鈴木宗雄や田中角栄は昭和・平成の突然変異ではない。明治維新の延長にあるのだ。
明治維新によって日本人の精神は卑しくなった。
778日本@名無史さん:2005/10/08(土) 23:36:59
>>774
フィクションをフィクションとわかったうえで、フィクションをもとに
想像を働かすのなら良いが、フィクションを史実と間違えているケースを
弁護するのはどうかと思うが?
779日本@名無史さん:2005/10/09(日) 01:54:31
>>776
>おそらく初代江戸府知事は勝海舟だろうから
それはないだろ。
幕府が討幕派の反乱を鎮圧したとすれば、
薩長に内通してた勝は、良くて左遷、
下手をすればスパイとして斬首だね。
780日本@名無史さん:2005/10/09(日) 07:04:03
>>778
フィクションを史実と間違えているケースを弁護するつもりはない。
ウザイなら、根拠を示して教えてやればいいだけのことだよ。
ただ俺は面倒くさいので放っておくだけの事。煽らねば厨房も暴れはしない。
781日本@名無史さん:2005/10/09(日) 09:14:00
>>779
地方行政の首長なんて、政界中央から見れば窓際なんじゃ?
初代江戸知事は山岡鉄舟でもいいかもしれない
782日本@名無史さん:2005/10/09(日) 09:41:19
幕府が倒幕派を鎮圧したなら中央政界は徳川家か譜代大名の誰かだろう。
群県制の導入に成功した(かなり難しい事だが)とするなら、
江戸知事は佐幕主流の小栗。非主流派で幕政から退けられた事のある勝は、
やはりどこかの地方に左遷されるんじゃね。
783日本@名無史さん:2005/10/09(日) 10:09:48
一番最初にやらなきゃならんのは、江戸幕府の中枢を牛耳る連中と幕府上級官僚を、
全員まとめて欧米列強の視察に行かせる事。明治新政府もやった岩倉使節団ははずせない。
784日本@名無史さん:2005/10/09(日) 10:58:44
>>783
幕府中枢はすでに何度か欧米への視察団を送ってる。
また長崎などを通じて欧米の情勢も正確に把握しており、
幕閣は黒船来航の時期も探知していた。
無知蒙昧な明治新政府とは比較にならない。
785日本@名無史さん:2005/10/09(日) 11:13:28
なのに、恫喝に屈した馬鹿が幕府。
こんなところに政権を任したら、やっぱ滅びるな。
786日本@名無史さん:2005/10/09(日) 11:45:06
欧米の情勢を幕府は知っていただろうが、それを活用しなかった。
活用しようとした幕臣(欧米に視察に行った連中も含む)もいたが、幕政担当の老中たちが決断をしなかった。
それゆえに幕府ではダメという意見には賛同するが、
そのダメだった老中(できれば将軍様も)を諸外国に連れ出せば話しは変わってくるかもしれん。
787日本@名無史さん:2005/10/09(日) 11:48:23
明治新政府がどーのこーのと言っている様だが、
このスレは「明治維新が起こらなかったら」という前提。
明治政府批判っていうより煽りはよそへ行ってくれんか?。
788日本@名無史さん:2005/10/09(日) 11:51:09
>>785
恫喝に屈した?
開国は時代の必然だよ。
幕府の失政は自分の決断でさっさと開国しなかったこと。
朝廷や外様といった馬鹿どもにお伺いを立てた阿部のせいで、
幕末の混乱が生じた。
789日本@名無史さん:2005/10/09(日) 11:58:32
せめて、天保ごろに幕府が近代化を成し遂げていればなあ。
790日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:11:55
幕末の幕府なんて今の天下り公務員みたいなやつらの寄せ集めの組織だろ。

明治政府のやった改革の一つもできないのは目に見える。
791日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:15:38
明治維新が起こらなかったら?
欧米の砲艦外交に脅され
次々に無理な要求に屈し
最後はどっかの植民地になる。
792日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:19:03
>>788
黒船来航を知りながら
土壇場までなんら対策を打たなかったこと。
自分達ど決断する能力すらなかったこと。

今の日本の官僚のモデルは江戸幕府ですが?
793日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:22:43
>>790
その「天下り公務員みたいなやつら」が改革の中枢を担ったんだよ。
復古基地外の明治政府だけでは改革の一つもできなかった。
794日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:25:46
>>793
中枢を担ったのでなく
使われただけ。
やつらは官僚だからうまく使えば能力を発揮するが
自ら改革する力はない。
795日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:27:50
明治政府はただの復古キチガイでもなければ
洋風かぶれの裏切りものでもない
それはこれからの日本をどうしようかと
いろいろ迷っていた時期だからだ
796日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:28:54
>>793
んで結果はどうよ?
「天下り公務員みたいなやつら」は改革は成し遂げることは出来たの?
797日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:29:27
>>791
欧米の砲艦外交に脅され→薩英戦争敗北・馬関戦争敗北
次々に無理な要求に屈し→神戸事件・堺事件・岩倉使節団
最後はどっかの植民地になる→鹿鳴館

討幕派がたどったコースです
798日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:30:29
>>795
イギリスのパシリとなった復古キチガイだね
799日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:31:42
>>797
表面的なことしか知らないんだな
800日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:33:41
>>794
もともと幕府が進めていた近代化へ向けた改革を、
薩長が乗っ取ったというのが正解。
801日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:36:11
言っておくが明治時代の人達は
はっきりと江戸時代を継承した人達だぞ。
明治の人達のスピリットは江戸時代に培われたものだ。

だから明治「維新」とは言うが明治革命とは言わない。

それを理解しないでただ明治政府、時代を悪玉扱い
してるやつはじつは江戸時代にすら理解がない
ただの無政府主義者か煽り小僧。
802日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:38:15
>>800
まー連中は官僚らしく保身のための改革だがな。
やれたとしても知れてるぜ。
803日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:41:07
佐幕のフリした愉快犯と判明。
804日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:48:47
>>801
一般的には明治時代の人達は江戸時代のスピリットを継承した人達だけど、
残念ながら薩長の百姓や下級武士は江戸時代の文化や伝統を承継していない。
805日本@名無史さん:2005/10/09(日) 12:56:47
明治天皇は薩長が政権とって幸せだったのかな?
806日本@名無史さん:2005/10/09(日) 13:17:22
鹿鳴館の思想。
 西洋文化=高級で普遍的な価値が高い。
 日本文化=低俗・時代遅れで無価値。

荒唐無稽な復古思想の裏返しとして、
日本文化蔑視・欧米信仰が広まり、
貴重な文化遺産の多くが明治期に消滅してしまった・・
807日本@名無史さん:2005/10/09(日) 13:25:01
やっぱ幕府にゃ無理かな

版籍奉還から四民平等、廃藩置県、廃刀令、家禄奉還、秩録処分、
それに地租改正、学校令など一連の改革は、穀潰しの既得権益を
撤廃し能力主義に転換するためにどうしても欠かせなかった。
旧体制そのものであった幕府の役人には、大改革は実行不可能だろう。
小出しの辻褄合せをしているうちに列強の侵略か干渉を受けただろうね。
808日本@名無史さん:2005/10/09(日) 13:28:56
陰謀だらけの長州閥は何言ってる?陰謀は全て闇に葬り去った。
809日本@名無史さん:2005/10/09(日) 13:30:15
みなさん、2ちゃんねるの危機です!!
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1128610086/
810日本@名無史さん:2005/10/09(日) 14:06:52
>>807
徳川幕府も薩長も同じ武士階級です。
基本的に薩長にできることは幕府にもできます。

しかもそれらの改革は、経済的理由からしかたなく行った(やらされた)もので、
明治政府は改革の理念やプログラムを持っていませんでした。
幕藩体制の基礎が崩れていたのですから、幕府であっても、
旧体制の大改革を行わざるを得なかったと見るべきでしょう。

ちなみに明治政府は四民平等と称しながら裏では華族制度をつくり、
旧体制の支配層の既得権をちゃんと温存してます。
後にこの既得権も小出しに削って行くわけですが、
この程度の辻褄合せなら誰でもできると思います。
811日本@名無史さん:2005/10/09(日) 14:10:19
>>807
「版籍奉還から四民平等、廃藩置県、廃刀令、家禄奉還、秩録処分、
それに地租改正、学校令など一連の改革は、穀潰しの既得権益を
撤廃し能力主義に転換するためにどうしても欠かせなかった。
旧体制そのものであった幕府の役人には、大改革は実行不可能だろう。」

 こういう大改革は「革命」の名に値するもので明治維新は革命でないと
いう主張は維新を過小評価するものだろう。

812日本@名無史さん:2005/10/09(日) 14:22:51
>>810 幕府による近代化などは中共が共産党独裁を続けながら資本主義を
採用するような中途半端な改革に終わっただろう。

 日本は幕府独裁政権を崩壊させ旧体制のしがらみを断ったからその後の
ラジカルな発展が可能になったのだ。


813日本@名無史さん:2005/10/09(日) 14:40:53
>>812
>旧体制のしがらみを断ったから

断ってないのだ。
814日本@名無史さん:2005/10/09(日) 14:52:52
華族ってどういう経緯で誕生したの?下級武士の身分を高めようと?
815日本@名無史さん:2005/10/09(日) 15:11:03
>>810
徳川家が家来たちに、解雇します、これ退職金ね、と言えると思いますか。
主家に仕えて家禄を貰っている封建武士は、お家が潰れたわけでもないのに
召し放ちなんて納得しません。(財政が苦しいから家禄半減ならありだけど。)
食うに困ってもあって反乱、暴動続発になるでしょう。それを押さえる軍人で
あるべき家来は解雇しちゃったし。
封建制の親玉である幕府には、自己否定までは出来ないと思いますが。
816日本@名無史さん:2005/10/09(日) 16:30:10
>808
陰謀だらけで生まれた徳川幕府が何言っている?
817日本@名無史さん:2005/10/09(日) 16:51:41
明治維新ほど陰謀だらけは過去に例がない。
818日本@名無史さん:2005/10/09(日) 17:18:15
薩長の明治維新はゴッドハンドの連続
819日本@名無史さん:2005/10/09(日) 17:21:51
>>817 中国人や欧米人の陰謀に比べたら日本人の陰謀など知れたものだろう。

820日本@名無史さん:2005/10/09(日) 17:54:20
>>777
秀吉、徳川もな
821日本@名無史さん:2005/10/09(日) 18:31:06
そこの厨房ども。
煽り合いは連休中におわらせてくれよ。
火曜日から元のネタに戻るからな。
822日本@名無史さん:2005/10/09(日) 19:41:47
>>815
従来の家単位の禄制度による君臣関係とは別に、一個人として幕府や藩に
仕える人間が幕末期には出現していたから、封建制度自体は綻び始めていた。
例えば、一橋慶喜に仕えていた渋沢栄一。渋沢は武士階級出身ですらなかった。
823日本@名無史さん:2005/10/09(日) 20:45:37
新規お召し抱えの様な家臣は良いだろ。個人の恩顧だし。
代々お家に使え続けた家臣の扱いはどうするの。
824日本@名無史さん:2005/10/09(日) 20:56:06
>>814
伊藤・山縣。岩倉のような百姓・最下級武士・最下級公家が、
天皇の威光を悪用して成り上がるためのシステムです。
825日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:21:25
明治天皇は価値のない下級武士武士にこき使われた。
日露戦争で明治天皇を心労させ死に追いやった。
826日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:26:36
華族もうまくできたもんだよ。が、約70年で崩壊…
大日本帝国憲法も約70年で崩壊…
栄光の帝国陸海軍も約70年で崩壊…
827日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:28:58
明治政府は悪の枢軸
悪の集団
828日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:45:10
>>827 明治政府が悪の集団なら徳川幕府、諸藩の封建領主制度は何なんだ。

 徳川家とか大名家の私有国家ではないか。アラブやブルネイのスルタンと
同じようなものだろう。

 清朝や李氏朝鮮、帝政ロシアも同じような私有国家だった。
829日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:19:20
>>815
>お家が潰れたわけでもないのに召し放ちなんて納得しません。

明治維新を経ても、主家は殆どが潰れてなかったぞ?
なんで徳川家だけ特別視すんの?
830日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:25:20
王政復古(平安以前の大昔への復古)という思想は、
何百年にもわたって虐げられていた外様藩や下級公家の怨念から出たもの。
彼らは日本を憎んでいるから伝統文化を破壊しても平気だった。
831日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:40:02
朝鮮半島や中国、それにインドなどが独立を回復していることを思えば、
結局歴史のヒトコマに過ぎなかったのかもなぁ。
人種や肌の色、民族が違っているということであって、過去と起きていたことで、
そう変わっていたことではなかったかも。
(日本統合過程なんかと)
日本だけが、植民地化の過程から再独立ができなかったというわけでもないだろうし。
(日本にもそういうねばり強さがあったと思いたい。もし植民地化が起きていたとしても)

革命的な明治維新(観)から、革命的でないなだらかな明治維新(観)があったとして、
大切なのは人間としてのめざめがあったか、やるべきことを見つけられたか、という
ことだと思う。

少なくとも明治維新は、日本人にとっての一大ページェントにはなっている。
なんとかまがいながらも、協力しあえたというのは、大切な記憶なのではないかしら?
と思う。
832日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:40:11
明治政府は伝統文化破壊したの?
公家ってどんな仕事してたの?
茶道とか教えてたの? 蹴鞠とか?
833日本@名無史さん:2005/10/10(月) 00:06:21
>>832
明治政府はお城や神社やお寺の過半をぶち壊した。
江戸期の美術品や文献もゴミ扱いされそのほとんどが破却されたり、
海外に二束三文で売り飛ばされてる。

日本文化の価値を最も高く評価していたのは皮肉にも外国人たちで、
自国の文化を破壊する愚かな日本人に警鐘を鳴らしている。

国宝級の美術品や文化財の多くが海外に流出したため、
日本美術研究のため欧米に調査に赴かなければならないようなケースもめずらしくない。
それでも明治政府によって破壊されなかっただけましと考えるべきだろう…
834日本@名無史さん:2005/10/10(月) 00:31:47
よくテレビで明治時代の国宝級が外国で発見された番組見るけど明治政府の仕業か……
一 明治政府最悪
日本の伝統を打ち壊した明治政府
長い伝統ある公家を打ち壊した明治政府。 まさに悪の枢軸
835日本@名無史さん:2005/10/10(月) 04:24:46
まあ、フランス革命もギロチンで首を刎ねられた元貴族の末裔などは革命に否定的
な評価を下しているが、市民大衆は肯定評価している。明治維新も同じだろう。

 それから維新で廃仏棄釈はあったが、神社関係は破壊されなかったのでは?

 城を破壊したのは軍事施設だったからという理由もあるのではないか?不平士族
の反乱拠点になる可能性はあっただろう。封建制度の象徴のようなものだからな。

 こういうことをやったということも明治維新が単なるクーデタではなくて革命と
呼べるものだったことを示すものだろう。

 
836日本@名無史さん:2005/10/10(月) 04:30:43
19060年安保騒動や70年代大学紛争のようなイデオロギーに狂った集団の熱狂
という否定的側面は明治維新時にも起こったのだろう。
837日本@名無史さん:2005/10/10(月) 05:06:47
それどれくらい未来の話?
838日本@名無史さん:2005/10/10(月) 10:43:52
明治政府は市民平等の政策掲げたんだっけ?
839日本@名無史さん:2005/10/10(月) 11:05:14
>>833
それ幕府の残した借金返済の為。
借金返済が滞ると、それを理由に、いちゃモンをつけてくる、
実際幕府はイギリスに借金返済期限延長のかわりに、関税率の引き下げを要求された。
840日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:24:57
>>835
でもフランス人は城や教会を破壊してないし。

過去の文化や伝統を全否定し大規模な文化財壊しを行ったという点では、
中国の文化大革命、ポルポト派やタリバーンの遺跡破壊と同じ。
付け加えると、これらの蛮行の中では明治政府が行った伝統破壊が最も大規模で悪質。
841日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:32:33
>>838 廃刀令、断髪令、秩禄処分などで武士の特権を廃止して法律上は四民平等を
実行した。

まあ、戦後しばらくまでは元華族とか元士族というのが幅をきかせていたが、最近
そういうことを自慢する人間はほとんど居なくなった。朝鮮人が元両班とかいうのと
同じ時代錯誤になったからだろう。

842日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:35:23
フランス革命の際、地方の貴族の城館は農民の襲撃を受けている。
カトリックが革命と敵対したこともあって、教会も激しい弾圧を受けた。
キリスト教に代わる「理性の崇拝」なんて新宗教や革命暦も制定された。
843日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:44:36
>>840
「付け加えると、これらの蛮行の中では明治政府が行った伝統破壊が最も
大規模で悪質。」

 これが本当なら各国と比較した具体例を挙げて下さい。個人的には伝統
破壊の点では共産革命の方が大規模で悪質だろうと思う。

 共産革命なら元貴族、上級武士階級、僧侶などは敵対階級として子孫まで
弾圧されていただろうが、明治維新ではそれほどの弾圧はなかった。


844日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:52:08
明治維新は関が原以来の薩摩長州の徳川に対する恨みが結実した瞬間
だった。長州などは毎朝、「殿、倒幕の準備が出来ました」と260余
年間実行していたらしい。まさに執念である。因果応報といったところ
か。家康も最も警戒していたのが、毛利と島津だったというからはから
ずも的中したその眼力は確かであった。
845日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:58:26
明治維新が起こらなければ今頃俺は仙台伊達藩の藩主様…はぁ…
846日本@名無史さん:2005/10/10(月) 13:07:55
>>844 薩長が倒幕の主体になり維新後しばらく薩長土肥の藩閥政治をやって
いたが、自由民権運動で藩閥政治は終わり、薩長の影響力も徐々に薄れて
いっただろう。

 薩長が明治維新を主導したのが悪かったということなのか?何を言いたい
のか分からないが。当時、幕藩体制を崩壊させる勢力が他にあれば、それも
批判するということなのか?



 
847日本@名無史さん:2005/10/10(月) 13:11:59
>>845 細川護煕氏のような県知事では不満ということなのだろうか?
848日本@名無史さん:2005/10/10(月) 13:12:40
>>839
幕府の借金て薩長が好き勝手やったお陰でできたものじゃん。
生麦事件の賠償金払えないならイギリスの意向飲めとか幕府は尻拭いしてるだけ。
その結果不平等条約になっちゃったわけで。
849日本@名無史さん:2005/10/10(月) 13:27:25
西欧文化の前に土下座して、日本文化を蔑視する。
この明治政府の姿勢って植民地奴隷の典型だよね。
奴隷イノウエが建てた鹿鳴館なんて植民地様式の建築だし。
850日本@名無史さん:2005/10/10(月) 13:49:06
>>849 明治政府は欧米の植民地にならないように日清、日露戦争で勝利
し、台湾、朝鮮という植民地を持つ帝国として列強に国力を認めさせ不平等
条約改正に努めただろう。

 植民地奴隷は朝鮮だったのだ。

851日本@名無史さん:2005/10/10(月) 14:06:50
>>839
違うって、小栗の無駄な公共事業の為だよ。
いや、幕府の無駄な人件費のためが大きいかな。
無駄な礼儀などの為に、莫大な人員を必要とし、
その為に、莫大な予算を使っていた。
これらが幕府の財政を圧迫し、西南雄藩では欧米から借金せずとも、
武器の購入や、新技術の導入ができたのに、
幕府では、フランスと国内の商人などから莫大な借金しなければ、維持できなかった。

また生麦事件ではなく、下関の砲撃のほうだよ。
そしてそれときの賠償金は、開港すれば、本来払わなくてもよかった。
開港を拒絶し、あくまで貿易利権の独占をはかる幕府は、借金を選んだわけ。
最も、借金の返済が滞り、結局開港までするハメになるけどね。
幕府って本当に無能ってことがよくわかる。

>>840
明治政府は、神社仏閣の破壊などしていない。捏造するな。
寺を遅い、破壊したのは、民衆であり、明治政府はそれを止めていたほう。
何故寺が襲われたのか、それは幕府の支配体制の末端を担い。
また幕府の権力が十分に届かない無法地帯であったから、無許可での賭博などがここで横行し、
また無理矢理檀家にされたところなどは、無理な要求をきかされていたから。
確かに明治政府は、幕府と縁が深かった本願寺の一派には、積極的に保護はしなかったが、
新政府と縁が深かった本願寺の別の一派は、積極的に守っており、その差が出ただけ。
852日本@名無史さん:2005/10/10(月) 14:09:06
派閥争いは明治には終わったの?
香淳皇后の成婚に対し山縣の陰謀が炸裂!薩摩と長州の派閥争い?内定から六年間も無駄な時間が流れた。
853日本@名無史さん:2005/10/10(月) 14:13:23
>>849 そりゃ、東洋文化があまりにも非科学的で中華思想とか風水とか、儒学
や漢方医という役立たずだったので、西欧文化を採用しようとしたのは当然だ。

 今では中国でさえ西欧文化の一部、共産主義を取り入れ、最近は資本主義まで
採用している。
854日本@名無史さん:2005/10/10(月) 14:14:41
よくこんなスレで
真剣に論争できるよな。。
855日本@名無史さん:2005/10/10(月) 14:30:17
854は相当のアホです。
856日本@名無史さん:2005/10/10(月) 15:07:44
>>853
西洋=科学的・役に立つ
東洋=非科学的・役立たず

こういう図式的理解こそ明治政府が植えつけた奴隷根性の産物だよ。

だいたい明治政府は非科学的で野蛮な国家神道を中軸に国づくりを進めるなか、
表層的な欧化政策を進めていたわけで、
本当の意味の科学的批判精神は巧妙に排斥されていた。
857日本@名無史さん:2005/10/10(月) 15:18:32
はは、まるで自分だったら上手くやったみたいなことを。
まあ誰も錯覚はしないけど。
858日本@名無史さん:2005/10/10(月) 15:35:35
>>856 明治維新は産業革命の輸入でもあったし、近代化=欧米化だった。
ジャンク船や大八車より蒸気船や岡蒸気の方が役に立つことは自明だった
だろう。
 
 明治政府が政治社会面では科学的批判精神を排斥していた面はあっただろ
うが、中国や朝鮮(東洋)と比較すればはるかに進取的だった。

 欧米は蒸気機関から電力の時代に突入しつつあり、自動車、飛行機の発明
時期にも当たっていて、日本は東洋などを相手にしていられなかっただろう。
(軍事技術が飛躍的に発展しつつあり危機感をもっていた)。
859日本@名無史さん:2005/10/10(月) 15:38:49
諸藩は外国に対しての士気は極めて高かった
幕府のみが消極的だったといってもいい

故に西欧の武器商人は、日本人同士で争わせて漁夫の利を狙おうとした
数十年前の中国にて、アヘン戦争や太平天国の乱で国力を疲弊させ、治安維持の名目で
イギリス軍の駐留を認めさせたやり方を踏襲しようとしたわけだ

しかし目論みは大きく外れた。西郷の英断により江戸城は無血開城され大戦争にはならなかった
戊辰戦争参加者の「同じ日本人同士の戦いなので士気が上がらなかった」という語り残しからも
同族で争う事の非を良く知っていたわけである。武器商人にとって戊辰戦争が予想以上に
早く終結したのは大きな誤算であった
860日本@名無史さん:2005/10/10(月) 15:41:40
>>856 日清戦争後は清国から日本へ大量の留学生が来て日本の近代化を
学ぼうとしていたが、彼らは奴隷根性をもって来日したというのか?

861日本@名無史さん:2005/10/10(月) 16:10:00
>>859
西郷は江戸攻撃を実行するつもりだった。
しかしそれをパークスに報告に行ったところ叱り飛ばされたため、
すごすごと江戸攻撃をあきらめた。

たしかにイギリスは討幕派を焚きつけて内乱を起こさせているけど、
それは外商の利権を制限してる幕府に対する牽制のためで、
貿易港や養蚕地が焦土になるような内乱は全く望んでいなかった。

戊辰戦争はイギリスの手のひらの上で行われた茶番劇のようなものでもある。
862日本@名無史さん:2005/10/10(月) 16:18:39
>>859
欧米の砲艦外交に脅され→薩英戦争敗北・馬関戦争敗北
次々に無理な要求に屈し→神戸事件・堺事件・岩倉使節団
最後はどっかの植民地になる→鹿鳴館

討幕派がたどったコースです
863日本@名無史さん:2005/10/10(月) 16:38:10
四国戦争で負ける以前から武器商人は留学費用だしてたんだけどな
そいつらがいわゆる明治の元勲

久坂とか赤根は生粋の攘夷論者。五代や伊藤、坂本なんかは武器商人のもろ手先だね
四国戦争で負けて高杉が転向したのを潔しとしなかった赤根は維新史から抹殺され存在自体を消されている

色々矛盾を抱えた明治政府ではあるが犠牲を最小限にして日本の近代化を成し遂げたのは疑いのない事実
総じて評価すれば中国韓国等に比して外圧に良く対応した方だと思うが、後の敗戦に至るまで欺瞞にまみれてたね
明治政府、大日本帝国はいわば先天奇形の国家だったってことだろう
864日本@名無史さん:2005/10/10(月) 16:41:36
>西郷は江戸攻撃を実行するつもりだった。
しかしそれをパークスに報告に行ったところ叱り飛ばされたため、
すごすごと江戸攻撃をあきらめた。

妄想家なのをよく物語ってるな
865日本@名無史さん:2005/10/10(月) 17:39:51
明治政府は欧州かぶれで欧州に追い付こうとして追い抜き暴発した。
866日本@名無史さん:2005/10/10(月) 17:40:42
>>863
[明治政府、大日本帝国はいわば先天奇形の国家だったってことだろう]

中共、韓国、北鮮に比べれば先天奇形は特亜の方だろう。
867開国派:2005/10/10(月) 18:23:39
君の名前はマイケル ダグラスだったかもな

ハーイ マイケル?

いやキングジョージ? それとも マリーアントワネットw
868日本@名無史さん:2005/10/10(月) 18:50:28
江戸に和宮が居ても居なくても状況は変わらなかった?
869日本@名無史さん:2005/10/10(月) 19:45:51
パークスの日誌では西郷は江戸を焼き払うつもりだったんだね〜
870日本@名無史さん:2005/10/10(月) 19:53:53
婚姻時には必要なことだった。
だが、鳥羽伏見以降は単なる仲介者にしかなれなかった。

ここの徳川礼賛者ってばかみたい。
871日本@名無史さん:2005/10/10(月) 19:53:55
西郷はやることが無茶すぎ!しまいには西南で賊軍になる。
872日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:02:22
>>862
江戸城攻撃中止命令は大久保一蔵から事前に出されていたが何か?
>>871
近藤勇=終始攘夷者、と同様に穿った見解だな。
873日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:03:16
>>870
ここに徳川礼賛者がいるなどと思っていること自体、
スレを良く読んでいない証拠だなW
いや、読んでも理解出来ないのか?
874日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:15:14
西郷は益満を使ってすでに江戸で殺戮・放火・強盗・強姦をやりまくってるからな。
西郷に理性や自制心があったかのごとき評価はすべからく誤り。
875日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:28:41
>874
西郷隆盛と庄内藩
でくぐれ。それも所詮は穿った見解だ
876日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:47:48
>>875
人にぐぐれなどと言わず、貴殿が説明されたらいかがか?
877日本@名無史さん:2005/10/10(月) 21:55:02
>>875ではないが、厨房に長々と説明した所で「ソースだせ」と騒ぎ出すだけ。
>>875よ。放っておけ。コイツは単なるカマッテくんだから。
878日本@名無史さん:2005/10/10(月) 22:12:14
>>875=877
まともに反論できない馬鹿は無駄なレスをするなヴォケ。
879日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:00:16
つーか「ソースだせ」と言われると困ってしまうような奴は半年ROMするべし!
その半年の間に、史料編纂所でソースを拾ってこい!
880日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:12:16
馬鹿はスルーすればいいだけの話だろ。
881日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:20:17
ぐぐりもしない奴の為にそこまでする必要はない。
カマッテくんはカマッテくんだからな。
本当に知りたい訳ではなく、単に煽りたいだけだろう。
882日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:23:22
>>878-879
バカの自作自演ミエミエ乙w
883日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:30:04
>>844
暴力で成り上がった勢力は、結局、暴力で没落するということだろ。
884日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:33:18
ぐぐるもなにも西郷は破滅型の馬鹿。
死に場所を求め、願望通り追い詰められて野垂れ死にできた。
ほんとは月照といっしょにあの世に逝くべきだったんだよ。
885日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:38:13
>>880
要するに>>875はスルーということですね?
886ある西日本の右翼サイト:2005/10/11(火) 01:27:22
原文では「明治維新」と書いているけれど、これは「公武合体」の内容である。上の勅語
の内容を読むと理解出来ると思うが、無謀な攘夷運動は、孝明天皇陛下自体が反対してい
た事を忘れないで欲しい。長州の態度は基本的に孝明天皇陛下は嫌っていた事も忘れない
で欲しい。10年を目途に軍隊を作ろうと考えていたのである。上の内容を良く読めば分
かると思うが、神の霊に従って軍隊を作ろうとのであるが、この意味がどういう意味か理
解していない藩が多かった事を忘れないで欲しい。要するに今の日本もそうだけど、神の
霊の存在を否定する無神論を信じ、日本の守護神を無視して行動を取る輩の上司が多かっ
た事を云う。そして、神の霊を否定して、孝明天皇陛下に対して謀反を考え、南朝の天皇
だと信じて立てようと密かに悪巧みを考え、天に対して反乱する愚か者がいて、その愚か
者が、主君の徳川家茂と孝明天皇陛下を暗殺して革命を起こしたのが明治維新である。前
、千乃先生が、明治維新が革命であると云われたが、最初は理解出来なかったが、孝明天
皇陛下と徳川家茂が暗殺されたならば、革命でしょう。
887ある西日本の右翼サイト:2005/10/11(火) 01:29:36
大東亜戦争の時に「神風」を吹かなかったのは、今の朝廷が、革命を起こし神を否定した
賊人の朝廷であるから、神が無視したかもしれない。当時、天上界の天皇陛下の守護神
(正統な皇室の陽成天皇陛下の子孫の血族の千乃先生の一族)は加賀藩にいたからである。
伊勢神宮のお札の奇蹟から発した「ええじゃないか」運動は、もしかしたら悪魔ダビデの
悪霊の扇動かもしれない。明治維新を起こした賊者の後ろには阿片戦争を起こして財を築
いたジャーディン・マセソン商会の長崎代理人でかつ英国の悪魔教団のフリーメーソン所
属のトーマス・ブレイク・グラバーが中心になって行動を起こしたのである。阿片戦争の
賊人によって引率された薩長軍団の存在は、天上の霊や孝明天皇陛下が許すと思うか。だ
から暗殺されたのである。日本にとっては、孝明天皇陛下は悲劇の存在である事を忘れな
いで欲しい。万世一系の天皇陛下の存在を信じている日本の伝統保守系の人々は、明治維
新については目を覚ます必要があるでしょう。
888日本@名無史さん:2005/10/11(火) 11:01:22
そのサイトなんか右翼ってよりオカルトだな。もしくは新興宗教。

西郷は破滅型というよりその時その時で心酔し師と仰いだ人物に依存しすぎてるような気がする。
島津斉彬や横井小楠が生きてる間は彼らの思想にべったりで。
他にも橋本佐内や藤田東湖といった連中に影響を受けているが
彼らはみんな西郷より先に死んじゃってるんだよねえ。
誰か教導してくれる人がいる間はその人の言う目標に向かって驀進出来るけど
指導者がいなくなると迷走を始めちゃう。トップに立つ人間ではなかったのかもという気がする。
維新後西郷の存在が巨大になりすぎて彼を指導できる人がいなくなっちゃった途端彼の政治活動は迷走気味というか。
いみじくも坂本竜馬が言ったとおりでかく叩けばでかく鳴るけど叩いてくれる人がいなければただ邪魔なだけ。
烈公水戸斉昭と同じだね。藤田東湖戸田蓬軒がいなくなった途端迷走しちゃうという。
889日本@名無史さん:2005/10/11(火) 17:55:27
西郷隆盛は増幅器ですか。
890日本@名無史さん:2005/10/11(火) 18:07:18
偉そうに西郷を語ったところで
なんの説得力もないんだよなぁ
891日本@名無史さん:2005/10/11(火) 18:37:52
西郷が江戸に暴徒を働いたのは事実。いろんな本に書いてある。
892日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:28:36
>>891
「江戸に扇動要員を送ったのは」の間違いだろ。
893日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:46:59
武器商人とイギリス公使との利害関係は必ずしも一致していなかった
武器商人は大きな内乱を望んでいたし、公使はそれに反対であった
何度も合議がなされたが、大政奉還が成る直前の会談では公使が
武器商人の意見に折れている


江戸城無血開城は武器商人の怒りを買い官軍総大将の座を大村益次郎に変えられた

西郷の行動の不可解さは商人と公使らの駆け引きの板挟みで苦しんでたという事
894日本@名無史さん:2005/10/11(火) 22:43:39
>>893
ほほう。もっと詳しく知りたいので根拠となるソースを教えてください。
895日本@名無史さん:2005/10/11(火) 22:45:44
特に「江戸城無血開城は武器商人の怒りを買い官軍総大将の座を大村益次郎に変えられた」という部分を、
もっと詳しくしりたいのでぜひぜひソースをよろ。
896日本@名無史さん:2005/10/12(水) 00:36:48
明治維新がなかったら今の俺たち生まれていないね。われわれは奇跡、偶然、現実のいたずらで生まれているから・・・
897日本@名無史さん:2005/10/12(水) 11:01:48
>>896 そりゃ明治維新だけでなくて日米戦争、日中戦争、関東大震災など全ての
大事件や小事件が多かれ少なかれ、現在の日本人が発生したことに関係している
だろう。

898日本@名無史さん:2005/10/12(水) 11:24:34
>897
だから?
899日本@名無史さん:2005/10/12(水) 12:21:28
明治維新は薩長閥の争い。国民は巻き込まれた。 明治天皇は利用された。
900日本@名無史さん:2005/10/12(水) 12:30:34
       祝! 900get

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901日本@名無史さん:2005/10/12(水) 20:48:53
>>893は嘘をついたのか?。ソース出さない所を見ると。
ソースくれよ。ぜひとも!。
902オクラ:2005/10/12(水) 21:40:12
明治維新が、なければおそらく日本は、
アメリカの植民地になってたとおもいます。。。
903日本@名無史さん:2005/10/12(水) 21:42:32
植民地になっても独立したはず。第二次大戦もなかったかも。
904日本@名無史さん:2005/10/12(水) 21:54:00
>>902 もしかするとアメリカの植民地にならないように奮闘しすぎた結果、
日米戦争でやられてしばらく植民地になっていたのかもな。
905日本@名無史さん:2005/10/12(水) 22:40:04
>>902
アメリカ人に日本人を支配する能力はないだろ。
そんな能力があれば、今、アメリカにあんなに日本製品が溢れかえり、
GMやクライスラーがバンバン社員を解雇するような状況にはならんだろ。
906日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:30:13
>>905
どういう混同の仕方だそりゃ。
まあ確かにあの時期のアメリカに日本を占領する余裕は無かっただろうけど。
907日本@名無史さん:2005/10/13(木) 13:27:22
 薩長や公家が天皇を絶対視(神格化)し、錦の御旗
を掲げたとすれば、天皇の意思を重要視した筈、しかし
当時の天皇(孝明天皇)は、尊王攘夷運動には反対の立場だった。

 何故、薩長や公家は天皇の意思を尊重しなかったのでしょうか?
908日本@名無史さん:2005/10/13(木) 13:33:55
>>907
>当時の天皇(孝明天皇)は、尊王攘夷運動には反対の立場だった。
ソースだせ
孝明天皇は不逞浪士が嫌いなだけで攘夷には大賛成だったが何か?
909日本@名無史さん:2005/10/13(木) 13:54:29
>>907
孝明天皇は強固な攘夷思想の持ち主だったけど、
同時に熱烈な公武合体志向の持ち主だったんだよ。
だけど、長州や一部の公家は反幕府思想で公武合体には反対だった。
「攘夷」の点では一致しているけど、両者はそれ以外に
一致点は無く、むしろ正反対だったってこと。
910日本@名無史さん:2005/10/13(木) 15:40:33
孝明天皇は側近から外国人は野蛮人と教えられた。そのため外国人嫌いになった。
911日本@名無史さん:2005/10/13(木) 16:02:34
インドの国家全体の軍事力は英国に劣っていなかったが
中央集権国家ではなかったために英国に支配されてしまうことになったという。
有色人種が身内同士で争ってくれると白人に都合が良いので、そうなるように操作する。
であるから、日本がまず近代的な中央集権国家を成功させた後はアジア全体をひとつに
まとめて白人に対抗しようとしたのも必然だったのかもしれない。
912日本@名無史さん:2005/10/13(木) 16:03:07
公武合体というのは幕府を中心とする大連立のような構想だが、薩長は
幕府が残ると旧幕藩体制を延命することになるのを恐れてあくまでも倒幕
に拘ったのだろう。

 つまり緩やかな改革か、急進的革命かの選択だった。

 公武合体では日本の中央集権化、統一は進まなかっただろう。

913日本@名無史さん:2005/10/13(木) 16:22:38
>>912
薩摩藩は元々は公武合体派
914日本@名無史さん:2005/10/13(木) 17:03:39
藩論なんてコロコロ変わってるんだから
915日本@名無史さん:2005/10/13(木) 18:46:37
幕府や薩長よりも北海道経営をサボってた松前藩の方がムカツク
とりあえずあそこが有能でやる気マンマンなら千島も樺太もシベリアも日本だったのに
916日本@名無史さん:2005/10/13(木) 19:31:27
調所弘郷の借金踏み倒しで薩摩藩を、井伊大老暗殺で水戸藩を、第一次長州征伐で長州藩を、改易しておけば、その後の「失われた80年」もなく日本人は幸せに暮らせたのに。
917日本@名無史さん:2005/10/13(木) 19:51:23
>>907
天皇の権威というものを尊重するという事と、天皇本人を敬うという
ことは同じではない。
当時の勤王派は皇威の回復・拡張及び朝廷復権を目指していた。
要するに、天皇の位(と附属する権利)を守るために勤めていたので
あって、天皇本人に服従していたというわけではない。
918三笠宮スレより:2005/10/13(木) 20:08:48
519 名前:日本@名無史さん :2005/10/13(木) 19:37:19
要するに右翼は自分たちの飯の種の皇族が自分たちの言いなりにならないのが気に入らないだけ。
919日本@名無史さん:2005/10/13(木) 20:11:43


今の右翼と昔の勤皇派って同じだな
孝明天皇も言いなりにならないから殺されたのかもなw
920日本@名無史さん:2005/10/13(木) 21:32:26
天皇を持ち上げつつ伝統文化破壊かwwwwwww
やることが矛盾してるのも笑えるよな。薩長系wwwwwwwwww
921日本@名無史さん:2005/10/13(木) 21:38:04
確かに維新は王政の復古と風俗や技術の革新の両面なのであるから否定する奴はいまい。
922日本@名無史さん:2005/10/13(木) 21:38:54
>>919
今上はウヨ嫌い。
孝明帝は長州嫌い。
923日本@名無史さん:2005/10/13(木) 21:42:16
>天皇を持ち上げつつ伝統文化破壊

天皇教の妄想が昂進して大戦争に突入する原因が見えるな。
ほんと終わってる。
924日本@名無史さん:2005/10/13(木) 21:57:57
大戦での敗北は議会民主制が早過ぎかつ遅すぎたのでは?
つーか幕府が天保期にさっさと近代化への改革やってりゃ良かったんだよ。
それが何も結果を出せないでやんの。
ほんと終わってる
925日本@名無史さん:2005/10/13(木) 22:01:23
×大戦での敗北は議会民主制が早過ぎかつ遅すぎたのでは?
○大戦での敗北は議会民主制が早過ぎかつ遅すぎたからでは?

というか結局井伊大老並に荒療治を行使しても良かったんだよな。
その井伊程の度胸を持った後継者が幕府に現れない地点で役割は終わった。
926日本@名無史さん:2005/10/13(木) 22:06:29
>>924
大戦での敗北は開戦の決断自体に起因するのであって、議会民主制への
移行が早かったか?過かったか?は、関係ないだろう。
927日本@名無史さん:2005/10/13(木) 22:19:30
>>912
>薩長は
>幕府が残ると旧幕藩体制を延命することになるのを恐れてあくまでも倒幕
>に拘ったのだろう。

それだと、大政奉還で幕府は倒れたのだから戊辰戦争は不必要だったという
ことになる。
928日本@名無史さん:2005/10/13(木) 23:22:32
幕府倒れてませんよ。
朝廷ではすぐに政治活動を行う準備が整っていなかった為、大政奉還後も大政を徳川家に任せると宣言している。
徳川側もそれが目的で大政奉還していた。この結果、大政奉還は名目だけで終わっている。
だから薩長が王政復古宣言するまでは幕府は倒れていません。
王政復古直後に幕府側が京都に向けて軍を進め、幕府側から戊辰戦争を起こしました。
なぜ徳川幕府は戦争などしたのでしょう。戦争しなければ平和でよかったのに。
929日本@名無史さん:2005/10/13(木) 23:55:14
>>928
攻撃を開始したのは薩摩軍だけど?
930日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:04:15
>>912
薩摩は密貿易の利権を幕府系中央政府に没収されるのを恐れて暴発したんだよ。
あくまでも薩摩は幕藩体制下の藩の利害で動いてたにすぎない。
裏で「幕府による貿易独占反対」とそそのかしたのはイギリスのオールコックね。
931日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:21:31
>>928
>王政復古直後に幕府側が京都に向けて軍を進め、幕府側から戊辰戦争を起こしました。

王政復古のクーデターは慶応三年(1867)12月9日であり、旧幕軍の
京都への進軍開始は慶応四年(1868)1月2日なので、「直後」ではない。
翌日3日に薩長両藩兵が砲発に及び、戦闘に突入している。
『大久保利通文書』を読んで確認してごらん。
932日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:22:58
>>929
一触即発の中、軍を進めた地点で既に戦が始ったも同然だよ。
攻撃さえなければ穏健に済むとでも思ったのかい?
933日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:23:20
鳥羽伏見以前にすでに江戸では事実上の内戦が勃発してた。
ここでも宣戦布告無きテロ戦争をしかけたのは薩摩。
934日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:25:06
>>928
>だから薩長が王政復古宣言するまでは幕府は倒れていません。

だから戊辰戦争前に幕府は倒れているということだろ?
935日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:37:25
>>932
慶喜に京都に来るように呼んだのは朝廷だろ?
936日本@名無史さん:2005/10/14(金) 00:58:41
>>932
進軍したら発砲OKだなんて、すげー理屈だなw
937日本@名無史さん:2005/10/14(金) 01:48:36
孝明天皇弟、明治天皇の叔父とも言える輪王寺宮が慶喜の助命嘆願の為に上京しようとしたら、駿府で追い返して、
寛永寺に輪王寺宮がいるのに、寛永寺を攻撃して天皇から頂いた勅額まで焼き払うなんて悪質すぎるだろ?
長州は禁門の変で孝明天皇のいる御所も砲撃してるし、どっちが賊軍だよ!
938日本@名無史さん:2005/10/14(金) 07:38:24
>>934 幕府は朝廷がまだ政権担当能力が無いことを見越して大政奉還した。奉還後
も朝廷は幕府に外交を委任している。奉還後の幕府は朝廷の委任を受けた事後処理
的臨時政府の性格をもつものだろう。幕府としては臨時政府ではなく以後も政権を
担当して行くつもりだっただろうが。

 王政復古宣言は以後、朝廷が幕府に代って直接政権を担当することの宣言であり、
幕府に対する宣戦布告の意味をもつものだっただろう(幕府は王政復古宣言以後
存在理由が無くなり解散命令を受けた倒産会社のようなものに位置付けられたこと
になる)。

 政権交代は平和的に話合いで進むような事柄ではなく戊辰戦争という内戦による
武力解決でなければ徳川300年の幕藩体制を崩壊させるには不充分だったのだ。
フランス革命、アメリカ独立、ロシア革命、中国革命もそうだった。


939日本@名無史さん:2005/10/14(金) 10:21:23
朝廷を重んじる慶喜は錦旗で降参した。代々皇室を重んじてきた水戸徳川家最強!
940日本@名無史さん:2005/10/14(金) 10:42:48
>>938は繰り返し繰り返しいつも同じことを書いてるけど、
何で誰も同調してくれないのかよくわかってない御様子
941日本@名無史さん:2005/10/14(金) 11:09:35
>>940 別に同調してもらう必要はありませんが。
942日本@名無史さん:2005/10/14(金) 12:04:59
>>940
単なる私観に、同調するもないもない
このスレは適当でいい加減なレスからマニアックすぎるレスまで幅が広すぎて噛み合ってない
943日本@名無史さん:2005/10/14(金) 12:57:07
明治維新はクーデターで成り立った・以上!
944日本@名無史さん:2005/10/14(金) 13:03:45
>>943 倒幕はクーデターだったかも知れないが、明治維新の全過程は革命
と言えるだろう。どの時期で区切るのかによる。
945日本@名無史さん:2005/10/14(金) 14:23:57
明治維新は成功したがその後の明治政府は陰謀まみれ。
946日本@名無史さん:2005/10/14(金) 14:38:42
ああ、日本政府の陰謀ってやつね。
947日本@名無史さん:2005/10/14(金) 15:34:13
自分は>>938の意見と同意だ。
948日本@名無史さん:2005/10/14(金) 16:51:38
明治維新
949日本@名無史さん:2005/10/14(金) 18:08:33
>>947
まだまだ勉強が足りんな
950日本@名無史さん
戦えば勝つと言って京都への進軍を強行した会津桑名。
あっという間に敗北したが、敗北原因は徳川宗家に押しつけて自らは悪くないとほざく。
徳川への忠義は口ばかりのようだ。