1 :
日本@名無史さん:
リトアニアのトラカイという場所で不思議なものを見ました。
http://9jfh.ameblo.jp/ これ、どーみても日本の鎧だと思うんですけれど、
なぜこんな場所にあるんだろうか?
不思議に思い、色々調べたのですが、
いつの時代の鎧なのか、どこの地方の人たちが使っていたものなのかよくわかりませんでした。
どなたか、詳しい方がいらっしゃいましたら一報くださると、嬉しいです。
ある部族の傭兵集団が使っていたものです。
2 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 01:26:26
工エエェェェェエエ工
もっとアップで撮影してよ
4 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 01:36:46
江戸時代にはオランダが日本製品を独占販売して大もうけしていたし、
それ以前の南蛮貿易でも日本の武具が西洋に流通していた可能性はある。
防弾性を追求して分厚い金属板を多用していた西洋の鎧と比べてみると、
皮革や布、紙などで耐刃性能を追求していた日本の鎧は外見以上に軽かった。
もちろん銃弾に対してはハリボテ同然だが、西洋の甲冑も実は五十歩百歩という結果となった。
いくら鎧の金属板を厚くしても、身動きできないほど重くなれば意味がなくなる。
西洋では銃火器が急速に発達したため、甲冑の重量増がたちまち装着者の体力の限界に達して17世紀には急速に廃れた。
何故単独スレを立てる必要があったのかスレの方向性がみえませんが、、、
とりあえず寝る前にざっと見ただけの所感を。
紋は九曜紋です。
時代は十六世紀末頃。
弓に関しては写真では判読しかねます。
6 :
1:2005/06/16(木) 02:04:41
回答ありがとうこざいます。
参考になります。
4>>身動きできないほど重くなれば意味がなくなる
なるほど、それで、動き安い日本の鎧を使っていたのかもしれませんね。
5>>戦国時代のものでしたか。
やはり、交易品で取引されていたのかな、ポルトガル辺りから入った?
旧ソ連の兵器が崩壊後に流出したようなもんか
全く違・・
事情はその地元の博物館(資料館?)の人にでも聞いてみないとわかりませんが、
古伊万里は西欧、イスラムでも珍重されたし、
幕末明治にフランスやイギリスで開催された博覧会に甲冑を出品しているし、
幕末明治には日本に来た外国人が面白がって買って持ち帰ってるし、
(鎖国体制の頃は武器武具の海外持ち出しは「原則」御制禁でした。ただし例外もあります)
いつどのような経緯でその土地までたどりつくことになったのか、
それ自体とても興味深いです。
10 :
1:2005/06/25(土) 00:50:36
私も知りたい・・・。
慶長遣欧使節でヨーロッパに渡った侍が着ていたやつかな。まさかな。
でも九曜紋は伊達家が使ってたし、かなりの数の武士が日本に帰ってこなかったそうだしなあ。
もしかして・・・
13 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 01:39:12
家光が鎖国するまでは日本人が続々と海外に進出していたし、
鎖国後も禁制品の抜け荷が皆無だった訳では無い。
右側の草摺だけが違う鎧のものだな
16 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:28:14
ササン朝ペルシアや中世チベットやタタール族が使っていた鎧も普通に日本の武者鎧に酷似しているわけだが
tesuto
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20 :
日本@名無史さん:
どれ?