■■■南京大虐殺は日本政府も認めています■■■

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771日本@名無史さん
>>770
奥宮は、古臭い「陸軍悪玉・海軍善玉」史観の持ち主で、
月刊正論において、中川八洋・筑波大学教授に、「戦後旧軍関係者による偽証が相次いだ」
と指摘された上で、『私の見た南京事件』の内容について論戦を挑まれて論破され、
ついでにパネー号事件の真犯人が奥宮であることまでばらされて、
ついでに、日本の敗戦責任が海軍にあることまで指摘されてやがったぞ。

月刊「正論」2000年9月号
“良識派軍人”奥宮正武氏への懐疑
  パネー号事件と南京事件に関わる証言を検証する 筑波大学教授 中川 八洋
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/0009/mokuji.html

月刊「正論」2000年11月号
中川八洋氏に反論する
 パネー号事件と私の見た南京事件再論 元空将・戦史研究家 奥宮 正武
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/0011/mokuji.html

月刊「正論」2001年1月号
ふたたび奥宮正武氏に糺す
 あなたは本当に真実を述べているか 筑波大学教授 中川 八洋
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2001/0001/mokuji.html

 小沢氏はまた旧軍の参謀の中でも特に奥宮正武氏を名指しして徹底的に批判しているが、
私がこのページでも奥宮氏の文章を引用した個所とほぼ同じなので省略する。奥宮氏は
特攻隊関連の他にも、南京大虐殺の不正確な目撃談や、日米開戦前の揚子江上の
米軍砲艦パネー号誤爆事件の実行者としての自らの責任に関して、2000年に「正論」誌上で
中川八洋氏から論争を挑まれてしどろもどろになるなど、かなりいい加減な人間であることは
確かだ。こんな指揮官たちに命令されて死地に赴かされた特攻隊員たちが気の毒でならない。
http://www11.ocn.ne.jp/~enigma/newpage6.html
772日本@名無史さん:2007/01/28(日) 02:15:00
173 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/30(月) 02:07

*「私の見た南京事件」の著者、奥宮正武は、パネー号事件の当事者であるが、
 彼は、軍法会議もののこの大事件を、自著の中で徹底的に隠蔽し続け、その
 代りに南京で虐殺を目撃したという記述を強調する。
 そして、マヌケにも数千人の処刑を、「弾薬を節約するために」日本刀や
 銃剣を使用するなどという、子供でも馬鹿馬鹿しく思うようなことを述べて
 いる。本カツと同レベル、ということだ。
 彼は、日本刀一振りが現在の価格に換算して、五十万円くらいであり、弾薬
 一個百円ほどである、ということも知らない。
 また彼は、食事の場所につれていくかのようにして、中国人をトラックに乗せ
 てつれてゆき、大量虐殺を流れ作業のように、「作戦行動」として行った、という
 が、それならば誰の命令で、どの部隊が行ったのか命令書などの一等資料で
 特定出来るはずだし、現にタンカー爆撃をやったのは奥宮隊以外に無いとはっきり
 特定されている。
 仮に命令書が処分されたと考えても実行部隊の陣中日記や将兵の日記に当たること
 もできるはずである。しかし、そのような裏付けが何もない。

 奥宮正武というのは、パネー号事件に関する主張でも
 そうだが、その場その場で適当な発言を繰り返して
 いるような人だ。
 だから、発言するたびに以前の主張と矛盾したり、
 まるっきり正反対の主張をしたりする。まったく、
 虚言癖があるとしか思えない。
773日本@名無史さん:2007/01/28(日) 02:16:36
174 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/30(月) 02:10

 パネー号事件に関して奥宮は、「さらば海軍航空隊」の
 中で、「潮田大尉機が江岸に逃走中の小船艇に機銃射撃
 を加えたことが分かった」と言い、それは事実なのだが、
 「大東亜戦争」の中では、なぜか潮田大尉の機銃掃射の
 ことは隠し、「村上中尉は、それらのボート群に向かって
 、機銃射撃を命じたとのことであった」と今度は無実の
 村上陸軍中尉に濡れ衣を着せている。
 また、自分の罪を他人に押し付けたり、海軍を弁護するか
 わりに、徹底的に陸軍を貶めようと様々な嘘と思われる
 ことを主張している。
 そしてその矛盾点を指摘されるたびに、その反論で新たな
 矛盾点を生んで傷口を広げている。
 奥宮の場合、このようなことの連続であるから、それを
 一々指摘するつもりもないが、南京についていくつか。
 「私の見た南京事件」で彼は「南京占領直後に、同市とそ
 の近郊で、おびただしい数の中国人が主として餓死により
 死亡した」と記しており、そのことの矛盾点を「正論」紙上
 で中川八洋に指摘され、それに対する奥宮の弁解が振るって
 いる。曰く、「そのような現場を見たことはないし、そのよ
 うなことを書いた覚えもない」・・・。
 あるいは、処刑された部隊が正規兵の捕虜だと記述したか
 と思うと、文脈の中でそれをいつの間にか「一般の中国人」
 だと匂わせるような記述をしたりする。おまけに、確かに
 そうだと思わせるような根拠を示さないでだ。
 彼の中川への反論にならない反論に対して、中川は「正論」
 2001年1月号で再反論している。
 奥宮はそれに答えるべきだろう。
http://natto.2ch.net/mass/kako/988/988425525.html