939 :
日本@名無史さん :2005/10/21(金) 07:51:50
トルコ共和国のエセトルコ人は本物のトルコ人の イメージを損ねるから有害。 本来トルコ人は中国人以上にアジア的なはず
940 :
日本@名無史さん :2005/10/21(金) 10:19:02
941 :
日本@名無史さん :2005/10/21(金) 10:45:37
>>936 トルコ語の助動詞の用法は朝鮮語より日本語に近いことは素人目にも
確かだ。五胡の一つが高句麗、百済、日本へ流入したのだろうと考えられる。
朝鮮語とトルコ語にも共通語があるが。
var(aru,woru), iyi(ii) yavas yavas(yawasi) bir bir(一々)の
ような共通語も見られる。
942 :
日本@名無史さん :2005/10/21(金) 11:47:17
天皇家って住民票あるの?
>>936 女真・完顔部族の金の歴代皇帝の諱(女真名)を見ると・・・
世祖;劾里鉢(ガリベチ)
康宗;烏雅束(ウヤス)
穆宗;盈歌(インコ)
太祖;阿骨打(アグダ)
太宗;呉乞買(ウチマイ)
煕宗;合刺(ホラ)
海陵王(煬宗?);迪古及(テクナイ)
衛紹王(紹宗?);果縄(チュンヘン)
宣宗;吾睹補(ウトゥプ)
哀宗;寧甲速(ニンキャス)
この読み方はどう見てもアルタイ語系よりもイヌイット語派
に近い読み方のような感じがする。
例えば、ニブヒ・チュコト・ギリヤーク諸語とかに似てる。
944 :
白馬青牛 :2005/10/21(金) 23:20:59
高句麗=扶余がトルコとツングースの混血で鮮卑に近い? 人種的要素から、そう断言出来る根拠は? 新羅=靺鞨=濊貊=勿吉が古代ツングース族でイヌイットに近いとして おるが、朝鮮半島にニブフ的要素はあるとして、アムール流域の ツングースが古アジア系と混血し、トルコ・モンゴル系もカラスク文化期 に北上し、古アジア系と混血したであろう。貊は朝鮮北部移住以前、 遼河方面にあったと考えられ、勿吉はツングースかニブフ(ギリヤーク) か断定出来ん。 新羅人は、角杯、ローマン・グラスと最も西方的で日本や高句麗、百済と 比べ、トルコ系の影響も強かったと思える。 任那=伽羅=倭人、縄文系も根拠は無く、韓国の礼安理遺跡の人骨は 顔の高いものと低いものが混在しておるが、土井が浜の弥生系人骨の形質 から、どこが古モンゴロイド(日本的概念であるが)なんか?
>>944 新羅語が高句麗語と比べてトルコ語に近い根拠は?
そのソースは?詳しく説明を。
現在の朝鮮語どう考えても日本語とは、
地理学上は膠着系のアルタイ語派らしいが
実際は水と油の差があるほど、言語的に共通性がない。
やはり
>>933 と
>>941 の意見が妥当だと思うが。
948 :
白馬青牛 :2005/10/22(土) 01:26:06
>>946 またトルコ厨の馬鹿が来たか。
高句麗文化が新羅文化より、トルコ系の影響を受けたという根拠を
詳しく説明せい。
>>948 >新羅人は、角杯、ローマン・グラスと最も西方的で日本や高句麗、百済と
>比べ、トルコ系の影響も強かったと思える。
西方的という意味がわからない。当時は隋・唐の時代で、その頃のトルコ族は
古代以来から発祥地のバイカル湖から西方のアルタイ山脈で遊牧生活してた。
また同時代に突厥が蒙古高原に勃興し、モンゴル系と見られる柔然を倒した
土門が伊犂可汗と称したのが552年のこと。
この事項を見ると角杯はともかく、ローマン・グラスという意味がわからない。
これはどう見ても遙か西方のイラン系かギリシア帝国から伝来したもの。
それがたまたま、イラン系の商人によってモンゴル高原〜中国〜朝鮮〜日本に
伝わったわけ。
それに当時のトルコ諸族はまだ西域に移住してない。だから後年のように
イスラム化はしてないし、コーカソイドとの混血度も少ない。
それに遙か昔に滅んだ中山国を築いた白狄の一派が地理的に考えると高句麗
に吸収された線はあり得ると思う。
950 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 02:15:41
トルコ系の話に初参戦だが、 そういえば、 秦氏は、弓月国から来たとされてるね。 弓月=三日月 なので、トルコ系など月を国旗に使う民族でジャストなんだよな
951 :
がいやまん :2005/10/22(土) 08:43:34
空前の大きさの前方後円墳箸墓、この前方と後円の中心を結ぶ線は大兵主神社 と背後の山、弓月が嶽を指している。兵主神、蚩尤の姿は銅鐸にも描かれている。 銅鐸など青銅器を扱う集団の神。(銅鐸は銅鏡より一回り古い時代のもの) 他方、箸墓は布留1式土器時代に建設されたものだが、この土器はC14による編年 によればAD240年、つまり卑弥呼時代。 記紀によれば垂仁朝に天日槍が渡来するが、この集団の軌跡と兵主神社の配置は 一致している。天日槍集団はそれまで最後の銅鐸、大型の見る銅鐸、の生産地 野洲も訪れている。これは鏡作り技術の集団が銅鐸集団と顔を合わせたのではない かと考えられ、天の安川(野洲川)の高天原評定による国譲り、纒向における邪馬台国 の建国は琵琶湖、三上山を望む伊勢遺跡で行われたのではないかと考えさせられる。
952 :
がいやまん :2005/10/22(土) 09:02:16
953 :
がいやまん :2005/10/22(土) 09:11:40
孝霊の御宇に月支国王の襲来ありとする出雲日御碕伝承、ケレクスルと見られる 田和山遺跡、トルコ族のひげクルガンと同じ構想の中円双方墳である楯築遺跡 の関連性、百済(馬韓伯済国か)から来たとされる鬼、温羅征伐等色々と興味深い 話がある。
954 :
白木人 :2005/10/22(土) 09:40:35
仲哀天皇の皇后である神功皇后は、 息長足姫尊のことで、坂田郡息長の出身で、天日槍の子孫という。 垂仁朝に天日槍が渡来するので、滋賀県に古代王権の神社でもあるのか
955 :
がいやまん :2005/10/22(土) 09:57:37
白木人さん、こんにちは。 滋賀県は銅鐸生産が全国一だったのじゃないかな。さて、記紀が重要視しているのは 渡来系と見られるスサノオとか、天日槍が時々の施政者、アマテラス、垂仁帝などの 管理下におかれ、最後には出雲とか、出石とかの辺境地に安堵されるということで、 匈奴文化等はあくまでも日嗣の儀式、葬礼などのリチュアルを日本に伝えたものと して描かれていることには特に注意が必要。つまり、外国文化によって支配されたよう なものであって外国人によって支配されたものではないことだな。弥生時代からの 稲作の生産力と少数の渡来系遺伝子の優勢的な発展はあったのであろうが。
956 :
白木人 :2005/10/22(土) 10:09:59
新羅から渡来してきた秦氏の大集団を率いた弓月の君のことであろうか ほとんどコピペでんねん
957 :
がいやまん :2005/10/22(土) 10:17:33
天皇家がどこから来たのかという問題に対して「天」という概念はバイカル湖東部 の匈奴文化から来たのではないかというのが一つの回答であるが、魏志倭人伝 の伝える卑弥呼という共立初代倭国元首の名前には「天(アマ)」がなく、太陽である 「ヒ」だけか含まれていないということは、当時の倭人は天神崇拝の形式を受容したが 古来からの太陽崇拝は変えていなかったということであろうか。
958 :
がいやまん :2005/10/22(土) 10:23:09
白木人さん、 弓月は中国語では月牙といって、より狼神話的ではあるが、神様みたいなもんで 普通名詞、人名ではないと思う。融通王もしかり。彼らは自己紹介する場合古代中国 秦始皇帝の子孫と名乗り、秦氏と称したのであろうが、人を食った話だね。実際は ツングースだったんだろう。
959 :
がいやまん :2005/10/22(土) 10:39:01
中国では山西省方面にはいまだに貧困の秦族が多数いるらしく時々テレビでも 放映される。秦というのは中国では昔からありふれた名前なんかもしれない。 シナ人というくらいだから。
秦族は海人だよ、漢籍から知識を得て祖先を詐称しているだけ。
961 :
がいやまん :2005/10/22(土) 11:28:40
962 :
がいやまん :2005/10/22(土) 11:56:56
963 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 12:04:29
唐突だが、「卑弥呼」の当時の(中国の)読み方は「ピェ ミェル ゴ」だそうだ。 この音からすると・・・
964 :
がいやまん :2005/10/22(土) 13:21:28
上海あたりの日本語のできる中国人の人によると中国発表の中古音、上古音 よりは日本の古典の読み方のほうが正鵠との話を聞くが。
965 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 13:26:16
しかし、倭人伝の著者の耳にどう聞こえたか、ということだから・・中華思想丸出しの当て字だし
966 :
がいやまん :2005/10/22(土) 14:25:16
>>952 トルコ系については白馬青牛さんの極めて重要なレスがあった↓
トルコ系突厥の先祖も、鉄工であり、遊牧民は鉄(武器)の欲求から、
鍛鉄の技術に巧みな部族に特別な立場を与え、それが発展の有力な
原因となった。
高車丁零のトーテム獣は、突厥と同じく「狼」。
天山山脈の鉄産は、良質とされておった。そういえば、付近に住んで
おり、西突厥部族連盟に加わったトルコ系弓月族の後裔は、
カンクリ(康里)人。カンクリとは、高い車を持てるもの意味で、
高車丁零族を思わせる名である。
秦氏(弓月)がトルコ系弓月族と結びつくかまではわからん。
ただ、同じく渡来系の漢氏も、牧畜民的伝説と騎馬習俗を持って
おった。漢氏、秦氏も騎馬近衛兵でもあったので、北方牧畜民族と
関連があったと思う。
実はこのカングリと関連するのではないかと思うのはこの間のウルルン
滞在記で出てきたトルコのカンガル犬、これがコマイヌの犬そっくりなのだ。
さらに、上記でご指摘のトルコと鉄の関係、これが有名な弁辰は鉄を産すという
弁辰の鉄鋼開発に関連して遼寧から馬韓経由で南下、その後山陰から、
大和へと入る集団の中にあったのではないかということだ。
967 :
がいやまん :2005/10/22(土) 14:54:34
何故重要なのかというと、日本人とチベット人には遺伝子で共通の要素があるが その原因を考えるとシルクロードの月支族が冒頓単于によって四方に追われ、一部が チベット高原に入ったことが考えられるということもあるからである。西方、大月氏国王 が卑弥呼と同様に魏から金印を受けているのもあながち偶然ではあるまい。
968 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 15:22:17
秦はイスラエル人だよ
969 :
日本@名無史さん :2005/10/22(土) 16:39:02
アルグン川流域
970 :
がいやまん :2005/10/22(土) 17:17:47
971 :
がいやまん :2005/10/22(土) 17:22:44
972
973 :
白木人 :2005/10/22(土) 20:46:01
(ウルルン 滞在記で出てきたトルコのカンガル犬、これがコマイヌの犬そっくりなのだ) 狛犬は、ライオンだとどこかで言ってたけど、犬なのかなあ
974 :
がいやまん :2005/10/22(土) 21:27:46
恥ずかしながら漏れは沖縄のシーサ同様獅子と思っていた。中には羊の ようにふさふさした毛を付けたのもいるので、それがたてがみかなと。 しかし、あのテレビを見てそんな犬がいるのにびっくりした。それでやはり犬では と思った。だが、スサノオ、フツヌシなどの剣の崇拝はスキタイの習慣。三貴神も スキタイ。出雲で剣を立てるのもスキタイ。スキタイはライオン彫刻が得意。 こうなるとコマイヌは判断に苦しむ。しかし、番犬はあっても、ライオンは人見知り するほどの頭はない。猫だ。すると、やはりあれは犬であったか。長くてスマソ。
975 :
がいやまん :2005/10/22(土) 21:40:47
魏志倭人伝は漢字の使い方が極めて悪い。自国の名称が鬼であって、 属国をそれ以下にさげすもうとする中華思想だから無理をしているんだろうが まじめさを疑われる。品がない。しかし、日本の地名と照合すると発音とか、 音節には気を使っている様子。カナサナなんて実際に関東にある。すると クヌ国という言葉はフンの族名にある。オオクニヌシを国王とすると四隅突出 墳文化圏連邦とすると話が合う。クガチというのは山城或は北陸、ヒミキコの ヒミも富山にある。神話ともよくつじつまが合う。キビも族名とすると仲が悪いのは 新興宗教どうしの信者の取り合い見たいな関係であったんじゃなかろうか。
>>975 脳内で浅い知識を無茶苦茶に繋いでるのだろうが、
今の地名と無理矢理合わせても何の意味無いよ。
そもそもカナソナ国、クナ国だしな。
977 :
白馬青牛 :2005/10/22(土) 22:58:13
>>949 隋・唐時代でその頃のトルコ人は、『隋書鉄勒伝』にあるよう、アラル海
や更に西の黒海方面まで、勢力を伸ばしたと考えられる。北匈奴を
トルコ系に含めるとかなり以前に西方移住した集団もあろう。
コーカソイドとの混血もケンコール古墳群から確認出来る。古代以来から
発祥地のバイカル湖からとあるが、丁零をもって発祥地とするには、
根拠に乏しく、華北、長城地帯も考慮すべき。ここであれば、胡(匈奴、
トルコ系?)と貉(貊、狛、遼寧青銅器人・ツングース)と関連も
ありうる。戦国策の「胡貉代馬」孟子の巻第十二 告子章句下にある
貉等、貉は胡と同じ習俗を持っておったとも考えられる。
新羅の西方文化は、慶州98号墳で、積石木槨墓の内部の木造架構と
黒海東北沿岸のコストロムカヤのスキタイ古墳に見られる遺構と類似、
金冠塚等のローマン・グラス(ガラス器)も、黒海北岸のノーバヤ・
マヤチカの物と類似し、金製品も含め古新羅文化は、日本、百済、
高句麗、中国胡族とも違う。江上波夫氏は「南ロシアや西トルキスタンの
黄金流行地帯と新羅の結びつき。」とされておられる。
トルコ厨は、もう少し調べて書け。
978 :
日本@名無史さん :2005/10/23(日) 04:41:06
反キリストは天皇家に現れます。 ルシファーが復活して皇室の霊的守護にまわるんです。 2006年6月6日からです。
979 :
日本@名無史さん :2005/10/23(日) 06:34:44
980 :
白木人 :2005/10/23(日) 10:51:22
新羅から渡来してきた秦氏の大集団を率いた弓月の君は、 日本でも新規の渡来人の処遇に困り武蔵の国に置いたように 新羅も困って追放したのかな
981 :
がいやまん :2005/10/23(日) 18:12:22
漏れは鉄資源の供給不足、枯渇、乃至は、中国の大型産地の開発により競争力が 低下したのではないかと思っている。日本においても後代において、鉄鉱石、砂鉄の 産地となるようなところに配置されている。しかし、生産性が低かったのではなかろうか。 結局は山師のようなものになったのでは。古代の鉄製品の物流の姿がいまいち見えて こないけど、古墳時代は基本的には半製品、製品輸入時代であったようだ。
982 :
がいやまん :2005/10/23(日) 18:16:09
弁辰から香春、山陰に入るのは資源開発という面とリストラされたという面があった のでは。基本的に土地を持たない連中は稲作地帯では弱い。
983 :
日本@名無史さん :2005/10/23(日) 18:22:27
弓月=トルコ国旗の月=月の女神アルテミス
で、アルテミス神殿は紀元前11世紀にはあったとされる。
アルテミスは女神
アマテラスも女神 似すぎじゃないの
チェニジアでは
http://www.sarago.co.jp/nfhtm/tn.html フェニキア人の美の女神タニスを象徴
秦氏は日本では代々書記を務めて古代史の編纂に当然の影響を与える立場。
秦氏の伝承として女神神話と重なる部分もあるかもしれない。
984 :
日本@名無史さん :2005/10/23(日) 19:15:26
面白いこじつけですねw
985 :
日本@名無史さん :2005/10/23(日) 22:51:28
>>983 兵庫県西部に三日月町、上月町という地名があり、その南部に太子町が
ある(聖徳太子が奈良へ行く前に住んでいたらしい)。聖徳太子トルコ人説(小林
恵子氏)とこの三日月、上月も関係があるのだろうか?
ちなみに私の故郷に近い町だ。
986 :
日本@名無史さん :2005/10/24(月) 00:03:39
今の天皇は天智系、 つまり継体(新潟出身) 天武(愛知、三重出身)から政権奪い。 現在の天皇の祖となった。
987 :
日本@名無史さん :2005/10/24(月) 03:01:14
間違いではないが結局は系が変わっても族(皇族)が変わらなかったのなら天智系でも天武系でもどちらでもいいんだよ。
988 :
日本@名無史さん :
2005/10/24(月) 03:11:37 このスレ面白かったので、続きのスレたて誰か頼む